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カテゴリー: ______日々のこと

野村證券・外村副社長からの電話

2018 DEC 10 23:23:02 pm by 東 賢太郎

外村さんと初めて話したのは電話だった。1982年の夏のこと、僕はウォートンに留学する直前で、コロラド大学で1か月の英語研修中だった。勉強に疲れて熟睡していたら、突然のベルの音に飛び起きた。金曜日の朝6時前のことだった。

「東くんか、ニューヨークの外村です」「はっ」「きみ、野球やってたよな」「はあ?」「実はなあ、今年から日本企業対抗の野球大会に出ることになったんだ」「はい」「そしたらくじ引きでな、初戦で前年度優勝チームと当たっちゃったんだ」「はっ」「ピッチャーがいなくてね、きみ、明日ニューヨークまで来てくれないか」「ええっ?でも月曜日に試験があって勉強中なんです」

一気に目がさめた。この時、外村さんは米国野村證券の部長であり、コロンビア大学修士で日本人MBAの先駆者のお一人だ。社長は後に東京スター銀行会長、国連MIGA長官、経済企画庁長官、参議院議員を歴任しニューヨーク市名誉市民にもなられた寺澤芳男さんだった。寺澤さんもウォートンMBAで、ニューヨークにご挨拶に行く予定は入っていたが、それは試験を無事終えてのことでまだまだ先だ。なにより、留学が決まったはいいものの英語のヒアリングがぜんぜんだめで気ばかり焦っているような日々だった。しかし、すべては外村さんの次のひとことで決したのだ。

「東くん、試験なんかいいよ、僕が人事部に言っとくから。フライトもホテルも全部こっちで手配しとくからいっさい心配しないで来てくれ」

コロラド大学はボールダーという高橋尚子がトレーニングをした標高1700メートルの高地にある。きいてみると空港のあるデンバーまでタクシーで1時間、デンバーからニューヨークは東京~グァムぐらい離れていて、飛行機で4~5時間かかるらしい。しかも野球なんてもうやってないし、相手は最強の呼び声高い名門「レストラン日本」。大変なことになった。

その日の午後、不安になり友達にお願いして久々に肩慣らしのキャッチボールをした。ボールダーで自転車を買って走り回っていたせいか意外にいい球が行っていてちょっと安心はした。いよいよ土曜日、不安いっぱいで飛行機に乗り午後JFK空港に着くと外村さんが「おお、来たか」と満面の笑顔で出迎えてくださった。これが初対面だった。午後にすぐ全体練習があり、フリーバッティングで登板した。ほとんど打たれなかったがアメリカ人のレベルはまあまあだった。キャッチャーのダンだと紹介され、サインを決めた。俺は2種類しかないよ、直球がグーでカーブがチョキね。簡単だった。監督の外村さんが「東、明日は勝てる気がしてきたぞ」とおっしゃるので「いえ、来たからには絶対に勝ちます」と強がった記憶がある。そう言ったものの自信なんかぜんぜんなく、自分を奮い立たせたかっただけだ。ご自宅で奥様の手料理をいただいて初めて緊張がほぐれたというのが本当のところだった。

いよいよ日曜日だ。試合はマンハッタンとクィーンズの間にあるランドールズ・アイランドで朝8時開始である。こっちがグラウンドに着いたらもうシートノックで汗をかいて余裕で待ち構えていたレストラン日本は、エースは温存してショートが先発だ。初出場でなめられていたのを知ってよ~しやったろうじゃないかとなった。板前さんたちだろうか全員が高校球児みたいな髪型の若い日本人、声出しや動きを見れば明らかに野球経験者で体格もよく、こっちは日米混成のおじさんチームで27才の僕が一番若い。初回、1番にストレートの四球。2番に初球を左中間2塁打。たった5球で1点取られ、天を仰いだ。コロラドから鳴り物入りでやってきてぼろ負けで帰るわけにはいかない。そこから必死でどうなったかあんまり記憶がないが、僕の身上である渾身の高め直球で4番を空振り三振にとったのだけは確かで、なんとか2点で抑えた。

勝因は外村監督の「バントでかき回せ」「野次れ」の攪乱戦法に尽きる。これがなかったら強力打線に打ちくずされていただろう。全員が大声を出してかき回しているうちに徐々に僕のピッチングも好調になって空気が変わってきた。第1打席で三振したので外村監督に「次は必ず打ちます」と宣言し、次の打席でファールだったが左翼にあわやホームランを打ち込んだとき、投手がびびった感じがして四球になり、勝てるかなと初めて思った。そうしたら不思議と相手に守備の考えられないミスも出て、流れは完全にこっちに来た。後半はまったく打たれる気もせずのびのび投げ、大番狂わせの11対2で大勝。翌日の日本語新聞の一面トップを飾った。甲子園でいうなら21世紀枠の都立高校が大阪桐蔭でも倒したみたいな騒ぎになった。

午後の飛行機でコロラドに帰ったが外村さんのご指示で持ちきれないぐらいのインスタントラーメンやお米をご褒美にいただき、学校でみんなに配ったら大評判になった。試験のことはからっきし記憶にないが、無事にウォートンへ行けたのだからきっと受かったんだろう。ということはシコシコ勉強なんかしてないで野球でサボって大正解だったわけだ。やれやれこれで大仕事は果たしたと安心したが、それは甘かった。翌週末の2回戦も来いの電話がすぐに鳴り、三菱商事戦だったがまたまたバント作戦でかき回し、10対0の5回コールド、僕は7奪三振でノーヒットノーランを達成した。また勝ったということでこの先がまだ3試合あって、フィラデルフィアからも2度アムトラックに乗って「出征」し、日系企業45チームのビッグトーナメントだったがいちおう準決勝進出を果たした(プロの投手と対決した思い出)。

