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カテゴリー: ______日々のこと

父の日のちょっとした出来事

2024 JUN 19 7:07:09 am by 東 賢太郎

次女がロイヤルホスト行こうというので家族で行った。子供の頃ね、ステーキなんかめったに食べさせてもらえなくてね、ビフテキっていったんだよ。銀座の不二家でね、お爺ちゃんが機嫌がいいとチョコレートパフェとってくれて、帰りに銀色の筋が入った三角のキャンディー買ってもらってね、うれしかったね。

ジュースはバヤリースってのがあったけど安いんでオレンジの粉ジュースでね、底に粉が残るんでまた水足して飲んでたな。カルピスもそうやってた。バナナは台湾が高級であんまり出なかったよ、みかんかリンゴかスイカだな。キウイとかマンゴーとかパパイヤとか、そんなのはなかったんだ。

黒黒ハンバーグ定食にしたがそれだってご馳走だ。十分満足したが、食べなよというのでチョコレートパフェもとった。不二家のこれとアメリカ時代のビッグマックは高嶺の花だ。すっと背の高い巨大なパフェの頂上に位置する生クリーム部分にスプーンを入れると今でも誇らしさすら感じるものである。

そろそろ会計してくれという段になって、それは次女からのプレゼントだったことを知る。「そうだったんだ、休日はほとんど知らないんだよな」とばつが悪い。「お父さん、父の日は休みじゃないよ」という会話になる。パリのMBA様である彼女は会社でM&Aをやったらしく頼もしいもんだ。

映画で英国やドイツの街並みが出てくると、知らない場所なのに家族と過ごした記憶がフラッシュバックして思わず入り込んでしまう。そういう場面が脳裏にぎっしり詰まっていて、無限のように在るあんなことそんなことが蘇って心が動くのだ。なんて幸せな日々だったんだという感興とともに。

同じことが音楽でも起こる。ブラームスの6つの小品Op.118、亡くなる4年前に作曲された、彼の最後から2番目のピアノ曲だ。これを聴くとフランクフルトのゲーテ通りからツァイルという目抜き通り商店街に家族で歩いた週末の楽しい日々が瞼に浮かぶ。

そういえばフランクフルトでのこと、娘たちのピアノの先生が名ピアニスト、レオナルド・ホカンソン(1931 – 2003)の弟子ということで演奏会に連れて行ってくれた。アルトゥール・シュナーベルの最後の弟子の一人である。まるで昨日のことのようだが、あな恐ろしや、1994年だからもう30年も前になるのか。聴かせていただいたホカンソンのブラームスの第2ピアノ四重奏曲は実に味わい深く、終了後に楽屋でお礼を述べブラームスについて意見を交わしたが緊張していて内容はあまり覚えてない。いただいたCD、ここにOp.118が入ってるのだが、裏表紙にしてくれたサインはyoutubeの背景になっている。そのイベントを永久に残して恩返しできたかもしれない。滋味深い素晴らしい演奏だ。

いま、このフランクフルト時代の部下たちが事業を助けてくれている。次のチューリヒ、その次の香港でそういう交流はもうなく、やはり最初の店は特別だったのだろう、ドイツの空気を吸って仕事した部下たちは特別な存在だ。ドイツ語しか聞こえない中でどっぷり浸っていたバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ワーグナー、ブラームス、ブルックナー・・・これまた人生最高の至福の時だった。

次女の記憶は幼稚園に上がったドイツからだろう。活発な子だが歩いて疲れるとまっさきに回り込んで抱っこになり、ダウンタウンのがやがやしたイタリア食材屋だったか、はっと気づいたら雑踏に紛れてしばし姿が見えなくなって大騒ぎした。毎月彼女用には「めばえ」という雑誌を日本から取り寄せていて、帰宅して玄関でそれの入った紙袋をわたす。あけてそれを取り出した光輝く顔はフェルメールの絵みたい。子供たちのそれが励みで仕事をしていたような思いがある。

食事から戻る。坂道を下ると遠く先の多摩川あたりまで点々と街並みの光がきれいだ。もうここに住んで15年になる、早いなあというよりまさに矢の如しだ。ワインでけっこう酔ってる。しばし猫と遊んでから地下にこもってピアノを弾くのはよくあるパターンだ。いま譜面台にあるのは2つ。毎日さらっているシューベルト即興曲D899の変ト長調はうまくいかない。じゃあもうひとつのショパンのワルツ 第3番イ短調 Op. 34-2はどうだ。だめだ、音をはずす。練習をなめちゃいかんぞとふらつきながら3階の部屋までふーふーいって上がると階段のてっぺんにこれがあった。

東京証券取引所を訪問する

2024 JUN 6 6:06:44 am by 東 賢太郎

人形町でM&Aの交渉。ちょっと疲れた。せっかく来たので昔なつかしい芳味亭でランチをするかということになった。なにせここのビーフスチュー(シチューでない)はとろけるような柔らかさでデミグラスソースとの相性抜群、オンリーワンの旨さなのであるからご存じない方は一度は賞味されることをおすすめする。昭和8年、横浜のホテルニューグランドで洋食を学んだ近藤重晴氏が始めたらしい。洋風のおかずに白飯という「和」のスタイルが洋食なるものの原点だ。

