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カテゴリー: ______日々のこと

「この野郎事件」と移籍の秘話をついに話す

2023 OCT 2 15:15:07 pm by 東 賢太郎

野村證券のとても親しい先輩3人、後輩2人と会食した。皆さん大御所だが同窓会みたいなもので、この3年ほどコロナで集まれなかったぶんだけ酒宴が盛り上がって実に楽しかった。証券マンだからということではなくひとえに超大御所のおかげでこの場は銀座だったら大変なことになるとてつもない酒が並ぶ。もったいないことに僕は下戸だから元からだめ、皆さんはへべれけで味などわからなくなってぐい飲みだ。そういう場でプライベートなことは無粋だから僕はあんまり話したことがないが、今回は誰も知らないことを言って皆さんの酔いを醒ましてしまった。

きっかけは他愛ない。そういう場に恒例の酒の肴、「あの人は今」だ。10年ぐらい前までというと、あいつが**国全権大使になった、大儲けした、芸能人デビューしたなどと良くも悪くも派手だったが、平均年齢60代後半にもなるとろくな話がない。大概がもうなにもやってない、亡くなった、大手術した、かみさんが逃げた、消息ない、ボケた、コロナ後遺症でウンチが出ない、自分で施設に入ったなどという話がひっきりなしだ。やがてネタがきれる。すると次は「そういえば」のオンパレードになる。そういえばあれ凄かったよなあ、営業場の殴り合い。恥ずかしくて世間に言えないよな。あの時さあ、やめてください!って俺はAさんを後ろから押さえ込んで彼がBさん抑えてさ、俺の方が力が強いんでAさん動けなくって手がほどけたBさんに受話器で頭殴られちゃってさ、怒られて大変だったのよ(長い爆笑)。ここで何気なく「いや、実は僕もそれ危なかったんですよ」とぽろりと言ったのだ。そういう人間と思われてないので場が凍りついてしまった。こういう話だ。

某ポストに就任した直後のこと。そこの経営方針について、そういうお立場にあった上司に理不尽(と僕には思えた)に、これでもかと延々と罵倒され、じっと黙って聞いていた。元来凶暴な人間ではないから人生初だったが、つまりそこまで僕を怒らせた人間は世界で皆無だったということだが、ある瞬間ついに堪忍袋の緒が切れ「何だとこの野郎」と言ってその5年先輩を殴ろうと静かに立ち上がった。衆人環視の某著名ホテルのロビーでのことだ。同席していたのが大学レスリング部で鳴らした同期のN課長だったのが幸いだった。殺気を見抜き「東やめろ!」と怒鳴って後ろから押さえ込んでくれ事なきを得たが、色々あったので僕は完全にその気になっており、まだ40代だったので野球で鍛えた右腕は健在で、やっちまっていたら野村證券部長・松の廊下事件の週刊誌ネタを提供してサラリーマン人生は吹っ飛んでいたろう。

Nがなんとかその場をうまく収めてくれた。そのぐらい命懸けで仕事していたから社内でバレようと屁の河童だったが、相手のお立場があったので誰にも言わなかった。何のお咎めもなかったからご本人もNも秘密にしたのかもしれないがその辺は知らない。大変感動したのはNが自分の上司でなく僕を守ろうとしてくれたことだ。どっちも部長で社内では有名人だったからこれだけでも半沢直樹の銀行なら同期が足を引っ張る絶好のネタになり翌日には全社的に知れ渡っていたろう。当時の野村は真逆の素晴らしい会社だった。ところがそういう男気の塊のようなNが他界してしまった。かさねて、そのあたりから人事もだんだん意味が解らなくなり、Nのようなタイプが徐々に不遇になってきたように見えた。これが会社をやめた直接の原因ではないが、まったく無縁でもない。そのとばっくちであったと今になって思う「この野郎事件」。先日家内に初めて話してとても驚かれた。この日は2度目だったが皆さんも同様だった。

