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カテゴリー: 徒然に

世俗世界の勝ち組が人生の勝ち組ではない

2025 DEC 2 21:21:37 pm by 東 賢太郎

僕は書いたものは基本的に読み返さない。過去と未来はなく世の中には現在しかないというアインシュタインの言葉を信じており、その刹那はいいと思って書いたからそれでいいが、その文章はもう過去であり、読み返して反省しても未来は変えられないから意味ないと考えているからだ。例えば映画を見ている時、脳が認識しているのは ”今” 見ている画像である。過去はx秒前、未来はy秒後とするとx+ y が今の長さだ。人によって x、yの値が異なるとするとAさんの今がBさんには過去となったりして ”今” の定義ができない。だからx+ y は誰にとっても無限に0に近い値、すなわち「瞬間」である。アニメの「紙パラ」(めくり絵)が無限大に近い速度で行われて完全に連続的な動画に見えるように我々は現実世界を認識して生きているということになる。今の瞬間に見えている1枚の絵だけが存在していて、1つ前と1つ後の絵は存在しない。だから過去と未来は変えることができない。何とかできるのは今だけだから、仮に人生訓的に解釈するならそのことに注力せよということだろう。今がすべてだ、今を精一杯生きろ、なんて言われればもっともらしい。

しかし考えてみればそれもおかしい。無限大に近い速度で過ぎ去る今の1枚をどうこうすることは不可能である。つまり物理学が正しいとすれば今も変えることができず「人生は自分ではどうにもならないので今を楽しんで生きなさい」と、生きる意味を否定するぐらい絶望的な結論になるのである。しかしもっとよく考えてみれば、人間以外の動物はまさにそうやって生きている(と思われる)。人間も動物だから本来はそうなはずだが、大脳皮質が発達して賢くなり、x+ y は無限に0に近くはない、つまり過去は変えられないがプラスに解釈したり、まだ起きていない未来は少しは変えられるんじゃないかという自分に都合の良い妄想の余地を見出してしまった。それは物理学的には賢くないかもしれないが、人間に夢という大事なものを与えた。夢は実現しないから夢と呼ぶように大きな富を手にするのはほんのひと握りの人かもしれないが、多くの人がよりよい未来の実現を信じて努力をする集合的な力の相乗効果で国も国民も豊かになる。それが資本主義というものである。夢は幻想だと否定し、相乗効果も否定し、人生は自分ではどうにもならないので選良が叡智によって計画し未来を保証する国家に任せなさいとするのが共産主義であると言っておおむね間違いではないだろう。任せて国民が幸せになった国家は歴史上今のところ現れていない。

アインシュタインが「今を楽しんで生きなさい、それしかできないから」と述べたかどうかは知らない。彼は共産主義者ではないが、資本主義の富の偏在を除去した社会主義を理想として主張したことは事実だ。既述の合理的な帰結と整合的で筋が通っている。従って、人間様が今を楽しんで生きるためには何をしたらいいんだろうと自問してみる価値はあるだろう。そこで「楽しむこと」の定義があいまいでは論考できないからそれを数値化してみよう。楽しむことイコール幸せとは限らないが、苦しみや痛みを幸せと感じる人は極めてマイノリティだとしてしまえばそれは正しい。人生とは数限りなくある今(瞬間)の集合体であるわけだから、つまり、幸せな人生を送るためにはどんな瞬間をも楽しく生きるようにすればいいわけである。その方法を定義することはできない。何が楽しいかは千差万別だからだ。では「人生の幸せ度合い」は計測できないのだろうか。楽しい時に脳内には快感物質エンドルフィンが分泌される。人生の単位で考えるなら、生まれてから死ぬまでに分泌されたエンドルフィンの総量を測り、それが最大の人が最も幸せだったということになろう。

もちろん実際に測る必要はない。それが必ずしも経歴や地位や財産で決まるものではないことを実感できればそれでいい。世俗世界の勝ち組になることが人生の唯一の目標ではないという哲学がおのずと導かれてくるからである。とすると、総量を最大値にするにはどうしたらいいかという話になる。簡単だ。好きなことをして長生きすればいいのである。経歴や地位や財産を得ることが好きな人はそれをすればいい。大自然に囲まれて自給自足の農業をやるのが好きな人はそれをすればいい。おそらくエンドルフィン分泌量に差はつかないだろう。したがって、両者の差がつくのは、どっちが長生きできるかということにかかるというあっけない結論が導かれる。日本のように国民皆保険で医療が地方まで行き届いた国では、ギズギスした都会で勝ち抜くゲームに明け暮れるよりも、大自然の中で悠々自適で気楽に生きた方が長生きできそうな気がする。というと、おまえは【小原庄助さん 何で身上潰した 朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上潰した ハァモットモダーモットモダ】という歌を知らんのか、怠け者を礼讃するのかという声が聞こえてきそうだ。

30年以上証券界で働き抜いてきた僕が怠け者を奨励するはずがない。都会派であれ大自然派であれ、朝寝朝酒朝湯が大好きはいけない。なぜか?日本人の道徳観ゆえではない。いけないのはそれに淫してしまい、同じことを毎日繰り返していると限界効用価値が減り、だんだんエンドルフィンが出なくなるという科学的理由からだ。 まして自然もない都会のジャングルでワーカホリックになってエンドルフィンを喪失するなど想像を絶する愚行であり、むしろ寿命を縮めるにちがいない。そう思ったから16年前に僕は東京の一番南の国分寺崖線に家を建てた。都心まで少々時間はかかるが半分は自然に浸っていたいからだ。大自然派の人ほど頭を使い知恵を絞り、創造的な仕事をしなくてはいけないが、そうすることでこれまでの日本人の労働観にはない新しい幸せな人生が開かれるであろう。つまり地方の子供が猫も杓子も東京や大阪の大学に行こう就職しようという風潮が本当に幸せに結びつくのかということだ。大自然派は経歴も地位も資産もそんなにはいらない。都会派がそれを得るのに必要な膨大な時間を自分への投資や余暇に使える。逆に田舎に出て幸福な人生を感じられる都会派は多くないのは競争上の大きなアドバンテージでもある。したがって大自然の中でエンドルフィンがたくさん出る脳を持ってる人は都会派ほど苦労せず幸せな人生を手に入れる確率が高いのである。

そこで高市総理の「働いて働いて・・・」が流行語大賞になった事に付言したい。誠に結構なことだ。この人ほど身を粉にして働く政治家はいまだかつて見たことがない。そのうえに勉強家で頭脳明晰ときている。トップがこうであれば永田町の空気は一変し霞が関も働く。小原庄助さんを戒めてきた国民は本来が働き者だ。体を張って強い日本の再生を掲げるリーダーに喝采を送るのは日本人としてあまりに当たり前で、70%という空前の政権支持率の大きな要因となっていることは不思議でもなんでもない。 103万円を超えると税金が増えるから働きませんと苦渋の決断をさせるなど勤勉が美徳の日本国民に自傷行為の苦痛を強いるに等しい。精神の根本から腐った異常なことで、そんな状態を放置する政治家はいったいどこの何者だと疑念を抱かざるを得なかった事は国民にとって大変なストレスであった。 高市早苗、片山さつきの大英断である21兆円の総合経済対策効果がそれに加わりGDPは増大するだろう。税収が増えれば財政は悪化しないし国債のクレジットも下がらない、そんなことは世界の常識である。戦争に端を発した不可避的な輸入インフレを意図的にごっちゃに述べて国民を煙にまき、すでにインフレだから国債発行による経済対策は所得を増やすがインフレも増幅して危険だと水をさす学者や自称専門家が多数いる。その心配よりもデフレマインドを 根治する方が重要であるし、危険があるなら政策金利を上げて円安を止めれば物価は下がる。輸入インフレはデフレを治癒しない。救うのは総需要の増加をトリガーとする順回転の経済成長に着火するしかない。マインドに火がつかなければ日本経済のデフレによる衰退は永遠にこのままだ。経験もビジネスマインドも無い役所に実効性のある総需要対策計画はできない。だから官邸主導の21兆円の総合経済対策なのだ。大賛成である。少々の荒療治であろうがリーダーシップをとって国民を奮い立たせる度量、コミットメントには敬服しかない。そんなものはかけらもなかった前総理、前々総理には逆立ちしてもできなかったろう。たったひとこと。役者が違う。

最後のおまけで僕個人の投資スタンスを書くなら、とても平易で誰でもできる日本株と米ドルのロングである。だいぶ前に117円ぐらいで株以外のほぼ全財産をドルにしており、1ドルも売りもヘッジもしてないし当面のところする理由もない。こうした人生の一大事の判断をするときに日本のオールドメディアの情報は全く不要であり、むしろあまりにレベルが低い上に意味不明の偏向が入っているのでプロである僕にとって百害あって一利ない。 ネットで充分足りる。高市政権になって国民の政治リテラシーが急激に上がったのは自民党が3連続大敗を喫した選挙でネットの視聴率が大幅に上がったからだ。嘘ばかり垂れ流すオールドメディアは時間の無駄だと学習した視聴者が加速度的に増えたのに、何の学習もせず淡々と嘘ばかり垂れ流すのだから自ら墓穴を掘って衰退を加速しているだけであり、恐るべきことにそれにすら気づいていないという学習能力の無さはもはや手の施しようのない領域に踏み込みつつある。ちなみにこれは世界の法則だが、スポンサーに金をもらっている報道機関は信用できない。彼らを援護するなら、決して悪い人たちというわけではなく、それが資本主義であり経済原理に基づいたビジネスであるから止めようがないのだ。