欧州時代に会議で帰国した際はこの近く(箱崎)のロイヤルパークホテルが定宿だった。到着するといつも夜で、ひとり水天宮のあたりに出てラーメンをすすった。これが久しぶりで飢えておりご馳走だったが、なんとなく物寂しくもあった。数日のきつい日程を消化し、帰りはそこから目と鼻の先の出国ターミナルでパスポートコントロールと荷物検査を通り抜けて空港バスに乗る。夕方のフライトだと大体すいている。いつも運転士のすぐ後ろに陣取ったのは、幼時に電車でその席に座りたくて仕方なかった、その名残だろうか。やがてバスはするすると動き出して大きく右に旋回する。そのあたりの光景がいまでも高解像度カメラのビデオのようにくっきりと瞼に蘇る。やっと家に帰って家族の顔が見られるぞとほっとしたものだから、この光景だけが、まるでそこだけカットしたかのようにぽっかりと記憶に焼き付いているに相違ない。これを何十回やっただろう。お疲れさん、よく仕事したねと自分に言ってやりたい。

家といってもロンドンやフランクフルトやチューリヒなのだから考えればおかしなものである。普通はさあいよいよ外国だぞのモードに入るわけだが、完全に天地逆転の感覚ですごしていたわけだ。若かったロンドンの頃は空港に社用車の迎えなどない。ヒースローから大量の荷物を抱えてえっちらおっちらタクシーに乗っかって、運ちゃんと退屈な会話をしながら小一時間ゆられる。疲れ果てて家について、妻に迎えられるとどんなにほっとしたことか。子供達にすれば生まれた時から天地は逆だった。彼らの天地は日本で育った僕や妻とは物心ついた初めから逆なのだから、実は親はわかるようでわかってないということになかなか気づいてやれなかった。

人形町から日本橋方向に歩き、息子が行ったことないというので東京証券取引所に立ち寄ることにした。電子化されて立会場の面影は皆無、なにやらSF映画の宇宙ステーションみたいな光景になっている。ここで仕事をしたわけではないが、仕事のすべてはここに関わっていたのだ。僕は証券マンでも異例であって、ボンド(債券)を売った記憶がない。なぜかは覚えがない。動かないものはまったく興味がないから債券は石ころみたいに情熱がわかない。きっと売っても売れなかったのだろう。すなわち根っからのエクイティマンであり、株式が大好きであり、一枚の伝票で160億円の商いをしたことがあり、そうであることに誇りを持っている。そんな破格の注文も、すべてがこの場所で執行されたのである。

東証本館1階には「証券史料ホール」なるものがあり「我が国の証券市場の歴史に関する史料から特に歴史的に貴重な品々を選んで年代順に紹介されています」とある。

息子がガラスの展示ケースの中にこれを見つけた。東京株式取引所(東株)の創立証書である。

田中平八の直筆サインは初めて見た。感無量だ。写真を撮って息子に「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事をしろよ」と言ったものだが、それは自分にかけた声でもあった。

慌ただしかったこの一週間の雑感

2024 MAY 21 0:00:27 am by 東 賢太郎

次女がブログ1,000万PVのお祝いをフレンチレストランでしてくれた。こうやって何が起きるかわからないから人生は面白いだろ。山も谷もあるけど一喜一憂はいけないよ。感情が同期して山と谷が倍になる。谷が深いと気持ちが折れたりするからね。これは良くないんだ、サステナブルじゃないから。

わからないことを恐れちゃいけない。たとえばコロンブスは地球は丸いと信じ、東回り航路はポルトガルが制圧してたから西回り航路でインドに向かった。これがいかに凄いことかって、ガリレオの天動説が出てくる100年も前だよ。地球は平らで崖から落ちると信じられていた時代だ。想像できるかな?

じゃあ現代はどうか。みんな地動説を信じてるね。でも宇宙はそう見えるように高度に計算された幻影で天動説が正解かもしれない。太陽と思ってるアレも人の数、80億個あってどれもホンモノの影にすぎないかも。2,400年も前にプラトンがそういう類のことを言ってる。現代はシミュレーション仮説っていうんだね。

ぶっ飛んだ話をしても次女はついてくる。こういうのは想像力の問題なのだ。だから肉を食ってるときはライオンの気持ちになれってよく言ったもんだ。なんでそう言うか考えさせる。脳梁が鍛えられ右脳、左脳の交信が太くなり想像力に富む面白い人間になる。ガリ勉は退屈だし優秀でもない。

娘はフランスへ行って修士号を取ってきた。コロナ最盛期でのチャレンジは評価する。MBAは半端な勉強量でない。知らないからハーバードMBAですなんて軽いタッチでウソついて瞬殺でバレた芸能人がいた。学歴詐称はバレないと思ってるからできるのよ、それ自体が強烈な無学の証明。バレたら問答無用で終わり。

自民党。75日で国民は忘れると思ってる。そこで権力のブルドーザーで押し切る。知性のかけらも感じねえ、無学だねえ、伝統芸はもう見飽きた。裏金事件の本質は脱税資金を自分の選挙と権力維持に使ってるどす黒い疑惑である。今日の衆院予算委員会、立憲/野田・落合、維新/青柳・藤田の質疑は良かったと思う。

自民の政治資金規正法改正案は抜け穴を埋め込もうという魂胆が丸見え。政治はカネがかかる?ならかけない人にやってもらおう。党内で議論を尽くしてますって、そんなの何千時間やろうが国民はだから何だってこと。抜け穴作りに必死になればなるほど「そんなに甘い汁なのか」と怒りが増幅するだけだ。

