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カテゴリー: ______日々のこと

ついに64才 (When I’m Sixty Four)

2019 FEB 4 22:22:52 pm by 東 賢太郎

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band) はロックに限らず、すべての音楽史上においてAbbey Roadと並んで天下の最高峰にランクされる究極の名アルバムであります。”When I’m Sixty Four” はそのB面の2曲目で、最初の曲、ジョージのシタールがビヨ~ンビヨ~ンとおどろおどろしい異次元世界の “Within You Without You”の霧がさっと晴れて、急になんてことない、あっけらかんと庶民的な日常生活のひとコマが帰ってきてホッとすることだけが印象の曲でした。

次のサイケっぽい “Lovely Rita” とジョンの変拍子でぶっ飛んだ “Good Morning Good Morning” があまりに凄いものだから、なんの変哲もない”When I’m Sixty Four”は正直のところ「早く終わらんかな」という曲であったわけです。

当時僕はハタチぐらいで、64才なんて、自分がそんな老人になって奥さんが「ご飯、作ってくれるかな」なんて、まるで火星人の話みたいなもので、まあポールは僕よりは13も年上だし、そのぐらいになるとそんな心配もするのかなぐらいであったわけです。目のまえには時間が無限にあったのです。

今日、とうとうその日がやって来てしまった。来るものは来るんだなあと、来なくてもよかったんだけどなあと思いつつ、生んでくれた母親に手を合わせました。感想はというと「まだ生きててよかったな」だけなんですが、まあ奥さんにちゃんとご飯は作ってもらってるし、僕もまだなにかお役には立てそうだし、そうか、ポールはそういうことを歌ってたのかとしみじみ思うのです。いい歌だなあと。

下のビデオは面白いです、ぜひご覧ください。ポールが故郷のリバプール案内をする趣向で、ペニーレーンが出てくるしバーバーショップ(床屋)におじゃまして女主人をびっくりさせもするし、彼が育ったお家に入っていって「この部屋で “She loves you”をジョンと作ったんだよ、親父がここで聞いててね、けっこういいじゃないかなんてね」「このトイレ、反響がいいんだ、便器に座ってギター弾いてね、ほら」・・・もう感涙ものです。

僕はウィーンでモーツァルトの住んだ家を全部めぐりましたが、そういうことをあれこれ空想してました。彼が案内してくれたらこんな感じなんだろうな、それが現実になってる、僕の中ではビートルズも同じほど偉大なんで、そんな歴史的なことがなんでもなくユーモアたっぷりにさらっとできてるポールの人柄が素敵で、とにかくいい人だなあと思うのです。金持ち喧嘩せずじゃなくってね、もともとこういう人だからああいう曲ができたんだろうって。

「子供のころあの教会で歌ってたんだよ、聖歌隊員だったんだ」そうか、やっぱりポールの曲は教会にルーツがあったんだ、納得ですね、とってもクラシックなものがベースにあるんで、そして、12分1秒からをぜひご覧ください、ポールがピアノを弾いて “When I’m Sixty Four” を歌ってます。

トラブってた時にあの世のお母さんが夢枕に出てきて「流れにまかせればいいよ」っていったらしい。そうしたらうまくいったっていってますね。そこでピアノに向かって曲を書いたらあの名曲 ”Let it be” ができちゃったって、天才はそんなものなんだ、すごすぎですね。

パブのジュークボックスで悪戯してお客さんを仰天させてしまう。お茶目であります。こんなおじいちゃん、なれたら最高ですね。まあポールは現代のモーツァルトだ、到底無理なんですが、この気持ちの軽さだけは見習いたいですね、だっておふくろもいいそうだ、”Let it be”・・・。天命に竿ささず、あるがままに生きていきたいです。

そういえば、香港に赴任した時に高名な風水師さんにみてもらったら、僕のラッキーカラーは金(ゴールド)+真っ赤なんです。だから社長室はその2色にされてしまいました。ずいぶんケバかったですが、実はキンキンのゴールドは子供のころから大好きで、カーテンもクッションも全部それにしたいと思ってます。

 

家族にもらったプレゼント

 

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

ますます大坂なおみファンに

2019 JAN 27 1:01:04 am by 東 賢太郎

世界一というのは地球一ということです。その景色ってどんなものなんだろう?日本一でも大変だろうけど、地球儀では小さな島の王だ。そんなところに21才で駆け登った女の子が見たものは何だろう。相手のチェコ人はメンタルにタフで勝負強く見えたけど、彼女のパーソナリティはそんな風に見えない。それでいてこの強さは??? う~ん、この子はどこか宇宙的な茫洋として底知れぬものを秘めているなあと思ってしまいますね。

僕らの多くは頂点のアスリートしかテレビで見ません。なんでもなく100mを10秒で走りぬける男ばかり見ていると、人間が100mを10秒で走るのと11秒で走るのとどんなに開きがあるか実感が持てませんね。12秒ぐらいかかった僕がそれをああだこうだ言っても一文の値うちもないし。というのは13秒の奴が俺も頑張れば12秒は出せたと、たぶん無理なのだが言われてしまっても何も言えない。それが12秒というものなのです。10秒はそれを誰にも言わせない、言っても誰も信じない鉄壁の如き凛とした響きがある。しかし、それを出しても、まだ地球一ではないのです。

