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シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97 「ライン」 (序論)

2013 MAR 3 0:00:31 am by 東 賢太郎

もし無人島に持っていく曲は?ときかれたら、これかもしれません。

大学時代に夢中になり、アメリカ留学時代もカセットテープで何度聴いたことか。ウォートンスクールの夏休みに28歳で初めてヨーロッパへ行きましたが、ケルンからマインツまでの快晴のなかのライン下り(上りですが)では、ローレライや丘の上にお城のある景色を見ながらずっとこの変ホ長調の第1楽章が頭の中で鳴っていました。その時、船上で見るその景色こそ、デュッセルドルフに移り住んだシューマンがこの曲の霊感を得たものだったということを僕は確信したのです。それはこんな景色です。

EBP10-10657Aまさか9年後にこのすぐ上流のフランクフルトに僕も移り住むことになろうとは、その時は知る由もありませんでしたが、1992~1995年の3年間、結局そういうことになってしまったのです。下の写真は戦勝記念碑のある丘の上からリューデスハイムという街を望んだ風景ですが、このあたりはラインガウといってリースリンク種という白ワインのブドウの産地です。手前にあるようなブドウ畑がライン流域の南向き斜面一面に延々と連なっている平和で穏やかな風景は、どなたも一度目にしたら忘れられないでしょう。                                                                                                                                           800PX-~2

-391800556_gallery2僕はヴィースバーデンというライン川ぞいの街が大好きで毎週末、家族を連れてドライブしてました。ここのオペラハウス(右)はフルトヴェングラーやシューリヒトも振っていた名門ですが、当時の古風でローカルな味わいも残っていて僕にはたまりません。ワーグナーのリングもここで全曲初めて聴きました。まだ幼かった娘たちが初めてオペラやバレエ、ヘンゼルとグレーテル、魔笛やくるみ割り人形、白鳥の湖を見たのもここでした。ラインガウのライン河畔にあるいくつかのレストランの食事と地元ワインは最高です。アスパラガスの季節にワインを何種類か利き酒しながらの昼食は心からの幸福感にひたれ、是非どなたにも味わっていただきたいものです。ドイツ料理がまずいなどという迷信は吹き飛ぶでしょう。こうして、3年間のわが家の生活はフランクフルト~ヴィースバーデンを結ぶマイン、タウナス、ラインガウの風土にどっぷりと浸かっておりました。

431a56ff6a0e198a960e50a1f1db33d0それで何がシューマンなんだ?ということでした。この曲は僕にとって、そうしたラインガウでの生活そのものなのです。音楽は何か物語や風景や愛のような具体的なものを表すことができると言われます。リストが創始した交響詩というものはその例です。いや交響曲のような絶対音楽でも、ベートーベンの田園交響曲(ハイリゲンシュタット)やメンデルスゾーンのスコットランド交響曲(エジンバラ)のようにある特定の場所で得た霊感によって書かれたものがあります。

絵にたとえますと、風景画と抽象画にアートとしての違いはありません。抽象画と言っても画家が見た何ものか、それが景色であれ人であれ悪夢であれ、そこから得た心象風景を描いたものです。ただ抽象画というフォルムで絵を描くということになると、見たままの対象を描くわけではありません。それが人の顔であれば、それをそのままの造形で描くわけではないでしょう。しかし音楽の場合そういうことはなく、旋律、調性、リズムといった造形には何ら変わりがありません。音楽はもともと抽象的なのです。たとえば、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲は、シンフォニーという「抽象画」の装いですが、実際は交響詩(風景画)に限りなく近い。こういうことができてしまうのです。

シューマンのライン交響曲がユニークなのは、アルプス交響曲のような風景描写はなにもなく、両端楽章はソナタ形式という「抽象画」の様式を踏みながら、ライン地方の風景、風土という具象を強く感じさせることです。田園交響曲がどうしてもハイリゲンシュタットでなければ書けなかったと言い切るほどの自信を僕は持てませんが、この曲の場合、それはラインランド地方でなくてはならない必然性を強く感じるのです。

ドイツ保守本流の交響曲の歴史はウィーンを中軸にして展開しました。モーツァルト(39~41番)、ベートーベン、シューベルト、ブラームス、ブルックナー、マーラーみなそKdomうであり、わずかにメンデルスゾーンとシューマンが例外です。しかしライン交響曲は、中でも群を抜いて非ウィーン的です。さらに、快楽、自然に非常に肯定的、啓蒙主義的です。禁欲的なキリスト教的雰囲気がありません。ライン地方の民族舞踊レントラー(第2楽章)のあとに第4楽章のケルン大聖堂(右)での「荘厳な儀式」が変ホ短調で出てくるとちょっとした違和感を感じるほどです。しかしこの曲で厳粛なのはここだけで、直後にいきなり始まる第5楽章は第1楽章とまったく同じLebhaft(生き生きと)という表題を持ち、快活な民衆の人いきれが回帰します。この回帰が、これまた心地よい違和感なのです。

僕がこの交響曲を偏愛するのは、シューマンが抽象画として描きこんだ「ライン地方の生活からの心象風景」としてのすばらしい音楽が、僕が3年間味わったライン河畔の生活の、これまたすばらしい思い出となぜかシンクロナイズするからにほかなりません。「音楽は抽象的」と書きましたが、どうして僕がそう感じるのかは一向にわかりません。同じ風土で暮らしてみて、シューマンの得た心象風景、霊感と僕のそれがたまたま一致したのだと、あい勝手ながらそう思わせていただくことにしています。以前書きましたが、38歳の僕はこの地で初めて現法社長のポストにつき、長男を得て、幸せの絶頂にありました。留学の休暇でのあのライン下りで、勝手に脳裏でずっと鳴り響いていたこの交響曲は、なにか深い運命的な縁があったのかもしれません。

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第1楽章)

 

 

Categories:______シューマン, クラシック音楽

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