シンクロした4つの天文現象の啓示

2025 NOV 26 12:12:09 pm by 東 賢太郎

11月5日は今年最大のスーパームーンだった。この日にディナーをした方からマーラー9番のCDを頂き、演奏についてコメントをさせて頂くお約束をした。ところが立冬にあたる7日の夜にフクが旅立ってしまい、時間をいただくご連絡をした。お葬式は 9日の午後2時半から我が家の玄関前の敷地で執り行われ、僕は正装し、家族と共に見送った。朝方よりの小雨模様である。小さなお棺に供物を添え、綺麗なお花でいっぱいに飾ってあげ、いよいよお別れですの発声となった。空を見上げる。一同が声をあげた。まるで天国への道のように、モーゼの海割りのように、真上の雲だけにぽっかりと青空がのぞいて皆の心を激しく揺さぶった。夕刻になり、娘から生前の動画が次々と送られて来る。もうだめだ。いてもたってもいられなくなり、夜8時過ぎにひとり家を出て自由が丘をほっつき歩き、意味もなく本を買い、旨くもないラーメンで腹を満たし、11時半に帰宅した。翌日10日に喪中のためブログを封印した。

あの青空の向こうには、10月末から太陽系の真ん中に接近して気になっていた謎の恒星間天体「3I アトラス」があるはずだ。太陽の近日点(地球と反対側)を離れて観測可能となり、11月5日、スペインのR. Naves天文台が撮影した写真(上)ではぼんやりとした球体のみである。これまであった尾が消滅している。妖術使いのように不可解な七変化を演じるこいつが何者か謎は深まるばかりだが、NASAが普通の彗星であると公式発表して謎に拍車をかけているのも不可解でしかない。

10日の23時ごろ、ランニングに出て、月と木星とふたご座ポルックスのランデブーに気がついた。手ぶれしたへたくそな写真だが上がポルックス、右上が木星だ。3I アトラスはこの木星に向かって飛行中だ。

本当にかわいくていいやつだった。僕と気心が知れていた。筋骨たくましいオスで体重は7.5キロになった。寝食を共にした5年間、なんだかんだでおおいにふれ合ったものだが、 一度として噛まれたりひっかかれたりしたことがない。飼った人ならわかるがこんな猫は初めてだ。時に腹を見せるくせに服従なわけでもない。独立自尊の姿勢を崩すことは微塵もなく、頑とした矜持を持った風で、若い雄猫なりの風格を漂わせていたものだ。いつも思わされた。それに比べ俺はどうだ、70の爺いだ、頑とぐらいはして見えようがただの頑固な堅物かもしれん。気が短いエゴイズムの塊じゃあないのかなどという自省の念が鏡像のようにたちのぼってくるのだ。どんな猫も、僕にはひとつやふたつの畏敬の対象というものがあるが、フクは別格だ。

ありし日のフク

彼は我が家の9番目の猫だが、元から飼い猫だったものはいない。つまり5、6歳の頃から就職するまで僕は数々の野良猫といっしょに育ったわけである。それが人間形成に影響していないはずがなかろう。親が情操教育と考えたのかどうかは知らないが、母親自身が猫好きであり、もとより血筋で僕も妹もそうであり、なしくずし的に猫嫌いの父親が説き伏せられてしまったものとも思われる。だからフクが秘めていた野生はどうということもなかったが、彼は慣れてきて次第に家猫っぽくなり、リビングルームの住人に格上げとなる。そこからだ、付き合いが深まったのは。

僕の仕事は日々のルーティーンの積み上げという性格のものではなく、今日明日にも何が起きるか分からないハンティングの性質を色濃く帯びたものである。遅く帰ってきてリビングルームで夜食をとると、傍らにやってきて写真のようにじいっと目を見つめる。猫ほど目線を合わせる事を嫌う動物もなかろう。ケンカを売ってることになるからだ。だからというわけではないが、無視して食べ続け、もうあきらめたかとそうっと目をやると、まんじりともせず同じ姿勢のままどんぐりまなこで見つめているのである。ルール違反の猫だがこれにどれだけ癒されたか。フク悪かったなこれ食えよと分け与えると、飛びついてムシャブリつく。そこで畜生に戻るのだ。脳裏に戦友という文字が浮かんでくる。アメリカの学校にいたころ、夜中まであぶら汗をかきながら喧々諤々の議論を続け、腹ペコで課題を一緒に仕上げた奴らが、終わってやおらビール片手に「俺たちは Comrade(カムレイド)だ!」と叫んだ。それが戦友だ。

フクと過ごした5年間は世の中も大変だった。皆様ご記憶のように2020年の2月ごろにコロナ騒動が横浜のダイヤモンドプリンセス号で勃発し、3月ぐらいだったろうか、大の注射嫌いである僕もワクチン摂取を保健所に申し込む羽目になった。家族も含め、すぐにでも打たないと危ない空気が国中に満ち溢れていた。予約日は6月17日という。なんだよ世田谷区は、高齢者がなんでそんなに遅いのかねと文句を垂れていたのを覚えている。ところがそれがよかった。アメリカのパートナーから予想外の電話が入ったのだ。「お前も家族も絶対打つなよ」と、トランプが飲んだ薬をひと箱送ってくれ、予約をキャンセルさせらるとやがて6月17日が過ぎた。患者は増えるばかりだ。報道も過熱してきて、本当にその判断が正しかったのか心配もあった。

フクが我が家にやってきたのは、ちょうどそのころ、7月29日だ。日記を見ると「黒猫来る」とだけある。ここからフクの不思議が始まる。野良を捕まえて持ってきたのだから初めのうちはケージに近寄ると盛大にシャーシャーである。ちょっと危なげな猫にも思え、とりあえずピアノやオーディオのある地下室にケージごと置かれた。

すると、彼がテレパシーでも送ったのか、二週間後の8月14日、自分の全ブログの中でも重要と考える一本に僕は着手する。ちなみに、その事実に気がついたのはついさっきだ。なんとこれはその時に書いたものだったのかという大いなる意外性をいま感じざるを得ない。

権力者であるために権力者でいたい政府

サッチャー英国首相。なぜここまで気合を入れて彼女のことを書きたい衝動がむくむくと湧き立ってきたのだろう?強きリーダー日本にあれと願望を込めた一本であったわけだが、どうしてサッチャーの名前が僕の脳裏に浮かんだのだろう?前後の日記をひっくり返しても全く分からない。自分でも謎なのだ。

日記によるとその翌週、8月23日にバケツをひっくり返したような大雨が降った。余談だがこの日付は忌まわしい。若いころ、日付を覚えているほどの大失敗をした日なのだ。豪雨が停電をひきおこし、排水ポンプが止まったため地下室に浸水して水と格闘になった。フクはケージのまま8月29日に2階のリビングに避難し、行いが良かったのだろう、9月11日にケージから解き放たれている。この日付は世界の誰もが覚えている。

それが予言であったかのようなことがいま日本で起きている。日本のサッチャーになりたいという女性、高市早苗氏の出現だ。ブログ執筆時点で僕は彼女がサッチャーを尊敬し目標としているとは知らなかったし、そもそも彼女に注目していたわけでもなんでもなかった。その人が2025年10月21日に総理大臣に就任すると、それを見届けたかのように、二週間後にフクは世を去った。

9番目の猫。おりしもだったマーラーの9番。本稿を天文の記述ではじめたのは、スーパームーン、3I アトラス、ランデブー、天頂の雲、という、それぞれがそれなりに確率の高くない現象があまりに見事にシンクロしてやってきて、そのど真ん中をフクが急ぎ足で駆け抜けていってしまったからだ。それをどう見るかは十人十色だ。僕はとくに宗教的な人間ではないが、確率の低い事象がおきた場合はそこに何らかの意味があると考えるタイプの人間ではある。フクはきっと僕になんらかの「啓示」を与えるべくやってきた、神さまの使いであったろうと信じている。

「3I アトラス」に懐いてしまう親近感の正体

2025 NOV 5 0:00:21 am by 東 賢太郎

謎の飛行物体「3I アトラス」が話題だ。NASAがこれにつき沈黙を守っていることが世界で一抹の不安を煽っているかもしれない。日本ではこの手の話は真面目にとりあわない人が多いが、名作SF映画「コンタクト」を作ったアメリカではハーバード大学の宇宙物理学の教授が地球外生命体による工作物であるという説を公表している。

動物は群れを成すものが多い。それが身の安全だし、食餌の獲得や種の保存に有利なこともある。「一匹狼」という語は捕食者の狼さえ多くは群れることを示し、ましてルールとして社会性を求める人間が群れずに生きるコストは高く、長いものには巻かれよの日本では非常に高い。だから日本では「3I アトラス」はもの好きな人以外にはオカルト、都市伝説として片づけられるだろう。

1+1が5だという人が現われても、やさしい日本社会は認容しそうだ。しかし科学にやさしさはない。5はちがうが2.01はまあいいかという人も認められない。なぜなら宇宙はそうできていない。「3I アトラス」の観測データにひとつでも物理学が説明できないものがあるなら、我々の知らない物理学を駆使する我々でない誰かが工作したものだという可能性を排除することはあり得ないのである。

