Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 徒然に

大江戸な一日(国立能楽堂と新宿末廣亭)

2019 MAY 20 6:06:36 am by 東 賢太郎

SMCメンバーの阿曾 靖子さんのお手引きで国立能楽堂で能(田村)、狂言(萩大名)を観ました。ここは2回目です。お招き感謝します。ド素人ですから無粋なことは書きませんが、前回もそうだったように異次元の空間に入り込んだような気分で、終演後は別の人になって能楽堂を後にします。歌舞伎ともちょっとちがう、浮き立ったものはなくてむしろ心が広々と静まりますね。いいものです。能が足利、織田、豊臣が保護したオペラなら歌舞伎は江戸町人のミュージカルという感じでしょうか。

プロの方とアマチュアの方が混合なのですが、前回は恥ずかしながらその区別がつきませんでした。今回は囃子方がオーケストラ、謡が合唱団とわかってきて、そこがプロで固まれば舞はアマチュア(勿論修練されればですが)でもいけるのかななんてことを考えながらおりました。信長、秀吉が舞台にはまった背景はそれかもしれませんね。野村萬斎の萩大名、片山九郎右衛門、観世喜正の仕舞などやはりオーラがあって、異界を楽しませてもらいました。

娘がいたもので終了後は新宿の寄席、末廣亭へ。午後の部の中入りまでじっくり落語、漫才、手品を楽しみました。この一週間、大相撲、能・狂が言、寄席と江戸文化のオンパレで、全部が異界でありましたが金融なんてドライなものをやってますと、人肌があってしっとりしてよろしかったですね。生き返ります。

寄席はどれも存分に笑いました。僕は寄席もお笑いも大好きなんです、一日中いてもいいぐらい。漫才の「ホームラン」さんが昭和の同世代の笑いで面白かった。ハズキルーペ、ひじかたきくぞう、最高。応援したいですね。こういうネタはその人がどういうものが面白いかってことで、ケミストリーというぐらいだから同じものが笑える人は気が合うということなんで。僕も日々全く自然に面白いものを探して生きてまして、別に人に聞かせるわけでもないですが、人生楽しくて明るいほうが幸せですよね。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

久しぶりの相撲見物

2019 MAY 16 0:00:43 am by 東 賢太郎


日ごろお世話になってる公認会計士のA先生のお手引きで令和2日目の蔵前国技館へ。正面の升席で天覧席の真下、NHKの放送席の目線。この席は買えません。大学同学部の財界、官界大先輩お二人とご一緒しすっかり楽しみましたが、弊社社員までお気遣いをいただき深謝です。後ろの解説席には稀勢の里がおり、「今場所出たら優勝ですね」とつぶやいたらお隣の升から「そうですね」の声。彼の引退は巨人の高橋由伸と重なるものがあります。

先輩方とホットな話題になったのは「トランプはどうやって警護するんだろう?」でした。「彼のことだから砂かぶり席だろう、こうやって見ると180度どこからでも狙えるね」「検問するんだろうけど出入りが危ないよ」「サントリーホールは皇室用の出入り口があるけどね」「金属は検問にかかるが吹き矢で高性能のものがある」などなど。

解説の元横綱稀勢の里

さてA先生のごひいきは関取最年長の安美錦で、ふつう女性は若いイケメンと思いきやこのシブさはさすがのご造詣です。安美錦は最高位は関脇ですが900勝してる実力者で技も豊富です。いいですね。ちなみに僕のひいきは同郷(石川県鳳珠郡穴水町)の遠藤ですとメールしたらすぐこの写真が(右)。穴水町は人口8,455人、3,768世帯ですから応援するしかありません。

すっかり元気をもらいました。帰り際に皆さんで行った甘味処で「北の湖の肩を叩いたら石みたいだった、肥満に見えるけど全部筋肉なんですね」というところから、こっちはただのデブなんで「いまけっこう真面目に筋トレやってます」と話したらA先生、税理士のS先生の女性軍もさらっと「私も鍛えてますよ」と意外な展開に。お二人はシェイプアップでちょっと目的は違いますが。

ということで、今週は相撲、野球、コンサート、能楽に筋トレがあっておかげさまでストレス解消させていただいてます。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

2勝4敗で終わった平成の人生双六

2019 APR 30 22:22:36 pm by 東 賢太郎

平成が終わります。ちょうどソナーのHPを刷新するのでそちらに書いたブログを読み返していると、こんなのがありました。一昨年の3月のものです。

 

2017.3.28.
人生、5年区切りの勝ち、負けは?』 

オリンピック、高校野球、WBC、そして大相撲優勝決定戦、ゴルフのプレーオフ、どれも面白い。なぜだろう?

それはサドンデス(負けたら終わり)の切羽詰まった戦いだからでしょう。我々の人生でそういう場面はそうあるわけではありません。入試、入社面接、プレゼンなど無いわけではないですが、トップアスリートの頂点をかけた戦いに比べれば負けたっていくらも救いはありますね。

僕は勉強も運動もエリートだったことはなく、負けた記憶のほうがずっと多いしそれをよく覚えてもいます。人生を生れてから5年区切りで勝ち、負けをつけてくると何勝何敗かという話があって、60才だと12回の勝負があるわけですが、勝ったと思うのは16-20才、36-40才、51-55才だけです。3勝9敗の人生です。

3回の勝ちは大学入試、出世、転職というサドンデスがあって偶然うまくいった。それが自信になって厳しい業界を生きてこられました。しかし、いま振り返りますと、うまくいったのは多分に運だったと思うのです。努力はしましたが、実力以上の結果が出るツキがあったことは間違いありません。

その3回とも、すぐ前の11-15、31-35、46-50才が負け期間です、何をやってもだめな雌伏の時期があって、そこで耐え苦しんで何らかの「貯金」ができていたように思うのです。これは後講釈ですし、その時は必死にもがいていただけで貯金しようなどと思う余裕すらありませんでしたが。

プロ野球の名選手、名監督の野村克也さんが「負けに不思議の負けなし」と言われるのが今になってわかった気がします。雌伏の時期に連戦連敗して悔しく、ちくしょうと思って勝ち方を研究した。その負のエネルギーが正に転じたら勝ったのです。連勝だったら僕は何も学ばず還暦になっていたと思います。

甲子園を見ていて、あの延長15回引き分けを2試合ですね、そこでハタと気がついたのです。「負けなきゃ勝ちだ」ということを。自分は三振を取ってねじふせるのがいい投手と思ってましたが、自軍が取った点数以上を与えなければいいやという投球をしていたらもっと結果はよかったかなと62才になって気づいたのです。

