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カテゴリー: 徒然に

母校・九段硬式野球部が大健闘

2018 JUL 19 0:00:04 am by 東 賢太郎

昨日の東京の暑さはいっぱしのものだった。朝7時に早々と30度を超えたらしく、午後に外を歩いたがシャツの中の空気までが熱いというのは狂気の沙汰だ。こんなのはあまり記憶にない。

こういう中で高校球児は甲子園めざして野球をやっているのだ。いま思うと尋常なことではないが、暑さも野球の内という感覚だった。実は今年は母校の九段が東・東京大会で、

1回戦 広尾学園 16-5(5回コールド)

2回戦 文教大付属 10-9

3回戦 大田桜台 7-0(8回コールド)

と来ていて、雄々しい勝ちっぷりであった。残念ながら昨日とうとう力尽き明大中野に8-1で敗れてしまったが、しかし4回戦まで進んだのは最近記憶にない快挙でまことに痛快である。勝つとベスト16だったのだが、僕の2つ上の代が東西いっしょの時代のベスト32だったからそれに並ぶ可能性があった。

昨日勝ってベスト16を決めたのが関東一高、修徳、日大豊山、小山台、安田学園、そして今日は日大一高、二松学舎、成立学園、堀越、城東が4回戦をむかえるが、以上はみな甲子園出場校だからそれが4回戦のレベルなのだ(ちなみに7回勝てば甲子園である)。後輩たち、よくやってくれた、ありがとう!

そういう中でのことだった。五反田で会議を終えた後にタクシーを拾おうとしばし歩いたところ、おばあさんが炎天下の歩道に倒れていて家族と若者が懸命に助け起こしている。意識はあったが頭を打っていて出血があり、なかなか起き上がれない。91歳のご高齢とお聞きしこれは急を要すると思い、我々の判断ですぐに救急車を呼んだ。ところが出番が多いのだろう、なかなか来てくれない。しばしの緊張の時間が過ぎやっとお乗せすることができたが、その後いかがだったのだろうか心配だ。

毎年猛暑はひどくなっている気もするし、若くても熱中症で亡くなる方が増えているようでもあり、オリンピックもさることながら高校野球もリスクを考えた方がいいかもしれない。甲子園も、例えば準々決勝までは京セラドームでやるとかだ。勝ち残った8チームが甲子園でやることができる、そこまでは比較的涼しい中で黒白つけるなら過度の消耗も熱中症も避けられるしゲームの質も最後まで保てるのでは。根性と精神論で、欲しがりません勝つまではの時代でもないと思うのだが。

 

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ワールドカップのポーランド戦は是か非か?

2018 JUN 29 23:23:21 pm by 東 賢太郎

デイリースポーツ新聞は阪神が勝つと一面は常に阪神。これが例外なしの不文律だったが、今回のポーランド戦では、「阪神3連勝」、「能見100勝達成」の大ネタを捨てて初めてサッカーを一面にしたそうだ。ワールドカップのポーランド戦は物議をかもした。あんなのを見せられたらサッカーはつまらんスポーツだなと思ってしまう。

あれがYesかNoかは、本質を突き詰めればサッカーが「スポーツ」か「ゲーム」かという宗教論争なのである。だから結論はない。なぜかというと、ゲームというものは勝てば官軍である。勝たないと意味ないから手段は問わない。極論すれば、バレなければいかさまでもいいし相手がクレームしなければルール違反でもいい。

パチンコで負けて出てきたおっちゃんに「惜しかったですね」、「いいゲームしましたね」、「次につながる負けですね」なんて声かけてみればいい。「兄ちゃん、あんたアホちゃうか?」でおしまいだろう。将棋も囲碁もチェスもポーカーも麻雀も、負けた人に救いの言葉はないのである。

しかしスポーツにはそれがある。敗者もいい戦いだったと讃えられて報われたと思えるものがある。勝敗はもちろんプライオリティーだが時の運でもあり、勝負の中でみせる技術、勇気、フェアプレー精神を是々非々で評価しようという心の在り方がスポーツの根幹にはあるのだ。

サッカーをスポーツと考えるならあれは誰が見ても異論のない無気力試合である。イエローカードの差など何枚あろうがなかろうが、チームごとレッドカードで退場であろう。一方でサッカーをゲームと考えるならあれは他力本願だろうが負け試合の時間かせぎだろうがなんだろうが、是であろう。

西野監督はワールドカップをゲームとして戦ったわけだ。だからあれは是である。彼はルールに則って合理的な判断をしたわけで、ではその根拠となる彼の使命は何かというと、野球場にも大勢いる「ファウルが誤審でホームランでもうれしい。なぜ?勝ったからだ。勝てばいいじゃないか、なんであろうと」という類の人たちをエンターテインすることだからだ。勝てばいいじゃないか、なんであろうと、の人たちが西野はボケだとけなし、翌日に勝つと神だと讃え、鉦や太鼓をたたき、そうやってサッカーを支えマスコミの井戸端会議をにぎわわせてくれるからだ。デイリースポーツの編集長はだから悩んだのだ。西野は苦渋の決断と言ったが、本来サッカーはスポーツであるという信念との齟齬に苦しめられたのであろうと同情する。

なぜかというと、僕はあれを見せられると、サッカーは問答無用でつまらないと思ってしまうからだ。そうではないことは知っている。ミラノのサンシーロで、8万人のスタンドがごうごうと揺れどよめく中で観たインテル・ミラノとACミランの白熱戦など一生忘れることはない。西野監督はワールドカップを「ゲーム」と割り切って勝ち上がりルールにコンプライアントな戦略を採ったが、そのルールがああいうことを招いてしまうのはサッカーにとって損失と思う。「無気力試合はチームごとレッドカードで退場」のルールも導入したら何か不都合でもあるのだろうか。

