シューベルト交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」
2014 JUN 9 23:23:54 pm by 東 賢太郎
大学3年の秋にNHK FMでカール・ベームがウィーン・フィルを指揮したこの曲と8番の放送がありました。それをラジカセでエアチェックしましたが、それとゲルト・アルブレヒトが同じオケを振ったシューマンの2番、そしてミヒャエル・ギーレンがベルリン・フィルを振ったブラームスの1番という3つの交響曲録音が僕の宝物でした。シューマンのカセットは無念にも紛失してしまいましたが後の2つはCDRに焼きなおして(写真)、ラジカセ収録とは思えない良い音で残っています。
ベームの9番は77年6月19日聖カール・ボロメウス教会とあります。これは正規録音がありませんがあまりに素晴らしい演奏であり、教会の残響に柔らかく溶け込むVPOの音響は音楽とともに「天国的」です。下宿でこのカセットをヘッドホンで何度も何度も聴いて僕はこの曲を記憶しましたし、この録音の見事な音響が後に僕の独墺系のオーケストラを再現する際の好みを決定づけたという意味で非常に重要な演奏です。
右がその好みから機器を選び、それをいろいろ調節した現在のリスニングルームです。壁も床も石なのはオーディオの常道に反します。アンプやスピーカーの個性が薄まるからです。しかしそれはオーディオマニアの理屈であって、音楽マニアとしては個々のパーツの個性よりもトータルに出てきた音という「最終結果」だけが関心の対象です。だから部屋ごと鳴ってもいいと思い、こういうことになりました。
僕はヴァイオリンの高音が金属的なのが大嫌いです。モーツァルトもそうだったらしくトランペットやフルートも刺激的だと嫌っており、柔らかいヴァイオリンの音色は「バターのようだ」と褒めています。この9番の弦はバターのような音で鳴り、この部屋全体が音に包まれて教会のようになります。それに右のブルメスターの808というプリアンプで高音と低音のヴォリュームを別々に調節すると、トスカニーニやセルのようなハイ上がり目の録音でもそこそこうまくバランスしてくれるように感じます。
さて、この曲は演奏時間が約1時間かかる音楽史上初の大交響曲であります。ベートーベンの第九があるではないかと思われるかもしれませんが、第九は最終楽章がカンタータでソナタ形式ではなく、真の形式を満たしたという意味でこれが最初です。直接的にはこの曲を発見し「天国的な長さ」と評したシューマンの同じハ長調の2番、さらにその先にはブルックナーが後継者として控えます。
後世のブラームスが脱しきれなかった先達ベートーベンの影響は終楽章のテーマにうっすらと感じられる以外ほとんどなく、歌に満ちた幸福な音楽はむしろ対極にあり、真にシューベルティアンな天国のような転調は麻薬的?常習効果をもたらすとすら形容したくなります。最も好きな交響曲のひとつであり、聴かなくてすんでいる時期もあるのですが、いざ一度聴いてしまうと10種類のCDを立て続けに聴いてまだ足りないという困った状態になる曲です。
指揮者サイモン・ラトルが言っていますが、病(梅毒)を患ったシューベルトの心の闇がロ短調で暗くて重い8番(未完成)に描かれたとするなら、この9番はそこからの出口の見えない脱却かもしれません。同じ音型の際限のない繰り返しは当初演奏不能とまでされましたが、何かの飽くことのないだめ押しか、それとも逃げ切れない逃避なのかもしれません。作曲とスコア発見の事情に関しては拙稿をご覧ください。 シューベルト交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
この曲は巨大な弦楽四重奏であり、その終楽章はあらゆる音楽の中でも特筆すべき明るさと精神的な活力を与えてくれます。楽員が真の共感と情熱をもって演奏した場合に限られますが、「生きる力」「明日への希望」をこんなにくれる音楽は僕は他に知りません。ベートーベンの運命交響曲は我々を外的な力で有無を言わさず鼓舞しますが、このザ・グレートは心の内面の力で精神を熱くし、体の奥底に火をつける感じがします。
