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メンデルスゾーン交響曲第4番イ長調作品90 「イタリア」

2013 NOV 10 18:18:15 pm by 東 賢太郎

音楽による地中海めぐり、次はいよいよイタリア編に入りましょう。

ついこの前のことです。南イタリアはアマルフィの風景を描いた油絵を気にいって、何の気なく買いました。そうしたらさっきこの水彩画をネットで発見してびっくりしました。

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なんと同じ海ではないですか。これを描いた画家は22歳のフェリックス・メンデルスゾーンです。交響曲第4番「イタリア」は彼が22~24歳にかけて書いた傑作です。まさにこの水彩画を描くことになったイタリア旅行の直後であり、この曲の冒頭はこの景色から生まれたかもしれないと僕はいま想像をかきたてられているのです。

o0420042010150431900メンデルスゾーンに与えられた人生はたったの38年でした。モーツァルト36年、ビゼー37年と、僕が人類史上、早熟の3大奇跡とあおぐ3人はほぼ同じ年で亡くなっています。右は 13歳のフェリックス・メンデルスゾーンの肖像画で、このまま少女マンガの主人公ですね。このころ紹介された文豪ゲーテは彼の才能に驚嘆し、2週間毎日彼のピアノを聴き続けたそうです。17歳で書いた弦楽八重奏曲変ホ長調」と「序曲《真夏の夜の夢》」は現代のコンサートレパートリーの常連です。後者に続く「結婚行進曲」を聞いたことがないという人はまずいないでしょう。

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フェリックスにはファニー(右)というお姉ちゃんがいて(これもモーツァルトのナンネルと似る)、彼女も13歳で父の誕生日プレゼントにJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集・第一集」の24の前奏曲とフーガをすべて暗譜で演奏したとありますから、もう頭がくらくらするぐらいものすごい頭脳です。オペラ「ファウスト」で高名なフランスの作曲家シャルル・グノーがファニーの弾くバッハに感嘆し、彼女の足元にまろび伏してアダージョを弾いて欲しいと願ったというおそるべき逸話まで残しています。彼女の長男の名前はバッハ、ベートーベン、弟にちなんでゼバスティアン・ルートヴィヒ・フェリックスでした。

フェリックスは15歳のクリスマスプレゼントに母方の祖母からJ.S.バッハの「マタイ受難曲」の筆写スコアをもらいます。すごいおばあちゃんがいたものです。それもそのはず、2人がどういうお家の子かというと、父アブラハムは大金持ちの銀行オーナー、祖父モーゼスは高名な哲学者でした。父は「私はかつては父の息子として知られていたが、今では息子の父親として知られている」と有名な言葉を残しています。

Felix_Mendelssohn-620x360フェリックス(右)はおばあちゃんにもらったバッハのマタイを20歳で蘇演し、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督に26歳で就任、発見されたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」を30歳で初演しました。また、指揮棒を使ってオーケストラの指揮を始めた創始者は彼です。

僕が音楽史、音楽界で最大級の悲劇と感じるひとつが、このメンデルスゾーンの業績のいわれのない低評価です。嘘だと思われたら書店や図書館へ行って彼やファニーの伝記や論文や研究書の類を探されたらいい。如何に少ないか分かるはずです。これは国際的な「いじめ」と言って何ら過言ではありません。ベートーベンとワーグナーをつなぐだけの、音楽史に貢献のない「中継ぎ」と見るなどがその例です。彼らはその驚異的な能力や業績に比して不当なほどに歴史から抹殺されていると言ってもいいのです

その背景には音楽創造の人類史というものが何らかの内在的な原理によって自律的に進化(evolve)するというとてもドイツ的、哲学的な史観が色濃く感じられます。その進化プロセスがアーリア人の頭脳によって駆動されるとまで音楽史は言わないが、その論理の存在そのものが音楽史の本家本元であるイタリア人への対抗軸の創設であり、従ってイタリア人が進化貢献の担い手リストから巧妙に排除される中、そこにユダヤ人メンデルスゾーンが入り込む余地は元来限られていたと思われます。このドイツ史観に洗脳された我が国の音楽教育が、バッハ-ヘンデル-ハイドン-モーツァルト-ベートーベンであるとして「evolutionの系譜」を暗記させるのを覚えておられますでしょうか。