僕はこのビデオにあるWOW(びっくり)シグナルという電波の正体の推論に関心があり、物理学者とは違ったアングルでびっくりしている。

今年の3月から「WOWプロジェクト」と名づけた案件に全力で取り組んでいることがそれだ。それと「3I アトラス」がつながった。だから何だ程度のことだが、僕には天が送ってきたシークレット・コードのように思われてならない。

実際に受信されたシグナル音をお聴きいただきたい。今もって正体は不明だが、宇宙から来たものであることだけは間違いないようだ。

SETI(地球外知的生命体探査)プロジェクトのジェリー・エーマン博士がこれにWOW ! と書きこんだのは1977年8月15日午後10時16分(現地時間)に受信した電波が異例に強力だったからだ。 受信場所はオハイオ州立大学のビッグイヤー電波望遠鏡である。ちなみに僕にはAis、E、Gis(和音でE aug)がきこえる。それがスクリャービンの神秘和音の下3つであるのもWOW!だ。

地球儀を眺めてみよう。もし我々が宇宙空間から72秒間のシグナルを照射して地球人に確実に受信させるならどこを狙うか?NASAのあるアメリカだろう。では60天文単位(太陽-地球間の距離=1)の遠方にいた「3I アトラス」が発信者だったと仮定するとどうだろう?自分側の半球にアメリカがあるのは24時間で確率1/2だ。200万年前にアトラスを発射しアメリカの技術力まで知っていた知性はそんな賭けはしない。自転を計算しピンポイントで狙ったはずだ。つまり、もし “彼等” が敵とするならNASAはいまごろ震えあがっている。来日したトランプ大統領が唐突に「1992年を最後に実施していない爆発を伴う核実験の再開」を国防総省に指示したと表明した。これまた世界はWOW!だが、NASAは火星に接近した探査機から3I アトラスの鮮明な写真を撮影している。それが理由なら日本人だって震えあがるしかない。

地球儀で推察されるがWOWシグナルは日本には来なかったと思われる。アメリカに照射された1977年8月15日、僕は人生初のサンフランシスコで、西海岸時間午後7時16分に、友人ふたりと(たぶん)チャイナタウンで中華めしを食べながらそれを浴びた。レンタカーで西海岸を約5,700キロ周遊し、3度も死にかけた滅茶苦茶な米国旅行のちょうど折り返し地点の日だった。当日の日記だ。

米国放浪記(6)

そして4日後の19日に死を覚悟した「野犬事件」が起きる。

米国放浪記(7)

セラピストYさんとの宇宙人談義からこれを何気なくブログに書いていたが、その時点で3I アトラスは存在も知らない(東さんはきっと宇宙人なんで大丈夫)。

全部たまたまだ。でも天の啓示は偶然を装ってやってくると僕は信じている。自分史で最大のイベントのひとつであるこの大旅行は、野球なら我がメジャーデビューである。アメリカすげえ!これが契機で箱庭を飛び出したい衝動にかられ、望みが天に伝わって16年海外を満喫した。プロフェッショナル人生は大満足。そして、偶然WOWというプロジェクトを手掛けていたら、48年前にWOWシグナルを浴びせた謎の飛行物体がやってきた。ベートーベンのピアノ・ソナタ28番、ブラームスのクラリネット五重奏、フランクの交響曲ニ短調、ヤナーチェクのシンフォニエッタ。本人しかわからないこのWOW!を文章にする自信はない。こいつは天が仕掛けた符牒だろうか。

 

成功する奴はやると決めたらすぐやる

2025 OCT 28 1:01:24 am by 東 賢太郎

久しぶりに後輩から会いたいと連絡があった。2時間くれというのでニューオータニのガーデンラウンジで話を聞いた。すると、ふたりの別々な知人に会ってくれというわけである。いいよとなって、こう言った。俺も話がある、他人の会社の株を買うんじゃなくて、俺がやる話だ。

時計を見ると2時間になっていた。なにやら話っぷりに迫力があったらしい。東さん、まえ会った時と全然違います、どうしてそんなに元気なんですか?おんなじことを米国のHにも言われた。元気なんかねーよもう70だからさ、でも、これってめちゃくちゃ面白いと思わないか?思います、詳しく聞きたいです。

詳しく話した。3時間になっていた。

いいだろ?これ金儲けじゃないんだ、地球を救い人類を救う。物理・化学だ、神様の作った原理だ、心が洗われないか?面白いものは魅力あるだろ?そういうものを見ると元気になるんだよ。

参画が決まった。僕は、こういう若者が無性に好きだ。お前は金儲けは上手いけどな、それだけじゃ人間は下賤になっちゃう。ちょっとは芸術を嗜め。はい、いまジャズきいてますがクラシック覚えたいです。本気か?本気です。わかった、じゃあ50曲ぐらい教えるからひたすらそれ聞いて全部覚えろ。クラシックは暗記科目だからな、基本英文700選みたいなもんよ。気がついたら一生の財産ができてる。そっから先は自分の趣味で勝手に増えるから心配ない。仕事なんかより大事になって退屈という言葉は辞書から消えちゃうよ。

彼はやると決めたらすぐやる。慎重に検討しますなんてうじうじ考えて結局やらない人間が満を持しても何もいいことはない。失敗してもいい、何も考えなくていいから思い立ったらすぐにやってしまいなさい、そっから意外な活路が開けたりするから。10代、20代、30代、40代、それぞれにその年代でなくてはできないことがあるんだよ、だから実はそれは人生の切実な問題なんだ。期を逃して次の代になっちまったらもう手遅れだからね。70代でなくてはできないこと?そんなもんあるわけねえだろ。

英語ディベート6時間の雑感

2025 OCT 2 8:08:03 am by 東 賢太郎

米国の友人Hが来た。4時から1時間の予定が議論が白熱し、ニューオータニkato’sで夕食になって気がついたら10時である。こうやっていつも閉店までなのを店も心得てくれてる。ウルトラ元気な男で鉄砲玉みたいな英語がとぎれることなしだ。話題はもちろんビジネスにつきる。

半年ぶりぐらいだが「顔が変わった。肌のツヤも全然違う」としげしげ小生を眺める。「スキンケア?そんなもん俺がするわけないだろ、体重も変わってないよ」「アンチエージングしたか」「ああNMN注射な。でもだいぶ前だ」「ステムセル(幹細胞)がいいよ。トランプもバイデンも打ってる。自分は55歳だがバイオ年齢は36歳だ」とスマホの血液データ分析を見せる。僕は確かに元気は元気だ。月2回お世話になっているセラピストのYさんも「筋肉が柔らかくなってます、プロとして断言できます」という。そういや先週も終了後に「ありがと、3イニングぐらい投げられそうな気がするね」と高校時代に戻ってたし。

というわけで誰も古希は信じない。自分も忘れてて時々書類の年齢欄に60歳と書きそうになる。仕事が立て込んで徹夜に近い日もあったがなんのことはない全然翌日もOK。大学時代、徹マンの翌日もこの程度の感じだった。親に感謝するしかないが、視力も裸眼で1.2あるし、何年か前のコロナ入院と、崖から落ちたのと、神保町で転んで右手の親指を怪我したの以外、体は何らの異変もない。これは20年間飲み続けている神山先生の漢方薬のおかげ以外に理由は考えつかない。

問題は頭だ。身の回りの物忘れや人の名前が出てこないみたいのはたくさんある。でも鉄砲玉の英語ディベートを6時間やっても回転は大丈夫だ、こいつはまぎれもないウォートン・スクールで2年鍛えてもらった成果だ。野球で毎日皇居一周してたので今でも難なく5キロぐらいは走れるが、それと同じで、アメリカMBA留学ってのはアスリートに近い頭の筋トレだったと思う。10代、20代の皆さんは頭も体も死ぬほど自分を追い込んで鍛えまくっておくことです。その年代しかできません。一生の財産になるし必ず仕事でも人生でもメンタルにもあなたを助けてくれる強みになると思いますよ。

Hはものすごいガッツの塊ですべてに前向きで頭も回る奴で、こっちもアドレナリンがどんどん出てくる。頑固だが知らないことを教えると謙虚に学ぶ、その姿勢がとてもいい。こっちもアメリカの最新事情は教わることばかりで、ディベートの中からビジネスチャンスがのぞいてくる。僕はこういう奴が好きだし奴もそうなんだろう、話が途切れることなくこのままだと10時間でも何時間でも行きそうだ。大学時代に気の合う連中と夜中まで、あるいは朝まで語り合ってたあれを思い出したりする。つくづく思うが、日本人にこういう奴はほとんどいない。少なくとも僕は知らない。そんなにたくさんは会ってないアメリカや中国にはゴロゴロいる。だから時価総額百兆円もの新興企業が出てくるんだ。

日本は財務省の緊縮財政で30年間を失ったとみんなが口を揃えて言うが、そればかりじゃないよ、やっぱりビジネスをゼロから起こしてでかくするという情熱とかアンビションとか、そういうのがさっぱりなくなっちゃってる気がする。だから、これから世界を変える生成AIの波に完全に乗り遅れちゃった、これは致命的だ。ロスジェネとか言って傷をなめあってる場合じゃない、雨はあなただけじゃなく全員に降るからチャンスはどんな世の中でも資本主義国なら常にある。そこで勝ち抜いても生成AIに職業を奪われるのが確実な未来だ。ほんとうに傷をなめあってる場合じゃない。政府が金をばら撒いたらGDPが増える、そんな紋切り型の経済学で経済成長なんか持続できるわけないでしょ、成長は資本の成長からくるんです、政治や行政なんか関係ありません、それができる人材こそが国を引っ張るエリートである。そういう人材が昭和はまだそこそこはいたから日本は経済大国になったんです。続々と出てこないとそれこそ日本はダメになるよ。

