Sonar Members Club No.1

カテゴリー: クラシック音楽

田部京子のシューベルト

2026 APR 4 13:13:15 pm by 東 賢太郎

昨年からブラームスのドイツレクイエムに没頭し、後期のピアノ曲を味わい、先日ブログにしたインテルメッツォ作品118の2は鋭意練習中である。といって、素人の分際であるからご披露できる代物になることなどないだろうが、ピアノを弾いていると何にもまして集中でき雑念とおさらばできる。こういうのを精神衛生上よいというのだろうが、その点きわめて鈍感である僕は精神衛生が悪かったという記憶があまりなく、平穏に過ごしたいわけでもなく、この世のものと思われないほど美しいものに接し、それが自分の指先から流れ出る贅沢というのは何物にも代えがたいというだけのことだ。

作品118の2は弾き終えてもずっと頭に残り、ひと晩寝て起きると、エルガーのニムロッドに姿を変えていたりする。僕には時々あることだが、睡眠中に、無意識が記憶のプールの中から似たものを検索して拾ってきたのだ。可笑しなものだが、それを覚醒してる意識のほうが、なるほど、ちょっと似てるねとまるで他人に教わったように受け止めるのだ。たしかに、これがまた何といい曲だろうという感嘆を伴って。

それほど難しくはない。あの日に母を見送ったこれを、できればいちど教会のオルガンで弾いてみたいものだ。

暗譜してしまったのはシューベルト即興曲集 第3番 D 899 Op.90-3 変ト長調だ。彼の晩年の作品は地獄の深淵を覗くものを秘めているが、これもそのひとつだ。しかし、それあるゆえに、夢うつつのような主部の天上的な美しさは尋常ではなく、生きていることがいかなる奇跡であるかを教えてくれる。いたたまれぬ精神の中からこれを紡ぎ出して人類に与えてくれたシューベルトの魂が32年で燃え尽きてしまった不条理は、キリスト教徒ならイエスの死に喩えることさえできるのではないか。我々日本人としては、深い含蓄に富む日本語である有り難きこと、すなわち、魂の真底からの感謝を捧げる格別のものという感興がいつも浮遊している。彼の音楽というものは、単に楽譜を真摯に読み込んで音にしましたというものは歌曲であれ交響曲であれ心の奥底には響かないという意味で誰のものとも異なっている。

シューベルトと言えば、田部京子さんを思い出す。ドイツ時代にお会いし、ご自身がその前年に録音されたピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960のCDを家に送ってくださった。当時、 39歳だった僕はまだこの深淵な作品の真髄に触れるには若すぎ、その後何人ものピアニストの演奏でやっとそこに近づいたのである。先日、このCDを取り出してみて、 27歳でこの演奏を成し遂げた彼女の才能に今更ながら賛辞を送るしかなく、 32年も経ってこれを書いている自分の音楽的成熟の牛歩の如き遅さが嫌になる。東京芸大付属高校在学中に第53回日本音楽コンクールに最年少優勝、芸大を経てベルリン芸術大学および同大学院を首席卒業という経歴からして不思議なことではないのか、その世界の事情は計りようがないが、たおやかな神経の通った内省的なタッチがまさにシューベルトである。即興曲を弾いてみたことで、死を間近にした彼が言いたかったことが見えるようになり、やっと感知できたことだ。

即興曲と同様にこのソナタにも暗く淀む低音のトリルが出てくる。不吉な軋りの短2度も出てくる。これらをどう読み、どう扱うかはその人の至ってプライベートな感性による秘匿された領域に属するのであり、同時代人であるが形式論理から大きな逸脱は許されないベートーベンのソナタと比べることができず、といって、ロマン派であるシューマンやブラームスの方が自由度が高いというわけでもないという、音楽史の時系列から見て非常に個性的な世界観の中に聳え立つ孤高の傑作群のひとつである。つまり、超絶技巧を持ついかなる高名なピアニストといえどもシューベルトのいくつかの作品はふれない方が無難なのであり、この特質は時代ではなく人間の本質に根ざしているからおそらく永遠に変わることはなく、他のジャンルの音楽と交配することもなく、クラシックと呼ばれる檻に囲まれた中でもまた特別であるひとつの領域に収まり続けるであろう。

皮肉なものだが、これほど本質的なものがやがて来るロマン派という豊穣の波に押し隠され、半世紀以上も忘れられてしまう。後期ピアノソナタはブラームスの時代は一般的なレパートリーではなく、そうなったのは20世紀のシュナーベルやケンプの時代からといっていい。シューベルトはその意味で孤高ではあったが、人間というものの皮相な軽薄さを映し出す鏡でもあったことの方がいっそう重要である。僕は一部の著名なクラシックのメロディがポップス化することに否定的な人間だ。それは保守的な思想からくる来る品格などの高邁な意識からではない。聴衆の頭数を一時的に増やすかもしれないが、同時に、音楽の本質を知る流儀を徐々に後退させ、結局は本物の聴衆の数を減らしてしまうからだ。数学がとっつきにくいという理由で文科省が円周率3.14を3にしたところがかえって数学の平均点を下げたという間抜けな現象がそれを象徴している。いくら取り込んだところでポップはポップでしかない。シューベルトという人はもしかしてそれを望んだのかと思わないでもないが、病魔に阻まれてそうなれなかった。だからこそあの音楽が生まれたのである。若い頃は社交的であったベートーベンその人がまさにその典型である。シューベルトが彼を師と仰いだのは音楽性の領域からというよりもむしろそのためだろうと考えるのは、たとえばピアノ・ソナタ 第18番ト長調D.894の第2楽章に師のソナタ18番の冒頭が、第3楽章には悲愴ソナタの終楽章がオマージュのようにひっそりと、しかしそれを知る者にははっきりと現れる、僕はそれが彼の共感の根源であり、そこにシューベルトの音楽の本質があることを暗に示唆していると感じるからだ。

田部は暗部を無用におどろおどろしくなく、全てを悟った諦念のごとく響かせ、それでも生きられるかもしれない灯火への命の希求を澄み切った空に解き放つ。ただ、そのことは珍しい事ではない。近世の理性・個人・科学を重視し後期ロマン派の洗礼を受けてからのシューベルト像、すなわち、本人はつとめて悲しみも怒りもあきらめてもいない風を装うのだが、指先から抑えきれず流れ出てしまう陰惨な運命への慄き、慟哭に聴く者は深い悲しみを覚えて心を揺さぶられるというナラティブで解釈するピアニストはいちいち指摘するまでもなく数多いるのである。端的に言おう、スピロヘータが梅毒の因で治癒できることを知る我々と、なに故に体中に不気味な斑点が現れるのかすら知る由もないシューベルトの戦慄は似て非なるものだ。例えばCDが出た時に話題となったアファナシエフだが、ここまで病魔の姿を抉り出すと僕はシューベルトの肉声とは異質なものを観てしまう。あれは肉体の奥底から響いてくる黄泉の声への本能のおののきであって、その姿は見えず、あれ俺は何を恐れているのだろうという自らの声なのだ。

田部の演奏が今も新鮮なのは、おそらくナラティブからやや距離を置き、純粋に、自らの心の耳で聴き取った音を磨き抜くことで、期せずしてナイーブなシューベルトの肉声に寄り添っているからだ。そしてソナタのフォルムは実に美しく守られている。ユーチューブのインタビューだったか、彼女はシューベルトの音は天から降ってくるという意味のことを述べていたが、まさに、いわば実証主義的に、それに耳をすまして聴き入る沈黙のプロセスがあったように感じる。ベートーベンという人は、そうして聞き取った天の音を彼一流の建築的構造物に仕立て上げ、我々はそれを見上げて息をのむという鑑賞になるが、シューベルトは徹頭徹尾、歌の人であり、交響曲であれソナタであれ形式論理の入れ物に盛り込んでもそれはあまり本質ではない。といって壊してもいけない。その微妙で繊細なバランスの中に陰と陽のもう1つのバランスを入れ込まなくてはいけないという条件を満たす所に高い集中力をもって立ってこそ満足な演奏が生まれるのである。田部がそういう意識を持っているかどうかは存じないが、結果として、それは達成されている。前述のようにそれは極めてプライベートな感性の領域における産物であり、教えたり教わったりというものではなく、老成すればできるというものでもない。できる人だけがシューベルト弾きと言われる、定義するならそういう性質のものである。

イリアーヌ・イリアス 『夢そよぐ風』

2026 MAR 31 7:07:27 am by 東 賢太郎

たった一度しか行ってないのに脳髄に衝撃を受けて人格まで変えたかと思われる国があります。ブラジルです。 いちぶ始終はといわれても夢のようで細かいことはあんまり覚えてません(2016年のブログにある程度書いてます)。

リオデジャネイロまでバンクーバー経由で24時間。タクシーで着いた宿はシーザーパレスと書いてますが、AIで調べるとCaesar Park Rio de Janeiroだったようで、あの「イパネマの娘」のイパネマビーチに面してる高層のホテルでした。

ビーチに出るとトップレスの女の子が100人か200人かどわーっといて目が点になります。きいてみるとカー二バルの前の週だったんですね、国中から女の子が集まってたらしく、あんな絶景、人生でそう拝めるもんじゃない。今となるとあれはコパカバーナビーチだったかな、どっちかな、まだ36歳でしたからね、僕も連れの後輩も絶句してしまいましてね、ホワンとした記憶しかないんです。

このホワンは「イパネマの娘」のサビのふわふわ感みたいです。ちょっといかれてるけどセクシーな、心のもやもやを優しく癒してくれるボサノバのあの魅惑的なコードはこういう土地からじゃないと出てこない。なんせ2月でしたからね、前の日までスーツで底冷えのする大手町歩いてたんですから目が覚めたら乙姫様の真夏の極楽にいましたってなもんで、同じ惑星の出来事とは思えません。地球の裏側まで一気に飛んでこういう経験された方はわかって頂けるでしょう。

こっちが接待されたんですね、ディナーの後はナイトクラブに連れていかれて、ブラジルの夜は長いことを知りました。当時インフレは300%と経済はボロボロで、アメリカ人が「ブラジルの経済は夜成長する」とジョークネタにしてましたからね。食事は何だったか覚えてませんからいまいちだったんでしょう。ナイトクラブのブラスとパーカッションがバリバリのラテンバンドは迫力満点で、音楽がどうのというより空気を変えちまう。 音楽は耳じゃなく体で味わう。直撃する心地よさというか、いやあいいな、ずっと浸っていたいなという快感です。

そこがどんな感じだったか、どこかに書いたなと思ってましたが意外なところにありました。

R・シュトラウス 歌劇「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」

酒が弱いのは損ですね、綺麗な子に囲まれてたのにすっかり酔っぱらっちまってぷっつんです。そうそう、彼女たちはポルトガル語オンリーで英語も通じないんでどうにもなりませんわね。とにかく竜宮城の浦島太郎状態。ブラジルの男を嫉妬しましたね、同じ人生なら金も名誉もいらねえや、こっちの方が断然いいなと確信したものです。まあニューヨークもパリもこういうとこはありますからね、日本の男は残業は減ったかもしれないけどド真面目に生きてますよね、ホント、小学校から塾通って受験受験で遊びを知らず、社会に出たからって生き様はそう変わりませんわね。僕は大いに遊んじゃった部類ですが、それでもブラジルで目が点でしたからね、若い男性の皆さんは30代までに世界の野郎どもを見て回って男を磨いた方がいいですね。

サンパウロはまあまあ、ブラジリアはいまいちでしたね。まあ役所はそっちなんで仕事だから仕方ないんですが普通の真面目な都市でした。カーニバル直前のリオのど迫力は格別に凄まじく、そこで自分のラテン的な気質に目覚めたんです。革命でしたね。この翌年にドイツに赴任することになりましたが、ヨーロッパではフランスも好きだけどイタリア、スペイン、ポルトガルはもっとラテンが濃いんで惹かれてまして、欧州滞在中に何回も行きましたしね、女性もブリュンヒルデよりもカルメンやヴィオレッタみたいなほうがいいですね。

