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武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

2016 SEP 18 3:03:36 am by 東 賢太郎

そのむかし東大生だったころ、法律の授業に辟易してしばし本郷を抜け出していたことがある。いたのは上野の東京文化会館音楽資料室だ。膨大な枚数のLPがただで聴けるのがありがたく、漁るように現代音楽のレコードを聴きまくった。

現代曲は廉価盤になることはなく、定価の2千円も出してつまらないかもしれない未聴の曲を買うわけにはいかなかった。だから食指が動くかどうか、聴くだけで価値があった。今ならyoutubeで手軽にできることだが、上野は当時は宝の山に見えたものだ。

浪人生のころ、ヒマ?だったのでストラヴィンスキーとバルトークを聴きまくった。それが「三つ子の魂」になったのか、当時モーツァルトというと諳んじていたのはアイネ・クライネぐらいで興味は100%、20世紀音楽に向かっていた。第九交響曲より詩編交響曲の方を先に覚えたのは相当変わり者だろう。

上野で知ったメシアンはこれが強烈だった(メシアン トゥーランガリラ交響曲)。ただ、オンド・マルトノがどうにも苦手であり、オルガン曲とこれの方が気に入っていた。「世の終わりのための四重奏曲」(Quatuor pour la Fin du Temps)である。第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、ポーランドの収容所で書いたいわくつきの曲だ。

メシアンの作曲法は 音価、モード、移調の限られた旋法で有名だが、旋法2番はディミニッシュ・コードで3通りしか移調できないのはいわば当たり前であり、だから何か価値があるかというとどうもよくわからない。規則で可能性を縛ると神性に至るという思想はキリスト教的、一神教的、三位一体的で、12音技法も実はそれである。

僕は「春の祭典」にそれがあるとは思わないが、カソリックの人たちはそれでは困るんだろう。この曲がスキャンダルを起こし人心を捕らえてしまった神性の根源として、そこに数学的な秩序(メシアンの音価、モードの秩序)をブーレーズが「発見」したのもまた有名だ。この論文も読んだが、しかし、正直のところそんなに大層なものとも思わない。

僕的には、可能性を縛る(シンプルで強靭な神のルールへの服従)よりも、音素材のディメンションを拡大してスピリチュアルな精神作用である音楽というもののメッセージ伝達の可能性を広げる方法論の方に共感が出てきている。

微分音というものがある。半音を2分割(四分音)、3分割(六分音)、4分割(八分音)などしたものだ。例えば、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章に「四分音」が現れるが、これがその一例だ(12:44から)。

旋法とはオクターヴ12音から順番に音を選びとる際の2音間の間隔の半音と全音の規則性のことである。しかしその素材である12音は平均律に調律されたピアノで演奏される12音である。四分音はそのピアノで弾けないことは言うまでもない。これが「音素材のディメンションの拡大」ということだ。前掲のリゲティらがそれを取り入れている。

「スピリチュアルな精神作用である音楽」という側面を見せてくれるのが、武満徹である。彼はことさらに日本風の音楽を書いたわけではない。しかしそこにあるのは古来より我が国の風景文物に対峙して先祖が磨き上げてきたエッセンスとしての抽象的な美であって、他国のどこのそれとも違う。

この「雨の呪文」(Rain Spell)をお聴きいただきたい。音楽の泉から湧き出る清水のような透明な美は何にもかえがたい。

フルート(アルト・フルート持ち替え)、クラリネット、ハープ、ピアノ、ヴィブラフォンという編成である。そしてこのハープだが、レとシが四分音だけ高く、ラとドとファが四分音だけ低く調弦されているのである(耳を澄ましてお聴きいただきたい)。12音の音素材が拡大しているという点で、これは「世の終わりのための四重奏曲」とは決定的にディメンション(象限)の異なる音楽である。各所に生じる近接和音と四分音の独特のうなりが波紋のような絶妙の効果をあげるのがお分かりだろうか。繊細極まりない和の芸術と思う。

 

クセナキス 「プレアデス」(Pléiades,1979)

 

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