Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 徒然に

あなたは『カメアリ派』?『ウサリス派』?

2023 SEP 24 0:00:39 am by 東 賢太郎

「夏休みの宿題は先にやっちゃうタイプなんで」。どういう話の流れだったか、渋谷で食事の時にAさんがこういった。たしかに僕もそうしろと叱られて育ったが、やったためしはない。怒った父から「学習計画表」を作れ、それを部屋の壁に貼れと厳命がくだったので仕方なく作成した。美的センスのある母が協力してくれ割と見栄えのいいのができた。とても満足し、貼ったことは数日で忘れた。こうして僕の一夜漬けは小学校時代に始まる。

単に怠け者なだけだったが、だんだん言い訳を考えだした。夏休みは前半は楽しいが、後半は終わりが見えてきて憂鬱になる。学校が好きな人は早く行きたいだろうが勉強嫌いの僕はそうでない。そして宿題というものはいつやるかを問わず憂鬱だ。ということは、それを最後の日にまとめてやればどうせ憂鬱な日なんだから損はない。

先憂後楽という言葉がある。しかしせっかく幸福な前半に学習計画表に見張られて暮らすと幸せの山が低くなり「絶頂」はこない。宿題をいつやるかに関係なく後半は憂鬱なんだからそこで頑張ろう、前半は絶頂まで登って満喫しよう。そう決めたわけでもないが自然と先楽後憂が習慣になってしまい、すると、最後の数日で宿題を全部やっつける腕力もついた。

ところがそんなことを奨励する日本人はまずいない。父は僕を更生させようとイソップの「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」を何度も話してきかせた。計画表が失敗したので洗脳作戦に出たわけだ。なんと親はありがたいものかと感じ入るが、洗脳されにくい性格に生んでくれたからそれも失敗に終わった。父の名誉のために書いておくが、僕がこうなったのは親のせいではない。聞けば聞くほどウサギ、キリギリスになってそのままゴールすればいいじゃないと考えるようになってしまったのだ。「どうしてカメやアリなんてノロまにならなくちゃいけないの?」成城幼稚園でそんな感じの質問をした。いまになって思うがいい質問だった。園の飼い犬を棒で殴ってご迷惑をかけたジュンコ先生、何といわれたかは覚えがないが僕は長じてウサギ、キリギリスを目指す “いけない子” になった。

それから20年たってアメリカに行った。全米1位のビジネス・スクールであるウォートン・スクールに入れてもらったが、そこにはウサギとリス以外の生き物は一匹もいなかった。政治もビジネスもアメリカはその連中が動かしてるし、欧州も中国も同じようなものだろう。ところが日本はどうもそうでない。当時、エズラ・ボーゲル著の「Japan as Number One」が話題で、教室で日本がそうなった理由を質問されたが一度も満足な解答ができなかった。当然だ。いまだって僕はその答えがわからないのである。なんたって、日本で一番それを言っちゃあいけない農林水産大臣が「汚染水」と口がすべっちゃう。あのお爺ちゃんは誰なんか政治にうとい僕は知らない。でも日本は潰れない。強い。なぜなんだろう。外国のエリートはそういう失礼なことは口に出さないがみなそう思ってる。教室では苦し紛れに「官僚が優秀だから政治家はその程度でいい」と言った気がするが、ルイ16世だってそこまで馬鹿じゃなかったぞ、そんな支配構造がなぜ明治から100年も続いていて国民も、その優秀な官僚までもが唯々諾々と従っているのかが米国人には理解できないのだ。

ところがだ。渋谷でAさんの言葉を聞いて電撃的にひらめいたのだ。宿題は先にやれ。ひょっとしてこれか?銀行家でありその代表のようであった父が何度もこうなれよと説いた堅実で真面目なカメとアリ(『カメアリ派』と呼ぼう)。いい調子で楽しくやって天罰が下るウサギとキリギリス(『ウサリス派』と呼ぼう)。そこに答えがあるんじゃないか。「いいわね、あなたたち、みんな仲良くしていいカメアリになるのよ」と幼稚園から教わって、それを信じてゆっくりのっぺり生きて、それが幸せなんだと一様に疑わず、しっかり先憂して貯めた預金通帳残高を見るのを老後の楽しみとし、平均3500万円を残してああたしかに楽だったとあの世に行き、一匹だと弱いが集団になるとその人生観で集結して一枚岩になって排他的になって強かったりする、それが日本人ではないか。原因は国民にあるんじゃないかと。イソップ、でかいなあ、でもその前から尊王攘夷やってたっけな。そんな国民は地の果てまで行っても日本以外にいないし、なりたいと思う国民もなかろうが思ってなれる国民もないだろうと気がついたのだ。

イソップではウサリスは怠け者だが、現実には勤勉で多大な努力を厭わないのがいる。これは大変に手ごわい。人海戦術的であるカメアリの集団防御戦ではいずれ人垣が崩されてしまうし、すでに危ない水域に来ている。だから日本もウサリス派を若くして選別・分離し、米国MBA並の地獄の特訓で虎の穴にぶちこんで勉強だけでなく命まで取られるかぐらいの仮想の窮地体験を積ませて鍛えまくらないといけない。江戸時代までは藩校がその役目を果たしていた。だから明治の日本はその余禄で文武両道の男だらけでどの国と比べても圧倒的に強く、欧米列強の植民地にならずに済んだのである。しかしもはや「武」の方は叩き潰され、その精神も消し去られ、かろうじて残った「文」で高度成長を果たしたがそっちの息切れも時間の問題だ。円安もあり経済安全保障は危機的な案件が耳に入ってきている。それはとても書けないが、海外トップスクールへの留学生数、PhD取得数、ベンチャー企業のユニコーンの数だけでもご覧になれば趨勢は一目瞭然だ。その現象の根底には消し去られたものの巨大さが透けて見える。

ちなみにAさんは1年半の勉強で公認会計士試験に一発合格した才媛である。当然に専門能力が高いが、そういう人に往々にして欠けているカメアリともうまくやっていける当意即妙力も高く、僕といえば話をするのさえ苦手なのは「どうせわからないと思ってしゃべってるでしょ」と見抜かれている。こういう人にお会いするとエリート選別に男女などなくジェンダーを言うこと自体がそもそもお門違いなことを悟るのである。岸田内閣の改造人事を見るにつけ、自民党にそのセンスはなくいまだにマレーシアのブミプトラ政策だなあと5人の女性閣僚を眺めるしかない。女性が輝く社会でパリで好きなことやらせて輝いてもしょうがない。この感覚は昭和はおろか明治時代とあんまりかわらないし、そういう持ち上げ方は有能な女性に対して失礼千万なのである。

ご覧の通り欧米のトップスクールの学生は女性がほぼ半分である。

日本同様に女性の地位が低いイメージがあるアジアだが、シンガポール、中国、韓国の最難関大学であるシンガポール国立大(8位)、北京大(17位)、ソウル大(41位)はどれも女子学生が5割いる(カッコ内は2024年世界大学ランキング順位)。人口比(5割)に等しいということは女性が何のバイアスもなく最高峰の大学に志願して難関入試に合格しているわけだ。知性に性差がないのはユニバーサルな研究結果だから学生数の女性比は受験者の女性比にほぼ等しいはずだ。したがって、「東大に女性が2割しかいない」のは日本女性の知能がアジア女性より劣るのではなく、日本女性の2割しか東大に入りたいと思っておらず、最高峰の大学に志願する女性はシンガポール、中国、韓国の女性の半分もいないという、いささかの驚きを禁じ得ない事態になっているのである。

この事実は、日本女性には「東大にあえて入りたくないか、入らなくても構わない」と考える固有の理由があることを強く推察させる。人口比5割の集団が2割の集団を作る偏差値は80で、それが長期に続くこの現象は統計として有意に “特異” である。同じ傾向は京大、早慶にも、遍く各大学の理系学部においても見られるため、日本女性の選択の特異性は東大に限らず偏差値上位の大学受験全般に存在するものと推察される。

東大の「女性2割現象」は「ジェンダーギャップ」の大きさにおいて日本が後進国であり、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であることを示す一例として欧米人に認識されている。世界経済フォーラム(WEF)が各国における男女格差を測るジェンダーギャップ指数で日本の順位は146か国中116位で最低、アジア諸国の中でも韓国や中国、ASEAN諸国より低い。これは、日本における女性の社会進出が先進国としてはひどく遅れているためだとされる。その認識は学問の領域にも及んでいるという解釈で「女子2割問題」と連結される。その一例が、2019年にニューヨーク・タイムス紙が東大を批判したこの記事だ。

日本の最高峰の大学 女子学生は5人に1人だけ – The New York Times (nytimes.com)

この記事内容に大きな異論はない。昔からそうだったしいまだにそうなんだねという程度でもあり、世界市民のコンセプトで語るなら日本はジェンダー後進国であり日本の女性は不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていると言われても反論することは容易ではない。しかし、本当にそうだろうか。そんな劣悪な環境で生きなくてはならない日本女性が不幸なのか?「男女平等であること」と「女性が幸せであること」は正比例の関係にあるのだろうか?女性は東大など行かなくても幸せだからこの結果なのではないか?学歴を求めないので社会進出も欧米ほどは求めない、それでも幸せなのではないか?この論点は「鶏と卵のパラドックス」の可能性があり両面から考察すべきだが欧米メディアも国内メディアも「ジェンダー後進国だ」と一面しか取り上げないアンフェアな状態が続いている。だからこその本稿の問題提起であり、それを示す興味深いデータがあるので紹介する。世界価値観調査(World Values Survey)による「幸福度の女性優位度」だ。「女が男より幸せな度合い」を国際比較したデータで、日本は7回の世界ランキングで1位が3回、2位が2回、3位が1回、11位が1回だ。つまり、日本女性は日本男性よりいつも幸福であり、その差の大きさにおいてもいつも世界トップレベルであることが示されているのである。

