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カテゴリー: ______シベリウス

N響・パーヴォ・ヤルヴィのシベリウス2番

2017 FEB 13 13:13:25 pm by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
アコーディオン:クセニア・シドロヴァ

ペルト/シルエット ― ギュスターヴ・エッフェルへのオマージュ(2009)[日本初演]
トゥール/アコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」(2007)[日本初演]
シベリウス/交響曲 第2番 ニ長調 作品43

 

 
トゥールが面白い演目でした。アコーディオンがはいるクラシックは初めてですが、管とも弦とも音色の親和性があって意外に溶け込みます。音量はマイクで拾っていましたが十分にコンチェルトが成り立つように思いました。シドロヴァ はチャームのある人でアンコールも魅了されました。ぺルトの曲はパーヴォに献呈されたもののようですがよくわからず。

シベリウスは親父もこのオケで聴いたので比べてしまいます。

ネーメ・ヤルヴィのシベリウス2番を聴く

これがあまりにインパクトがあり、こういう家の子は大変だなと思うことしきり。息子は曲想に応じて振幅の大きな表現で、長い音符は長く、急速なパッセージはより急速にと変化をつけますが、どうも後期ロマン派ぶって聞こえてしまう。弦がそれに呼応して熱演してしまうものだから、どうも僕のイメージからどんどん乖離していきました。ff の弦の質感もよろしくない。去年聴いたラハティ響はこんな弾き方はしていませんでしたが音楽は内面からエネルギーを放射していましたね。この路線で息子の全曲を聴きたいとは思いませんでした。終楽章コーダのティンパニ・ロールに g を入れるのは大変に耳障り、勘弁してほしい。ベルグルンドも1回目のボーンマスSOではやっていますがヘルシンキSO、イギリスCOとの2,3回目は d のまま。どうしてスコア通りでいけないのかわかりません。お気に召した方は多そうでしたが、趣味の違いですぐ失礼しました。

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ルロイ・アンダーソン 「そりすべり」 (Sleigh Ride)(その3)

2015 DEC 8 0:00:59 am by 東 賢太郎

LA-Photo-42シベリウスのようなシリアスな曲をききながら僕がルロイ・アンダーソンを愛好するのはどうしてかというと、どっちも和声が抜群に面白いからです。和声フェチとして、シリアスかライトミュージックかは二の次。美人に国籍なし、です。

シベリウスの和声というとあまり語られていませんが、とても興味深い。彼の楽器はヴァイオリンですが交響曲のような構造のロジックを問う音楽ではやはりピアノで思考したのかなと思います。調性が自由なように聞こえるのはドイツ音楽の視点から予定調和的でない事件が数々おきるからですが、それが元のあるべき調に帰還する- ロジックがあるとはそういうことだ- その手続きは見事に計画されています。そのプロセスに僕はピアノ的なものを見ます。

一方のルロイ・アンダーソンはというと、これはまったくもってピアノ的であって、それ以外の楽器を逆さにしても「そりすべり」の転調なんかは出てこないでしょう。ビートルズが奇矯なコード進行を見つけたといっても、それはAとかB♭といった「コード」という名のもとに色彩のくっきりした三和音という原色に固まった和音の連結が風変りだということであって、中華料理のフルコースにフランス料理の一皿が供されてあれっと思ったという風情のものである。

ところが「そりすべり」の変ロ長調(B♭)が咄嗟にホ短調(Em7)に色が変わってしまうあの増4度のマジカルな転調は、B♭の主旋律の伴奏の最初の和音がb♭-aの長7度を含むという輪郭の「ぼかし」が下敷きにあって、しかも最初の2小節だけで2度のぶつかりが5つもあるのであって、原色に混じりの入った、ギターじゃ弾けない「固まってない和音」が前座にあるから奇矯に聞こえないという裏ワザでなりたっています。

しかも楽器法もうまくて、B♭にはスレイベル(鈴のシャンシャンシャン)が入っていてEm7で突然ウッドブロック(馬のパッカパッカ)が闖入し、耳をとらえてしまいます。調がぶっ飛んだ意外感がもっと意外な音で中和されます。Em7はD(ニ長調)の前座だったことがわかると今度はDm7に変化し、それがC(ハ長調)になったと思いきや、それをB♭へ回帰させるために曲頭の前奏がE♭(変ホ長調)を背景に現れる、ここのぶっ飛びも段差がありますが、今度はグロッケンシュピールが可愛らしく闖入して、またまた転調の意外感を消してしまう。しかもEm7のところから裏に入っていたチェロの魅惑的な対旋律がずっと並行してきて意外感なくE♭へいざなってくれる。う~ん、すごい、プロの技です。

この転調、ウルトラC級でドイツ音楽にもフランス音楽にも現れないレア物であり、この曲を「歌もの」にアレンジするとホ短調部分(歌詞でいうとGiddy-yap giddy-yap のところ)がどうしても浮いてしまいます。唐突すぎてポップスとしてサマにならないのです。だからみなここだけ子供の声にしたり、その段差を正当化すべく苦労してます。このアレンジはばっさり切り捨ててしまっています。この女性の太めの声であの転調はズッコケになるとアレンジャーが諦めたのでしょう、主部を半音ずつ上げていくという単調を避ける変化球で逃げています。これはこれで味はありますし、ひとつの解決策ですね。

どうしてそうかというと、声で歌うと伴奏和音の7度のぼかしが聞こえにくいのです。だからギター風に「固まった和音」でB♭からEm7にドスンと落っこちて、階段でころんで尻餅をついたようになってしまう。一方、伴奏が良くきこえるピアノやオーケストラだと「ぼかしの7度、2度」が作用して「にごり」を作って原色イメージが和らぎ、ソフトランディングができる。要はB♭のコードが明瞭でなく、中華料理が中華中華してないのでフレンチの一皿が闖入して驚きはしても、それなりにしっくりきてしまうという風情なのです。しかし、そうはいっても奇矯な転調だから強いインパクトを残すのであって、永遠のヒット曲になっている隠し味という所でしょう。

