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カテゴリー: ______男の子のカン違いの効用

どうして証券会社に入ったの?(その1)

2014 NOV 20 0:00:05 am by 東 賢太郎

<入社のいきさつの巻>

 

それは的を得た質問です。どうして証券会社に入ったか?娘に聞かれてこまりました。実のところ別にどうしてというほどのものはなかったのです。勤め人になるのがいやだったし、役所や銀行は向いてないし、できれば好き勝手出来る自営業がいいなというぐらいで何の切迫感もない学生でした。最後の夏休みはアメリカで1か月遊び回っていて業界や企業の研究やら情報収集など皆無。いきあたりばったりでご縁があれば程度の感覚でした。

でも親父も勤め人だし、資産もないし2年も遊んでるし仕方ないな。そういうことで10月からいくつか会社を回って、なんとなく波長が合うと思ったのが船会社と証券会社の2つでした。そうして、誰に習ったわけでもないのに株に興味があった僕はその証券会社で話を聞いているうちにむくむくとこれだ!と思ったのです。それがなければ真摯にお誘い下さったもう一つの名門会社のほうに入っていたでしょう。しかし、僕はその時、こう固く決意したのです。

 

証券会社に入社すれば世界の最先端情報があるらしい。よし、株を買うぞ!

 

それは雨の日でした。「東くん、証券マンは株は買えませんよ」。人事部の課長さんがあっさり言ったのは入社を決めたあとでした。買えないどころか、「それが商品ですから情報管理は厳しいですよ。家族にもしゃべれません」。ええっ、そうだったんですか?・・・これぞあとの祭りでございました。何の事前勉強もしてなかったですからね、入った理由?役員面接でしゃべった志望動機は何だったか忘れました。

ほかの学生さんはどうかな。耳学問のすごい人がたくさんいました。でも経験はないわけだから上っ面のセールストークだろと思ってきいてました。実は貴社の受付の子があまりに好みのタイプなんでとはいえないしですしね。ただ、僕はほんとうに株が買えると思いこんでましたから、周りの学生よりは目が輝いていたんです、たぶん。ここにまた男の子のカン違いの効用が出るんです。内定はすぐいただきました。

しかしそこからが大変でした。いかん、単位が危ない。26の専門科目をパスする必要があります。設問はすべて司法試験レベルの論述。付け焼き刃でどうこうなるものではありません。夏まで遊んだツケ(夏も遊びましたが)は覚悟していましたが、期末の過密な試験日程を見た瞬間に血の気が引きました。これじゃあ一夜漬けができないじゃないか!一夜漬けは自称名人級でありノートを貸してくれたやつより点が良かったりするので、まあなんとかなるさと悠然と構えていたのですがこれは想定外でした。

「二日連続徹夜」という人体の限界への挑戦をしたのは後にも先にもこのときだけです。非常に現実的に、死にそうでした。朝は目覚ましが止まるまで鳴っても気づかず友達が起こしてくれて九死に一生という日もあり、買ってあったスビャトスラフ・リヒテルのリサイタルは這うようにして行くには行ったのですが始めから終わりまで爆睡で記憶なし。後ろの人のブラボーで目が覚めて拍手だけして帰ってきました。

この試験のことは今でも夢に見ます。ストーリーは変わっていてもっと悲惨で、落第して退学処分になってもういちど入試を受けなおすのですが、それがまた落ちるんです。日本史なんてもう忘れちゃったよまいったな、世の中にはもう5年ぐらい遅れてるし俺ってなにやってんだっけ?で目が覚めます。ああ夢でよかった、ほんとにそうなって不思議でなかったと冷や汗がでます。

ついに首の皮一枚で単位はなんとかなりました。中身はすぐ忘れましたがここで磨きぬいた一夜漬けの技は後に米国留学で活きました。毎日500ページもペーパーを読まされると全員が常に一夜漬け状態ですからね、こっちは強いのです。ともあれこのときはやれやれ卒業できたと嬉しくて、八方尾根にスキーに行って飛ばしすぎ、転んでろっ骨を折りました。会社に言ったらまずいだろうと黙っていたら、タイトルは何でしたかNHKのTV番組に「新人クン」として出されました。アナウンサーに質問されても胸が痛く、やっとこさ小声が出ましたが幸い骨折はバレませんでした。

こうして4月、いよいよ大阪の地で証券マン生活に突入となったのです。

 