この曲の天衣無縫で完璧かつ法外な美しさを僕ごときが文字であらわすのはとうてい不可能です。何をどう考えても無理、無力と感じるしかないというどうしようもない規格外、超弩級の作品です。作り物めいた部分が皆無であり、同じ音型の反復が少しも退屈でなく、神の造った発酵食品のようなコード・プログレッション(和声進行)は一度覚えたら病みつきになるしかありません。この曲を知らずに死んでしまうことだけは避けて下さい、というのが凡才のお伝えできる最上のメッセージと思料いたします。
カール・ベーム / ドレスデン国立管弦楽団
上記録音が市販されていないので仕方ありません。ライブですがルカ教会ではなく録音は残念ながらやや落ちます。その音響のせいかむしろ筋肉質で引きしまった推進力に魅力がありこれはこれでベームの良さが出ています。ウィーン・フィルとは東京ライブ(75年3月19日、NHKホール)が出ており、これも名演です。翌日が入試の発表日で聴くモードにありませんでしたがたしかFMで聴いて大いに感動したのを覚えています。
これは上記VPOの演奏と日付は違うが同じ年の演奏のようです。
ロリン・マゼール / バイエルン放送交響楽団
むかしのマゼールはいいが最近は・・・と思っていました。同じ意見の人は多いようでどうも彼は大家というよりテクニシャンの印象があります。しかしこれを聴いてやっぱり凄いと思いましたのであえてここに挙げます。全集ですが2番、4番もいいです。第1楽章序奏部の最後を加速せずという解釈ですが主部への入りが見事。終楽章のテンションの高さと自信に満ちあふれたメリハリは最高で、オケが指揮に安心して乗り、最高の自発性を持って渾身の力で鳴り切る様は文句なし。ティンパニの最後の決めの一発の貫録たるや千両役者の風格です。
名曲中の名曲ですからその他、名指揮者の録音が多数あります。フルトヴェングラーはBPO,VPOで42,43,51,53年とありますがそれぞれ独特のテンポのゆれがあり、42年の終楽章など意味不明の奇演の領域に至っており僕はついていけません。しかし53年8月20日のザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを振ったものは大変すばらしい。
どれも彼のベートーベン演奏の路線上にある解釈で終楽章コーダの追い込みはすさまじく、ヨッフムがゆっくり目のテンポで動機を丹念に紡ぎだすブルックナー寄りの解釈をしているのと対照的です。ワルターは抒情的、ロマン的な表現に比重がありコーダは彼がフルトヴェングラーと全く違う資質の音楽家であることを示します。youtubeにはサヴァリッシュ(素晴らしい!)、ムーティ、ガーディナーがVPOを振ったものがあります。
ムーティが終楽章でクナッパーツブッシュと同じコーダ前のユニゾンを大きく減速するのは意外でした。クレンペラーの悠揚迫らざるテンポは良いですがオケの魅力がやや落ちます。セルはクリーヴランドO.の高性能が耳に焼きつきます。カラヤンは彼にしては強い個性を感じません。
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Categories:______シューベルト, クラシック音楽
中島 龍之
6/16/2014 | 3:55 PM Permalink
シューベルトの交響曲第9番初めて聴きましたが、正に交響曲というイメージ(勝手なイメージですが)で、東さんのリスニング・ルームで聴くのに似合いそうですね。「未完成」と「ザ・グレート」をシューベルトのキッカケにしてみます。
東 賢太郎
6/16/2014 | 9:02 PM Permalink
中島さん、その2曲をキッカケという方がほとんですし僕もそうでしたよ(9番が先でした)。この曲を「正に交響曲というイメージ」とはこの曲の特徴も交響曲というものの特徴も見事にいい当てた説得力ある表現ですね。ベートーベンが作った交響曲のイメージを同じハ長調であるモーツァルトのジュピターの精神でというのがこの9番だと僕は思っています。両天才の血を引いた交響曲のプリンスということでしょうか。