僕はアスリートへの称賛は才能半分、努力半分と思って見ています。才能はずるいけど仕方ないもの。先日カープの菊池がJ リーガーにまじってサッカーに興じていましたが、最初は彼をサッカー選手と思いこんで観てました。あの運動能力なら体操だろうがテニスだろうが超一流になれる。そういう連中がすさまじい努力もしている世界がプロなのだとは思うのですが、そんなレベルの景色は僕には成層圏外であって想像もつかない。だから宇宙をのぞき見したい一心で、僕らはお金を払って球場へ出かけるわけです。

日本人は努力のほうに重きを置く傾向がないでしょうか。頑張れば誰でも10秒がでるわけではないのは自明なのですが、その才能あっての努力だよねなどとストレートに言えば嫌われるのも自明の国です。15秒の人の走りを金を払ってでも観たいという人がいないことも自明ですが、その人が懸命の努力で12秒になったなら金は出さないが応援する人はいくらもいるでしょう。そのメンタリティーで日本が繁栄したのは事実と思いますし、僕は自分がやっていた高校野球というものにそのにおいを強く感じてあまり好きでなかったのですが、そのおかげで15秒の我々の野球を観てもらえる恩恵にも浴していました。

その主催元である高野連が高知商野球部に対して処分を検討と聞きましたが、500円の入場料が「商業的利用にあたる」とはどういう根拠なのだろう。ではダンスイベントで働いて定時制高校に通う勤労青少年は高校球児になれないのでしょうか?球児には「15秒の人」レベルから「10秒が出る人」レベルまでいます。後者の人を金を払ってでも見たい人々にはプロもアマも高校生もなく、そこに新聞社の事業である甲子園大会は乗っかって堂々と収益をあげています。根尾君や藤原君がダンスを応援するなら1000円払っても観たいという人はいくらもいるだろうが、両者の違いがよくわからないのです。

商業的利用ではなく自分で稼ぐのはどうなのか。15才のJ・リーガーがいたし、ゴルフでは石川遼が16才でツアー優勝して賞金を得ているし、大坂なおみは14才でプロツアーに出ているし錦織圭も高校時代からツアーで勝って賞金を稼いでいる。将棋では藤井くんが中3で2000万円近く稼いでいる。この世の中で500円の券が云々など言うこと自体がすぐれて浮世離れしているし、悪法もまた法だというならその法のほうも構成要件が全くわからない。僕は1991年ごろ、初めて日本でワラント債が出たときに法務省が「賭博罪に当たる」として絶句したのを思い出します。まだ刑法という根拠法があるだけましではあったのですが。

僕がいま子供だったら、きっと野球は好きだろうがやりたいとまで思うかな?怖い監督、先輩に理不尽にしばかれるし坊主頭はカッコ悪いし遊べないしね、ゴルフかテニスに行ったかも。大坂なおみさんの世界一、地球一はテニス人気に火をつけるでしょうね。というのも根拠があります。日本ではメジャーリーガーの年俸ばかり騒がれますが世界で見ると野球などマイナーで、2018年のフォーブズのアスリート年収ランキングで野球はやっと37位にカーショウ(ドジャース)の37億6千万円が登場、35位は錦織圭(37億7千万円)でどのメジャーリーガーより上です。女性はというとトップ10のうち9位がレーサーなのを除いてなんと9人がテニスであります。1位が20億円のセリーナ・ウイリアムズで、それを倒してとうとうランキング1位に昇りつめた大坂さんは30才まで女王でいれば200億円は軽く稼ぐでしょう。

高野連の人はスポーツは健全な青少年の育成のためにある、商売はいかんというのだろうし、自分も育成していただいた御恩は決して忘れないのですが、高知商の措置を見ると野球は世界の潮流からどんどん置いていかれてるという危機感を覚えます。努力・育成は教育者として大切なテーマですがお金のピューリタニズムの強要は児童の性教育を忌避するようなものでしょう。健全な体で健全な向上心を持つ子が健全な欲を持つのは人間として当然のことだし、それを抑圧して何かいいことがあるかというと僕は思いつきません。

 

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まったくとりとめもない正月

2019 JAN 5 16:16:23 pm by 東 賢太郎

新年早々不景気な話ではありますが、多摩川を超低速で半年ぶりに走ったら今日はまたヒザがおかしく、どうもいけません。さっそくホテルのフィットネスに申し込み、ビックカメラでフットマッサージ器、ぶるぶるマシンなどを購入して対策は講じてみましたが不安です。

年末に忙しかったのもありますが、この2年、あまりに多くの大事な人を僕は失いました。ほとんど一気に、怒涛のように喪失感に飲み込まれ続けてきた感があります。立ち直っては打たれ、また打たれで、自分でも戻れたかどうか分からないままどこか心身にひずみが来ているのかもしれません。

この年末年始はかつてない軽さでさくさくと過ぎたのもその印象を倍加します。お正月気分は皆無。2日にはマッサージに行って担当のHさんに3時間、頭を空洞にして帰ります。3日はステーキ屋に行って300g、まだ若いと確認して帰ります。いろいろ思いつくまま、少しづつ心を軽くしていくしかありません。

異界にいざなってくれるのはミステリーかなということで、女流クリスチアナ・ブランドの「ジェゼベルの死」を読みましたが、原文がそうなのか翻訳がだめなのか、殺人現場である舞台の情景描写があまりにへたくそ。フーダニットなのに思考材料のピースがわけがわからずストレスがたまるばかりでした。

