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ラヴェル「ソナチネ」(聴き比べ)

2015 JUN 30 1:01:16 am by 東 賢太郎

断食をすると甘味がほしくなります。たまにご褒美でスイカを食べると、これが半端でなく甘い。空腹は最高のソースである、英国の諺を地で行く体験です。

こころに甘味があるかないか。こういうことをいつも感じていたのかどうかは定かでありませんが、さっき本当に久しぶりにきいたこれですが、甘く感じるのです。心や頭の味覚?ラヴェルは僕には糖分か必須アミノ酸であって舌ならぬ耳が求めるのかもしれません。

出会ったのはこれです。故アリシア・デ・ラローチャ女史は香港でリサイタルに行きましたが、多忙な時でしかもプログラムをなくしてしまい、何をきいたか忘れてしまった。もったいない話です。

彼女のラヴェルは初ですが、これは実にすばらしい。なにも目立つことはしていませんが銀の上品な微光を放つ真珠のようです。

これは名曲中の名曲です。ラヴェルのというよりクラシック音楽のマストアイテムであります。ご存じない方はこれを何度も聴いて覚えましょう。

 

以下はピアニスト、通向けです。

ひとつだけ気になること。最後のこれですね、フェルマータでないですが伸ばすかどうか、そして、より重要なのは、伸ばすのに左手の重嬰ト(gisis)を残すかどうか?細かい話ですが、この音で曲を閉じるわけだからどうでもいいとはいかないでしょう。

ravel

ラヴェルはあえてfffを再度書き込んでおり、この音ブロックが一個の塊として一気に、決然と弾かれることを求めているように見えます。しかもアルペジオ(これは固有の音価のない前打音である)のスラーが最後の四分音符にまで及んでいる。したがって、gisisを残してペダルを踏む人が多い。ラヴェルの権威で出版譜の校訂者である中井正子さんの演奏もそのようです。

しかし

①ペダル記号はない

②高いaisだけタイがある(前打音保持を明示)

③他5音は新たに弾いて、その新たな6音だけを伸ばすように書いてある

④ais以外の前打音を指示なく主音と混ぜることは常識として考え難い

以上より、gisisは消すべきです。

しかも最後の小節にあえて四分休符を2つ書いてますから、

⑤最後の四分音符の音価は「長くは」伸ばさない

ことを明示しています。

では、ラヴェルに習ったか、習った人に習った6人の演奏をきいてみましょう。

四分音符を伸ばさないのはサンソン・フランソワ、ロベール・カサドシュですがgisisが聴こえる。ジャン・ドワイアンは長く伸ばしてgisisは入れたまま、ジャック・ルヴィエはやや伸ばしてgisisは消している。マルセル・メイエとヴラド・ペルルミュテールは長めに伸ばして、アルペジオのペダルで最初はgisisが聴こえるが最後はペダルを離して消える。

ラヴェル自身の第3楽章の録音は残っておらずどれが正しいかはわかりませんが、これはピアニストのご意見をうかがいたいものです。ちなみに、①-⑤を守っている、すなわち楽譜に最も近いのはジャック・ルヴィエであります。

細かいことですが、こういう曲尾の一音、すなわち曲全体の後味を決定づける一音に神経を使わないピアニストの譜読みというのはどうなのかなと僕は考えてしまいます。

どうしてそんなことにこだわるの、変な奴だなと思われるでしょうが、何と思われようと僕には伝統芸能とはそういうものだという哲学があるからです。それはここにも書いてあります。

  クラシック徒然草-ブラームス4番の最後の音-

 

こういう「形」を無視して聴衆に取り入ろうとする演奏家は作品を食い物にする芸人であり、僕がそういう人を支持することは一切ありません。

ちなみに上掲の ラローチャはアルペジオで踏んだペダルを離してgisisを消しているようです(ペルルミュテールと同じ。満点ではないがかなり点は高い。だから載せました)。

以下に僕がよく聴くCDをレファレンスとしてあげておきます。

 

