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カテゴリー: ______サイエンス

脳みそが「創造する快感」に支配されている人

2018 AUG 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

今日は神山先生ご夫妻と夕食でした。もう14年になるね、僕は先生の漢方を一番長く飲んでる日本人だね、効いてる?わかんないね、まあ、毒じゃないってことだけは確かだね、なんて龍門派気功第十九代伝人にジョークをかませる仲です。14年は長い。野村を辞めて以来ということであり、お互いがいばらの道で辛いときに悲喜こもごも助け助けられで、ほんとうに色々ありました。家族ぐるみで切っても切れない仲で、僕は彼の上海の仲間に「日本の兄弟」と紹介されています。

2004年に風邪をこじらせて熱がさがらず、騙されたと思って行けと紹介されて池袋の診療所を訪ねました。とても苦い煎じ薬を飲まされ、一日ですきっと治った。この時の台風一過の如き清涼感は忘れません。漢方の知識は皆無でしたし、今だってほぼゼロですが、それ以来彼の調合する薬草を信じて朝晩欠かさず煎じて飲んで、まさに医者いらず薬いらずの体になってしまいました。後で知りますがこれが彼のファミリー6代に伝わる、免疫力を高める「未病」の秘法で、ちなみにお父上は鄧小平を診た国医です。

上海交通大学の気功の教授だったところ、事情あって来日し山梨大学で教えることになってから28年、このたび母国の医師免許が授与される見込みという嬉しいニュースが入りました。中国の医師は西洋医学をする西医と中国伝統医学(日本人が呼ぶ漢方)をする中医に分かれていますが、習近平は中国医学発展計画により中医学の標準化と輸出、中医師免許の拡大政策などを推進し「一帯一路」プロジェクトにも中国医学グローバル化が含まれました。この追い風の中で、国外頭脳流出していた龍門派気功第十九代伝人・神山道元先生(中国名・屠文毅)に国のスポットライトが当たったようです。

先生の奥様は西医で英語も堪能、上海の病院の麻酔科教授で心理学博士でもある超インテリの彼女がセクレタリーというのは強力で、国家予算がつくようだからそう遠くない先に先生は父君のように本国で中医を代表する存在に返り咲くでしょう。そうすると僕は先生の国外流出期に14年と最長の投薬・施療実験台(笑)だった人になるらしく「中国政府に提出するレジュメに東さんの名前を書いていいですか」ときかれました。政府のインタビューに同席もしてくださいと。「もちろんオッケーだよ。当然でしょ。人生最高の医師だというよ」と答えると奥様があなたは**だという。中国語でわからないので手帳に漢字を書いてもらったら「劉備」でした。

こうなったのも、僕の新しいもの好き+経験主義(ホントに一発で治った)+良いものは良い、いらんものはいらんの割り切り主義からでしょう。薬は治ればいい、誰が作ったか何が入ってるかなんて効けばどうでもいい、いくら権威ある大教授の御託が立派でも効かない薬なんて捨ててしまえ。そういう処で先生と性格が合うのです。一度心から信じたらとことん信じるのもいっしょ。完璧な一致と言っていいですね、こういう人はこれまで会った人にはほとんどいませんし、日本に染まっているとどうもチマチマセコセコになってしまう。

彼はドツボの時も明るい未来しか考えない。半端ないポジティブ・シンカー。構想が大陸的であってでかい。弱音を吐かない。へこたれない。やめない。何かをゼロから生むのが飯より好き。これは僕とまったく同じ種族の人間ということで、脳みそが「創造する快感」に支配されているのです。人生クリエイトしてなんぼ。この事実の前にして彼が中国人であるということはそれこそ僕にはかけらの関係もなし、国籍、宗教、性別、歴史、血縁なんてものは脳みその型で分類した人間の種族にはずっと劣後します。地球上のどこにも、自分と種族が同じ人と違う人という2つの人種がいます。

事業というのは、大企業のパーツならともかく自分で起業というのは自分が車のエンジンにならなくては絶対に無理です。そして「エンジンになる」とは「創造する快感に支配されている状態」のことなのです。創造とは非常識な処から生まれる、まだ世に存在しない発想のことであって、そこにつまらない常識的な人が出てきて「そんなの無理でしょ」なんて言ったら車は1メートルも進みません。そうなると会社はつぶれるし、世の中の99%は常識人だから、僕はそういう人と接しない時期が年に何回かは必要です。1%に属する先生は話していて無限に面白い、何時間でもいっしょにいたい貴重な兄弟なのです。

 

(ご参考です)

勤め人時代にできなかった二つのこと

 

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でかい火星(スーパーマーズ)を家族で鑑賞

2018 AUG 2 0:00:35 am by 東 賢太郎

帰り道で火星がでっかいなと思っていたら7月31日に大接近ときいた。それだけでは特にどうでもなかったが、次回は17年後だからもう80才だと思うと見ておこうとなるから現金なものだ。8月いっぱいは「スーパーマーズ」が見られるらしいから自信のない方はぜひ。

そういえば前回に次の心配をしたのはハレー彗星だった。次は2061年だから僕は無理。1986年に見たのはロンドンから帰国するJALの機中で、シベリア上空を東方に向け夜中に飛行中だった。スチュワーデスのお姉さんが「ハレー彗星が綺麗に見えてますよ、ご覧になりますか?」と、なんとコックピットに入れてくれた(よかったのかな?)。

確かに綺麗だった。地平に緑色のオーロラが輝き、その上方の中空に「それ」はあった。左向きでイメージより尾が短くすそは広めで、テルテル坊主みたい。切り絵をぺたっと空に貼りつけた感じでくっきりと静止しており、漫画のようにユーモラスだった。昔の人はあれを見たらさぞかしびっくりしただろう。

いまの火星もインパクト絶大だ。テラスに集合して家族で(ノイも)感嘆、鑑賞。息子と天文の話になる。これだけでかいと、なるほど地球に近いんだ、移住計画もできるかなと思えてくるがその左には月があって、こんなに表面が肉眼で見える天体はほかにないという稀有の事実が火星のおかげでわかる。

最接近の火星までが5759万キロ、月までは35万~40万キロ、月の直径は水星よりやや小さく、冥王星よりは大きく、火星の約半分だ。月が衛星のわりに惑星並みに大きいということ、それが火星との距離の150分の1の所にあるというのは異常であって出会いの時はけっこう危険だったはずだ。巨大衝突説(ジャイアント・インパクト説)が出る所以だろう。