僕は女性の書いた地図は弱い。ことごとくわからない。言葉で説明を求めると往々にしてもっとわからない。この書は両人が女性でそのせいかなあと思って読んだ次第。やはりクイーンのオランダ靴がなつかしい、偏見と言われようが何だろうが、あれは男しか書けませんね。ああいうのが読みたいなあ。

TVは特集で観た大谷翔平。彼の全本塁打22本は痛快で超ド級、投げながら松井秀喜の本数を抜いたというのは凄まじすぎ。投球では51回で63奪三振は凄すぎ。球速でメジャー第3位、打球の初速で9位、新人王は当然ですね。米国人を彼ほど力でねじ伏せ、なぎ倒した日本男児は歴史上彼だけです。国宝。

彼はケガがなければ100億円プレーヤーになるでしょう。それだけ客が払って見に来てくれるという道理があるのであってもらいすぎでも何でもない。彼の球が速いといっても草野球の投手より50%速いだけだから、平均年収500万円に対して750万円もらえばいいだろうという人は共産国にもいないでしょう。

余談ながら、去年僕はドームで30試合ぐらいは観ましたが、すべての投手の投げた剛球の1位は菅野でも則本でもなく、二軍戦で投げた巨人・カミネロの外角高め154キロのボール球でした。あの威力は凶器、二人は殺せますね。それでも彼はクビなんです。人間おおいに差があるしトップレベルの僅差は大差です。

駅伝は青学強しで、なんとなく僕の判官びいきに火がついて東海大、東洋大を応援。国士舘の2区、ヴィンセント君の力走には感動しました。この競技、ゴルフのストロークプレーと同じでダボをたたかないゲームですね、つまり10人が5-6位なら優勝、青学はダボ2つで2位。野球なら打線のつながりですね。

4日はソナー社員7名で恒例の日枝神社お参り。11時前でしたがいつになく待ち時間なしでスムーズでした。ここでランチが創業来。去年S君とたまたま山の茶屋のウナギを食べたので今年もと、宮川さんでいただきました。ウナギは夏という思い込みの逆張り精神、大好きですし、現に本来は冬がうまいのです。

今年は相場がup-downして面白くなりますね。猫も杓子も儲かるなんてのは我々にはつまらない。あんまり下がらないボトム圏の株で上昇余地が大きいのをさらに安く買いたいので下げ相場は歓迎なのです。米中摩擦で中国も下がってます、チャンスですね。

まったくとりとめもない正月でしたが、これが現実だということで。

 

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2019年、ひいたぞ「大吉」

2019 JAN 2 11:11:14 am by 東 賢太郎

皆さま、明けましておめでとうございます。

「鶴林 よしだ」さんのお節。6年ずっとこれ。

今年の元旦は晴天に恵まれましたね。富士を拝みながら例年どおり父(95才)を囲んで心斎橋「鶴林 よしだ」さんのおせちで家族平穏にスタートいたしました。宇佐神社のおみくじは今年は「大吉」。勝負の年ですね。皆さまは元旦、いかがお過ごしでしたでしょうか。

昨年は早々から厄災がいろいろあって頭がいっぱいであり、過労で倒れていてもおかしくなく、不安になって検診に行った時期もありました。12月に入ってまた急場がやってきて同様になってます。健康が唯一の取り柄だったのですがそれも危険水域だったようで、点滴を打たれて自信がうせてきました。

「自然体で無理せず」のモットーが崩れたのがいかんですね。この仕事は「戦況」が日々転々とするので、それに振り回されると第1次大戦のドイツ軍みたいになってしまいます。しかし守る立場でもなし、米国のように不干渉でいられる余裕もなしなしです、一個師団+友軍で西部戦線突破といきたいですね。

正月ですから今年の相場について少々。波乱になるでしょう。米中のコンフリクトは最低2年は続くと見ております。ということは世界経済の成長率の下方修正要因であり、世界の中銀が利上げ姿勢で臨めば株やビットコインで浮かれられた環境でなくなるのは確実です。僕は今年の投資のキーワードは「技術革新」と「バリュー」になると確信しております。

たまたまわが軍は中村修二先生のノーベル賞最先端革新技術と、バリュー投資で日本一のノウハウとデータを有しています。もしそういう環境がやってくるとすればこの波乱はチャンスであり、いつやるの?今でしょ、という時の利を得ています。「大吉」のご加護もありますしこんな条件の新年はもうないでしょう。指をくわえて見ていても失敗しても同じこと、ここは一気呵成にやるしかありません。

となると、僕の今年の目標は明白です。

「無病息災」

であります。ここで倒れては一巻のおしまい。「自然体で無理せず攻める」のは難しいのですが、これは8割の力でスナップの効いた回転のいい球を投げるということ。食を制して運動はフィットネスかヨガかジョギングかと普通のことになりますが、やることが大事、やります。

恐る恐る新入りのシロ・クロの様子をうかがうノイ

もうひとつ、ノイであります。年末に年上が2匹もやってきてしまいました。プライドの高い姫であり、自分からは近寄らないし、寄られるとウーと低く唸り、ときにシャーが出てしまいます。それでも気になってときどきリビングを覗きに来ます。「もういないだろう」という感じで。それが必ずいるし、しかも可愛がられているものだからすねていて、後ろ姿が寂しそうです。これはまずいと思って集中的に遊んでやったらちょっといい感じですね、これだ、これでいこうということで。猫もいろいろ大変なんです。