競合他社で野村を倒す野心満々の会社に幹部として引き抜かれるのだから、僕はなぜやめるかどこへ行くつもりかを野村の人にはまったく秘密のままいきなり自己都合で退職させていただくこととなった。行き先が知れると週刊誌に実名で載ってしまった。そこも含めて何らの問題もなくそうさせていただいた武士の情けには深謝するしかなく、だから真相を野村の人は誰も知らず、必然として様々な事実と違う情報が流布した。お世話になった方や一緒に戦った仲間には本当に申し訳なかったが何も公表できなかったのだから誰にもしゃべるわけにいかず、何を言われても甘んじるしかない。「おまえそれはいいがあのJAL(の1500億円のファイナンス)な、あれだけは許されないぞ」と突っこまれる。業界で大問題になり日経が社説で証券市場の敵みたいにみずほ証券を連日叩いた公募増資だ。当時の僕が古巣の論理ではまったくその通りなことを意識しなかったはずがない。野村にいたら俺は敵方みずほを叩く側だったなあと心中は千路に乱れていた。しかし、なんというか会社が総会屋事件からいわば左傾化し、海外派では稀な保守の最右翼であった僕はどんどん居場所が狭くなり、気がついたら傭兵募集に志願していてその時の雇用主はみずほ証券になっていた。それだけだ。だから何も悪いと思ってないし、そういう政治を離れればJALのディールは前人未踏のプロフェッショナルキャリアの勲章ですらある。その酸いも甘いもわかってくれ、馬鹿野郎と言いながらあんな大それたことを銀行系でよくできたなというニュアンスで語って下さるのがこの5人の賢人なのだ。

そしてとうとう「この野郎事件」の先にくる移籍の真相を飲み会の帰りに後輩だけにしゃべった。「ええっ、そうだったんですか!」また絶句だ。その先は当時のみずほ証券社長だった横尾さんが産業革新投資機構CEOであり、ソナーの取締役会長もしていただくに至った経緯として書いてあるが、そこに至るまでの急所はあまり書きたくない。それを彼に話そうと思ったのは気まぐれではない。「あの人は今」でみんなぼろぼろで平均寿命も短いが、それもこれもあの頃の野村の異常な激務をくぐりぬけたんだから仕方ない、注意しようなで納得だからだ。つまり僕もそれをしていたひとりだし5人も同じことをしていたのだからたぶん自分ももうすぐぼろぼろかなと覚悟しておられる。しかしそれもジョークで軽く笑いとばせ、普通の人なら思い出したくもないその阿鼻叫喚の凄まじい激務を酒の肴に飲めてしまう腹のすわった素敵なオトナ達と心行くまで会話できたからである。僕は僕で野村はもう無理で転社して大変だったんです、でも必要として下さるところがあって幸いでしたというだけだ。今となっては隠しておく必要もない。やっと暴露して胸のつかえがおりた。

痛感する。世の中能力だけじゃない、運だ。何をやってもうまくいっちゃう人と真逆の人がなぜかいる。お会いした経営者の方々みなそう言われるが、それは全員が成功者なのでみな自分は前者にちがいないと信じているという単純な理由からである。ゴルフで俺は晴れ男だぐらいに根拠はない。それなのに男のあげまんというか周囲にいてくれる人たちも幸せにできると固く信じているのだから経営者という人種は相当狂ってることは間違いなかろう。僕も68年生きて幸せの絶頂も不幸のどん底も何度も何度も大いにいろんなことがあり、その結果の集大成としてそう信じるようになってるのだから全く故無きことでもないとは思う。ただどんな不幸で奈落の底に落ちてもそう思える単なる馬鹿であり、信じてるのであきらめないから何回もやっているうち1度ぐらいは成功もするから俺は運があると思ってる。そういうことかもしれない。そう言ったら先輩、「そこまで徹底して馬鹿なら一つの才能だよ」とのたまわった。

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甲子園のおみやげ

2023 SEP 8 12:12:29 pm by 東 賢太郎

「2回も記事にしていただいたので」と、友人の柏崎さんが甲子園のおみやげをくださった。争奪戦で貴重品のようだ。東京から応援に3回も往復されたそうで、母校が出場しただけでもうれしいだろうが優勝という人はざらにはなく、OBがそろってそこまで熱中できるものがあることが羨ましい。

