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SMCと万葉集への思い

2015 FEB 8 15:15:07 pm by 東 賢太郎

ライヴ・イマジンの西村さん、吉田さんがメンバーになってくれてSMCのクラシック・ブログに厚みができてきました。とても心強いことです。設立趣旨は「平成の万葉集にするぞ!」なんで、同じ音楽のタイトルでいろんな人がいろんな立場からスクランブルで意見をおっしゃってくれるといいですね。僕は僕のスタイルがあるのでそうしますが、それだけじゃあ面白くない。クラシック好きの方がたくさんSMCを訪問して下さるようになってきて本当にうれしく思っておりますが、もっともっと多くの方が自由参加型で意見交換などできる場になればいいと思っています。

ちょっと無責任なようですが、西室も故人となった中村もSMCをどうしてもこうしようこうしたいというのはなくて、自由放任、なるようになるさなんです。10年後にどうなってるか?わかりませんね、そんなに生きてるのかなとも思いますし。でも参加してくれてる皆でなんとなく続いてくれたらいいな、そう思います。僕がどうなろうと、いつか途切れて終わっちゃっても、万葉集として残ってくれればいい。個人的にはもう900タイトルぐらい書いているみたいで、還暦までに書き残したかったことの7-8割は書いたような気がしているところです。

本当はですね、発起人のわがままとしては僕の60年の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしいんです。詠み人知らずでいいからぜひ一首って。何人ぐらいでしょうか、100人よりずっと少ないですね、そんなに多いわけじゃありません。ブログをずっと読んでくださっている方々、それもご縁なんで何か形になると嬉しいですね。メンバーがみんなそうすれば気がついたら全部で何百人となって、1000年もたったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになりませんか。

それって面白いと思うんです。学校の卒業名簿はたまたま同じ年にそこにいたっていうだけで、同窓会で久しぶりに会っても話題はまず学校なんです。学校が太陽みたいなもので、その引力で集まった人たちだからです。でも「万葉集・歌人同窓会」があったらどうだろう?天智天皇と藤原鎌足なら「あの時はお前に蹴鞠で負けて悔しいのう」ってのがあるかもしれませんが、柿本人麻呂が防人と「おう、元気にやってる?」ってのはないでしょうねたぶん。つまり万葉集ってのは学校みたいに引力を持ったリアルな場所じゃなくて、バーチャルな場だったでしょう。だとするとSNSの元祖みたいなもんです。

不思議なことに、万葉集というSNSは誰が、何故、何のために、どうやって編纂したかわからないんです。古事記、日本書紀とちがいどろどろした政治目的があったわけではないし、一人の天皇の権威誇示や讃美のためでもない。歌のうまさを競って品評したものでもない。天皇、藤原氏、大伴家持、柿本人麻呂、額田王・・・そうそうたる名前が並ぶんですが、防人も平民もいて、誰が主役ということもなく歌の前では平等です。編纂者は家持のほか何人かが時間をかけて編んできたようですが、いってみれば彼らはサイトの管理人みたいなイメージで、自身もいちブロガーにすぎないということです。

だから空想ですが、万葉集はさっきの僕のわがままみたいに編者が「自分の人生劇場で大事な登場人物であった人たちは一人残らず何か書いてほしい」っていうものかもしれないし、「これは僕の名前じゃまずいからキミが書いて」っていうのもあるかもしれないし「ウチの兵士が頑張ってるからのせてやってくれ」かもしれない。そうやって1000年たったら「これどういう基準で選んだ人たちなの?」ってことになっちゃったんじゃないか。だからなんとなく人間くさいのです。「人のぬくもりあるメンバーリスト」ですね。それに比べると卒業名簿や一般の会員名簿というのは社員名簿や航空機搭乗者名簿に似て無機質な感じがします。

僕は初めて万葉集を読んだとき、そうでもなければこの世に生きた証はいっさい残らなかった防人や一般庶民が、歌を通して自由に生き生きとメッセージを発信してわが姿を刻んでいることに強い感銘を受けました。世界の歴史で古代の庶民の生の声が残っているのはローマやポンペイの壁書きなどありますが、所詮はバカヤローとかあいつには投票するな!みたいな落書きなんですね。公衆便所にあるみたいな。和歌というアート形態でそれが残っている例は珍しいんじゃないでしょうか。防人や庶民が天皇や貴族と並んで遜色ない和歌が読めたというのは驚くべき文化度の国です。

そういう権威主義でなく自然体なところ。国家権力が関わっているのに詠み人としてみな平等であり、歌会始のような宮中行事ありきというイメージでもなく、庶民のものでもいったん和歌というフォーマットになれば全員が敬意を払っている感じがします。それが何ともすがすがしくて好きなのです。こういうバーチャルなSNS形式だけが持つような利点を偶然だったにせよ活かしたのは1000年も時代の先を行っていたと思いますし、誰の意志だったにせよ世界に誇るべき文化遺産を生み出した創意には敬意を表します。勅撰歌集が出てきて新古今和歌集ぐらいになると詠み人は貴族主体で歌は技巧的になり、メンバーは天皇の引力で集まる人々ですからそのリストはぐっと閣僚名簿か役員名簿みたいになります。

では万葉集の庶民の歌がお情けで入ったそれなりのものだったか?これがそうじゃないんですね。例えば、これが専門家の歌です。

東(ひむがし)の  野に炎(かぎろひ)の立つ見えて  かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂)

これは皆さんよくご存じと思います。非常に絵画的インパクトの強い壮大な歌で僕は好きなのですが、草壁皇子、軽皇子の暗喩がこもっているそうです。ところがこういうプロ中のプロの作品に混じって、ひっそりと、

わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に 影さへ見えて 世に忘られず (防人歌)

というのがくるわけです。大化の改新のころの名もない兵士の歌です。この何のためらいもてらいもない素朴さが心にぐさっと突き刺さります。初めて出会って感動しました。古代も今も変わらぬ人の感情は時空も国境も越えます。この歌以外、彼についてのすべては歴史の闇の中です。愛する妻とはまた会えたのか、そしてそれからどうなったのか・・・。

1000年もたったら、僕らのブログもこんなものではないでしょうか。もう誰が誰かもわからなくなっているだろうし、すべては歴史の闇の中です。

 

「ねえねえ、この人、いろいろ書いてるけど、ここで終わってるわね、このあとどうなっちゃったんだろうね?」

 

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