最後に、同年輩の皆さまにおかれましても無病息災に越したことはありません。今月に再度、漢方の神山先生と統合医療の森嶌先生による巨頭会談をセットしており、東洋医学と西洋医学を融合した新しい実践的な健康サポートのコンセプトを共同で構築していただくプロジェクトを企画しております。成果はいずれ当ブログ、Nextyleの動画などで公表しますのでお役立てください。

それでは、皆さま本年もよい年でありますようお祈り申し上げます。

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今年のプライベート5大ニュース

2018 DEC 31 22:22:09 pm by 東 賢太郎

2018年のプライベート5大ニュースです。

1.ヒザが痛い

体重が増え筋肉が落ちただけといわれる。

2.右目に飛蚊症

左目はすでに飛んでおりバランスがとれる。

3.猫3匹体制に移行

マネジメントは苦労するも精神的な貢献は大。

4.巨人軍の応援歌が歌えるようになる

年間シートの効果。ただしタオル回しはやらない。

5.社業は年末に切り返す

二段目ロケット噴射の時期に来た予感。ここで一気に成層圏へ突き抜けたい。

 

今年のおみくじは「小吉」で、そのとおりの1年でありました。仕事の環境は前半が大変に厳しく、そのぶんよく働きましたが仕事以外の記憶はあまりない年になってしまいました。9回裏に逆転アーチが出て上り坂ですが、体力は下り坂。これをどうするかが来年の最大の課題です。

それではみなさん、よい年をお迎えください。

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野村證券・外村副社長からの電話

2018 DEC 10 23:23:02 pm by 東 賢太郎

外村さんと初めて話したのは電話だった。1982年の夏のこと、僕はウォートンに留学する直前で、コロラド大学で1か月の英語研修中だった。勉強に疲れて熟睡していたら、突然のベルの音に飛び起きた。金曜日の朝6時前のことだった。

「東くんか、ニューヨークの外村です」「はっ」「きみ、野球やってたよな」「はあ?」「実はなあ、今年から日本企業対抗の野球大会に出ることになったんだ」「はい」「そしたらくじ引きでな、初戦で前年度優勝チームと当たっちゃったんだ」「はっ」「ピッチャーがいなくてね、きみ、明日ニューヨークまで来てくれないか」「ええっ?でも月曜日に試験があって勉強中なんです」

一気に目がさめた。この時、外村さんは米国野村證券の部長であり、コロンビア大学修士で日本人MBAの先駆者のお一人だ。社長は後に東京スター銀行会長、国連MIGA長官、経済企画庁長官、参議院議員を歴任しニューヨーク市名誉市民にもなられた寺澤芳男さんだった。寺澤さんもウォートンMBAで、ニューヨークにご挨拶に行く予定は入っていたが、それは試験を無事終えてのことでまだまだ先だ。なにより、留学が決まったはいいものの英語のヒアリングがぜんぜんだめで気ばかり焦っているような日々だった。しかし、すべては外村さんの次のひとことで決したのだ。

「東くん、試験なんかいいよ、僕が人事部に言っとくから。フライトもホテルも全部こっちで手配しとくからいっさい心配しないで来てくれ」

コロラド大学はボールダーという高橋尚子がトレーニングをした標高1700メートルの高地にある。きいてみると空港のあるデンバーまでタクシーで1時間、デンバーからニューヨークは東京~グァムぐらい離れていて、飛行機で4~5時間かかるらしい。しかも野球なんてもうやってないし、相手は最強の呼び声高い名門「レストラン日本」。大変なことになった。

その日の午後、不安になり友達にお願いして久々に肩慣らしのキャッチボールをした。ボールダーで自転車を買って走り回っていたせいか意外にいい球が行っていてちょっと安心はした。いよいよ土曜日、不安いっぱいで飛行機に乗り午後JFK空港に着くと外村さんが「おお、来たか」と満面の笑顔で出迎えてくださった。これが初対面だった。午後にすぐ全体練習があり、キャッチャーのダンだと紹介されてサインを決めた。俺は2種類しかないよ、直球がグーでカーブがチョキね。簡単だった。フリーバッティングで登板した。ほとんど打たれなかったがアメリカ人のレベルはまあまあだった。監督の外村さんが「東、明日は勝てる気がしてきたぞ」とおっしゃるので「いえ、来たからには絶対に勝ちます」と強がった記憶がある。そう言ったものの自信なんかぜんぜんなく、自分を奮い立たせたかっただけだ。ご自宅で奥様の手料理をいただいて初めて緊張がほぐれたというのが本当のところだった。

いよいよ日曜日だ。試合はマンハッタンとクィーンズの間にあるランドールズ・アイランドで朝8時開始である。こっちがグラウンドに着いたらもうシートノックで汗をかいて余裕で待ち構えていたレストラン日本は、エースは温存してショートが先発だ。初出場でなめられていたのを知ってよ~しやったろうじゃないかとなった。板前さんたちだろうか全員が高校球児みたいな髪型の若い日本人、声出しや動きを見れば明らかに野球経験者で体格もよく、こっちは日米混成のおじさんチームで27才の僕が一番若い。初回、1番にストレートの四球。2番に初球を左中間2塁打。たった5球で1点取られ、天を仰いだ。コロラドから鳴り物入りでやってきてぼろ負けで帰るわけにはいかない。そこから必死でどうなったかあんまり記憶がないが、僕の身上である渾身の高め直球で4番を空振り三振にとったのだけは確かで、なんとか2点で抑えた。