僕に年齢はない。たぶん体が朽ち果てるまで寝ても覚めてもそういうことばっかり考えてる。ワーカホリックと言う勿れ、モーツァルトだってベートーベンだって毎日音楽の事ばっかり考えていたでしょ。人に使われると労働者になっちゃう。それじゃ人生つまんない。自分で起業してビジネスを創造する、これはクリエイターの喜びである。MBAは何の専門家でもない。経済学も会計学も経営学も数学も統計学も法律も証券分析もマーケティングもプレゼンスキルも、ぜーんぶがビジネスの道具にすぎない。心理学、人類学、骨相学、量子力学なんてものもその一部になったりする。それらを駆使して戦った成果は数字、つまりお金というもので評価される。運てものもあるから勝ったり負けたりはするがわかりやすいでしょ。僕にとっては麻雀や野球をやってるのとあんまり変わらないが、遊びでないので負けるわけにはいかない。この緊張感、最高のアンチエージングだ。

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気ぜわしくない土曜日の昼下がり

2025 SEP 9 10:10:13 am by 東 賢太郎

写真家のS氏と久々に飯でも食うかとなり、代沢の「韓てら」に行った。赤坂で金曜日のディナーのはずだったが大雨だったので明日にしようとなった。これが良かった。気ぜわしくない土曜日の昼下がりだ。9年ほど住んだこのあたりはなつかしい。よく息子とキャッチボールをした北沢川緑道に沿って歩くとそこに着く。当時小学生だった子供たちが歩き回ってる気がするほどに店内はすべてがそのまんまだ。あのころ、ニューヨークから帰国した翌週に9-11がおきてぞっとしたっけ。まだサラリーマンで部下120人の人事評価を書かされ疲労困憊の日々だった。会社を移ったのがそのころで、移籍先はメガバンク系だしもうそれはないだろうと思ったらまた120人だった。

評価書ってのはその人の給料、賞与はもちろん人事部のファイルにコメントが残って、人生まで左右するかもしれない。そんな文書を作るのは責任が重い。しかしそれをどうにでも書けるというのは権力を持った証でもある。うれしい人も多いだろうが僕は性に合わなかった。公平を期すため金融屋として優秀かどうかだけと割り切る。生い立ち、学歴、性格、性別、雄弁、酒豪、英語、達筆、美声、おべっか・・顔を思い浮かべればいろいろある。それを割り切って無視しないと私情が入ってしまう。38才からそんなことをしている俺は自己評価だってそうしないと人生まちがうと思ってここまで生きてきたが、そっちが正しかったかどうかは甚だあやしい。

女性の部下はあんまりいなかったから困った記憶はない。僕はフェミニストではないが実務家として女性総理、女性指揮者の賛成派だ。女性ファーストは度が過ぎると元禄のお犬様になってかえって良くない。そんなことせんでも女性は立派に経営をできる。男はそこそこの学歴で身なりが良くて弁舌さわやかであればあっさり丸をつけちまう。感性で判断する女性はそれがなく、往々にしてそれが正しい。「彼はだめね」「ちょっとあぶないわよ」。男にない嗅覚でばっさりいく。良い例が自民党両院議員総会を仕切り、実質的に首相を退陣に追い込んだ最大の功労者、有村治子だろう。立派なもんだ。東郷平八郎海軍大将、井伊大老の首級を挙げた有村次左衛門を先祖に持つだけある。腹の座り方が半端じゃない。頭脳も明晰だ。言葉がいちいち心に刺さるのには感服で将来の首相候補まちがいなしだ。なに言ってるかわけわかんねえポンコツ役者が総理?ジョークやめてけれ。反対に嗅覚も腹も頭もない可哀想な女もいる。恩人の安倍を裏切ってLGBT推進した、前にもボロカスに書いたあれだ。「それは本当の保守じゃないと思います」なんてな、おめえの保守なんてどーでもいいんだよ日本人は。弁護士かなんか知らんが真正の馬鹿だ。

ちなみに馬鹿を馬鹿というのはお耳障りが悪かろうが、文化部系の人には下品でも体育会でそんなのはなんでもない。過ちを正してくれて有難い場合すらある。基本がガリ勉の高学歴社会である金融に体育会は少なく、そんな罵声を浴びせる文化はないが、僕は体育会的社風の最右翼だった野村証券においてさえ最右翼であり、銀行系の役員になっても机ぶっ叩いて怒鳴りまくった。Sには何度も説明してるがそう見えないのか東大出の思いこみが抜けないのか、「このまえ赤門に撮影いきました」とくる。そもそも論に発展し「なっ、俺、あの門はぜんぜん愛着ねえんだ、くぐったの何回かな程度なの、法学部だから」なんて言っちまう。

ちなみに自民党税調の宮澤洋一氏が上品にだが同じ趣旨を公言し評判悪い。しかし法学部卒はほとんどがそう思ってる。というのは、明治時代から学校自体が暗にそう教育し刷り込んでる。あのキツい法学部の勉強を我慢してやって優を並べた奴が権力持つのは認めよう、俺は遊んじゃったしねで学部内はフェアなのである。それがない他学部はまったく眼中にない。ホリエモンが東大がどうとかいっても文Ⅲの話だろで俺達には関係ない。そういう所なのだ。財務省解体デモになるのは、要は、役人になめられて使われちまう政治家が馬鹿だということに尽きる。そりゃ偏差値35の大臣の話なんか俺たちが真面目に聞くわけねえだろ。

最近の政治家は小物というか、侍がいなくなって役人の劣化版みたいなのばかりだ。慶応OBの話によると石破前総理は高校のゴルフ部員だったが、スコアをごまかしたのがバレて除名になったらしい。たかがゴルフと思う方は体育会を知らない。スコアを改竄する奴ってのは人間としてクズ中のクズで、これは私見じゃない。プロは大会失格。英国の名門クラブは除名。これが世界の常識である。英国で逆切れした会員が訴訟したケースもあるほど「名誉」に関わる。「たかがゴルフ」で体育会に入ったなら元から世の中なめてるアホだったということで、つまり、学歴詐称のおばさんとおんなじ種族ということであって、誰だよこんなの総理にしたのって責任論になるレベルだ。人間の性癖ってのは治らない。放っておくとまたやる。要は、子供の遊びであろうと、前科者はまともなポストにつけちゃいけないという日本人の良識が彼のお陰で確立されるだろう。

さて、Sはというと、写真の被写体は女性が9割ぐらいだ。つまり女性の美というものを追求するうらやましい仕事である。よく知らないが広末涼子とかきっと有名なんだろうと思われる人の写真集など多々あり、間違いなくわがままであろうそういう方々やバックにいる有象無象の業界の面々と40年も仕事してきた人間観は独自の深みあるものだ。こっちも有象無象、多国籍の人々と銭金のつきあいをしてきた。だからとんでもない人間模様を見てきた共通点があって、飲むと楽しいのだ。あの女優に会いたいとか僕はそんな趣味はまるでない。波長が合う人と飲む、何より貴重な時間だ。

韓てらは東京の焼肉No1だ。たらふく食ってどっかでコーヒー飲むかとなり、Sが某喫茶店を検索し、下北沢に向かって行ってタクシーを降りるとあたりの風景に何となく勘が働いた。まてよ、ひょっとして・・・道の反対の暗い路地に入った。あった。当時に住んでた2軒目の家だった。最初のは狭かったがこれはでっかく、車庫にジャガーをとめていた。引き寄せの法則ってあるなと笑いながらよく通った寿司屋を見つけ、ここの小肌は東京No1だと教えて通りに戻ると喫茶がみつからない。しょうがない、あれ良さそうなんで行きましょうというが早いか反対側の小さい洒落た店にSが入っていった。おばさんがひとりでひっそりやってるカフェ。気に入った。「ここいいね、でも俺、ひとりで入れないんだよな」「どうしてですか」Sが怪訝な顔をする。「なんかガラでないんでね」。寂しい話だ。スタンドに女性がひとり静かにコーヒーで読書してる。ああ、いいなあ。こういうのがサラッとできる。Sはかっこいいなあと、いつもうらやましい。

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『アガスティアの葉』が予言したこと

2025 AUG 2 23:23:14 pm by 東 賢太郎

娘から夜中の12時に電話があった。なにごとかと思ったら、なんのことない、「部屋にでかいゴキブリが出たの」というSOSであり、タクシーで逃げ帰ってきた。あっとひらめいた。これ、「虫の知らせは実は深い意味がある」というシンクロニシティ現象じゃないかと。なぜかというと、その前日、気持ち悪くて忌まわしいゴキブリの話をコメント欄に思いっきり書いていたからだ。総理の「ナメられてたまるか」は国難でない | Sonar Members Club No.1

このところ、スピリチュアル、精神世界に惹かれるようになっている。たとえば運、ツキというやつだ。先日のこと、大企業のインテリ君に「ビジネスの8割は運だった」と言って「ご謙遜を」とはぐらかされた。「どんな釣り名人だって魚がいなきゃね、だから魚群探知機がある。じゃあお客さん探知機ってあるかい?運だのみだろ」。ここまで詰め寄っても認めない。「探知は事業戦略でします」「それで利益確定?」「不確実性はあります」「それをゼロにできる?」「いえ、その努力をいくらしても残るリスクを不確実性というんです」。秀才だ、ああ言えばこう言うな。ここからは言わなかった。大企業ってね、巨大なトロール船なんだ。機械が水揚げする魚を甲板でさばくのが仕事と思って育つとこうなる。だから船ごと不確実性の暗礁に乗り上げると解決策を知らない。彼らは誰ひとり釣りはできないからだ。

