2025年の年頭所感
2025 JAN 3 23:23:10 pm by 東 賢太郎
新年あけましておめでとうございます。
我が家は鮨屋を7人予約しておいて3人インフルでダウン。戸をガラっと開けて悪いなあと謝まろうと思ったら大将もダウン。流行ってますね。ここの鮨は旨いぞと教えると従妹夫婦が食べたいというので合流。昼間っから散々飲み、酔い覚ましは自由が丘のカフェ・アンセーニュ・ダングル。箱根はよくいっしょに行ってるけど爺さんゆかりの横浜、長崎も行くかとなってお開き。いい正月でした。
従妹は母の姉の娘で、幼時は両家をしょっちゅう行き来して僕のだらしないところをぜんぶお見通し。今もそのまんまなんでわかってる人は気楽。いつ来てもいいよってことになってます。元慶応ボーイの夫君は同期であり偶然に共通の知人もあって話がはずみます。医者家系で住む世界が違うのでロンドンやニューヨークできいたロスチャイルドの話みたいなのは中々ぶっ飛んだものらしく、でも世の中本当にそうなってるのよってことで時間があっという間でした。
今年はトランプ時代の幕開けで何が起こるか誰もわかりません。AI、サイバーセキュリティ、ヘルスケアは良いですね、2020年から暗い世の中だったので人の心を明るくするものにも注目です。
本年も皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
スーパー買い物から見る夫婦別姓問題
2024 NOV 17 16:16:18 pm by 東 賢太郎
日々の食材の買い物というとすっかり家内におまかせだ。なにせ新婚生活を始めたアメリカではビジネススクールの勉強、その次のイギリスでは仕事、とにかく気絶するほど忙しく、スーパーは行ったことぐらいはあっただろうが記憶がない。ドイツ、スイス、香港もその延長でおなじようなものであり、だからその次にやっと定住した日本だって、まあ一緒に行くのは年に2,3回というところになっている。
給料はというと、親父はぜんぶは渡してなかったとみえて母は足りないとこぼしていたが、僕はそれを見ていたので最初っから家内にぜんぶ渡している。というと良い亭主のようだが特別な事情があった。当時の野村證券は留学は独身者のみであり、僕は外国で一人じゃあ生きていけないから先に結婚させてくださいと人事部長に申し出たら認めていただいた。わがままを言ったのだから生活費が増えるはずはない。日本での手取りは10万円ぐらいで、当時の為替250円だと月の食費は二人で400ドル。激貧生活で栄養失調ぎりぎりだった。卒業してイギリスで仕事に戻って少しは増えたが、僕は家事はいっさいできないからぜんぶおまかせ、全額お渡しでいまに至る。それでもまだ下っ端でかつかつだったが仕事に100%集中させてもらい、おかげでドイツからは少しえらくなって楽になった。
きのう、何か月ぶりかで家内とスーパーに出かけた、というか、ついて行ったというのが正しい。おやつがきれたからだ。そうなると僕は夜型のうえ食い意地が張っていてがっつり夜食をしてしまうから、低カロリーおやつでごまかす必要があるのだ。
日本のスーパーは何度か一人で来た。物を買うときは慎重な性分だから本屋やCD屋で売り場を隅々までチェックして3,4時間迷うなんてザラである。食品ともなれば品質、グレードはもちろんのこと、ナッツやビスケットや昆布はグラム換算の値段を計算するし、オリーブ、チーズ、蜂蜜、甘味類などはホンモノかどうか産地、添加物、色素までもチェックする。そうやって売り場であれこれ手に取って迷っていると、きまって困った事態になるのだ。周囲の人の流れが渋滞し、カートのご婦人方にじろじろ見られる。スーツの男がひとり、しかもカゴもなしだったりして、何なのよこの人、邪魔よねという冷たい空気に包まれるのである。
というわけで、家内について行くに限る。この日は夕食の鍋の具がメインだった。タラがいいと思いこれかなと切り身を渡すと、これよりこっちと瞬時に切り替えられる。値段はそっちのが高いがなぜかは不明だ。そうこうして、僕はヨーグルトを真剣に悩んだりしたのだが、ブルーベリーが入ってるからこっちねと問答無用、全部が即決でカートに積み上がり、ものの30分で一陣の風のごとく買い物は終了した。アイスクリームの氷の手配やらポイントがどうのやら彼女はプロフェッショナルである。そこで「最近物価は高いの」と聞くと知らない。「だって海外でね、子供を3人学校に迎えに行くのよ、買い物はそれまでにさっと済ませなきゃいけないからあるだけでいいの、値段なんか見てられないでしょ」。たしかにドイツやスイスなんか子供は危険だし、日本人に食えるものがあるだけで貴重だったっけ、なるほど、それがそのまま来てるのか。タラは美味であったしお菓子類も不満なしで、迷うのは時間がもったいないのかもしれないと思った。
ことほどさように、主夫というか、domestic(家庭の)回りのことはすべからくだめである。それには根っこがあって、小学校で弁当を食べ終わるのは常にビリ、手先が不器用でボタンをしめたり靴ひもをささっと結ぶなんてのがだめで体育の着替えもいつもビリ。キャンプに行ってもあらゆる仕事に何の役にも立たずはじかれる。中学の書道は最低のDで、万力だか旋盤だかで本棚を造ったりする工作や技術家庭なんて科目はまるっきしお呼びでなく通信簿はいつも2だ。中学まで体もチビでやせっぽちでケンカも弱く、クラスで目立つなんてことはまるでなし、自分は男として劣っているとコンプレックスにとらわれていて、同級生の女子にはそれを知られまいと身構えていた。
長じてもその事態は変わらず、だから女子にこっちから近づこうなんて気はさらさらおきない。できないものはできないのだからそれがバレて赤恥かいて自尊心が傷つくのが嫌だったのだ。ところがだ。そういうダメ男であることは、多少なりとも僕を知った女性にはどう隠しても見ぬかれていることがだんだん明らかになってきたのである。アンタだめねと見る女性もいるがそうでない女性もいる。それどころか欠陥をぜんぶ補ってくれて本棚まで造れてしまう女性もいることがわかり、それが家内なのだが、するとそういう部分は “ヒモ” になって気にする必要もない。積年の劣等感から解放され、得意なことだけに傾注すると僕は意外に強かったというwin-winの分業ができることになった。
日本経済の失われた30年で、特に男性は経済的な事情から結婚が難しくなっていると聞くが、そうでなくても難しかっただろう半端者の目から見ると心が痛む。僕はどうひいき目に見ても優秀な男子だったわけではなくもっと上の人がいくらも周囲にいたが、たまたま生まれた時代が今よりはましで少々の運があったということなのだ。時代ということでいえば、いまの対米従属の政治はいかんという主張を書いているが、僕の時代も従属だったのだからそれだけが30年ロスの原因ではない。アメリカも元気がなくなったからこうなった面も大いにある。だめな国に全面的従属を続けても未来はないだろうと思うのであり、日本はオンリーワンの歴史、知恵、国民性を持った国で、これを成長の源泉とする方法は必ずあり、自尊心を持ちながら経済的に独立独歩の道を歩めて何ら不思議ではないというのが主張なのだ。
そのためには男性も女性も幸福な家庭を築くことがとても大事だ。述べたように僕は一人で何もできないし仕事の能力も大したことはないが、欠陥を妻に補ってもらえたからフルスロットルでアクセルを踏むことができた。要はそうやって1+1が2より大きくなれば家庭の経済はうまくいき、その集合体としての日本経済もたぶんうまくいくのである。家庭と仕事の役割分担で男女逆転があっても何らおかしくなく、高学歴の女性は高学歴の男性と釣りあうなんて前世紀の遺物みたいな発想は捨てた方がいい。前世紀の男は、僕もその一人だが、自分より勉強や仕事ができる女性はあんまり求めなかったのは事実かもしれない。しかし今どきの世の中だ、たまたま男に生まれたけれど女性的な仕事が得意で家庭を支えてくれるやさしい “マスオさん” はいるはずだ。彼は男性社会で競争するより高学歴女性とペアになって本分を発揮できる。女性は後顧の憂いなく思いっきり社会で活躍すればよく、そんな例が増えれば社会の目も変わる。女性活躍社会などとはやして男性社会に無理やり隙間を作ろうという政治努力より男女の結びつきで女性が実力で社会を変える方が自然なのではないか。
