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カテゴリー: 徒然に

新婦の父になった日

2025 MAY 13 8:08:46 am by 東 賢太郎

日曜日に長女を送り出しました。近年は結婚式の場もガーデンやビーチなど多様化し、親しい人たちと心地よい時間を共有する傾向にあるようですが、娘たちは私共の世代と変わらぬクラシックな場を尊重しました。帝国ホテルにしたのは理由があったようで、人気の5~6月は意中の部屋の空きがなく1年ほど待つことになりました。その甲斐は大いにあって、新婦の父として忘れえない思い出をつくっていただきました。スピーチを頂戴した主賓、ならびにご列席いただいた神山先生ご夫妻、ご親族、ご友人、ご同僚の皆様、ソナー関係者の皆様、当家の親族、ご協力いただいたホテル担当者の方々に厚く御礼を申し上げます。

新婦の父役は簡単ではありませんでした。「お父さん、いい?バージンロードを一緒に歩くのよ、ドレス踏まないようにね。でもスピーチはしなくて大丈夫だからね」。それが何かも知らず娘の指示で一応の安心はして当日にのぞんだのです。歩くのは花嫁の後ろからと思っていたので踏むわけないだろと余裕でした。モーニングに着替えてホテルの教会の待合室にはいると神父さんと介添え人の女性がおられ、手袋おもちですね、こう指をそろえて左手で、持ち方はこうです、右手はこう曲げて手の甲が上で力は抜いて、はい、そんな感じで動かさず、などと矢継ぎ早に教わります。歩き方ですが、右足からです。花嫁と歩調を合わせて、とにかくゆっくり、靴の幅ずつ進む感じでいいですよ、気をつけていただきたいのはスカートが横に広がってるので踏んじゃう方がおられるんです、そうならないように右ひざはやや内側に回して入れる感じで・・・

ウェディングドレスを試着した写真は見ていましたが、現れた新婦姿の娘には息をのむばかり。圧倒されてしまい、想定外だった腕組みをされると、なるほど横幅がすごい。気が動転したまま廊下をしずしずとバージンロードの扉の前まで進みました。この数メートルで難しいと直感しましたが時すでに遅し。「それではご入場です!」と声がかかり、ぱっと扉が開くとサーチライトか眩しくてなにも見えません。オルガンが轟々と鳴り響いて「はい右足からどうぞ!」。覚えてるのはそこまでで、人がたくさんいるな、立ち上がってばしゃばしゃ写真を撮られてるなと感じて固まりつつ道がまっすぐかどうかもよく見えません。とにかくスカートを踏まないことだ!それに専心すると歩調も何もあったもんじゃなく、人生でこんなにゆっくり歩いたことはないゆっくりさで片足に乗る時間が想定をこえて長く、2度左にこけそうになりました。やっと終点が見えてやれやれ。そんなことはどこ吹く風と泰然自若で歩を進めるヨーロッパ育ちの娘をこんなに頼りに思ったことはありません。

そこで待ち構えていて、よろしくお願しますと礼を交わして娘をお渡しした新郎。彼もまた18才で志してロケット工学を学びに単身渡米した海外派です。結婚の誓いも堂々とした声で頼もしいもので、心の底から安心しました。彼を育て、若い志を後押しされたご両親も立派としか申し上げようがございません。名門テキサス大学アーリントン校(UTA)卒で、英語で理系という大変さは私の想像を超えますが、ラグビーで鍛えガリ勉でもアメリカかぶれでもない、こんな若者が日本にいたのかという驚きと共にこの人を見つけてきた娘も思いっきりほめてあげたい。UTAのスポーツチームの名称はテキサスの誇りマーベリックス(異端児)だそうで、映画トップガンのトム・クルーズのように “カッコいい型破り” の意味です。何があっても臆することなくふたりでその道を突き進んでいってください。

披露宴は主賓のお言葉を頂戴し、少々リラックスもさせてもらいました。ちなみに、流す音楽はホテルおまかせでなくすべてふたりでプロデュースしたいとリクエストがあったので、結婚式に向いているかどうかよりも娘の思い出がある30曲を選んで送りました。ドイツにいたころ、ピアノでドラえもんのテーマ曲などを弾いてあげるとキャッキャ喜んでいた頃から覚えていた曲ばかりです。結果として私のCDルームから持ち出していったのはヘンデル、モーツァルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、L・アンダーソン、R・ロジャースでした。ひそかに楽しみにしていましたが、なるほどそこに使ったか、いいセンスだねというものばかりでいうことなし。満点。Climb Every Mountainは画像とあいまって最高だったし、我々には別格であるラインの第5楽章、あれを流した人はまず他にいないでしょう。オンリーワンの宴になりました。

いろんな思いがめぐり食事もそこそこに感無量で式を眺めていましたが、いよいよ「それでは最後にご両親への花束贈呈です」とアナウンスがあり、いかん、そういうのがあったっけと金屏風の前に立ちました。花嫁の万感のこもったスピーチにまず家内が泣きだしてしまい、私は唇をかんでこらえましたがハグされたらもうだめでした。そのシーンを激写していたのがソナーの慶応グループで、閉会後に見ろこれが証拠写真だと盛り上がりました。私が涙を耐えられるかどうかで賭けが進行していたのです。

43年前、私と家内はこの桜の間のひな壇に座っておりました。留学でアメリカに発つ前の弱冠27才と24才で、借りてきた猫のように固まっており、皆様から前途洋々のお言葉をいただたのがうれしかった遠い昔の思い出です。まさかそこでこの日を迎えようとは想像だにしていませんでしたが、これは娘たちのプレゼントでもあったのでしょう、そういえばこうだったと記憶の片隅に埋もれていた父のモーニング姿と母のおめでとうという声をはっきりと思い出しています。私は大学2年のとき全くの偶然から広島のユースホステルで家内に出会い、思えばこの会場から我が家が始まったのです。その日の新郎新婦の両親は家内の母ひとりになってしまいましたが、93才と思えぬお元気な姿で神戸からかけつけてくれました。おりしもこの日は母の日であり、天国の我が母が喜び、義父も我が父もそろって祝福してくれたのでしょう、曇天で小雨模様の日々だったにもかかわらず、披露宴の窓からは燦燦と陽光がさしこんでおりました。

 

ヴェネツィアの残照

2025 MAY 7 15:15:31 pm by 東 賢太郎

かつて観た都市でもっとも富というものを感じたのはニューヨークでもロンドンでもパリでもない、ヴェネツィアだ。いままで英国式にこの都市名をヴェニスと書いてきたが、イタリア語はヴェネーツィアでネーを強く、ツィアもはっきり発音する。どっちでも通じればよいのだが、イタリアの歴史を書くので本稿ではヴェネツィアとしよう。

ヴェネツィア共和国(697年)の成立は平城京(710年)、平安京(794年)より古い。まず歴代総督が隣国の勢力を巧みにあしらって自治権をもった都市国家となり、東ローマ帝国の制海権に守られ交易で利を得る。さらにアドリア海沿岸の海上防衛を担う代償に貿易特権を得て東地中海最強の海軍国となり、港市の多くを支配下に置く。そして第4回十字軍を事実上率いてコンスタンティノープルを陥落させ、帝国分割で巨利を獲得して政治的にも欧州有数の勢力になったことは皆さん世界史で習った。

いっぽう、以上をヘゲモニーの視点で読み解くなら、この都市の興隆の歴史は日本国の将来にとって興味深い示唆があろうと指摘したい。まず交易、金融、外交のインテリジェンス、そして世界で造船・兵器製造の一大拠点となる資金力の両方がないとこういう芸当はできなかったということだ。現に大航海時代の到来で交易がアドリア海から大西洋、太平洋に移るとビジネスモデルが崩れて資金が枯渇し、ガラスやレースの工芸品を造ってしのいだものの、ついに1797年、ナポレオン・ボナパルトに侵略されたのである。なくなったのはキャッシュフローであり、それゆえの資金調達力であって、富はあった。日本にも富はあるし、あり続けるだろうが、それでいいのかということだ。

この都市には3回行った。まず観光。次はエーゲ海クルーズの発着。最後は仕事だった。アドリア海からクレタ島への船旅は第4回十字軍の航路で感慨深く、仕事ではフライトのキャンセルでヴェネツィア~トリエステをゴンドラで移動し、海上からヴェネツィアを眺めて実感した。その地はもともと異民族に襲撃されて追い込まれた湿地帯であることをだ。農業も産業もないそこを水路で守備して根城にし、ムスリムやフランク王国という、征服されかねない異文化圏と交易で儲けようというのだから複式簿記を発明するような知恵も交渉力も要る。シェークスピアは無知ゆえか偏見かそれをシャイロックに仮託したがここの商人がみなユダヤ人だったわけでもなく、世襲でない有力家門(ドージェ)の寡頭制ではあったがフィレンツェのメジチ家のような僭主がいたわけでもない。選挙で選ばれた歴代総督が賢かったという事だ。しかし、くりかえすが、富がありすぐれた統治者がいたとしても、経済成長力が衰えれば国は滅ぶのだ。

