Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 徒然に

散策記

2018 NOV 7 16:16:49 pm by 東 賢太郎

100mクラブじゃない生き方っていいなと思うことがあります。そっちがずっと多数派ですし、そもそも楽だし。深く掘る人はだいたいがこだわりのために周囲を気にしない、だから孤独なのです。そんな犠牲を払ってでも「まあ、そのぐらいでいいじゃん」とはならないから、気がついたら100m掘っていたというわけです。

ところがそういう人を集めても友達にはならない。みな自分の井戸しか興味ないから話しても面白くないのです。ただ、ギョーカイは違えども「おぬし、ただ者でないな」とは思う。これ直感です。お互いが似た感じがして、何となく認めあってしまう。そして、自分を認めてくれた人を、人は好きになります。

ひとりでトムキャットで食事してガーデンを歩く。定番になってきました。

 

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テスラ(Model X)試乗記

2018 OCT 16 9:09:27 am by 東 賢太郎

 

台車部分のスケルトン(フリーモントのショップにて)

クルマの自動運転(オートパイロット)はかつてはドラえもんの世界でした。それが実現しているのだから、これは試してみるしかありません。昨年にシリコンバレーへ行ったおり、テスラがそこかしこに走っているのを見てこれだと思い、仕事の合間にフリーモントのショールームをのぞいてみたのです(写真)。

人類の英知の最先端に触れてみるのはいつも大事です。知識ではだめ。肌で知ることで感覚が「上書き」され、そこに乗せた知識が初めて考える土台となるのです。だから僕は古いもの(クラシックなもの)も好きですが、新しいものも目がありません。最先端のその先には神の領域があるからでいつも1ミリでもそれに近づきたいと思っています。高所恐怖症なので月に行きたいとは思いませんが。

シリコンバレーはアメリカのIT最先端基地ですが、住人はアメリカ人といってもエスニックにはインド人、中国人、イスラエル人などのごった煮で、テスラ創業者のイーロン・マスクは南アフリカ人です。内向きの日本人は影もないが別に寂しいこともない。curiosity(好奇心)なき者は進化が止まる、それだけです。それで日本国がどうなろうと僕にはどうもできないし。

オートパイロットはいずれ地球上の交通を席巻するでしょう。安全性に未解決の問題があるといわれ、それはおおむね事実ですが、では現状の人間による手動運転がそんなに安全かどうかを自問すればいい。「昔は人が運転してたんだ、80才こえたおじいちゃんでもできたんだよ」と子供に親が語る時代が来るに違いない。より安全な方法があるならそこに留まるべき理由はないのです。道路や交通規則の方をオートパイロットでも安全なように根本的に変えればいい。あとはAIの加速度的なラーニング能力が解決します。

オートパイロットという究極の移動手段においてCO2を出す動力に依存するという発想はまったくのmediocre(凡庸の愚鈍)です。せっかくの無限大にゼロをかけてゼロにするようなもの。EV(電気自動車)がベストの解決かどうかはともかくガソリン車より地球環境にやさしいのは自明です。そうなると困る業界人たちが時間稼ぎのためにあらゆる反論を垂れ流していますが、何をあがこうが10年ぐらいで世界は自動運転によるEVの世の中になるはずです。

そのレースで最先端の車を作って売っているのがテスラ社です。新奇なものに毀誉褒貶があるのは世の常で、イーロン・マスクの行状やら生産体制やら業績やらがあれこれ言われており、だから買わないという人もいる。しかし創業者がどうあろうが世界のトップノッチの技術者が集まって世界一のEVを作ろうとこだわりぬいた逸品であることに変わりはありません。クルマの良し悪しは評論家が何といおうが、自分で乗ってみないとわからないのです。

Model Xをプレゼン中のイーロン・マスク

そこで米国で2年前にローンチされたModel X(ファルコンウイングドアの多機能SUV)に青山のショップで試乗してきました。これはファミリーカーなのにスーパーカーである世界で唯一の車、世界一の安全性能、重さ130トンのジェット機を牽引してギネスブックに載った世界一のパワーと、世界一ずくめの車であり、どうしてもさわってみたかったわけであります。

加速は0-100km/hを2.7秒!ランボルギーニ、マクラーレンより速く、体感はジャンボ機の離陸時のGで、同乗者(7人乗り)は悲鳴をあげるでしょう。最も興味があるオートパイロットですが、これはまだ未完成ではあります。しかしこの車は走るコンピューターであって、プログラムはテスラ社によって時々刻々バージョンアップされオンラインで自動装備されていくのです。車が勝手に進化する!このコンセプトは素晴らしい。

未完成とはいえ、おそるおそるハンドルを手放してアクセルもブレーキも踏まずに「馬なり」にして走行してもすべてを完全装備のセンサーが感知して、見事に道なりに曲がり、周囲の車の流れに合わせての加速減速、停止、発進をしてくれます。車庫入れ、縦列駐車は完璧。不思議な感覚ですね。いずれバージョンアップされて道路状況を学習させれば、空港まで乗って行って自動運転で無人で帰宅させる、運転手なしで会社まで車内で寝たり仕事したりして往復できるなんていう最高の相棒になるのでしょう。