 

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スポーツマンシップの正体(日大アメフト部事件)

2018 MAY 25 2:02:39 am by 東 賢太郎

清規(せいき)と陋規(ろうき)という言葉がある。清規(せいき)とは人を殺めてはいけない、喧嘩や盗みはするな、借りた金は返せなどだ。法律が禁じたり義務づけているものはすべてそれだし、親孝行せよ、正直にせよ、弱い者は助けよなどの道徳もそうだ。

それに対して中国には陋規(ろうき)と呼ばれるものがある。薄給の役人が賄賂をとって生計を立てる。無論悪いことなのだが、それを為政者は(薄給に止め置く張本人なのだから)あえてお目こぼしにする。その代わりに「一定のルールを守ってやれよ」という。その最低限のルールが陋規だ。

これが転じて裏社会、アンダーグラウンドの約束事、掟の意味になったようだ。任侠道がまさにそれで、やくざ映画で

「お前さん、それをやっちゃあおしまいだぜ」「待て、待ってくれ」、ズドン!

なんてシーンがあると、「あーあ、仕方ないな、あれやっちゃあね」なんて堅気でも思う・・・そういうものが陋規だ。

世の中は実は陋規で動いているかもしれない。野球などそれだらけだ。内角攻めはビビらせるためにやる。「内角をえぐれ」なんていわれる。そんなのは当たり前でそうしないと好打者には打たれる。捕手が打者の懐のあたりに構えることもある。それで手元が狂って当ててしまったこともある。度を越して「それをやっちゃあおしまい」となるとプロなら乱闘だ。

巨人の山口投手が横浜ベイスターズ時代に、広島カープの会澤の顔面に死球をぶつけてグラウンドに救急車が入る大騒ぎとなった。会澤はしばらく入院した。それがありながら先日、山口は2打席連続で会澤にぶつけた。これにはベンチも騒然となり、まさしく「それをやっちゃあおしまい」であって、血相変えた会澤がマウンドに向かっていって乱闘寸前になった。山口が故意でやったとは思えない。会澤という打者が苦手なんだろう。

さらにその末にあったのが一昨日のゲームだ。巨人先発はお待ちかねの山口。ここで広島の緒方監督は普段は7,8番の会澤を5番に入れた。これはファンならわかる異例の打順で、会澤を含む全選手の発奮を促すオーダーだったと思う。この試合、発奮したのは山口で2安打完封した。カープもあっぱれと思ったろう。男の勝負というのはそんなものだ。

そういう場にわけのわかってない人たちが出てきて「内角をえぐれと命令されたんですね」とか「傷害罪ですね、未必の故意があります」とかなるのは誠に興ざめだ。そんなことのないよう、つまり勝負事としての投球術の常識の範囲で処理できるように「危険球退場ルール」ができたのだと思う。意図は微妙に不純だがあえてお目こぼしにする。しかし「頭を狙うなよ」という裏取引の最低限のルール(陋規)が明文化された(清規になった)レアなケースと思う。

アメフトで「潰してこい」が何を意味するかは知らない。「思いっきりいけ」「ぶちかましてこい」程度の発破ならぜんぜんありだが、チームに一人しかいない要のQBをあえて狙った、2秒後だったということで「よほどの場合」になってしまったのは仕方ない。世間でなく相手チームが怒ったということだからこれは明らかに陋規違反なのであり、法律が出てくる以前に現場の掟として許されないことだ。

問題は実行した選手が泣いていたことで、陋規違反とわかっていたからと思われ、ということは清規においても故意があった実行犯となるだろう。監督、コーチは「潰してこいはどこのチームもかける発破だ、まさかあんなことをすると思わなかった」とするのが常套だろう。監督らにも故意が認められ教唆(共同正犯)になるかもしれないが3人悪いことになるだけならば何とも救いのない気の毒なケースだ。

陋規を書いているのだからマキアベリ風、半沢直樹風に徹しよう。敵の主力が不調になればありがたいと監督、コーチが思うのは、思うだけなら罪ではない。内角をえぐるのはスイングをおかしくしようという実力行使でもある。巨人以外の全監督は菅野がイップスになって二軍落ちでもしてくれればラッキー、しめしめだろう。「そう思うこと自体いけないですね」などと善人を演じないと常識人、知識人ではないという風潮は「女性をいやらしい目で見たらでセクハラです」と取り締まるに似る。男にそういうことはさせませんと子供にウソを教えて無菌室で育てるようなもので、かえって怪しい男がわからなくなって危険である。

「スポーツマンシップ」という言葉は、往々にしてマスコミによってその文脈で使われる。「わけのわかってない人たち」が善人を装う場においてだ。敵の主力が不調になればありがたい?とんでもありませんね、青少年に夢を与える場ですよ、そんなこと考えるだけで不純です。こうして「女性をいやらしい目で見る男はいない」という虚構のお花畑が作られる。そうやって昨今巷にあふれだした勘違いの青少年が作られていくのだ。これはいずれ日本を滅ぼす。スポーツだけはそういう子を作らない最後のバックストップなのに。

今回、日大のコーチが言った「潰してこい」は昔の子なら含意とTPOを忖度してぎりぎりの偶然性を装う中で実力行使をしてきたかもしれない。そういう忖度反応が見えないことが、才能があるだけに、監督のこの選手への「成長不足」という苛立ちの蓄積となり、それをおまえの指導不足とされそうなコーチが本来は含意に留めて言わなくてもいい本音の部分をわかりやすく「解説」してしまった。その通り実行しないと干されると思いつめた選手が素人目にも異常な形で彼なりにその通りに泣く泣く実行してしまった悲劇というのが真相なのではないか。