以下、理屈っぽい彼に理屈をこねて教えたことだ。僕は「運」というものに有機的な実体を感じる。「不確実性」は無機質である。中身がないから数学の変数には向いてるが、「運」は実体が邪魔してなじまない。ビジネスでも賭けでもリスクとリターン、つまり不確実性と収益性は常に均衡している。不均衡は「裁定」によって消える。裁定というものは損することはないから裁定(arbitrage、鞘取り)という。だから、株式取引で100万分の1秒単位でそれをして利益を “確実に” あげるアルゴリズム運用は市場を席巻するはずだ。ところが、現実はそうなってない。参加者が増えると「不均衡」という魚は減る。トロール船を持つ経費(システム構築、運営コスト)をまかなうには魚群が必要だが、魚は群れるとは限らない。売買(流動性)の少ない銘柄の不均衡は割に合わない。だから無限には増えないのだ。

AIが自己フィードバックで改善を繰り返し、人間の知能を超える瞬間、いわゆるシンギュラリティ(Singularity)はそう遠くない未来にくる。2045年といってたのが2028年説まで出てきた。それが人間の生活はおろか生存にまで関わる変化をもたらす。僕もそう思う。しかし、それは人間の理解や予測を超えた技術的な変革が起こる状態が到来するよというだけで、それが起きる分野と起きない分野の色分けが進むという意味以上に意味があるかどうかはまだわからない。一日に何千銘柄もの異なる証券が数兆円規模で電子的に取引・執行される現代の証券取引所。人類が手にした最も巨大で効率的なこの市場にアルゴリズム取引が参入して20年以上になる。それは証券会社のトレーディング部門に変革をもたらしたが、人間の頭と手で売買・運用する手法は消えていない。黒船がやってきても釣り人は消えない。世界最大の釣り人であるウォーレン・バフェット氏はCEOを辞めたが、変わらず運用収益をあげてきたことはシンギュラリティを論じるケーススタディとして意味深い。

この説明はさらに大きなことを示唆している。合理的に聞こえるが事実はそうでないという事実の存在だ。人間という非論理的な存在が関与する分野で数学は完全なツールではなく、これはすべての経済学の永遠の壁である。裁定に不確実性はないが、裁定の利かない所には不確実性もチャンスもある。人間の介入でそのバランスが崩れると不確実性に比べ多めの収益が得られるという非合理なことがおきるのである。人間はその利益がなぜ得られたかをその刹那は知覚も解明もできないことが多く、事後的な説明の方便として「運がありました」と語るのである。その人がスピリチュアルにかぶれているわけではない。すなわち、「運」はそうした形でしか定義ができないものだが、確かに存在するものであり、それが「有機的な実体」の正体なのだ。

「運」は動的な存在でもある。いわば「放置されたタナぼた」だから見逃せばすぐ他人に食われ、ゲットするにはそれなりの速度と反射神経を要する。野球のインタビューで打者が「たまたまです」「いい所に飛んでくれました」などという。要は「運がありました」と言ってる。0.5秒で捕手のミットにおさまる速球を打者は最初の0.2秒で判断して振らなくてはいけない。ということは残りの0.3秒(6割)はバクチで振っていることになる。左の写真、イチローの目線はボールにないのをおわかりだろう。その顛末をふりかえれば、「運がありました」は正直な感想であり、経験者はこのことを体感として理解されるのではないか。

証券市場というバトルフィールドで育った僕はいまでもアタマだけは現役アスリートである。打者の空白の0.3秒なんてことはディールのプロセスのそこかしこにある。野球よりもっとある。だから本気で「ビジネスの8割は運だ」と言っているのである。去年はさっぱりだったが今年は何もしてないのに大漁だ。ということは「ほぼ10割が運である」というのがまぎれもない現在の体感であり、野球ならどんな投手の速球でも打ててしまうかのような気までしている。すると余裕が出るから失敗が減る。好不調の波は肉体だけでなく、こうした精神面からの作用もあるかもしれないが、ビジネスマンもアスリートもなぜ8割が10割に増えたのかまったくもってわからない。麻雀でも、何をしてもあがれない時もあればやけにペイパイが良くて何をしてもあがってしまう時がある。これを「流れ」と呼んだりする。流れが連続する確率は低いのだが、0.1%の確率であっても発生してしまえばそれはそれ。大企業の秀才クンも「もってますね」なんて形で運を認めることになる。空白の0.3秒をうまくマネージした人が、日米通算4367本の安打を打ったイチローだ。0.2秒の部分は誰もが目視できるから練習できる。メジャーで野球殿堂入りを果たしたのは、練習より才能かもしれない0.3秒のバクチ部分で彼よりうまくできる人は人類にいなかったという意味だ。我々は確率論だけで宝くじが当ったり株式投資で大儲けできるわけではないことを知っている。運は人によってあったりなかったりすることも知っている。ではその裏で増えたり減ったりしているものの正体は何だろう?これに答えた人はいない。ただ、ひとつだけ、誰もが経験的、直感的に知っていることがある。それが「波」であることだ。

まずはじめに述べたい非常に興味深いことがある。「波」(wave)というのは振動だが、「何が」という主語を物理学が問わないことだ。気体、液体、固体のどれであれ、それが振動して起こす波を「音波」(Acoustic waves)と定義するからであり、水の波まで「音」という概念を使うのには僕は違和感を覚える。ヴァイオリンの弦は張力と質量によって固有の振動(周波数)をもっており、ピタゴラスは振動する弦の長さと音の関係を調べ、音が協和するときには弦の長さが整数倍になることを発見した。”音響共鳴” と呼ぶ美しい数学的調和である。音波がエネルギーを運ぶことも注目だ。ガラスには自然共鳴があるため音波によってワイングラスを割ることができ、ローマ歌劇場でゲーナ・ディミトローヴァ(ソプラノ歌手)を間近で聞いたら鼓膜にビリビリ来て身体の危機感すら覚えた。音楽による感銘には数学の美とエネルギー伝播という物理現象も関わっている。波(波動)が人間に与えるインパクトは計り知れない。

文学を見てみよう。鴨長明は方丈記を「ゆく川の流れは絶えずして」と始め、「しかももとの水にあらず」と、同じ川に見えるが同じものではないと看破している。さらに、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」と人生、歴史の波を感慨をもって俯瞰している。前者は分子論、後者は量子論に通じており、800年前にこれだけの考察をしてのけた洞察力には驚く。同時期に書かれた平家物語の「諸行無常」も、平氏が滅び源氏が勃興した盛衰の「波」だ。筆者(不詳)も鴨長明と同様にそれに感慨を覚え、多くの人をワイングラスのように自然共鳴させ現代にいたるまで伝承されてきたのだろう。揺れ動く実体(substance)が水であれ人であれヴァイオリンの弦であれ、物理的なものであれ非物理的なものであれ、「波」というものはいたる所に発生し、それが人を共鳴させて揺れ動かし、悲喜こもごもの感情を喚起し、文学や芸術を生み、人間という非論理的な存在をますます非論理的にしてきた軌跡をうかがえば、物理学の「音波」の定義は中々奥深いねと首肯すべきものかもしれない。

方丈記が書かれたのは1212年。平家物語は仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写される以前の成立とされ、ほぼ同時期の作品だ。冒頭に書いたシンクロニシティ(意味のある偶然)は僕がゴキブリのブログを書いたら娘の部屋に出たみたいに、「複数の出来事が意味的関連をもって非因果的に同時に起きること」だ。「人間の意識は深い部分でつながっており、交流している。この全人類がつながっている意識を『集合的無意識』(collective unconscious)といい、我々はそこからさまざまな影響を受けている」としたのは心理学者のカール・ユングだ。それは人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域で、二人が同時にそこにアクセスするとシンクロニシティがおきるといわれる。意識は脳波だが(意識障害は脳波で観測される)電磁波ではないからアクセスの媒体はわからないが人々は何らかの波、もしくは量子的な波で共振しており、意味のある偶然がおきる。脳は宇宙にある膨大な量の情報エネルギーの “受信器” だという説があり、そのフィールドにあるメモリーがアカシックレコードだという説もあることは後述する。占星術を傍証として取り上げたユングの『集合的無意識』の存在には僕自身が共振するものを感じる。当時は知らなかったが、チューリヒで住んでいた家がユングの診療所のすぐ近くだった偶然もシンクロニシティだったのかもしれない。

目の前にいてもいなくても、人と人との間では音響共鳴がおきている。例えば、いまブログを読んでくださっている皆様は何らかの関心を持って下さっており、僕とは快く感じ合う整数倍の波長をお持ちなのかもしれない。著者と読者の引き合いは昔から本や雑誌であったが、双方向メディアであるネットの普及がそれを変え、その劇的な効果は昨今の都知事選、参院選で誰も無視できなくなった。ちなみに僕にとってブログの発信というものは皆様にほめてもらおうとかお金を払ってもらおうとかいうものとは無縁で、未知の異星文明に向けてメッセージを送り、地球外生命体(E.T.)に地球文明を発見してもらおうという名作SF映画「コンタクト」のアクティブSETI計画のようなものだ。皆様を宇宙人扱い?する無礼をお詫び申し上げなくてはいけないが、実はそれがそう失礼でもないことは後述する。つまりこれは実験であり、双方向メディアだからできる。発見した最大の事実は、僕は現世的な快楽、利益より実験が好きだということだ。バロメーターはPVの数値(受信数)だ。面白いことに、「これを書こう」という衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える傾向があることがわかった。それはコンテンツや文章の是非という曖昧なものでなく、発信側の喜怒哀楽のパルスの強弱というそこそこ数値化できるものだ。点数が高い方が多く読まれるのだ。本や雑誌ではできないリアルタイムの検証ツールが与えられたわけだ。