勝因は外村監督の「バントでかき回せ」「野次れ」の攪乱戦法に尽きる。これがなかったら強力打線に打ちくずされていただろう。全員が大声を出してかき回しているうちに徐々に僕のピッチングも好調になって空気が変わってきた。第1打席で三振したので外村監督に「次は必ず打ちます」と宣言し、次の打席でファールだったが左翼にあわやホームランを打ち込んだとき、投手がびびった感じがして四球になり、勝てるかなと初めて思った。そうしたら不思議と相手に守備の考えられないミスも出て、流れは完全にこっちに来た。後半はまったく打たれる気もせずのびのび投げて被安打3、奪三振5で完投し、大番狂わせの11対2で大勝。翌日の日本語新聞の一面トップを飾った。甲子園でいうなら21世紀枠の都立高校が大阪桐蔭でも倒したみたいな騒ぎになった。

後列、右から3人目が僕

午後の飛行機でコロラドに帰ったが外村さんのご指示で持ちきれないぐらいのインスタントラーメンやお米をご褒美にいただき、学校でみんなに配ったら大評判になった。試験のことはからっきし記憶にないが、無事にウォートンへ行けたのだからきっと受かったんだろう。ということはシコシコ勉強なんかしてないで野球でサボって大正解だったわけだ。やれやれこれで大仕事は果たしたと安心したが、それは甘かった。翌週末の2回戦も来いの電話がすぐに鳴り、三菱商事戦だったがまたまたバント作戦でかき回し、10対0の5回コールド、僕は7奪三振でノーヒットノーランを達成した。また勝ったということでこの先がまだ3試合あって、フィラデルフィアからも2度アムトラックに乗って「出征」し、日系企業45チームのビッグトーナメントだったがいちおう準決勝進出を果たした(プロの投手と対決した思い出)。

コロンビア大学ベーカー・フィールドのマウンドに立つ(1982年8月29日)

準決勝で敗れたがそこからが凄かった。決勝戦と3位決定戦はルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカー・フィールドで行われたからだ。そんな球場のマウンドに登れるだけで夢見心地で、けっこう普通のグラウンドだなと思ったがアメリカ人の主審のメジャーみたいにド派手なジャッジがかっこよくてミーハー気分でもあった。ベースボールってこんなものなのかと感じたのも宝物のような思い出だ。この試合、まずまずの出来で完投したが、相手投手陣が強力で攪乱戦法がきかず4対2で負けた(被安打2、奪三振5)。思えばこれが人生での最後のマウンドになった。本望だ。甲子園や神宮では投げられなかったけれど、すべてが外村さんのおかげだ。

外村監督が4位の表彰を受ける

残念ながら初陣は優勝で飾れず申しわけなかったが、この翌年、ウォートンで地獄の特訓みたいな勉強に圧倒されていた僕は外村さんがアリゾナ州立大学の投手とハーバードの4番でヤンキースのテスト生になった人を社員に雇ってついに念願の優勝を果たされたときき、おめでとうございますの電話をした。我がことのようにうれしかった。アメリカで仕事する以上は野球で負けられんという心意気には感服するばかり。遊びの精神がなかったら良い仕事なんてできない、こういうことを「たかが遊び」にしない、やるならまじめに勝つぞという精神は、仕事は本業だからさらに勝たなくてはいけないよねという強いスピリットを自然に生むのだ。僕みたいな若僧を委細構わず抜擢して火事場の馬鹿力で仕事をさせてしまう野村のカルチャーも素晴らしいが、それをああいうチャーミングでスマートな方法でやってのけてしまうなんて外村さん以外には誰もできなかった。

大会委員長から「最優秀選手賞」のトロフィーをいただく

試合後の表彰式で4チームの選手がホームベース前に整列した。各監督への賞品授与式が終わって、いよいよ選手一同のお待ちかね、今大会の「Outstanding Player賞」(最優秀選手賞)の発表になった。緊迫したプロ並みの投手戦となってスタンドがかたずをのんだ決勝戦、1-0の完封で優勝した神山投手(甲子園選抜大会で岡山東の平松政次に投げ勝った人)に違いないと誰もが思っていたらマイクで呼ばれたのは僕の名前だった。一瞬あたりがシーンとなる。各チームのエースの方々の経歴は優勝が阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)、2位がヤンキース、3位が読売ジャイアンツで素人は僕だけ。しかも4位だ。何かの間違いだろうとぐずぐずしていたら、その3人の大エースがお前さんだよ早く出てこいと最後尾にいた僕を手招きし、そろって頭上であらん限りの拍手をくださった。ついで周囲からも拍手が響き渡り、あまりの光栄に頭が真っ白、お立ち台(写真)では感涙で何も見えていない。

それもこれも、外村さんの電話からはじまったことだ。このことがその後の長い野村での人生で、海外での証券ビジネスの最前線で、独立して現在に至るまでの厳しい道のりで、どれだけ自信のベースになったか。後に社長として赴任されたロンドンでは直属の上司となり、英国では英国なりにゴルフを何度もご一緒しテニスやクリケットも連れて行っていただいた。国にも人にも文化にも、一切の先入観なく等しく関心を向け、楽しみながらご自分の目で是々非々の判断をしていくという外村さんの柔軟な姿勢は、ビジネスどころか人生においても、今や僕にとって憲法のようなものになっている。

