ダニエル・バレンボイムの復活を祈る
2022 DEC 9 13:13:22 pm by 東 賢太郎

バレンボイムがベルリン国立歌劇場管弦楽団(Staatskapelle Berlin、以下SKB)を率いて来日し、サントリーホールでブラームスチクルスをやると聞いてこれは聴かねばと思った。バレンボイムというと、僕の場合、まずモーツァルトのP協全集で知った。20代でイギリス室内管を弾き振りしたこれは才能の嵐。あまり知られていないが22才のウィーン国立歌劇場管とのベートーベンP協3番もしかり。その3年後に、79才のクレンペラーが自身最後になるだろう全集録音のピアニストに選んだその萌芽がすでにある。
初めて実演をきいたのはリストのロ短調ソナタ(フィラデルフィア、1983)で、覚えているのは煌びやかな技巧よりも静寂な部分だ。当時41才。音楽の深い造りこみにこの人は指揮者だなと思った。その指揮者としてのブラームスは1994年5月にフランクフルトでシカゴ響と2、4番をやったが特に感心はしなかった。しかしワーグナーにおいて彼はその頃から指揮者として成熟しつつあったのだ。それをまざまざと知ったのはエルサレム、ポラツキを配したベルリン国立歌劇場におけるワルキューレ(1994年3月)である。その頃ドイツにいたので日本での彼の指揮者としての評価がどうだったかは知らないが、本物のワーグナーの音を僕が覚えたのはその前年8月のバイロイト音楽祭でのタンホイザーではなくこれだったことは書いておきたい。
そして、多くの日本のファンも体験されただろう、2007年のフランツ、マイヤー、パぺを配してのトリスタン(SKB、10月17日、NHKホール)の感銘は忘れ得ず、同年12月、そのために行ったわけではなく単に仕事に疲れたので息子を連れて遊山したミラノで同曲のスカラ座こけら落とし公演のチケットが入手できた(メルケルが臨席したもの)。真面目に生きてればこういうこともあるのかという、これは我が人生の最大の僥倖のひとつと言っていい。トリスタンというと長らくベーム、クライバーだったがこれ以来僕はバレンボイムになっている。
ただワーグナーとブラームスは違う。僕はバレンボイムの3種あるブルックナー(CSO、BPO、SKB)は愛好するがこれは筋からして自然なことだ。でもブラームスは依然?のままであり興味がある。しかも僕はオペラ以外でSKBを聴いていない。このオケはオトマール・スイトナーが振ったベートーベン、シューマン、シューベルト、ドヴォルザークのレコードが聞き物であり(モーツァルトだけはドレスデンSKに分があるが)、もう2度とないかもしれないこの機会を逃す手はないとなった。
ところがだ。バレンボイムが「演奏活動を休止」と発表され、来日できないと知りショックを受けた。まだ80才で老け込む年でないと思っていたが、神経に関わる深刻な病とのことで心配だ。彼のツイッターの結び文句、I am not only content but deeply fulfilled. が気になる・・。きっと復帰してくれると信じているがもうオペラはきけないのだろうか。2007年NHKホールでのもうひとつのプロだったドン・ジョバンニがこれまた涙が出るほど素晴らしく、モーツァルトをもっと聴きたいと思っていたのが叶わないのか。喪失感はあまりに大きい。
本稿は代役ティーレマンとSKDについて書くつもりだったがそれは次回にしたい。この公演はとても満足できたし、ブラームスを二日で4つ聴くという至福の体験も人生に残る格別の重みがあり、翌日になってもまだ心に熱いものがある。ちなみにそのティーレマンも肩痛でドレスデンSK定期公演とその後の欧州ツアーをキャンセルした上での来日だったらしい。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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7 comments already | Leave your own comment
西村 淳
12/11/2022 | 7:04 AM Permalink
バレンボイム、この巨大な才能に驚嘆するのみです。同時代を生き、同じ空気、同じ景色を見てきた者として、このギフテッドされた者への羨望も。とはいえ朝の通勤電車で聴いていたモーツァルトのNo.22の協奏曲、シカゴとの「春の祭典」の音楽的な感興はその日の活力を与えてくれた一方、イスラエルでのワーグナー、イースト=ウェスト・ディヴァン・オーケストラの活動は残念ながら私には遠すぎたようです。
サイードとの対話で赤裸々に語る音楽とは、生きることとは何かは私のような者にとって天啓とも言うべきものでした。
でも新しい録音のアンコール集では衰えたな・と感じたのも事実ですね。
東 賢太郎
12/13/2022 | 1:55 PM Permalink