二世だか三世だか知らないがドリルの人とかパンツ盗んだ人とか50億もらった人とか、実にこの国は発狂してる。そんなのでも権力のブルドーザーで押し切れば当然の顔をして済んでしまう。それを全メディアが偏向報道。赤旗、聖教新聞の方がまだウソはないことに多くの国民が気づき始めている。これは大革命だ。

権力に媚びて正論を封殺するメディアが作るテレビ、新聞の「定食」だけ食べさせられる時代は終わる。玉石混交のネットから情報を選ぶ力のある人とない人の差がつく。国民にその意識が高まれば想像力をもって自分で考える人が増え、おのずと選挙の投票率も上がる。右だ左だじゃない、真にまっとうなことだ。

 

御礼  総閲覧数が1,000万になりました

2024 MAY 16 22:22:08 pm by 東 賢太郎

2012年9月12日の午後。紀尾井ビルの5階にあったソナー・アドバイザーズ株式会社の小さな事務所で何を書こうか思案していました。たどたどしい指でパソコンに打ちこんでみる。何度も書きなおしては消し、打ち間違え、ついに「よし、これでいい、いくぞ」と身構えました。「ブログ」なるものの発信です。ミサイルの発射ボタンでも押すみたいに恐る恐る「公開」ボタンをクリック。14時14分35秒のことでした。

それがこれ。我がブログ第1号であります。

僕の甲子園

発信といっても、大海原に筏(いかだ)を浮かべただけ。大会社はやめてどこの馬の骨かわからん人間になってたし、きっと誰も気がつかないだろう。100人ぐらい見てくれなければやめよう。そう思ってました。

あれから11年8か月。きょう総閲覧数が1,000万になりました。なにも言うことがありません、読者の皆様、本当にありがとうございます。相当な時間をかけて書いてきましたがそれだけのものを作ることができました。100人しか読まれなければ存在しなかったものですから、これは読者の皆様の作品でもあるのです。

2016年、熱心な読者の柏崎さんが前の事務所に来てくれました。西表島の猫の話をきき年末に娘たちと行きました。そういう縁ができたのも、彼がブログの中身をよく覚えていたからです。僕は書いたらもう読まないので彼の方がよく知ってます。先日箱根に行った従妹も昔のあれこれをよく覚えてくれているのですが、ブログでそれがあるとなると、手を離れたものはもう独り歩きしているということです。百年、千年たったらどうなってるか。クラシック音楽が残ることは確実だろうからおまけで残っているかもしれない。そうすると、それ以外のジャンルのも20~21世紀人の戯言として読まれないかなと思うのです。

それこそがSMCをクラブとして立ち上げた動機です。万葉集をイメージしたのですが、先日、2013年のミクロネシアからのお付き合いである公認会計士のAさんが「枕草子になるかもしれませんね」と言ってくれました。男優先の家で育って家内や娘に注意されてる身ですから女性の評価は最高にうれしかったですね。僕には女卑思想はありません。清少納言さんやユリア・フィッシャーさんのファンであり、そもそも身の回りは何もできないから女性に頼らないと生きられません。ブログ読者の男女比は6:4のようで、ありがたいと思っております。

読者の4割は年齢が35以下です。シニア向けのつもりで始めたのにそうなってないのです。若者のころはがむしゃらに突っ走るのみでしたが、齢50を超えると見える景色が変わりました。身体能力が衰えて限界を悟ったのですが、人間はよくできてるんですね、壁に当たる人もいますが僕のように父親目線になる人もいるんです。若者の上に乗っかって威張って金もらってという形で壁を乗り越える輩も多いですが、僕はそういうのがぜんぜんなく、若者をがんばってと応援したくなるんです。だから野球は二軍戦が好きで、この子は伸びるなんてメモを取るのが楽しい。大谷さんみたいな立派な人はあんまり興味ないです。

齢60でますますそうなり、「若者に教えたいこと」というカテゴリーで相当たくさんのことを書きました。習ったものでなく、自分で道を切り開きながら悟ったものだから何かしら価値はあるのではと思います。本来、こういうことは自分の子供だけに教えるんです。読者の4割が若者になったというのはそんな親父はあんまりいないからかなと勝手に思ってます。読んだ子は思いっきりパワーアップして人生勝ち組になってほしい。そういう子たちがたくさん子供を産めば日本は強くなる。これぞまさしく保守の保守、男の本懐、父親目線なんです。youtubeや本やブログでお金を儲けようという人も大事な情報を発信することがあるし、もとより色々なご事情はあるのでしょうが、ビジネスで収入を得る力のある人はそれは考えないです。そういう人に習えばそういう人になります。

来年70ですが、よし、もういい、と完全に満足して引退宣言するまでやるっきゃない。オーナーは首にする人がいないからそうなるんです。体はいたって健康でGW中にフルマラソンの距離を走りました。サーチュイン遺伝子を活性化するNMNの静脈注射を3回打ってるし、神山先生の鍼と丸薬は欠かさず副鼻腔炎とパニック障害がすっかり治ってる。このまま保てば5年はいける気がします。すると、ここで柏崎さんの人脈から新しい事業の構想が出てきました。ソナーを巻き込んでのものだから集大成になるかもしれません。僕は証券会社に長くいてその専門家だし、若者にビジネスを教えて育てたいという情熱もあります。そのうちわかりますが、まさに適役の仕事と思いました。それが最終決定したのが今週の月曜日。そしてPV1,000万到達が今日。ドラマにしても出来すぎです。僕は人生は頂いたもので自分が決めてないと信じてるので流れに任せることにしました。

 