コロンビア大学ベーカー・フィールドのマウンドに立つ(1982年8月29日)

準決勝で敗れたがそこからが凄かった。決勝戦と3位決定戦はルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカー・フィールドで行われたからだ。そんな球場のマウンドに登れるだけで夢見心地で、けっこう普通のグラウンドだなと思ったがアメリカ人の主審のメジャーみたいにド派手になジャッジがかっこよくてミーハー気分でもあった。ベースボールってこんなものなのかと感じたのも宝物のような思い出だ。この試合、まずまずの出来で完投したが、相手投手陣が強力で攪乱戦法がきかず4対2で負けた。思えばこれが人生での最後のマウンドになった。本望だ。甲子園や神宮では投げられなかったけれど、すべてが外村さんのおかげだ。

外村監督が4位の表彰を受ける

残念ながら初陣は優勝で飾れず申しわけなかったが、この翌年、ウォートンで地獄の特訓みたいな勉強に圧倒されていた僕は外村さんがアリゾナ州立大学の投手とハーバードの4番でヤンキースのテスト生になった人を社員に雇ってついに念願の優勝を果たされたときき、おめでとうございますの電話をした。我がことのようにうれしかった。アメリカで仕事する以上は野球で負けられんという心意気には感服するばかり。遊びの精神がなかったら良い仕事なんてできない、こういうことを「たかが遊び」にしない、やるならまじめに勝つぞという精神は、仕事は本業だからさらに勝たなくてはいけないよねという強いスピリットを自然に生むのだ。僕みたいな若僧を委細構わず抜擢して火事場の馬鹿力で仕事をさせてしまう野村のカルチャーも素晴らしいが、それをああいうチャーミングでスマートな方法でやってのけてしまうなんて外村さん以外には誰もできなかった。

大会委員長から「最優秀選手賞」のトロフィーをいただく

試合後の表彰式で4チームの選手がホームベース前に整列した。各監督への賞品授与式が終わって、いよいよ選手一同のお待ちかね、今大会の「Outstanding Player賞」(最優秀選手賞)の発表になった。緊迫したプロ並みの投手戦となってスタンドがかたずをのんだ決勝戦、1-0の完封で優勝した神山投手(甲子園選抜大会で岡山東の平松政次に投げ勝った人)に違いないと誰もが思っていたらマイクで呼ばれたのは僕の名前だった。一瞬あたりがシーンとなる。各チームのエースの方々の経歴は優勝が阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)、2位がヤンキース、3位が読売ジャイアンツで素人は僕だけ。しかも4位だ。何かの間違いだろうとぐずぐずしていたら、その3人の大エースがお前さんだよ早く出てこいと最後尾にいた僕を手招きし、そろって頭上であらん限りの拍手をくださった。ついで周囲からも拍手が響き渡り、あまりの光栄に頭が真っ白、お立ち台(写真)では感涙で何も見えていない。

それもこれも、外村さんの電話からはじまったことだ。このことがその後の長い野村での人生で、海外での証券ビジネスの最前線で、独立して現在に至るまでの厳しい道のりで、どれだけ自信のベースになったか。後に社長として赴任されたロンドンでは直属の上司となり、英国では英国なりにゴルフを何度もご一緒しテニスやクリケットも連れて行っていただいた。国にも人にも文化にも、一切の先入観なく等しく関心を向け、楽しみながらご自分の目で是々非々の判断をしていくという外村さんの柔軟な姿勢は、ビジネスどころか人生においても、今や僕にとって憲法のようなものになっている。

そこからは仕事の上司部下のお付き合いになっていくわけだが、常に陰に日向に気にかけていただき、ときに厳しい目で苦言もいただき、数えたらきりのないご恩と叱咤激励を頂戴してきたが、誤解ないことを願いつつあえて本音を書かせていただくならば、僕から拝見した外村さんの存在は副社長でも上司でもなく、すべてはあのコロラドの朝の電話に始まる野球大会での絆にあった気がする。だから、まず第1にグローバルビジネスの酸いも甘いも知得され相談できる大先輩であり、第2に、延々とそれだけで盛り上がれる、野村には二人といない野球好きでもあられたのだ。

きのう、外村さんの旅立ちをお見送りした今も、まだ僕はそのことを受け入れられていない。9月10日にある会合でお会いし、ディナーを隣の席でご一緒したがお元気だった。その折に、どんなきっかけだったか、どういうわけか、不意に全員の前で上述のニューヨーク野球大会の顛末をとうとうと語られ、

「おい、あのときはまだ130キロぐらい出てたよな」

「いえ、そんなには・・・たぶん120ぐらいでしょう・・・」

が最後の会話だった。11月1日にソナーが日経新聞に載ったお知らせをしたら、

東くん
何か新しいことに成功したようですね。おめでとう。
外村

とすぐ返事を下さった。うれしくて、すぐに、

外村さん
ありがとうございます、少しだけ芽がでた気がしますがまだまだです。これからもよろしくお願いします。

とお返しした。これがほんとうに最後だった。この短いメールのやり取りには36年の年輪がかくれている。おい、もっと説明してくれよ、でもよかったなあ、という「おめでとう」だ。でもわかってくださったはずだ。そして、もし説明していたら、外村さんはこうおっしゃっただろうということも僕はわかってしまう。