「スポーツは青少年の健全な心と体の育成の場です」。よく耳にする美しいメッセージだ。僕も育成してもらったが、覚えたのは勝負事(=ケンカ)の掟だけで美しい心が育成されたかどうかは自信ない。勝負からどうして走れメロスみたいに健全で、修道女みたいに敵まで思いやる精神が出てくるのかは僕にはわからない。体育会なる言葉は昨今イメージが甚だ良ろしくないが、それは日馬富士騒動で角界の古い体質だとこきおろされたものと重なる。体質ごと悪いと切って捨てるなら勝負事の面白みは消える。水清くして魚棲まず。人を殴るなんてとんでもないとなればボクシングはいずれ廃止になるだろう。

おそらく、誰も相撲やアメフトを廃止したりつまらなくしたいわけではない。ラフにやってもいいけど「一定のルールを守ってやれよ」、つまり、冒頭に書いた「陋規」を守れという事なのだ。その陋規こそがスポーツマンシップと呼ばれているものの正体であって、そういう名の法律やルールブックがないのはそれが裏社会、アンダーグラウンドの目に見えない掟という性質のものだからである。スポーツが文科省推薦の「青少年の健全な心と体の育成の場」なら立派なスポーツマンシップ憲章でもできるだろう。しかし、幸い、まだそれは勝負事(ケンカ)でいる。

僕が気になったのは日大の監督が「我々は常にルールを守ることを原則としている」と繰り返し抗弁したことだ。そんなことは当たり前である。「それならルール違反した選手をなぜすぐに退場させなかったのか」と記者につっこまれて「見てませんでした」とあえなく撃沈されてしまった。むしろ、ルール違反でなければ何をしても良い、つまりスポーツマンシップにもとる行為かどうかは二の次だとも聞こえる。

そうではない。陋規であるスポーツマンシップが根っこにあって、そのうえで、清規であるルールブックが出てくるのである。この事件が日大にとってまずかった最も本質的な理由はタックルがルール違反だったからではない。

やくざ映画で「お前さん、それをやっちゃあおしまいだぜ」「待て、待ってくれ」、ズドン!

になってしまったからなのである。その音を聞きつけて、アメフトを人生で初めて見たルールも知らない堅気衆が「ルール違反だ」と騒ぎ出したのが事の顛末だ。そこで「ルールを守ってます」と抗弁するほど頓珍漢な見世物もなかった。

山口は会澤に3発も当てて大怪我させたけれども、死球は禁止するとルールブックには書いてないのだから「巨人軍はルールを守ることを原則としている」と言えば言えてしまうのだ。しかしあの3発は誰の目にも異常でスポーツマンシップに反すると見えた。だから会澤が怒って彼をぶん殴っていても世間は批判しなかったろうし、警察も傷害容疑で逮捕しなかったろう。スポーツというものは社会行事でなく勝負事であって、法律やルール以前に陋規であるスポーツマンシップが根っこにあるという証拠である。

昨今の「法律違反でなければ何をしても良い」という風潮に僕は大反対である。危険であるとも考える。なぜなら、世間は法律というものに嫌でも縛られるが、ほとんどの人はそれをよく知らない。知識人という名の大衆も知らない。「セクハラ罪という罪はない」という麻生大臣を「ある」と思って批判した人が多いのは、僕は彼をかばう気はないが、危険だ。清規というものは為政者の道具だからである。根性論が嫌いだからとスポーツに「清規の網」をかぶせ、こういう事件があるとここぞとはりきって体育会精神をファシズムだと批判するような軽薄な風潮は、そっちのほうがよほどファシズムの温床となり得るのである。

「清規の網」をかぶせられ、スポーツ界がケンカでなく綺麗事のショーに堕落すればいずれ人気は凋落する。大衆は殴り合いや昏倒シーンが見たい、流血も見たい。格闘的要素を含むスポーツは「陋規がある」ことを前提に、ローマ時代の昔から大衆の野蛮なニーズは目的ではないような顔をしながら非日常空間を提供する場として存在している。ボクサーが傷害罪にならないのはそれが刑法35条の正当業務行為だからだが、合法だからボクシングがあるのではない、ボクシングは面白いからあるのである。

 

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あれから1年

2018 MAY 4 23:23:33 pm by 東 賢太郎

去年の今頃、愛媛県の青島へ行って猫三昧した。あれから1年。そうだ、東京に帰ってライヴ・イマジンのコンサートもあった。普通なら「もう1年か速いね」となるのだが、不思議と今は2,3年前の昔に感じる。

ということは、この1年がいかに普通じゃなかったかということだ。

5月29日にお袋が逝ってすぐアメリカに出張したはいいが、ディナーの最中に急に声が出なくなった。これにはびっくりしてまずいぞどうしようと焦ったが、何かが変になっていた。そこからスタートした案件が散々すったもんだして先月一段落した。作業と気苦労は平年の10倍もあってこの1年ぜんぜん休みが取れず、しかも気を紛らわそうとあえて仕事に没入した。だからだろう、遠い昔に感じるのは。

2015年からがんばらないことに決めた(がんばらない生き方)のに背いてしまった。書いたとおり63にもなってこんなことをするのは体に実に悪い。そこで人を少し増やして助けていただくことになった。幸運にもいい人たちにめぐりあって、お陰様と思う毎日だ。

面白いなと思うのはソナーは野村ご縁の方々の出資とみずほ(興銀)ご縁の方々の力で動き出していることだ。自分の出自は100%野村だがみずほに移籍して優秀な銀行員とチームになって学んだものがあり、ライバルだった強力な両者が合体したものが原動力となっている。自分の軌跡どおりユニークな会社になりつつあると思う。