箱根ローストチキン

2024 MAY 15 15:15:58 pm by 東 賢太郎

チビ

妹夫婦、従妹夫婦と墓参りへ。とても和む。高校時代の愛猫チビが実は隣の猫だったという衝撃の過去が発覚。娘たちの激辛好きは長崎のばあちゃん由来だったことも判明。他愛ない話にいくらでも花が咲いてしまう。従妹は集英社出身の芸能・アート通、グルメ社交家だ。生粋の母方性格。学者系の父方とは見事なほど別人。見合い結婚ならではのハイブリッドである僕は三毛猫だなと痛感する。

夕食は千坪の敷地にある仙石原のイタリア風洋館「アルベルゴ バンブー」でとった。オーナー竹内氏が映画ゴッドファーザーの結婚式シーンをイメージしたという造りで「箱根ローストチキン」が名物。2年前に飲んだワインの記録が出てきたのは中々と思う。翌日は以前持っていた芦ノ湖一望の1800坪の土地を視察。まだ更地と確認する。レークサイドの箱根ホテルの庭でしばしビールでぼーっとしたが元箱根はそこらじゅう外人観光客だらけである。こっちはこういう洋風が落ち着くのだから妙なものだ。

うまいものは素材だ。良い素材はそのままでも調理してもうまいが、安物が調理で逸品になることはない(もしそうなら安物でなくなる)。居酒屋でわいわい干物をつつくのもいいが干物がまずくてはいけない。かたや、給仕の靴音が遠くから響くほどシーンとした空間でナイフの音をたてず舌平目を口に運ぶのはコンサートホールでピアニッシモに耳を澄ますのと変わらない。楽器の音もしかりだが、料理の味というのも三次元空間に存在するのである。

箱根翡翠は定宿、これも食事もみな従妹夫婦の手配だ。この手腕は野村スイスの名セクレタリーだったNさんを彷彿とさせ、世話になりっぱなしである。スイスではSF建てで起債する日本企業の接遇が社長の仕事で、社屋と同じほどユングフラウやツェルマットが仕事場だった。箱根は近いしそんな風に使える。白濁温泉に2時間ほどいて雑事をすっかり忘れた。頭のデトックスもたまには大事だ。

 

2年前の5月5日午前8時半の出来事

2024 MAY 5 8:08:57 am by 東 賢太郎

父が逝去して今日5月5日で2年になる。ブログにはあえて書いてないが、一昨年は大きな決断をしていて、ある職を辞すことを某社に告げた。それが亡くなる前日のことだった。もちろん翌日にそんなことになるとはつゆ知らない。それだけではない。もう係累はないが先祖は能登だ。今年の大震災の前兆だったのか、去年の5月5日にもM6.5の大地震が能登半島であった。父が何やら言い残したことがあったかと思った。

晩年は僕の肥えた腹を見てやせろやせろとうるさかった。そういえば去年の10月から運動しておらず体重がまずいことになってる。父は60キロもなくて97歳の長寿だったがこっちは80キロ越えだ。そこでGWに6日で28km走った。体重もBMI、体脂肪率もちっとも変わらなかったが6日目になって落ちてきたからやれやれだ。きのうは雲一つない晴天である。僕の棲み処は屋根の上に特設した小屋みたいなもので、斜面の3階だから風呂からそのままデッキに出ても人目がない。素っ裸で寝っころがって富士山を眺める。聞こえるのはピヨピヨ、チチチ、チュンチュン、ホ~ホケキョと360°のサラウンドで近くから遠くから空気をぷるぷる切り裂いてくる鳥のオーケストラだ。このためにここにしたわけではないが、そうしてもいいかなと思うぐらいの上等な音楽である。

このあたりは昼も夜も人がいない。前に住んだ代沢もいい所だが隣の犬がうるさくて閉口した。ここはそれもなし。いつも真夜中みたいに静かだ。その割に交番があり、住んで15年になるが犯罪は全くなく、町内会のつき合いやら妙な押し売りみたいなのも来ない。田園調布双葉学園が近いが上品な子たちで音は聞こえない。この完璧なプライバシーはヨーロッパに住んでた時と変わらず、この環境で猫がいてクラシック音楽をきけるならもう何もいらない。サラリーマンの子であるサラリーマンの僕には本来無縁の処で、他業界だったなら社長にでもならないとなかっただろうが証券会社に働いたおかげで縁ができた。

職業選択といえば、人間、何事も才能というものがある。何かの技能がうまいなあと思う群れの中でも図抜けている者がほんの少しだけいて、その者はそれで飯が食えるようになるのだが、今度はその連中の群れの中でさらに図抜けた「すぐれ者」がいるという塩梅だ。自分はうまいなあぐらいの最低限の群れにはいたかもしれないがそれで飯を食える水準ではなかった。あらゆることでずっと上の人がいるし、なぜ得意でもなかった仕事に従事してうまくいったかは不明だ。それは両親の愛情のおかげと思う以外に説明がつかない。それがツキを呼んでくれ、何かに押し上げられて柄にもないことができてしまった感じしかない。

そして今は自分が親になって、子供や子孫にそうなってほしいと願う番になっている。人の道というものがあって、誰しもちゃんとそこを歩くようになっているようだ。父は僕に野球がうまくなる方法や成績が良くなる術を教えたりはしなかった。「自分の頭で考えろ」が口癖で学習塾に通わせることもしなかった。バカだった僕はそれにかまけて小学校で勉強した記憶はなく、どこだったかすら覚えてないが受験した中学は全部落ちて屁のカッパだった。僕がたどった道は、親の愛情に押されて悩みながら自分の頭ですべきことを見つけ、才能はなかったが頑張れば食えるものについに出会ったというだけだ。だから子供にも方法を押し付けることはしない。自分で悩んで探さないと自分のものではないからだ。親はいなくなる。そこで頼りになるのは自分で考えて見つけたものだけだ。