僕は学生時代からユーミンの熱烈なファンだが、彼女が結婚して松任谷由実になったことで松任谷氏に羨望をおぼえた。天下の荒井由実様が旧姓でとおせるのに改姓した、いや、させた。すごい男だ、そんなにモテてうらやましいと嫉妬したものだが、あえてそういうことにしたユーミンさんのほうも大したもんだなんて気もしていた。だってそうされてごらんなさい、旦那はプライドにかけて必死に働くしかない。夫婦というのはそうやって1+1が2より大きくなる可能性を秘めたジョイントベンチャーでもあり、どっちの姓が上だ下だ好きだ嫌いだなんてなればみすみすwin-winのシナジーを求める精神を消すようなものなのだ。金融再編で3つも4つも銀行がくっつき、統合された側のメンツで新社名は金魚の糞みたいに奇怪で長く、当の社員さんすら言い間違えたなんてジョークが流行った時代があった。そういう結婚ならば僕は見送る。ウチの3人の子は東を名のって成人したので僕が何かやらかして家名を傷つけたら末代まで響く。普通の日本人ならそう思うはずだ。というより、それが日本人であり、日本社会のモラルの下支えというもので、サッカー場のごみをサポーターが片づけて帰っただの、震災で濁流にのまれそうだったお婆ちゃんを数人の若者が命を賭して救う画像に世界が拍手しただの、そういう我々には何でもないことが「日本的なるもの」を根っこで支えてきたのである。
もう一度書こう。日本はオンリーワンの歴史、知恵、国民性を持ったユニークな国で、ゼロからそれを凌駕しようと思えば、日本が日本たるべく辿った来し方である1500年ぐらいはかかる。だからそう試みるほど気の長い国は絶対に出てこない。いわば秘伝のタレを持った老舗のような存在なのであり、それを上回ろうと狙う連中はなんちゃってコピーをするか、目の上のたんこぶは邪魔だと日本という国柄を潰してしまおうとするだろう。そういう勢力に負けてしまって得をする日本人はいない。そいつらのポチになって一時の利得は得ても、相手は所詮は犬ころと思ってるのだから子孫は捨てられる。だから、絶対に負けてはいけないのである。日本国の、歴史の、文化の、言葉の、考え方の、あらゆる奥ゆかしさユニークさは、持ってない異国人からすれば究極の羨望の的であることは、16年海外から母国を眺めた者として断言できる。いずれすべての異国がそれに気づく時が来る。ということは、明治維新のようにそれを自ら破壊する愚を犯してはいけない。国民が誇りをもってそれを「成長の源泉」とする方法さえ考案すれば無敵なのだから、潰す側につくより無敵側についた方が圧倒的に賢明なのである。その方法が何か、いま僕は知らないが、必ずあると信じる。1500年の先人の遺産があるのだから、どうしてそれができたかを自分で考え、じっくり得心するまで先人に学べばいいのである。それは司馬遼太郎を読んで、日露戦争までの美点凝視で一時のカタルシスの解消を求めることではぜんぜんない。まして、また尊王攘夷で鎖国して外国を追い出しましょうなんてものでもない。むしろ、日本人が最も見たくなく、砂漠のダチョウのように砂に頭を突っ込んで回避していたい80年前の敗戦と国柄の喪失という歴史の負の部分を直視し、徹底的に「失敗から学ぶ」のである。日本人が本気になりさえすれば、我が身がこうして平穏無事に存在していること自体が成功を保証しているようなものだというアドバンテージに誰もが気づくと信じる。
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西田敏行さんの訃報
2024 OCT 20 0:00:03 am by 東 賢太郎
昭和の役者がまた一人。蛭間重勝は5本の指に入る好きな役でずっと演じていたかったと。あんな味が出せる人、もういないんじゃないか。大好きでまとめて見てしまったのがもう5年も前か、大事なものが消えていった気がする。映画を観ます。
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ロマネ・コンティな休日
2024 OCT 17 23:23:56 pm by 東 賢太郎
遅くおきたのか二度寝だったのかは覚えがないが、先だっての休日の昼ごろだ。どっちでもいいのだが僕は日記をつけていてそんなことも気になったりする。台所におりていくと、次女が来ていてカレーあるよという。じゃあ少しもらうかなと淵が広いお気に入りの皿を食器棚からとりだした。ご飯をよそう。ここまではいい。この先が問題なのだ。スープカレーが好みなので鍋からおたまでかけるとき、どうしてもポタっとしずくが垂れてしまう。純白の皿の淵に点々がつく。きたない。食べ物は見た目が大事で、せっかくのカレーがだいなしになるのだ。
これが嫌でいつもやってもらうが、この日は家内がいない。仕方なく、細心の注意を払い、積み木くずしのてっぺんにのっけるみたいにそうっとおたまをもっていったが、くそっ、どういうわけなんだろう、おたまの裏側にあったらしいのが垂れてしまった。
ここで条件反射的に出た負け惜しみは自分でもちょっと意外だった。
「こういうのはね、清少納言さんなら ”すさまじきもの” に入れるんだよ」
「ものづくし」と呼ぶ部分のことである。枕草子にぴったりのシーンがあり、何かをこぼしてあれまあと嘆いたんだろう、「物うちこぼしたる心地、いとあさまし」と思いっきり書いている。しかし僕は驚いたりがっかりしたり嘆かわしいと思ったわけではない(それが「あさまし」の意味」だ)。食卓にふさわしくないきたない点々がついてせっかくのカレーが不味く見えてどっちらけなのだから「あさまし」でなく「すさまじ」だろうととっさに判断したわけだ。
女史のやや斜に構え分類好きな精神を自分も持っているからだろうか、枕草子は大好きで繰り返し読んでおり、けっこう覚えてしまっている。彼女が何を思ったかもあるが、そうくるかと心のはじけ方が面白くてたまらないのだ。「すさまじ」は興ざめだの意味であり、頭のいい彼女はそう感じた物事をたくさんおぼえている。それを矢つぎ早にアレグロのテンポでたたみかけられると音楽的な快感を覚えるのだ。文学として異例であり、僕の嗜好にストレートに効いてくる。
ところが、「すさまじきもの」の段にある 「昼に吠える犬」 と 「贈り物が添えられていない手紙」 のあいだの共通項がどうも読み解けない。もしかしてそれはいまも世間のそこかしこにあるもの、すなわち女性の柔らかな感性のようなもので結ばれているのではないかと思った。そこでネット検索をしていた矢先、清川 妙さん(1921 – 2014)のこれを見つけて目から鱗が落ちた。
第八回 すさまじきもの – うつくしきもの枕草子 : ジャパンナレッジ (japanknowledge.com)
不調和からおこる興ざめな感じ、しらけておもしろくない感じ、それが「すさまじ」である。夜を守ってあやしい人に吠えかかるべき犬が昼に吠える、願望という心の容れものに、成就という中身は入らず、からっぽのままで、心は寒い。「除目に官得ぬ人の家」のくだり全部には、清女の父、清原元輔の姿があると思う。幼い日から、彼女は父の失意の姿をその目でまざまざと見て、周囲の人々のありようも心に刻みこんだのであろう。ここの描写は精緻をきわめ、人々の息づかいも聞こえるほどの臨場感がある。清女は自分の体験をぐっと濃く投影して、ときには涙ぐみながら、この部分を書いたと思う。
そうだったのか。清川さんの解説文が、これまた清女の文のように平明でぐいぐい心に迫る。文書はすべからく漢文体だった平安時代の宮中の男性にこの細やかな描写ができるだろうか。もしも現代に文字がなく、書き言葉は英語だったと空想をたくましくしてほしい。無理だろう。男が繊細でなかったわけではなく、公の場で文(ふみ)にしたためたり他人に読ませたり後世に書き残したりする媒体が異国語である制約は重かったと思うのだ。
ところが平仮名という表音文字が発明され、口語をそのまま音化できるようになった。枕草子と源氏物語の作者が女性であったのは平仮名が女文字だからだが、それが単一の理由ではない。百年も前に紀貫之が土佐日記を書いているからだ。語り手を女性に仮託した誰もが知る「男もすなる日記といふものを」の出だしは、「日記」は男が漢文で書く公的記録だけれど女がまねして仮名で書くんだから容赦してねという形態、フィクションを装って平仮名の利点をフル活用するためだった。
