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カテゴリー: 徒然に

あなたの年代の男がいちばん危ないの

2024 AUG 28 0:00:25 am by 東 賢太郎

最近、夕食後に2~3キロ走っている。9~10時あたりだとそう暑くもなく、なにより暗くて人通りがなく、昼間の俗事を忘れて空っぽになれる。坂道が多いので汗をかく。時に全力疾走も入れてみたりするが心肺ともに問題なく、俺はまだまだいけると自信がわいてくる。

ところが昨日、その自信を粉々にする事件があった。多摩川台公園下まで何事もなく走り、公園脇の坂を登ろうか、それとも川辺の歩道に降りようかと迷った。べつにどっちでもいいのだが、たまたま伊藤貫さんのyoutubeを見ていたら西部邁さんと仲が良かったと語っていた。両氏とも思想的に割合近くて僕は敬意をもっており、西部さんが自裁されたのがそのあたりであったのでなんとなく手を合わせていこうという気持ちになった。

そこで、多摩堤通りの信号を横切って、3,4メートルの高さの堤防から川辺に下る土を削った階段を降りた。足元は暗い。数段を下ると思ったより急勾配であり、足が疲れてるせいかけっこう勢いがついてしまった。まずいと思ったがもう止まらず、前方は草むらでよく見えず、やむなく、この辺で地面だろうとぴょんと飛んだら全然そうでない。つまづいて前のめりになって砂利道に叩きつけられ、ぶざまにひっくり返ってズルズルと体側で路面をこすってやっと静止した。

要するに、半ズボンでヘッドスライディングしたわけで、左足の脛(すね)と左ひじを盛大に擦りむいた。電灯に照らすと血まみれ泥だらけである。電話して車で来てもらい、家内に応急処置をしてもらったが、まだずきずき痛い。おかしいなと田園調布病院に電話しておしかけ、「遅くにすいません、みっともないこって」と頭をかくと、若い医師とふたりの看護師さんがやさしく対応してくれ、ピンセットで線状の傷口にめりこんでいた小石を除去し、消毒ガーゼを貼ってぐるぐる巻きにし、念のためにと破傷風のワクチンまで打ってくれた。コロナのときの聖路加もそうだったが、日本の医療は実に安心だ。

楽しみだった週末の温泉は問答無用で没になった。家族は大騒ぎになり、箱根で一緒の予定だった従妹に電話して謝ると、旦那も何日か前に階段で落ちたらしい。「ね、ケンちゃんわかる?あなたの年代の男がいちばん危ないの、そうやってみんな過信して病院行きになるんだから」と懇々と説教された。

それはそれでありがたかった。僕は何事も前向きにしかとらない。能天気でも楽天家でもないが、とにかく後向きにはとらない。だからこの怪我もきっと良い予兆であるか、あるいは、凶事を避けられた、守られたんだと思えてしまう。医師が「骨は大丈夫ですか」と心配した傷だ、あの勢いで頭を打ってたら死んだかもしれないが、死んでないんだから良かったと思える。そうでない人も、この性格は無理してでも作るべきだ。なぜなら、本当に人生で得をするからだ。僕には思い出したくないたくさんの禍々しい失敗や不遇や凶事があった。しかし、後になってみると、実は、それがなければあのラッキーはなかったじゃないかということが非常に多いのだ。なぜかは知らない。たぶん、そういう風に生きていると勝手にそうなる。それがはた目にはツキがあるね、持ってるねということになる。

多くの国の多くの外国人と働き、どういう人たちかを知っている。断言するが、彼らを基準としてみれば日本人の9割は心配性であり、はっきり書くと、ビジネスの世界においてそれはうつ病や心神耗弱に近い。大きなリスクに対してなら結構だが、ちまちまとくだらないことに気をもんだり批判を気にする空気に負けて「石橋をたたいて渡らない」なんて寂しいことになってる。国中が国民的にそうであり、本来あまり気をもまなくていい国家がプライマリーバランスをたてに金を使わないと民間は委縮して失われた30年などとクソくだらない小言を垂れてる。その間に先端技術や半導体で世界に大きく後れをとってしまっても他人事のようにやばいと思わない民間の「石橋わたらない根性」というものは、棒で突っついても飛ばない死にかけのカラスみたいなもんで、こっちを誰も批判しないことの方も、世界の目線からすると病気である。株や土地を中国人が買い占めて怪しからんと騒ぐのが保守だなんてわけのわからんことを言ってる。経済安保とそれは全然違う。死にかけの獲物は簡単に捕獲できるからジャングルでは食われるのが当たり前であって、それが嫌なら彼らは江戸時代に戻って鎖国しろと主張すべきである。

食われんようにちゃんと経営して株価を上げろが世界の常識だ。実体価値より値段の高い株など犬も食わぬ。ビジネスのビの字も分かってない連中が馬鹿の一つ覚えみたいに財務省、日銀が悪いって、自由主義国家で役所が頑張って経済を成長させるべきだなどと言う議論は、国が女性の少子化担当大臣を任命すれば子供がたくさん生まれるというおバカな議論といい勝負だ。人間は平等にできていて、青い鳥は誰にも同じだけ飛んで来る。心配性の人は確実にぜんぶ取り逃がす。前向きな人は十回来れば九回は逃がしても一回ぐらいはつかまえる。人も国も、成功者になるかどうかはそれで決まると言ってまったく過言ではない。ユニクロの柳井さんが著書「一勝九敗」でおっしゃるのはそういうことだ。少数精鋭で経営しろとも語ってる。その通りだ。多数の馬鹿の空気と合議制でやってればいずれ全部のカラスが外資に食われる。

「あなたの年代の男がいちばん危ないの、みんな過信して病院行きになるんだから」。そうだけどビジネスマンに過信は大事なんだ。だって取れると思わないと鳥は取れない。危険だから取らなくていいと細く長く生きる人生と、取りに行ってすっころんで早死にするかもしれない人生なら、僕は後者を選ぶ。ただ、みんなに迷惑をかけないように、暗い階段を走るのだけはやめよう。

 