人生もおんなじで、毎日サドンデスなどできないし必要もない。一度も勝たなくたって我慢して諦めずに「そこ」に残っていれば、ツキのほうが寄ってくる。思えば、僕の3回の勝ちはまさにそれだったのです。

それには一つだけ条件が合って、「試合」はしていることなんですね。とにかく戦って、負けても仕方ないが、ちくしょうとは思って、負けない努力だけは毎日コツコツとすること。試合から逃げると人間もうだめです。なぜなら「五感」が働かなくなる。どんなに優秀でも頭脳明晰でもそうなると五感を磨いた人には負けます。それは不思議の負けでない、当然の負けなのです。

そうやっていると次の5年でツキが来て、それは神様平等で誰にも来るものは来ます、そこで五感が働いてそれをつかもうと自然に体が動くのです。五感が鈍った人は気がつかずに見逃がします。つかんだ人はそこで勝ちの5年になって、自分がステップアップする。次元が変わる、この感じは僕の同世代で自分もあるぞと体験された方も多いのではないでしょうか。

56-60才の5年は明らかに負けの時期、雌伏期でした。さてそれがここで吉と出るのか、もう5年だめなのか?さっぱりわかりませんが、ちくしょうと思って諦めない、その気力だけはまだ残っている気がいたします。5年生きてればですが・・。

 

そうですね、今もそう思っています。僕の人生双六(すごろく)、このブログを書いた時点で3勝9敗でした。60-64才も勝ったとはとうてい言えないので今で3勝10敗です。昭和が1勝6敗、平成が2勝4敗。昭和時代、つまり34才まではほとんどいいことはなく、平成は多少良くなりましたが、でもそこだけ見るとやっぱり2つ負け越しで終わりました。謙遜でもなんでもなく、その5年5年をクールに評価するとそうなのです。負けというのは、積極的な大失敗もあったし、消極的にチャンスを見逃してしまったのもあります。

ところが、書きました通り3回だけ大きなツキが来て、ヨシッと思ってもがいてみたらラッキーな展開になり、なんとなく結果オーライになりました。失敗から学ぼうと悔しまぎれの努力は確かにしたのですが、思えばそれがあって次にうまくいったという格好いいものではなく、むしろ単純に、その刹那の運がよかったと思います。しつこくあきらめなかった、それだけです。

令和という3つ目の時代がどうなるのかわかる由もありませんが、ツキが来るのか来ないのか、来ればまたもがけばいいし、来なければ今度はもうそろそろあきらめるしかないでしょう。そう思いましたので今日、岩佐君に来てもらって僕がやりたいことを5時間かけてじっくり議論し、お伝えしました。いい時代になるかどうか、社員の皆さんに託しますし、あとの運は天に任せます。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

太閤秀吉の完全犯罪(私説・本能寺の変)

2019 APR 26 1:01:04 am by 東 賢太郎

10年ほど前に福岡に行ったおり、秀吉が朝鮮出兵した「文禄・慶長の役」の折に諸大名を集結した基地である名護屋城跡を見に佐賀へ行った。韓国で秀吉は蛇蝎の扱いであって、平城まで攻め込んできた日本軍に立ち向かった李 舜臣(イ・スンシン)将軍は救国の英雄である。彼を知らない韓国人はいないから、ということは秀吉を知らない人もいないということだ。朝鮮出兵といわれ、結果的にはそういうことになってしまったが、本来の目的は「唐(明国)入り」であった。経路とされた朝鮮には迷惑至極な話だったが、逆に日本が侵略されかかった元寇もあるのだから秀吉の頭の中ではあいこの話だったかもしれない。

その時に名護屋城跡で眼下に見た玄界灘の光景が記憶に焼きついていて、のちに安土城址から眺望した琵琶湖の姿にそれが重なった。「唐入り」は周知のようにもともと信長のプランであり、重用したルイス・フロイスらイエズス会宣教師から得た地球の地理・地勢、天文学、航海術、宗教、交易の利、近隣国の政治情勢などに関わる知識とビジョンを彼は持っていて、それを若者に学ばせようと安土城の麓にセミナリオ(学校)まで造らせている。彼は神仏にすがらぬ唯物論的思考の人で、思考が合えば人種も宗教も一気に飛び越えられる。西洋人的であり、今流ならグローバルである。一方のイエズス会としてそれは無償のサービスであるはずがない。日本はもとより、強大な武力を有する信長を焚き付けて大国・明を攻め落とさせ、中国大陸に布教を進めようという下心があったと思われる。

しかし秀吉はというと信長の唯物論はかけらもない。やがてイエズス会を異質なものとして警戒し全面的に追放してしまうのだから、国内に焚き付ける者はもういなくなった。そこに「唐入り」プランだけが頑迷に彼の頭に残ったのは思えば奇異だ。それも病がちになる最晩年である。聚楽第から指揮しようというのではなく自ら朝鮮に渡るとまで言い放って名護屋に陣を構えた執着ぶりは生命を賭したもので、部下となった諸大名の心を外敵との戦さに向けさせる必要があったとはいえ、そこに勝算があると信じこめた彼のポジティブ・シンキングはビジネス的視点からすると誠に凄まじい。ただでさえ常軌でない日々を生きた戦国武将の心を平和ボケした現代人の常識や正義感で読み解くことには抵抗感を覚えるが、このケースはそうと知っていてもなお、凄まじい。

を囲む諸大名の陣形はこうだ。まさしくこの時点での戦国武将オールスターであって、徳川家康はもとより信長の次男、織田信勝、かつて三法師であった孫の織田秀信の名も見える。ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には「野も山も空いたところがない」と水戸の平塚滝俊が書状に記している。誰も来たくなかったし、まして荒海を渡って未知の土地で手の内の知れぬ異国人と斬りあいなどしたくなかったろう。全員が殿の乱心と見て取ったろうが、それが政権での仕事なのであり、権力には服従するしかない。秀長がなくなり、利休を切腹させ、鶴丸をなくし、母をなくし、秀頼が生まれ、そして後継含みの関白を譲ったはずの秀次を切腹させた秀吉がここにいた。老いのあがきや狂気と通解されるが、信長の残虐と同様に現代人の善悪観念では量り得ないものがあると思う。

後の関ケ原合戦での東軍、西軍の色分けを見ると、城周辺に東軍が多く、石田三成は離れて後方を固めているが、注目したいのは足利義昭の名がみえることだ。武力は期待できない征夷大将軍がなぜ陣を張ったのだろうか?