以前にも書きましたがイリアーヌ・イリアスさんが好きなんで、疲れたとき癒しにきいてます。これはボサノバなのかジャズなのか知りませんが、ボサノバテーストはありますね。特に変わったことは起きないんですが、おしゃれで品格があって心のひだに寄り添って心地よい、誠に上質なエンターテインメントですね、浸っていると本当に自分はボサノバが好きなんだなあと思い知ります。脳髄に衝撃を受けてますからね。

アルバム『夢そよぐ風』(Dreamer)です。

この人の声、なんとなく母に似てる気がします。何度きいても素敵です。

ブラームス 「6つの小品」から間奏曲イ長調 Op.118-2

2026 MAR 19 21:21:36 pm by 東 賢太郎

1896年5月クララの葬儀後

時は1893年。チャイコフスキーの悲愴、ドヴォルザークの新世界が初演された年だ。次々と知人が世を去って気落ちしていた61歳のブラームスは「6つの小品」というそっけない名称の曲集を編み、クララに献呈した。そして「小さな作品の中に驚くほど豊かな感情が詰まっている」と賞賛の手紙をもらうのである。そしてクララは3年後に世を去り、次の年に彼も後を追った。写真のブラームスより8歳も年上であることにいささかのショックを受けている今日この頃だが、年の功と言うありがたい言葉もあって、クララが褒めた作品に見逃していた多くのことに気づき、ついにこれから述べるある確信に至ったのである。

それが「6つの小品」の間奏曲イ長調Op.118-2だ。Andante teneramente(歩くような速さで、愛情を持って優しく)と曲頭に記され、僕も愛情を抱いた。というより、どうしてこの曲が心に染み渡って感動を残すのだろうということが長年気になっていた。AIはまだこの手の疑問は解決してくれない。それなら自分で弾いてみるしかないということになり、終結の1つ前の小節で現れる、低いミに乗った D の和音がその一因ということをつきとめた。そしてそれがシューマンの「トロイメライ」の最後の小節にある、ドに乗った Gm に似ていることも気づいた。両者は並行調という違いこそあれ、ドミナントを経てトニックに解決する機能と効果は同じだ。何の得にもならないこういうことをするのは僕の抜き差しならない習性だ。幼稚園のとき、お絵かきで茶碗か何かを茶色に塗ったらきれいな緑色ねと先生に言われ、以来、何事も自分の手で実証しないと信じられなくなった。最近になってそういうのを実証主義ということを知ったが、そんな大層なものではなくひねくれ者になっただけだ。

40歳のクララ

トロイメライ(夢)なら「愛情を持って」という標語になじむだろう。5,6分の小品にdolceが6個、espress.が4個もあるのも尋常でないが許されるだろう。胸に秘めたクララとの大切な思い出を老境の眼で俯瞰した回顧録のようなもので、しかし、それはセピア色の写真ではなく穏やかな原色を留めており、間奏曲(Intermezzo)という曖昧なジャンル、他作品と混ぜた曲集としてカムフラージュしたが、実は渾身の作品であって、世間に公にし歴史に残すことになる初めての(そして最後になるであろう)「赤裸々なラブレター」であったと解釈しても大きく外れてはいないのではないかと考えるに至ったのである。

この曲がクララへの愛を込めたプレゼントだと考える人は数多おられるが、 61歳の還暦の爺さんが74歳の婦人に満を持してそんなものを贈る意味がどこにあろう。誕生日は毎年あるし、何かのお祝いやお礼ならここまで感情が込められるのも不自然だ。可能性があるとすると、1890年、57歳になり意欲の衰えを感じ作曲を断念しようと決心して遺書を書き、手稿を整理し始めたことだ。その過程でクララを思い出し、ふたりだけが知る「共に過ごした時間」の回顧録として書いたのではないかと思うのだ。それにしてもなぜその時にという疑問は残るがそれはわかっていない。何か大きな動機があったが、「愛を込めたプレゼント」ぐらいでぼかしてもらわなくてはいけないものだったのだろう。ラブレターと書いたが、それは虚飾も含めて相手に好いてもらう目的の書簡であり、もう虚飾はいらないふたりである。ほら、あの時こういうことがあったよねで充分なのだ。語っているうちに熱くなるのが押さえられなくなるとリタルダンドして鎮める。そのいじらしいほどの起伏のいちいちを譜面から感じ取ってクララは「驚くほど豊かな感情が」と精一杯に控えめな賛辞を返したのである。なんという素敵な大人たちだろう。

音楽はミレファーの凹型音型で、憧れを湛えつつひっそりと開始する。本稿はこれが「クララ」であろうという仮説に立つ。一方、シューマンが「クララ」に比定したとされるピアノ協奏曲イ短調の冒頭主題ミーレードドー(C-H-A-A)においては、シューマンのお遊びによって彼女はダヴィッド同盟員キアリーナ(Chiarina)なのだ。そんな稚気に付き合ってくれる懐の深い、しかも美人で天才ピアニストである女性に2人の男が夢中になったのを僕はとてもよく分かる気がする。ブラームスは3/4拍子の3拍目に「クラ」がくる「弱起」で入る(シューマンは1拍目の「強起」)。そして二度目の「クララ」(ミレドー)はバスから4オクターブ離れたドに、万感をこめ高々と7度飛翔する(2-3小節目)。これはアナグラムの類ではなく彼女への「呼びかけ」であって8回繰り返す。歌ってみれば深い愛情がこもっている。ちなみに僕は昔の猫たちの名前で歌っている。

第4小節からは少し登っては元に引き戻される凸型(山型)の音型を延々と続ける。むなしく、力なく、満ち足りず、それでもまた登る。哀感と心の痛みが仄かに色調を変えていく様はこの曲の醍醐味であり人気の所以だろう。たくさんの表情を伝える標語が小節間の「その箇所」に挿入され気分の移ろいを象徴するが、ブラームスはテンポ変化ひとつとってもその指示に「エコノミー」な性格の人物で、大概の作品はそれをせずとも音楽で語るのが通例だ。Op.118-2はそれを必要としていること自体が異質な作品であることを物語っている。

顕著なのがハ長調に転じてからだ。ソプラノにシューマンPC冒頭の付点音符付きリズム(クララ)が現れると弱起が強起に転じ、legatoになり、後期ロマン派風の和声を伴って再びクララ、クララ・・の「呼びかけ」の凹型音型で熱を帯びて3回駆け登ってゆき、4回目のシューマンPC再現とともにフォルテで強拍の頂点で爆発するが、急にしぼんで下降音型のespress.(感情をこめて)となり、ミレファー(クララ)の呼びかけは隠れるように低音部に移行し(ニ長調)、次いでdim.で音量を落としつつ薄暗いニ短調に転じ、calando(遅く弱く沈んで)で静まるのである。ここまで、低音部のクララは4回繰り返して蠢く。お気づきになる方はいらっしゃるだろうかこの部分は、非常に意味深長である(トリスタン前奏曲を想起)。すると、不意に、ソプラノにシドラーの凸型音型が天使の声のような dolce(甘く)で現れ、教会の天窓に陽光が差しこんだような救済がやってくる(これはクララへの呼びかけの “鏡像” だ)。そしてそれをF#m-D-Bmと予定調和的コード進行が伴奏してうたかたの心の安楽に向かうが、cresc.um poco animato(より強く、やや活気を持って)のこの音型は弱起に戻っており、二度現れるシューマンPC(クララ)リズムで強起に戻り、テンポは止まるようなlentoに落ち、A-B-A形式の最初のAをイ長調で静かに終える。

嬰ハ音を引っ張って続くBは三層構造となっており、クララは一度も現れない。平行調(嬰へ短調)でメランコリックな凸型音型の旋律が喪失の悲しみを切々と歌い、旋律の1拍2分割と伴奏の3分割が交差(ラフマニノフPC2番Mov2の書法を想起)して葛藤に苛まれ、やがて減速して沈静するとpiù lento(今までより遅く、弱音ペダル)で嬰ヘ長調の夢見るようなlegatoとなる。あたりまえの強起3拍子で一時の安らぎを見せるが長くは続かず、減速して pp になると葛藤の音型が影のようによぎり、さらに減速してフェルマータで嬰ハの7の和音にて夢は休止する。すると元のテンポで3声部対位法によるメランコリー旋律が中声部、上声部の順で現れ嵐のような激情となり、メンデルスゾーンの「ヴェネツィアの舟歌」を思わせる葛藤が狂おし気に熱を帯び、やがて諦観に似た dolce の和音に鎮まる。そして曲頭に戻り、最初の部分に少々の変奏を加えたAが繰り返され、深い感動とともに静かに消える。

 

ジュリアス・カッチェン(pf)

近年、ロマンティックに傾くあまり甘さに陥ってしまう演奏が増えている。あくまでブラームスの音楽である。アンコールに弾くならそれもいいが、 6つの小品というフレームに納めた意図は一定の節度と慎ましさを示唆しており、そうであるからdolceが6個、espress.が4個も書き込まれる必要があったのだ。カッチェンは日本ではブラームスのスペシャリストの扱いで技巧派のふれ込みであったが、多分にレコードを売らんとする空疎なセールスピッチの影響であって、そういう人はブラームスのスペシャリストにならないし、技巧派だからそうなれるわけでもないという2つの点において的外れな看板である。モスクワとワルシャワの音楽院教授だった祖父母から高度なメカニックを授かった、研ぎ澄まされた感性を持つ哲学者(ハバフォード大学哲学科を3年で首席卒業)と言うべきだろう。ユダヤ系であるとともにそうした資質の持ち主だからブラームスの音楽に引きこまれたと考えるなら何の違和感もない。

 

ペーター・レーゼル(pf)

終戦の年にドレスデンで生まれ、ドレスデン音楽大学を経てソ連にわたってレフ・オボーリンに師事したレーゼルがドイツ・シャルプラッテン(DS)に1972-1973年に録音したOp.118は第5曲が絶品である。是非全曲をお聴きいただきたい。西側レーベルに登場のなかった旧東独の音楽家はクルト・マズアら少数を除いて欧米で知名度がなく、DSが消えて音源が西側に売られ廉価盤で出たためアーティストまでそのイメージの影響を受けたことは否定できない。まったくのお門違いというしかない。第2曲の鎮静した佇まいは実に素晴らしく、必要最小限の情感を加えて音楽を呼吸させ、ブラームスの意図を格調高く紡ぎ出すさまがドレスデン・ルカ教会の音響に乗って伝わってくる。至福の時だ。

 

ウイルヘルム・バックハウス(pf)

やや速めに聞こえる。楽譜を見ていると、しかし、ブラームス自身もこのぐらいのテンポだったかと思えてくる。ハ長調、ヘ長調で色調が変わり、クララ、クララ・・の駆け登りに切迫感があらわれ、低音部になったクララの蠢きがニ短調に辿り着く心の道筋にも気づく。Bのテンポも速めで焦燥と哀訴があるが、嬰ヘ長調でぐっと歩みが落ち、大きな段差に気づく。クララと2人で森を歩く桃源郷にやって来たのだ。全曲の重心がここに置かれていることを知る。そして曲尾の p は強めに弾いている。この曲には一貫している特有の語感のようなものがあって、メロディーが高音にポンと放たれると一瞬とどまって間をとって降りてくる。まるで真上に投げたボールが空中でしばし止まるように。バックハウスを聴いているとそれがうまく決まらないと様にならないことが分かるのだから、おそらく作曲者もそう弾いていたのではないかという説得力を感じる。この人にはベートーベンならベートーべンのそれがある。1884年生まれのピアニストの録音が良い音で残っている。何とありがたいことだろう。ブラームスその人からキャンディーをもらった子の演奏に畏敬すべきものがたくさんあるとすれば、これからのピアニストは温故知新という言葉をじっくりとかみしめたらいい。