さらに先日はネクサスの創業2周年記念会食が赤坂であった。ソナーから秘書二人も参加してもらってとても華やかな11名。40才以上は僕を入れてふたりだけ、平均年齢は20台で最年少は東大文Ⅲくんの19才だ。若者に囲まれてモツ鍋をつついてはしゃいで自分が何才か忘れた。

ニューオータニの新オフィスの内装は壁がマリンブルーとシェルフが黄色だ。机もスイス製の黄色いガラスをトップにした。皆さんにどう見えるのか、創造力を刺激するとがいいが。女性二人の加入も新鮮。おまかせする分野では僕は信頼する女の人に仕切ってもらいたい。そうすると余力が出て創造力が増すからだ。

これであとはネコと音楽があれば精神の調和が戻りそうになってきた。役員構成を変えてより強力な布陣としたい。

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予想屋ではないけれど

2018 APR 24 0:00:15 am by 東 賢太郎

僕は予想屋ではない。仕事ではわからないことはいっさいやらない主義だから予想というものは不要だ。いっぽうブログは仕事でないので気軽にたくさん予想するが、下手な鉄砲でどれかは当たるという仕組みになっている。

しかし、昨今、その「当たり」が有難くないほうばかりに偏ってきていてどうもよろしくない。例えば今年の3月25日に東京ドームで巨人対楽天のオープン戦を観戦したブログにこう書いた。

オープン戦は当てにならないが、見る限り中日も良さそうで、去年お客さんだったこの2チームが復活するとカープは場合によってはAクラスも危ない。今日SBに逆転負けして5連敗だが、投手がいない。僕は去年は岡田、薮田が出来過ぎだったと思っており、それは黒田効果の余熱だったと考えている。熱は残ってるのだろうか。大瀬良も打たれ九里もだめで先発はジョンソンと野村だけだ。中継ぎもジャクソンが危ないしカンポスはどうも中途半端だ、もっといいのがいなかったのか。抑えも中崎だけだがサファテ、カミネロのウルトラ・パワーに比べるとどうだろう。打線は鈴木誠也次第でそれなりに点は取るだろうでが、投手力は大いに不安があるのである。

きのう、カープはついに中日に3連敗を喫し、薮田は3連続四球でKOだ。岡田もパッとしないし大瀬良は3点は覚悟のピッチャーに落ちた。野村は打撃投手みたいに打たれ、ジョンソンもかつての勢いなくジャクソンは中継ぎ失敗続き、カンポスは影すらない。故障者が復帰すればソフトバンク並みと思われるDeNAが走りそうだし、お客さんの巨人、中日に食われれば4位がいいところだ。

まあ野球などかわいい。問題は北朝鮮だ。去年の5月22日に書いたこれが当たってしまいそうでぞっとする。

金正恩のさらなる高笑い

こっちは去年の5月26日の投稿だ。そのころ、まさか天下の財務省にまで飛び火しようとは思わなかったが・・・。どうしてこういうことが起きたか、ここに書いたことが巷で言われだしている。

加計学園問題を注視すべき理由

最後に、ひとつだけ明るい話題。これがこんなに早く適中するとは!!!大谷君、日本を背負ってるぞ、頑張って。

「エースで4番」とはなにか?

 

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「りり花」画伯は桜を描く

2018 APR 3 1:01:42 am by 東 賢太郎

桜はあんまり好きではない。ピンク色がきれいとかいわれても僕には白にしか見えない。それでも京都で見た満開の絶景は驚いたからべつに嫌いというわけではないが、あんなのを一度見れたんだからラッキーだった、もういいやという心境になっている。人ごみをかき分けながら落ち着く所もなく、「今日がピークですね」「明日は雨ですよ、もうダメですね」「運が良かったですね」なんて声があちこちから聞こえてくると、ああ運が悪かったなと嘆く性分なのだ。

というのは、株屋的には猫も杓子も買いだと騒ぐピーク(天井という)で株を買うのはばかだという感覚があるせいもあり、明日は落ち目だという夢のなさは嫌いだという人生観もあるが、なによりこんなに大勢の人が押しかけて大騒ぎしている桜なんだからきっと最上のものなんだろう、それが今日で終わりだとなると楽しまなくては損だという気になるからだ。するとそれがむくむくと強迫観念?になってきて、ただでさえ雑踏にもまれてそう楽しいとも思わない時間がだんだん苦痛になってくるのだ。

桜は不気味な植物と思う。たわわに重そうな花弁をびっしりと贅沢三昧に咲かせておいて、それで花粉を仲介すべき蜂や蝶だらけになったのは一度も見ない。これは何のためだと不可思議に思っていると、あっという間に散っている。エネルギーの無駄?でも人間以外の生物は生存、生殖に無駄なことはしないと教わっている。じゃあ、あれは何だ?

無駄?そうじゃない。日本中に桜は植わって子孫は大繁栄してるではないか。生存競争の勝者ではないか。そうか、ということはあれは桜が考え抜いたドラスティックな生存戦略なのではないか?食虫植物はメスの似姿を囮(おとり)に見せたりいい匂いを漂わせて虫を呼んでおいて食べる。桜は妖艶に人を酔わせてカラオケを歌わせて和歌まで詠ませて、食べないけども、あちこちに植栽させたり桜並木を作らせたりする。

つまり、あれは人間をターゲットにおいた囮(おとり)であって、人間のメスの似姿はちょっと難しいので「開花ショー」「お花見サービスタイム」というエンタメ系で釣ろうというものだ。きれいなだけじゃあ飽きられるので、飽きがくる前に「桜散るショー」でダメを押す。虫を呼んで交配させる?小物の発想だね。俺たちは大物しか狙わないのよ、ヒトよ、ヒトを惑わして悲しませて、また来年見たいと誘導して種を蒔かせるんだ。ぜんぜん効率いいぜ。