かような筆者と語り手を分離する手法はサスペンスでは常套手段だ。アガサ・クリスティが利用して世間をあっといわせた某著名作品があるが、千年も前にそれをした貫之の優れて知的な創造は日本の誇りであってもっと世界に知られていい。女性への仮託の本音は日記への仮託である。日記は本来広く他人に見せるものではないから冒頭から矛盾しているのだが、和歌の枕詞、掛詞と同様に読者と想定した貴族ならわかってくれる仕掛け、言語遊戯だよという宣言であり、大人の読者はにんまりとしてそう合点して読んだ。20歳ごろから日記を書いてそれがいまブログになっている僕も貫之の気持ちがわからないでもない。
彼は愛娘をなくした慟哭や、帰京をはやる思いなど心の襞まで書きたかったのだ。そのために仮名文字の利用こそが重要だった。「古今和歌集」の選者であるエリートが裃(かみしも)脱いで自由に羽ばたいたそれは、ハイドンに擬すという立て付けでそれをしたプロコフィエフの古典交響曲のように軽やかだ。ただ、男の悲しさを感じてしまうのだが、地位も名誉も家族もある貫之は裃を脱ぐにも格式と品位と教養を漂わせる必要があったのだろう、全部は脱ぎきれないもどかしさがあるようにも感じる。
後世に大ヒットしたのが革命的なレトリックを生んだ土佐日記でなく両女史の作品であったのは男として些か残念ではある。彼女らは初めから裃など着ておらず、藤原氏の権勢のもと、権力者の庇護さえ得ていればあっけらかんと貴族の裏話、スキャンダル、人事、色恋沙汰を開陳できてしまった。いつの世も週刊誌ネタは最強のコンテンツだ。しかし週刊誌が古典になったためしはない。それをエッジの利いた女性の目でえぐり出して時にシニカルに時にやさしく描いて見せた清少納言、ネタに尾ひれをつけるどころかワーグナーばりの壮大なフィクションにしてモデルの人物を想像させた紫式部。稀有な才能あってのことだ。
女性だから書けたということについては別な要素もぬぐい難く存在する。口語の駆使ということになれば圧倒的に女性の独壇場であるという事実が存在するのであって、たとえば家内とけんかになると、あなたはあの時もああだったこうだったと、何十年も前のことであるどころか、あったことも忘れてる大昔のいさかい事までを立て板に水の如くまくしたてられ、勝つみこみというものはまるでないのである。女性は手数も多いが、実は分類だって得意だったのだ。
3時ごろになって従妹夫婦がやってきた。ワインがわかる人たちだ。うちは酒飲みがおらず、そうでもないとあけられないのが3本あってずっと気になっていた。テーブルに並べてさあどれにする?ときくと従妹はロマネ・コンティ ・グラン・エシェゾー1989年を選んだ。そうか、これね、スイスで買って、いや買ってないな、きっともらいもんだよな、そっから香港もってって、そっから日本だからさ、空輸とはいえちょっと心配なんだよね、もうラベルがこんなだし、もし酢だったらシャトーブリオンのほうにしよう。そんなことをぶちぶちいいながらボヘミアングラスのデキャンタにトクトクそそぐ。おお、あの透き通ったルビー色だ、これだ、ひょっとしていけるかもしれない。
液体を口にふくむ。従妹が下した宣告は清女さんみたいに冷徹だった。
「ケンちゃん、残念だけどこれアウトね」
娘が追い打ちをかける。
「お父さん、これ世が世ならネットで66万円よ」
そうかそうか、まあいいんだそんなもん。この日2度目の負け惜しみだ。しかしこっちは「すさまじ」でなく「あさまし」であろう。
それからひとしきり家でわいわいやり、夜になってみんなで近くのイタメシ屋に行って散々酔っぱらった。「あのロマネはね、フルトヴェングラーの第九なんだよな」。この日3度目の負け惜しみは我ながらうまいことを言ったもんだと悦にいったが、宴はたけなわ、誰もきいてない。まあいつもこんなもんだ、清女さんならにんまりしてくれると思うんだが。
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自由が丘を走っての軍事的雑感
2024 SEP 16 1:01:15 am by 東 賢太郎
人間ドックで体重を5キロ落とせと言われた。2年ご無沙汰だったのは採血と胃カメラが嫌なのもあるが、コロナ入院から解放されて安心してしまっていた。その間にあれだこれだの数値がメタボ級になっており「このままだと糖尿まっしぐらですよ」と脅かされ、「5キロ落とせばみんな戻るでしょう」と励まされる結末に至った。ものぐさなのでシンプルな解決が好きである。よし、それならという気になった。
土手で転んだ傷もきれいになった。夜の9時ごろからのジョギングを再開したが、川は懲りたのでとりあえず自由が丘を目ざすことにした。この街、通過はすれどよく知らない。故中村順一が近くなので詳しく、行きつけの緑道沿いのナポリタンの旨い店とバーに行ったぐらいか。通りの表裏に居酒屋、ショットバー、あまり気取ってないイタリアン、フレンチもあったりと、世間ではこじゃれたイメージがあるが、江戸の老舗や個性的な中華などはないからあんまり興味ないというのが本音である。
駅前のロータリーから東横線のガードをくぐる。ラーメン屋、てんぷら屋のあたりにかけて看板やチラシを手にした男女がずらっと並んで客引きに忙しい。このごちゃごちゃした小路、「美観街」とあるがウィットだろうか。「自由」ってのも「なんたらが丘」ってのも、この辺は東急が開発するまで野っぱらだからで、良くも悪くも毒がない。新宿、渋谷、池袋あたりの裏路地のヤバそうなムードはないが、水清くして魚棲まずの感無きにしも非ずである。新しい街の住人はみな「移民」である。地縁がないからつき合いも希薄で共同体より個の意識が強い。ざっくりいえば、徳川時代の江戸だった東京の北東は村社会的で、南西は都会的だ。都会は個を気ままに貫けるが助け合いより競争的である。
自由通りの方に進むと、やおら高校生らしき男女が道にあふれ出てきた。9時半を回ってる。線路のあたりに駿台、河合塾、四谷学院、Z会などがこうこうと明かりをともしており、一斉に授業がはねたものと思われる。あたりに幼稚園の予備校まである。一緒に祭りの神輿をかつぐなんて土地柄でなく、都会の住民の子たちであろう。クモの子を散らすように猛スピードで暗がりに散っていった彼らは、本当に勉学が好きなのか親の管理下でそうなってるのか。ふと思い浮かべたのは「猫カフェ」だ。あんまりじゃれない猫たち。奔放にお客に嚙みついたりひっかいたりすると営業に向かないのだ、可愛そうにともう行ってない。
面白そうなのも見つけた。朝8時閉店までどうぞ、気絶するまで営業します!という人情居酒屋だ。こういうのがあるだけで元気をもらえる。それにしても徹夜で焼酎飲んで朝飯食って帰る奴ってどんなだろう、よほどの時差ボケか昼夜逆転した人か、いやいやそれでも普通は朝まで飲まないだろう。あんまりまじめなイメージはないが人間は面白いんじゃないか。イタリアみたいだなあと思う。奴らは明るくて遊び好きだ。クソまじめなドイツ人より面白いと思っていたらそのドイツ人だってアルプスを越えるとなぜか明るくなると自分で言ってたっけ。オペラやサッカーが11時ぐらいにはねてから騒いで朝帰りなんてあたりまえで元気であり、それでも優秀な奴がたくさんいたし、そんな中からヴェルディもプッチーニも出た。間違いない。人間力をつけるのは断然遊びだ。
このあたりに住んだのはプライベートは静かな処でと思ったからだが、転んで死んでても朝まで発見されないぐらい静かである。時に人恋しくなる。そういえば浅草は良かったぞ。演芸やお笑いが好きで仕方ない連中がたむろす人情味どろどろの世界で、恋も喧嘩もいいじゃないか、人間は持って生まれたものを全開にして生きた方がパワーも出るし幸せだ。落語、義太夫、見世物、そんな地酒、どぶろくの中にワインみたいなオペラを持ってくるとスッペのボッカチオが「ベアトリ姉ちゃん」に化ける。種子が根づいたのは鹿鳴館じゃない、パワー全開で人間くさい浅草だった。いやスッペなんてウィーンのどぶろくみたいなもんで、そういうかっこつけない生き方こそ正統派と思う。
