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カテゴリー: ______ヤナーチェク

クラシック徒然草《クレンペラーのシンフォニエッタ》

2023 DEC 15 7:07:44 am by 東 賢太郎

仕事で頭いっぱいだ。音楽はぜんぜん欲してないが、何の拍子かヤナーチェクのシンフォニエッタが聞きたくなった。こいつは塵が積もった頭を洗浄してくれる大変に奇妙な音楽である。

共産時代のプラハへ行ったが昼飯の肉団子みたいなのがまずくて閉口した。失礼ながらこれ食ってる人とは合わねえだろうなと思ったりしたあらぬ記憶があれこれ蘇って、出てこないのは何の仕事をしに行ったかだけだ。そういやあロシアは未踏だが渋谷にあったロゴスキーのボルシチは大好物であり、あれを食うとなぜかいつもムソルグスキーを思い出したのだがロシア人も合いそうにないから食い物とは関係ないかもしれない。そう、ウィーンで食った肉団子もまずかった、ありゃだめだ。でもブラームスもブルックナーもあれが好物だったんだ。

シンフォニエッタは楽想も田舎色ぷんぷん丸出しで無骨。洗練のかけらもなくオーケストレーションも大いに奇天烈だ。ラヴェルの極限の繊細を愛する僕として最も遠い音楽のはずなのだがなぜかこれは大好物であり、フレンチを食した翌日に鮒寿司をつまんだ感じである。スコアを自分の手でシンセサイザーで弾いて録音しているから本当に好きなんだと思う。こんな不可解な音が頭に鳴っていた男はどんな奴だったんだろう。

聞いたのはyoutubeにあったクレンペラーだ。この男がこれまた輪をかけてすごい。こんなカロリーこってりで管が脈々と浮き出て奇天烈に叫び吼えるシンフォニエッタをやろうなんて指揮者は絶滅して久しいのであって、高いレコードに投資して強烈な個性に一喜一憂してた昭和が懐かしいったらない。冒頭からなんだこれは葬式かと訝るほどの我が道ぶりだが終わるとガツンと腹に響く。いや素晴らしい。思えば俺も我流でわがまま放題に仕事して、きっといまはもっと頑固になってるのだろうがそれでやってきたんだから何だというものであって、クレンペラー爺さんに益々の共感が湧き出てきている。

フィガロの稿に書いたが、あれを遅すぎだ滑稽だモーツァルトじゃないなど散々にこきおろした連中がいたがまあつまんねえ人生きたんだろうな、病気でサナトリウム生活を送ったと思いきやオペラを振り終わってソプラノと駆け落ちしたり、ホテルで女と寝ていたら娘がはいってきてしまってロッテ、紹介しようと言ったこのおっさんの破天荒な生きざまを僕はまったくと言って憎むところがない。そんなものがバレようがなにしようがクレンペラーはクレンペラーで巨匠であった。裏金ごときに姑息に手を出したのがバレて失脚しちまう小物ばっかり目に入る現代の、一服の清涼剤である。

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ドヴォルザーク 交響曲第7番ニ短調 作品70

2017 OCT 17 17:17:19 pm by 東 賢太郎

香港の2年半でおいしい中華料理は食べつくしていて日本でなかなか満足ということがない。中華といって何種類もあるが結論としては広東料理が一番であって、となると恵比寿ウエスティンの「龍天門」がいい線いっていて坦々麺など格別に美味だが値段もそれなりだ。横浜中華街の聘珍楼も高いがここのフカヒレ姿煮は香港であっても一級品だから時々そういう所で食するしかない。

そういう極上な美味を堪能してしばし仕事から開放されたときの心境にぴったりなのがドヴォルザークの7番だというとえっと思われるかたが多いだろう。

7番がブラームスの交響曲第3番初演から霊感を得て作曲されたというのが事実かどうかともかく良く知られる逸話だ。たしかに第1楽章冒頭に現れる暗い趣の第1主題からしてブラームス3番の第4楽章のそれを髣髴とさせる。

僕が大好きなのはそこからしばらくして現れる第2主題である。2本のクラリネットと低い音域のフルートが奏でる変ロ長調のこれだ(in tempoから、上のビデオの2分59秒)。

fpで強調される和音!(E♭Ⅲon C)なんて素晴らしいんだろう。冒頭の漆黒の闇からここへ到る旅は短いが、心に戸惑いを秘めたような経過句をさまよって辿り着いたこの主題の歓喜はこの溜息のような和音で確信にかわるのだ。それを慈しむように繰り返すのは、想像だがドヴォルザークもこの和音に痺れていたんだろう。ブラームスは理性の人で、やりたくてもこういうことはしない。

