Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______自分とは

99.9%の人には言わないこと

2022 SEP 5 19:19:08 pm by 東 賢太郎

学園祭の天文学科でわくわくしながらお話を聞いた。「これの名前わかるひと」とクイズがあって、「アンドロメダ大星雲!」と図鑑どおり答えたらお兄さんがびっくりして(7才だったんで)、「ボク、これをあげよう」と星雲メシエ83の展示写真をくださった。よし、ここの一員になろうと思った。なれたらこの話は尾ひれがついたろうがなれなかった。

帰りに父が望遠鏡を買うかときいたが、いらないと言った。恒星はパロマ山の大望遠鏡で見ても「点」だからだ。土星の環とか月食とか、太陽系のチマチマしたそういうのは興味ない子だった。最近、ときどきテラスで本を読みながら、夕暮れになって、雲の中の太陽が “目視” できるときがある。「やばい、恒星があんなにでかい!」。これ、99.9%の人には、言わない。頭おかしいと思われる。あれ触ってみたい、メスで切り取って成分を調べたいなんて思ってることは、あの日のお兄さんなら分かってくれるかなと思う。

恒星写真といえばいまやハッブルという時代だ。しかし個人的には、あのときの思い出があるから日本を代表する望遠鏡を応援したい。それが2つある。ハワイ島の「すばる望遠鏡」とチリの「アルマ望遠鏡」だ。

「すばる」は世界最大級の8.2メートル口径を誇る。オリオン座の三ツ星の下にあるオリオン星雲はすばるで見るとこうなってる。

オリオン星雲

次は電波望遠鏡「アルマ」の画像。

おうし座HL星まわりの塵の円盤

なんか危ない感じがする。これは450光年先に確かに存在する。この世かあの世かもう分からないが、宇宙船の窓からこんなのが見えたらぞっとする。

きれいなのもある。この写真など、額に入れれば白壁に似合うおしゃれなモダン・アートだ。これは460光年。

おうし座DH星

きれいというならマリンブルーだ。ダイビングしてそれを美しいと思ったが、あれは先祖が海にいたころの記憶だろうか。では空はどうなんだろう。460光年かなたの景色を先祖はどこで見たんだろう?

人体解剖図も7才あたりで好きだった。「腑分け」だ。レオナルド・ダ・ヴィンチは筋肉と骨だったが僕は肝臓で、たくさんの肝臓が渋谷の交差点をぷかぷか浮いてるダリみたいな絵が見えた。

楽譜も解剖図だ。一青窈の「ハナミズキ」(ホ長調)のサビでE₇ 挿入は「ロング・アンド・ワインディングロード」、E,  D#m₇-₅, G#₇, C#m₇は「イエスタデイ」に見える。なんだ、ビートルズだった。

「弦チェレ」の第3楽章は宇宙空間にゼンマイ(植物の)が浮んでいると日記に書いた。ライナーのレコードだ。チェレスタがぱらぱらと雪を降らす。

兼好法師というと素敵であって、宇宙的だ。この世に変わらぬものはなく、すべては幻で仮の姿に過ぎないなんて、ショーペンハウエルと双璧である。

うちの猫も素敵だ。芸もなにもしない。いるだけでありがたられ、エサが出る。ときどき、見おろされて、宇宙最強の生物じゃないかと思う。

ちなみに、漱石にあれを書かせたのは黒猫だ。人なつっこさで異色の威力を放つ最強の部族。彼は書いたつもりだろうが、気がついてない。

アインシュタインも金魚鉢の金魚。光速は宇宙劇場を上映してるコンピューターのメーカーが決めた限界。CDの限界が「第九の入る72分」みたいなもん。

でも、こういうことは99.9%の人には、言わない。

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果てのないオマージュ(東家の歴史)

2022 JUL 12 2:02:13 am by 東 賢太郎

本郷西片に下宿していたころ、東大正門前の銭湯にずいぶんお世話になった。冬の寒い日、勉強に疲れるとタオル片手にぶらっと出る。ひとっ風呂あびて行きつけの飯屋で瓶ビールに中華丼なんてのがささやかな楽しみで、世間様のイメージとは大違いで当時のあの界隈は日が暮れると大いに庶民的であった。

東京の銭湯というと「富士山のペンキ絵」と相場が決まっているが、これは我が父の祖父が明治17年にJR水道橋駅の近くの猿楽町に開業した「キカイ湯」が日本初である。もう廃業したが跡地にこんな案内板がある。

これを記した東堯氏は京大物理学科から東芝に入り、日本色彩学会会長をつとめて勲四等瑞宝章をもらった人だが、我が父のいとこである。子息の実氏は東大工学部から東芝の専務(最高技術責任者)となり、退職後は中国の清華大学顧問教授、東京理科大大学院教授といった具合であり、父の兄弟もその子供である僕のいとこもみなガチの理系という一族である。

