ルロイ・アンダーソン The Waltzing Cat
2025 DEC 31 23:23:57 pm by 東 賢太郎
The Waltzing Cat(ワルツを踊る猫)、聞き覚えのある方が多いと思います。どこで覚えたのか、このユーチューブのようにトムとジェリーかなと調べますと、伴奏作曲者はスコット・ブラッドリーという人物でルロイ・アンダーソンとは関係ないですね。でもこのビデオはまるで伴奏音楽かのようです。
そういえば1969年に「黒猫のタンゴ」というのが流行りましたね。当時僕は中3かな、よく覚えてます。歌っていた皆川おさむさんが今年亡くなったそうです。
これ、イタリアの童謡「黒猫がほしかったのに」のカバーらしく、日本語のまま全世界でヒットしてレコードは400万枚売れたそうです。「上を向いて歩こう」はスキヤキの題名で1000万以上売れたらしいけども、以前にどこかに書きましたが、この曲は和声と旋法とリズムという音楽的構造に非常に光るものがあります。すごい曲なんです。ところが黒猫はなにせ4種類しかコードを使ってませんからね、ひょっとしてコード単価の世界記録かもしれないと思うほど単純きわまりない音楽で、それはそれで偉業です。この曲の世界的ヒットは、今世界を席巻しつつある日本のアニメブームの予兆だった気がします。文化というものが権力で生まれたためしはありません。西欧においては宗教が権力と一体だった時代が長らくありますが、そこにあった文化の母体は教会であって国家ではありません。教会と言ってもその空間の中ではなく、外に足を踏み出して聖書も忘れて色恋にまみれちまったいわば歌舞伎者の世界で花開いていったのが我々がクラシック音楽と呼んでいる物の大半です。だから一般には貴族趣味と思われていますが、実は権力の為に権力を持ちたい連中とは関係ないんですね、その干渉は百害あって一利なくプロコフィエフやストラヴィンスキーは逃れましたが、ガッツリ拉致されてしまったショスタコービッチはかわいそうでした。
音楽の発展がいかに権力と関係なかったかを示す象徴としてパリのモンマルトルに1897年まであったキャバレー「黒猫」(ル・シャ・ノワール、Le Chat noir) という文芸人のたまり場があります。初めてのピアノを置いた酒場でした。あそこらへんは税金が低い区画で、安酒飲ます居酒屋、キャバレー、ダンスバーみたいのがごちゃごちゃあったわけです。貴族の館っぽいおすましした上流階級のサロン、リストやショパンはそこで弾いていた人達ですが、そういう世界に対してちょっとお洒落でとんがった庶民の小金持ちが遊ぶ場所という新コンセプトの「黒猫」は繁盛したようです。ドビッシーも出入りして弾いたというから贅沢なものです。僕は気質的にそっちの方が好きですね。サティはそこのピアニストの1人で、無頓着な風来坊のイメージがありますが着る物だけは金をかけて気張っていたようです。
今そういうのがパリにあるのかどうか知りませんが、ムーラン・ルージュやリドに発展的解消しちまったとすれば残念ですが、それはそれでお上品なストリップという日本人にとっては摩訶不思議な空間が保持されてるという意味では遺伝子は引いてますね。ニューヨークもピアノバーがあるけれどあれはあっけらかんとあっぱれなアメリカンでちょっと違うんだよなぁ、例えば『ジュ・トゥ・ヴ』(Je te veux、お前が欲しい)が似合うっていいますかね、そうやって女性を口説こうが何でも結構なんだけども決して下品でもなくてっていう “モデストなドレスコード” である必要があるんですね。そういうのは何のことない京都のお茶屋さんの文化ですよ、赤穂浪士の大石内蔵助が通ってたぐらいだからこっちの方がずっと先輩なんでね、我々日本人は万事において世界に冠たるブランドを誇る民族だって事を忘れてはいけません。パリはパリならではの色気がありますけどね、僕が長らくヨーロッパに住んでクラシック音楽を聴きながら味わってきたのはそういう部分が大いにあります。ハプスブルグのウィーンにもミラノにもマドリッドにもあるし、ドイツの神聖ローマ帝国都市やハンザ同盟都市にもあるし、辺境だったプラハやブタペストにだってある。大都市ではロンドンだけ異質なんです、ヘンリー8世が本丸のキリスト教を離れちゃったのは大きかったですね、産業革命で金持ちにはなったけれど本丸の音楽家達を輸入する文化になっちゃった。まあそのおかげでヘンデルが出てきたしザロモンセットや第9も書かれたんですが、文学や科学や哲学ではそういうことは起きてないですね。音楽が宗教、王室といかに不即不離で歩んできたか物語ります。そして19世紀の末になってそれが市民のものになった象徴が「黒猫」なんです。その風土に生まれ育ったドビッシーが宗教とも王室とも関係なく完全に市民のものになった近代音楽、例えばメシアン、ブーレーズに橋渡しをする存在になった。だから音楽史を進化論的に見るなら彼はルネサンスの申し子なんです、ラヴェルは和声と音楽語法の革命をやりましたがフランス、バスク文化の中であってユニバーサルにはなってない。そこが評価の分かれるとこです。でもどっちかと言えば僕はラヴェル派かなあ。パリは何度も行ったし大好きなんですが、昨今は大量の移民で治安が大変なことになってるらしい。もう消えちゃった文化かもしれませんね。
サティ 『ジュ・トゥ・ヴ』。人間のミャオミャオです。
表題に戻りましょう。ルロイ・アンダーソンはアメリカのヨハン・シュトラウスといわれます。まあ言ってるのは文化の理解度が低いアメリカ人だけで、だから黒猫に対するピアノバーだよねと言われてしまえばそれまでです。ただその比喩が正鵠を得ていると言えないこともないのは、ユダヤ人だったシュトラウスは権力のしもべではなかったことです。シュトラウスのお葬式は、ブラームスもそうですが、シュテファン大聖堂ではなくこじんまりした異教徒の教会で行われましたからね。彼はお父さんの代からラデツキー将軍をたたえたりし、国家権力によいしょしながら生きのびてウィーンの大衆の心を掴んだという、日本だったらレコード大賞を取って紅白歌合戦に出たみたいな国民的芸能人だったんです。それを貴族っぽく「クラシック」に仕立て上げるしたたかなウィーンの権力者と商人たち。僕は商売柄たくさんのそういう連中に会いましたが、ハプスブルグの栄光と遺産をかさにきて実に金儲けが上手いんです。なにせいじめてたモーツァルトまで見事にそのネタに使っちゃいましたからね、僕もヨーロッパに住むまではすっかり騙されてました。それほど日本の西洋文化の受容ってのはお気楽で底が浅いんです、文科省もNHKもまんまとその手先に使われてるし小沢征爾がウィーンフィルの音楽監督にまでなっちゃう。表面的には名誉なことですよ、でもお公家さんみたいな日本の権力者が関与してくるとそんな程度でちょいちょいとごまかされ、金をふんだくられるんです。だからクラシックは何となく借り物の権威をまとった余所行きの浮ついた存在になって、よれよれのおじいちゃんになった西洋の巨匠の演奏を有難く拝聴しないといけない感じの世界になって、宝の山である名曲たちがいくら心ある聴衆の琴線に触れようと日本に根付かないんです。
The Waltzing Catがどういう経緯で書かれたかは調べましたがよく分かりません。でも愛らしくて品格もあって素晴らしい音楽ですね。アンダーソンのヴィオラ、チェロに弾かせる中声の魅力がここでも遺憾なく発揮されてますし、この滋味のある味つけは後世の誰もできてませんから大変な才能と思います。世界的猫ブーム、アニメであるトムとジェリーにつけてもおかしくない曲を書いたという2つの意味で、現代人の嗜好を75年も前に先取りしたといっていいでしょう。
作曲家の自作自演というのは結構残っていますが、ピアノだけでなく歌まで歌っているのはあまりないです。この曲は紛れもなく歌曲だったんです。アンダーソンがどんな人だったか貴重な映像をご覧ください。
“The Waltzing Cat” by Leroy Anderson © Woodbury Music Company LLC, SMP (ASCAP)
それでは皆様、よい年をお迎えください。
「猫科」に分類されるラヴェルとハスキル
2025 DEC 30 2:02:02 am by 東 賢太郎