見た目の「でかさ」を視直径というが、最も大きい星が太陽と月だ。しかしそれは見かけであって、実際の直径はちがう。このビデオでよくわかる。

ここに出てくる太陽より大きい恒星たちは、地球からは視直径が目で認識できない点光源だ。よく知られた一等星のリゲルもアークトゥルスもアルデバランもアンタレスもベテルギウスも、みんな光る点にしか見えない。彼らの何十分の一の大きさしかない太陽はあんなにでかく見える。

オリオン座アルファ星リゲルの直径は太陽の78倍、ベータ星ベテルギウスは1180倍だ。それでもこんな風に点光源にしか見えない。

オリオン座。左上の赤い星がベテルギウス、右下の白がリゲル。

小学校低学年の頃、冬空を見上げてこのオリオンを眺め、そうか太陽も恒星なんだ、それがあんなにでっかく見えるってことはそんなにすぐ近くにあるのか!でも地球がリゲルの惑星だったら熱いだろうなあ、みんな青く見えるんだろうなあ、なんてことを考えていた。

だから最近にチリのアルマ望遠鏡がとらえたベテルギウスの写真は衝撃だった。視直径が「ある」ということと、形が「いびつ」ということにだ。

円は水金地火木土だ。この星が太陽だったら木星まで飲みこまれている。太陽も寿命の半分ほどが過ぎた中年の星だからやがてベテルギウスみたいに赤く膨張して、火星の軌道まで飲みこまれるらしい。もちろん、地球は消滅する。

テスラのイーロン・マスク氏の火星移住計画は素晴らしいが、それでは足りない。でも木星、土星はとうてい住めない。絶体絶命の我々の子孫はどうすればいいんだろう?

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またかいな、iPS細胞論文の捏造・改ざん

2018 JAN 23 1:01:00 am by 東 賢太郎

海外に16年住んでみた経験だが、官民に関わらず日本のもろもろの管理システムはしっかりしていると思う。しかし、そのパフォーマンスのかなりの部分は日本人のもつ真面目さ、勤勉さ、責任感などの人的要素に依存しているのであって、必ずしも機械が優秀というわけではない。このところ、そう痛感する二ュースが多いのがとても気になる。

相次ぐ名門企業のスペックごまかしと隠ぺいがあると思えば、新幹線の台車ひび割れ事件でJRの管理体制の甘さにぞっとした。そうしたら日本航空機が管制の許可を受けないまま関西空港に着陸だ、しかも管制側も着陸の許可を出し忘れていたというのだからお似合いのペアだったわけだ。

以上はすべて人命にかかわることだ。誰もが信頼する公的な管理システムが実は「ごめんなさい、忘れてました」で済む軽さで作動しているのだろうか。事故が起きればトップが並んでカメラの前で45度のお辞儀を15~20秒して終わりなのか。管理システムもお辞儀もどこか「マニュアル化」しているように思う。

人命には関わらないが人生は左右する場面でも目を疑うことが起きている。センター入試で試験官のスマホが試験中に鳴って、それが英語のリスニング中というのだからひどい。阪大は物理の出題ミスで誤って不合格となった受験生が30人もいたが、認めたのが1年後だ。京大も昨年の物理の入試問題に「条件が不足しており、解答不能ではないか」の指摘が出ている。

東大入試だってあった。1975年の二次試験、数学の設問2は ℓ ≠0という条件がないと解けず僕は答案に「出題ミスである」と文句も書いた。人間だから仕方ないが、出題なんか間違うなら採点のミスはないのかとも疑ってしまう。確定的に答えが出る理数系は複数の目でチェックすれば防げるはずであって、それをしていないと考えるしかない。

ここまで書いたら、ついに「京都大学iPS細胞研究所で論文のデータに捏造、改ざん」というニュースが飛び込んできてしまった。STAP細胞事件の顛末を知りながらどういう野太い神経でこれができてしまうのか、蛮勇に敬意を表するしかない。どうせばれないだろうというお気軽な魂胆は名門企業のスペックごまかし・隠ぺい事件に直流で繋がっている。

僕はシューマンの交響曲のスコアを「改ざん」する奴は許し難いと思っていてシューリヒトのようなクズのCDは廃棄処分する。まして科学研究だ。スコアを書いたのは「神」なのだ。「論文の見栄えを良くしたかった」と女がアイメイクする気軽さで神を超えたこの助教は何様なんだろう?そういう視点に立てない人は科学者も指揮者もだめだと烙印を押すのに何のためらいも感じない。

それが人間なのだろう。そういう輩はいつもどこの国でも出現する。法律という社会正義に違反するわけじゃない、科学者としてジ・エンドになるだけだ。しかし、その人の人生が打ち止めになろうと自己責任だからどうでもいいが、その巻き添えで人生打ち止めになる他人が出る社会は正義に反していると思う。

以下は私見だ。

山中教授に管理責任は及ぶのかもしれないが、あれほど大問題を起こして屁の河童の相撲協会理事長もいることだ。教授が米国に行ってしまうような事態は避けたい。中村修二教授は米国籍になったが新発明の紫色LEDは日本でお役立ちすべきだと僕は考えてご支援している。文学者のノーベル賞も結構だが日本は永続的に科学立国であるべきで、ワールドクラスの科学研究は国をあげて守らなくてはならない。

 

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座右の書と宇宙の関係

2017 DEC 10 21:21:06 pm by 東 賢太郎

学習塾の広告で「今まで算数を学んできた中で、実生活の中で算数の考え方が 活かされて感動したり、面白いと感じた出来事について簡潔に説明しなさい」(駒場東邦中 2017年 算数)とあって、人生その連続だった僕としてすばらしい問題だと思った。ところが「簡潔に説明しなさい」となると例が出てこない。

似た例が「心に残った本」「座右の書」だ。きかれてもない。同じ本を2度読むのはブログにする時ぐらいだし小説は読まないし、3時間~3日で読んで3,4割もわかったら終わりで、わからん本=いらない本が僕の読書だ。本屋で手に取っても目次だけでほぼ趣旨が見えて終わるのが半分。無理と思ったら買う。

強いていえば先日のフランス学序説などが近いのだろうが、心というより記憶に残った本で座右ということはない。頭の回路形成に影響はあったが算数がそうだったのと似ているのであって、僕は算数の教科書を座右に置いて生きているわけではない。何か肝に銘じたりすると変化に対応できないからむしろしない。

最近、知りたいし、ちゃんとわかりたいというのは宇宙物理で、時間ができたら勉強したい。これは読書と別ものだ。ダークマターという謎の物質が宇宙には満ちていて、信じ難いことだが計算量より多く存在し、銀河の周囲にはダークマターハローとよばれる、銀河の10倍ほども広がる巨大な構造がある。

ハローは小さいものから形成され、合体を繰り返して大きく成長し、その内部で銀河や銀河団が作られていく。スーパーコンピュータ「京」や国立天文台の「アテルイ」の強力な計算パワーを活かして、宇宙初期から現在にいたる約5500億個ものダークマター粒子の重力進化を計算したものがこれだ。

下が131億年かけてできた銀河が密集して分布する壁のような構造(グレートウォール)だ(小さな光の点が銀河系のサイズ)。

皆さん、こんなものを連想しないだろうか?