ちなみに、富のバロメーターである地価を調べると一等地サン・マルコ広場の近辺で240㎡の高級アパートが130万ユーロ(約2億2千万円)というのを見つけた。1㎡90万円は新宿区ぐらいだ。この都市の輝かしい富が手に入るわけではないが、富というものは実は多くを所有する必要はない。身近で他人に邪魔されずあるぐらいでいいのだ。新宿駅が身近で便利なのと、こんな財宝を日々眺めて暮らすのと、多数決で決めたら同じ値段だったという厳然たる事実がここにある。世の中はずいぶんおかしなものだと思うしかないが、物もサービスも金も株式も、値段はそうして決まっている。

正面がサン・マルコ寺院だ。この地に寺院が建ったのは9世紀で空海が高野山金剛峯寺を建立したのとほぼ同時期である。10才のヴィヴァルディは手前側にある学校に通い、毎日この景色を見ていただろう。15才のモーツァルトは父と共にこの広場で仮面舞踏会を夜中まで楽しんでいる。

サン・マルコ寺院にはいってみよう。

ビザンチンの教会は、満々と湛えられた空気の膨大な質量が全身に訴えかけてくる異空間である。これが水ならどうだろう。泳いで空間を天使のように浮遊し、我々はこんなものを眺めているにちがいない。

天空の秘密。地上に据え置かれた我々はそれを知らない。

巨大なマスであるここの空気が声や楽器でうち震えると、それは波になり、些かの間をおいて天井の円蓋まで覆い尽くすやこちらに向けてこだまのように降ってくる。それが元の波とぶつかって干渉し、さらに複雑な波となり、我々を体ごと共振させ、なにやら娑婆とは別物だという魂の体験をさせるのだ。音ではなく波動だからそこで経験しないとわからないが、一度味わえば忘れることはない。

無意味なアーという発声であってもそうなのだが、それが楽音のドであればそれが空間に高々と飛散し、数秒間もありありと浮遊し、次に楽音のソを発して重ねてみれば両者は交って完全五度を成して戻ってくる。この発見から和声が産まれた。それでは戻ってくるメロディーに調和するように元のメロディーを書けばという発想でカノンが産まれた。サン・マルコ寺院でどう響くか。テノールがひとり二重唱になる様子がこのビデオでわかる。

つまり寺院、大聖堂なるものは我々が「音楽」と呼ぶものの母体であり、さらに成長させるゆりかごでもあったということだ。物理的に表現するなら楽譜は2次元、演奏は3次元で、時間軸が加わった教会での演奏は4次元のアートという事になる。音楽の4次元化はルネサンス音楽を代表するフランドル楽派の巨匠であり、ヴェネツィア楽派の開祖となったアドリアン・ヴィラールト(1490年頃 – 1562)に発する。

この人はいまでいうオランダ人だ。サン・マルコ大聖堂楽長への就任は大胆な人事だったと思われる。世襲、独裁、汚職の排除と人材の登用は小国ヴェネツィアの生きる知恵であり、1593年にはガリレオ・ガリレイを造船・兵器製造の技術顧問に雇ってもいる。ヴィラールトは1527年の契約から1562年の逝去までポストにあり、この人の起用は西洋音楽史上で最も重大な契約のひとつだったと評価される大きな成果をあげた。それが巨大で複雑なサン・マルコ大聖堂の音響構造を利用した分割合唱様式の発明であった。後の楽長にふたりのガブリエリ、モンテヴェルディという大物が就くが、やがて潮流はバロック様式を経て教会の厳格なポリフォニー音楽を離れて歌と伴奏のオペラへ向かうのであって、分割合唱様式の生んだ作品の位置づけは懐古的なものになろう。しかし「その場所でしかできない」という音響はオンリーワンの存在で、永遠の価値を誇るヴェネツィアそのものという視点からの評価はこれからむしろ高まるのではないだろうか。

1970年万博西ドイツ館

1970年の大阪万博で西ドイツ館のシュトックハウゼンが気に入ったことを書いた(シュトックハウゼンは関ケ原に舞う)。シアターピースという位相を導入した概念は分割合唱様式に始祖があると思う。西洋人は教会で賛美歌を歌って育つので大空間の音場の残響と反響は脳への当たり前のインプットとなっているだろう。いっぽう山びこだって珍しい我々はレコード屋のクラシック売り場は「古楽」から「現代」までジャンル分けされているのが当たり前と覚えている。ケルン近郊生まれの敬虔なカトリック信者だったシュトックハウゼンがあの大聖堂の音響を知らなかったはずがなく、レコードが「現代」に置いてある彼が子供のころからなじんだその響きから天上のスピーカーの音が走るあの空間を着想したとしても何ら不思議ではない。

例えば大バッハは15才から数年間リューネブルクの聖ヨハネ教会の合唱隊の一員として歌っているが、そこの音響はこんな具合である。

明らかに残響が実音に「かぶって」いるが、賛美歌は天のこだまと交唱しているかのようなサウンドが「らしさ」を醸し出すので、屋外でこの楽譜を歌っても感じが出ないだろう。想像になるが、若き日をこの音響にどっぷりつかって暮らしたバッハには実音だけを聴いても「かぶり」がきこえる感覚ができあがっていたのではないか。だから自分の脳内に響いている両方を楽譜に書き取ろうと試み、そこから進化した技法の集大成がフーガになったのではないかと思う。

僕が日本で一度も足を踏み入れたことない教会に初めて入ったのは学生時代にアメリカのバッファロー大学に短期留学してホームステイした時のことだった。一緒に賛美歌を歌わされたが、天上にふわっとぬけていくその響きこそ衝撃だった。一気に好きになって、それ以来、海外で知らない処に行くたびに大聖堂や教会に入って音を聴いたからもうマニアと言える。小さいものは忘れたが、覚えてるだけでこんなにある。

ドイツはケルン大聖堂、シュパイアー大聖堂、フランクフルトの聖バルトロメウス大聖堂、マインツ大聖堂、オーストリアはザルツブルグ大聖堂、ウィーンのシュテファン大聖堂/聖ペーター教会/カールス教会/聖ミヒャエル教会、チューリヒのフラウミュンスター、英国はウェストミンスター寺院/セント・ポール大聖堂/チチェスター大聖堂/ヨーク大聖堂/セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、パリはノートルダム大聖堂/サン・トゥスタッシュ教会/サントトリニテ教会、ルーアン大聖堂、ストラスブールのノートルダム大聖堂、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ミラノのドゥオーモ/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ピサ大聖堂、バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂、ブラジルのリオデジャネイロ大聖堂

これらの地の多くはクラシック音楽の殿堂でもあり、大聖堂があってオペラハウスがない都市はなかろうから両者の関係は緊密だ(日本は両方ない)。「古楽」も「現代」も「ロック」もない。ポール・マッカートニーは「みんなもう讃美歌は聞き飽きて心に響かないんだ、僕らはむしろ熱心な教会支持者だった」と語っている。教会マニアになったおかげで僕もどうやらそれらしい耳ができあがり、自宅の音楽室は石造りで窓にはステンドグラスまで入ってしまった。日本のコンサートホールでそういう音は記憶にないが、いちどだけ、ライブイマジンの練習で吉田さんに舞台上のピアノを弾かせていただいたとき、ふわっと天井に昇っていく感じがあれに近いなと思ったのは客席が空だったからだろうか。

サン・マルコ大聖堂楽長としてヴィラールトとモンテヴェルディをつなぐ人にヴェネツィア生まれのジョヴァンニ・ガブリエリ(1554または1557 – 1612)がいる。彼が生まれた頃、ちょうど日本では川中島、桶狭間の合戦が行われていた。1579年に織田信長は権勢のピークにあり、豪華絢爛の安土城にはいりセミナリオで西洋音楽を聴いているが、その頃にミュンヘン留学からヴェネツィアに帰国したガブリエリはサンマルコ大聖堂の特性を活かした分割合唱様式でヨーロッパで最も有名な作曲家となってゆく。ほとんどの作品は、祭壇の左右に配置した2つの合唱団ないしは器楽集団が、まずは左手から聞こえ、それを右手の音楽家集団が追うというアンティフォーナルに構成される。このビデオでわかる。