そこからは仕事の上司部下のお付き合いになっていくわけだが、常に陰に日向に気にかけていただき、ときに厳しい目で苦言もいただき、数えたらきりのないご恩と叱咤激励を頂戴してきたが、誤解ないことを願いつつあえて本音を書かせていただくならば、僕から拝見した外村さんの存在は副社長でも上司でもなく、すべてはあのコロラドの朝の電話に始まる野球大会での絆にあった気がする。だから、まず第1にグローバルビジネスの酸いも甘いも知得されなんでも相談できる大先輩であり、第2に、延々とそれだけで盛り上がれる、野村には二人といない野球の同志でもあられたのだ。

きのう、外村さんの旅立ちをお見送りした今も、まだ僕はそのことを受け入れられていない。9月10日にある会合でお会いし、ディナーを隣の席でご一緒したがお元気だった。その折に、どんなきっかけだったか、どういうわけか、不意に全員の前で上述のニューヨーク野球大会の顛末をとうとうと語られ、

「おい、あのときはまだ130キロぐらい出てたよな」

「いえ、そんなには・・・たぶん120ぐらいでしょう・・・」

が最後の会話だった。11月1日にソナーが日経新聞に載ったお知らせをしたら、

東くん
何か新しいことに成功したようですね。おめでとう。
外村

とすぐ返事を下さった。うれしくて、すぐに、

外村さん
ありがとうございます、少しだけ芽がでた気がしますがまだまだです。これからもよろしくお願いします。

とお返しした。これがほんとうに最後だった。この短いメールのやり取りには36年の年輪がかくれている。おい、もっと説明してくれよ、でもよかったなあ、という「おめでとう」だ。でもわかってくださったはずだ。そして、もし説明していたら、外村さんはこうおっしゃっただろうということも僕はわかってしまう。

12月5日の夜、外村さんが逝去される前日に、なんだか理由もきっかけもなく、ふっと思いついてこのブログを書いていた。

寺尾聰「ルビーの指環」

あとになって驚いた。1982年だって?このブログはコロラド大学に向けて成田空港を出発し、外村さんからあの電話をいただく直前の話だったのだ。どこからともなくやって来たなんてことじゃない、あれから36年たってかかってきた、もう一本の電話だったのかもしれない。

外村さん、仕事も人生もあんなにたくさん教わったんですが、野球の話ばかりになってしまうのをお許しください。でも、きっとそれを一番喜んでくださると確信してます。ゆっくりおやすみください。必ずやり遂げてご恩返しをします。

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散策記

2018 NOV 7 16:16:49 pm by 東 賢太郎

100mクラブじゃない生き方っていいなと思うことがあります。そっちがずっと多数派ですし、そもそも楽だし。深く掘る人はだいたいがこだわりのために周囲を気にしない、だから孤独なのです。そんな犠牲を払ってでも「まあ、そのぐらいでいいじゃん」とはならないから、気がついたら100m掘っていたというわけです。

ところがそういう人を集めても友達にはならない。みな自分の井戸しか興味ないから話しても面白くないのです。ただ、ギョーカイは違えども「おぬし、ただ者でないな」とは思う。これ直感です。お互いが似た感じがして、何となく認めあってしまう。そして、自分を認めてくれた人を、人は好きになります。

ひとりでトムキャットで食事してガーデンを歩く。定番になってきました。

 

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紀尾井町ランチ事情

2018 OCT 14 9:09:26 am by 東 賢太郎

東京で働いたうち大手町では10年を過ごしている。日本橋も2年いたが、どちらかというと総合的には大手町が良かった。ただ困ったのは手軽にいける圏内のランチのクオリティが大変低かったことで、あんなのは食えたもんじゃない。「たいめいけん」や「紙やき」なんてのがある日本橋には数段劣るのである。いけると思ったのはみずほに移籍してよく使った旧興銀本店の鯛茶漬けと大手町ビルB2にある鰻屋の「ての字」ぐらいだ。ガード下のおばちゃんがやってる焼き魚定食屋も気に入っていたがもうなくなっていた。先日行ったら興銀本店ビルも消えていたし、隔世の感ありだ。

かたやそろそろ紀尾井町で8年になろうとするが、この界隈の食は昼夜ともレベルもコスパも高く大手町の比ではない。ランチがどうのというだけではない。それが象徴するわけだがここは永田町お歴々(自民党)御用達の高級お座敷街だ、グレード第一の界隈であってサービスを供する側のコスパはあんまり思慮されてない観がある(もちろんそれは別のところで大きく帳尻があっているのだが)。万事商人がそろばん勘定で地代を決めて住人がしっかり徴収される大手町、丸の内とちがって、紀尾井町では我々居住民までセンセイがたのご相伴にあずかってごっつぁん感があるのが8年の偽らざる実感だ。まあ遠回りの減税かな。

そういう事情もあるとはいえ、なんでかんで大手町、丸の内というのはちょっとみっともない。東京育ちでないお金持ちがやたらと田園調布や成城に住みたがるのとどこか似ていているのであって、僕など紀尾井町の次はそっちなどという気はさらさらないし、この仕事で銀座や築地や品川というのはもっとない。というか、あり得ないのだ。これは東京の人でもわかりにくいし、お袋に仕込まれた感覚のようなものなのだろうと思うがうまく言葉で説明するのは難しいことだ。