これはラットの脳内のニューロンネットワークだ。脳が電気信号を伝える神経の超微細な構造と、銀河が密集して分布する超巨大な構造。偶然似たかもしれないが、世界が仮想現実だとする「シミュレーション仮説」を想起しないでもない(シミュレーション仮説 – Wikipedia)。

この仮説はオックスフォード大学の理論物理学者が論破したとされるが数学で解かれなくてはいけないので正確に理解できそうにない。しかし物理法則を何者かがプログラムしていようがいまいが、脳内ミクロ構造が分子レベルの何らかの法則で何億年もかけて組成されたた結果とすると、宇宙の大規模構造はそれを部分とした全体であって自己相似関係にあるというフラクタル幾何現象(フラクタル – Wikipedia)か。証明できないだろうが、もしそうなら超大規模構造である。

数学や座右の書はおそらく固有のニューロンネットワークを形成するだろうと考えていて、とするとそれは脳の大規模構造の一部だ。構造を例に例えなさいと言われても困るのであって、僕は駒場東邦中学に不合格になるだろう。「座右の書」がないのも「簡潔に説明しなさい」となると出てこないのもそのことの婉曲な証明ではないかと考えている。

(ご参考)

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「未来」と呼ばれているものの正体

2017 SEP 24 23:23:58 pm by 東 賢太郎

アインシュタインは現在、過去、未来はない、それは人間の考えた幻想に過ぎないと言ったそうだ。人間の脳には記憶のファイルが巨大な本棚のように収納されていて、たとえて言うなら、何かを思い出したり考えたりすると本棚のその部分にピカッと光が当たるようなものだそうだ。

では「いま」とは何か?ピカッによって我々が目、耳、鼻、口、肌などの五感のセンサーで感知している世界のことだ。その「いま」は時々刻々と「むかし」になりつつある。ではどれだけ時間がたてば「むかし」なのかは誰もわからないし、尋ねられれば1秒後とか0.1秒後とか瞬時とか、答えは人によって違うだろう。

ピカッで感知できないもの(例えば紫外線や可聴域外の音)は「いま」に含まれないけれど、あるかないかと問われれば、ある。100光年先の「いま」は100年しないと見えないが、こうして議論している瞬間もその場所はある。だから「ある」か「ない」かということと、「いま」は別個の話である。

我々は自分が感知した「いま」がしばらくすると変わっていることに気づく。さっきそこにいた猫がいない、というふうに。そこで、「さっきの今」を「むかし」と呼ぶことにして、そこに至るまでの間に「時間」というものが流れたのだと思うことにしたわけである。とするならば、その時間がさらに流れれば、その先には「これからの今」があるじゃないか。

むかし(過去)、いま(現在)、これから(未来)はこうしてできたらしい

わかったようでわからないが、動物ならどうだろう。ネコにきいたわけではないが、明日の夕食をどうしようなどと考えそうもない。すると「未来」というものはないだろう。「過去」はというと、さっき何を食べたかぐらいは覚えているかもしれないが、記憶があるから過去があるというわけではない。記憶を現在より前のこととして現在から仕分けして眺めている「自我」がないと過去というのは存在できない。

「時間というものが流れたのだ」と思うことにしたのは「自我」である(思うに、それがデカルトの言う「われ思う、ゆえにわれあり」の「われ」だ)。おそらくは自我のないネコに「時間」というものを創作して1時間前と今を比べてみようという意識はないだろう。ということは、時間の経過でしか定義のしようがない過去も未来もネコにはないということになる。

では自我のある(はずの)我々はどうだろう?

これを考えるには相対的存在というものを知る必要がある。例えば「きみ」という人間だ。本名は山田太郎だが「きみ」であるのは「ぼく」がいるからだ。「ぼく」の自我が自分ではないと仕分けしたからそう呼ぶのであって、実存はしていても「きみ」は「ぼく」とペアで僕の頭の中にしか存在しない。僕が死ねばそうか山田君のことだったのかとは判別できなくなってしまう「きみ」は、だから存在しない。

同じように、昨日カレーを食べた事実は実存しても、あるのは「ぼく」の脳内の記憶であって、それを「過去」と呼んでいるのは現在の僕でしかない。僕が死ねばそれはない。100光年先の星は僕が死んでも実存するから「ある」のだが、昨日のカレーは「ぼく」とペアの相対的存在であり、「ぼく」が「現在」と仕分けして「過去」と呼んでいるものは全部がそのカレーと同じである。

つまり、「過去」とは「ぼく」とペアの「きみ」や「カレー」とおんなじで、存在しないものなのだ。これをアインシュタインは「幻想に過ぎない」としたのだと僕は理解している。

我々は過去、現在、未来という時間の流れがあると信じている。しかし物理学に時間の概念はなく、時間と思っているのは3次元と4次元(時空)の差異だ。時間概念がないというのは、つまり認識できるのは常に「いま」だということだ。ピカッと光が当たっている本が「いま」であり、いま知覚した本は瞬時に過去になっているが、それを「考えている」限り光は当たっておりそれは「いま」のままだ。

いま目で見ているものであれ昨日見た映画であれ、知覚の光が当たっているからそれは「いま」なのであり、光が当たっていないものは存在しないに等しい。100光年先の星は存在していても、光は届かないからそこの「いま」は我々の「いま」ではない。存在がいまではなく、意識の光がピカッと当たるか否かが「いま」であり、それはネコの「いま」と変わらない。

なんだ、我々はネコなみか?そう思うと寂しいが、人生はずいぶん気楽なものにはなる。過去はもうこの世にないのだから失敗など悩む必要はどこにもない。明日どうなるか、何をしたらいいかなんてわかる理由がない、ないものを考えたって答えなど出ようがないからだ。

さて、やっと本題の「未来」の話だ。時間という概念を使おうが使うまいが、人生はいましかあろうがなかろうが、自分が生きていようがいまいが、「あした」は来る。それはまだ記憶にもなっていないからピカッと光りようもない、まさしく空想の産物であるものの、地球がぐるっとひと回転すれば確実に来るからきっと「あした」は存在するのだ、ネコにも我々にも平等に。