僕は43年間完全無事故ドライバーで技術は自信がありますが運転はあんまり好きでもなく(ゴルフとおんなじ)、いままで乗ったのがドイツでメルセデス・ベンツS500、スイスで同S600で、後者はアウトバーンで250キロ出しても微動だにせずガソリン自動車としてはほぼ最高峰の車でした(6000cc、2.5トン)。帰国後はジャガーXJ(2004年)レーシンググリーン一本で、こっちは英国首相官邸御用達車で、乗った感じは車高の低いこれが好きでした。自分で運転したいと思ったのはこの3つだけで、つまんないクルマは1分たりともやる気なし。日本車は万人受けする非の打ちどころないユーティリティ車ですが、どうも機械として、個性に欠け面白くない。これはハイエンド・オーディオの世界と通じるものがあるのです。その点テスラは全面的にユニークであって、自分の意識改革の触媒にはいいかなと思ってます。

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紀尾井町ランチ事情

2018 OCT 14 9:09:26 am by 東 賢太郎

東京で働いたうち大手町では10年を過ごしている。日本橋も2年いたが、どちらかというと総合的には大手町が良かった。ただ困ったのは手軽にいける圏内のランチのクオリティが大変低かったことで、あんなのは食えたもんじゃない。「たいめいけん」や「紙やき」なんてのがある日本橋には数段劣るのである。いけると思ったのはみずほに移籍してよく使った旧興銀本店の鯛茶漬けと大手町ビルB2にある鰻屋の「ての字」ぐらいだ。ガード下のおばちゃんがやってる焼き魚定食屋も気に入っていたがもうなくなっていた。先日行ったら興銀本店ビルも消えていたし、隔世の感ありだ。

かたやそろそろ紀尾井町で8年になろうとするが、この界隈の食は昼夜ともレベルもコスパも高く大手町の比ではない。ランチがどうのというだけではない。それが象徴するわけだがここは永田町お歴々(自民党)御用達の高級お座敷街だ、グレード第一の界隈であってサービスを供する側のコスパはあんまり思慮されてない観がある(もちろんそれは別のところで大きく帳尻があっているのだが)。万事商人がそろばん勘定で地代を決めて住人がしっかり徴収される大手町、丸の内とちがって、紀尾井町では我々居住民までセンセイがたのご相伴にあずかってごっつぁん感があるのが8年の偽らざる実感だ。まあ遠回りの減税かな。

そういう事情もあるとはいえ、なんでかんで大手町、丸の内というのはちょっとみっともない。東京育ちでないお金持ちがやたらと田園調布や成城に住みたがるのとどこか似ていているのであって、僕など紀尾井町の次はそっちなどという気はさらさらないし、この仕事で銀座や築地や品川というのはもっとない。というか、あり得ないのだ。これは東京の人でもわかりにくいし、お袋に仕込まれた感覚のようなものなのだろうと思うがうまく言葉で説明するのは難しいことだ。

日本画家の千住博さんによると、土地、風景というのは行きたい所、遊びたい所、住みたい所、死んでもいい所の4つあるそうだ。僕にとって大手町はそれ以前のカネを稼ぐ所、紀尾井町は住みたい所であるぐらいかけ離れている。そもそも低地が嫌いで、皇居の高地である半蔵門側(FM東京あたり)より元は江戸前の海で低地だった大手町、丸の内が格上だなどという意味がまったくわからない。いま棲みついて10年目になる国分寺崖線ももちろん高地だ。昨日も多摩川の花火を遠目に眺めながら思ったが、死んでもいい所がここかどうかまではまだ知らないが、それが低地になることは金輪際ない。

先週ニューオータニの担当の方に「何かご不満はございませんか」ときかれたが、あいにく全然ないものだから、「とても心地良く過ごさせてもらっています」と答えた。なにせこのホテルは井伊家の屋敷跡で敷地が巨大であり、庭園はもとより建物を散歩しても飽きることがない。おまけに食事の質も不満がない。例えばガーデンコート6階にある「KATO’S DINING & BAR」は奥の料亭「千羽鶴」とキッチンを共有しているから当然うまい。ここのカツ丼は東京で一番である。自民党総裁選で安倍陣営がふるまった「食い逃げ事件」のカツカレー、あれはメインにある「SATSUKI」の3500円のに違いないが、それだけ払うならこっちのカツ丼だと僕は思う。

遅いランチとなると最近はザ・メイン アーケードまで遠出して「ペシャワール」か「トムCAT」にお世話になっている。アーケードという区画はオークラも帝国もそうなのだが今どきはなんともいえぬ異界の風情なのであって、昭和の濃厚な残り香がたまらなくて時々ぶらっと歩きたくなってしまう。そうなると、そこで期待する食もレトロにならざるを得ない。うまくできたもので、そこにそういう軽食がある。ペシャワールのカレーはインド風でもなく店名由来のパキスタン風でもなく、見た目はいたって日本のカレーライスなのだが、香辛料なのだろうか黒みがかった色調の異国的な味がする不思議な食べ物だ。