本能寺の変の真相、黒幕探しは諸説の百花繚乱だ。大体目を通したが、真犯人は秀吉という説が格段に面白い。文献資料がないため俗説扱いされるが、長年ビジネスの権謀術数でもまれた僕にはけっこうリアリティがある。ぜんぜん「あり」だ。なぜなら、秀吉は戦さもうまかったが、天下を取れたのは「調略」の達人だったからだ。「人たらし」という評判は、調略能力が上司に対して行使された場合のいち名称に過ぎないわけである。ビジネス界にもへたな調略だけで飯を食ってるしょうもない奴がいて僕は蛇蝎かゴキブリと思い成敗してきた。しかし達人の域のは手ごわい。逆に痛い目にあわされるし、誰が仕掛けているかわからない危うさがあって毛沢東が三国志を愛読したのはわかる気がする。そういう生々しい体験から本稿を書いており、もちろん僕も調略を試みたことがあるが、うまくいかなかったことを告白しておく。はっきりいって、へたくそである。そんなつまらん労力を使うなら集中力を高めて中央突破したほうがよっぽど早いし、痛快でもある。

調略は人知れず行うから調略なのであって、書面、書簡に残すような馬鹿はおらず、爾後に口を滑らすような相手は殺すか最初から輪に加えないのは常識である。秀吉がこんなこと言ってたぞと口が軽い奴、命令通りに動かない奴は一切信用せず、こういうお家の一大事には関わらせないのである。つまり「秀吉真犯人説は一級文献資料がない」という批判は、秀吉のクレバーさと完全犯罪を証明する言葉ではあっても、批判としてはまったくナンセンスである。むしろ資料がないからどれもが真相であり得るのであって、しかも誰でも推理ゲームに参加できる。若い頃は関心がわかなかったが、この年になってみて、この場面ではこう考えるだろう、こう動くだろうという読み方ができるようになって俄然面白くなった。そこへ岐阜に行って、関ヶ原古戦場のあちこちに立ってみて、戦国時代好きにまたまた火がついてしまった。歴史は本当に面白い。以下私見を書き連ねるが、まったく何の根拠もないからご笑納をお願いする域を出ない。ただ、ビジネス界の奥座敷では「あるある」だということだけは自信をもって申し上げられる。

明国に後陽成天皇を移す意図を持つ信長の専断は朝廷の度肝を抜いた。最後の抑止力であった武田氏が滅亡し止める者はなくなった1582年3月、天下の空気は一変し、朝廷による旧体制である室町幕府再興を旗印に反信長諸将がまとまる余地が垣間見えてきた。征夷大将軍・足利義昭にかわって信長を誅する大義をまっとうする武将は家格が問われ、それは毛利ではあり得たが力不足であった。しからば明智であろうという流れは光秀をくすぐるには自然である。その時点で義昭は毛利配下の鞆城に身を寄せており、室町幕府再興案が信長の排除になるなら高松攻めで追い込まれている毛利も、信長と敵対していた土佐の長宗我部(光秀の親類)も加勢することは目に見えている。その情勢を手に取るように読める位置にあったのが、中国攻めを拝命し高松城攻略を決行していた秀吉なのである。

この計画の最大のボトルネックは家督相続人である織田信忠だった。信州高遠で勝頼を深く追い詰め武田を皆殺しにした信長の長男だ。この戦いは織田家、武田家の跡取り息子同士による雌雄をかけた決戦という意味合いもあった。父の天下布武を固めるメルクマールとなった戦勝に武運を見て、信長後継の地位を固めたと諸将は理解した。信長を誅しても、信忠がとってかわる。従って、信長政権奪取という「調略」は信長・信忠を同時に葬ることが必須であったのである。その機を狙って練られたものであり、側近のみの知る父子の身辺情報とスケジューリングに関与できる者しかなし得ない。最重要の身辺情報とは、武田滅亡による信長の心の隙だ。護衛もなく富士を眺めに出かけて悦に入る。その隙が軍勢なく至近の二寺に二人が泊まるというあるまじき油断を呼ぶ。そうしたものは語られたり書かれたりはしない。空気で読むのであり、常に側近にあって最も信頼される部下しか機会はない。

秀吉が中国攻めのキーポイントである高松城攻略に信長の主力軍勢など3万を率いていた事実は、彼が信長の全幅の信頼を得ていたことを示す。高松城側の勢力は高々3000人でしかないが、そこで秀吉はなぜか信長に援軍要請をする。家康の接待役を務めていた明智光秀に急遽助太刀の命がくだり、さらには信長自身も加勢せんとして本能寺に逗留することになる。命にかかわらないビジネスでもここまで部下を信用したことがない。私心への疑念など微塵もない、驚くべき、最大級の信頼である。秀吉は情報操作でいくらでも信長を欺ける立場に昇りつめていたということがわからない人にはわからないだろうが、経験から申し上げる。こういう部下が一番危ないのである。3万の兵力でも苦戦して水攻めに切りかえた城に光秀と信長がさらに大軍で押し寄せて何ができよう?それを失態と責められず済ます自信があるから仕掛けられるのである。援軍要請は光秀に軍勢を与え、信長、信忠を安土城から丸腰でおびきだすための調略であり、帳尻合わせに高松城の難攻不落ぶりを誇張して流言させ、後世になって、奇想天外な戦法、彼一流の軍略であると尾ひれがついたのは流言がいかに多かったかを物語る。

事件は6月2日未明に起きたが、秀吉が「信長斃れる」の変報を聞いたのは3日夜から4日未明にかけてのことであった。太閤記は光秀が毛利氏に向けて送った密使を捕縛したとするが、この書は44年後に書かれた秀吉親派のよいしょ本である。密使は毛利でなく、秀吉に送ったものである。秀吉は5日に「上様(信長)も殿様(信忠)も無事に難を切り抜け、近江膳所(滋賀県大津市)まで逃れている」と大嘘の返書を「ただ今京都より下った者の確かな話」と更なる大嘘で塗り固めて摂津茨木城主・中川清秀に送っている。信長生存の煙幕は光秀をも疑心暗鬼にした。遺骸を見ていないのに光秀は「信長斃れる」と書けただろうか?仮に共謀がなかったとして、秀吉はそれを鵜呑みにしただろうか?では秀吉はどこで父子の死の確報を得たのだろうか?真実を知らぬ者に嘘はつけないのである。