個人的にも、うれしかった。まず、まっさらな硬式球は何十年ぶりか。なにせ高校時代、毎日これを握って寝ていたのだ。慶応はまったくの他人でもなく、祖父と娘がお世話になってる。特に祖父は大学の野球部でアメリカに遠征まで行ったらしいから喜んでいるだろう。

柏崎さんとのきっかけはブログを見て会社まで会いに来てくださったこと。たしか6年ほど前だったか、金融のキャリアでネコ好き野球好きというのもあるが、拙文をよく読んで下さっているのに頭がさがったこともある。ご縁というのは摩訶不思議なもので、今の我が身をふりかえると自分の意志や努力だけでこうなったというものは2割ぐらいしかない。8割は誰か何かのご縁から延々と発したものの結末で、要するに「あの偶然の出会いや思いつきがなければこれはない」というものだ。

ありがとうございます。母の仏壇に置かせてもらいます。

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法要と究極のリラックス(箱根翡翠にて)

2023 MAY 15 7:07:45 am by 東 賢太郎

箱根は何度行ったろう。子供時分から数えるとずいぶんだ。父がとても富士山好きであり、富士五湖めぐりや浅間神社にお参りなどしてから伊豆に下って天城高原ロッジに泊まったり下田の民宿で海水浴をするなんてのが夏休みの定番だった。だから自然と僕も箱根・伊豆が好きになり、家族旅行というとだいたいこっち方面になるし、いっとき箱根神社の上の方に芦ノ湖を望む土地1600坪を持っていた。老後に住んでもいいかなと思ったからだが金がなくなり売ってしまった。

父はずっと前から自分が入る墓を富士山がまじかに望める処にしようと決めていたようだ。相談を受けたかどうか覚えがないが、そんなことを言っていた気もするわけだ。先祖代々の今戸の墓がもういっぱいであり、次男でもあるからそっちは兄にまかす、それもありなんだと。そのころ僕はまだ海外にいたしそんな先のことまで頭も回っておらず、どうせ気まぐれだろうと、ああそれでいいんじゃないのぐらいの生返事をしていたと思う。

連れてこられたのは2015年の暮れだった。強羅の桐谷旅館に泊まって大好きな白濁湯を堪能し、箱根美術館の絶美の日本庭園なんかのほうに興味をそそられていたのだが、とにかくこの墓地を見てくれと二人して車でやって来たのだ。その日は霧がかかっていて、墓石の前で父が後ろを振り返り「あの辺に富士山が良く見えるんだよ」と指さしたが何も見えなかった。あれが実は気まぐれでなく、そんな先のことでもなかった今となってみると、父とのその日のあれこれは感無量でしかない。

過日、父の一周忌、母の七回忌の法要をその富士霊園の墓前で親族と執り行った。昨年納骨式をした時も小雨で富士山は影も形もなかったが、今回こそは快晴で眼前にくっきりと雄大である。なるほどこれだったんだなと父の選択に合点がいった。敷地はゴルフ場になるほど広く、桜の三大名所でもあるようで、写真のレセプションのあたりはリゾートさながらだ。

毎年5月にここへ来るとなると、泊りは箱根、熱海、伊豆あたりになろう。温泉もゴルフ場もあるし、健康にも精神衛生にも好適なことはうけあいだ。父がそこまで考えたかどうか、自身が10年も施設に居て広々した土地に出たかったのもあろうが、きっと子孫のそれも慮ってくれたにちがいない。従妹の両親もここに眠っており、今回の宿は従妹夫妻がハーベストの「箱根翡翠」をとってくれていた。去年もそこだったが、気に入ったので今回はせっかくだから二泊しようということになったのだ。

おりしも僕はディールの真っ最中だ。寝ても覚めてもああでもないこうでもないと考え、計算してる。この作業は入り口から出口まで一気通貫の情報を経験という方程式にぶち込んで解くようなものである。入りと出と両方の経験を持った人はまずいないから自分ひとりで決めるしかなく、いま頭のCTスキャンをとったらきっと数字が写っているにちがいない。身体のほうも肩から足の先まで凝りまくってる。翡翠の温泉は強羅の白濁湯でサービスも和食のクオリティも箱根でトップクラス、とても有難い。