東由松は石川県能登から上京した。一度父と故郷を訪ねてみたが、穴水に近い鹿波という半農半漁の寒村である。わけは父も知らなかったが、由松が能登を去ったのはキカイ湯を創業した32才より以前だ。田舎にくすぶるのは嫌だったのだろうと推察するが、明治時代初めに近場の金沢や富山でなく一気に東京都心をめざした心意気は我が心に響く。聞く話によると当時は風呂屋というと北陸出身者が多かったそうで、朝4時からの重労働であるから東京人がやりたがらない仕事だった。僕から見て曽祖父にあたる彼が裸一貫で銭湯を立ち上げ、旧態依然のビジネスをエンジニアリングで省力化し、富士山の絵でマーケティングに成功したこの話は大いに気に入っている。

幼い頃の我が関心事はというと、幼稚園で描いた絵を見るに電車の床下の機械と車輪、それからねだって買ってもらった人体解剖図、全天恒星図、鉱物標本を子細に眺めることといった風で、音楽の方も夢中だったのは音よりもSPレコードの音溝になぜ音が入っているかの謎ときであった。だから小学校にあがっても友達とは話がまるで合わず、仲間に入れてもらおうと野球少年になったのだ。父は医者か科学者にしたかったようで、文系を余儀なくされてしまったのはこうして家系を俯瞰するとやはりつらいことだった。いっぽう母方には理系はおらず、根っからの商人の家だ。そっちの血に頼って何とか生きてきたが、父から見れば期待外れの大失敗。まさか証券マンになろうとは夢にも思ってなかったろう。

かように水と油である父方、母方のブレンドは戦後の見合い結婚の産物だ。三井物産にいた母方の祖父が三井銀行にやってきていい男はいないかと掛け合い、支店長の白羽の矢が立ったのが父だった。初デートは歌舞伎座だったそうで、どっちも歌舞伎が趣味という形跡はないのだから微笑ましい話である(母は宝塚のほうが好きなのだ)。僕は父の実家があった板橋区清水町の富士見病院で昭和30年2月4日に生まれた。3才までいたこの家はもうないがよく覚えている。命名は祖父で、後に東京都知事となる東龍太郎にあやかったらしい。

祖父は優しかったが気骨ある明治の男であり、事業をしていたがそのころはもう楽隠居で、将棋をさし株を買い悠々自適だった。関東大震災で家が焼け、板橋の家は庭に池まであったが借家で裕福ではなかった。祖母は九段下の大店だった鮮魚店の娘で、両人とも常に和服で物静かだった。大森の千坪のお屋敷で洋風に気ままに育って嫁いだ母はギャップに苦労したようだ。大正13年生まれの父は4人兄弟の次男で、戸籍名の由之助はキカイ湯の由松から来ているが、どういうわけか清隆なる通名があって祖母にはいつも「キヨ」と呼ばれていた。僕の会社「ソナー」は母の名「園子」を宿しており、もうひとつの会社「レイゾン」は「由」のフランス語、raisonである。

僕の「賢」は学業への期待だろうと子供ながらに荷が重かったが、成城学園でのびのびやりなさいという母の教育とは大きな齟齬があり、それにかまけて好きにのんびりやってしまった。激務で毎日帰宅が遅かった父は勉強してるふりだけでごまかし、成績は上がらないわ受験は落ちるわで不義理してしまった。だから幸か不幸かケガをして野球を断ち切り、高3から真剣に勉強路線に転じたのは、キャリアが戦争の犠牲になった父の仇討をせねばと思いたったからだ。現役で受かった私立に入学金40万円を払ってくれたが、御免と捨てて浪人したのは一生裏切ったまま済ます気になれなかったからだ。東大の合格発表の掲示板の前でも嬉しいという感情はあまりなく、やれやれ一仕事終わったという安堵があった。

証券会社のサラリーマンとしてくだらない処世術を弄するにあたって父方の能力は無用だった。あほらしくなって会社を辞めようと思ったが、母はそれを予期したかのように「きっと縁があるのよ」と田中平八の話をして励ましてくれた。結果として辞意は若気の至りで、その訓練を我慢したことが後々の修羅場をくぐりぬける屋台骨になった。しかし人間の造った物に興味のない僕には証券業も単なるお仕事だ。そっちの僕だけを知るほとんどの人たちはブログを読んで意外だろうが、それがほんとうの我が姿なのだ。白鳥座で6,900光年離れたケプラー19bの公転周期が約5分ほど変化しているなどと科学誌で読むとムム!と居ても立っても居られない。これとハンマークラヴィール・ソナタにブラームス4番の冒頭主題を発見したワクワクは僕の中では同じ質感なのであって、どちらも紛う(まごう)ことなく父方由来のものだ。

我が父、東由之助(1924-2022)