夏目漱石が結婚し、英国留学から帰国して東京帝国大学の講師になった翌年の明治37年初夏、千駄木の家に子猫が迷い込んできた。黒猫だった。家に出入りしていた按摩のお婆さんが、「奥様、この猫は足の爪の先まで黒いので珍しい福猫でございます。飼っていれば家が繁盛いたしますよ」と伝えたことで飼われることになったが、名前はつかずにずっと「猫」のままだった。明治39年に本郷に引っ越した(西片のそこは僕が2年住んだ下宿の目と鼻の先だ)。「猫」は明治41年9月13日に病で5歳に満たない生涯を閉じ、漱石は彼を庭に葬って墓碑を立て、知人や門弟に死亡通知を出した。程なくして「吾輩は猫である」は文学誌『ホトトギス』に11回に分けて掲載され、彼の処女作の長編小説となる。かくして「猫」は人類史上最も重要な猫に列せられることとなったわけだ。
誠に結構なことだが、僕としてはとりわけ彼が黒猫であったことに誇りを覚えるものである。我が家のフクもしかりだからで、さらにその名も福猫由来と言いたいところだが、実は顔がぷっくりしたぷくちゃんに由来する。しかし、共に過ごした5年といえばあの忌まわしいコロナの厄災期にぴたりと重なっているのであり、我が家はワクチンを一本も打たずに事なきを得ているのだから守り神ではあった。しかも外出ままならぬその期間にビジネスでは次々と新たな出会いがあって、そのおかげでいま仕事が国内とアメリカで9つもある。数えてみると社員の3倍近い19名の国内外パートナーが実現に向けプロフィットシェアリングの形で協力してくれており、ソナーを中心にハブ・アンド・スポークスの事業モデルができてきた。 そのうち13名はフクの5年間にご縁ができたというのだから、まさに福の招き猫だったのである。
思いおこせば小学校時分から一緒に暮らしてきた昔の猫たちも、みんな僕の中で生きている。おしりをポンポンしてひょいと肩に担ぎ上げた時の感じや、両手をお腹にまわして持ち上げたときの、あの猫この猫のボリューム感が、当時の東家の出来事や世情の思い出と共にまざまざと手のひらに蘇ってくるからだ。その度に僕は「ああ猫のいる星に生まれてよかったなあ」と神様に感謝を捧げるわけである。この性格はいかなる理由があろうと寸分も揺らぐことなき頑強なもので、すなわちどんなに美人だろうが金持ちだろうが、猫を捨てて猫嫌いの女性と暮らすという人生観は僕の中に100%存立の余地がなかったわけで、この点、確かめたわけではなかったけれど家内がそうでなかったのは幸いだった。
一般社団法人ペットフード協会のデータ(2024年)によれば、日本人は犬を約679万頭、猫を約915万頭飼っているそうだ。我が家は野良猫しか飼わないからデータ外だろうし、ペットショップの客になる気はないし、「犬も好きですが」という猫好きは別人種と認識している。ほとんどの飼育者というものは人間と動物を峻別し、ペットなる擬人化したコンセプトで認識し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむ人たちである。それを否定する気はないが、家内が指摘するように僕は猫の生まれ変わりの「猫科」に分類されるべきであり、自らを擬猫化した感覚で人間をやっており、すべての猫様に敬意を払って接しているという者である。そんな妙ちくりんな人はまずいないだろうし猫も些か驚いてはいよう。ヘミングウェイや伊丹十三の猫愛の底知れぬ深さについては知得しており、いくら畏敬しても足らないのだが、しかし彼らは愛犬家でもあるから僕としては準会員なのである。915万頭の飼い主さんのうち肝胆相照らすことができる方はきっとおられるとは思うが数える程度だろうし、それ以外の圧倒的大多数の愛猫家とは深いところで話は合わないだろうという半ば諦念の世界に長らく僕は住んでいる。
あらゆる芸術家は猫と相性が良さげに思えるが、では彼らの何%が我が身のようであるかというと怪しい。例えば猫と文学を結ぶ試みというと、真の天才ETAホフマンが1819~1821年に書いた『牡猫ムルの人生観』を始祖とする。現実に彼は「ムル」という名の牡猫を飼っており、同作の構成はカットバック手法のミステリーもかくやと思わせる驚くべき斬新さを誇る。これを書けたということはホフマンは少なくとも猫好きであったろうが、果たして自身が「猫科の動物」であったかとなると疑問である。また、同作と「吾輩は猫である」の関係はいろいろな識者が語っているが、ドイツ語ゆえ漱石が読んだかどうかは不明とされる。作中で婉曲に言及はしているので存在を知っていたことは確実であり、ホフマンがムルの逝去で人間並みの「死亡通知」を友人たちに送付した事実があることから、同じことをした漱石の行為が偶然であり模倣でなかった確率は非常に低いことを僕は断定する。しかも、関連した資料を一読するに漱石はホフマン同様に猫科でなかったばかりか、猫好きだったかどうかさえも怪しい人物の気がするのだ。作中の言及はいずれ模倣が発覚することを予見してのアリバイ作りであり、動機は異なれどハイドンが交響曲第98番にその当時は誰も知らぬジュピターを引用した意図に通底するものがあったというのが私見である。
いっぽう猫と音楽となると、結びつけ方はいろいろだ。ミュージカル「キャッツ(Cats)」はイギリスの詩人T・S・エリオットの『キャッツ – ポッサムおじさんの猫とつき合う法』なる興味深い作品を原作とする。アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽も楽しい。これを観て思い出したのは、成城学園初等科にいた時分、作曲家の芥川也寸志さんの娘さんが同じ桂組におられ、クラス担任だった北島春信先生の台本に芥川さんが作曲したミュージカル「子供の祭り」が歌の上手い子たちの出演、作曲者の指揮で演じられるという贅沢なイベントがあったことだ(記憶違いでなければ渋谷公会堂で)。生のオーケストラはこれが初めてであり、次々とくり広げられるきれいな歌やダンスに心がうきうきし、音楽の授業を嫌悪していたことを少々悔悛したものだ。この経験があるから、オペラと違いミュージカルというジャンルには遠いふるさとを見るような郷愁がある。Catsは素晴らしい。猫界の繁栄に貢献した事は間違いない。
ロッシーニが書いたことになってる『二匹の猫の滑稽な二重唱』は鳴き声の雰囲気をよく活写している。しかしこれこそがペットを擬人化し、優位に立つ人間の視点で共生を楽しむという趣向において、いわばトムとジェリーの古典音楽版であり、作曲者が猫科か否かという視点の解明とはなんら相いれない所に成立しているという点において漱石の猫の音楽版でもある。オペラ・コミックの路線と見れば十分に楽しめるが、それはロッシーニの世界ではないという矛盾をはらむのである。
この路線の親類とでもいうスタンスとして、標題をつけないショパンが何も語っていない音楽を「猫が突然鍵盤の上に飛び上がって走り回っている様を連想させる」として押しつけがましく猫のワルツと呼んでみたりする人がれっきとして存在するわけだが、僕は作品34-3にそんなものを微塵も連想しない。それは誰の連想なんだ、それとショパンと何の関係があるんだと、いかがわしい表題には作曲家の著作権を弁護したくなるばかりだ。のちにクラシックを深く学ぶにつれ、そうしたことどもは永遠に表層の部分だけに関わる種の人々がやり取りする稚拙な表象であったことを知るが、そうした理解不能な異人種の存在が子供時分の僕を長らく音楽室から遠ざける元凶だった事実も知ることになった。猫はおろか音楽までおぞましく擬人化する地平で素人や子供に親しんでもらおうというアイデアは、パンダに頼る田舎の動物園経営のようなもので、3歳の乳飲み子ならともかく真の聴衆を育成しない全くの愚策である。
