世界のうまいもの(15)《日本橋そばよし》
2022 SEP 1 18:18:20 pm by 東 賢太郎

人間ドックで血糖値が高い。いつも高めなのだが「運動してくださいね」で終わっていて、真面目に考えたことはなかった。それが今年はその指導が消え、「近所の医師にクスリもらいましょう」に変わった。運動なんてどうせやらないなと匙を投げられたらしい。
そこで近所の医院に行く。女医さんだ。数値をご覧になって「このぐらいはお相撲なら序の口です、私は薬はなるべく使わないので」とひと口上があり、まずは食事のアドバイスを受けることになった。家内といっしょに血糖値のスパイク(一気に上がること)を避ける食べ方を教わり、よし頑張ろうという気になったが、「早喰いは控えるように。ゆっくりとよく噛むように」という指示も出た。
そのつもりはないが早喰いかもしれない。証券マンの習性だ。それらしい生活をしたのは支店にいた2年程度しかないが、そこでイロハを叩きこまれたから「昼飯は15分」が体内時計にインプットされている。大阪はさすが商売の街だった。注文すると1,2分で出てくる飯屋があって、先輩方とそこで10分で済ませて5分のコーヒータイムを残すという技が身についた。東京にそういう処はなさそうでそのペースでいけるファストフードはマックか立ち食いソバになろう。
先日のこと、所用でひとり日本橋へ行った。もう5,6年はご無沙汰だろうか。当の橋のたもとは再開発で様変わりして首都高の高架も消えるらしい。野村の「軍艦ビル」周辺は三方ぐるりと更地の工事現場でびっくりだ。たしかこのビルは文化財か史跡だったかでそのまま残すとは聞いたが、野村も当面は移転して中はもぬけの殻だ。思い出深いビルでありどこか寂しい。
昼すぎだ。さてどうしよう。この辺から神田、人形町、浅草あたりとくると無性に食べたくなるのが蕎麦だ。江戸っ子だ、目がない。蕎麦は国民食だが、百万都市江戸では屋台が出る人気だった。当初は一杯が6文、後に16文になるが、今のお金で凡そ100~250円というところ。各藩から武士が単身赴任し、気の短い気質ができたこともあったから茹で上がりが早いのも良く、これと江戸前の寿司屋は世界初のファストフード店だったんじゃないだろうか。
さてこのあたりでとなると僕は「やぶ久」ってことになるが、あそこへ行くといつもカレー南蛮の誘惑に負けてしまう。ちょっと今は暑苦しい。立ち食いソバがいい。それと蕎麦屋は別物であるが、日本橋の空気を吸ううちに「あの日に帰りたい」のモードになっていたこともある。
向かったのは三越本店に近い「そばよし」。鰹節問屋直営で長い行列ができる店だがランチタイムは過ぎていて2,3分待ちで入れた。ここは暖かい天玉そばと相場が決まっている。値段を見ると500円である。ちょっと値上げしたかなと思うが光熱費も原材料費も上がっている昨今はやむない所だろう。
座席について周囲を見回すと、コロナ何するものぞでぎゅー詰めである。3,40代がほとんどで、白髪の老人が2,3人、皆さんこの辺のお勤めで遅めの昼飯というところだろうか。ご機嫌でソバをすすっているとすっかり溶けこんでもうこの界隈の住人だ。大手町組だったので軍艦ビルに通ったのは1,2年だが、日本橋は心の故郷だったということをこの日は逆に知った。
日本食というものはやはり江戸時代からあるものがうまい。そばつゆは昆布と鰹節が出汁であり、動物性油分を使わず醤油だけでシンプルにして深みのあるこの味はさすがの中国にもない。江戸町民の舌が3百年かけて産んだ独創であって、私見においては世界有数の美味であり、ゴッホやドビッシーまで魅了した浮世絵の洗練すら思わせると考えている。
500円の食事で済ます人間をグルメ(gourmet)と呼ばないのはフランス人の怠慢であると言いたいが、これはワンコインの方がおかしい、円の価値の問題なんだろうかと思わないでもない。しかし海外にない食はマックのパリティが使えない。畢竟、和食でグルメするには円は強く、資源や小麦を買うには弱いという結論になる。
半分ほど食してふと気がついた。席は狭い、ほんとうに。隣と肩がくっつくぐらいで、ざっとみるに我がテーブルの専有面積はタテ30cm、横40cmというところである。G7国の首都でこんな閉所で食ってるのは日本だけだろう。労働生産性はいわれるほど悪くないんじゃないかという考えもよぎるとだんだん我にかえってきた。
こりゃ三密だ。長居はいけないぞ、油断は大敵である。こういう時なのだ、時間はスマホ頼みで腕時計というものをしなくなり、何かのついでに反射的に時刻が目に入ることがなくなったことを気づくのは。体内時計は40年たっても正確さを保って作動しているようで、店を出てスマホを確認すると所要時間は15分であった。「早喰い」はなおりそうもない。