 

ピョートル・アンデルシェフスキ(pf)

もう一人、どうしても挙げねばならない。昨年11月27日にサントリーホールの読響定期でアンコールにこれを弾いたポーランドのこの人だ。当日はあまりの素晴らしさに言葉もなく、自分で弾こうというきっかけになったのだから大層なインパクトをいただいた(読響定期 アンデルシェフスキに感動)。いま思い起こしても白昼夢のようで、演奏会でこういう印象が残ったことはかつてないのではないか。「天使の声のような」と本稿にしたためた dolce、嬰ヘ長調のこれしかないだろうというテンポ、Aに戻るしびれるほど絶妙な間、そしてトロイメライのDの根っこのミが pp だが深々ときこえる。バックハウスより1分も長いが、ここにはまさしく新しいブラームスが生まれている。

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マタイ受難曲におけるバッハ雑感

2026 MAR 8 8:08:18 am by 東 賢太郎

まずは本稿のきっかけとなった読響第656回定期演奏会への所感を述べる。

2026 3. 5〈木〉 19:00  サントリーホール

指揮=鈴木優人
福音史家(テノール)=ザッカリー・ワイルダー
イエス(バス)=ドミニク・ヴェルナー
ソプラノ=森麻季
カウンターテナー=クリント・ファン・デア・リンデ
合唱=バッハ・コレギウム・ジャパン
児童合唱=東京少年少女合唱隊

鈴木優人によるこれがききたくて定期を買ったといって過言ではない。結果はその甲斐があった。メンデルスゾーン版は初めて。通奏低音はなんとチェロとコントラバスのソロが和弦で奏し、オルガンは音色を加えバスの効果も良かった。木管群の音色がまったく目新しい。左右に分離した合唱と管弦楽の位相も効果的であり、解説によるとバッハはSt.トーマス教会の左翼バルコニーにそれを配し、右翼にコラール用の小合唱を乗せ3チャンネル・サウンドにしたようだがその意図が明確に出たかもしれない。この配置、音色ならではの人数で引き締まった合唱が活き、緊密なアンサンブルによる新鮮なマタイを聴かせていただき感謝しかない。今回が今期最終回になったが、全て聴きごたえがあった。来季も継続させていただく。

さてここからはマタイ受難曲への雑感である。まず断言するが、これが人類史上指折りの大名曲であることは疑いもない。僕はカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ合唱団の1958年のアルヒーフ録音が入門だがこれは当時のスタンダードであったからそうなっただけで、贅沢は承知だが、男性陣は文句なしに素晴らしいのものの女性の方がバッハとしては今ひとつ趣味に合わない。リヒター恐るべしと思ったのはこれでなくロ短調ミサだ。冒頭の一撃でのけぞった。その印象のままマタイに入ったものだから、性格の異なるこの曲の真価にたどり着くのに時間を要した。ミサと違い、ここには福音史家の語る人間の汚さおぞましさを浮き彫りにしたストーリーがあるが聖書世界の知識が欠けていた。なじみのない方はまずそれを理解しておくのが入門の第一歩であり、要点を簡略に記しておこう。

この曲のストーリーをひとことで言えば、「事実上の冤罪事件」である。イエス・キリストの刑死はA.D.30年ごろで実話だ。ローマ皇帝は初代元首アウグストゥスの養子ティベリウスで、カエサル暗殺から74年後でしかなく史実として残っていて不思議はないが、皇帝と違いイエスはまだ表舞台の要衝にある人物でなかったから子細な部分の確証は無い。死刑執行したポンティウス・ピラトゥス(ピラトとも)はローマ帝国のユダヤ属州の総督で、現代日本なら県知事というところである。ユダヤ王を称した咎でキリストの死刑を欲したのはしかしユダヤの民であり、弟子のユダが裏切り、ユダヤ法では死刑にできないためローマ法でピラトゥスが裁けとなったのである。ピラトゥスは有罪を確信してはおらずその葛藤の場面を見ると、メディアがたきつけて誘導した世論が軍部を無謀な対米英戦へと突き進ませた昭和16年を思い出さずにはいられない。

ちなみに、そこでイエスが12人の使徒と共にしたのが「最後の晩餐」である。これも人類史上指折りの名画であるレオナルド・ダ・ヴィンチの絵はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれており、そこからまた奥に壁があるこの風景はそこに立ってみるといささかトリッキーであり、科学者でもあったダ・ヴィンチらしいなと合点が行くのだ。

欧米の大都市をうろついて、美術の教科書に載っているような世界中の名画というものはほとんど観てきたが悲しかなたいていは忘れてる。建築はもとより絵画や彫刻というものはただ知ってる程度でそこに立ってみてもだめなのだ。これがモナリザか、ゲルニカか、ヴィーナスの誕生かで済んできてしまった。ところが幸い「最後の晩餐」は昨日のようによく覚えているのだ。なぜなら延々長蛇の列を散々並ばされこの場所に行き着いたら、解説のイヤホンは来ないし15分で追い出されるしで係員の女性が不手際であり、ユダの裏切りを知っていたイエスも穏やかじゃなかったろうなと妙にシンクロした気分で眺めたことで格別に記憶に残っているのである。今となるとありがたかったと思っているのだからこれも世の中の不条理であろう。

結局、イエスは抗わず「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉を残して十字架にかかり、天変地異が起きて皆がイエスが神の子だったことを知り、その死をもって民衆が救われるというのが受難の筋立てである。イエスは予言通り3日後に実は復活するのであり、それが新約聖書に基づくキリスト教の最大のイベントなのだが、マタイ受難曲の終了の時点では(聴衆を含めて)誰もそれを知らない事になっている建て付けなのである。しかるに、割り切って考えれば、この裏切りと怒りと冤罪による不条理に満ちた法廷ドラマをもって、この時点で、聴く者の胸を締め付けて涙を流させ悲しみの底に叩き落とすことこそが復活への最大のお膳立てとなる。それがマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの受難曲なるものの位置づけである。

問題は、シュッツやテレマンなど多くの作曲家が受難曲を書いているが、泣かせるという点においてバッハのマタイは出色であることだ。とにかくキリスト教徒でない僕が終わるといつも涙を抑えきれないのだから、ルター派(ルーテル)プロテスタント教会の布教活動においてこの楽曲が甚大なインパクトを有する事は間違いない。ところが現実は、バッハの死後、約1世紀にわたって演奏されることなく世間から忘れ去られていたのである。 弱冠20歳のメンデルスゾーンがこれを「発掘」した時の気持ちを推察する。彼はユダヤ人だがイエスも死刑を求めた群衆もそうであり、そして、作曲当時の世間は愚衆の集まりだったということなのである。しかし1829年のベルリンでの蘇演はドイツにバッハ熱を呼び覚まし4年間で6ヶ所で上演された。そこでメンデルスゾーンはあらためて改訂を加えたバージョンで、初演の地トーマス教会で演奏を試みたのである。1941年のことだった。

この日もサントリーホールからの帰り道、どうしてこんなに悲しんだろうと考えていた。2時間に及ぶ大曲ではあるが、技法的には簡素なバロック音楽である。感情の抑揚を和声や大オーケストラの表現力によって自在に喚起できるワーグナーの如きロマン派楽曲ではないのだからという部分に人類史上指折りの大名曲である秘密があるのだ。しかしそれは技法や計略という次元のものではない。キリストの受難物語のことを英語でパッション(passion)というが、この語は情熱、恋情、色情という意味もある。何かを希求する強烈な想いというものである。なぜ同じストーリーを語る福音史家が違うだけのヨハネとマタイがその点において違うのかは、読響の解説によるなら、マタイにおいてはイエスの神性を明確にするため周囲の「人間模様」が色濃く描かれたことにあろう。

すなわち、愚衆、裏切り者、悪代官なる神性なき者どもが神の子を殺し、普通はそこで勧善懲悪の原理が働いて悪がこらしめられてめでたしめでたしで終わるのである。ところが、この物語においては、悪までもが救われてしまうという驚くべき強靭な逆転のロジックが展開され、神の御心の情け深さが強烈に印象づけられる。後世の神学者はユダの裏切りをイエスは知っていながらあえて自分を殺させ、諸人を救済させたのだという説まで唱える。この他利性こそ拝まれる見返りであり、常人にはない文字通りの「有難さ」であり、宗教の本質である。メンデルスゾーンが解説風のチェンバロ伴奏によるレチタティーヴォを排し管弦楽の一様の伴奏でストーリーに流れと一貫性を持たせたのは、オーケストラの流れに「人間模様」を載せてパッションをよりくっきりと浮き彫りにする意図だったのではないかと思われる。

メンデルスゾーンの才能については何度も書いており、彼自身も聖書に影響を受けて作曲した2つの大規模なオラトリオ「パウロ」「エリア」があるがこれはバッハを知ったゆえのものというべきであろう。いかなるものであれ作品というものは創造した者の仮の姿である。その人物の精神肉体のありようがそうであるから、そうした作品が生み出されるのである。トートロジーに聞こえようが、モーツァルトはきっと彼の作品のような人であり、ブルックナーもバルトークもポール・マッカートニーも、ワーグナーもバッハも、またそうなのだ。

ドラマで言うなら大河ドラマばかりのワーグナーはどういう人物だったろう。台本から音楽から劇場まで俺様の物を創ってしまうあの唯我独尊で無尽蔵であるエネルギーはどこから出てきたのだろう。作曲家に男として多情系、多産系の人は少なく生涯妻子なしの人すら散見されるが、彼は難しい自作を演奏して世の中に広めてくれたハンス・フォン・ビューローという恩人であり自身の信奉者でもある男の女房を寝取って3人も子供を作っている。ニーベルングの指輪という巨大で魁偉な作品はそういう男からしか出てこないと思わせるに十分である。そしてバッハである。2人の夫人に20人子供をもうけたパワーにはこうべを垂れるしかないが、指摘したいのはそのアウトプット力ではない。理詰めで頑固で冷たい男ではなく妻を熱く愛する男であったことだ。彼の作品が数学的だのと理屈を説く人があるが、そういう事も出来る熱い男はいるのであり、バッハもまたそうだという証拠なのである。マタイ受難曲が人類史上指折りの大名曲になったのは、何らかの理由で彼が作曲に全身全霊を投じた人間くさくて止めどもない情動に重たい理由があり、彼の心の強靭な振動が、歌う者、弾く者、聴く者の心を強く打ち震わせるからなのだ。

最後にいくつかの録音の事を少し書いてみる。リヒターが世の中のイチ押しだったころ並び称されていたのがメンゲルベルク盤だ。このようなアプローチの演奏が出てくるのはバッハの作曲における情動がバロックを突き抜けてロマン派とでも言うべき領域に達しているからである。好きな人が多いのは理解するが、ここまでやられると僕はついていけない。ちなみに彼のチャイコフスキーの悲愴も往年のファンには人気だったが、僕はベタベタのポルタメントなど体質的にまったく不適格で第2楽章でドロップアウトしてしまった。

クレンペラーは筆頭におすすめできる。フィッシャー・ディスカウ、ピーター・ピアーズ、エリザベート・シュワルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、ニコライ・ゲッタ、ワルター・ベリーとくれば、現在WBCで戦っている侍ジャパンの先発ラインアップみたいなものである。スタイルとしては最も重厚でシリアスなマタイであり、宗教音楽としては正統派ではないが、バッハが封じ込めた情動そのものが尋常でないのだから僕はこれに些かも違和感を感じない。その理由はクレンペラーのモーツァルトのオペラの稿に書いたことと重なるのでご興味のある方はそちらをお読みいただきたい。

