僕の愛聴盤(4)ホルショフスキのバッハ
2023 MAR 18 21:21:16 pm by 東 賢太郎

昨年11月に東京文化会館小ホールでパスカル・ロジェをきいた道すがら、西村さんがひとこと「いい調律のピアノでしたね」といわれた。はじめのジムノペディ第1番が鳴った瞬間からおしまいの版画までただならぬ美音の奔流に陶然としていた僕は言葉を失っており、たしか、「ええ、ほんとうにそのとおり、いい調律でした」と返した。
演奏会を聴けなくて悔しいピアノストが二人いる。ひとりはクラウディオ・アラウで、もう一人が本稿のミェチスワフ・ホルショフスキ(1892 – 1993)だ。アラウはフィラデルフィアにいる頃にリサイタルで来たのに行かなかった。ホルショフスキはその地に住んでいたと思われるのに、気がつかなかったのか演奏会がなかったのか、とにかく運がなかった。
上野から帰りの電車の中で思い出していたのがホルショフスキのイギリス組曲第2番のライブ録音だ。あれは会場に居たらこんな気持ちになるんじゃないかと思ったのだ。J.Sバッハをピアノできくとリヒテルであれグールドであれ最高度に研ぎ澄まされたピアニズムを感じる。目をつぶっても演奏者が見えるといってもいいだろう。ホルショフスキにそういうことはなく、縫い目がない天女の衣みたいに自然だ。ロジェが弾いたのはフレンチ・プログラムだったが、存在が見えずに音楽に同化して楽興の時だけが在ったのはこれまた天衣無縫だったのだ。
ジムノペディ第1番。僕でも弾ける何でもない曲だが、それゆえに、ここそこで鳴るべき和声のバランスとかメロディーラインの力の抜き方とかルバートのかけ方、もっと即物的にいえばバスの鍵盤のおさえ方のごくごく微妙な力具合ひとつとっても、いちいちため息をつくほど絶妙に考えぬかれコントロールされた達人の域であって、サティが最後のマイナーコードで括り止めた感興はこれだ、何でもない曲ではなかったという感銘だけ残る。チッコリーニのそれはそれで意味深い “動” の演奏があるが、ロジェは徹底した “静” でクールに知的だ。
別な機会のビデオだがヘッドホンで耳を澄ましていただきたい。お分かりいただけるだろうか。
極上のお酒と懐石料理をいただいたようになって、プログラム最後のドビッシーのあとに月の光とジムノペディ第1番を弾いてくれ、ご馳走様でしたとしか声もない。それを引き出した聴衆の質の高さも素晴らしい空気を小ホールに満たしており、こんなリサイタルなら何度でも来たいと感じ入った。音楽を深く愛しておられる西村さんの「いい調律のピアノでしたね」は、そういうすべてを締めくくるものであって、それをお返しするしかすべがなかったのだ。
ホルショフスキはベートーベン、ショパン直系の孫弟子である。滾々と泉のように湧いてホールの大気の中を流れゆくバッハ。バロック的でもロマン派寄りでもない、これまた無心の楽興の時でもって雑念に満ちた心を中空にしてくれる。何度きいても感謝の念しか残らない。バッハがこうでいいのかと思われる方もいるだろうが、いかにうまく弾かれようときれいごとのバッハでこうはいかない。これが92才の演奏とは信じ難いが、うまく弾こう、聴き手を唸らせようという不純物は皆無である。こんな成熟ができる音楽家は何と幸せなことだろう。
これもヘッドホンで味わっていただきたい。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
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4 comments already | Leave your own comment
西村 淳
3/19/2023 | 6:41 PM Permalink
ジムノペディ第1番の冒頭の「G」の波が会場を包んだ瞬間、ああこのコンサートはいいものになると確信。私にとってはラヴェルのソナチネも最高でした。
最近は海外版のCDではスタインウェイ、ヤマハなど使用しているピアノだけではなく、チューナー(調律師)の名前もクレジットされるようになってきていますね。
吉田 康子
3/19/2023 | 8:51 PM Permalink
ご無沙汰しております。
相変わらず目先の練習に追われる日々です。
ロジェのリサイタルは、素晴らしかったようですね。
掲載されていたジムノペディの動画は、画面のライラのマークとピアノの蓋の蝶番を見て少し前のNYスタインウェイかなと。
もう一度見直してやはりNYのスタインウェイホールでの録画ということで納得しました。
そして「いい調律」って何だろう?と考えさせられました。完璧な数値で仕上げたものではなくてその時の奏者や弾かれる音楽に合ったものでは?と。
以前ショスタコーヴィッチの1番の協奏曲を練習していると調律の齋藤さんに話したら、仕上がったピアノの音はやはり「それらしい」音になっていたし、モーツァルトの時にも同様でした。「事前に話をして演奏される音楽をイメージする」とか。やはり長年の経験からの勘というか天性の才なんでしょう。
当日のロジェのピアノもフレンチプログラムを想っての調律であったのではと想像しています。
一方ホルショフスキのバッハは、まさに音楽そのもので、これがオルガンでもチェンバロでもなくやはりピアノで、と思えるような演奏。ここに調律や楽器云々というよりは、演奏者の音楽そのものが溢れてくるように感じました。しかもこれはライヴ録音で会場の空気そのものが伝わってくるようです。ヴァインベルクと同じファーストネームはやはり同郷ポーランドのピアニストなんですね。私もその場に居たかったと切に思いました。
東 賢太郎
3/20/2023 | 11:08 PM Permalink
吉田さん
ご無沙汰しております。ロジェのリサイタルはお聴かせしたかったですね(当日もピアノはスタインウエイでした)。ただ、吉田さんが弾かれたモーツァルトのピアノ協奏曲第25番は今でも思い出しますが、暖かくやわらかでモーツァルトにふさわしい響きでした。普段使われていないファツィオリをあそこまで弾きこなせるのはさすがだと思いました。シューマンP協をやられたそうですがきっと似合ったのではと思います。
東 賢太郎
3/20/2023 | 11:09 PM Permalink
西村さんとご一緒できたことは思い出になる、そういうリサイタルでしたね。