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信じることこそが人間関係の最強の絆である
2022 AUG 7 13:13:36 pm by 東 賢太郎

富士霊園にて納骨式をとり行い、両親は並んで深い安らかな眠りについた。親族は遠路フランスから戻った者もおり、墓前で花を添える段になると朝から長らくぱらついていた小雨が良い塩梅に止んだ。前日の東京は明け方まで雷鳴が轟き仏前での眠りが浅かったが、この日の御殿場は山肌に薄く霞がかかって連日の猛暑が噓のように引いてしまい、何もかもが済んだ安堵のように至極穏やかだった。
箱根の温泉宿に一泊して自宅に戻ると得もいえぬ虚無感に襲われる。生まれてこのかた初めての境遇なのだからと我が身に説いて納得させるが、親がいないとは実にこんなによすがのないものであり、知らぬまに自分が一族の支柱なのだという覚悟を問われ始めている。もう3,40年この方、ちっとも父に頼って生きてきた積もりはないのだが、なくなるとかように重たい蓋だったのだ。
両親とも兄弟が多い。物心ついて以来こうした一族の集まりの長はいつも伯父であり、最年少のほうだった僕は端っこでちょろちょろしておればよかった。それがいまや祭祀の長だ。あちら側へ行けばまた楽だろうが、暫くはこうだ。そう生まれついてないので重く、嫌なのだ。この景色は次はそろそろお前だよと見えるが、早くお袋の所へ行きたいが口癖だった父の気持ちもこうだったのだろうか。
そう生まれついてないことは年の一番近い従妹がよく知っていた。それを宿の夕餉で他人事みたいにきいた。指揮者になりたいとか言ってたあのケンちゃんがどこでどうして証券マンなんてなったのかと。それが自分でも不可解なことは文章にしたし、なってからの景色はその何倍かそうだった。野球やったからだ。そう思って答えたが、いま思うと、知らない浮力に乗ったというほうがよほど近い。
以前に、横浜の桜木町駅の先を歩くと引き寄せられるような「気」を感じたことを書いた。あれはまだ起業前のことで、幸運の女神が微笑むか否か誰が知ろうという時分だったが、先祖ゆかりの地で俺はいけると確信をもらって帰ったのだ。”自分は守られている”、この安堵感こそ謎だ。結局、ほんとうに要所で吉と出て今に至るわけだが、いまもってあれが何だったかは凡そ説明がつかない。
かように世の中は合理で解せるものは実は5割にも満たない。迷って魔がさして理にすがると碌なことはない。自他ともに認める合理主義者だが、自分の守護神は信じる。そこに両親が加わったのだ。誰に会っても、ここまで8割は運でしたと話すのは謙遜でも何でもない、すべてあっけらかんと実話なのだから信じるしかない。それは死ぬまで続くと思うだけで生きるのに燃料は何もいらない。
これも以前書いたが、信じることこそが人間関係の最強の絆だ。僕が万人を信じることは多分ないが僕を四の五の言わず信じる人を信じることはできる。現世享楽的な贅沢に興味なく、我欲は満ちているから他利第一でよく、その誰かが喜ぶのが喜びである。僕を信じてくれた者、問答無用にまず妻、それから家族、親族、顧客、社員、友人、知己、猫にまで及ぶ方々ファーストの余生こそ欲しい。
ずいぶん大勢の人と出会い、ふれあい、そしてほんの少しだけ残った。義理人情でも相性でもない、良いも悪いもない、お互いの運だ。そう生まれついていないので政治家やその辺の経営者みたいなまねは一切しない。してもうまくいかない。うまくいくことだけやれば皆にとって八方良し、それが長の役目だ。それも運ということがやがてわかる。運は信じる者しか来ていることに気がつかない。
こう書いてきて、信じる信じないは宗教のようだ。何の抵抗もない。僕は宗教家でも何教の敬虔な信者でもない。葬儀は真言宗大谷派でしたが教義は知らない。何度も書いてきたが、信奉するのは合理と科学のみであり、だからこそ、その末に見えるのは神のようなものなのだ。それが誰であるかは問題でない。でもおられるから、世の中は合理で解せるものは実は5割にも満たないことを知るのだ。
中世までの合理は神学だった。その真理が5割もないことを啓蒙家が説きフランス革命がおき近代の幕が開いた。科学は神学の子分でしかなく、それを信奉する21世紀人の我々もそういう所にいるということだ。結末は22世紀にしか見えないから僕は関係ない。地球に巨大な小惑星でも衝突しない限りそれはやって来るが、読み解いてどうよく生きるかは子孫の皆さんにおまかせだ。
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昨日パレスホテルで「しなかった」スピーチ
