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カテゴリー: 徒然に

ホリエモンの東大再受験

2019 MAR 13 10:10:45 am by 東 賢太郎

まじめにやってみようと思ったことはありません。夢を見るのです。なぜか東大を中退しているのですが、それは失敗だったと後悔してまた受験する羽目になっています。どうしよう、また文Ⅰにするか、ちょっと自信ない、やめとこう、かえよう。けっこうリアルな夢です。ところが入試直前になって模試がぜんぜんだめで時間切れになりそうです、どうしたんだ? やばいぞ、こんなはずじゃないと焦って目がさめるのです。

ホリエモンがまた東大に挑戦したとは知りませんでした。だめだったみたいですが、46才のチャレンジ精神はとてもよろしいんじゃないでしょうか。山本マサかキング・カズかというところですね。できるかなと思って僕もあの年(75年)の2次の問題を検索してみましたが、これを解いてまた文Ⅰに受かるなんてのはオジサン野球のピッチャーに大谷翔平から三振とってこいというようなものです。

いっぽうでAbemaTVは悪ふざけが過ぎる、受かっても行かないならまじめな受験生の勉学機会を奪うことになると批判があります。でも年齢制限も職業人はだめという決まりもないです。オジサンに負けてしまう子は事前の勉学が足らんという方がフェアだと思います。心配ないと思いますよ。お馬鹿なテレビが東大番組やって芸能人がたまに勝ったりする、あれ見ているうちにもしかしてと思うんでしょうが、クイズ王みたいな人は何年やっても入れません。だから勉学機会を奪うことはないです。

堀江さんは古文や社会は相当できるのでしょうが数学なめてて20点ねらい(4問中1問完答)じゃ文Ⅰはそもそも無理でしょ。あれをなめられる人なんて理系でもあんまりいないと思いますよ。2次の数学が難しいのを彼が知らないはずはなく、計算違いしてダメでしたなんて言葉は信じ難い。単に手も足も出ずでしょう、彼であっても付け焼刃では零点で不思議でないということです。

しかし繰り返しますが、蛮勇のきらいはあるとはいえ46で挑戦しようというのは立派だし、点数を公表しているのも潔いですね。ビッグマウスといわれるが、有言不実行や三角関数はいらないなどと自分が数学できないのを正当化する政治家よりよっぽど男らしい。来年もチャレンジしてください。

 

 

 

 

何事もいい仲間とライバルの存在は大事

2019 FEB 28 1:01:09 am by 東 賢太郎

追い込まれると強い人がいます。ゴルフの朋友でライバルのK君。グリーン周りで競ったとき、彼ほど嫌な相手はかつてなし。「神ってる」時期など、こっちはピンそばに寄っているのにバンカーからチップイン、2倍の距離のロングパットをねじ込まれてこっちがはずすみたいなことをやられて逆転負けしてしまう。

ある日など、登りでホールが見えない15メートルのパットを決められ愕然。ガッツポーズで「よし!」の雄叫びをかまされた挙句に3ホールも続けてよしを連発され、だめだこいつには何しても勝てないとなってしまう。以来トラウマで、プロが長めを外すと「あんなのKなら一発だ」がいまだに口癖になってます。

K君ら固定メンバーの3人とは欧州時代に20回ぐらい泊まり込みでストロークプレーのトーナメントをやっています。もちろんスクラッチ、ノータッチ、オーケーなし。全員が根っからの負けず嫌いで壮絶な戦いでした。優勝回数は僅差で僕が多いですがやられた方ばかり覚えてます。指揮者の小林研一郎先生はこの面子でアムステルダムとプラハでお手合わせいただいたのです。

ゴルフの負けはほんとに悔しい。10打差つけられて脱落した最後のハーフなど、僕だけお荷物でどうでもいい、早く打てよという屈辱の2時間で、悔しさで猛練習しました。ゴルフは衆人環視でショットをするのでそれであがってしまうとだめです。見られてるとアドレナリンが出てうまくいく性格は向いていました。

僕はラウンド中は集中していて口を開かないし、スコアが出ないとすぐクラブを買い替えパターは10本もある。ドライバーはすぐ人にあげ、外したボールは時に池に捨てる。普通ならムード悪くなるのですが、「そろそろあいつキレてタマ捨てるぞ、拾おうぜ」なんて、完璧に見透かしてる仲間たちなので楽しく遊んでもらえました。

スイス時代に本間のウッドが気に入って買いました(左)がヘッドの真っ金金が(写真は長年使い込んで地味に見えますが)「おお、中国製か?すごいな」と一気に皆の酒の肴です。本番でドライバーを取り出すと「いよ、黄金バット!」と野次られます。しかし僕はそういうのは一切関係ないのです、徐々に絶大な威力を発揮、しまいには写真のスプーンを取り出すと皆やめてくれという顔です(はっはっはどうだ!)。右は同じく本間のSWで、ご覧の通りHONMAの文字が擦り減るほど溺愛。80ヤード以内の必殺の武器でした。この2本でどれだけ勝利の美酒を味わったかと、家宝に認定されております。

何事もいい仲間とライバルの存在は大事ですね、負けて悔しくて必死に練習を積みました。K君が好調だと手も足も出ず、あまりのミスのない steady golf に「Kマシーン」のあだ名をつけましたが、その彼とスクラッチで戦うわけだからこっちまで追い込まれると強くなったのです。しかしその彼も最初は初心者であり、実は僕らが叩きのめして悔しくて強くなったのです。ものすごい練習をしたのだろう、敬意をもってます。

パットのミスでボールを捨ててるようじゃ資格も品格もなし。当時30代のガキでしたがちょっとは人間も鍛えられ、のちに1889年創立の名門・香港ゴルフクラブのメンバーとしていっぱしに振舞えるようになりました。そこで開催された香港地下鉄公団の80名の大コンペで優勝しましたが、そんなのはたいしたことない、「Kマシーン」との一騎討ちのほうがぜんぜんシビアでした。