明治の大衆はエネルギッシュだった。これがあったから日本は強国になれた。廃藩置県で幕藩体制が壊れ、刀もちょんまげも取り上げられたのだから武士の剣術でそうなったわけではない。ただ武士の子は藩校という世界に例のないエリート養成学校で幼時から文武を叩きこまれ、文にも武にもインテリジェンスのある傑物がいた。米英仏の口車で再三そそのかされても内戦をせず、無血開城で江戸を火の海にしなかった西郷と勝はそれであり、植民地にされる瀬戸際で命を賭したからそうなれたのであり、こういう者をエリートという。ガリ勉していい地位について国を売ってでも私益だけは守ろうなどという者を大量生産するなら、それは教育と呼ばない。
日本は西洋から船で来れば最も僻地である。米国からも遠い。外圧を防ぐ地の利はあったが、それでも薩長は大変にアウエーである英国と戦火を交え、ホームで大敗を喫した。弱かったからではない。徳川の世で戦さがなくなり、種子島の火縄銃を数日でコピーする知恵と器用さがありながら技術を進化させるには欧州に周回後れをとっており、気がついたらアームストロング砲の時代だったからである。だから両藩のインテリジェンスに攘夷などという言葉は最早ない。公武合体派の薩摩は薩長同盟で倒幕に切り替え、そこに「尊王」という定冠詞をまぶし国民国家の宣言となる王政復古の大号令を発して慶喜を賊軍に押しやった。我が国に王政の時代などなかったからこれは官軍の旗と同じくフェークであったがこういうことはやったもん勝ちである。
欧米は日本の何倍も大きい中国の解体を狙い、日本はそのための闘犬に仕立てるべく開国させて不平等条約で囲い込む戦略で一致した。明治新政府の「富国強兵」とは武器開発の後れをリカバーし、犬でなく人に昇格するインテリジェンスであり、これなくして不平等条約のタガがはずれることはなかった。その証拠に、英国が条約改正したのは日清戦争に勝って軍事力を認めてからである。これを愛国ともいえるが、犬扱いされた人間の当然のプライド、自尊心である。それを勝ち取るには軍事力が必要。きれいごとではないこと、実効性があることを北朝鮮が実証している。さらに闘犬は猛々しく露西亜も破り種子島での能力が伊達でないことを見せつける。これは欧米を恐怖させ、ワシントン海軍軍縮条約で主力艦の総トン数比率を米・英・日・仏・伊の軍縮に至り、対英米6割という屈辱を甘んじて受けたものの三大列強の一角になったのだから驚くべきことだ。戦後の高度成長は朝鮮特需であって新技術、新製品があったわけではない、まったくのアメリカさんの都合、棚ぼたであり、それを短期に供給できたことぐらいだ。我々が真に世界に誇るべきは近代国家の創成期に、短期間に軍艦建造大国になった工学力、つまり理系の技術である。
この過程で米国が将来的な仮想敵国となるであろう事を軍部は強く意識した。統帥権干犯問題を盾に単独行動を強化し、国際連盟脱退、ロンドン海軍軍縮会議脱退から巨大戦艦の「大和」と「武蔵」の建造を開始、そして、その行く末に対米戦争に至るのである。この戦争の終結において米国は総トン数から核弾頭数へと武器のフェーズを更新し、英国を蹴落として世界覇権を奪取した。それをもたらしたのは核開発に枢要な理系人材の確保であり、敵国ドイツでナチに殺されかねなかったアインシュタインらユダヤ人物理学者を迎え入れアメリカ国籍も与える戦略をとった。同じことが音楽界でもおき、ユダヤ系のワルター、クレンペラー、シェーンベルクなどが続々と米国に亡命した。日本は法律も科学も欧米から輸入しひたすら翻訳、コピーした。だから東大という富国強兵のための官僚を作る大学の学部は法医工文の序列になり、法は不平等条約改正、工は軍艦や兵器の製造(工学部が大学に入ったのは日本だけだ)、文は洋書の翻訳だった。いまだに序列はそのままだ。東大法学部卒は海外へ出ると何でもないが国内では幅を利かすルーツはここにある。
政治家に理系がおらず、そうでなくとも思考訓練をしていればいいのだがそれもなく、ド文系が国を支配しているルーツも無縁ではない。これは「世の中は理屈じゃない」と神風を信じる日本人の精神構造そのものにも膾炙しており、政治家に理系が揃う中国はそれを是非とも温存させたいだろう。日本は欧米の科学を迅速にコピーして世界をあっといわせたが、それにかまけて最先端の基礎理論から自らの手で新技術を生むことを重視しなかった。ナチスに迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで「東洋のシンドラー」と呼ばれた外交官、杉原千畝がいたのだからドイツ人物理学者は日本が保護する可能性もあっただろう。核爆弾はドイツも日本も研究しており、先に開発すれば広島・長崎は救われた。こういう手は奇策でも謀略でも何でもない、いわば喧嘩に勝つ悪知恵を考えて巧妙に手を回すインテリジェンスであり、米国ならCIAが堂々としてることで、だからその “I” が名称に入っているのである。杉原の善行を汚すことにはならない、なぜなら外国との虚々実々の立ち回りはそういうもののオンパレードであることは外国に住んで厳しいビジネスをした者にとっては常識であって、それでこそ国も助けた、国益に資する行為だったとなり、日本人は侮れぬと一目置く国際評価になるのである。「日本人はいい人だ」ではなんにもならないのだ。
くりかえす。米国にあって日本になかったのは情報(information)以前に諜報(intelligence)だ。真のインテリがいなかったのである。こういうことは学校でも塾でも教えない。わかるのは喧嘩や野球をしたり麻雀をしたりの「遊びの場」であると実体験から僕は確信する。秀才だけ何人いても国はだめなのだ。神国日本を信じ、理屈が嫌い、欧米が嫌いで反知性主義に傾きがちな保守的国民もそれで良しとした。そして、その嫌いな最先端科学技術で無抵抗に殺されたのである。無学の大衆は仕方ない、これは文系エリートの大失策である。最強の武器を持てば襲われることはない。自ら襲うことをせず日本人が古来より誇る賢さと謙虚さで生きていけば国民は安寧に生きていける。保守的国民、大いにけっこうだ(僕もその一部ではある)。しかしこれぞ幕末の「尊王攘夷」なのである。薩長は幕府に先駆けて英国と殴り合いの喧嘩をし、勝てないと知った。これがintelligenceであり、勝てない喧嘩をするのはただの馬鹿である。半藤一利氏は薩長史観を否定し尊王攘夷は倒幕の口実とする。その結果起きた戊辰戦争は暴徒と化した新政府軍の東北、越後への侵略戦争になってしまったという部分は同意するにせよ、薩長が動かねば国ごと英米の謀略と武力でじわじわと侵略され、明治維新などと美名がたつ国造りなどおぼつかなかった可能性がある。
「大和」と「武蔵」。僕は英国のヨークにある鉄道博物館で、新技術だった電気機関車にとってかわられる前、1938年に時速203キロを記録した最新式蒸気機関車マラード号を見た。この数字は驚愕だった。
ひとめで「戦艦大和」だと思った。奇しくも大和の起工は1937年である。英国の凋落、米国の勃興の象徴。新幹線ができる26年前に200キロ出した機関車を生む技術、安全走行させる保線技術もが世界一でないはずがない。きかんしゃトーマスのスペンサーとして今も愛されており、現在もマラード号の記録は破られておらず、ギネス世界記録にも「世界最速の蒸気機関車」として認定されている。しかし、電気機関車の出現で1963年に消える。時代遅れの技術で最先端に立っても意味ないばかりか、依存してしまえば自信をこめて国運を過つのである。世界に冠たる大和、武蔵は世界一のスペックを誇る戦艦であったが、完成したその頃に海戦の主役は戦艦から空母機に代わり、沖縄へ向かう途上に多数の米軍艦載機による攻撃を受けて鹿児島県の坊岬沖で撃沈された。だから国民を安寧に生活させるためには常に最先端で競って勝っていなくてはならないのは自明であり、なぜ2番じゃダメなんですかという馬鹿な女が政治家をやり、1番は保安官におまかせなどという精神構造が国民にできてしまえば、それだけで国家の滅亡は予定されたようなものである。