2022 APR 9 14:14:49 pm by 東 賢太郎

きのうは会長をさせていただいている某社のパーティがパレスホテルでありました。オープニング・スピーチを仰せつかっていたのでお話ししようと思っていたテーマがあり、壇上に立ってマイクの前でさあ始めようと思ったその時です。照明の具合もあったのかもしれませんが、その場にいる皆さんの顔がぱっと輝いて見え、「ここにいる人たちは運があるな」と思ったのです。そこで急遽そのテーマはとりやめ、感じた通りのことをお話ししました。
だいたい僕の直感は当たるのです。だったらそれを喋った方が皆さんにとっていいわけですね。これを読まれている社員もおられるでしょう、「喋らなかった方」もここに書いておくので昨日の話といっしょに覚えておいてください。「通貨と暗号資産の価値」のことです。暗号資産はこれまで仮想通貨と呼ばれてきたように「仮想」のものでフェイクで実体価値がないと指摘されますね。それは債券や株式と比べればたしかに事実かもしれませんが、それを言うなら法定通貨だってただの紙なんですね。戦争や財政破綻でデフォルトしかねない国家の保証よりも、ブロックチェーンで数学的に価値を証明されたものの方が実は安全かもしれず、そう考える人が増えれば増えるほど、安全性も増していくんです。今回のウクライナ危機でルーブルが乱高下したことで世界が痛感したことです。
世界の資産家の間ではそういうことはすでに常識になっています。ですから暗号資産はこれから世界の金融資産の一部を構成するようになっていきます。誰かが頑張ってそうなるのではなく自然な流れとしてです。残念ながら、日本はそうした金融知識の面では「超低開発国」なのですね、だからそう説明されても理解して実行できる人は日本ではものすごく少数派なんです。それは誰が悪いわけでもなく、ものの考え方という文化ですから仕方ありません。40年もその業界にいてそれでは日本人の幸福にはならない、変えなくちゃいけないと痛感しながら何もできていません。しかも日本人の貯蓄はほぼ「円建て」なんですね、日銀にはあからさまなテーパリングはやりにくい事情がありますから円が弱くなっていく傾向は当面は続くでしょう。良い円安、悪い円安などとよく言われますが、日本人の購買力も投資余力も衰えますから良い円安なんてものはありません。
でも安くなってるのは円だけじゃない、これがポイントです。「ビットコインが上がっている」というのは「暗号資産に対してドルが下がっている」という意味です。「暗号資産が世界の金融資産の一部になって行く」と書きましたが、それはイーロン・マスク氏のようにドルを売ってコインを買う人が現実にたくさんいるからそうなるわけです。貯蓄だけではありません、物を買ったときの支払い(決済)目的でもそれはこれから大きな規模で起こります。銀行を飛ばして決済できるので一面でマネロン手段になるデメリットはありますが、それさえきっちり管理されれば手間、時間、コストどれをとっても多大なユーザーメリットになります。ビットコインの価値を保証する国家は世界のどこにもありませんが、それは弱点ではないのですね、必要ないのです。なぜなら、ハッシュ関数を世界の有志が競って高速コンピューターをつないで解いた存在証明は「数学」ですからごまかしようがなく、それがあれば万人がビットコインの価値を信用するでしょう。スイスのツーク州のようにコインで納税を認めるケースも現れました。あとは時間の問題です。信用される資産は世界のどこでも通用し、流通します。
だから、インチキな「草コイン」に騙されてはいけませんが、グローバルなインフラがしっかりした発行体によるコイン、それもステーブル・コインといって通貨やゴールドに兌換性のあるものは購入して資産の一部に組み入れたほうが資産は “トータルに安全” になります。その価格が上昇した時の機会損失を防げるからです。つまり、コインを投機として「上がるから買う」のではなく「安全にするために買う」のです。世界の富裕層の関心事は資産防衛ですから勝手に潮流がそうなっていきます。すると、現象面だけ眺めている一般の人の目には「そのコインの値段が上がってる」というふうに映るわけで、多くのマスコミもそう騒ぎますが、投機でそうなったわけではなく「マクロの経済現象」ですからついて行った方がいいのですね。代表格のビットコイン、イーサリアムも結構ですし、これから3番手に育っていくようなコインもその目的には効果的でしょう。