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インフルエンザの教訓

2019 FEB 23 16:16:46 pm by 東 賢太郎

1月から関係各所への訪問、アポをひかえさせていただいており多大なご迷惑をおかけしております。というのは人生初めてインフルエンザにかかったからです。この10年ほど、神山先生の薬のおかげでほとんど風邪もひかずにきましたが、たまたま1か月薬を休んだら間隙を突かれたかやられてしまいました。39度の熱は参りましたが、いっぽうで面白い経験もしました。

もらったのは日本ですがあいにく熱はプレゼンでソウルへ行った矢先に出ました。非常に困ったわけですが、韓国の医師に初めてかかるスリルはありました。クリニックでさあ何が始まるかと思っていると、出てきたのは30代のさわやかな好青年C先生でした。最初の質問は「お仕事ですか?」。そこからあらぬ方向に話がはずんでまず仲良くなってしまったのです。

投資会社経営だといったのですが、すると彼は「私も会社を経営してます。あれをごらんください」と壁のツーショット写真を誇らしげに指さします。「ジム・ロジャースに会ったの?すごいね」、米国人ジム・ロジャースはジョージ・ソロスとクォンタム・ファンドを創立したヘッジファンドの草分け的存在です。「ええ、このクリニックのほかに健康器具の会社を起業しています」。まあ日本ではまずない展開でした。

じゃあ診ましょうかとC先生は一通りの診察をして処方箋をくれ「この薬を飲めば治ります。ただ熱がお辛いでしょうから点滴を打ってあげます、代金は結構です」。仲良くなると韓国はこうなりますね、だいたい。これも日本ではまずない。お言葉に甘え、2時間ベッドでうとうとしたらすっかり良くなってしまった。付き添ってくれたホテルの女性、看護師さん、薬剤師さんもみなやさしく、深謝して帰ってきました。韓国というのは、日韓関係は危険水域に入っていることは間違いないのですが、個人的には何十回も行って嫌な思いをしたことはないミステリアスな国なのです。

ジム・ロジャースは僕が野村で2000年あたりに「中国株を買え!」と強烈に言い始めたころに同じことを言っており、以来面白い男だと思ってました。そうしたら「1807年にロンドンに移住するのはすばらしいことだった。1907年にニューヨークに移住するのはすばらしいことだった。2007年にはアジアに移住するのが次のすばらしい戦略だ」と言って家族でシンガポールに移住してしまった。なかなかだと思ったですね。

今回、インフルでへたって熱でうなされて体が鉛のように重く、そこまで生命力が落ちると諸欲も好奇心も皆無になるという発見をしました。なにせ息ができてるだけで満足でしたから。ということは、元気でないと人生つまらないだろう、シンガポールに移住しようなんてエネルギーは絶対に出ないなと思い至ったのです。現にジム・ロジャースは元気でオートバイで世界6大陸を走破、ベンツで116か国、24万キロを走破して2度ギネスブックにのっている。

彼はそうして世界中を旅して肌で人々の変化を感じ取ることを投資の原点としている、これも我が流派に合致です。僕は香港に住んで中国にどっぷりと漬かったから中国ビッグバン仮説を思いついた。あの時はサラリーマンだったから個人的にはなにもできなかったが、世が世なら何百億円か手にできたかもしれない。構いません、またやればいいのだから。そのためには僕は絶対に健康でいなくてはいけないと思いました。

ちなみにジム・ロジャースはエール大学卒、オックスフォード大学修士でコロンビア大学ビジネススクール客員教授の超インテリです。しかし彼の業績にそれはあんまり関係ないかもしれないということを最後に書いておきたい。いくら米国でも学校教育で投資がうまくなることは期待できないです。彼の諸欲と好奇心と健康のたまものでしょうね。学歴で飯が食える時代ではありません。これから世界はもっとそうなります。

シリコンバレー、たしかに世界の頭脳の集積基地です。能力に人種、国籍なしでもっと原石のイスラエルやインド、そしてそのアプリケーションとしての中国、ASEAN、アフリカに興味がありますが投資となると米国法が比較的に安心だからシリコンバレーになる。10倍になる株を探すことに残りの人生をかけたいですね、そのソナー探知機でいたい思いがますます強くなっています。それにはまず健康、次に諸欲と好奇心。インフルエンザの教訓です。

 

中国ビッグバン仮説 (追記あり)

 

 

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ついに64才 (When I’m Sixty Four)

2019 FEB 4 22:22:52 pm by 東 賢太郎

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band) はロックに限らず、すべての音楽史上においてAbbey Roadと並んで天下の最高峰にランクされる究極の名アルバムであります。”When I’m Sixty Four” はそのB面の2曲目で、最初の曲、ジョージのシタールがビヨ~ンビヨ~ンとおどろおどろしい異次元世界の “Within You Without You”の霧がさっと晴れて、急になんてことない、あっけらかんと庶民的な日常生活のひとコマが帰ってきてホッとすることだけが印象の曲でした。

次のサイケっぽい “Lovely Rita” とジョンの変拍子でぶっ飛んだ “Good Morning Good Morning” があまりに凄いものだから、なんの変哲もない”When I’m Sixty Four”は正直のところ「早く終わらんかな」という曲であったわけです。

当時僕はハタチぐらいで、64才なんて、自分がそんな老人になって奥さんが「ご飯、作ってくれるかな」なんて、まるで火星人の話みたいなもので、まあポールは僕よりは13も年上だし、そのぐらいになるとそんな心配もするのかなぐらいであったわけです。目のまえには時間が無限にあったのです。