12月5日の夜、外村さんが逝去される前日に、なんだか理由もきっかけもなく、ふっと思いついてこのブログを書いていた。

寺尾聰「ルビーの指環」

あとになって驚いた。1982年だって?このブログはコロラド大学に向けて成田空港を出発し、外村さんからあの電話をいただく直前の話だったのだ。どこからともなくやって来たなんてことじゃない、あれから36年たってかかってきた、もう一本の電話だったのかもしれない。

外村さん、仕事も人生もあんなにたくさん教わったんですが、野球の話ばかりになってしまうのをお許しください。でも、きっとそれを一番喜んでくださると確信してます。ゆっくりおやすみください。必ずやり遂げてご恩返しをします。

散策記

2018 NOV 7 16:16:49 pm by 東 賢太郎

100mクラブじゃない生き方っていいなと思うことがあります。そっちがずっと多数派ですし、そもそも楽だし。深く掘る人はだいたいがこだわりのために周囲を気にしない、だから孤独なのです。そんな犠牲を払ってでも「まあ、そのぐらいでいいじゃん」とはならないから、気がついたら100m掘っていたというわけです。

ところがそういう人を集めても友達にはならない。みな自分の井戸しか興味ないから話しても面白くないのです。ただ、ギョーカイは違えども「おぬし、ただ者でないな」とは思う。これ直感です。お互いが似た感じがして、何となく認めあってしまう。そして、自分を認めてくれた人を、人は好きになります。

ひとりでトムキャットで食事してガーデンを歩く。定番になってきました。

 

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紀尾井町ランチ事情

2018 OCT 14 9:09:26 am by 東 賢太郎

東京で働いたうち大手町では10年を過ごしている。日本橋も2年いたが、どちらかというと総合的には大手町が良かった。ただ困ったのは手軽にいける圏内のランチのクオリティが大変低かったことで、あんなのは食えたもんじゃない。「たいめいけん」や「紙やき」なんてのがある日本橋には数段劣るのである。いけると思ったのはみずほに移籍してよく使った旧興銀本店の鯛茶漬けと大手町ビルB2にある鰻屋の「ての字」ぐらいだ。ガード下のおばちゃんがやってる焼き魚定食屋も気に入っていたがもうなくなっていた。先日行ったら興銀本店ビルも消えていたし、隔世の感ありだ。

かたやそろそろ紀尾井町で8年になろうとするが、この界隈の食は昼夜ともレベルもコスパも高く大手町の比ではない。ランチがどうのというだけではない。それが象徴するわけだがここは永田町お歴々(自民党)御用達の高級お座敷街だ、グレード第一の界隈であってサービスを供する側のコスパはあんまり思慮されてない観がある(もちろんそれは別のところで大きく帳尻があっているのだが)。万事商人がそろばん勘定で地代を決めて住人がしっかり徴収される大手町、丸の内とちがって、紀尾井町では我々居住民までセンセイがたのご相伴にあずかってごっつぁん感があるのが8年の偽らざる実感だ。まあ遠回りの減税かな。

そういう事情もあるとはいえ、なんでかんで大手町、丸の内というのはちょっとみっともない。東京育ちでないお金持ちがやたらと田園調布や成城に住みたがるのとどこか似ていているのであって、僕など紀尾井町の次はそっちなどという気はさらさらないし、この仕事で銀座や築地や品川というのはもっとない。というか、あり得ないのだ。これは東京の人でもわかりにくいし、お袋に仕込まれた感覚のようなものなのだろうと思うがうまく言葉で説明するのは難しいことだ。

日本画家の千住博さんによると、土地、風景というのは行きたい所、遊びたい所、住みたい所、死んでもいい所の4つあるそうだ。僕にとって大手町はそれ以前のカネを稼ぐ所、紀尾井町は住みたい所であるぐらいかけ離れている。そもそも低地が嫌いで、皇居の高地である半蔵門側(FM東京あたり)より元は江戸前の海で低地だった大手町、丸の内が格上だなどという意味がまったくわからない。いま棲みついて10年目になる国分寺崖線ももちろん高地だ。昨日も多摩川の花火を遠目に眺めながら思ったが、死んでもいい所がここかどうかまではまだ知らないが、それが低地になることは金輪際ない。

先週ニューオータニの担当の方に「何かご不満はございませんか」ときかれたが、あいにく全然ないものだから、「とても心地良く過ごさせてもらっています」と答えた。なにせこのホテルは井伊家の屋敷跡で敷地が巨大であり、庭園はもとより建物を散歩しても飽きることがない。おまけに食事の質も不満がない。例えばガーデンコート6階にある「KATO’S DINING & BAR」は奥の料亭「千羽鶴」とキッチンを共有しているから当然うまい。ここのカツ丼は東京で一番である。自民党総裁選で安倍陣営がふるまった「食い逃げ事件」のカツカレー、あれはメインにある「SATSUKI」の3500円のに違いないが、それだけ払うならこっちのカツ丼だと僕は思う。