いま海軍軍縮条約は核軍縮条約になり、国際法はあっても拘束力は何もない。無法者が何千発でも核弾頭を装備しいつでもミサイルをぶっ放せる中で核保有なしというのは、西部劇で「殺し合いはいけません」と銃を持たない処女ばかりが住んでいる清廉な街のようなもので、それが今の日本である。守ってる保安官は実は自分たちを襲った奴であり、そいつは他の街で喧嘩を煽って何十万人も殺してる。こんなお人よしの街はないだろうというと、世界史上に前例がひとつだけある。カルタゴだ。案の定、いちゃもんをつけられ保安官のはずだったローマに撃ち殺されて歴史から消えた。いま総理になるとかならないとか言われてる連中はカルタゴの名前ぐらいは知ってるんだろうか、いやそれも危なそうだと不安になるのがちゃんと総裁候補に用意されているではないか。イケメン俳優で台本どおりにもっともらしくセリフを吐くのだけがうまく、何も考えずに保安官が飲み食いしまくった領収書を経理部である国会に通すだけ、それでも国民から人気をとる芸がうまい。すばらしい。保安官からすれば、日本国民から税金を巻き上げて何も考えずに自分に貢いでくれる、そういう壮絶な馬鹿をおだてて総理に祭り上げてもらうのが何よりありがたい。幸い国民はそこまで馬鹿でない。そんな職業に就きたくないから傑物が政治家にならない。政治は互助会みたいなファミリービジネス化して、ビジネスだから株主利益追求が目的となり国民の命などどうでもよい。これを変えるに派閥潰しなどは国民の目くらましで何の意味もない。我々は真剣に選挙制度を根底から変えないとだめだ。西郷や勝のような傑物が政治家を志し、金も地位もない身でも総理大臣になれる制度を作ろう、そういう国会議員、まずそれに命をかける議員を選べばいい。
自由が丘で夜の9時半まで塾でがんばってる子たち、勉強は大事だよ、塾通いも結構。しかし勉強は偏差値を上げるためじゃなく、インテリジェンスをつけるためにするのだ。ぜひエリートになってください。
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あなたの年代の男がいちばん危ないの
2024 AUG 28 0:00:25 am by 東 賢太郎
最近、夕食後に2~3キロ走っている。9~10時あたりだとそう暑くもなく、なにより暗くて人通りがなく、昼間の俗事を忘れて空っぽになれる。坂道が多いので汗をかく。時に全力疾走も入れてみたりするが心肺ともに問題なく、俺はまだまだいけると自信がわいてくる。
ところが昨日、その自信を粉々にする事件があった。多摩川台公園下まで何事もなく走り、公園脇の坂を登ろうか、それとも川辺の歩道に降りようかと迷った。べつにどっちでもいいのだが、たまたま伊藤貫さんのyoutubeを見ていたら西部邁さんと仲が良かったと語っていた。両氏とも思想的に割合近くて僕は敬意をもっており、西部さんが自裁されたのがそのあたりであったのでなんとなく手を合わせていこうという気持ちになった。
そこで、多摩堤通りの信号を横切って、3,4メートルの高さの堤防から川辺に下る土を削った階段を降りた。足元は暗い。数段を下ると思ったより急勾配であり、足が疲れてるせいかけっこう勢いがついてしまった。まずいと思ったがもう止まらず、前方は草むらでよく見えず、やむなく、この辺で地面だろうとぴょんと飛んだら全然そうでない。つまづいて前のめりになって砂利道に叩きつけられ、ぶざまにひっくり返ってズルズルと体側で路面をこすってやっと静止した。
要するに、半ズボンでヘッドスライディングしたわけで、左足の脛(すね)と左ひじを盛大に擦りむいた。電灯に照らすと血まみれ泥だらけである。電話して車で来てもらい、家内に応急処置をしてもらったが、まだずきずき痛い。おかしいなと田園調布病院に電話しておしかけ、「遅くにすいません、みっともないこって」と頭をかくと、若い医師とふたりの看護師さんがやさしく対応してくれ、ピンセットで線状の傷口にめりこんでいた小石を除去し、消毒ガーゼを貼ってぐるぐる巻きにし、念のためにと破傷風のワクチンまで打ってくれた。コロナのときの聖路加もそうだったが、日本の医療は実に安心だ。
楽しみだった週末の温泉は問答無用で没になった。家族は大騒ぎになり、箱根で一緒の予定だった従妹に電話して謝ると、旦那も何日か前に階段で落ちたらしい。「ね、ケンちゃんわかる?あなたの年代の男がいちばん危ないの、そうやってみんな過信して病院行きになるんだから」と懇々と説教された。
それはそれでありがたかった。僕は何事も前向きにしかとらない。能天気でも楽天家でもないが、とにかく後向きにはとらない。だからこの怪我もきっと良い予兆であるか、あるいは、凶事を避けられた、守られたんだと思えてしまう。医師が「骨は大丈夫ですか」と心配した傷だ、あの勢いで頭を打ってたら死んだかもしれないが、死んでないんだから良かったと思える。そうでない人も、この性格は無理してでも作るべきだ。なぜなら、本当に人生で得をするからだ。僕には思い出したくないたくさんの禍々しい失敗や不遇や凶事があった。しかし、後になってみると、実は、それがなければあのラッキーはなかったじゃないかということが非常に多いのだ。なぜかは知らない。たぶん、そういう風に生きていると勝手にそうなる。それがはた目にはツキがあるね、持ってるねということになる。
多くの国の多くの外国人と働き、どういう人たちかを知っている。断言するが、彼らを基準としてみれば日本人の9割は心配性であり、はっきり書くと、ビジネスの世界においてそれはうつ病や心神耗弱に近い。大きなリスクに対してなら結構だが、ちまちまとくだらないことに気をもんだり批判を気にする空気に負けて「石橋をたたいて渡らない」なんて寂しいことになってる。国中が国民的にそうであり、本来あまり気をもまなくていい国家がプライマリーバランスをたてに金を使わないと民間は委縮して失われた30年などとクソくだらない小言を垂れてる。その間に先端技術や半導体で世界に大きく後れをとってしまっても他人事のようにやばいと思わない民間の「石橋わたらない根性」というものは、棒で突っついても飛ばない死にかけのカラスみたいなもんで、こっちを誰も批判しないことの方も、世界の目線からすると病気である。株や土地を中国人が買い占めて怪しからんと騒ぐのが保守だなんてわけのわからんことを言ってる。経済安保とそれは全然違う。死にかけの獲物は簡単に捕獲できるからジャングルでは食われるのが当たり前であって、それが嫌なら彼らは江戸時代に戻って鎖国しろと主張すべきである。
食われんようにちゃんと経営して株価を上げろが世界の常識だ。実体価値より値段の高い株など犬も食わぬ。ビジネスのビの字も分かってない連中が馬鹿の一つ覚えみたいに財務省、日銀が悪いって、自由主義国家で役所が頑張って経済を成長させるべきだなどと言う議論は、国が女性の少子化担当大臣を任命すれば子供がたくさん生まれるというおバカな議論といい勝負だ。人間は平等にできていて、青い鳥は誰にも同じだけ飛んで来る。心配性の人は確実にぜんぶ取り逃がす。前向きな人は十回来れば九回は逃がしても一回ぐらいはつかまえる。人も国も、成功者になるかどうかはそれで決まると言ってまったく過言ではない。ユニクロの柳井さんが著書「一勝九敗」でおっしゃるのはそういうことだ。少数精鋭で経営しろとも語ってる。その通りだ。多数の馬鹿の空気と合議制でやってればいずれ全部のカラスが外資に食われる。
「あなたの年代の男がいちばん危ないの、みんな過信して病院行きになるんだから」。そうだけどビジネスマンに過信は大事なんだ。だって取れると思わないと鳥は取れない。危険だから取らなくていいと細く長く生きる人生と、取りに行ってすっころんで早死にするかもしれない人生なら、僕は後者を選ぶ。ただ、みんなに迷惑をかけないように、暗い階段を走るのだけはやめよう。
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浄真寺の盂蘭盆会大法要で考えた日ユ同祖論
2024 JUL 15 10:10:09 am by 東 賢太郎
九品仏の浄真寺前にある歯科医で検診をしてもらった。昼前で天気も良い。帰り際にふらっと寺の参道に足が向いたが、こんなことは僕の場合めったにない。門のところに猫が何匹か住みついており、暑いのにどうしてるか気になったぐらいのものだが、せっかくだから本堂の阿弥陀様にお参りしようという気になった。この寺は奥沢城の跡地に1678年に創建され、東京の寺社としては異例の広さで敷地面積は12万㎡(約350m四方換算)ある。黒柳徹子さんが子供の頃に遊んだ池はこの北側だったと思うが、もう影も形もない。奥沢城だったころ、我が家に近い古墳に建っている源氏ゆかりの宇佐神社あたりから田園調布双葉学園まで多摩川の流れが来ていて、坂下で武器を荷揚げして馬で城まで運んだという。神社下の寺は1316年あたりに創建でけっこう古く、そこの僧侶の寮があったことから寮の坂と呼ばれている。この辺を歩いてるとずいぶん浮世離れしていて東京という感じがしない。だから都知事選も実感はなく、あまり関係ないから誰が知事だろうがいい。あるのは田舎もんが東京をいじるなという三代江戸っ子の郷土愛と性格からくる好き嫌いで、「あいつは駄目」だけだ。