トムCATは一見ありきたりの洋食屋だが、ここのスパゲッティ・ナポリタンはあなどれない。必須レシピの玉葱、ピーマンにシーフードが適度に加わって風味を添えており、麺の茹で具合も抜き差しならぬ絶妙さでケチャップ味もバランスがとれている。供される熱々具合も文句なしだ。先日は初めてナポリタン以外のカキフライを頼んだが、大ぶりのが4つとライス。あとはポテトサラダとキャベツだけでソースとマヨネーズが同量入った小皿が来る。実に簡素だが、いちいちが心憎い。「これが食たいんだろ?だったらこれだけ食いねえ」と挑まれてる感じがする。中の牡蠣の熱さが見事ですべて計算されている。ただ者でない。白人のきれいなお姉さんが流暢な日本語でサーブしてくれるのも一興。いつもこの人何かなとわけがわからないが、話しかけてみようかなと思うと英語は無粋だなやめとこうという気になるこの空間はやっぱり異界なのである。

たかが昼飯でこれだけ喜ばせてくれる。住んでもいい所なのはまちがいない。

 

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ルサンチマンの壁

2018 SEP 23 21:21:36 pm by 東 賢太郎

東北出身の先輩であるKさんの口から「ルサンチマン」と「美学」という言葉が出てなんだか懐かしくなりました。先週はご来社いただいて結局7時間も話しこんだのですが、還暦を超えてからは「自分が何者か」の総括にかかっているので、こういうタイミングでKさんとお会いできたのは天啓でしょう。

「何者か」は無論のこと先天的、後天的の両面で決まりますが、後者はどこで何を学んだかで基礎がほぼ決まると思います。僕は独学型ゆえプレッシャーがないとマイペースで、だから本気で勉強したのは大学受験とMBAしかありません。ただそのどちらも「筋トレ」であって、そこでつけた筋肉にのちに学んだものが血液になって流れてビジネスで使えているイメージです。

「ルサンチマン」や「美学」は受験が終わって哲学やら科学史やら英文学やら、当時はどうでもよかった授業や教材などでふれた言葉です。Kさんは「東北になぜ製造業がないか?」という僕の長年の疑問を「戊辰戦争以来の統治が官界でまだ続いている」という一言で氷解してくれました。それは東北のルサンチマンとなり、東北人の美学にもなったそうです。

こういう観察や理解は何十冊の書物にも勝ります。人間は経験してないことはわからない(わかるはずがない)という経験論者ですので、識者の経験に学んで自分の足りない部分を補うことが僕にはどうしても必要です。Kさんは官界、政界で豊富なキャリアを積まれた経験から独自の視点をお持ちでありますが、同じ空気を吸って育ったベースをお持ちなため双方の理解が速く、これから顧問としてご指導をお願いすることに即決しました。東北人ではありませんが僕は北陸人で、美学も似たところがあります。

逆にそれほどの智者でも運用やファイナンスについてはかなりのブリーフィングが必要と思われます。明治政府による蘭学以来の独仏文化移入のベースに第2次大戦が称揚した鬼畜米英精神が搭載された「英語文化排斥」が日本のエスタブリッシュメントの精神構造に残滓としてある、いわば東北と同様の現象で仕方ありません。昭和の言論界、クラシック音楽界もそうだったようにインテリは戦後も引き続き英米を嫌い、文化は軽視してきました。まさにルサンチマンが存在したものです。

英語教育が遅れ、英語で書かれたIT文化は韓国にも後れをとりました。投資助言・代理業の登録をした際に東京法務局営業保証金500万円を供託しますが、2010年当時は振込不可で現金でした。札束を運んでいくと薄暗い窓口でおばちゃんが紙幣計数機でシャカシャカと万札を数えて受領証をくれる、あれは僕が野村證券に入った1979年と何も変わらん昭和の牧歌的原風景で驚きましたが、少なくとも8年前まで役所のITリテラシーはそんなものだったのです。ルサンチマンによる「英語世界蔑視」で国家の頭の方が大きく後れを取ってしまった。

同じことが運用やファイナンスのリテラシーにも起きているといえば分かり易いでしょう。なぜならそれは英語世界由来だから『ルサンチマンの壁』に阻止されてきました。まず教師がいない、だから大学で教えない、だから学問ではない、というルサンチマンの自己満足のループに陥り、みんなで無視して終わり。結果として運用・ファイナンスが国是のごとき米国に母国の金融界を牛耳られたのは識者はもちろん知っているが、自分が知らない世界ゆえダチョウ症候群で終り。いまやそれを米国並みに国是にした中国にもいずれやられるリスクがあります。

僕は米国ウォートン・スクールで最先端の投資理論を2年勉強し、すぐ英国に赴任を命じられて東インド会社以来の投資のメッカであるロンドンの「シティ」で6年間それを実践応用したという人間ですから、資産運用・ファイナンスにおいて保守本流の「英語世界人」であります。その分、日本語世界人としては欠けたものがあるでしょうが、そこにとても強いKさんと組むと何か面白いことができる気がしております。

 