カラヤンはこちらも負けじと当時の彼の歌劇録音のオールスターキャストによるが、徹頭徹尾カラヤン流であることが好悪を分かつ。音楽としての美しさならトップかもしれないが良くも悪くもオペラティックであり、その割にドラマを感じず、どす黒い物が無い。終曲も慟哭ではなくオペラのエンディング風で芝居がかっておりこれではフルートの短2度の軋みが意味を持って聞こえない。申し訳ないがこれは僕は泣けない演奏である。僕は決してアンチカラヤンではなく、ザルツブルグ音楽祭で1983年に聴いた絶美の「ばらの騎士」などもう一生出会えるものでないことを確信する。要はそれとマタイは違う音楽だということに尽きる。

よく取り出すのはヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団のCDだ。 1958年録音のリヒター盤より5年早い1953年のモノラルでスター歌手は皆無。シェルヘンはハンス・ロスバウトと並んで19世紀生まれの現代音楽の泰斗でありピエロ・リュネールをシェーンベルグと共に演奏して回っていた人でありバッハのイメージは薄いかもしれないが、僕は1つのコンサートで両者作品をカップリングしても違和感がない(娘さんによるとシェルヘンはマタイはマーラー7番と組ませるのがふさわしい作品だと述べていた)。バッハは精神的にバロックの縛りを脱しロマン派にワープできた人だったが、シェルヘンはロマン派の縛りを脱し新ウィーン学派の作曲家らと共に道を歩んだ人で、一切の虚飾なく物語の核心を抉った素晴らしい演奏は昨今の形とテクニックだけのピリオド演奏などより数段モダンである。本物の音楽家とはこういうものだ。マタイを愛する方に一聴をお勧めしたい。

(ご参考)

ブラームス4番とマタイ受難曲

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ロンドンのニワトリ女

2026 MAR 5 13:13:57 pm by 東 賢太郎

ロンドンに赴任したころだから1984年のこと。ピカデリーサーカスあたりの繁華街にトサカみたいな頭してつっぱった女がうようよいてね、裏路地でたむろして夜中までタバコだかクスリだかやって危い感じだから道で避けて歩いてたら会社にもいたんだ(笑)。偏見はいけないね。でも、これがロンドンか、あれがパンクか、何でもいいけどすごいとこ来ちゃったなと思ったね(写真は関係ありません)。

僕はビートルズにはズブズブで、アメリカでギター弾いて歌ってたぐらいで、それが解散しちゃって仕方なしにいろんなバンドきいたけどビートルズがスゴすぎてだめ。クラシックに行っちゃってそこでおしまいだったんだよね。だからパンクは一度もきいたためしがないけど「ロック」ってきくと思い出すのはニワトリなんだ。あとは岩って言葉のイメージでローリングストーンズ(石)でね、ファンには申し訳ありませんが全然趣味に合わないんでロックはあの手のつまんないやつってずっと思いこんでた。だからずっと後になって、皆が「ビートルズは最高のロックバンドだ」というんで、最高は結構だけどロックじゃねえだろって反論しちゃったりしてね、ニワトリでも岩でもないっていう意味だったんだけど。

セラピストのYさんに施術して頂きながらそんなアホなことを言ってしまうのは失礼千万だろう。彼女はちょうどその1980年代の人気番組「夜のヒットスタジオ」で常連のハードロックバンドのリードボーカルだったからだ。今も根強いファンがいてライブハウスはいつも満員というから猫に小判とはこのことで、ロックンロール、ハードロック、ヘビメタ、パンクの区別すらついてない僕は勉強させていただくしかない。

「ヘビメタって何ですか?」「とんがった反体制ロックなんです。日本のメッカは神戸です。有名なガールズバンドもあったりで、業界では東京も関西弁がハバきかしてましたよ」「じゃあ高市さん神戸大学だし」「バリバリ世代ですよ、ドラムスだから鋲(びょう)の革ジャンで演奏はド迫力。バイク乗り回すなんて当たり前なぐらい」。そうか、世界中がビックリしたのは女性だドラマーだばかりじゃなかったんだ。反体制が体制の頂点に登ったんだね、そうやって批判したら面白いのに何というか、芸がないというか、左は人間に深みが無いね。

そういやあ思い出しますよ、東大のキャンパスに革靴でベルボトムのジーパンっていうのがいっぱいいてね、まあだいたい田舎の高校の奴なんだけど、お前、気持ちはわかるけどさ、それやめたほうがいいぜって言ってやったもんだ。女性もね、ズタぶくろみたいなカバンぶら下げて教室来てる感じだったしね、ヘビメタのロッカーからすると自民党の田舎大名みたいなデブのおっちゃんとかね、東大生のなれの果ての官僚とかね、まあ、ダサっ!て思ってるんだろうね高市さん、わかりますよ、今流の文武両道カッコいいね。

ちなみに僕はシュープリームズのファンで、あのノリと迫力はロックであって全然いいと思うけどそういう問題じゃないんだね、ギター抱えてドラムスがあるバンドじゃないとそう言わないから形式要件満たしてない、勉強になりました。でもダイアナ・ロスいいですねえ、深夜放送で聴いてたのはおそらくこれでしょう。

この曲、まずドラムが両手スネアと思われる4拍子の軍隊調ド迫力の頭打ちを1・2・3・4と打ちっぱなし、歌とタンバリンは裏打ち*・2・*・4でスイング感が爆烈。高いミ♭で16ビートのタタッタッタタッタタッタタッタと耳鳴りみたいにずっと響いてるギターリフは「太陽にほえろ」のテーマ曲がパクるほど革命的。そして、そこまでワンパターンに聞こえるだけにサビの転調がビックリするんですね、メインが変イ長調(A♭)なのにホ長調(E)の、しかもサブドミナント(A)のmajor7から入るという、こんなの未だ聴いたことなし!キープ・ミー・ハンギング・オン、永遠に新鮮でカッコいい曲だぜ。ライブはこうなってます。なつかしいね。

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僕が聴いた名演奏家たち(エミール・ギレリス)

2026 FEB 19 14:14:48 pm by 東 賢太郎

この人を「僕が聴いた名演奏家たち」に入れなかったのは、ギレリスがロイヤル・フェスティバル・ホールでの最後のコンサートで、満場を制してアンコールを弾いた、その気持ちと同じものが僕の中に根強く残っていたからです。スカルラッティを聴いて、やっといま、入れる時が来ました。まず彼のバイオグラフィーをご覧ください。

生誕:1916年10月19日 – ウクライナ、オデッサ
死去:1985年10月14日 – ロシア、モスクワ

エミール・グリゴリエヴィチ・ギレリスはソビエト連邦のピアニスト。オデッサで両親ともに音楽家というユダヤ系音楽家の家庭にサムイル・ヒレリスとして生まれた。6歳でヤコフ・トカチに師事し、ピアノを学び始めた。トカチは厳格な規律を重んじ、音階と練習曲を重んじる教師であり、ギレリスは後に、この厳格な訓練が自身の技術の基礎を築いたと述べている。1929年6月、ギレリスは12歳で初の公開演奏を行い、ベートーベン、スカルラッティ、ショパン、シューマンを演奏した。1930年、オデッサ音楽院に入学し、自身の人格形成に影響したと高く評価するベルタ・ラインバルトに師事した。1931年には、音楽院を訪れたアルトゥール・ルービンシュタインに認められ、その勧めで17歳で第1回全ソ連ピアノコンクールに参加し優勝した。

1935年に卒業後、モスクワに移り、1937年まで著名なピアノ教師ゲンリフ・ネイガウスに師事し、1936年にウィーン国際コンクールで第2位となり、翌年、21歳でイザイ国際音楽祭で優勝し、ミケランジェリやリンパニーらを破った。ギレリスは、西側諸国への渡航を許可された最初のソビエト音楽家だった。1944年12月30日、モスクワ音楽院大ホールで、プロコフィエフのピアノソナタ第8番を初演し、1947年からコンサートピアニストとしてヨーロッパツアーを行い、1955年にはフィラデルフィアでチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏してアメリカデビューを果たした。1952年以降はモスクワ音楽院の教授を務め、晩年は祖国ロシアに留まって海外にはほとんど足を踏み入れず、1946年にはスターリン賞、1961年と1966年にはレーニン勲章、1962年にはレーニン賞を受賞した。

ギレリスは20世紀を代表するピアニストの一人として広く認められており、卓越した技術と洗練された音色で広く称賛されている。ドイツ=オーストリア音楽の中心的な古典派の解釈は彼のレパートリーの中核を成し、とりわけベートーベン、ブラームス、シューマンの作品がそうであったが、スカルラッティ、J.S.バッハ、さらにはドビッシー、バルトーク、プロコフィエフといった20世紀の音楽についても同様に啓発的であった。リストの作品も第一級であり、ハンガリー狂詩曲第6番やピアノソナタ ロ短調の録音は一部で古典的地位を獲得している。ドイツ・グラモフォンのためにベートーベンのピアノソナタの全集を完成させている最中の1985年にモスクワで健康診断を受けた後に亡くなった。ギレリスをよく知るリヒテルによると、検査を担当したロシア人医師によって彼は事故死したという。

以上、”Bach Cantatas Website” より筆者訳(一部加筆)

 

ギレリスの演奏の描写につきものなのが「鋼鉄のタッチ」です。彼のベートーベンやブラームスを聞けばそうかなとも思いますが、万事そうなのですが、こういうレッテルというのはそれについて学ぼうと思う人にとっては無用の先入観になってしまうことが多いです。ロシアピアニズムという言葉もあって、僕は比較的ロシア人ピアニストが好きなものですから調べたことはありますが、今もって意味がよく分かりません。ピアノ学習者でないからかもしれませんが、例えば、野球経験者ではありますからカープ野球という言葉を聞けばこんな感じかなぐらいはわかります。でもそれを文章でといわれてもできません。素人の戯れ事ではございますがピアニストをそういう角度から紋蹴り型で理解することは真面目な鑑賞者としては避けたほうがいいかなと考えています。ここはピアニストの方に教えていただきたいところであります。

ギレリスのファンは世界中にいくらでもおられますが、僕もそのはしくれとして録音はたくさん鑑賞している方だと思います。特にベートーベンの協奏曲はバックハウスと共に曲を知る教祖的存在でしたから、個人的なクラシック音楽受容史の中では重要なピアニストだったと言えます。 ちなみに1955年生まれの僕は1900年代初頭あたりに生まれた演奏家によってクラシック音楽を覚え、その方々はどんどん鬼籍に入られている。だからどんどん長くなっているそのリストがこれなんです。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ということは僕を含めてこの人たちを聴いたことのある人間もやがていなくなります。音楽評論家の吉田秀和さんがベルリンやパリで体験されたフルトヴェングラーの演奏のことを熱く語っている。あれを読んで僕はとてもうらやましいと思ったのです。なぜならあの指揮者は棒の動きだけでなくオーラで指揮していたと思うからです。人間の発するオーラというものは現実にあって、僕はスポーツやビジネスの場で何度もそれを体感しています。そしてそれはレコードやビデオ映像には入らないのです。クラシックばかりではありません、デビューしたての頃のビートルズが初めてアメリカへ行って、確かワシントンでやったコンサートのユーチューブがありますが、映像で見たってすごいものです。でもあそこで声の限りのキャー!!をとばし、涙まで流して失神しそうな女の子たちが受けたと思われる、人生にまで響くほどの衝撃は伝わってきません。演奏家のオーラとはそういうものです。