まあ真偽のほどはわからない。でも桜をぼんやり眺めてると、そのぐらいの仕掛けは難なく講じられ、まんまと騙され、ひっかかっている感じがしないでもない。だから不気味なのだ。

植物に知恵がないなんてことは考えられない、だって、だいたいハチのメスに似た花なんかどうやって考えつくんだ?どうしてそれでオスが寄ってくると知ったんだ?それがちゃんと似ているぜ、オッケー!と、どこから見て(感知して)判断したんだ?それに明確に答えた人はまだいない。明確なのは、それはわからないけども、そういう植物が確かに存在しているということだ。

植物や動物にはメカニズムは不明でも人間並み(以上)の観察眼も生きる知恵もあるという生物学者はいる。TVに出ていた「市原ぞうの国」のアジアゾウ「りり花(か)」の桜の絵を見て、まさに度肝を抜かれてしまい、それを思い出した。

 

見事な構図、タッチ。これは間違いなく、僕よりうまい。途中から番組を見てまず絵が画面に出たので、「いい絵だね、誰のかな?」とつぶやいた。ところがなんと・・・。嘘だろうと思ったがそうではない、りり花の母親の「ゆめ花」の動画がある。

ゆめ花さん、りり花さん、お会いしたくなりました。youtubeを探すと、あちこちに画伯がいた。

あれを描けと指示したわけではなさそうだし、おじさんが絵筆を渡してはいるが筆の色を見てあるべき場所に塗っているということは色もわかるんだろう。まいった。ということは象も桜を見るときれいなのに違いない。

桜の戦略に驚くべきなのか象のアーティスト魂に驚くべきなのか??

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たまたまそこにいた罪-森友学園問題-

2018 MAR 28 1:01:56 am by 東 賢太郎

時の人となっている佐川元国税庁長官が高校も後輩だとは知らなかった。かといって行為を是とするわけではないが、見ていて気の毒な気もする。官僚であれ民間であれ、組織人というのは、時に「たまたまそこにいた」ということから出世したり落後したりすることがあるからだ。

前に書いたが忖度が悪いこととはかけらも思わない。大組織がそれなしに上意下達で動くなどと考えるのは絵空事だ。動かすには忖度できる有能な部下が必要であり、それが悪であるのは上意が悪なのであって忖度に善悪の色はない。「よいしょ」は無能でもできるが忖度は高度に知的な作業である(よいしょの一種とは思うが)。有能な者は有能なりの巧みな忖度ができ、できるならば出世に有利だから官僚のように能力差が紙一重の世界ではびこるのは不思議でもない。そこにつけ込んで内閣人事局に権力集中した官邸が老獪だったということに尽きる。

まったくの推測だが彼は忖度し過ぎたのだろうか?公文書は書き換えると犯罪だが、捨ててしまえば合法だ(文書管理規則に従えば)。「ない」と断言したのは「文書管理規則上という意味」でした、軽率でしたと証言したが、これはひょっとして本当にそうだった事実の一端をつい言ってしまい、実は当時そう(あるはずないものにできると)確信しており、その確信をもって総理に忖度ブリーフィングして喜ばせ、それによって確信をもって安心した首相から勢い余って「議員辞めます」発言が飛び出してしまい、ところが後にサーバーに残っていることが発覚し、ひょっとして内部告発もあり、いずれバレると覚悟し、書き換えさせた。そのぐらい強い合理性のある動機がないと彼ほど優秀な人が忖度したいだけの目的でそんな危ない橋を渡った推理は成り立たないように思う。だから上からの指示とか夫人とか政治家の関与や指示は、こと書き換えに関していえば、本当にないのであって、だから偽証罪に問われるリスクがあるのに「ない」と今日言い切れたのではないか。

この時代に文書(ペーパー)で何年残しましょうなどという規則は時代錯誤だ。残そうと思おうと思うまいとサーバーには残ってる。それを知らずに読み違えたチョンボブリーフィング事件だったなら結構辻褄があう。「辞めます」発言が原因で忖度が始まったのでない、逆に、局長の忖度が安倍発言を生んでしまって局に緊張が走り、そこへ「なかったことにしたもの」がドカンと出てきて将棋は詰んでしまったということではないか?「すいません、ありました」となれば首相退陣→局長の官僚人生は終焉、だった。えい、それならば・・・だったのではないか。もしそうであるなら、野党が書き換えと官邸や夫人の関与との関係をいくら追及してもないものはないのだから、佐川氏の問題は佐川氏の問題ということが検察捜査で徐々にわかるだけで安倍政権の急所に至る証拠は出てこないだろう。

ともあれ、彼が自分の証言するとおり責任者であるならば、やったことはいかなる理由があれ許されることではない。人までなくなっており全官僚の信頼を損ねたという批判においてもそうだと思う。何かを身を挺して守ろうとしたなら、その相手である物や人は、こうなると身を挺してくれるわけでもない。そんなリスク・リターンの悪い職業なのかと若者が思ってしまったならば、それも将来の官僚の質を下げてしまう罪だろう。米朝接近、中朝密談と、国会でそんなことをやってる場合ではない国際情勢のなか、こういうことになった責任も重い。

真相はわからない。しかし、刑事訴追されようと、官僚があるまじきケアレスミスで首相を追い込んだという末代までの省の汚名よりはましだろう。もしそうならば、彼は徹底黙秘して世論の終息を待ち、刑事訴追されても最後は大阪地検と財務省の手打ちで闇の中で終わらせるのかもしれない。理由は永遠に不明なままに葬って、少なくとも身を犠牲にして組織を守ったという官僚社会の最後のクレジットだけは保持した方が得策というぎりぎりの判断で書き換えはやったことかもしれない。本当にそうだったかどうかはともかく、そういうことだったよなとしてしまえば官邸も佐川氏も守られ、本質論でないことで官邸は目くらましと4月17日の安倍・トランプ会談までの時間稼ぎができる。