お彼岸の浅草で考えたこと

2024 AUG 17 18:18:52 pm by 東 賢太郎

浅草へ行った。不思議な処だ。神田育ちで下町好きの親父に連れられてよく来たが、にぎにぎしい仲見世通りのこの風情たるや、テキ屋がずらっと並んでうきうきするやすぐ閉じてしまうお祭りや縁日を年中やってくれている贅沢感がたまらない。当時、ハイカラだねという日本語があった。世田谷も成城あたりで育つとこれのことかと思い込まされている種の言葉で、だからここは異界である。長じて知ることになった異国情緒なるものに似た気分さえ味わっていたのだから、いまそこいらじゅうから聞こえてくる異国の言葉の人々がこれをどう感じているのかは想像すらつかない。日本らしさ東京らしさを覚えているならばそれは正しくもあり、誤解でもある。

浅草寺の北のほうはさらに馴染みがないがその昔は吉原あたりで、いまも猥雑さが残る。飯はだいたいがそうした界隈のほうが旨いというのは大阪でもそうだった。単に自分がB級好きということかもしれないが、香港やタイやベトナムでも、さらにはニューヨークでもロンドンでもフランクフルトでもそれは思ったからインターナショナルな法則かもしれない。せっかく来たから弁天山美家古鮨はどうかなと馬道通りに向かった。まあ盛夏に寿司なんてろくでもねえと思いきやちゃんとお盆休みだ。じゃあ趣向をかえて洋食だねということで、これも老舗であるリスボンと相成る。10分ほど待ってありついたのはカツレツだ。ソースはケチャップで、衣のカリッとした歯触りが実にいい。

満腹で外に出たところが、くそ暑いなかで一気に飲んだビールがいけなかった。隅田川に出たあたりでだんだん足どりが重くなり、視界が青黒くぼやけてちらちら星が見えだしたからいけない。向こう岸に東京スカイツリーがそびえるあたりで手すりにつかまってじっとしていると熱中症だといわれたが、その病気はどこがどうなってどうすれば治るのか知らない。そういえばペットフード屋の策略なのか猫に甲殻類をやると死ぬとか騒ぐ。てんでおかしい。うちのチビは天丼の海老のシッポなんかばりばり食って長生きした。素人の分際で熱中症もそのたぐいとはいわないが、日本人が国民的に弱体化したのでなければいわゆるひとつの暑気あたり、関西ではあつけがはいるというもので、平均気温が上がった分だけ数は増えたのだろうが昔から亡くなる人もいたし平気な人もいて、いま甲子園でやってる子たちは平気な部類であり僕もそうだ。

休み休み川沿いの公園を上流の方に歩く。すると道端の句碑らしきものが目にはいり、

羽子板や 子はまぼろしの すみだ川

と読めた。水原 秋桜子遠い記憶がよぎる。高浜虚子と同様、教科書で見覚えて気に入った俳句があったが忘れた。まだぼーっとしておりその場はそれだけで去ったが、後で調べると秋桜子(1892 – 1981)は神田猿楽町の産院の息子で、我が曽祖父のキカイ湯の客人であったかもしれないと想像すると楽しい。獨協、一高から東大で医学博士、それで俳人になった。普通でない人は実に興味深い。東大医学博士の文人は森鴎外もいるが、個人的には音楽の方が好きであるのは理系確率が高く双方に親和性あるアートであるからかもしれず、れっきとした学位がある数学者のアンセルメ、ブーレーズ、クセナキス、化学者のボロディンはみな根っからの好みだからけっこう正しいと思ってる。

羽子板の句が気になっていた。帰宅して調べると、まぼろしであった亡き子はあの梅若丸のことだ。公園から少し上流の対岸にある木母寺に梅若念仏堂がある。この寺には伊藤博文揮毫の先祖の石碑があって無縁でない。ホームページに『梅若の死を悼んで墓の傍らにお堂を建設し、四月一五日の梅若丸御命日として、梅若丸大念仏法要・謡曲「隅田川」・「梅若山王権現芸道上達護摩供を開催します』とある。「隅田川」というと、1956年に訪日してこの能に感銘を受けたベンジャミン・ブリテンは2度も鑑賞した。その印象をもとに作曲したのが教会上演用寓話『カーリュー・リヴァー』である。ピーター・グライムズが大変な曲であることに気づき、ブリテンの歌劇、声楽曲はぜんぶ聴こうと思った矢先だ。

さて、そろそろ酔いも覚めたなと先に進むとほどなく言問橋(ことといばし)に至る。1945年3月10日の東京大空襲で米軍のB29が無辜の民を一晩で10万人殺したとんでもない惨禍がこのあたりだった。橋は焼夷弾で狙われて真っ赤に燃え上がり、浅草側(写真手前側)から逃げる人と、向島側(写真奥側)から逃げる人が身動きが取れないまま焼かれた。れっきとした戦争犯罪である民間人の殺戮は原爆だけではないことを、日本人であるならば記憶しておかなくてはいけない。

政治家の靖国参拝にかまびすしい者があるが、参拝はおろか僕はその隣の敷地にある九段高校で3年間の時をすごした。父方の親類はガダルカナルで戦死、母方の方はあわやA級戦犯でそこに祀られていたかもしれぬ。そんなに長くその場におれば英霊の魂もついて居ようというもの、79年前のことで済んだ話ではない。それでいて、米国の建国の地の大学院で2年の時をすごしてグローバリストの教育を受けたというパーソナル・ヒストリーは分裂的で、社命であったという以外に自己弁護の隙間がない。多くを学ばせてもらったことに相違はなく、みなが原爆投下を支持したわけでないことも理解した。米国のまともな人と真剣につきあう。大いにビジネスもする。そうしてジレンマを解き、英霊に報いる道を探る。それは両国をよく知る者しかできず、自分が最後の最後にやるべきことではないかと考えている。

戦争責任は布告なしの開戦にあり、その行く末に特攻により自国民に命の犠牲を強いるまで追い込まれ、よって米国が戦争を終結させるためやむなき無辜の民の殺戮へと至ったという大義のストーリーによって戦後の日本が独立国に戻り得ないよう囲い込まれ、無条件降伏による絶対服従のくびきに今もって甘んじ続けているという事実。その屈辱を全国民に分かりやすく開陳したことは、岸田内閣が日本のためにした唯一の功績である。これほど戦略思考のしたたかな米国および背後の勢力に対し、我が国は政治家にその程度の人材供給しかない。ならばいっそ米国の州になれ、それなら大統領を選挙できるという冗談がまともに響く。

伊藤博文(1841-1909)

