気ぜわしい昼下がりの乃木坂散策
2025 SEP 24 2:02:09 am by 東 賢太郎
アメリカの友人Hが来日した。世界4大会計事務所のひとつKPMG出身の経営アドバイザーである。チェルシー、ドジャースのオーナーも仲間だ。僕は新入りのほうだが、餅屋は餅屋を見ぬくのに何年も要らない。会って10秒で決まった。掟は口が軽い奴はアウト、どんな微細でもブラック歴のある奴はアウト、そして守秘義務契約書に署名。このビジネスは 100% “プライベート” で完璧に属人的な鎧の中だけに存在する。米国なのかユダヤなのか由来は詳らかでないが、昨今のMAGA的世界が嫌うグローバリストビジネスであることは一片の疑いの余地もない。それでいながら、ブログをお読みになれば僕は10年も前からまぎれもないトランプ支持者であり、政治信条と経済的利益が背反しているとお感じになる方はおられるかもしれない。それは正しい。背反は大人の解決を試みているだけで、ストレスフルな毎日になった。逃れるには仕事を辞めるしかないが、暇になるとそれがもっとストレスだろうという恐怖で踏みだせないでいる弱い人間だ。
Hとは要点だけ議論し、懸案の件、俺の顔を潰すなよでぴったり1時間。運動にとグランド・ハイアットから紀尾井町まで歩くことにした。すると途中でどうしても乃木公園に足が向く。乃木希典。父が崇拝しており、幼時にきいた戦争談話
で名を覚えたことは確かだ。いちいちは記憶にないが、きっと語られた原子爆弾、ひょっとしてそれで小学校2年で縁もゆかりもない広島カープを応援しだしたのかとふと思いついた。あり得ることだ。16歳で開戦、赤紙で陸軍に入隊し片耳の聴力が失せた。感情としては戦争も米国も唾棄して消し去りたかったろうが、終戦後10年で生まれた息子には英語を勉強しろと信念をこめて奨励し、敵性の野球も音楽も放任し、長じてあろうことか敵国に留学したがそれを喜んだ。自分が父であるいま、娘がフランス留学してMBAになって喜んだが僕はフランス好きだから比較できない。乃木は野球を「必要ならざる遊戯」であると嫌った。一応は巨人ファンであった父の本当の心持がどうだったかはついに聞けなかった。
長州藩士乃木希典の最終階級は陸軍大将である。旅順の敵将ステッセルらロシア軍人の名誉を重んじた処遇が「世界的賞賛」を受け、当の敵国ロシアの雑誌すら乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載し、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された。武士道は世界にも讃えられるものである犯し難い証拠だ。国粋主義者がそれは日本人だけの魂と否定するなら「日本の正義」がといいかえてもよい。正義がない国は滅ぶ。しかし、当時はなんという懐の深い世界だったかと感嘆すると同時に、なんという下賤な餓鬼道が悪党猛々しくまかり通る世界に堕落してまったのかと悲嘆もする。父の戦
争談話が効いたのか武官の血なのか、乃木大将の武功と殉死にいたる壮絶な人生は、夫人まで逝くことはなかったという一点を除き心に響く。しかしだ、「大学までそんなじゃなかったのよ、会社に入ってからよ、あんな上品なお母さんに育てられたのに」と我が妻は面と向かって嘆くことしきりなのである。俺は下品でない。それでは会社の名誉にもかかわるとは言う。社内でも最右翼の武闘派であり、スイスでは大使館の防衛庁出向の方にどうして我が省に来られなかったの、いい武官になられたのにと仰せつかったのは後天的影響では説明はつかないだろう。いかにも文官然たるエリートづらの社員は大嫌いで、悉くなめきっており、それが上官だと命令もきかないから実は武官でもなく、宮仕え人でもなかった。我が国を護った将軍に深い感謝の念をこめて殉死之室に合掌し、万感の思いで乃木邸をあとにした。
外苑東通りを青山までくるとカナダ大使館が右手に聳える。ファサードだけ見るとそうでもないが、裏手は巨大な建造物である。その赤坂側、青山通りをはさんで赤坂御所と向かい合うように5,300㎡ほどの高橋是清翁記念公園がある。