しかし我々の自我は欲深い。「あした」ではない「未来」というものを生み出した。幻想なのだからどうにでも主観が入り得る。それは「予測できる」というものだ。物理の法則で、天体の運行のような単純な運動は、万有引力という人間の感覚では不可知ながら数学的に想定すると未来を予測できることを我々は経験的に知っている。そうやって月にロケットがちゃんと命中している。しかし一方で、引力を及ぼす天体が3つ以上になった場合の運行法則は見つかっていない。

このことはアインシュタインが「経験とは独立した思考の産物である数学が物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」という疑問を持っていたことを想起させる。数学は人間が発明した道具なのか、それとも何かの抽象的世界に実在していて人間はその真理を単に発見しているのか?この議論にいまなお答えはないそうだ。某大学医学部の麻酔科教授が驚くべきことを教えてくれた。「実は麻酔がなぜ効くかというメカニズムはまだわかっていないんです。経験的に正しいと、何時間したら目が覚めるはずだと信じて使っているだけなんです」。怖い話だがそれに近いのかもしれない。

月に命中するか?患者が目が覚めるか?予知できる未来はかように極めて限定的であるのに、我々は不遜にも予知は可能であるという前提で科学というものを発展させてきた。科学者は限界を知っていようが一般人は科学は万能と思い込んでいるのであり、それこそが「未来」と呼ばれているものの正体に他ならない。明日も生きているかどうかすらわからない人間が作り出したはかない空想の産物でないと誰が言えるだろう?しかし「明るい未来」とはいい言葉だ。それがあると思うから人は懸命に働くし善行も積もうと思うのだ。

そう思い至った僕にして、実は「いま」しかないのだよと人生の座標軸を変えるのは一大プロジェクトに他ならない。いま、僕はそれをしている。重大な意識改革だ。できるのはいまを良くする努力しかない、未来とはその結末にすぎない。では、いまを良くする努力に近道やスタントプレーがあるだろうか?そうならそれは魔法というものの立派な定義になるだろう。そんなものはない。できるのは、ちょっとだけ本棚にあてるピカッとした光を強めて、本の背表紙をじっくり見るぐらいのことだ。

それは勉強や仕事をしている時だけでなく、駅へ歩く道すがらだったり友達と他愛ないおしゃべりをする間だってできることだ。逆に言うなら、そこでできないことを勉強や仕事だからといって突然できるようになるわけではない。これを間違ってはいけない。光を当ててじっくり見るということを我々は「注意力」と呼び、光の強さを増すことを「集中力」と呼んでいる。つまり注意力散漫で集中もできない人が、いざという時だけそれができることはあまり期待ができないのである。

このことを若い人は肝に銘じておいてほしい。過去は変えられないから考える意味がない。皆さんは失敗はきれいさっぱり忘れて「なかったことに」で構わないのだ。しかし現在の過ごし方の質を上げれば未来は変わるかもしれない。方程式はないけれど、未来は明るいものになるかもしれない。それをいま何の努力もせずに望むのはナンセンスだ。しかし現在の過ごし方の質という最小限の努力はできるものに置き換えれば未来はあなたのものかもしれない。

では、どうすれば注意力がつき、集中力が発揮できるのか?それさえできれば、こういうことに必ずなる。

現在 < 未来

さらに、

現在の勉強・仕事・しあわせ < 未来の勉強・仕事・しあわせ

になる。僕はそうやって受験や仕事を一応は成功裏に乗り切ったし、それを様々な形でブログに書いてきた。それを読んで共鳴していただいた方々はきっとご自身でできているから共鳴されたのだと思う。そんなに難しいことではない、ちょっとした努力をすれば誰でもできる。

ソナーという会社は意欲ある若者を育てること、才能を見つけることに社会的存在意義を見つけようとしている。意欲と勇気のある方ならだれでも遠慮なくご連絡いただければお会いするし、伸びる方法をお教えもできるだろうと考えている。もちろんすべては無料である

 

・・・・

 

以上は本年3月22日にソナー・アドバイザーズ(株)HPに書いたブログだ。当SMCにはこれが1513本目のブログということになる。それをトータルに眺めると、適当に思いつきを書いていて中味は五月雨だが、すべてが僕の頭から出たもので受け売りやコピペは一切なく、一義的にはまず自分の備忘録で、本稿にある「本棚でピカッと光が当たった本」を開いて「書き写して」いる。そうしておかないと、10年後は生きてるかどうか、生きていてもその本は本棚から消えている、つまり記憶が飛んで忘れてしまっているかもしれないという恐怖が常にあるからだ。

1513冊で僕の頭の本棚の何割を写したのか知らないが、興味ないことや詳しくないことは残しても無意味だし、お読みいただく方に時間を費消していただく資格がないから書かない。ジャンルは右のカテゴリー欄にある項目を「縦軸」とすると、各ブログの末尾にリンクを入れてジャンルまたぎの「横軸」になるようにもしている(いま作業中)。

横軸を気長に辿って行っていただけると予想外のジャンルに飛んだりするが、それは僕の話の個性でもオンリーワンの特徴でもあって、リンクさせている意味はちゃんとある。左脳と右脳をつなぐ脳梁と思っていただければ幸いである。ある意味で、別なワールドをお楽しみいただけるのではないかと思う。

単語やフレーズによる検索はブログ右上の「サイト内検索」で行える。ただしワードプレスの検索機能はやや狭くて、文字列とフォントがきっちり合わないと出てこない。ラヴェルはラベルでヒットせず、交響曲の前にスペースを入れるかどうか、3番か3番かで出なかったりする。ここは プラットフォームの問題であり仕方ない、いろいろお試しいただくしかない。

音楽ブログについては文章と楽譜だけでなく、youtubeから音のサンプルを貼ってできる限りご理解いただけるようにしたい(耳で聞くのが圧倒的に理解が速い)。まず、youtubeに「東」のマークのチャネルを作り(このビデオ等)、僕の保有する音源をブログの補完としてアップロードしていく方針。フォローしていただければクラシックについては深められると思料する。

忘れた過去は「なかったこと」に

男の更年期障害

 

 

 

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香りの効能

2017 SEP 23 1:01:07 am by 東 賢太郎

蝉(セミ)がなきやんで久しい。蝉は地上に数日しか生きられなくて寂しい一生だが、動物というのはすべからく食うことと生殖することだけのために生きている。もっとつきつめれば食うのも生殖のためであって、我々は遺伝子をのこすための乗り物(ヴィークル)にすぎないという説もある(「利己的な遺伝子 」リチャード・ドーキンス著、紀伊國屋書店)