猫科の音楽家はいないのだろうか?そんなことはない。仲良しだった女性ヴァイオリニストのエレーヌ・ジュルダン・モルランジュに「猫の鳴きまねの際立った才能がある」と高く評価されたモーリス・ラヴェル(左)はシャム猫2匹を飼い、オペラ「子供と魔法」で猫の二重唱を作曲した。家でエレーヌとそれをミャオミャオ歌っていると、心配そうな顔をしたシャム猫たちが集まってきたというからその腕前は本家のお墨付きを得たものである。しかし、猫の鳴きまねにおいてなら僕はラヴェルに負けない自信がある。彼は2匹だが僕は10匹の同棲経験があり、その各々の声色をいまでも鳴き分けることができるからである。そうした見地から作曲家の「猫度」を判定してみるならラヴェルは1位と言っていいだろう。理由は42歳の時に母親が亡くなってからの行動と経緯にある。結婚しなかった彼は重度のマザコンであり、 1人でいられず弟や友人の家を転々としていた。 その喪失感を体験している僕としては理解できるし、むしろよく4年も耐えたものだと同情もする。回復途上にあったわけでないことは、 3年後に友人に「日ごとに絶望が深くなっていく」と悲痛な手紙を出し、作曲中だったクープランの墓およびラ・ヴァルスを除くと実質的な新曲は生み出せていないことで想像がつく。現代ならおそらく抗鬱剤が投与されて救われたろうが当時はそれがない。ドツボの修羅場から逃れるべく、ついに4年目になってパリから50キロ離れたモンフォール・ラモリーに人生初めての一軒家を買って引っ越す。そしてその家に住んでいたのがミャオミャオのシャム猫一家だったのだ。その甲斐もあって彼はやがて渡米できるまで回復を見せ、結果として我々は『ボレロ』、『左手のためのピアノ協奏曲』、『ピアノ協奏曲 ト長調』などを持つことができたのだ。
「子供と魔法」猫の二重唱
ドビッシーが猫科だという人もいるが僕にはちょっとイメージがわかない。猫好きな人、猫的な人と猫科は生物学的に異なるのである。仕事柄もう世界中で何千人と握手をしているが、想像するに、ラヴェルの手は骨張って華奢だがドビッシーは肉厚でごつい感じがする。手は人物を語るが、猫科の感じがしない。ちなみに僕の手は男としては小さめでとても華奢だ。仲良しの某大企業経営者にその話をしたら、彼はプーチンとメドベージェフの両方と握手しており、メドくんが先で、しなっとして女性みたい、続くプーさんはゴツくてまさに熊だったと笑う。あいつを首相にした気持ちが分かったよとはまさに経営者の至言であろう。ドビッシーは確かに猫2匹と暮らしていたが、後に後妻エンマの影響か犬2匹に乗り換えている。いかなる理由があれ、猫科にこうしたことは起こりようがない。
写真を見て、あっ、この人は猫科だなと直感したのはクララ・ハスキルだ。猫を抱いているからではない、抱き方だ。この猫は、察するにスタジオ撮影用の借り物であるか、もしくは自分の猫だがカメラのフラッシュに怯えている。そこで右手に優しく手を添えて安心させている図である。このさりげない優雅な仕草には、単なる猫好きという程度ではない、猫科の人にしか発露できない深い愛情と共感がさりげなく現れ出ているのである。皆さんも例えば公式の食事の場での普段のほんのちょっとしたこと、ナイフ・フォークの置き方やお箸の作法やおちょこを口に持っていく動きなど、ほとんどの人が気づかない所で氏素性がはかられることはお聞きになったことがあろう。ハスキルが、こちらも猫科まるだしの男であるモーツァルトを十八番にしていたことはいとも自然なことだったのだ。素晴らしい録音がたくさん残っているが、僕が愛してやまないのはピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280のドイチェ・グラモフォン盤である。K.488の第2楽章を彷彿とさせるシチリアーノをこんな見事なニュアンスと凛と澄ました清冽な音で弾ける人がいまのピアニストにいるだろうか。そして第3楽章に至っては音楽も弾き方もまるで猫であるという至芸を。猫同士にミャオミャオはいらない。
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『黒猫フクの人生観』 (第五話)
2025 DEC 23 17:17:28 pm by 東 賢太郎
天国に来るとね、地球って地球儀みたいに見えるんだ。人工衛星からの景色みたいさ。すごく面白くてね、だから僕は天文学をずいぶん勉強したんだよ。そうそう、19日に地球に近づいた例の3Iアトラスだって地球を同じふうに見ていたんだ。あいつは銀河系の真ん中方面にある「いて座」あたりの恒星系の文明が70億年前に発射して、核融合エネルギーを使って東京-大阪間を10秒で移動する猛スピードで飛んできたんだ。そんな技術はまだ地球にないんだよ、だからいま世界中が競って研究してる。主人が知っている青色LEDでノーベル物理学賞を取った中村先生もその1人だって聞いてるよ。 70億年前って地球ができる30億年も前だけど、宇宙はそのまた70億年前からあるんだ、そんな文明があっても不思議でもなんでもないでしょ。宇宙人なんて言葉を使うと都市伝説に聞こえちゃうかもしれないけどね、137億年の宇宙の歴史の中で、文明は泡みたいにいくつも生まれては消え生まれては消えしてるんだ、地球文明もそのひとつってことだね。
3Iアトラスは前もって地球に強烈な電波信号を送ってきたんだ。これからそっちへ行くぞ、ちゃんと俺を観測してくれよってシグナルだね。なぜかっていうと人間に自分を観測させるためだよ。それで人間が何を学ぶかっていうことを彼らは調べに来てる、それが飛ばした目的なんだ。 1977年に信号を受信したアメリカの天文学者がWOW !って驚いてね、もちろんその反応も3Iアトラスは記録してる。主人はその時アメリカにいてそれを浴びてる、だからこの訪問者をずっと気にしていたんだね。それ以来こいつは双曲線軌道で地球にずーっと近づいて来て、19日から遠ざかり始めたってわけさ。NASAは何も発表せず平静なふりをしているけど内部では科学者たちは大騒ぎでね。だってこいつは表面に鉄がないのにニッケルがあったり、色を変えたり、尾っぽを太陽に向けて出したり、 1秒に40リットルも水を噴射したり、軌道を自分で変えたり、速度が速くなったり遅くなったりしたんだ。学者たちはありえねぇって発狂状態さ、だってどれも物理学を書き換えなきゃいけない話なんだからね。
地球を見てるとアメリカじゃあこの話はずいぶん盛り上がってたよ。ハーバード大学の宇宙物理学者アヴィ・ローヴ教授がユーチューブで解説してね、メディアも取りあげてたよ。でも日本のメディアはさっぱりでね、日本の猫として寂しいもんさ。 jaxaがまたロケット打ち上げを失敗しちまったし、こういうことに対する国民的な興味のなさは大丈夫かなって心配になるレベルだよ。だってロケットを飛ばす技術は米国、ロシア、中国はもちろん北朝鮮にだって大きく負けてるわけだからね、もう二等国に成り下がってるね。3Iアトラスが人工構造物かどうか、もしそうならいつどこで誰が何のために作ったのかなんて、もっと報道すればワクワクして調べたくなる子供がたくさんいるはずなんだけどね、日本人は優秀なんだから。でもメディアが報じなければ知る由も無いから子供の機会損失なんだよ。メディアが何やってるかといったら「高市おろし」ばっかりだ。本当にバカだねこいつら。私立文系だらけで数学や物理なんてわけわかんないんだろうね。こういうレベルの連中に電波の使用権を独占させておくことが国益になるのかどうか総務省は真剣に検討すべきだね。
それとは真逆の明るい話もあるよ。高市さんの人気がすごいって天国で話題もちきりなことだ。人気って言ってもね、日本のじゃない、世界のさ。フォーブスの「世界で最もパワフルな女性100人」のランキングって、ドイツのメルケル首相が長らく1位でね、今年は4位がイタリアのメローニ首相、5位がメキシコのシェインバウム大統領なんだけど、それを押さえて高市さんが3位に踊り出たんだよ。毎年トップ10に半分以上いる口から先に生まれたみたいなアメリカ人女性は全員高市さんより下なんだ。 1位2位は国際機関の女性だからね、政治家としては世界一さ、これがいかにすごいことかわかるかな、だって国としては日本は今年インドにGDP抜かれて世界第5位だからね。緊縮財政で足を引っ張られて落ち目の国なんだ。その劣勢をひっくり返して、もういちど日本を世界の真ん中で輝く国にしようとしている高市早苗さんを世界が評価しているってことなんだよ。ところがその足を引っ張って引きずり下ろそうっていう妙な奴等が日本の中にうようよいるんだ。何なんだこいつら、猫だった僕にはまったく分からないよ。だって日本の猫にはそんなの絶対いないからね。