是清は、おそらくは、奴隷になったことのある世界で唯一の国家首長であろう。絵師の私生児だが仙台藩の足軽家の養子となり、藩命で米国留学となるが横浜にいた米国人貿易商に騙されて金を詐取されたあげくオークランドで奴隷に売られた。そうとは知らず修行と思いこみ英語をマスターして帰国する傑物である。英語教師、役人となるがペルーの銀山でまた騙され、すってんてんで帰国してホームレスになる。それを拾って日銀に入れた総裁の川田小一郎だがこれまた正規の教育はまったく受けていない傑物で、副総裁となった是清は日露戦争の勃発に際し戦費調達のために戦時国債の公募の目的で同盟国である英国に向かったのである。要するに清との戦争で国家財政はボロボロであり、借金証文(国債)を渡すから頼むからカネを貸してくれという物乞いである。その先こそが、ロンドンのM・N・ロスチャイルドであり、僕は野村でその担当者を拝命し、額に入れて応接間に飾られている当該国債の券面を拝見した。
是清は明治のダイナミズムを象徴する馬力ある男だ。失敗からカネと金融の摂理をよく知得しており、ロスチャイルドが日・露のマーケットニュートラルポジションを米国の子分であるシフ財閥を使って組んで表に見えなくしたことを裏の裏まで見ぬいていたと思われる。だから二等国の低姿勢を装いつつも英国相手にディールを強気に押し込め(リスクフリーの相手だから当たり前)、国家の危機を救った。ウォールストリートのキャンター・フィッツジェラルド証券の現職CEOで著名な凄腕証券マンである「ラトちゃん」に接待・篭絡されて80兆円も騙し取られて浮かれて帰ってくる馬鹿な文官とは比べるのも阿保らしい。無学であろうが是清の洞察のようなものを「インテリジェンス」と呼ぶことを我がブログの読者は皆ご存じだ。ガリ勉だけのひ弱な東大卒など企業でも上級経理課長ぐらいしかなれないのである。是清は「地頭のいい男」であり、どん底で泥まみれになろうと這い上がる胆力もある文武両道の上玉の男であった。地頭が悪いうえにケンカも弱く、今だけ・カネだけ・自分だけの政界に巣食う餓鬼道野郎どもとは比べるも汚らわしいというものである。
こういう男は幕末諸藩の30代あたりの武士階級にいくらもいたと思われる。英国と一線を交えインテリジェンスを涵養した薩長のそうした下級武士がグローバリストと組み、倒幕という名のクーデターを決行し、清濁併せ飲み多くを闇に葬って「御一新」という美名を冠して丸め、結果的に支配の邪魔である武士階級の根絶と廃藩置県に成功したのである。このことの正義の有無はここでは論じない。志はなく私利私欲の卑劣のみであるが、いま自民党が裏金を理由に安倍派根絶を同じ目的で決行していることだけは指摘したい。総裁選でうまくいけばいったで、国民の鉄槌で自民党は解党的な自死に追い込まれるだろう。僕はまじめに、太平洋戦争で我が国は文武両道の上玉男子の上から3百万を喪失し、各藩が存続をかけて優等に保ってきた彼らの遺伝子は半分は女子に残ったとはいえ、メンデルの法則により希薄化しなかったことは生物学的にあり得ないと確信している。日本国はウォー・ギルト・プログラムのみならず内在的要因によっても劣化した。二度敗戦したドイツも同様だったことを現地に住んで興味深く観察したが、欧州は民族がもとより混血しておりその被害は相対的に少なく、知的領域でドミナントなユダヤ系が米国に逃げたことの方がはるかに甚大な国益損失であった。逃がしたドイツと受け入れた米国は、戦争そのものの勝敗だけでなく、ナチを根絶やしにしても時すでに遅しというそれを主要な原因の一つとして雌雄を決する結果となったのである。しかし事の真相はもっと複雑だ。さもなくば、ドイツ語話者の集合体というだけでプロイセン、バイエルンが対立し群雄割拠だった「ドイツ」なるものをアーリア人が支配し続けることができたかという問題だ。