明治から大正にかけての日本は日英同盟によって囲い込まれ、収奪したい清国、邪魔者であるロシアに闘犬の如くけしかけられた。勝ってしまった熱狂の陰でほとんどの日本人が気づいていないが、英国東インド会社は同じ手で薩長に武器を与えて倒幕させ、まやかしの同盟という美名をもって日本全土を囲い込むのに成功したのである。その英国に密航、留学し、手先として取り込まれて内情を知り、明治維新と呼ばれることになるクーデターを推進して初代日本国総理大臣になった伊藤博文は日英同盟締結に懐疑的だった。相手を魑魅魍魎と熟知していたからだ。だから日露開戦に反対であり、むしろ同盟すべきと考えていた。よって邪魔者となりハルビン駅頭で射殺されたのである。犯人は朝鮮独立運動の志士、安重根ただひとりということになっているが伊藤に命中した弾丸は複数の狙撃手から発せられたものであることが判明している。2年前、そしてつい先日に聞いた話は1909年から現実だったのである。

 

 

 

浄真寺の盂蘭盆会大法要で考えた日ユ同祖論

2024 JUL 15 10:10:09 am by 東 賢太郎

九品仏の浄真寺前にある歯科医で検診をしてもらった。昼前で天気も良い。帰り際にふらっと寺の参道に足が向いたが、こんなことは僕の場合めったにない。門のところに猫が何匹か住みついており、暑いのにどうしてるか気になったぐらいのものだが、せっかくだから本堂の阿弥陀様にお参りしようという気になった。この寺は奥沢城の跡地に1678年に創建され、東京の寺社としては異例の広さで敷地面積は12万㎡(約350m四方換算)ある。黒柳徹子さんが子供の頃に遊んだ池はこの北側だったと思うが、もう影も形もない。奥沢城だったころ、我が家に近い古墳に建っている源氏ゆかりの宇佐神社あたりから田園調布双葉学園まで多摩川の流れが来ていて、坂下で武器を荷揚げして馬で城まで運んだという。神社下の寺は1316年あたりに創建でけっこう古く、そこの僧侶の寮があったことから寮の坂と呼ばれている。この辺を歩いてるとずいぶん浮世離れしていて東京という感じがしない。だから都知事選も実感はなく、あまり関係ないから誰が知事だろうがいい。あるのは田舎もんが東京をいじるなという三代江戸っ子の郷土愛と性格からくる好き嫌いで、「あいつは駄目」だけだ。

浄真寺は名刹であり正月は人でごったがえすが、この日は様変わりの静けさである。なかなかいいものだ。それほど暑気もなく緑豊かで空気はうまく、九品の阿弥陀如来に手を合わせてから薄暗い本堂の裏手まで入ってみた。日々ビジネスでざわついた心が根をはったように落ち着いてくる。天然記念物に指定されている古木の大銀杏から足元の草花まで目をやりながら境内をゆったり歩く。亀より遅いこんな歩みは平素することがなく、見るものすべてを鮮やかにする。

さて帰ろうかと駅に向かう、すると、”うら盆法要” なるものが始まるというアナウンスが境内中に響いて思わず足を止めた。うら盆は先祖の霊を祭るいわゆるお盆であり、原語はサンスクリット語のウッランバナだと説明されていた。こうした外国語の音写は日本文化の遺跡のようなもので大変に興味がある。それもウッランバナは「逆さ吊り」の意味と言っているのが聞こえる。これは看過できない。そういえばここは「おめんかぶり」という念仏行者が浄土・穢土の間にかかる橋を渡る厳かな行事があって、4年ごとにやるらしい。もう何年もまえに観たのだが、8月という真夏の盛りで暑いわ蚊に食われるわで往生もした。それゆえだろうか、気候変動もありという理由で2017年からは5月5日になっており、今年それがあったようだ。仏事にはいたって疎い。法要はどんなものか、とにかく行ってみようと本堂にひき返すことにした。

おめんかぶり(向こう側が穢土、こちら側が浄土)

ほの暗い本堂の中はいくらかひんやりしている。この雰囲気、どこかで味わったなと記憶をめぐらす。そう、タイだ。バンコックのワット・プラケオで薄暗い寺院の中に入るとこんな感じだった。インドからの仏教伝来の道筋が五感を通じて体内でつながった気がする。阿弥陀如来像の前で椅子に腰かける。お顔をしげしげと見上げるとずいぶん大きいものだ。やがてお坊様が現れる。ひとしきり先祖供養の説話があり、いよいよ読経にはいる。まず一人の僧が笙(しょう)を吹く。二度、四度の和声にあれっと思った。雅楽と縁があるのか神仏習合なのか、仏堂で聴く音色は異なるものだ。いよいよお経がソロで始まる。やがてバックの僧侶が唱和すると6人の良く通るユニゾンとなり、時折、分唱となり、天井の高い本堂に響き渡るアコースティックが申し分ない。南無阿弥陀仏を我々4,50人ほどの会衆が10回唱和する場面が3度あり、その末尾は旋律となりa, b♭, d, e♭, fの旋法に聞こえた。終盤は3種の鉦(かね)、大型の木魚が打ち鳴らされリズミックになって加速し、木の葉に見立てた無数のお札が会衆の頭上にひらひらと放たれる。終了すると会衆は並んで焼香を許され、集め置かれた木の葉を頂いて退出となる。約30分の立派なコンサートであった。

ふと予備校の古文の教師が教材を読み解く背景として語った話を思い出した。平安時代、僧が大挙する朝廷の仏事は女房衆がわくわくして心待ちにする一大イベントであり、クライマックスの読経はコーラスアンサンブル、なかでも若いイケメンで声の良い僧侶には今ならキャーという感じで人気殺到だったそうな。女の園で鬱々とする日々。色恋は貴族限りで相手次第。なるほどさもありなんだ。清少納言も紫式部も、才に長け教養あるインテリの女房たちは出世競争には明け暮れたが蓋しおそろしく退屈だったのだろう。その積もり積もった鬱と暇なくしてあんな大作が産まれようもないではないか。