次にサン・マルコ大聖堂の響きを聴く。アコースティックはこの400年の間にほとんど変化していないという。

ひとつ前のビデオもそうだが、発売されたときにFMだったかで耳にして印象に残ったのがフィラデルフィア管、クリーヴランド管、シカゴ響のブラスセクションによる(たしか「ガブリエリの饗宴」と銘打った)1968年録音のLPだ。それぞれオーマンディ、セル、マルティノンの時代でまばゆい金色に輝く。まだ中学生でガブリエリが人名であることも知らず、クラシックは富裕で豪奢なものというイメージができた記念すべき録音だ。ヴェネツィアにもそれが焼きついていたかもしれない。

 

(ご参考)

ストラヴィンスキー 「詩篇交響曲」(1930)

失われた30年は財務省のせいばかりではない

2025 APR 5 11:11:39 am by 東 賢太郎

「ガキが泣く姿を映す時間はない。私の意見が気に入らないのなら、次はもっとうまく投げろ。彼は怒るべきだし、何であれ対戦打者を葬り去る準備をすべきだ」

ドジャース佐々木朗希の“涙目”降板にこう言い放ったのは2度MLBオールスターに選出され、ダルビッシュの女房役だったジョナサン・ルクロイだ。この記事を見て、そうだ、その通りだとうなづいている自分は昭和の男だなあとつくづく思った。本当に泣いたかどうかは知らないが、そう見られたならどっちでも同じだ。

あえて「男」と書かせていただいたが、「男は泣くな」でも「女なら結構」でもない。僕はガキの頃から「男は人前で泣くな」と厳しく躾けられた。だから何があろうと外で泣いたことがない。妹はいわれてない。昨今の親は男の子にもそういわないのではないかと思うから、僕はシンプルに「昭和の男」なのだ。

ルクロイが言いたいのは「大舞台に立つ者は立つなりの理由がある。やることやれよ。やれないなら怒れ。できなきゃ去れ。泣くのはガキだ。そんなものをテレビで放映なんかするな」ということだろう。そうか、アメリカでもそういう風潮があるんだ、僕が最も反応したのは最後の部分なのだが。

大舞台でなくとも、あらゆる軍隊の最前線で司令官が飛ばす檄に最もふさわしいのはルクロイの言葉みたいなものだろう。軍には女性もいるだろうが、敵軍に立ち向かう最前線を占めるのは圧倒的に男であるはずで、撃った銃弾が相手に命中しませんなんて泣く奴はのっけから失格なのである。

ところが、そういうことを口にしようものなら「パワハラだ!」と攻撃される時代だ。では敵軍に立ち向かう最前線を占めるのが圧倒的に男だとセクハラなんだろうか。戦いに負けても人権は守るべきか。もちろんだ。だから戦争はいかんのだ。そんな禅問答をしてるうちにミサイルぶちこまれるのが戦争というものだ。

昨日紹介された台湾系米国人CEOは語った。「ドローンを撃ちこむ10分前にサイバー攻撃を仕掛けて敵地の通信手段を遮断して迎撃を絶つ。ウクライナで起きてる事です。そのため中国は台湾の海底ケーブルを日々切断してます。だから遮断できない衛星通信が奪い合いなのです」。戦争の最前線は宇宙に至っている。

クラウゼヴィッツは『戦争論』で語っている。ただ善良な気持ちから戦争について語るのは最悪である。

牛殺しの熊でも殺すな、熊にだって子供がいる。暗殺犯だがやむにやまれぬ家庭の事情があったのだ。昨今は「何事も屁理屈はつけられる」という意味であるはずの「盗人にも三分の理」なる諺が、盗っ人は生活が苦しいのだから三割は減刑しろみたいに語られる。なんだか世論が無気味に曲がってきていないだろうか。

楽天の監督だった星野仙一が「ノックアウトされて戻ってくるピッチャーに拍手しないでくれ」と仙台の観衆に苦情を述べ、優勝させた。昨日のこと、作戦でなく真面目に打ってボテボテのセカンドゴロだった打者を、走者は三塁に進んだというのでベンチがタッチで迎えるチームがあった。星野なら怒鳴ったろう。

そういう指導を昭和だパワハラだというなら、敵に攻め込まれて皆殺しにされても人権とジェンダーとLGBTは守りますという国に移住することをおすすめしたい。野球は戦争ではないが、泣く新人を擁護していればいずれエンタメのショービジネスになり、「とんねるずのリアル野球盤」とあまりかわらなくなる。

日本の失われた30年は財務省のせいばかりではない。1980年代に欧米の最前線で真剣勝負で戦った僕の眼からすれば企業風土がリアル野球盤になったことはもっと大きい。要はバブル後遺症でユルフンになってIT戦争に大敗し、世界でカネが稼げなくなったから国民的に貧しくなったのである。

「ガキが泣く姿を映す時間はない」。MLBのプライド高い世界トップの野球選手たちでこんな番組を作るのはライオンにチンチンの芸を仕込むより難しいだろう。「そんなものをテレビで放映なんかするな」。誠にごもっとも。こういう国のテレビ局だから恥ずべき事件が起き、見てる国民もユルフンになっていく。

僕はある有能な若手ヴァイオリニストにテレビには出ない方がいいよと進言したことがある。そうしないと野球盤の道だ。厳しいことを言うようだが僕はパワハラ支持者でも軍国主義者でもない。英語でそれをディシプリン(discipline)という。何であれ一流になり一流であり続けるには心の修養が必要と言っている。

だから一流を目ざさない人にまであれこれ言おうという趣味も暇もモチベーションも僕には微塵もない。つまりユーチューバーになってご高説を垂れるような人たちとはまったくの別人種である。なぜなら僕は社会に出てから今日の今日までいちプレーヤーであり、この仕事で絶対に負けない自負があるからだ。

佐々木朗希が泣いたのだとしても彼への僕の期待はかわらない。一流の自負がないと涙は出ない。それなしでなれると思わないから有資格者の証明であり、あとは心の修養だ。周囲など一切無視するんだね。それを無礼という連中を気遣ってもいいことはない。何が一流かわかってない人たちは真の支援者でないからだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

新しい人と出会うのは楽しい

2025 MAR 29 16:16:44 pm by 東 賢太郎

昨日は某社のオーナーを紹介された。こうやってもう何百人か何千人か知らないが、会った。ディール以前にそれが商売みたいなもの。そういえば金曜は赤坂の料亭で別の経営者とやっていたら、たまたまひとりぶらっとカウンターについた自民党の大物先生が気づいて挨拶に来た。ため口きいてるこいつ誰だと思ったろう。大臣だろうが何だろうが選挙があるのは大変だ。

最近はオモチャにピクリともしなくなった老猫みたいなもんで、少々のではすぐ退屈しちまう。オーナーのプレゼンは理科の実験みたいで面白かったし、ポテンシャルが大と観た。「上場とかM&Aがどうとか、そんなのは些末な話なんです。もっとでかくしましょう。でかくなれば世間は勝手に来ます」ってことでお引き受けすることにしたが、きくと同期でありウマが合ったってのもあった。仲介者は「どっちも難しい人なんでダメもとのつもりでした」というが、こういうのがご縁ってもんだ。やんないとわかんないよ何事も。

「メジャーはあんまり興味ないんです、だってね、オータニもローキも身長2メートルもあるピッチャーが足開いたらググっと2メートルも前に来ちゃう。18メートルじゃなくて16メートルから投げるんですよ、そんなでっかい奴が。打てるわけないでしょそんなの。だから俺は現実味がなくってね、ニッポンの野球のがいいですね」なんてことまで話したかどうかは忘れたが、仲介者センセイが、「オーナー、東さんはカープファンなんです」と言ったのは確かだ。「そうなんですか、じゃこれ」と棚から出てきたのが写真だ。「18番?誰でしたっけ」「マエケン。ボク野球興味ないんであげます」。家宝が増えた。ご縁ってもんだ、こういうのも。

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米国のヘゲモニーの視点ですべてを読み解く

2025 MAR 10 18:18:00 pm by 東 賢太郎

そういえばと思い、バックナンバーを検索するとこれがありました。日韓合同演奏会、今年が60周年で、これが50周年だったんですね(師走だった)。

チョン・ミュンフンの第九と濃かった師走の一日

そして、大晦日にこういうことにしました。

有難うございました、良いお年を(ブログ終了のお知らせ)