部屋から

二日目は車で早雲山へ行ってみる。大涌谷に至るロープウエイは何度も乗っているがここで下車したことはない。駅舎が新しくなっており、白人観光客がそこかしこにいる。遠く海までのぞむ山肌に濃淡あるグラデーションを施す新緑のうねりが美しい。頬をさらさらなでる渇いたそよ風が心地良いなあと思い、都会生活だとそう出会えるものでないなと悟った。昼食は湯元まで降りてみようとなり、早川沿いの商店街をぶらぶら散策して蕎麦屋を探す。そんな何でもない時間もまた贅沢だ。宿に戻って湯につかること2時間。38度ぐらいだろうか、白濁のぬる湯が最高である。うつらうつらしていたらしく時計を見たら記憶が飛んでいた。

夜はなかなかとれないらしい ITOH DINING by NOB(下)を予約してくれていてステーキを堪能。しこたま飲んだのをものともせず、帰ってまた2時間湯につかる。竜宮城か何か極楽にいるような究極のリラックス、デトックスだ。貸し切り状態であり、またぬる湯で寝て命の洗濯をした。これでまたすっきりと気分よく仕事モードに戻れるだろう。何もかもアレンジしてくれた夫妻に深謝だ。

(母の日に)

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熱中と感謝でのりきった試練の1年

2023 MAY 5 2:02:43 am by 東 賢太郎

これが先月に新興蒸留所の試飲会で買ってきた2本だ。ウンチクはいい。詳しいわけでないし、ただ、気にいった。ワインのほうは近所の商店街の酒屋のおばさんに「重めの赤」とアバウトにいって「これぐらいですね、うちは」と何気なく出てきた1800円ぐらいのが良くてまとめ買いしてる。酒の味はそうわからないが、百薬の長ではある。うまいと思うのを飲んでれば健康だろう。

こっちは神山先生おすすめの長白山人参である。いわゆる朝鮮ニンジンの一種だ。煮だしてショウガを入れて朝晩に飲むのだが、先生の細かな指示に従ってやらないと効能が飛んでしまうとのこと。繊細なのだ。かつてソウルに行くたびに土産に買って飲んでいたが効いた実感はなく、こいつはまったくモノが違うようだ。何人かの患者さんに体験を聞くと救われましたのオンパレード。先生、これ市販だと1万円は軽いよ、なんぼなんでも800円はないだろう。

もう何年も前から月に2回、マッサージに通ってる。毎度全身を140分だ。親身にやってくれる店長のHさんを見こんでのことだ。いつも雑談してそのうち寝てしまうが、先日、ブログの読者だと知った。二胡を始めた話は彼女のことであり、きのうは栃木のなんとかという花見の名所が外人だらけでしたよ、コロナ消えちゃいましたね、そういえば古墳めぐりも趣味ですなんて話に花が咲く。

フィナンシャル・プランナーのFくんに会ったら、今度は音楽関係に同行してください、そうそう、サッカー嫌いですかときた。嫌いじゃない、知らないだけと思うよ、だってミラノと香港、観戦したのその2回だけでJリーグないし。そのうち行くことになりそうだ。音楽ってのはストラディだったかなんだったか名器を所有して貸し出してほしい人がいるって話だったかな。これも面白い。

仕事ではドローン関係のスタートアップに関わっている。3年前に投資してもう2倍になってる。T社長は期待の星。僕より一回り若くエネルギッシュだ。発想のスケールがデカく胆力もある。海外で通用するな、先週に会食したがその思いを強くした。僕の言葉をメシの席でメモる。この知的な貪欲さは武器だ。こういう人は全力で支援するし、ぜひ大成して1兆円企業になっていただきたい。ユニコーン(千億円超の未公開企業)は米中の独占だが風穴を開けてもらおう。

今日が親父の命日。ほんとうに早い。ここからは健康第一だが、日々新しいことを探して熱中しないとボケる。ボケると体もダメになる。この1年はとてもしんどかったが、それも試練である。周囲の方々、新しく出会った方々のサポートのおかげで乗り切ることができたから感謝しかない。熱中と感謝。これを忘れなければまだひと仕事できる気がしてきた。