今日、とうとうその日がやって来てしまった。来るものは来るんだなあと、来なくてもよかったんだけどなあと思いつつ、生んでくれた母親に手を合わせました。感想はというと「まだ生きててよかったな」だけなんですが、まあ奥さんにちゃんとご飯は作ってもらってるし、僕もまだなにかお役には立てそうだし、そうか、ポールはそういうことを歌ってたのかとしみじみ思うのです。いい歌だなあと。

下のビデオは面白いです、ぜひご覧ください。ポールが故郷のリバプール案内をする趣向で、ペニーレーンが出てくるしバーバーショップ(床屋)におじゃまして女主人をびっくりさせもするし、彼が育ったお家に入っていって「この部屋で “She loves you”をジョンと作ったんだよ、親父がここで聞いててね、けっこういいじゃないかなんてね」「このトイレ、反響がいいんだ、便器に座ってギター弾いてね、ほら」・・・もう感涙ものです。

僕はウィーンでモーツァルトの住んだ家を全部めぐりましたが、そういうことをあれこれ空想してました。彼が案内してくれたらこんな感じなんだろうな、それが現実になってる、僕の中ではビートルズも同じほど偉大なんで、そんな歴史的なことがなんでもなくユーモアたっぷりにさらっとできてるポールの人柄が素敵で、とにかくいい人だなあと思うのです。金持ち喧嘩せずじゃなくってね、もともとこういう人だからああいう曲ができたんだろうって。

「子供のころあの教会で歌ってたんだよ、聖歌隊員だったんだ」そうか、やっぱりポールの曲は教会にルーツがあったんだ、納得ですね、とってもクラシックなものがベースにあるんで、そして、12分1秒からをぜひご覧ください、ポールがピアノを弾いて “When I’m Sixty Four” を歌ってます。

トラブってた時にあの世のお母さんが夢枕に出てきて「流れにまかせればいいよ」っていったらしい。そうしたらうまくいったっていってますね。そこでピアノに向かって曲を書いたらあの名曲 ”Let it be” ができちゃったって、天才はそんなものなんだ、すごすぎですね。

パブのジュークボックスで悪戯してお客さんを仰天させてしまう。お茶目であります。こんなおじいちゃん、なれたら最高ですね。まあポールは現代のモーツァルトだ、到底無理なんですが、この気持ちの軽さだけは見習いたいですね、だっておふくろもいいそうだ、”Let it be”・・・。天命に竿ささず、あるがままに生きていきたいです。

そういえば、香港に赴任した時に高名な風水師さんにみてもらったら、僕のラッキーカラーは金(ゴールド)+真っ赤なんです。だから社長室はその2色にされてしまいました。ずいぶんケバかったですが、実はキンキンのゴールドは子供のころから大好きで、カーテンもクッションも全部それにしたいと思ってます。

 

家族にもらったプレゼント

 

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

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ますます大坂なおみファンに

2019 JAN 27 1:01:04 am by 東 賢太郎

世界一というのは地球一ということです。その景色ってどんなものなんだろう?日本一でも大変だろうけど、地球儀では小さな島の王だ。そんなところに21才で駆け登った女の子が見たものは何だろう。相手のチェコ人はメンタルにタフで勝負強く見えたけど、彼女のパーソナリティはそんな風に見えない。それでいてこの強さは??? う~ん、この子はどこか宇宙的な茫洋として底知れぬものを秘めているなあと思ってしまいますね。

僕らの多くは頂点のアスリートしかテレビで見ません。なんでもなく100mを10秒で走りぬける男ばかり見ていると、人間が100mを10秒で走るのと11秒で走るのとどんなに開きがあるか実感が持てませんね。12秒ぐらいかかった僕がそれをああだこうだ言っても一文の値うちもないし。というのは13秒の奴が俺も頑張れば12秒は出せたと、たぶん無理なのだが言われてしまっても何も言えない。それが12秒というものなのです。10秒はそれを誰にも言わせない、言っても誰も信じない鉄壁の如き凛とした響きがある。しかし、それを出しても、まだ地球一ではないのです。

僕はアスリートへの称賛は才能半分、努力半分と思って見ています。才能はずるいけど仕方ないもの。先日カープの菊池がJ リーガーにまじってサッカーに興じていましたが、最初は彼をサッカー選手と思いこんで観てました。あの運動能力なら体操だろうがテニスだろうが超一流になれる。そういう連中がすさまじい努力もしている世界がプロなのだとは思うのですが、そんなレベルの景色は僕には成層圏外であって想像もつかない。だから宇宙をのぞき見したい一心で、僕らはお金を払って球場へ出かけるわけです。

日本人は努力のほうに重きを置く傾向がないでしょうか。頑張れば誰でも10秒がでるわけではないのは自明なのですが、その才能あっての努力だよねなどとストレートに言えば嫌われるのも自明の国です。15秒の人の走りを金を払ってでも観たいという人がいないことも自明ですが、その人が懸命の努力で12秒になったなら金は出さないが応援する人はいくらもいるでしょう。そのメンタリティーで日本が繁栄したのは事実と思いますし、僕は自分がやっていた高校野球というものにそのにおいを強く感じてあまり好きでなかったのですが、そのおかげで15秒の我々の野球を観てもらえる恩恵にも浴していました。

その主催元である高野連が高知商野球部に対して処分を検討と聞きましたが、500円の入場料が「商業的利用にあたる」とはどういう根拠なのだろう。ではダンスイベントで働いて定時制高校に通う勤労青少年は高校球児になれないのでしょうか?球児には「15秒の人」レベルから「10秒が出る人」レベルまでいます。後者の人を金を払ってでも見たい人々にはプロもアマも高校生もなく、そこに新聞社の事業である甲子園大会は乗っかって堂々と収益をあげています。根尾君や藤原君がダンスを応援するなら1000円払っても観たいという人はいくらもいるだろうが、両者の違いがよくわからないのです。