5月29日は母の命日、8回忌だ。2017年のそのとき、母がいなくなったという事態がのみこめず心身ともおかしくなった。間髪入れずアメリカに飛ぶことがなかったらその後どうなったか知れず、あれこそまさにツキであり母がそれを用意してから安心して逝ったと思っている。大病を何度もして、けっして虚弱な人ではないのに、目、心臓、胆のう、卵巣、大腿骨、手首と6か所も大きな手術をした。ペースメーカーを入れ、手首も足首も注射の跡で痛々しい紫色だった。そういうことも遺伝しているはずの僕は、しかし、いまだに体にメスを入れたこともないのだ。母が身代わりになってくれていたとしか考えられない。そうやって育てられ大人になってからはじめて先祖のことを話してくれ、だからどうということもなく「うまくやってね」とだけ言う柔らかな人だった。うまくやってね

両親がいなくなった2年は何やら空洞の中を彷徨ってきた気がする。仕事のことは相談する気などなかったのに、今となってこれ大丈夫だろうかときいてみたくなる。何度か父にきいたことはあるが、業務内容は知らないのになるほどという大人の知恵と常識があり、そうした巌としたバックボーンに見えないままに守られていたことを悟った。高校の反抗期で父には申しわけない振る舞いをしてしまったことがあったが、そうやって男として自立でき、父は受け入れてくれ、それが受験で仇をとってあげたいという強烈なモチベーションになった。結果的に、それは自分にとっても良いことになった。

世の中には親を大事にしない人がいる。子を殺す親もいるのだからいろんな事情はあるのだろう。しかし動物でも子は守るし子はそれに甘えて健全に育つ。人間も動物であり、それが自然の理にかなった行動であるはずだ。ただし動物は育てば自立を促されて追い出され感謝はしないだろう。人間はする。それが人間の特質だ。だからそうでない家庭には何か自然を妨げる原因がある。感謝はうわべの儀礼ではなく、奥深い心の作用である。だから親に感謝できない人はその人間たる心の作用が働かない人で、他人にも儀礼はできるが感謝はできない。そうした人が増えれば社会を非人間的にすることになり、あわよくば暴力や社会騒乱をひきおこし、ウソつき、詐欺師を出現させることにもなる。

こうして人並みに親に感謝できることの幸福をかみしめていることを父に報告したい。

 

 

2024年のあけましておめでとうございます

2024 JAN 1 9:09:23 am by 東 賢太郎

元旦に熱海にいたり箱根で駅伝見たりフィラデルフィアにいたりスペインのネルハにいたりしたことはあったが、15年前にいまの家に定住してからはずっと寝正月だ。10余年前から定番のお節料理は何度食べても旨いし、周囲は森みたいに静かだし、風呂から元旦の富士山拝めるし、源頼義が戦勝祈念に建てた神社がお隣りさんだし猫はたくさんいるし、これでお腹いっぱいなぐらい幸せだ。

この安住こそが、海外で16回も引っ越しをした我が家に神様がくれたご褒美だと思っている。それだけの仕事はやった。子供たちも転校転校で苦労をかけた。長女の中学受験。親の面接でその質問に「アドバンテージだと思います。国も4つです、そんな子はまずいません。オンリーワンの経験をプラスにしてくれると信じてます」と答えた。オンリーワンの経験は親にとっても同じだった。

今年はこうしようということも特にない。いただいた仕事を一生懸命やる、それだけだ。2,3千人のブログ読者の存在も大きな生きる力になってます。2024年の皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

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雑事、雑念を吹き飛ばしてくれた音楽談義

2023 NOV 30 15:15:14 pm by 東 賢太郎

あっという間に年末だ。今日はあのパスカル・ロジェの素晴らしいリサイタルを西村さんと聴いてちょうど1年。ああいうのは残る、先日のバッハもそうだ。そうでないのはすぐ忘れる。人間そうしたメモリーを、できれば良いのをたくさん残すために生きてる気がしている。

11月から多くの新しい方とお会いしているが、人との出会いもそう。残る人はご縁があったということになる。かたや先輩、同窓生が旅立った。いまでも声が聞こえる。両親を見送ってからみんなあそこにいる、そういうあそこが信じられる自分もいる。

先日、会計士のAさんが、会社、ウォートンの大先輩のご子息でシンガポールの著名ファンド社長であるSさんを紹介してくれた。仕事の話になるかなと思っていたがクラシック好きともうかがっていた。ただそっちは100mの深穴を掘った坑夫の体験談みたいなものだからなかなか簡単ではないとも思っていた。

Sさん、お会いしてすぐワグネルのフルーティストと知った。ブログをリサーチされていて頭が下がる。ブーレーズ、ジョン・ケージのイメージがあったようだが、入門はボロディンの中央アジアで東大落ちた日にラフマニノフSym2きいたんですよということでご理解いただく。

まずこれが話題になった。

僕が聴いた名演奏家たち(オーレル・二コレ)

favoriteが共通だった。Sさんご自身も銀製の楽器であり二コレの音は彼の吹き方にもよると真似してくれたが楽器の特性もあったようだ。翌日youtubeのテレマンを拝見したがやはり柔らかい感じである。まだそれを味わい分けるまで僕はわかってないことも悟った。