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広島・巨人戦を堪能した日曜日の午後

2023 MAY 2 0:00:32 am by 東 賢太郎

久々の東京ドームだった。3塁側バルコニー席は初めてだ。1,2階席の中間にあって、食事・ドリンク付きでくつろげる。全体的にスペースの余裕があって同じ球場と思えぬほど雑踏感と無縁。4席ごとに通路があり出入りは楽なうえ椅子もクッション付きであり、座席は傾斜があるので前の人の頭で見にくいことが一切ない。眺望は好き好きだがこれだけ全貌を一望できるのは新鮮であり、プレミアム感があった。

肝心の試合は11-4でカープが大勝。自分ではこういうスコアで勝ったことはあっても負けたことはない。巨人は先日も阪神に0-15の歴史的大敗を喫しており、選手はどんな気持ちになるんだろうと敵方ではあるが些か心配になる。そこまで気持ちよく負けというのはやろうと思ってもできるものではない。少々ではへこまない強靭な精神力を涵養するメリットはあったろう。とにかくカープファンとしてハレの日を堪能させていただいたことに感謝感激であり、誘ってくださった柏崎さんには「いやあ今日で良かった、持ってますね」と申し上げた(前日は中田に衝撃の逆転サヨナラホームランを打たれて屈辱の惨敗)。

いつもバッテリーばかり見ていたが、ここからだと内外野の守備位置や連携が手に取るようにわかる。プロは後ろ目に守るがこんなに後ろなのか、場面ごとにこんなに変えるのかと勉強になった。最高だったのは、人生3本目の上本がレフトポール際(あそこしか入らんだろう)、秋山がバックスクリーン左まで飛ばし(意外にパワーがある)、ライトに流して入れたマクブルーム(そこに打てれば30本はいける)、控え捕手の磯村がレフト中段(僕は彼の打撃を高評価している、もっと試合に出せ)とホームランが4本も観られたこと。カープが4本はあんまり記憶にない。

もう何年か前になるが、柏崎さんがブログを読んで連絡を下さったのがご縁のきっかけだ。お会いしたのは数回だが、本人より内容を覚えておられて冷や汗なほどであり、つまり僕のことはすでによくご存じだ。だから話は気持ちがいいほど早い。僕は同じ速さで会話についてきて欲しいので大事なことだ。試合が終わってから水道橋のバーで遅くまでいろんな談話をさせていただいたが、なかなか外部の方とそういう機会がなく、ブログに書けないことも話せて充実の時だった。楽しい一日を感謝申し上げたい。

新しい出会いというのが大好きだ。かつてこのかた幾つの出会いというものがあったか想像もつかないが、同じものはなく貴重でないものもまたひとつもない。男性であれ女性であれそこに必ず洋々としたブルーオーシャンを見ており、それが相手の方にとって何であろうとプラスであれば問答無用で嬉しい。これは僕の生まれつきの性格であってどうしようもない。証券界という欲の皮のつっぱった集団に居心地悪く40余年も居てきたが、基本的に僕は利己的でなく他利的だ。いや正確には、食うために利己的な行動はたくさんしてきたが、それはファミリー、仲間、お客さんを守るためであって、映画ゴッドファーザー的だ。ちなみにソナーに証券会社育ちの人は長らく僕ひとりだったが、今年からO君が参画してくれた。同業育ちは話が早い。ストレスがない。これはこれで重要なことだ。

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世の中は何が起きるかわからない

2023 APR 7 9:09:44 am by 東 賢太郎

新年度最初の平日、日本中の企業で入社式が開かれた4月3日のことだった。

誰かは書くわけにいかないがその日にある方とお会いした。広尾でランチだった。だいぶ前のブログに少しだけ匿名で書いた、僕の大師範にあたる。いろんな意味で、ストレートな物言いになるが、動揺した。初めて語られたことがたくさんあったのもそのひとつだが、まさにいろんな意味においてだ。