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大坂なおみは米国に住んだ方がいい

2018 SEP 11 22:22:02 pm by 東 賢太郎

テニスはよく知りませんが、だいぶ前にどこかで見かけた大坂なおみのフォロースルーの写真がきれいで欲しかったのです。えもいえずアスリートであって、ああいう姿は誰でもできるわけでないですね、ポスターで部屋に飾りたかったがネットで探してもありません。あれは誰のものだったんだろう。

ニューヨークでセンセーションを巻き起こし、全世界何億人の見守る中で「初めて」、「アウェイ」、「アイドル」の3つの壁を破った二十歳。心から祝福し、尊敬します。セレーナ・ウイリアムズはけしからんという声が米国のプレスでもあがっているし、あれは米国人が望んだ結果ではなかったという声もある。しかし、そんなことがどうあれ、女王をあそこまで追い込んだ大坂なおみの力が勝ったということ、それ以外に何があるんでしょう?

1989年にウィンブルドンのセンターコートでグラフ対ナブラチロワのファイナルを前の方で観戦しましたが(グラフの勝ち)、激戦でしたしスタンドは熱気をはらんで大いに沸きましたが、両プレーヤーが自国人でないことを割り引いても英国人はいたって紳士的なものでした。米国人はあんなもんかと世界が思ってしまっただろう。あのごうごうとしたブーイングを一身に浴びたら誰でもびびるのは当然で、まして自分のアイドルだった相手が怒りまくってラケットをぶち割ってる。そこで冷静にプレーできた大坂の技量が女王を脅かすほど高く、メンタルタフネスでも女王を追い詰めたことこそ話題にされるべきと思います。

彼女はハイチ系米国人とのハーフで、日の丸背負って負けそうになると悲壮感が漂うタイプの人ではないでしょう。これまではマスコミは彼女が勝っても何でもなかったのに、ここに至ってにわかに日本人だ日本人だと騒ぎ出しました。そんなことしないでも彼女のしたことは何国人であろうが快挙で、国籍で評価したりしなかったりというのは幼稚だ。ストラヴィンスキーが春の祭典の初演でシャンゼリゼ劇場の客から大ブーイングを浴びたのと同じですね。見る方も大人の評価をしてあげたいものです。

私見では大坂なおみは米国を本拠でやった方がいいかもしれません。日本でマスコミにスポイルされ、ちやほやされるうちに勘違いして只の人で消えていったアスリートが何人いることか。彼女の言動を見ていると恐らくそういう軽い輩ではないと思いますが。米国は少々お品には欠けるが徹底した競争社会で、強いと認められてしまえば相応の報酬と名誉を惜しみなく与えてくれます。そこで磨かれたら10年は大坂の女王時代が来るかもしれない。是非見てみたいですね。

 

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大人買いCDセットによるクラシック音楽市場の死

2018 AUG 25 22:22:01 pm by 東 賢太郎

アマゾンからマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディション3が届きました。アンタール・ドラティ、ポール・パレー、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキー、アナトール・フィストラーリという気になる指揮者の1960年前後の録音が中心に53枚組というブロッキーなものです。

それが、昨日の午後にネットで見つけて注文したら今朝に家に届いている。店舗で買って、重たい思いをして持ち帰って一晩で53枚聴けるわけありません。でも、3日もたっての配達だとやや熱が冷めてしまう。翌朝のお届けは絶妙ですね。事務用品通販のアスクルは明日来るが売りでしたが、アマゾンの出現で全商品それが当たり前になってしまいました。

だからほとんどの実店舗型小売りは売上が減少し、米国でついにトイザらスが倒産というショッキングなニュースに至ったのはご記憶に新しいでしょう。残酷なようですが自由主義、資本主義はこういうもの、「アマゾンによる死(Death by Amazon)」は盛者必衰の理の一断面であります。

米投資情報会社ビスポーク・インベストメント・グループが2012年に設定した指数で、アマゾン躍進で負け組になりそうな実店舗型小売業を集めた「アマゾン恐怖銘柄指数」(Bespoke “Death by Amazon” index)の株価パフォーマンスを見ると2016年からの2年間でまさに恐ろしいことになっています。


思えばその昔、石丸電気などでLPレコードをあれこれ迷うのは絶大な楽しみでした。LPレコードは収録されているコンテンツの是非以前に、塩化ヴィニールの表面を擦過する針音が一品ごとに微妙に異なるという是非がありました。だから購買にはレジでの検盤という重要なプロセスがあり、それでも帰宅してターンテーブルに乗せてみないと針音はわからないというリスクは除去できず、さらにコンテンツである演奏が気に入るか否かというダブルのリスクがあったのです。

それをCDが駆逐して電子的読み取り信号が商品となった瞬間に目視による検盤は無意味となりました。「第1のリスク」は除去できたものの擦過がなくなり、購買という行為は均質な工業製品の仕入れと変わらなくなりました。しかしそれでもCDはモノではありました。それが今やEコマースだ。僕らはもはや物体でない「虚像(イメージ)」を紙幣という物体すら介さずにプラスチックのカードに記載されている無機質な数字列と引き換えているのです。