好みの一番はスイトナー時代のドレスデン・シュターツカペレのフルートで、といって名前が出てこない。フィガロの録音(ドイツ語なんでトータルにはお薦めしないがオケパートはこれを上回るものはない)に言及。これだ。

第1Vnとユニゾンになった柔らかくいぶし銀の光輝は至高。Aさんがその場で調べてくれた。ヨハネス・ワルターだった。このDSKの音響の美学が消えてしまったことは信じ難い。人類の趣味が悪くなってる。音がバリバリでかくてやたら腕達者だが滋味、香気がないオケばっかりになった。

ヴェルディ、ショパン、マーラー、あっリストはもっとだめ。じゃfavorite誰ですかという問いは答えられなかった。グールドは?これは数多の人に聞かれたがモーツァルト、ベートーベンはだめ、バッハも彼のバッハであってあの平均律がベストとは思わない、一番響いたのはシェーンベルクのピエロと回答。

Sさんムジークフェラインでブルックナー7を吹いており、演奏した指揮者ではフランツ・ウェルザー=メストが自由に吹かせてくれ、オケの音が変わって別物とのこと。彼はチューリヒでのばらの騎士、ホフマン物語がメモリーにある。指揮者ベスト、ベートーベンのベストは回答が難しい。僕も難しい。

好きな方はラヴェルが一致。フルートは僕的にはまずダフニスのソロ、P協Mov2、王女パヴァーヌのト短調のところ。そしてクープランの墓のフォルレーヌのシシーはこうじゃないとねと、前を歌わないと通じないマニアックな音だがぱっとわかってしまう。素晴らしい。これで4時間。気がついたら閉店だった。

どうして覚えるかという話になって僕はピクチャー型で楽譜リサーチ型なので耳コピできないと楽譜調べる。それを解読すべく高校で和声学と対位法の教科書読んで、この道を先に行くと近現代曲になる。La Merは聴くよりスコア見るのが好きみたいな超マニアックなSさんとの会話に耐えて下さったAさんに深謝だ。

ということで同業のSさんなのに仕事の話は一言もなし。こんなのは何年ぶりだろう。おかげさまで雑事も雑念も吹っ飛んだ。

ちなみにAさんはチャイコフスキー派というので悲愴の構造のお話をする。歌えば誰もがわかる。チェリビダッケが知っていたことがわかる音がある。PC1、一番いいのは第2主題と続く弦のウクライナっぽい副主題、これ最高だ。お好きなマーラー5は、アダージェットはピアノで弾くとぞくぞくものだ。

Aさんとはもう10年になるがこんなこと公認会計士に頼むかよということまで助けていただいている。どっちかというとミステリー小説で盛り上がっていたがSさんによるとシューマンの交響的練習曲の録音があるというのですぐ送ってもらった。立派なものだ。なるほどこの眼力あってのディナーだったようだ。

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大衆は気がつかないよ(宇宙人の予行演習)

2023 OCT 6 0:00:51 am by 東 賢太郎

「あなたは大きな猫だから」と家内にいわれてる。自分もそう思うし5匹の猫たちも多分そう思ってる。猫に理屈はない。だから人間界ではとても理屈っぽいのに猫といると頭がぼよんとしている。ひょっとすると人の前であっても僕の理屈というのは実は猫的な感性から発出していて、人には通じてないのではないかと思うことがある。通じないものは理屈といわないから、僕がしゃべっているのは猫語の翻訳みたいなものであるのかもしれない。とするとその刹那、この男はとてつもなく馬鹿でねえかと思われてるだろう。

手が不器用だ。靴ひもを結んだり荷造りとか整理したりがまるでだめで、ロッカーで着替えなんかをしようものなら必ず断トツにびりだ。僕より遅い人を見たことがない。子供の時からそうで、着替えがある体育や水泳は大嫌いだった。そりゃ猫の手は構造的にそういうことには向いてないのである。だから僕が愛猫家であるなどと人間の種別、分類で呼ばれるのは不適切であろう。機能的にも猫なのであって、獲物を見つけた時の瞬発力だけで生きてきたような気もする。

うちのフク

ときどき猫が窓から空をじっと見ていることがある。鳥も何もいないのに、しばし虚空の一点に目を凝らしている。するとああ誰か来ているなと感じるのだ。霊感が強いわけではないが、僕はそういう考えに抵抗はあんまりない。人間も動物も霊の乗り物であり、生まれる前、死んだあとは我々の意識は霊界にあると思ってるからだ。大阪では明け方に金縛りになって耳元で誰かの足が畳を擦る音まで聞いている。

イメージはこんな感じ

一度UFOと思われるオレンジ色の火球を目撃もした。たしか1982年、結婚前の家内とデート中の真昼間のことだ。渋谷公会堂前にNHK放送センター側に渡る歩道橋が当時はあり、その上を歩いていたら西方の遠くにそれが浮かんでいた。家内も見たし周囲の人たちも「あれはなんだ?」とざわついて立ち止まっていたから絶対に錯覚ではない。中空に3つ4つが静止しているように見えた火球は、やがてぐるぐる互いを旋回するように動いて急に跡形もなく消えた。僕は星ぐらい小さな点になると色はわからない(猫目だ)。太陽みたいな色だったとはっきり覚えてるのは、それが点ではなくそこそこ大きかった証拠である。その動きの素早さは雲に地上から映しだされた光点のごとく空気抵抗というものをまったく感じさせなかったが、晴れていたから雲はなかった。