ユダヤ系の彼がマーラーよりもブルックナー、そして禁断のワーグナーへという判断はとても重いことと想像します。音楽とはそれほどのものだという啓示をいただいた気がしております。
Hiroshi Noguchi
12/13/2022 | 10:25 PM Permalink
ピアニストとして1973の東京公演以来、指揮者として2002年アルトラプソディでワルトラウトマイヤーが如何に素晴らしいか知らしめてくれて以来、兎に角素晴らしい音楽を享受してきました。彼はモーツアルトでもワグナーでも、ベートーベンから眺めているように思います。で、ブラームスですが、ソロモンのブラームスの演奏を素晴らしいが感傷がない。ベート−ベンには感傷はいらないが、ブラームスには感傷が必要で、それがないソロモンの演奏は冷たく響くと仰った評論家がいました。バレンボイムの演奏はピアノで言うなら冷たく響くことは無いと思いますが、感傷は無いと思います。もしかすると東大兄のプローブはどこか深いところでそういう面を感じていらっしゃるのでは。
東 賢太郎
12/14/2022 | 4:39 PM Permalink
そうですね、ブラームスに感傷を求めるかといえば、求めて良いと考えております(必須かどうかは曲によりますが)。そもそも音楽において感傷を喚起する由来は何かというと、私見では和声の比重が大きいと考えます。ハイドンになくてモーツァルトにあるのは(その萌芽にすぎませんが)後にロマン派の豊穣に繋がる和声の試みです(例・パミーナのト短調アリア)。ベートーベンはさらに実験的ですが、弁証法的、形式論理的思考のそれと相俟って行っており、シューベルトに比べ感傷という言葉の含みのベクトルに向かう性格の人ではなかったように思います(ほぼ同時代に和声でそれを一気に開花させたのはショパンです、もう天才というしかないです)。堅苦しく考えればベートーベンに感傷を持ち込むべきでないということになります。ただ、もう少し柔らく思考しますと、感傷は女性との関りと無縁には語れないようにも思います。ハイドン、ベートーベンにあまりなく、モーツァルト、ショパン、ブラームスにあったものということですね。いかがでしょうか。
Hiroshi Noguchi
12/14/2022 | 10:57 PM Permalink
ティーレマンの演奏の良かったこと何よりとお喜びします。コロナの間ペトレンコのベルリンフィルの配信には随分慰められました。しかし彼の選曲と演奏は私のような世代の人間には、「真正」な新しさは認められても、聞いていて中々安住できません。ティーレマンよりもバレンボイムの方がもっと我々の共感できるセンスをもとに時代の流れの中で変化していく楽しみがあるような気がします。だからこそ未だやっていって欲しいと心から願います。ところでこの「感傷」と言う言葉を使ったヒトのセンスには脱帽します。仰るようにシューべルトにもほとんど見られず、ロマン派としてのシューマンやリストにもないのではないでしょうか。別の視点からオオタムナルとカタカナを使って形容されているのかも知れないのですが。仰るような和声の使い方、僕は譜読みまでできないのですが、分かるとさらに味わいが深くなるのでしょうが。
東 賢太郎
12/15/2022 | 11:53 PM Permalink
ペトレンコ、ティーレマンについては同感です。SKDもバレンボイムで聴きたかったという気持ちに変わりはありません。やはり我が世代は20世紀の巨人たちが極めた音楽演奏へ郷愁があると感じますし、そこから抜け出せないしその必要もないと思っています。それは我々が知らない19世紀の伝統の残照でありましょうし、2つの大戦を経て人間の心のありよう(音楽だけでなく政治、文化、文明すべてにおいてです)が変容した時代に生まれた我々がぎりぎり安堵を覚えられる世代なのかもしれません。バレンボイムがその息吹で育った最後の巨匠のひとりのような気がしてならないのです。
東 賢太郎
12/16/2022 | 12:25 AM Permalink
もうひとつ「感傷」というご指摘に付け加えますと、辞書では訳語はラテン語源のsentimentとされてます。何かによって特有に喚起される感情、情緒ということでルサンチマンのサンチマンもそれですから日本語の感傷にはない恨みつらみも含まれます。その方は何かの理由でromanticを使わなかったと思われますが感傷とロマンチックは日本語でも差異があり、たしかにうまい表現だなと思います。僕が感傷を感じる作曲家はショパンで、おそらくそれが理由で敬遠してしまうのですが、ブラームスとてPC1Mov2にそれがないと言い切れる人はあまりいないのではないでしょうか。僕はラヴェルに大いにそれを感じます。彼はそう見られることを嫌って技法の限りを尽くして「擬態」してますがロマンチックに近いと感じます。かたやドビッシーは全然ないです。これは似た者として大きな誤解のもとにくくられがちな二人の決定的な違いで、母親と二人で住んで女っ気が皆無だった人と、母親に幼児期に冷淡にされ長じて女性に奔放だった人の差かなと考えてます。