ピアノで弾いてみるとルロイ・アンダーソンの和声はこうしたマジックに満ちていることを発見しますが、こういう「当たり前に固まった和音」に「にごり」を入れて輪郭をぼかすようなことはギターの6弦で、しかも短2度のような近接音を出しにくい構造の楽器では困難です。ピアノのキーボードの利点をフル活用した作曲であり、ドビッシーが開拓した音の調合法の末裔でしょう。ちなみにアンダーソンの先祖はスェーデン人ですが、グリーグやシベリウスら北欧の人の非ドイツ的な和声感覚に僕は魅かれるものがあります。

andersonニューヨークの楽譜屋で見つけたこの楽譜は宝ものです。アンダーソン代表作25曲のピアノソロ譜です。Almost completeというのがぜんぜんそうじゃなくって、いい加減なおおらかさがアメリカらしいが、たしかにこの25でいいかというぐらい有名曲は入ってます。「そりすべり」はチェロの美しい対旋律がなかったり2手の限界はあるのですが、弾いていると無上に楽しい。ほんとうにいい曲だなあと感服するばかりであります。

 

「そりすべり」はいろんなアレンジが百花繚乱です。気に入ったものをいくつか。

アメイジング・グレイスを歌ったニュージーランドのヘイリー・ウェステンラの歌です。伴奏のギターの和音は手抜きですが、ピッチの合った器楽的な声で転調をうまくこなしているレアなケースです。ポップス的にあまり面白くはないが絶対音感がある彼女の転調の先読みは知性を感じます。好感度大。

カーペンターズ版です。70年代のアメリカの匂いがぷんぷんしますね。カレンの歌は群を抜いてうまい。どう転調してもぴたっとキーが合ってしまう。単に表面ずらでなく、ミとシの具合まで完璧に瞬時にアジャストしてます。この凄い音感とピッチ、どこにボールが来てもミートできるイチローみたいな天性の動物的感性を思わせます。

次、カメロン・カーペンターのオルガン。このひとりオーケストラ、驚異です。

ギターです。いいテンポですね、この人、音楽レベル高いです。

前回のTake 6のアレンジ。これもすばらしい!アカペラも含めて歌バージョンで増4度のホ短調への転調を音楽的にうまくのりきっているのはヘイリー・ウェステンラとカレン・カーペンターと彼らだけでした。この6人の和声感覚は世界最高レベルの洗練をみせています。

最後にアメリカ海兵隊バンド (The President’s Own United States Marine Chamber Orchestra)。うまい!やっぱりこれだ。ウィーン・フォルクス・オーパーのヨハン・シュトラウスです、参りました。

(こちらもどうぞ)

 

ルロイ・アンダーソン 「トランペット吹きの休日」 (Leroy Anderson: Bugler’s Holiday)

ルロイ・アンダーソン 「そりすべり」 (Sleigh Ride)

ルロイ・アンダーソン「そりすべり」 (Sleigh Ride)(その2)

 

シベリウス 「アンダンテ・フェスティーヴォ」とフリーメイソン

2015 DEC 6 2:02:23 am by 東 賢太郎

この作品番号のない小曲をご存知の方は多いでしょう。シベリウス・プログラムのアンコールピースとしてフィンランディアと共に定番のひとつですね。

1922年に自宅近郊の製材所(Säynätsalo sawmills)の25周年記念祝賀会のために祝祭カンタータを委嘱されましたがシベリウスは Andante festivo という数ページの弦楽四重奏を書きました。この時まだ56才の彼はその後35年も生きるのですが、以前から書いてきた交響曲第6,7番を完成し、タピオラを書いたほかは抑うつ状態とアルコール依存で作曲ができなくなったのです。

まずはその弦楽四重奏版です。

の曲の素材はポヒョラの娘、第3交響曲を書いていたころ構想していたオラトリオ(Marjatta)に由来するという説もあり、1929年に姪の結婚式で2つの弦楽四重奏団の合同で演奏されており、そこで編曲された可能性も指摘されています。30年ごろから彼は重要な作品を作っていませんが、ラジオで自作の演奏を熱心に聴いていました。しかし当時のスピーカーの音の限界を察しており、ラジオ用には異なる作曲法が必要と考えていたようです。

そこにニューヨーク万博(1939年4月開幕)のための祝賀作品の委嘱が来ました。それは世界にラジオで放送されるため、彼はAndante festivo をラジオ用に異なる作曲法で編曲しました。それが現在広く流布している弦楽オーケストラにティンパニを付加したバージョンなのです。最後だけ使われるティンパニに、当時の乏しい音しか出なかった「ラジオ用」という意図が感じられるように思います。これがその版です。

どなたも容易に気づかれることと思いますがこのト長調の冒頭の旋律はドヴォルザークの新世界第4楽章そのものです(長調にしたもの)。

andante

第2主題にはどこか郷愁を感じる長7度の和声(g-f#)が響きます(赤枠部分)。和声はレ・ファ#・ラ(ドミナント)に移行しますがバスはg(ソ)のまま(オスティナート)であるためです。

andante1

これは第2交響曲の冒頭、T-SD-Dと移行するDの部分の和声(A)とオスティナートバス(d)が衝突しておこる赤枠内のチェロパートのd-c#と同じものです。この長7度がどれほど自然の息吹と陰影を与えているかお分かりでしょうか。

andante2

第7交響曲終楽章の最後の感動的な和音はやはりドミナント(G)の和音にトニックのバス(c)が侵入してこの長7度を形成し、最後の最後に至ってソプラノ(h)がおごそかに半音上がってハ長調で曲を閉じます。シベリウスの作曲の奥義であり、Andante festivo が我々の心をゆさぶるにはわけがあるようです。

