ゾルターン・コティシュの訃報を知る
2017 FEB 28 1:01:04 am by 東 賢太郎

昨年の11月は仕事が恐ろしい勢いでふりかかってきていて、ゾルターン・コティシュが亡くなっていたのを知りませんでした。まだ65才で僕と3つしかちがわないというのが悲しいです。
彼の苗字Kocsisの日本語表記はwikipedia等でコチシュとなっているようで、マジャール語でそれが近いのでしょうが(さらにいえば姓名はKocsis Zoltánの順ですが)、僕が知った70年後半ごろはコティシュ、またはコティッシュだったはずでそう頭に入っております。その残像を大切にしたく、あえてゾルターン・コティシュと記させていただきます。
この天才の実演を聴いてませんが忘れられないピアニストで、大学時代に下宿でエアチェックして毎日のように聴いていたのがラヴェルのマ・メール・ロア(デジェ・ラーンキとの連弾)でした。当時二人ともハンガリーの新鋭ピアニストで売り出し中で、粒立ちが良いクリアなタッチにとても初々しい感性があります。曲を初めて覚えた演奏というのは「おふくろの味」になっていてなつかしい。特にこういう人生で重要になった曲はなおさらです。
これが頭にあったのでロンドンへ赴任してすぐ彼のドビッシーを買いました。これはたぶん85年ごろ、最も早く入手したCDの一つでした。そこに入っていたのがベルガマスク組曲で、これまた人生でとても大事な曲になっており、彼の演奏がおふくろの味になったのです。
速めのテンポですいすい行きますが、タッチは立っていて薄味ではあってもコクがあるのが特徴。固めにふっくら炊いた極上米のようで本質はロマンティックと思います。彼が感じきっている和声に僕は同じ気持ちがあり、これがテンポも強弱もイントネーションも原点となったのは初物というばかりでもないようです。
ところがのちにまったく違うクラウディオ・アラウを聴いてそれにも強いインパクトを受けました。両者を比べながら楽曲解釈の深さを学んだ意味で思い出の曲ですが、スイスのころ弾けていたプレリュードをいまやすっかり指が忘れている自分の無能を思い知った曲でもあります。
コティシュはラヴェルも良くて、クープランの墓はオケで全曲(!)やってます。このラヴェル好きの感性も大いに共感するところで、肌が合う人といると心地良いように彼のピアノは気がおけず聞き流せるのですが、ところどころでおっと気を引かれるひらめきがあって結局耳を澄まして聴き入ってしまう。どこか他人事でいられません。
彼のバルトークは鮮烈でした。たくさんありますが、これはすごい。中国の不思議な役人のピアノ4手版です。彼が晩年に指揮者になったのがわかる、実にオケの感触をリアライズした演奏です。
きりがないです。最後に、気に入っているラフマニノフの3番を。この超ド級のコンチェルトをこのテンポであっさり弾いてしまう(!)技術もさることながらそのみずみずしい感性は比類がありません。近年、2番も3番も速弾き爆演派が散見されますが、コティシュの速さはそうした曲芸志向ではない筋の通った解釈であり、それを可能にするのが深く鳴り切ったタッチであるのをぜひお聴きください。ものが違うことがおわかりいただけるでしょうか。ラフマニノフがこれをきいたら何と言ったろう?僕はほめたと思います。
コティシュはいまも心の中で若者のような気がしてます。ご逝去は信じられません。本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りします。
追記
若き日のジョルジュ・レヘル/ブダペスト交響楽団とのバルトークの2番も忘れられません。
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かめ
2/28/2017 | 9:06 AM Permalink
コチシュかコティッシュかわかりませんが、いまから40年もまえ、彼らが出たての頃に、ピアノの先生からハンガリーの若手にすごいのが3人もいる、つて知らされました。ラーンキは日本でアイドルに、シフは巨匠になりましたが、コチシュは極東ではたいして人気がでませんでしたね。
バルトークは宝物ですが、ワーグナーのピアノ編曲もありました。
合掌。
東 賢太郎
2/28/2017 | 10:23 AM Permalink
かめさん、ありがとうございます。そう、3羽烏でしたっけ、なつかしいですね。ロンドンでは若いころのラーンキのドビッシーも買いましたが青くさくていまひとつでした。シフはモーツァルトがあたって独墺系にめでたく進出して巨匠になりましたが、きれいですが常識的に思います。僕は二人はいいと思ったことが一度もなく、圧倒的にコティシュ派です。
よっしー
2/28/2017 | 10:45 PM Permalink
コティシュが亡くなったのは知りませんでした。手元のバルトーク作品集のジャケットの印象のままで時の流れの実感がないです。
三羽烏のラーンキはその昔、知人が花束を持って最前列に「見に」行ったという話とTVで黒鍵エチュードをバックにCMが繰り返し流れていたことを思い出します。シフはモーツァルトの校訂者として今、身近な存在ですね。
以前にコティシュ編曲版ワーグナーのトリスタンを中古楽譜として格安で入手しましたが、リスト編曲版と同様に楽譜棚のコヤシになりそうです。
優等生より天才肌のピアニスト惹かれるのは共感します。
東 賢太郎
3/1/2017 | 12:52 AM Permalink
よっしーさん、コメントありがとうございます。ご指摘のようにコティシュはオケ譜をピアノにしたりその逆もしてますね。リストもしてますが19世紀は家庭でオペラのリダクションを楽しむなどの楽譜の重要があったからで、オーディオで聴ける現代にそれをするのはやはり際立った個性だと思います。自分の手でトリスタンを弾きたいというのは聴く行為とはまったく別個のもので、時代には関わらない欲望でしょう。コティシュがピアニスティックな曲を弾きながらオーケストラの音を聴いていたとするとラヴェルにつながるものがあります。僕は技術はないのでピアノはシンセサイザーと思っていますが、コティシュのアプローチにとても自然なものを感じます。