一つだけ言えることは、個人的には、彼は何かの運命でそこにいたということだ。たまたま。事の軽重はあるが僕もそうやって良かったことも悪かったこともある。悪かったけどそれがあって結果は良かったこともある。本人は不本意だし苦しいだろうし誰も救うことはできない。真面目に官僚人生を歩んでこられてこうなるというのはもと勤め人として不憫に感じるが、長い人生 hard luck だってあるさとだけ書いておきたい。

 

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学生街回想-いもやと鶴八の閉店-

2018 MAR 22 0:00:02 am by 東 賢太郎

神保町界隈というと一橋中学だったから庭である。そこから靖国神社の隣の九段高校、御茶ノ水の駿台といったから、九段下から靖国通りを古書店を眺めながら駿河台下まできてお茶の水へのぼる道は目をつぶっても歩ける感じさえする。駅を通り越して本郷三丁目までは2,30分で歩けるから、結局中学から大学までうろついたこの辺は第2の故郷と思っている。第1が多摩川でそこで自然児として育ったなら、物を学ぶ姿勢、趣味、人生観に至るまで、知の側面ではこの一角の空気を吸って若年をすごした影響は計りしれない。

一橋は校則が厳しく通学路が決まっていたが無視していた。すずらん通りの文房堂という立派な造りの画材専門店に入ると、ガラスケースにずらっと並ぶ高級万年筆が光っていた。それにほれこんでしまい、のちに勉強したのはあれが欲しいという動機もあった。三省堂、東京堂、書泉は寄り道スポットで本屋に何時間もいる癖はそのころついた。古書街は知の宝庫に見え、入るとぷんと黴臭い。何時間も立ち読みしてハタキをかけられたが、古いだけではない、絶版になって当然でしょというマニアック本の膨大な書架でもある。人体や天文や鉱物や鉄道や地図など自分もそうだが世の中にはこんなにマニアな著者もいるんだと安堵する場でもあった。

古本屋の店構えはいま思うとハーバード大学の「Enter To Grow in Wisdom」と書かれた門みたいに見えていた。ことに左の一誠堂だ。お若いの、智の壁は厚いよ、出直しといでと拒まれているようで最初のうちは戸を開けて立ち入るのもひるんだが、街中が図書館のような環境でこういうチャレンジングな風景を日々見慣れてくると、どことなく受験など下の下だなたいしたことないなというマインドセットができてしまっていたかもしれない。

それと同じノリでクラシックに没入した。レコード屋が一誠堂のように見えていた。それまた「Enter To Grow in Wisdom」である。本と違って立ち読みできないから迷う。2千円あって新譜を1枚買うか廉価盤を2枚買うか、行ったり来たりして散々迷う。本屋と同じで何時間もいる癖がついた。満を持して聴いてみてつまらないとカスの福袋を開けたみたいにがっかりだった。それでもいずれ全部聴いてやるさ、覚えてやるさと不敵なマインドセットでいたのは変わらない。僕にとって、書店が人類の知恵へのアクセスポイントだったようにレコード屋は西洋文化へのそれであり、受験勉強とクラシック音楽を覚えることは全く同じプロセスだった。

ただひとつだけ違いがあったのは、曲を聞き覚えるそばから楽譜を買ったことだ。分解癖、すなわち不思議なものはモノであれ何であれバラしてからくりを調べてみたい興味があるせいだ。管弦楽というのはその気にさせる不思議な音に満ち満ちている玉手箱であって放っておけず、あれはどういう和音をどの楽器でやってるのか知りたくなる。どうしてときかれても知りたいのだから仕方ない。初めて聞いた曲でも、その部分だけ鮮明に覚えてる。自分が音楽家をめざすかどうかというような世俗的なこととはまったく別次元の、いわばピュアに科学的な探究心であって、古本屋でオリオン座のリゲルの物理特性につき書いた本がないか探しまくったような関心とよほど近い。

いまの新世界菜館のあたりに洋書店があって、初心者だった高1の時にまずしたことはストラヴィンスキー「火の鳥」1910年全曲版のスコアを買ったことだ。不思議な音の部分を解剖して満足した。それが嵩じて次はウォルター・ピストンの「管弦楽法」を買った。火の鳥は1万5千円ほどでいまなら15万円の感じだ、そのために全部我慢して1年ほど小遣いをためた。こういうことをしながら硬式野球部でもあり高校でもあんまり勉学に励む暇はなかったが、神保町で育たなかったら、あの街ごと図書館の空気がなかったら、そういう風になったかどうか。本屋やレコード屋がアマゾンに淘汰されて、僕のような育ち方はもうないのだろうか考えさせられる。

先日アメリカでは赤貧のころの高級食だったハンバーガーをたらふく食べて留飲を下げた?が、思えば神保町をうろついていたころはさらに金がなかった。すずらん通りのキッチン南海、キッチンジロー、「いもや」などお世話になったのだがマック以上に敷居の高い店でもあった。いもやは閉店だそうであの大盛りの天丼がなくなるなんて寂しい限りだ。御茶ノ水駅前の名曲喫茶はトスカニーニのボレロに衝撃を受けた思い出の店だがなくなって久しい。聖橋口改札横でおやじさんが一人でやってた3畳ぐらいの立ち食いソバ屋など僕は高く評価していたのだが、もはや記憶の中だけだ。