統計の取り方の詳細は不明だが、WVSは社会科学者の世界的なネットワークでありまずは信用に足ると思われる。考慮すべきは、男より女の幸福度が上であってもそれは相対評価だという点だ。「男(夫)よりは幸せだけど私(女性)だって不幸なのよ」ということもあり得る。日本の男は女性に優位で犠牲を強いてはいるが、被害者の女性よりもいつも不幸だと思っている可能性もある。つまり、不平等は何らかの客観的な尺度で測れるが、幸福か否かは主観だからそうはいかず、両者が矛盾して見える結論を出すこともあり得るという点だ。

これについて図表3を引用された統計学者の本川裕氏は適確かつ興味深い数値を用意している。「不平等度」と「幸福度格差」とのR二乗値だ。ほぼゼロなのだ。これは「日本女性は男女平等でなくても幸せ」、したがって、「男女平等でないから日本女性は不幸せと主張する根拠はない」ことが統計学によって証明されたことを意味している。この命題に反論する唯一にして非常に簡単な方法は「日本は男女平等だから女性は幸せなのだ」と主張することである。それにロジカルに反論するすべを僕は持たないし、ひょっとしてそうかもしれないとさえ思うし、かかあ天下という言葉で古くから男性諸氏は表立って奥さんの前で口にできないそれを笑い話で揶揄してきたかもしれない。しかしリベラルは男女不平等が言いたいのだからそれを言うはずがない。それを潰すのが本稿だから僕も言わない。

R二乗値=0は日本が女性差別社会であろうがなかろうが、それを解消してあげることと女性が幸せに暮らせるようになることとは関係ないという証明である。したがって、この式は日本がジェンダー後進国であろうがなかろうが、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であろうがなかろうが、日本の女性が不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていようがいまいが、社会(慣習、通念)や両親に男尊女卑思想が残っていようがいまいが、それらとは何の矛盾もなく日本人女性は男性より幸せだと言っているのであり、日本はジェンダー後進国だから日本人女性は不幸だという欧米の一方的な主張は根拠がないことを論理的に示している。つまり、その主張を熱くすればするほど、その人は日本国民に「ジェンダー」を売りこんで洗脳したい邪心を疑われるか、数学を勉強してないことを天下にさらけ出すだけなのだ。

ではWVS調査結果が示す日本女性の幸せの正体は何だろう。まず第一に、日本の古来からの社会慣習、通念から自分に適当な相手を早く見つけて専業主婦に収まって家庭を守るのが自然だと多くの日本女性が考えている結果ではないだろうか。ただしこれは日本女性が怠惰であったり男性に従属的であるという理由からではない。日本にはアジアのどの国とも同次元で語れない決定的な特殊性があるからである。それは太平洋戦争で310万もの兵士(男)が死んでいったことだ。最愛の夫や息子や恋人の銃後を守った精神が母から子へと脈々と継がれ、ハウスワイフごときではないものが主婦という立場にはあると考える女性が学業よりそれを選択しても僕は称賛したいし、それに足る夫がいるのだから幸せなのだと安心もする。男がしっかりしない国ではそういうことは起きないのであり、日本が世界3位のGDPを生み出したのは幸せな女性がいて支えてくれたからであり、これは日本的な夫婦の美徳、愛情という精神的に高次の範疇に属するものであって、どんな木偶(でく)の坊であろうと個を尊重する西洋人のジェンダーという概念などの到底及ぶところではないのである。

もうひとつある。日本人の大半は男も女も『カメアリ派』なのだから、幼稚園から習っている先憂後楽が自然でなじみ深いのは無理もないのだ。東大に入れる学力があっても、入るということは男のキャリア戦争に正面切って参戦し、男も競争相手と認識して真剣勝負してくるということであって、相手を見つけて家庭に入るというもう一つの選択肢からするならば年齢がそれなりに行ってから敗北すると先憂後憂になりかねない。それで人生のリスクリターンが合うのか?賢い彼女らだからこそ当然に熟慮するだろう。とすれば彼女たちがすき好んでガリ勉などせず専業主婦を先憂後楽だと選択しても納得である。つまり東大2割問題はひとえにやる気があるなしの問題なのであって、差別されているわけでもジェンダー問題でもない。やる気があるならAさんのように勉強すればよく、才能を発揮して第一線で大活躍されている女性を僕は何人も知っているわけで、そこに社会の支障があるとは思えない。逆にいえば、勉強もしないのに出世できないのは女だからだというのは、男も同じだからおかしいのだ。さらに加えるなら、昨今の少子化はひ弱な草食獣の男が増えて「男がしっかりしない国」になりつつあるから女性にとって結婚が「精神的に高次の範疇に属す」とは思えなくなってきていることと無縁ではない。結婚ありきの社会通念があったから競争社会で生きる前提を置いて生きていない。だからシングルマザーになるほどの収入は得られず子供を持てないのは無理もないであって、少額の教育費補助や育児のアウトソーシングだけで片づく性質の問題ではそもそもないと僕は考えている。

一流校に学ぶ女性が5割である世界の国々は男女の才能を束にしてかかってきているのに日本は女性抜きの片肺飛行であり、東大(28位)、京大(46位)の順位が低いのは有能な日本人女性を取り逃がしていることが大きいだろうし、まったく同じことが日本国の国力についてもいえる。初の女性総理誕生が待たれる等と言うこと自体がナンセンスで、女性だとやたら「美人何々」と報じたがる知能の低いマスコミのノリで政治家を待望などしてはいけないのである。東大2割問題と同じで優秀な人だけ選べば女性議員は自然に5割(人口比)になるはずである。そうなっておらず衆議院1割、参議院2割であるのは「何をもって優秀とするか」が著しくおかしいからである。国民はそれを吟味すべきなのだ。「女性だから」はあり得ない。「お父さんが政治家です」など論外である。

東大2割問題と女性差別社会(ジェンダー問題)は一見すると前者が後者を生むのかその逆かという「鶏と卵」の相関関係があるように見えるが、多くの日本女性が日本的な根拠のある事情で幸福だと考えているならそのどちらも彼女たちにとっては「どうでもいい」「大きなお世話」である。私見ではそれが現状だ。それでは困るリベラルが「鶏と卵」の一面解釈に過ぎない「ジェンダー問題」にすり替えて論じるが所詮は意欲の問題だから火がつかず、いちおう保守ということになっている自民党は自民党でそれを無視して「女性活躍社会」だの「女性が輝く社会」だのと選挙キャンペーンにしたってもう少しましなのがあるだろうと笑ってしまうぐらい空疎でインテリジェンスの香りすら漂わない、およそエリートが考えたとは信じ難いセンスの言葉を並べてお茶を濁す体たらくだ。どっちもどっちで大きく的外れで、学問、知性の領域という日本が強かったはずの根幹を劣化させる国家的損失の放置を意味するのみである。張本人でもある女性で東大法学部卒の松川るい議員こそが本質を主張して行動をおこせば説得力もあるし保守の男も賛同して総理候補路線だってあり得たろうが、パリ研修を詐称とされてしまう異次元の知恵のなさではそんなことは到底無理だ。後輩を貶める気は毛頭ないが猛省を促す。優秀な女性たちのモチベーションを “正しく” 喚起しなければ「日本女性は充分幸せなんだね」で国民は終わりであり、日本も終わっていくだろう。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

甲子園のおみやげ

2023 SEP 8 12:12:29 pm by 東 賢太郎

「2回も記事にしていただいたので」と、友人の柏崎さんが甲子園のおみやげをくださった。争奪戦で貴重品のようだ。東京から応援に3回も往復されたそうで、母校が出場しただけでもうれしいだろうが優勝という人はざらにはなく、OBがそろってそこまで熱中できるものがあることが羨ましい。

個人的にも、うれしかった。まず、まっさらな硬式球は何十年ぶりか。なにせ高校時代、毎日これを握って寝ていたのだ。慶応はまったくの他人でもなく、祖父と娘がお世話になってる。特に祖父は大学の野球部でアメリカに遠征まで行ったらしいから喜んでいるだろう。

柏崎さんとのきっかけはブログを見て会社まで会いに来てくださったこと。たしか6年ほど前だったか、金融のキャリアでネコ好き野球好きというのもあるが、拙文をよく読んで下さっているのに頭がさがったこともある。ご縁というのは摩訶不思議なもので、今の我が身をふりかえると自分の意志や努力だけでこうなったというものは2割ぐらいしかない。8割は誰か何かのご縁から延々と発したものの結末で、要するに「あの偶然の出会いや思いつきがなければこれはない」というものだ。

ありがとうございます。母の仏壇に置かせてもらいます。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

バンテリンドームで目撃した髙橋宏斗の速球

2023 AUG 15 10:10:36 am by 東 賢太郎

軽井沢、兵庫、岐阜、名古屋を3泊4日で踏破する旅というのは、ビジネストリップでなければまずないものだろう。前日に岐阜でのディナーを終えた土曜日、最後の日程は野球観戦だった。

バンテリンドームは意外に遠く、名古屋駅からタクシーで4千円かかった。先発投手は中日が髙橋宏斗、カープが森下。両方見たい投手でありこの対戦はラッキーである。

いきなりなんだこれはということが起きる。初回、森下が一死も取れずに5連続ヒットを浴びる。人生初めて見たんじゃないだろうか? 結局この3失点を返すことができずカープは3-2で負けというつまらない試合だった。