僕は会長としてかようなことを世の中に広めていく立場にあると考えています。国民が老後を年金だけに頼らず幸せに暮らしていくために知っておくべき金融知識と信じるからです。もちろんブログにも書きますしタレントさんにもお手伝いを願いたいと思っていますが、40年金融ビジネスに携わってきた自分の言葉でなるべく分かりやすくお伝えしたい、そう考えてます。金融屋は自分の金儲け第一というのが世間の相場でありましょう。僕も例外ではなかったわけですが、おカネを商品とするプロの金融マンはそこでケンカに強くないと生きていけないからという理由もあります。他人様の心配までしてケンカには勝てませんので。ちなみに、テレビや著書で為替や株式を論じる人は実は投資ではなく出演料や印税で食っているアマチュアで、僕のように資産を99%ドルにするようなプレーヤーはいません。そういう人は自説を他人に教えたりしないから当然ですね。
もうそういうことは卒業のつもりですから大事なのは他利(do for others)と考えてます。そういうスタンスに徹すれば、社内外で頼ってくださる方がいるかなとも感じております。普通は第一線から身を引くトシですからね、頼られるのはとてもありがたいし、やりがいを感じることです。でも、自分で言うのもおこがましいですが、僕は自分で正しいと信じたことを国内外でやって実証してきましたからひとりでお墓に持っていくのはもったいないとも思うのです。ブログにしたものもありますが、やっぱりリアルで生で話した方が伝わりますね。役職員の皆さんはそういう機会が出てきますし、いずれ公開されますから外部の方でもセミナー等でそういうことができるかと思います。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-04-15/RAB88RT0AFB501
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ゾロ目への愛着を哲学する
2022 MAR 7 19:19:58 pm by 東 賢太郎

“それ” がやって来るなと数日前に目星がついた。いよいよ昨日、それは明日のことだろうとおおよその予想が立った。そして昨晩、床に入る前には「早朝に違いない。もう二度とないから記念写真を撮るぞ」と、予想は確信に至っていた。
夜中にブログを読んでくれるのはほぼ外国の人だけだ。ページビューはそんなにない。あと300あるし大丈夫だと高をくくって寝た。こういうことはよくある。目覚まし時計だけでは危ないので僕は必ず家内に起こしてもらう。そして、昨日はそうしなかったのである。それはちゃんと来た。そして、予想通りに僕は寝過ごしていた。
7,777,777はラッキー7が7つという大魚中の大魚だった。次は7千7百7拾7万7千7百7拾7?うん、あの世でやろう。
ちなみに2022年は「同じ数字が3つある年号」だ。直近は1999、2000年であり1999年以前に生まれて生きてる人は今年が「人生3回目」になる。次は2111年、次の次は2122年になるから今年生まれの赤ちゃんは100才で「3回目」、来年生まれだと199才。3回目はけっこう大変なのだ。
ゾロ目への愛着。無一文のころラスベガスのカジノでスロットにハマったせいもあるが、多分に性格である。わかったことが2つある。ひとつ、ゾロ目嗜好はコレクター性格と同一である(しょうもないものを集める癖)。ふたつ、人間がいかに非合理的にものを決め、後付けで理屈をつけ、自己満足しているかである。
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コロナは年3回流行る風邪になる
2022 JAN 30 8:08:51 am by 東 賢太郎

アルファだデルタだオミクロンだ、マンボウだ緊急事態だ、ワクチン1回目だ2回目だ3回目だってのは置いといて、大雑把にみればコロナってのは、
1~2月、4~5月、7~8月
の年3回だけ流行る病だったんじゃないだろうか? 根拠はこの2年はそうだったというだけで直感に過ぎないが。
であれば来る時は来るので、ジタバタしても無駄であり、今は最悪期の真っ只中だ。いずれこいつがただの風邪になるまでは台風と思って年3回は耐えるしかない。これも何の根拠もないのだが、僕は遅くても来年には風邪になると思っている。だから前倒しに風邪と思っていい時期が年末にはくる。ニューヨークに聞くと「もうこっちでは風邪ですよ」とあっけない。オミクロン台風の被害がまだ未知数なのでそこまで言う自信はないがもう少しの辛抱だ。
当初、僕はこいつをエイリアンだと思って心底恐れていた。無症状感染者がうつす死病であって、宇宙船のどこに潜んでるかわからず、運悪く出くわすと食われてしまうあの映画の怪物を連想したのだ。先日CS放送でこの映画を40年ぶりに見たが変わらず怖かった(SFホラーの元祖的傑作だ)。現に周囲で5人が感染して一部は重症になった(全員生還したのは幸いだった)。しかしそれはアルファ株の話であって、オミクロンはもう別物ではないかと感じる。