遅いランチとなると最近はザ・メイン アーケードまで遠出して「ペシャワール」か「トムCAT」にお世話になっている。アーケードという区画はオークラも帝国もそうなのだが今どきはなんともいえぬ異界の風情なのであって、昭和の濃厚な残り香がたまらなくて時々ぶらっと歩きたくなってしまう。そうなると、そこで期待する食もレトロにならざるを得ない。うまくできたもので、そこにそういう軽食がある。ペシャワールのカレーはインド風でもなく店名由来のパキスタン風でもなく、見た目はいたって日本のカレーライスなのだが、香辛料なのだろうか黒みがかった色調の異国的な味がする不思議な食べ物だ。

トムCATは一見ありきたりの洋食屋だが、ここのスパゲッティ・ナポリタンはあなどれない。必須レシピの玉葱、ピーマンにシーフードが適度に加わって風味を添えており、麺の茹で具合も抜き差しならぬ絶妙さでケチャップ味もバランスがとれている。供される熱々具合も文句なしだ。先日は初めてナポリタン以外のカキフライを頼んだが、大ぶりのが4つとライス。あとはポテトサラダとキャベツだけでソースとマヨネーズが同量入った小皿が来る。実に簡素だが、いちいちが心憎い。「これが食たいんだろ?だったらこれだけ食いねえ」と挑まれてる感じがする。中の牡蠣の熱さが見事ですべて計算されている。ただ者でない。白人のきれいなお姉さんが流暢な日本語でサーブしてくれるのも一興。いつもこの人何かなとわけがわからないが、話しかけてみようかなと思うと英語は無粋だなやめとこうという気になるこの空間はやっぱり異界なのである。

たかが昼飯でこれだけ喜ばせてくれる。住んでもいい所なのはまちがいない。

 

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楽しかった「かむゐ」の20周年記念公演

2018 AUG 20 0:00:40 am by 東 賢太郎

先だって島口哲朗さんにディナーにの席でお招きにあずかったかむゐの20周年記念公演に行ってきました。

サムライとアニメは日本の宝である

そもそも20年続くものは何であれ本物でしょう。まがいものは時の波に飲まれて消えます。本公演に梅沢富美男さん、中村玉緒さんが届けていた熱い祝賀メッセージもお義理でなく本物でした。日本を愛する人は、一度ご覧になれば好きになると思います。ちなみに、かむゐが外国でどれだけ注目されているかはこちらのHPをご覧になればわかります。

http://www.k-kamui.jp/jp/homepage.php

多くのみなさん和牛は日本のブランド牛肉と思っておられるでしょう。しかしWAGYUと横文字で綴られるとそうとも限らないのです。「オーストラリアWAGYU協会」が1990年にでき、今は米国WAGYU協会(本部アイダホ州)まであるのをご存知ですか?WAGYUの高級ブランドイメージだけは日本が作ってあげて、それのナンチャッテ版である米国産、オーストラリア産が世界を席巻してしまうかもしれません。

同じように、は今のところ日本人だということで世界にブームが広がりつつありますが、SAMURAIと横文字になるとだんだん国籍不明になるのは和牛と同じではないかと危惧するのです。ただ刀を振り回せば格好いいという若者が欧米に増えてます。それが独り歩きすると、そのうち中国や韓国がルーツだぐらいの法螺吹きが平気で始まるだろうし、そのスピリットである武士道とかけ離れたものになるかもしれません。

百歩譲って食べ物は構わないのです。しかし侍は武士道と関わり、武士道は決して殺戮のための教えではなく、武士階級の倫理・道徳規範であって支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことを求めたもの、いわばノブレス・オブリージュに相当するものです。昨今のわが国の政治家、官僚、経営者、指導者においていかにそれが希薄化してしまったかは皆さんお感じになっているでしょう。

経済大国になることで一流国の地位を得たわが国が、金満国家としての下衆な扱いではなく一定の敬意も得ていたことを僕は16年の海外生活でどんなにありがたいと思ったことか。それはなぜか?日本人が心の底流に持っている和の精神への敬意があったからです。

住んだ5か国どこでも外国人の部下たちが仕事の中で「日本人はわからない」「どうしてそうするのか」といろいろなことで言ってきました。良い方にも悪い方にも言われましたが、僕はいつもこう答えたのです。「それは英語になりません。日本にしかないものは日本語で覚えてください」。そうして「WA」と「BUSHIDO」を教えました。

僕は日本人の奥ゆかしい精神の底流にある武士道だけはナンチャッテは勘弁してほしいと思っています。だからかむゐに出会った時も、実はやや疑いの目で見ていたのです。しかし彼らはそうではなかった。僕が消えないで欲しいと願っている、まさにその精神を殺陣という見栄えのするパフォーマンスで万人に分かり易く体感させるものだと知り、応援しようと決めました。KAMUIとしてあえて横文字で、チャンバラ劇ではなく武士道というスピリットとセットで日本文化を体感していただく場として世界に広まればいいなと思います。

10月31日にイタリアのフィレンツェでかむゐリーダーの島口哲朗氏の日本人初の「文化芸術賞」授賞式があります。式場は現存する世界最古の薬局であるサンタ・マリア・ノヴェッラ本店です。これは欧州文化に深く根差す「クラシックなもの」とサムライ・アートの融和の起点となるでしょう。個人的なことを言えば、伊賀の影丸で字を覚え、三匹の侍やクロサワ映画で育った僕としても自然な感じをいだいております。

本日の公演でも第1部は邦楽(尺八、横笛、太鼓・鐘、胡弓)が背景の音作りをして、素晴らしい幽玄で静寂な空間を演出。音楽的にも見事でした。これは完全にクラシック音楽と言ってよく、殺陣は命のやり取りをイメージしたものですからシリアスな題材でありそれがよく似合います。第2部の背景は小林未郁さんのオリジナル曲のピアノ弾き語り、和太鼓、津軽三味線と、これがまた大変な水準の演奏であり、音だけでも十分に僕を満足させるものでした。