本郷ではなんといっても森川町食堂であり、ここの貧乏学生に優しい定食と文学部地下の生協のカツカレーは困ったらこれという定番だった。法学部生は赤門の方は用がないから覚えてない。農学部前の西片にあった下宿に近いところで喫茶ルオー、中華の「一番」、「大鵬」、雀荘の珊瑚などはまだ健在らしいからうれしい。小遣いをためると秋葉原へ歩いて石丸電気でレコードを買った。ここが前述した古本屋に匹敵する西洋の知の殿堂であったが、時代の波であろう残念なことになくなってしまった。CDも入れると2,3千枚は石丸で買ったろうからそこで費やした時間は長い。史跡にしてほしい。

こんな回想に浸るのも、先日東京ドームに出向いて神保町をぶらついたからだ。水道橋から神保町交差点へは通学路であり、東京ドームはそうでもないが後楽園球場ではいくつか忘れられないシーンがある。しばらくご無沙汰だったすしの鶴八をのぞいたら、なんとこれも閉店でショックを受けてしまった。主人の田島さんはカウンターに座ると黙って小肌だけ出してくれる、言葉はあんまりいらない店だった。何の弾みかクラシックの話になって、シューリヒト好きというので、お持ちでないというベルリン・フィルのエロイカをお貸ししたりした。お元気なのだろうか、まったくつらい。

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バート・バカラック「サン・ホセへの道」

2018 MAR 14 19:19:38 pm by 東 賢太郎

シリコンバレーというのは地名でも谷の名前でも行政区画の名称でもない。もとはスタンフォード大学周縁の半導体産業(シリコンが象徴する)に端を発したハイテク企業基地の総称で、サンフランシスコの南東地域を指している。そこからソフトウエア、インターネット関連のITベンチャー企業基地へと派生・発展し、さらに地域名称というよりはそこにある企業の自由な発想と経営風土、集まる人種(超高学歴の知的労働者)、ポップな職場環境までを包含した「イメージコンセプト」になったといえよう。証券・投資銀行業務を「ウォール・ストリート」、映画産業を「ハリウッド」と地名でなんとなく呼ぶのと同じだ。

おおまかには下の地図あたりを指すが、テスラの工場があるFremont(フリーモント)がシリコンバレーでないとは誰も言わないから地理的にはおおよそアバウトなものである。ベンチャー企業経営者が「うちはシリコンバレーだ」といえばそれなりにブランドっぽく聞こえるという意味においては、女性タレント界における AKB48 みたいなもんだと言えなくもない。

テスラのフリーモント工場

バート・バカラックが作曲しディオンヌ・ワーウィックの歌でヒットした「サン・ホセへの道」は地図・右下方の「San Jose」のことである。これにうかれてた中学時代、そこがシリコンバレーど真ん中になって自分が仕事しようなど夢にも思わなかった。

ドゥ~ユ~ノ~ザ~ウエ~トゥサンホセ~しかわからなくて適当に歌っていたが、いまになってよく聞いてみると面白い。

サン・ホセへの道を知ってる?
私って 長いことご無沙汰だったから 道に迷っちゃうかもね
サン・ホセへの道を知ってる?

道を知ってるかだって?そんなの標識ぐらい出てるだろ。えっ、それもない?そんなド田舎なの?

そう思ってしまう。

これはなんと、サン・ホセ生まれの女の子がハリウッドのある大都会ロサンゼルスに夢を求めて出て行ったが疲れてしまい、あきらめて田舎に帰ってくる歌。千昌夫の「北国の春」みたいなもんだったのだ。

1週間 2週間で あなたもスターになれるかもよ
でも数週間と思ったら数年が過ぎてるわ なんてこと!

不屈の意志を持ったゴールドマイナーたちが「国造り」したこの地で、いまどきの女の子は数年の苦労ぐらいで音を上げちゃうんだというのが妙に新鮮だったのかもしれない。時はベトナム戦争の真っ最中だった。

ここのところがハ長調からホ短調にふっと悲しげにかわる。いい曲だ。夢は塵のように飛び去って独りぼっち・・・

富と名声は磁石のようなもの
どれだけ遠くにいても 人は引きつけらていくわ
夢を追っている時は 孤独なんて感じない
でも 夢が塵のように飛んでいけば
友人は無く独りぼっち
そして 車に荷物を詰め込んで去っていく

でもでも、

サン・ホセではゆっくり羽を伸ばせるの
広い土地があるから 私が休むことができる場所も見つかるはず
私の生まれ育った故郷 サン・ホセ
私は心を落ち着けるために サン・ホセに帰るところよ

そうだったのか。

でもキミの田舎は半世紀の時が流れたいま、Capital of Silicon Valley(シリコンバレーの首都)である。土地は広いがゆっくり休めるかどうかはわからないよ、なんたってロサンゼルスの子があこがれて出てくるところだからね。サン・ホセへの道はみんな知っている。

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日本人はなんのために生きてるのか?

2018 MAR 12 2:02:15 am by 東 賢太郎

アメリカ西海岸、ウエストコーストっていうのはゴールドラッシュで一攫千金を夢見た人たちが東からなだれをうってやって来た所だ。大学なんてなくって、息子が早逝した富豪が西のハーバードにすると作ったのがスタンフォード大学だ。ハーバードの門には「Enter To Grow in Wisdom」と校訓が彫ってあって、あそこで見た瞬間に電気が走ったように気に入った。ところがスタンフォードの校訓が「Die Luft der Freiheit weht(独:自由の風が吹く)」であって、これまたいいのである。だからここにシリコンバレーができたんだと納得だ。