浄真寺は名刹であり正月は人でごったがえすが、この日は様変わりの静けさである。なかなかいいものだ。それほど暑気もなく緑豊かで空気はうまく、九品の阿弥陀如来に手を合わせてから薄暗い本堂の裏手まで入ってみた。日々ビジネスでざわついた心が根をはったように落ち着いてくる。天然記念物に指定されている古木の大銀杏から足元の草花まで目をやりながら境内をゆったり歩く。亀より遅いこんな歩みは平素することがなく、見るものすべてを鮮やかにする。
さて帰ろうかと駅に向かう、すると、”うら盆法要” なるものが始まるというアナウンスが境内中に響いて思わず足を止めた。うら盆は先祖の霊を祭るいわゆるお盆であり、原語はサンスクリット語のウッランバナだと説明されていた。こうした外国語の音写は日本文化の遺跡のようなもので大変に興味がある。それもウッランバナは「逆さ吊り」の意味と言っているのが聞こえる。これは看過できない。そういえばここは「おめんかぶり」という念仏行者が浄土・穢土の間にかかる橋を渡る厳かな行事があって、4年ごとにやるらしい。もう何年もまえに観たのだが、8月という真夏の盛りで暑いわ蚊に食われるわで往生もした。それゆえだろうか、気候変動もありという理由で2017年からは5月5日になっており、今年それがあったようだ。仏事にはいたって疎い。法要はどんなものか、とにかく行ってみようと本堂にひき返すことにした。
ほの暗い本堂の中はいくらかひんやりしている。この雰囲気、どこかで味わったなと記憶をめぐらす。そう、タイだ。バンコックのワット・プラケオで薄暗い寺院の中に入るとこんな感じだった。インドからの仏教伝来の道筋が五感を通じて体内でつながった気がする。阿弥陀如来像の前で椅子に腰かける。お顔をしげしげと見上げるとずいぶん大きいものだ。やがてお坊様が現れる。ひとしきり先祖供養の説話があり、いよいよ読経にはいる。まず一人の僧が笙(しょう)を吹く。二度、四度の和声にあれっと思った。雅楽と縁があるのか神仏習合なのか、仏堂で聴く音色は異なるものだ。いよいよお経がソロで始まる。やがてバックの僧侶が唱和すると6人の良く通るユニゾンとなり、時折、分唱となり、天井の高い本堂に響き渡るアコースティックが申し分ない。南無阿弥陀仏を我々4,50人ほどの会衆が10回唱和する場面が3度あり、その末尾は旋律となりa, b♭, d, e♭, fの旋法に聞こえた。終盤は3種の鉦(かね)、大型の木魚が打ち鳴らされリズミックになって加速し、木の葉に見立てた無数のお札が会衆の頭上にひらひらと放たれる。終了すると会衆は並んで焼香を許され、集め置かれた木の葉を頂いて退出となる。約30分の立派なコンサートであった。
ふと予備校の古文の教師が教材を読み解く背景として語った話を思い出した。平安時代、僧が大挙する朝廷の仏事は女房衆がわくわくして心待ちにする一大イベントであり、クライマックスの読経はコーラスアンサンブル、なかでも若いイケメンで声の良い僧侶には今ならキャーという感じで人気殺到だったそうな。女の園で鬱々とする日々。色恋は貴族限りで相手次第。なるほどさもありなんだ。清少納言も紫式部も、才に長け教養あるインテリの女房たちは出世競争には明け暮れたが蓋しおそろしく退屈だったのだろう。その積もり積もった鬱と暇なくしてあんな大作が産まれようもないではないか。
その素地があったから最澄、空海が持ち込んだ密教、すなわち現世利益、来世浄土を説く、小乗仏教に対して些か大衆化した仏教が貴族社会に根づいたと考えると納得だ。密教は開祖の国インドにおいて、大衆受けしてシェアアップしたヒンドゥー教に対抗するため大乗仏教が進化したもののようだが、英語で真言宗はesoteric teachingであり、「限られた者しか理解できない」のだから矛盾がある。その差異は「言語では表現できない仏の悟りを説いたものだから」とされ、我々素人には密教というと曼荼羅など視覚、体感的なもの、ややもすると性的な怪しさが特徴と見えているのだろう。
天皇の官邸である朝廷は本来は神道一本のはずだが、奈良時代から仏教と混交し、のちに法皇という両者がクロスオーバーした不可解な地位までが方便で登場し、しかもそれが天皇の上位概念の権威となって国を左右したわけだ。欧州でも教会が国王の権威付けをした神聖ローマ帝国が出現はしたが、我が国の場合は天皇=神(権威)であり、その上に屋上屋を重ねた神がいるという点で欧州とは全く異なる。神がいくつあっても許容する「八百万の神」を拝む国民性ならではなのである。そう考えると、天皇に神性(絶対的権威)をもたらす神道の礼拝所である神社に「ご神体が見えない」という事実の異様さは際立っていないだろうか。つまり偶像崇拝がない。イスラム教、ユダヤ教のような明文化した禁止令はないかも知れないが、どこに行ってもまず見ないから神像は拝まないのが古来よりの習わしであって、日本流の柔らかな禁止なのだろう。こんな不思議なことに目が慣れてしまうと誰もおかしいと思わなくなるのが理よりも八百万の神を尊ぶ日本人の民族的特性なのだ。神道には開祖もなく聖書のような正典もなく、教典と呼べるものは神話から始まる歴史書の「古事記」や「日本書紀」だけだ。どちらも国の正史だがなぜ二本立てなのか、これもわからない。
もっとわからないのは、(少なくとも)古事記の編纂を命じたのは天武天皇であるのに、奇怪なことに天武朝は皇室の氏寺である泉涌寺の奥の間に掛けられた額で示されている系図からは消されていることだ(クロスオーバー政権の南朝もそうであることを同寺にあげてもらって目撃した)。要はご先祖ではないという天皇家の意思表示である。ではよそ者である天武が書かせた古事記、日本書紀を正史とする「日本国」とは何なのかという極めてファンダメンタルな疑問が生じざるを得ないではないか。つまり日本国といものは、メジャーな例はイスラム教、ユダヤ教しかない「偶像崇拝を禁止する宗教」であって開祖も由来も正典も不明である神道と同じほど “出自不明の国” ということになってしまいかねないのである。これは昔から感じていたことだが、日本人が戦後にGHQのウォー・ギルト・プログラムで教育されるとあっさり八紘一宇を捨て去って一気に自信喪失になってしまったことと無縁でない。ルーツに自信が持てなくなっちまった者と、オレは紀元前に地球を支配する契約を神様と結んだんだぜと平然と豪語する奴らと、ディベートすればまあ大概は負けるだろう。これから世界の趨勢を決める意味で英米の対立軸となるBRICS、グローバル・サウスの面々とやっても負けるだろう。
ルーツは忘れましょう、300万人が命を落とした敗戦がルーツですね、では、「それまでの歴史はなかったことに」で、アメリカさん、NATOさんに身を寄せましょう。岸田総理も真意である風を装ってそれを演じざるを得ず、ある意味で気の毒でもあり、それを見て見ぬふりをしながら野党、評論家、マスコミが政局にして叩く。幸いなことにその悪夢はバイデン政権とともに終わる可能性がある(注)。しかし外務省の外交姿勢がそのままでは永遠の奴隷国であって、やがてローマに食われたカルタゴの運命になる。穢土から浄土へ、日本はどうやって橋を渡るのか、政治家ではなく国民が真剣に考えなくてはならない。
(注)本稿を書いたのはトランプ暗殺未遂事件の前日、7月13日であった
神道の由来を紐解くカギとして、天皇家が重んじる聖地の伊勢神宮がある。その成立は5世紀後半の雄略天皇朝が最有力説で、天武・持統の時代に祭祀の諸制度や社殿が整備されている。この事実は中々興味深い。倭の五王(中国の正史『宋書』だけに登場する倭国の五代の王、「讃・珍・済・興・武」)の武とされ「雄略天皇」と後から諡(おくり名)された人物は誰だったのだろう?5世紀にいまもって世界最大の墳墓である巨大な古墳を築き上げた「讃」こと仁徳天皇とは何者だったのだろう?
