ラヴェル「ダフニスとクロエ」の聴き比べ(その2)
2018 OCT 29 9:09:34 am by 東 賢太郎
セルジュ・チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
1987年6月のライブ。第1、第2組曲でもちろん合唱付きだ。デリカシーと精密さを生かしたチェリビダッケならではのマニアックな表現である。拝見した彼のカーチス音楽院でのリハーサルは魂のこもったピアニッシモにこだわりぬいていたがその指揮姿が目に浮かぶ。テンポは総じて遅めで、普通は聴こえない内声部まで浮き彫りになってくる部分もあって驚く。通向けの演奏である。
小澤征爾 / ボストン交響楽団
たしか就任直後の70年代に出た。ずいぶん録音マイクが近く現実の楽器が見えてしまう。好みの問題だが僕はぜんぜんポエムを感じない。せっかくの良いホールなのにもったいない。ヴァイオリンにかかるポルタメントは嫌いだ。夜明けなどここまで細部を見せなくてもいいだろうに、チェリビダッケは絵自体が細密画だがこっちは普通の油絵の拡大を見るようでそうする意味が全く感じられない。あくまで録音の問題なのだろうが。
ダニエル・バレンボイム / パリ管弦楽団
1982年の録音。オーケストラが特に高性能とはいえないがこれが当時のフランスのオケであって、アンサンブルがどことなくがさつに聞こえる部分もあるがなんとなくラヴェルになってしまっているのがむしろ懐かしい。やはり木管の魅力が大きいからだろう。DGがこのころ録音し始めたバレンボイムの指揮は日本では冷遇されていたが僕は当時から悪くないと思っていた。全員の踊りはあまり熱狂には至らないが。
ガリー・ベルティー二 / イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団(ライヴ)
Heliconレーベル。1974年のテル・アヴィヴでのライヴ録音である。第1組曲のみ。オケは好調で破綻もなし。2005年に亡くなったイスラエルの指揮者ベルティー二は97年にチューリヒ・トーンハレでブラームス4番を聴いてとても良かった記憶がある。このダフニスは音がとても生々しく通常のスタジオ録音と同列に語れないが、ここまで合唱が聞こえると逆に貴重であって珍しく、とても楽しんでしまった。
ウィルヘルム・メンゲルベルク / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
1938年の歴史的ライヴ録音。第2組曲。メンゲルベルクお得意のポルタメントが僕は苦手で、ベートーベンなどは気味が悪くて全部聞きとおす勇気が持てないまま来ている。ここでもそれが全開でロマン派音楽として描かれているが古典派ほどは気にならない。好きかといわれればNOだが、この時期にテンポは現代と違和感なく確立しており、ACOの技術とアンサンブルは問題なくハイレベルなのは驚くしかない。全員の踊りに入る直前に木管が早く入るミスがあるのがご愛敬だ。
ピエール・ブーレーズ / クリーブランド管弦楽団(CBS)
1970年4月3日録音。第2組曲。「夜明け」はギリシャではなく北フランスで徹頭徹尾クールだ。ブリテンの《ピーター・グライムズ》(4つの海の間奏曲)の夜明けに近い。黎明の凍ったように動かない灰色の空気が鳥の声のあたりで賑やかになるが、雰囲気を喚起しようという細工ではなくスコアを忠実に演奏するとそうなる。僕はシンセで膨大な時間をかけて全パートを弾いて第2組曲を作ったが、あれはどこまでスコアの情報量をMIDI録音でリアライズできるかという挑戦だった(36才だった)。ブーレーズは本物のオーケストラで同じことを企図したかのようでこれほど細密、精密な再現はこの録音の前にも後にもないという意味で成功している。本稿コメント欄でhachiro様が指摘された練習番号202の3小節前のクラリネットは指示通りの音高で吹かれているが、このパッセージは掛け合いを演じるピッコロ・クラリネット( Mi♭)と交互にppから徐々に音量を増してmfに至る途中に現れ、p(ピアノ)で吹く指示がある。クラリネットを吹ける方に伺いたいが赤枠内をpの音量で吹くことが可能かどうかだ。
