僕が聴いた名演奏家たち(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー)
2018 AUG 4 16:16:39 pm by 東 賢太郎
6月の読響定期。サントリーホール、入り口に見慣れぬコーナーがあり、近寄るとロジェストヴェンスキーさんの写真が目に入りました。去年のあの凄まじかったブルックナー5番シャルク版のポスターもある。あれ、また来るのかな?まずい、買ってないぞ。いやいや、そんな話はきいてない、指揮棒やスコアが展示してあるし、そうではないぞ、まさか、まさか・・・。嫌な予感がしてネットを検索し、最悪のニュースを知りました。
恐れていた日がいよいよやってきてしまった。僕がクラシックにめざめた中学のころに大家~中堅だった指揮者は本年6月16日のロジェストヴェンスキーさんの逝去をもってすべて故人になったということです。巨星墜つ。同世代のクラシックファンの皆さん、大家の時代の終焉です。
若い皆さん、いま大家である小澤、メータ、ハイティンク、プレヴィン、レヴァイン、インバル、ムーティ、ブロムシュテット、デ・ワールト、デュトワ、シャイー、ラトルらは、当時はまだまだ小僧か青二才の扱いで、一部の人は極東の島国ではレコード市場の表舞台に現れてもいなかったのです。
高2だった1972年に、夢に出るほど没入していた悲愴交響曲がどうしてもききたくて、清水の舞台から飛び降りる心持で高価なチケットを買ったのがロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団の来日公演でした。プログラムは紛失し前半の曲目もまったく覚えてませんが、今はなき渋谷公会堂だったことは確か。そこで「海外オーケストラ来日公演記録抄」というブログを拝見すると、これだったことが判明しました。
5月27日(土曜): 渋谷公会堂
チャイコフスキー / ピアノ協奏曲第1番 (Pf・ヴィクトリア・ポストニコワ)
チャイコフスキー / 交響曲第6番
これぞ僕が人生初めて聴いたオーケストラの演奏会でした。行った理由はもう一つあって、中学生のころ父に買ってもらったスッペの「軽騎兵序曲」と「詩人と農夫」のEP盤(右)が1万枚あるレコード/CDの記念すべき最初の1枚でその指揮者がたまたまロジェストヴェンスキーだったからです。初物づくしの指揮者でした。高2の5月27日というと僕は硬式野球部で夏の大会予選に向けて投げまくって故障した頃でした。我慢してましたがやがて激痛で右ヒジをまっすぐに伸ばせなくなりました。鍼灸師、電気治療院に通いましたが治癒せず、背番号1番から14番に降格された絶望のときです。クラシックという違う道の喜びを見つけたのか偶然そうなったのかは覚えてませんが、運命だったと思うしかありません。
音をお聴きください。
後の欧米赴任時代にはロジェストヴェンスキーのライブを聴いた記憶はなく、もっぱら彼はレコード上の大家でした。スヴェトラーノフと違い独奥系レパートリーのイメージが薄く、交響曲がプロコフィエフとシベリウスの全集、シュニトケ2、3、4番、ミヤスコフスキー1,2,5,22番、マーラー5番、ブルックナー5、8番、チャイコフスキー4,6番、幻想、ショスタコーヴィチ5、12番、グラズノフ2、6番、あとラヴェルのダフニスを買っていました。
ライブでは帰国してから読響で何度か。奥さんとのR・コルサコフのP協、チャイコフスキーのイオランタなんて珍しいものも聴かせていただいたし、この人はどんな複雑な楽譜でもすぐ読めて解析できるんだという鮮烈な印象があります。なんといっても火の鳥と春の祭典は、なぜこれを録音しないんだと不思議なほどの深みある演奏でした。そして昨年のブルックナー5番(右)。その前のショスタコ10番を仕事でパスしていたのでこれが聴けて本当に良かった。芸劇で5月19日、母が亡くなる10日前でその前日も病室で泊まりでしたが、この演奏は衝撃でした。きっとこれは母が行かせてくれたんでしょう。
僕のクラシック音楽史は彼の「軽騎兵序曲」によってはじまり、これによって幕を閉じました。思えばウィーンで初めて聴いたニュー・イヤー・コンサートは軽騎兵で始まり、やっぱり最後のコンサートになったオイゲン・ヨッフムの演奏会もブルックナー5番でした。