フラフラになるほど忙しかったからです。結局3か月お休みして4月に再開しました。それが2016年。そのころ僕のブログの訪問数は一日4~500、いまは3~4000です。ちょうど大統領選の年でした。トランプが勝つとはまったく思ってませんでしたが応援はしており、当時、政治関連はSMCでなくソナー・アドバイザーズHPにブログを設けてそっちにたしか4~50本書きました(HPのポリシーで消してしまったようですが)。トランプに好感を持った理由は、あくまで直感ですが、ビジネスマンだから僕には見ていて分かりやすく、裏はあってもこの程度かと思えばそんなに悪党じゃないなと安心感を持ったことです。だから2000年のあのあからさまなインチキ選挙をまのあたりにして、大噓つきの奴らが裏でせこせこ悪事を働いてる、そう確信してブログを書きました。選挙権のない米の内政ですが、単純に僕はそういうセコい奴が大嫌いなんです。バイデン側は今回の大敗で恥ずかしいボロが全部あばかれるでしょうし、現に、彼は当選後の大統領令への署名もオートサインだった(最後の最後に、立候補しない、という署名だけは真筆でさせられた)という暴露が出ています。それでもまだ負けを認めたくない連中がトランプを貶める印象操作を裏で表でやってる。政治の主義主張が違うのは大いに結構ですが、そういう姑息な手口がネット社会では見事にばればれなんです。それを延々とやってる方々、地位も名誉もあろうというものが金のためとはいえそこまで身を売って品格を下げてしまう景色は気の毒ですらあります。

トランプは戦略頭脳が抜群に良いと思います。あの年齢にして記憶力も落ちてない。それなしに不動産業で1兆円も儲けられるわけないでしょう?これを馬鹿という人々は自分にそういう脳がついてないのを公開してるわけです。米国のアキレス腱は通貨主権です。これを取られたら玉座から落ちる。決済通貨ということですがそれは表の話で、通貨主権国だけが紙切れをいくらでも印刷でき信用が棄損しないという錬金術を使えるのです。だから金本位制をやめてじゃぶじゃぶカネを刷っても紙切れとはバレない方式、つまり、軍事、財力、智力、科学技術で包括的に威圧して価値があると弱者に信用させられる状態(ヘゲモニー、hegemony)により帳尻を合わせて世界を支配する構造を米が確立し、対抗馬のソ連を潰しました。同じく戦略頭脳に長けたプーチンはその失敗原因を知ってます。米はそれを民主主義の勝利と謳ってますが、相手が共産主義国だっただけで民主主義が万能の証明にはなってません。現に今の米は民主主義的にDS(Deep State)に乗っ取られ共産主義的に破壊されつつあります。

彼等は大金持ちの超国家利益共同体であり、米のヘゲモニーに利用価値を見出した「虎の威を借りた狐」です。世界の政治権力者とメディア幹部を裏口買収して偽装に加担させ、為すことすべてを虎に見せかけ工作してきた。世界は「米」と思っているので動くわけです。それを指摘した者たちを「陰謀論者」と切り捨てるメディア工作もそれなりに奏功してきましたが、加速度的、不可逆的に増加するSNS閲覧者たちはその工作者こそが陰謀論者であったことを見抜きつつあります。そして最大の誤算は、絶対に買収できない大金持ちが本丸に登場したことです。それがトランプです。彼がスマートな人物であることは買収不可能な世界一の大金持ち、イーロン・マスクを右腕に起用したことでわかります。だから焦り、暗殺まで企てたが失敗した。買収されてる世界のメディアは絶対にそう報道しませんが、おおよその背景はSNS閲覧者たちの間ではもはや共有知で、否定すれば自白になるほどメディアの立ち位置と魂胆は見ぬかれています。だから報道しない。そういう自由があるのではなく、ご主人様に都合の悪いことは、アンタッチャブルなのです。

誤解なきよう明記しておきますが、超国家利益共同体だろうが一般国民の生存権を脅かさず共生してくれれば、税金はたくさん払ってるわけですから何の問題もありません。金持ちになりたいことが悪ではない。それが資本主義、自由主義であって、僕はそれを信奉して生きてきましたし、いまや、世界の(元共産国を含む)、ほんの数国を除くすべての国家が、汚職はしてもあからさまにそれを否定はしません。そうではなく、そこまで財を成した人間というものがさらに共同して追求したい「利益」とは何かがわからない、僕には想像できない無気味さがある、そういうことなのです。トランプ、マスクだって超国家利益共同体のメンバーになるだけの資産を持ち、その一員として何の問題もなく米を支配することができるはずです。その方が楽な人生かもしれない。しかし二人はそうせず、敵対する道を選んだ。暗殺リスクを冒してまで。この決意は尋常なものではないと思うのです。だから愚人、狂人なのだと見る方も多いでしょうが、僕は人間として支持したい。それだけです。何度も書きましたが、僕は米国人でもなく、経済的には超国家利益共同体の末端にいた方が有利なキャリアを来てしまいました。心の奥底の蹉跌がこれを書かせている気がします。

DSが世界のメディアの完全支配に成功したのがバイデンの4年間でした。その手口、すなわち、USAIDを隠れ蓑にして錬金術で刷りまくった金を自在にばらまく物証をイーロンのIT技術者が差し押さえました。ミサイルやドローンが飛び交っている(と見える)ウ国の戦地で、なぜかCNNの記者が流れ弾を恐れることもなく平然とライブレポートし、CGも交えていると思われる画像が世界中に放映されてロシア悪玉の国際世論を作りあげてきた。そして今なおトランプ政権がやることなすことに対し、メディアに It is extremely dangerous for democracy(それは民主主義にとって非常に危険だ)と、米を買収していなければ吐けない言葉を呪文のように唱えさせ、新聞はセ~ノで異口同音のコピペみたいな記事を出す。こういうのを共産主義のプロパガンダというんです。裏口買収以外の方法でこんな離れ業がどうやったら物理的に実現できるか、皆さんご自分でじっくりお考え下さい。

中国はその地位を狙って地下資源のあるアフリカ、南米まで資金漬けにし、米はそれをつぶす。日本は最強通貨だった円でそれをさせないためにプライマリーバランスのくびきで30年縛って弱体化したのです。どこかに書いてしまったと思いますが、僕は野村香港社長だった98年ごろ財務省某高官の訪問を受け、ユーロドルを範とするアジア円構想の意見を求められたことがあります。まだそういう時代でした。難しいと思うと市場の現実に即したお答えをし、後にサマーズに潰されたと聞きました。米が基軸通貨性を脅かすそれを認めるはずがない、そういう位置づけのものだとは当時は知りませんでしたが、構想自体は意気軒高と思い、そういう財務官僚がおられたことには感銘を覚えたものです。基軸通貨である戦いの雌雄を決する巨額で持続的な決済。これを要するのはオイルなんです、だからアラブの胴元サウジを中国に渡すわけにいかない。もし米・露・サウジで組めば世界のオイル、化石燃料は3国で押えられ、価格決定権を握って儲けつつ世界経済を支配でき、決済通貨のドルは安泰で人民元を潰せ、武器でなくカネと平和でイスラエルvsパレスチナ、ウvs露を調停すれば米のヘゲモニーは守られ彼はノーベル賞です。トランプが露・ウの高官会議をサウジでやるのはそれがシナリオだからです。それもこれも錬金術あってのことなんです。暗号資産を国富に組入れるのはブロックチェーンによる信用創造が潰せない敵と悟った、だから取りこんでしまおうという逆転の発想です。米国民はそんなことは知りませんが、バイデンに乗っても戦争屋とウォール街が儲けるだけ、それよりトランプに乗った方が少なくとも自分たちは幸せになる、多数がそう思ったからトランプは勝ったのです。

では日本はどうなるか。DSの番頭バイデンの忠犬を演じて日米同盟を守ったことになってる岸田総理のあと、石破総理だろうが次の人だろうが、日本がキャッシュディスペンサーである美味しい現状をトランプに変えてもらう期待はないでしょう。尖閣は安保第5条では守れません(本気で核で脅されれば議会は参戦を否決します)。ウ国のNATO編入を露が戦争してでも拒むのは防衛義務の双務性ゆえです。日米安保条約の片務性にいちゃもんをつけたトランプに対し、反共防波堤の前線基地確保のために米が作ったものだという反論をしたところで、因果はどうあれ現状のフリーライドは看過できないとそれをネタに防衛費5%を吹っかけられるのが落ちではないでしょうか。それなら逆手にとって、基地撤収してもらって構わないので核保有を認めてくれと交渉すべきではないでしょうか。憲法改正と自衛隊の増強は必要ですが長い目で見ればその方が日本は安全な専守防衛ができ無駄な防衛費を抑えられ、ものが言える本来の国家状態に復帰できる可能性があります。ここから10年、トランプ以上にそれを飲んで議会を説得できそうな大統領が現われる期待値はほぼゼロです。懐柔、腹芸をまじえてそれを仕掛けられる傑物が総理にならなくてはいけませんね。相手はビジネスマンです。できそうな胆力、交渉力がある人は自民党にはいないかもしれません、政党より個人の資質だから野党だ新党だと言ってる場合じゃないですね。