やむを得ない。髙橋宏斗が良かった、というより、かつて現物を見た投手の球の中でもトップクラス、一球ごとにため息しか出ない物凄さだった。

【動画】竜の若き右腕が連敗中のチームを救う!/8月12日:中日-広島のハイライト

ビデオを見たがこれではわからない。実物の球威は圧倒的。思い出したのはサファテとオスンファンだ。ああいう石みたいに重い球。153,4キロだが芯で打っても外野で失速してた。テークバックが小さいし立ち投げっぽく見えるんだがリリースでの腕の振りが速くて強く下半身も効いているんだろう。7回投げて2安打、6三振+フライアウトが11、四球は1つと、振り逃げを入れて22アウトのうち17が剛球で押し込まれての負けで、要するにカープの打者は手も足も出なかったのである。そしてクローザーのR・マルティネスの13球も見ものだった。高橋より一段と速い157が出て、最後の松山は159で三直だったが、体格やフォームを含んだ印象点では高橋のストレートの方が凄みがある。もうそれを見ただけで行った価値があったというものだ。

マウンドは髙橋宏斗

カープの救いは二番手・清水から放った小園のホームランだけだ。清水も150出たような気がするし高橋の後だから遅く見えたとはいえ、バンテリンのセンターは122mあってそこにぶちこんだのだから頼もしい。小園はカープの宝である。他の打者は少し疲れが出ているように見えるから連敗もするだろう。森下のストレートもいいが、高橋のを見ると普通の人の球だ。7回まで投げたが2回からは1安打でほとんど打たれず、投球術は百戦錬磨だ。これが実力なんだろうがどうして1回にああいうことが起きるのかは全く理解できない。

ちなみに、この翌日のこと、テレビ観戦していたがカープは柳に9回ノーヒットーノーランをやられてしまう。前日の高橋に押し込まれた余波はなかったろうか。幸いなことに遠藤も9回無失点で見事な投球を見せて不名誉な記録は残らなかった。10回に出てきたR・マルティネスの剛球を堂林が本塁打した。前日球威を目撃しただけにこれの凄さは実感できる。1-0で昨日の雪辱かと思ったらその裏に矢崎がいきなりホームラン2連発を食らって、劇的というかあまりにあっけないサヨナラ負けだ。昨日でなくて良かった。最悪の気分で新幹線に乗ることになったからまあ不幸中の幸いだった。しかし高橋といい柳といいマルティネスといい、なんでこんなすごいピッチャーのいるチームが最下位なんだ?

家に着いたのが何時だったか、もうふらふらで記憶もなく、どうやら夕食も忘れてそのまま寝こんじまったらしい。軽井沢、兵庫、岐阜、名古屋を3泊4日で踏破する旅が終わった。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

兵庫と岐阜と名古屋の長い旅

2023 AUG 14 13:13:40 pm by 東 賢太郎

軽井沢でゴルフの翌日、八重洲のビジネスホテルを朝7時半に出て新幹線に乗った。東京に家があるのにと思われようがそれで2時間余計に眠れる。兵庫、岐阜、名古屋でお客様の会社訪問、面談などがあるためもう二泊し、契約調印、会食、野球観戦などの予定も入っていた。前日があまり眠れないだろうということでこうなったがうまくいった。その日はまず兵庫まで行って既得意のお客様の経営するレストランで仕事を済ませ、その足で岐阜までとんぼ返りするともう夕刻である。めったに来ないので観光したかったがまったく時間がない。

この日は岐阜・長良川温泉の老舗旅館「十八楼」に宿をとった。どうやら翌日に花火大会があるようでどこも満室である。この宿は二度目で、風呂がいい。食事も川向うにラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエールというフレンチがある。マンションの5階の一室で景色が良く、味、もてなしともこれでおまかせ1万5千円はお値打ちだろう。風呂に入るんでとワインはパスさせてもらって水にしたが、長良川伏流水は氷を入れれば飲み物としても旨いのである。ピュアな軟水で高山の北アルプスの水ともちょっと違う。

十八楼は斎藤道三、織田信長のいた岐阜城がてっぺんにある金華山のふもとに位置し、鵜飼いで有名な地である。漁としての鵜飼いは5世紀ごろから行われていたようで、中国の史書『隋書』に日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として記載があり、日本書紀に記載、古事記に歌がある。天皇家にゆかりがあり鵜匠は国家公務員である宮内庁式部職であり、平安時代に始まったショーとして見物する鵜飼いは頼朝、信長、家康、芭蕉も観ている。僕は大学時代に岐阜出身の友人と彼のお父さんに船上から見物させていただき、今でもよく覚えている。

十八楼には松尾芭蕉の、

このあたりめにみゆるものは皆涼し

と詠んだ句碑があり観覧船乗り場にも近いが、僕の目当ては温泉だ。鉄分のせいか赤褐色でありインパクトがある。薬草の湯というのもある。信長が伊吹山のふもとに薬草園をもっていたのにちなんだと説明書きがあり、仄かにそんな香りもあるが効くのかどうか。シルクの湯というのは微粒の気泡で乳白色をしており、毛穴まで入って油分を落とすというから有難い気はする。

兵庫のお客様はこれで弊社案件に4度目の投資のお得意様だ。名古屋のお客様は弱冠35才でM&Aで数十億の財を成した事業家で今回初めてだが、お見受けするところ事業の方でつきあう楽しみもありそうだ。PE(未公開株)投資は手慣れておられ、一件は適格機関投資家(法律上のプロ投資家)だ。我々の投資哲学はプロほど理解して下さり、すると投資して欲しい良質の起業家も寄ってくるという循環である。

二日目は名古屋からだ。特急で岐阜から19分。暑い。金時計の下にウンカの大群かと見まごう団子状の雑踏を見てなんだあれはと恐怖を覚え「キムタクでもいるんか」と言った気がするが何故かは覚えてない。お盆だからでしょ、なるほどねとなったが東京人である僕に盆休みの渋滞や混雑の実感がないことがこうしてわかる。頭も尋常でなかった。さもありなん、この日の名古屋は気温39度。香港、シンガポールだって高くてせいぜい35度だ、米国のデスバレーに次いで人生二番目が日本ってのは驚くしかない。昼前に集合場所のコメダコーヒーで今回のパートナーであるY君が合流し、お客様と調印を終えた。外へ出るとムッとする熱気と日照りに気絶しそうだったが、こういう時に限ってタクシーがなく、バスで名古屋駅へ向かう。

再度岐阜へ向かう予定だが、せっかくだから駅ビルで「ひつまぶし」でも食うぞとなった。旨い。たれの塩梅、焦げ具合が見事で、鰻重を茶漬けにする独創性も素晴らしい。名古屋の料理は一見塩辛そうだが実は程良く、八丁味噌が好きなので口に合う。滋賀、岐阜は奈良時代からの発酵文化が奥深く、京都より野趣があって面白い。鮒ずし、溜り醤油は僕にとって欠かせないほど好物だが尾張、三河にもそれは通じているのだろうか、秀吉が朝鮮出兵の根城にした名護屋城に鮒ずしを持って行ったし、家康の戦の供は八丁味噌であり、長良川の鮎ずしを発明して江戸城に届けさせたのもわかる。我が祖父は南信州で、叔母は名古屋で水野さんになり義理の伯父は岐阜人、戦争中の母の疎開先は高山である。もう地縁はないが子孫の舌に味覚が留められているのかもしれない。

コメダで合流したY君は今回案件の共同責任者だ。いままでは経産省キャリア官僚だった親父さんと案件組成をやっていたが、二世で四十過ぎの公認会計士である彼が独り立ちでやるのは初めてだ。優秀だが慣れてないところもある。資料作りなぞ細かいことであれやこれやとダメ出しして説教し、しち面倒くさい注文をたくさんつけた。電話の向こうで馬鹿野郎いい加減にしろと辟易していたのはわかっていたが、そういうことは僕は指揮官だから自分でしたことがなく当時の優秀な部下たちがしたわけである。でもそれがないとディールが決まらないことは誰より知ってるのだから容赦など一切なし。彼はガチ体験をした。どんなに怒っても終わればすぐ忘れるタチだが、ビジネスホテルのチェックインを済ませて喫茶室で休んでいると彼がそれを回想しながら勉強でしたと言ってくれ、世辞でない証拠に僕が吐いたとおぼしき言葉をみな覚えてるのである。サラリーマン時代にたくさんの部下がいたがそういう子はみな伸びて出世している。

岐阜のO社長はY君の紹介で初対面だが温かく迎えて下さった。投資の御礼を述べ少々説明を加えようとすると「それはもう結構です、出資したおかげでこの場があるだけで」と丁重に遮られ、自社の来歴、現状と将来の希望を熱く語られた。京セラ稲盛会長の盛和塾生であり、現在はご自身が指導する立場におられ、ご配下から上場企業が4つも出ている。自社もできるが志が高いゆえしていないとお見受けする。兵庫のお客様にも申し上げたことだが、僕は手垢のついた投資案件をオークションで買い上げて投資するような下世話な金融屋のコンペなんかに参加する気はない。会社様の繁栄発展の指標であるバリューアップだけが目的であり、経営者と一心同体でそれをして投資もすればこちらも利益になる。会社さんがたくさん取って当方は少ないからこれは利他的だ。お会いしたことはないが利他の心は稲盛さんの哲学の根本だった。51:49なら49でいいと言われるO社長と楽しいディナーをご一緒させていただき再度名古屋に向かった。翌日土曜日は初めてバンテリンドームで野球を観て帰る。花火の人たちだろうか電車はそこそこ混んでおり、夜の名古屋はまだ暑かった。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