ヒトラーがそこまで考えていたかどうかはともかく、彼はアンチ・セミティズム、アンチ・メンデルスゾーンのリヒャルト・ワーグナーをご贔屓にし、ナチスが政権を取ると不幸なことにそのアンチは全ドイツに拡散しました。国民的な抹殺の始まりです。その結果として、例えば1936年、英国人トマス・ビーチャムがロンドン・フィルの楽団員と共にライプツィヒのメンデルスゾーンの記念碑に花環を捧げようと訪れた時、彼らはそれが粉々に打ち砕かれ、銅像は無くなっているのを見たそうです。ユダヤ人演奏家が欧州から米国に大挙して亡命したのがよくわかります。

しかしメンデルスゾーンのケースはナチスのせいばかりではないでしょう。なぜならマーラーもユダヤ人ですがそんな目にはあっていません。 これは僕の推察ですが、富裕層の生まれで楽な人生を歩んだというイメージが「いじめ」のもう一つの源泉のような気がするのです。大作曲家伝説は王侯貴族や国家体制の権力、権威に才能だけで立ち向かう一介の騎士というスタイルでなければならないのです。銀のスプーンをくわえて生まれた少年が天才でもあったなど許さなかったのではないでしょうか。無視してあえなく死なせてしまった騎士が天才であったことにあとで気づいた支配階級が懺悔(ざんげ)として美化した要素がモーツァルト伝説にはたくさん含まれていると僕は考えますが、彼が貴族の子であってもそれが起きたかといわれれば、懐疑的です。

フランス革命、ナポレオンの登場から間もないヨーロッパにそういう下剋上美化のような精神風土があったのは容易に想像できます。しかしそれはユニバーサルなものではなく多分にキリスト教徒のものであり、一神教が異教徒を排除する原理と自然に融和するものだったのではないでしょうか。その原理は原爆投下で大勢の非戦闘員まで亡きものにする行為を平然と正当化できる、我々仏教徒の理解をはるかに超えるものなのです。キリスト教徒の平民に富裕層はいなかったろうから、銀のスプーンへの攻撃の矛先が貴族階級だけでなくフェリックスの父親が不幸にもその象徴でもある富裕なユダヤ人に向かいました。

フェリックスは運の悪い時期に生まれた といえばそれまででしょう。問題はそれが現在に至るまで歴史の評価として定着してしまっていることなのです。音楽に限りませんが、アートというものは人間の理性の産物です。食うこととセックスすることしか考えない動物と人間とを明確に区別できるのは理性の存在で、それこそが人間の尊厳の源です。フェリックスやファニーという人間に実際に接した、ゲーテやグノーら銅像が建つほどの芸術家が彼らをどう評価したかという史実をどうして重視しないのでしょう。ドイツの音楽学者やナチ党員の銅像は一体どこに建っているのでしょう。

音楽という芸術を差別という人間の最も後ろ暗く品性の卑しい行為で汚すことに僕は全面的な拒絶、Vetoを叩きつけたいのです。フェリックスの産み出した奇跡のような音楽にあえて耳を塞ぎ人為的な政治や宗教の相克の生贄に供そうというのは、人間が人間である所以である理性と尊厳の否定に他なりません。そういう行為を平然と行う者たちは自らがそれを欠く輩である、つまり人間未満の存在でしかないということを証明していると僕は思うのです。本稿を読まれる方々には、ぜひ虚心坦懐に彼の音楽に耳をかたむけ、人類の遺産と称される物の価値がいかに人間の浅知恵で操作されているものかを自らの理性によってご判断いただきたいと願ってやみません。

 

イタリア交響曲は彼自身の命名ではありませんが 、彼がアマルフィにも立ち寄ったイタリア旅行の印象に基づいて書かれたものであることは明らかです。誰もが一度でも聴いたら忘れない第1楽章の出だし!軽やかな木管のリズムに乗ってヴァイオリンが歌う、はじけるような歓喜に満ち満ちたあのメロディー(楽譜)。あなたは一瞬にして陽光降りそそぐアマルフィの海岸で青い空と紺碧の地中海を見るのです。もう一度冒頭の彼の水彩画をご覧ください。

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この「入り」のシンプルにして強烈なインパクトはモーツァルトの交響曲第40番ト短調を想起させる、僕の知る唯一の音楽です。この曲に革新的な部分があるとすると、イ長調で始まりますが終楽章はイ短調で終わることです。短調開始であっても長調終止が普通だった当時、短調→短調でもきわめて異例なことでした。それをわざわざ長調で始めて(しかも非常に明るく)というのは異例中の異例でありました。