日本画家の千住博さんによると、土地、風景というのは行きたい所、遊びたい所、住みたい所、死んでもいい所の4つあるそうだ。僕にとって大手町はそれ以前のカネを稼ぐ所、紀尾井町は住みたい所であるぐらいかけ離れている。そもそも低地が嫌いで、皇居の高地である半蔵門側(FM東京あたり)より元は江戸前の海で低地だった大手町、丸の内が格上だなどという意味がまったくわからない。いま棲みついて10年目になる国分寺崖線ももちろん高地だ。昨日も多摩川の花火を遠目に眺めながら思ったが、死んでもいい所がここかどうかまではまだ知らないが、それが低地になることは金輪際ない。

先週ニューオータニの担当の方に「何かご不満はございませんか」ときかれたが、あいにく全然ないものだから、「とても心地良く過ごさせてもらっています」と答えた。なにせこのホテルは井伊家の屋敷跡で敷地が巨大であり、庭園はもとより建物を散歩しても飽きることがない。おまけに食事の質も不満がない。例えばガーデンコート6階にある「KATO’S DINING & BAR」は奥の料亭「千羽鶴」とキッチンを共有しているから当然うまい。ここのカツ丼は東京で一番である。自民党総裁選で安倍陣営がふるまった「食い逃げ事件」のカツカレー、あれはメインにある「SATSUKI」の3500円のに違いないが、それだけ払うならこっちのカツ丼だと僕は思う。

遅いランチとなると最近はザ・メイン アーケードまで遠出して「ペシャワール」か「トムCAT」にお世話になっている。アーケードという区画はオークラも帝国もそうなのだが今どきはなんともいえぬ異界の風情なのであって、昭和の濃厚な残り香がたまらなくて時々ぶらっと歩きたくなってしまう。そうなると、そこで期待する食もレトロにならざるを得ない。うまくできたもので、そこにそういう軽食がある。ペシャワールのカレーはインド風でもなく店名由来のパキスタン風でもなく、見た目はいたって日本のカレーライスなのだが、香辛料なのだろうか黒みがかった色調の異国的な味がする不思議な食べ物だ。

トムCATは一見ありきたりの洋食屋だが、ここのスパゲッティ・ナポリタンはあなどれない。必須レシピの玉葱、ピーマンにシーフードが適度に加わって風味を添えており、麺の茹で具合も抜き差しならぬ絶妙さでケチャップ味もバランスがとれている。供される熱々具合も文句なしだ。先日は初めてナポリタン以外のカキフライを頼んだが、大ぶりのが4つとライス。あとはポテトサラダとキャベツだけでソースとマヨネーズが同量入った小皿が来る。実に簡素だが、いちいちが心憎い。「これが食たいんだろ?だったらこれだけ食いねえ」と挑まれてる感じがする。中の牡蠣の熱さが見事ですべて計算されている。ただ者でない。白人のきれいなお姉さんが流暢な日本語でサーブしてくれるのも一興。いつもこの人何かなとわけがわからないが、話しかけてみようかなと思うと英語は無粋だなやめとこうという気になるこの空間はやっぱり異界なのである。

たかが昼飯でこれだけ喜ばせてくれる。住んでもいい所なのはまちがいない。

 

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楽しかった「かむゐ」の20周年記念公演

2018 AUG 20 0:00:40 am by 東 賢太郎

先だって島口哲朗さんにディナーにの席でお招きにあずかったかむゐの20周年記念公演に行ってきました。

サムライとアニメは日本の宝である

そもそも20年続くものは何であれ本物でしょう。まがいものは時の波に飲まれて消えます。本公演に梅沢富美男さん、中村玉緒さんが届けていた熱い祝賀メッセージもお義理でなく本物でした。日本を愛する人は、一度ご覧になれば好きになると思います。ちなみに、かむゐが外国でどれだけ注目されているかはこちらのHPをご覧になればわかります。

http://www.k-kamui.jp/jp/homepage.php

多くのみなさん和牛は日本のブランド牛肉と思っておられるでしょう。しかしWAGYUと横文字で綴られるとそうとも限らないのです。「オーストラリアWAGYU協会」が1990年にでき、今は米国WAGYU協会(本部アイダホ州)まであるのをご存知ですか?WAGYUの高級ブランドイメージだけは日本が作ってあげて、それのナンチャッテ版である米国産、オーストラリア産が世界を席巻してしまうかもしれません。

同じように、は今のところ日本人だということで世界にブームが広がりつつありますが、SAMURAIと横文字になるとだんだん国籍不明になるのは和牛と同じではないかと危惧するのです。ただ刀を振り回せば格好いいという若者が欧米に増えてます。それが独り歩きすると、そのうち中国や韓国がルーツだぐらいの法螺吹きが平気で始まるだろうし、そのスピリットである武士道とかけ離れたものになるかもしれません。

百歩譲って食べ物は構わないのです。しかし侍は武士道と関わり、武士道は決して殺戮のための教えではなく、武士階級の倫理・道徳規範であって支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことを求めたもの、いわばノブレス・オブリージュに相当するものです。昨今のわが国の政治家、官僚、経営者、指導者においていかにそれが希薄化してしまったかは皆さんお感じになっているでしょう。

経済大国になることで一流国の地位を得たわが国が、金満国家としての下衆な扱いではなく一定の敬意も得ていたことを僕は16年の海外生活でどんなにありがたいと思ったことか。それはなぜか?日本人が心の底流に持っている和の精神への敬意があったからです。

住んだ5か国どこでも外国人の部下たちが仕事の中で「日本人はわからない」「どうしてそうするのか」といろいろなことで言ってきました。良い方にも悪い方にも言われましたが、僕はいつもこう答えたのです。「それは英語になりません。日本にしかないものは日本語で覚えてください」。そうして「WA」と「BUSHIDO」を教えました。