米国は軍人や民間人の未確認物体の目撃情報が何百とあるらしく、議会で大真面目にとりあげている。そしてメキシコではついにこんなものが出てきてしまった。医師らがDNA鑑定やCTスキャンなどの結果、「この物体は組み立てた痕跡がなく人類でもなく放射性炭素年代測定で約千年前のものと判明した」と世界に報道された。「ナスカの地上絵」付近の鉱山で2017年に発見されたのがなぜこのタイミングで出てきたんだろう。なぜメキシコなんだろう。よくわからない。あの渋谷の火球が乗り物であるなら明らかに地球製ではなさそうだからこういう宇宙人が操縦していて不思議ではないわけだが、さりとてこれを信じろと言われてもね・・。

そこで先日仲間とこういう会話になった。

「これって変だと思わない?」「どうして?」「だって、宇宙人だ!って世界を本気で欺く気ならもうちょっとマシなの作らないか?」「う~ん、たしかにこりゃハリウッド映画じゃ使えないな、馬鹿にすんな金かえせってレベルだ」「だからホンモノかもしれない、でも俺はわざとそう造ったなら面白いと思ってるよ」「どういうこと?」「つまり、科学者に『本物だ!』って報道させてみてさ、世界の何人がまじめに信じるかってデータを集めてる」「壮大な陰謀論だねえ、リアル世界のCGってわけか、じゃあ何を企んでるの?」「来年11月の米国大統領選のイカサマだ」「なるほど、民主党は劣勢だもんね」「そう。トランプが勝ったらバイデンがやったことがパーになって巨大な借金だけ残って民主党はボコボコにされる」「なるほど、でも前回の大統領選挙は何があったんだっけ?」「2020年だぜ、コロナ騒ぎが始まった年じゃないか」「そうか」「タイミング良すぎないか?」「うん、世界中がパニックになったからな」「だから選挙工作ができたんだよ」「選挙工作?」「感染するから郵便投票を増やせってなったろ?」「ああ」「その郵便票をバイデン陣営がイカサマ集計マシーンで水増しした」「たしかに噂はあったな、でも噂で終わったぞ」「それはマスコミがグルになって否定したからよ」「そうか、それどっかで聞いた気がするな・・」「それで工作は『なかったこと』になって、返す刀でトランプの議会襲撃の報道一色にすり替わったんだ」「おお、それも最近どっかで見たような気がするぞ!」「おんなじ奴らがやってるから手口もおんなじなんだよ、でも大衆は馬鹿だからどうせ気がつかねえって高をくくってるんさ、悔しくねえか?」「そうか俺も愚民なんだな」「だから民主党は今回もとんでもない大嘘を画策してる可能性がある」「楽しみだね、今回はなんだ?」「世界が唖然とするぐらい馬鹿馬鹿しいけど本当だったら大変だってのかな」「そうか、メキシコの宇宙人は予行演習か」「そしてやるんだ、アリゾナの砂漠にUFOの大群が着陸しました!宇宙人の侵略です!バイデン大統領が国家非常事態宣言を出しました、彼にまかせよう!(笑)」

猫は嘘をつかないが人は人をだます。

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「この野郎事件」と移籍の秘話をついに話す

2023 OCT 2 15:15:07 pm by 東 賢太郎

野村證券のとても親しい先輩3人、後輩2人と会食した。皆さん大御所だが同窓会みたいなもので、この3年ほどコロナで集まれなかったぶんだけ酒宴が盛り上がって実に楽しかった。証券マンだからということではなくひとえに超大御所のおかげでこの場は銀座だったら大変なことになるとてつもない酒が並ぶ。もったいないことに僕は下戸だから元からだめ、皆さんはへべれけで味などわからなくなってぐい飲みだ。そういう場でプライベートなことは無粋だから僕はあんまり話したことがないが、今回は誰も知らないことを言って皆さんの酔いを醒ましてしまった。

きっかけは他愛ない。そういう場に恒例の酒の肴、「あの人は今」だ。10年ぐらい前までというと、あいつが**国全権大使になった、大儲けした、芸能人デビューしたなどと良くも悪くも派手だったが、平均年齢60代後半にもなるとろくな話がない。大概がもうなにもやってない、亡くなった、大手術した、かみさんが逃げた、消息ない、ボケた、コロナ後遺症でウンチが出ない、自分で施設に入ったなどという話がひっきりなしだ。やがてネタがきれる。すると次は「そういえば」のオンパレードになる。そういえばあれ凄かったよなあ、営業場の殴り合い。恥ずかしくて世間に言えないよな。あの時さあ、やめてください!って俺はAさんを後ろから押さえ込んで彼がBさん抑えてさ、俺の方が力が強いんでAさん動けなくって手がほどけたBさんに受話器で頭殴られちゃってさ、怒られて大変だったのよ(長い爆笑)。ここで何気なく「いや、実は僕もそれ危なかったんですよ」とぽろりと言ったのだ。そういう人間と思われてないので場が凍りついてしまった。こういう話だ。