どうして証券会社に入ったの?(その2)

 

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男の子のカン違いの効用 (5)

2014 NOV 14 19:19:46 pm by 東 賢太郎

もしヒラリー・クリントン大統領の治政になるとすると、それにならって世界中が「女王蜂」の時代に突入します。

それは自然界の法則にかなったことですから容易には逆行しません。生物としても実は相手の方が強い。ところが「か弱い」ということになっていて攻撃もされにくい上に、女王蜂がそれを逆手にとって男にとって逆差別的な制度がどんどんできてくる。そこいらじゅうが「女性専用車」状態になるぐらいの覚悟が必要でしょう。

肉体的なパワーが統治の要件ではない時代、つまり戦争がない時代ではそれが社会の進化のひとつの到達点でしょう。いや戦争はあっても核のボタンを押すのに肉体的パワーは必要ありません。核の抑止力こそが第2次大戦後60年を経て社会を変質させ、女性でも序列の上位に君臨できるようになってきた。高崎のサル山でおきているのと根本的には同質の現象が人間界でもおきていると僕は理解しています。

これからの男子諸君は、したがって、女王蜂さま、つまり女の上司のもとでいかにタンパク源として食われずに生きていくかという術を身につけなくてはなりません。僕のように男にしか通用しないのはもう役立たずなのです。そのためには男はテキを冷徹に観察して行動原理を分析しなくてはなりません。つまり母親の支配下にあって女をカン違いして始まる人生の旅路において、どこかで、なるべく早めに、厳しい現実に目覚めることが大事なのです。

しかし、僕はカン違いを排除しなさい、とくに男の子を持つ世のお母様方にそう教育しましょうと申し上げているわけではありません。第1話に書きました通り、男のカン違いはどんな世になろうと生きていく強い原動力になることは変わりはなく、それがツボにはまった時の破壊力において男しか成しえないパワーを秘めているからです。クラーク博士がどうしてBoys and girlsにしなかったかは知りませんが、世界景気が停滞期に入るかもしれない今こそBoys, be ambitious.であるべき時代なのです。

ところで、フラれた相手のことをいつまでもうじうじと覚えているのは圧倒的に男なんだそうです。女はバイバイと別れればスパッと忘れてしまう。相手が浮気するとだいたいの男は相手を責めますが、女は往々にして浮気相手を攻撃するというのはそれと関係あるかもしれません。

ところがショーペンハウエルが別な側面から面白いことを書いています。女は嫉妬で相手の女を責めるばかりではない、男を縛りつける結婚という制度を脅かす不届き者に女性共同体として制裁を加えているのだというのです。さすが大哲学者、なるほどとうならされます。

女は化粧して着飾ってみてそれで寄ってくる男を大事にしますが、来なくなればポイです。平安時代の通い婚はそれそのものです。いっぽう男はけなげなのもので気に入った女は自分のイメージの中でアイドル(偶像)化しています。相手にポイされても忘れないのは、現実に恋が実ろうと実るまいとそのイメージだけは残像としてのこるためでしょう。やっぱり、女王蜂さまに気に入られようと頑張る雄蜂に見立てるべきは、男です。

大作曲家の伝記を読むと名曲の陰に女ありというのがあまりにたくさんあって、尊敬するマエストロが雄蜂に見えてきて困ります。

ベートーベンにインスピレーションを与えたカノジョはたくさんいました。それにベルリオーズのハリエット・スミッソン、ワーグナーのマティルデ・ヴェーゼンドンク、シューマンとブラームスのクララ・シューマン、ストラヴィンスキーのココ・シャネル、もう数えきれないほどの女が男を迷わせ、「名曲」を書かせたと思われます。

モーツァルトなんか可愛そうに妻のお姉さんアロイジアにつれなくポイされ、熱愛したナンシー・ストレースにはあっけなくロンドンに帰られてしまいました。それぞれのアイドルに愛に満ちたソプラノの名曲を捧げましたが、捧げ物のでっかさではなんといっても妻になったコンスタンツェでしょう。彼女が書いてもらったハ短調ミサ曲k.427の素晴らしさ!これひとつだけでも彼女の人類史への功績をたたえて銅像を建ててあげたいぐらいです。