商業的利用ではなく自分で稼ぐのはどうなのか。15才のJ・リーガーがいたし、ゴルフでは石川遼が16才でツアー優勝して賞金を得ているし、大坂なおみは14才でプロツアーに出ているし錦織圭も高校時代からツアーで勝って賞金を稼いでいる。将棋では藤井くんが中3で2000万円近く稼いでいる。この世の中で500円の券が云々など言うこと自体がすぐれて浮世離れしているし、悪法もまた法だというならその法のほうも構成要件が全くわからない。僕は1991年ごろ、初めて日本でワラント債が出たときに法務省が「賭博罪に当たる」として絶句したのを思い出します。まだ刑法という根拠法があるだけましではあったのですが。

僕がいま子供だったら、きっと野球は好きだろうがやりたいとまで思うかな?怖い監督、先輩に理不尽にしばかれるし坊主頭はカッコ悪いし遊べないしね、ゴルフかテニスに行ったかも。大坂なおみさんの世界一、地球一はテニス人気に火をつけるでしょうね。というのも根拠があります。日本ではメジャーリーガーの年俸ばかり騒がれますが世界で見ると野球などマイナーで、2018年のフォーブズのアスリート年収ランキングで野球はやっと37位にカーショウ(ドジャース)の37億6千万円が登場、35位は錦織圭(37億7千万円)でどのメジャーリーガーより上です。女性はというとトップ10のうち9位がレーサーなのを除いてなんと9人がテニスであります。1位が20億円のセリーナ・ウイリアムズで、それを倒してとうとうランキング1位に昇りつめた大坂さんは30才まで女王でいれば200億円は軽く稼ぐでしょう。

高野連の人はスポーツは健全な青少年の育成のためにある、商売はいかんというのだろうし、自分も育成していただいた御恩は決して忘れないのですが、高知商の措置を見ると野球は世界の潮流からどんどん置いていかれてるという危機感を覚えます。努力・育成は教育者として大切なテーマですがお金のピューリタニズムの強要は児童の性教育を忌避するようなものでしょう。健全な体で健全な向上心を持つ子が健全な欲を持つのは人間として当然のことだし、それを抑圧して何かいいことがあるかというと僕は思いつきません。

 

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高度成長期はカンブリア紀であった

2019 JAN 20 0:00:07 am by 東 賢太郎

最近のヒザ痛は精神的にもよくないですね、何はなくとも足腰だけは自信あったですから。今日はニューオータニのゴールデンスパに入会し、ジムでトレーナーの小山さんについて鍛えなおそうと奮起いたしました。

体幹のストレッチをやっていて、何か運動されてました?と聞かれ野球と答えましたが、いかんいかんと思ったのです。そんなのいつの話だよ?そうね、それ、今はショーワって呼ぶんだよね。意味ないんですね、だって平成すら終わろうとしてるのに・・・。子供のころ、おばあちゃんってメージ生まれなんだねと言いながら江戸時代みたいに遠い気がしてた、あの立場になっちゃったんですね。

去年は経営上の大きな危機がありました。そのときはそう思ってなかったけど、いまになって振り返るとそうだ。それは外的な変化によるもので、未曽有のストレス要因でもありました。おかげで心身とも弱りましたが、なんとかそれを乗り越えつつあるいま、逆に会社としては一皮むけて強くなった実感があるから不思議ですね。

このことは、地球の歴史と生物進化の関係を独創的な視点で説いた東工大 丸山 茂徳特命教授の主張を思い出させます。

非常に刺激的な仮説である

教授の著書「地球史を読み解く」によると地球には原生代に銀河系の星雲衝突によるスターバースト放射線によって雲に覆われ、太陽光線が遮断されて赤道まで完全に凍りつくという「全球凍結」が2回(22-24億年前と5.5-7.7億年前)おこりました。その極寒環境で既存の生物は絶滅し、火山帯の熱で生き残った生命が突然変異を伴って次世代に繁殖したのですが、この環境変化において細胞は別生物だったミトコンドリアを取り込み、後に哺乳類と腸内細菌のがしているような「共生関係」になるという新しい適応方法も生まれて新しい生物が生存したそうです。

そのように、生命というものが外的環境の変化、特に危機的な激変によってダイナミック(動的)に急速に変化するということ、それも、その変化が後世に生き残るという鍵であるという点は歴史(結果論的視点)からは「いつも正しい」わけです。変化して死んだのもいるでしょうが、変化しなかったのは確実に絶滅したわけですから、「適応力のあること」こそが進化、成長、繁栄への一里塚(必要条件)であることは間違いないと思います。この「外的環境の、しかもとりわけシビアで危機的な変化こそが生物を強くして進化させる」というテーゼがどういうメカニズムで発生するのかは丸山教授の本でも他の書籍でもわかりませんでした。

しかし、そうではあっても、ということは、重要な結論を導くのです。結果論的視点ではない「現在(now)」においてAかBかを選択しなくてはいけない場合、「適応力のないほうは捨てろ」という結論です。どんなにいま現在、盤石で強く、永続的、魅力的に見えようとです。人、会社、大学、役所、国、経営戦略、すべてにおいてと考えたほうがよい。僕は若者に「若いときの苦労は買ってでもしろ」「選択肢があれば嫌な方を選べ」と教えるのはそのためです。適応力はそうやって訓練できるからです。国だってそうだ。三方敵であるスイスに住んでその強さを知ったし、日本国の歴史だって中国、韓半島の情勢変化に揺動されておきた事件がたくさんある。両国とも事態に適応する力で征服されずに生き延びた歴史をもっています。