殺陣は演劇やダンスの要素もありますが、音楽が必ず背景にある演出はKAMUIの強みですね。オペラにもミュージカルにもなる。これが西洋人にアピールするのは僕の経験から思うに必然です。そうなるとナンチャッテ・サムライの跋扈が心配でなりません。ぜひ日本人の皆様が一度ご覧になって、灯台下暗しにだけはなりませんよう願っております。

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サムライとアニメは日本の宝である

2018 AUG 10 0:00:00 am by 東 賢太郎

きのうはハリウッド映画「キル・ビル」に出演した俳優でカリスマ殺陣師の島口哲朗さん(島口哲朗 – Wikipedia)、「進撃の巨人」のボーカリストで世界のアニメファンに著名なシンガーソングライターの小林未郁さん(小林未郁 – Wikipedia)と会食しました。

島口さんが主宰するサムライ・アーチスト集団の「剱伎衆かむゐ」(けんぎしゅう かむい、剱伎衆かむゐ | official website | プロフィール、)は海外で大ブレークしています。いまやニンジャ、サムライ、ブシドーは英語。世界中でブームになりつつあり、アメリカはもちろん今年はチェコ、フィンランド、ポーランドでも公演し、10月にはイタリアの文化芸術賞の受賞でフィレンツェに招かれるなど破竹の勢いです。

ご縁の発端はオンラインTV会社ネクサスが島口さんの動画撮影をしたこと。同社COO岩佐君の人脈ですね。「かむゐ」の殺陣の舞台も観ましたがアートとしても美しく、僕は島口氏がサムライ・スピリットを海外で広めてくれると確信し会食に至ったのです。また、小林さんのアニメのほうも海外人気は半端でなく、パリで毎年行われる日本のアニメなどの博覧会「ジャパン・エキスポ」はフランス人が28万人も集まる。そこで彼女はひっぱりだこなわけで、今日はマニラから東南アジアツアーですでに旅立たれました。

そういうことを日本人があまり知らない。かくいう僕も初めてで、サムライ、アニメは重要な輸出品になりつつあるのは知ってましたが、経済的なメリットのことよりも、それを通して日本人が尊敬されているという事実の方が僕にはとても重たいと思います。キル・ビルの監督のクエンティン・タランティーノやサッカーのロナウジーニョやブラジルの大統領まで島口さんのファンになり、刀や帯を欲しがりサムライ・アートにハマってしまったようなのです(ロナウジーニョ選手Instagram https://t.co/ggWCsUphkr)。

海外で16年生活しましたが、日本の工業製品が評価されたり株式時価総額で米国を抜いたりしてもそれで日本人が尊敬されるということはありませんでした。白人社会で東洋人はまだまだ差別されており、不愉快な経験がたくさんあった。サムライ、アニメはそれを根底からくつがえし、我々日本人を尊敬までさせてしまうというのはバズーカ砲なみの威力があるということです。大事にしない手はありません。

広く海外で舞台に立つ傍ら、殺陣を教える道場を主要都市につくり、Kengido(剱伎道)を広めたいという島口さんの燃えるような情熱には共感しました。先日、ロッテのサブロー選手に感じた「熱くていい奴」、同じものを島口さんにも感じたのであります。Kengidoを広めることは武士道を広めるということでもあり、古くから日本人のもっている「卑怯なことをしない精神」を外国人に知ってもらうことは国益にもなると考えます。

敗戦国ゆえにあることないこと言いたい放題言われてしまっている我が国。忸怩たる思いを抱くばかりですが、世界の青少年がKengidoを習って武士道を地道に知ってくれればいいのです。「そんなこと日本人がするわけないでしょ?」という最強の反論になるではないですか。

 

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母校・九段硬式野球部が大健闘

2018 JUL 19 0:00:04 am by 東 賢太郎

昨日の東京の暑さはいっぱしのものだった。朝7時に早々と30度を超えたらしく、午後に外を歩いたがシャツの中の空気までが熱いというのは狂気の沙汰だ。こんなのはあまり記憶にない。

こういう中で高校球児は甲子園めざして野球をやっているのだ。いま思うと尋常なことではないが、暑さも野球の内という感覚だった。実は今年は母校の九段が東・東京大会で、

1回戦 広尾学園 16-5(5回コールド)

2回戦 文教大付属 10-9

3回戦 大田桜台 7-0(8回コールド)

と来ていて、雄々しい勝ちっぷりであった。残念ながら昨日とうとう力尽き明大中野に8-1で敗れてしまったが、しかし4回戦まで進んだのは最近記憶にない快挙でまことに痛快である。勝つとベスト16だったのだが、僕の2つ上の代が東西いっしょの時代のベスト32だったからそれに並ぶ可能性があった。

昨日勝ってベスト16を決めたのが関東一高、修徳、日大豊山、小山台、安田学園、そして今日は日大一高、二松学舎、成立学園、堀越、城東が4回戦をむかえるが、以上はみな甲子園出場校だからそれが4回戦のレベルなのだ(ちなみに7回勝てば甲子園である)。後輩たち、よくやってくれた、ありがとう!