音楽鑑賞が文化なのかどうかは知りませんが、「趣味は?」と尋ねられるとそう答える人は多いです。クラシックかどうかはさておき、音楽が世界中の多くの人に楽しみや生きる喜びを与えているという意味で文化ではあり、クラシックと呼ばれているジャンルがすべての音楽の根っこにあることだけは間違いありません。ヨーロッパの、それも貴族やアッパークラスだけの楽しみであったクラシックがあまねく我々庶民のものとなったのは20世紀のレコードやラジオの発明に負う所が大きいでしょう。特に日本においてはレコードやCDの売り上げを見ても世界で特筆すべき関心の高まりを見せたのは事実です。ドイツに住んでいて驚いたのは、フルトヴェングラーやクラッパーツブッシュの名前はコンサートゴーアーでもあまり知らないんです。それも30年前の話だから今ではほとんどの人が知らないんじゃないですか。でも僕の世代の日本のクラシックファンでフルトヴェングラーを知らないなんて言おうもんならモグリだねってわけです。これってすごいことですよ、双葉山や尾上菊五郎よりドイツ人をよく知ってるんですからね僕なんか。

30年前から演奏会場に老人ばっかりでその兆候が現れていましたが、ドイツにおけるクラシック音楽鑑賞文化の退潮ぶりは顕著のようです。ドイツ語をしゃべっていたバッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーべンの国ですらそうなんです。当のドイツ人たちがそれでいいと思ってるのかどうか今の僕にはわかりませんが、日本語をしゃべっている人達がやっていた能や狂言や歌舞伎が現代の日本人が誰でも知ってるものかと言われればさもありなんかもしれません。日本では生き残っていると信じたいですが、クラシックの名旋律が耳障りの良いポップスになったり、ウィーン・フィルが来日すると演奏会のチケットが47, 000円もするという形でというなら心配もあります。先ほど「庶民」と書きましたが、オペラじゃないコンサートですよ、いくら円安とはいえ庶民の手の届くものではなくなってきているのかもしれません。

子供のころ、高島屋や三越に行くのは西洋の高級な文物を見に行く楽しみみたいなものがあって胸が躍ったものです。いまどき、デパートにそういう目的で行く人がいますか?デパートの総売上高は10兆円ぐらいありましたが昨今は半分の5兆円です。これを見ると、西洋の高級な文物としてチケットが売れている日本のクラシック界も明るくない気がしてならないのです。僕は証券マンであって音楽評論家でもレコード会社の手先でもありません。物を書いてお金を得なくてはいけない人間でもありません。人生に多大な喜びを与えてくれたクラシック音楽に限りない愛情を持ち、それを産んでくれた作曲家たちに限りない敬意と感謝の念を抱き、数えきれない感動体験を経て今僕の頭の中にあるものがボケて消える前に恩返しに残しておきたい、それだけのためにブログを書いています。だから公開する必要はないのですが、書き物である以上誰かに読んでもらうことを前提としています。それは1000年後の自分の子孫だろうという動機で14年前に始めましたが現在世界で5000人以上の方が毎日訪問して下さっているようであり、全員が音楽好きではないにしても何らかのご関心を抱いていただけるならそれはそれでいいことではないかと思います。

ギレリスの話に戻ります。 1つ年上のリヒテルと比べられますが、違う資質のピアニストですね。僕はリヒテルもロンドンで聴いてますが、暗がりにろうそくだけの舞台はなにやらフェルメールの絵みたいで強烈なオーラを発しており、プロコフィエフのソナタが信じ難いほどのレガートでプレストでひかれる。あれは忘れようがありません。でも二人はモスクワ音楽院卒業生でネイガウス門下だ。ロシアはクラシック音楽の受容では後進国ですからね、しかも共産主義だったからオリンピック選手と同様に幼少期から選別して特訓する独特のシステムがあったようです。作曲家は物書きもそうでしたが作品を厳しく検閲されました。しかしパフォーマーである演奏家は、まさに五輪選手と同じで国威発揚になりますからギレリスのように西洋に出してもらえる人がいたんです。リヒテルがそうはいかなかったのは父親がドイツのスパイだという容疑をかけられてスターリンに銃殺されてるからで、長らく西側では「幻のピアニスト」扱いでした。こういう経歴はレコードを売ろうとする資本家にとっては目玉商品になるんです。当初の録音はソ連のメロディアというレーベルで音が悪く、あまり好きでないイメージがついてしまいました。のちにドイツグラモフォンがラフマニノフの2番を出しましたが、ピアノのスタイルが好きでなくますます遠のきました。だからリヒテルの評価は実演で目から鱗の大転換をとげたのです。逆にEMIやCBSで割合良い音だったギレリスは馴染んでおり、それがロンドンのチャイコフスキーで静止してしまった。こうした巨人達と同じ時代を生きていたからこその “あるある” です。ギレリスは、演奏後に最大の賛辞を贈ろうとしたユージン・オーマンディを「リヒテルを聴くまで待ってください」と制したエピソードがリヒテルのウィキペディアに載ってますが、楽屋に押しかけてそのオーマンディと楽しく話した自分のことも、だんだん他人のことだったような感じがしてきている今日この頃であります。

僕が何十回も聴き込んで血肉となっているものをいくつか挙げておきましょう。こうしてブログにたくさんの演奏を紹介してまいりましたが、僕は1万枚ぐらい持っているレコードやCDやユーチューブで出会ったものの中で単に自分と趣味のあったもの、あるいは全く個人的な事情で僕の人生において大事な演奏だったねということになったものをご紹介しているに過ぎません。自分の経験として申し上げますが、世の中に絶対的な名盤なんてものはあったためしはないしこれからもないです。そんなことをうたっている本は全部嘘です。どうしても好きなあそこのつけ麺屋とか、できれば会ってみたい好きなタイプの女優さんとか、ご縁があって飼うことになって大好きになってるうちの4匹の猫とか、そんなものであります。

 

ベートーベン ピアノ協奏曲全集(ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団)

最も好きな全集はと聞かれればいまでもこれかも。レオン・フライシャーとの全集も甲乙つけ難く、その時の気分でということになる。

 

ベートーベン ピアノ協奏曲第1番(クルト・ザンデルリンク指揮レニングラード・フィルハーモニー)

こちらの全集も価値あり。1番は勢いあふれるこれが我が定番。

 

ベートーベン ピアノ・ソナタ「熱情」

全32曲の録音中に前述の事故死。しかし27曲ある。あらゆる音源の中で最高の建築美と優美の調和。この熱情も凄い。全曲を聴かずしてギレリスは語れない。

 

ブラームス ピアノ協奏曲第2番(オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィル)

ヨッフムとあいまって堅牢で重厚な2番。アラウ・ハイテンク盤が好みだがこれも時々聴く。

 

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 (ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー)

ライブ録音。チャイコフスキーは、リヒテルと違って西側諸国に出ることをスターリンに許された彼の看板レパートリーだった。だから最後のロンドンで取り上げたと想像する。

 

モーツァルト ピアノ・ソナタ第15番ヘ長調  K 533/494(プラハの春音楽祭、 24 May 1973)

鋼鉄でなくクリスタルのタッチでしょ。深遠で思索に富んだ幽玄なモーツァルト。こういうものにギレリスの本質がのぞく。

 

ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番(アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団)

54年スタジオ録音。ラヴェルのコンビの伴奏とはそそる。これは鋼鉄。ギレリスは最高のピアニストはという質問にラフマニノフと答えている。

 

グリーグ 抒情小曲集」

全78曲から20曲。万華鏡の色彩。硬質なタッチ。心の襞に触れる哀感。淡い薄暮と黎明。最高級の芸術品。1974年、ベルリンイエス・キリスト教会。

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ギレリスのスカルラッティに出会えた至福

2026 FEB 15 7:07:24 am by 東 賢太郎

ユーチューブがある時代に間にあって本当に良かった。だって、こんな凄い物に出会えてしまうのだから。せっせと秋葉原に通ってレコードやCDを買いあさっていた頃にこれを見つけていたら?何千円払ってでも手に入れていただろう。それがパソコンで無料なうえに、どういう因果か(たぶん生成AIが僕の好みをせっせと学習しているのだろう)、頼んでもいないのにこういうものを画面に並べてくれる。音楽だけじゃない、政治、経済、科学、証券市場、スポーツ、なんでも同様だ。ストライクゾーンの提案が向こうからポンと出てくるのはある意味でそら恐ろしくもあるのだが、趣味に合うヒット率がどんどん向上し、それをクリックしてやることでAIはさらに学習し、インテリジェンスの広がる速度も効率も増加関数的に増える。しかもタダだ。テレビや新聞に頼ってる人は情報収集で世の中の平均に加速度的に遅れてしまう上に金まで取られる。よって、オールドメディアとニューメディアの戦いは経済合理的に100%帰趨が見えているのである。それに乗り遅れる不利益をあえて甘受しようという人はいないが、情報弱者はそもそもそれに気がつかないし増加関数性も実感できないから、インテリジェンスのあるなしにおける世の中の断層はさらに広がる。必然的に収入格差も広がる。決して好ましいことではないが、それを国が税金で埋めてくれるわけではない。埋めるのは教育と勉強しかない。AIは職業も盗んでいくのだから、意図的に質の良い勉強をしないと高収入は得られない時代にどんどんなっていくことは心しておいたほうがよい。

今や伝説の人になってしまったロシアの大ピアニスト、エミール・ギレリス(1916 – 1985)がドメニコ・スカルラッティのソナタを弾いたリサイタルのライブ録音のことをいっている。こういうものは聴かないともったいない、是非どうぞ。

このリサイタルはロンドンで行われ、時は1984年10月15日のようだ。このビデオにコメントしている方がおられる。

「私はセント・ジョンズ・スミス・スクエアでこのランチタイム・コンサートを聴きました。土砂降りと雷雨(録音では気がつきませんが)とともに始まり、やがて濡れた窓から輝く陽光が差し込みました。地下聖堂で友人たちと一杯飲んだ後、ギレリスと同時に教会を出て、皆で立ち止まり、笑顔でとてもフレンドリーな彼と話しました。強いアクセントの「さあ、栄光の一日を!」という言葉が今でも思い出されます。スタイルに関する批判はさておき、このコンサートは強烈さ、詩情、そして豊かな響きで私の記憶に強く残っています。続いてドビッシーの「ピアノのために」が演奏されましたが、なんと素晴らしいプログラムだったのでしょう!ポストしてくれてありがとう」。(筆者訳)

ひょっとしてと思いプログラムを探したらあった。

時はスカルラッティの1日前、日曜日の午後、ロイヤル・フェスティバル・ホールだ。家内と2人で出かけている。パーヴォ・ベルグルンド指揮フィルハーモニア管弦楽団とのチャイコフスキーは忘れようにも忘れられない。第1楽章の第1主題の速いパッセージでギレリスは指が回らず、音が飛んでしまったのだ。やおら会場に無言の緊張がはりつめる。不測の事態にこちらも完全に動揺してしまい、ただただ演奏の無事を祈った。以後はそれも杞憂の堂々たる演奏で終楽章までたどり着き、コーダを渾身の力で弾き切るや拍手がホールを満たしたが、万雷の喝采というよりどこか当惑を秘めていた。すると彼はそれをやおら制してピアノに向かい、何かは忘れてしまったが小品を弾き始めたのだ。会場は不意をつかれたように息をひそめた。1階の中央やや左側からのぞんでいたギレリスの背中が輝いて見えた。そして長い余韻を残して曲を静かに閉じるや、今度は地を揺るがすスタンディングオベーションの嵐だ。過去何十年にもわたってロンドンの聴衆を魅了したであろう老大家への、おそらくそこにいた皆が感じていたであろう、最後になるかもしれない敬意と感謝を込めた万感のこもる拍手の一員となったこの思い出は、もう半世紀を越えようというわが音楽人生の中でも特別な位置を占めている。そののち、僕は同じRFHでヘルベルト・フォン・カラヤンの、バービカン・ホールでレナード・バーンスタインの、アムステルダム・コンセルトヘボウでオイゲン・ヨッフムの、そしてチューリヒ・トーンハレでゲオルグ・ショルティの、アカデミー・オブ・ミュージックでユージン・オーマンディーの、ウィグモア・ホールでヴラド・ペルルミュテールの、まさに同様のシチュエーションでの拍手を送らせてもらった。思えばこれらは、クラシック音楽の歴史にそう刻まれることになるだろう「20世紀の名演奏家の時代」への惜別でもあったのだ。