1,2年ほど前に国内政治については散々好き勝手に書きました。それもこれもトランプ政権になるという前提での話で、そうなりましたからもうつけ加えることはありません。自民という党は不人気で支持が減っているのではありません、書いたように時代の流れからもはやオワコンなのです。右左だ保守だ革新だなんてものは元から戦後日本に真面目なテーゼとしてはなく、総理は米の高額請求書を国会で通すのがお役目だから国民ウケが良ければどっちでも誰でも構わない、その都合がいいように55年に米によって読売新聞などと共に作られた政党であって、いまや、どうやらシンジロー社長じゃコクミンは騙せんようだねってことになってる。だから切れ者の財務担当役員である財務省は重用なんです、これも米のヘゲモニーの一角という視点で見れば当然で、これだけ頭脳明晰な官僚たちが安月給で毎日夜中まで働いてくれる国など世界のどこにもないからです。

問題は何かというと、官僚もいち社会人ですからね、より良いポジションと報酬を求めるのは当然です。米は能力ある者には桁外れの大金をくれるんです。NPBとMLBが良い例です、大谷翔平も佐々木朗希もファンが泣き叫ぼうが米に行ってしまいましたね。金だけが人生じゃないなんて万人が言ってるふりをしないといけないのは世界で日本だけです。野球選手も官僚も選挙で選ばれてないんです、だから愛国心やら国民の負託なんて押し付けても仕方ないしそういう時代じゃない。日本は平和で世界一素晴らしい国ですが、そのコストとして、実力がある若者にとって悪平等でもあるんです。何のために厳しい受験勉強で勝ち抜いたんだと疑念をもってしまい、官僚になれるのに外資系のコンサルや金融に行く人が増えてるわけです。だから官僚の道に進めば、上司が馬鹿なら省益のために遠慮なくつけこむのはこれまた人間界では世界の常識なのであって、彼らに非があるわけではなく、情けなく官僚の軍門に下って使われちまう国会議員たちが情けないという事なんです。彼らは選挙で選ばれてますからね、泣き叫ぶ国民を無視して米になびくなんてことは許されない。そこが最大のポイントなんです。米では選挙で選ばれてない官僚が国をめちゃくちゃにしてるのは許し難いという国民国家にとって実にまともな大統領が登場した。日本では神輿に乗ってりゃどんな馬鹿でもオッケーという優秀な官僚制に巣食うだけのビジネス議員が閣僚になって利権をほしいままにし、世襲し、官僚は官僚で別の生態系を作ってしまい、それこそDSのスローガンである「民主主義にとって非常に危険だ」という事態になっています。そんな議員を政治に無関心な国民がスルーして選挙に当選させている、これがおかしいんです。あちこちで水道管が金属疲労で破裂してますが、立法も行政も同じことが起きてます。もう高齢者である僕の世代が発することのできる警鐘はそれだけです。これからこの国で何十年も生きていく若者が選挙に行かなければ、誰も救ってくれるものはありません。

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2月26日に天道の頂を観る

2025 FEB 26 19:19:07 pm by 東 賢太郎

人間は胃なら胃の、肝臓なら肝臓のと、臓器ごとに特定の周波数帯の極めて微弱な電流を発してます。これを知ったのは畏友である森嶌淳友医師の「表参道ウェルネス統合医療クリニック」が施術に使うバイオレゾナンスというドイツの振動医学機器にそれを感知する精度があり、周波数の異常値(平常レンジからの逸脱)で臓器ごとの変調を発見できるメカニズムを体験したからです。

ということは人間はからだ全体としても微電流を発しており、皆さんは固有の周波数をお持ちです。ちなみに音は空気振動の周波数で決まります。二つの音を鳴らしてみると周波数比が1:2ならオクターブ、2:3なら完全五度で調和し、共振(干渉)して振れ幅を増幅します。これが人の相性の良さの正体で、「気が合う」というのは両人の発している周波数比が調和的であることと考えられます。

なぜなら、「気が合う」は「肌が合う」「息が合う」とも言い、言語を媒介せぬことを示唆します。「うまが合う」は馬と騎手の関係だから言葉はありえず非言語的な交信で相性を決めていることを示唆します。「ツーカー」はツーの波動が相手に響いてカーと共振させた描写です。つまり、動物も人間も波動のやりとりをし、その周波数の調和性で合うあわない(相性)を決めていると思われます。

では波として伝わってくる物質は何か。相手の姿かたちは光です。は波(電磁波)と粒子(光子)の両方の性質をもちますが暗闇で殺気を感じたり物質でない霊を見たりする人もいますので脳の神経細胞が刺激を受けると発する波のような電気信号(脳波)かもしれません。いずれにせよ「波」であり、「波が合う」とは周波数比が調和的であることです(時間軸での1/fゆらぎなど含む)。

そう仮定すると、予想外のアプリケーションが導かれます。たとえば、結婚相手の選び方です。ずっと一緒にいるわけだから耳障りな短2度(C/C#)やトライトーン(C/F#)など周波数比が不協和だと、一時の好いた惚れたで愛を誓ってもやがて耐えられなくなります(物理現象ゆえ・・)。だから「一緒にいたい」だけでなく「一緒にいても嫌じゃない」も大事なバロメーターと思います。

宇宙にも周波数があります。神山先生曰く「気」は宇宙に発しています。生まれた時の星の配置が人生を決め、それがその人の気を決めます。古代中国は還暦を干支(10)と十二支(12)の最小公倍数で60年としましたが、影響の大きい外惑星である木星が約12年、土星が約30年で太陽を公転し、生まれた年の位置に帰還するのが60年です。天に同じ周波数が観測でき、還暦は物理にかなっています

もう一つのアプリケーションは、ツキ(運)は宇宙と自分の周波数の比で流動することです。僕は去年の後半に原因不明のパニック恐怖に見舞われて覇気が落ちていましたが、何の治療も薬もなく年初にあっけなく晴れました。去年の天文現象を調べると6月に月、水星、火星、木星、土星、天王星、海王星が東の空に大集合という特異現象があり、混合した周波数と不協和になったかもしれません。

その真偽は観測なしに証明できませんが、天文現象ゆえ影響がないとはいえず、おまじないでなく物理であるゆえに信じられました。その信奉が自分の中の気の流れを変え、乱していたものが解け、自然状態に復帰したと感じます。去年は閉所パニックが怖くてもう飛行機は二度と乗れまいと断念し、更に落ち込んでいましたが、いまその絶望感は嘘のように雲散霧消して幸福感が戻っています。

幸運・不運はサイコロの奇数・偶数と同様ランダムに人間の前に現れますが、人は幸運は積極的に得ようとします。だから覚醒した人間の方がしてない人間より幸運を得る確率は高くなる形で運は物質世界に具現します。天の周波数と不協和だった僕は覚醒できず、運を取り逃がしてますます覇気が落ちていました。そのシグナルとしてパニック恐怖がウォーニングとして現れていたと考えます。

偶発事象ですが、今年に入って我が物質世界も好転し、投資案件の株価が12月から3倍になって精神世界の好転を増幅しています。ランダムにしか期待できる事ではありませんが、古来よりあまねくこうした吉凶の大波が人間界の悲喜こもごもとして多々あったのでしょう、中国古典はそれを『糾える縄の如し』と形容し、それは物理現象で再現性が高いため永く語り継がれてきたと考えます。

以上より、自分の周波数も宇宙のそれもコントロールする術を人間は持っていませんから精神世界も物質世界も(つまり人生の全般を)天にゆだねるしかないという結論が導かれます。今日は2月26日ですが、物理という別の登山道を経由して同じ天道の頂きに到着したようです。

日本民族の宗教観はスピノザ的である

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日本民族の宗教観はスピノザ的である

2025 FEB 21 21:21:42 pm by 東 賢太郎

金星が明るいです。西空に高いです。2月15日に1等星の100倍の明るさになりました。なんたって目立つし、夜明けに出たと思えば宵にまわったり、位置も明るさもコロコロ変わる金星は子供心に気を引かれる存在でした。天文図鑑によるとどうやら地球の兄弟らしい。位置が微動だにしない北極星やオリオン座はというと、こっちは遥か遥か遠くの存在で、太陽はその仲間のひとつであって地球はその周りを回っている。そういう遠近感というかスケール感というか、気絶するほど巨大な空間が頭上に開けているというぴんと張った感覚。これが頭の中にプラネタリウムみたいに設定され、空間は英語でスペースですからそれがいわゆるひとつの “宇宙” であって、僕にとってそれは宇宙人とか宇宙戦艦ヤマトとかそういう類いのものではなく、すぐれて「静的な物質的存在」であり、いまでもそうあり続けてます。