僕は日本人の奥ゆかしい精神の底流にある武士道だけはナンチャッテは勘弁してほしいと思っています。だからかむゐに出会った時も、実はやや疑いの目で見ていたのです。しかし彼らはそうではなかった。僕が消えないで欲しいと願っている、まさにその精神を殺陣という見栄えのするパフォーマンスで万人に分かり易く体感させるものだと知り、応援しようと決めました。KAMUIとしてあえて横文字で、チャンバラ劇ではなく武士道というスピリットとセットで日本文化を体感していただく場として世界に広まればいいなと思います。

10月31日にイタリアのフィレンツェでかむゐリーダーの島口哲朗氏の日本人初の「文化芸術賞」授賞式があります。式場は現存する世界最古の薬局であるサンタ・マリア・ノヴェッラ本店です。これは欧州文化に深く根差す「クラシックなもの」とサムライ・アートの融和の起点となるでしょう。個人的なことを言えば、伊賀の影丸で字を覚え、三匹の侍やクロサワ映画で育った僕としても自然な感じをいだいております。

本日の公演でも第1部は邦楽(尺八、横笛、太鼓・鐘、胡弓)が背景の音作りをして、素晴らしい幽玄で静寂な空間を演出。音楽的にも見事でした。これは完全にクラシック音楽と言ってよく、殺陣は命のやり取りをイメージしたものですからシリアスな題材でありそれがよく似合います。第2部の背景は小林未郁さんのオリジナル曲のピアノ弾き語り、和太鼓、津軽三味線と、これがまた大変な水準の演奏であり、音だけでも十分に僕を満足させるものでした。

殺陣は演劇やダンスの要素もありますが、音楽が必ず背景にある演出はKAMUIの強みですね。オペラにもミュージカルにもなる。これが西洋人にアピールするのは僕の経験から思うに必然です。そうなるとナンチャッテ・サムライの跋扈が心配でなりません。ぜひ日本人の皆様が一度ご覧になって、灯台下暗しにだけはなりませんよう願っております。

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サムライとアニメは日本の宝である

2018 AUG 10 0:00:00 am by 東 賢太郎

きのうはハリウッド映画「キル・ビル」に出演した俳優でカリスマ殺陣師の島口哲朗さん(島口哲朗 – Wikipedia)、「進撃の巨人」のボーカリストで世界のアニメファンに著名なシンガーソングライターの小林未郁さん(小林未郁 – Wikipedia)と会食しました。

島口さんが主宰するサムライ・アーチスト集団の「剱伎衆かむゐ」(けんぎしゅう かむい、剱伎衆かむゐ | official website | プロフィール、)は海外で大ブレークしています。いまやニンジャ、サムライ、ブシドーは英語。世界中でブームになりつつあり、アメリカはもちろん今年はチェコ、フィンランド、ポーランドでも公演し、10月にはイタリアの文化芸術賞の受賞でフィレンツェに招かれるなど破竹の勢いです。

ご縁の発端はオンラインTV会社ネクサスが島口さんの動画撮影をしたこと。同社COO岩佐君の人脈ですね。「かむゐ」の殺陣の舞台も観ましたがアートとしても美しく、僕は島口氏がサムライ・スピリットを海外で広めてくれると確信し会食に至ったのです。また、小林さんのアニメのほうも海外人気は半端でなく、パリで毎年行われる日本のアニメなどの博覧会「ジャパン・エキスポ」はフランス人が28万人も集まる。そこで彼女はひっぱりだこなわけで、今日はマニラから東南アジアツアーですでに旅立たれました。

そういうことを日本人があまり知らない。かくいう僕も初めてで、サムライ、アニメは重要な輸出品になりつつあるのは知ってましたが、経済的なメリットのことよりも、それを通して日本人が尊敬されているという事実の方が僕にはとても重たいと思います。キル・ビルの監督のクエンティン・タランティーノやサッカーのロナウジーニョやブラジルの大統領まで島口さんのファンになり、刀や帯を欲しがりサムライ・アートにハマってしまったようなのです(ロナウジーニョ選手Instagram https://t.co/ggWCsUphkr)。

海外で16年生活しましたが、日本の工業製品が評価されたり株式時価総額で米国を抜いたりしてもそれで日本人が尊敬されるということはありませんでした。白人社会で東洋人はまだまだ差別されており、不愉快な経験がたくさんあった。サムライ、アニメはそれを根底からくつがえし、我々日本人を尊敬までさせてしまうというのはバズーカ砲なみの威力があるということです。大事にしない手はありません。

広く海外で舞台に立つ傍ら、殺陣を教える道場を主要都市につくり、Kengido(剱伎道)を広めたいという島口さんの燃えるような情熱には共感しました。先日、ロッテのサブロー選手に感じた「熱くていい奴」、同じものを島口さんにも感じたのであります。Kengidoを広めることは武士道を広めるということでもあり、古くから日本人のもっている「卑怯なことをしない精神」を外国人に知ってもらうことは国益にもなると考えます。

敗戦国ゆえにあることないこと言いたい放題言われてしまっている我が国。忸怩たる思いを抱くばかりですが、世界の青少年がKengidoを習って武士道を地道に知ってくれればいいのです。「そんなこと日本人がするわけないでしょ?」という最強の反論になるではないですか。

 

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