今調べてみると、ギレリスは奇しくもちょうど1年後の10月14日に亡くなっている。チャンスはもう訪れずこれが最後になった。間にあって本当に良かった。それにしても、なんとあの翌日にこんな素晴らしいスカルラッティをやっていたなんて! それを42年も経ってから発掘できたなんて!ふと思いついて、先ほど老大家と記したあの時のエミール・ギレリスは何歳だったのかなと計算してみると68歳である。そういうことだったのか。安堵も入り混じった、どこか空漠たる気持ちを禁じ得ないのがなにやら不思議だ。

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ランドフスカのモーツァルトは絶品

2026 FEB 13 7:07:15 am by 東 賢太郎

僕がピアノに触り出したのは高1ぐらいだが、ハノンだけやってツェル二ーはすっ飛ばして初めて弾けるようになった曲がJ.S.バッハのインヴェンション第1番ハ長調だ。いきなりバッハとはなんと高邁な入り方だったかと思うが、硬式野球部にいながらそんなことをやっていたのだから我ながら相当変な奴だった。誰かに習ったわけではなくレコードは持ってなかったし譜面から起こしてやったわけだが、どういう風に鳴ればいいのかを知ったのはポーランド生まれのワンダ・ランドフスカ(1879 – 1959)の演奏だった。後にヤマハのクラビノーバをチェンバロ音にして弾くと感じが出て結構ハマった。

ランドフスカとトルストイ

チェンバロによるバッハといえばもう1人、チェコ人のズザナ・ルージイチコヴァ(1927- 2017)をあげなくてはいけない。彼女の平均律第1巻は好きだが、愛好曲のイタリア協奏曲はテンポの揺れが今ひとつ性に合わない。これは好みの問題だから是も非もないが、テンポやアゴーギクやフレージングにおいてしっくりくるのはランドフスカなのだ。バッハの譜面にそんなものは書いてないから良いと思うかどうかは演奏家とのフィーリングの相性しかない。ルージイチコヴァは風貌からして学者然とした感じだが、ランドフスカはビデオのインタビューを見ると音楽に夢みる乙女がおばあちゃんになったみたいな感じで話すと面白そうだ、僕はこういう人は好きな方である。

ランドフスカがピアノで弾いたモーツァルトに衝撃を受けたのはいつだったろう?レコード棚を探しても持っていないようだし、曲も忘れてしまったけれど、とにかくどこかで耳にしたのだ。ユーチューブをサーフィンしてみるとピアノソナタ第9番ニ長調K.311に行き当たった。1938年パリでの録音で、おりから第2次大戦が始まりナチスのパリ侵攻でユダヤ系の音楽家の録音は廃棄されたためか、第2、第3楽章が欠損している。幸い第1楽章は生き残ったが、これがため息がでるほど素晴らしいのだ。

ピアニストの方、誰に伺ってもモーツァルトは難しいという。怖いから弾きたくないという人もいるらしい。聴く側からしても、技術的なミスは歓迎しない。ベートーベンはミスタッチがあっても気にならないのになぜなんだろう。もうひとつ、僕の場合は、パッションがないといけない。ありていに言うなら情熱という意味だが、ロマン派ではないのでニュアンスが違う。その作品にとりつかれてしまい、寝ても覚めても耳鳴りみたいにその曲が頭の中で鳴っていますというような状態。ひょっとして僕がロンドンにいた頃にフィリップスに続々とモーツァルトを録音されて高評価を得ていたいた内田光子さんがそんな感じだったかもしれないが、そこまで憑依してモーツァルトに入り込んでしまうような物が僕の言うパッションなのである。とても上手ですね、でもどうしてあなたはこの曲を弾きたかったんですか?というのが響いてこない。完璧な技術で真珠を並べたように美しく弾いているのだが、憑依もなければ頭も冷静で、美しいモーツァルトをミスなくお届けしようという事務作業に腐心しているようにしか聞こえない。だからどうも心に響いてこないという演奏が多いのである。

ランドフスカの第1楽章はドンピシャだ。すぐ後に書くパリ交響曲の出だしみたいにギャランドで人生の期待にわくわく、次々と主題が湧き出してくるのもそっくりだ。軽い打鍵なのにパッションに満ち満ちており、ソプラノ声部の隠し味のように自然なタッチの使い分け、ハープシコードを思わせる見事なレガートとスタッカート、絶妙なフレーズの伸び縮み、こまたの切れ上がったコケティッシュな装飾音符など、極上の愉悦感のオンパレードだ。快適なテンポですいすいと進んで第1テーマから第2テーマに間を開けずテンポもそのまま飛び込み(素晴らしい!)、曲想に合わせて音色とタッチだけで空気を変える瞬間はまるで魔法のよう。展開部でソプラノとアルトの掛け合いはまるでオペラだ。終結はテンポを落としてppでひっそりと消える。生きる喜びにあふれる歌にめくるめく思いの4分半である。

彼女は後にアメリカに移住してコネチカットの住人になり、自宅でK.311を全曲録音しているので愛奏曲だったのだろう。それも貴重な記録ではあるが、熱も技術もピークにはなく残念だ。パリの街にナチスの軍靴が響くなか、ピアノに向かう彼女の胸の中には何かがあったのだ。ハープシコードを弾く彼女のビデオを見ると “くの字” に鋭角に曲がった指使いにぎょっとする。技術的には深い秘密があるのだろうが、それは素人が詮索できることではない。

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読響 第655回定期 ブルックナー7番

2026 FEB 5 1:01:18 am by 東 賢太郎

指揮=ジェームズ・フェデック
ヴァイオリン=諏訪内晶子

細川俊夫:ヴァイオリン協奏曲「ゲネシス(生成)」
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107(ノヴァーク版)

細川のVn協奏曲は感銘を受けた。昨年の7月だったか「月夜の蓮」を大いに楽しんだ事はこちらに書かせて頂いたが、今日の演奏にもほぼ同じことが当てはまる(読響定期 カンブルランと北村朋幹)。諏訪内晶子の集中力ある演奏が曲の真価を抉り出したように思う。解説を読むと羊水の追憶から人間の誕生を追うインスピレーションが根底にあるようだが、 11種類の打楽器、ハープ、チェレスタの音彩は小宇宙をなす。細川俊夫氏が登壇されて喝采を浴びられたが、現代日本を代表する作曲家と思う。

指揮者のジェームズ・フェデックは初めて名をきく代役であった。予定されていたマリオ・ヴァンツァーゴはCPOのブルックナーが面白く、葉書で知って残念に思っていたが杞憂だった。 フェデックはいい指揮者だ。短期に仕上げたのだろうが読響は盤石の構えであり、これぞブルックナーというオルガンを思わせるピラミッド状の見事な音響を聴かせた。第2楽章のブラスと弦のバランスも文句なし。71歳の誕生日に本当に素晴らしい7番を聴かせていただいて感謝しかない。それにしても、欧州では4、5秒の余韻を味わうのが当たり前のブルックナーでフライングのブラボーは勘弁してくれないかな、指揮者も団員もあれはがっくりだろう。マネジメントの方、できれば禁止にしてもらえないだろうか。

先月に聞いたプフィッツナーの「ドイツ精神について」は書けなかったが、回を改めて感想を述べたい。

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「ニーチェ」と「トランピズム」の結婚

2026 JAN 16 18:18:57 pm by 東 賢太郎

年末に箱根へ行って、外食をすませた帰りのことだ。冷たく澄み渡った大気の中に煌々と輝くオリオン座に呆然と見とれてしまった。子供のころ、暗くなると毎晩外へ出て白い息を吐きながら、あそこに行くとどんな景色だろうと空想した。冬休みに家族で行った天城高原ロッジから目撃した、まるで宝石をぶちまけたようにぎらぎら輝く星空は豪勢でまばゆく、半世紀以上前のその感動までもが蘇ってしまったのだ。春夏秋冬、北半球、南半球、夜空のどこを見渡してもベテルギウス、シリウス、プロキオンの作る「冬空の大三角形」界隈ほど華やいだ眺めはない。僕はこれを「天空の銀座」と呼びたい。それにしてもだ、写真をご覧になって、12個の明るめの星々が三ツ星、小三ツ星までお見事に、まるで誰かに造形されたかのように並んだこの天空の “絵柄” は、「自然の産物」にしては出来すぎと思われないだろうか?

仮に3個のビー玉を同時に無作為に頭上に放り投げてみたとしよう。地面に落ちたその3個が正三角形を描くまでに、あなたは何回それをくりかえす必要があるだろう?では今度は三ツ星みたいにまっすぐ等しい距離に整列するには?では6個を投げて大小三ツ星になってきれいに並ぶには?それではいよいよ、12個いっしょに投げて「天空の銀座」になるには??

ペルーにある「ナスカの地上絵」は紀元前500年から紀元500年の間にできたことがわかっているが、空から見ないとわからない巨大なサイズなので飛行場が近くにできる1920年頃まで見つからなかった。どう見ても動物や幾何学紋様にしか見えない絵柄が、それも1つ2つではなく、なんと723個も描かれていて、古代の住人がやったとすれば関わった人数も時間も膨大なものだ。ひとりではできないから指揮した者がいるはずだ。彼(彼女)は何と言って人々に命じ、飯を食わせたのだろう?これだけの大工事をやらせるには目的を示す必要があってそれは伊達や酔狂とは思えない。そこでドイツのマリア・ライヘという数学者はこの地に住んで一生を捧げ、それが何か、誰が何の目的で描いたかを研究したがいまだ解明されていない。空想をたくましくしてみよう。オリオン座と冬空の大三角形は何者かが人類に見せるために描いた「天空絵画」であって、AIによると紀元前500年も形はほぼ同じだった。地球上どこにいても1年間のトータルの半分は夜ということを我々は忘れてるが、電燈がない古代人の夜は長かった。当時のナスカ人は毎夜に現れるそれを神様のメッセージと畏敬し、地上にいる動物を模写して生贄にささげたのかもしれない。あるいは現代人がSETI計画で強力な電波を宇宙に向けて発信しているのと同じ発想だったかもしれない。

広い世界にはもっと想像力のたくましい人たちがいて、古代には地球外生命体が頻繁に地球を訪れており、ナスカ人は彼らと交流しており目印として地上絵を描いたと主張する。僕はそれをエーリヒ・フォン・デニケンの著書『未来の記憶』で知り、中学時代に夢中になって読みふけった。それとトロイの遺跡を予言して発掘したハインリッヒ・シュリーマンの『古代への情熱』は興奮した二大書物だ。ドーンと謎が提示されて解き明かしていくタイプの読み物といえばエラリー・クイーンにもはまっていたが、 60年前の「宇宙人」のミステリー度合はNo1だった。

膨大な人数と時間を投入して古代人が造ったものの、何と人々に命じ、飯を食わせたのか未だ不明な物がもう1つある。エジプトはギザのピラミッド群だ。クフ王らの墓とされるが構造上の謎が残る。 3つの配置がオリオンの座の三ツ星を模したという説は真偽不明だが、目印説を取ればナスカと同じ目的ということにはなろう。私見では地球外生命体Xが我々の知らない何らかの目的のため2つ建てて去った。のちにクフ王、カフラー王の墓に転用され、3つ目は再訪の目印にと三ツ星に比定する位置に人間だけで建造したが完成できずメンカウラー王の墓になった。1つ目にXは宇宙普遍の数理を埋め込み、後世の人類が自分の来訪を知るきっかけを刻印した。