そうなんだ、それやってんのがオールドメディアなんだよ。僕は地球を丸ごと見てるから気がついたんだ。でも日本のまともな国民はSNSでそれに気がついちゃってるみたいだね。「サナ活」見てごらんよ。交流サイトで高市首相の持ち物を買い求めたり、ゆかりの場所を訪れたりするってまるでアイドルだけど後援会じゃないよ、政治家の推し活ファンクラブだよ、そんなの前代未聞でしょ?それもやってるのは10代20代のキラキラした女の子たちなんだよ。驚いちゃうけどFNNの調査によると高市内閣の18~29歳の支持率はなんと92.4%!僕もここまでとは思ってなくて唖然としてるよ。なんせこの世代はテレビ、新聞なんか見てないSNS世代で、みんな愛国者ってのが絶対のバックボーンなのよ。いや、愛国なんて以前に10年、20年後に誰が自分を守ってくれるの?そもそも日本国は在るの?っていうぐらいの危機感があるんじゃないかな。ところが選挙の候補者をみれば永田町と利権しか頭にないジジイ、ババアばっかりだ。投票に行かなかったのわかるよね。それが岡田センセイのおかげで怒りに火がついて一気に覚醒してね、頼もしい高市ねえさん支持で政治にぐいぐい参加し始めた。存立危機発言事件は11月7日、命日に勃発したから僕の思い入れは半端じゃないんだ。この若者の動きはもう元に戻らないよ。でもなんたって大事なのは高市さんがそういうイメージを狙って作ったわけじゃないってことさ。まじめに勉強して働いて働いて働いて身をもって示す彼女にそんなチャラいところは微塵もないし、現実にガソリンも下がったし年収178万円の壁も結果だしてくれたしね。だから若者の信任も絶大なんだ。僕も主人もパフォーマンスだけの張りぼて政治屋が虫酸が走るくらい嫌いでね、だから高市さん応援しちゃうんだ。当たり前の日本人と日本猫で右翼でも何でもないけどさ。こういうオトナもたくさんいるからこれから選挙の景色はガラッと変わるよ。だって投票率は「サナ活世代」が3割ちょっと。全世代の最低だったんだ。それがこれだ。解散総選挙を宣言すれば大応援団として盛り上がること確実さ。これからの日本を背負っていくのはこの世代だからね、カレシといっしょに投票行くだけでもインパクト絶大。自民党の中の変な連中もついでに思いっきり蹴り出して、もう1月に解散しちゃったほうがいいね。
オールドメディアはこういうことに気がついてないんだろうね。だって虫酸が走られる側だからさ。ファンクラブっていうのはね、アイドルがけなされたり攻撃されたりいじめられたりすればするほど燃えるんだって。だから、けなせばけなすほど高市さんは支持率が上がっちゃうわけ。おかしいぞ、こんなはずないって焦りまくってますます口汚くけなすよね、するとますます上がっちゃう。こんなはずはない!って、論理破綻や見え見えのダブルスタンダードでどんどん言ってることが支離滅裂になってくる。核保有なんて官邸の誰かどころか石破総理が思いっきり言ってたじゃないか。石破は好きだけど高市は嫌いだからダメ?醜悪、不浄にもほどがあるね。姑息な印象操作の手口なんかもうネットでバレバレ、もはやお笑いネタなのにそれすら気がついてない。そこをSNSで冷静に逆襲されて狩り取られる。世の中おかしい、狂ってるって逆上しても、テレビも新聞も見てない人たちだから「ヌカにくぎ」ってわけさ。左派政党は世界中どこでもあるけどね、基本はみんな愛国なんだよ。それが日本だけ違うって、今までおとなしく黙ってた日本人にはだんだん「穢れ(ケガレ)」に見えてきてるわけ。神社へ行きゃ分かるよね、日本人は世界で一番ケガレを嫌う特別な民族なんだ。これわからないの日本人じゃない。「サナ活」がアイドル推し活とひとつだけ違うのは「お清め」の気持ちがこもってるってことだろうね。だからケガレをまき散らす人たちは政党ごと消えていくね。これってもう宿命っていうか、方程式みたいなもんでね、存立危機発言で国民的に著名な岡田センセイがちゃんとそうなってきたでしょ、オールドメディアもやればやるほどしっかり運命共同体になっていくから皆さん見ててごらんなさい。彼らはもう日本国民の味方じゃないってレッテルが背中にバッチリ貼られちまってるからね、もう気がついても遅いね。将棋なら詰みが見えてきたよ。この期に及んで「国民の感情をコントロールしなくてはいけない」なんて共産主義者みたいなことテレビで平然と言っちゃうんだから火事場にガソリン撒いて自分が火あぶりになるみたいなもんでね、どんどん消滅の日が早まってきてるってわけさ。
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死んだと思った東名高速の事故
2025 DEC 21 0:00:43 am by 東 賢太郎
3Iアトラス太陽に最接近 10月29日
フク亡くなる 11月7日
パソコン壊れる 11月14日
関係企業に事故 12月10日
東名高速で事故未遂 12月13日
3Iアトラス地球に最接近 12月19日
どうも太陽系外の妙な物体が接近してきてからろくなことがない。
12月13日は危なかった。追い越し車線を快調に飛ばしていたら、わりこんできたミニバンと前の車が接触し、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの僕の車も危なかった。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止まった。奇跡的だった。
止まった、よかったと安堵したら、東名の追い越し車線の最後尾に止まっていることに気がついた。後ろからトラックにつっこまれて即死・・・が頭をよぎった。
フクが見ていたな、命を助けてもらったな。
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『黒猫フクの人生観』 (第四話)
2025 DEC 15 0:00:44 am by 東 賢太郎
天国にやって来て1か月になったよ。僕が来たのは11月の7日だ。みんな覚えてるかな、この日だよ、日本の国会で立憲の岡田克也センセイが台湾についてしつこく質問してね、「具体的に言え」って高市総理に詰め寄っといて、騒ぎになったら「具体的に言ったお前が悪い」って批判してね。天国に到着したら「ありゃねえよな」って話でもちきりなんだよ。神様まで人の道に反するって怒っててびっくりしたね。おかげで命日が妙なことで記憶されちまって迷惑なもんさ。
でも面白いね、センセイの思惑は外れて内閣支持率は爆上げだからね。多くの皆さんも岡田見てなんだこいつって思ったんだろうね。その後の事はみんな知ってるよ。どうしてかって?不思議なんだけど魂になるとね、もともとヒトだろうが猫だろうが、考えた瞬間に地球のどこでも自由に行ったり来たりできるんだ。だから世界中をのぞけるんだよ。トランプやプーチンや習近平が何やってるかだって筒抜けなんだよ、神様は何でもお見通しって言うけど僕らだってそうなんだ。
でも気になるのは主人のことさ。だって僕のことでメチャクチャ落ちこんじまったからね。そこで気を引いてやろうと思ったの、椅子の下から尻尾でポンポンとやって「僕いるよ」っていう感じでね。天国からパソコンに入り込むなんて簡単なんだ、ハッカーじゃないから証拠も残んないし。でも主人は書くことしか頭にない人間だから気がついてくれないね、しょうがないな。せっかくタイトルはホフマンのアレをぱくって目立つようにしたんだけどね。
地球のことは見るだけじゃなくて、ちょいちょいって関与もできるよ。例えば11月はね、彼の所に新しいお客さんをたくさん送りこんであげたんだ。 12人もね。だからわー何が起きたんだってびっくりしてるはずさ。それからこの前の週末に彼が東名高速道路を走ってる時さ、追い越し車線にわりこんできたミニバンと前の車が接触してね、そいつが中央分離帯にぶつかって大破して、すぐ後ろの主人の車も危なかったんだ、ほんとだよ。すんでの所で急ブレーキ効かせてガラスが粉々になった前の車に突っ込まないように止めたってわけだ。主人もまっさおさ。僕がいなかったらここに来てたね、やれやれ。
そういやあ今年の漢字は「熊」だってね。人様を襲うんで人間と戦争みたいになっちまったって聞いてるよ。誰にかって?その熊さ。やけに真っ黒なのが増えてきたなって思ってたら、人里に出て撃ち殺された連中なんだ、かわいそうにね。 その中のボスがヒグマの与作だよ。北海道出身でね、でかいの何のって300キロぐらいあるんだ。のんびりした顔つきなんだけどガオーってなると大変さ、周りの熊どもがビビッちまって「へへー!今日は何をお持ちしましょう」ってなるのは見ものだよ。どうやらドングリがいっぱいある白熊の陣地を狙ってるらしくてさ、後から来たくせに白熊どもを追い出そうと作戦を練ってるっていう噂だ。それを聞いた白熊のトラゾーもだまってないよ、ボスでケンカは強いからね、顔も同じぐらいでかいしどっちが勝つかわかんねえっていま天国じゃトトカルチョが大人気さ。みよ子は白猫なもんだからトラゾーに賭けてる。っていうと黒猫の僕は与作って思われるんだけど、みよ子の気を引きたいからトラゾーを買っちまったんだ。ここが僕の弱いとこでね、お前は賭けはやらん方がいいって主人に言われるんだろうな。