自民党女性局の外遊は税金で行きなさい

2023 AUG 2 7:07:44 am by 東 賢太郎

外国というのは行ってみないとわからない。いくら小説を読んだり映画を観たりしてもこればかりはどうしようもなく、「百聞は一見に如かず」のことだらけなのである。去年に娘をパリに留学させたが、コロナを恐れずチャレンジしてMBAになってきたのは褒めてやりたい。良い経験を積んだようだ。まず移民社会はいかに治安が悪いかを知った(今年でなくてよかったが)。大学の寮を出ようと下宿を探し、家賃を交渉し、シャンゼリゼ近くに比較的安くて大家が愛想のよい物件を見つけた。しばらくしたある日、部屋にネズミが出た。びっくりしてベッドの下を調べてみると、なんとネズミにエサが出ている。値上げに応じる借主が現れたので娘を怖がらせて追い出そうとしていたわけである。とんでもない大家だが、そんな浅知恵がバレないと思ってる程度の人間でまあ特段の悪党とも思わない。花のパリも一皮むけばこんなものなのだ。移民を入れれば少子化対策になりますね、フランスに学びましょう、パリに行って研修を受けましょうなんてお気楽な世界ではないのである。

自民党女性局の写真にはいろいろ思う所がある。松川るい以外は海外経験もなさそうだし、あそこに立てばああいう写真を撮りたくなる気持ちはわかる。経費をかけて行った以上は何を食べようが買い物をしようが「一見」のうちではあろう。外遊が一概に観光だということにはならないし、写真を撮ってなるべく多くの人に見てもらいたいのは女性にとって自然な気持ちだろう。女性局のレゾンデトルの一部かもしれず、女性議員を増やして活躍社会を築いていくエネルギーを女性に向けて発信もしたかったのだろう。何度もブログで書いたが、僕は娘が二人いるしそれには大賛成なのだ。考えてみよう。あのエッフェル塔ポーズを男がやったらお笑い3人組である。おもろいjokeとしてNFTにして売ろうぐらいのもんだ。つまり女性にしかできないアピールというものは存在するのであり、それが社会に意味を持つならポジティブに考えようというのが持論だ。

ただ、わからないことがひとつだけある。あの写真を不特定多数の眼に向けて開示して、なぜ昨今のご時世で起きそうなリアクションを予測できなかったのだろう?大批判を浴びてしまったポイントはそこだ。つまり女性だからでは済まなかったわけで、自然な気持ちの発露であろうがなかろうがそれを発信するか否かの判断は峻別すべき全くの別物ということなのである。それを誤ったということは女性のアピールの芽を摘んだばかりか民意を読み違えたということでもあり、それが職業である政治家としての基礎的能力が欠如していることを満天下に知らしめてしまったということになりかねない。ネットという仮想空間では世論が思わぬ速度とマグニチュードで積乱雲の如く形成され、その形状が如何なる変転を遂げようかは現代科学をもってしても予測できない。事と次第によってあらぬ誤解をされてしまうリスクがあることを本件から学ばれた方がいいだろう。

私事を牽く。ブログを始めてから11年間の一日の平均PVは2500あって、一言一句、世界の誰が読むか知らないリスクを念頭に書かなかったことはない。日本語世界だけだろうと高をくくっていたら、今年4月に米国プリンストン大学の教授から引用をしたいとリクエストがあってあながち杞憂でないことも悟った。SNSだからと軽い気持ちでアップしてしまうとたちまち大炎上しかねないし、甚大なリスクとして指摘すべきは、一度書かれるとサーバーから消えない限りそれは永遠に残る羽目になるのだ。つまりスキャンダルをおこして何かを書き込まれると、それが誤情報であろうがなかろうが、末代の恥として子孫に「伝承」され、お前の先祖はとんでもないなとなる危険性がある。どんなに立派な学歴、職歴を苦労して築こうが一発のチョンボでパーで、過失でなく人間性、性根の問題だから国民は二度と信用しない。永田町の「所詮SNSだ」と甘く見たスタンスはこれから悲劇を呼ぶだろう。それが有権者の目にも晒され続けるわけで、自分の職業上のリスク(=身の危険)にさえ気がつかず脇が甘いとなると、そんな程度の能力の人が国や国民を守れるのだろうかということにもなる。

この女性たちを批判はしないが、自民党本部が「費用は党費と各参加者の自腹で捻出し、党負担分は国民の税金である政党助成金からは支出しておりません」と詭弁で援護していることはそうはいかない。自民党の収入の約7割は原資が税金である政党助成金だ。この外遊、旅費の自腹を除いた金額の7割は我々の払った税金である。収入項目のネコだましで逃げようとしてもカネに色はない。国民がそう解釈しても反論できないし、したところで自民に投票はしないだろう。そういう屁理屈をこねて煙に巻けるほど全国民が馬鹿だと思っている魂胆が透けて見え、そうやってヤバいことは隠せばそのうち忘れるさとあなどる姿勢が実に不愉快だ。じゃあお前らはどれだけ賢いんだという気にさせるのである。

女性局の外遊は意味があるならやればいい。ただし、全額税金だ。民間では出張費の一部は自腹ですなんてことはあり得ない。ホテル代も営業上の飲み食いも個人の土産等以外は基本的に全額社費であり、会社に払わせる以上は増やしてお返しする、すなわちその出張によって経費を上回る収益をあげられるかどうかを問われるのである。他人のお金なのだから当然だろう。政治家に収支はないなら出張目的と計画を有権者に公表し、経費の使途をガラス張りにし、計画の達成度と成果をこれまた金を出している有権者にレポートで報告する。有権者団体がその議員の出張成果の成績表を作り、それを参考に選挙で投票するか否かを決める。民間では上司がかような管理と人事評価をするのは当たり前であり、だからトータルして会社は利益を出せる。「1割自腹切ってます」が免罪符になって「管理はほどほどに」なんて道はない。まして、本当は慰安旅行なんです、でも有権者の手前もあるし多少の後ろめたさもあるので1割自腹切っておきましょうなんてことは有権者は許してはならないのである。

お笑い3人組

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

唐の都、長安を旅して考えたこと

2023 JUL 29 7:07:53 am by 東 賢太郎

唐の都、長安。いい響きだ。いまは陝西省西安市になっているが、中国の京都、奈良であろう。司馬遼太郎の『空海の風景』は貪るように読んだが、いよいよ旅が長安までくると、街のこまごまを描写する司馬の筆のリアリティが少し鈍ってもどかしかった。何事も百聞は一見に如かずだ。やはりそこに立ってみて自分の五感で感じ取るしかない。あれは1998年のこと、香港からの出張で初めて西安に降り立った。三蔵法師ゆかりの大慈恩寺で大雁塔の前に立つと、遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂や空海もここに立ってこの眩しい姿を仰ぎ見たに相違ないと思えてくる。自分にとってはペンシルベニア大学の校舎群がまばゆく、よし思いっきり勉強するぞと奮い立った若き日の青雲の志に重なる。しかしながらその一方で、なにやら見慣れぬ曲線を描く大雁塔の外縁の輪郭には異国を強く感じており、いとも不思議な感覚に迷いこんだことを覚えている。

西安の北東にある始皇帝の兵馬俑は圧巻である。写真の総勢は約6000人(桶狭間の信長軍勢の倍ぐらいだ)。2200年前の兵士ひとりひとりの顔が写実されているリアリズムには驚嘆しかない。そこまでさせた権力にも、しようと執着した執念にもだ。漢の時代に土中に埋もれて発見されたのは1974年。空海はこれを知らないが、彼が入唐した時点で1000年前の遺跡であった。東を向いているのは秦が当時の中国の最西端で敵は東だからとされる。不老不死の薬を求めて徐福を日本へ派遣し、子孫は秦氏になったという説は虚構とする否定派が多いが、来てないという証拠もない。証明されてないからなかったことに、という説は非科学的でしかない。

私見を述べる。現在シルクロードと呼ばれるユーラシア大陸の交易路網は西洋人のセンスで脚色されたコンセプトにすぎない側面もある。交流、交易は紀元前2世紀、つまり秦王朝の時代からあったのであり、人間も文物も混じり合っており、はるばるローマやペルシャから中国まで来る体力、気力、資産、技術、理由のあった異人と接していた秦国の人間が朝鮮半島、九州に足を延ばすことを躊躇したとも思えない。兵馬俑の人面も物語る。こんな微細な箇所まで強烈な執念で覆いつくす皇帝に薬を探してこいと命じられた徐福に逃げ道はなく、見つからなければ殺されるから戻ってこなかったのは納得でしかない。といって日本各地の徐福伝説を支持できるわけではない(そのどれかが正しかった可能性はある)、一行は来日してそのまま日本に土着し混血していったと思料する。

西安で食事を済ませて隣町の宝鶏市に向かった(下の地図)。当時は国道しかなく車を飛ばして2時間はかかったと思う(今は高速がある)。道はあっけらかんと一直線である。大学時代に、あまりに一直線で居眠りしかけて危なかったアリゾナ砂漠の道路を思い出していた。行けども行けども、道の両側は地平線の果てまでトウモロコシ畑である。うたた寝して目が覚めたらまだトウモロコシだ。「中国人はこんなに食うの?中華料理で見たことないけど」と運ちゃんに聞くと「豚のエサです」(笑)。宝鶏に着くと仕事だ。味の素みたいなグルタミン酸の調味料を作っている会社に増資を勧める。社長に工場を案内してもらった。ベルトコンベアが続々と白いものを流している。目を凝らすと首を絞めた鶏だった。