明智光秀にいつどこで囁いたか知る由はない。胡散臭いが口八丁手八丁の手練れ坊主である安国寺恵瓊なら間者をできただろう。こういう手合いもビジネスではよく遭遇するが注意しなくてはいけない。「信長主力軍は我がもとにあり上様は本能寺、殿様は至近の妙覚寺にてどちらも茶会で丸腰である。かくなる好機がまたとあろうか。我が軍も高松より急行して貴殿に合流し御沙汰に従う」と焚き付け、呼応して意を決した光秀は万感の思いで「ときは今・・」を詠む。「ときは今」であったのは秀吉であり、配下の少数精鋭の兵で光秀に先立って深夜に本能寺に忍び込んでやすやすと無防備の信長、信忠を討ち、首級を京都の外に持ち去った。目的は達したがそこで終われば下手人はやがて発覚する。だから光秀に罪をきせる。騒然とする本能寺に討ち入った光秀は遺骸を探したが見つからず、火を放って事態を収める。討ち入った以上は勝どきを上げるしかない。光秀がダミーであることを知るのは秀吉だけであり、本人が勝どきを上げるわけであるから、秀吉は堂々と虚報、大嘘を流布して光秀を主犯に祭り上げることができた。

この手は1963年11月にケネディ大統領暗殺でオズワルドの単独犯行としておいて2日後にダラス警察署で彼を撃ち殺した主犯の手口と同じだ。どちらもダミーを殺した人間が主犯なのであり、どちらも首尾よくつかまっていない。そして秀吉が口実とした足利義昭による室町幕府再興は闇に葬られることになるが、「家格が大事」は光秀用のセールストークであって、天皇、公家からすれば信長の脅威を除いてさえくれればそんなことはどうでもよい。家柄が賤しい。だからこそ、それを逆手にとって光秀に「拙者でなく貴殿だ」をすんなり信じこませることができたのであり、秀吉は政権を確立すると徹底した親朝廷政策をとり、朝廷の官職にある足利義昭を奉じて自らは関白就任に成功する。それで朝廷の面目も立って恩が売れるという見事な計算であり、だから、実体は狂気である「唐入り」の国家による箔付けとして名護屋城に義昭の陣が張られたのである。

清須会議、賤ケ岳合戦、小牧・長久手の戦いは朝廷の関与がない武家の覇権争いであり、信長政権乗っ取りを計った光秀を討っただけでは正当性に欠ける。光秀が第1次なら秀吉は第2次の乗っ取り者であるにすぎず、武家の棟梁になっただけで朝廷を震え上がらせた信長の威信は自分にはないことを彼は知っていた。彼は頂点には向いてないNo2の男なのであり、調略能力は仕掛ける相手がないと持ち腐れなのだ。だから朝廷の威を借りつつ総大将として諸将を従え命令する「唐入り」という大イベントに賭けた。この戦さで大将に立てる者(立ちたい者)は自分しかいない。それは信長様もできなかった地位だ。明、朝鮮の知行地と戦利品を恩賞として与えれば部下はついてくると踏んだのである。これがポジティブ・シンキングの悲しい実相だ。それは数々の「あり得ない」で出来ている。そんなものを生煮えのまま常人に語って聞かせたところで馬の耳に念仏にもならない。まず自分を奮い立たせ、できると自らに信じ込ませ、酒で恐怖を追い払い、鬼気迫るオーラが漂ってきたら部下はついてくる。ビジネスはそういうものだ。調略の天才・秀吉を僕はあらゆる意味で尊敬するし、その彼ですら苦労した経営のもろもろはほろ苦いと思う。

さて最後になる。秀吉の「唐入り」が気になっているのは、もしそれがなかったならば僕はこの世にいないからだ。

おふくろの方のばあちゃんの旧姓は「眞崎(まさき)」である。二・二六事件の眞崎甚三郎陸軍大将の眞崎だ。常陸(茨城)の清和源氏、佐竹氏の分流だが、ばあちゃんは長崎(諫早)の人だ。なぜかというと眞崎氏は上掲陣形図にある佐竹義宣と共に「唐入り」で名護屋へ出陣し、秀吉の没後は鍋島藩によって諫早藩の監査のために当地にある城(眞崎城)に残った。つまりそれ、それを契機に420年前に九州人になったからだ。だから、もし唐入りがなければ、ばあちゃんは長崎港から上海に向かう三井物産社員のじいちゃんに出会うことはなく、つまり僕はこの世にいなかった。いっぽう、じいちゃんは武田が信州高遠で生き残った末裔。にっくき敵方総大将が話題の織田信忠であったのだから、秀吉と光秀が京都・二条城で敵(かたき)をとってくれたことに感謝しなくてはいけない。それで信長ファンというのも実に変だが、東京人なのにカープファンだというのとちょっと似ている。

 

秀次事件(金剛峯寺、八幡山城、名護屋城にて)

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

道三と信長の破天荒を見たり

2019 APR 21 1:01:55 am by 東 賢太郎

県庁でとあるプレゼンテーションがあって、岐阜市に一泊した。ここに前から関心があったのは信長の城があるからで、安土山は登ったが金華山はまだだったからである。その程度でファンを語るのはおこがましいが、彼が企てていた(と思われる)プランは実に破天荒である。魅力的以外の何物でもない。日本の支配者にこんな男がいたためしはなく、まずもう出ない。秀吉は人たらしの天才だが、たらす相手がいなくなるとだめなNo2男だった。家康は相手が官僚タイプの光成だったから勝てたが、信長が生きていたらどこかで殺されたろうと僕は思う。

金華山の頂から信長が見た城下の眺望はこんなだ。周の文王の気分になったとしてそう不思議ではない。岐阜とはいい名だ。

この写真は実は前回訪問で撮ったもので、今回は城に登ったわけではなく、老舗の十八楼に宿をとってふもとの鏡岩水源地や護国神社あたりを歩いた。そして、常に信長に見張られているかのように、山のてっぺんに城を認めた。

東京から来ると、この感じは得も言えぬ奇妙なものだ。

思った。あそこに家を建てる奴はいないだろう。この感覚は、北京の北方で万里の長城を歩きながら懐いたものにまぎれもなく近い。

先人の道三もそうだったことになるが、破天荒ここに見たりだ。家臣や人夫の気など知ったことではない、防御と威嚇のためのラショナールを瞬時に貫通する電光のごとき発想。天下を取るとはそういうことなんだろうか。ふたりが息子や家来に襲撃されたのも世の中はちゃんとお釣りがくるようにできていたのかもしれないが、いつしかわが身も平穏になってしまったなとふと考えた。