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『黒猫フクの人生観』 (第三話)
2025 DEC 1 1:01:58 am by 東 賢太郎
今日はいろいろ宇宙の秘密をばらしちゃうよ。これって天国にいる魂クンたちは当たり前みたいに知っていることなんだけど地球にいるとわかんないんだよね。あのアインシュタイン先生だってそうさ。まあ猫の書いたブログなんて読んでくれる人あんまりいないと思うけど、何年かして科学が追いついたらおおってことになるさ。
あなたは前世でパキスタンの王様の娘だったことがあります。今年の7月に主人がアガスティアの葉っぱにそう書いてあるといわれてびっくりしてたんだ。それ本当さ、輪廻転生っていって、体は死んじゃっても魂は生まれ変わるんだよ。今まさに、僕は生まれ変わるためにこの天国にいるんだ。輪廻転生はヒンドゥー教の教えでアガスティアさんは3000年前の聖人なんだ。この仕組みは天国に来てみて納得したよ、だって毎日阿弥陀さんのところで生まれ変わりの場面を目撃してるんだからさ。人間に生まれれば人間の脳みそで生きるからちょっとはましな人生を送れるかな。猫になると猫の脳みそだから過去とか未来とか足し算とか掛け算は分からない。でも鋭い耳と鼻と運動神経がある。どっちがいいかって?微妙だなあ、算数なんかなくても猫は困らないし、猫には猫の楽しみっていうのがちゃんとあったからね。
主人は前世に猫だった。記憶は消えても第六感が残ってるんだね。神様はそうやってすべての魂クンにいろんな経験をさせるために繰り返し輪廻させてるんだ。理由があるんだよ。皆さんにはショックかもしれないけれど、地球という惑星の役割は魂の監獄、つまり牢屋なんだね。前世で何かしでかして神様のお怒りを買っちゃった連中が地球に閉じ込められてる。申しわけないけど皆さんも囚人なんだ。そこで人の姿にしたり動物にしたり、苦労や経験をさせて二度とまずいことしないように魂を更生させてるんだ。牢屋の鍵?もちろんあるよ。人間の知恵じゃ太陽系を飛び出せないでしょ。隣の惑星系があるプロキシマ・ケンタウリまで現代の最高速ロケットで行っても7万7千年かかるんだよ、どうあがいたって逃げられないんだ。誰も気がついてないけどね。
宇宙人?もちろんいるよ。いま僕の周りにだってね。宇宙人も地球人も神様が作ったもんなんだ。別々な惑星系に住んでて進化が進んでるか遅れてるかってだけでね、進化してる連中は地球にいっぱい来てるよ、何千年も前からね、でも未開で遅れてた地球人は連中を見ても誰か理解できなかったの。宇宙って、出来てから137億年、太陽だって47億年経ってるんだ。太陽の年齢を1時間とすると人類の年齢はたったの2秒だ。聖書や神話に「神様が天から降りてきた」っていうお話がいっぱいあるでしょ、日本だって天孫降臨だしね。当時の人類の脳みそだと宇宙人イコール神様ってことになっちゃったんだ。HGウェルズがタコみたいな火星人の小説を書いたらアメリカでひと騒動起きた。地球人は100年前でやっとその程度の未開人、かたや宇宙人は何千年も前から恒星間飛行する文明を持ってた。まあ人間とミミズくらい違うってことだ、くやしいけど仕方ないよね。
いま太陽系に来ている3Ⅰアトラスが恒星間飛行物体であることは間違いない。もし人工物なら宇宙人が作ったってことになるね。地球を攻撃する?そんなわけない、監獄こわしてどうすんだって。これも皆さんにはショックかもしれないけれど、人間は宇宙人が自分たちに似せて作った実験動物みたいなものなんだ。金を掘らせたり土木工事を助ける奴隷としてね。バベルの塔がそれだよ、失敗だったけどね。エジプトのピラミッドもそうさ、 2トンもある石をどうやって持ち上げたなんて不思議がってるけど宇宙人が重力を操作して空中浮遊させたんだ。ストーンヘンジもね、ひょいひょいってもんだ。人間は石を切ったり磨いたりしただけさ。5千年前だから同じころだけど、おかしな人間がはびこっちゃった事件もあったな、これじゃ奴隷に使えない、作り直しだってなって彼らは大洪水を起こしてガラガラポンしようとしたよ。それがノアの箱舟っていう話になって聖書に書いてある。いろんな種類の動物も乗せたでしょ、だって狂ったのは人間だけで動物はそうじゃないから殺しちゃもったいないからね。実話なんだよ、当時の人間の脳みそで精いっぱい文字で描写するとああいうことになっちゃうんだ。
これも皆さんにはショックかもしれないけれど、聖書の時代のその一世代前の人間は火星にいたんだよ。あそこはまだ水も空気もあって地球みたいな環境だったんだ。何千年もかけて今の人類ぐらいに進化したんだけどさ、やっぱり狂った奴らが出てきて核戦争を始めてね、全滅しちゃったんだ。宇宙人からすりゃせっかく育てて楽しみにしてたペットが共食いしちゃったって感じかな。だから今でも地球人が核兵器を持つことにすごくナーバスになってるんだ、また滅んじゃたまらないからね。核実験やるとよくUFOが現れるって都市伝説があるけどそれホントさ。これ以上やるなよって監視しに来てるんだよ。いま僕の周りにいる魂くんたちの中でもね、地球で何回も生まれ変わって経験を積んだ奴はもっと進んだ別な星に行くこともできるんだ。僕はまだ無理だな、あと人間を3、4回やって合格できるかなってとこだ。まあここはいいとこだし、しばらくゆっくりやっていくさ。そういやあ前世で僕が好きだった歌があるよ、フォーク・クルセイダーズとかいったかな、
天国よいとこ一度はおいで
酒はうまいし
ねえちゃんはきれいだ
♪ ワーワーワッワー
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シンクロした4つの天文現象の啓示
2025 NOV 26 12:12:09 pm by 東 賢太郎
11月5日は今年最大のスーパームーンだった。この日にディナーをした方からマーラー9番のCDを頂き、演奏についてコメントをさせて頂くお約束をした。ところが立冬にあたる7日の夜にフクが旅立ってしまい、時間をいただくご連絡をした。お葬式は 9日の午後2時半から我が家の玄関前の敷地で執り行われ、僕は正装し、家族と共に見送った。朝方よりの小雨模様である。小さなお棺に供物を添え、綺麗なお花でいっぱいに飾ってあげ、いよいよお別れですの発声となった。空を見上げる。一同が声をあげた。まるで天国への道のように、モーゼの海割りのように、真上の雲だけにぽっかりと青空がのぞいて皆の心を激しく揺さぶった。夕刻になり、娘から生前の動画が次々と送られて来る。もうだめだ。いてもたってもいられなくなり、夜8時過ぎにひとり家を出て自由が丘をほっつき歩き、意味もなく本を買い、旨くもないラーメンで腹を満たし、11時半に帰宅した。翌日10日に喪中のためブログを封印した。

あの青空の向こうには、10月末から太陽系の真ん中に接近して気になっていた謎の恒星間天体「3I アトラス」があるはずだ。太陽の近日点(地球と反対側)を離れて観測可能となり、11月5日、スペインのR. Naves天文台が撮影した写真(上)ではぼんやりとした球体のみである。これまであった尾が消滅している。妖術使いのように不可解な七変化を演じるこいつが何者か謎は深まるばかりだが、NASAが普通の彗星であると公式発表して謎に拍車をかけているのも不可解でしかない。
10日の23時ごろ、ランニングに出て、月と木星とふたご座ポルックスのランデブーに気がついた。手ぶれしたへたくそな写真だが上がポルックス、右上が木星だ。3I アトラスはこの木星に向かって飛行中だ。
本当にかわいくていいやつだった。僕と気心が知れていた。筋骨たくましいオスで体重は7.5キロになった。寝食を共にした5年間、なんだかんだでおおいにふれ合ったものだが、 一度として噛まれたりひっかかれたりしたことがない。飼った人ならわかるがこんな猫は初めてだ。時に腹を見せるくせに服従なわけでもない。独立自尊の姿勢を崩すことは微塵もなく、頑とした矜持を持った風で、若い雄猫なりの風格を漂わせていたものだ。いつも思わされた。それに比べ俺はどうだ、70の爺いだ、頑とぐらいはして見えようがただの頑固な堅物かもしれん。気が短いエゴイズムの塊じゃあないのかなどという自省の念が鏡像のようにたちのぼってくるのだ。どんな猫も、僕にはひとつやふたつの畏敬の対象というものがあるが、フクは別格だ。