そうすると、たまたま生まれた地球と呼ばれる物体の、その上に立って、いま空を眺めている自分は誰なんだろうという謎かけのような漠たる疑問が自然と泉のように湧き出てきたのです。それが何歳ぐらいのことだったかは覚えてませんが、ここに書いた学園祭の出来事が7才なのでそれよりは前でしょう(99.9%の人には言わないこと | Sonar Members Club No.1)。とても大事な理解は、その疑問は天文学や物理学では解けないということです。星を素粒子まで分解して解明しても、どうしてそれが「在る」のか、どうしてそれを在ると判断している自分(の意識)が「在る」のかは説明できないからです。それを解くにはどうしても哲学に踏みこむ必要があるということを、13年後に、その学園の講義で知ったのです(ハイドンと『パルメニデスの有』 | Sonar Members Club No.1)。さらに後になってショーペンハウエルやデカルトの本を読みましたが答えは書いてない。ところが、やっぱり同じことを悩んだんじゃないかと思える男の本に出会って勇気づけられたのです。それがオランダの哲学者スピノザ(1632 – 1677)のエチカです。

デカルト(1596 – 1650)については私見を述べました(学校で学んだことでなお残っているもの (3) | Sonar Members …)。スピノザはその方法論の偉大な後継者です。アムステルダムの富裕なユダヤ人貿易商の子に生まれますが、聖書、ユダヤ教と異なる宗教観を唱えたためにコミュニティで異端者扱いされ、シナゴーグから石もて追われます。父のビジネスも負債だらけで立ちいかなくなってしまい、やむなくレンズ研磨で生計をたてますが、怯むことなく自己の哲学を「エチカ」-幾何学的秩序によって論証されたに総括して2年後に45才で世を去りました(ちなみにレンズ研磨者としても欧州最高の1人で、顕微鏡を作った “微生物学の父” レーウェンフックのレンズは彼のもの)。そうしたエンジニアに通じる知性はエチカの副題に明白で、ユークリッド幾何学的な体系をとった演繹法でロジックを積み上げる様は壮観であります。まず尋常でないのは高等教育を受けず独学でエチカを書いたこと(音楽ならモーツァルトに匹敵する天才と思料)。次に、自ら宇宙の謎を解き確信に至った信念をもって聖書の「神」という既成概念をぶち壊したこと。ユダヤ教であれキリスト教であれ神は当時の万人の精神的基盤であり、王侯貴族の権力のフェークのレゾンデトルであり、さらに世俗的には膨大かつ強大な宗教シンジケート構成員の飯の種であった、それのアンチテーゼを唱えるのはガリレオ・ガリレイの例を引くまでもなく身の危険があり、現にスピノザも殺されかけました。緻密なロジックを積み上げたのは信念の正しさへの自省であると同時に、既成勢力の攻撃に対し反論するなら来いと身を守る屈強の鎧(よろい)でもあったと考えます。

第一部「神について」の根幹「すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物もありえずまた考えられない」(定理15)という非人格的な神概念の設定は斬新です。ゆえに無神論と攻撃されましたがデカルトの前例があり誰も有効な反論はできなかった。神がすべての結果の原因で、しかも自らは何の原因も要しない万物の内在的原因であり(神即自然)、万物は神がそうあるべく決定した通りにあってそれ以外のあり方はない。自然に偶然はなく原因のみがあって目的というものはない。つまり人間が自由な意思で目的を持って行動することで世の中は成り立っているという目的論的世界観を全否定したのが画期的です(人間があると思っている自由は実はない)。つまり思惟(観念)の世界と延長(物質)の世界に因果関係はないが、ほぼ同時に起きているのは両方とも神が造ったから(心身平行論)とします。北極星やオリオン座が在る理由はなく、神がそう決定した通りに在り、空を眺めて自分は誰なんだろうと漠たる疑問に困惑している自分も神がそう決定した通りに在る。この宇宙観は一見すると人為的ですが、そう仮定することで解はここにあったと腑に落ちる(包括的整合性がある)ことから信奉するに至りました。

何が腑に落ちるかというと、観念も物質も、意思も行動も、物質も精神も時間も因果も感情もすべて神が決めた(”プログラム” した)とするならシミュレーション仮説とも、量子力学とも、ゼロポイントフィールド仮説とも、ヒンズー教由来のアカシックレコードとも根本的なところで矛盾しないからです。我々が観測できる宇宙は質量の4%しかなく96%は正体不明のダークマター、ダークエネルギーであることがわかっていますが、量子論の二重スリット実験のごとく観測によって見えなく(ダークに)なる物質かもしれず、在るのかないのか、在るならば物理的に何か、何のために在るかを考えても意味はなく、何の因果関係もない我々の思惟(観念)が正体を見出すことはない、何故なら神がそのようにプログラムを書いたものだからというものかもしれません。その前提で僕がイメージするのはスタニスワフ・レムがSF『ソラリスの陽のもとに』で描いた「海」の汎宇宙版で、小説ではそれは意志をもって人間をトリックするのです。そのトリックは異常に(非現実的に)リアルであって、まるで生身の人間(死んだ彼の妻)という記憶や触感を伴った三次元ビジョンが人間に観測できる、つまり思惟(観測)させることができる、だから、そのことにおいて自分も存在する(我は思惟しつつ存在する)。この小説は映画化され、それを観て漠たる恐怖を覚えたのですが、1度目は何が怖かったのかわかりません。もう1度見返して、根源はそこにある、つまり、トリックして最後は自分を殺す犯人は実は自分だという所にあったことに気づきます。これは量子論のマルチバース(多宇宙)の置換のようでもあり、量子論と対立したアインシュタインも「信じるのは人間の運命と行動に関心を持つ神ではなく、スピノザの非人格的な神である」と述べているのだから包括的な哲学というしかありません。僕も長年星を眺めてきた直感から唯一絶対の神の存在を確信しており、複数ある宗教はその表現の多様性であって同じ富士山を四方八方から眺めていると考え、決して無縁ではいられず怖ろしさを体感し、しかしそれを考えるのは無為なことと観念しているのです。我が家は浄土真宗ですがそれは先祖がそうだったということで、個人的には何教徒でもなくスピノザ的な非人格的な唯一の神を信じ、神社でも寺でも教会でもいかなる宗教施設においても、その絶対的な存在(being)に祈っています。

以上のようにスピノザの哲学は神即自然(汎神論)といえるものであり、徹底した西洋の合理主義の産物ではあるのですが、一方で、我が国の「八百万の神」(自然界のあらゆるものに神が宿る)という神道にも通じるように解せるのは大変興味深い。神道はすべてのものに魂があると主張するアニミズムとされますが、それは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは精霊が宿っているという考え方です。八百万(やおよろず)という言い方が象徴しているように“神”は民衆の周囲にあまねく存在するもので、姿かたちがないがないため「祭礼の度ごとに神を招き降ろし、榊・岩石や人などの依代(よりしろ)に憑依(ひょうい)させることが不可欠」でした(憑き物になるという考えは能、狂言にも現れます)。何にでも憑くゆえに「八百万」であるのです。明治政府によって国家神道となって神社ができてもご神体がないのは、姿を特定できない以前にそもそもが汎神論的であったことが理由ではないでしょうか。

だから神道は偶像を拝む仏教とは水と油であって、便宜的、慣習的シンクレティズムである神仏習合は本来不可能なのです。当初は理解が浅薄で、神仏をも丸呑みしてしまうほど日本人の宗教観はおおらかで “多神教的” なのだと考えておりました。恐らく、現代の多くの日本人はそう考えているのではないでしょうか。しかし、「鰯(いわし)の頭にも信心」は鰯を拝んでいるのではなく、対象となる神様(精霊)に鰯という魚の精神的な性質を見出して拝んでいるのでもありません。そこに精霊である神様が宿っており、何に宿っていようが「精神的本質が統一されている」と感じるから拝んでいるのです。ということは、古来の神道は「すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物もありえずまた考えられない」(エチカの定理15)に該当する汎神論(すべてのものは、それぞれの精神や魂を持つのではなく同じ本質を共有している)であったと考えられないでしょうか。多神教とは神の類似品が多くあるという意味です。多が大きくなれば無限であり、無限とゼロは数学的に等価ですから無限の多神教は一神教だからご神体がないと考えられないでしょうか。

本居宣長 (1730-1801)

神道の存在は江戸時代に本居宣長らの国学者が古道として再構成し、明治政府が国家という新統治概念の思想的背景として統一するまで歴史の表舞台にはあまり現れませんが、脈々と日本人の精神構造の中で生き続けていました。僕は香港に2年半住んでいる間に東南アジア主要国はほぼ訪問したのですが、寡聞にして、日本人はアジア人であるからどの国民ともある程度は同質的だろうと思っていました。しかし、知れば知るほどそうではないのです。皆さんご自身でお考えになってみてください。古来より「清めの文化」が日本だけにあるのはなぜでしょう?中国、韓国、シンガポールのトップスクール(最難関大学)の男女比はほぼ50/50ですが日本だけ80/20なのはなぜでしょう?そして、なぜどれだけ武士の天下になっても万世一系の天皇が脈々と続いてきたのでしょう?