宝鶏は日本ではあんまり有名でないが、周王朝、秦王朝の発祥の地である。「岐山」がある(信長はここから「岐阜」の名をつけた)。古くは青銅器の発祥地であり、諸葛孔明が陣中に没した「五丈原の戦い」の舞台でもあり、太公望が釣りをしていた釣魚台もこのへんだ。三国志の頃に漢方薬(本草学)のバイブル『神農本草経』が書かれた地でもあった。戦国武将は中国史を学んでいたが、信長は安土城の天守の装飾絵を中国の故事にならったほどで、始皇帝を理想にしたかどうかはともかく両者は似たものを感じる。西安にあったはずの安房宮は完成せず、安土城は完成したが主は死んだ。歴史好きの方は西安とセットで訪問する価値のある処だ。

宝鶏から西は僕は未踏だが、甘粛省蘭州まで行くとイスラム系の回族が多い。始皇帝は目が青かったともいわれるが、これを知るとそうかなと思わないでもない。何をいまさらではあるが、西安(長安)はシルクロードの終点であり、中央アジア、ペルシャ、トルコを経てローマにつながっている。トウモロコシ畑の宝鶏~西安はマラソンならラストスパートの200キロだったのだ。中国の主要都市はだいたい訪問しているが、西安はもとより行きたかった場所であり強く心に残っている。たぶん春節の前だったのだろう、縁起物であるのと感動をとどめたいのとで、この丸っこいのを2個買った。

灯籠だ。でっかい。直径30センチはあってみな「本気ですか」と驚いたが本気に決まってる。家ではもっと驚かれたが、玄関に飾ってもらって満足だった。

西安、宝鶏を旅してみて、自分はなぜこんなにローマ好きで地中海好きでもあり、誰に教わったわけでもないのに狂信的西洋音楽マニアなんだろうと考えるようになっている。未踏のトルコ、中央アジアは文化も食べ物も興味津々で女性も綺麗に見え、料理はというといま熱烈にガチ中華にハマってる。幼時に鉄の匂いが好きだった趣味はレアだろう(線路と車輪に魅かれて小田急の線路に侵入していたが、鉄オタの息子によると僕は鉄オタとは呼べないらしい)。鉄といえばシルクでなくアイアンロードというのもあった。ヒッタイト発スキタイ(タタール)経由であり、技術を持った異人集団が出雲に来ると「たたら製鉄」と呼ばれた(タタラ場として「もののけ姫」にも登場)。出雲は何度か旅して惚れこんでしまい、コロナで頓挫したが映画の舞台にしようとタタラ場だった絲原家にお邪魔もした。なぜか磁石みたいに鉄に惹かれるのだ。地球上に存在する金やウランなど鉄より重い元素は中性子星合体によってつくられたものである可能性が高い(理化学研究所と京都大学)。鉄を通して僕の関心は宇宙へと広がっている。

結論として思う。こういうものはまぎれもなく本能だ。生まれてから後付けで覚えたわけでは全くない。DNAに書いてないと絶対にこうはならないと自信をもって言えるレベルに僕はある。両親はそんなことないから隔世遺伝ということになる。アズマはアズミでもあり海洋族安曇氏の説がある。神話時代から人種の坩堝(るつぼ)だった北九州から海流で出雲に土着し、さらに海流で能登にぶつかり安曇野、諏訪にも下った。父方は輪島だから可能性はある。性格は農耕型でも定着型でもなく、海洋族であって何の違和感もない。

いまはささやかに北池袋の「ガチ中華街」でもめぐっておれとDNAが命じている。そこで火焔山蘭州拉麺に行った。前述したイスラム系の回族が多い蘭州のラーメンだ。一番上の地図を見ると甘南蔵族(チベット)自治州、臨夏回族自治州(回族、チベット族、バオアン族、ドンシャン族、サラール族他の少数民族が居住)が蘭州の近郊で、そこだけでも人種の坩堝。父系遺伝子ハプログループDが相当な頻度で存在するのは日本とチベットおよびアンダマン諸島のみという興味深いデータがある。

 

西安では何種類か麺を食べた。名前は忘れたがゴムみたいに伸びるビャンビャン麺やら刀削麺だった。火焔山のラーメンも味の坩堝だ。イスラムは豚は食べないので牛肉麺であまり辛くはなく、パクチや香草(漢方と書いてあったと思う)が効いていてエキゾチックなスープだ。たかがラーメン1杯だが歴史と地理を知れば何倍も味わい深い。東京~西安の3倍ほど行けばシルクロードは走破できそうだがまあ池袋でやっとこう。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

地球は惑星ソラリスである(安倍事件の怪)

2023 JUL 8 12:12:10 pm by 東 賢太郎

僕がそれに気づいたのは、ちょうど1年前の今日、日本中を騒然とさせた安倍元総理暗殺でのことだった。事件に驚いただけでない、直後から起こっていた、いや、起こっていると報じられてきたすべてのことをテレビで見聞きしてのトータルな印象だ。何かおかしい、ふわふわしている、何か妙なビジョンを僕らは見ている。映画のCG(コンピュータを使って描いた画像)を見た感じだなと思ったのだ。理由はわからない。直感だ。

CGはあり得ないものを見せて目に焼き付ける。百聞は一見に如かず。古来より人間は見たものを信じるようにできている。嘘だろと思ってもだんだん見たものが理性にまさってしまうから、それをテレビはコマーシャルに利用するようになった。大事なのはリアルっぽいこと、そして何度も見せることだ。テレビほどそれ向きのメディアはない。偽物だろうが物理法則に反しようが構わない。嘘も百回で真実、大事なのは物量と力業、そしてそれをやらせる権力とカネなのだ。

ソラリス?なんだそれは?ご存じない方は映画を観てほしい(無料レンタルがある)。SF物の古典であり、クラシック音楽ならモーツァルト、ベートーベン級の最大傑作のひとつである。下のビデオは抜粋だ。ネタバレになってしまうのはもったいないが、それでも僕が言いたいことはわかるので時間のない方はご覧いただきたい。

ポーランドの作家スタニスワフ・レム原作の映画『惑星ソラリス』(1972)は太陽系外惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーション内での不可思議な出来事を描く。不穏な空気が支配するが真の恐怖はエンディングに訪れる。このどんでん返しは並みのサスペンスなど及びもつかぬ衝撃で鳥肌が立つ。

(筆者:抜粋がyoutubeから消されたようなのでFullで。英語字幕ですが)

ソラリスの海は「意思」がある生命体で、科学者たちはそれを調査する任務のために遠く地球を離れてステーションに住んでいる。海は人間の記憶をスキャンし、それを出現させて見せる。そうして、知った人物が現れるとあまりにリアルで現実と思ってしまうため、彼らは “それ” を「お客」と呼ぶようになる。三次元プリンターで人間が作られるようなものだ(映画の封切りは1972年だ。その技術だってSFだった)。そう考えると若者にはこの映画の怖さは減殺されてしまうかもしれないが、そこはタルコフスキー監督の腕である。それでも十分に怖いだろう。

科学者クリスの部屋に死んだ妻ハリーが現れる。ふれることさえでき、「私を愛してる?」と問う。しかしクリスは妻の肩に10年前に自殺した注射針の跡をみつけてそれが「お客」であることを知り、理性を失い、動転する。「早くこの恐ろしい夢から逃れなくては」。ハリーをロケットに閉じ込め、宇宙空間に放逐する・・・しかし彼女はまた現れる。クリスの理性はもはや麻痺しており、もう動揺しない。何が現実かわからなくなり、「お客」のハリーへの愛に支配されている。しかし眠って目覚めると彼女は手紙を残して消えていた。同僚が言う。「クリス、君はもう地球に帰ったほうがいい」クリスが答える。「そうかもしれない」・・・ところが・・・

安倍事件。テレビ画面の中、全国民の前に現れたハリーはふれることさえできるだろう容疑者Yという人間の形で現れた。「皆さん見たよね?聞いたよね?Yが安倍さんを2発撃ったよね?」全マスコミが徒党を組んで国民に問う。しかし物理的にあり得ない証拠を見つけて国民は理性を失い、動転する。「早くこの恐ろしい夢から逃れなくては」。しかしハリーは国民がネットで否定しても否定しても現れる。「それ陰謀論ですから、撃ったのはYですから」。眠って目覚めるとハリーはどこかに消えていた。精神鑑定で収監。そして公判は何と来年。全マスコミが徒党を組んでいう。「国民の皆さん、もう諦めたほうがいい」別な番組が答える。「そうかもしれない」・・・ところが・・・

ハリーというCGの報道。みんなこれだけ流せ。アレは全員がスルーしてなかったことにせい。これぞ「嘘も百回で真実」のセオリーである、わかったな。メディアも司法も警察もだ。さもないとお前らも・・・ネットはどうするかだって?トランプのツイッター、あれよ、あの手で行け。締めだして消すんだ、なかったことになるまでな。コトがおきたらせ~ので全メディアが同じ報道をせい。全メディアが翌日から理由はあの宗教でしたのCGに切り替えろ、いいな。