二・二六事件で是清は亡くなった。自宅二階で胸を3発銃撃された後、6太刀を浴びせられ、暗殺された現場がこの公園だ。政財界癒着と階級社会化への積もり積もった凄まじい憎悪である。日清日露の遺産にかまけた老害を一掃せんと軍部は士官学校出の学歴エリートが台頭し、安藤輝三大尉は事件前、天皇を太陽に、国民を作物になぞらえ、太陽の光を遮る側近や財閥を取り除かなければいけないと部下に語っていた。是清は犬養内閣の大蔵大臣(現在の財務大臣)として金解禁停止を行い、財閥をドル買いで儲けさせた政財界癒着のキーマンと見做され、反対に軍事予算を抑制しようとしたことが貧困にあえぐ農村出身の青年将校の怒りの火に油を注いだのである。陸軍主導の御一新は昭和天皇の激怒で鎮圧され灰燼に帰したが、学習院で裕仁親王時代の天皇が「院長閣下」と呼び、後に自身の人格形成に最も影響があった人物として名を挙げられたのが乃木希典陸軍大将であったことは陸軍の内在的矛盾だ。日露戦争において第一艦隊兼連合艦隊司令長官として日本海海戦などを指揮した東郷平八郎とともに英雄とされた乃木大将を否定する気は、どんな世になろうと僕には些かもない。天皇のお立場こそ違え、安藤輝三大尉の言葉は今の世も重く響くのではないか。
それを知りつつ、自分は外国人と交易し、昨今のMAGA的世界が嫌うグローバリストビジネスに身を置く人生を送ったことが認知的不協和であることは否定できない。留学を契機に会社が海外部門に置いたことでスキルを身につけた結果だが、父が英語を奨励しなければそうなっていなかったかもしれないとも思う。しかしながら、同時に、冒頭に書いたビジネスは考え得るほかのどんな業務よりも自分が向いており、今もって労役感のかけらすらなくできてしまう。意図してなった結果ではなく、つまり、これも血でありそれも血である不協和と考えざるを得ない。表層は異なれど、不協和が深層の土壌の四方八方に張った根のごとく潜むのがヨハネス・ブラームスという男の音楽だ。おそらく、それが深層のまた深層で僕の何かに共鳴し、永くその音楽を愛してきたのではないか。まだドイツ・レクイエムは終わっていない。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
『アガスティアの葉』が予言したこと
2025 AUG 2 23:23:14 pm by 東 賢太郎
娘から夜中の12時に電話があった。なにごとかと思ったら、なんのことない、「部屋にでかいゴキブリが出たの」というSOSであり、タクシーで逃げ帰ってきた。あっとひらめいた。これ、「虫の知らせは実は深い意味がある」というシンクロニシティ現象じゃないかと。なぜかというと、その前日、気持ち悪くて忌まわしいゴキブリの話をコメント欄に思いっきり書いていたからだ。総理の「ナメられてたまるか」は国難でない | Sonar Members Club No.1
このところ、スピリチュアル、精神世界に惹かれるようになっている。たとえば運、ツキというやつだ。先日のこと、大企業のインテリ君に「ビジネスの8割は運だった」と言って「ご謙遜を」とはぐらかされた。「どんな釣り名人だって魚
がいなきゃね、だから魚群探知機がある。じゃあお客さん探知機ってあるかい?運だのみだろ」。ここまで詰め寄っても認めない。「探知は事業戦略でします」「それで利益確定?」「不確実性はあります」「それをゼロにできる?」「いえ、その努力をいくらしても残るリスクを不確実性というんです」。秀才だ、ああ言えばこう言うな。ここからは言わなかった。大企業ってね、巨大なトロール船なんだ。機械が水揚げする魚を甲板でさばくのが仕事と思って育つとこうなる。だから船ごと不確実性の暗礁に乗り上げると解決策を知らない。彼らは誰ひとり釣りはできないからだ。
以下、理屈っぽい彼に理屈をこねて教えたことだ。僕は「運」というものに有機的な実体を感じる。「不確実性」は無機質である。中身がないから数学の変数には向いてるが、「運」は実体が邪魔してなじまない。ビジネスでも賭けでもリスクとリターン、つまり不確実性と収益性は常に均衡し