その素地があったから最澄、空海が持ち込んだ密教、すなわち現世利益、来世浄土を説く、小乗仏教に対して些か大衆化した仏教が貴族社会に根づいたと考えると納得だ。密教は開祖の国インドにおいて、大衆受けしてシェアアップしたヒンドゥー教に対抗するため大乗仏教が進化したもののようだが、英語で真言宗はesoteric teachingであり、「限られた者しか理解できない」のだから矛盾がある。その差異は「言語では表現できない仏の悟りを説いたものだから」とされ、我々素人には密教というと曼荼羅など視覚、体感的なもの、ややもすると性的な怪しさが特徴と見えているのだろう。

天皇の官邸である朝廷は本来は神道一本のはずだが、奈良時代から仏教と混交し、のちに法皇という両者がクロスオーバーした不可解な地位までが方便で登場し、しかもそれが天皇の上位概念の権威となって国を左右したわけだ。欧州でも教会が国王の権威付けをした神聖ローマ帝国が出現はしたが、我が国の場合は天皇=神(権威)であり、その上に屋上屋を重ねた神がいるという点で欧州とは全く異なる。神がいくつあっても許容する「八百万の神」を拝む国民性ならではなのである。そう考えると、天皇に神性(絶対的権威)をもたらす神道の礼拝所である神社に「ご神体が見えない」という事実の異様さは際立っていないだろうか。つまり偶像崇拝がない。イスラム教、ユダヤ教のような明文化した禁止令はないかも知れないが、どこに行ってもまず見ないから神像は拝まないのが古来よりの習わしであって、日本流の柔らかな禁止なのだろう。こんな不思議なことに目が慣れてしまうと誰もおかしいと思わなくなるのが理よりも八百万の神を尊ぶ日本人の民族的特性なのだ。神道には開祖もなく聖書のような正典もなく、教典と呼べるものは神話から始まる歴史書の「古事記」や「日本書紀」だけだ。どちらも国の正史だがなぜ二本立てなのか、これもわからない。

もっとわからないのは、(少なくとも)古事記の編纂を命じたのは天武天皇であるのに、奇怪なことに天武朝は皇室の氏寺である泉涌寺の奥の間に掛けられた額で示されている系図からは消されていることだ(クロスオーバー政権の南朝もそうであることを同寺にあげてもらって目撃した)。要はご先祖ではないという天皇家の意思表示である。ではよそ者である天武が書かせた古事記、日本書紀を正史とする「日本国」とは何なのかという極めてファンダメンタルな疑問が生じざるを得ないではないか。つまり日本国といものは、メジャーな例はイスラム教、ユダヤ教しかない「偶像崇拝を禁止する宗教」であって開祖も由来も正典も不明である神道と同じほど “出自不明の国” ということになってしまいかねないのである。これは昔から感じていたことだが、日本人が戦後にGHQのウォー・ギルト・プログラムで教育されるとあっさり八紘一宇を捨て去って一気に自信喪失になってしまったことと無縁でない。ルーツに自信が持てなくなっちまった者と、オレは紀元前に地球を支配する契約を神様と結んだんだぜと平然と豪語する奴らと、ディベートすればまあ大概は負けるだろう。これから世界の趨勢を決める意味で英米の対立軸となるBRICS、グローバル・サウスの面々とやっても負けるだろう。

ルーツは忘れましょう、300万人が命を落とした敗戦がルーツですね、では、「それまでの歴史はなかったことに」で、アメリカさん、NATOさんに身を寄せましょう。岸田総理も真意である風を装ってそれを演じざるを得ず、ある意味で気の毒でもあり、それを見て見ぬふりをしながら野党、評論家、マスコミが政局にして叩く。幸いなことにその悪夢はバイデン政権とともに終わる可能性がある(注)。しかし外務省の外交姿勢がそのままでは永遠の奴隷国であって、やがてローマに食われたカルタゴの運命になる。穢土から浄土へ、日本はどうやって橋を渡るのか、政治家ではなく国民が真剣に考えなくてはならない。

(注)本稿を書いたのはトランプ暗殺未遂事件の前日、7月13日であった

神道の由来を紐解くカギとして、天皇家が重んじる聖地の伊勢神宮がある。その成立は5世紀後半の雄略天皇朝が最有力説で、天武・持統の時代に祭祀の諸制度や社殿が整備されている。この事実は中々興味深い。倭の五王(中国の正史『宋書』だけに登場する倭国の五代の王、「讃・珍・済・興・武」)の武とされ「雄略天皇」と後から諡(おくり名)された人物は誰だったのだろう?5世紀にいまもって世界最大の墳墓である巨大な古墳を築き上げた「讃」こと仁徳天皇とは何者だったのだろう?

雄略天皇が創建した可能性が高い伊勢神宮の参道にずらりと並ぶ石燈籠に現在ではイスラエルの国旗にある六芒星が刻まれているのは有名だ(写真)。伊勢神宮というものが古代より天皇家が参拝し、皇位継承の儀式を行う聖地であること、および、天武天皇が記紀に「武」としか書かなかった人物に由来するものであることの二点を整合的に説明するには「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は共通の先祖を持つという主張)しかないと僕は考えている。陰謀論で片づける人が多いが、反証できないものを否定するのは科学、数学の教養ある者の態度ではない。

日ユが同祖で伊勢神宮がユダヤ教と関係があるとしてみよう。神社が偶像崇拝しない謎はあっさり氷解する。3世紀に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君(秦氏)、東漢氏(いくつもの小氏族で構成される複合氏族)など大陸経由で、12支族のうちの10のどれかに属していたユダヤ人が渡来して王権を築き倭の五王となり、自らの信仰の場として伊勢神宮の礎を創建した可能性は否定できない。ここで確認すべきは、一神教のユダヤ教徒が他教を認めることはあり得ないことである。そこで天武の行動を見てみよう。暗殺した蘇我氏が持ち込んだ仏教を信じ、皇后の健康回復を祈って薬師寺を建て、子孫の聖武が奈良に大仏を建立しており、関与した古事記、日本書紀には倭の五王はまったく記述がないことから、天武は確実にユダヤ教徒ではない。ゆえにユダヤ教徒である五王を無視したと考えられる。それでも比定される歴代大王(天皇)の名を記し、伊勢神宮を守護もしたのは、アマテラスに発する「日本国」というフィクションの連続性を保ち、自らの王権の正統性を内外に知らしめるためであると考えると辻褄が合う。その必要があったということは、やはり天皇家の系図が示す通り、彼はよそ者だったことになる。

