世代はかわったと思った瞬間
2020 JAN 3 11:11:12 am by 東 賢太郎
2度目の屋久島で2日目に白谷雲水峡に登った。今回、僕はもともと山に入る予定はなかった。しかし5年前、還暦記念の縄文杉登山は途中で左ヒザを痛めて死ぬかと思う苦行だったが、白谷雲水峡のほうは楽勝だったという記憶がある。前日になって参加することに決めた。筋トレで脚力の数字は落ちてないし平気だろう。
それが甘かった。行ってみてわかったが、前回は「苔むす森」だけ見るショートカットのコースであり、だから楽だったのだ。この日ガイドさんが選んだのは弥生杉へ迂回して行くフルコースであり、もう遅い。同行した娘はすいすい行ったがこっちは体重がついに観測史上初の80キロになっていた。足元がけっこう危ない。沢を横切る前後の急斜面では何度かよろけて冷や汗をかく。帰りの下り道で踏み損ねてヒザが痛くなった。今度は右だった。
翌3日目、僕はいわさきホテルで仕事である。朝4時。大雨だ。天気予報は一日中雨だ。娘は縄文杉に挑戦することになっている。「こりゃ中止だろ。あれはトレッキングじゃない、登山だよ」と諫めたのだが、5時前に颯爽と出て行ってしまった。風も出ていて、大粒の雨がパラパラ音をたてて窓を打った。5年前のこの体験があるから気が気でない。何度もフロントに電話した。「ガイドさんから中止の連絡がありません」の一点張りだった。
しばしたってガイドではなく娘から、やけに軽快な「着いたよ」が着信した。なにっ、地の果ての縄文杉からラインか?そんな時代になったのか・・・想定外のことにびっくりして驚き方も想定外だった。時刻は10:48である。僕は散々な目に遭ってあそこに着いたのは12時頃だった。すぐ返信だ。「早いね、よかったね。おめでとう」。そして、僕が命からがら下山してふもとの登山口までたどり着いた17時ごろ、娘はケロッとしてホテルに帰ってきた。
「よかった」がお初に出た言葉だが、夕食のころになると「よく行った」になっていた。前の日に疲れてる。中止が当然と思った。自分からキャンセルもできた。まさに『よく行った』だ。あれが自分だったら行ったかなとしばし考えて、行ったなと思った。そうか、これがトシをとるということなのかと納得だ。世代はかわったんだ。
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今年は映画を作る
2020 JAN 1 9:09:48 am by 東 賢太郎
屋久島は二度目である。仕事だが、11月に奥出雲に行ったのと関係がある。
そこに書いた「僕にとって人生をかけることになるであろう某プロジェクト」とは、映画を作ることだ。映画館に掛かる、90分の青春ドラマだ。
理由はない。映画はテレビと同じぐらい見ないし興味もない。なんとなく成り行きでそういうことになり、やっているうちに不思議と道具立てが揃い、これは俺がやるべきことだろうという気がしてきた。それだけだ。
屋久島はミクロネシアとそっくりだ。そんなことを言おうものなら絶句されて会話が途切れるだけだから誰にも言わない。奥出雲もおんなじ。といって、もののけ姫ぐらいしか通じないだろう。おおいにスピリチュアルなことだ。
年末の屋久島はおすすめだよゴーンさん。自然はいいなあ、くだらないウソつかないし金にまみれてないし、ここに住んでもいい。白谷雲水峡で撮った2枚の写真は60才になる前と65才になる前だ。
自然もずいぶん変わってるなあ。
そしてノイは変わらず上をむいてる。すばらしい。いい猫だね。
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はやぶさ2号ミステリー再び
2015 DEC 3 21:21:23 pm by 東 賢太郎
忘れもしない去年のきょう12月3日、僕は屋久島にいました。そして偶然に目撃してしまったのがはやぶさ2号の打ち上げでした。
そうか、きのう2日は千年杉とご対面だった。それにひきかえ今年は余裕のないこと。仕事に追いまくられて頭がふらつくほどです。
でも企業経営者としては有難いことで、今年は事業はつきまくっていて大きく前進しました。屋久島でいろいろ不思議な思いをしたのがこの予兆だったかもしれません。ノイにそっくりな猫が出てきたり、イスラエル人の女性にユダヤの幸運のペンダントをもらったり、鹿児島空港で信じられないほど大きな虹を見たり。そして買ってきた千年杉の衝立は玄関にあって、毎日さわってから出社してます。絶大なご利益です。
はやぶさ2号はこんな写真を送って来たそうです。月と地球です。意外に月が近い。
地球の画像で右がオーストリア、左の雲の部分がユーラシア大陸だから日本列島は中央やや左上です。2015年11月26日12時46分(日本時間)撮影ですから僕は大手町のみずほ銀行にいましたね、皆さんはどちらですか?