父は神仏に信心が厚く、文学的で俳句短歌を好んで詠んだ。早寝早起きのリズムは最後まで微動だにせず、整理整頓は水も漏らさぬ完璧さで、不要と見るや即廃棄する究極のミニマリストであった。銀行員の几帳面さで何事も達筆で細かに記録し、96才になっても孫や猫のことをあれはどうなったと聞かれてこっちが忘れていることもよくあった。健啖家で95才までスエヒロのステーキをぺろりと平らげていた。運動がうまいイメージはなく車の免許はとらず母まかせだった(母は名人クラスのドライバー)。気難しくはあるが基本は陽性であり、長男の重荷をずっしり背負った僕からすると次男の気軽さがあったかもしれないと思う。誰に何を言われようと自分のスタイルを巖のごとく守る人だったが、猫が悟って逃げるほどの猫嫌いを母が押し切って3匹も飼わされたのは気の毒だったのかもしれない。陸軍では高射砲兵で爆弾に吹っ飛ばされて左耳が聞こえなくなったが、戦争は嫌ったもののそれを気に病んだり恨んだりしたのは聞いたことがない。

こうして書いてみると、僕とはかなり違う人だ。96才でも施設で英語の勉強をしていた博覧強記の勉強家だが、施設の女性看護師さんたちに囲まれ、先生と呼ばれて楽しくやっていた。人柄としては教師か神主、お坊さんでも似合った気がする。一家でただひとり2,30年も長寿だったが、同じ遺伝子でそれというのは楽観的な性格の恩恵があったのではないかと思えてくる。どんな難事にあっても神仏に祈って難なく1%の可能性に本気で期待をかけてpositiveでいられる能力において、僕は父以上の才能の人を見たことがない。そして、僕を知る人はみな知っているが、その能力はほぼ正確にそのまんまDNAに組み込まれて僕に遺伝しており、何があろうと何とかなるさでジタバタしない得な性格を与えてくれた。それがなければ絶対にここまで来ていない、最大の遺産である。

最近は体重が増えているせいか、5月8日の父の旅立ちの日の朝、いつもは大丈夫だった喪服が窮屈であることが発覚した。「仕方ないわね、お父さんのがあるわよ」と家内が出してくれたそれは、どういうわけだろうか腹まで見事にぴったりではないか。「おかしいね、俺よりずっと細かったのにね」。5年前に代々木上原の斎場で父はこれを着て母を天国に送ったのである。それを今度は僕が着て、妹といっしょに父を骨壷に納めた。葬列でもちあげてみると、可愛らしい骨壺だった母の時よりずっしりと重い。ああこれが父という存在だったんだ。膝にかかえて車で帰宅する道すがら、僕は茫然としていたが、ふと気がついた。その斎場はというと、まったくの偶然なのだが、あの板橋であった。

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亡き父に捧げる五月五日のこどもの日

2022 JUN 28 23:23:12 pm by 東 賢太郎

スミノフをグラス2杯、ジム・ビーム1杯を一気にあおった。酒はいたって弱いのだから息がなんだか荒くて速い。目にちかちかと色とりどりの星が花園みたいに瞬いている。ここはどこだろう?わからないが、とにかくきれいだ。

3才で七五三に行った登戸稲荷社の景色はくっきりと脳裏に焼きついている。子供ながらに親の熱い期待を肌で感じていたっけ。去る五月五日のこどもの日の朝、父はそんな僕に我が家のすべてを託し、花園を愛でながら静かに逝った。

去年の9月のこと、入っていた川崎市の施設で倒れ、目黒の病院に搬送する道すがらたまたま多摩川を渡る鉄橋の手前にあるその稲荷社の前を車が通った。もう意識はなかったが、手を握り、耳元で何度も「ありがとう」とくりかえした。

端午の節句。団地なのに立派な鯉のぼりが舞った。僕はというとお内裏様の刀がうれしくて、それを抜いては叱られながら、親の目を盗んでチャンバラごっこに興じていた。親の心子知らずのまま大人になってしまった自分が申しわけない。

銀行員だったせいか規律と勉強には厳しかった。だから高校にあがって「硬式野球部に入りたい」と告げるには勇気が要った。「そうか、やるなら徹底的にやるんだよ」。返ってきた思いがけない言葉が、生涯にわたる僕の金科玉条になる。

16歳で開戦。秀才だったが学徒動員で大学は夜学。悔しかったろう。よし、ならば俺がやってやろうと決心した。それを意気に感じたのだろう、お前はできると背中を押してくれた。こどもの日が命日とはそんな親父らしくもある。

まだ施設で元気だったある日、僕の幼時のアルバムに達筆で「賢太郎 健康と幸運を祈る」と大きく書かれているのに気がついた。さらにあった「おだやかな老後をおくりなさい」には心底参った。起業してからだ。涙が止まらなかった。

