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マルクスとブラームスの自己同一性危機

2025 SEP 4 18:18:45 pm by 東 賢太郎

この本を読んだわけではないが、表紙に虚を突かれた。ゲットーは中世のユダヤ人強制居住地区のことだ。12年を欧州金融界で過ごすうえで僕は業界のドミナントな存在である彼等の歴史を知り仲良くならない手はないと思ったが、自然にウマが合う人が多いという意外な発見もした。ロスチャイルド家が住んだフランクフルトのゲットー跡地に立って複雑な気持ちに襲われ、屋久島で助けたイスラエルの女性がくれたユダヤ教のお守りを今も大事にしているのも偶然ではない。宗教として近しいわけではないが、無二の創造主を信じることでは同一であり、ヘブライ語聖書(キリスト教の旧約聖書)は史実と考えている。お前は何教徒かと問われれば先祖からの浄土真宗大谷派だが、仏陀も同じものを見たと解しており僕の中で矛盾はない。

左は1909年のニューヨークのゲットーだが、留学当時のハーレム(黒人街)もこんなものだった。ウエストサイド物語の舞台を思い出す。レナード・バーンスタインも、ジョージ・ガーシュインも、貧しいロシア系ユダヤ移民の子だ。ここを脱出して羽ばたこうという大志を抱いた若者の夢はブルジョアの子よりずっと大きかったにちがいない。この写真からざわざわと聞こえてくるのは生きんがための、人間くさい、生々しい喧噪であるが、僕にはそれがいささかも荒んだものに思えない。

ヨハネス・ブラームス(1833 – 1897)はハンブルグのエルベ河埠頭に近いシュペック通り60番地のアパートの2階で生まれた。僕はその写真を見て即座にゲットーを連想した。ヨハネスの父、ヨハン・ヤコブ・ブラームス(1806–1872)は東京と熱海ほどの距離にある町ハイデからハンブルグに19才で出てきて、ギャングや売春婦のたむろすバーで演奏した。ヤコブの父方の曽祖父は車大工、祖父は旅館、伯父は古物商・質屋だ。みなユダヤ人の典型的な職業である。ヤコブは旧約聖書の予言者の名で、ダビッド、ダニエル、ナタンと同様、ユダヤ人が個人的社会的に迫害を受けたこの時代にあえて誤解を受けてまでつける非ユダヤ人はいなかった(シーセル・ロス著「ユダヤ人の歴史」、みすず書房)。

カール・マルクス

自己同一性危機はアイデンティティ・クライシス(identity crisis)の訳語で、成人が自分が何者か見失うことを言う。ウィーンにおけるブラームスとワーグナーの対立は絶対音楽vs標題音楽の争いであって、音楽の様相としてアイデンティティは明快と見えるが、それだけで真相はわからない。1848年の三月革命(ウィーン体制崩壊)から1862年ビスマルクのプロイセン王国(第二帝国)を経て、いよいよヒトラーの第三帝国に至ってしまう「ドイツ統一」と「ドイツ的選民思想」というもの。その生成過程で、表向きは語られることがないユダヤ系を自覚していた両者が社会的に採らざるを得なかった立ち位置の相違が個性とあいまって対立の根っこになる。つまり、弁証法的唯物論でも持ち出さないと説明できそうもない背景が根底にある。ちなみにそれを説いたカール・マルクス(1818 – 1883)の家が代々ユダヤ教のラビであることも興味深い。彼の父は生地トリーアがプロイセン領になりユダヤ教徒が公職から排除されるようになったことを懸念して1816~7年にプロテスタントに改宗し、名前もヒルシェルからハインリヒに変えている。息子は「ユダヤ人問題によせて」(1843)を書き、フリードリヒ・エンゲルスとともに共産党宣言」(1948)を著すに至るが、宗教的排除という生存の危機に至りかねない差別をヘーゲル哲学を使って経済格差と階級闘争に置換し、反キリスト教的な無神論にもっていったのは大いなる知見だ。