しかし、この宇宙スケールの巨人の眼で見てみると僕らなんて団子に生えたカビの胞子かゴルフボールにくっついたバイ菌みたいなもんです。人間は知性や科学があると思ってるが巨人界では あっそう てなもんかもしれませんね。逆にバイ菌に生まれてきたら、それはそれで意外に人生大変なのかもしれない。
太陽を1周して戻ってきたはやぶさ2号は今日12月3日、スイングバイのため地球に3100キロまで近づきます。地球と火星の間で太陽を回る小惑星リュウグウに向かう軌道へかじを切るためで、速度も秒速30.3キロが31.9キロにアップするそうです。
そして、これがちょうど1年前の出来事です。
打ち上げが観られたのも、珍しく快晴だったのもラッキーでしたが、もっと気になるのはネコです。あれはいったい何だったんだろう??
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屋久島探訪記(了)
2014 DEC 10 17:17:27 pm by 東 賢太郎
屋久島は人ものんびりしていてとてもいいもんです。たった5日でしたが、最後の日は尾之間温泉の熱めの湯につかり地元のおじいちゃんとしばし話をしました。自然のおおらかさと人々の柔らかさ、とても魅力でした。
屋久杉も温泉も野菜も魚もそうですが、この島にたちこめている太古の昔からの大地の気、生命力のようなものがあるように思います。食事の時に「いただきます」というのは食べるものの命をいただくという意味だそうですが、今回ここへ行って食事をいただいて、初めてそれを実感しました。
ひとことでいえば我々も大地とつながっているということです。杉は山と、温泉は海とつながっている。食材もみな海や土の香りがする。当たり前にきこえるかもしれませんが東京にいれば人はコンクリートやアスファルトで大地と遮断されています。そのことをいっさい不思議にも思わず、人間が作った人工のジャングルを森だと「錯覚」して生活しています。
それは動物たちが野生でいるか動物園にいるかほど違うものだと思います。動物園で生まれた子猿はおそらく森というものを一生想像もしないでしょう。それと似た存在かもしれない僕たちが人口の森の生活で価値があると思い込んでいるものは、実は自然の森では誰もいらないものかもしれない。僕たちは無用の競争をするように価値観を刷り込まれて生きているのかもしれないということです。
山の奥のにはいると、杉の大木に江戸時代の職人が打ち込んで抜けなくなり放置された斧が今も残っているそうです。数百年前の時代とそういう日常の肌感覚での交信ができてしまう近さ、同時性というのはコンクリートのジャングルでは想像もできません。その職人たちが見ていた森の光景も、吸っていた空気も今と変わらなかったのでしょう。縄文時代から手つかずという巨魁な時間の塊に触れたような気がします。
今回、思えばお話しした人はほぼ全員が移住者でしたね。聞いたお話を忘れないうちに書いておきましょう。こんな感じです。
「何より物欲が消えました。ここにいると必要なものだけで満足になってくるんです。不思議ですよ。ブランド品を買いまくっていた私って何だったんだろうって・・・」
「都会にいるとね、あくせく働かないと生きていけないし、でもだいたいが働いてお金ためて使わずに死んじゃうでしょ。あれ、なんか変ですよね」。
「自給自足の人、いっぱいいますよ。畑やって魚釣って。いるぶんだけ働いて、あとは毎日を楽しむ。だからお年寄りが元気なんです、ここ。」
「わしゃ富山です。60で会社首んなってここに旅行来てね、すぐ住みついたですよ。あんまりいいんで。それからもう25年農家をしてね、毎朝この温泉に入ってます」。
「総選挙ですか?あんまり興味ないですね。選挙カーもいないし。ここ、独立国みたいなもんだから」。
「銀行は鹿児島銀行でメガはないです。1万3千人ですから。私、ATMは郵便局使ってますが一度機械がこわれました。すぐ直りますと言われて、直ったのは翌日でした。でも誰も文句いわないんですよ、ほんとゆっくりペースなんです」。
「レンタカーのドアキーがロックできない?いまレストランの前で?そうですか。そちらまで行くにはややお時間がかかるので、では、そうですね、お食事の際はドアだけ締めてください。あっ、貴重品はお持ちくださいね」。
「屋久島は花崗岩ですから杉には厳しい環境だったんです。だから倹約して生きて年輪の幅が狭いです。すると脂がたまって腐らず虫がつきにくく、千年も生きられます。杉も人も粗食なほうが長生きするんでしょうかね」。
「杉の生命力は強いですよ。大木が倒れるとその上にまたがってはえます。それが江戸時代に伐採されて切り株となって、そこから3代目がまたはえてます。一代目からだともう何千年か見当もつきません」。
「還暦、そうですか。そこで千年杉のパワーをいただくっていいですね。縄文杉は年齢が2千年~7千年といわれます。幅が大きいのがどうしてって?誰もわからないんです。いちばん長生きの生き物ですよ、がんばって会ってきてくださいね」。