「エースと4番は育てられない」(野村克也監督)。そう思います。名指揮者もそうでしょう。長らくお世話になり、たくさんの楽しみをいただきました。心よりご冥福をお祈りします。
(PS)
1966年8月21日、ロイヤル・アルバートホール(プロムス)でのライブ。ここに書いた1972年の東京公演はこうだったのかと推測する演奏。人生初めて聴いたオーケストラの演奏会で何もわかるはずないが打ちのめされて帰宅したのだけがうっすらと記憶に・・・。
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ボロディン 交響曲第2番ロ短調
2014 DEC 13 2:02:11 am by 東 賢太郎
アレクサンドル・ボロディンの交響曲第2番ロ短調は、演奏会があるならばきいておこうかなといつでも思う曲です。そのぐらい好きです。
この曲が交響曲としてベートーベンやブラームスのものと伍す存在かといえば否です。ロシアのローカル色豊かな楽想を持ち味としたボロディンが、交響曲というドイツ保守本流の枠組みで書いた一大抒情詩のようなものであり、僕はいつも初心者のかたには「ドヴォルザークの新世界のロシア版みたいな曲ですよ」と紹介しています。知らずにいてはもったいない佳曲です。
完成は1876年だからブラームスの1番と同じですね。ブラームスは完成に21年かけましたがボロディンも7年かけました。ただ彼は専業作曲家ではなく本業は化学者、医学者、大学教授です。しかも歌劇「イーゴリ公」といっしょに書いていたのですから7年こればかりに費やしたわけではありません。作曲で飯を食っていたブラームスが21年悩みぬいた作品と完成度において比べても酷でしょう。
彼の実父はグルジア皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリです。母は皇太子の私生児を3人産んでいてその一人が彼であり、戸籍上子とされた農奴の姓がボロディンだったのです。彼は化学者、医師として有能であると同時に女性の教育の機会均等に力を注ぎ、ペテルブルグ女子医学校を設立、それを生涯最大の誇りとしていました。
キャリアを見ると実に凄い。17歳でペテルブルグ医大に入学、22歳で首席卒業、25歳で博士号取得(有機化学)、29歳で出身校の助教授、31歳で教授と絵にかいたようなエリートです。音楽の専門教育は受けておらず、彼自身、はっきりと自分の職業であるサイエンスと教育に限りない愛情があると述べています。では作曲はというと、
For me it is a relaxation, a pastime which distracts me from my principal business, my professorship. (本業の教授職から気を紛らわせてくれる息抜き、娯楽である)
と明言しています。「他の作曲家はそれが本業であり人生の目標なのだから自分のような者が音楽活動を語るのはためらいがあるし、自分はむしろ無名でいい」とも言っています。しかし一方で、
Respectable people do not write music or make love as a career.(立派な人は曲を書いたり情交したりすることを職業にはしない)
とも語っています。これをどう解釈するかは微妙ですが、職業であるサイエンスへの強烈な自意識とプライドがあったことは事実でしょう。そういうことを俯瞰すると、ボロディンはアマチュア作曲家であったといって間違いではないのだろうと思います。ノーベル平和賞の医学者アルベルト・シュヴァイツァー博士はバッハ研究で有名なオルガニストでもあり、相対性理論のアインシュタインはどこへ行くにもヴァイオリンを持っていったというのに近いのかもしれません。
ただ、ボロディンのアマチュアリズムはプロの顔色なからしめる水準のものでした。彼は1877年にドイツへ行ったおりにワイマールでフランツ・リストとこの2番のピアノ版を連弾し、リストはこの曲の独創性を大いに誉め、「誰が何をいおうが無視しろ、絶対に周囲のアドヴァイスで曲を変更をするな」と戒めたそうです。リストと連弾するピアノの腕前にも驚きますが、リストの進言どおりに周囲の助言を無視したのも正解でした。結局後世になって、アドヴァイスした作曲家でボロディンより有名になった人はいなかったのだから。