雄略天皇が創建した可能性が高い伊勢神宮の参道にずらりと並ぶ石燈籠に現在ではイスラエルの国旗にある六芒星が刻まれているのは有名だ(写真)。伊勢神宮というものが古代より天皇家が参拝し、皇位継承の儀式を行う聖地であること、および、天武天皇が記紀に「武」としか書かなかった人物に由来するものであることの二点を整合的に説明するには「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人は共通の先祖を持つという主張)しかないと僕は考えている。陰謀論で片づける人が多いが、反証できないものを否定するのは科学、数学の教養ある者の態度ではない。
日ユが同祖で伊勢神宮がユダヤ教と関係があるとしてみよう。神社が偶像崇拝しない謎はあっさり氷解する。3世紀に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君(秦氏)、東漢氏(いくつもの小氏族で構成される複合氏族)など大陸経由で、12支族のうちの10のどれかに属していたユダヤ人が渡来して王権を築き倭の五王となり、自らの信仰の場として伊勢神宮の礎を創建した可能性は否定できない。ここで確認すべきは、一神教のユダヤ教徒が他教を認めることはあり得ないことである。そこで天武の行動を見てみよう。暗殺した蘇我氏が持ち込んだ仏教を信じ、皇后の健康回復を祈って薬師寺を建て、子孫の聖武が奈良に大仏を建立しており、関与した古事記、日本書紀には倭の五王はまったく記述がないことから、天武は確実にユダヤ教徒ではない。ゆえにユダヤ教徒である五王を無視したと考えられる。それでも比定される歴代大王(天皇)の名を記し、伊勢神宮を守護もしたのは、アマテラスに発する「日本国」というフィクションの連続性を保ち、自らの王権の正統性を内外に知らしめるためであると考えると辻褄が合う。その必要があったということは、やはり天皇家の系図が示す通り、彼はよそ者だったことになる。
天武が消されたのは日ユ同祖の血統を守るため天智系に戻したからだ。これは国体護持の英断であり、日本人は天皇家の男系相続の連続をもって国民の誇りとでき、神様と契約したかどうか契約書を見せろと迫って高々数百年の歴史しかない連中を見下せるのである。面白いのは天武系排除に弓削道教のセックススキャンダルを用い、日本人の忌み嫌う「穢れ(ケガレ)」をもちこみ宇佐八幡の神託を理由としたことだ。それはいまも週刊文春がジャニーズ事件でやっているではないか。かように日本人の深層心理は1300年前から微塵も変わっていない。裏金、脱税、ウソつき、学歴詐称など穢れのある人を政治家にしてはいけない。
系図で天皇家の父祖となっている天智系の桓武天皇は、末裔に至るまで仏教を信奉し、各自が小さな仏像を所持し、位牌と墓所があるのは真言宗の寺(泉涌寺)だ。国体護持には異国の経典まで写経して信奉する。天皇家までそうしたこの柔らかさは一神教とは真逆の思想であり、どんな苦難に遭遇しても決してぽきっと折れない。これぞ日本の宝と考える。
法要の笙(しょう)の音からあらぬ方に行ってしまった。「おめんかぶり」が変更された2017年は母が、5月5日は父が逝去している。仏さまに手を合わせろよと、浄真寺に足を向けるよう引っ張ったかなと思う。
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父の日のちょっとした出来事
2024 JUN 19 7:07:09 am by 東 賢太郎
次女がロイヤルホスト行こうというので家族で行った。子供の頃ね、ステーキなんかめったに食べさせてもらえなくてね、ビフテキっていったんだよ。銀座の不二家でね、お爺ちゃんが機嫌がいいとチョコレートパフェとってくれて、帰りに銀色の筋が入った三角のキャンディー買ってもらってね、うれしかったね。
ジュースはバヤリースってのがあったけど安いんでオレンジの粉ジュースでね、底に粉が残るんでまた水足して飲んでたな。カルピスもそうやってた。バナナは台湾が高級であんまり出なかったよ、みかんかリンゴかスイカだな。キウイとかマンゴーとかパパイヤとか、そんなのはなかったんだ。
黒黒ハンバーグ定食にしたがそれだってご馳走だ。十分満足したが、食べなよというのでチョコレートパフェもとった。不二家のこれとアメリカ時代のビッグマックは高嶺の花だ。すっと背の高い巨大なパフェの頂上に位置する生クリーム部分にスプーンを入れると今でも誇らしさすら感じるものである。
そろそろ会計してくれという段になって、それは次女からのプレゼントだったことを知る。「そうだったんだ、休日はほとんど知らないんだよな」とばつが悪い。「お父さん、父の日は休みじゃないよ」という会話になる。パリのMBA様である彼女は会社でM&Aをやったらしく頼もしいもんだ。
映画で英国やドイツの街並みが出てくると、知らない場所なのに家族と過ごした記憶がフラッシュバックして思わず入り込んでしまう。そういう場面が脳裏にぎっしり詰まっていて、無限のように在るあんなことそんなことが蘇って心が動くのだ。なんて幸せな日々だったんだという感興とともに。
同じことが音楽でも起こる。ブラームスの6つの小品Op.118、亡くなる4年前に作曲された、彼の最後から2番目のピアノ曲だ。これを聴くとフランクフルトのゲーテ通りからツァイルという目抜き通り商店街に家族で歩いた週末の楽しい日々が瞼に浮かぶ。
そういえばフランクフルトでのこと、娘たちのピアノの先生が名ピアニスト、レオナルド・ホカンソン(1931 – 2003)の弟子ということで演奏会に連れて行ってくれた。アルトゥール・シュナーベルの最後の弟子の一人である。まるで昨日のことのようだが、あな恐ろしや、1994年だからもう30年も前になるのか。聴かせていただいたホカンソンのブラームスの第2ピアノ四重奏曲は実に味わい深く、終了後に楽屋でお礼を述べブラームスについて意見を交わしたが緊張していて内容はあまり覚えてない。いただいたCD、ここにOp.118が入ってるのだが、裏表紙にしてくれたサインはyoutubeの背景になっている。そのイベントを永久に残して恩返しできたかもしれない。滋味深い素晴らしい演奏だ。
いま、このフランクフルト時代の部下たちが事業を助けてくれている。次のチューリヒ、その次の香港でそういう交流はもうなく、やはり最初の店は特別だったのだろう、ドイツの空気を吸って仕事した部下たちは特別な存在だ。ドイツ語しか聞こえない中でどっぷり浸っていたバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、ブルックナー・・・これまた人生最高の至福の時だった。
次女の記憶は幼稚園に上がったドイツからだろう。活発な子だが歩いて疲れるとまっさきに回り込んで抱っこになり、ダウンタウンのがやがやしたイタリア食材屋だったか、はっと気づいたら雑踏に紛れてしばし姿が見えなくなって大騒ぎした。毎月彼女用には「めばえ」という雑誌を日本から取り寄せていて、帰宅して玄関でそれの入った紙袋をわたす。あけてそれを取り出した光輝く顔はフェルメールの絵みたい。子供たちのそれが励みで仕事をしていたような思いがある。