 

安土城跡の強力な気にあたる

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

“賢い女性”を持て余す日本(上野千鶴子さんの東大入学式祝辞)

2019 APR 14 10:10:06 am by 東 賢太郎

上野千鶴子さんの東大の入学式スピーチが話題らしい。読んでみると、

知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です

とたしかに良いことをおっしゃっている。知識は知ではない。

東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい

これも、まったくその通りだと膝を打った。海外に出ればそのブランドは無きに等しい。僕は16年外国で苦労してみて、ブランドは自分なのであって、それなしではどこの国でも通用しないことを知った。ということは、実は日本でもそうであって、最後に助けてくれるのは「知」しかない。

東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました

これはどうか。女性が少ないのは別に東大のせいではなく、門は万人に開かれている。学生に言っても仕方ないと思う。

それは世間一般にほぼ普遍的に存在するジェンダーの問題で、どっかの医大が女子と浪人を差別していた動機はそれだったようだが、東大の場合は単に志願者の男女比が1:1でないだけであって今に始まった話でも何でもない。受験しないのだから増えるはずもない。その底流にジェンダー問題が潜むというご趣旨であり、未来のリーダーとして心してかかれというなら、それはそれで同意するが。

しかし、桃太郎はこう始まるのだ、「おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました」。500年も昔の話である。なぜおばあさんが洗濯なんだ、しば刈りではいけないんだ、男女差別だろうと目くじら立てる人はあまりいないのも事実であって、差別なのではなくそれが古来からの男女の好ましい分業の姿であり、自然にやってきたことだと思うしかない。日本人の主食がなぜ米だといって、自然にそうなったとしか説明できないような性質のものなので、東大生の目くじら程度でそう簡単に変わるとも思えない。

日本という国がいかに変わらない、変われない国かを痛感した経験がある。僕ら1980年代の留学組は「これからはグローバル時代だ」といわれて尖兵の気持ちで米国へ行った。日本企業もやがてそうなった。しかし、あれから35年、日本は「なんちゃってグローバル祭り」の残務整理にさしかかっているのだ。千年たってもあのころ夢想した国にはならないと今は確信を持って言える。だから僕は海外派の道はばっさりと捨て、国内で「ちょい英語うまいオヤジ」になる軌道修正をしたわけだ。流れに逆らうより環境適応。それはシンプルにsustainableな人生を送りたいと思ったからだが、隕石衝突後の恐竜と哺乳類の運命という中学生でも知ってる「知」に従ったと言えないこともない。おかげで生き延びた。

上野さんは東大の男子学生はもてますというが、時代が違うのかそんないい思い出はなくてずっと慶応のほうがもてたし、東大女子とつきあったことはない。そもそも文Ⅰには20人もおらず駒場のクラスはゼロで男子校状態だったし、片山さつきや福島瑞穂みたいな面々に太刀打ちできたとも思えない。しかし、彼女らは優秀なのだ、とてつもなく。なるほどそうか、一つだけ手があったかもしれない。ヒモになることだ。東大女子は学歴を隠す必要なんて毛頭ない、堂々と社会に進出して稼いで、男は養ってやる。格下でも優しくて尽くしてくれて、精神的安寧をくれるようなタイプを探すといいのかもしれない。まあ僕にそのメはなかったが。

ちなみに東大の女子比率はこうだ(2019年)。歴史的にほぼこうであり違和感はない。

理系:文系が57:43で人数は理系のほうが多く、最も多い理Ⅰの8.1%が全体を下げていることを見ると、数学が難しいから女子は敬遠してるのだという巷の推測が的を得ているように思う。僕のころ4問中1問解ければオッケーといわれた文Ⅲだけ3分の1が女子と突出して多いのもそれで納得である。上野さんによると理Ⅲは男女各々の合格率比の値が1.03(男が僅差で上)だそうである。ということは、全国模試一桁クラスの、数学もめちゃくちゃできる優秀な女子志願者が男子志願者の18%ぐらいいたということを意味するが、18%「も」いたと考えるか、18%「しか」いなかったと考えるかは何とも言えない。以下論考する。

ジェンダー(gender)とは単に性差の意味であり、それが「問題」かどうかを問題にされているようなのだが、僕自身は個人的に知っている範囲という限りにおいて、女性に学業で勝てないと思ったことは駿台予備校にいた1人の女性を除いてないし、成績順に並ぶ周囲に女子はひとりもいなかった。その背景には「女だてらに勉強なんて・・・」という日本の社会風土の影響が色濃くあるという現象的には不平等なものが存在していることは理解しているし、むしろ、社会で “賢い女性” を持て余すような男がバカなだけなのだというご趣旨ならば100%賛成である。僕自身、女性の社会進出は徹底推進派だし、それが国益にもなると信じるし、我が社は優秀な女性たちの支えなくして存立しない。

しかし、女性は差別されている、犠牲者だ、だから・・・という論調には組することはできない。その議論は18世紀からあるが、人種差別と同様に万人が納得する解決が得られたという証拠はなく、ジェンダー(gender)とは本来はニュートラルな定義であり、我々は男女が相互に補完する本来的な人間関係のあり方から自由であることはできないと考えるからだ。男は子供を産めない。社会というフレームワークの中では女性の産休が出世のハンディだといえないこともないだろうが、家庭というフレームワークの中ではずっと家にいて授乳や育児をすることのできない男性は子供との1対1の愛情を形成するのにハンディがあると言えないこともない。仕事と家庭とどっちが大事なの?と問い詰められるのは常に亭主だが、その選択肢を持っているのは実は女性だけである。

僕は女性しかできないことにおおらかな敬意を持っているし、同様の青年男子は増えているように感じる。もしそうならば、これからの世の中では、ハンディは男女の「創造的分業」で解消できるのではないかと思っている。「女子は子どものときから『かわいい』ことを期待され、愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手(男性)を絶対におびやかさないという保証が含まれている、だから東大女子は校名を隠すのだ」と上野さんはいわれる。東大女子は入れないのではなく、今は知らないが、正確には特定の他校女子と設立されたサークルがあったことも事実であるし、校名を言うとひかれてしまい女子はそれをハンディと思うのはわかる気がする。