まあここまでは百歩譲って「利便性」の勝利と認めましょう。自由主義、資本主義はこういうものだと。しかし均質な工業製品は品質を落とさずに大量生産が可能で小型化により輸送費も在庫管理費も低下して物体としての製造、小売り単価は劇的に圧縮されます。すると「第2のリスク」である「コンテンツである演奏が気に入るか否か」は大方の購買者にとってリスクではなくなってきます。たかが1枚150円のCDがハズレでも大したことはないからです。

そこまで割り切ってしまった自分でしたが、新品53枚組のケースを開けてみると、しかし、これはなんということだと絶句してしまったのです。ドラティのブラームス交響曲全集がドーンと目に飛び込んで・・・。

ここから53枚目に至るまで、一枚一枚のジャケットに感嘆の声をあげながら中のCDを取り出し、いつくしみ、こんなやつが出てくると狂喜し、

こんなのが出てくるや、これは単品では絶対に買わなかったぞと嘆息するという塩梅でした。

このさまを観ていた家内にはわからないだろうと咄嗟に「子供の時にメンコのセットを買ってもらった時の気持ちだよ」と、我ながらうまいことを言うなと納得の説明をしたのですが、さらにわからなくなったようでした。ところがです、一連の出会いの感動からだんだん覚めてくると、この僕にもわからないことが頭をもたげてくるのです。

ちょっとまてよ、セットはいいが53枚組で8千円?なんだそれは、1枚150円かよ?カラのCDRがそんなもんだったじゃないか、ということはコンテンツはタダのおまけか?何かおかしいぞ、ドラティのブラームス、俺は1万円でもいいぞ、コープランドは5千円でも。

ほんとうです。まったくイラショナル(非合理)なことですが、僕は150円じゃなく1万円、5千円払いたいのです。もしそれで昔の価値観の時代に戻るなら・・・。

2000年ごろ不良債権のバルクセールというのがよくありました。纏め売り、バナナのたたき売りであって、単品では売れないクズ不動産を「オトナ買い」させたい銀行の窮余の一策でした。「53枚組はあれと同じか?そんなにCDは売れないのか?」、危機感が僕の頭をよぎりました。現実に売れ残りのバルクの中に箱根の土地があった。芦ノ湖、プリンスホテルを眼下に望む景観があって、えっ、こんな安くていいのという値段でした。

リゾート地が売れなくなる。業者は資金効率のために売らんかなの姿勢になる。すると売れる市場価格まで値が下がる。すると景観の価値は度外視になるのです。駅近、治安、生活インフラなど万人が気にする要素(地価を決めるハードとしての要素)に比べ趣味性が高い景観は先に無視される要素なのです。CDにおいてコンテンツである音楽は趣味性の要素で、売らんかな姿勢の業者がバルクセールをすれば、値段はハード(工業製品)原価であるCDR1枚の値段まで下がり得るということです。

それは購買者としてはむしろ有難いことです。しかし、マクロ現象として長期的な目で見るならば危機をはらんでいます。53枚組のどの1枚だってLPの頃は1500円はしていた。インフレを加えると10分の1超に至る価格破壊が「第2のリスク」を軽減してはくれます。しかし、その背景で由々しきことが進行しています。購買者は選択の安心と引き換えに鑑賞への集中力を無意識に放棄しているということです。まあ安いから聞いてみようか、1枚150円のCDがハズレでも大したことはないや。10倍のお金で買った場合とは集中力はおのずと違います。それが常態化すると人間は徐々に不要となった能力を失うのは進化の歴史が証明しています。

供給者側でも、アダムのジゼルの程度のクオリティの音楽、つまりたいして売れそうもないコンテンツを当代一人者のフィストラーリのような演奏家、最新鋭の録音システムでコストをかけて商品化しようというインセンティブは著しく低減するでしょう。英Deccaがヘルベルト・フォン・カラヤン / ウィーン・フィルを起用したジゼルは1分当たりの(音楽の価値)÷(製造者原価)の値が最も低い録音だろうと思われ、収録した1961年あたりにクラシック音楽ソフト市場の数値のボトムがあった可能性が高いと考えております。

需給の両サイドでの質の低下は確実に文化を変質に追い込みます。経済学のわかる人は本稿の趣旨である「アマゾンによる死(Death by Amazon)」との類似性を見抜かれるでしょう。大人買いCDセットはクラシック音楽ソフト市場の断末魔になりかねないのです。

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脳みそが「創造する快感」に支配されている人

2018 AUG 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

今日は神山先生ご夫妻と夕食でした。もう14年になるね、僕は先生の漢方を一番長く飲んでる日本人だね、効いてる?わかんないね、まあ、毒じゃないってことだけは確かだね、なんて龍門派気功第十九代伝人にジョークをかませる仲です。14年は長い。野村を辞めて以来ということであり、お互いがいばらの道で辛いときに悲喜こもごも助け助けられで、ほんとうに色々ありました。家族ぐるみで切っても切れない仲で、僕は彼の上海の仲間に「日本の兄弟」と紹介されています。

