バルトーク『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』Sz.110
2026 OCT 25 19:19:56 pm by 東 賢太郎
バーンスタインを検索していたら出会った「ファス・ア・ファス四重奏団(Quatuor Face à face)」。ピアノ2台(4手)とパーカッション2名によるアンサンブルだ。国籍はフランス2名とスペイン、ルーマニアで、明晰なラテン的音作りに惹かれる。ドイツ語圏に長くいたためかどうか、ゲーテやブラームスもそうだったようにアルプスを超えるとなぜだか気持ちが晴れやかになる。ましてピレネーを超えるとウキウキしてくる。もう昔の感覚だから今どうということもないが、若い頃の刷り込みというのはどうにもならない。
彼女たちにはもう1つの魅力がある。俗に言う運動神経だ。クラシックを敬遠してる人。ダサい、退屈だと思ってるジャズ、ロック系の若者。彼女らの「ウエスト・サイド・ストーリー」をごらんなさい。陳腐なステレオタイプになるが、いわゆる西洋人は狩猟民族であって、農耕民族である我々にはないアジリティ(agility、敏捷性)が楽しめると言ってしまって外れてはいないと思う。もちろん日本にもある人はいるが、僕の長年の欧米生活からの観察によれば、欧米人のそれへの執着と持続力となるとなかなか見ないのである。歌がいい証拠だ。ベルカント唱法のアジリタ(agilità)がまさにそれであり(コロラトゥーラとも呼ぶ)、「敏捷」をアートにまで高めて愛でる感性は、曲芸ならともかく古来より日本にはないものだ。アスリートでもない音楽家には関係ないだろうと思われる方々、それなしには到達できない、それがあってこその、真逆の方向のふるいつきたくなるデリカシーというものが世の中にはあることをご自身の耳で発見して頂きたい。ジャズ、ロック系にはなく、クラシックだけにある極上の喜びというのはそういうものをじっくり味わい尽くすことによって必ず感じる事が出来ると思う(ヘッドホン鑑賞必須)。
全員がパリのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)出身でコンクール1位。ピアノも機能的側面だけ抽出すればそれであるから「打楽器アンサンブル」といえないことはないが、弦楽器のように音を保持できず減衰してしまう楽器だけで「マリア」が歌えてしまう。破壊的な打撃音が強烈なだけに、それの優しさが際立つ。印象的なバンドであり、ぜひライブが聴いてみたい思う。
写真の1番右に写っているピアノのマラ・ドブレスコ(Mara DOBRESCO)の研ぎ澄まされた音響嗜好は、カリヨン(調律した鐘)を模したジョルジェ・エネスクの作品にみえる。
理科の実験と思えばいい。音楽を音の連鎖(メロディ)と捉えると無調音楽は音楽に聞こえない。だから音響の混合と捉えることだ。個々の鐘の音は不協和音なのに、並ぶとメロディに聞こえるこの作品でその感じを味わえばクラシックへの扉が開く。
そういう感性の持ち主が弾くベートーベンのピアノソナタ第31番終楽章アダージョ~フーガ。ドブレスコの造り出す音の透明な質感に瞠目する。これだけ聞いてもわからないかもしれないが、ドイツ保守本流のバックハウスやケンプと聴き比べてご覧になるといい。
ラテン的透明性(クラリティ)、敏捷性(アジリティ)にロマン性を掛け合わせたのがウエストサイドだったとすれば、ロマンを除去して現代性に置き換えたのがバルトークの『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』(Sz.110)である。現代といっても「第2次大戦前夜にコンテンポラリーだったもの」という意味だ。現在においては、それを現代と呼んでいた当時を古典として鑑賞するという姿勢であり、それもクラシックというものだ。