ところが、逆にそういうことが女性の側から起きた、つまり、男を想うあまりに女が人類史に残る何かを創ってしまったという話はきいたことがないのは僕の勉強不足でしょうか。モーツァルトの姉、メンデルスゾーンの姉、シューマンの妻、みんな弟や夫に劣らない並々ならぬ楽才があったのはきちっと記録にある事実ですが、誰もそれに値する作品を書いていません。それは才能の問題ではなく「女王蜂と雄蜂」だからなのでしょうか。

これは示唆に富むところです。作曲家、画家、科学者、哲学者、教祖がほとんど男ばかりなのは「脳差」であり男と女の脳は構造的に違うのだとするか、前回に書いたように脳の構造、性能ではなく「男女の気質の違い」に帰着させるべきなのか。今回こう書いてきて、どうも「女王蜂はオスを使い捨てる」というのが正解かもしれんぞと思いだしています。

弱いオスが女王に気に入られようと必死に働かせる脳、そういう脳じゃないとできないのが芸術や科学技術なのかもしれません。子供はメスしか産めませんが、オスしか産めないものもあるかもしれません。

たぶん女性には信じられないでしょうが、その昔、アイドルの権化のように輝いていたころの吉永小百合はトイレに行かないと心の中で信じているサユリストがたくさんいました。そう思ってたよという男を僕は何人も知っています。生身の人間を偶像化するというのはカン違いの最たるものですがそれは男のお家芸のような所があります。

もはや宗教みたいなもので本気で信じられてしまえば誰も何も言えず、たぶんその勢いで舞台上のハリエット・スミッソンに見とれていたベルリオーズは一気に幻想交響曲を書いてしまったのです。そしてそれを傍の人間は「才能」と名づけているのです。

女の時代になっても、男の子のカン違いの効用は永遠です。

(こちらへどうぞ)

男の脳と女の脳

女の上司についていけるか?(ナタリーとユリアの場合)

「女性はソクラテスより強いかもしれない」という一考察

 

 

 

男の子のカン違いの効用 (4)

2014 NOV 13 2:02:30 am by 東 賢太郎

女性の時代がやって来る。男はどうすればいいのでしょう?

そんな時代が来ようが来まいが、もしも生物の存在が子孫を残して種を繁栄させることだけを目的としているなら、卵や子を産むことでストレートにその役目を負っているメスが主役なのはそもそもが自然です。

「女王」がいるハチやアリを見れば、主役はメスでオスはおまけ的存在であることは明白です。クモやカマキリは交尾後にメスに食われてタンパク源になります。鳥は孔雀など羽が美しいのはオスで、「美男コンテスト」で相手を選ぶのはメスです。猛獣だって、ライオンのオスは成長すると母親の群れを追い出され他の群れでメスに気に入ってもらわないと群れを作れないのです。

ゴリラ、チンパンジーという高等な哺乳類あたりになるとオスのほうが体も大きく、群れのボスに君臨して優位なように見えてきます。その延長に人間が来るように思えるのです。ところが、ひょっとするとそれは社会的に優位なだけであって、女の方が長寿なのは万国共通ですから生物学的に見ればやっぱり「男はおまけ」という基本原理から抜け出していないんじゃないかとも思ってしまいます。社会は変化しますが生物の原則のほうがずっと根強くて変わらないかもしれないのです。

どうしてサルやゴリラに女王がいないのか?これは面白いテーマです。種の保存に適していないからというのが答えとすると、どうしてそうなのか?高等な知能をもつ動物ほどオスの方が体が大きくなりハーレムができ、優秀なオスをメスが選ぶのではなくオスがパワーでたくさんのメスを得るようになる。そのパワーが物理的な力であるところから知力になるところで、「群れ」は「社会」と呼ばれるものに格上げになります。

だからオスが社会的に優位であることはおそらく高等な知能の裏返しなのですが、それは生物としての種の保存に適するというオス・メス両者の共同戦略なのであって、別にオスの方が優秀だからというわけではないと考えられます。それなのに女性に姓がなかったり参政権がなかったりというのはオスのカン違いの産物であり、社会というものがまだまだ進化途上にあった名残りなのではないでしょうか。

僕はまだ日本が男尊女卑の風潮であった時代に生まれ育ちその影響を受けてきましたが、最近はそれは充分に高等になりきっていないオスのカン違いにすぎないだろうと思うようになっています。そういうオスが減ってくるにつれ、そのカン違いを見越した「どうせ私は・・」なんてメスの引き技も減ってきた。演歌がはやらなくなった時代背景はそういう事ではないかと考えています。