ただ、このスコアで僕が最も重要と思う部分はここです。2つ上の楽譜の青枠部分です。

andante3

これがモーツァルト「魔笛」の第2幕の僧侶たちの合唱「おお、イシスとオシリスの神よ」のコーダに出てくる特徴的な和声連結であることは魔笛を記憶されている方ならお気づきではないでしょうか。魔笛がフリーメイソンと関係があることは証明はできませんが可能性は高いと思われます。そしてシベリウスは確実にフリーメイソンであったのです。しかも入会日がわかっていて1922年8月18日、そして Andante festivo となった曲を注文されたのは同年のクリスマス前なのです。

しかもそれは25周年記念祝賀会のための「祝祭カンタータ」だった。モーツァルトが自作の作品目録に記した最後の作品がフリーメーソンのためのカンタータ「我らの喜びを高らかに告げよ」 (K.623)だったのにご注目ください。発注主のサイナトゥサロ製材所(Säynätsalo sawmills)がメイソンだったのではないかと想像したくなってしまいます。JS29という作品番号なしの作品に「The American Miller’s Song」(紛失)というのがあるのですが、ドヴォルザーク新世界を引用したのも気になります。

Jean_Sibelius_1939メイソンのメッセージが刻印された曲をニューヨーク万博に送ったとしたらシベリウスの意図は何だったのか?一篇のミステリーのようになってきました。この万博開催中の1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻、英仏がドイツに宣戦布告して第2次世界大戦が始まっているのもきな臭い。73才のシベリウス(写真)は39年のニューイヤーズ・イヴにこの曲を自ら指揮(フィンランド放送交響楽団)、1月1日に世界に向けてラジオ放送されました。それがこれであり、これはシベリウスが残した唯一の録音でもあります。

テンポはかなり遅めです。びっくりしたのはスコアによれば14小節目からクレッシェンドして f  となり meno で弱くなると22小節目でもう一度 f になるのですが、シベリウスはこの2度目のフォルテを完全に無視してピアノのまま入っています。

ティンパニのトレモロに乗ってサブドミナントの光明をたたえたアーメン終止で終わるこの曲のもたらしてくれる安息感は忘れがたいのですが、僕には魔笛やアヴェ・ヴェルム・コルプスがかぶさって聞こえてくるのです。フリーメイソンが出てくるといかがわしく思われる方もおられるでしょうから書いておきますが、シベリウスの書いた117曲の作品の最後から5番目である作品113は「フリーメイソンのための典礼音楽 」です。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

 

 

 

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ヴァンスカ・読響のシベリウス5-7番を聴く

2015 DEC 5 0:00:52 am by 東 賢太郎

シベリウス生誕150年だった今年のご利益でしょう、札響・尾高、ラハティ響・カム、そして今日の読響・ヴァンスカと「交響曲第5,6,7番」というプログラムを3度聴けました。リントゥ指揮でも5,6,7を聴いてますから各曲を1年で4回、特にあまり舞台にかからない6番を4回聴けたのは幸運でした。もうこういうことは人生二度と望めないでしょう。

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ヴァンスカの指揮は雄渾でメリハリがはっきりと付きます。ロマン的な表現の対極といえましょう。5番はピアノとフォルテの振幅が大きく、第1楽章のファゴット・ソロの部分のppからコーダへ向けてのオーケストラのパースペクティブの拡散は見事。彼は音の霧を作るより精緻に音符を刻んでスコアに語らせるタイプでしょう。低音の響かないサントリーホールのせいかコントラバスだけ指揮したりする場面もあり、木管の大事な旋律が金管に埋もれて聞こえなかったり、バランスにはやや問題があった。しかし5番を構造的にどう解釈するかという点においては第1楽章の終結へのアッチェレランドが過度でないこと、終楽章の終結へ向けてはたっぷりした遅めのテンポをとり安易な興奮をかきたてないのが好感を覚えました。

6番の開始は音量をことさら抑えずあっさりと入ります。こういうところがロマン的でない。この曲は主題の論理的な発展、展開というよりエピソードごとのエモーション(感情)の動きを辿るところにエッセンスがありますが、ヴァンスカのいわば楽譜追求再現型のザッハリヒな表現は的を得ていたと思います。終楽章は激情ともいえる強い表現で、失った人の追想がしめやかさでなく激しい感情の吐露で語られます。いままで聴いたことのない表現であり、今日の白眉でありました。

7番は6番のような表現があまり適さない。幻想曲の趣のある曲ですが、あまり理性が勝つと感動が削がれます。トロンボーンソロに至る和声、クレッシェンドはワーグナーを踏襲する観がありますが、ヴァンスカの音作りの感触はリングにおけるブーレーズのやり方を連想しました。それはそれで説得力あるものなのですが、僕の趣味としては先日のオッコ・カムとラハティ響の方が好みであります。

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オッコ・カム指揮ラハティ響のシベリウス5-7番を聴く

2015 NOV 30 2:02:08 am by 東 賢太郎

flyer_Lシベリウスの交響曲という7つの高峰を順番に全部、それも4日間で一気に聴くというのはワーグナーのリング体験に匹敵します。今回の生誕150年、本家本元のラハティ交響楽団と名匠カムによるそれは一生ものの音楽体験であり、日本にいながらよそ行きの手抜きがない渾身の演奏に接することができたのは夢のような幸運でありました。

ベトナム出張まえからくすぶっていた風邪がこじれ体調は音楽鑑賞できるぎりぎりの線でありました。昨日は帝国ホテルで安倍首相来賓の某家結婚式に出席しましたが2次会は失礼せざるを得ず、今日も咳き込むようなら断念するつもりでした。幸いなんとかなりそうで、周囲の方にご迷惑をかけないよう装備して初台まででかけました。

まず5番です。ライブですから金管の音程など些細な傷はありますが、この拙文に述べた効果をじわりとかみしめた演奏でした(シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調 作品82)。4番の病苦を脱したシベリウスの回帰の喜びはまだ留保があって、それは緩徐楽章の主音の増4度上のトライトーンの不安な響きが象徴します。彼は16羽の鶴が舞って天空に消えるのを見て神に感謝し、この交響曲の終楽章の主題を書きますが、そうした素材のもたらす生への光明と明るさに焦点を当てるのかより内在的な効果に基点を置くかは指揮者の主張です。