この会食に至ったのは、もうひとりの師範(小師範と呼ぼう)と、まったくの偶然でお会いしたからだ。少々ややこしい。3月6日に初対面の人とランチがあって、その人が10分ほど遅れて来たのが発端だ。「すいません長引いて」と言う前の会議の相手が小師範だったことがわかって、心底びっくりしたのだ。

その場で「もう40年ぐらいお会いしてないですが・・」「いや、電話してみましょう」となって、手渡された彼のスマホから聞こえた声は当時のままだった。かくして2日後に小師範とお会いする算段になり、「おい今度は大師範を呼んでランチでもしようよ」と相成ったのが4月3日だったのだ。

ご両人とも後に大企業の社長になられた。それがあるから僕は誰と会っても何でもなくなった。学生まではぜんぜんそうじゃなかったのを家内は知ってる。4月3日はそのリプレイだったのだ。だから前日から柄にもなく緊張し、当日は逃げ出したい自分を知って驚いた。そうか、こんなだったんだ、20代の僕は。

それの前だったか後だったか、とにかくその日だったが、坂本龍一氏が亡くなったことを知った。彼の才能に憧れたのもあるが、なにせ年が近い、ともすれば俺も危ないかというのもあった。そうしたら夜になって、レコード芸術が休刊という記事が・・・。激動の4月3日が終わった。

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『レコード芸術』休刊のお知らせに思う

2023 APR 4 16:16:50 pm by 東 賢太郎

昨日、このニュースを知った。

『レコード芸術』休刊のお知らせ

当誌には高校時代から長年お世話になり、海外でも取り寄せて愛読していたので複雑な気分である。

ただ、証券マンの目にこの日が来るのは予見されていた。雑誌文化の衰退はもう誰にも止めようがない。ジャンルを問わず雑誌のほとんどは赤字と聞いて久しく、週刊朝日が5月末で休刊というニュースでこれから何が起きてもおかしくないという事態に至っていたからだ。ネットと動画に押されて文字を読む文化が顕著に後退し、新聞も部数が激減しているマクロ現象の一環だ。

次に、これは各所で私見を述べてきたが、クラシック受容文化の変質である。帰国したのにレコ芸を通しで買わなくなったのはいつからか調べると、2010年からだった。僕が愛好した評論家は硬派の大木正興氏だが、氏亡き後は文学者の格調を最後まで失わなかった吉田秀和氏(2012年没)、好悪直言型で演奏家目線の宇野功芳氏(2016年没)が逝去されたことをもって文化の変質は不可逆的と感じた。

2014年に書いたこの稿をさっき読み返してみたが、今日これを書いてもいい。

僕のクラシックのブログについて(訪問者25万に思う)

 

つまり、書いてあることは9年前からすでに起きていたわけであり、それがレコ芸という雑誌に局所的に現れたといってそれで止まるわけでもない。この流れは世界のクラシック音楽界を揺り動かし、日本の音楽産業から音大のあり方にいたるすべてを飲み込みつつある津波だからである。

3週間前に偶然だがレコ芸のことを書いていた。

ポジショントークやる奴は例外なくクズ

音楽評論誌の「立ち位置」については若い頃から考えがあったからだが、それほど僕の中では音楽を通じて社会を深く観察、考察するテキストになった重みのある雑誌である。これが消えるということは我が国のインテリゲンチャがこれから本格的に、雪崩をうって消滅してゆき、受験やクイズ番組には強いがぺらぺらに皮相的で利己的、我田引水的である疑似インテリが蔓延る社会をまぎれもなく予見していると言わざるを得ない。文化は世相を映す鏡なのである。

ではどうしたらよいのか。政治家でも教師でもない僕には何の力もない。老兵は消え去るのみだからもう関係もない。そんな酷い社会になっても家族、社員、友人たちはうまく生きていけるよう心掛け、見守るしかないだろう。

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新興蒸留所のウイスキー試飲会

2023 APR 1 9:09:30 am by 東 賢太郎

先日にたまたま知り合ったNさんの紹介でスコッチ・ウイスキーの試飲会に行った。彼との出会いは巨人の角投手のお店だ。「ボウモア入れてますが、飲み方はどうされますか?」ときかれたので「ボウモアはどうもこうもないでしょ」と言ったら、即、こんど面白い試飲会あるから行きましょう!という流れになったのだ。