父が無言の重荷だったこともいま知った。それが取れた。でも30代40代だったら怠惰な僕はきっとだめになっていたろう。晩年まで心身とも壮健で97才まで生きてくれた父。彼を一言で表すなら、『世界一の教育者』以外にない。

いま目の前に忽然と開けた新しい世界。宇宙のどこかにいる両親が「あの七五三から64年の歳月がたったね、もう一人でできるよ」と言ってくれている。もちろんだ。また逢える日まで、最後までやりきるのが不肖の息子の責務だろう。

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拙稿の閲覧数700万回の御礼

2021 JUN 3 1:01:23 am by 東 賢太郎

アメリカの歌手、B・J・トーマスが亡くなった記事を見てバート・バカラック「雨にぬれても」をYahooで検索したら拙稿が出てきた。

http://バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力 | Sonar Members …

この曲も古くなっちまったってことだ。気がついたら拙稿のPVは7,000,000回をこえていて僕もけっこう古手ブロガーに数えられており、古い者が古い物をほめているという図式を古い人が面白がってくれてるということが背景なんだろう。

そう思ったがGoogle Analyticsを見るとそうでもない。以前からその傾向があったが現在の僕の読者は43%が44才以下、うち22%が34才以下だ。ざっくり半分が40半ばより若い学生、働き盛りということになる。とても嬉しい。SMCは50才以上をイメージして始めたが老人クラブではない、若年層に知恵と勇気をつけてあげたいという思いだけでやってきたから本望だ。僕はインフォメーションを書く気はさらさらない、そんなのは自分でググりなさい。書くのはインテリジェンスのみだ。僕自身それしか興味ないからそうなるしかない。勉強や世渡りを教えることはできないが、拙文に長くつきあってくれれば思考回路は似てくるという気がしてならない。現にそう言った若者がいた。そうなれば自分でユニークな思考ができるようになる。ただし普通で平穏な人生が良い人にとっては害かもしれないとも思う。そういう方はここでやめたほうがいい。

ちなみに、誰に会っても「若いですね」といわれる。66はないですね、50ぐらいですと。お世辞半分としても、精神年齢は若いと自分でも思う。たとえば去年はコロナ環境に適合した会社「アルカ」を作って今年は利益が出るし、先月はある会社の買収に成功した。金融とは程遠い業界の顧問にもなる予定で、もはや僕にとってビジネスは金儲けより好奇心の充足である。面白いと思わないと儲かってもやらない。だってそんなものに憂き身をやつすのはカネに隷属するということで人生の空費以外の何物でもない。若者は「面白いこと」に時間を使いなさい。そしてそれを極めなさい。仮にそれで食えず、やむなく一時の隷属生活になってもめげないことだ。そうしていれば、極めてない周囲より評価される日が来る。そこでまたそれを極めなさい。これが成功のスパイラルになる。

面白いと思う事柄は年齢と共に変わっていくが、そこに節操なんてものはかけらもない。持つ気もない。心の移ろいというのは自然の摂理だと思っている。自然に逆らってもいいことはない。「不動心」とか「軸がぶれない」なんてのは、変化する能力も勇気もない者があみだした念仏である。そんなもので戦争には勝てないし、なによりダサい。人間その時々にやりたい事をやれば集中力もパフォーマンスも上がるのであって、業績もお金も自然についてくる。だからそれに徹するのが幸福な人生であり、やりたくもないくだらない仕事に時間を使うのは奴隷である。英語でドンキー・ワーク(ロバの仕事)というものをくだらないと思うかどうかはあなたのセンスとポリシーによる。僕は絶対に奴隷にはならない。なぜならみっともないし格好悪い。格好悪いのは耐えられない性格だからだ。

女性読者は30~40%だったのが45%に増えている。これもとても誇らしい。男は何才になっても女性にもてたいのである。僕は先祖が九州と能登で陽と陰、動と静、アバウトさと緻密さ、気まぐれと集中、飽きっぽさとねばり強さが同居した珍しい人間だ。「南国君」と「北国君」のどっちでもある。でも自分でどっちが好きかというと北国君であって、実は僕の内なる南国君も彼には一目置いている。おカネを増やしたのは南国君なのに北国君はあまり評価しない。困ったのは若いころだ、女性とデートすると優位に立つ北国君が出てくるが話題がさっぱりないのである。で、すぐふられる。ぜんぜんもてない。それはもはやトラウマになっている。

しかしである。なんということだ。実はブログ執筆は、もてない北国君がもっぱら引き受けているのである。彼を女性が45%も支持して下さっているとは天変地異の予兆でないことを祈るばかりである。そうなるとできれば80%ぐらいにしたいと欲も出るが、北国君にそういう才覚はない。なぜなら、彼は昔も今も変わりがなく、何がうけてるかさっぱり見当もつかないからだ。