食事から戻る。坂道を下ると遠く先の多摩川あたりまで点々と街並みの光がきれいだ。もうここに住んで15年になる、早いなあというよりまさに矢の如しだ。ワインでけっこう酔ってる。しばし猫と遊んでから地下にこもってピアノを弾くのはよくあるパターンだ。いま譜面台にあるのは2つ。毎日さらっているシューベルト即興曲D899の変ト長調はうまくいかない。じゃあもうひとつのショパンのワルツ 第3番イ短調 Op. 34-2はどうだ。だめだ、音をはずす。練習をなめちゃいかんぞとふらつきながら3階の部屋までふーふーいって上がると階段のてっぺんにこれがあった。
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東京証券取引所を訪問する
2024 JUN 6 6:06:44 am by 東 賢太郎
人形町でM&Aの交渉。ちょっと疲れた。せっかく来たので昔なつかしい芳味亭でランチをするかということになった。なにせここのビーフスチュー(シチューでない)はとろけるような柔らかさでデミグラスソースとの相性抜群、オンリーワンの旨さなのであるからご存じない方は一度は賞味されることをおすすめする。昭和8年、横浜のホテルニューグランドで洋食を学んだ近藤重晴氏が始めたらしい。洋風のおかずに白飯という「和」のスタイルが洋食なるものの原点だ。
欧州時代に会議で帰国した際はこの近く(箱崎)のロイヤルパークホテルが定宿だった。到着するといつも夜で、ひとり水天宮のあたりに出てラーメンをすすった。これが久しぶりで飢えておりご馳走だったが、なんとなく物寂しくもあった。数日のきつい日程を消化し、帰りはそこから目と鼻の先の出国ターミナルでパスポートコントロールと荷物検査を通り抜けて空港バスに乗る。夕方のフライトだと大体すいている。いつも運転士のすぐ後ろに陣取ったのは、幼時に電車でその席に座りたくて仕方なかった、その名残だろうか。やがてバスはするすると動き出して大きく右に旋回する。そのあたりの光景がいまでも高解像度カメラのビデオのようにくっきりと瞼に蘇る。やっと家に帰って家族の顔が見られるぞとほっとしたものだから、この光景だけが、まるでそこだけカットしたかのようにぽっかりと記憶に焼き付いているに相違ない。これを何十回やっただろう。お疲れさん、よく仕事したねと自分に言ってやりたい。
家といってもロンドンやフランクフルトやチューリヒなのだから考えればおかしなものである。普通はさあいよいよ外国だぞのモードに入るわけだが、完全に天地逆転の感覚ですごしていたわけだ。若かったロンドンの頃は空港に社用車の迎えなどない。ヒースローから大量の荷物を抱えてえっちらおっちらタクシーに乗っかって、運ちゃんと退屈な会話をしながら小一時間ゆられる。疲れ果てて家について、妻に迎えられるとどんなにほっとしたことか。子供達にすれば生まれた時から天地は逆だった。彼らの天地は日本で育った僕や妻とは物心ついた初めから逆なのだから、実は親はわかるようでわかってないということになかなか気づいてやれなかった。
人形町から日本橋方向に歩き、息子が行ったことないというので東京証券取引所に立ち寄ることにした。電子化されて立会場の面影は皆無、なにやらSF映画の宇宙ステーションみたいな光景になっている。ここで仕事をしたわけではないが、仕事のすべてはここに関わっていたのだ。僕は証券マンでも異例であって、ボンド(債券)を売った記憶がない。なぜかは覚えがない。動かないものはまったく興味がないから債券は石ころみたいに情熱がわかない。きっと売っても売れなかったのだろう。すなわち根っからのエクイティマンであり、株式が大好きであり、一枚の伝票で160億円の商いをしたことがあり、そうであることに誇りを持っている。そんな破格の注文も、すべてがこの場所で執行されたのである。
東証本館1階には「証券史料ホール」なるものがあり「我が国の証券市場の歴史に関する史料から特に歴史的に貴重な品々を選んで年代順に紹介されています」とある。
息子がガラスの展示ケースの中にこれを見つけた。東京株式取引所(東株)の創立証書である。
田中平八の直筆サインは初めて見た。感無量だ。写真を撮って息子に「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事をしろよ」と言ったものだが、それは自分にかけた声でもあった。
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慌ただしかったこの一週間の雑感
2024 MAY 21 0:00:27 am by 東 賢太郎
次女がブログ1,000万PVのお祝いをフレンチレストランでしてくれた。こうやって何が起きるかわからないから人生は面白いだろ。山も谷もあるけど一喜一憂はいけないよ。感情が同期して山と谷が倍になる。谷が深いと気持ちが折れたりするからね。これは良くないんだ、サステナブルじゃないから。
わからないことを恐れちゃいけない。たとえばコロンブスは地球は丸いと信じ、東回り航路はポルトガルが制圧してたから西回り航路でインドに向かった。これがいかに凄いことかって、ガリレオの天動説が出てくる100年も前だよ。地球は平らで崖から落ちると信じられていた時代だ。想像できるかな?
じゃあ現代はどうか。みんな地動説を信じてるね。でも宇宙はそう見えるように高度に計算された幻影で天動説が正解かもしれない。太陽と思ってるアレも人の数、80億個あってどれもホンモノの影にすぎないかも。2,400年も前にプラトンがそういう類のことを言ってる。現代はシミュレーション仮説っていうんだね。
ぶっ飛んだ話をしても次女はついてくる。こういうのは想像力の問題なのだ。だから肉を食ってるときはライオンの気持ちになれってよく言ったもんだ。なんでそう言うか考えさせる。脳梁が鍛えられ右脳、左脳の交信が太くなり想像力に富む面白い人間になる。ガリ勉は退屈だし優秀でもない。
娘はフランスへ行って修士号を取ってきた。コロナ最盛期でのチャレンジは評価する。MBAは半端な勉強量でない。知らないからハーバードMBAですなんて軽いタッチでウソついて瞬殺でバレた芸能人がいた。学歴詐称はバレないと思ってるからできるのよ、それ自体が強烈な無学の証明。バレたら問答無用で終わり。
自民党。75日で国民は忘れると思ってる。そこで権力のブルドーザーで押し切る。知性のかけらも感じねえ、無学だねえ、伝統芸はもう見飽きた。裏金事件の本質は脱税資金を自分の選挙と権力維持に使ってるどす黒い疑惑である。今日の衆院予算委員会、立憲/野田・落合、維新/青柳・藤田の質疑は良かったと思う。
自民の政治資金規正法改正案は抜け穴を埋め込もうという魂胆が丸見え。政治はカネがかかる?ならかけない人にやってもらおう。党内で議論を尽くしてますって、そんなの何千時間やろうが国民はだから何だってこと。抜け穴作りに必死になればなるほど「そんなに甘い汁なのか」と怒りが増幅するだけだ。
二世だか三世だか知らないがドリルの人とかパンツ盗んだ人とか50億もらった人とか、実にこの国は発狂してる。そんなのでも権力のブルドーザーで押し切れば当然の顔をして済んでしまう。それを全メディアが偏向報道。赤旗、聖教新聞の方がまだウソはないことに多くの国民が気づき始めている。これは大革命だ。
権力に媚びて正論を封殺するメディアが作るテレビ、新聞の「定食」だけ食べさせられる時代は終わる。玉石混交のネットから情報を選ぶ力のある人とない人の差がつく。国民にその意識が高まれば想像力をもって自分で考える人が増え、おのずと選挙の投票率も上がる。右だ左だじゃない、真にまっとうなことだ。
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