テレビのバラエティーや昼メロがグルメと温泉とセックスばかりなのも、芸能界はもとより政界までシモネタ・スキャンダルまみれというのも、皆さんドーキンス先生の発見した「原理」にのっとって日々お勤めに励まれている結果だ。では子孫を残した人は余生で何のやることがあるんだろう。食って、寝て、死ぬだけなのだろうか。

そう思うと、音楽というのはセックスにも食うことにも貢献がなく、だから動物は聴かないし生物学的には無益なシロモノだ。ロックは女性にもてるかもしれないがクラシックをきくなんぞは色恋と無縁であって、それに50年以上もかまけてしまった僕は動物としては失格なのだろうか。

しかしこうは考えられないか。音楽鑑賞は生存の役には立たないが、落ち込んだり、道を誤ったり、自殺してしまうというようなことへのガードレールの役割を果たしていると。それならドーキンスの原理からは逸脱しない。死んでしまえば遺伝子の目的は成就しないからだ。

例えばベートーベンだ。彼は子孫を残さなかったが、自殺を考えながらも音楽を書くことで元気になって戻ってきた。その複雑な精神の行路を明快に音でなぞってシミュレーションできる曲がある。交響曲第3番「エロイカ」だ。そうすると聴く者も元気に戻れる。僕自身が苦しかった時にそれで復活した経験者だ。

先日のこと、統合医療において僕の主治医である森嶋先生にバイオレゾナンス診療で1年ぶりに全身を診ていただいた。「内臓も頭も問題なし、ストレスもないですね」で安心したがちょっとひっかかる。「先生、いま仕事でストレスの真っ只中ですが」「いえ、数値は出てません、きっと音楽が効いてますね(笑)」。

たしかに、疲れると甘味を欲するように、ストレスがかかると音楽が欲しくなるから精神的な「薬効」があるのかもしれない。米国医学界は制癌剤治療に疑問を呈し論文も出なくなっているそうで、癌患者への対処法が向かっているのは東洋医学やヒーリングなど理論より治験が先行した分野も抱合する統合医療とのことだ。その一環で音楽を取り入れる療法は真剣に研究されている。

ストレスとは体を一定の状態に保つ恒常性(ホメオスタシス)が崩れた状態から回復する際の様々な反応で、なくてもいけないが過剰だと生体機能が狂う。だから過剰と感じた時に精神の緊張を緩和してくれるなら音楽は薬効があることになるし、音楽がもたらす心理作用は認知症などに効能があるとする論文も出てきている。その観点から「エロイカ」の薬効を原子論的に調べたら何か結論が得られるかもしれないと思うと関心が高まる。

先生によるとストレスはもうひとつ戦う方法があるという。香りだ。そこでこういうものを紹介していただいた。「パ ホーザ」(Pau Rosa)というアマゾンの香木エキスだ。

 

この香りにはひとめぼれで、す~っとリラックスできる。ローズウッドの一種だから日本だと紫檀(しだん)だろうか、その中でも特別に品質の高い樹木から採取したオイルであり、入手が難しいらしい。

 


アロマオイルは詳しくないが、お香を焚くのに一時こったことがあり香りの効果は感じている。これは過去嗅いだことのないもので、安眠など効果があるのではないかと思い、いただいて帰った。

 

音や景色は「美しい」と表現できるが、香りや味はそうはいわない。この辺が五感の微妙なところだ。我々が食うことと生殖することだけのために生きているならば、食うことである味は栄養価や毒素を見分ける即物的なものだ。かたや音や景色は生命や生殖にかかわるものでなく、美しいとは形而上学的な表現だろう。動物には無縁の感覚である。

そう考えると香りは曖昧な所に位置するように思う。フェロモンは生殖に関わるし、一方で栄養価や毒素を見分けるためにも活躍する。犬は視覚より嗅覚が頼りだ。我々が魚だったことは胎内の羊水の中でそこからの進化を猛速度で経過することからわかるが、以下は私見になるが、海中に溶け込んだ化学物質の分子を感知するのが味覚と嗅覚で、光や水分子の振動(波動)を感知するのが視覚と聴覚に進化したようにも思う。

つまり物質的な「味、におい」(グループ①)と波動的な「音、視覚」(グループ②)に大別されるのであって、やはり物質的な触覚を前者に加えると、我々の五感は「食うことと生殖すること」に直接関わる①、それを助けたり身を守ったりするセンサーである②によって成立する。宗教は壮大な教会や寺院、輝く祭壇、仏像やステンドグラス等の視覚にミサ曲、讃美歌、お経などの聴覚を交え②に訴えるが、センサーだけでは訴求力が弱かったのだろう、より本能的な領域である①にもちゃんとお香を焚いたりお神酒を飲ませたりで触れてくる。エロイカを聴くこととパ ホーザを嗅ぐこととはそれと同様に①②の別系統に属するわけで、ストレスを解毒する効能はそれで倍加するのかもしれないと感じた。

自殺はもとよりストレスフルな時間が長引けばホメオスタシスが変調をきたし病気になりやすく、ひいては健康寿命にも影響してくる。音や香りは小さなことのように思われるだろうが、我々が世界や宇宙を知覚したり理解したりできるのは五感の情報収集のおかげであって、宇宙と我々との接点はその五つの感覚しかない。それが日々の喜怒哀楽を生みだしているのであって、その積み重ねが人生というものとなり、死ぬときに良い一生だったかどうかを振り返ることになる。そう思えば、その5分の2である音と香りを自在に支配すれば人生の幸福度を増すことができるだろうし、ガードレールにもなるのではないだろうか。

ここまで書いてきて、逆に、我々人間の認識している人生など随分と一面的なものだということもわかってくる。蝉は寂しい一生を送っているのではないかもしれないということだ。香りひとつがいろいろなことを教えてくれる。

 

エロイカこそ僕の宝である

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我が来し方に響く音楽

2017 MAR 5 13:13:08 pm by 東 賢太郎

幼時の記憶というと電車と星です。それ以外に熱中した覚えがありません。電車は床下の車輪や機械部分ばかり見てましたが、星のほうもとても小さいころに絵本で物体と知り、以来そう見てました。