カムは後者を強く感じさせ、第1楽章で虚ろなファゴットの部分からコーダへ向けて一直線に音楽は微光を発しつつ熱をおびます。おそらくこの音楽を作曲者と同じ血脈(vein)で理解しないとできないものであり、傷に不満を唱える僕の理性を体が知覚するその熱が圧倒してしまいます。こういう音楽体験を後から文字に書き残すのは難しいことであるのは記憶は頭で考えて再生し言語に変換するからです。聴き終って全身が覚えた感動はもっと原初的なものであって、稚拙なヴォキャブラリーで恐縮ですがサウナ効果とか記しようのない肉体的性質のものです。

6番はこのラハティ響を振ったヴァンスカ盤の直截的な解釈が素晴らしくオケの性能、表現力は証明済です。カムの演奏はさらにおおらかでヒューマンな感情をもりこんだものでした。冒頭の第2ヴァイオリンからヴィオラがからみチェロが加わって悲しい和音が響く。ここに記しましたが、この悲しみという感情の素材は別な音型ながら同じ弦の合奏で交響曲の最後に円環形に回帰するのです。「文字にするそばから陽の光を浴びてどんどん消え去ってしまう悲しみという雪の結晶」です( シベリウス 交響曲第6番ニ短調作品104)。曲尾の虚無感はマーラーの9番に通じるかもしれないという発見を与えてくれる熟達の解釈でした。

7番は今回シリーズ最高の感動的な名演であり、これを聴くことができたことを僕は今年の僥倖の一つとします。ところが残念だったのは、よりによってあの至高のトロンボーンにいたるクレッシェンドで、なんとしたことかあめ玉のチャラチャラが始まってしまい前列の心ある方が咄嗟に後ろを向いて注意された。オケの音が大きくなれば構わないだろうというのはまさしく大迷惑の誤解であり、本当に勘弁してほしい。ホール、主催者はアナウンスするなりチラシを挿むなり、おかしな話ではあるが事前に厳しくウォーニングをすべきでしょう。

この音楽はあらゆる交響曲の中でも、ベートーベンを加えても、人間の精神の営みとして最高度の充足感を与えてくれるものであり、これを書くに至ったシベリウスの心と頭脳のなかで何が起きていたのかは我ら凡人にはかり知れません。この超俗の、しかし我々凡俗の心の奥底まで深く共鳴する奇跡的な音楽!カムとラハティ響の造り出した純度の高い有機的な凝縮された音楽は見事としか書きようもなく一生の思い出となりました。

同じ5-7番のプログラムを組んだ尾高さんもアンダンテ・フェスティーヴォをアンコールにしましたが、シベリウスが自演の録音を残している愛奏曲で7番のあとにそぐわしいと思います。「ある情景のための音楽」も良し。フィンランディアはファンサービスでした。こんな平明な音楽を書いてた人が7番を書くまでの軌跡。そこに4番が在ったわけです。その4番と7番がずっしりと心に残る3日間でした。

シベリウスを愛する聴衆の方々の鳴りやまぬカーテンコールにカムがひとり呼び戻され、いったん楽屋に去った団員を全員舞台に集合させる場面もありました。フィンランドの演奏家の皆様のシベリウスへの真摯な献身には感動しました。心からの敬意と感謝の念に堪えません。

 
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オッコ・カム指揮ラハティ響のシベリウス3、4番を聴く

2015 NOV 28 1:01:48 am by 東 賢太郎

連日のカム指揮ラハティ響でした。今日の席は1階15列の端っこ(壁ぎわ)でしたが、不思議なものでこれが予想外によかったのです。2階席が上部にかぶさっており壁の反響もあったのでしょうか、これなら楽しめる。発見でした。

3番、ヴァイオリン協奏曲、4番の順番。シベリウス交響曲全曲演奏でなければ4番のほろ苦いエンディングでコンサートを締めくくるなんてありえません(我が国においてはですが)。到底ミーハーが近寄る曲目でなく聴衆もシベリウス好きばかりだったのでしょう、客席の集中力は大変ありがたい。

2番で愛国の思いのたけをぶちまけた反動でしょうか、7曲のうち3番ほど上機嫌のシベリウスもありません。マーラーの重めのラインナップに占める4番の位置に近似しています。ただし和声は一聴すると明快ですがプログレッションは一筋縄でなく、5番にエコーしていく萌芽があります。終楽章のヒロイックな主題の展開など特に。僕の愛聴曲であり書けばきりないので後日にします。

演奏ですが昨日の1,2番はやや金管のトゥッティに粗さを感じ、木管合奏の音程がいまいちで弦は美感を欠く所がありました(正直、一流オケの音ではなかった)。ところがどういうわけか今日はこの3番からしてぐっとグレードアップした印象です。特に弦の練り絹のような中低音は日本のオケには望めない触感!モーツァルトが理想と手紙に書いた「バターのような」とはこのことかというクオリティです。

Vn協のソリストはペッテリ・イーヴォネン。うまかったですね。技巧で押すタイプではなく第2楽章の愛の描き方がなかなかで、終楽章もメカニックにならずひたすらこの曲を弾ける幸福感が伝わってきました。シベリウス演奏では大事なことと思います。アンコールのイザイでは、しかし彼の技巧の卓越ぶりが明らかになり、シベリウスにそれをひけらかさなかったことにさらに好感を持ちました。

さて、僕が最も楽しみの4番です。最高の名演でした。冒頭バスの倍音に満ちた音圧からして別世界に引き込まれます。低音域の長2度の軋み。不安げなチェロのソロの幽玄な美しさは絶品。彼岸のようなヴィオラ、チェロのセクションの中音域のとろけるような音色はからんでくるクラリネットと同質で完全に融和!こんなニュアンスは日本のオケからは絶対に聴けません。