先日美味しい料理とワインで幸せになって、娘に「いまどんな気分と思う?こんなだよ」とこれを鼻歌できかせる。そうするとfpの和音を出す伴奏の第2クラリネット、ファゴット、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスにどう吹いて、弾いてもらったら僕の欲しい「あの音」が出るんだろう?と考えもする。いろんな演奏を聴いてきたが、ここが満足いくのはあまりない。

この和音がどうしてこんなに好きなんだろう?ピアノを前に考えているとわかった。これはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のここ(赤枠の部分)と同じだったのだ。

好きなわけだ。音楽の好き嫌いはこうして因数分解すると理由が見つかる場合がある。第1楽章展開部はいよいよブラームスっぽくなっていくがfp和音直前のソ・ファ・ソのリズムがベートーベンの運命音型に変容して峻厳さを加える。7番はスメタナ、ヤナーチェクと異なってドイツの形式音楽に道を見出したドヴォルザークの最初のシグナチャー・ピースであり先人を刻印している。

翳りを含んだ第2楽章は曲想も管弦楽法もさらにブラームス的だが終結に至るパッセージはいささかワーグナー風だ。第3楽章はスケルツォでブラームス3番のロマンよりスラヴ舞曲の世界に近接する。第4楽章は第1楽章冒頭の世界に回帰してニ短調の暗色が支配するが、第2主題がここでも抒情を添えることも、トゥッティで楔を打ち込むような跳ねるリズムの印象も非常にブラームス的だ(後者は特に3番の終楽章と近似する)。

ブラームスの影響を聴感上濃く感じる作曲家としてエルガー、作曲法上はシェーンベルクがいるが、ドヴォルザークが作曲家としてそうだと言い切ることは難しいだろう。しかし全編に満ちる情緒でそれを体感させる楽曲として彼の第7交響曲を凌ぐ音楽は存在しない。僕は彼の交響曲の中でこれが一番好きだ。

 

カレル・シェイナ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

数多あるチェコPO盤でこれが一番いい。モノラルで音はやや古く現代の縦線の揃ったアンサンブルでもないが味わいに満ちるから困ったものだ、オーケストラ演奏が失ってしまったものは根深い。木質の管のなかでもフルート、クラリネットの音程の良さは特筆もので、それが欠けたら7番は成り立たないと確信してしまう。第2楽章の弦の歌いまわし、これが正調と思う。第1楽章、fpは増音はなくすぐ減音するのがまったくユニークだが作曲者の狙った効果はこれでも出ているように思う。シェイナの秘儀だ。展開部の加熱は見事、うまいオケとはメカニックなことではなくこういう演奏ができるかどうかなのだ。速めの終楽章はホルンが割れたりアンサンブルがやや雑然となるが、それでいて堅固な音楽になってしまう。

 

ジョン・バルビローリ / ハレ管弦楽団

はっきり書くとオケの技術、特に弦が劣る。なぜこれを好むかというと、指揮のロマンの息吹がヴァイオリンの歌に切々とこもり、緩急も思い切ってつけるなどライブのような感情の起伏があるからだ。fpのため息も感じ切っていて良い。英国人がエルガーをやる風な愛情を感じるという意味で7番の最もエモーショナルでメリハリのある、ドイツ寄りではない表現だろう。バルビローリはブラームス全集は構え過ぎだがドヴォルザークは自然体である。

 

オトマール・スイトナー / ベルリン国立歌劇場管弦楽団

東欧のいい音だ。このオペラハウスで何度もワーグナーを聴いたがS席で3千円ぐらいなのに感動したのを思い出す。目の前のピットから響いてくるこのオケの古雅な音はふるいつきたい魅力があった。この木質の弦とピッチの良好な木管(うまい)という特性はドヴォルザークにぴったりでありスイトナーの指揮も独欧系の解釈の本道を行くものと思う。モーツァルトが抜群の人だったが音響にポエムを作れる故で、第1楽章はfpの馥郁たる味わいも展開部の高潮も文句なし。

 