しかし、それを認めつつも疑問が残る。もしご説に従って、①女子の東大志願者が少ない理由が親や社会の性差別による制約であり、②統計的には偏差値の正規分布に男女差はないと仮定するならば、理Ⅲを狙える学力があるのに受験しなかった82%の女子が日本国のどこかに存在するはずであるが、①を特段に差別とは思わず「かわいく生きたほうが得だもんね」という女性の特権的かつ環境適応的に合理的選択をした人を含んでいるという結論に何故ならないのかをどう説明されるのだろうか。それ以前に、そもそも「82%の女子」は本当に存在するのだろうか?顕在化していない学力(能力)を、理由は何であれ、「あります」といっても相手にしないのは差別でなく世の中の常識であり、努力に対する公平性を担保する厳然たるルールでもある。

それだけで愛され、選ばれ、守ってもらえる保証があるなら相手の足の裏を舐めてでも『かわいく』したい男は世の中に掃いて捨てるほどいる。豊臣秀吉でさえ出世の手管とはいえそれをした。しかし、子どものときから『男らしい』ことを期待され、愛し、選び、守れと教育される男にはそんな道はルーティンとして用意されているわけではない。仮に、一部の特殊なアノ道があるではないかというマイノリティー・オピニオンを最大限に尊重してみたとしても、『かわいい』志願の女性の18%もの数の男が夢をかなえるほど需要があろうとは到底思えないのである。そういうあふれた男にとって女性の進出は脅威以外の何物でもない。東大女子であろうがなかろうが「男を絶対におびやかさないという保証」などないのだからパスポートとしての学歴ぐらいは持っていて悪くないし、まして隠す必要などない。

だから女性は、理Ⅲに受かるような人は堂々と正面突破すればいいし、どなたもが女性しかできないことを男との分業としてプライド高くハイレベルのパフォーマンスでやれば男は手も足も出ないのであって、要は、家庭でも職場でも、「創造的分業」のメリットを男に認識させればいいのである。同じことをしているのに女性だと評価されないと嘆くのではなく、評価されるに違いない違うことをするのである。

男子学生には、上野さんの言葉を引用しつつこう伝えたい。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。

まさにそう思うし、さらに加えるが、東大を出たぐらいで未知の世界で一生安泰に暮らせるほど世のなか甘くないよ。男も学校名を言うとひかれるよ(女だけではない)。東大がいない組織に入ると暗黙のいじめにあうよ。それがこわいなら官僚になるしかないがブランドはなくなるよ。女性は弱者のままで尊重されたいというフェミニズムも理解しないといけないし、男はつらいよ。やさしいだけのエリートなんか世界史上ひとりもいない。世界のエリートと伍して生きるには絶対的になにかで強いことが必要条件だから、本当に大変だよ。徹底的に突っ走ってください。

最後に提唱したい。男も女も会社も国もwin-winになる「創造的分業」について。何が創造的かは千差万別だが、例えば僕の会社は秘書を2人採用し、各々の能力と個性で男ができない部分をバックアップするフォーメーションが1年かけて自然にできている。それは実務的なものだけでなく安心感という精神的なものもある。そのおかげで会社のパフォーマンスは上がっており万事うまくいっているのだから「後方支援」「お手伝い」という階級的視点はない。1+1が3になって全員がハッピーになるから創造的な分業であり、男女なく同等な評価をさせていただいている。国中の男がこう考えるようになれば日本国だって1+1が3になって何も悪いことはない。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

財務省キャリアに東大法学部ゼロ

2019 APR 6 0:00:59 am by 東 賢太郎

「おい、財務省キャリア入省に東大法学部がゼロだったらしい、財界に激震が走ってるぞ」と一昨日ある経済団体トップの方からききました。逆に増えたのはコンサル系、ファンド系だそうです。そのど真ん中にいて言うのも些か自虐的ですが、「日本の屋台骨が年々おかしくなってきましたね」とお答えしました。

そのココロはというと、「万人は万人に対して狼」(または「万人の万人に対する闘争」)という自然状態を克服するため社会的な契約を結んで国家に主権を委譲している(ホッブズ「リヴァイアサン」)と、単なる教養やお題目としてではなく、真剣に考えているからです(僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源)。僕は政治、行政にプロフェッションとしての関心も能力もないので、平穏な市民生活を送れるよう狼、闘争から守ってもらうために政府と官庁に税金を納め、優秀な人たちにその責務を負っていただき、それならば主権が制約されることをやむなしという契約をしているのだという観念をもって日本国で生きています。だから税金が下がらないのに官僚の質が劣化するとしたら俄には認容し難いのは当然のことなわけです。

ホッブス『リヴァイアサン』表扉

官邸主導も結構だが、官僚の頂点の財務省でそのまた頂点の次官や局長にまで登りつめても政治の人身御供でああいうことになり、お茶の間の下世話な勧善懲悪ネタに飢えたマスコミの格好の餌食になって国民の理解も得られないどころか悪玉として記憶されてしまう。苦労して勉学しながら入省した挙句に大臣が人の税金で勉強したまで言ってくれる。 後輩たちは優秀なんです。たくさんの選択肢をもっています。想像するに、漢字も読めない上司にそんなことを言われて辞書に書いてない人生航路を行くのはアホらしい、それならば税金を払って守ってもらう側で能力を活かしたいということなのでしょうし、そう考えるならそれがいいよ、税金をたくさん払って「お釣りはいりません」というぐらいに国と貸し借りない人生を歩めばいいよと先輩として賛意を送りたい。読んでない人は「リヴァイアサン」をお読みなさい。

森友決裁文書改ざん問題の真相

昨日は韓国のソウルで中村修二先生にファイナンスのコンサルとして助言を申し上げていましたが、人の税金で勉強するのがいかんなら「税金を1円ももらわないでノーベル賞を取ったのは私だけです」との中村先生のお言葉をここでお伝えするので官邸は麻生大臣の論旨を真摯に受け止め、先生に国民栄誉賞を検討すべきでないか。ところがその先生は「日本に事実に基づいた正義など存在しない、正義は既得権者の保護という落としどころありきで決まり、彼らはやったもん勝ちだ」と本質を看破してすでに米国市民になっておられ、「茹でガエルの日本は一度ぶっ壊れて沈没したほうが長い目で見ればいい、そうしないといずれ茹であがって滅びる」と愛国心、老婆心でおっしゃる。世界の熾烈な競争環境にいる者は皆同じ気持ちで、鈴木一朗氏(イチロー)が茹でガエルのNPBの栄誉も国民栄誉賞もいらないのも同根のことではないかと拝察しております。