この死の淵をのぞいたような交響曲、シベリウスは喉の腫瘍が悪性(ガン)である覚悟もあったのではないでしょうか。第1楽章で曲想がやや明るめになって出てくるモーツァルトの「ジュピター音列」、あれは何なのかずっと考えてましたが、これが絶筆の可能性も意識したのではないでしょうか。第3楽章にはブラームスの弦楽6重奏曲第2番の冒頭旋律が現れる、これは偶然なのだろうか?僕は本当に最後の交響曲になったショスタコーヴィチの15番、あの先人のコラージュをなんとなく連想しております。

不意に立ち現れてクレッシェンドする予想外の調の金管の和音。シベリウス以外に断じて聞くことのない世界です。背後から死がふりかかってくるかのよう。これと似たインプレッションを与えるものが5番では、雨をぱらつかせた雲の切れ目からうっすら差し込んでくる陽光を感じさせるのですが、それは一転して生の喜びと確信に満ちています。4番で得た暗示が5番で逆の位相で存在感を出す例はこれだけでなく、4番こそ彼の語法の巣です。

シベリウスは癌への恐れと不安で生のどん底をさまよい、何か未知のものを見て帰ってきた。それが5-7番に深く投影されているのを感じるということです。僕がインスパイアされるのはそれであり、ロマン派の延長にあってそれを欠く1、2番はどうも物足りない。3番はそのはざかいの音楽です。やはり、「それ」そのものである4番こそ僕の関心を最も強くそそるスコアであり一音節一音符たりとも見過ごせるものはありません。

いくつか、ここはこういうものだったかと教わるフレージングがあり、フィンランド語なのか?と思いました。弦が内声部まで重いボウイングで弾ききっており実に意味深いニュアンスの合奏になるのです。例えば第2ヴァイオリンだけだと何をやらされてるのかわからない音型が総体を組み上げるとわかる。弦5部のトレモロでごそごそ細かく弓を動かす部分も軽いボウイングだと雰囲気は出てもインパクトが弱いのですが、このオケは深い絨毯のような重い音が出せます。これが正調ということでしょう、勉強しました。

終楽章はグロッケンでしたね、僕はチューブラーベル派なので残念でしたが、それを除けば文句なし。かつて実演での最高の4番でございました。アンコールがこれまた困ってしまうほどの逸品。「悲しきワルツ」、リズムの裏を支えるヴィオラのビロードの音色には身震いです。クリスチャン2世の「ミュゼット」、最後は「鶴のいる風景」、素晴らしい音詩であり、ほのかに暖かい光で心を満たしてくれました。今日で一気にラハティ響が好きになりました。あさっての5-7番が楽しみで眠れないなあ。

 
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オッコ・カム指揮ラハティ響のシベリウス1,2番を聴く

2015 NOV 27 0:00:55 am by 東 賢太郎

オッコ・カム指揮ラハティ響を全部買ったので明日の読響は行けなくなりました。ご当地のオケで全曲聴ける機会はシベリウスイヤーの特典で、もうあまりないでしょうから仕方ないですね。

今日は交響曲1,2番でしたが一番印象に残ったのはアンコールの組曲テンペストよりミランダ(Miranda)、行列(Cortège )、ペレアスの間奏曲(Entr’acte)です。これはすばらしい!まるでウィーン・フィルのヨハン・.シュトラウス。弦の精妙なフレージングは曲を知り尽くしてないと絶対にできない性質のもので、管も含め全員が確信をこめて弾いている説得力には感服するしかございません。標題音楽はシベリウスの出発点として非常に重要なのですが、初めて真価を教えてもらったかもしれません。

1番ですが、時に聞こえる後期への萌芽と、スケルツォのご当地オケでなくては出ないだろう思いのこもった弦のアタックが秀逸でした。ただ、この曲はまだチャイコフスキー時代のロマンが濃厚に残っているわけで、5番、7番あたりから入門した僕としては昔から何度かは耳にしているはずなのですが、どうも居ずまいが悪い。シベリウスをロマン派とは思ってないもんで・・・。第2楽章の主題が「もーいーくつねーるーとー」に聞こえたりして。苦手です。

2番はこのオケにして日常のメニュー、定食なんでしょう、練習もなく弾けてしまう感じでしたね。カムの解釈も、ベルリンPOやヘルシンキ放送OとのCDと大きくは変わりありませんでした(後者に近いですが)。ただ客席はカムを呼び戻すほど熱狂しており、それをいつくしむような目で見ていた団員の笑顔が良かったですね。日本とフィンランドはいい関係になれると思います。

ところでホールは東京オペラシティで1階15列目中央の最高にいい席でしたが、何度聴いてもここは楽器のナマ音が前面に出てきます。だからピアノ・ソロには向いており好きなのですが、オケはいまひとつですね。ハリウッドボウルのような野外音楽堂に似た音響成分を感じます。意味もなく天井を高く造って、せっかく形状はシューボックスにしたのに美点を消してしまったと思います。

 
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オスモ・ヴァンスカ/読響のシベリウスを聴く

2015 NOV 22 1:01:59 am by 東 賢太郎

きのうは北の湖のニュースでショックを受けてしまい、コンサートの感想どころではありませんでした。

こういうプロでした。

指揮=オスモ・ヴァンスカ
ピアノ=リーズ・ドゥ・ラ・サール

シベリウス:交響詩「フィンランディア」 作品26
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18
シベリウス:交響曲 第2番 ニ長調 作品43

東京芸術劇場は日本へ帰って来てから6年ぐらいずっと読響の定期(マチネ)をきいていましたが、N響に移って以来8,9年は行ってません。改修もしたようで楽しみでした。

結果として、このホールは東京ではベストと思います。残響が適度にあるわりに後方の楽器まで分離よく細部が聞こえ、低音楽器は倍音が豊かです。ヨーロッパ的な音がしますが欧州の有名ホールに似たものはないかもしれません。よく似てるのは香港文化中心(Hong Kong Culture Center)大ホールではないでしょうか。