それでも政治家はマンボウ、緊急事態宣言を出す。出しても出さなくても批判されるリスクは等しくある。ならば選挙用に「やってる感」見せよう。テレビにも映りたい。だから出てしまう。東京五輪前に菅総理があれだけ長々と出しても、結局はデルタ、オミクロンがこの大暴れに至っているのである。何の意味もないのが明々白々だ。詰まる所、飲食、旅行、イベント業界にとっては政治家がエイリアンであったのだ。気の毒でならないので僕は構わず行くことにしている。
その手のことはよくある。地球温暖化もそうだ。太陽活動はシクリカルである。質量が33万分の1しかないゴミみたいな地球で人間が何をしようが太陽には微塵も関係ない。6千年前の地球の平均気温は現在より2度高く海面の高さも4~6m高かったことがわかっている。太陽がそこに戻る過程にあることもわかっている。地球のCO2が減ればそれが止まると信じるなら天動説でも地球平面説でも難なく信じられるだろう。そうではない。それで騒げば儲かったり政治的に都合が良い人達が世界中にいるのだ。よく考えていただきたい。
同じことである。上場している営利企業の製薬会社ファイザー、モデルナは株主の手前、ワクチン効きませんでしたってわけには死んでもいかない。思いっきり推進した政治家も同じ穴のムジナだから接種しろしろとプッシュし続けるしかない。ワイドショーでどうでもいいことをしゃべってる専門家もまたテレビ局に呼ばれたいから変異株のリスクを言い続ける。マスコミは視聴率が取れるいいネタだから「そうですよね~」と乗っかる。だから、要は関係者各位の既得権益とご都合だけのために、ブースター接種は4回目も5回目もあるだろう(だって4~5月、7~8月にまた台風は来る)。
ワクチンが重症化をおさえるのはたぶん事実だろう。しかし、ここからは皆様のリスクへの考え方次第であるが、その為に打つならばファイザーの飲み薬が処方されれば同じことだから中期リスクがまったく不明のメッセンジャーRNA型を重ね打ちしてリスクを倍加しなくてもいいのではないかと僕なら思う。台風は家にこもってやり過ごすしかない。やるべきことは何があろうと不変だ。うがい、手洗い、三密回避である。
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今年の漢字は「力」
2021 DEC 31 20:20:20 pm by 東 賢太郎

今年は何とも言えない割り切れない感じのまま終わってしまった。清水寺のお坊さまが書く漢字は何かと思ったら「金」だ。おおそうか、金か、そのとおりだ、そういえば今年はオリンピックがあったんだっけなあ、想定よりずいぶんたくさんだったもんなあ、予算が。
カネと読んでいた。なんだ、つまらんヨイショだったのか。五輪イヤーで過去に3回もキンはあったらしい。芸がねえな。それなら「忖」の方が良かった。忖度(そんたく)のソン。訓読みは「おしはかる」である。「他人の気持ちを推しはかる」という意味だ、大事じゃないか人間として。そこに「私利私欲のために」が加わったのが昨今の特徴だ。しかも「大きな力」をお持ちのパワフルな方々がおしはかっちゃうものだから国民的関心が盛り上がった。
でもこの字は誰も読めないな、ということでいうなら今年の漢字は「力」だ。同じことだから。しかも、大きな力だから、お坊さまには例年よりでっかい紙に特筆大書してもらいたい。
まず1月のバイデン大統領就任だ。民主党のなりふり構わぬトランプ言論封殺には心底驚いた。米国大統領を抹殺するのだから世界最大の力だ。「そこまでやるか」を超え、「それをやっちゃあお終いよ」もあっさり超えてしまった。米国がまだ民主国家というならそれは皮だけで、ばりばり裂けるとゾンビが出てくる。
去年発生したコロナは大きな力を持ったエイリアンだ。菅内閣は果敢に立ち向かったがやられた。死に際に放ったワクチンの矢は妖怪に刺さったやに見えるが、なぜ日本の矢だけが効いたのかは一向にわからず、依然正体不明だ。世界の叡智もAIも、まだまだ太刀打ちできない力があることを思い知らされた。
五輪を力で押し切った菅内閣はあっぱれだ。安心安全は問答無用を意味する呪文として見事にワークしたし、閣僚の忖度は演技力の粋を見せ、米国とは違った言論封殺の方法論が確立したと言えよう。内親王様とK室氏の大きな力も令和の新機軸だ。財務省事件の傍系といってわかる人はほとんどいないだろうが。