このときにドイツへ行ったのは自分の教え子をイェーナ大学に入れるためで、そのついでにワイマールへ寄った。その「ついで」のほうがこうして歴史に残っているのだからすごいものです。「ボロディン反応」で科学史に名を残している偉大な化学者が交響曲を三つとオペラを一つ書いた。たとえそれが凡作であれ並の人間にできることではないですが、それがまた名作であって歴史に名を残してしまった。今はやりの「二刀流」にたとえれば、メジャーリーグでバッターで二千本安打、ピッチャーで二百勝を両方やってしまったようなものです。どんなジャンルであれこんな二種目制覇の離れ業をやった人間はレオナルド・ダ・ヴィンチ以外にはちょっと思い当りません。
さて、音楽についてです。
交響曲第2番は複雑なことが一切ない曲です。こんなに単純明快でわかりやすい交響曲も珍しいでしょう。大まかにいえば、覚えやすいメロディーに和音がついているだけ。横に旋律が絡み合う対位法の部分は少なく、和音も難渋なものは出てきません。
というと幼稚な音楽のようですが、ところがどっこい、この2番はトスカニーニ、ミトロプーロス、ドラティ、アンセルメ、マルコ、コンドラシン、クレツキ、クーベリック、マルティノン、ゲルギエフ、スヴェトラーノフ、イェルヴィ、ラットル、そしてあのカルロス・クライバーといった指揮界の大物が録音している人気ナンバーなのです。この曲の魅力が半端でないことはこの顔ぶれが証明してくれます。
もっと大変な事実があります。1900年頃にパリの音楽家、詩人などが結成した芸術グループであるアパッシュがありましたが、彼らはこのボロディンの2番の冒頭テーマを口笛で吹いて秘密の合図にしていました。アパッシュは1902年に初演されたドビッシーの「ペレアスとメリザンド」などの新芸術を支持し、メンバーにはラヴェル、ファリャもいました。ボロディンに憑りつかれた作曲家、指揮者、ピアニストは数えきれませんが、特にラヴェルは「ボロディン風に」なるピアノ曲を書いており、ダフニスの全員の踊りを書いている頃にピアノの譜面台には「ダッタン人」のスコアがあったそうです。
歌劇「イーゴリ公」と並行して作曲されたため両者は似た雰囲気を持っていますから「ダッタン人の踊り」が好きな人は気に入ることうけあいです。たとえばボロディンの友人でチャイコフスキーとも親しかったニコライ・カシキンによると、アッパッシュが合図にした冒頭テーマはダッタン人の合唱になる予定だったのを転用したそうです(英文Wikipediaによる)。
粗野で生気あふれるリズム、旋律のエキゾチックな人なつっこさ、万華鏡のように変転する和声。一気に聴くものをとらえ、心に入り込み、やがて虜(とりこ)にしてしまう恐るべき魔力を秘めた音楽であります。聴いたことのない方は、ぜひここでご自分のレパートリーに入れて下さい。
詳しい方は譜面をどうぞ。僕には非常にインパクトのある転調!たとえば第2楽章のトリオ、このアレグレットです。
このチャーミングなメロディーが10小節目でいきなり半音下がる!!こんな転調は聴いたこともなく、一本背負いを食らったほどすごい衝撃です。普通の音楽で経験しようのない大事件です。
調性の設計も変わっていて、第1楽章はロ短調で第2主題がニ長調、これはいい。ところが展開部で遠い変ホ長調へ行き、ハ長調をとおってロ短調に戻る。そして第2楽章はヘ長調、第3楽章は変ニ長調です。
ボロディンの旋律発明の才、そしてそれを構造的に理詰めで展開、変奏、複合するのではなく天才的な和声のひらめきをもって色づけていく。コンポジションとしてはポップスに近いレベルなのでしょうが、それがあまりに独創的です。終楽章の第2主題が僕は大好きですがその裏で鳴るチェロなどいつもぞくぞくします。
少々マニアックなことを書きましたが、小難しいことは一切ご無用。とにかく聴いて楽しむのみです。私事ですがボロディンがすごく好きだという人を一人だけ知っていて、さっきこのページをピアノで弾きながら思い出していました。どうされてるのか。
ニコライ・マルコ / フィルハーモニア管弦楽団