ピラミッドの謎とは?円周率・黄金比・地球緯度の秘密に迫る

これは映画「コンタクト」でこと座α星ヴェガから自然のノイズではあり得ない人工的な信号である二進数で記述された素数列を送ってきて知的生命体であることが示されたのと同じことだ。

両著者とも若い頃は秀才のようでもなく、デニケンは逮捕歴までありメインストリームの知識人には受け入れられ難いハンディはあるものの、常人離れした想像力と行動力を発揮して僕のようなタイプの少年に血沸き肉踊る知的刺激をもたらす人生を送ったことは何人も否定できない。そうである以上、学会の保守本流から受けた「世を惑わす似非科学だ」、「素人発掘で遺跡を損壊した」等の批判は、後述するようにニーチェが「ルサンチマン」と定義した物(要は嫉妬)を含んでいる可能性も否定できないのであり、大哲学者によって「良い人生を送るためにはやめた方がいいよ」とばっさり切り捨てられているものの類であると僕は弁護したい。仮にメインストリームの批判が客観的に正しいものであるならばご両人はSF作家だったと理解すればよいのであって、そうであっても彼らに対する僕の尊敬はいささかも揺らぐものではない。先ほど、懐かしいデニケンさんがどうされているか、ウィキペディアで検索してみたらこの1月10日に亡くなっていた。本稿を書きたくなったのはこれまた虫の知らせだったのか・・。そういえばその日、歯が痛くなって注射を打たれたらもっと痛くなってうんうん唸っていたのだが・・。

デニケンの指摘通りナスカの地上絵は地球外生命体との交信の証だったとしよう。しかし、それでも、偶然にできるには気が遠くなるほど確率の低い天空絵画の謎は残る。誰もそんな主張をしないのは、恒星が巨大な質量を持って遥か遠くにある物体だと知っているからだ。しかしそれは本当だろうか?もっと言うなら、宇宙の果てまで137億光年というが、それも仮説から計算した紙の上の数字に過ぎない。物差しになっている光速はおよそ秒速30万kmだということが実験によって証明されているが、それより速く進む物体は存在しないという仮説の方は証明できない。シミュレーション仮説信奉者の僕としてはその数字はこの宇宙を創造した者(神としておこう)が使用したコンピュータの処理速度の上限値に過ぎないから実は任意の値であり、137億光年という宇宙のサイズも同様だ。

洞窟の比喩

宇宙そのものがシミュレートされた幻影に過ぎないから大きさも重さもなく、我々が見てるのはまさにプラネタリウムみたいなもので、オリオン座だろうがアンドロメダ大星雲だろうが「天空の銀座」だろうが、絵柄は子供でも好きに描けるのだ。やはり同説の信奉者であるイーロン・マスクはビデオゲームの進化を例に挙げてそれを説明し、我々が見ている宇宙が現実である確率は10億分の1だと言っているが、この考え方の原型はちょうどナスカの地上絵が描かれたころに活躍したギリシャの哲学者プラトンの「洞窟の比喩」にすでに見られる。

似たような驚きを別のところで覚えたデジャヴがある。人間ドックの内視鏡検査で目撃した、僕の目には艶やかなオレンジ色のように見えた肉塊、すなわち自分の胃袋の中を初めて見た時だ。

「これが食道です、ここから胃ですね・・はいここから十二指腸になります」

女性の医師が手慣れたバスガイドみたいに説明し、ほーっと観光客みたいに眺めていた。これって、渋谷のプラネタリウムで聞いていた「この明るい星がシリウスです、何光年先で大きさは太陽の何倍で、その右がベテルギウスです、赤いのは温度が低いからです」なんてのとおんなじだなと思いながら、そこはかとない違和感を感じていたものだ。何だか自宅の部屋の中を他人が詳しく知っていて解説されてるみたいじゃないか。胃袋の所有者は俺だよ、なんで彼女のほうが俺より知ってるんだ?

それは、僕が作ったものではなく、両親とて設計図を見て作ったわけでなく、母のお腹で自然の摂理に従ってできたからだ。摂理というのは宇宙の仕組みと同じく創造者である神が創ったものだ。 1つの受精卵からいろんな臓器が分化してできて、その1つが僕の胃袋になっているわけだが、医師だって医学書の著者の博士だってなぜそうなって、どんなプログラムがどうやって作動したのかは誰も知らない。医学というものの創世記からの経験的学習によって誰の胃袋もそうなっていることを学んでいるだけで、彼女はぼくの胃袋がかつて観察された天文学的な数の胃袋のone of themであり、そうでない確率は海岸の砂浜から砂粒ひとつを選び出す確率より低いという仮説に基づいて解説を述べているのである。それはプラネタリウムの解説者がベテルギウスのあれこれを観測による経験的学習によって知っているのとなんら変わらない。つまり僕も医師も、脳みそからほんの 40cmの距離にある胃袋のことを「550光年先の星のことぐらい知らない」のである。そんな人類が世の中をわかった気になって支配しているのだから、史上初めて核兵器が用いられた80年前以降の我々はいつ全滅してもおかしくないという危うい均衡の中で生きていると言って全く過言ではない。「人間は考える葦である」とパスカルはパンセに書いた。それから350年もの年月が経っても、考えたところで大したことはないと思うのは僕だけだろうか。

考える葦が何をしてきたか、いかに浅はかな考えの連続であったかは歴史が教えてくれる。自由平等博愛の精神があれば神がいなくても人間は立派な社会が作れる。そう考えてカソリックを否定したフランス革命は約50万の人を殺した。それを肯定したマルクスの共産主義革命は人類が資本主義者に搾取されない理想の世界が作れると考え約9,500万の人を殺した。前稿で、僕は自分自身がフランス革命と啓蒙思想にルーツのある「自由」を心から愛する根っからのリベラリストだと説いた。人殺しの理念にかぶれていると誤解されたくないので述べておくが、僕がマルキシストでないことは「神はいる」と信じていることから証明される(その神は創造主であって名前は無いが)。そこに信心が至る契機は宗教でなく数学で唯物論的思考をたどっているが、結論は論理で導かれたのではなく天から降ってきたものだ。

それでは、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844 – 1900)が「神は死んだ」(Gott ist tot)と言ったことに対し僕は批判的であるか。答えはYes and Noだ。ニーチェの言葉は、ルネサンスによる科学技術の発展で「神が世界を創った」「神が善悪を決めている」といった従来の考え方が説得力を失い、長らく西洋社会の基盤となってきたキリスト教的な道徳や価値観がその力を喪失したことへの暗喩だ。神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我などの概念は、弱い人間たちが自己を正当化して言い訳をするための「嘘」であり、キリスト教が目標とする偽りの彼岸的な世界の象徴なのだと説く。それを背景で支えている心理が前述の「ルサンチマン」(Ressetiment、無力ゆえの「憎悪」「嫉妬」に基づく、弱者からの「復讐」の感情)であり、「強者は悪だ」として自分を納得させ、「能力の高さより善人であるべき」、「迫害に耐える事で天国に行ける」と救済しようとする。彼はこれを否定して強者(超人)になれと説き、だから神は死んだと警鐘を鳴らしたわけである。また、解釈とは価値、意味を創り出す行為で多様だから世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、唯一の真実などというものはなく、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけで意味がないと考えた。以上の2点につき、僕は強い共感を覚える人間である。ルサンチマンから逃げまくり、ウソを並べた煙幕に救いを求める人達にとっての神は死んでいるが、しかし、宇宙を創造した神は存在し、人類を見守ってくれていると僕は信じているのである。

ニーチェはそこで興味深い概念を提唱している。永劫回帰(えいごうかいき、Ewige Wiederholung)だ。彼はスイスの著名なスキーリゾートでもあるサンモリッツの少し南にあるシルヴァプラナ湖の森(写真)を歩いていて、その啓示が突然に降ってきたという。

シルヴァプラーナ観光ガイド~定番人気スポットを参考に自分にピッタリの観光プランを立てよう!|エクスペディア

永劫回帰とは?この世界は、全てのもの(崇高なものも卑小なものも)が、まったく同じように永遠にくり返されるとする考え方である。キリスト教は始まりである天地創造があり、終わりである神の国の到来があって、歴史はこの終点を目的として不可逆的に進行するが、ニーチェは永劫回帰する世界はループ状で始まりもなく終わりもなく、それ1個しか世界はないとする。イメージとして、箱根駅伝の最初の走者が1区を走りきり、さあ2区だと襷を渡そうとしたらまた1区のスタート地点だったという感じだろうか。少年サンデーの「伊賀の影丸」(横山光輝)で、敵を追いかけて豪雨の中を走れども走れども着いた先は「三島の宿」だったという、童心にも背筋がゾゾッっとしたシーンが目に焼きついてる(左がそれ)。余談だが僕はこの絵で三島という地名を覚え、この作品全巻を何度も熟読することで日本語すらも覚えた、いわば元祖アニメオタクである。影丸たちは敵の妖術にたぶらかされていたわけだが、実は70年生きてみると世の中というものは丸ごとそんな感じであって、目的地到着が無いのだから何度走っても途中にあった険しい坂道や危険な峡谷が戻ってきて消え去ることはない。だからそれらは自分で乗り越えるすべを開拓しなければ回避できる道は永遠にないのだ。ニーチェはこれを「ニヒリズムの極限形式」と呼んだ。キリスト教のように今まで最高価値だと信じていたものが実はそうではないと悟った時、人間が持つに至る世界観がニヒリズム(虚無主義)である。そこで人間は人生を諦めてしまう消極派か、自分で切り開こうと思う積極派か、そのどっちかを考える価値もないとする悟り派に分かれるが、ニーチェは究極の選択として積極派を推奨した。つまりここで彼はヘーゲルの弁証法をも否定したことになり、後世に大きな衝撃と影響を残したのである。

積極派こそが究極であるのは、人間は消極的に虚構に逃げこんで傷をなめあっても現実世界では何の救済も得られないからだ。したがって、これが重要なことだが、強い者への憎悪、嫉妬、復讐心をかきたてて人間をそこに追い込んでしまう「ルサンチマン」というものは苦悩、無限地獄の元凶とみなすべきなのである。嘘を垂れ流して「強者を憎め、妬め、復讐せよ」とする、耳障だけは良い「絶対的原理」を吹聴する者を拒絶せよ。そして、次々と生まれ出る真理の中で戯れ遊ぶ超人になれというのが彼の主張だ。この点においても僕はまったくもって同感だ。人間は、いくら頑張っても強い者を否定しても合理的な基礎を持つ普遍的な価値など手に入れることはできず、流転する価値、生存の前提となる価値を承認し続けなければならない、いわば自転車操業を続ける悲劇的な(かつ喜劇的な)存在である。もう笑うしかないぐらい今の自分を言い当てられた気がする。それでもくじけてしまわないのは、健康で生きることの喜びを肯定し続けられているからだと思う。

現状の日本国を俯瞰するに、そうした生き様を貫いている人の数は減ってきているような気がする。失われた30年なる失政を遠因とする慢性的デフレなのか、コロナ禍が社会の活力を蝕んで劣化させた結末なのか、戦争に端を発した輸入インフレの延焼による物価高なのか、その原因は一概に判断できないが、おそらくはそのどれもが相まった複合的現象として日本中に蔓延し、世の中を沈滞させてきたのだ。そしてその空気が俄かにより一層重くなり、日本国の天空に半透明のドームでもかぶせて暗くされたかと危機感を覚えるほどの変調を覚えるようになったのは3年半前に安倍元首相が暗殺されたその日からである。あの極めて不可解なのだが不可解でなかったかのように整然と始末されていった不可解な事件以来、それを本当にそう思っていないのだろうと見えるのに十分なほど無能である総理大臣たちの下で、無言の衝撃をうけた日本国は国としての生体反応が停滞し、国民は生活の先行きが見えない不安の中で五里霧中となり、近隣諸国の軍備拡張に無力のまま怯える日々という暗い洞穴にに落とし込まれてしまった。そして、あたかも次へ進む希望の道への一里塚であるかのようなもっともらしい体裁を伴って、オールドメディアは次から次へと以下のような「空虚言語」をばらまいていったのである。