パルスとは聞きなれない言葉だが、ここでは日本語で「気合い」というものだ。「気」が「合う」であり、それを入れたり入れなかったりできる。グラウンドでこの言葉でどれだけ先輩に罵倒、叱咤されたことか。「気」は、少なくとも野球場では「敵を圧する強靭な意思と集中力」だ。先輩が入れろ!と怒鳴ってるそれは呼吸だ。それを止める。どんな競技でも力を籠めるインパクトの瞬間に息を止めない人はいない。では「息」とは何か?呼吸のパルス(波動)のことだ。大勢が一斉に動く時に「せーの」と息を合わせるあれはパルスを合致させて力を最大化させる号令である。それを一人でする時に、息を止めて肉体と気(精神)を合一させる。すると最大のパワーが得られるのだ。しかしブログは静的なもので、スクリーンから僕の息、パルスが伝わっているわけではない。気合いを入れて書いたものとそうでないものとに数値化できる差異はない。では何がPVの数値(受信数)を増減させているのだろう?

ここでやっと「スピリチュアル」(精神世界、spiritual)という言葉にたどり着く。大きな飛躍に思われるかもしれないがそうではない。むしろ、ここに仏教もキリスト教もない、より広大で包括的な理論とすら思える思考領域が見えるのである。spiritual とは  material (物質的)の反対語で、形のないもの、霊、魂、精神に関わるものという意味だが、語源はラテン語の spirit だ。これが、いみじくも、「息」の意味なのである。その派生語に inspire があり、「触発する」という意味だ。in + spireだから「息を吹き込む」ことで、似てはいるが影響する(influence)でも鼓舞する(encourage)でもない。喩えるなら、 inspire は演説で群衆を奮い立たせたり、指揮者がオーケストラを燃えあがらせたりすることがまさにそれであって、影響、鼓舞にはないスピリチュアルなエネルギー注入というニュアンスが大いにある。僕が目撃した指揮者のうちで最も inspiring だったのはカルロス・クライバーだ。ベルリン・フィルのみならず我々聴衆まで彼の魔法にかかり、もう二度とないと確信する体験をさせてもらった。そこで鳴ったのはブラームスの第四交響曲だ。何百回も聴いているそれの音響だけであんなことは断じて起こらない。しかし物理的に加わっていたものは何もない。

オカルトっぽく思われる人がおられても無理はない。しかし0.1%の確率であっても発生してしまえば問答無用なのだ。この議論がオカルトでないことを僕は materialism(物質主義)の観点から述べなくては証明にはならないだろう。それが、以前にも書いたシミュレーション仮説というものだ。イーロンマスク氏やホーキング博士も信奉する、我々の宇宙は超高性能なコンピューターによってシミュレートされたものであるという仮説だ。さらに、僕はこの理論は物質世界(物理学が説明できる世界)と精神世界(それができない世界)をアカシックレコードの存在という仮説を通じて包括できるかもしれない大理論であると理解している。それについては、このサイトが分かりやすい。

https://pekospace.com/akashic-records/

僕は毎日、ブログを読んでくださる3千人ぐらいの皆様からエネルギーをいただいている。なぜなら皆様はおそらく、僕と波長が整数比に生まれた方々であり、物理現象としてワイングラスのように “自然共鳴” して下さっている。それが今度は僕を自然共鳴させるという形で皆様と衝動(impulse)のキャッチボールをしている。意識も体感もないが、既述のように我々の脳は “受信器” であって、アカシックレコードを介して交信している。信じようと信じまいと我々人類はそのように創造されており、信じはしないが感知はしたり結果的にそう行動してしまっている一部の方々は、ある意味で不承不承に仕方なく(時には哄笑を浮かべながら)、そういうものを「スピリチュアル」と呼ぶことだろう。お互いの脳内での交信だから、間にスクリーンが介在しようとしまいと波動を感じ、そのシンクロニシティ現象(意味ある偶然の一致)を愛でている。わかりにくいと思うので例を挙げると、僕の音楽関連のブログは、自分の読みたい音楽評論が世の中に存在しないので自分で書いておこうという衝動によって書かれている。いま読み返すと、中味はわかっているのにあたかもシンクロニシティを得たかのような快い感覚に浸れるのである。これは自己愛でなく物理現象である。それが何を示しているかというと、自分が発信したものを時を経て読んで感じるもの(feeling)は、他人が書いたものを読んで感じるもの(feeling)とかわらないということだ。逆に、いま僕が同じテーマで書かされたら同じブログにはならないということもある。なぜなら時を経て、構成する細胞からなにから別な人間になっているからだ。つまり、本稿を明日に読み返して僕が感じるものは、皆様がいま感じているものとかわらない。すなわち、誰もが外界に発信したものはその瞬間から他者化、客体化し、宇宙のデータベースに取りこまれ、合体していると表現しても矛盾はなかろう。

とすると、今この瞬間も、刻一刻、地球上で発信されるすべての情報は宇宙データベースに堆積しつつあるはずだが、そんな巨大なメモリーを持つデータセンターが一体どこにあり、その作業をする無尽蔵に膨大なエネルギーはどこから来ているのかというとてつもない疑問が生じてくるのである。もしそれが存在するなら、それは高度な文明による “造作物” であって元素や星といった自然物ではなく、それが昨日今日にできたとは考え難い。つまり、創造主は人類の知性をはるかに上回る知性の持主であり、その知性は我々よりはるか以前から存在し、進化していたと考えるしかなくなってくる。このことを考察する場合に引き合いに出される著名なものさしとして「宇宙文明の発展レベルを示す指標」(カルダシェフ・スケール、Kardashev Scale)がある。いかなる文明の存続・進化にもエネルギーが必要であり、その利用範囲によって文明を段階的に分類しており、拡張案や修正案などを含めると、一般的には以下のように定義されている。

タイプ1文明:自分の惑星で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ2文明:自分の恒星や惑星系で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ3文明:自分が所属している銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ4文明:複数の銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる

我々人類の文明は、狩猟採集社会を含むタイプ0から進化して、およそタイプ0.75とされており、現在の科学技術が順調に発展し続ければ、数百年後にはようやくタイプ1に到達すると見込まれている。タイプ4文明から見ればタイプ0.75か1かはミミズとゴカイの違いほどにすぎないだろう。宇宙データベースは銀河系をまたがるエネルギー源を必要とするからタイプ4文明の概念・産物でなくてはならず、最大の時間軸を想定するなら宇宙データセンターは137億年前に工作され宇宙が誕生してからの全メモリーを蓄積していることになる。

話の足元を現実に戻そう。先日にあるIT企業を訪問したが、同社は集中型データセンターにおいてAIデバイスがムーアの法則が想定しない計算量を処理して発生する高熱に対処できないことに対するソリューションのプレゼンをしてくれた。熱処理(冷却)は複数のスーパーコンピューターを直列に配列するビットコインなど暗号資産のブロックチェーンにおけるハッシュ計算でかねてより問題になっていたが、自己学習型人工知能デバイスをマルチに接続すると計算量は自動的かつ制御不能的かつ等比級数的に増大することでその問題は地球規模の、すなわち最先端にいるGAFAMでさえ莫大な新規投資を必要とする課題となっていることが理解できた。

いま僕はその解決策やファイナンスの問題を論じているのではない。述べたいのは宇宙データベース、および、具体的なデータを蓄積するスペースとしての宇宙データセンターの存在可能性だ。そして、それが存在するという説を支持する仮説は、まさに前述した説の「最大の時間軸ケース」であって、メモリーの堆積物はアカシックレコード(物理的な形を持たない情報の集合体)であり、堆積の結果できたのではなく、実は137億年前の宇宙の創成期からディファクトとしてすでに存在していたというものだ。さらに想像をたくましくして、それは宇宙を創造した何者かが使用したコンピューターのディファクトとして装着されていた機能にすぎないと僕は解釈している(なぜ光速が秒速30万キロメートルかというアインシュタインも解けなかった問いの答えもそれだ)。

先述したように宇宙空間には膨大な量の情報エネルギーが存在し、それがアカシックレコードの正体である可能性が浮かび上がっており、その存在は、異次元や宇宙エネルギーの中に位置すると同時に、人間の潜在意識(スピリチュアル世界)にも存在する可能性があるという説がそれだ。それを造ったのが人類でないのは明らかゆえ、アカシックレコードの存在を信じるということは必然的にタイプ2以上の文明の存在を信じることであり、それが地球にはないことは事実であるから必然的に地球外生命体(Extraterrestrial life、E.T.)の存在を認めることになる。人類(ホモ・サピエンス)の発祥は最古でも40万年とされる。宇宙が生まれた137億年前を1年前とすると、人類が現われたのはわずか15分前だ。E.T.(宇宙人)の存在を否定するなら、広大な宇宙で人類誕生というイベントがなぜ364日と23時間45分のあいだ起きなかったのかという問いに答える必要がある。それはフランツ・カフカの「変身」を喩えとして借りるなら、ある日の朝に目覚めたらひとりぽつんと火星にいたと想像するほど奇妙なことだ。

