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大谷くん、ピッチャーやめなさい

2018 SEP 9 3:03:07 am by 東 賢太郎

何年か前に大谷の二刀流の話が出たとき僕は「投手だけで行け」と書きました。バッターがダメなのでピッチャーになった奴は聞いたことない。その逆はプロにもいくらもいる。だからまずピッチャーやって、ダメなら打者に専念すればいいという趣旨でした。

ヒジのトミージョン手術という話が本当なら、いよいよその時が来たということです。ちょっと早くて残念だけど、充分にスピードボールで世界を驚かせました。ぜひ大谷にはピッチャーを辞めてもらいたい。打者でもホームランで松井を抜いているのだから専念すればそれだけでメジャーで長くできて歴史に残るバッターになれるでしょう。ヒジが悪化して打者もできなくなるリスクは取るべきではありません。

僕ごときの体験で言うのも憚られるのですが、ヒジをやって「患者」「傷病兵」になってしまえばプロもアマもありません。ピッチャーのオーバーハンドの肩・ヒジの動きというのは構造的に不自然で動物は猿でもできないものだそうです。人間だからOKというわけではありません。投手はその異常動作を連続で100回もやるわけで肩・ヒジに何も起きない方が不思議ですらあり、ひと試合に全力投球は数回しかなく、肩・ヒジに何の問題もない打撃だけの野手よりリスクが明らかに高いのです。それも、壊したらもうただの人であって野手のポジションを取るにも不利であり、ボールが行かなくなればもう野球はできません。それで過去何人も引退を余儀なくされてる、そんなひどいスポーツほかにありませんよ。まだヒジ痛だけなら今の医学でどうにかなるのかもしれませんが、最悪の事態としてそれが肩に連鎖して野球を断念したケースもあるということで、これから野球をやる少年たちのためにも僕の顛末を書いておきます。

夏の大会前で毎日投げこみの日々でした。ここは個人差があるでしょうが、ある日、投げているとボールをリリースしてヒジを伸ばす瞬間にピリッと軽い痛みが来るようになりました。部位は、手の平を上にして腕を伸ばした時のヒジの折れ曲がる所の左下、骨と骨の間のくぼみを押したあたりです。これが悪夢の始まりでした。いずれ治るだろうと我慢して投げていたらだんだんひどくなってきて、とうとうそこの奥の方に投げた瞬間に激痛が走るようになり、グーの拳を作ってヒジを伸ばしたまま右に捻ると電気が走ったようにビリっと来て、やがて日常生活でもヒジがまっすぐ伸ばせなくなりました。そうなると打撃でもフォローでビリッと来るようになって、結局バッティングもできなくなりました。ヒジは放っておいても絶対に治らない、虫歯と一緒と覚えてください。

投球をしばらくやめていたら痛みは来なくなりましたが、それは体が反応してヒジが痛くない投げ方になっていただけだったのです。その分の負荷は肩に行っており、スピードがおちてますから補おうとますます肩に無理が来ていたと考えられます。知らずに登板してたら今度は試合中の投球の瞬間に肩甲骨が背中でずるっとズレて肩が抜けたような、あれ以前も以後も一度も味わったことのない異変がありました。球は右打者のはるか頭上を通ってバックネットに行ってしまい何が起きたか自分もわからず周囲も驚き、ああやばい、やっちまったと思ったのをはっきりと覚えてます。次の球も同じでショックでした。イニング途中で降板したのはこの時が初めてで、自分からだめだと伝えたかもしれませんが覚えてません。ベンチで東すまんとY監督が肩をもんでくれたことだけでそれからどうなったかも。それで僕の投手生命は一巻のおしまい。高2の秋でした。

どうしてそうなるまで投げたんだ、馬鹿だなと思われるでしょうが、カッコよく表むきを言えば1年夏からつけた背番号1の重みでしょう。監督の「東、すまん」はそういうことです。しかし実はそれよりなにより危ない原因があって、ピッチャーズ・ハイとでもいうかマウンドに立つ類のない快感なのです。以後の人生あれより気持ち良かったことはなくあそこに立ってしまうと痛いもくそもありません、全校男子千人ぐらいで一人だけ、勉強の一番などよりよっぽど上でヒジが痛いぐらいで明け渡すわけにはいかないのです。プロの人はそこに生活もかかってくるわけで、手術してでもというのは仕方ないし本能だから傍が止めようのないものなのです。