彼は我が家の9番目の猫だが、元から飼い猫だったものはいない。つまり5、6歳の頃から就職するまで僕は数々の野良猫といっしょに育ったわけである。それが人間形成に影響していないはずがなかろう。親が情操教育と考えたのかどうかは知らないが、母親自身が猫好きであり、もとより血筋で僕も妹もそうであり、なしくずし的に猫嫌いの父親が説き伏せられてしまったものとも思われる。だからフクが秘めていた野生はどうということもなかったが、彼は慣れてきて次第に家猫っぽくなり、リビングルームの住人に格上げとなる。そこからだ、付き合いが深まったのは。
僕の仕事は日々のルーティーンの積み上げという性格のものではなく、今日明日にも何が起きるか分からないハンティングの性質を色濃く帯びたものである。遅く帰ってきてリビングルームで夜食をとると、傍らにやってきて写真のようにじいっと目を見つめる。猫ほど目線を合わせる事を嫌う動物もなかろう。ケンカを売ってることになるからだ。だからというわけではないが、無視して食べ続け、もうあきらめたかとそうっと目をやると、まんじりともせず同じ姿勢のままどんぐりまなこで見つめているのである。ルール違反の猫だがこれにどれだけ癒されたか。フク悪かったなこれ食えよと分け与えると、飛びついてムシャブリつく。そこで畜生に戻るのだ。脳裏に戦友という文字が浮かんでくる。アメリカの学校にいたころ、夜中まであぶら汗をかきながら喧々諤々の議論を続け、腹ペコで課題を一緒に仕上げた奴らが、終わってやおらビール片手に「俺たちは Comrade(カムレイド)だ!」と叫んだ。それが戦友だ。
フクと過ごした5年間は世の中も大変だった。皆様ご記憶のように2020年の2月ごろにコロナ騒動が横浜のダイヤモンドプリンセス号で勃発し、3月ぐらいだったろうか、大の注射嫌いである僕もワクチン摂取を保健所に申し込む羽目になった。家族も含め、すぐにでも打たないと危ない空気が国中に満ち溢れていた。予約日は6月17日という。なんだよ世田谷区は、高齢者がなんでそんなに遅いのかねと文句を垂れていたのを覚えている。ところがそれがよかった。アメリカのパートナーから予想外の電話が入ったのだ。「お前も家族も絶対打つなよ」と、トランプが飲んだ薬をひと箱送ってくれ、予約をキャンセルさせらるとやがて6月17日が過ぎた。患者は増えるばかりだ。報道も過熱してきて、本当にその判断が正しかったのか心配もあった。
フクが我が家にやってきたのは、ちょうどそのころ、7月29日だ。日記を見ると「黒猫来る」とだけある。ここからフクの不思議が始まる。野良を捕まえて持ってきたのだから初めのうちはケージに近寄ると盛大にシャーシャーである。ちょっと危なげな猫にも思え、とりあえずピアノやオーディオのある地下室にケージごと置かれた。
すると、彼がテレパシーでも送ったのか、二週間後の8月14日、自分の全ブログの中でも重要と考える一本に僕は着手する。ちなみに、その事実に気がついたのはついさっきだ。なんとこれはその時に書いたものだったのかという大いなる意外性をいま感じざるを得ない。
サッチャー英国首相。なぜここまで気合を入れて彼女のことを書きたい衝動がむくむくと湧き立ってきたのだろう?強きリーダー日本にあれと願望を込めた一本であったわけだが、どうしてサッチャーの名前が僕の脳裏に浮かんだのだろう?前後の日記をひっくり返しても全く分からない。自分でも謎なのだ。
日記によるとその翌週、8月23日にバケツをひっくり返したような大雨が降った。余談だがこの日付は忌まわしい。若いころ、日付を覚えているほどの大失敗をした日なのだ。豪雨が停電をひきおこし、排水ポンプが止まったため地下室に浸水して水と格闘になった。フクはケージのまま8月29日に2階のリビングに避難し、行いが良かったのだろう、9月11日にケージから解き放たれている。この日付は世界の誰もが覚えている。
それが予言であったかのようなことがいま日本で起きている。日本のサッチャーになりたいという女性、高市早苗氏の出現だ。ブログ執筆時点で僕は彼女がサッチャーを尊敬し目標としているとは知らなかったし、そもそも彼女に注目していたわけでもなんでもなかった。その人が2025年10月21日に総理大臣に就任すると、それを見届けたかのように、二週間後にフクは世を去った。
9番目の猫。おりしもだったマーラーの9番。本稿を天文の記述ではじめたのは、スーパームーン、3I アトラス、ランデブー、天頂の雲、という、それぞれがそれなりに確率の高くない現象があまりに見事にシンクロしてやってきて、そのど真ん中をフクが急ぎ足で駆け抜けていってしまったからだ。それをどう見るかは十人十色だ。僕はとくに宗教的な人間ではないが、確率の低い事象がおきた場合はそこに何らかの意味があると考えるタイプの人間ではある。フクはきっと僕になんらかの「啓示」を与えるべくやってきた、神さまの使いであったろうと信じている。
『黒猫フクの人生観』 (第二話)
2025 NOV 23 15:15:29 pm by 東 賢太郎
しばらく天国にいるのでだんだん周りの様子がつかめてきたよ。ここにいるのはもちろん猫だけじゃない、人間からなにからあらゆる動物だ。でも、それでモメたりケンカになったりなんてことはない。みんな心はもう魂でいるからね。昨日なんか、「あれ、お前、いつ来たんだ久しぶりじゃねえか」と荒くれた声がしたので振り返ると、あのゴンベエじゃないか。こいつは僕が生まれたあたりのいっぱしのボスで、ナンバーワンじゃないんだが、自分より弱いと見るとやたら威張り散らすいけ好かない野郎さ。嫌なやつに会っちまったなと思ったが、「ホントだね元気そうじゃないか、いや、元気じゃないからここに来たんだっけなお互いに」なんて柄にもなくちょっと笑って見せたりした。ゴンベエは誰がつけた名だろうか、あの辺の人はみんなそう呼んでたね。飼い猫でもないんだから妙なもんだが、あまりにピッタリした名前だから顔を見れば誰でも笑っちまうだろうよ。なんでも、ボランティアさんの餌やりに預かろうと土手を越えて川のほうへ走って行こうとしたら車にはねられちまったらしい。「まあ、俺としたことがよ、ドジ踏んだもんだぜ」。生きてる時からドジばっかりだったくせしやがってよく言うようなこいつ。そうかい、君でも死ぬことがあるんだね、そいつはご愁傷様だったね、なんて生あくびしながら愛想の無い返事をしてやったもんさ。本人に向かってご愁傷様もないもんだがまあどうでもいいよ、なんたって、こういう粗暴な奴とは僕は相性が悪いんだ。
そうしたらさ、さっき、白猫のみよ子を見かけたんだよ。間違いないさ、びっくりしたね。しっぽが長くてちょっとスリムで色っぽくてさ、僕はゴンベエと彼女の取り合いをしてたことがあるんで、ちょっとドキッとしちまったんだな。白と黒は縁起悪いってフラれたんでもなかろうけど、みよ子はゴンベエになびいちまった。悔しいがここでもさぞかしねんごろにやってるんだろうね、気色悪いねと思って見ていたら、こいつら、すれ違っても互いに目も合わせないんだ。理由はすぐ分かった。やさ男のシャム猫だ。みよ子はこいつにゾッコンになっちまってるんだ。ゴンベエくん、もちろん黙ってない。「おいおめえ、目障りだ、そこ歩くんじゃねえよ」。シャムも黙ってない。「キミ、ここは天下の公道だ」。「道に言ってんじゃねえ、おめえだよ、早く消えろこの野郎」。「キミ、そういうのをアロガントっていうんだ、つつしみたまえ」。万事こんな具合だ。こいつは日本から来たくせに、シャムだかどこだか知らないが外国の血筋を気取ってる。これはこれでいけ好かない奴だ。ゴンベエは雑種の和猫でキジトラよ。そりゃ気が合わんわな。僕は黒猫だからどっちでもないし品格があると自分では思っている。まあ、社交性もないではないからその気になればどっちとも上手くやれちゃうんじゃないかとは思うが、洋風を気取ってるシャムは僕も気に食わんから友達になろうなんて気はさらさら起きないね。