リヒャルト・ワーグナー

ザクセン王国ライプツィヒに生まれたリヒャルト・ワーグナー(1813 – 1883)にも自己同一性危機があったが、それは二重三重に屈折した彼なりのものだった。15才までリヒャルト・ガイヤーを名のったが、母の書簡を見つけてしまい、自分は法律上の父が存命中の、母と再婚相手の俳優ルートヴィヒ・ガイヤーの不義の子ではないかという疑念を持ち、ガイヤーはユダヤ人だと信じたことに発したからだ。ルートヴィヒ2世を手籠めにしてしまう政治的才覚の持主である。ビスマルクの庇護を得てプロテスタントを国教とするプロイセンに取り入ろうという野望には致命的な支障となり、絶対に公にするわけにはいかない。そこで非ユダヤ人の立ち位置を印象付けるため、世を騒がせるエッセイ「音楽におけるユダヤ性」(1850)を書いて反ユダヤ主義を大仰に演じてみせ、出生の秘密を糊塗してしまう。「パリでドイツ人であることは総じてきわめて不快である」「パリのユダヤ系ドイツ人はドイツ人の国民性を捨て去っており、銀行家はパリでは何でもできる」と書き、その餌食として徹底した攻撃の標的になったのが銀行家の息子であるマイヤベーア、メンデルスゾーンというユダヤ人作曲家だった。

ヨハネス・ブラームス

ワーグナーは敵方の急先鋒だったユダヤ人評論家エドゥアルト・ハンスリックも嫌い、 “ベックメッサー” として自作で嘲る攻撃を仕掛ける。さらに、レメニー、ヨアヒムらユダヤ系音楽家と濃厚な関係を築いてウィーンに現れた新星で、おりしもハンスリックが激賞したヨハネス・ブラームス(左)を「ユダヤ楽師」とののしった。いっぽう故郷ハンブルグで定職を得て家庭を持つことを熱望していたブラームスはウィーンに執着はなく、おりから空席となったハンブルグ・フィルハーモニーの指揮者への指名を期待したが上級市民が彼の出自を理由に反対して叶わなかった(これがマルクスの父親が懸念した「ユダヤ教徒が公職から排除されること」の一例である)。ウィーンに居を置くことになり危険を感じた彼は、ドイツ音楽の堅牢な砦である “古典的型式” (絶対音楽)を身に纏う道に向かうが、これは彼がレクイエムの歌詞をルター派のドイツ語訳にして「ドイツ・レクイエム」と名づけたことと同様、「ドイツ統一」「ドイツ的選民思想」の流れから逸脱するすべはなかったためである。はからずもそのウィーンに一生住むことになったブラームスは、ワーグナーのような過激でも政治的でもない形で、ユダヤ髭を除けば自己非同一性の痕跡を一切見せることはなく、父ヤコブから受け継いだ歌謡へのユダヤ的嗜好(「ハンガリー舞曲集」に顕著)は作品番号のない「ドイツ民謡集」の作曲以外は封印する。この抑圧された心理と行動が、晩年のシニカルで内向的な性格と観察されるものの正体である。

父ヨハン・ヤコブ

かように、ブラームスにも父親ヨハン・ヤコブに起因する同一性危機が根深くあった。にもかかわらず父への愛情は殊に深く、浮気により姉と弟が母側についてもそれは変わらなかったところに僕は彼の人間性を見る。自分の才能を7才で認め、酒場でのなけなしの収入で家族を養いながらハンブルグ最高のピアノ教師につけてくれたこと、そして、レメーニとの楽旅で調律の低いピアノをその場で半音あげてベートーベンのヴァイオリン・ソナタの伴奏をした驚くべき実務能力、即興したジプシー音楽の譜面を売って金に換える才などが父に由来することを悟っていたからだろう。おちぶれてはいたが貴族の末裔だった母からは文学への造詣、深い思考力とロマン的な精神をもらい、終生強い心の絆でつながっていた。母が17才年上という夫婦のアンバランスは彼の女性関係に影を落とし、年齢と共に両親も溝ができ、父は扶養を放棄して家を出てしまう。

母クリスティアーネ

その翌年、母が亡くなる。ブラームスは衝撃を受け、それが「ドイツ・レクイエム」に投影される。これほど魂に安息を与えてくれる音楽は他にないと、いま僕は感じながらそれに浸って本稿を書いている。彼がかかえたコンプレックスにはささやかながら共感を覚える点が自分の家庭環境にはあった。富裕層子弟ばかりの小学校に団地っ子はおらず、誕生日のお祝いに呼ばれれば目をみはる豪邸ばかり。社宅である我が家は好きな子だけを招待しても手狭だった。妹と二人の高額な学費を支払って学業を支えてくれた勤勉な父の労苦も、富裕層出の母の気持ちも痛いほど察した。小鳥と猫を飼ってくれ、きれいな花や手芸品の装飾でいつも部屋を明るくしてくれていた母の姿が「ドイツ・レクイエム」の第4楽章のはじまりの数小節からありありと目に浮かんでくるし、父への敬意と感謝も消えないことはブラームスと同じだ。

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Categories:______ブラームス, ______ワーグナー

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