彼はこの曲を自分ではあまり評価しておらず、改訂を重ねながら亡くなりました。だから最後の交響曲「スコットランド」が3番であり、出版順でこれが4番となったのです。第4楽章プレストはローマ付近の民衆に流行した舞曲サルタレロのこのような「タッタタタタ、タッタタタタ」というリズムを背景に書かれていますが、指揮者トスカニーニは「イタリア人としては異議がある」と語ったそうです。

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このリズムですが、これはリムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」のやはり急速で進む第4楽章の伴奏にそっくりな形で現れます。 

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1分18秒からのリズムです。譜面は1分23秒からです。このシェラザード、第1楽章開始部での木管の和音も「真夏の夜の夢」そのものです。誰が彼の音楽をどう評価しようと、後世の作曲家がどれだけメンデルスゾーンを知り、研究し、影響を受けたかがこの一例からも分かります。

それは彼のインスピレーション、霊感というものがひときわ群を抜いていたからで、あの真夏の夜の夢の「スケルツォ」のもつ妖精の舞いを見るようなポエジーは、あとにも先にも彼以外の人間の手からは生れ出たことのない独創的なものです。また先の結婚行進曲。C、Am6、B7、Em、F、Gという奥ゆかしい和声進行にのって進む音楽が新郎新婦の晴れやかで心の浮き立つような、それでいて適度に厳粛な、まさに結婚式というシチュエーションにどれほどふさわしいか、言葉にするのも野暮ですね。

それではイタリア交響曲の僕の好きな演奏を4つだけご紹介しましょう。

 

ロリン・マゼール/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

736(1)見事なテンポでさっそうと鳴るオケ。はじけるリズム。青い海と空を風がよぎるイタリアの風光を封じ込めたような第1楽章の理想的な姿です。終楽章の熱さ、緩徐楽章の絶妙の木管のニュアンス。弱冠30歳だったマゼールに共感したベルリンフィルが自発性と一糸乱れぬアンサンブルをもって応じているのに驚きます。弦の腰の重さはドイツ流ですが、色彩的な管楽器をスマートに配していて野暮ったくならないセンスは天性のものでしょう。録音も良好であり、中年以降のマゼールに偏見がある人(僕もその一人)も虚心に聴いていただきたい名演です。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団 (54年2月26-28日)

41PY9RX27DL._SL500_AA300_これでこの曲を覚えた人が多いのでは(僕もそうです)。第1楽章の陽光降りそそぐ乾いた空気。からりと晴れた突き抜けるような青空。これぞイタリアです。オケの強靭なリズム 、明瞭なアクセントとカンタービレが圧倒的。素晴らしい!言うことなしでございます。しかし速めの第2楽章はポルタメントまでかけて歌いまくるが音程がアバウトで、厳格なトスカニーニらしからぬ部分もあります。第3楽章も管楽器の表情と遠近感はいいが弦が雑ですね。終楽章はこの不世出のコンビしか成しえないパッションとインパクトに打ちのめされますが、トータルでの評価が難しい演奏です。彼は5番を買っていてこの曲はあまり評価しないコメントを残していますが最晩年のこの録音はどういうスタンスで録ったのか。ともあれこの曲のスタンダードとして不動の位置にある名録音としてご一聴されることをお薦めします。

(補遺・3月6日)

italia1トスカニーニは54年4月4日の公演中(タンホイザー序曲)記憶が飛んで指揮棒が止まり、その日を境に2度と舞台に現れず引退しました。この録音はその直前のものだったというストーリーがあります(レコードは引退後に発売)。上掲写真のCDは同じ音源のリマスター盤でロンドンで(おそらく)85年に買ったのは右の写真のものです。これは僕の1万枚のCD在庫の記念すべき最初の数枚の一つであり、トスカニーニにはおしまいのものが僕にとってはじまりになった。ジャケットを眺めるだけで懐かしさがあふれます。子孫に売られないように写真を載せておきます。

 

コリン・デービス / バイエルン放送交響楽団

デービスイタリアデービス 純ドイツ的なイタリア交響曲です。この重量感あるオケの音のまま立派なブラームスができます。この曲がドイツ人の音楽だということを感じるという意味で最右翼の演奏であり、オケの音楽性の素晴らしさ、指揮の安定感は抜群。コリン・デービスは今年亡くなった英国の名指揮者ですが、なぜか日本では中庸な指揮者という意味不明のイメージが定着しており、この録音も話題になったことはまったく記憶にありません。こういう奇をてらわず筋金の通った演奏こそ欧州トップランクオケのコンサートで日常的に聴かれるものであり、これは本当に音楽のわかる人に宝物になるCDと断言いたします。交響曲第5番も最高級の演奏であります。こういう本物の良さを広めない日本の評論家たちの価値基準がいったい何なのか、僕は疑うばかりです。