僕の一番の愛聴盤でおすすめです。マルコはウクライナ出身の名指揮者で、1歳年上のストラヴィンスキーと同じくペテルブルグ大学卒でR・コルサコフの弟子です。グラズノフ、リヤードフにも師事しており、ショスタコーヴィチ交響曲第1番の初演者でもある。ロシア直伝の解釈を聴かせてくれますがそれが野暮ったいローカル色になるのでなく非常にプロフェッショナルな指揮をしているのがいいのです。第1楽章の第2主題はテンポを落して歌い、展開部への入りの望郷を思わせる味、第2楽章のトリオのなつかしさなど抒情の味つけが濃いのに全体の交響曲としてのロジカルな組み立てへの配慮も見事です。散漫になりがちな第3楽章も意味深く、終楽章もから騒ぎになりません。オケは腰が重めで金管の鳴りも充分、木管ソロはチャーミングであり、僕がこの曲に求めるものをこれほどうまく聴かせてくれる演奏はいまのところありません。youtubeにアップロードしましたのでお聴きください。
ジャン・マルティノン / ロンドン交響楽団
僕はマルティノンのロシア物は肌が合います。プロコフィエフの交響曲もよくききます。ラテン的な透明感、きびきびしたリズム、明瞭な発音はロシア風の重量感には欠けますがこれは好みの問題です。この2番はロシアのオケがやるとブラスが重すぎて好きでありません。全般にテンポは快速でもたれない反面、第2楽章のトリオなど抒情的な部分も速すぎて酔わせてくれないなど一長一短はあるのですが、総じて満足度の高い演奏と思います。
キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
これがスタンダードな名演でしょう。コンドラシン最晩年のライブですが気合十分、オケのドライブ力は最高で、この名門をここまで意のままに引っぱって鳴らしきるのはよほどの大物でないと無理と思います。このシリーズは音良しオケ良しの名演揃いでプロコフィエフの交響曲3番も最高級のもの。手に入りにくくなっていますがこのボロディン2番も是非持っていたいものです。
(補遺、3月11日)
エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団
はっきりいってオケは下手である。しかし、それでこの演奏を語るのは黒澤の映画が白黒だから画質が云々で評価するのと同じだ。これの良さは下手ながらも指揮者のカリスマについていこうというアマのような一途さと思う。アンセルメはボロディンの音楽を知っている。そこに磁力が生まれ、ラテン的感性の奏者たちがフレンチ風の音で健闘している。第2楽章第2主題のフルート、オーボエなどいじらしい。これはアンセルメのR・コルサコフ「シェラザード」を名演に仕立てた要素だ。スコアの深奥を知っているマエストロがもういない僕らの時代、指揮者と楽員は平等になった。こういう演奏はもう二度と生れないのだろうか。
カルロス・クライバー / シュトゥットガルト放送交響楽団
クライバーは父子で2番が好きだったようだ。カラヤンやベームが振ると思えないこれを。興味本位で聞いてみたが、まず第1楽章、アレグロになると一気に音楽が走るのにびっくり。こういう電撃的、てんかん質なオケのドライブは独墺系の曲ではやらないがここではやりたい放題で全開だ。木管は終楽章で原色丸出しでまことに気品がなく、こんなのは聞いたことがない。第2主題は速すぎで情緒のかけらもなくまったくいただけない。オケは振り回された結果か、毛頭一級とはいえない音である。ファンには申しわけないが、僕にはお呼びでない録音だった。
(こちらへどうぞ)
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クラシック徒然草-秋に聴きたいクラシック-
2014 OCT 5 12:12:43 pm by 東 賢太郎
以前、春はラヴェル、秋にはブラームスと書きました。音楽のイメージというのは人により様々ですから一概には言えませんが、清少納言の「春はあけぼの」流独断で行くなら僕の場合やっぱり 「秋はブラームス」 となるのです。
ブラームスが本格的に好きになったのは6年住んだロンドン時代です。留学以前、日本にいた頃、本当にわかっていたのは交響曲の1番とピアノ協奏曲の2番ぐらいで、あとはそこまでつかめていませんでした。ところが英国に行って、一日一日どんどん暗くなってくるあの秋を知ると、とにかくぴたっと合うんですね、ブラームスが・・・。それからもう一気でした。