天武が消されたのは日ユ同祖の血統を守るため天智系に戻したからだ。これは国体護持の英断であり、日本人は天皇家の男系相続の連続をもって国民の誇りとでき、神様と契約したかどうか契約書を見せろと迫って高々数百年の歴史しかない連中を見下せるのである。面白いのは天武系排除に弓削道教のセックススキャンダルを用い、日本人の忌み嫌う「穢れ(ケガレ)」をもちこみ宇佐八幡の神託を理由としたことだ。それはいまも週刊文春がジャニーズ事件でやっているではないか。かように日本人の深層心理は1300年前から微塵も変わっていない。裏金、脱税、ウソつき、学歴詐称など穢れのある人を政治家にしてはいけない。

系図で天皇家の父祖となっている天智系の桓武天皇は、末裔に至るまで仏教を信奉し、各自が小さな仏像を所持し、位牌と墓所があるのは真言宗の寺(泉涌寺)だ。国体護持には異国の経典まで写経して信奉する。天皇家までそうしたこの柔らかさは一神教とは真逆の思想であり、どんな苦難に遭遇しても決してぽきっと折れない。これぞ日本の宝と考える。

法要の笙(しょう)の音からあらぬ方に行ってしまった。「おめんかぶり」が変更された2017年は母が、5月5日は父が逝去している。仏さまに手を合わせろよと、浄真寺に足を向けるよう引っ張ったかなと思う。

猫がいるのはこのへん

どうしたTBS??(テレビがあっさり放映)

2024 JUL 10 7:07:26 am by 東 賢太郎

小池氏の学歴問題に「貝」になっていたテレビ局が動いた。それも「総力取材だ!」とTBS渾身の法螺貝が鳴った。なんだこれは、出陣の合図か?ぜんぶホラでしたのブラックジョークか?最後の二人の評論家のばつの悪そうな、貝の姿勢をキープしなくて大丈夫だろうか、オレ、電通に干されないかなのモゴモゴのコメントが失笑を誘う。

ネットでは「投票前にやれ!」と怒りの声が渦巻いてる。まあやっても公明党の岩盤票はびくともしなかったろうな。プロ野球オールスターのファン投票、去年はぜんぶ阪神、今年は日ハム、みたいなもんだ。国民の皆様わかったでしょ、日本人の民度はそんなもん、政治は “神様” が決めてるんだから。民主主義では国民のレベル以上の政治家は持てない。あっ、メディアもね。

父の日のちょっとした出来事

2024 JUN 19 7:07:09 am by 東 賢太郎

次女がロイヤルホスト行こうというので家族で行った。子供の頃ね、ステーキなんかめったに食べさせてもらえなくてね、ビフテキっていったんだよ。銀座の不二家でね、お爺ちゃんが機嫌がいいとチョコレートパフェとってくれて、帰りに銀色の筋が入った三角のキャンディー買ってもらってね、うれしかったね。

ジュースはバヤリースってのがあったけど安いんでオレンジの粉ジュースでね、底に粉が残るんでまた水足して飲んでたな。カルピスもそうやってた。バナナは台湾が高級であんまり出なかったよ、みかんかリンゴかスイカだな。キウイとかマンゴーとかパパイヤとか、そんなのはなかったんだ。

黒黒ハンバーグ定食にしたがそれだってご馳走だ。十分満足したが、食べなよというのでチョコレートパフェもとった。不二家のこれとアメリカ時代のビッグマックは高嶺の花だ。すっと背の高い巨大なパフェの頂上に位置する生クリーム部分にスプーンを入れると今でも誇らしさすら感じるものである。

そろそろ会計してくれという段になって、それは次女からのプレゼントだったことを知る。「そうだったんだ、休日はほとんど知らないんだよな」とばつが悪い。「お父さん、父の日は休みじゃないよ」という会話になる。パリのMBA様である彼女は会社でM&Aをやったらしく頼もしいもんだ。

映画で英国やドイツの街並みが出てくると、知らない場所なのに家族と過ごした記憶がフラッシュバックして思わず入り込んでしまう。そういう場面が脳裏にぎっしり詰まっていて、無限のように在るあんなことそんなことが蘇って心が動くのだ。なんて幸せな日々だったんだという感興とともに。

同じことが音楽でも起こる。ブラームスの6つの小品Op.118、亡くなる4年前に作曲された、彼の最後から2番目のピアノ曲だ。これを聴くとフランクフルトのゲーテ通りからツァイルという目抜き通り商店街に家族で歩いた週末の楽しい日々が瞼に浮かぶ。

そういえばフランクフルトでのこと、娘たちのピアノの先生が名ピアニスト、レオナルド・ホカンソン(1931 – 2003)の弟子ということで演奏会に連れて行ってくれた。アルトゥール・シュナーベルの最後の弟子の一人である。まるで昨日のことのようだが、あな恐ろしや、1994年だからもう30年も前になるのか。聴かせていただいたホカンソンのブラームスの第2ピアノ四重奏曲は実に味わい深く、終了後に楽屋でお礼を述べブラームスについて意見を交わしたが緊張していて内容はあまり覚えてない。いただいたCD、ここにOp.118が入ってるのだが、裏表紙にしてくれたサインはyoutubeの背景になっている。そのイベントを永久に残して恩返しできたかもしれない。滋味深い素晴らしい演奏だ。

いま、このフランクフルト時代の部下たちが事業を助けてくれている。次のチューリヒ、その次の香港でそういう交流はもうなく、やはり最初の店は特別だったのだろう、ドイツの空気を吸って仕事した部下たちは特別な存在だ。ドイツ語しか聞こえない中でどっぷり浸っていたバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、ブルックナー・・・これまた人生最高の至福の時だった。

次女の記憶は幼稚園に上がったドイツからだろう。活発な子だが歩いて疲れるとまっさきに回り込んで抱っこになり、ダウンタウンのがやがやしたイタリア食材屋だったか、はっと気づいたら雑踏に紛れてしばし姿が見えなくなって大騒ぎした。毎月彼女用には「めばえ」という雑誌を日本から取り寄せていて、帰宅して玄関でそれの入った紙袋をわたす。あけてそれを取り出した光輝く顔はフェルメールの絵みたい。子供たちのそれが励みで仕事をしていたような思いがある。