カルロス・パイタ / フィルハーモニック・シンフォニー

アルゼンチン人のパイタ(Carlos Païta、1932年または1937年ー2015年)は金持ちのボンでフルトヴェングラーのファンだった。自分のレーベル(Lodia)を作りメジャーなオケを商売抜きで指揮して録音を残した、ある意味カルロス・クライバー並みの謎の男である。好きな曲しか振らないのだからうまい。8,9番だけじゃない、7番に愛情持って振っているのに好感。激した部分に個性があるがfpのバスの鳴らし方、悪くない、金の力かもしれないがオケを乗せていて脱帽。

 

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

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ヤナーチェク 「シンフォニエッタ」

2015 AUG 3 0:00:37 am by 東 賢太郎

世界は広い。黒人が突然妙なダンスを踊って見せてカネをくれと手を出したり(米国)、バックで駐車してたらオッチャンが頼んでもないのにピッピーと笛を吹いてくれて金をくれと手を出したり(モロッコ)、変なオッサンがこっちは通行止めだあっちを通れと笛を吹き通り抜けたらぜんぜんそうじゃなかったり(メキシコ)、早朝に支店の前で着物のオバサンが赤とんぼを歌いながら優雅に舞っていたり(大阪)、この世は不可思議に満ちています。

人間、そういった想定外の場面に遭遇するとその瞬間はアタマが固まってしまい、しばらくはあれは何だったのだろうと苦吟することとなり、理解し、納得するまでしばしの間が必要になるものです。

そんなのに例えてヤナーチェクには申しわけないのですが、このシンフォニエッタという曲を初めて聴いた時の僕の反応はそんなものでした。クラウディオ・アバドがロンドン響を振ったFM放送を大学時代に聴いた時のことです。なんだこれは?わけがわからん黒人の踊りが目の前でくりひろげられたあれと似て、完全に思考停止になってしまったのです。

とにかく古典派でもロマン派でも近現代でもない。メロディーはしっかりとあり、ドミソ、ドファラ・・・の当たり前な三和音がついており、耳障りな音はまったくなし。それでいて度肝を抜くほど常識外で、味わったことのない奇妙な味があります。まあ、くさやとか鮒ずしを初めて食した時の驚きに近いといったらよろしいでしょうか。

それはミ♭、レ♭、シ♭、レ♭、シ♭、レ♭、シ♭というテノール・チューバの完全5度による7音の旋律にバス・トロンボーンとティンパニのソミソーミーソミ(全部♭)という左右対称の合いの手が重なるという、一度聴いたら忘れない衝撃をもたらすイントロで始まります。

janacek

僕はこのティンパニの短3度という音程に春の祭典の生贄の踊りと同様、なにか呪術的なものを感じてしまいます。もしこれが長3度だったら?のちにallegroのホ長調になって同じ音型がgis、eで叩かれるのですが音楽の性格はがらりと変容しますね。金管とティンパニだけで演奏されるこの第1楽章は異教徒の儀式のようで、長らくそういうものと思って聴いていました。

ところがヤナーチェクは「勝利を目指して戦う現代の自由人の、精神的な美や歓喜、勇気や決意といったもの」を表現する目論見から本作を作曲し、「チェコスロヴァキア陸軍」に献呈する意向を持っていた(Wikipedeia)というのだから、これは軍楽だったのですね。そう言われればという感じもしますが、この深淵さで兵の士気があがるのかなとも思います。

Philharmoniaのスコアには書いてありませんが、作曲当初は1~5楽章にこのような副題がありました。

  1. 「ファンファーレ」
  2. 「城(ブルノのシュピルベルク城)」
  3. 「修道院(ブルノの王妃の修道院)」
  4. 「街頭(古城に至る道)」
  5. 「市役所(ブルノ市役所)」

曲の生い立ちを知る意味はあるでしょうし、これを描写音楽として聴くことも可能でしょうが、僕の場合そういう趣味はないので無視です。第3楽章のびっくりするほどの異彩を放つ管弦楽法(ホルンやピッコロの高音奏法など)が修道院とどう関係があるのかさっぱりわかりませんし、あまりこだわる必要はないと思います。この曲の木管の異常なほどの緊張感を秘めた高音域の使用は非常に印象的ですが、僕は情景描写には聞こえません。

レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)ほど誰とも似てない、まさにオンリーワンの音楽を書いた人は知りません。非常にオンリーワンに近いストラヴィンスキーだってドビッシーの、バルトークだってリストやR・シュトラウスの影響があるし、ワーグナーやドビッシーは突然変異的ですが模倣者が多くいます。ヤナーチェクはそれもほとんどない孤高の存在である。僕はそこに強いアイデンティティーを認めます。

ただ、彼の真骨頂はオペラにあります。シンフォニエッタのメロディーもおそらくチェコ語のイントネーションと無縁でないと思われ、これが非常にローカルな味を醸し出す要因のひとつはそこにあるのかとも思っていますが、そう気づいた契機は彼の歌劇「イエヌーファ」や「マクロプロス事件」を観たことでした。シンフォニエッタの第2楽章の木管からはチェコ語が飛び交っているのが聴こえます。

ヤナーチェクはチェコ人とされますが正確にはモラヴィア人です。モラヴィアはスラヴ人の国ではあるが10世紀まで大モラヴィア王国であり、マジャール人に征服されハンガリーと共にオーストリアの支配下に入った。それが1918年にチェコスロヴァキアなる国の一部(東部)となり、従って彼はチェコ人ということになっているのです。モラヴィア人で有名な人は彼の他にシュンペーター(経済学)、フロイト(精神分析)、フッサール(哲学)、メンデル(遺伝学)、コルンゴルド(作曲)がいます。

彼の音楽はドヴォルザーク、スメタナの音楽がチェコ的であるならモラヴィア的なのであって混同されるべきではないでしょうヤナーチェクの音楽がある意味で突然変異的だと書きましたがそういう理由があるのであって、さらにいえば、彼がモラヴィア地方のチェコ語(方言)をも大切にして音楽語法に溶けこませたからこそ、それを解さない異国の僕には突然変異に聞こえるし、そのカラーが最も強いのがオペラだということになるわけです。

シンフォニエッタですがモラヴィア地方の民族音楽の旋律、語法、和声感をベースに取り込んだ音楽で、スコアを見るとオーケストレーションはバルトークのように非常に簡潔であり、管楽器の扱いは前述のハイトーン領域の頻発など原色的であり、弦は森を暗示する音色は避けられてドイツ的はおろかドヴォルザーク、スメタナとも遠い用法であります。和声は常に三和音領域にありますが郷土料理のような独特の風味と味わいを醸し出す重要な要素として非常に独特であります。聴感上、僕はアメリカ音楽(コープランド、グローフェら)に近いものを感じます。

シンフォニエッタは超有名曲であり、クラシック好きで知らない人はあり得ません。個性的なだけに何度か聞けば簡単に覚えられるのでぜひ記憶してください。インパクトの強い演奏の一つとして、このチャールズ・マッケラス/ ウィーン・フィルのものは一度は耳にすべきものでしょう。

第5楽章の終わりに冒頭のテーマ(楽譜)が循環主題として戻ってきますが、同じことが起こるブラームスのクラリネット五重奏曲と双璧といえるすばらしく感動的なものです。そして最後の1頁、ワーグナーの楽劇の終結を連想させるD♭、Am♭、E、D♭の和声変化にのってヴァイオリンが非常に高い音域のトリルで何かを強く主張しながら堂々と全曲を結ぶのです。

もうひとつ演奏風景を見るためライブ演奏をあげておきます。これも水準が高い。

僕が持っているCDで最高のものはこれです。

 

カレル・アンチェル / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

412WZAMNQ8L非常に筋肉質で雄渾。チェコフィルが全力を傾注して自国の誇りを歌い上げ、チェコの国有レコード会社スプラフォンが威信をかけて録音した名盤中の名盤です。写真はCDですが僕はLPを持っており、うまく再生すると素晴らしい音がします。ヤナーチェクはチェコ人としてよりスラヴ人としてロシアに理想を見ておりブルノのロシア文化サークルの会長まで務めていますが、やがてチェコは共産化されそのソ連の支配下に入ってしまう。この曲がチェコ陸軍に献呈されているのも彼の運命の複雑さと悲哀を感じます。チェコを代表する名指揮者アンチェルは一方で家族全員をアウシュヴィッツで殺されひとり生き残った。この録音は欧州史の奔流の中で残酷な運命をたどった東欧の音を刻んでいる気がします。チェコ語がきこえてくるこの曲の最高の演奏の一つとして永遠に残るものであること確実でしょう。