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エリザベス女王の酒壺

2021 MAR 15 0:00:47 am by 東 賢太郎

上海の豫園が好きで行くと必ずお茶に寄るのが「湖心亭」だ。何度訪問したか、からっきし覚えてないが10回は下らないだろう。どうということない定番の観光スポットだし、お茶もそういう所なりにちょっと高くて、特におすすめの場所でもない。

中はこんな感じだ。上海で一番古い茶館で創業は1855年とある。当初は豪商の集会所として使われたらしい。

あれが何時だったか、そのときなぜ上海にいたか、さっきから考えてるがわからない。同行した面々の顔は思い出すのに、どうしてあの人たちと?というのが不明だ。上海雑技団で盛りあがったのしか覚えがないのだから気合の入ってない仕事だったのか早く帰りたかったのか。

たぶんランチの後で酒も入ってぼ~っとしてたんだろう、店の人がいろいろ由来を説明してたがうわの空だった。「はい、そのときお酒をお注ぎしたのがあれです」と骨董品らしいのが並んだガラスのショーケースを指さしていた。別に興味もなくそこから記憶は飛んでいるが、「エリザベス女王」と聞こえた気がした。

帰り際にそのケースを眺めていて、ちょっと気をそそる形のものが目に入った。紅茶を注ぐポットを小ぶりにした感じで、いいな、欲しいなと思った。「すいません。これなんですか?」「ああ、さっきお話しした女王陛下の・・・」

そう、それで、家にこれがある。それはまちがいない。酒壺らしい。

どうも、即決で買っちまったらしい。いくら払ったんだろう?覚えてない。だまされたか?絵柄はあんまり高級にも見えない。売ったらいくらだろう、なんでも鑑定団かな。

ここから推測になる(自分のことだ、情けない)。

まず確実にいえるのは、僕は女王様にはあんまり興味ない。するとなんだろう?唯一考えられるのは、明治生まれの爺様が三井物産の上海支店長だったことだ。豪商の集会所・・・これでお酌されたんじゃないか?空想もいいとこだが、いまこいつを自宅の仕事机に置いているが、なんかほんわかと豊かな気持ちにしてくれてうれしい。

まあ僕が2才で逝っちまったから写真でしか知らないし、お通夜の枕もとで赤堂鈴之助を歌って踊った(らしい)のは喜んでくれたんじゃないか。たぶん、買っとけよとささやいてくれたんだろう。ともあれ子孫にはお願いしておく。食うに困ってもこいつはメルカリに出さないでくれよな。

なぜかわからない、僕にとって上海は不思議な気分になるところだ。

湖心亭の夜景

判官贔屓と広島カープ

 

 

 

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九紫火星のみずがめ座

2020 DEC 30 17:17:41 pm by 東 賢太郎

運勢見というと四柱推命や占星術になりますが、そういうものを信じるかというと、もともと関心のない方です。それは受験で数学に熱中し、宇宙=パーフェクトという世界観に固まった影響が大きいです。それ以来、非科学的、非論理的なものは一切無視、軽視して生きてまいりました。

ところが、初歩的な量子力学の書物を読んでその世界観が崩れました。

物質は「観測」するまで何も決まっていない!

アインシュタインも解けなかったこの不思議を認めると(認めるしかない)、我々が見ている物質や宇宙は実は張りぼての舞台装置であって、数学や物理の法則は「張りぼて界」をプラモデルのように組み立てる仕組みにすぎず、それを作った「創造者」の世界は違う原理で出来ていると考えるようになったのです。素粒子より小さい世界は観測前から整合的に存在すると考える物理学者もいます。

そこでめぐり合ったのがショーペンハウエルです。『意志と表象としての世界』はさらに衝撃でした。ふと量子力学を思い出し、こういう考えに至ったのです。

宇宙は実は天界のディズニーランドである。アトラクションの「ワンダフル・ヒューマン・ライフ(素晴らしき人生)」は人気だ。テレビスクリーンに地球上の妊娠中の女性が映る。お客は自由に選択でき、ボタンを押すと下界に降りてそのお母さんの胎内に入る。そこからはその胎児の目線(五感)となって「70~80年コース」の4次元コンテンツが始まるが、上映時間は天空の1時間ぐらいである。割増料金で100年コース、上映時間は90分の長尺も選べる。

 

2020年は7月にこういうことが起きていました。

必然は偶然の顔をしてやってくる

人生を懸けて起業した会社の10周年に起きたこの「事件」は看過できず、「そんなのは偶然だ」とささやく僕の “常識” を消し去りました。

コロナの影響は我々の仕事には左程なく、リモートワークにも順応してきましたが、11月はじめに米中対立の余波が案件の帰趨を一変させる想定外の事態が発生しました。しばし対応で眠れぬ日々が続きます。

ところが、その逆境が12月に突然好転して今を迎えているのです。日記を見返すと、カマキリ、後光、二重の虹が出たとあります。

世の中の謎「色々見てしまう旅」というもの

その2日後に新しい案件が舞い込んできて、そこを境目にマイナスからプラスの「倍返し」が始まりました。

 

