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シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47

2014 MAR 22 10:10:30 am by 東 賢太郎

始めはちっとも良いと思わないのにだんだん魅力に気がついてきて、ついには一番好きなものの一つになる。そういうことは世の中にあまりないのですが、シベリウスのヴァイオリン協奏曲は僕にとってその希少品の一つです。

どういうきっかけだったかハチャトリアンのVn協を聴いてみたくなり、買ったオイストラフのLPにこれが入っていたのが出会いでした。72年の4月だから高3になったばかりのことです。しかし最初はわけがわからなくてほとんど聴かず、2枚目のLPを買うこともありませんでした。

少し開眼したのは83年にフィラデルフィアO.でギドン・クレメールがスクロヴァチェフスキーの指揮で弾いたのを聴いたときで、そこからシェリングのカセットテープを買って聴き、それでだいぶ耳になじんだのです。しかしそれでもわかったとは程遠く、この曲を含むシベリウスの音楽の神髄を知るにはそれから赴任したロンドンの6年間を待つ必要がありました。

ロンドンの冬というのは特に寒くはないのですが、なにせ暗い。朝は8時ごろまで、夕方は4時からもうあたりは漆黒の闇です。しかも雲が多くて日が照らず月も星も出ず、冷たい驟雨がしとしと降る日が何日も何日も続きます。鬱病が多いのもうなづける灰色に沈み込んだ世界なのです。そのロンドンで4年目を迎えた年あたりからです、シベリウスの音楽がやっと肌でわかりだしたのは。シベリウスが作曲当初から今に至るまで英国で非常に人気があり、エルガーやバックスなど英国作曲家に大きな影響を与えたことが納得がいくようになりました。

クラシック音楽というのはそれが産まれた気候風土や土地の人の精神のありかたと深く結びついているのだということが欧米に13年半住んでの実感です。NHKの「名曲アルバム」はその点いい線をいっている番組と思いますが、気候風土、精神というものは絵葉書やVTRのような視覚媒体だけで伝わるものではありません。ブルックナーやブラームスを体で理解するにはドイツの森を知らなくてはならないと僕が思うのは別に高尚な音楽だからというものでもなく、例えば一生を北欧の気候で過ごした人がハワイアンを味わいたければCDを何度も聴くよりワイキキビーチに飛んだ方が早いだろうというのと同じ意味です。

この曲が人生で大切なものにまで大昇格となったのは次に赴任したフランクフルトで聴いたときです。93年3月27日、ヤーレ・フンダート・ハレという化学会社ヘキストの体育館みたいな乏しい音響の大ホールで、ジョシュア・ベルのヴァイオリン、ウルフ・シルマー指揮バンベルグ交響楽団の演奏でした。一生忘れない演奏会というのは突然に前ぶれもなく訪れるもので、このあとにやったドビッシーの「海」ともども完全にノックアウトを食らってしまい、ぶるぶる震える危ない手つきで運転して帰宅したことまで覚えているのです。

そのジョシュア・ベルの演奏がyoutubeにありました。彼も中年になりました。若者だったあの時より角は取れていますが、これも見事な名演です。是非じっくりお聴きいただきたい。

この協奏曲は初演がうまくいかなかったことと、ブラームスの協奏曲を聴いて考え直したことから改訂が加えられ、現行のものはその改訂版です。 第1楽章は特に初演稿と大きく変更がある楽章です。第2主題に別な和声付がなされていたりして驚くのですが、3つある主題が改訂版でもあまり有機的に構成された観がなく、再現部の前にカデンツァが来るなど独創的ではありますがソナタ形式としてまとまりに欠けるために演奏が難しい音楽とされます。

大変にロマンティックな楽想に富んでいて、ソロと指揮者がそれに耽溺してしまうと何をやっているかわからない音楽になってしまい、それをあっさりやると欲求不満感が残るという難物なのです。逆にこの楽章が理想的に演奏された場合の充実感は例えようがなく、すべてのヴァイオリン協奏曲のなかで、もちろんあのベートーベンやブラームスやメンデルスゾーンをいれてであっても、いいものを聴いたという最上級の充足感をもたらしてくれる稀有の名楽章と思います。

そう、冒頭のこのスコアがひそやかに鳴り出すと、もう我々は金縛りなるしかないのです。ブルックナー開始を思わせる4パートで分奏するヴァイオリンのニ短調主和音に、そっと息を吹き込むように入ってくる独奏。主音から4度上のg(ソ)の空疎な響きに北欧の冷たい空気を感じます。しかもこのモノローグは、原野や森に潜む自然の精を呼び覚ます呪詛のような響き、生身の人間の情念のようなものまで訴えるインパクトの非常に強い旋律であります。ヴァイオリン・ソロでしか成しえない世界であり、古今東西のヴァイオリン協奏曲の主役登場で最も印象的なものでしょう。

