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モーツァルト 交響曲第1番変ホ長調 k.16

2015 JUN 14 22:22:13 pm by 東 賢太郎

「交響曲第1番変ホ長調k.16」をN響定期で聴き、刺激を受けました。

この曲は父レオポルドが姉弟の売り込みを図った西方への大旅行でロンドンを訪問したおり、1764年末頃作曲され翌年1765年2月21日、ロンドンのヘイマートの小劇場で催された「声楽ならびに器楽の演奏会」で初演されました。モーツァルト8才、つまり小学2年生で書いた曲です。

父親が病気になり滞在が長引いた上に演奏会ができなくなったため作曲に時間を割き、ヨハン・クリスチャン・バッハらの影響でこれを書いたなどの能書きはネットにいくらでも書いてありますからご覧ください。モーツァルト家の大旅行 – Wikipedia

僕は書いてないことを書きます。

この曲は本当に小学校2年生の作品か?全部を親父が書いたか、息子が書いたにせよ手を入れたのではないか?についてです。

この疑念はレオポルドが神童の売り込みに熱心なあまり年齢を低めに詐称した証拠があるので昔からあります。

まず皆さんの耳で全曲をお聴きください。

第2楽章アンダンテの7小節目からホルンが「ジュピター音型」であるド・レ・ファ・ミを吹くのはお分かりでしょうか。最初と最後の交響曲にこれが現れる!意図的なら意味深な符牒かもしれないし、偶然なら不吉な運命の暗示のようで、いずれにしても気にかかります。第2楽章はハ短調であり、モーツァルトとベートーベンにとって意味深な調性と思われている変ホ長調とハ短調が小学校時代にあっさりと出ています。

k.16が変ホ長調(Es-dur)なのは使っているホルンがEs管だからです。当時は半音階がきれいに吹けるバルブホルンはまだなく、楽器はすべて自然音階しか出ないナチュラル・ホルンでした。だからニ長調ならD管、ト長調ならG管が必要であり、楽曲の調性とホルンの調性が合致するというのがいわば法則でありました。

短調の曲が少ないのは、ド・ミ♭・ソの真ん中のミ♭を出すには別な調の管が必要だという楽器法上の理由があったからです。ハ短調ならドとソを出すC管と、ミ♭を出すB管かEs管が必要になります。モーツァルトの交響曲で先の「法則」が初めて破られたのは第25番ト短調です。B管とG管が2本ずつ指定されて、ソ・シ♭・レが克服されたからです。短調作品にことさらに思いがあったかどうか、否定はできませんが、楽器のメカニックな理由で書きにくい(不経済)というわけがあった。こっちの理由の方ははるかに確たるものです。

第1楽章はパンチのある主題をいきなり提示し、次々に主題なみのエピソードが現れて本来なら第1主題と対比される第2主題が目立たなくなるほど饒舌です。これを聴くと僕は31番ニ長調k.297のいわゆる「パリ交響曲」の第1楽章を想起します。

パリで就職活動のために書いたk.297も異例に饒舌であり、第1主題のあとに次々と副主題のエピソードが現れます。モーツァルトは

「最初のアレグロのまん中に、これはきっと受けると思っていたパッサージュが一つあったのですが、はたして聴衆は一斉に熱狂してしまいました。 そして拍手大喝采です。 でもぼくは、書いている時から、それがどんな効果を生むかを知っていたので、それを最後にもう一度出しておきました。」「それで当地の牛どもは大騒ぎをするでしょう!」

と父に書き送っています。モーツァルトが常に演奏される土地の聴衆の好みを忖度し、当地の牛どもを騒がそうと作曲技巧を弄したことは多くのモーツァルティアンの認めたくないことの一つでしょうが、自分でそう述べているのだから否定しても仕方ないでしょう。K.16は演奏会をストップされたため、作品でロンドンの牛どもを騒がそうとした。これを聴くと「三つ子の魂」を感じます。

演奏会といっても少年少女の目隠し弾きなどの曲芸見たさに人が集まった程度であり、バッキンガム宮殿で王妃のアリアの伴奏したりシャーロット王妃に曲を献呈する機会を与えられましたが仕官のお呼びはかからず、父の療養で1年3か月滞在しましたが最後の方は家に来た人が5シリング払うとヴォルフガングが何か弾いたり、2シリングと6ペンスでパブで演奏したりしていたのです。

やや誇張して言えばサーカスの芸人親子のイメージに近いでしょう。パトロン探しと日々かさむ旅費の金策に涙ぐましい努力をしていたわけでから、彼らが舞台裏でお客を牛に見立てていても非難されるものでもないでしょう。同地で流行している作曲家のスタイルをモノにすることは目隠し弾きと同じぐらいにマーケティングに必須の技術だったのです。

それを彼は1年3か月のロンドン滞在で身につけた。モーツァルトの天才の本質はここにあります。バチカンのシスティナ聖堂で証明された「ピクチャー・メモリー」です。彼は何でも誰でも即座に真似できた。だから誰のスタイルでも即興演奏できた。その時点でもうそれはケッヘル番号が付される彼の曲になるのです。そうやって14年後の22才にパリを訪問して牛どもを騒がす用途の交響曲が必要になったおり、似たコンセプトの作品ができたのではないでしょうか。

K.16はマーケティング用途の作品なのだから、8才の息子を7歳とうそをついて紹介しているほどの父親がゴーストライターをしてしまっていてもおかしくない。長らく僕はそう疑ってました。

しかし、そうだとすると説明のつかない部分を今回発見したのです。

第1楽章展開部でまず変ロ長調で第1主題が出ますが、それが次にハ短調に衣替えします。その9小節目で第2ホルンのesと、オーボエと第2ヴァイオリンのdが短2度でぶつかってしまうのです。天才モーツァルトに僕ごときがこんなことを書くのは畏れ多いことですが、これはミス、誤りです。写譜のミスかと思い自筆譜までチェックしましたが、間違いなくモーツァルトの誤りです。

N響もそうでしたが、第2ホルンを半音下げて演奏すると誤りは補正されます。しかしEs管のナチュラル・ホルンでd(つまりシ)は第8部分音から「ストップ」(朝顔に手をつっこむ)しないと得られない音で、モーツァルトはそれを知らなかったはずだからそう書こうと思ったはずはなく、したがって半音の「誤記」ではない。完全に頭の中で間違っていたと考えられます。

ピアノなしで書いたか、移調楽器のホルンの記譜に慣れていなかったか、とにかく、子供とはいえ弘法も筆の誤りですね。上掲のyoutubeの演奏はそこを修正せずに楽譜通りにやってますので、えっという凄い音がしてますがお気づきになられましたでしょうか?

最後に、このスコア、ほんとにウォルフガングが書いたの?にお答えしなくてはいけません。

あくまで推理ですが、僕がレオポルドなら第2ホルンは絶対に直したろうなあと思います。彼ほどのプロが気がつかなかったというのも変ですし、あえてそのまま残したのではないでしょうか。自分が書いてわざと子供らしい細工をした?であれば知能犯ですが、数年後の曲(まちがいなく息子が書いた)が親父の能力をはるかに凌駕していますからね、「息子の真作でミスはあえて残した」が正解と考えております。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

 

 

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Categories:______モーツァルト, クラシック音楽

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