モニク・アース

場面場面で感情にそってテンポが揺れロマンティックといえるでしょう。ややねばった表情と音色の質量がこの曲のフランス的な軽みと異質ですが安手の感傷に流れることなく、タッチそのもの(特に高音)はクリア、透明であり不思議なバランスをとっています。最後はaisがかなり長く残り、gisisは消します。これは見識だ。

アンヌ・ケフェレック

解釈はやや常套的ではあるが上品。この上品さだけは価値がある。第2楽章は遅めにとり2度の和音のスパイス、分散和音のきらめきに意を用います。終楽章はタッチのきれで語るなど色彩のパレットが豊富。良い意味で聞かせるプロフェッショナルでありますが読みの深さはなし。gisisは明確に残ります。だめですね。

セシル・リカド

冒頭から幻想味あるゆらぎ。テンポも表情も個性的で彼女の感性にシンクロできるかどうかで評価は分かれるでしょうが僕は大シンパです。この曲が欲しいときにピタッとはまるのはこれ。リカドは和音のつかみかたひとつとっても理想的、最高ですね。第2楽章など各音がこうでなくてはという絶妙のバランスで調和しています。最後は長くてgisisを残してしまっている、うーんこれが惜しいが。ただ、好きだから弾いている、モチベーションが明確です。芸術家ってそれが当たり前と思いますが、そういう人は実は少ないかもしれません。

ジャック・フェヴリエ

ピアノの音からすばらしい。金色がかった中高音。第1楽章の強弱のメリハリ、ソプラノの弾き分け、アルト、テノールのさざめきや第2楽章の盤石のテンポはやっぱりこれでしょうというもので、音楽に内在している必然が自然に出ている感じ。終楽章は技術の限界を見るが、そういうトリビアルな御託をねじふせる真打最右翼の一枚。

サンソン・フランソワ

第2楽章の左手はどうしてこうなのか。彼は世評ほどフランス代表というイメージではなく、むしろ譜読みがユニークなピアニストです。フレージングや声部の浮き上がらせかたや和音のバランスもそう。終楽章はペダルを押さえて乾いたタッチで弾ききりますがこの技術は凄いと思う。最後の音もさっと切り上げるこの感性!常套的にきれいな演奏のレベルを突き抜けた鬼才の音楽。

マルセル・メイエ

リカルド・ヴィニエス、マルグリット・ロンの弟子です。高音の明るい音色が冴えます。第1楽章の飾り気ないインテンポはいいですが繊細さはやや欠けます。第2楽章はいいテンポで表情も色彩も最高。終楽章はうまい。このタッチと声部の弾き分けは音楽に立体感を与え魅力的です。

マルタ・アルゲリッチ(DG)

これは和声に良く感じて大変に美しい録音です。第2楽章のppのタッチのデリカシーも特筆もの。周到な準備を経て録音されたのでしょう、彼女の美質が全て出ている。終楽章の指の回りは全盛期を思わせ実にすばらしい。最後の音の処理も、伸ばしすぎずgisisは控えめで最後は消しています。これはルヴィエに近く、最も違和感がありません。

アビー・サイモン

ホロヴィッツが出てこない以上、技巧ということでこれに勝るものはなし。その余裕から生まれるソノリティと和声の見事なバランスは決定的なアドバンテージです。この位ピアノが弾けないと絶対に出ない味というものはあるのです。その分仄かな詩情は薄くイヴァン・モラヴェッツとは対極の演奏でしょう。最後の音はやや長めでgisisは残ります。

ヴラド・ペルルミュテール

彼はライブもこの音でした。19世紀フランスのサロンを思わせる。暖色系で煌めきは一切ないが打鍵が重くなく(モーツァルトを弾くようだ)高貴なポエジーが浮かび出る。晩年の録音で技術があぶないが、すべての音が求めるところにしっくり収まる、この安定感はなんだろう?ラヴェル直伝。彼が弾いている幻想を追うならこれでしょう。真打です。

ジョルジュ・プルーデルマッハー

著名ではないが全集はレベルが高い。知情意の見事なバランス。ソノリティへの微視的なこだわり、タッチの色分けによる対位法(ほぼ感じない曲だが)の目線、濁りのまったくない和音、ただならぬうまさながら技巧が前面に立った恣意性や人工臭がなく、あらゆる意味でこの曲が最も見事に弾かれた一例でしょう。ただしgisisは完全には消えません。