しかしもっと身近な例で、皆さんが学校、就職先、恋人、結婚相手、社員を選ぶとき、投資する株、人事評価、経営者にとって経営戦略を策定するとき、もっというなら皆さんは毎日何らかの小さな選択をしていますが、そこでもです。人生はその積み重ねだからこのテーゼを常に頭の片隅に置いた方が良いと僕は思っています。

第一世代のルンバ

企業に当てはめてみましょう。企業というのは生物と似ていて、ダイナミックな外的環境変化に適応し変化していかないと死を迎えます。倒産するか吸収合併されるということです。後者の場合、社名やブランド名は残ってもそれは外部に見せるだけの抜け殻で、内臓は捕食者に食い尽くされています。日本のお家芸だった半導体や家電産業は好例でしょう。気づかぬうちにスターバースト放射線が放射され、全球凍結があったのです。その極寒の環境のなかで、死滅したと思われた英国の家電業界からサイクロン式掃除機のダイソン社が、アメリカからは「ルンバ」のiRobot社が出現しました。日本の家電メーカーが思いもよらぬ新生物の登場です。僕はルンバを初めて見たとき、カンブリア紀に我が世を謳歌した古生物さながらに見えました。しかし、仮に100年後にルンバやサイクロンしか残らなかったとするならば、後世人類の目には、我々の使ってきた日立や東芝の「電気掃除機」が奇態なカンブリア紀の生物に写るでしょう。

ルンバはロボット、AIという進化した脳が掃除機という旧世代生物に寄生してできた新生物です。これが「細胞は別生物だったミトコンドリアを取り込み、哺乳類は腸内細菌と共生関係になる」という適応です。我々の脳と腸はもともと別生物だったそうで、企業でいうとM&Aで合併した会社として適応・進化して地球の支配者になったということです。このことは、「既得権益を守ってぬるま湯に安住」し「武士は食わねど高楊枝」を決め込み、「人材の多様化を図らず純血主義に固執」する企業は、やがて全滅すると考えるに足る理由です。僕がそう思うからではなく、結果論として、生物進化と企業盛衰は似た現象であり、メカニズムはどちらもわからないが、結果論的視点に拘泥するのは科学的姿勢でないと批判するよりもそれを信じてしまって行動したほうが、学者ではない僕たちには実利的な生き方ではないか、ということです。

僕ら昭和世代は高度成長期の誇りをもって生きてきましたが、世界の産業界のダイナミックな変化と新生物のたびかさなる出現を見るにつけ、あの繁栄はカンブリア大爆発の類だったのかもしれないと思うのです。

アノマロカリス、ハルキゲニア、オパビニア・・・

まずいまずい、これって意外に俺なのかもしれない・・・・

始祖ではあるけれど、自分は生き残らないんだろうな・・・・

昭和の成功体験にすがればすがるほど、企業も国もつぶれるでしょう。そう確信してます。僕はサラリーマン時代の(昭和の)成功体験は全部捨てました。それがソナーの真骨頂で、そう考えると去年の苦労もストレスも我が社を適応させて生存能力を高めたのかなと手前味噌に考えております。

 

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まったくとりとめもない正月

2019 JAN 5 16:16:23 pm by 東 賢太郎

新年早々不景気な話ではありますが、多摩川を超低速で半年ぶりに走ったら今日はまたヒザがおかしく、どうもいけません。さっそくホテルのフィットネスに申し込み、ビックカメラでフットマッサージ器、ぶるぶるマシンなどを購入して対策は講じてみましたが不安です。

年末に忙しかったのもありますが、この2年、あまりに多くの大事な人を僕は失いました。ほとんど一気に、怒涛のように喪失感に飲み込まれ続けてきた感があります。立ち直っては打たれ、また打たれで、自分でも戻れたかどうか分からないままどこか心身にひずみが来ているのかもしれません。

この年末年始はかつてない軽さでさくさくと過ぎたのもその印象を倍加します。お正月気分は皆無。2日にはマッサージに行って担当のHさんに3時間、頭を空洞にして帰ります。3日はステーキ屋に行って300g、まだ若いと確認して帰ります。いろいろ思いつくまま、少しづつ心を軽くしていくしかありません。

異界にいざなってくれるのはミステリーかなということで、女流クリスチアナ・ブランドの「ジェゼベルの死」を読みましたが、原文がそうなのか翻訳がだめなのか、殺人現場である舞台の情景描写があまりにへたくそ。フーダニットなのに思考材料のピースがわけがわからずストレスがたまるばかりでした。

僕は女性の書いた地図は弱い。ことごとくわからない。言葉で説明を求めると往々にしてもっとわからない。この書は両人が女性でそのせいかなあと思って読んだ次第。やはりクイーンのオランダ靴がなつかしい、偏見と言われようが何だろうが、あれは男しか書けませんね。ああいうのが読みたいなあ。

TVは特集で観た大谷翔平。彼の全本塁打22本は痛快で超ド級、投げながら松井秀喜の本数を抜いたというのは凄まじすぎ。投球では51回で63奪三振は凄すぎ。球速でメジャー第3位、打球の初速で9位、新人王は当然ですね。米国人を彼ほど力でねじ伏せ、なぎ倒した日本男児は歴史上彼だけです。国宝。

彼はケガがなければ100億円プレーヤーになるでしょう。それだけ客が払って見に来てくれるという道理があるのであってもらいすぎでも何でもない。彼の球が速いといっても草野球の投手より50%速いだけだから、平均年収500万円に対して750万円もらえばいいだろうという人は共産国にもいないでしょう。

余談ながら、去年僕はドームで30試合ぐらいは観ましたが、すべての投手の投げた剛球の1位は菅野でも則本でもなく、二軍戦で投げた巨人・カミネロの外角高め154キロのボール球でした。あの威力は凶器、二人は殺せますね。それでも彼はクビなんです。人間おおいに差があるしトップレベルの僅差は大差です。