こういうことを科学が真面目に取り合うことはありません。しかし、その科学はこう認めているのです。

我々に見える物質(元素)はぜんぶ足しても宇宙の4%しかない。我々は96%の部分に何があるか知らないし「4%世界の常識」に合わないものは「そんな馬鹿な」で切り捨てている。

我々の人生は天界のディズニーランドのアトラクションであり、乗客(観測者=我々の精神)と舞台装置(宇宙=張りぼての山やトンネル、そして我々の肉体)と仮定すれば、物理学の素人でも以上のことが「科学的」と信じられるように思います。

 

経営を10年もしていると「一寸先は闇」と思うことが何度かあります。今年は特にそれを痛感しました。いかなる学問もそれを救うことはできません。だから多くの経営者が最後は神仏に頼り、易学の四柱推命や占星術を信じ、仏滅を避けたがります。「そんな馬鹿な」で切り捨てられないものを知っているからで、それを見た周囲は「そんな馬鹿な」と思うのです。僕自身、起業までの55年を生きた自分とは別人格になっているはずです。

 

僕は九紫火星みずがめ座です。その特徴を調べると、どちらもまったくその通り。他の星や星座も見ましたが、見事にちがう。2月4日の午前1時生まれで、易学ではそこが1年のスタート地点、みずがめ座はど真ん中です。九紫火星の世界的代表選手はドナルド・トランプ氏でしょう。4年前からどうも彼は悪からず思えていて、同種の人間だから言うことがよくわかるのかもしれません。いま世界にウソを垂れ流して彼を低能な変人扱いしている連中は、すべからく僕とは合わない、大嫌いなタイプだということになりますね。

みずがめ座代表は何といってもウォルフガング・アマデウス・モーツァルト氏でしょう。ネットで出てくる特徴は「権威主義(縦社会)への反抗と革新」「自由な発想と個性尊重」「発明と科学・技術、友情と連帯(フラットな関係重視)」で、「人と同じが耐えられず」「周囲は完全にスルー」「直感」「独創」「マニアック」「気分屋」「予測不能」です。まさしく彼そのものですが僕そのものでもあります。よって、組織人にはまったく向いておらず自ら飛び出す運命にあり、モーツァルト先生はザルツブルグ宮廷を飛び出し、三井物産、王子製紙の役員で飛び出した我が祖父もみずがめ座でした。

九紫火星

ネットを見ると「九紫火星は2021年から人生の転換期を迎え、その兆しが11月頃から表れ始める」「12月の九紫火星は九紫火星の上に乗って特別なことが起こる」とあります。まさに冒頭のように、絵に描いたようにそれが起きている。トランプ大統領にもぴったり当てはまっているように思います。

みずがめ座

つい先日(12月22日)木星と土星が400年ぶりに大接近(グレートコンジャンクション)しましたが、それはみずがめ座で起こりました。実は12月に景色をバラ色に変えた案件はその22日に何の前ぶれもなく飛び込んで来たのです。2021年から世界は転換して「風の時代」となり「みずがめ座がシナリオを書く」とあります。

 

まあなんと信心深いと思われてしまうでしょうが、経営者になってみてこういうことを気にするようになりました。でも、知ったからどうということはありません。流れに委ねるだけです。野球の球は力めば速くなるわけでなく、むしろ脱力して、離れる瞬間の0.1秒だけ指先に力を入れると威力が出るのです。

見えている現実はすべてウソかもしれない

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本性は職業軍人的な理由(二・二六事件)

2020 JAN 20 1:01:38 am by 東 賢太郎

年末に屋久島へのトランジットで鹿児島空港で2時間できたので、付近にある西郷記念館に行った。幕末から薩長がガバナンスを握る過程は正に御一新(維新)だ。平安時代以前が天皇の地位争奪戦、以後が天皇を不可侵としたNo2の地位争奪戦と見れば日本史は分かり易いが、御一新は実は断絶であった。だから東京時代と地名で呼ぶことをやめた。大正、昭和、平成、令和は明治なる新システムの末裔だ。その確立は龍馬が薩長連合を推進して大政奉還が成ったことになっているが、英国の武器商人が龍馬を利用し薩長をそそのかして倒幕させたというのが真実だ。龍馬は偉人というより卓越した商社マンでありディール成立後は邪魔になって消された。西郷は新政府成立のギミックと薩摩藩士の義の狭間で自刃した。