「縄文杉まで行ければ普通の山は大丈夫。富士山も登れます。」
「ハマる人は多いです。某居酒屋チェーンの社長は毎月来られて毎回1930mの宮之浦岳を登られてます。もう60-70回かな。歩くの速いですよ、普通の人の半分ぐらいの時間で降りてきますから。70歳までに100回はやるそうです」。
「屋久って名前のセンスがいまいちなんです。屋久杉ランドなんてサイテーですよね。はじめテーマパークかと思いました。でも本格的な杉が見れますよ」。
「大王杉って立派ですよね。これ見たらもういいよってぐらい。でももう30分苦労して登って縄文杉見ちゃうと、やっぱり上があるって思うんです。ところが、その縄文杉よりもっとすごいのが5本ぐらいあるそうです。奥の方に。誰も見たことないんですが」。
「人間と家畜以外の動物は6種類しかいません。多いのが鹿とサルです。おたがい襲わないので共存共栄です。動物もおだやかですね」。
「千年たたんと屋久杉とは呼ばんで小杉といいます。だから九百歳だってまだ子供なんですよ」。
今回、一週間休もうと思い立ったのは還暦もあるのですが耳鳴りもありました。医者曰く「原因はいまだわからない」が「ストレスでなる可能性はある」。要は休めということです。直感でまずいなと思い、そうしました。それが不思議なことに今のところ耳鳴りはほとんど消えています。原因もわからないものを直す原因がなんだったのか、とくに心当たりはありません。未知の屋久パワーです。
帰りの鹿児島空港で羽田行の便を40分ほど待っていたら、なんだか急に周囲がざわざわしはじめました。窓を見るとこういうことになっていました。さっきまで何もなかったのに。
ずいぶんでっかい虹です。空港の人に「よくあるんですか?」と尋ねると、「私は初めてですね」。この不思議な旅の終わりを象徴するようでした。
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白谷雲水峡と霊的な体験
2014 DEC 10 1:01:04 am by 東 賢太郎
はやぶさを見た翌日、朝6時20分にホテルを出ました。今日は雨です。まずは屋久島のパワースポットということで益救神社(やくじんじゃ)に参拝。それから山岳信仰の聖地と呼ぶにふさわしい牛床詣所へ行きました。「詣所内に立ち並ぶ六十余りの石塔が、映画「千と千尋の神隠し」のワンシーンを彷彿とさせる神秘的な場所」とあります。
僕は霊的なものにはうとく何かを感じたり見たりということはかつて一度もありませんが、大変驚いたことにこの牛床詣所を出る時に体中が総毛立ちました。うまく表現できませんが、何か普通でないものが電気のように走ったということです。
さて、ここから昨日予習した「もののけ姫」の白谷雲水峡へ向かいます。そこにも森の精霊のようなものが出てきますが、さっきの経験をしたものだから屋久の山や森は霊気が強いのかもしれないと本気で思います。
こういう沢が森の中を流れるのは国内いたるところで見る光景ですが、やはりここの特徴はそこに覆いかぶさる木々でしょう。
こういうのが出てくるとだんだん宮崎駿の世界になってきます。
道はずっと上り坂で決して楽ではありませんが、縄文杉に比べればずっと簡単なコースといえるでしょう。この苔は映画そのものです。
これが「苔むす森」です。「もののけ姫」のイメージはここからとられたそうです。またまた幸いなことにここには我々以外誰もおらず完全貸切。シーズンだと大混雑で写真を撮るのも一苦労とか。この日の雨こそここにふさわしいものです。
雰囲気にのまれたというか、あまり経験のないトランス状態になりました。頭がぼーっとしてしまい、10分ぐらい座ってじっとしていました。あとで室井くんが言うには、10分でなく40分だったそうで、何をしゃべったか忘れましたがとてもここをほめていた、そんなにほめた人は初めてですといわれました。
この風景は記憶(デジャヴ)があります。昔、ほんの幼児のころ、体が弱くよく熱を出して夢にうなされました。斜面で重い石のようなものを持たされて運ぶ夢です。熱が下がるとそれは終わり、丸っこいこぶのようなものがぽこぽこある斜面に草花が咲き乱れます。この景色はその光景に似ているのです。だからとても好きであり、思わず40分も見とれていたのでしょうか。
何だかよくわかりませんがこの日は朝の牛床詣所といい、かつてない奇妙なことがおこります。
山中の沢のほとりでお弁当をいただき下山して車に乗り込むと、白人の若い女性が一緒に乗せてくれないかと話しかけてきました。ほとんど人がいなかったので驚きました。男性も一緒です。「いいよ」といって「どこから来たの?」ときくと「イスラエルです」とのこと。6週間のハネムーンでテントを持って各地を回っているらしい。
「大事な旅行に日本を選んでくれてありがとう」とお礼をいい、いろいろな質問になるべく丁寧に答えました。英語がなかなか通じず困っていたようです。僕も海外で勝手がわからずこうやって現地の方に何度も助けてもらった、だからそのお返しです。