というのは、本録音ではこれがmfに聞こえるのだ。故人に確かめようがないが、ブーレーズほどの完全主義者が許容したとはとても思えない(僕には耳障りである)。当録音のクラは練習番号158のヴィオラとのユニゾンが聞こえない程度に距離がありそれが赤枠の音量になるというのは、音高を採るなら音量は増えるという楽器の構造上のトレードオフではないか。だからそれがないピッコロ・クラリネット(pで吹ける)と掛け合いで書いたラヴェルのスコアリングミスと処理してpで吹くことが可能なオクターヴ下げなる手段が広まったのではないか。ブーレーズはここで音高を採ったが後の2つの録音はどちらも音量を採ったということならラヴェルのミスを証明していることになる。シンセの場合この1小節だけ音量操作ができる。懐かしく思い出した。
この録音は恐ろしくマニアックかつプロフェッショナルな演奏の記録であり、少し前の「春の祭典」をリアライズしたスピリットでやったダフニスだ。その方向性を助長する録音技師、プロデューサーがタッグになっており、完全無比を追求するあまりスコアのミスがミスとして記録されてしまった、そしてそれを修正しなかったとするなら底知れぬ凄みすら感じる。完成度は高く、これを聴くと、すぐ後のNYPOとの全曲録音はオケ及び庶民の趣味との妥協が見えないでもない。僕は若いころこの録音にあまり反応していなかったが、40年ぶりに聴きかえして目から(耳から)鱗の思いを味わった。こういうものがさっぱり受けなくなってしまった世の中と政治のポピュリズム化は底流でシンクロナイズしていないだろうか。
併録のラヴェル3曲は69年7月21日収録で、春の祭典(同7月28日収録)の前週ということで面白い。別稿にする。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
Categories:______ラヴェル
hachiro
10/29/2018 | 11:20 AM Permalink
以前にブーレーズとクリーブランド管弦楽団(1969)の春の祭典のラッパの間違い探しを当ててお褒め頂いた(笑)者です、いつも熟読させていただいております、ありがとうございます。
さてブーレーズがこの祭典の次にクリーブランドで録音した合唱を伴ったダフニス第2組曲(とパヴァーヌ、後にスペイン狂詩曲とアルボラーダを足してLP1枚になりました)の方も機会がありましたら是非ご感想をお聞かせください、よろしくお願いします。
また、マルティノン&パリ管の「全員の踊り」のスタート付近(YouTubeでは52:56)練習番号202の3小節前、クラリネットとEsクラリネットの掛け合いのところで、クラリネットのほうが落っこちてフルートだけになっています。とても高い音域なので仕方ないといえば仕方ないのですが、名手ドリュアールさんの名誉のためにもこれは録り直して欲しかったです。そんなわけでマルティノン氏のラヴェル全集、ここだけ(それとSQ4チャンネル録音)が私は不満なのです、長々とすみませんでした。
hachiro
10/29/2018 | 11:29 AM Permalink
思い違いがありました、クリーブランドでの春の祭典の次の録音はスペイン狂詩曲とアルボラーダでした、そして翌年1970の来日直前の録音がダフニスとパヴァーヌでした。
東 賢太郎
10/29/2018 | 11:25 PM Permalink
有難うございます。hachiro様の御耳の鋭さはいつも敬服するばかりでそういう方にご熟読いただいているのはとても張り合いを感じます。ダフニスのポケットスコアですが最近は悲しいことにハズキルーペでも歯が立たなくなりまして、いよいよ巨大な拡大鏡+眼鏡でないといけません。
なるほど練習番号202の3小節前ですね、ここは不思議な箇所でブーレーズ(新旧とも)をお聴きください、クラリネットをオクターヴ低く吹かせているのです。デュトワ、カラヤンもそうで何故か慣用化してます。ミュンシュもたぶんそうですが録音が拾ってなく落ちて聞こえます。アンセルメ、小澤は楽譜通りでかくあるべしですね、ここは作曲家の意図通りに吹いて欲しい。ご指摘のマルティノンはフルートまで聞こえにくく確かにクラは落ちているようにも聞こえますからご説のように録り直しが望ましかったですね。この前後は色々あって例えばミュンシュはその2小節前のクラリネットの音符が違っています。
ブーレーズのダフニス第2組曲ですね、持ってますがあんまり記憶に残ってないので書いてませんでした。了解しました、関心もありますので週末にその他も含めてじっくり聴いてみることにいたします。
hachiro
11/1/2018 | 6:17 PM Permalink