肩に来てからの経緯を書きます。体重移動してトップに入り、そこから腕を振ってボールを前に持ってこようとする、肩関節が一番捻じれて一気に加速にはいるその一瞬、ズキッ!なのです。ヒジはリリースの瞬間でしたがこれは加速直前でもうお話にならない、ボールが投げられないということであって、2,3メートルのキャッチボールでも怖かった。腱が損傷しており整形外科、鍼灸、電気治療にワラにもすがる思いで通いましたが効果はなく、また2,3か月ぐらいボールは触らず黙々と走るだけの灰色の日々を過ごしました。やがてなんとか肩が痛くない投げ方を体が覚えはしましたが、元の球威が戻ることは二度とありませんでした。

肩の方は打撃に支障はなく代打で試合に出ましたが、野手に転向する気にならなかったのはピッチャー東を捨てきることがどうしてもできなかったからです。マウンドに立てない体になったという絶望感に打ちのめされてしまい、いま振り返るとただただ人間が弱かった。3年の春の練習試合、エースが1回いきなり3点取られての無死満塁でリリーフして9回まで完封して3-0で負けた墨田工業戦が高校で最後のマウンドでした。試合後に相手がナイスピッチと声をかけてくれ、投手として誇らしく野球を終えたのだけは幸せでしたが、あの試合で打たれてたらその後の人生どうなったか・・・きっと大げさに思われるでしょうがいくら笑われようと、僕は甲子園で負けた方が泣くのをわかるしその位のコミットメントで野球をやっていた、まぎれもない高校球児だったと思います。

それからは何というか、ただの人になったというか、不遜ですが残りの高校生活はそんな感じのなかでふわふわと終わってしまいました。受験があって会社に入って、会社の野球ではピッチャー東に戻ることができて仕事よりそっちで有名になって大会でトロフィーを2つもらいましたが、でもそんなのは軟式の草野球であって、あんなみじめな球威になってもできたことで、今でも「あそこでヒジをやってなければ」という悔しい思いがあるし、その十字架を背負ってしまった自分から逃げたくて勉強や仕事に走ったかもしれません。だからかえって良かったじゃないかとよくいわれたし僕はポジティブ・シンカーだからそうだよねと言えそうなものですが、これだけはだめだ。むしろ逃れるために性格を無意識にポジティブ・シンカーにしていったかと思うぐらいこれはだめ、心の深い傷なのです。

ヒジは致命傷ではなかったが痛みのショックを体が覚えていてトラウマになっています。すると無意識に投球フォームが変わってくるのです。それはリリースの瞬間のことで自分ではわかりません。そして負荷が肩に「転移」して致命傷になりました。癌みたいに。ピッチャーズ・ハイで気持ちいい本人はヒジはもう治ったと嬉しくなって、投げまくってしまうから危険なのです。

今どうなったかです。ヒジは日常生活では忘れていて、まっすぐ伸ばせるしゴルフでは多少気にはしましたが大丈夫でした。肩の方はというと、これはゴルフも含めて日常生活では一切出てこない動きなので大丈夫。ということは投球する肩がいかに異常な使われ方をしているかということですね。先日マッサージに行って「手を背中に回して上にあげ、上からおろした反対の手とタッチしてください」という柔軟性テストで、左手は普通に上がってタッチできますが右手は背中の半分までも持ち上がりません。右の肩甲骨をひっぱられると古傷の肩の腱がいまだにズキズキうずいてそこでやめてもらいます。

いま少年に相談されたら、ピッチャーはやめといたら?というでしょう。世界の大谷君にも、やっぱり同じことをいいたいのです。

 

PS1(これは今日引退を発表した巨人・杉内投手のケースだ)

右股関節をかばい、左肩を痛め、今年のキャンプはリハビリ組の3軍スタート。日ごとにキャッチボールの距離は延びたが、その後は一進一退。8月にはブルペン入りが視野に入るほど回復したが、今度は内転筋を痛めた。」(スポーツ報知)

 

PS2(ダルビッシュはもう壊されてしまった)

カブスのダルビッシュ有投手が9月12日(日本時間13日)に右肘の手術を受けたことを報告した。5月20日を最後にメジャーのマウンドから離れていた右腕はMRI検査の結果、右肘のストレス反応と右上腕三頭筋の挫傷と診断され、今季絶望となっていた。今季は8登板で1勝3敗、防御率4.95。

 

PS3(2018年9月15日)

以下昨日の報道です。ソーシア監督、オトナの判断をありがとう!!

でも怖いのは大谷の気持ちです。オレ、投げれるんだけどぉ・・・絶対に虫が騒ぐ。そこを我慢する。そのフラストを思いっきり打撃にぶつけてくれ!

大谷は来年投げない 監督明言

 

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