そういう中でのことだった。五反田で会議を終えた後にタクシーを拾おうとしばし歩いたところ、おばあさんが炎天下の歩道に倒れていて家族と若者が懸命に助け起こしている。意識はあったが頭を打っていて出血があり、なかなか起き上がれない。91歳のご高齢とお聞きしこれは急を要すると思い、我々の判断ですぐに救急車を呼んだ。ところが出番が多いのだろう、なかなか来てくれない。しばしの緊張の時間が過ぎやっとお乗せすることができたが、その後いかがだったのだろうか心配だ。

毎年猛暑はひどくなっている気もするし、若くても熱中症で亡くなる方が増えているようでもあり、オリンピックもさることながら高校野球もリスクを考えた方がいいかもしれない。甲子園も、例えば準々決勝までは京セラドームでやるとかだ。勝ち残った8チームが甲子園でやることができる、そこまでは比較的涼しい中で黒白つけるなら過度の消耗も熱中症も避けられるしゲームの質も最後まで保てるのでは。根性と精神論で、欲しがりません勝つまではの時代でもないと思うのだが。

 

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あれから1年

2018 MAY 4 23:23:33 pm by 東 賢太郎

去年の今頃、愛媛県の青島へ行って猫三昧した。あれから1年。そうだ、東京に帰ってライヴ・イマジンのコンサートもあった。普通なら「もう1年か速いね」となるのだが、不思議と今は2,3年前の昔に感じる。

ということは、この1年がいかに普通じゃなかったかということだ。

5月29日にお袋が逝ってすぐアメリカに出張したはいいが、ディナーの最中に急に声が出なくなった。これにはびっくりしてまずいぞどうしようと焦ったが、何かが変になっていた。そこからスタートした案件が散々すったもんだして先月一段落した。作業と気苦労は平年の10倍もあってこの1年ぜんぜん休みが取れず、しかも気を紛らわそうとあえて仕事に没入した。だからだろう、遠い昔に感じるのは。

2015年からがんばらないことに決めた(がんばらない生き方)のに背いてしまった。書いたとおり63にもなってこんなことをするのは体に実に悪い。そこで人を少し増やして助けていただくことになった。幸運にもいい人たちにめぐりあって、お陰様と思う毎日だ。

面白いなと思うのはソナーは野村ご縁の方々の出資とみずほ(興銀)ご縁の方々の力で動き出していることだ。自分の出自は100%野村だがみずほに移籍して優秀な銀行員とチームになって学んだものがあり、ライバルだった強力な両者が合体したものが原動力となっている。自分の軌跡どおりユニークな会社になりつつあると思う。

さらに先日はネクサスの創業2周年記念会食が赤坂であった。ソナーから秘書二人も参加してもらってとても華やかな11名。40才以上は僕を入れてふたりだけ、平均年齢は20台で最年少は東大文Ⅲくんの19才だ。若者に囲まれてモツ鍋をつついてはしゃいで自分が何才か忘れた。

ニューオータニの新オフィスの内装は壁がマリンブルーとシェルフが黄色だ。机もスイス製の黄色いガラスをトップにした。皆さんにどう見えるのか、創造力を刺激するとがいいが。女性二人の加入も新鮮。おまかせする分野では僕は信頼する女の人に仕切ってもらいたい。そうすると余力が出て創造力が増すからだ。

これであとはネコと音楽があれば精神の調和が戻りそうになってきた。役員構成を変えてより強力な布陣としたい。

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「りり花」画伯は桜を描く

2018 APR 3 1:01:42 am by 東 賢太郎

桜はあんまり好きではない。ピンク色がきれいとかいわれても僕には白にしか見えない。それでも京都で見た満開の絶景は驚いたからべつに嫌いというわけではないが、あんなのを一度見れたんだからラッキーだった、もういいやという心境になっている。人ごみをかき分けながら落ち着く所もなく、「今日がピークですね」「明日は雨ですよ、もうダメですね」「運が良かったですね」なんて声があちこちから聞こえてくると、ああ運が悪かったなと嘆く性分なのだ。

というのは、株屋的には猫も杓子も買いだと騒ぐピーク(天井という)で株を買うのはばかだという感覚があるせいもあり、明日は落ち目だという夢のなさは嫌いだという人生観もあるが、なによりこんなに大勢の人が押しかけて大騒ぎしている桜なんだからきっと最上のものなんだろう、それが今日で終わりだとなると楽しまなくては損だという気になるからだ。するとそれがむくむくと強迫観念?になってきて、ただでさえ雑踏にもまれてそう楽しいとも思わない時間がだんだん苦痛になってくるのだ。

桜は不気味な植物と思う。たわわに重そうな花弁をびっしりと贅沢三昧に咲かせておいて、それで花粉を仲介すべき蜂や蝶だらけになったのは一度も見ない。これは何のためだと不可思議に思っていると、あっという間に散っている。エネルギーの無駄?でも人間以外の生物は生存、生殖に無駄なことはしないと教わっている。じゃあ、あれは何だ?