前回そう書いてみて、このところ、そうした自分のありし処というか、生まれつきの性質にどんどん帰っていっているように思いました。

それが遺伝なのか、何処から来たかはさっぱりわかりませんが、僕は大自然の摂理というか宇宙の根本原理みたいなものに絶対の価値を置いていて、それ以外のものはなんであれすべて下位、卑俗のものと感じるのです。教育や宗教でそうなったのではなく、幼時から心の真ん中に鋼のようにそれがあります。

だから人文系の学問はかけらも興味がなく、色弱なのでやることになった法学も宇宙の根本原理からしたら町内会のゴミ出しが火曜か水曜かぐらいどうでもいい事でした。文学は要はウソです。そんなことはない人間の真実を描いているんだとかいうが、そんな真実は存在しない。人間は単に宇宙の一部です。

そもそもそういう言葉の遊びがウソに見える。MBAの勉強はその集大成みたいなところがあって、商売としてビジネスモデルだシミュレーションだと科学的根拠の希薄な用語をふりまわす。それをMBAが何の略かすらわかってない者がもっとわかってない者をごまかそうとふりまわす。猿の演じる猿回しである。

では科学至上主義かというとそうではなく、科学も人間が宇宙をひもといてみただけのものだから文学といい勝負です。自然の摂理で子供を産むことはできても、科学によって人間をゼロから手で作ることは永遠に無理でしょう。その程度のものを宇宙の根本原理と比較するなどナンセンスであります。

自分の知覚、五感、六感、すべてを総合して強固にそう信じているので、僕は「人間の作ったもの」に何の価値も感じない困った人間なのです。

俺様主義ではありません。自分の作ったものも同じことです。書き終わったブログは無価値に見えます。記録として、後述するある目的のためだけに存在します。ふがいないですが、62年してきたことは全てが宇宙の下部機構の凡俗に与えられた欲望の果て、芋虫が這った跡を眺めるがごとしです。

その軌跡のなかでふるいにかかって残った音楽。これは何かというと空気振動の周波数が脳内に生み出す調和が宇宙の根本原理に共振している、そうとでも思わないと説明できない唯一のものと感じるのです。美食や万華鏡も似た作用はありますが、その程度でなく、悲しくもないのに涙を流すほど絶大な作用がある。

例えば昨日目覚めるとラフマニノフ3番の緩徐楽章が脳内で鳴っていて、冒頭の弦の部分、あれをピアノで弾いてみたらなんと涙が止まらない。僕にとってそういう現象がほかの芸術や美食や万華鏡で起こることはなく、音楽の作用は圧倒的に別物であって、もう事件といってもいい。

ラフマニノフも人間だ、人の作ったものではないのか?確かにそうですが、この事件はきっと彼の脳内でも起きたのだろう。いわば彼が森で見つけた薬草を食べて快い幻覚を見た。それを残してくれて、それを僕も食べて同じ幻覚を見ている。彼は製作者ではなく発見者なのです。何の?  根本原理のです。

なぜ?  音楽は周波数変化が脳内に引き起こす化学反応であって、楽譜は化学反応式なのです。化学反応なのだから宇宙の根本原理に添って起こるのであって、そこに人間は出てきません。あるのは薬草が効くかどうか、効く薬草を探したからラフマニノフは名を残したのです。

なぜ僕にとって作曲家が関心事であるかがそれで説明されます。「こと座」を見て僕は宇宙の根本原理であるα星べガの物理特性しか考えませんが、「作曲家」も書いた楽譜の化学特性で名を成します。モオツァルトの走る悲しみなどと書く小林秀雄のような人は、ベガを織姫と思う人ほど僕とは別な星の人です。

作曲家がどんな人かより書いた曲。モーツァルトはK.491やK.551によってモーツァルトたるのであります。それらは彼が森で探した薬草でできてます。ではどんな草かという世界に分け入ると、子供のころオリオン座のβ星リゲルの強烈な物理特性を調べて驚嘆したのとちっとも変わらない。

だからK.491やK.551は僕にとってベガやリゲルのような恒星です。そして(子供のころ)「それ(物理特性)を詳説した本がないことにいらだってました」と書いたのがいまそのまま音楽にあてはまる。であれば、自分が読みたいそれを自分で書き残そう。曲名でブログを書く第1のインセンティブはそれです。

それがこういうものであり  ハイドン交響曲第98番変ロ長調(さよならモーツァルト君) 、僕が見つけてそこに置いておいた薬草をこんどはイマジンの西村さんが発見して下さった。バルトーク「子供のために」をよっしーさんが「今ならじっくりと対峙出来るぞ!」と言って下さった。これぞ正に本望です。

では作曲家という人間は宇宙の根本原理の下位、卑俗にすぎないか。YesでありNoでもあります。我が無能を知ればNoでもある。それを示すのが第2のインセンティブであり、ブログの力を借りて僕は作曲家の楽曲の宣教師をする、それがモーツァルトへの印税であり、宇宙の根本原理への帰依でもあります。

 

(こちらへどうぞ)

芥川也寸志さんと岩崎宏美さん

 

クラシックは「する」ものである(1)

 

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空のおはなし (今月のテーマ そら)

2017 MAR 4 17:17:19 pm by 東 賢太郎

幼時の記憶というと電車と星です。それ以外に熱中した覚えがありません。電車は床下の車輪や機械部分ばかり見てましたが、星のほうもとても小さいころに絵本で物体と知り、以来そう見てました。

空(そら)ってのは宇宙のことであって、もちろんほんとは真っ暗です。夜が真の姿で、昼は太陽という恒星の光が拡散して星が見えない。つまらないなと思ってました。

だから毎日夜が楽しみで、星を見上げては、あれは太陽の何倍、距離何光年、表面温度何度・・と物理特性ばかり気になり、それを詳説した本がないことにいらだってました。当時の観測技術ではデータがなかったのですね。

僕がロマンを感じたのは空でなく一個一個の星。オリオン座リゲル・太陽の1000倍、馭者座エプシロンの伴星・2400倍なんて今でも昔の数字を覚えてます。近くで見た姿を空想してうっとりする、そういうロマンでした。

大人になってケアンズで初めて見た南半球の星空、「なんじゃこりゃ?」でした。別な宇宙へ来た感じで頭がくらくら。あれが南十字星か、ということは・・・そう、そのやや左にケンタウルス座があってプロキシマがあるはずだ!