池田信夫氏が「『葉隠』で印象的なのは「釈迦も孔子も鍋島家に仕官しなかったので家風に合わない」という言葉だ。ここでは佐賀藩(鍋島家)が、仏教や儒教などの普遍的な価値を超える絶対的な存在だった」と書いています。日本人の精神構造を考えるとき武士道は避けて通れませんが、それは影響のプロセスにおいて韓国の「国民情緒法」とファンクションはあまり変わらない。韓国のそれは、国民が騒げば、そんな法律はないが時に憲法にも優先して大統領や財閥トップが有罪になってしまうinvisible law(見えない法)ですが、「家風に合わない」で真理や正義を葬れる国なら韓国を法治国家にあらずと笑うことはできないでしょう。

普遍的な価値を超えた存在」で日本国の「家風」を決める存在になろうとしているように見える官邸の主導という政治は、平成初期に雲霞のように大量発生して大企業の根幹部門に巣くい、会社を軒並みダメにした茹でガエルの集団に乗っかって命脈を保っているだけであり、お湯が熱くなってきて大きめのカエルが次々と茹であがってきたのが平成という世でした。その間に時価総額という企業の通信簿で日本の全大企業は米中はおろか韓国にも大負けであり、これは野球なら20対0のノーヒットノーラン負けぐらいの大屈辱敗戦なのに「株価なんて尺度は家風に合わない」という空気がいまさらのように残っている。個社として本気でそう思うなら構わないがそれならば自ら上場廃止すべきであって、それもしない。つまりなぜ株式を公開しているか意味すら分かっていない。

買収というのは、レバレッジド・バイアウトを除けば原則として時価総額の大が小を食うものです。捕食者か獲物かは株価で決まると言って過言でない。ある朝に出社したら会社は食われて今日から外資系でしたという可能性は世界に普遍的に存在するし、そうなっても個人としては生きていける人たちはそれを何とも思っていないのですが、それを「リスク」だと一番思わなくてはいけないのはサラリーマン社長を含むそうでない社員であり、皮肉なことに、「家風にこだわっている茹でガエル」であり、「株を理解していない人たち」なのです。カルロス・ゴーン事件の本質はそこというアングルでマスコミはほとんど報じないが、彼らは茹でガエルの代表選手で放送法の外国人株式保有規制(20%)でそれが起きえない業界に生息する最も感度の低い人たちなのです。そんな低次元の報道ばかり見ていれば、英国で移民に職を奪われたくない一心でBrexitにこぞって賛成投票したらホンダが工場移転して自分が失業しましたというようなことがあり得るのが日本の現実です。

後輩たちにアドヴァイスするとすれば、日本というplay groundはこれから悪くはないよ、ただ良いとすればそれは外資にとっても同じく良いよ、だから引きこもりの茹でガエルはいずれ全部死ぬしそこにいる君も死ぬよ、世界の最先端技術(deep tech)にフォーカスしたほうがいいよ、大企業がへたる環境は隙間ができるということだから君らの世代には大チャンスだよ、という簡単なことです。コンサル、ファンドがいいよとは言いませんが、有能な人がビジネス界に入ってくるのはウェルカムだ、皆さんの「未来アンテナ」は結構いい線いってるな、日本のビジネスパースンの未来はずいぶん明るいなという印象を持ちました。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

なまけものにつける薬は恥とショック

2019 APR 1 23:23:43 pm by 東 賢太郎

東京は肌寒くて桜は満開という感じではありませんが、いよいよ新元号も発表されたし当方も心機一転といきたく、トレーニング・ジムのお世話になることに決めました。メタボ状態が進捗し、人間ドックの数値は悪いはヒザは痛いはで前代未聞の危機的状態となってしまったからにはやむなしです。

まずボディチェックで体脂肪と筋肉の重さがほぼ同じ。ショックであります。ついてくださったトレーナーのSさん、「皆さんこんなものですよ」と慰めてくれるがここは平均年齢が高いのです。説明書を出されて「小さくて読めないね」というと「ご安心ください!」と次のページに老眼用巨大サイズで同じものが出てくるぐらい。しかしこの説明はいい、「有酸素運動はおすすめですが、そればかりやってもだめです。脂肪も減りますが筋肉も減るので、まずマシーン筋トレで筋肉を増やして基礎代謝を活発にしましょう。すると脂肪はさらに減ります」。It makes sense! さすが日本女子体育大、Sさんにお願いすることにしました。

そこでまずこれを、ということでマットでやった10分体操がこれまた衝撃的にダメ。鏡に映る姿は隣の女性と同じ体操をしてると思えず、赤恥でひやひやものでした。「これは効果ありますよ。これだけやって帰る方もおられますから」ということなので何回もチャレンジですね、恥ずかしいけど。次に「ヒザがやばいんです。布団で寝てるけど、痛いからどっこいしょって『つかまり立ち』なんです」「そうですね、たぶんこれがいいですよ」というのでやってみたのが写真の手前のやつでした。

クロストレーナーという名のこのマシンはやったことがなく、最初は2分でぜーぜーとなってアウト。あまりの情けなさに呆然とするばかりです。「こりゃ僕にはキツいや、無理だね」「大丈夫です、もっとゆっくり、自分のペースで」と尻を叩かれて再挑戦したところ、ヒザの負荷はそれほどないのに筋肉はつきそうなイメージが持ててだんだんコツがつかめ、結局23分で3km、200カロリーで本日終了。短時間でこれだけ汗だくになれるのはいいですね。初回にしてはすごいですねとハナマルをもらい、女性に褒められると舞い上がる習性もあってさっきの恥はすっかり忘れて気分よく戻りました。「よし、今年はこれを週3回ノルマでやるぞ!」これに筋トレをくっつけてSさんにご指導いただけばカンペキだ。

思えば僕は万事になまけものなのです。強制されないとやらない。されても予習、復習なんてしなかったし、野球も練習はきらいで適当に手抜きしてました。試験だとか試合だとか急場の馬鹿力で生きてきてますから、ちょっとメタボぐらいでは運動というモチベーションがわかなかったのです。それがこうなったのは「ストレス高すぎ、数値めちゃくちゃ」と森嶌先生に即刻の点滴を打たれたこと、人生初のインフル罹患、人間ドックの数値もめちゃくちゃで自律神経を疑われ胃カメラ強制、とにかく複数の医師から「運動しなさい」命令が下されており、そして、踏んだり蹴ったりの今日の恥ずかしい10分体操でありました。そこに、爽快だったクロストレーナーの達成感が加わった。