Baruch De Spinoza

以上から僕は日本民族が根底で共有している宗教観はスピノザ的な側面があると結論しました。同じ聖書を信じながら偶像崇拝を禁じるユダヤ教、イスラム教ではなくそれを許容するキリスト教が欧州世界を制覇し、日本でも偶像のない神道は仏像を許容する仏教と混交することでて徳川幕府の統治の道具となった。即物的に見れば、人間がビジュアルに弱いという盲点を突いた宗教が栄えたといえるかもしれません。しかし、「北極星やオリオン座がなぜあるのだろう」という疑問に答えるためには、統治に使えるか否かは何らの貢献もありません。伊勢神宮、明治神宮、靖国神社の存在に我々は国家という認識を否応なく付加していますが、神道の精神は皇室にとどまらず、国家がなかった時代から民衆のプライベートな空間で仏教や祖霊信仰と混交しながら心の深奥に脈々と根づいて途切れませんでした。それは例えば家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神神社に籠る習慣だった初詣(はつもうで)が、それをしない日本人はほとんどいないほどの国民的行事になっていることからも伺えます。神道という日本人の民族性の根幹は僕の知る限りどの外国人にも一切見られぬ特質、美質であって、国家が国のかじ取りを誤ろうが未来に途切れることがないスピノザ哲学の如きレジリエンス(弾性エネルギー)を有することを確信しています。政治がいくら堕落しようと絶対に触ることのできないサンクチュアリのようなもので、日本よりもっと堕落する可能性のある世界の政治状況の中に置かれても、北極星のごとく不動の位置を占め続けることができるということです。

最後に、今を時めくイーロン・マスク氏です。彼は履歴を見るに資質的に理系的、エンジニア的人間と思われ、ペンシルベニア大学ウォートンスクールで物理学士と経済学士を1995年取得したと主張し、学校は2年後の1997年に授与したとしているようです(wikipedia)。物理と経済のダブルは日本では東大理学部数学科に入って経済学部に転入した日銀の植田総裁しか知りませんが、別に変わり種でも二刀流でもなく、経済学は日本的仕分けなら理系学問でその仕分けの方が変わり種なだけです。そんなことよりマスク氏が専門バカではなく哲学書も読みこんでクロスオーバーな関心をもっていることのほうがよほど重要です。こういう人は日本ではあまり見たことがありませんがGAFAのトップは口を揃えてビジネスには数学と哲学が大事と発言しており、日本人とは最も精神構造が異なると思える点です。縦割り社会のそれぞれでトップになろうという人と、宇宙原理を解読しようという人は人生のモチベーションがまったく違います。クロスオーバーもクロスボーダーもへったくれもないわけです。彼がそういう学習プロセスを経て自分なりの哲学を確立し、それをビジネス化していることに注目です。

https://youtu.be/YRvf00NooN8?si=_vleSRZkwr6Oh-HT

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サファリパーク殺人事件

2025 FEB 15 8:08:53 am by 東 賢太郎

サファリパークとは広大な放飼場に大型動物や猛獣を放し飼いにし、バスや乗用車を使って車中から動物を観覧する動物園のことをいう。多様な種がいるが、面積がとても大きいので動物は自分たちが飼われていることに気づいておらず、自然のままの生活を見せてくれるのが楽しい。

Aサファリにはライオン、トラ、ゾウ、サイ、キリン、ハイエナ、二ホンザル、チンパンジー、ヒヒ、キツネ、タヌキ、ワニ、カバ、コアラ、パンダ、シマウマ、インパラ、カンガルー、ダチョウなどがいる。

ハイエナ

頂点に君臨するのはもちろんライオンだ。次いで強いのが、ちょっと意外だが体は大きくないハイエナである。いつも集団で狩を行い、囲まれるとライオンも逃げる。強力な頭骨と顎をもち組織力も知恵もあり、せっかく捕えた獲物を集団で横取りするタフな連中だ。だからだろう、普段は狩りは雌まかせの雄ライオンが、エサを争ってもいないのに歩いているハイエナを突然に襲ってかみ殺す。1対1ではひとたまりもない。邪魔者は消すのだ。

ところがAサファリで驚くべき異変がおきた。地球は猛暑つづきである。支配者であるライオンはすっかり怠けものになってしまい、獲物を追いかけてエネルギーを消耗するよりもハイエナが狩った獲物を横取りする事件が増えてきたのだ。これはまずい。知恵者のハイエナが考えた。よし、それならそれで逆手にとってやろうじゃないか。ためしに彼は獲物の肉片をちぎってそーっとライオンの目の前に置いてみた。するとそいつはノドをゴロゴロ鳴らし「おぬし愛い奴よのう」と喜んだのである。しめしめ、こんなのお安い御用だぜ、この方式を仲間でやりまくってやろう。

作戦は当たった。ライオンだけではない。ベンガルトラ、ヒョウ、チータ、ピューマ、ヒグマ、ホッキョクグマなど強敵の肉食獣はみな、狩った獲物の一部だけを裏でこっそり返してやる「キックバック作戦」で「おぬしもワルよのう」とゴロンゴロンになってしまった。やったぞ、これで俺たちは事実上の支配者になれる。やりたい放題のハイエナは仲間と子孫を増やし、パーク内の獲物の大半を食ってしまうようになり、そこいらじゅうがハイエナだらけになってしまった。

「おい、なんだこれは、ハイエナパークじゃないか、金返せ!」。

客の声が響き、経営不振で落ち目となった経営陣は取締役会を開き、せっかく育った草食動物がパークの売上に寄与していないことが借金激増の原因と悟ったのである。全会一致で「強いライオンが必要だ」との結論に達した。メーク・Aサファリ・グレート・アゲイン!そこで圧倒的多数の支持で選ばれたのが二匹のオス、やや高齢だが狩の名手で百獣の王の誉れ高いトランポと、頭が切れて行動力抜群で雌にもてる若武者ウーロンである。腐敗したボケライオンどもと悪事を働いて私腹を肥やすハイエナどもを蹴散らし、サファリの生態系をあっという間に元に戻してくれるだろう。誰もがそう期待した。

しかし何もおきなかった。あれ?こいつらもひょっとして肉もらって買収されちゃったのか?いやいや、余計なお世話だった。意図的にハイエナを油断させていたのである。一週間たったその日、買収用の肉をせっせと作るハイエナ部隊をセ~ノでいきなり襲い、一気にぜんぶかみ殺してしまったのだ。サファリに大激震が走る。さらに驚くべきことに、Aのハイエナは隣村のBサファリにまで侵入し、そっちのライオンにまで肉をばらまいて手なずけていた事実が次々と発覚する。隣り村の係のハイエナは届けた肉の一部を裏でBから返してもらい私腹を肥やしてたのだ。ウーロンは不届き者のリストをBサファリパークの経営者に渡した。

ところがリストに載ってるのにBのライオンは一斉に否定する。Bサファリはなんと経営者まで肉をもらって食っていたのである。こんなのがバレたら大事件になるぞ、次の選挙はぼろぼろだ。「言ってはいけないムード」でサファリごと「ヤバイ」と固まってしまったのである。「はい、たしかにAからハイエナは来ました。でも肉はもらってません」。なぜ大事件になるかというとサファリパーク事業にはれっきとした法律がある。大きな事件や問題は貼紙しないといけないのだ。しかも「公平である」といえなければ第四条第二号の、「事実をまげていない」といえなければ第三号に違反だ。「実はもらってました」となればもちろん、個人で肉をもらってる腐臭漂う専門家を雇って貼紙を書かせてるサファリ、不利なことは握りつぶして貼紙にすらしないサファリはお取り潰しもありだ。しかし、Bサファリはそうなっても構わない、肥やせるうちに私腹を肥やそうと全力を尽くす経営者、ライオンしかいなくなっていたのである。