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僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・フィルクシュニー)

2015 JUN 24 22:22:25 pm by 東 賢太郎

Firkusny

ルドルフ・フィルクシュニー (1912-94)はチェコを代表する名ピアニストです。日本ではフィルクスニー(ドイツ語)で知られますが、チェコ語はフィルクシュニーです。あまりご存じない方が多いでしょう。ぜひこれを機に知ってください。彼は、全ピアニストのうち僕が最も好きなひとりであります。

1978年、大学4年の夏休みに1か月ほどバッファロー大学のサマーコースに参加しました。いわゆる語学留学というやつで、本来こんなのは留学とはいいません、ただの遊びです。それでも2度目のアメリカ、初めての東海岸は刺激に満ちていました。

ボストンからサラトガスプリングズを経て、ボストン交響楽団がボストン・ポップスとしてサマーコンサートをやるタングル・ウッドへ。そこで幸いにも小澤征爾さんが振ってルドルフ・フィルクシュニーがソリストのコンサートを聴けました。

芝生にねころんで聴いたモーツァルトのピアノ協奏曲第24番。調律が悪いにもかかわらず、アメリカンなあけっぴろげムードにもかかわらず、きっちり覚えてます。オケだけのプログラム後半は何やったかも忘れてしまったのに。当時から24番は好きだったようでもあり、この演奏でそうなったかもしれません。これがこのブログに書いたコンサートでした。 クラシック徒然草-小澤征爾さんの思い出-

フィルクシュニーは有名なシンフォニエッタを書いたヤナーチェックの弟子というより子供のようにかわいがられた人です。ルドルフ・フィルクスニー – Wikipedia こうして彼のライブを聴けたというのは間接的にではあっても音楽史というものとすこし濃い時間を共有できたような、ありがたい気持ちがいたします。

ライブの24番がそうでしたが、彼のモーツァルトは短調と共振します。幻想曲ハ短調K.475をお聴き下さい。この曲にこれ以上のものを僕は探す気もありません。ここには魔笛とシューベルトの未完成が出てくるのにお気づきですか?

彼がコンチェルトの20番、24番はもちろん、ブログに既述のような深いものを孕んだ25番を愛奏したのはいわば当然の嗜好と思われます。20,24,25!もうこれだけで何が要りましょう。いま書いた6つの傑作。フィルクシュニーは全音楽の座標軸でこの6曲がある「そこ」に位置している音楽家なのです。そうして「そこ」こそが僕が最も共振する場所でもある。このピアニストを尊敬し、彼の録音を愛好するのは鳴っている音ではなく、人間としての相性だと感じます。

そして冬の澄んだ空のような透明なタッチが叙情と完璧にマッチしたブラームスの協奏曲第1番!名手並み居るこの曲の最高の名演の一つであります。

フィルクシュニーのタッチがフランス物に好適でもあるのはピアノ好きには自明でしょう。僕なりに長らくピアノと格闘していまだ自嘲気味の結果しか得ていないドビッシーの「ベルガマスク組曲」。フランス的ではなく東ヨーロッパの感性です。この「メヌエット」の音の綾のほぐし方、オーケストラのような聴感!技巧でどうだとうならせる現代の演奏とは一線を画した格調!「パスピエ」の節度あるペダル、そして感じ切った和声の出し方!チッコリーニとは対極ですが、どちらも多くのことを教えてくれます。

そして最後にこれをご紹介しないわけには参りません。師であるヤナーチェックの「草かげの小径」です。この録音は、音楽を長年かけて内面化しきった人でなければ聴かせようのない至福の時間を約束する演奏の典型です。夭折した娘を送る曲なのですが悲哀はあまり表に立たず、かえってやさしさがあふれることで純化した哀悼の精神をたたえています。美しい和声とヤナーチェック一流の語法で彩られた傑作中の傑作です。フィルクシュニーの表現はスタンダード、珠玉の名品などという月並みな美辞麗句を超越した美としてどこを聴いても耳をそばだてるしかないもの。価値が色褪せることは永遠にないでしょう。

 

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クラシック徒然草-オーケストラMIDI録音は人生の悦楽です-

2013 JAN 26 15:15:08 pm by 東 賢太郎

僕は1991年にマックのパソコン(右)を買いました。米国Proteus製のシンセサイザーとYamahaのDOM30という2種類のオーケストラ音源を電子ピアノで演奏し、MIDIソフトで多重録音して好きな音楽を自分で鳴らしてみるためです。PCに触れたこともなかったからセットアップは大変でした。好きこそものの・・・とはこのことですね。