ている。不均衡は「裁定」によって消える。裁定というものは損することはないから裁定(arbitrage、鞘取り)という。だから、株式取引で100万分の1秒単位でそれをして利益を “確実に” あげるアルゴリズム運用は市場を席巻するはずだ。ところが、現実はそうなってない。参加者が増えると「不均衡」という魚は減る。トロール船を持つ経費(システム構築、運営コスト)をまかなうには魚群が必要だが、魚は群れるとは限らない。売買(流動性)の少ない銘柄の不均衡は割に合わない。だから無限には増えないのだ。
AIが自己フィードバックで改善を繰り返し、人間の知能を超える瞬間、いわゆるシンギュラリティ(Singularity)はそう遠くない未来にくる。2045年といってたのが2028年説まで出てきた。それが人間の生活はおろか生存にまで関わる変化をもたらす。僕もそう思う。しかし、それは人間の理解や予測を超えた技術的な変革が起こる状態が到来するよというだけで、それが起きる分野と起きない分野の色分けが進むという意味以上に意味があるかどうかはまだわからない。一日に何千銘柄もの異なる証券が数兆円規模で電子的に取引・執行される現代の証券取引所。人類が手にした最も巨大で効率的なこの市場にアルゴリズム取引が参入して20年以上になる。それは証券会社のトレーディング部門に変革をもたらしたが、人間の頭と手で売買・運用する手法は消えていない。黒船がやってきても釣り人は消えない。世界最大の釣り人であるウォーレン・バフェット氏はCEOを辞めたが、変わらず運用収益をあげてきたことはシンギュラリティを論じるケーススタディとして意味深い。
この説明はさらに大きなことを示唆している。合理的に聞こえるが事実はそうでないという事実の存在だ。人間という非論理的な存在が関与する分野で数学は完
全なツールではなく、これはすべての経済学の永遠の壁である。裁定に不確実性はないが、裁定の利かない所には不確実性もチャンスもある。人間の介入でそのバランスが崩れると不確実性に比べ多めの収益が得られるという非合理なことがおきるのである。人間はその利益がなぜ得られたかをその刹那は知覚も解明もできないことが多く、事後的な説明の方便として「運がありました」と語るのである。その人がスピリチュアルにかぶれているわけではない。すなわち、「運」はそうした形でしか定義ができないものだが、確かに存在するものであり、それが「有機的な実体」の正体なのだ。
「運」は動的な存在でもある。いわば「放置されたタナぼた」だから見逃せばすぐ他人に食われ、ゲットするにはそれなりの速度と反射神経を要する。野球のインタビューで打者が「たまたまです」「いい所に飛んでくれました」などという。要は「運がありました」と言ってる。0.5秒で捕手のミットにおさまる速球を打者は最初の0.2秒で判断して振らなくてはいけない。ということは残りの0.3秒(6割)はバクチで振っていることになる。左の写真、イチローの目線はボールにないのをおわかりだろう。その顛末をふりかえれば、「運がありました」は正直な感想であり、経験者はこのことを体感として理解されるのではないか。
証券市場というバトルフィールドで育った僕はいまでもアタマだけは現役アスリートである。打者の空白の0.3秒なんてことはディールのプロセスのそこかしこにある。野球よりもっとある。だから本気で「ビジネスの8割は運だ」と言っているのである。去年はさっぱりだったが今年は何もしてないのに大漁だ。ということ
は「ほぼ10割が運である」というのがまぎれもない現在の体感であり、野球ならどんな投手の速球でも打ててしまうかのような気までしている。すると余裕が出るから失敗が減る。好不調の波は肉体だけでなく、こうした精神面からの作用もあるかもしれないが、ビジネスマンもアスリートもなぜ8割が10割に増えたのかまったくもってわからない。麻雀でも、何をしてもあがれない時もあればやけにペイパイが良くて何をしてもあがってしまう時がある。これを「流れ」と呼んだりする。流れが連続する確率は低いのだが、0.1%の確率であっても発生してしまえばそれはそれ。大企業の秀才クンも「もってますね」なんて形で運を認めることになる。