最近、こういうことがおきています。

高崎山自然動物園の猿山ではベンツがボス猿として君臨していたが死亡認定され、新たにゾロメがボス猿に認定された。そんな中、ミルサーというメス猿が頭角を現している。猿の群れの序列はオスのみの修正とみられてきたが、メスのミルサーはボス猿のゾロメに毛づくろいをすることで地位を上げているという。群れのナンバー2であるオオムギにも毛づくろいをし、ナンバー3のカンサーにもハグをするなどしている。地位の高いオスに愛嬌をふりまき味方にすることで、自らの地位を確保している(テレビ朝日)

ミルサーは下位のオスに攻撃されると自分が籠絡している上位のオスを大声で呼んで撃退させるそうです。いやあ、どっかの国の政界や科学界のみならず各界においてこれは日常茶飯事と化しつつあるでしょう。

サラリーマン界においては、これは古来より「ヒトタラシ」「ヨイショ」「ヒラメ」「ジジゴロシ」等と多様な名称で呼ばれる出世の技法としてすでに確立しています。問題はそれを女性が身につけてきているということ、そして本気でやれば女性の方がずっと上手だろうということなのです。

これを「女が強くなった」と見るのは間違いです。終戦直後だって女性と靴下は強くなったと男は嘆いていましたから。こういうメスが出るのも「種の保存に適するというオス・メス両者の共同戦略」の結末でしょう。メスが変わったのではなく変わったのは社会の方であり、社会そのものが変質しているのだとするのが本稿での僕の立場です。

つまり、世界のメス猿が一斉にそう進化しているのではなく、天才サラリーマンのメスが突然変異や食べ物のせいでポンと現れたのでもなく、高崎山自然動物園の猿山という「閉じた社会」において長年のサル同士のつきあいの蓄積から何かそういうメスが出やすいような要因が働いているのではないかと感じます。社会の変質ということです。

社会の変質となればそれは世の中の波です。それに飲まれればたたでさえ弱い男は負けてしまう。それに警鐘を鳴らしておこうということです。

警鐘?例えばこういうことが起きています。精子数の減少という切実な問題です。ネットで調べると「2013年のフランスの最新報告では、15万人について1989年から17年間のデータを解析したところ、精子数が毎年1.9%減少していた」とありました。環境ホルモン、遺伝子組み換え食物など原因はともかく、ただでさえ弱い男は生物としてさらに弱くなっているかもしれません。

ところが男の退化に対して社会の進化は怒涛のように押し寄せ、とどまるところを知りません。世界の政治、経済、軍事のトップに君臨するのは当面のところ米国ですが、その米国の次の大統領は女性になる可能性が高そうに思います。それは名実ともに女性が世界を動かし、支配するということに他なりません。

安倍首相が女性閣僚を登用するのは私見ではその流れを敏感に察知したものだし、長期政権を前提に小渕さんあたりを後継に据えようという深謀があったのだという人もいます。ロシアのプーチンも31歳の元新体操の五輪金メダリストを要職につけ後継候補にするのではないかという話が聞こえます。

いよいよ、人類も 『女王蜂』 に支配される時代が来ているようです。

 

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男の子のカン違いの効用 (5)

 

 

 

 

 

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男の子のカン違いの効用 (3)

2014 NOV 12 0:00:49 am by 東 賢太郎

親父が怒るのは理屈とパターンがあって読める。まあこういうことをしておけば喜ぶだろうということも。

つまり、だいたいの男は法則性があるのです。しかしお袋はというと、喜ばそうと思って釣って帰ったザリガニやサヤエンドウ豆の小ぶりなやつは「それは食べられないのよ」とにべもなく捨てられる。同じエビでしょといっても「それは汚いの」で説明なしなのは駄菓子と同じ。それやこれやで女は突然爆発したり何をすれば喜ぶかよくわからんという不可解な存在になっていくのです。

いま思うと母にはもうしわけない限りなのですが、男の子というのは理屈で納得しますし単純ですからちょっとしたことで大きくカン違いしてしまうのです。しかしこの単純というのが財産でもあって、現実主義でないからできるということが男には多々あります。同じ親から生まれて脳は変わりないのに男のほうが業績を上げている科学、哲学、作曲、絵画等はそういう男女の気質の違いの結果かもしれません。