2004年に風邪をこじらせて熱がさがらず、騙されたと思って行けと紹介されて池袋の診療所を訪ねました。とても苦い煎じ薬を飲まされ、一日ですきっと治った。この時の台風一過の如き清涼感は忘れません。漢方の知識は皆無でしたし、今だってほぼゼロですが、それ以来彼の調合する薬草を信じて朝晩欠かさず煎じて飲んで、まさに医者いらず薬いらずの体になってしまいました。後で知りますがこれが彼のファミリー6代に伝わる、免疫力を高める「未病」の秘法で、ちなみにお父上は鄧小平を診た国医です。

上海交通大学の気功の教授だったところ、事情あって来日し山梨大学で教えることになってから28年、このたび母国の医師免許が授与される見込みという嬉しいニュースが入りました。中国の医師は西洋医学をする西医と中国伝統医学(日本人が呼ぶ漢方)をする中医に分かれていますが、習近平は中国医学発展計画により中医学の標準化と輸出、中医師免許の拡大政策などを推進し「一帯一路」プロジェクトにも中国医学グローバル化が含まれました。この追い風の中で、国外頭脳流出していた龍門派気功第十九代伝人・神山道元先生(中国名・屠文毅)に国のスポットライトが当たったようです。

先生の奥様は西医で英語も堪能、上海の病院の麻酔科教授で心理学博士でもある超インテリの彼女がセクレタリーというのは強力で、国家予算がつくようだからそう遠くない先に先生は父君のように本国で中医を代表する存在に返り咲くでしょう。そうすると僕は先生の国外流出期に14年と最長の投薬・施療実験台(笑)だった人になるらしく「中国政府に提出するレジュメに東さんの名前を書いていいですか」ときかれました。政府のインタビューに同席もしてくださいと。「もちろんオッケーだよ。当然でしょ。人生最高の医師だというよ」と答えると奥様があなたは**だという。中国語でわからないので手帳に漢字を書いてもらったら「劉備」でした。

こうなったのも、僕の新しいもの好き+経験主義(ホントに一発で治った)+良いものは良い、いらんものはいらんの割り切り主義からでしょう。薬は治ればいい、誰が作ったか何が入ってるかなんて効けばどうでもいい、いくら権威ある大教授の御託が立派でも効かない薬なんて捨ててしまえ。そういう処で先生と性格が合うのです。一度心から信じたらとことん信じるのもいっしょ。完璧な一致と言っていいですね、こういう人はこれまで会った人にはほとんどいませんし、日本に染まっているとどうもチマチマセコセコになってしまう。

彼はドツボの時も明るい未来しか考えない。半端ないポジティブ・シンカー。構想が大陸的であってでかい。弱音を吐かない。へこたれない。やめない。何かをゼロから生むのが飯より好き。これは僕とまったく同じ種族の人間ということで、脳みそが「創造する快感」に支配されているのです。人生クリエイトしてなんぼ。この事実の前にして彼が中国人であるということはそれこそ僕にはかけらの関係もなし、国籍、宗教、性別、歴史、血縁なんてものは脳みその型で分類した人間の種族にはずっと劣後します。地球上のどこにも、自分と種族が同じ人と違う人という2つの人種がいます。

事業というのは、大企業のパーツならともかく自分で起業というのは自分が車のエンジンにならなくては絶対に無理です。そして「エンジンになる」とは「創造する快感に支配されている状態」のことなのです。創造とは非常識な処から生まれる、まだ世に存在しない発想のことであって、そこにつまらない常識的な人が出てきて「そんなの無理でしょ」なんて言ったら車は1メートルも進みません。そうなると会社はつぶれるし、世の中の99%は常識人だから、僕はそういう人と接しない時期が年に何回かは必要です。1%に属する先生は話していて無限に面白い、何時間でもいっしょにいたい貴重な兄弟なのです。

 

(ご参考です)

勤め人時代にできなかった二つのこと

 

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楽しかった「かむゐ」の20周年記念公演

2018 AUG 20 0:00:40 am by 東 賢太郎

先だって島口哲朗さんにディナーにの席でお招きにあずかったかむゐの20周年記念公演に行ってきました。

サムライとアニメは日本の宝である

そもそも20年続くものは何であれ本物でしょう。まがいものは時の波に飲まれて消えます。本公演に梅沢富美男さん、中村玉緒さんが届けていた熱い祝賀メッセージもお義理でなく本物でした。日本を愛する人は、一度ご覧になれば好きになると思います。ちなみに、かむゐが外国でどれだけ注目されているかはこちらのHPをご覧になればわかります。

http://www.k-kamui.jp/jp/homepage.php

多くのみなさん和牛は日本のブランド牛肉と思っておられるでしょう。しかしWAGYUと横文字で綴られるとそうとも限らないのです。「オーストラリアWAGYU協会」が1990年にでき、今は米国WAGYU協会(本部アイダホ州)まであるのをご存知ですか?WAGYUの高級ブランドイメージだけは日本が作ってあげて、それのナンチャッテ版である米国産、オーストラリア産が世界を席巻してしまうかもしれません。