そうなんです、練習はサボりたいくせに試合やってみると「野球やっててよかった!」となる。でも翌日から、やっぱり練習はサボりたいが復活する。だから野球も勉強もso-soで終わりました。でも今回の一連の試練でわかった。なまけものには恥とショックを与える。そして大きなご褒美を用意する。ひとつ学びました。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ホリエモンの東大再受験

2019 MAR 13 10:10:45 am by 東 賢太郎

まじめにやってみようと思ったことはありません。夢を見るのです。なぜか東大を中退しているのですが、それは失敗だったと後悔してまた受験する羽目になっています。どうしよう、また文Ⅰにするか、ちょっと自信ない、やめとこう、かえよう。けっこうリアルな夢です。ところが入試直前になって模試がぜんぜんだめで時間切れになりそうです、どうしたんだ? やばいぞ、こんなはずじゃないと焦って目がさめるのです。

ホリエモンがまた東大に挑戦したとは知りませんでした。だめだったみたいですが、46才のチャレンジ精神はとてもよろしいんじゃないでしょうか。山本マサかキング・カズかというところですね。できるかなと思って僕もあの年(75年)の2次の問題を検索してみましたが、これを解いてまた文Ⅰに受かるなんてのはオジサン野球のピッチャーに大谷翔平から三振とってこいというようなものです。

いっぽうでAbemaTVは悪ふざけが過ぎる、受かっても行かないならまじめな受験生の勉学機会を奪うことになると批判があります。でも年齢制限も職業人はだめという決まりもないです。オジサンに負けてしまう子は事前の勉学が足らんという方がフェアだと思います。心配ないと思いますよ。お馬鹿なテレビが東大番組やって芸能人がたまに勝ったりする、あれ見ているうちにもしかしてと思うんでしょうが、クイズ王みたいな人は何年やっても入れません。だから勉学機会を奪うことはないです。

堀江さんは古文や社会は相当できるのでしょうが数学なめてて20点ねらい(4問中1問完答)じゃ文Ⅰはそもそも無理でしょ。あれをなめられる人なんて理系でもあんまりいないと思いますよ。2次の数学が難しいのを彼が知らないはずはなく、計算違いしてダメでしたなんて言葉は信じ難い。単に手も足も出ずでしょう、彼であっても付け焼刃では零点で不思議でないということです。

しかし繰り返しますが、蛮勇のきらいはあるとはいえ46で挑戦しようというのは立派だし、点数を公表しているのも潔いですね。ビッグマウスといわれるが、有言不実行や三角関数はいらないなどと自分が数学できないのを正当化する政治家よりよっぽど男らしい。来年もチャレンジしてください。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

何事もいい仲間とライバルの存在は大事

2019 FEB 28 1:01:09 am by 東 賢太郎

追い込まれると強い人がいます。ゴルフの朋友でライバルのK君。グリーン周りで競ったとき、彼ほど嫌な相手はかつてなし。「神ってる」時期など、こっちはピンそばに寄っているのにバンカーからチップイン、2倍の距離のロングパットをねじ込まれてこっちがはずすみたいなことをやられて逆転負けしてしまう。

ある日など、登りでホールが見えない15メートルのパットを決められ愕然。ガッツポーズで「よし!」の雄叫びをかまされた挙句に3ホールも続けてよしを連発され、だめだこいつには何しても勝てないとなってしまう。以来トラウマで、プロが長めを外すと「あんなのKなら一発だ」がいまだに口癖になってます。

K君ら固定メンバーの3人とは欧州時代に20回ぐらい泊まり込みでストロークプレーのトーナメントをやっています。もちろんスクラッチ、ノータッチ、オーケーなし。全員が根っからの負けず嫌いで壮絶な戦いでした。優勝回数は僅差で僕が多いですがやられた方ばかり覚えてます。指揮者の小林研一郎先生はこの面子でアムステルダムとプラハでお手合わせいただいたのです。

ゴルフの負けはほんとに悔しい。10打差つけられて脱落した最後のハーフなど、僕だけお荷物でどうでもいい、早く打てよという屈辱の2時間で、悔しさで猛練習しました。ゴルフは衆人環視でショットをするのでそれであがってしまうとだめです。見られてるとアドレナリンが出てうまくいく性格は向いていました。

僕はラウンド中は集中していて口を開かないし、スコアが出ないとすぐクラブを買い替えパターは10本もある。ドライバーはすぐ人にあげ、外したボールは時に池に捨てる。普通ならムード悪くなるのですが、「そろそろあいつキレてタマ捨てるぞ、拾おうぜ」なんて、完璧に見透かしてる仲間たちなので楽しく遊んでもらえました。

スイス時代に本間のウッドが気に入って買いました(左)がヘッドの真っ金金が(写真は長年使い込んで地味に見えますが)「おお、中国製か?すごいな」と一気に皆の酒の肴です。本番でドライバーを取り出すと「いよ、黄金バット!」と野次られます。しかし僕はそういうのは一切関係ないのです、徐々に絶大な威力を発揮、しまいには写真のスプーンを取り出すと皆やめてくれという顔です(はっはっはどうだ!)。右は同じく本間のSWで、ご覧の通りHONMAの文字が擦り減るほど溺愛。80ヤード以内の必殺の武器でした。この2本でどれだけ勝利の美酒を味わったかと、家宝に認定されております。

何事もいい仲間とライバルの存在は大事ですね、負けて悔しくて必死に練習を積みました。K君が好調だと手も足も出ず、あまりのミスのない steady golf に「Kマシーン」のあだ名をつけましたが、その彼とスクラッチで戦うわけだからこっちまで追い込まれると強くなったのです。しかしその彼も最初は初心者であり、実は僕らが叩きのめして悔しくて強くなったのです。ものすごい練習をしたのだろう、敬意をもってます。

パットのミスでボールを捨ててるようじゃ資格も品格もなし。当時30代のガキでしたがちょっとは人間も鍛えられ、のちに1889年創立の名門・香港ゴルフクラブのメンバーとしていっぱしに振舞えるようになりました。そこで開催された香港地下鉄公団の80名の大コンペで優勝しましたが、そんなのはたいしたことない、「Kマシーン」との一騎討ちのほうがぜんぜんシビアでした。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

北田雄夫
小玉絵里加
菊野昌宏