某ポストに就任した直後のこと。そこの経営方針について、そういうお立場にあった上司に理不尽(と僕には思えた)に、これでもかと延々と罵倒され、じっと黙って聞いていた。元来凶暴な人間ではないから人生初だったが、つまりそこまで僕を怒らせた人間は世界で皆無だったということだが、ある瞬間ついに堪忍袋の緒が切れ「何だとこの野郎」と言ってその5年先輩を殴ろうと静かに立ち上がった。衆人環視の某著名ホテルのロビーでのことだ。同席していたのが大学レスリング部で鳴らした同期のN課長だったのが幸いだった。殺気を見抜き「東やめろ!」と怒鳴って後ろから押さえ込んでくれ事なきを得たが、色々あったので僕は完全にその気になっており、まだ40代だったので野球で鍛えた右腕は健在で、やっちまっていたら野村證券部長・松の廊下事件の週刊誌ネタを提供してサラリーマン人生は吹っ飛んでいたろう。

Nがなんとかその場をうまく収めてくれた。そのぐらい命懸けで仕事していたから社内でバレようと屁の河童だったが、相手のお立場があったので誰にも言わなかった。何のお咎めもなかったからご本人もNも秘密にしたのかもしれないがその辺は知らない。大変感動したのはNが自分の上司でなく僕を守ろうとしてくれたことだ。どっちも部長で社内では有名人だったからこれだけでも半沢直樹の銀行なら同期が足を引っ張る絶好のネタになり翌日には全社的に知れ渡っていたろう。当時の野村は真逆の素晴らしい会社だった。ところがそういう男気の塊のようなNが他界してしまった。かさねて、そのあたりから人事もだんだん意味が解らなくなり、Nのようなタイプが徐々に不遇になってきたように見えた。これが会社をやめた直接の原因ではないが、まったく無縁でもない。そのとばっくちであったと今になって思う「この野郎事件」。先日家内に初めて話してとても驚かれた。この日は2度目だったが皆さんも同様だった。

競合他社で野村を倒す野心満々の会社に幹部として引き抜かれるのだから、僕はなぜやめるかどこへ行くつもりかを野村の人にはまったく秘密のままいきなり自己都合で退職させていただくこととなった。行き先が知れると週刊誌に実名で載ってしまった。そこも含めて何らの問題もなくそうさせていただいた武士の情けには深謝するしかなく、だから真相を野村の人は誰も知らず、必然として様々な事実と違う情報が流布した。お世話になった方や一緒に戦った仲間には本当に申し訳なかったが何も公表できなかったのだから誰にもしゃべるわけにいかず、何を言われても甘んじるしかない。「おまえそれはいいがあのJAL(の1500億円のファイナンス)な、あれだけは許されないぞ」と突っこまれる。業界で大問題になり日経が社説で証券市場の敵みたいにみずほ証券を連日叩いた公募増資だ。当時の僕が古巣の論理ではまったくその通りなことを意識しなかったはずがない。野村にいたら俺は敵方みずほを叩く側だったなあと心中は千路に乱れていた。しかし、なんというか会社が総会屋事件からいわば左傾化し、海外派では稀な保守の最右翼であった僕はどんどん居場所が狭くなり、気がついたら傭兵募集に志願していてその時の雇用主はみずほ証券になっていた。それだけだ。だから何も悪いと思ってないし、そういう政治を離れればJALのディールは前人未踏のプロフェッショナルキャリアの勲章ですらある。その酸いも甘いもわかってくれ、馬鹿野郎と言いながらあんな大それたことを銀行系でよくできたなというニュアンスで語って下さるのがこの5人の賢人なのだ。

そしてとうとう「この野郎事件」の先にくる移籍の真相を飲み会の帰りに後輩だけにしゃべった。「ええっ、そうだったんですか!」また絶句だ。その先は当時のみずほ証券社長だった横尾さんが産業革新投資機構CEOであり、ソナーの取締役会長もしていただくに至った経緯として書いてあるが、そこに至るまでの急所はあまり書きたくない。それを彼に話そうと思ったのは気まぐれではない。「あの人は今」でみんなぼろぼろで平均寿命も短いが、それもこれもあの頃の野村の異常な激務をくぐりぬけたんだから仕方ない、注意しようなで納得だからだ。つまり僕もそれをしていたひとりだし5人も同じことをしていたのだからたぶん自分ももうすぐぼろぼろかなと覚悟しておられる。しかしそれもジョークで軽く笑いとばせ、普通の人なら思い出したくもないその阿鼻叫喚の凄まじい激務を酒の肴に飲めてしまう腹のすわった素敵なオトナ達と心行くまで会話できたからである。僕は僕で野村はもう無理で転社して大変だったんです、でも必要として下さるところがあって幸いでしたというだけだ。今となっては隠しておく必要もない。やっと暴露して胸のつかえがおりた。

痛感する。世の中能力だけじゃない、運だ。何をやってもうまくいっちゃう人と真逆の人がなぜかいる。お会いした経営者の方々みなそう言われるが、それは全員が成功者なのでみな自分は前者にちがいないと信じているという単純な理由からである。ゴルフで俺は晴れ男だぐらいに根拠はない。それなのに男のあげまんというか周囲にいてくれる人たちも幸せにできると固く信じているのだから経営者という人種は相当狂ってることは間違いなかろう。僕も68年生きて幸せの絶頂も不幸のどん底も何度も何度も大いにいろんなことがあり、その結果の集大成としてそう信じるようになってるのだから全く故無きことでもないとは思う。ただどんな不幸で奈落の底に落ちてもそう思える単なる馬鹿であり、信じてるのであきらめないから何回もやっているうち1度ぐらいは成功もするから俺は運があると思ってる。そういうことかもしれない。そう言ったら先輩、「そこまで徹底して馬鹿なら一つの才能だよ」とのたまわった。

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