西郷は初代・陸軍大将だが祖母の叔父は87代目だ。職業軍人を誇れない国になったが、彼はA級戦犯・巣鴨プリズン行きで無罪になるも二・二六事件黒幕として左翼やNHKから悪玉に祭り上げられており尚更だ。異論はあるが、それを言うと刑死した青年将校達に角が立ち、将校を立てれば殺された重臣達に角が立つから言わない。二・二六事件は乙巳の変、本能寺の変、明治維新と並ぶ日本4大クーデターで、その失敗が支那事変、太平洋戦争へと突き進む転換点となった重大事件ではあり、先祖がその黒幕に擬せられる大物ならむしろ自信をいただけるとポジティブに考えている。

東インド会社ジャーディーン・マセソン商会の長崎の代理人が「グラバー邸」の武器商人トーマス・グラバーである。同社は清国人を阿片で廃人にして暴利の交易をし、日本のシルクに目をつけて、開港した横浜にも進出した。僕は隙あらばとって食うぞというこの連中と交易した生糸商の末裔でもあり、明治時代に祖父が勤務した三井物産上海支店も日本陸海軍の特務部と組んで阿片を交易したように英国ビジネスサイドの家系でもある。皇道派の軍人とは処世観がおよそ相いれないが、この職業に就くことで調和している。僕においてプロ対プロのディールは仁義なき戦いであり、それに勝つこと=収益である。正面突破で勝てればいいが、だめなら相手をつぶすか場合によってはディールもつぶす。つぶすなら殲滅する。このことにおいて私情も血も涙もなくやってきた点、自分の本性は職業軍人的かもしれない。諫早の気丈な祖母は僕が小学校まで存命だったが、洋服姿は見たことがない。

僕のライフワーク(田中平八と真崎甚三郎)

 

私の忘れられない旅(1)

 

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人生の通信簿をつける方法

2020 JAN 2 22:22:10 pm by 東 賢太郎

新年の区切りということで、5年を節目にして自分の通信簿をつける話をしたい。それはユニクロの柳井さんのご著書「一勝九敗」(新潮文庫)にあったような気がするが、すごく前でよく覚えてない。題名からしてそれだろうと思う。

通信簿?いまさらそんなものいらないだろうと皆さまに思われそうだけど、この考え方には僕の発見した3つの利点がある。

利点① 【なんだ、まだそんなもんかと思える】

神様は平等に人間を創っていて、死ぬまでずっと不幸なんて人はいない。本当にそうかどうかは知らないが、そう思わないと落ち込んだ時につらい。1年1年で見ていると幸運な年や不幸な年があって、だから毎年お御籤(みくじ)をひくのだ。そこで5年をひとくくりで小説みたいに「章」と呼んでみる。1~5才が第1章、6~10才が第2章だ。若い人と会話していて「もう65才でね」なんて言おうものなら一気にジジイに見られ、自分もジジイに収まるのが楽ちんになってきてしまうだろう。それだけで老けこむ危険がある。そこで「僕のシステムではね、13才なわけよ。まあキミらにはわからんだろうけど」なんて煙に巻く。やってみていただきたい。わけわからんなりにジジイではないなと見られ、場合によっては若いですねなんて尊敬される。するとだんだん、ほんとうに俺は若い、なんだ、まだそんなもんかと思えてくるのである。

利点② 【なんだ、そんなに負けてもオッケーなのかと思えてくる】

そこで、人生の通信簿だ。ここまでの13個の章をふりかえって「〇」「✖」をつけてみよう。自分が嬉しかったり、楽しかったり、やった!とガッツポーズしたり、ほっとしたりはみんな〇だ。つらかったり、がっくりしたり、怒ったり、悲しかったり、まずい!と思ったら✖だ。そうして人生の幾多の思い出を振り返って、それが何才の時だったかを思い出してみていただきたい。そこで〇が✖より多い章を「勝ち」、その逆を「負け」としてみよう。すると、僕は勝ちが第4章、第8章、第11章、第13章の4つしかないことを発見したわけだ。

ほんとうだ。15才までは今みたいな図太さはかけらもない目立たない子で、ぜんぜん楽しくなかった。社会に出ても35才までは小さな成功があったと思えば大きな失敗、失敗で会社を3回もやめようと思った。気を取り直して頑張ったのでちょっと認められたと思ったら40代後半でまた失速。50代前半の移籍はツキがあったが、後半の起業からいばらの道でドツボにはまり、60になってやっと明かりが見えてきた。こういうのを七転び八起きというから8勝7敗ぐらいかなと思ったら4勝9敗の大敗人生であった。しかしそれでも、いま無事に生きている。なんだ、そんなに負けてもオッケーなのかと思えてくる。