気質といえば、演歌で「どうせ私は・・・」いうのは必ず女であって男はありません。いやそういう男もたくさんいるんですが歌にはならない。サマにならないんですね。この「どうせ」というのはうまく英語にならないんです。「どうせ私はそんな女よ」は I’m such a girl at best. とか    I may be such a girl if you say so, but what’s wrong? という感じでしょうか。でもどこか変ですね。西洋の女はそもそもそんなことは言わないでしょう。

つまり「どうせ」や「所詮」は西洋語というロジカルな言葉にならないコンセプトなのです。それが女の口から出た瞬間に男の論理思考回路は停止を命じられ、白旗を上げるしか道はなくなります。そこでむやみに反論して戦ったりすると女を泣かせるひどい奴なんてことになって、電車の痴漢の冤罪事件みたいになりかねません。

政府が少子化担当大臣だの女性閣僚だのと無理して持ち上げなくても、これからは女の子は強くなります。親父クライシスがある男が相対的に弱くなるからです。女がだんだん世の中のディファクト・スタンダードを作りだします。それは当然、女の社会進出を有利にするバイアスがかかり、通勤電車の女性専用車両と同じく男は泣き寝入りを強いられるかもしれません。

2年後にヒラリーが米国大統領になれば、それは一気にグローバル・スタンダード化の端緒につきます。そのことはここに書きました。

日本が圧勝する21世紀<女性原理の時代>

6年後に東京でオリンピックがあります。何万人という外国人がやってきます。前回、1964年のときもそうでした。しかし大きな違いがあります。前回の日本国は新幹線や高速道路などインフラを懸命に整備し、世界に誇示しました。それはいわば男性原理というかマッチョといいますか、我が国は戦争に負けはしたけれどこんなに国力が回復した強い国だぞという男の主張だったわけです。

ところが今回はどうでしょう。「おもてなし」です。いかつい男の出番じゃない、女性原理がものをいう時代に入っています。

 

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男の子のカン違いの効用 (4)

 

 

 

 

 

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男の子のカン違いの効用 (2)

2014 NOV 11 0:00:46 am by 東 賢太郎

この人は絶対に俺の球を打てないという天下無敵なカン違いの効用。そのおかげで証券界という魑魅魍魎の世界でともあれクビにはならずに生きてきました。

ところが僕のその術は弱みがあります。女性に通用しないのです。

なぜといって、相手は野球をしませんからどうしようもない。これは思い出すことがあって、一部のおじさんしかわからないでしょうが、横山光輝のマンガ「伊賀の影丸」に左近丸という忍者が出てきます。幻心入道という敵の強豪の忍者が得意の幻術をかけますが左近丸は盲目でそれに気づかず、術がききません。幻心入道は為すすべもなくたおされてしまう。まさに女性とは左近丸なのです。

そう思ったのはドイツでのこと。現地法人の社長になるため銀行監督局でドイツ語の口頭試問があったときです。ただでさえ一夜漬けのいいかげんなドイツ語、それが運悪く試験官は厳しそうな高級官僚の女性だったのです。出てきて目が合った瞬間もう気おくれして冷や汗がにじみ、びしびし質問されてしどろもどろになってしまいました。丸暗記していた文を同じところからくり返して失笑をかう始末。落第寸前でした。相手が男だったらこういう事はなかったと思います。

男の子というのは小学生ぐらいまでは母親の支配下にあるのが普通でしょう。しかし僕の場合は野球はもちろんのことですが、ザリガニを釣って池に落ちたりガケに水を流して滑り降りる遊びで髪の毛まで泥まみれになって帰っても何も文句はいわれず「はなし飼い」状態でした。今も遊ぶことへの意欲と創意工夫は並々ならぬものがあるのはそのおかげです。勉強しなさいと母にいわれたことは一度もありません。

小学校のころ帰りに駅前の駄菓子屋でよく買い食いをしてました。もちろん学校にも親にも隠れてです。ある日、5円玉しかもってなかったのですがそれでも店のやさしいおばあちゃんがいいよと炭酸煎餅と水あめでウサギを作ってくれました。「ボク、こんどは10円はもっておいでね」といわれたので、そうか最低は10円なのか、悪かったなと思い、こんどはお小遣いをためて意気揚々と50円もっていきました。

これがまずかった。おばあちゃんはいっぱいお菓子をくれます。定番である梅シロップで赤い目のウサギ、お米の粒の入った安っぽくていかがわしいチョコレートなど子供心をくすぐるのがいろいろ出てきます。しかも普段はクッピーラムネという小粒なのしかおいてないのが、最後にでっかいオレンジのラムネを「おみやげね」とくれました。