金融の仕事でロンドンが長いからユダヤ人はたくさん知ってるよ、友達もいるけどイスラエル人はあなたたちが初めてだなど話がはずみます。ヘブライ語でアズマは強いという意味だそうで韓国語のオバサンよりよかった。さっきの益救神社に案内し、ここにはないけど伊勢というところの天皇家の神社のシンボルは「ダビデの星」なんだよと教えると目を丸くしていました。一神教の彼らはお参りはしませんでしたが。
一泊二千円の宿をみつけてあげ、温泉に行きたいというので「縄文の宿まんてん」という所でおろしました。そうしたら奥さんが「お礼に」といってこれをくれました。ヘブライ語をかたどったペンダントのようなもので、「幸運を呼ぶお守り」だからどこかにぶらさげろとのことです。不思議な一日でした。
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「もののけ姫」を予習する
2014 DEC 9 8:08:12 am by 東 賢太郎
サンカラホテルはバリ風のコンセプトのリゾートホテルで、部屋はコテージになっていてゴルフカートで送迎してくれます。うるさいおやじが一人でわがまま言わせてもらいましたが、きちんとした対応をしていただきました。中村兄、鄙びた雨の多い離島というイメージは変わりますよ。
食事は主にフレンチです。島の野菜は生命力があって美味だが香りが強く、なかなかフレンチにはなじみにくそうです。それを創作でおいしく仕上げているのがいいですね。楽しめました。和食であれ洋食であれこういう意匠を凝らした料理は一人静かに味わうのも良いものです。シェフと一対一になって細やかなこだわりを感じて、どこかクラシック音楽を聴くのに通じます。ロッシーニは早々に作曲の足を洗って料理の道に転身しました。
いきなり昨日22km歩いて足が上がらなくなると思い、帰ったすぐもこの日も入念なマッサージを受けましたが、おかげ様でヒザも何とか持ちこたえてくれ、この翌日の白谷雲水峡のほうもなんとか登ることができました。spaのお嬢さんがたありがとう。
この日は地魚の寿司屋で昼食の予定でしたが、急遽割り込んだはやぶさ2号打ち上げで間に合いませんでした。そこでやはり評判という「屋久どん」さんにおじゃまして頂いたのがこれです。トビウオづくしで1700円。この野趣も魅力でした。
「もののけ姫」は見たことないよというと、ガイドの室井くんに見ておくようにいわれました。DVDをホテルでお借りして鑑賞。なかなか面白い。この絵の森は明日行く白谷雲水峡のイメージで、宮崎駿監督はそこに通いつめてこれを制作したそうです。余談ながら、このストーリで攻撃されているのが奥出雲をモデルにした「たたら鉄」を鋳る村というのも縁を感じました。この旅行に持ってきたのは奥出雲関係の本だったからです。
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「はやぶさ2号」打ち上げを猫と見る
2014 DEC 8 17:17:23 pm by 東 賢太郎
12月3日、平内海中温泉をあがって車で観測に絶好の場所と教えてもらった安房の高台にかけつけました。地元の方が2-30人ぐらい集まってきます。すいませんとそこの道路沿いに並ぶお家の庭に入れてもらってブルーの海を一望すると、なるほど種子島は目と鼻の先です。
おばあちゃんがあたりを仕切っていて「どうぞどうぞ、こっちのが良く見えます」と案内してくれました。
「どっから来ました?」「東京です」「ロケットはウチらなんどもこっから見てますよ。でも今日は雲もなくって、こんなの滅多ありゃしません。」
そこの地主はおばあちゃんではなく、若いご主人がいました。鹿児島出身で移住されたそうです。
「打ち上げ、13時22分だからあと5分ぐらいですね」
ご主人と話していると、むこうから猫がとことこやってきて石塀の上に寝そべりました。その顔を見て唖然です。
「ノイ、なんでお前ここにいるの?」
ノイはウチの猫です。これです。
目の前の猫はこれです。
これがノイ。
これが目の前の猫。
参りました。他猫の空似とは。それにしてもどうしてこんな絶妙のタイミングで出てくるんだろう?なにか判じ物を見せられている気分です。
「気をつけて下さい、ひっかきますよ」「いや平気です」
抱き上げるとノイそのものです。
「ひょっとして今年の4月生まれじゃないですか」「はい」
いや、あいつ、ロケット見に現れましたね。
はやぶさ2号の打ち上げはスペクタクルでしたが、僕はそれをノイ似の猫と一緒に眺めたのです。まずこれが打ち上げ直後です。真ん中のとんがった杉の直線上に噴煙が上がってます。
少し上昇したところです。
さらに上昇。ここからが速かった。
こうなってあっという間に消え去りました。
轟音はもの凄いのが2分後にきました。風圧を体ごと受け止めた感じです。帰還予定はたしか6年後でしたっけ、もう他人ごとには思えません。無事を祈っております。
以上、30分ぐらいのあっという間の出来事でしたがキツネにつままれた気分。あれはネコじゃなかったのかな?