無駄?そうじゃない。日本中に桜は植わって子孫は大繁栄してるではないか。生存競争の勝者ではないか。そうか、ということはあれは桜が考え抜いたドラスティックな生存戦略なのではないか?食虫植物はメスの似姿を囮(おとり)に見せたりいい匂いを漂わせて虫を呼んでおいて食べる。桜は妖艶に人を酔わせてカラオケを歌わせて和歌まで詠ませて、食べないけども、あちこちに植栽させたり桜並木を作らせたりする。

つまり、あれは人間をターゲットにおいた囮(おとり)であって、人間のメスの似姿はちょっと難しいので「開花ショー」「お花見サービスタイム」というエンタメ系で釣ろうというものだ。きれいなだけじゃあ飽きられるので、飽きがくる前に「桜散るショー」でダメを押す。虫を呼んで交配させる?小物の発想だね。俺たちは大物しか狙わないのよ、ヒトよ、ヒトを惑わして悲しませて、また来年見たいと誘導して種を蒔かせるんだ。ぜんぜん効率いいぜ。

まあ真偽のほどはわからない。でも桜をぼんやり眺めてると、そのぐらいの仕掛けは難なく講じられ、まんまと騙され、ひっかかっている感じがしないでもない。だから不気味なのだ。

植物に知恵がないなんてことは考えられない、だって、だいたいハチのメスに似た花なんかどうやって考えつくんだ?どうしてそれでオスが寄ってくると知ったんだ?それがちゃんと似ているぜ、オッケー!と、どこから見て(感知して)判断したんだ?それに明確に答えた人はまだいない。明確なのは、それはわからないけども、そういう植物が確かに存在しているということだ。

植物や動物にはメカニズムは不明でも人間並み(以上)の観察眼も生きる知恵もあるという生物学者はいる。TVに出ていた「市原ぞうの国」のアジアゾウ「りり花(か)」の桜の絵を見て、まさに度肝を抜かれてしまい、それを思い出した。

 

見事な構図、タッチ。これは間違いなく、僕よりうまい。途中から番組を見てまず絵が画面に出たので、「いい絵だね、誰のかな?」とつぶやいた。ところがなんと・・・。嘘だろうと思ったがそうではない、りり花の母親の「ゆめ花」の動画がある。

ゆめ花さん、りり花さん、お会いしたくなりました。youtubeを探すと、あちこちに画伯がいた。

あれを描けと指示したわけではなさそうだし、おじさんが絵筆を渡してはいるが筆の色を見てあるべき場所に塗っているということは色もわかるんだろう。まいった。ということは象も桜を見るときれいなのに違いない。

桜の戦略に驚くべきなのか象のアーティスト魂に驚くべきなのか??

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学生街回想-いもやと鶴八の閉店-

2018 MAR 22 0:00:02 am by 東 賢太郎

神保町界隈というと一橋中学だったから庭である。そこから靖国神社の隣の九段高校、御茶ノ水の駿台といったから、九段下から靖国通りを古書店を眺めながら駿河台下まできてお茶の水へのぼる道は目をつぶっても歩ける感じさえする。駅を通り越して本郷三丁目までは2,30分で歩けるから、結局中学から大学までうろついたこの辺は第2の故郷と思っている。第1が多摩川でそこで自然児として育ったなら、物を学ぶ姿勢、趣味、人生観に至るまで、知の側面ではこの一角の空気を吸って若年をすごした影響は計りしれない。

一橋は校則が厳しく通学路が決まっていたが無視していた。すずらん通りの文房堂という立派な造りの画材専門店に入ると、ガラスケースにずらっと並ぶ高級万年筆が光っていた。それにほれこんでしまい、のちに勉強したのはあれが欲しいという動機もあった。三省堂、東京堂、書泉は寄り道スポットで本屋に何時間もいる癖はそのころついた。古書街は知の宝庫に見え、入るとぷんと黴臭い。何時間も立ち読みしてハタキをかけられたが、古いだけではない、絶版になって当然でしょというマニアック本の膨大な書架でもある。人体や天文や鉱物や鉄道や地図など自分もそうだが世の中にはこんなにマニアな著者もいるんだと安堵する場でもあった。

古本屋の店構えはいま思うとハーバード大学の「Enter To Grow in Wisdom」と書かれた門みたいに見えていた。ことに左の一誠堂だ。お若いの、智の壁は厚いよ、出直しといでと拒まれているようで最初のうちは戸を開けて立ち入るのもひるんだが、街中が図書館のような環境でこういうチャレンジングな風景を日々見慣れてくると、どことなく受験など下の下だなたいしたことないなというマインドセットができてしまっていたかもしれない。

それと同じノリでクラシックに没入した。レコード屋が一誠堂のように見えていた。それまた「Enter To Grow in Wisdom」である。本と違って立ち読みできないから迷う。2千円あって新譜を1枚買うか廉価盤を2枚買うか、行ったり来たりして散々迷う。本屋と同じで何時間もいる癖がついた。満を持して聴いてみてつまらないとカスの福袋を開けたみたいにがっかりだった。それでもいずれ全部聴いてやるさ、覚えてやるさと不敵なマインドセットでいたのは変わらない。僕にとって、書店が人類の知恵へのアクセスポイントだったようにレコード屋は西洋文化へのそれであり、受験勉強とクラシック音楽を覚えることは全く同じプロセスだった。

ただひとつだけ違いがあったのは、曲を聞き覚えるそばから楽譜を買ったことだ。分解癖、すなわち不思議なものはモノであれ何であれバラしてからくりを調べてみたい興味があるせいだ。管弦楽というのはその気にさせる不思議な音に満ち満ちている玉手箱であって放っておけず、あれはどういう和音をどの楽器でやってるのか知りたくなる。どうしてときかれても知りたいのだから仕方ない。初めて聞いた曲でも、その部分だけ鮮明に覚えてる。自分が音楽家をめざすかどうかというような世俗的なこととはまったく別次元の、いわばピュアに科学的な探究心であって、古本屋でオリオン座のリゲルの物理特性につき書いた本がないか探しまくったような関心とよほど近い。