食事から戻る。坂道を下ると遠く先の多摩川あたりまで点々と街並みの光がきれいだ。もうここに住んで15年になる、早いなあというよりまさに矢の如しだ。ワインでけっこう酔ってる。しばし猫と遊んでから地下にこもってピアノを弾くのはよくあるパターンだ。いま譜面台にあるのは2つ。毎日さらっているシューベルト即興曲D899の変ト長調はうまくいかない。じゃあもうひとつのショパンのワルツ 第3番イ短調 Op. 34-2はどうだ。だめだ、音をはずす。練習をなめちゃいかんぞとふらつきながら3階の部屋までふーふーいって上がると階段のてっぺんにこれがあった。

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東京証券取引所を訪問する

2024 JUN 6 6:06:44 am by 東 賢太郎

人形町でM&Aの交渉。ちょっと疲れた。せっかく来たので昔なつかしい芳味亭でランチをするかということになった。なにせここのビーフスチュー(シチューでない)はとろけるような柔らかさでデミグラスソースとの相性抜群、オンリーワンの旨さなのであるからご存じない方は一度は賞味されることをおすすめする。昭和8年、横浜のホテルニューグランドで洋食を学んだ近藤重晴氏が始めたらしい。洋風のおかずに白飯という「和」のスタイルが洋食なるものの原点だ。

欧州時代に会議で帰国した際はこの近く(箱崎)のロイヤルパークホテルが定宿だった。到着するといつも夜で、ひとり水天宮のあたりに出てラーメンをすすった。これが久しぶりで飢えておりご馳走だったが、なんとなく物寂しくもあった。数日のきつい日程を消化し、帰りはそこから目と鼻の先の出国ターミナルでパスポートコントロールと荷物検査を通り抜けて空港バスに乗る。夕方のフライトだと大体すいている。いつも運転士のすぐ後ろに陣取ったのは、幼時に電車でその席に座りたくて仕方なかった、その名残だろうか。やがてバスはするすると動き出して大きく右に旋回する。そのあたりの光景がいまでも高解像度カメラのビデオのようにくっきりと瞼に蘇る。やっと家に帰って家族の顔が見られるぞとほっとしたものだから、この光景だけが、まるでそこだけカットしたかのようにぽっかりと記憶に焼き付いているに相違ない。これを何十回やっただろう。お疲れさん、よく仕事したねと自分に言ってやりたい。

家といってもロンドンやフランクフルトやチューリヒなのだから考えればおかしなものである。普通はさあいよいよ外国だぞのモードに入るわけだが、完全に天地逆転の感覚ですごしていたわけだ。若かったロンドンの頃は空港に社用車の迎えなどない。ヒースローから大量の荷物を抱えてえっちらおっちらタクシーに乗っかって、運ちゃんと退屈な会話をしながら小一時間ゆられる。疲れ果てて家について、妻に迎えられるとどんなにほっとしたことか。子供達にすれば生まれた時から天地は逆だった。彼らの天地は日本で育った僕や妻とは物心ついた初めから逆なのだから、実は親はわかるようでわかってないということになかなか気づいてやれなかった。

人形町から日本橋方向に歩き、息子が行ったことないというので東京証券取引所に立ち寄ることにした。電子化されて立会場の面影は皆無、なにやらSF映画の宇宙ステーションみたいな光景になっている。ここで仕事をしたわけではないが、仕事のすべてはここに関わっていたのだ。僕は証券マンでも異例であって、ボンド(債券)を売った記憶がない。なぜかは覚えがない。動かないものはまったく興味がないから債券は石ころみたいに情熱がわかない。きっと売っても売れなかったのだろう。すなわち根っからのエクイティマンであり、株式が大好きであり、一枚の伝票で160億円の商いをしたことがあり、そうであることに誇りを持っている。そんな破格の注文も、すべてがこの場所で執行されたのである。

東証本館1階には「証券史料ホール」なるものがあり「我が国の証券市場の歴史に関する史料から特に歴史的に貴重な品々を選んで年代順に紹介されています」とある。

息子がガラスの展示ケースの中にこれを見つけた。東京株式取引所(東株)の創立証書である。

田中平八の直筆サインは初めて見た。感無量だ。写真を撮って息子に「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事をしろよ」と言ったものだが、それは自分にかけた声でもあった。

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慌ただしかったこの一週間の雑感

2024 MAY 21 0:00:27 am by 東 賢太郎

次女がブログ1,000万PVのお祝いをフレンチレストランでしてくれた。こうやって何が起きるかわからないから人生は面白いだろ。山も谷もあるけど一喜一憂はいけないよ。感情が同期して山と谷が倍になる。谷が深いと気持ちが折れたりするからね。これは良くないんだ、サステナブルじゃないから。

わからないことを恐れちゃいけない。たとえばコロンブスは地球は丸いと信じ、東回り航路はポルトガルが制圧してたから西回り航路でインドに向かった。これがいかに凄いことかって、ガリレオの天動説が出てくる100年も前だよ。地球は平らで崖から落ちると信じられていた時代だ。想像できるかな?

じゃあ現代はどうか。みんな地動説を信じてるね。でも宇宙はそう見えるように高度に計算された幻影で天動説が正解かもしれない。太陽と思ってるアレも人の数、80億個あってどれもホンモノの影にすぎないかも。2,400年も前にプラトンがそういう類のことを言ってる。現代はシミュレーション仮説っていうんだね。

ぶっ飛んだ話をしても次女はついてくる。こういうのは想像力の問題なのだ。だから肉を食ってるときはライオンの気持ちになれってよく言ったもんだ。なんでそう言うか考えさせる。脳梁が鍛えられ右脳、左脳の交信が太くなり想像力に富む面白い人間になる。ガリ勉は退屈だし優秀でもない。

娘はフランスへ行って修士号を取ってきた。コロナ最盛期でのチャレンジは評価する。MBAは半端な勉強量でない。知らないからハーバードMBAですなんて軽いタッチでウソついて瞬殺でバレた芸能人がいた。学歴詐称はバレないと思ってるからできるのよ、それ自体が強烈な無学の証明。バレたら問答無用で終わり。

自民党。75日で国民は忘れると思ってる。そこで権力のブルドーザーで押し切る。知性のかけらも感じねえ、無学だねえ、伝統芸はもう見飽きた。裏金事件の本質は脱税資金を自分の選挙と権力維持に使ってるどす黒い疑惑である。今日の衆院予算委員会、立憲/野田・落合、維新/青柳・藤田の質疑は良かったと思う。