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平内海中温泉という贅沢
2014 DEC 7 12:12:12 pm by 東 賢太郎
火曜に縄文杉まで行って達成感がたっぷりあり、水曜はこれも有名な屋久島の温泉めぐりでもしようと計画していました。ところが「はやぶさ2号」の打ち上げが延期で水曜になり、屋久島から種子島はフェリーで40分の距離であることを知りました。
「えっ、種子島って見えるんですか?」 「ええ打ち上げはよく見えますよ。東さん、強運ですね。これを見に来られて延期で泣く泣く帰られた方も多いんです。しかも今日はこの天気だからばっちりです。音もすごいですよ」。
急遽、予定変更です。どうしても行きたかった「平内海中温泉」にはいってから、教えてもらった安房の高台で打ち上げを見ることにしよう。さっそくレンタカーで温泉へ向かいました。これがその入り口です。
「入浴者のいる時の撮影はご遠慮ください」とあります。午前11時半だし写真は無理だなと思いきや、あがってきた家族しかいない様子です。「服はどこで脱ぐんですか?」「たぶんあそこの穴ぼこじゃないですか。我々の前にいた方もそうしてましたよ」
これがその脱衣場と思われる穴ぼこのあたりからの全景です。写真中央の丸と四角の穴ぼこが湯船でした。混浴でタオルは可だが水着は禁止。だから女性は夜来るそうです。それにしても貸し切りとはついてます!真っ昼間にこんなに撮りまくった写真は貴重かもしれません。
満潮時は温泉は完全に海中に沈みます。だから海中温泉なのです。干潮の前後2時間がいいそうです。右側のに入ったら底の岩が想像以上にぬるぬるで転びそうになりました。ゆっくり動かないと危険です。
温度は40度ぐらいでしょうか、快適です。透明ですが硫黄臭と強いぬめりのある湯質で気に入りました。つかるとこう。極楽です。
もうそろそろ誰か来るだろうと思いきや、360度見渡して人っ子ひとりいません。ただただ風と波の音だけ。昨日の杉もそうでしたが大地と自分がつながって一体になった感じがします。こんな経験は初めてです。ここで立つとこう見えます。風呂と海もつながっているのです。
お湯は湯船の底の岩間から湧出するのと、このようにそそぐのと両方でした。
真ん中にある黒い物は僕の財布です。万一と思ってこれだけ持ってきましたがぜんぜん心配なし。30分以上独り占めして堪能しましたがまだ人っ気なしです。
そろそろ安房へ行って13:22の打ち上げに備える時間です。その日に偶然に屋久島にいるのもラッキー、一日しかない登山の休息日だったのもラッキー、晴れたのもラッキーでした。麻雀でいうなら別の手を狙っていたのに自然とテンパってカンちゃんをツモッて役満。そんなに普段の行いがいいわけでもないのに申しわけなく、二百円箱に入れて出ました。
あとでホテルや食堂の人たちに聞いてみると「その時間で誰もいないというのは珍しいです」「自分は無人は経験ないです」ばかり。
「東さん、屋久島に呼ばれてましたね」。
呼ばれていたかなあと思うようなことがこのあとも起きたのです。
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ついに縄文杉に会う(登山記)
2014 DEC 6 20:20:40 pm by 東 賢太郎
屋久島へは大阪からは直行便がありますが東京からだと鹿児島でJALからJAC乗継ぎです。コネクションをいれて3時間ほどだからグァムぐらいのイメージです。JACは2×2の4席のプロペラですがほぼ満席でした。30分ほどで着くと空港はこんな感じです。サンカラホテルからお迎えをいただき、この日は読書、マッサージでのんびりしました。
今回の最大の目的は縄文杉です。ガイドブックによると往復22km。ハーフマラソンの距離は不安でしたがガイドさんもいるしなんとかなるだろう、22kmのうち17kmはトロッコ道なので急ではないしということで甘く見ておりました。
翌朝4時半におきて5時半ホテルを出発。ガイドは25歳のイケメン室井くんです。「今日はあいにく雨ですね、でも人が少なくていいですよ」、真っ暗な中をパンをかじりながら車で約15分、荒川登山口につき準備体操をするとそろそろ夜明け前です。6時半すぎ、出発前の1枚ですがかなり緊張してますね。「上はたぶん雪があります。寒いから着込んで下さい」ということでフリースを2枚重ねにしました。
以下、室井くんの説明を加えながらざっと行程を書いてみます。ご一緒下さい。