協シベリウスV

第2楽章は思わせぶりなクラリネットの重奏で開始します。Adagio di moltoとあり、もうできる限りゆっくりと演奏しなさいという意味です。フィンランドの指揮者レイフ・セーゲルスタムはこの楽章は男女の最も崇高で神秘の営み、つまりセックスを描いていると主張していmov2シベリウスV協ます。英国の女性ヴァイオリニストであるタスミン・リトルもそれに慎ましやかに賛意を示しています。本当に素晴らしい、シベリウスが書いた最も独創的で最も高貴な緩徐楽章であり、エルガーのチェロ協奏曲、やはり神がかって美しい、手をふれるとこわれそうにデリケートなあの第2楽章にエコーしているのを聴くのは僕だけでしょうか。右のスコアのヴァイオリンの優しいつぶやき、それを受けとるワーグナーを想起させる深い満足感を導くホルンの和声などを聴くにつけ、僕もお二人のおっしゃる意味しかないだろうと思うのです。この楽章は演奏の好悪もはっきり分かれ、ハイフェッツのような名手でもどう弾いていいのかわからないようで持て余しています。また、激した中間部では理解不足の指揮者は金管をばんばん鳴らしてしまい、音楽をぶち壊すこともしばしばです。そういうことをされると音楽の香気が消し飛んでしまう。大ヴァイオリニストでも演奏しない人がいるのはこういう音楽を感じきれないからではないでしょうか。

第3楽章は音楽的に第1,2楽章より深みを欠きますが、舞曲風のリズムに乗って協奏曲らしい技巧がちりばめられ、シベリウス自身がヴァイオリニストを目ざしたこともあり華やかな演奏効果が見られます。協奏曲の終楽章としてわかりやすい楽章で、和声的な展開が誰でも感動できるように出来ている音楽であるため技巧さえあれば無神経なソリスト、指揮者でもつとまる楽章であるといっていいでしょう。

この曲ですが、昔からジャネット・ヌヴーやイダ・ヘンデルなど女流の演奏が有名であり、ヘンデルはCDを持っていますが確か帰国してから実演も聴いたはずだが指揮者も演奏も忘れてしまった。会社を変わったりで僕の人生、この10年は忙しすぎました。最近は諏訪内晶子、アンネ・ゾフィー・ムターなどのCDを聴きましたが、どうも今一つです。特にムター盤は評論家が絶賛していたものですが、妖艶な色気がむんむんと漂って大変に薄気味が悪い。僕の趣味ですが、この曲は男が、それなりの気骨のおっさんが、昔の恋人を想い出しているような淡いロマンと時に年甲斐もない情熱を燃やしてみるようなところがちょうどいいように感じます。女性がG線のヴィヴラート豊かにぐいぐい迫ってくるみたいなタイプの演奏はまったく苦手であります。

 

ダヴィッド・オイストラフ / ユージン・オーマンディー / フィラデルフィア管弦楽団

sibe_oistそういうおっさんタイプの最右翼の演奏がこれです。オイストラフにはうまいという言葉しか見当たりません。こんな演奏が残ってしまったら世界のヴァイオリニストは困っているだろうと思うほど。僕が高校時代に買ったのはこれではなくロジェストヴェンスキーがモスクワ放送O.を振ったものでオイストラフの気合いは立派ですが、録音、オケも含めてこのオーマンディー盤の安定感の方が何度も聴くには好ましく思います。この曲は伴奏オケの難曲として知られますが、作曲小屋アイノラにオケ団員を連れて会いに行くほどシベリウスを敬愛したオーマンディーは抜群の合わせで、この曲にじっくりひたりたいときに僕が聴くのはこれをおいてありません。前述しましたが、留学中の83年に聴いたスクロヴァチェフスキーがこのオケを振った伴奏は逸品でした。また、交響曲第5番がプログラムにあってずっと前から楽しみにしていたのですが、すでに高齢だったオーマンディーが当日になって体調不良となり、副指揮者ウィリアム・スミスが急遽振ることになるということで本当にがっくりしたのを昨日のように覚えています。それでもオーマンディーの解釈が浸透したこのオケの響きはシベリウスそのもので、その時の5番は後日フィラデルフィアの地元FMが放送したものをカセットに録音しました。今それはCDに焼きなおして時々思い出して楽しんでいます。このオイストラフ盤、それからアイザック・スターンが独奏している盤のオーケストラ伴奏は凌駕するもののない高峰として一聴をお薦めいたします。

(追加しましょう、16年1月11日~)

 

オレグ・カガン / タウノ・ハンニカイネン/ フィンランド放送交響楽団

6189wCbvoFL__SS280オイストラフが弟子とし、リヒテルが伴奏者に抜擢した故カガン(1946-90)19才、シベリウス・コンクール優勝のライブの記録です。ぎりぎりに切りつめて音楽の内面を抉るような演奏。終楽章の楽想はギャラントにやると軽くなりシリアスにやると協奏曲の華がなくなる難しいものですが見事な解答を見せています。こういうのは指揮者の指示でできるものでもなく才能しかないでしょう。この曲のスコアはこうなのであり、僕は最近の女流リッチ路線にはどうしても違和感を覚えます。並録のベルク(85年、ブレゲンツ音楽祭)もこれでなくてはという見事なもの。これです。

(補遺)

本文にあります米国留学時代に聴いたギドン・クレーメルの演奏ですが、FM放送を録音したカセットテープが出てきたのでアップロードしました(フィラデルフィア管弦楽団、アカデミー・オブ・ミュージック、1983年)。忘れられない秀演で指揮はスタニスラフ・スクロヴァチェフスキーでした(シベリウスは大変珍しいです)。彼がブルックナー8番を振って感動し、楽屋へ訪ねて会話したのはこの前後のことでした。

スクロヴァチェフスキーとの会話

 

 

(こちらへどうぞ)

シベリウス交響曲第2番ニ長調 作品43

 

 

Categories:______エルガー, ______シベリウス, クラシック音楽

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