現代オーケストラから発する可能性のあるほぼすべての音(約130種類)を約50トラックは多重録音できますから、歌以外の管弦楽作品はまず何でも録音可能です。まず音色設定をフルート、オーボエ、クラリネット・・・と切り替えて個別にスコアのパート譜を電子ピアノで弾いて個別にMIDI録音します(高速のパッセージなどは録音時の速度は遅くできます)。相当大変なのですが、全楽器入れ終わったらセーノで鳴らすと立派なオーケストラになっているということです。

弦楽器の音色が今一歩ではありますが、イコライザーなどの音色合成の仕方でかなり「いい線」まではいきます。買ってから21年間に僕が「弾き終わった」曲は以下のものです(順不同)。

モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」(全曲)、同クラリネット協奏曲(第1楽章)、同弦楽四重奏曲K.465「不協和音」(第1楽章)、同「魔笛」序曲、同「フィガロの結婚」序曲」、ハイドン交響曲第104番「ロンドン」(全曲)、チャイコフスキー交響曲第4番(全曲)、同第6番「悲愴」(全曲)、同「くるみ割り人形」(組曲)、同「白鳥の湖」(情景)、ドヴォルザーク交響曲8番(全曲)、同第9番「新世界」(第1,4楽章)、同チェロ協奏曲ロ短調(第1,3楽章)、ブラームス交響曲第1番(第1楽章)、同第4番(第1楽章)、ベートーベン交響曲第3番「英雄」(第1楽章)、同第5番「運命」(第1楽章)、シューマン交響曲第3番「ライン」(第1楽章)、ラヴェル「ボレロ」、同「ダフニスとクロエ第2組曲」、同「クープランの墓」(オケ版、プレリュード、メヌエット)、同「マ・メール・ロワ」(オケ版、終曲)、ドビッシー交響詩「海」(第1楽章)、同「牧神の午後への前奏曲」、シベリウス「カレリア組曲」(全曲)、リムスキー・コルサコフ交響組曲「シェラザード」(全曲)、バルトーク「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」(第1、2楽章)、同「管弦楽のための協奏曲」(第5楽章)、ストラヴィンスキー「火の鳥」(ホロヴォード、子守唄以降)、同「春の祭典」(第1部)、ワーグナー「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕前奏曲、同「ジークフリートのラインへの旅立ち」、J.S.バッハ「フーガの技法」、同「イタリア協奏曲」(第3楽章)、ヘンデル「水上の音楽」(組曲)、ヤナーチェク「シンフォニエッタ」(第1楽章)、コダーイ「ハーリ・ヤーノシュ」(歌、間奏曲)、ハチャトリアン「剣の舞」、プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」(第1楽章)、ベルリオーズ幻想交響曲(第4楽章)、ビゼー「カルメン」(前奏曲)

こういうところです。これ以外に、やりかけて途中で放り出したままのも多く あります。成功作はチャイコフスキー4番、バルトーク「オケコン」、シベリウス「カレリア」、ブラームス4番、ドヴォルザークチェロ協、ドビッシー「海」、マイスタージンガーでしょうか。録音はオケ全員の仕事を一人でやるので長時間集中力のいる作業です。生半可な覚悟では取り組めません。ですから以上は僕の本当に好きな曲が正直に出てしまっているリストなのだと思います。弦の音色の限界で、好きなのですがやる気の起きない曲(特にドイツ系の)も多いのですが、総じてやっていない作曲家、マーラー、ショパン、リスト、Rシュトラウスなどは興味がない、僕にはなくても困らない作曲家だと言えます。

もう少し時間ができたらシベリウス交響曲第5番、バルトーク弦楽四重奏曲第4番、ラヴェル「夜のガスパール」にチャレンジしたいです。この悦楽には抗い難く、この気持ち、子供のころプラモデルで「次は戦艦武蔵を作るぞ!」というときと全く同じ感じで、これをやっていればボケないかなあという気も致します。骨董品のアップルに感謝です。

 

(追記)

これらは全部フロッピーディスクに記録していますがハードディスクに移しかえたいと思います。やりかたがわからないので、どなたかご教示いただけるとすごく助かります。

 

 

 

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