いちばん聴いていたのが交響曲の4番で毎日のようにかけており、2歳の長女が覚えてしまって第1楽章をピアノで弾くときゃっきゃいって喜んでくれました。当時は休日の午後は「4番+ボルドーの赤+ブルースティルトン」というのが定番でありました。加えてパイプ、葉巻もありました。男の至福の時が約束されます、この組み合わせ。今はちなみに新潟県立大学の青木先生に送っていただいた「呼友」大吟醸になっていますが、これも合いますね、最高です。ブラームスは室内楽が名曲ぞろいで、どれも秋の夜長にぴったりです。これからぼちぼちご紹介して参ります。
英国の大作曲家エドワード・エルガーを忘れるわけにはいきません。「威風堂々」や「愛の挨拶」しかご存じない方はチェロ協奏曲ホ短調作品85をぜひ聴いてみて下さい。ブラームスが書いてくれなかった溜飲を下げる名曲中の名曲です。エニグマ変奏曲、2曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ちょっと渋いですがこれも大人の男の音楽ですね。秋の昼下がり、こっちはハイランドのスコッチが合うんです。英国音楽はマイナーですが、それはそれで実に奥の深い広がりがあります。気候の近い北欧、それもシベリウスの世界に接近した辛口のものもあり、スコッチならブローラを思わせます。ブラームスに近いエルガーが最も渋くない方です。
シューマンにもチェロ協奏曲イ短調作品129があります。最晩年で精神を病んだ1850年の作曲であり生前に演奏されなかったと思われるため不完全な作品の印象を持たれますが、第3番のライン交響曲だって同じ50年の作なのです。僕はこれが大好きで、やっぱり10-11月になるとどうしても取り出す曲ですね。これはラインヘッセンのトロッケン・ベーレンアウスレーゼがぴったりです。
リヒャルト・ワーグナーにはジークフリート牧歌があります。これは妻コジマへのクリスマスプレゼントとして作曲され、ルツェルンのトリープシェンの自宅の階段で演奏されました。滋味あふれる名曲であります。スイス駐在時代にルツェルンは仕事や休暇で何回も訪れ、ワーグナーの家も行きましたし教会で後輩の結婚式の仲人をしたりもしました。秋の頃は湖に映える紅葉が絶景でこの曲を聴くとそれが目に浮かびます。これはスイスの名ワインであるデザレーでいきたいですね。
フランスではガブリエル・フォーレのピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115でしょう。晩秋の午後の陽だまりの空気を思わせる第1楽章、枯葉が舞い散るような第2楽章、夢のなかで人生の秋を想うようなアンダンテ、北風が夢をさまし覚醒がおとずれる終楽章、何とも素晴らしい音楽です。これは辛口のバーガンディの白しかないですね。ドビッシーのフルートとビオラとハープのためのソナタ、この幻想的な音楽にも僕は晩秋の夕暮れやおぼろ月夜を想います。これはきりっと冷えたシェリーなんか実によろしいですねえ。
どうしてなかなかヴィヴァルディの四季が出てこないの?忘れているわけではありませんが、あの「秋」は穀物を収穫する喜びの秋なんですね、だから春夏秋冬のなかでも音楽が飛び切り明るくてリズミックで元気が良い。僕の秋のイメージとは違うんです。いやいや、日本でも目黒のサンマや松茸狩りのニュースは元気でますし寿司ネタも充実しますしね、おかしくはないんですが、音楽が食べ物中心になってしまうというのがバラエティ番組みたいで・・・。
そう、こういうのが秋には望ましいというのが僕の感覚なんですね。ロシア人チャイコフスキーの「四季」から「10月」です。
しかし同じロシア人でもこういう人もいます。アレクサンダー・グラズノフの「四季」から「秋」です。これはヴィヴァルディ派ですね。この部分は有名なので聴いたことのある方も多いのでは。
けっきょく、人間にはいろいろあって、「いよいよ秋」と思うか「もう秋」と思うかですね。グラズノフをのぞけばやっぱり北緯の高い方の作曲家は「もう秋」派が多いように思うのです。
シューマンのライン、地中海音楽めぐりなどの稿にて音楽は気候風土を反映していると書きましたがここでもそれを感じます。ですから演奏する方もそれを感じながらやらなくてはいけない、これは絶対ですね。夏のノリでばりばり弾いたブラームスの弦楽五重奏曲なんて、どんなにうまかろうが聴く気にもなりません。