ここの標高が600m、縄文杉が1300mです。「さあ、がんばりましょう」。室井くんにはげまされていよいよトロッコ道を歩きはじめます。彼は埼玉出身ですが山好きで屋久島に惚れこみ、移住してガイド歴2年。縄文杉はもう200回登ったそうで頼もしい。ひたすら黙々と歩くとやがて陽がのぼり、誰もいない後ろを振り返るとこんな風に線路が雨に濡れて美しい。一幅の絵です。
また黙々と修行僧だか行者みたいに歩きます。重たい登山靴で歩くのがこんなに苦行なのかと参りました。線路の枕木がまばらで実に歩きにくく、足元が気になって景色を見る間もなし。彼のペースについていくのがやっとでありました。途中にいくつか沢を渡る鉄橋がありますが、これも高所恐怖症の僕には下が見えておそろしい。落ちた人がいるそうです。
安房川にかかる42mの長い橋を渡ると小杉谷集落跡があり、大正12年から昭和40年代まで杉を伐採するため500人以上が暮らしていたそうです。屋久杉は秀吉が島津藩に命じて伐採をはじめ、京都の方広寺大仏殿に使用された記録があります。江戸時代は建材とくに屋根材として利用され年貢とされました。小学校跡もあり、学童の遊ぶ白黒写真を見ると僕と同じぐらいだろう。
スギという樹木はヒノキ科スギ亜科スギ属の常緑針葉樹であり、日本固有種で学名は「日本の隠された宝」という意味だそうです。であれば縄文杉は日本一じゃない、世界一ということですね。長命であるうえに油分があるので加工しても腐らず、江戸時代の倒木でも切ると樹脂分が滴ってほのかに芳香があります。しかも写真のように石の上の苔の間からでも芽吹いてしまう。この生命力は魅力です。始皇帝が徐福に命じて不老不死の薬を探しましたが、杉こそがそれなんじゃないかと思いますね。
i-phoneプロ級の室井くんにルーペで拡大写真を撮るのを教わります。スマホといっても電話とメールだけだからこういうのはほんとにありがたい。
まだこの辺までは余裕がありました。休憩所では2、3人先客がいましたが我々は入山の最後尾の方みたいです。ここで8時過ぎぐらいだったでしょうか。ここからは線路の間に渡し木があって歩きやすく、植樹されたまだ細くて若い杉の林を抜けていきます。傾斜もなだらか。何とかいけそうだと少しだけ気が軽くなっています。いま地図を見返すとここまで登ったのはたったの50m、距離はトロッコ道8.5kmの半分も来てなかったのですがこの時はそんなことは知りません。
僕が意外に元気なもんで、どこだったか室井くんが「ここはショートカットしましょう」と道をそれて急斜面(そうでもないが僕にはそう見えた)を登りはじめました。そうしたら途中で左ヒザにピリッときて、これはやばいとストップをかけます。エアサロンパスをしてサポーターで締める応急処置をしてもらっていると休憩所にいた女性たちが心配そうに見ながら追い越して行きます。
三代杉、仁王杉と少し傾斜が増し、鹿が現れ、やっとの思いでトロッコ道の終着点である大株歩道入口までたどりつきました。ここで湧水をいただいてトイレ休憩です。この時点で8.5km歩き、330m登ったことになります。普段、多摩川をジョギングといっても5kmぐらいの平坦地です。ヒザはなんとかもったものの、ここで僕は充分に疲れてました。
ここから縄文杉まで本格的な山道です。距離は2.5kmですが高低差は370m。斜面の角度はそこまでの4倍近くなる計算です。階段をふーふーいって上がると息は切れるわ足はがくがくになるわで思考停止状態です。先導する身の軽い室井くんが忍者に見えます。彼の踏んだ石を踏むことだけ考えてました。ちょっと体のバランスが崩れるともう足が体重を支えられないのです。
まずこの翁杉(おきなすぎ)があります。「だんだん標高と共に屋久杉らしいのが出てきますよ」と言われ、写真は撮ったがそれがやっとであまり覚えてません。
切り株の10畳ほどもある空洞から空を見るとハート型なのが有名なウイルソン株が見えてきます。ハーバード大学の植物学者アーネスト・ヘンリー・ウイルソン博士はこれを洞窟と思ったそうです。彼が1914年に西洋に紹介しそう呼ばれるようになった。この杉は胸高周囲が13.8mで縄文杉の16mとそうかわらず、豊臣秀吉が大阪城築城のため切ったといわれます。ウィルソン調査は縄文杉発見の52年前でした。「いまさらハートはいらんよ」といったら室井くんが撮ってくれました。杉の大木は栄養を浪費しないよう下部を中空にして上に伸びるのです。木には生きる知恵が詰まっている、素晴らしいものです。
せっかくだから感謝の意をこめてウィルソン株の室井くんの写真も。屋久島に行かれて山に登られる方、最低レベルの僕を安全に登らせた彼は腕も知識もプランも優秀な若者です。