ロベール・カサドシュ

冒頭よりメロディーと伴奏が平板に混然と鳴り、技術も際立つものはなし。しかしこの演奏、ベルエポック、我が国なら大正浪漫とでもいおうか、えも言えぬ高雅な香りを放つ。第2楽章も飾り気なしの清楚な貴婦人のたたずまい。終楽章はこれぞAnimeであり、このテンポで旋律と細部を重層的に弾き分ける名人芸はすごいのひとことです。

ジャン・ドワイアン

ペダル控えめな乾いたタッチ。始めはそっけなく味わいに欠けるようにきこえ、この良さはなかなかわかりにくいでしょう。フランスのガヴォーという楽器で、僕が弾いている旧東独のアウグスティン・フォスターと色は違うがローカルな味わいの濃さは似てます。この旋律線のふくらませかた、緩急、強弱の間と呼吸は時代の空気でしょうか。

 

以下はyoutubeで聴けるものです。

 

ワルター・ギーゼキング

この人の全集も名盤とされますが、ソナチネはさらさらと流れる良さはあるものの彫琢がいまひとつです。ギーゼキングの初見力は伝説的で、これも譜面を見てさっと録音できたのかなと感じないでもありません。最後は単音でgisis含んだまま終わります。

アルフレート・コルトー

大きなテンポの揺れはほとんど必然を感じず、技術はかなり弱い。コルトーは左手の協奏曲を両手で弾きたいと申し出てラヴェルに却下されました。これではあれは弾けないだろうなという体のモノ。単音であっさり終わる。

マルタ・アルゲリッチ(ライブ)

第1楽章の速さ、元気の良さ、これはラヴェルを感じません。夜陰にほのかにうかぶ淡く青白い光のようなものが皆無。あっけらかんの真っ昼間ですね。リストみたいになだれこむ終結はgisis鳴りっぱなしの長押し。だめです、これは。どうしちゃったんだろう?

パスカル・ロジェ

キレイですが霊感に欠ける。最近こういう高級マスクメロンみたいなラヴェルが多いですね。ロジェはプーランクはいい味を出していますがラヴェルは和音からしてらしくないです。セシル・リカドのように感じ切ってないのでまったく魅力なし。最後のgisisは大変耳障りである。

ミンドル・カッツ

これは大変にレベルが高い!70年代に廉価版のLPできいたことのある名前でしたがこれは驚くべき名演で大発見でした。タッチ、技巧、音楽性ともまったく文句なし。ラヴェルの地中海的な感性に光をあてたものとして最右翼でしょう。最後は長く保持してgisisを消しています。さっそくi-tunesで購入。

フリードリヒ・グルダ

これは面白い。第1楽章は副主題が速くなったりききなれないフォルテがあったりしますが意外に普通です。第2楽章のデリケートで凝った造りはなかなかいい。終楽章の音色の使い分け、高音のタッチのクリアネスも見事です。最後は短めでgisisはほとんど聞こえもしないのもユニーク。

イヴァン・モラヴェッツ

この人は何を弾いてもタッチに気品があります。原色ではなくかすかにグレーがかりますがこの味わいは実に捨てがたい。詩情、デリカシーも申し分なし。地味で高級な工芸品の趣ですね。このソナチネもトップランクの名品、大発見です。最後は長く、gisisはほとんどきこえない、グルダと同じです。これも購入決定。

クララ・ハスキル

録音のせいでしょうか楽器の音がラヴェルでないですね。彼女の和音のバランスも中音が勝ってドイツ物風です。終楽章はアルゲリッチやメイエを聴いてしまうと魅力がありません。短めに切り上げますがgisisは鳴っています。

シューラ・チェルカスキー

遅めで副主題もほぼインテンポの第1楽章ですが崩しも入る。第2楽章の和音のつかみ方はロマン派風です。終楽章のテクスチャーの解きほぐし方は一家言あり。個性で弾ききっておりあれこれ言うのも野暮という風格です。最後は消さずですね。

 

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(こちらをどうぞ)

ラヴェル 「夜のガスパール」

 

 

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