GHQ製だろうが何だろうが憲法は憲法。『総議員の三分の二以上、国民の過半数』の賛成で改正でき、天皇である根拠はその憲法の第1条にしかない。皇室、特に天皇陛下たるものの大切さは西室の言うとおりだが、法的にそれをお守りするのは国民の総意しかない。総意に添わない大きな力の行使ではない。
今年はほんの数えるぐらいしか外に出なかった。演奏会ゼロは50年ぶり。それだけ自宅で膨大な量の音楽を聴いた。時間をかけないとわからないことがわかった。神通力がある曲とない曲がはっきりと存在する。ない曲を千万回も大きな力が宣伝しても、いずれお里が知れる。宇宙はそう作られていることを理解した。
なんだか世の中みんな小ぶりになって力の差がなくなってきた。鼻の差勝負で小技と小ズルさが横行、嘘でも経歴詐称でもやったもん勝ち、バレたらひっそり消して「なかったことに」なるのを待つ。何事も大きな力がモノを言える世になってしまう。大谷翔平、藤井聡太、松山英樹。これぞほんとうの「力」だった。
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来年は何をしようか・・・
2021 DEC 22 18:18:18 pm by 東 賢太郎

これまでに僕は税金を13億円ぐらい払った。中学から公立で授業料が安かったぶん親孝行できたし、国庫にも返した。何の才能もなく何になりたくもなかったサラリーマンにしては十分で思い残すことなし。でも9割が運だったなあ。
そろそろ、そうやって気持ちを清算するトシになってきた。筋トレでぶりぶりやってまだ若いぜなんてタイプじゃない。走るとすこし若いかなと思うが、それも鍛えるというよりなるがままでいい。
ブログを書くのは結構モチベーションがいって、それで書くべきことが決まるけどそっちがどうかという気がしてきた。それで世の中変わるわけじゃなし。
今年は占いによると勝負の年なので人生最大の大勝負を張った。これをやるために今までの人生があった。吉か凶か来年5月までわからないが吉だったらもう仕事やる意味がない。ひっそりと好きなことをしたい。
いろんなことで、やっぱり日本は向いてないかなとも思う。日本的なものにすべからく興味ないし万事ちまちましてつまらない。住むなら家買って英国かなあ、ケンブリッジで若者にまじって勉強してオペラ三昧なんてのもいいなあ。
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幸せな日曜日はこうして過ぎる
2021 DEC 13 14:14:43 pm by 東 賢太郎

5,6年前から近場のマッサージに通っている。月2回ぐらい担当のHさんにおまかせだ。前回をしっかり覚えていて、比べて悪化している箇所を治してくれる人はなかなかいない。きのうは腕が凝っていたらしく「それはたぶんピアノだな」と言うと、「私は二胡を始めたんです」という話になった。
「そう、あれは何の皮かね」ときくとニシキヘビだ。「そうか、弦が羊、弓が馬で胴体が蛇か、作ったのは北方の遊牧民かな、それがルーツだろうね。動物を楽器にしちまうのも凄いけど、あんなに哀愁のある音を出すレベルまで行くってのもね」「ええ、音が耳に残るんですね」。まあこんな会話をしているうち寝てしまい、気がつくと2時間たってすっきりしている。
ぶらぶら歩いてくると、九品仏の浄真寺にたどりついた。
黒柳徹子さんがたしかこのあたりで育って、大きな池があったと著書に書かれていたが今はない。初詣ぐらいしか来ないが、紅葉でけっこうな人が出ているので境内に入ってみた。
この土地は元は吉良氏の奥沢城で、土塁が残っている。都内とは信じられないほど広いのはそのためだろう。
皆さん盛大にシャッターを切るので撮ってみたが、実は赤に疎い僕の目に紅葉はたいしたイベントではない。ところがこれを見て足が止まってしまった。
これだ。大学に駒場祭というのがあって、銀杏並木を見上げるとこうだった。学外からたくさん人が来てにぎやかだ。そういえば仲間で喫茶店やったっけなんて昨日の晩ご飯すら忘れるのに40年も前のことは思い出す。あの日に帰りたいとはこのことだ。
九体の仏さまにお参りしてすっかり落ち着いてしまった。ずっといてもいい気分だったが寒いので駅へ向かうと、小さな八百屋さんがある。すると、何の縁だか店頭にこれがあるではないか。
ご主人が「茶封筒に8つぶ入れて、口を三つ折りして下さい。500ワットで40秒チンすればOKです」というので4袋買うと奥さんがどうぞと茶封筒を3つくれる。うまそうに見えた青森産の長芋を1本とアボガド1個もいただいて楽しみが増えた。
スーパーもコンビニも便利は便利だが会話がない。そのうち買い物ロボットが出てくるか、ネット発注すると10分でドローンが配達なんてことになるだろう。それも味気ない。ドイツの新首相オラフ・ショルツ氏は寡黙であだ名が「ロボット」、別名「閉じたカキ」らしい。お店が閉じたカキというのも寂しい。リモートの時代だし機能性より人間味が恋しい。商店街は大事にしなくちゃ。