いまの新世界菜館のあたりに洋書店があって、初心者だった高1の時にまずしたことはストラヴィンスキー「火の鳥」1910年全曲版のスコアを買ったことだ。不思議な音の部分を解剖して満足した。それが嵩じて次はウォルター・ピストンの「管弦楽法」を買った。火の鳥は1万5千円ほどでいまなら15万円の感じだ、そのために全部我慢して1年ほど小遣いをためた。こういうことをしながら硬式野球部でもあり高校でもあんまり勉学に励む暇はなかったが、神保町で育たなかったら、あの街ごと図書館の空気がなかったら、そういう風になったかどうか。本屋やレコード屋がアマゾンに淘汰されて、僕のような育ち方はもうないのだろうか考えさせられる。

先日アメリカでは赤貧のころの高級食だったハンバーガーをたらふく食べて留飲を下げた?が、思えば神保町をうろついていたころはさらに金がなかった。すずらん通りのキッチン南海、キッチンジロー、「いもや」などお世話になったのだがマック以上に敷居の高い店でもあった。いもやは閉店だそうであの大盛りの天丼がなくなるなんて寂しい限りだ。御茶ノ水駅前の名曲喫茶はトスカニーニのボレロに衝撃を受けた思い出の店だがなくなって久しい。聖橋口改札横でおやじさんが一人でやってた3畳ぐらいの立ち食いソバ屋など僕は高く評価していたのだが、もはや記憶の中だけだ。

本郷ではなんといっても森川町食堂であり、ここの貧乏学生に優しい定食と文学部地下の生協のカツカレーは困ったらこれという定番だった。法学部生は赤門の方は用がないから覚えてない。農学部前の西片にあった下宿に近いところで喫茶ルオー、中華の「一番」、「大鵬」、雀荘の珊瑚などはまだ健在らしいからうれしい。小遣いをためると秋葉原へ歩いて石丸電気でレコードを買った。ここが前述した古本屋に匹敵する西洋の知の殿堂であったが、時代の波であろう残念なことになくなってしまった。CDも入れると2,3千枚は石丸で買ったろうからそこで費やした時間は長い。史跡にしてほしい。

こんな回想に浸るのも、先日東京ドームに出向いて神保町をぶらついたからだ。水道橋から神保町交差点へは通学路であり、東京ドームはそうでもないが後楽園球場ではいくつか忘れられないシーンがある。しばらくご無沙汰だったすしの鶴八をのぞいたら、なんとこれも閉店でショックを受けてしまった。主人の田島さんはカウンターに座ると黙って小肌だけ出してくれる、言葉はあんまりいらない店だった。何の弾みかクラシックの話になって、シューリヒト好きというので、お持ちでないというベルリン・フィルのエロイカをお貸ししたりした。お元気なのだろうか、まったくつらい。

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西部邁さん死去、多摩川で自殺か

2018 JAN 21 23:23:02 pm by 東 賢太郎

きのう例の綱島の温泉で8時間も汗を流してぼ~っとした。去年の6月から重要案件で疲れきっていて、ここから正念場なので頭を軽くしたかった。その効能はあったけども体重は減っていない。風呂や岩盤浴で2キロぐらい上下はするが、所詮は水の出し入れだ。そこで今日は多摩川を走ろうと思い至った。何と4か月もサボっていたから本当に久しぶりの決断だった。

新品のシューズを買っていたが体はなまってる。どたどたという無様な感じで坂を下った。多摩川の土手まで来るといつも右か左か、どっちへ向かおうか迷う。行先はというと右は二子玉川、左は巨人軍グラウンドと決まってる。へたってるのでお手軽な左で済まそうかと思ったが、そんなんじゃいかんと足は右へ向いていた。

そんな日にそこでそんな事が起っていようとは・・・。西部邁氏が多摩川河川敷で発見されて亡くなったと知ったのは帰宅してからだ。報道では「現場は東急東横線多摩川駅から西に約600メートルの野球のグラウンドやサッカー場などがある河川敷近く」とあるのでおそらく巨人軍グラウンドあたり。まさにそこだったのだ。

西部 邁ゼミナール、面白かった。氏の見識は人間味と遊び心のエッセンスそのものだ。そこいらのくそ真面目なだけの事務員みたいな学者とは雲泥の差で、人間の質が違う。大衆社会批判、対米追従批判は同感を超えて僕には痛快であり、テーマ曲にドビッシーを使ってるのも彼の趣味かどうか知らないがおしゃれと思っていた。いつかお会いしたい筆頭の方だった。

この最後の放送で「物事を総合的に見ることができないmassばかりの世の中になった」「massは無知な大衆じゃない、教育を受けた人ほどそうなる」「こんな所ではいくら書いてもしゃべってもだめだ」「言論は虚しい」となる。わかる・・・。そして「僕の人生はほとんど無駄でありました」でくくる。そして人生もくくられたのか。

こんな知の巨人がそう言うなら僕ごときが何をあがいても無駄だ。ブログの読者はmassに属しない方々と信じるが、しかし99%は明らかにmass(=馬鹿)なのだ。過去につづったこのようなもので僕が西部氏にいかに共感していたかお察しいただけるだろうか。度々勇気をいただきました、お会いしたかったです。

頭が良くて馬鹿 (ラ・ロシュフコー) とは?

僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源

「フランス学序説」に教わったこと

教養のすすめ

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