ドビッシーがフランス人しか弾けないかというと、そんなことはありません。国籍や育ちが問題なのではなく、演奏家の人となりがその曲のもっている「気質」(テンペラメント)に合うかどうかということ、それに尽きます。人間同士の相性が4大元素の配合具合によっているというあの感覚がまさにそれです。
フランス音楽が持っている気質に合うドイツ人演奏家が多いことは独仏文化圏を別個にイメージしている日本人にはわかりにくいのですが、気候風土のそう変わらないお隣の国ですから不思議でないというのはそこに住めばわかります。しかし白夜圏まで北上して英国や北欧の音楽となるとちょっと勝手が違う。シベリウスの音楽はまず英国ですんなりと評価されましたがドイツやイタリアでは時間がかかりました。
日本では札幌のオケがシベリウスを好んでやっている、あれは自然なことです。北欧と北海道は気候が共通するものがあるでしょうから理にかなってます。言語を介しない音楽では西洋人、東洋人のちがいよりその方が大きいですから、僕はシベリウスならナポリのサンタ・チェチーリア国立管弦楽団よりは札幌交響楽団で聴きたいですね。
九州のオケに出来ないということではありません。南の人でも北のテンペラメントの人はいます。合うか合わないかという「理」はあっても、どこの誰がそうかという理屈はありません。たとえば中井正子さんのラヴェルを聴いてみましたが、そんじょそこらのフランス人よりいいですね。クラシック音楽を聴く楽しみというのは実に奥が深いものです。
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クラシック徒然草-ヴァイオリン・コンチェルトの魅惑-
2013 APR 27 0:00:53 am by 東 賢太郎
僕は幼稚園のころヴァイオリンを習ったらしい。らしい、というのは、さっぱり覚えていないのだ。母によると「泣いて嫌がった」ようで、これは思い当たる節がある。音の好き嫌いというのがあって、電車の車輪のガタンガタンは好き、ガラスを引っ掻いたキーは嫌い。まあ後者を好きな人はいないだろうが嫌い方は尋常ではなかった。耳元でキーキーいうヴァイオリンが嫌だったのはそれだと思う。
ヴァイオリン協奏曲、なんて魅力的なんだろう。我慢してやっておけばよかった。ピアノ協奏曲には、嫌いなもの、興味のないものがけっこうある。しかし、ヴァイオリンのほうは、ほぼない。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、メンデルスゾーン、パガニーニ、シューマン、ブルッフ、ブラームス、ヴュータン、チャイコフスキー、シベリウス、サンサーンス、ラロ、R・シュトラウス、グラズノフ、ヴィエニャフスキー、ハチャトリアン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキー、バルトーク、シマノフスキー、マルティヌー、エルガー、ウォルトン、ベルク、コルンゴルド、バーバーなど、綺羅星のような名曲たち、全部好きだ。
しかしいつでも聴きたいものはベートーベン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスの5大名曲だろうか。この各々についてはいずれ書こうと思う。LP時代はメンデルスゾーンとチャイコフスキー表裏で俗に「メンチャイ」と呼ばれていた。僕もアイザック・スターン/オーマンディー/フィラデルフィア0.のメンチャイ(右はそのSACD)で初めてヴァイオリン・コンチェルトの世界へ入った。スターンのヴァイオリンの素晴らしさ、オーマンディーの伴奏のうまさは天下一品であり、これを永遠の名盤と評してもどこからも文句は出ないだろう。この2曲の最右翼の名演でもあり、ヴァイオリン協奏曲というジャンルがいかに魅力的かわかる。
アイザック・スターン(1920-2001)は84年4月にデイビッド・ジンマン/ニューヨーク・フィルとフィラデルフィアに来てブラームスをやった。忘れもしないが、第2楽章に入ろうとしたときだ。ちょっと客席がざわついていると首をこちらに向けぎょろ目で睨みつけ、客席は凍って静まった。マフィアの親分並みの迫力だった。しかしその音色はこのメンチャイそのものの美音で、すごい集中力で通した迫真のブラームスだった。
ベートーベンは94年にミュンヘンで聴いたチョン・キョン・ファの壮絶な演奏が忘れられない。右のテンシュテットとのCDはあの実演の青白い炎こそないが89年のライブであり、これもこれで充分にすごい。