さてラフマニノフを弾いたリーズ・ドゥ・ラ・サールですが、冒頭鐘の音の響かせ方から個性があります。ソノリティをじっくり聴き分けながら和音をならす。主張を持ったピアノでとても良かった。ただテクニックではやや苦しい所もあり、こういう曲がいいのかどうか・・・。アンコールのドビッシーは非常に高雅で、彼女の音響、ソノリティへの趣味が良く出た名演でした。低音の弦の微細な振動まで聞こえる芸劇の音響、いいですねえ。彼女はフランス物を聴きたいです。

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余談ながら、この人、ビジュアルで得してますね。むかし(今もあるか?)フランス人形というのがありましたが、まっさきにそう思いました。これはオジサン族はイチコロですね。

 

 

 

シンフォニーの2番。ヴァンスカはCDでもそうですが、ザッハリヒなシベリウスをやります。無味乾燥ということではなく、原典主義というか。第4楽章の第1ヴァイオリンのフレージングなど彼の読みへのこだわりでしょうが耳慣れないのがややわずらわしい。音量があがると速度も増す傾向があり、音楽のテンションは非常に高いです。第2楽章はppへのブリッジの休符が長く緊張感が増幅します。大きな起伏にオケがついていけずにバスとずれがあったり、完成度を求める指揮でありながら熱量の方に耳が行ってしまう演奏でありました。ひとつの強い主張を持った解釈であり感銘は受けましたが、僕の好みの2番ではないというところです。

 

 

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リントゥ指揮フィンランド放送響のシベリウス5・7番を聴く 

2015 NOV 3 1:01:00 am by 東 賢太郎

土曜日の近松門左衛門がそうでしたが、ご縁のなかったものをおすすめにしたがって見聞きしてみるというのは非常にいいものです。予期しない出会いがある。もっといえば、おすすめがなくたっていい。たとえば本屋が好きなので2時間も3時間もいることが多く、買ったのを家で見返すといつもおんなじようなジャンルになってしまうのです。だから30分と時間を区切って、題名と目次で面白そうと思ったらぱっぱっと5,6冊適当に買うとけっこう新しくていい選択になってます。

食い物でもそうで、鮨屋はまず光り物と貝を1貫ずつぜんぶ、あとおまかせ。これがスタイルです。ねたの良し悪し、わかりませんからね。「今日のおすすめ」という注文はだめです。大将に従うという意思表示になる。うまくないぞといったって、でもおすすめはおすすめですがね、だ。「おまかせ」はそうでないんです。俺を満足させてくれって、それをまかせる。おすすめかどうかは問わないよ、そんなことはあんたの都合。俺が食うんだからね、俺。そう、大して変わらんが大将にちょっとした緊張がでるんですね。

コンサート。これがけっこう難物で、選ぶとだいたい本屋とおなじ羽目になる。定期会員になると「おまかせ」になりますが、こんどはへたすると毎回お子様ランチを食わされるリスクがある。運命、新世界、未完成・・・おい勘弁してくれ。だから会員といってもコースを選ぶ必要があります。気に入ったのが読響定期。マチネとか名曲シリーズとかあるが、そうではなく「定期演奏会」。これはオケのシグナチャーなんですね、来期もデュティユーの交響曲第2番、メシアン「彼方の閃光」なんてのがある。このレベルのおまかせならまちがいない。

ただ僕の場合、その日の気分で今日はやめってのがあって、これがいけない。マーラーなんて書いてあるともうあかん、と欠席したことが何度もあります。そこで、しばらくすれば忘れるので、今日のプロを見ないでとにかく出席する。そうして初めて「おまかせ」になるんです。だから今年は読響とN響と、おまかせ2つでほとんどでした。例外が先日のモーツァルトのオペラと生誕百年でにぎわうシベリウス。特にシベリウスは狙いを定めて気合いを入れて買いました。

ところがバカなんですね、同じ日のをダブって買ってる。ひとつはウィーン・フィルと、仕方ないこれは家内に、もうひとつはシベリウス同士のがちゃんこ(ほんとバカだ)。ええい、こっちは息子でということに。行けなかった方が良かったんじゃないかと思わないでもなく、なんともお騒がせなシベリウス・イヤーでありました。家内が行ったリントゥの2,3,4番、これはリハーサルは聴いたものの、痛かったですね・・・。

リントゥの全曲の最後が今日ありました(すみだトリフォニーホール)。

ハンヌ・リントゥ[指揮] 
フィンランド放送交響楽団[管弦楽]

曲 目:シベリウス/交響詩「タピオラ」、交響曲第7番、交響曲第5番

でした。オケが新日フィルでなく上記に。感じるものが多くありました。団員の入場で拍手は好きでないが、団員がそれを意気に感じてる風情なので加わりました。みなさん客席に正対して(こっち向きに立って)応えてる。なんとなく客席と一体感がありましたね。

タピオラはマゼール盤(ウィーンフィルの方)が好きなのはマゼールの稿に書きましたが、あの冬空の冷めた緊張感がぴりぴりした演奏で覚えてオーマンディーのを聴いたらあまりにフツーの曲になっていてずっこけたり。面白い曲です。リントゥではこんなに激烈な曲だったんだとまたまた感心。氷と雪景色より雷鳴の印象が強いかな。

7番は感動しました。音楽が熱して行って9度のレではいってくる素晴らしいトロンボーン、良かったです。この楽器のソロとしてあらゆる曲で最高の場面ですね。いつもレード-ソードレーミーと音名を耳が追ってしまいますが今日は我を忘れて聞き惚れました。リントゥの指揮は、筋肉質というとやや語弊があるが引き締まった質感のボディで、リズム、フレーズの隈取は明瞭。音をなめらかにするより多少ザラついてでも情感とメリハリを高めることを優先しているようで、この曲ではそれが見事にはまりました。

5番は第1楽章の最後の速さにびっくりです。ネーメ・ヤルヴィも速いが負けてます。セゲルスタム(デンマーク国立響)に近い。しかし楽譜の速度表示はPiu prestoですからね、これでいいんでしょう。スケルツォ部分のヴィオラの疾走も耳に残ります。最後のコーダ、鶴の平原で底冷えしていた音楽が徐々に熱くなるとテンポがアップしていって、これまた大変速くなり、激烈なFFがふくれあがり、最後に至ってリタルダンド!いやあ最高の5番、大変な名演でございました。