そういや主人がよく言ってたな、「俺は留学しちゃって16年も海外にいてさ、洋風気取りだと思われるところがあるんだよね、だけど、本性は純日本人で海外に長いこといてますます日本人になって帰ってきた」ってね。わかるような気がしてきたな。そういやあ、こうやってぬくぬくと天国にいてね、長いこといちゃうと生まれ変わってシャバに戻っても天国かぶれって言われちゃうかもしれないよね。僕は今度は人間で戻りたいんだ。でも長いこと猫やってたもんだからかなり人間には遅れちゃってる感じがするんだよ。猫だけじゃなく動物やってた者達はここに来るとすぐ人間になりたがって阿弥陀如来さんの所へ行くんだな。見てると面白いよ、列に並んで順番が来るとね、そこにテレビみたいなスクリーンがあって、たくさんの人間のお母さんの画像が出てるんだ。「はい次は君かね、君はどのお母さんのところに行きたいかな?」って阿弥陀さんに聞かれるんだ。「そうですね、じゃあ右から3番目のお母さんにお願いします」なんて答えるだろ、すると、そこに長い長いトンネルがあって、じゃあここに入ってって指示が出る。すると、シューッとすごいスピードで地上に降りていくんだ。そして気がつくと、選んだお母さんのお腹の中にいるってわけさ。みんなそうなんだよ、でも記憶は3歳までに消されちゃうから誰も覚えてないって仕組みさ。僕もすぐ列に並ぼうと思ったよ。でも人間界はすごい勢いで進化してるからね、猫がいきなりなったってついていけなくって君っていつもお花畑だねなんて言われる人間になっちゃう。そう考えたんで、僕はしばらくここにいて、たんまり勉強してから人間になろうと決めたんだ。
「フク、なんで俺の言ってることがわかるんだ、いい猫だね」。僕は少なくとも4、5回はそうやって真剣に主人にほめられたことがある。いい猫ってのは主人の猫に対する最上級のほめ言葉なんだ。だから、その辺の猫と一緒にしてもらっちゃ困るって自負があるのかもしれないな。思えばみよ子だって、色っぽいだけでどうひいき目に見ても賢いメスじゃない。荒くれもんのゴンベエや、ちゃらい洋風かぶれシャムにお似合いだったってわけさ。そういや、主人がよく読んでたショーペンハウエルってのをいま読んでるんだ。猫がどうしてって思うかもしれないけど、ここにはあらゆる書籍も動画も録音もあってね、だんだん読めるようになっちゃうんだよ、いるだけで。それにしても驚いたね、この哲学者先生の女性観は強烈だね、いまどきなら即死もんだよ。「彼女たちがただひとつ真剣な仕事とみなしているのは恋愛や男心を征服すること、およびそれに関連すること、たとえば化粧やダンスといったことどもだ」なんて感じだからね。女が強くなったっていう見方もあるけどさ、化粧やダンスに明け暮れる男もたくさんいる時代だからね、まだわかりやすいオスであるゴンベエやシャムのほうが生物としてはマシじゃないかって気もしてくるわけさ。
読響定期とドイツ・レクイエム
2025 NOV 22 15:15:16 pm by 東 賢太郎
多忙でコンサート評が二つ飛んでしまった。第一に10月21日の読響定期。この日は高市総理が誕生し、私事では経営会議と米国とのオンライン会議で目まぐるしかった。プログラムは以下。
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
チェロ=北村陽
グリンカ:幻想曲「カマリンスカヤ」
ハチャトゥリアン:チェロと管弦楽のためのコンチェルト・ラプソディ
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 イ長調 作品141
第二曲はライブで初めて。Vn協奏曲のVC版の趣で、あれが好きな人は病みつきになる危険な曲だ。なんといっても北村陽が圧巻!リサイタルを聴いてみたいと思った初のチェリスト、いや、いつまでも聴いていたいと思った稀有の人と書くべきだ。テクニックがどうのというレベルでなく最高の音楽性。間違いなく世界を席巻する才能。参考に3年前のアルメニア国立響との演奏を(当日のはもっとこなれていた)。
ショスタコーヴィチ15番。誰のだったかレコードが初出してレコ芸に大木正興さんが書いた評は、初聴だったと思われ、曲そのものに当惑気味で評価を慎重に保留されていた。息子のとすると1972年。僕は高校3年生。クラシックのスタンダードレパートリーが “新曲” だったときの記憶だ。室内楽の透明感にウィリアムテルやニーベルングの指環の室内楽的でない音響が透かし彫りで浮遊。質量を感じぬオーケストレーション。打楽器での開始と閉幕!引用が出てくるグリンカを前置したヴァイグレの知性に喝采。
もうひとつ、東京オペラシティでの11月1日のドイツ・レクイエム。心を揺さぶられた。これを聴く時間というものは、いつもその時々の心の持ちようによる。安寧ではなかった。この前日にフクの異変に気づいていたからだ。だいぶ前にチケットを買っていた偶然とはいえそこでレクイエムはないだろうと思った。彼を迎えに来ていた何かだったのだろうか、10/15の夜中の2時ごろ、日記に「台所で猫の霊的なものをうかがう」と意味不明の記述がある。ドイツ・レクイエムのブログ1回目(第5楽章)は9/15だ。伏線は8/13に「アガスティアの葉」にある自身の運命をきいたからと思われ、その午後から同曲を聴きまくっている。悪い知らせがあったわけではない、とても深いスピリチュアルな心の持ちようになっていたということ。
フクを安置したリビングルームで流していたドイツ・レクイエムは、出棺が告げられると第6楽章がおわった。煙が天に向かってたちのぼると、小雨模様だった空にぽっかりと青空がのぞいた。
『黒猫フクの人生観』 (第一話)
2025 NOV 19 15:15:00 pm by 東 賢太郎
もしもあなたが、どうして猫がブログを書けるんだろうと不思議に思ったとすると、それってどんな猫かな、ひょっとして超能力でもあって両親もそんな芸当ができたのかねなんて話になるのかもしれないな。でも、実のところそうじゃないんだ。僕は男前だけどいたってふつうの黒猫だしね、父親はぜんぜん知らないし母親もやがて離ればなれになっちゃってね、たぶん親は元は飼い猫で、引っ越しか何かで捨てられたってとこかもしれないな。だから僕は物心ついたら野良猫でしたって寸法さ。生まれたあたりはいい住宅地でね、ブドウ園なんかあったりして東京にしちゃあ緑が多いっていう人もいるんだけど、だからノラが住みやすいってわけじゃないんだ。ボス猫も狂暴な奴でね、ケンカして不覚にもけがしちゃったんだ。普段からかわいがってもらってた奥さんがそれ心配してくれて知り合いに引き取られるはこびになった。そこが主人の家だったって話さ。名前はフクになったよ。
そうそう、どうして猫がブログを書けるかってこれは秘密だけどね、それを説明するにゃーつい先だって、僕がこの世にお別れを告げたことから始めなきゃいけない。なんだ、主人公がいきなり死んじゃうのかって、そんなのは普通じゃないんだけど現実なんだから仕方ないね。僕は腎臓が悪かったみたいで、何回も大嫌いな病院に連れていかれて注射されて血を取られてね、もうあれは御免だ、なんとか終わりにしてくれって天に祈ったんだ。それが効いたと思うほど信心深いってわけじゃないけどね、何日かするとだんだん体がおかしなことになってきて、食欲がなくなって水も飲みにくくなってきちゃってさ。それで観念したんだよ。なんたって運動にはちょっとした自信があったもんでね、野っ原を駆けまわって鳥やねずみを自由自在に捕ってた身としてはね、もはやこれまでと思ったんだ。 家族の皆さま5年間お世話になりました、じゃあ僕はお先に天国に行くからねってことで、あーあーと声をふりしぼって2回ないてお別れしたんだ。そうしたら主人の家族たち5人が大騒ぎになって、そしてシーンとなって、みんな僕を抱きしめてわーわーと泣きだしちまったの。僕も行きたくなんてなかった、悲しかったさ。とくに主人は僕の病気がそんなに悪いとは思ってなかったんだね、晴天の霹靂だったんで落ちこんだなんてもんじゃない。もうブログなんて書けねえって言い出してね、あなたやめないでね、だって楽しみにしている人がたくさんいるんだからって奥さんにたしなめられて少し休もうということに落ち着いたんだ。