皆さんはいかがだろう。これだけ国の中心にいる全員が、まるでシンクロ・スイマーみたいに一挙手一投足まで完璧に同じ動きをする。CGにしたって異様すぎる。全会一致?そんなのマンセーの国にしかないだろう、今どき。僕はこの1年、悪酔いしたみたいに背筋がぞっとして吐き気がしたままでいる。誰か助けて欲しい。寝ている間にいつこんな星に来てたんだ?地球だと思ってたら、ここは惑星ソラリスじゃないか。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

キッシー息子くんの忘年会を叱る

2023 JUN 4 13:13:45 pm by 東 賢太郎

人間が受け取る情報の8割は目からで、写真(画像)のインパクトは大きい。キッシー息子くんの忘年会、その名と違ってこれは何年たっても国民から忘れられることはないだろう。そんな写真が流出したらヤバいぐらいの理性はあったんだろうが、それをかいくぐって出たわけだから只事とは思えない。出席者に猛烈なアホがいたか、確信犯がいたか、騙されて出しちゃったか? いずれにせよこういうワキの甘い家の人が総理やってるんだということになってしまう。世論は。

岸田総理は3世議員。息子くんは4世の予定。世間はみなその箔つけのための秘書官任命と思ってる。総理秘書官は官僚の体感だと事務次官より上らしい。それをどこ吹く風と適材適所で通してしまって適材でなかった。だから親父の自業自得になる。商社に6年いて社会経験だなどと思うまともな人はいない。しかし政界に入れば親の七光りで競争のない人生だろう。だからよほどの馬鹿でない限り誰でも適材なのである。その世間ナメ過ぎな親のエゴの犠牲になった息子くん。まだ若いのに気の毒としか申し上げようもない。だが今回はそこで終わらないだろう。この「よほどの馬鹿でない限り誰でも適材」というのが世襲議員の旨味だ。親バカの母ちゃんまで出てきて「うちの息子を」とやってる。あいつもこいつもやってる。子供はかわいい。だから議員はみんな世襲したい。歌舞伎の梨園状態だ。公職が世襲されるのは公私混同であると世論はなっていくだろう。

世襲議員が30~40%もいる日本は、明らかに、国際的に、異常だ。印象論ではない、数字で明々白々でありなかでも自民党が突出して高い。世界で日本に迫るレベルなのは政治後進国のイタリアだけであり(それでも日本より低いが)、英国で10%、米で5~10%、ドイツや韓国はほとんど無い。しかも英米は「親の地盤をそのまま引き継いで、同じ選挙区から出るケース」は1%程度でほぼない(神戸新聞・豊田真由子氏)。豊田氏は公職が特権的地位になってはいけないという不文律があるからとされるが、やったら大変なことになると考えた方が現実論として近い。フランクフルトの鮨屋でこういうシーンを目撃した。会計をしようとしたインテリ風のドイツ人客が「同じものを頼んだのに日本人と値段が違うのはなぜだ」と店員に質問し、親父が何か説明したが納得せず「訴訟する」と言いだした。現地で誰もが知る店だ。大した金額でもない。でも怒っていた。これが西洋人の「不平等」「差別」への反応だ。お得意さんと一見さんではサービスに違いが出て当然という常識は日本しかない。格別のサービスは構わないが余分に相応のカネを払う。それが「チップ」というものの正体なのだ。自分の子をうまいことやって議員にしたいなどという発想は鮨屋の親父なみなのであって、やったら即死。だからほとんどないのである。

経済的背景もある。相続税だ。誰でもそれなりの財産をもって死ねば国に半分召し上げられる。しかし例外がある。伝統芸能だ。襲名披露してご贔屓筋を引き継げば親父とかわらず食っていけるが、芸名というブランドに相続税はかけようがない。議員の「票田」(地盤や後援会システム)はそれと全く同じであって、田舎で庄屋の子は庄屋のノリで親父が息子をよろしくといえばそのまま票が受け継がれ、それには技術的に相続税の計算のしようがない。よって経済的にも政治的にも目減りなく子孫に継承できてしまい、贔屓筋も息子にたかればおいしい思いをずっとできるから誰も反対しない。歌舞伎や落語は公職でないからそれが許されるが、議員の身分は公職中の公職である。これがおいしいファミリービジネスになるなど論外であること、世界の常識など持ち出すまでもない、国益に尽くすべき議員という立場の憲法第1条、あまりに当然のことである。これが馬鹿息子が続々と当選し、世襲議員が続々と生まれてくる利権メカニズムである。

わかってはいたが、僕はこれ(安倍総裁の眼)で世襲を良しとしようと思った。大臣になるような議員には交渉力で相手を屈服させる能力が必須だ。しかしどう見ても外国の猛者相手にそれができる者は半分もいるとすら思えず国費の無駄である。だから国会議員は半分にしろと言っている。交渉は言葉でと言われるが、眼がものをいうことを何万回もビジネス現場でやってきた僕は知っている。しかしそういうことは練習してできるのではないかもしれない。そう納得してみた。しかしそれは安倍家だけの話であったのかと今回の件が愚考を粉々にしてくれたのである。依怙贔屓やり放題社会になって平等、機会均等を壊せば多くの才能ある若者のモチベーションを根底から削ぎ、やがて民度はさらに凋落して日本国というゆかしき存在は崩壊し、父祖の努力が灰燼に帰することは必定だ。そんな日本は見たくない。世間は「格差社会だ」「二極化だ」と騒いでいるがそれをいうなら「政治の貴族化」であって、対策を打ち出す立場の行政府や立法府の中枢がお血筋によって固定された貴族なのだ。貴族制を廃止して自ら平民になった貴族は歴史上いない。

だからこれを打破するには対抗できる強い野党が出るしかない。一党だけ貴族を辞めて清貧を見せても選挙に勝たなければ無意味だ。しかし、この人たちも同じ貴族を味わっちまった議員である。小ぶりでも地盤を利権として相続したい欲はあるだろう。「ビジネス野党」という、国会質疑でテレビに出られるタレントとして政治を家業としている万年二軍でいい人たちなのではないかという疑念が僕からは申しわけないがいつまでたっても抜けない。その証拠が、自民を倒すには野党共闘しかないのにその気配すら見えないことだ。民族問題と混線して理解されているのもいけない。そこだけは譲れない多種多様な中道右派の有権者をザトウクジラみたいに飲み込む自民党が、あれだけ派閥闘争して政策などわけがわからなくなってるのに勝利という構図はいつまでたっても変わらない。昨今は維新がいい線行ってるなと思っていたが、自らすすんでクジラに飲み込まれることで公明を追い出して後釜に座る路線だろうか。トロイの木馬作戦なんて言ってるがおいしい自民党員になって大臣ポストが欲しいのだろう。維新がくっついた自民の世襲率はやがて5割を超え、三等国だと世界の笑いものになるだろうがファミリービジネスに邁進する貴族の共同体という仮定が正しいのならば領地の農奴がどうなろうとどうでもいいだろう。

志のある若者たちは明治時代までで大半が足りてしまう日本史の受験勉強はいったん忘れて、明治以降、とくに大正~昭和から現代にいたる日本人が最も見たくない部分の生々しい歴史を虚心坦懐に学びなさい。それをせずに日本史を分かったなど、マル経だけで経済学を語るようなものである。

三等国になっていいはずがない。一等国の評価とプライドを勝ち取るのにどれだけ先人の血と汗と涙が流されたことか。これを忘れたり無視をするなら、君らは知覧の特攻平和記念会館へ行って涙一滴流さず帰ってこられる人だろう。きっかけはいうまでもなく下級武士が主体である明治の元勲の志が高かったからだ。アジアにそんな国は日本をおいて一個たりともなかったのは武士は日本にしかいなかったからだ。維新の十傑のうち七人が暗殺、刑死、敗北自決などの異常死を遂げており、結果論とはいえ文字通り命を懸けていたことを疑う者はない。だから元来は国家意識などなく諸藩に属していただけの民が王政復古の号令で天皇という求心力に目覚め、日本国のためと徹底奮起して二つの戦争に勝った。

しかし、大谷翔平選手がWBCのミーティングで選手に警鐘を鳴らした通り「憧れるだけ」で欧米を抜けなかった「科学技術の差」が致命傷になって三つ目に大敗するのである(なぜか日本の役所は文系が偉い)。国家資格まで失うという未曽有の屈辱の底の底まで墜ちた。そこで発足した自民党なる米国礼賛政党に明治の志があったかというと、米国の信託統治下ではもう何でも仰せのままにといいながら「立派な負け犬」になる根性を見せるぐらいでそんなものは到底あるはずもなかったのである。ここは卑屈になることはない。誰が悪いわけでもなく歴史の流れで仕方なかったと思うしかない。人間は失敗から学ぶ者が勝つ。取締役から臨時の見習いに降格にはなったが、また這い上がればよかったのである。

それは実現した。当時の日本人にはその気概があった。その時代に生まれ経済界で生きた人間のひとりとして声を大にして言わせてもらうが、朝鮮戦争の特需で利を得てそれを賢明にも資本に回していわゆる「高度成長期」(1955年~1973年までの19年間に年平均10%を達成した期)を焼け野原からわずか10年で実現して世界の度肝を抜き、しかもそこからたったの16年である1989年に株式時価総額が米国をぬいて日本は世界一になった。

証券市場に詳しくない人はピンと来ないだろうが心に刻んで欲しい。株式時価総額で米国を抜いたということはWBCで米国に勝ったことの1億倍ぐらい凄まじい快挙なのである。だって上場していて株交換で買収しかけられたらひとたまりもないでしょ?フェアプレーだから真珠湾と違ってやられても戦争仕掛ける理屈も立たないでしょ?つまり株価は経済のみならず国力の源泉、最強の武器なのだ。このことは米国が最もよく知っている。欧州も中国もよ~く知っている。日本の政治家、官僚、学者、メディアだけが知らない。頭はいいからわかっていても骨身にしみてないし策もない。