そういえば酒が切れてる。すると、いいところに酒屋がある。試飲させてくれというと旦那が1本開けてくれ、申しわけないので気に入ったこれ2本と別なのを1升もらった。
家では新参のこいつが待っている。あれほどシャーシャーいってたのに昨今は僕になついていて、それも犬のようにヒエラルキーを見てという打算の風情ではなく、猫遊びのプロと見抜いて寄ってきていると思われる。
気は優しいが運動神経は抜群である。玩具を持つとこちらも緊張を強いられる。ちなみに100匹の猫で著名な愛媛の青島では僕は用意した玩具「トンボ」3本で半日なんとか戦ったが、最後の1本を名人級の白猫に破壊されて玉砕した。「チビとノイは3段、お前は我が家かつて最高位の5段だ」と段位を授与したが、若いので将来が嘱望されよう。
ぎんなんに長芋にアボガドにしぼりたて原酒。
「こりゃあ幸せだ。ドイツの白アスパラとフェーダーバイザーに匹敵するな」
「そうね、でも猫いなかったでしょ」
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田園調布駅を出るとこんなものが
2021 DEC 11 15:15:51 pm by 東 賢太郎

「医者の不養生」や「紺屋の白袴」はあっても金融屋が借金だらけでカネがありませんなんてのはシャレにもならない。そこの社員だって「人生おカネじゃないですよね」なんてポリコレ発言して慎ましく見せようなんて奴は勘違いか詐欺師か負け犬のどれかであって、そういう相手にフトコロ事情を明かしてお金の相談をしてみようなんて人はまずいない。「私はそこそこいただいてます」と堂々としている方がお客さんも頼りにしてくれるのだ。
昔から金融はそもそも世間体が良くて平均年収が高いということになっているから学生に人気の業界であって、つまり面接で綺麗ごとは並べるが概ね見栄とカネが就職の主たる動機である。ガリ勉、口だけ達者という技で薄っぺらいプライドを死守し、教養はほぼなくて計算高くてズルくてチャラい。見栄だけなら霞が関へ行った方がいいが国家、公益にこだわりもない。ということは必然として「最後はカネだよね」が本音になる人間が主たる業界なのである。
そういった輩は学校のクラスで最も疎遠な部類であるが、どういうわけか小中高大ともあまりいなかった。だから社会に出て金融村に入ってしまい、とんでもない所に来たと思った。そこで仕方なく「最後はカネだよね」で生きてきたが、思えばそれはゲームだったようだ。雀卓を囲んで「人生点棒だけじゃない」なんてのはない、それだけ。参加はしてきたが、今やつきあいはおろか住人と見られたくもない。極めて少数だが、そういう僕の本質を知ってるよと言って下さる方がおり、最高の賛辞だとありがたく思う。行く末は誰も知らない田舎か外国に移住して、何をしてたのかわからない人になってしまいたい。
そうこうしていたら1,2か月前ぐらいだったか、某社から会長をやってくれという話を頂いた。「知識がない業界なのでお役に立たないだろう」とはっきり申し上げてきたが、どうしてもということである。そこで考えた。その仕事も金融だが、真逆の「人生おカネじゃない」でいってみようか。子供の頃「嫌なほう」を選んで行けと親父に言われてここまで来たし、若者と仕事する機会はそうはない。学ぶことがあるだろうし僕から学んで成功してくれてもうれしい。そうした喜びをいただく代わりに会社を儲かるようにしてお金は彼らにぜんぶあげよう。そう決心した。
そこで「条件」をひとつだけ飲んでもらって会長職の契約書にサインした。それは「無給で」ということだ。
感覚は勤労奉仕だ。しかし、事業会社だから責任はある。NPOの理事長のお話をいただいた時のことも思い出した。立派な公益法人であり勤められている方々には頭が下がるしかなかったが、それはお断りした。理由は「向いてないから」だ。そんなことはない、公益法人だってお金がいる、だから民間企業の経営者にと買っていただけたのは光栄だが、自分の性格は自分が知っている。どんないい給料が出たとしても事業とはゲームの種類が違うのでモチベーションがもたないだろうとわかっている。そうなるとご迷惑をかける。そこは本当に「おカネではない」。事業をされたことのない側の人にはわかりにくいことと思う。