駅伝は青学強しで、なんとなく僕の判官びいきに火がついて東海大、東洋大を応援。国士舘の2区、ヴィンセント君の力走には感動しました。この競技、ゴルフのストロークプレーと同じでダボをたたかないゲームですね、つまり10人が5-6位なら優勝、青学はダボ2つで2位。野球なら打線のつながりですね。

4日はソナー社員7名で恒例の日枝神社お参り。11時前でしたがいつになく待ち時間なしでスムーズでした。ここでランチが創業来。去年S君とたまたま山の茶屋のウナギを食べたので今年もと、宮川さんでいただきました。ウナギは夏という思い込みの逆張り精神、大好きですし、現に本来は冬がうまいのです。

今年は相場がup-downして面白くなりますね。猫も杓子も儲かるなんてのは我々にはつまらない。あんまり下がらないボトム圏の株で上昇余地が大きいのをさらに安く買いたいので下げ相場は歓迎なのです。米中摩擦で中国も下がってます、チャンスですね。

まったくとりとめもない正月でしたが、これが現実だということで。

 

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2019年、ひいたぞ「大吉」

2019 JAN 2 11:11:14 am by 東 賢太郎

皆さま、明けましておめでとうございます。

「鶴林 よしだ」さんのお節。6年ずっとこれ。

今年の元旦は晴天に恵まれましたね。富士を拝みながら例年どおり父(95才)を囲んで心斎橋「鶴林 よしだ」さんのおせちで家族平穏にスタートいたしました。宇佐神社のおみくじは今年は「大吉」。勝負の年ですね。皆さまは元旦、いかがお過ごしでしたでしょうか。

昨年は早々から厄災がいろいろあって頭がいっぱいであり、過労で倒れていてもおかしくなく、不安になって検診に行った時期もありました。12月に入ってまた急場がやってきて同様になってます。健康が唯一の取り柄だったのですがそれも危険水域だったようで、点滴を打たれて自信がうせてきました。

「自然体で無理せず」のモットーが崩れたのがいかんですね。この仕事は「戦況」が日々転々とするので、それに振り回されると第1次大戦のドイツ軍みたいになってしまいます。しかし守る立場でもなし、米国のように不干渉でいられる余裕もなしなしです、一個師団+友軍で西部戦線突破といきたいですね。

正月ですから今年の相場について少々。波乱になるでしょう。米中のコンフリクトは最低2年は続くと見ております。ということは世界経済の成長率の下方修正要因であり、世界の中銀が利上げ姿勢で臨めば株やビットコインで浮かれられた環境でなくなるのは確実です。僕は今年の投資のキーワードは「技術革新」と「バリュー」になると確信しております。

たまたまわが軍は中村修二先生のノーベル賞最先端革新技術と、バリュー投資で日本一のノウハウとデータを有しています。もしそういう環境がやってくるとすればこの波乱はチャンスであり、いつやるの?今でしょ、という時の利を得ています。「大吉」のご加護もありますしこんな条件の新年はもうないでしょう。指をくわえて見ていても失敗しても同じこと、ここは一気呵成にやるしかありません。

となると、僕の今年の目標は明白です。

「無病息災」

であります。ここで倒れては一巻のおしまい。「自然体で無理せず攻める」のは難しいのですが、これは8割の力でスナップの効いた回転のいい球を投げるということ。食を制して運動はフィットネスかヨガかジョギングかと普通のことになりますが、やることが大事、やります。

恐る恐る新入りのシロ・クロの様子をうかがうノイ

もうひとつ、ノイであります。年末に年上が2匹もやってきてしまいました。プライドの高い姫であり、自分からは近寄らないし、寄られるとウーと低く唸り、ときにシャーが出てしまいます。それでも気になってときどきリビングを覗きに来ます。「もういないだろう」という感じで。それが必ずいるし、しかも可愛がられているものだからすねていて、後ろ姿が寂しそうです。これはまずいと思って集中的に遊んでやったらちょっといい感じですね、これだ、これでいこうということで。猫もいろいろ大変なんです。

最後に、同年輩の皆さまにおかれましても無病息災に越したことはありません。今月に再度、漢方の神山先生と統合医療の森嶌先生による巨頭会談をセットしており、東洋医学と西洋医学を融合した新しい実践的な健康サポートのコンセプトを共同で構築していただくプロジェクトを企画しております。成果はいずれ当ブログ、Nextyleの動画などで公表しますのでお役立てください。

それでは、皆さま本年もよい年でありますようお祈り申し上げます。

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今年のプライベート5大ニュース

2018 DEC 31 22:22:09 pm by 東 賢太郎

2018年のプライベート5大ニュースです。

1.ヒザが痛い

体重が増え筋肉が落ちただけといわれる。

2.右目に飛蚊症

左目はすでに飛んでおりバランスがとれる。

3.猫3匹体制に移行

マネジメントは苦労するも精神的な貢献は大。

4.巨人軍の応援歌が歌えるようになる

年間シートの効果。ただしタオル回しはやらない。

5.社業は年末に切り返す

二段目ロケット噴射の時期に来た予感。ここで一気に成層圏へ突き抜けたい。

 

今年のおみくじは「小吉」で、そのとおりの1年でありました。仕事の環境は前半が大変に厳しく、そのぶんよく働きましたが仕事以外の記憶はあまりない年になってしまいました。9回裏に逆転アーチが出て上り坂ですが、体力は下り坂。これをどうするかが来年の最大の課題です。

それではみなさん、よい年をお迎えください。

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野村證券・外村副社長からの電話

2018 DEC 10 23:23:02 pm by 東 賢太郎

外村さんと初めて話したのは電話だった。1982年の夏のこと、僕はウォートンに留学する直前で、コロラド大学で1か月の英語研修中だった。勉強に疲れて熟睡していたら、突然のベルの音に飛び起きた。金曜日の朝6時前のことだった。