経済力で日本に負けた。これがあったから米国政府は日本の台頭を心底から恐れ、なりふり構わず貿易摩擦戦争を仕掛け、円高誘導を仕掛け、BIS規制(バーゼル合意)で日本経済を徹底的に叩き潰しに出たのである。これは凄まじかった。英国のシティで最前線で世界の金融界の目玉商品であった日本株ビジネスを戦っていた僕はその生き証人である。中国の時価総額はまだ半分だがやがて抜かれるのではないか。そうなれば合衆国は丸ごと買われる。中国が核戦争を仕掛けたり台湾を武力制圧するなんて実は考えてないのに、だから、いま必死に株式市場から中国資本と企業を閉め出し、インド太平洋圏構想で囲い込んで叩こうとしているのである。

これをわけもわかってない左翼やらメディアやらが「昭和末期の空前の馬鹿騒ぎ」だの「バブル崩壊で貧しくなった」だのと負の側面だけ誇張する。それこそ馬鹿も休み休みにしろである。だからその不条理を体感し、24時間戦えますかのリゲインを飲んでふざけんなとなった民間企業の兵士たち、おそらくは多くの皆さんのお父さんの世代が「企業戦士」「経済は一流、政治は三流」というサラリーマン川柳なみに鋭い言葉を職場で飲み屋で自嘲気味に大流行させたのである。戦うどころか戦地にいもしなかった政治家やジャーナリストが「経済も二流になった」などと軽々しくほざくのを見るにつけ、こいつら偉そうに何様なんだと怒りを覚えるしかない。

当時の戦士、戦友の名誉のために特筆しておくが、世界を驚嘆させ、地に落ちた敗戦国だった日本国の評価を一気に “一流国” まで高めた「高度成長」なるものは、民間企業が真面目に勤勉に知的に賢明に壮絶に、それこそ命を賭して頑張った成果物なのである(僕の勤務地では過労で2人が白昼に亡くなった。皆さん信じられますか?)。ひとこと付言しておくが官僚も国の利益と威信のために頑張った。僕はそういうポストではなかったが、共に戦ってくれた印象はある。しかしだ。断言するが、一流国になったのは政治家が優秀だったわけでも命を懸けてくれたからでも何でもない。

歴史をふりかえれば歴然だ。米国の策略は金融(カネ)と貿易(モノ)に国際ルール(のふりをした)改訂の足かせをつけて日本を叩き潰すことだ。仕掛けてきたのは政治レベルの脅しであった。そこで絵に描いたように宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山と冗談にもならない低レベルな政権が続く。結構まともな橋竜が失脚させられ、いよいよ小渕、森という妖怪水準のドツボにはまる。すでに日本潰しは完成しており米国はもうどうでもよかった、米国シンクタンクの幹部と何度か会ってそう感じた。次はポピュリズム巧者の芸を買って2001年に小泉を使い日本収奪の金儲けに出た。IPO幹事に米系を押し込んで唾をつけたNTTに始まり郵政がおいしかった。これがあからさまな米国利権政権の端緒だった。第二の敗戦でまたギブ・ミー・チョコレートが出た。安倍第1次政権がそれに続き、結果は辞任と情けなかったが2次では彼は多くを学んでおりましだった。少なくとも失業を減らし株価を上げた。何偉そうなことをほざいてもその2つができない総理は無能だ。しかし代償もあった。万年与党の自民党が地位に甘え、議員は勘違い貴族化して堕落し、意思決定には官僚人事という裏技まで弄する横暴が目に余るようになった。

このあたりの風景は二・二六事件の背景への教科書的説明である「青年将校たちは政治政党は財閥と結託して堕落している、軍部は利権を握って横暴を極めていると考え決起した」とそっくりだ。財閥を米国中国、軍部を自民党におきかえればほとんどそのままだ。我が祖母の旧姓は真崎である。僕は台湾の警察署長のおじさんとだけきいて育った。息子くんたち、この音声は知ってるかな?

重い。何十回聞いたかわからないが平静に眠れなくなる。こういうことは二度と起こしてはいけない。岸田総理がもしそう思ってるなら、ほぼ確実にそうは思ってない息子くんを怒鳴って制止するぐらいはしたんじゃないかと思いたいが、一緒に写真撮ってたようではある。そこがこれのあった場所だよ。他人も入れてたみたいだが昭和11年の技術でこんなに盗聴されてる。ごめんなさいじゃ済まないだろ、それ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

拡大核抑止は米国のためにもならない(広島サミット)

2023 MAY 22 23:23:27 pm by 東 賢太郎

何度も書いたが、27才から米国で2年の教育を受けた。その間に多くの思慮深い米国人と知り合い、あの戦争のことまでを議論し、それまで学校で習った程度の認識しかなかった米国の民主主義、自由主義というものの一面的ではない奥深さに感動すら覚えた。母校ペンシルべニア大学病院の医師たちの尽力で難病だった家内の子宮筋腫を治していただき子宝にも恵まれた。英国では29才から35才まで勤務し、顧客であるジェントルメンとプライベートに至る付き合いに恵まれ、人間の根幹をつくる時期にたくさんの啓示をいただいた。

「それまで学校で習った程度の認識」というものがどういうものだったかははっきり覚えがない。ふりかえって整理してみると、

(1)日本も明治以降は立憲国家になったが、陸海軍の統帥権は天皇に直属するとして軍部が独走して過ちを犯した

と教わったように思う。それは世界史だか政治経済だったか、教科書には「統帥権干犯問題」とあったが、概ねのところ真実だろう。問題はそこからで、

(2)だから我が国はならず者・人殺しの本性のある国であり、300万人もの同胞が戦争で亡くなったのもならず者のせいであり、天誅を下してくれたアメリカ様のおかげで平和になった

という第2弾が続くのである。

恐ろしいことだが、どこで(2)を吹き込まれたか記憶にない。昭和30年生まれの僕は物心つくとテレビでアメリカ様のディズニー、ポパイ、マイティマウス、早撃ちマック、スーパーマン、コンバット、ベンチャーズなどに夢中になっていた。ポパイの缶詰ホウレン草やハンバーガーは一度でいいから食べてみたいと熱望していた。しかし、一方で、米軍の爆撃で片耳が聞こえなくなった父からは「鬼畜米英」という言葉を教わっており、鉄腕アトムや鉄人28号でも負けてしまったんだという理解をしていた。

子供心に何か変だった。

(2)を喩えるなら、悪事をした男がムショ入りし「心を入れかえて生きていくんだぞ」と看守に背中をポンとたたかれて娑婆に出る映画を見ている気分だ。なんで自分の国を守ったのに悪いんだ?殴られたら殴り返すのは当然だろう?でも、アメリカ様のいうことをきけば楽しい未来がありそうだ。コロロの矛盾をそう解決していた気がするが、その解決自体がさらなる矛盾をはらんでいた。

なぜなら、周囲の友達はギブ・ミー・チョコレート路線で「アメリカかぶれ」が続出していた。テレビに出てくる大人たちも長い物に巻かれ、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、すいすいス~ダララッタなんて歌が流行っていたからだ。本能的な正義感でそういうのを許せない性格に生まれついているから友達も嫌いになったりして悩んでいた。

いうまでもなく(2)はマッカ元帥様が占領民を洗脳すべく行使したWGIP(War Guilt Information Program)、すなわち、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画の骨子だ。戦争で焼け太った者が隷属し、見返りをもらって全国民に向けてこのプロパガンダ・ウイルスをたれ流していた。自民党もメディアもそのためにできた。知らず知らず僕もそれに感染していたわけだが、安保反対の学生運動は4、5才上のしている暴力沙汰と思っており参加する気はなかった。

日本には「ならず者」もいるしチョコレート野郎もいる。どこの国でもいる。そこで法律を作り、国家を安寧に秩序立てて運営するのである。軍部が独走してしまったのは、日本人がとりわけ「ならず者」だったからでもなく、サムライだからそんなことはしないわけでもない。大日本帝国憲法に「内閣」「総理大臣」の規程がないという構造的欠陥があったからである。英国式の責任内閣制度(元首が行政権を首相に譲る)は陛下がおられるのだからやめとけと独逸人にいわれ、自分が天皇を統御する前提が頭にあった伊藤博文がビスマルク憲法式にしてしまった。腹があった彼ら維新の元勲が死ぬと前提は溶解し、しからば改正すべきであったその憲法は「不磨の大典」と神格化されて欠陥は温存される。そこを突いて、天皇を奉って統帥権を掌握する内紛が起こり(五・一五、二・二六事件)、昭和の悲劇につながっていった。戦前は法治国家でなかったという者がいるが、見事に法治国家だったという皮肉な見方もできる。

そんな鬼畜米英に何年も居を構えることは僕にとって大きな矛盾、チャレンジであった。米国で学生生活をしていたころ、酔っ払うと議論を吹っかけては「日本は憲法改正して再軍備しろ」と言いまくっていたようで、仲間に恐ろしい奴だと言われた。右翼でも軍国主義者でもない。親を愚弄する者は許せず、WGIPの詐術に篭絡されてしまう自分の姿など身の毛がよだつからそうなったという帰結こそが招かれざる矛盾の産物だった。ドイツ時代にクライン孝子さんにぶったのもそれだったと思われ、スイス時代に日本企業の会合で議長をやって「なぜ防衛庁に入らなかったのですか?いい武官になられたのに」と大使館の同庁出向幹部の方に尋ねられた。文官でなく武官というのが自分らしく愉快だった。