この作品は指揮者パウル・ザッハー (1906-99)が世界的製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロシュのオーナー未亡人と結婚して巨万の富を相続したことで生まれた。自身のバーゼル室内管弦楽団・創立10周年演奏会のためにバルトークに委嘱した新作が1937年1月21日初演の『弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽』(1936)であり、同1938年1月16日のISCM(国際現代音楽協会)バーゼル支部創立10周年記念演奏会のために委嘱したのが『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』(Sz.110)だ。まだある。バルトーク「ディヴェルティメント」、ストラヴィンスキー「弦楽のための協奏曲」、バルトーク「ディヴェルティメント」、オネゲル交響曲第2番と第4番もそうなのだから、未亡人が他の男を選んでいたら人類の大損失になっていた。
出自からして①「弦チェレ」と②「二台ピアノ」は近親関係にある。両者とも深い静寂から発し、明確なリズムを中核に弁証法的発展を遂げ、夜の音楽が宇宙空間をさまようような静けさを引き戻し、生命力をたぎらせる舞曲風アレグロの終曲が結尾に来る。①第3楽章と②第2楽章には黒鍵、白鍵の夢幻のごときグリッサンドなど当時のバルトークの美意識を代表する素材が現れる。この夢幻は陶酔ではない。②はドイツによるオーストリア併合、ユダヤ人迫害開始(水晶の夜)の前年である1938年に初演されており、ディッタ夫人はユダヤの血を引いており、迫り来る魔の手からの逃避であったろう。それは2年後にアメリカに渡ることで実現し、収入を得る意味も妻に演奏機会を与える意図もあったと思われ、同年に管弦楽版『2台のピアノと打楽器のための協奏曲』Sz.115が生まれる。渡米後にクーセヴィツキーの委嘱で書かれた『管弦楽のための協奏曲』における改訂後のエンディングでは、金管が②第2楽章コーダのシロフォンが奏する “f -f-f-a♭-f” をファンファーレ風に強奏して曲を閉じる。これは②の練習番号28から頻出する5連符の音型のコラージュの1つであり、近親関係はさらに広がった。
最も尊敬する作曲家はバルトークというゲオルグ・ショルティは②のブダペスト歌劇場での初演舞台で第2ピアノを弾くディッタの譜めくりをした。そのパートを担当し、第1をマレイ・ペライアが務めたCDが出たのが1987年である。僕はそれで楽曲を覚えた。危なげなくこれを弾いているピアニスト・ショルティの腕前は驚くべきだ。レファレンス級の録音であり、できれば譜面を追ってお聞きいただきたい。
お気づきだろうか、第2楽章第7小節のdにdisがあるように聴こえる。CDにはない(スコアにも)。ミスタッチはあっても残すことは考えられないので別テークがあるのだろうか(下のビデオはその録音風景と思われるがdだけだ)。それはともかく、75歳のショルティの頭の冴えとエネルギーはまさしく超人である。ここではピアノを弾いているが指揮者というのはこういう人がなるものなのだ。
最後にファス・ア・ファス四重奏団の演奏を。ショルティ盤は第2を弾く彼が指揮者(リード役)でもあることがビデオでわかるが(格から必然だろう)、バルトークは初演で1番を弾いており、私見では4人対等のアンサンブルを指向したように思う。スコアを見てそう確信するのだ。シンバルをどのスティックのどの部分で叩くまで指示し、音程のないドラムの区別も棒線の上下で書き分けるほどのこだわり。これがまたアジリティーと同じで、日本人のこだわりという程度のニュアンスではない。ないものは名前がないので英語でメティキュラスといおう(meticulous)。辞書には几帳面とあるがそんな甘っちょろいものではない、そんなクソ細かいことまでよくこだわるなという否定的な感じすらあることが得におおざっぱでokを旨とするアメリカではある、まさにこれだ。
バルトークのそれは半端ではない。そうした作曲の意図をショルティは「打楽器も歌わせるべき」という言葉に集約して語っており、それを四重奏のアンサンブルとしてクリアに具現化したのがファス・ア・ファスの見事な演奏だ。打楽器の音響に強い関心があり、ティンパニのグリッサンドの音程まで生々しく分かるわかるこれはとても美味だと思っている僕も、こと興味がある対象に限ってのことではあるが、meticulousな人間である。
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