マルティノン盤などのクラリネットのパッセージの詳細をありがとうございました。私は50年間ずっとセル&クリーブランド管弦楽団で聴いてきましたので楽譜どおりに演奏されることを疑わず、たまたまマルティノン盤で落ちているように聞こえたのでスコアを見てレコード時代以来ずっとそう思い続け、先日書き込ませていただいた次第です。しかしオクターブ下を吹いているなど考えもしませんでした、あれから所有する音を色々聞いてみましたが、何かの楽器の音でメロディーが補充されていたので私の耳では変に思わなかったみたいです。正しい音域でしかも正確に吹いていたのは上記のセルとブーレーズ(70)のクリーブランドのマルセラスと小沢&ボストンのライト氏他、TELARCのアトランタ、セントルイスなどアメリカの一流は全部楽譜どおりでした、それだけにブーレーズのNYでの心変わりは首席奏者ドラッカーにとっても迷惑ですね(まるで吹けないから下げたかのようで)。
と思ったらマルティノン&シカゴ(64)は下げていました、私のマルティノン&パリ管への疑念のルーツは何とここにあったんですね。50年の月日を経てやっと判りました、東様、新しい発見をどうもありがとうございました。
東 賢太郎
11/5/2018 | 9:15 AM Permalink
hachiro様、ブーレーズのクリーブランド盤(第2組曲)を聴きました。本稿に書き加えてあります。
hachiro
11/6/2018 | 10:03 AM Permalink
東様 拝読いたしました、ありがとうございました。どう相槌を打つと失礼にあたらないか言葉が見当たりませんので、そこはご勘弁ください。また私の誤記もお許しください、併録のラベルは「春の祭典」の前ですね、失礼いたしました。ただどうでも良いことですが、Cleveiand Orchestra Storyという本や、CBSの解説によるとパバーヌはダフニスと同じ日の録音のようです。70年の4月2日と5日に定期演奏会でダフニスの全曲が演奏されたので、その間の3日に都合よく合唱を伴って録音できたのですね(正式には第2組曲とは言えないのかもしれませんけど)、パヴァーヌは演奏会のアンコールで使っていたのか、それともCBSのブックレットの誤記で69年に3曲入っていたのかもしれません。
クラリネットの件は少し東様と意見が異なりますので、事実だけ書きますと、私はアマチュアですが半世紀クラリネットを続けています、この問題の箇所の楽譜どおりの音域は却って音量音圧は下がってしまいます、ここから上はフォルテで吹くことのほうが難しくなる音域です、またオクターブ上げてもフィンガリングは難しくなく、音域の繋がりからも上げて当然かなと思います、スコアの段の間のスペースが狭いからこのように書いたのかな?とも思いました。ここでのマルセラス(首席クラリネット)の音が大きいのはマイクの位置とエンジニアの所為だと思います(私達のようなマルセラス信者としてはありがたいので気が回りませんでした)。
でも、前述のようにマルティノンのシカゴ時代からのポリシーや、古今の全てのベルリンフィルの演奏、ブーレーズの心変わりなどから、東様の「ラヴェルの誤り」論の正当性を感じています。
東 賢太郎
11/6/2018 | 4:19 PM Permalink
hachiro様 ありがとうございます。奏者の方にお教えいただき大変勉強になります。なるほど「この問題の箇所の楽譜どおりの音域は却って音量音圧は下がってしまう」のですね、ということは僕が明らかに間違っています。すると、その音量補正ために「ここでのマルセラス(首席クラリネット)の音が大きいのはマイクの位置とエンジニアの所為」となった可能性がありますね。フィンガリングも難しくないとなるとラヴェルの誤りではなさそうですし「オクターヴ下げ」はまた理由がわからなくなりました。記譜どおりの方が掛け合いのつながりは良いと思うのですが。
ダフニスの第2組曲も正確でないですね、「合唱付き」を入れないと。そうですかそういう段取りの録音ですか、面白いですね、でもどうしてダフニス全曲のLPにしなかったんでしょうかね。パヴァーヌはボレロと同じほど当時のブーレーズに似つかわしくない曲ですがマーケティングで入れたのか合唱団の経費をケチったのか。そういう曲でも同じスタンスで振ってしまうのがブーレーズで、アルボラダは朝帰りとは程遠い神経質な演奏で通常聞こえない奇妙な音が聴けとても風変りです。同時にこれだけミクロにフォーカスして破綻がほぼ見えない所にクリーブランドO.の管楽器の威力を感じました。