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兵庫と岐阜と名古屋の長い旅

2023 AUG 14 13:13:40 pm by 東 賢太郎

軽井沢でゴルフの翌日、八重洲のビジネスホテルを朝7時半に出て新幹線に乗った。東京に家があるのにと思われようがそれで2時間余計に眠れる。兵庫、岐阜、名古屋でお客様の会社訪問、面談などがあるためもう二泊し、契約調印、会食、野球観戦などの予定も入っていた。前日があまり眠れないだろうということでこうなったがうまくいった。その日はまず兵庫まで行って既得意のお客様の経営するレストランで仕事を済ませ、その足で岐阜までとんぼ返りするともう夕刻である。めったに来ないので観光したかったがまったく時間がない。

この日は岐阜・長良川温泉の老舗旅館「十八楼」に宿をとった。どうやら翌日に花火大会があるようでどこも満室である。この宿は二度目で、風呂がいい。食事も川向うにラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエールというフレンチがある。マンションの5階の一室で景色が良く、味、もてなしともこれでおまかせ1万5千円はお値打ちだろう。風呂に入るんでとワインはパスさせてもらって水にしたが、長良川伏流水は氷を入れれば飲み物としても旨いのである。ピュアな軟水で高山の北アルプスの水ともちょっと違う。

十八楼は斎藤道三、織田信長のいた岐阜城がてっぺんにある金華山のふもとに位置し、鵜飼いで有名な地である。漁としての鵜飼いは5世紀ごろから行われていたようで、中国の史書『隋書』に日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として記載があり、日本書紀に記載、古事記に歌がある。天皇家にゆかりがあり鵜匠は国家公務員である宮内庁式部職であり、平安時代に始まったショーとして見物する鵜飼いは頼朝、信長、家康、芭蕉も観ている。僕は大学時代に岐阜出身の友人と彼のお父さんに船上から見物させていただき、今でもよく覚えている。

十八楼には松尾芭蕉の、

このあたりめにみゆるものは皆涼し

と詠んだ句碑があり観覧船乗り場にも近いが、僕の目当ては温泉だ。鉄分のせいか赤褐色でありインパクトがある。薬草の湯というのもある。信長が伊吹山のふもとに薬草園をもっていたのにちなんだと説明書きがあり、仄かにそんな香りもあるが効くのかどうか。シルクの湯というのは微粒の気泡で乳白色をしており、毛穴まで入って油分を落とすというから有難い気はする。

兵庫のお客様はこれで弊社案件に4度目の投資のお得意様だ。名古屋のお客様は弱冠35才でM&Aで数十億の財を成した事業家で今回初めてだが、お見受けするところ事業の方でつきあう楽しみもありそうだ。PE(未公開株)投資は手慣れておられ、一件は適格機関投資家(法律上のプロ投資家)だ。我々の投資哲学はプロほど理解して下さり、すると投資して欲しい良質の起業家も寄ってくるという循環である。

二日目は名古屋からだ。特急で岐阜から19分。暑い。金時計の下にウンカの大群かと見まごう団子状の雑踏を見てなんだあれはと恐怖を覚え「キムタクでもいるんか」と言った気がするが何故かは覚えてない。お盆だからでしょ、なるほどねとなったが東京人である僕に盆休みの渋滞や混雑の実感がないことがこうしてわかる。頭も尋常でなかった。さもありなん、この日の名古屋は気温39度。香港、シンガポールだって高くてせいぜい35度だ、米国のデスバレーに次いで人生二番目が日本ってのは驚くしかない。昼前に集合場所のコメダコーヒーで今回のパートナーであるY君が合流し、お客様と調印を終えた。外へ出るとムッとする熱気と日照りに気絶しそうだったが、こういう時に限ってタクシーがなく、バスで名古屋駅へ向かう。

再度岐阜へ向かう予定だが、せっかくだから駅ビルで「ひつまぶし」でも食うぞとなった。旨い。たれの塩梅、焦げ具合が見事で、鰻重を茶漬けにする独創性も素晴らしい。名古屋の料理は一見塩辛そうだが実は程良く、八丁味噌が好きなので口に合う。滋賀、岐阜は奈良時代からの発酵文化が奥深く、京都より野趣があって面白い。鮒ずし、溜り醤油は僕にとって欠かせないほど好物だが尾張、三河にもそれは通じているのだろうか、秀吉が朝鮮出兵の根城にした名護屋城に鮒ずしを持って行ったし、家康の戦の供は八丁味噌であり、長良川の鮎ずしを発明して江戸城に届けさせたのもわかる。我が祖父は南信州で、叔母は名古屋で水野さんになり義理の伯父は岐阜人、戦争中の母の疎開先は高山である。もう地縁はないが子孫の舌に味覚が留められているのかもしれない。

コメダで合流したY君は今回案件の共同責任者だ。いままでは経産省キャリア官僚だった親父さんと案件組成をやっていたが、二世で四十過ぎの公認会計士である彼が独り立ちでやるのは初めてだ。優秀だが慣れてないところもある。資料作りなぞ細かいことであれやこれやとダメ出しして説教し、しち面倒くさい注文をたくさんつけた。電話の向こうで馬鹿野郎いい加減にしろと辟易していたのはわかっていたが、そういうことは僕は指揮官だから自分でしたことがなく当時の優秀な部下たちがしたわけである。でもそれがないとディールが決まらないことは誰より知ってるのだから容赦など一切なし。彼はガチ体験をした。どんなに怒っても終わればすぐ忘れるタチだが、ビジネスホテルのチェックインを済ませて喫茶室で休んでいると彼がそれを回想しながら勉強でしたと言ってくれ、世辞でない証拠に僕が吐いたとおぼしき言葉をみな覚えてるのである。サラリーマン時代にたくさんの部下がいたがそういう子はみな伸びて出世している。

岐阜のO社長はY君の紹介で初対面だが温かく迎えて下さった。投資の御礼を述べ少々説明を加えようとすると「それはもう結構です、出資したおかげでこの場があるだけで」と丁重に遮られ、自社の来歴、現状と将来の希望を熱く語られた。京セラ稲盛会長の盛和塾生であり、現在はご自身が指導する立場におられ、ご配下から上場企業が4つも出ている。自社もできるが志が高いゆえしていないとお見受けする。兵庫のお客様にも申し上げたことだが、僕は手垢のついた投資案件をオークションで買い上げて投資するような下世話な金融屋のコンペなんかに参加する気はない。会社様の繁栄発展の指標であるバリューアップだけが目的であり、経営者と一心同体でそれをして投資もすればこちらも利益になる。会社さんがたくさん取って当方は少ないからこれは利他的だ。お会いしたことはないが利他の心は稲盛さんの哲学の根本だった。51:49なら49でいいと言われるO社長と楽しいディナーをご一緒させていただき再度名古屋に向かった。翌日土曜日は初めてバンテリンドームで野球を観て帰る。花火の人たちだろうか電車はそこそこ混んでおり、夜の名古屋はまだ暑かった。

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