自民の政治資金規正法改正案は抜け穴を埋め込もうという魂胆が丸見え。政治はカネがかかる?ならかけない人にやってもらおう。党内で議論を尽くしてますって、そんなの何千時間やろうが国民はだから何だってこと。抜け穴作りに必死になればなるほど「そんなに甘い汁なのか」と怒りが増幅するだけだ。

二世だか三世だか知らないがドリルの人とかパンツ盗んだ人とか50億もらった人とか、実にこの国は発狂してる。そんなのでも権力のブルドーザーで押し切れば当然の顔をして済んでしまう。それを全メディアが偏向報道。赤旗、聖教新聞の方がまだウソはないことに多くの国民が気づき始めている。これは大革命だ。

権力に媚びて正論を封殺するメディアが作るテレビ、新聞の「定食」だけ食べさせられる時代は終わる。玉石混交のネットから情報を選ぶ力のある人とない人の差がつく。国民にその意識が高まれば想像力をもって自分で考える人が増え、おのずと選挙の投票率も上がる。右だ左だじゃない、真にまっとうなことだ。

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御礼  総閲覧数が1,000万になりました

2024 MAY 16 22:22:08 pm by 東 賢太郎

2012年9月12日の午後。紀尾井ビルの5階にあったソナー・アドバイザーズ株式会社の小さな事務所で何を書こうか思案していました。たどたどしい指でパソコンに打ちこんでみる。何度も書きなおしては消し、打ち間違え、ついに「よし、これでいい、いくぞ」と身構えました。「ブログ」なるものの発信です。ミサイルの発射ボタンでも押すみたいに恐る恐る「公開」ボタンをクリック。14時14分35秒のことでした。

それがこれ。我がブログ第1号であります。

僕の甲子園

発信といっても、大海原に筏(いかだ)を浮かべただけ。大会社はやめてどこの馬の骨かわからん人間になってたし、きっと誰も気がつかないだろう。100人ぐらい見てくれなければやめよう。そう思ってました。

あれから11年8か月。きょう総閲覧数が1,000万になりました。なにも言うことがありません、読者の皆様、本当にありがとうございます。相当な時間をかけて書いてきましたがそれだけのものを作ることができました。100人しか読まれなければ存在しなかったものですから、これは読者の皆様の作品でもあるのです。

2016年、熱心な読者の柏崎さんが前の事務所に来てくれました。西表島の猫の話をきき年末に娘たちと行きました。そういう縁ができたのも、彼がブログの中身をよく覚えていたからです。僕は書いたらもう読まないので彼の方がよく知ってます。先日箱根に行った従妹も昔のあれこれをよく覚えてくれているのですが、ブログでそれがあるとなると、手を離れたものはもう独り歩きしているということです。百年、千年たったらどうなってるか。クラシック音楽が残ることは確実だろうからおまけで残っているかもしれない。そうすると、それ以外のジャンルのも20~21世紀人の戯言として読まれないかなと思うのです。

それこそがSMCをクラブとして立ち上げた動機です。万葉集をイメージしたのですが、先日、2013年のミクロネシアからのお付き合いである公認会計士のAさんが「枕草子になるかもしれませんね」と言ってくれました。男優先の家で育って家内や娘に注意されてる身ですから女性の評価は最高にうれしかったですね。僕には女卑思想はありません。清少納言さんやユリア・フィッシャーさんのファンであり、そもそも身の回りは何もできないから女性に頼らないと生きられません。ブログ読者の男女比は6:4のようで、ありがたいと思っております。

読者の4割は年齢が35以下です。シニア向けのつもりで始めたのにそうなってないのです。若者のころはがむしゃらに突っ走るのみでしたが、齢50を超えると見える景色が変わりました。身体能力が衰えて限界を悟ったのですが、人間はよくできてるんですね、壁に当たる人もいますが僕のように父親目線になる人もいるんです。若者の上に乗っかって威張って金もらってという形で壁を乗り越える輩も多いですが、僕はそういうのがぜんぜんなく、若者をがんばってと応援したくなるんです。だから野球は二軍戦が好きで、この子は伸びるなんてメモを取るのが楽しい。大谷さんみたいな立派な人はあんまり興味ないです。

齢60でますますそうなり、「若者に教えたいこと」というカテゴリーで相当たくさんのことを書きました。習ったものでなく、自分で道を切り開きながら悟ったものだから何かしら価値はあるのではと思います。本来、こういうことは自分の子供だけに教えるんです。読者の4割が若者になったというのはそんな親父はあんまりいないからかなと勝手に思ってます。読んだ子は思いっきりパワーアップして人生勝ち組になってほしい。そういう子たちがたくさん子供を産めば日本は強くなる。これぞまさしく保守の保守、男の本懐、父親目線なんです。youtubeや本やブログでお金を儲けようという人も大事な情報を発信することがあるし、もとより色々なご事情はあるのでしょうが、ビジネスで収入を得る力のある人はそれは考えないです。そういう人に習えばそういう人になります。

来年70ですが、よし、もういい、と完全に満足して引退宣言するまでやるっきゃない。オーナーは首にする人がいないからそうなるんです。体はいたって健康でGW中にフルマラソンの距離を走りました。サーチュイン遺伝子を活性化するNMNの静脈注射を3回打ってるし、神山先生の鍼と丸薬は欠かさず副鼻腔炎とパニック障害がすっかり治ってる。このまま保てば5年はいける気がします。すると、ここで柏崎さんの人脈から新しい事業の構想が出てきました。ソナーを巻き込んでのものだから集大成になるかもしれません。僕は証券会社に長くいてその専門家だし、若者にビジネスを教えて育てたいという情熱もあります。そのうちわかりますが、まさに適役の仕事と思いました。それが最終決定したのが今週の月曜日。そしてPV1,000万到達が今日。ドラマにしても出来すぎです。僕は人生は頂いたもので自分が決めてないと信じてるので流れに任せることにしました。