会場は3連休にして中日の人も多かったんでしょう、8割ぐらいの入りでしたが、シベリウス・プロの会場はオペラと違ってミーハーがおらず、一体感があって喝采も半端でありません。昔はブルックナーもこういう感じでしたが今は猫も杓子もになってしまいました。シベリウス好きは、僕もそうですが、本当に熱狂的に好きなコアな人が多いんです。一日中シンフォニー7曲流しっぱなしで飽きない。あんまり庶民的な曲でもないから変な奴だと思われたりするが、われ関せずですね。ほっといてくれって。

5番の感動があって、アンコールがペルシャザールの饗宴(ノクターン)と悲しきワルツでしっとりした弦をきく。甘すぎずのデザートもセンス満点でした。オケの団員さんは起立、正対。北欧らしい美しい金、白のブロンドの女性も多い。出し切った満足感の笑顔。シベリウスはフィンランドのお国物じゃないですね、シグナチャー・ピース、国歌です。それを東の果ての国民がスタンディング・オベーションで喝采する。オケが退場して誰もいなくなったステージなのに拍手が鳴りやまず指揮者がひとり呼び戻される。久々に大満足で帰路につきました。

 
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シベリウス 交響曲第6番ニ短調作品104

2015 OCT 20 0:00:38 am by 東 賢太郎

凛としてすき通るような秋空にふさわしい音楽は何だろう。毎年この季節になると考えることだが、先日の演奏会でこれを耳にしてはたと膝を打った。

シベリウスの7つの交響曲でも、おそらく6番は人気がある方ではない。しかしこれの魅力は掛けがえがなく、僕には無上のインティメートな曲だ。心に住みついてから離れるということがない。好きな音楽はいくらもあるが、こうして恋情をいだくものは稀だ。

6番はどこかさびしい曲だ。これこそが魅力の要である。弟クリスチャンの死、経済的にも精神的にも援助を受けたカルペラン男爵の死というものがどこにどう影響したかは語られていないが、愛しい者がいなくなってしまう悲しさというものを長調の楽想でこんなに切々と伝えてくる音楽は他に知らない。

そもそも音楽がドラマと共に泣き、慟哭するのはオペラだ。世の中にはそんな赤裸々に訴えなくたってもっと泣けるものがあることを大人ならばみんな知っている。在るべきものが消えたときの心の隙間、喪失感。この30分に満たない交響曲は、べつに今は何も失っていない僕に、とてつもなく大切なものをまず味わわせ、そして最後にそれをとりあげてしまう。

そうすると、なんだか不思議なことだが、僕が人生でそうして現実として失ってきた数々の大切なものが、その無くなったすぐ後の心を吹き抜けたすきま風の茫漠とした記憶と一緒になってよみがえってくるのである。そしてそれは、こうして文字にするそばから陽の光を浴びてどんどん消え去ってしまう。悲しみという雪の結晶だ。

だから僕はこの6番をよく聴く。何が心に戻ってくるのかは、そのときまで知らない。何でもいいじゃないか、大事なものだったんだから。考えることもない、いつもこの素晴らしい音楽まかせなのだ。

第1楽章の冒頭、第2ヴァイオリンとヴィオラでそっと入る合奏は僕になぜか冬の日の葬送を思い起こさせる。死者の魂は冷んやりした青空に登る。いきなり悲しいのだ。なにが?それは後になってわかる。練習番号 I の第1ヴァイオリンによるこれだ。

sibe6

何と楽しく嬉しげな!ここについているF⇒B♭(+g)の和音!何度も自説を書いてきたが、わかる人にだけはわかっていただけると信じたいが、トニックからサブドミナントへの飛翔は心の飛翔でもある。人間がもっとも幸せな瞬間である。このフレーズが僕の頭にすでに強く焼きついてしまっていて、6番を聴くとなると冒頭に早やリフレーンとなって悲しい色に染めてしまう。あの人、あの場所、あの楽しかった日々・・・・。そういう諸々のことだ。

この楽章のコーダは雲間にさす赤い夕陽のような金管の和音であたかも締めくくられたようだが、そうではなくて、弦と木管の合奏による虚ろな4小節が加わる。

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これは何だろう?あれだ、あれだよ、もうないんだなんて、あれはどこへ行ったんだ?

書くときりがない。スコアには呪文のように不可思議なフレーズがあらわれては泡のように消え、わけもなく郷愁をそそり、心を疼かせ、かき乱してくれる。第4楽章の美しいが翳りのある女人の舞のような冒頭部分のオーボエや、主部の何かを峻厳に宣託するようなテーマにつく難渋な和音も耳に残るが、ここでもコーダが、僕がすべてを失ってしまったことをこうして告げてくる。

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モーツァルトの24番のコンチェルトが幽界への黒々とした狭間をのぞかせるみたいに、息絶えようという魂が最後の飛翔をしようともがくのだが、ここではそれがDm、D♭、B、Aという和声で、第1ヴァイオリンの楽譜の f のところで大きく最後の息をして、esで停止してdesまた停まって、最後はニ短調の暗黒に至って、d のユニゾンで虚空にのまれていく・・・・。

5番まで、シベリウスは北欧フィンランドの人であった。しかし6番、7番においてついに彼は音という抽象的な素材で、何も描くということはなく、誰もやらなかった方法で語りつつ人間の深いエモーションに訴えるユニバーサルな音楽家になった。

ベートーベンが5番と6番で示した交響曲の分かれ道。抽象的素材を突き詰めた5番という絶対音楽の行く先はブラームスが、6番という具象と感情の喚起は幻想交響曲を経てマーラーが引き継いでいくが、シベリウスは6,7番において明確に前者の系譜に連なったと思う。6番の室内楽のような、エッセンスだけを凝縮したスコアには、幽界を透過して数百光年も彼方の星々の瞬きが見えてくる。

 

演奏について

6番は各楽章の頭の速度記号が基本的に変わらない(第2楽章、終楽章のコーダの前が例外)。だからallegro molto moderato 、 allegretto moderato – Poco con moto、 poco vivace 、allegro – Doppio piu lentoという4つの楽章のテンポ設定が演奏の性格を決める。その分、楽想の起伏と強弱の塩梅が好悪を分けるだろう。

加えて、明確にフレーズされた旋律の歌いかた、対位法旋律の扱いにこだわりたい。主題のなつかしい感じの根源はドリア旋法にある。レからドまで白鍵だけで弾ける音階で、この7音の3和音の組合わせで日本人好みのフシに和声づけできる。一聴ではわかりにくいが、音の構造上、6番は我々の口にあうメロディーに満ちているのである。それをどう感じ、どう聴かせてくれるか?