同じように、は今のところ日本人だということで世界にブームが広がりつつありますが、SAMURAIと横文字になるとだんだん国籍不明になるのは和牛と同じではないかと危惧するのです。ただ刀を振り回せば格好いいという若者が欧米に増えてます。それが独り歩きすると、そのうち中国や韓国がルーツだぐらいの法螺吹きが平気で始まるだろうし、そのスピリットである武士道とかけ離れたものになるかもしれません。

百歩譲って食べ物は構わないのです。しかし侍は武士道と関わり、武士道は決して殺戮のための教えではなく、武士階級の倫理・道徳規範であって支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことを求めたもの、いわばノブレス・オブリージュに相当するものです。昨今のわが国の政治家、官僚、経営者、指導者においていかにそれが希薄化してしまったかは皆さんお感じになっているでしょう。

経済大国になることで一流国の地位を得たわが国が、金満国家としての下衆な扱いではなく一定の敬意も得ていたことを僕は16年の海外生活でどんなにありがたいと思ったことか。それはなぜか?日本人が心の底流に持っている和の精神への敬意があったからです。

住んだ5か国どこでも外国人の部下たちが仕事の中で「日本人はわからない」「どうしてそうするのか」といろいろなことで言ってきました。良い方にも悪い方にも言われましたが、僕はいつもこう答えたのです。「それは英語になりません。日本にしかないものは日本語で覚えてください」。そうして「WA」と「BUSHIDO」を教えました。

僕は日本人の奥ゆかしい精神の底流にある武士道だけはナンチャッテは勘弁してほしいと思っています。だからかむゐに出会った時も、実はやや疑いの目で見ていたのです。しかし彼らはそうではなかった。僕が消えないで欲しいと願っている、まさにその精神を殺陣という見栄えのするパフォーマンスで万人に分かり易く体感させるものだと知り、応援しようと決めました。KAMUIとしてあえて横文字で、チャンバラ劇ではなく武士道というスピリットとセットで日本文化を体感していただく場として世界に広まればいいなと思います。

10月31日にイタリアのフィレンツェでかむゐリーダーの島口哲朗氏の日本人初の「文化芸術賞」授賞式があります。式場は現存する世界最古の薬局であるサンタ・マリア・ノヴェッラ本店です。これは欧州文化に深く根差す「クラシックなもの」とサムライ・アートの融和の起点となるでしょう。個人的なことを言えば、伊賀の影丸で字を覚え、三匹の侍やクロサワ映画で育った僕としても自然な感じをいだいております。

本日の公演でも第1部は邦楽(尺八、横笛、太鼓・鐘、胡弓)が背景の音作りをして、素晴らしい幽玄で静寂な空間を演出。音楽的にも見事でした。これは完全にクラシック音楽と言ってよく、殺陣は命のやり取りをイメージしたものですからシリアスな題材でありそれがよく似合います。第2部の背景は小林未郁さんのオリジナル曲のピアノ弾き語り、和太鼓、津軽三味線と、これがまた大変な水準の演奏であり、音だけでも十分に僕を満足させるものでした。

殺陣は演劇やダンスの要素もありますが、音楽が必ず背景にある演出はKAMUIの強みですね。オペラにもミュージカルにもなる。これが西洋人にアピールするのは僕の経験から思うに必然です。そうなるとナンチャッテ・サムライの跋扈が心配でなりません。ぜひ日本人の皆様が一度ご覧になって、灯台下暗しにだけはなりませんよう願っております。

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サムライとアニメは日本の宝である

2018 AUG 10 0:00:00 am by 東 賢太郎

きのうはハリウッド映画「キル・ビル」に出演した俳優でカリスマ殺陣師の島口哲朗さん(島口哲朗 – Wikipedia)、「進撃の巨人」のボーカリストで世界のアニメファンに著名なシンガーソングライターの小林未郁さん(小林未郁 – Wikipedia)と会食しました。

島口さんが主宰するサムライ・アーチスト集団の「剱伎衆かむゐ」(けんぎしゅう かむい、剱伎衆かむゐ | official website | プロフィール、)は海外で大ブレークしています。いまやニンジャ、サムライ、ブシドーは英語。世界中でブームになりつつあり、アメリカはもちろん今年はチェコ、フィンランド、ポーランドでも公演し、10月にはイタリアの文化芸術賞の受賞でフィレンツェに招かれるなど破竹の勢いです。

ご縁の発端はオンラインTV会社ネクサスが島口さんの動画撮影をしたこと。同社COO岩佐君の人脈ですね。「かむゐ」の殺陣の舞台も観ましたがアートとしても美しく、僕は島口氏がサムライ・スピリットを海外で広めてくれると確信し会食に至ったのです。また、小林さんのアニメのほうも海外人気は半端でなく、パリで毎年行われる日本のアニメなどの博覧会「ジャパン・エキスポ」はフランス人が28万人も集まる。そこで彼女はひっぱりだこなわけで、今日はマニラから東南アジアツアーですでに旅立たれました。