ハッブル宇宙望遠鏡で撮影されたプロキシマ

 

「はず」とは暗くて肉眼で見えないから。4.3光年で最も近い恒星ですが。月周回ツアーは興味ないけどプロキシマ周回だったら閉所+高所恐怖症を押してでも行きたい。まあ光速ロケットでも9年はしんどいですが。なんとこんな写真まであるのか、いいなあ、今の子供ってうらやましいなあ・・・。

 

この星をプロキシマ・ケンタウリbという惑星が回っていることが最近分かったそうです。地球に最も近い太陽系外惑星ということになりますね。

太陽はあと50億年ほどで燃え尽きます。地球も飲みこまれて終わり。人類は滅亡するか外へ逃げ出すかです。逃げるとするとまずはお隣のここだろう。

しかし光速で4.3年といったって、光速は時速で10億キロ以上。スペースシャトルの打上げ時速(2万8千キロ)で16万年かかる。お呼びじゃないんです。

とするとしかたない、宇宙ステーションにいったん移住して何世代もかけてめざすか。でも70億人はむりだし、そんなとこ住みたくないなあ。

プロキシマ・ケンタウリbの地表の想像図

 

さて、人類は16万年せまいとこでガマンして、えっちらおっちらやっとたどり着いた。やれやれご苦労さん。宇宙船の外へ出て見るとプロキシマ・ケンタウリbはこんな景色だって。おいおい、やっぱりこんなとこ住みたくないよなあ・・。

 

なんか夢も希望もない、株が下がりそうな空のおはなしでした。まあ、あと50億年ありますし、みなさんゆっくりと人生を楽しみましょう。

(こちらもどうぞ)

宇宙人のいる星の画像(NASA)

天文学は清涼剤

クセナキス 「プレアデス」(Pléiades,1979)

 

 

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「東ロボくん」東大は断念(今月のテーマ:人工知能)

2016 NOV 22 12:12:07 pm by 東 賢太郎

将棋の九段がカンニングするほど人工知能(AI)は強いらしいし、囲碁でも先日AIが趙治勲名誉名人を破った(初めてだ)。2048年にはAIが人間の知能を上回り、我々を支配するかもしれない(シンギュラリティ)という話はそれを聞くと現実味を増してくる気がする。

ky_nii01-01しかし一方で、国立情報学研究所(NII)のプロジェクト「ロボットは東大に入れるか」の「東ロボくん」(右)のほうは今年が4度目の挑戦だったが「東京大学合格は実現不可能であり、断念した」、「今後は記述式試験を解くための研究などに集中したい」と先日に報道があって話題となった。

では将棋九段や囲碁の名人になるより東大合格の方が難しいかと東大生に聞けば、9割ぐらいはNOと答えるのではないか(1割は理Ⅲに敬意を表している)。そうであるなら、「ここに僕ら人類が2048年問題を悲観しなくてもいい理由が見つからないだろうか?」というオプティミスティックな問いに何か根拠ある解答があってもよさそうだ。

まず解せないのは「論述式の理系数学で6問中4問に完全正答し、偏差値76.2という高成績を記録した」というNIIのコメントで、囲碁将棋と同じく論理のみで解ける数学が満点でないことだ。東大の数学は難しいが囲碁将棋の名人になるよりハードルが高いとは思わない。とするとこういうことだ;

「AIにとって難しい『意味を理解する』という分野を突き詰めようとすると、膨大な時間とコストがかかる」(NIIの新井紀子教授)

日本語で書かれた問題を数理的ロジックに落としこむという数学以前のプロセスに誤差が出たとしか考えられない。その程度で2問分の時間をロスしたとすると国語や英語はあまり点が取れないと推定される。社会科も論述であって国語的要素が強いからAIが満点をとれる暗記だけでは歯が立たない。となると合格はなるほど無理だ。

「日本語の読解力」

これだろう。あえて日本語としたのは、数学の問題文が英語なら満点だったかもしれない(日本語はロジック化しにくいかも)という含みからだ。

ちなみに東大の日本語の試験(現国)というのは一見平明だがまず一筋縄でいく文章が出ない。だから飛び飛びに(僕にはそう見える)論旨の行間を読んだりぼわっとした隠喩やら空気感を迅速かつ適確に、日本の知識階級の最大公約数的理解係数で察し取り、遥か後から出てくる『それ』の意味するものを、今度は明確にロジカルに変換して200字以内で書いたりなどしないといけない。

試験は差をつけて落とすためにやる。ということは「ほとんどの読者は『それ』の実体がわからないだろう」と作題者が信じたということにこの設問の実務的かつ論理的本質があるわけで、そんなにわかりにくい文章など原文を書いた奴が馬鹿なんだろうと思ってしまうのが文学に疎く詩心のない当時の僕だった。

駿台は模試の採点に不服だとクレームがつけられて、いわば控訴することができた。数学にその余地は皆無だが、後日訴求が認められて点数が増えることがあったのが英文解釈で、現国は毎度否決であった。その判決文がこれまた現国的でわけわからねえという、僕にとってもうええかげんにせいやという趣味人のアロガントな世界でしかなかった。

僕の身勝手はともかく、ほとんどの読者がわからないということは日本語にはコンピューター言語として定型的に書き込むためには「読解力」なる一個独立のプロセスがあり得るという解釈は科学的ではないか。詩文は別として英語にはそれは相対的には少ないように思え、だからこそ英文解釈という科目を成り立たせてしまうような日本語側の独自のエレメントが存在するように思えてならない。

「東ロボくん」はプログラムしないと答えないわけで、「恋人への必殺プロポーズ文句を200字以内で述べよ」と言えば固まるだけだろうが、それは解答に至るプログラムを書きようがないからだ。数学の日本語問題文にそのエレメントがかけらでもあれば、それを読み取るプログラマーに詩心でもなければ趙治勲名誉名人を倒したAIも固まってしまう。

げに「現国」恐ろしやだ。「東ロボくん」を断念させた「日本語の読解力」にたけ、文学を愛し詩心に富んだ文系諸氏は2048年を生きのびるかもしれない。数学で入ったインチキ文系の僕は「東ロボくん」にシンパシーこそあるが、いずれ数学では負けるから2048年にはAIに食われて失業する一番ヤバいタイプの人間ということになる。

しかし一縷の望みがある。こういうことがあるからだ。

朝きこえてる音楽の謎

音楽に限らず、僕のビジネスのアイデアは例外なく起き抜けに出ている。昼間に醒めたアタマで考えたのはだいたいダメだ。ロジックでは成功できない。誰でも道筋をたどれてしまうからだ。睡眠中や無意識状態でのアタマの働きは覚醒時の働きの下地になっている気がする。そういう無限の下地の蓄積から直感やひらめきや創造が出てくるんじゃないか。