場所は三宿のRUDDERというお店である。バーではなく試飲ができるセレクトショップであり、棚には魅力的なヴィンテージやレア物がずらりと並ぶ。この会は紹介者のみのメンバー制で、ただの酒飲みは入れないらしい。僕は酒飲みでないがそんなに知ってるわけでもない。息子を入れてカウンターに7人が座った。中年男ばかりと思いきや若い男性がおられ、3名は女性で想像よりずっと華やかである。

この日は市販してない酒が5種類グラスで並んでおり、一品ずつ店主の松永さんの解説を聞きながら口に含んではああだこうだと品評する。皆さんスコッチは詳しいだろうがこの5品は新興蒸留所の品で誰も知らないから好みが出る。ラフロイグ好きな当方も同じだが、皆さんくさい派なことがわかってじわじわ親近感がわいてくる。「味を何かに喩えてください」というので、女性から、5番は若いねとか、赤ちゃんくさいわねときた。もう出来上がっていた僕は、これはブラームス、こっちはモーツァルト、こいつはストラヴィンスキーだねと訳の分からない品評をしたが、火の鳥ですかと声が飛び浮いた感じはなかった。

気に入った2番と4番を買って店を出た。お互いが誰だかわからない場なのにけっこう盛り上がるものだねというとNさんが、皆さん常連で経営者のかた、国連のかた、女子アナのかた云々と教えてくれた。皆さんは知り合いだったわけだがこっちは名刺交換もしなかったし素性を明かすと出てくるめんどうな話なんかはまるでなく、話題は酒だけの一種のマスカレードであった。うまいまずいにトシも男女もない。仕事に関わるにおいが一切ない方々と、別に人生を左右するわけでもない酒の味を2時間もあれこれするなんてのは最高に贅沢な時間と思った。

これも後で知ったがお会いした主催者エピキュリアンの米澤多恵さんは雑誌「GOETHE(ゲーテ)」の副編集長をした方である。検索すると「自分が楽しめるものを、周りを気にせず自分の気持ちに素直に体験することが、人としての成熟であり、人生の多様性だと私は思います。そんな成熟した大人が増えることが、その国の文化を成熟させるのだと信じています」といいことが書いてある。僕は成熟した大人なんて立派なものではなく、毎日面白ければ万事オッケーという子供がそのまんま大人になっているだけだ。この日は面白かった。Nさんに感謝だ。

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役員を自分で2度やめた男

2023 MAR 25 11:11:35 am by 東 賢太郎

朝食の席で家内が「もしあなたが某大に行ってたらどんな人生だったかしらね」というので、なんだか意味がよくわからず、「少なくともここにはいないだろうね」と当たり前の答えをした。

何かというと合格校を辞退して浪人したことだ。先日に神山先生の講演が御茶ノ水であって、出席者の方と駿台の名物教師の話でひとしきり盛り上がった。あれが正解だったかどうか考えたことはあるが、選ばなかった道の先はわからない。「あした」なんてものは星の数ほどあったから気まぐれでしたことだった。

人生何度も苦杯をなめさせられた。でも、その一つでも欠けたらイマはない。良い負けがあるなんてクサい話ではない。どうでもよかった、悩まなくてもよかった、それだけだ。人生の最後に「よかった」と思えればいい。そうすればぜんぶの負の遺産がオセロみたいにひっくり返ってオッケーになるからだ。

思えば最近はブログが人生記になってきていてPVがもうじき900万になる。青汁に乳酸菌が100億個入ってます以上に僕にはつかみどころがないが、1分読んでくれたとして約17年も多くの人様の貴重な時間を頂戴した計算になる。どなたかは存じないが、それだけ一緒に生きて下さったことには感謝しかない。

何度も述べたが、僕は広告料や売名めあてのブロガーやユーチューバーとは違う。PVを増やそうという記事など一本もないし身勝手なトピック、身勝手な中身しか書かない。WBCのビデオを千年後の子孫が見てこう反応した先祖の子孫だと知ってもらいたいからで、PVは世間様も反応されたということだろうか。