そういうことを日本人があまり知らない。かくいう僕も初めてで、サムライ、アニメは重要な輸出品になりつつあるのは知ってましたが、経済的なメリットのことよりも、それを通して日本人が尊敬されているという事実の方が僕にはとても重たいと思います。キル・ビルの監督のクエンティン・タランティーノやサッカーのロナウジーニョやブラジルの大統領まで島口さんのファンになり、刀や帯を欲しがりサムライ・アートにハマってしまったようなのです(ロナウジーニョ選手Instagram https://t.co/ggWCsUphkr)。

海外で16年生活しましたが、日本の工業製品が評価されたり株式時価総額で米国を抜いたりしてもそれで日本人が尊敬されるということはありませんでした。白人社会で東洋人はまだまだ差別されており、不愉快な経験がたくさんあった。サムライ、アニメはそれを根底からくつがえし、我々日本人を尊敬までさせてしまうというのはバズーカ砲なみの威力があるということです。大事にしない手はありません。

広く海外で舞台に立つ傍ら、殺陣を教える道場を主要都市につくり、Kengido(剱伎道)を広めたいという島口さんの燃えるような情熱には共感しました。先日、ロッテのサブロー選手に感じた「熱くていい奴」、同じものを島口さんにも感じたのであります。Kengidoを広めることは武士道を広めるということでもあり、古くから日本人のもっている「卑怯なことをしない精神」を外国人に知ってもらうことは国益にもなると考えます。

敗戦国ゆえにあることないこと言いたい放題言われてしまっている我が国。忸怩たる思いを抱くばかりですが、世界の青少年がKengidoを習って武士道を地道に知ってくれればいいのです。「そんなこと日本人がするわけないでしょ?」という最強の反論になるではないですか。

 

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でかい火星(スーパーマーズ)を家族で鑑賞

2018 AUG 2 0:00:35 am by 東 賢太郎

帰り道で火星がでっかいなと思っていたら7月31日に大接近ときいた。それだけでは特にどうでもなかったが、次回は17年後だからもう80才だと思うと見ておこうとなるから現金なものだ。8月いっぱいは「スーパーマーズ」が見られるらしいから自信のない方はぜひ。

そういえば前回に次の心配をしたのはハレー彗星だった。次は2061年だから僕は無理。1986年に見たのはロンドンから帰国するJALの機中で、シベリア上空を東方に向け夜中に飛行中だった。スチュワーデスのお姉さんが「ハレー彗星が綺麗に見えてますよ、ご覧になりますか?」と、なんとコックピットに入れてくれた(よかったのかな?)。

確かに綺麗だった。地平に緑色のオーロラが輝き、その上方の中空に「それ」はあった。左向きでイメージより尾が短くすそは広めで、テルテル坊主みたい。切り絵をぺたっと空に貼りつけた感じでくっきりと静止しており、漫画のようにユーモラスだった。昔の人はあれを見たらさぞかしびっくりしただろう。

いまの火星もインパクト絶大だ。テラスに集合して家族で(ノイも)感嘆、鑑賞。息子と天文の話になる。これだけでかいと、なるほど地球に近いんだ、移住計画もできるかなと思えてくるがその左には月があって、こんなに表面が肉眼で見える天体はほかにないという稀有の事実が火星のおかげでわかる。

最接近の火星までが5759万キロ、月までは35万~40万キロ、月の直径は水星よりやや小さく、冥王星よりは大きく、火星の約半分だ。月が衛星のわりに惑星並みに大きいということ、それが火星との距離の150分の1の所にあるというのは異常であって出会いの時はけっこう危険だったはずだ。巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)が出る所以だろう。

見た目の「でかさ」を視直径というが、最も大きい星が太陽と月だ。しかしそれは見かけであって、実際の直径はちがう。このビデオでよくわかる。

ここに出てくる太陽より大きい恒星たちは、地球からは視直径が目で認識できない点光源だ。よく知られた一等星のリゲルもアークトゥルスもアルデバランもアンタレスもベテルギウスも、みんな光る点にしか見えない。彼らの何十分の一の大きさしかない太陽はあんなにでかく見える。

オリオン座アルファ星リゲルの直径は太陽の78倍、ベータ星ベテルギウスは1180倍だ。それでもこんな風に点光源にしか見えない。

オリオン座。左上の赤い星がベテルギウス、右下の白がリゲル。

小学校低学年の頃、冬空を見上げてこのオリオンを眺め、そうか太陽も恒星なんだ、それがあんなにでっかく見えるってことはそんなにすぐ近くにあるのか!でも地球がリゲルの惑星だったら熱いだろうなあ、みんな青く見えるんだろうなあ、なんてことを考えていた。

だから最近にチリのアルマ望遠鏡がとらえたベテルギウスの写真は衝撃だった。視直径が「ある」ということと、形が「いびつ」ということにだ。

円は水金地火木土だ。この星が太陽だったら木星まで飲みこまれている。太陽も寿命の半分ほどが過ぎた中年の星だからやがてベテルギウスみたいに赤く膨張して、火星の軌道まで飲みこまれるらしい。もちろん、地球は消滅する。

テスラのイーロン・マスク氏の火星移住計画は素晴らしいが、それでは足りない。でも木星、土星はとうてい住めない。絶体絶命の我々の子孫はどうすればいいんだろう?

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