加えて、考え抜かれたリズムの彫琢、巧みな楽器法のパースペクティヴなど、録音では細部が出にくいが、弦の発音(アーティキュレーション)、木管・金管とのバランス、ティンパニの強打のインパクト、ハープの倍音のかませ方、など実演では聴きどころが満載である。そして、言わずもがなだが、あっさり終わってしまう音楽の性格づけである。どれだけ喪失感が悲しく心に響くか。魂をゆさぶるか。

 

渡邊暁雄 / 日本フィルハーモニー交響楽団

4988001742005演奏のコンセプトとして僕はこれが好みだ。なんといっても音楽に対する渡辺の優しい視線にあふれ、6番がどう響いてほしいかがわかる。オケが音程もパワーも弱く伝えきれていないものがありそうだが、旋律にもっと思い入れや抒情があっていい部分もあえて深入りしない指揮である故に欠点にまでなっていないのは幸いだ。ロマンに傾かない節度で音楽の枯淡の側面をグレーの色調で見事に描いており、上記本文の「悲しみ」がふつふつと湧きあがるのはこれだ。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

91CF-wzp5zL__SL1500_第6番CD史上、最美のオーケストラ演奏である。これがドイツのオケである等々どうでもよいことで、第1楽章冒頭から聞き惚れるのみだ。カラヤンは6番が好きで3度録音しているが2番目のこれが圧倒的に良い。ドイツ流に楽器がピラミッド型に積み上がるのでの第2楽章は弦と管(特にホルン)のバランスが異質だが、ソロの超弩級の上手さと見事な音程に、これまたどうでもよくなってしまう。第4楽章、渡邊を聴くと情に流れてるかなと思うが、カラヤンBPOの絶頂期の音の前にこれ以上望むのは野暮というものだ。

ネーメ・ヤルヴィ / エーテボリ交響楽団 

51Y2g2DR4cL__SY450_対照的なものを一つ。抒情味はまったく薄いが、テンポを速めに取った演奏として出色。第1楽章は僕の趣味だとちょっと速すぎだが第2楽章のPoco con motoの弦のアーティキュレーションは見事であり、第3楽章のリズムの切れ味と雄弁なダイナミクスは説得力あり。第4楽章も心もち速いが弦の明確なフレージングは主張があり全奏はシンフォニックに引き締まっている。オケが手馴れており十八番の安定感。交響曲としての6番の骨格を僕はこれで知った。

 

オスモ・ヴァンスカ  /  ラハティ交響楽団

61UxltiLkQL精緻に細部までリズムが磨きぬかれた見事な演奏。やや速めのテンポで描く旋律もフレージングが完璧で弦のひとりひとりまで鍛えられている様はムラヴィンスキーのチェイコフスキーを思わせるほどだ。第3楽章は天空をかけめぐる妖精のような弦、森にこだまする声のようなスタッカート、実に素晴らしい。この路線ではトップクラスの演奏なのだが、音の重なりが透明すぎてやや現代音楽的に響くなど、僕のイメージするポエジーとはやや遊離するものがある。このyoutubeで全曲が聴ける。

 

レイフ・セゲルスタム /  デンマーク国立交響楽団

Sibelius_Segerstam_8867セゲルスタムは2番を読響で振って、これが非常に良かったので、以来彼のシベリウスはマークしている。6番も大枠のコンセプトとして「門構え」が大きく、作曲家の眼で磨かれているが神経質にならないのが美点だ。たっぷりしたテンポで歌わせており、豊かなホールトーンとの調和が実に美しい。第4楽章コーダ前の減速はユニークで終結は感動的だ。ウィーンフィルのベートーベンをムジークフェラインで聴くという趣であり、全集として値段が安く(たしか2千円ぐらい)非常にお値打ちである。

クルト・ザンデルリンク / ベルリン交響楽団

764何とも温かみのある音で包み込んでくれる。 カラヤン以上にドイツ的な音響と拍節感がオルガンのようでユニークだが、各楽器が独特な色づけのある有機的な音色で鳴っており、木管の音程など抜群に素晴らしい。これがシベリウス的であるかどうかはともかく、こういう音楽が心に滋養をもたらす良い音楽なのである。この演奏も本文に書いた「悲しさ」を味わわせてくれる筆頭であり、いつまででも聴いていたい。6番の本質とはスタイルではなく心に入ってくるものがあるかどうかである。

 

アレキサンダー・ギブソン / スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

41FJeo5Z9fL__SS280ギブソン(1926-95)はスコットランド人である。僕は仕事上イングランド人もアイルランド人もウェールズ人もつきあったが、スコットランド人と何故か特に深くつき合った。気が合ったのかお互い反骨だからか。いい奴が多かった。シベリウスは極北の音楽だ。異星に近い。あのブリテン島北端の荒涼とした風土は似あう。6番など最高だ。ギブソンは全集があるがそれなりの味がある、オトナのシベリウスだ。僕は彼のエルガーの1番を愛聴しているが、同じ土壌からにじみ出た泉という感じがする。

 

シベリウス 「アンダンテ・フェスティーヴォ」とフリーメイソン

 

 

 

 

 

 

 

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