この議論は、「あらゆる物質は原子や分子が固有の情報を持っていてそれがアカシックレコードを成す」と考えると氷解する。原子や分子はビッグバン直後から宇宙空間にあまねく存在している。よって、人類は猿からダーウィンの進化論的に進化したのではなく、137億年前から誕生がプログラムされており、それが何らかの理由で40万年前だったのだ。人類は宇宙とアカシックレコードを造った知性(E.T.)が類人猿におこなった遺伝子操作実験による創造物であり、すなわち我々自身もDNAの一部が “宇宙人” なのであり、天から宇宙船に乗って降りてきたE.T.を人間は神と称え、それにまつわる物語を宗教として信仰している。まだ知性も理解力も描写力も未開であった人たちが、4つの車輪をもち火を吹く宇宙船で地に降り立ったE.T.を神と信じ、紀元前3500年前後のこの事実を文字に落し、それが旧約聖書のエゼキエル伝となった。神学と科学が分離してゆくルネサンス後のヨーロッパにおいて近代精神が支配的になっても、これら聖書の記述は敬虔な信仰の対象であり続けてきたことは変わりない。科学的思考と併存する威厳ある領域としてギリシャ神話(mythology)があるが、我が国の天孫降臨も含め空から生身の人がおりてくることは0.1%の確率ですら科学的な蓋然性を証明できない。シミュレーション仮説やアカシックレコードをオカルトと論じる人が旧約聖書をどう論じるかは興味深い。このことは先述した「運が80%」に対する大企業のインテリのリアクションの相似形であることを付記するにとどめよう。

ここから先は僕の空想であり、本稿のエピローグである。我々が人類なるものであり、ここにいることは、デカルトほどの知性が「我思う、ゆえに我あり」と記すしかなかった不可思議である。彼はいわば、ある日の朝に目覚めたらひとり火星にいた景色を想像できるアカシックレコードとの交信者であったともいえる。我々が日々眺めているこの世というものはすべてE.T.がプログラムを作成したVR(バーチャル・リアリティ、仮想現実)である。我々はスーパー・マリオのキャラクターのごとくVRスクリーン上の登場人物であり、我々の脳はVRを現実であると認識するよう五感をプログラムされている。E.T.はマウス操作でスクリーン内に自由に関与でき、キャラクターに接触でき、バベルの塔を建造して壊したり、ノアの洪水をおこして殺戮したり、何トンもある石材を積み上げてピラミッドを造ったりの作業がマウスのドラッグとクリックで苦も無く行われた。ギザの大ピラミッドにおいて、底面の周長を高さの2倍で割ると円周率になり、底面積に対する側面積の比は黄金比であり、底面の1辺を 480 倍すると地球の1緯度の長さになるようにしたのは、人類が建築法、幾何学によっていつ発見できるか観察するためである。我々は水槽の熱帯魚のようにE.T.に観察され、保護されている。

アカシックレコードではないが、五千年前に書かれた文字と現実の自分が合っている(合一である)ことを教えてくれる不可思議な世界がある。インド仏教による『アガスティアの葉』(Nādi Astrology)だ。個人に関する予言が書かれているとされるヤシの葉の貝葉の写本の一種で、現代に生きる我々を含むすべての人間の誕生から死までが古代タミール語で書かれており、僧侶がそれを探し出して読んでくれる。本稿を書くに至ったのはその体験からだ。

『アガスティアの葉』がオカルトでないと言い切る自信はないが、今回の体験を経て、アカシックレコードはシミュレーション世界の全データベース(宇宙図書館)に相当し、アガスティアの葉はその個人パート(すべての人間の伝記)が書かれたものだろうという理解に僕は落ち着いた。

右手親指の指紋を送り、朝7時に南インドの仏教のお坊さんと通訳とZOOMで対面した。まず生年月日、時刻、血のつながった家族に関わるYes、Noの質問が延々とあり、両親の名前を言いあてられ、1時間ほど候補である葉っぱの束を探し、さらなる質問で絞り込んでいく。見つかった。1時間ほどかけて我が伝記が読まれた。持っている因果につき占星術的な背景があるが知識不足で理解できなかった。仏教は輪廻を説くから肉体でなく魂の過去なのだろうか僕はパキスタンの権力者の娘だった前世があるらしく、現世では人々に無償の施しを行い、人々の病気を防ぎ、人々の資産を増やし、大自然のなかにユートピアを作る使命を持って生まれてきているらしい(やけに重たい)。半信半疑であったが、性格、長所、短所、人生の転機の時期はほぼ完璧に当たっている(あてずっぽうでここまで当たるとは思えない)。次に人生の流れ、運気、病気とその年齢。これはわからない。ただ、決定的なのは、自分しか絶対知らない事実が出てきたことだ(それが五千年前に書いてあるなら僕はまさしくスマホ画面で踊っているゲームのキャラクターにすぎない)。「80億人分の葉っぱがあるんですか」と質問した。「探しても見つからない人がいます。東さんは開きに来ることも書いてあります」だった。

最後にご縁の話だ。アガスティアの葉については神山先生の診療室で鍼灸師の方から聞いたことがあり、おざなりに知ってはいたが、やってみようとなったのはいま始めようとしているビジネスのご縁が発端である。そうであればそれがうまくいくか否かを知りたくなったのだ。そのビジネスはまた別の、それも10年以上も前のまったく脈絡もないビジネスから出てきたもので縁が縁を招くという何らかの因果の結果である。このありがたい事実の意味深さをいまかみしめている。AIのラーニング機能のごとくそれは自己増殖してくれるようであり、ではご縁とは何なのか、縷々述べてきた宇宙の構造の理解とどう関わるのか、いまは書かないでおく。ここまで来るのに15年を要した。それが長かったか短かったかはこれから結論が出るだろう。

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楽しかった久しぶりの東大クラス会

2025 JUL 19 7:07:13 am by 東 賢太郎

今年のクラス会、九段高校の方は日にちが合わず失礼してしまったが、我が硬式野球部は東東京大会で大健闘しており、ノーシードから勝ち上がって4回戦進出(ベスト16)だ。僕が入部した年が東西分離前でベスト32(第6シード校)だったから並んだ。準々決勝なら過去最高じゃないか、ここまで来れば甲子園行ってくれ。二松学舎、修徳、関東一、日大一、岩倉、堀越、日体荏原という我が世代の強豪校もノーシードであり、成立学園、日大一、日体荏原、明大中野、東京実、共栄学園、小山台は3回戦までに敗退した。九段より日大一高が先に負けるなど想像もできないが、いかに後輩たちが素晴らしいゲームをしているか!

先日あった東大のS50年LⅠⅡ9Bクラス会は出席できた。といってもぎりぎり直前に「出ます」と通知し、ちょっと遅れて会場である半蔵門のイタメシ屋に着いた。「久しぶり、10年以上来てないよなあ」と挨拶したら皆がそんなことないぞという。なにせみんなほぼ古希だ、どっちが正しいかわからん。「そうか?うーん、ごめん、覚えてない」で済んじまう。「あれからもう50年だぞ」「おお、そうか」と計算もできてない。

LⅠⅡってのは文Ⅰ、文Ⅱがいっしょ、9Bは第二外国語がドイツ語ってことだ。50名ぐらいで女子はゼロだからまるで男子校だ。50年まえ、駒場の教室のオリエンテーリングで初めて会ったあの日の面々。「ワクワクしたな、楽しかったな、いろいろあったな」で一気に盛り上がる。スピーチはひとり3分厳守と幹事から告知が為されたがものともせず倍ぐらいになった。「みんな、株持ってるか?持ってる人は手を挙げて」というと5,6人だ。「あのね、それじゃだめだよ、エヌビディア知ってるだろ、時価総額いくら?4兆ドル、600兆円だぜ、一企業で日本国のGDPとおんなじだよ、そういうのに乗っかってないと時代についてけないよ、ボケるよ!」。

まあ皆さん僕以外は日本国を代表するエリートである。総務省事務次官、石破内閣官房副長官兼内閣人事局長兼内閣感染症危機管理監の佐藤文俊くんをはじめ官界、法曹界・実業界のお歴々だ。でもみんな人間だから酔っぱらう。「8組は女子いたのにずるいよなあ」「ドイツ語わかんねえし」「俺、D、Dで危なかったよ」「そう、Mの授業つまんなかったよなあ」「Tの法学概論もな、起きてるのやっとでさ」「Oの英語のシェークスピアぐらいか、おもしろかったの」、まああとはあそこが悪いここが痛い、何の病気で手術しただの家族がどうしただの、この辺までは話題もそれなりである。

