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京都の不思議

2014 APR 8 1:01:36 am by 東 賢太郎

京都というのは不思議な場所です。去年と同じ木屋町の宿に足をふみ入れてみて記憶が不意に蘇ったのですが、そういうえばまさにここに着いたその日は昨年一年間で最も重要な仕事となった案件のクロージング(締め)の真っ最中だったのです。やきもきしているとスマホのメールで良い知らせが来て狂喜したことをまじまじと思い出しました。そして今年も、ある新しい仕事の構想を、それもひょっとすると自分の人生で最も大仕事になるかもしれないものの決断を目前に控えて、やはり木屋町の宿で深く思いをめぐらせておったのです。

不思議というのは奇しくもそんなことが二度目だということばかりではありません。京都という土地柄が、そういうことになんともふさわしいものだということです。そこに身を置くと、そういうことを考えていること自体がいとも自然であり、梶浦がセットしてくれた会食もお茶屋さんもそういう心境に置かれた男に自分自身がなってみて、昔からこういうものだったのだろうということを味わえたかもしれないと思っています。去年と同じく京おどりも観せてもらいましたが、そうしてやっぱり、あまりに美しい芸妓さん舞妓さんたちの舞いに感動し見とれたのですが、満開の桜とおんなじで、こういう心持ちだから求めるいとおしい美というものがそこにはひっそりと忍んでいるような気がします。

浅学の身があれこれ歴史を書きたてるまでもないことですが、京都には千年にわたってそういう男たちがひしめいていたわけです。権力の頂点が在る故に権謀術数が渦巻き、成功して有頂天になった者もおれば戦死者、刑死者も数知れず出ました。勝った者が建てた寺社は国家や家の鎮護と同時に死者の怨霊封じの場でもありました。ですからあの都はそういう「気」に満ちているに違いなく、そのようなものが溶け合ってあの文化ができていると思われます。去年はまだ若くてそれには気づかず表面の美だけに感じ入って帰ってきたのですが、今年にいたるまでに色々のことをさらに経験したせいでしょうか、ただ綺麗なだけの美ではない、いわば負の側面も背負った凄味のある美だという風に感じられてきました。

平等院の藤原氏、六波羅蜜寺の平氏、金戒光明寺の会津藩などがそういう男たちだったでしょうし、武家に治政を執られていた時代の天皇家もまたそうだったのでしょうか皇室の菩提寺である泉涌寺では歴代天皇の位牌のあるお堂で自分としてはかつて経験がないほどの強い気を感じました。これは悪い感じのものではありませんが後の寺社が軽く思えるほど腹に重たいものであり、その日はお茶屋に遊んでもどこかそれが残っていて何かを頂いて帰ってきたのかなという気分も致します。

中村がここはお前の専門分野だろうと言うので、泉涌寺については稿を改めて書くことにします。

 

はんなり、まったり、京都 (その2)

 

 

Categories:______京都, ______日々のこと, 徒然に, 旅行

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