ゴールドマイナーたちは幌馬車で来たとはいえ東海岸から飛行機で4時間もかかる距離だ。ギャングに襲われるわ砂漠で餓死するわ、女房子供を連れて命がけだった。運よく無事に着いたって金鉱が見つかる保証なんてあるわけない。みんなリスクテーカーなんだ。その一攫千金の精神が、いまやシリコンバレーの世界最先端技術開発にDNAとして受け継がれていると僕は思う。テスラのイーロン・マスクCEOはペンシルバニア大学ウォートンスクール卒だからトランプの後輩だが、テスラ Roadsterを乗せたロケット上段のエンジン点火が正常に成功しバン・アレン帯を抜けるまで5時間ほど飛行したのち、火星に向け最後の軌道修正を行うとツイートした。自動車屋でこんなことを考えるのは彼が通った(中退した)スタンフォードの「Luft der Freiheit」そのものだ。

昨日までそのウエストコーストにいた。自分の身は自分で守らんといかんよね、日本国もそうしないとねなんてディナーでゴールドマイナーの話をしながら「銃持ってる?」ってきいたら、周囲にいた5人に2人がイエスだった。30丁持ってるぜなんて奴もいた。その割に彼はあっけなく道でホールドアップされて新聞に載った。持ってれば安全っていうこともない。「銃なんて18から買えるよ。親が持ってりゃ16から撃てるぜ。」「店行きゃ誰でも実弾射撃オーケー、女子高生が気晴らしにキャーキャー撃ってたりね」「でも民家があると1キロ以内じゃ撃てないし規制はあるよ、犬猫は法律で禁止だよ、撃っちゃいけない、人はいいんだけどね(爆笑)」

「学校で銃乱射?日本じゃあり得ないよ、18を21才にすりゃいいってもんじゃないだろ?」「そうさ、だから先生に銃もたせろってな」「トランプね、あれ正気なの?」「だって全員が所持禁止にならないと危ないだろ、持ってる人は放棄なんかするわけないさ」「そりゃアメリカじゃ無理だぜ」「だからしょうがないよ」「でもアメリカの先生の給料って安いんだよ、5万ドルぐらいだ」「だから学校で持てっていうことだろう」「日本なら警察は何してるって大さわぎだ」「そこが違うね、警察なんか頼れない、何人お巡りさん増やしても気違いは必ず出てくるっていう発想なんだ」

「今朝CNN見てたらリトル・ロケットマンとの会談をトランプが受けたってな、全米でトップニュースになってたね」「核搭載ICBMがアメリカに届くかどうかって、そりゃ議会で大問題だ、選挙あるしな」「あいつは賢いよ、持つ物持てば勝ちって割り切りがね」「平昌で時間稼いでゴールに行った可能性ないか」「余裕の強気?」「かもしれない、頭を越されてしまったとすると日本は極めてやばい。半島にアメリカが認めた大朝鮮国ができるかもしれない。経済力は日本の8割の核保有国だ。」

「国難だな。日本では大騒ぎだろ」「いや、ネット見るとどうも大騒ぎはモリトモだ」「なんだそれは?」「どうもそれで人が亡くなったらしい」「ギャングに撃たれたか?」「銃を持ってなかったのか?」「自殺?」「なんでだ?責任ってなんの責任だ?」「というと彼はザイムショーのトップか?」「違う?なんで下が死ぬんだ?」「スパイだったのか?」「日本もロシアみたいに国が消すのか?」「えっ、違う?ソンタク?」「なんだそれは?」「新種の毒ガスか?」(そんな英語は存在しないので説明に苦慮)「なんだそんなもん」「国難だろ、そんなことやってる場合なのか?」

アメリカで物欲、金銭欲を否定したら変人だ。そうじゃなきゃキミは何のために生きているのか?と問われることになる。いい生活をしていい人生を送りたい。人として生まれて当たり前だろ。それには物もカネもいる。困ったら政府がお金くれるの?あるわけないさ、それが自由主義の世の中だろ。襲われるなら先に撃て。生きるために当然だろ。襲う人のいない世の中にしましょうよ?そんなの町内会で言ってもアホ扱いだ。いつからキミは世界政府の頭領になったんだって。

アメリカへ来ると僕は必ずハンバーガーだ。留学のとき月給が400ドルしかなくって家内とひもじい思いをした。あれが染みついてる。二人で5ドルぐらいかかるマックなんか高根の花で、勇気出して店に入ってもいつも一番安いプレーンの肉だけのハンバーガーだった。隣にビッグマック注文してる奴がいるとくやしくて、いつかあれを毎日食うぞと心に誓った。物欲って、こういうものだ。シンプルに人間の向上心と関わってるから悪いもんじゃない。だから僕はいまも500gのヒレステーキなんか興味なくって、昨日もお昼はショッピングモールの12ドルのハンバーガーだ。相棒が教えてくれた。「京セラの稲森さんもそうだ、昼はそれで吉野家なんだ。さすがに店が恐縮して秘書に金のどんぶりを持たしてくれたらしいけどな」。

アメリカってなんてわかりやすいんだろう。私は物作りだけで満足です、お金はいりませんなんて嘘つかなくっていいし、ソンタクもないし、誰だってプレーンよりビッグマック食いたいわけだ。そういう当たり前のことを隠したりあきらめたりして生きる人生って何だろう。物作りに人生かけて邁進したら会社は台湾人に食われましたって洒落にもならない。そんなに長いものに巻かれたいですか、長いものとともに滅びたいですか?英語に刻苦勉励、臥薪嘗胆、精進、邁進なんて単語はないが、説明したら「悪いけど奴隷を作るためのいいスローガンだね」と言われた。冒頭からの稚気あふれる会話の相手は米国人経営者たち、みんなPhD(博士号)、MBA(経営学修士)の皆さんである。日本人の若い皆さん、もうアメリカに学ぶことはないなんてバブル親父の大嘘だよ、どんどんアメリカに行って学びなさい、刺激を受けなさい。

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