夫婦別姓、LGBT、女系天皇、多文化共生、多様性、環境、SDGS、国際、平和、交流、生活、貧困、教育、福祉、慈善

いったいなにが起きていたんだろう?? ニーチェならこう答えるだろう。

『ルサンチマン』という毒薬がばらまかれたんだよ

「空虚言語」(Empty Word)というものがある。フランスの哲学者で精神科医のジャック・ラカンの用語で、安定した意味を持たない記号のことを指す。言葉に見えるが実は記号である。そのため意味は常に変化し文脈に依存し、対話型AIのハルシネーション(幻覚)の原因にもなる。人間は自己都合や邪悪な動機によっていくらでもハルシネーションを喚起できるので、「空虚言語」を並べてルサンチマンを巻き散し、解毒できる絶対的原理ですよとプロパガンダを吹聴することは一定の政治的効果を期待できよう。だから無能な政治家ほどそれに頼るのである。「これからは**の時代です!」など「空虚言語」を連呼するだけの政治家は自分の頭も空虚であることを開陳しており、政権奪取しようとは実は1ミリも考えていない万年野党は、年収4000万円で政治漫談を演じる芸人一座である。

ニーチェが「嘘」だとばっさり切り捨てた次のような言葉はラカン派精神分析においては「空虚言語」である。

神、魂、徳、罪、彼岸、真理、永遠の命、理性、価値、権力、自我

当時これらをルサンチマン解消の特効薬としてばらまいたキリスト教会こそが絶対的原理の吹聴者であり、永劫回帰するこの世に唯一の真実などというものは無いのだからそれはすベて嘘である。世界はどのようにも解釈される可能性がある無限に二義的なものであって、どこまで追い求めても「人間の解釈」というファジーで恣意的なものがあるだけという意味において、目的が自己利益の追求オンリー(今だけ金だけ自分だけ)の政治家にとって「空虚言語」は便利で親和性が高い。例えばどこから見ても堂々たる左翼でしかない政党が、一つだけもっと左翼の政党があることを盾にとって「我々は中道だ」といえば、「中道」というまるで絵にかいたような「空虚言語」が記号としての本来の役割を発揮してもっともらしく聞こえ、無知の国民を騙し、場合によっては対話型AIのハルシネーションまで誘発して害悪を増幅しかねない。そうした税金の無駄である政治家を駆逐するには「充満した言葉」(Full Word)のみで自己の定義を述べよと徹底して追い込み、悪手を封じればよいのである。

ことの危なさはアメリカ合衆国でも同じである。ドナルド・トランプは福音派のキリスト教徒だ。ニヒリストではないのだから彼がニーチェ哲学の信奉者である可能性は高くないかもしれない。しかしビジネス界における強者である彼がルサンチマンを抱く人間である可能性はほぼゼロであり、愛国者として国をもう一度強く豊かにしたいとMAGAをスローガンに掲げる意思の根源が福音派の教義にあったとしても、それはニーチェが否定した弱者救済のためのものではない。彼がDOGEを立ち上げ、「言葉遊びより常識が大事」「人間には男と女しかいない」と子供にも伝わる地に足の着いた言葉(Full Word)をもって絶滅に追いこもうとしている敵はアメリカ合衆国の内部に深く寄生してしまった、空虚言語を振りまわして世を惑わすグローバリストだ。暗殺者の銃弾が耳をかすめても何らひるむことない姿は、来世での救済など望まず命を捨ててでも現世で為すべきことを為すという強烈なコミットメントにおいて、意図しようがしまいが、彼はすでにニヒリズムに至っており、 ニーチェが生きておればその姿勢を肯定したのではないかと思うのである。まことに痛快な限りであり、我が国でも高市政権が斯様な政治改革をしてくれるだろう。

両人ともがまさしく超人 (Übermensch)なのである。トランプにおいては国連や国際法の存在というものは、彼に対する福音派ではなく、ニーチェに対するキリスト教教会の総本山の位置づけに既になっていると思われる。ということは、ベネズエラ襲撃において、彼は「神は死んだ」と宣言したのである。その是非をここで論じても仕方がない。絶対に避けねばならぬ事はただひとつ、キリスト教もニーチェも想定していない、人類が全滅する殺し合い(第3次世界大戦)の勃発である。彼がそれを理解し、神もその回避を望んでいると解釈していることを信じたいし、世界各地の小競り合いがそれに発展することを止められるのは彼が功罪合わせ飲んででも行使する軍事力しかないということもわかっているだろう。今我々がこうして生存しているということは、現在のループにおいて絶滅危機は起きていないことを示している。しかし前のループでそれはなかったのだろうか?人類はかつて二度三度滅亡していることが古代遺跡から分かると唱える論者もおり、ノアの箱舟がなければ実は一度滅亡していたのではなかったかと考える者もいる。トランプが人類の救世主なのか破滅の大魔王なのかは現時点においては誰にもわからない。おそらくトランプ自身もわからない。だから彼のここまでの行為の是非はニーチェの言う無限に二義的なものだと考えるのがフェアである。それを、何がしか頭を使った痕跡は一切無く一義的に「いかがなものか」とパブロフの犬のごとく騒ぎ立てている連中は何のルサンチマンに掻き立てられているのか知らないが、超人への途上にないことだけは間違いない。高市総理の解散権行使によって絶滅の危機に追い込まれる事が確定した政党の上層部が、政策の説明など一言も無いまま自己保身のため絵にかいたような野合を唱え、その唐突さを緩和しようとオールドメディアが子供でも嘘とわかる応援記事を書く。人生終わった爺いどもの気色悪い抱擁一色で高市・メローニの期待に満ちたハグはスルーで「なかったことに」で葬る。しかし、この偏向報道があまりに露骨だったことでかえって国民は気づいてしまった、軒下に潜んで蠢いている奇怪な害虫がまだ駆除できていないことを。このありさまが、あの2022年7月8日の、宇宙の常識を一掃する異様さであったシンクロ報道の既視感を鮮やかに呼び覚ますからだ。こういう連中に無垢の国民が騙されつづけ、政府が一刻も早く駆除の手を打たぬならば、実質的にニーチェ主義化したトランプは自助努力せぬ日本をいずれ見捨てるだろう。高市総理は切った舵のとおり冷徹果断にやり抜くことを日本国存続のために強く期待する。

ニーチェがラ・ロシュフコーとショーペンハウエルに影響を受けている事は興味深い。両人の書物は我が愛読書だからであり、何かが底流で通じているかもしれない。彼がワーグナーに一時傾倒したことはクラシックファンには周知だろう。その点に関しては、僕はニーチェ自身が作曲をたしなんで作品を残していることと同じぐらいは意味を感じる程度である。むしろ、ニーチェ思想が明治後期から大正にわたる日本の名だたる知識人に衝撃を与え、高山樗牛、夏目漱石、新渡戸稲造、和辻哲郎、阿部次郎、萩原朔太郎、芥川龍之介らに大ニーチェ論争を巻き起こさせ、何より僕がファンである夏目漱石が明治38年ごろ、『吾輩は猫である』執筆中に『ツァラトゥストラ』の英訳本と格闘していたことのほうがずっと重大である(左)。高山、和辻、阿部以外は哲学者でなく文人であるがニーチェに没頭して大論陣を張っている。知識人とはこういうものだ。現代の我々から見れば西洋の哲学や芸術や文学に関わる情報も造詣も未だ十分ではない時代にも関わらず、先人たちがそれほどのインテリジェンスを確立していたことを誇りに思う。東洋にそんな国は日本しかなかった。ちなみに芥川龍之介はストラヴィンスキーのレコードを持っていて、それを聴いて育った次男の也寸志は作曲家になった。漱石がツァラトゥストラを選んだ理由といえば 「神の死」「超人」「永劫回帰」が語られているからだろうか、「猫」の後半にその影響があるとされているが僕はまだよく理解できていない。

締めくくりにリヒャルト・シュトラウス作曲の『ツァラトゥストラかく語りき』を聴いてみよう。ウィキペディアのタイトルは「こう語った」になっているが僕はどうも文語調の「かく語りき」でないと収まりが悪い。演奏スタイルも1970年代にアナログのステレオのHiFi録音技術がピークを迎えることに合わせた豪華絢爛型、そして80年代になるとデジタル録音とCDという新メディアによって静謐な細部まで分解能の高い透明感を謳った演奏も出てきた。そのどちらもがメリットとなるように巧みに書かれているリヒャルト・シュトラウスのスコアの質の高さが時代を追って浮き彫りになってきたように思う。この曲及び英雄の生涯はフランクフルト歌劇場管弦楽団によって初演された。僕が同地に駐在していた頃の同歌劇場の音楽監督は読響でメシアンの秀逸な演奏を何度も聴かせてくれた現在世界最高クラスの指揮者シルヴァン・カンブルランで、現在の読響音楽監督セバスティアン・ヴァイグレも2003年まで同じポストにあったということで縁を感じる。

スタンリー・キューブリック監督が「2001年宇宙の旅」に使用したため冒頭部分2分ほどばかりが有名になってしまったが、全曲に渡って隙のない見事な音楽である。シュトラウス自身が1944年6月13日にウィーン・フィルハーモニーを振った録音は宝物だ。 80歳の誕生日を記念して1週間の放送スタジオコンサートが行われ、正規録音はないが家族がプライベートに録音した音源ではないかとされているのがこのビデオだ。何度かの復刻により音も鑑賞に耐え、作曲家の解釈が最も反映された演奏がVPOにより再現されている価値は何ものにも代えがたい。これを知れば豪華絢爛型の演奏スタイル、ましてやディズニーの伴奏音楽みたいな路線は本質をおよそついてないことがお分かりになろう。なおコメントにあるが、この演奏の3日後にスタジオから数マイルしか離れていない石油精製所が連合国の激しい空爆で殲滅されたという。そんな空気の中でこれだけの演奏ができてしまう音楽家たちには畏敬の念を覚えるしかない。

ステレオ録音でもう少し良い音でという方。ヘルベルト・フォン・カラヤンは記憶ちがいでなければこの曲を3回録音している。ベルリン・フィルハーモニーとの2つは品格を伴っている純度の高いゴージャスな演奏である。そちらを好む方に何の異論もない。しかし、これは多分に趣味の問題ではあるが、僕はやはりリヒャルト・シュトラウスにおいてはウィーン・フィルハーモニーが本能的に持っている音楽の変転する流れやメリハリへのアジリティー(敏捷性)、および感度の高さと艶やかな音色がなければ物足りない。そこで、同じ趣味の方にはカラヤンのデッカ初録音である第1回目の演奏をおすすめしたい。これは日本では1973年の9月ごろに、カラヤン初の廉価盤として千円で発売されあっという間に売り切れになった一群の懐かしいLPの内の一枚でもある。ツァラトゥストラはこのレコードが2001年宇宙の旅に使われたものであるというふれ込みでシリーズの目玉扱いであり、買うかどうか最後まで迷ったが高校3年生で金が無く、ブラームスの交響曲第1番、ホルストの惑星、くるみ割り人形とペールギュントという当時に関心のあった曲の選択になってしまった。 1959年の録音であるがデッカ肝入りの素晴らしい音で、演奏は作為的な見栄や贅肉のないギュッと引き締まった魅力があり、今より音色に色気があった頃のウィーンフィルが香り高い音でシュトラウス直伝のニュアンスまで余すところなく伝えて文句なしだ。

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加地卓
金巻芳俊