さすがに50円は威力があるなと嬉しくなり、これを思いっきりほおばりながら帰りました。みつからないように玄関の前で呑み込む作戦でしたが、運悪くお袋が玄関から出てきたところでばったり。「あんた、何食べてるの!」とすごい剣幕で口をこじ開けられ吐き出させられます。どんな悪さをしでかしても叱らなかったお袋にあんなに怒られたことはありません。

別にラムネ食っても死なないじゃないかと思ったのですが、理屈はなし。問答無用で駄菓子はだめなのです。この事件いらいおばあちゃんの店には出入り厳禁。なついていたおばあちゃんがきっと良かれと思ってくれたものがお袋は頑としてNOであり、なんとなく女の戦いというか何を信じていいのかよくわからないということになりました。遊びは放し飼いでも食べ物に関する母親の支配は絶対王政に近いものがあったのです。

 

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男の子のカン違いの効用 (3)

 

 

 

 

 

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男の子のカン違いの効用 (1)

2014 NOV 10 11:11:55 am by 東 賢太郎

カープファンというのは最近でこそ各地に増えていますが、僕が小学校2年生だった昭和38年、東京都生まれの小学生界においてそれを宣言するのがどれだけ「はぐれもの」であったかは皆様の想像を絶するものがあるでしょう。

クラスはもちろん巨人ファンばかりだから当然仲間外れになるわけです。広島に血縁地縁があるわけでもなく、たんなるモノ好きとしては「コストの高い」ことでした。以来51年、僕のカープ愛は周囲に知れわたって今に至っております。

そのころの僕といったら体は女の子より小さく気もケンカも弱く、九九の覚えは悪く勉強ができたという記憶もなく、そんなにつっぱれるほどのものは何もありませんでした。もう少し空気を読んで生きればよかったもんですが、いじめられようが何しようが「自分の好きなものに忠実」というのは三つ子の魂だったようです。

どうしてそういうことになったかというと、バットの持ち方から教えてくれた近所のお兄ちゃんがいて野球に目覚めていたからです。それが広島の選手の応援になりました。そうこうするうち家の前の多摩川で毎日石投げをした成果か、5、6年生時分になると近所の子は僕の投げる球が打てなくなりました。当時は誰もがリトルでやる時代ではなく草野球でしたが後ろで観ていた大人から、こういうとこからよく甲子園に行くんだという話し声がちらっと聞こえたりして、今も覚えているんですからよほど舞い上がったにちがいありません。

何をやっても普通の子だった僕にそうやって唯一の「取り得」ができました。高校野球をやって井の中の蛙だったと気づくまで俺は凄いと「大いなるカン違いの数年間」があったのです。今となると微笑ましいものですが、勉強もケンカも運動も大したことない男の子にとってそういうカン違いはあったほうがいい、ドンキホーテでもいいと思います。

その効用は社会人なってから出ました。出だしは営業職ですからよく人前であがらない方法として手のひらに人の字を書いて呑み込めとか、偉い人と会うときは相手が赤いパンツをはいてると思ってみろ、笑っちゃうだろなんて新人に気を落ち着かせる「おまじない」を先輩からいろいろ教わりました。

どうしても人前でしゃべるのが不得意であったのですが、ある日、強い味方があることに気がつきました。赤パンは不要だったのです。「この人は絶対に俺の球を打てないな、三球三振だな」と思う、これでおしまい。相手が大統領だろうが首相だろうがおんなじ。カン違い時代の気持ちに戻る。するとあがるどころか魔法にかかったように精神的優位にたててしまう。いや、これにどれだけ救われたことか。

男というのは社会で何かしらでつっぱって生きる必要があります。特に交渉ごとや会議やプレゼンは相手に気持ちで押されたり自信をなくして気後れすると即負けです。そういう時に何が役に立つだろう?家柄、人脈、学歴、容貌、度胸、話術?せちがらい話ですが、社会にはそういうものを総動員した男の戦いというものが厳然と在ります。それがある人はいいが、ないならどうしたらいいだろう?