この先で飲んだ湧水のうまさは格別でした。屋久島の水は硬度が10と非常に低い軟水です。多雨な気候で雨水がすぐ濾過されて湧いてくるためミネラル分が少なく、味は丸みがありほのかに甘みを感じます。ヨーロッパ赴任時代に硬度500もある硬水ばかり飲んでいてそれがおいしいと感じていたものですからこの水は新鮮でした。冷やすとその純度の高さが味わえ、水だけいただいてもおいしいものです。
さて問題はここからでした。
45度ぐらいが続く「心臓破りの1~3丁目」という難所があり、ごつごつした石を踏みしめ木の根っこをよけながらの急斜面と木の階段です。実にきつかった。
「この階段、注意してください。落ちて亡くなった人がいます」なんていわれる。よく見ると木製の長い階段がややアーチ状に反っていて下の方が勾配が急になる。それなのに手すりもない。目が悪くて足元の状況がクリアにつかめず参りました。もう太ももが疲労困憊で、「ヒザが笑う」といいますが「足が笑う」状態です。踏み間違えるとグラっとして戻す力が弱まっていますから怖かった。
まずいっと思った瞬間が何度かありました。足元ばかり見ながら緊張して歩き通しだから景色も見られないし、昼になってもおなかも減りません。それは疲れてますねと彼も心配します。ミゾレが降り出してにわかに寒くなり「ここ、昨日降りましたね、雪がありますよ、気をつけて」といわれるとますます恐怖感が。「東さん、3丁目終わりましたよ。でも4丁目もあるんです」。おいおい、もう勘弁してくれよ。
ウィルソン株からそんな苦行を1時間以上。スローペースでやっと到達した大王杉です。圧倒されました。野太く天を突く偉容は大王の名に値いします。樹高24.7 m、胸高周囲11.1 m、推定樹齢3200年以上。ウイルソンの方が太く、大王杉は江戸時代の試し切りの跡があるがなぜか切られず残ったのです。人生何が幸いするかわからない。3200年以上前というと日本はまさに縄文時代、旧約聖書は「出エジプト記」のモーセのころ、海が割れたころですよ。地球上生命の大王といってもいいでしょう。古代人はこれを見て神と思った。当然でしょう、僕もそう思いましたから。
名前がついている杉は何万本もあるそれなりに立派な杉の中でも目立つ奴です。その中でも大王となると、はるか上方から突き出ている枝でさえその辺にはえてる普通の杉より太い(左)。面白いのは姫沙羅(ヒメシャラ)というツバキ科の細めですべすべしたオレンジ色の幹の木があって、これが何となく女性的です。大王の周りには目立つヒメシャラもたくさんあってどこか人間界を思わせます。「男だよなあ、高倉健みたいだ、かっこいいなあ」、思わずそうつぶやいていました。
「でっ、室井くん、縄文杉までは?」「ここから40-50分ぐらいですね」「ちょっと待てよ。イカだって大王が一番でっかいんだよ。この杉よりうわてって、そんなのあるの?」「見ればわかります。頑張りましょう!」。ちょっと楽しみになった。
苦行のつづきです。もう何人に追い越されたか。あれだけ自信のあった足腰の老化と不摂生を呪うしかありません。体重60kgの人間が20kgの子供を背負って登っているようなもので、疲れてもう体重をコントロールできないのだから危なくてしょうがない。途中下りの階段があっていよいよ足がもつれて落ちかけました。
しかしこの看板を見て気を持ち直します。そうか、ここまでは世界自然遺産区域じゃなかったのか・・・。森は奥が深い。
黙々と室井くんについてさらに急斜面を登ります。ミゾレがちらついて寒い。すれ違った女性たちはさっき追い越して行ったパーティーたちで、僕がよれよれなのを知っていて「もう少しですよ、頑張ってください」と励ましてくれます。哲学者の梅原 猛氏が60歳を超えてやはり12月にここを登って「死ぬ思いをした」と書いてますがこれは誇張じゃありません、納得です。小一時間たって不意に室井くんに「ここからは僕がOKするまで上を見ないでください」といわれました。いよいよですな。
OKが出て見上げてみると、それは木々の間から霞に煙った姿を見せていました。縄文杉です。
岩が大地に生えて天とつながったようであります。60年生きて、まだこの世で出会ったことのない何かです。
大自然、森の神、生命の樹・・・なんて言うも唇寒し。苦行の末に閻魔大王に面会したという感じです。
杉の前にはほとんど人はおらず、貸切に近い。「ここでこんなにゆったりできるの珍しいです。100m手前から行列して、やっと正面に来て写真撮って終わりの時もありますから」。長崎、京都、名古屋から来た方々とお弁当を食べて12時半です。またみぞれが強くなってきて、汗をかいているから寒い。