 

ジュゼッペ・シノ―ポリ / フィルハーモニア管弦楽団

519XT81ftoL._SL500_AA300_やや遅めの第1楽章。終結へのむけての翳りを含んだ夕映えのような情景など実に印象的です。やはり遅い第2楽章も祈りの感情をたたえ、どこかシューマンへのエコーが聞こえます。第3楽章はさらに遅く、さらに一歩ロマン派に近接し、ブラームスへ続く脈絡の解釈といえましょう(中間部のホルンの扱い方など)。こういう表現を聴くとメンデルスゾーンが単なる穏健なつなぎの存在という説が見当違いであることが分かるのです。終楽章はティンパニを強打して徐々に加熱してきますが能天気な狂乱に至ることはなく、天気はからりとは晴れない。ユニークなイタリアです。

(補遺、2月29日)

ベルナルト・ハイティンク /  ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

italiaトスカニーニの稿で「これで曲を覚えた」と書いたが、正確には大学時代たぶん80年に買ったこれとサヴァリッシュ/ウィーンSOの2枚のLPがこの曲の入門だった。ロンドンへ行ってトスカニーニにはまってしまい、いきおいイタリアも彼のが刷り込まれた結果だ。ところが今になってこれをきいてみるといい。何の変哲もない正攻法。しかし音楽の純粋な美しさだけを心に届けてくれる。それは漫然と表面を整えて演奏しているわけではないことは第1楽章で細心の神経が使われているヴァイオリンのpのフレージングひとつをとっても明白だ。B面の第1番も好演で、こういう演奏はいつまででも聴いていたい。ハイティンクの演奏はどれもそういう印象があるが、ACOという名オーケストラに全面的に依拠していたわけではなくLPOでもそういう音楽になる証明がこれだ。1番の見事な弦のアンサンブルは往時のDSKのそれを思わせ、ドイツの伝統の中で練磨された秘技がロンドンのオケによって具現化されているのは驚くばかりである。ハイティンクはその真正の後継者なのであり、それあってこそ若くしてACOがシェフに抜擢したことがうかがえる。

 

ペーター・マーク / マドリッド交響楽団

71IM9FV7iQL__SX425_2006年にJALのファイナンスのロードショーでニューヨークに行った際に買ってきたCDだ。マーク(1919-2001)というとメンデルスゾーンとモーツァルトというイメージが僕の世代にはあるのでは。プラハ交響曲、ぺイエとのクラリネット協奏曲で僕は曲になじんだし、スコットランドは87年ごろロンドンで買ったベルンSOのCDに魅かれた。この97年、最晩年のマドリッド響との4番は好きだ。ラテン的な透明感で歌いながら要所で木管を浮かび上がらせティンパニを強打する彫の深い表現は実に味わいがある。マークはスイス人だが出身地のザンクト・ガレンは僕の住んだチューリヒの東でオーストリアに近い完全なドイツ語圏だ。彼のしなやかな感性が独墺系の音楽に生きたのもむべなるかなだが、この晩年のメンデルスゾーンはドイツ語のメンデルスゾーンがラテン語圏のオーケストラの音で具現化されまことに良いものだ。いま聴きかえして強いインパクトを覚えた。

<参考 交響曲第3番イ短調「スコットランド」作品56>

ペーター・マーク / 東京都交響楽団

56093年、僕がフランクフルトに住んでいる時にこういう演奏会が東京で行われていたというのは残念と思うほど、この演奏は素晴らしい。彼が十八番としたのは4番よりドイツ音楽の骨格をもった3番であり、ザンクト・ガレンがアイルランドの修道士ガルスによる街だというと考えすぎかもしれないがまったく無縁とも言い切れない気がする。ロンドン響、ベルン響、マドリッド響と3種の名演奏を全部持っておりどれもそれぞれに良いが、この都響との演奏はライブでオケとの波長が合ったのだろう、どれよりも高揚と興奮を与えてくれる。都響の気迫もびりびり伝わり、まぎれもなくスコットランド交響曲の最高の名演のひとつ。これを会場で聴いた方は幸運だ。世界に広く聴かれて欲しい。

 

ピアノ4手、芸大学生の演奏。たいへん素晴らしい。

 

 

(ご参考)

シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」

クルト・マズアの訃報

メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64

 

Categories:______メンデルスゾーン, ______地中海めぐり編, クラシック音楽

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