また、ベートーベンはこれも84年2月17日にスターンで聴いたがこっちはムーティーの指揮が軽くて感興はいまひとつだった。名人がいつも感動させてくれるとは限らないのだ。
さてこのチョン・キョン・ファだが、84年2月3日に フィラへ来てムーティとチャイコフスキーをやった。ベートーベンはだめなオケもチャイコはオハコだ。この演奏の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、彼女の発する強烈なオーラを真近に受けて圧倒され、しばらく席を立てなかった。右のCDも彼女のベストフォームに近い。この曲、一般に甘ったるいだけと思われているが、とんでもない。この作曲家特有の熱病にかかって精神が飛んだような妖気をはらんでいるのだ。そういう部分を抉り出すこの演奏は実におそろしい。出産を境に弟ばかり活躍が目立つようになってしまったが、ぜひ輝きを取り戻してほしい。
さてチャイコフスキーだが、どうしても書かざるをえない物凄い演奏がある。ヤッシャ・ハイフェッツ/ライナー/シカゴso.盤(右)である。トスカニーニが最高のヴァイオリニストと評したオイストラフその人が、「世の中にはハイフェッツとその他のヴァイオリニストがいるだけだ」と言ったのは有名だ。ブラームスはいまひとつだがチャイコフスキーはここまで弾かれるとぐうの音も出ない。超人的技巧だが鬼神が乗り移ったという風でもなく、サラサラと進んで演奏が難しそうにすら聞こえない。これでは「その他のヴァイオリニスト」たちに同情を覚えるしかない。
ブラームスは名演がたくさんあって困る。ピアノ協奏曲2番とともに僕が心の底から愛している音楽だから仕方ない。まずはダビッド・オイストラフの名技を。クレンペラー盤(右)とセル盤があって、どっちも聴くべきである。前者はオケがフランスで腰が軽いのが実に惜しい。それでもクレンペラーのタメのある指揮に乗って絶妙なヴァイオリンを堪能することができる。
シベリウスは一聴するとちょっととっつきにくい。僕も最初はそうだった。しかし耳になじむと他の4曲に劣らない名曲ということがだんだんわかるだろう。ダビッド・オイストラフはオーマンディー盤(右)、ロジェストヴェンスキー盤とあるが、どちらも素晴らしい。シベリウスを得意としたオーマンディーはスターンとも録音していて、これも甲乙つけがたい名演である。
最後にメンデルスゾーンをもうひとつ。レオニード・コーガンがマゼール/ベルリン放送so.とやったものだ。この頃のマゼールは良かった。この曲の伴奏として最高のひとつだ。コーガンはやや細身の音で丹念に歌い、この曲のロマン的な側面をじっくりと味わわせてくれる。終わると胸にジーンと感動が残り、演奏の巧拙ではなく曲の良さだけが残る。本当に良い演奏というのは本来こういうものではないか。
以上、この5曲は、ヴァイオリン協奏曲のいわば必修科目であり、クラシック好きを自認する人が知らないということは想定できないという英数国なみの枢軸的存在だ。ぜひじっくりと向き合ってこれらのCDを何度も聴き、心で味わっていただきたい。一生に余りあるほどの喜びと充実した時間を返してくれること、確実である。
(補遺、2月15日)
チャイコフスキーでひとつご紹介しておきたいのがある。
藤川真弓 / エド・デ・ワールト / ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
いまもって最高に抒情的に弾かれたチャイコフスキーと思う。じっくりと慈しむような遅いテンポは極めて異例で、一音一音丹精をこめ、人のぬくもりのある音で歌う。第1楽章の高音の3連符は興奮、耽溺して崩れる人が大家にも散見されるがそういうこととは無縁の姿勢だ。感じられるのは作曲家への敬意と自己の美意識への忠誠。チャイコフスキー・コンクール2位入賞の経歴をひっさげてこういう演奏をしようという人が今いるだろうか。
(曲目補遺)
ボフスラフ・マルティヌー ヴァイオリン協奏曲第2番
1943年の作だがミッシャ・エルマンのために書いたロマン派の香りを残す素晴らしい曲。近代的な音はするが何度も聴けば充分にハマれ、食わず嫌いはもったいない。第2楽章などメルヘンのように美しい。
(こちらもどうぞ)