「東くんか、ニューヨークの外村です」「はっ」「きみ、野球やってたよな」「はあ?」「実はなあ、今年から日本企業対抗の野球大会に出ることになったんだ」「はい」「そしたらくじ引きでな、初戦で前年度優勝チームと当たっちゃったんだ」「はっ」「ピッチャーがいなくてね、きみ、明日ニューヨークまで来てくれないか」「ええっ?でも月曜日に試験があって勉強中なんです」

一気に目がさめた。この時、外村さんは米国野村證券の部長であり、コロンビア大学修士で日本人MBAの先駆者のお一人だ。社長は後に東京スター銀行会長、国連MIGA長官、経済企画庁長官、参議院議員を歴任しニューヨーク市名誉市民にもなられた寺澤芳男さんだった。寺澤さんもウォートンMBAで、ニューヨークにご挨拶に行く予定は入っていたが、それは試験を無事終えてのことでまだまだ先だ。なにより、留学が決まったはいいものの英語のヒアリングがぜんぜんだめで気ばかり焦っているような日々だった。しかし、すべては外村さんの次のひとことで決したのだ。

「東くん、試験なんかいいよ、僕が人事部に言っとくから。フライトもホテルも全部こっちで手配しとくからいっさい心配しないで来てくれ」

コロラド大学はボールダーという高橋尚子がトレーニングをした標高1700メートルの高地にある。きいてみると空港のあるデンバーまでタクシーで1時間、デンバーからニューヨークは東京~グァムぐらい離れていて、飛行機で4~5時間かかるらしい。しかも野球なんてもうやってないし、相手は最強の呼び声高い名門「レストラン日本」。大変なことになった。

その日の午後、不安になり友達にお願いして久々に肩慣らしのキャッチボールをした。ボールダーで自転車を買って走り回っていたせいか意外にいい球が行っていてちょっと安心はした。いよいよ土曜日、不安いっぱいで飛行機に乗り午後JFK空港に着くと外村さんが「おお、来たか」と満面の笑顔で出迎えてくださった。これが初対面だった。午後にすぐ全体練習があり、キャッチャーのダンだと紹介されてサインを決めた。俺は2種類しかないよ、直球がグーでカーブがチョキね。簡単だった。フリーバッティングで登板した。ほとんど打たれなかったがアメリカ人のレベルはまあまあだった。監督の外村さんが「東、明日は勝てる気がしてきたぞ」とおっしゃるので「いえ、来たからには絶対に勝ちます」と強がった記憶がある。そう言ったものの自信なんかぜんぜんなく、自分を奮い立たせたかっただけだ。ご自宅で奥様の手料理をいただいて初めて緊張がほぐれたというのが本当のところだった。

いよいよ日曜日だ。試合はマンハッタンとクィーンズの間にあるランドールズ・アイランドで朝8時開始である。こっちがグラウンドに着いたらもうシートノックで汗をかいて余裕で待ち構えていたレストラン日本は、エースは温存してショートが先発だ。初出場でなめられていたのを知ってよ~しやったろうじゃないかとなった。板前さんたちだろうか全員が高校球児みたいな髪型の若い日本人、声出しや動きを見れば明らかに野球経験者で体格もよく、こっちは日米混成のおじさんチームで27才の僕が一番若い。初回、1番にストレートの四球。2番に初球を左中間2塁打。たった5球で1点取られ、天を仰いだ。コロラドから鳴り物入りでやってきてぼろ負けで帰るわけにはいかない。そこから必死でどうなったかあんまり記憶がないが、僕の身上である渾身の高め直球で4番を空振り三振にとったのだけは確かで、なんとか2点で抑えた。

勝因は外村監督の「バントでかき回せ」「野次れ」の攪乱戦法に尽きる。これがなかったら強力打線に打ちくずされていただろう。全員が大声を出してかき回しているうちに徐々に僕のピッチングも好調になって空気が変わってきた。第1打席で三振したので外村監督に「次は必ず打ちます」と宣言し、次の打席でファールだったが左翼にあわやホームランを打ち込んだとき、投手がびびった感じがして四球になり、勝てるかなと初めて思った。そうしたら不思議と相手に守備の考えられないミスも出て、流れは完全にこっちに来た。後半はまったく打たれる気もせずのびのび投げて被安打3、奪三振5で完投し、大番狂わせの11対2で大勝。翌日の日本語新聞の一面トップを飾った。甲子園でいうなら21世紀枠の都立高校が大阪桐蔭でも倒したみたいな騒ぎになった。

後列、右から3人目が僕

午後の飛行機でコロラドに帰ったが外村さんのご指示で持ちきれないぐらいのインスタントラーメンやお米をご褒美にいただき、学校でみんなに配ったら大評判になった。試験のことはからっきし記憶にないが、無事にウォートンへ行けたのだからきっと受かったんだろう。ということはシコシコ勉強なんかしてないで野球でサボって大正解だったわけだ。やれやれこれで大仕事は果たしたと安心したが、それは甘かった。翌週末の2回戦も来いの電話がすぐに鳴り、三菱商事戦だったがまたまたバント作戦でかき回し、10対0の5回コールド、僕は7奪三振でノーヒットノーランを達成した。また勝ったということでこの先がまだ3試合あって、フィラデルフィアからも2度アムトラックに乗って「出征」し、日系企業45チームのビッグトーナメントだったがいちおう準決勝進出を果たした(プロの投手と対決した思い出)。

コロンビア大学ベーカー・フィールドのマウンドに立つ(1982年8月29日)