40才までしていた主張はこういうことだ。いまだかつて自国を自分で守る権利のない国は地球上にカルタゴしかなかった。カルタゴは第2次ポエニ戦争でハンニバルで敗戦した戦後処理としてローマに武装解除、対外戦争の禁止を強要され、そこで平和主義を掲げ、貿易に専念して経済大国になった。ところがそれをローマに警戒され、隣国ヌミディアの侵略に反撃したところ「条約違反だ」と言い掛かりをつけたローマ軍に攻められ、総人口50万人は惨殺され、生き残った5万5千人は奴隷として売られて国家ごと消されてしまった。それと現代日本のアナロジーは多くの識者が語り、「アメリカ様の核の傘があるさ」で済んできた。カルタゴは敗戦で丸腰にされてから滅ぼされるまで、それでも55年はあった。我が国はここまで78年も無事だったが、これからもそうだろうか。

このたびの広島サミットは、岸田総理が「核なき世界」(核廃絶)を目指すという理念を掲げつつ、核爆弾使用国(米)、2つの核保有国(英仏)、米国に核依存する3か国(独伊加)が参集し、平和の希求を表に掲げながら核の傘(「拡大核抑止(Extended nuclear deterrence)」)が議論されたと理解している。仕組まれていたと思われるゼレンスキーの登場にバイデンが「F16を貸してやろう、核の傘を広げる必要もあるな」と応じる所定の落し所となったのだろう。G7の日本を除く6か国はNATO加盟国で、西側だけで核廃絶が決められるはずがなく「核なき世界」とは最初から水と油だ。広島市民が怒るのも道理である。

目下の一大事はプーチンに核を使わせないことだ。G20を巻き込む傘の拡大はやむなき一里塚とは思う。対して駐米ロシア大使は「米国は日本に謝罪していない」と批判する。原爆資料館の滞在はオバマの10分が今回は40分になったが様子は外部に公開せずだ。米国が謝罪する可能性は見えない。ということは、人殺しがプーチンに人殺しはするなと制する理は立たず「拡大」で脅すしかない。すると世界にチキンゲームが誘発され、核保有量競争が加速する。これ自体が人類を危機に陥れる。なぜなら原口議員によると核保有の危険性は意図的な攻撃のみではないからだ。ミスコミュニケーションによる錯誤、コンピューターの誤作動、ハッキングなどで発射されてしまうリスクは管理不能で、プログラムされた報復を誘発して人類は短時間に滅亡する可能性があるといわれている。大日本帝国憲法の構造的欠陥が昭和の悲劇を呼ぶことを明治の元勲は想定しなかったこと、福島原発の津波による事故もしかりだったことを熟慮すべきだ。「核なき世界」への一里塚に内在する人類滅亡リスクをG20で共有することが必要で、そのために、唯一の核兵器使用国である米国がその非を認めることで事は進む。DSと一線を画さない現状は自国のためにもならない。

冒頭に述べたように、英米に住んでみると、彼らはぜんぜん鬼畜ではなかった。本稿で書き分けてきた「アメリカ様」と「米国」は別物なのだ。前者は米国の姿をまとったDSで、全員が米国人とは限らず英国の影もある。武器、エネルギー、食物、鉱物、情報が主力商品であり薬もそうだ(麻薬と置き換えて阿片戦争を思い出せばいい。中国人が何万人死のうと廃人になろうと英国人は金儲けのために阿片を売ることを意に介さなかった)。原口一博議員の主張のようにワクちゃんも同じ精神構造の元に日本政府に免責条項付きで取引されたものと想像する。立派である米英の友人のためにも、米英の威信を守り人類を滅亡させないためにも、人間の心のある米国指導者が現れて歴史の殻を破ることを願いたい。

最後にSFっぽい話をひとつ。プラズマ理論物理学者ジョン・ブランデンバーグの論文によると、火星大気にはキセノン129という、自然には発生しないキセノンの同位体が不自然なほど多く含まれているという(左)。また、ウラン235の放射線量が多い地域は大きく2か所存在するが、このウラン同位体も自然にはできないものらしい。ブランデンバーグは、放射性同位体とそれらの堆積物から、火星ではかつて少なくとも2か所で核兵器が使用されたとし、その総エネルギー量は地球上の核兵器100万個分に相当するという。これは大規模な核兵器の使用であって、小規模の核兵器はさらに多く使用され、互いに多量の核兵器を撃ちあった痕跡も認められるという(以下の記事から抜粋)。

火星超古代文明は核戦争で滅亡した!? 大気中のキセノン同位体から考察する先代文明の終焉/嵩夜ゆう

東西冷戦時代、地球は自身を複数回破壊できるほど大量の核兵器を有していた。幸いなことにそれが使われることはなかったが、火星ではそれが現実のものになってしまったのではという興味深い説だ。これで思い出すのは月面で5万年前の人間の死体が発見される名作SF「星を継ぐもの」だ。無人どころか猿もいなくなった地球に来訪した宇宙人が5万年前の死体を発見したりしないことを祈る。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

法要と究極のリラックス(箱根翡翠にて)

2023 MAY 15 7:07:45 am by 東 賢太郎

箱根は何度行ったろう。子供時分から数えるとずいぶんだ。父がとても富士山好きであり、富士五湖めぐりや浅間神社にお参りなどしてから伊豆に下って天城高原ロッジに泊まったり下田の民宿で海水浴をするなんてのが夏休みの定番だった。だから自然と僕も箱根・伊豆が好きになり、家族旅行というとだいたいこっち方面になるし、いっとき箱根神社の上の方に芦ノ湖を望む土地1600坪を持っていた。老後に住んでもいいかなと思ったからだが金がなくなり売ってしまった。

父はずっと前から自分が入る墓を富士山がまじかに望める処にしようと決めていたようだ。相談を受けたかどうか覚えがないが、そんなことを言っていた気もするわけだ。先祖代々の今戸の墓がもういっぱいであり、次男でもあるからそっちは兄にまかす、それもありなんだと。そのころ僕はまだ海外にいたしそんな先のことまで頭も回っておらず、どうせ気まぐれだろうと、ああそれでいいんじゃないのぐらいの生返事をしていたと思う。

連れてこられたのは2015年の暮れだった。強羅の桐谷旅館に泊まって大好きな白濁湯を堪能し、箱根美術館の絶美の日本庭園なんかのほうに興味をそそられていたのだが、とにかくこの墓地を見てくれと二人して車でやって来たのだ。その日は霧がかかっていて、墓石の前で父が後ろを振り返り「あの辺に富士山が良く見えるんだよ」と指さしたが何も見えなかった。あれが実は気まぐれでなく、そんな先のことでもなかった今となってみると、父とのその日のあれこれは感無量でしかない。

過日、父の一周忌、母の七回忌の法要をその富士霊園の墓前で親族と執り行った。昨年納骨式をした時も小雨で富士山は影も形もなかったが、今回こそは快晴で眼前にくっきりと雄大である。なるほどこれだったんだなと父の選択に合点がいった。敷地はゴルフ場になるほど広く、桜の三大名所でもあるようで、写真のレセプションのあたりはリゾートさながらだ。

毎年5月にここへ来るとなると、泊りは箱根、熱海、伊豆あたりになろう。温泉もゴルフ場もあるし、健康にも精神衛生にも好適なことはうけあいだ。父がそこまで考えたかどうか、自身が10年も施設に居て広々した土地に出たかったのもあろうが、きっと子孫のそれも慮ってくれたにちがいない。従妹の両親もここに眠っており、今回の宿は従妹夫妻がハーベストの「箱根翡翠」をとってくれていた。去年もそこだったが、気に入ったので今回はせっかくだから二泊しようということになったのだ。

おりしも僕はディールの真っ最中だ。寝ても覚めてもああでもないこうでもないと考え、計算してる。この作業は入り口から出口まで一気通貫の情報を経験という方程式にぶち込んで解くようなものである。入りと出と両方の経験を持った人はまずいないから自分ひとりで決めるしかなく、いま頭のCTスキャンをとったらきっと数字が写っているにちがいない。身体のほうも肩から足の先まで凝りまくってる。翡翠の温泉は強羅の白濁湯でサービスも和食のクオリティも箱根でトップクラス、とても有難い。

部屋から

二日目は車で早雲山へ行ってみる。大涌谷に至るロープウエイは何度も乗っているがここで下車したことはない。駅舎が新しくなっており、白人観光客がそこかしこにいる。遠く海までのぞむ山肌に濃淡あるグラデーションを施す新緑のうねりが美しい。頬をさらさらなでる渇いたそよ風が心地良いなあと思い、都会生活だとそう出会えるものでないなと悟った。昼食は湯元まで降りてみようとなり、早川沿いの商店街をぶらぶら散策して蕎麦屋を探す。そんな何でもない時間もまた贅沢だ。宿に戻って湯につかること2時間。38度ぐらいだろうか、白濁のぬる湯が最高である。うつらうつらしていたらしく時計を見たら記憶が飛んでいた。

夜はなかなかとれないらしい ITOH DINING by NOB(下)を予約してくれていてステーキを堪能。しこたま飲んだのをものともせず、帰ってまた2時間湯につかる。竜宮城か何か極楽にいるような究極のリラックス、デトックスだ。貸し切り状態であり、またぬる湯で寝て命の洗濯をした。これでまたすっきりと気分よく仕事モードに戻れるだろう。何もかもアレンジしてくれた夫妻に深謝だ。

(母の日に)

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