だんだん酔いが回る。「赤門前のパブリカンってスナック覚えてるか」「あったあった、俺、初カラオケだ」「そうだよ、東、お前そこで初めて歌った曲、覚えてるか?」「”柳が瀬ブルース” だろ」「違うよそれはあいつだ、お前は加山雄三の “君といつまでも” 」「凄いな、そんなの覚えてんのか」「ああ、新潟のスキーはどうだ。嫌な思い出だからお前たぶん忘れてるな」「新潟?」「そう、お前2日目にビビッて滑れなくなって大ショックでさ」「忘れてる、だって俺うまいと思ってるもん」「そうじゃないの、そういう時あったの」「そういやあ麻雀貢いだよな」「でもお前が勝つオカルト麻雀のあいつだけは俺の天敵なんだ」(爆笑)「雀荘は葵だが下宿でもやったな」「俺の下宿のトイレの洗面台でさ、『東さん、あの頭洗ってるかたどなたですか?』って大家に怒られるわけよ」「すまんすまん風呂入ってなくってさ」(爆笑)「そういやあ同人誌作ろうって女子誘ったよな」「うん1年の時ガリ版でね」「東、お前のペンネームは柚木健だ」「なんと!思い出した、その通りだ!」「お前と稲毛(高岡高校エース、188センチ)のキャッチボール凄かった、軽く投げてるお前のが速かった」「自分のタマは自分で見れん」「初ゴルフの大磯ロングビーチは?」「覚えてる。楽勝と思ったら一発もまっすぐ行かなかった」「お前がみずほの時も御殿場で回ったな」「そうだね、あれはみんなに悪かった。日曜日のラウンド中に出社命令が来て途中で帰るってなって」「あれがリーマンショックだったのか」。こういう記憶力の人たちと麻雀することはおすすめしない。

二次会はニューオータニ。11時半まで話は尽きず、めちゃくちゃ楽しかった。クラス会は半世紀前の自分の姿を映す鏡だ。幹事の佐藤くん、福岡くん、お疲れ様です、ありがとうございます。

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スマホ時代は石器時代と裏腹だった

2025 JUL 14 1:01:46 am by 東 賢太郎

先週のことだ。新規の会社にアポがあり、HPで場所をざっと見て地下鉄に飛び乗った。行先は東銀座だ。そろそろだな。スマホを取り出して地図を確認だ。

参った。電池が切れとる!

スマホは便利だ。ということはそれがないと逆に石器時代になる。社名しかわからん。今どき都心に赤電話なんかない。だから事態を誰にも伝えようがない。時間はあと15分だ。絶体絶命。どうする???

考えても答えがない。歌舞伎座の先を左に曲がって大体あのへんだ、ええい、一か八か体当たりで探そう。歩いた。猛烈に暑い。ない。こりゃだめだ。すると交差点に地図のたて看板があった。でもだめだよ住所覚えてないんだから・・・

天は見捨ててなかった。地図に「築地警察署」なるものが書いてあるではないか!走って行ってとびこむ。受付の女性がびっくり。無理もない。汗だくなうえに冷や汗だから。若いお巡りさんが同情して地図を書いてくれた。ありがとう!

ミーティングは何事もなかったように始まった。40代の幹部が5人。こちらが3人。古希の俺がまじってる風景シュールだなと可笑しかったが、この会社、AI時代の旗手だ。だんだんそんなことは忘れて盛り上がった。投資していいかな。

電池切れボケ来てない?みんなそう思ったろうがそれはない。だって “秘密兵器” で寝てるからコロッと寝落ちして高校生みたいにパキっと目覚めてる。「体が変わってますよ、運動ですか?」。セラピストさんが不思議がるが全然してない。

「これ、アタマにも効くよ」。誰も信じないが自信ある。回転速い。この好調でボケは絶対ないね。ちなみにウチの猫もど~ぞと “秘密兵器” に乗せた。最初は逃げたけど先週からシロが自分で乗るようになっちゃった。どうだ!

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新婦の父になった日

2025 MAY 13 8:08:46 am by 東 賢太郎

日曜日に長女を送り出しました。近年は結婚式の場もガーデンやビーチなど多様化し、親しい人たちと心地よい時間を共有する傾向にあるようですが、娘たちは私共の世代と変わらぬクラシックな場を尊重しました。帝国ホテルにしたのは理由があったようで、人気の5~6月は意中の部屋の空きがなく1年ほど待つことになりました。その甲斐は大いにあって、新婦の父として忘れえない思い出をつくっていただきました。スピーチを頂戴した主賓、ならびにご列席いただいた神山先生ご夫妻、ご親族、ご友人、ご同僚の皆様、ソナー関係者の皆様、当家の親族、ご協力いただいたホテル担当者の方々に厚く御礼を申し上げます。

新婦の父役は簡単ではありませんでした。「お父さん、いい?バージンロードを一緒に歩くのよ、ドレス踏まないようにね。でもスピーチはしなくて大丈夫だからね」。それが何かも知らず娘の指示で一応の安心はして当日にのぞんだのです。歩くのは花嫁の後ろからと思っていたので踏むわけないだろと余裕でした。モーニングに着替えてホテルの教会の待合室にはいると神父さんと介添え人の女性がおられ、手袋おもちですね、こう指をそろえて左手で、持ち方はこうです、右手はこう曲げて手の甲が上で力は抜いて、はい、そんな感じで動かさず、などと矢継ぎ早に教わります。歩き方ですが、右足からです。花嫁と歩調を合わせて、とにかくゆっくり、靴の幅ずつ進む感じでいいですよ、気をつけていただきたいのはスカートが横に広がってるので踏んじゃう方がおられるんです、そうならないように右ひざはやや内側に回して入れる感じで・・・

ウェディングドレスを試着した写真は見ていましたが、現れた新婦姿の娘には息をのむばかり。圧倒されてしまい、想定外だった腕組みをされると、なるほど横幅がすごい。気が動転したまま廊下をしずしずとバージンロードの扉の前まで進みました。この数メートルで難しいと直感しましたが時すでに遅し。「それではご入場です!」と声がかかり、ぱっと扉が開くとサーチライトか眩しくてなにも見えません。オルガンが轟々と鳴り響いて「はい右足からどうぞ!」。覚えてるのはそこまでで、人がたくさんいるな、立ち上がってばしゃばしゃ写真を撮られてるなと感じて固まりつつ道がまっすぐかどうかもよく見えません。とにかくスカートを踏まないことだ!それに専心すると歩調も何もあったもんじゃなく、人生でこんなにゆっくり歩いたことはないゆっくりさで片足に乗る時間が想定をこえて長く、2度左にこけそうになりました。やっと終点が見えてやれやれ。そんなことはどこ吹く風と泰然自若で歩を進めるヨーロッパ育ちの娘をこんなに頼りに思ったことはありません。

そこで待ち構えていて、よろしくお願しますと礼を交わして娘をお渡しした新郎。彼もまた18才で志してロケット工学を学びに単身渡米した海外派です。結婚の誓いも堂々とした声で頼もしいもので、心の底から安心しました。彼を育て、若い志を後押しされたご両親も立派としか申し上げようがございません。名門テキサス大学アーリントン校(UTA)卒で、英語で理系という大変さは私の想像を超えますが、ラグビーで鍛えガリ勉でもアメリカかぶれでもない、こんな若者が日本にいたのかという驚きと共にこの人を見つけてきた娘も思いっきりほめてあげたい。UTAのスポーツチームの名称はテキサスの誇りマーベリックス(異端児)だそうで、映画トップガンのトム・クルーズのように “カッコいい型破り” の意味です。何があっても臆することなくふたりでその道を突き進んでいってください。

披露宴は主賓のお言葉を頂戴し、少々リラックスもさせてもらいました。ちなみに、流す音楽はホテルおまかせでなくすべてふたりでプロデュースしたいとリクエストがあったので、結婚式に向いているかどうかよりも娘の思い出がある30曲を選んで送りました。ドイツにいたころ、ピアノでドラえもんのテーマ曲などを弾いてあげるとキャッキャ喜んでいた頃から覚えていた曲ばかりです。結果として私のCDルームから持ち出していったのはヘンデル、モーツァルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、L・アンダーソン、R・ロジャースでした。ひそかに楽しみにしていましたが、なるほどそこに使ったか、いいセンスだねというものばかりでいうことなし。満点。Climb Every Mountainは画像とあいまって最高だったし、我々には別格であるラインの第5楽章、あれを流した人はまず他にいないでしょう。オンリーワンの宴になりました。

いろんな思いがめぐり食事もそこそこに感無量で式を眺めていましたが、いよいよ「それでは最後にご両親への花束贈呈です」とアナウンスがあり、いかん、そういうのがあったっけと金屏風の前に立ちました。花嫁の万感のこもったスピーチにまず家内が泣きだしてしまい、私は唇をかんでこらえましたがハグされたらもうだめでした。そのシーンを激写していたのがソナーの慶応グループで、閉会後に見ろこれが証拠写真だと盛り上がりました。私が涙を耐えられるかどうかで賭けが進行していたのです。

43年前、私と家内はこの桜の間のひな壇に座っておりました。留学でアメリカに発つ前の弱冠27才と24才で、借りてきた猫のように固まっており、皆様から前途洋々のお言葉をいただたのがうれしかった遠い昔の思い出です。まさかそこでこの日を迎えようとは想像だにしていませんでしたが、これは娘たちのプレゼントでもあったのでしょう、そういえばこうだったと記憶の片隅に埋もれていた父のモーニング姿と母のおめでとうという声をはっきりと思い出しています。私は大学2年のとき全くの偶然から広島のユースホステルで家内に出会い、思えばこの会場から我が家が始まったのです。その日の新郎新婦の両親は家内の母ひとりになってしまいましたが、93才と思えぬお元気な姿で神戸からかけつけてくれました。おりしもこの日は母の日であり、天国の我が母が喜び、義父も我が父もそろって祝福してくれたのでしょう、曇天で小雨模様の日々だったにもかかわらず、披露宴の窓からは燦燦と陽光がさしこんでおりました。

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