利点③ 【還暦とか定年とか引退という概念が消える】

14章まである小説は短編ではない。いや、10章もあれば長編の部類だろう。何章まであるかわからない。還暦?定年?引退?そんなくだらないエンディングで小説が終わるはずないではないかと開き直れてくる。組織を辞めちまえば小説を書くのは人事部じゃなく自分だ。好き勝手に書いて〇、〇、〇・・・にしちまえばいいのだ。ちなみに、僕はサラリーマンを辞めるまでは2勝8敗だけど、辞めてからは2勝1敗だ。勝手に書いた〇もあるが、生まれつきの性格が一匹狼だから伸び伸びできたせいでもある。しかも規則性まである。第4,8,12±1の章が勝ちだから、次は第16章に勝つのである。でも80才だから今の仕事は無理だろう。じゃあ何か別なことをそこまでぼちぼちやるかなんてことになる。ひょっとすると、そこまで頑張って生きてるだけかもしれない。「生きてりゃ勝ち」ってルールで。

 

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アリと星(または観察と分類)

2019 DEC 25 0:00:27 am by 東 賢太郎

ファーブル昆虫記の内容はあまり覚えてないが、ハチとかサソリとかクモとかの弱肉強食物語だった。興味が出て裏庭で丸一日アリの観察をするようになった。土蜘蛛がエサを運ぶアリを捕らえて食おうとして、かわいそうだと踏んずけて殺してしまったことがある。実は蜘蛛の方がかわいそうだったりと子供は残酷だった。

自然とアリの「追っかけ」になった。小さいが動きはす速く、巣から出ると思いがけず遠くまですいすい行く。アリ地獄に飲まれるのも見た。黒オオアリ、羽アリ、赤アリなどいろんなのがいてのバッタの死骸の奪い合いのシーンは昆虫記の通りだった。ファーブルの尋常でなく微細な観察はなんとなく琴線に触れた。小学校にあがったころだ。

夜になると全天恒星図、天文年鑑、天文図鑑を手に星を見た。ぎょしゃ座エプシロンの伴星が太陽の2700倍大きい、クジラ座オミクロン星ミラは脈動変光星など尋常ならぬ事が書いてある星に興奮し目を凝らした。1等星20個の大きさや距離やスペクトル型などスペックを覚えて、あの星に行ったらこんなだろうと想像した。

長じて仕事にした証券価値の分析は、アリと星が株式になっただけだ。冷めた目で観察、スペックによる分類。まったくおんなじだ。日本だけで3800社も上場してるからやり甲斐がある。必ず上がる株はないが、尋常ならぬ事態からあまり下がらなくてどこかで大きく上がるかもしれない株はいくらもある。どれがいつ上がるかはわからないのでまとめて買って置いておく。

道楽になった野球観戦はNPB800人ほどの選手のスペック(従来の成績)からの乖離(尋常ならぬプレーや成績)の観察と分類だ。もう一つの道楽になった音楽は尋常ならぬ和声進行、対位法、音列の通常スペックからの乖離の観察と分類だ。どちらもアリと星がそれになった。

ということで、僕は観察と分類をして64年生きてきた。それ以外のことをまじめにやろうと思ったことは一度もない。今後もない。

 

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宇宙のすべては数学で理解できる

2019 OCT 16 0:00:49 am by 東 賢太郎

精神科医K先生はアメリカで小学校にあがって飛び級で4年生になり、帰国となって日本の小学校に編入したら年齢どおりの2年生に落とされたそうだ。しかし良いこともあって、アメリカ人の4年生はでっかくて体育はあきらめていたが、日本へ帰ってきて自信が戻ったという。

僕は勉強はだめだが野球は高1で飛び級だった。小学校では劣等生だがワル仲間にはいっていたわけでもなく、要するに誰とも合わなかった。こっちの関心事に誰も関心がなく、英語でいう gregarious(群居的)でなく、野球で少しsocial(その逆)になったが大勢に影響なかった。

今更おそいが、自分のストライクゾーンだけ深く教育してくれる学校があれば行きたかったなと思う。たとえば医学は関心があったが理由があってだめだった。先生の理Ⅲは無理だったろうが好きなことは寝食忘れて何時間でも耐えられるからここだけは残念である。

その医学の世界ではドイツとアメリカは人間を見る思想が根本的に違うそうだ。ドイツは脳は遺伝子で決まり一生変わらないと考えるがアメリカは経験で進化すると考える。だからだろう、ドイツは小学校で飛び級はもちろんだが落第まである。「みんな仲良く」は存在しない。

その点でいうなら僕はドイツ派で、自分の脳は神経細胞が加齢で減って劣化することはあっても進化はしないと思っている。ということは、時間もあまりないし遺伝的にもらったものでうまく生きていくしかない。となると僕の場合は世の中を数学的に理解しようとすることでしか生きる道はない。

そう言ったら、先生も、「私もそうです。宇宙のすべては数学で理解できると考えてます」という。これは大変な「符合」だ。人間性の核心の部分における符合だから誤差が少ない。つまり関心事に関心がある人である可能性があり、彼の関心事に関心がある可能性も高めかもしれない。

彼はギフテッド(gifted)の当該能力を伸長させる講座を東大に作りたいというが、智こそ国力であり、大いに賛同する。

 

 

 

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