カープ親父の会話-赤ヘルじゃなかったころ-
2015 APR 16 2:02:17 am by 東 賢太郎
「トンネルを抜けたらそこはまたトンネルだった?」
「マエケンが気の毒だったぜ。スミイチの完封負けって、負けたピッチャーは一番こたえるよな。」
「完敗だ。どっと疲れるね。忘れたいよね、水割りでカンパイすっか?」
「おう、いいね。あそこまでカンパイだともう忘れるっかねえしな。」
「でもよ、チーム防御率は2.33で12球団で2番だぜ。ピッチャー受難の球団だよ。昔っからだけどな。」
「なんたってホームランがチーム2本は12球団のドベだ。」
「それも打ったのは2本とも2番の菊池だよ。ってことはクリーンアップはいまだゼロだぜ、ひどいなこれ。2塁打も3塁打もチームトップは新人の野間というお恥ずかしさだ。」
「DeNAと日ハムはホームラン13本だね、ちゃんと4番が打って。絶不調のオリックスだって7本打ってるし。」
「これなあ、昭和40年ぐらいの貧打線を思い出すなあ。国鉄スワローズと万年5位、6位争いだったころね。あの最下位争いはけっこう熾烈だった。」
「そうだね、3点も入ったら大量点だったからなあ。古葉、山本、森永、藤井、大和田、横溝、興津、今津、田中、阿南、漆畑あたりだな。下位打線は外野まで球が飛ばないイメージがあったね。」
「とにかく打たねえんだよな。ピッチャーは大石、池田、白石、鵜狩、森川、竜、大羽あたりでまあまあだった。安仁屋、外木場が出てきてぐっと良くなった。」
「そう。俺は大羽が好きでカープファンになったんだ。小学校2年生だったから昭和38年のことだけどね。」
「そうかい。大羽は日大一高のエースだったね。王貞治の早実に都大会決勝で負けたんだよな。それで早実は甲子園出て全国制覇した。」
「そう、なんで東京なのにって、ガキの時から高校野球見てたんだ。それって東京大会の話なんだよ。」
「なるほど。」
「だからプロ入りしてもね、王と大羽の対決は火花が散ってたんだ。三振取りに行って取ってた、これにシビれたんだね。俺は判官びいきだから大羽を応援してね、そうこうしてるうちになんとなくカープファンになっちゃってた。」
「そうか、じゃあ大羽が阪神だったら阪神ファンだったんだね。」
「そうかもね。おんなじ図式でね、西武の秋山 幸二ね、彼は熊本の県立八代高校のエースだったけど高3の熊本県予選決勝で熊工に負けて甲子園出れなかったんだ。その試合で彼から決勝ホームラン打ったのが同じ西武に入団したキャッチャーの伊東 勤だ。」
「そうか、じゃあ去年ソフトバンクがロッテに勝って雪辱果たしたのか。」
「そう。俺は秋山も好きだね。カープの日本シリーズでバク転されちゃったけどね。」
「そんなこともあったな。」
「そういえば大羽のころね、あのころテレビは巨人戦しかやらないからラジオで毎晩聞いてたんだ。あまりに打たないんで、もうしまいには鍛えられてね、おかげでがぜん忍耐強い性格に成長したわな。」
「俺も精神鍛錬の場だったね。なつかしいよ。」
「だからね、昭和50年にシェーン、ホプキンスでとつぜん優勝しちゃって、なんとなくついていけない自分がいたわけよ。」
「う~ん、わかるね、俺もね、まずあの赤ヘルってのがだめだったね。わかんねえだろうなあ、赤じゃなかった時代をいまのファンはほとんど知らないだろうし。」
「古いカープファンはちょっと屈折してるんだ。あまりに弱かったからね、あの力ない貧者の負けっぷりがよかったりして、もうマゾだよね。」
「そういえば国鉄戦だけはサドになれたんだ。たしか昭和40年にサンケイ・アトムズに変わったんだっけ、とにかく唯一勝てる相手だったよね。」
「ほんとに弱かったね、そこで400勝した金田正一は伝説だ。」
「天敵は巨人だった。蛇に睨まれた蛙みたいにやられてた。」
「うん、あの堀内にノーヒットノーランやられて3打席連続ホームラン食らった巨人戦ね、あれラジオで聞いててさ、真っ暗い部屋でね、まだ覚えてるよ。あそこまでいくともう快感でなあ、4打席目も打て打てって堀内を応援しちゃったよ。」
「あれね、いま見てみると昭和42年10月10日だ。投手による3打席連続本塁打はいまでも世界唯一らしい。思えば俺たち長い受難と屈辱と忍耐の歴史を歩んできたんだ・・・。」
「あれを思い出させてくれる今日の負けっぷり、カープに感謝だ。」
「ほんとうだ、じゃあ、このへんでカンパイ!」
「カンパイ!」
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Categories:______広島カープ, 野球
中村 順一
4/16/2015 | 11:55 AM Permalink
確かに昨晩のカープは惜しい敗戦だったけど、まだ試合の形を作れているからうらやましい。わがオリックスはついに借金12の一人負け、中継ぎ、抑えはついにほとんど誰もいなくなった。「そして誰もいなくなった」のアガサ・クリスティーの世界だ。勝つイメージがまったく湧いてこない。完全にペナントレースは蚊帳の外になってしまった。あきれてものが言えない。茫然自失である。
東 賢太郎
4/16/2015 | 1:11 PM Permalink
たしかにオリックスは後の方のピッチャーが厳しい。金子ぐらいならなんとかと思った先発がそのプレッシャーでおかしくなってくる。それで打線も力が入って打率を落すという悪循環だが長期戦で見ればよくある話だよ。これはピッチャーが戻るまでは打って勝たないと。それは原因がはっきりしてるからわかるが、ピッチャーが両リーグ2位のチームの打線がビビって打てない、これはいったい何なんだ?病名がわからん。いい球は見逃してクソボールを振り回すだけだ。構えを見ただけでおどおどしてて三振しそうなのがたくさんいる。相手バッテリーになめられまくってる。黒田、マエケンはもったいないよこんなチームに。
中島 龍之
4/18/2015 | 9:10 AM Permalink
国鉄と広島の定位置争いは当時、決まってましたね。古葉、興津、藤井など有名選手がいたのにいつもBクラスというのも、今思うと不思議です。大羽と王が東京で争っていたとは初めて知りました。そう思って、プロ野球での王、大羽の対決を見ていたら、もっと面白かったかもしれませんね。
東 賢太郎
4/18/2015 | 1:29 PM Permalink
国鉄戦というとその日は朝から楽しかったですし巨人戦の日は真っ暗でした。堀内、高橋一、渡辺なんて天敵でしたね。三振、内野フライ、ゴロの山でした。カープ最弱期に正捕手を16年勤めたのが田中でこれはまだ破られてない最長記録なんですね。リードは良くて投手を育てたと思いますが通算打率は1割9分6厘で本塁打わずか8本。まったく同じ時期の国鉄の正捕手の根来でも通算打率が2割1分3厘、本塁打50本です。この貧打じゃあ勝てませんわ。いつもボロカスに言ってる打てない石原でも2割4分通算で打ってるんで、こういうデータを見ると神と崇めねばなりません。要は当時いかに弱かったかということです。逆に2割でも合格のポジションに3割30本の阿部がいるなんてもう反則です。強いに決まってますよ。原さんぜひ阿部はファーストでいきましょう。