たとえばモーツァルトの書いた全626曲をAIにインプットしてモーツァルトっぽい曲を書かせることはできるかもしれないが、これぞ彼の交響曲第42番だと万人が納得するものを書くことができるのだろうか?これが「創造」の問題だ。

彼の脳データをそっくりコピーすれば(その技術はすでにある)可能かもしれないが、現実の彼が1791年からあと1年生きて42番を書くとして、それはその1年間に脳にインプットされた万事の結末としてのプロダクトである。何がインプットかは誰も知らないのだから仮定、仮説に起因するプロダクトでしかない。

2016年時点であっても同じであり、体が生きてない脳が積む未来の経験値は未来を予測しようという努力と同等に不確定なものだ。投資でいうなら、「過去のこの株の動きのデータはこうです。だから未来はこうすれば利益が出ます」というぐらい無価値な試行である。

創造の世界はひょっとして100年後のAIがついに克服する領域かもしれないがまだSFであってほしい。そうなったら人類はお手上げだが、モーツァルトの42番を書くよりも東大に入る方が絶対にやさしいのは永遠の真理だ。「東ロボくん」、応援してるけど出来すぎ君にはならないでほしい。

 

 
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スティーヴ・ライヒ 「18人の演奏家のための音楽」

2016 SEP 16 13:13:30 pm by 東 賢太郎

前回のリゲティが宇宙空間をただよう静けさならこちらはどうか。単調なリズムの反復による同一和音の漸強、漸弱と音色によるグラデーション。満ちては引く潮のようであり、生まれ羽ばたく生命の息吹のようである。宇宙的に対して地球的であり、リゲティが横断的ならこちらは垂直的に感じる。これはミニマル・ミュージックと呼ばれ、スティーヴ・ライヒはその作風を代表する米国の作曲家である。

地球的?いや、しかし、これは実はCosmic(宇宙的)でもあるのだ。このリズム・パターンの繰り返しは、高速でぐるぐる回る中性子星が送ってくるX線パルスの描くグラフの規則的な律動を強く想起させる。

話はあらぬ方に行くが、天文マニアである僕がいま最も興奮している星がある。白鳥座の1,480光年先にあるKIC 8462852という恒星がそれだ。ご興味ある方は、米国エール大学の天文学者、タバサ・ボヤジアン博士のわくわくする講義をお聞きいただきたい。

この星の明るさ(明度)は唐突に不規則的に22%も落ちる。何か物体が恒星の前を通過して光を遮っている。その部分の明度グラフは非対称だからその物体は球形ではない。彗星ではない。恒星のエネルギーで熱を持つと出る赤外線放射がない。太陽系外から見ると木星による明度低下ですら1%でしかなく、22%になるには地球の1,000倍の超巨大な物体が横切ることが必要だ。

そんな物体があり得るのだろうか?

この問いにリーゾナブルに答え得る解答は「巨大な人工建造物」だそうだ。地球外生命が作ったダイソン球というストラクチャーが恒星をぐるりと取り囲んでいるのだと博士は推論する。要するに、平たく言えば、そこに高度な文明を有する宇宙人がいなくてはならないということになる。

米国人はこういう話題が好きで、お茶の間向けのワイドショーまでがとりあげていると聞く。4人にひとりが地球が太陽を公転していることを知らない国でもあるが、サイエンスへの素朴かつ素直な好奇心が比較的広くあるように思う。フロンティア精神に起因するのか教育なのかアポロ計画以来の宣伝効果なのか。

一方、これを我が国のバラエティ番組が放映することは想定しがたいが、ことはお茶の間の話しばかりではない。太陽のような恒星のぐるりにエネルギーを取り込む装置をめぐらせ、地球のエネルギー源が枯渇しても宇宙ステーションで生きのびるという科学者のデッサンには底知れないスケールとパワーを感じる。その実例が1480光年先にあるのだとする推理力、構想力はなんと雄大なものだろう。

5か国に住んでみて思ったのは、平均的な日本人の科学への知識と敬意は先進国としては低いことだ。科学者は特別に頭脳明晰な人であり、同時にお相撲さんと同じぐらい一井の人とは別種の人だ。ノーベル賞をとると、彼の研究内容ではなくいかに「普通の人」のところもあるかという関心がもたれる。

報道はお茶の間で「へ~」という声が上がる方向に偏向し、科学に関心を向けるのは視聴率を気にしなくてもいいNHKの教育番組ぐらいのものだ。僕はお茶の間の科学への関心と知識レベルは江戸時代と変わらないと思っている。天に唾するが、僕を含めた大学の文系卒業者も似たものだ。地球の公転はクイズ番組と同じノリで、知らないと恥ずかしい国民の常識として知られている。

その土壌で育った科学者が、タバサ・ボヤジアン博士のようになるのだろうか?能力の問題ではない。良い種も土に左右される。KIC 8462852の不可解な現象に「エキサイティング!」と目を輝かせ、一般人か学生と思われる聴衆、公衆に自らのわくわく、どきどきを訴えかける。ペンシルバニア大学で彼女のような先生たちについて勉強しながら、僕は何度「エキサイティングな国だ」とため息をついたことか。

女性科学者と見るや割烹着を着せ、「リケジョの星」に仕立ててお茶の間の「へ~」にしようなどという恥ずかしい国との差は測りがたいものがある。お茶の間は仕方ないだろう。しかし「2位じゃダメなんですか」がお茶の間受け狙いのバラエティー番組作戦だったことがバレた、そんな政党が政権を取るという日本史上最大の悪夢があった。こういう日本人の民度を下げ国力を削ぐ政治家は僕が長年主張してきていることと真逆の人間であって、日本国のために永遠に許し難い。

ライヒのミニマル・ミュージックは「意図的に単調」であって、こういう音楽を発想する、これもまた科学と同様、「デッサンの底知れないスケールとパワー」を体感するのだ。最初はクラシックを聴くモードで入るが、だんだん集中力が弛緩してぼんやりしてくる。これまたどういうわけか僕は眠気を催すのだ。旋律も和音変化もないものだから中性子星のX線パルスみたいなものだ。KIC 8462852の非対称性がないものだから脳が思考停止してしまうのだろう。

眠るというのは、意識が飛んで精神が宇宙に同化している状態のような気がする。人生最後の睡眠が死というものだ。寝ている間、精神はふるさとである宇宙を彷徨っているが、最後の日だけは地球にある元の体に戻ってこない。音楽という精神作用は、深いところで人の生死、睡眠と関わっていると僕は信じている。そういうスピリチュアルな次元において、表面的には正対しているリゲティもライヒも新しい音楽の地平を開いているのである。

 
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