だから本来であれば、僕は野球や音楽でなく、プロフェッショナルである投資について反応を書いて残すべきなのだがそれでは商売にならない。書かなければ僕とともに消える。だから家族はもちろん、リアルタイムで一緒に生きて下さっているお客様、社員、協力会社様との会話やあれこれの記録はとても重要だ。

ちなみに昨日はお客様と電話で1時間半話した。「東証1部上場企業の役員を自分から2度辞めました」「まるでドラマですね」から始まって、この業界酸いも甘いもという裏話からああだこうだの質疑応答に至ってそうなった。投資コンサルは哲学が必要である。助言をさせてただくのは理解して下さる方だけだ。

ブログの読者の方々も、きっと電話すれば1時間半になるような、おそらくそういうインテリジェンスがあって熱心な方々なのだろうと想像する。SMC西室にご連絡いただければお会いもするし、お取引はともかくすでに何度か来社された方もおられる。昨今は以下のようなケースもでてきた。

まず僕のブログを読んでアメリカから神山先生を訪ねてこられた方がおられたことを伺った。また、先日は東京芸大の楽理科の先生から「プリンストン大学音楽科のサイモン・モリソン教授が東さんのプロコフィエフ論のブログをレクチャーで引用したいそうなので許可いただけますか」というご連絡が西室にあった。

教授がそう思われたことに関心があり、レクチャーはあさって母校の成城学園でのようなので出席しようと思うが、「どのような経緯でモリソン先生が東さんのブログに行きついたのかわかりません。どうやらほかのピアニストの方が引用されているのをご覧になったようです」とあった。

こういうのを見て家内から質問がきたのかと思ったら、「そっちの大学なら文筆業になったかもしれないね」ということだった。「いや、才能ないよ。行った方の大学でも弁護士にならなかったしね。役員を2度やめた男のほうがずっと俺らしい」。こればかりは揺るぎない。

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徒然なる正月の日々

2023 JAN 4 18:18:42 pm by 東 賢太郎

家事は何もしない。とくに正月は家族に申しわけないと思うが、できないからいても邪魔なだけ。指揮者は家内だ。お節は心斎橋「鶴林 よしだ」である。もう10年以上になるかな、毎年おんなじ品が並ぶが飽きようがない。酒屋の親父に「今年は辛口」といって出てきた「うまから まんさく」も合う。元旦は快晴。富士山もいい肴だ。完全に酔っ払い、おかげで憂さが吹っ飛んで年が明けた。

初詣は毎度の浄真寺と宇佐神社。何年前だったか猫もお祓いしたことがあるが、今は4匹になってるので人だけ。僕はこう見えてけっこう信心深い。良くなかった去年とは行くルートを変えて臨んだ。浄真寺は長蛇の列。今日4日は会社で恒例の日枝神社に。どっちも参拝までに30分以上も並んでコロナはもう風邪なのかなと思う。

駅伝は中央と競った駒大が勝った。中央も強くなった。昨年史上最高タイムを叩き出した青学は5区の人が体調不良で総合3位に終わったがよく追い上げた。皆さん正月からご苦労さんである。お~、ヴィンセントのゴボウ抜き凄い、山の妖精がんばれ、あ~襷がとぎれたかわいそうに。「お茶の間」はただの野次馬だ。火事と喧嘩は江戸の華なんてお気楽なポジション。これが僕には最高だ。

年賀をいただくと悠々自適ですという人が増えた。いいなあと思う。そういう境地に入れることが本当にうらやましい。僕は競走馬みたいに走りどおしできて、まだ止まれない。いいトシこいて「まだ頑張ってます」なんて実にみっともないと思ってる。だからブログにはジジイは引退しろと書いてる。その自分ができてないというのは最高にカッコ悪いことなのだ。

今日も秘書たちとイタ飯してだんだん仕事モードに戻ってきたが、これが僕にとっては安心モードなんだと思うことにした。残念ながら悠々自適は当分できそうにない。

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