準決勝で敗れたがそこからが凄かった。決勝戦と3位決定戦はルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカー・フィールドで行われたからだ。そんな球場のマウンドに登れるだけで夢見心地で、けっこう普通のグラウンドだなと思ったがアメリカ人の主審のメジャーみたいにド派手なジャッジがかっこよくてミーハー気分でもあった。ベースボールってこんなものなのかと感じたのも宝物のような思い出だ。この試合、まずまずの出来で完投したが、相手投手陣が強力で攪乱戦法がきかず4対2で負けた(被安打2、奪三振5)。思えばこれが人生での最後のマウンドになった。本望だ。甲子園や神宮では投げられなかったけれど、すべてが外村さんのおかげだ。

外村監督が4位の表彰を受ける

残念ながら初陣は優勝で飾れず申しわけなかったが、この翌年、ウォートンで地獄の特訓みたいな勉強に圧倒されていた僕は外村さんがアリゾナ州立大学の投手とハーバードの4番でヤンキースのテスト生になった人を社員に雇ってついに念願の優勝を果たされたときき、おめでとうございますの電話をした。我がことのようにうれしかった。アメリカで仕事する以上は野球で負けられんという心意気には感服するばかり。遊びの精神がなかったら良い仕事なんてできない、こういうことを「たかが遊び」にしない、やるならまじめに勝つぞという精神は、仕事は本業だからさらに勝たなくてはいけないよねという強いスピリットを自然に生むのだ。僕みたいな若僧を委細構わず抜擢して火事場の馬鹿力で仕事をさせてしまう野村のカルチャーも素晴らしいが、それをああいうチャーミングでスマートな方法でやってのけてしまうなんて外村さん以外には誰もできなかった。

大会委員長から「最優秀選手賞」のトロフィーをいただく

試合後の表彰式で4チームの選手がホームベース前に整列した。各監督への賞品授与式が終わって、いよいよ選手一同のお待ちかね、今大会の「Outstanding Player賞」(最優秀選手賞)の発表になった。緊迫したプロ並みの投手戦となってスタンドがかたずをのんだ決勝戦、1-0の完封で優勝した神山投手(甲子園選抜大会で岡山東の平松政次に投げ勝った人)に違いないと誰もが思っていたらマイクで呼ばれたのは僕の名前だった。一瞬あたりがシーンとなる。各チームのエースの方々の経歴は優勝が阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)、2位がヤンキース、3位が読売ジャイアンツで素人は僕だけ。しかも4位だ。何かの間違いだろうとぐずぐずしていたら、その3人の大エースがお前さんだよ早く出てこいと最後尾にいた僕を手招きし、そろって頭上であらん限りの拍手をくださった。ついで周囲からも拍手が響き渡り、あまりの光栄に頭が真っ白、お立ち台(写真)では感涙で何も見えていない。

それもこれも、外村さんの電話からはじまったことだ。このことがその後の長い野村での人生で、海外での証券ビジネスの最前線で、独立して現在に至るまでの厳しい道のりで、どれだけ自信のベースになったか。後に社長として赴任されたロンドンでは直属の上司となり、英国では英国なりにゴルフを何度もご一緒しテニスやクリケットも連れて行っていただいた。国にも人にも文化にも、一切の先入観なく等しく関心を向け、楽しみながらご自分の目で是々非々の判断をしていくという外村さんの柔軟な姿勢は、ビジネスどころか人生においても、今や僕にとって憲法のようなものになっている。

そこからは仕事の上司部下のお付き合いになっていくわけだが、常に陰に日向に気にかけていただき、ときに厳しい目で苦言もいただき、数えたらきりのないご恩と叱咤激励を頂戴してきたが、誤解ないことを願いつつあえて本音を書かせていただくならば、僕から拝見した外村さんの存在は副社長でも上司でもなく、すべてはあのコロラドの朝の電話に始まる野球大会での絆にあった気がする。だから、まず第1にグローバルビジネスの酸いも甘いも知得されなんでも相談できる大先輩であり、第2に、延々とそれだけで盛り上がれる、野村には二人といない野球の同志でもあられたのだ。

きのう、外村さんの旅立ちをお見送りした今も、まだ僕はそのことを受け入れられていない。9月10日にある会合でお会いし、ディナーを隣の席でご一緒したがお元気だった。その折に、どんなきっかけだったか、どういうわけか、不意に全員の前で上述のニューヨーク野球大会の顛末をとうとうと語られ、

「おい、あのときはまだ130キロぐらい出てたよな」

「いえ、そんなには・・・たぶん120ぐらいでしょう・・・」

が最後の会話だった。11月1日にソナーが日経新聞に載ったお知らせをしたら、

東くん
何か新しいことに成功したようですね。おめでとう。
外村

とすぐ返事を下さった。うれしくて、すぐに、

外村さん
ありがとうございます、少しだけ芽がでた気がしますがまだまだです。これからもよろしくお願いします。

とお返しした。これがほんとうに最後だった。この短いメールのやり取りには36年の年輪がかくれている。おい、もっと説明してくれよ、でもよかったなあ、という「おめでとう」だ。でもわかってくださったはずだ。そして、もし説明していたら、外村さんはこうおっしゃっただろうということも僕はわかってしまう。

12月5日の夜、外村さんが逝去される前日に、なんだか理由もきっかけもなく、ふっと思いついてこのブログを書いていた。

寺尾聰「ルビーの指環」

あとになって驚いた。1982年だって?このブログはコロラド大学に向けて成田空港を出発し、外村さんからあの電話をいただく直前の話だったのだ。どこからともなくやって来たなんてことじゃない、あれから36年たってかかってきた、もう一本の電話だったのかもしれない。

外村さん、仕事も人生もあんなにたくさん教わったんですが、野球の話ばかりになってしまうのをお許しください。でも、きっとそれを一番喜んでくださると確信してます。ゆっくりおやすみください。必ずやり遂げてご恩返しをします。

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