自分の場合なにもなし。学歴に関しては、僕の場合試験は落ちた回数の方が多くて最後の最後に頑張って運があった、それだけ。自分でそう思っているので自信なんかないのと一緒なのです。一番大事なことなのでしっかり書きますが、傍がどう見るかと自分が自信を持てるかはまったく別です。

勉強は嫌いでしたしほめられたこともありませんが野球は何回も大人にほめられ感心された。だから少年の心の中の重みとして比べものにもなりません。その自信も実は大いなるカン違いなのですが、大学受験や人生諸々で壁にぶつかったり失敗して落ち込んだ時は野球のボールを右手で握って寝てました。その感触が無意識に絶対の自信を、俺は大丈夫、負けないぞという確信をくれるのは不思議なほどでした。

それがどんな些細なものでも何であってもいい、とにかく男の子はこれなら負けんというものがあったほうがいいと思います。親御さんはそうなるように見守ってやったほうがいいでしょう。それはその子によってちがいますから押しつけても仕方ないし助けてやることもできませんが、どうせカン違い半分ですから大きくカン違いした方がいいですね。

クラーク博士の Boys, be ambitious. はそういう事だと僕は解釈しています。だからこそ彼は「金や利己心や名声のためならず」と「カン違い」のタガが外れないように、それに続く文言で注釈してます。これを日本的に慎ましく「大志をいだけ」と訳すと意味が分からない。狙いが何であれ ambitiousはまぎれもなく「野心、野望のある」という意味です。

野心はカン違いの自信の代名詞です。「どう考えても無理でしょ」、というのを狙うから野心であって、実力なりに手に入りそうな物を狙うのは「目標」かせいぜいがんばって「夢」です。でも博士は Have a dream. とは言ってない。そんな程度のことは誰でもやるわけで、いちいち偉い先生が訓辞をたれることでもありますまい。

昨年の5月にこういうブログを書きました。若者の欲望が日本を救う 1年半後の今も何ら変わらずそう思います。若者は欲望をたぎられせて、野心、野望を持ってほしい。ここは博士にさからいますが金や利己心や名声の何がいかんのでしょう。それと無縁なものは野心とは言わんでしょう。

今回「女の子」と本稿のタイトルに入れなかったのは博士に習ったわけではなく、実は女の子はちょっと有利だと思っているからです。自分とは別種の生物である親父をぬく必要が必ずしもないからです。男の子は他の男に勝つ前に、自信を持つためにまず自力で親父をぬかなくちゃいけません。フロイトのいうエディプスコンプレックスの克服です。ところが今の世はこれが大変なんです。

これは日本国民全体の課題であります。なぜなら今の2、30代の男性の親父は大なり小なり高度成長期の余熱の恩恵で成功体験をもっている世代だからです。自分の力かどうかは棚に上げて、ともかく、俺は昔こんなすごいことをやったんだと思い込んでいる。かくいう僕もその一人です。この世代間のハンディキャップは親父クライシスといってもいい。それをデフレの経済氷河期に育った彼らが実績で凌駕するのは並大抵のことではないでしょう。男の子が自信を持ちにくい時代なのです。

だからどんな些細なことでもよく、自己満足で構わない。僕はキャッチボールしていて本気で投げたら親父が危ないと思ったことがあって、手加減するようになった。その瞬間に無事それをクリアしました。だから野球が自信の源になったのかもしれませんが、そんな程度のことでいいのです。

でもそれが小学生の時だから手ごたえが重かった。それに比べて受験勉強やクラシック音楽はずっとあとになって来たものであって、僕の感覚ではそんなのは付け焼刃のインチキなんです。自分の本当の素質と思わないのでその自信で生きていくにはいかにも脆弱に思えました。

普通の人は最高学府といわれるところを出ればそれに頼って生きようと思うだろうし、それに自信も持つでしょう。しかし僕はそういう人間にはなれません。一井の野球少年のままなのは、いかにそれ以外に何もなくそれが取り得なことに頼って生きてきたかという裏返しです。

子供なりに速い球が投げられた自信と喜びというのは野球ではたいして助けになりませんでしたが、結局は僕の人格を決めましたし、その後の人生を支える最強の武器になりました。それを使って普通じゃない経験を自らの力で掘り起こすことができました。

それが学歴や学校で教わる知識や学問ではなかったということは、いくら強調しても足りないと感じます。それで人生が決まるわけではないのです。あなたはどういう人ですかと問われれば、そういう人ですと答えるのが一番ぴったりです。東京生まれ東京育ちの僕が51年もカープファン一筋であることはそれの象徴であるように思えます。

 

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男の子のカン違いの効用 (2)

 

 

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