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なぜ我々は地球にいるのか

2013 FEB 6 17:17:41 pm by 東 賢太郎

皆さん自分がなぜ日本人に生まれたのか、なぜ両親の子として生まれたのかということを考えたことがあると思います。

それに答えるにはまず、なぜ我々は地球という星に生まれたのかを考えねばなりません。地球を第3惑星としてもつ太陽系は銀河系に属します。銀河系には恒星が2000億個あり、太陽はそのなかのありふれたひとつにすぎません。イメージですが、銀河系というクラスの中で勉強も運動も中の下あたりの、ぜんぜん目立たない平凡な子がそこそこトシをとって45歳ぐらいの中年になっているのが我らが太陽なのです。画像(銀河系)のsunという白丸が彼の居場所です。どう見ても中心人物ではなさそうです。

そんな太陽の周りを回る地球に生物がいるということは他の知的生命体からすれば「宇宙人」がいることになりますが、宇宙人はどんなありふれた星にいてもおかしくないということになります。宇宙人はいないと主張するなら、「ではあなたは何者なのですか、なぜここにいるのですか?」という問いに答える必要があるでしょう。上の画像を地球上の縮尺で考えれば皆さんはウイルスの何兆分の一という微小な生物ですが、このブログをお読みの「意識」というものを持った存在です。小さな白丸のなかに64億個の意識がひしめいています。全宇宙には宇宙人の数だけ意識が存在することになります。

自分が「いる」ということがそもそも不思議です。「いる」=「自分が有る」(sein)とは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」ではないですが、皆さんの意識がそう判断しているということです。しかし、脳科学の本によると、意識というものが何に由来しているのか、それが物理的に脳の中のどの細胞にある(いる)のかは解明されていません。驚くことに、その意識を一時中断させる麻酔というものがどういうメカニズムで効いているのかすらわかっていないのです。

最新の脳研究では実験により「意識は判断に先んじない(後追いである)」「行動のモニターにすぎない」ことがわかっているそうです。ある動作をするときに我々はまず脳が「やれ」と命じてから筋肉が動くと思っていますが、実はそうではなく、動いてしまってから脳が「命じた」と思い込んでいるケースが多いというのです。例えば、心臓の鼓動は意識で左右できませんが、左右できると我々が思っている動作も実は別な所で指令が出ているかもしれません。時々「無意識に何かしてしまった」と自覚することがありますが、そう自覚していないほとんどのケースでもやはり無意識が我々の行為の大部分を司っているかもしれないのです。

動物は遺伝子の乗り物(ビークル)だという学説があります(利己的遺伝子説といいます)。DNAは自分のコピーを増やすために乗り物である皆さんを支配しているというものです。レストランで今日は肉が食べたいなとステーキを注文したとして、それが自分の意思ではなくDNAの命令であるとすれば、皆さんの意識はそれを追認しているだけです。DNAの命令も無意識の一部だとすればこの説も別の角度から意識というものの欺瞞性を表しているような気がします。

こう考えると、意識は行動を支配しているのではなくモニター(監視)しているだけということになります。会社でいえば経営者ではなくコンプライアンス部長みたいなものです。皆さんというものは、本来の能力はコンプラ部長程度の人物が勘違いで社長になってしまった会社みたいな存在かもしれません。そんな会社はいずれ潰れます。人類史を通じて、人間は不完全でどうしようもない原罪を背負っているとして宗教、戒律、法律(特に刑法)がすべての文化圏で発展してきたのは、内的に支配力のない、つまり経営なんかできないコンプライアンス部長を外的な規律で縛るためと考えられないでしょうか。

我々の行動は地球上で行われていますが、その地球というのは我々という光源(プロジェクター)が「行動の像」を投影するスクリーンのようなものかもしれません。「地球にいる」というCGのようなクオリア(脳の中の質感)があってそう信じているだけかもしれないということです。3Dの眼鏡をかけてスクリーンを見ると自分が高層ビルから空中に突き出した板の上にいるかのように見えて足がすくむなどというアトラクションがありますが、それと似たイメージです。

僕は、別な場所(宇宙)にも別なスクリーンがあって、そこでは同じ行動をする自分が違う存在として投影されていて、「どこかに本当にいる自分」の脳の別な部分がそれをモニターしてそこに「いる」と思っている、という考え方に興味を持っています。3Dスクリーンを見て欺瞞世界の主人公になりきっている僕が何人いても構いませんが、主体的に判断しているはずの「本当の自分」は、どこに「いる」のかはともかく、どこかに存在するはず(sollen)です。我々が見知っている死というのは、地球というone of themのスクリーン上に「ゲームオーバー」の文字が出ることにすぎません。

最近の宇宙物理学では我々の住む宇宙は唯一の宇宙ではなく、断続的にビッグバンが繰り返されて次々と別な宇宙が生まれ、各々において別々の物理法則が成り立っていると主張する学者がいます。どこかにいるはずの自分が放射する「行動の像」が、あたかも複数の映画館で同時上映されるがごとく複数の宇宙に「いる」意識によってモニターされており、いま地球にいると思いこんでいる自分がその一つを鑑賞しているのだというのは、映画館どうしが何百億光年も離れているのであり得ないように思えるのですが、意識というのは光速で飛ぶ必要すらなく、「いる」ところには「いる」ので、これは成り立つのです。

 

ぶっ飛んだお話ですみません。

Categories:______サイエンス, 徒然に, 若者に教えたいこと

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