「一言一句、異口同音」。これが2022年7月8日の全貼紙に出現したUFOもびっくりの “超常現象” であり、 “ニッポンサファリパーク” 開場の号砲でもあった。Bサファリは買収されたのである。それ以来、内部では新経営者による「造り物の画像」ばかりが流され、貼紙は読めないが動画ならわかる動物たちは大いに喜んだ。毎日ぼーっと見てる草食動物の脳に刷りこもうと飼料業者はCMを打つが、問題をおこしたFというサファリでCM停止がおき、業者に自社製品の売上がどれだけ落ちたかを検証する貴重なデータを提供してしまった。落ちていなければCMは不要であり、不要な経費を計上すれば株主総会で糾弾され担当役員はクビの動議が出るからだ。

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古希のイベントで予見した未来

2025 FEB 10 7:07:55 am by 東 賢太郎

従妹の心のこもった手料理で先週に始まった古希のイベントは、土曜日に家族で祝ってくれた夕食会で盛大に終わりました。還暦の時はまだまだと思ってしなかったんですが今回は陣羽織に頭巾をかぶらされ、写真を見るとまるで水戸黄門。これが笑えるほどよく似合ってるんですね。涙もろくなっているらしくプレゼントをいっぱいいただいて困ってしまいました。

息子がひとりふえて5人、こうしてあらためて一同に会するとみな立派な大人です。米国でロケット工学を専攻した彼に「行けたら火星に行きたい?」と聞くとはいという返事。その心意気いいですね。片道4年もかかるの?僕は閉所だめなんで無理だなあ、「どこでもドア」があれば行きたいけど値段高いだろうなあ、きっと1000億円出す人いるだろうなあなんて話に。家内からは「私学に進んでたらどんな人生になってたかしらね」ときかれ、あまりにいい質問でちょっとむずかしい。とりあえず確実なのは「みなさんここに誰もいなかったね」(笑)でした。すべては家内と広島のユースホステルで出会ったことから始まった物語ですからね、浪人を決断したのは僕の意思ですが、その先に計画したってあり得ないようなことがおきて今があって、この今に僕は100%満足です。ということは「違う決断しなくて正解だった」、これが答えなんでしょうね。

前稿に書いたように、僕は絶望的な失敗に3度遭遇してます。せっかく入れてくれた私学に素直に進んでればそのひとつはなかったのですが、遭遇してしまったおかげで今日の物語があるのだからまさしく「塞翁が馬」であったのです。どんな大失敗でもそこから物語の輪が360度広がっていきます。そこに出た芽が大輪の花に育つことがあります。失敗を恐れる人生を送れば輪はできず、安心安全ではありましょうがチャンスの面積が狭い人生になります。米国や中国と比べますと日本にはせっかく優秀なのに後者である人が圧倒的に多いのが残念です。子供達には恐れることなく立ち向かって大輪の花を得てほしいし、もし誰かが壁にぶつかっても助け合っていって欲しいと思います。

僕個人のことを言えば、運のある人生でした。というか8割はそれだけのイメージで、実力に比べると明らかにもらい過ぎ。その差が運であって、だから運というのは信じるに足るものであって、しかも、信じると増えていくものだという驚くべき実感を味わった者です。おとぎ話に聞こえるでしょうがこれにはメカニズムがあって、増えるのは実は運でなく「余裕」なんです。余裕ある人は実力が同じでも余裕ない人に勝つ確率は必然的に高い、ここだけは統計を取ればファクトという裏付けがありましょう。だから高勝率を得てますます自分は運があると信じるようになり、「運も実力のうち」という諺ができるのです。余裕は脆弱なんです。当日に試合相手の顔を見てビビったり周囲の受験生が賢そうに見えたりすれば雲散霧消なんてことが自分でもありました。しかしおまじないに近い運やツキはそんなものに左右されません。だから信じやすい。大事なのは、それがホラであっても嘘であっても縁起かつぎでもぜんぜん構わないということ。とにかく心から自分を信じ切った者の方が強いです。

努力しなければもちろん負けます。すると運がないと思いこむ逆スパイラルに陥ります。だから自分が強運だという信念を裏切らないぐらいの結果は最低は出し続け、人為的であってもいいから信念を育てることです。いわば自分を騙す。これが大事です。僕は性格が楽天的だから騙しやすくて有利でした。アスリートは誰しもぎりぎりまで努力してますから、人事を尽くした後の「天命」の部分で「ゲン担ぎ」をよくするとききます。世界のホームラン王、王貞治さんもしていたそうですし受験生の合格祈願もそうですね。僕はある種の球は打たれないと自分を騙すことに成功してたので余裕があったんでしょう、10年ブランクがあって5試合投げたニューヨークの大会でMVPに選ばれました。だから本当です、信じる者は救われます。

ホラや噓や人為的でない部分。ここはガチンコの実力であって余裕はそれを何倍にも増幅する、いわばROEとPERの関係です。ROEの絶対値が大きいに越したことはありませんし、ないものを増幅しても意味ないですから地道に勉強し現場の多様な経験を積んで貪欲に「知見」を得ることですね。地道ほど大事なものはありません、なぜなら人がついてくるのはそうした地に足の着いた経験であって理論や学歴ではないからです。経営者は監督として能力ある人を使えばいいのですが、知見がない人に優れた人は集まらないのです。また、いざという時に嫌なこと、いわゆる「果断な決定」を迫られることもあります。この教科書はありません。胆力しかない。場数を踏むことですね。

そして最も大事なのが経営のかじ取りです。海図を引いて船を進める。これも教科書はなく、株のことは株式市場に聞くしかありません。いまわれわれのビジョンは好調で、ある銘柄に早めに大き目の投資をした決断が大正解で非常に楽しみなのですが、あらゆる業種、業態の経営と同じくこうすれば絶対という道があるわけではありません。そしてもう一つ指摘しなくてはならない経営の要諦があります。会社が利益を出すには世の中に需要があることが大前提です。それが本当にあるのか。そしてそれに応える方法が自分に本当にあるのか、常にそれを自問することですが、問題は需要や方法が時と共に変遷する点です。

例えばテレビ業界です。僕は見ないのでフジテレビばかりか全局なくなってまったく困りません。聞くところによるとそういう若者が増えてるそうです。彼らが「いらない」と判断するなら需要がなくなるのですから問答無用で消滅し、テレビはSNSとChatGPTとオンディマンド配信の受像機の呼称として残るでしょう。AGIは大半の役所の仕事と士業を低料金で代替し国家の歳出を大幅に逓減します。人の近距離移動と物流は完全に無人車とドローンになり長距離移動は無駄か贅沢の代名詞になります。国家財政は徐々にインフレ、金利のない暗号資産建てになり納税も可能となり、市中銀行の外国為替業務と決済・送金業務は不要になります。かようにして、いま職業、会社、業界と呼ばれるものは根底からガラポンになりますが核融合発電がエネルギーコストをほぼゼロにしますから人類活動全部がエネルギーを基軸とした違う形の均衡点に収束します。この地殻変動は先見性ある企業家にとって大チャンスであると同時に、受け身の経営者は倒産するか、需要を保持できずM&Aをするかされるか、または自ら全株式を売却して資産運用をして生き延びる判断を迫られるでしょう。

夕食会の写真集をもらい、

何十年かしてこれを見てこんなことあったねって日が来るよ。全員が思いっきり楽しい人生を歩んでください。

とメールしました。

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2025年の年頭所感

2025 JAN 3 23:23:10 pm by 東 賢太郎

新年あけましておめでとうございます。

我が家は鮨屋を7人予約しておいて3人インフルでダウン。戸をガラっと開けて悪いなあと謝まろうと思ったら大将もダウン。流行ってますね。ここの鮨は旨いぞと教えると従妹夫婦が食べたいというので合流。昼間っから散々飲み、酔い覚ましは自由が丘のカフェ・アンセーニュ・ダングル。箱根はよくいっしょに行ってるけど爺さんゆかりの横浜、長崎も行くかとなってお開き。いい正月でした。

従妹は母の姉の娘で、幼時は両家をしょっちゅう行き来して僕のだらしないところをぜんぶお見通し。今もそのまんまなんでわかってる人は気楽。いつ来てもいいよってことになってます。元慶応ボーイの夫君は同期であり偶然に共通の知人もあって話がはずみます。医者家系で住む世界が違うのでロンドンやニューヨークできいたロスチャイルドの話みたいなのは中々ぶっ飛んだものらしく、でも世の中本当にそうなってるのよってことで時間があっという間でした。

今年はトランプ時代の幕開けで何が起こるか誰もわかりません。AI、サイバーセキュリティ、ヘルスケアは良いですね、2020年から暗い世の中だったので人の心を明るくするものにも注目です。

本年も皆様のご多幸をお祈り申し上げます。

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