下山を始めて荒川登山口に戻ったのは5時過ぎ、日没の3分前でした。帰りも苦労しましたが同じ道で先がわかっていると安心感があります。総所要時間は約10時間でした。いや疲れました。でも出発前と同じ場所で撮ったこの写真、ぜんぜん顔つきが違います。
室井くんによるとこの日の入山者は30人ぐらいで最も少ない方。観光シーズンは1000人もいてごったがえすそうです。雪はありませんでしたが12月なりにみぞれは降り、それでも歩いていれば寒さは感じませんでした。寒いのは休憩時ですが、肌着はスポーツ用の薄いウールの汗を吸うもの、その上にフリース2枚とレインジャケット(上下)で充分でしたがフリース1枚とダウンジャケットのほうが良かったかもしれません。帽子は全方向の雨をよけるゴルフ用で足りました。
靴は登山靴が必携です。僕は雪山でもOKという本格的なものを買っていき正解でした(下りが楽)。平地はスキー靴のようで歩きにくく感じますが岩場を歩くのは楽です。ストックやヘッドライトはレンタルできます。リュックサックは必携ですが30リットルで充分でした。水は途中でおいしい湧水をいくらでも飲めるので、小さいペットボトルを1本持っていってその都度汲めばいい。むしろ水筒は重いので持っていかないことをお薦めします。
登山時期ですが、もちろん春夏秋とそれぞれ植物の生態や気候の良し悪しがあると思います。今回、仕事の関係でどうしてもここしかなかったのですが、僕のような初心者には意外に良かったのかなと思います。遅めの出発で入山者30人のうち10人以上に追い越されましたから僕の歩行ペースは最遅を争うもので、1000人いたら何百回も道を譲ることになります。何度もやると消耗するから大変だったでしょう。寒さと雪だけ気をつければ11-12月は穴場かもしれません。
最後に、良いガイドこそ最も大事です。ヒザのサポーターまで準備できていて本当に助かりました。室井くんありがとう。
「頂上までで行かないのは登山といいません。トレッキングです。縄文杉は頂上にないので今日のはトレッキングです」。初心者にとっては立派な登山でした。「でもこれができれば富士山は登れますよ」。そうか、ありがとう。ちょっぴり自信がついた。登った方の最高齢は94歳だそうです。まだまだ未熟者でした。
これで屋久島に来た目的を果たしました。全身の力をふりしぼった齢五十代の最後のチャレンジ、無事終了です。
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屋久島探訪記(序)
2014 DEC 6 1:01:55 am by 東 賢太郎
先日、健康診断で医師から「数値がどうのより休め」といわれました。サラリーマンのように決まった休みがなく、自分で休むと決めれば休めるのですがキッカケがないから今年は夏も休まずに来てしまい、どうも体に変調をきたしかけていたようです。
そこでどんと1か月サバティカルといきたいところですがそうもいかず、今週だけいただくことにしました。
さてどうしよう。
こういうとき我が業界では「離島で完全スイッチオフ」が定番です。仕事も日常もきれいに忘れろっていうんですから、一人っきりで、電話も通じないような場所で。
それに加えて、我がボディはベスト体重60kgが80kg近いという惨状です。運動してそれも減らしたい(というか減らせと医者にいわれた)というのもありました。いろいろ案じていたところ、弊社の宍戸から「屋久島はどうですか?」という案がでました。
屋久島・・・
アジアばかり頭にあったので心が動きます。そうか縄文杉とかいうのがあったね、還暦記念にいいな。50歳代の最後の区切りになりそうだ。ホテルも良さそうなのがあるし運動にもなりそうだし、フライトは3時間ぐらいだからまあいいか。
「だって相手は千年ですよ、六十歳なんて赤ちゃんです」
パンチある言葉にあとを押され、週末に登山用品を一式そろえました。
知ってはいたけどきっかけがなく、こういうことでもなければ一生行くことはなかったでしょう。いや、あと何年か齢をとってからだと僕の体力ではもう縄文杉まで登るのはとても無理だったでしょう。こういうのが縁というものです。帰ってきてみて、ほんとうに行って良かった、心から今そう思っているのです。
まずは最高のおもてなしをいただいたサンカラホテル&スパの皆さん、2日間の名ガイドをしてくれた屋久島メッセンジャーの室井くん、屋久杉の魅力を教えてくれたお土産「武田館」の金田マネージャー、そのほかお会いできた地元の方々のおかげです。御礼申し上げます。
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