つまり、「公益を掲げる仕事」と「事業」は違うのだ。たとえば雇用調整助成金を石原伸晃氏の事務所がもらっていたと話題になっているが、このお金はコロナで困窮した事業者のためものだ。もらっても合法的だというなら「政治も事業である」という初耳の事態という意味になる。それでも公益のために良い政治をしてくれれば僕は結構だ。政治家の評価は選挙しかないが、彼は比例代表ですら引っかからない程度の評価だ。それが事業でもあるというなら、我々事業家はそういう目で冷徹に評価するよということになるだろう。
するとどうか。事業をナメてもらっちゃあ困る。たかが60万円でこの騒ぎになるリスクを取るなど世界に類を見ないへっぽこ経営者であり、パンツを税金で買って失職するぐらいみっともない。もし金融なら間違いなく、すでに即死していた人と断言せざるを得ない。したがって、そんな腕前で生き残ろうとするなら「大きな力」に頼るしかない。「政治も事業」なんて言い出すのが彼だけならこれで終わりだが、もし今後の趨勢なんてことになるなら同じ二世三世の超無能な小物がますます裏口入学みたいなことに精を出してファミリーで生き残ろうともがき、やがて日本は世界基準で猛烈に馬鹿な五世、十世の支配する国になろう。
きのう初めての会長面談ということで、社員全員、二日かけてひとりひとりとお話をして東横線で帰ってきた。田園調布駅を出ると、こんなものが。
長嶋さん、おめでとうございます。ご自分の腕一本で勝ち取られた勲章、本当に素晴らしいです。あちらこちらでクソみたいな奴が跋扈して腐臭ただよう話題を撒き散らす今日このごろ、とてもすがすがしく思います。
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久しぶりの渋谷散策
2021 DEC 4 0:00:08 am by 東 賢太郎

今日は森嶌医師の診療所WELLSで2回目の点滴。ビタミンC30mgと若返り薬のNMN100mgを打ってもらった。帰りは運動をと渋谷まで歩く。心なしか体は快調だ。神宮前の坂をおりながら、なるほど表参道からも道玄坂からも下り道だ、やっぱり渋谷は「谷」なんだと得心する。
コロナは不思議と気になってない。同盟軍がアメリカにいて例のトランプの錠剤を送ってくれた男だ。wikipediaに出てる大物だが名前は明かせない。「ワクチンは打つことが目的になってる」そうだ。薬屋は飲み薬を売る前に儲けたい、WHOと政府は「やってる感」が必須。三者がウインウインだ。くりかえすがm-RNAの中長期副反応データはない。いま世界で打ちまくってるのが治験だ。日本では接種で約1200人が亡くなったときく。オミクロンが世界に広がるならばワクチンは効かないということだ。2回打ってないと飛行機は乗れないから。
ニトリに入ってみた。初めてである。寝具売り場で良さげな枕を見つけたが、持って帰るのが面倒でやめた。お値打ち感ある値段の家具類が並んでいてなかなかだ、若いカップルたちの楽しげな笑顔でこっちも明るくなる。カーテンがけっこうたくさんあってちょっと期待した。ラッキーカラーのゴールドが欲しい。ただの金じゃない、延べ棒みたいにピカピカ、まっきんきんのだ。残念、あるわけないか。
タワーレコードに進む。かつて入りびたっていた場所だ。帰国した2000年から9年は半蔵門線で渋谷で降りてバス通勤していたからだ。何千枚ここでCDを買ったかなあ。7階がぜんぶクラシック売り場だったが、数年前からジャズに浸食され半分づつになった。それが今はポップスも闖入していてさらに狭くなっているではないか。フルトヴェングラーの第九が流れているが、いい所で大音量のバンドにかき消されて聞こえなくなる。こりゃいかん。ここで楽しませてもらったご恩があるのだ。手当たり次第に買った。数えたら41枚あった。
さて7時を過ぎて腹がへった。これもお決まりだった道玄坂の町中華「兆楽」へ進む。調理場を囲むスタンドに座ると20年前からセンターに立つ大将がお元気で鉄鍋をふってる。頭が下がるなあ。五目焼きそばとギョーザ。涙が出るほどうまい。大将、俺はあなたを人間国宝に推挙したい。これで990円。ニューヨークはたいしてうまくないラーメン一杯2千円だ、世の中まちがってねえか。いや、これが日本だ。世界がうらやむジャパン・プレミアムなんだ。
そして仕上げの啓文堂書店に自然と足が向く。旭屋とここ以外、渋谷のでっかいのはみんな潰れちまった。本屋は息抜き処であり時流のセンサーであり立ち読み学習の宝庫でもあった。どれだけ勉強させてもらったかわからない。なくなると困るのだ。あれこれ渉猟して楽しんで2時間以上もいたろうか、自分の4冊、息子に1冊買ってこっちが「ありがとう」とお礼をいって出た。タワーレコードでも兆楽でもそうした。丁寧にお会計をやってくれたからではない。「やっててくれてありがとう」だ。
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