僕だって初めてだからちょっと怖かったしね、何がどうなったかはわからない。とにかく魂が空にふわふわと昇って行くんだよ、そうすると雲のまた上の雲のもっと上の方に3階建てぐらいの大きな建物があるんだ。死んじゃうとみんなここに来るのかな、いやそうじゃないか、サンタクロースみたいなあごひげのおっかない大王が玄関にいたからね、前世で悪いことをすると入れてくれないのかもしれないね、だって中にいる連中は人間も猫もおかしなのはいなかったからさ。とすると、きっといま僕がいるここが天国ってやつなんだよ。居心地は悪くないよ、みんなと話せるから退屈もしないしね。見まわすと、入った左の奥のほうにけっこう長い行列ができて何やら話し声がするんだよ。耳をすますと、「君は次は何に生まれ変わりたいんだ」なんて言ってる。見るとその人はあの阿弥陀如来さんだ、面白いったらありゃしない。ははあ、じゃあ僕は次は人間でお願いしますって言ってやろうと思ったよ。
そんなの噓だっていわれるだろうね。だってまだ生きてればね、死ぬと魂がどうなるか、シャバの肉体を離れてどんなに自由に飛び回れて、軽々とどこにでも瞬間に行けちまうか知らないもんな。もちろん僕だって知らなかったさ、でも実際ここに来てみるとすごいんだよ。移動だけじゃないよ、しゃべったことはもちろんだけど、頭に浮かべたこと、考えただけのことでも全部文字に記録できちゃうんだ。こりゃ驚いたね。何語かって?天国だもんなんだってありだよ、日本語だってロシア語だってアフリカ語だってね、もちろんおんなじ流れで猫語や犬語だってある。だから僕のしゃべった猫語が日本語に翻訳されてこうやって発信されてるってわけなんだ。シャバにはまだないと思うけど、いずれ出てくるね、これ量子翻訳機とかいうらしいから覚えといたほうがいいかもしれないな。ドラえもんが動物と話せたのはたぶんこれだよね。まあ難しいことはよくわかんないけどさ、とにかくそれを念じて地球に送ればいいんだよ、そうするとAIがサーバーに取り込んでパソコンに文字が出てくるって仕組みだ。それがこの文章で、あなたはそれをいま読んでるわけだ。
まあずっとノラのまんまだったらこういう芸当は出来なかったんじゃないかと思うね。主人の家でも人の出入りの多いリビングルームにずっといたんでね、5年間ほんとにいろんなことを見聞きしたんだ。大雨で地下室が水浸しになって大騒ぎになって住宅会社やオーディオ会社や保険会社やいろんな人が出入りしてすったもんだになったり、ややこしい商談が大声で議論されたりもしてたなあ。正月は必ずここでお決まりの大阪の料亭のおせちをみんなで食べるんだ。いい雰囲気でね、亡くなった主人のお父さんも毎年来てたよ。 そうそう、いっとき主人は毎日のように夜中に2時間ぐらい借りてきたサスペンスドラマのビデオ見ててね、人間界のあれこれを見聞きしたし夜食のおすそ分けにもあずかったからこれはなかなかいい習性だったと評価してるよ。どう考えてもくだらない内容なんだけどこれがストレス解消だったんだろう、そんなこんなをじっくり観察させてもらったから、人間界がどんな道理でどういう風に動いているか、いい奴も悪い奴もまともな奴もクズみたいなのもいるってことがよくわかっちまったわけだ。
とにかく主人の夜型は筋金入りなんだ。きくところによるとちょっと低血圧気味で、物心ついた頃から朝は弱かったらしい。だけど夜型だけって単純な話じゃないな、これは。だって行動様式から性格から考え方まで、彼は人間というよりまるで大きな猫なんだな。それは奥さんも認めてるんだ。ちなみに彼にとって僕は9匹目でさ、初めてのは小さい時にいたチコっていう名の、やっぱりオスの黒猫だったようだ。そりゃ5、6歳の頃から猫と一緒に育ってりゃあそうなるよね。だから僕が何を考えてるか完璧にわかってる。結構手ごわいよ。チュールで気を引こうなんて素人っぽいことはしないんだ、とにかくいっしょに遊ぶ。遊ぶだけさ、それだけで猫と付き合えるって自信あるんだよね、なかなかハードボイルドさ。ヒモの先にトンボとか鳥がついてるおもちゃなんかをシュシュってね、それが憎たらしいほどうまくて絶対に捕まらない。そうなるとこっちだってプライドあるよ、よーしって燃えるじゃないか。ある日のこと、お手合わせして軽々とトンボをつかまえてやったさ、そうしたら、忘れもしない、そこで彼が叫んだんだ。「すごい!フクは俺が今までやった中で一番手ごわい」ってね。彼は猫が120匹いて人は10人ぐらいしかいない有名な猫島に行ってる。愛媛県の青島っていったっけ、とにかくそこで片っ端から猫と勝負してるその道の達人なんだ。でもさ、人間界でそんなものに価値を認める人なんていないから笑っちゃうよね。彼はそういう価値観で生きてる人じゃないんだ。猫はわかるさ。間違いなくおぬしやるなって一目置くさ。だからその彼が認めてくれたってのは僕にとって勲章でね、これはうれしかったね。
言っておくけど普通の猫はその手のことで感動なんかしないよ、でも僕も普通の猫とは価値観が違うってことさ。変わり者同士で同類だねって、これってすごく絆を強めるんだよね、だから嬉しくなっちゃってさ、主人が飯を食ってる椅子の脇でもう恥も外聞もなく思いっきり腹を出してコロンコロンしちまったよ。いい雄猫がみっともないって思う保守派の人もいるだろうけど、とんでもないよ、ちゃんと伏線があるんだ。主人が座ってる椅子の下を気付かれないようにそーっと歩いてさ、太ももの裏をしっぽをぴんと立てて軽くポンポンってやっていくんだ。僕だよ、ここにいるよってね。喜び全開で見境いもなく飼い主の体によじのぼっちまう犬どもとはそこが違うってもんだ。この奥ゆかしさは自分も猫である主人にはちゃんと通じるんだね、すごいことじゃないかな。わかってくれてるって事を僕もわかる。感動するじゃないか。猫も人もないよ、心が通じる瞬間ってこういうもんなんだよな。
そういやあ主人にとってオスは最初の黒猫と僕だけだ。来たばっかりの時、先住のブチのメスが魅力的なもんでちょっかい出しちまって騒ぎになってね、そうしたらさっそくね、あっさりとさ、まるでディズニーランド来たらミッキーの帽子かぶりましょぐらいの軽いタッチと自然さでもってね、奥さんと娘に病院に連れ込まれて去勢されちまったのよ。まいったね。ところがそれを知った主人ときたら、大いに落胆し、まるで我がことのように同情してるんだ。あれは忘れないね、言い放ってくれたよ、これは男しかわかんねえんだ、何が楽しくて生きてったらいいんだ、かわいそうに!ってね。でも去勢はメス猫もみんなやってるしな、そこらへんは時節柄ジェンダーってのを考えて発言しなきゃいけなかったかもしれないね。でも、男しかわかんねえんだって、あの言いっぷりは重みがあった、うれしかったよ。主人はね、たぶん自分がそうやって自然児で育ったんだ。男はちんまり育つのが嫌いなんだ。ちょっとぐらいのことはいいからどんどん外に出てって思いっきりやって来いってタイプなんだよ。だからいちど僕をベランダに出して、べつに逃げる気はなかったんだけど、そこから冒険して1階に降りてみたら道に迷っちまってね、フクがいない!行方不明になった!って家中が蜂の巣をつついたみたいな大騒ぎになった。もともとノラだったんだからね、僕みたいな男盛りが部屋の中にネコカフェみたいに閉じ込められて一生を過ごすって、そんなのが本当に幸せなのかどうかってことを主人は考えていたに相違ない。それでもエサが出りゃいいって主義の猫は帰ってくるよ、でも、そこは本人の選択だ。主人はあくまで自然児なんだ。去勢のこともそうだけどね、親からもらったまんま、生まれたまんまの姿で自分のやりたいように生きていったらいいっていうね。
結局、僕は数日してチラシを見た人に通報されて家に戻ったよ。 2件ぐらい先のお宅の裏庭にいたんだ。みんな涙流して喜んでたけど、主人だけは犯人扱いで家の中で四面楚歌さ。非難ごうごうの目にあったんだ。でも、もしあそこで僕がノラの道を選んでたら、たぶんもっと早く死んじまったんじゃないかとは思うよ。それを主人が望んだはずはないからね、やっぱり帰って良かったことになるんじゃないか。人生哲学って人間はいうけど、猫にだって哲学はあるからね。僕の臨終の時に、たぶん主人は、ネコカフェの人生を送らせてしまった、フクごめんな何もできなくて悪かったなと、悔やしくて悔しくて泣いてたと思うんだ。でも僕が選ばなかったんだからそんなことはないさ。四匹のメス猫に対してもそういう葛藤があるのかなって考えたことはあるけどね、これは主人に聞いてみないと何とも言えないが、たぶんないと僕は思ってるんだ。だって彼女たちはノラじゃ生きていけないからね、主人は彼女たちも大好きなんだ、僕と同じぐらいね。じゃあ何で僕にだけって、そりゃあ言うまでもないさ、男しかわかんねえんだって、それだろうね。
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