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箱根ローストチキン

2024 MAY 15 15:15:58 pm by 東 賢太郎

チビ

妹夫婦、従妹夫婦と墓参りへ。とても和む。高校時代の愛猫チビが実は隣の猫だったという衝撃の過去が発覚。娘たちの激辛好きは長崎のばあちゃん由来だったことも判明。他愛ない話にいくらでも花が咲いてしまう。従妹は集英社出身の芸能・アート通、グルメ社交家だ。生粋の母方性格。学者系の父方とは見事なほど別人。見合い結婚ならではのハイブリッドである僕は三毛猫だなと痛感する。

夕食は千坪の敷地にある仙石原のイタリア風洋館「アルベルゴ バンブー」でとった。オーナー竹内氏が映画ゴッドファーザーの結婚式シーンをイメージしたという造りで「箱根ローストチキン」が名物。2年前に飲んだワインの記録が出てきたのは中々と思う。翌日は以前持っていた芦ノ湖一望の1800坪の土地を視察。まだ更地と確認する。レークサイドの箱根ホテルの庭でしばしビールでぼーっとしたが元箱根はそこらじゅう外人観光客だらけである。こっちはこういう洋風が落ち着くのだから妙なものだ。

うまいものは素材だ。良い素材はそのままでも調理してもうまいが、安物が調理で逸品になることはない(もしそうなら安物でなくなる)。居酒屋でわいわい干物をつつくのもいいが干物がまずくてはいけない。かたや、給仕の靴音が遠くから響くほどシーンとした空間でナイフの音をたてず舌平目を口に運ぶのはコンサートホールでピアニッシモに耳を澄ますのと変わらない。楽器の音もしかりだが、料理の味というのも三次元空間に存在するのである。

箱根翡翠は定宿、これも食事もみな従妹夫婦の手配だ。この手腕は野村スイスの名セクレタリーだったNさんを彷彿とさせ、世話になりっぱなしである。スイスではSF建てで起債する日本企業の接遇が社長の仕事で、社屋と同じほどユングフラウやツェルマットが仕事場だった。箱根は近いしそんな風に使える。白濁温泉に2時間ほどいて雑事をすっかり忘れた。頭のデトックスもたまには大事だ。

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誰でもできる自力でツキを呼び込む方法

2024 MAY 14 10:10:49 am by 東 賢太郎

僕は人を学歴、職歴だけでは見ない。その人が過去に何だったかという歴史は、その人がどういう類い(たぐい)の人であるかによるひとつの結末ではあるが、試験や競争によって本意でないものになることもある。いや、大谷翔平のような人は別格として、ほとんどが大なり小なりそういう人生を妥協して歩んでいるのが現実だろうし、かく言う僕などそれの積み重ねだった。妥協がうまくいけばいいが壁に当たってしまう方が多いし、そうなると「自分はツキがない」「どうせ自分はこんなもの」と思い込み、自信をなくしてしまうのだ。

妥協というのは愉快なものではない。そこで「フレキシブルに生きるのがベスト」などという人がいる。そう生きていれば気楽ではあるが、得てして自分のスタイルを忘れて根無し草になってしまうものだ。何事も自分のスタイルは大事だ。それがないと根無し草になり川に流されて陸地に漂着しない。すると養分が足りないから成長しない。流れると景色は変わるから何かしている気分になるが、実は何もしてないから何も起きない。同じ仕事、職場にいれば根を張っているわけではない。何十年、微動だにしなくとも、根無し草は根無し草なのだ。

僕が順風満帆な道を来なかったことを読者はご存じだが、壁に当たったり墓穴を掘ったりしてもめげないでいるとやがて追い風が吹いてきた。これを「ツキがあった」と考えていたが、実は、風向きはランダムに変わるのであって誰にも平等だ。辛抱していればそのうち追い風に変わる、それだけのことだったと思うようになってきた。つまり、うまくいったのは長いこと辛抱してめげずにやったからなのだ。この「長いこと」「辛抱」「めげずに」というところに神様がほほ笑んだ、それがツキの正体だと思えば、不運だと思ってる人でも自力でツキを呼び込むことができる。

小さいころ、風呂で父に「ゆっくり30数えなさい、そしたら出ていいよ」といわれた。子供にとって湯は熱い。なかなか30にいかない。息絶え絶えになってやっと湯舟から脱出する。体が火のようにほてるが、やがて芯まで爽快になる。これが「長いこと」であり「辛抱」なのだ。やがて父がいなくても、あの爽快感が恋しくなって自分ですすんで30数えるようになった。これが「めげずに」だ。我慢だけじゃだめなのだ、目標を見つけ、すねたり横を向いたりせず黙々とそこへ向けて進む。これにお駄賃が出る。

ツキがないと思ってる人は、多くの場合、辛抱ができてない。仮にできても長く続かない。やってみたがいいことなんか何もないじゃないか、と横を向いてめげてしまう。こんなところだ。だから簡単なことでいいのでお駄賃がもらえたと感じるまでやってみることだ。自分の経験ほど説得力のあるものはない。私事で恐縮だが、僕はそれで野球や勉強が上達した。結果を確認しながらうまくいくまでやる。やがてそれが自分のスタイルになる。教わってもいいが自分のものにしなければ意味がない。僕は「確認」「納得」にこだわるので自習が良かった。だからほとんどの物事は「独学」なのだ。

スタイルはスポーツならフォームという。一度できあがれば再現性があるし微調整で応用もきく。すると、もう一段上のレベルに登れる。上達はこれの繰り返しだ。だから野球はキャッチボールとトスバッティングをやる。それが下手で投球、打撃がうまい人はいない。勉強も同じだ。何がそれにあたるかを見つける。それを何度やっても失敗しないようになるまで延々と練習する。すると難しいことができるようになる。野球と勉強は同じだと気がつく。ならば仕事もだろう。そうやって僕はできるようになった。他人はあいつツキがあるという。そうではない、それがツキというものの正体なのだ。

以上、すべて風呂でわかったことだ。何があってもめげない。できるまでやる。なかなかできないから長い辛抱がいる。やがてできると、すべてが報われる。爽快感で一杯になり、またやろうと思うようになる。こればかりは独学でなく、父にやらされているうちに経験が快感になったものだ。だから「努力」はしない。しろと言われても何をしていいかわからない。「努力は才能だ」という人もいるが、さらにわけがわからない。そんなかっこいいものではない、ベルが鳴ると唾液が出る条件反射、パブロフの犬だ。学歴、職歴はその時点までの結果にすぎず、そこからどうなるかの方が大事だ。

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