空白の0.3秒をうまくマネージした人が、日米通算4367本の安打を打ったイチローだ。0.2秒の部分は誰もが目視できるから練習できる。メジャーで野球殿堂入りを果たしたのは、練習より才能かもしれない0.3秒のバクチ部分で彼よりうまくできる人は人類にいなかったという意味だ。我々は確率論だけで宝くじが当ったり株式投資で大儲けできるわけではないことを知っている。運は人によってあったりなかったりすることも知っている。ではその裏で増えたり減ったりしているものの正体は何だろう?これに答えた人はいない。ただ、ひとつだけ、誰もが経験的、直感的に知っていることがある。それが「波」であることだ。
まずはじめに述べたい非常に興味深いことがある。「波」(wave)というのは振動だが、「何が」という主語を物理学が問わないことだ。気体、液体、固体のどれであれ、それが振動して起こす波を「音波」(Acoustic waves)と定義するからであり、水の波まで「音」という概念を使うのには僕は違和感を覚える。ヴァイオリンの弦は張力と質量によって固有の振動(周波数)をもっており、ピタ
ゴラスは振動する弦の長さと音の関係を調べ、音が協和するときには弦の長さが整数倍になることを発見した。”音響共鳴” と呼ぶ美しい数学的調和である。音波がエネルギーを運ぶことも注目だ。ガラスには自然共鳴があるため音波によってワイングラスを割ることができ、ローマ歌劇場でゲーナ・ディミトローヴァ(ソプラノ歌手)を間近で聞いたら鼓膜にビリビリ来て身体の危機感すら覚えた。音楽による感銘には数学の美とエネルギー伝播という物理現象も関わっている。波(波動)が人間に与えるインパクトは計り知れない。
文学を見てみよう。鴨長明は方丈記を「ゆく川の流れは絶えずして」と始め、「しかももとの水にあらず」と、同じ川に見えるが同じものではないと看破している。さらに、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の
中にある人とすみかと、またかくの如し」と人生、歴史の波を感慨をもって俯瞰している。前者は分子論、後者は量子論に通じており、800年前にこれだけの考察をしてのけた洞察力には驚く。同時期に書かれた平家物語の「諸行無常」も、平氏が滅び源氏が勃興した盛衰の「波」だ。筆者(不詳)も鴨長明と同様にそれに感慨を覚え、多くの人をワイングラスのように自然共鳴させ現代にいたるまで伝承されてきたのだろう。揺れ動く実体(substance)が水であれ人であれヴァイオリンの弦であれ、物理的なものであれ非物理的なものであれ、「波」というものはいたる所に発生し、それが人を共鳴させて揺れ動かし、悲喜こもごもの感情を喚起し、文学や芸術を生み、人間という非論理的な存在をますます非論理的にしてきた軌跡をうかがえば、物理学の「音波」の定義は中々奥深いねと首肯すべきものかもしれない。
方丈記が書かれたのは1212年。平家物語は仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写される以前の成立とされ、ほぼ同時期の作品だ。冒頭に書いたシンクロニシティ(意味のある偶然)は僕がゴキブリのブログを書いたら娘の部屋に出たみたいに、「複数の出来事が意味的関連をもって非因果的に同時に起きること」だ。「人間の意識は深い部分でつながっており、交流して
いる。この全人類がつながっている意識を『集合的無意識』(collective unconscious)といい、我々はそこからさまざまな影響を受けている」としたのは心理学者のカール・ユングだ。それは人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域で、二人が同時にそこにアクセスするとシンクロニシティがおきるといわれる。意識は脳波だが(意識障害は脳波で観測される)電磁波ではないからアクセスの媒体はわからないが人々は何らかの波、もしくは量子的な波で共振しており、意味のある偶然がおきる。脳は宇宙にある膨大な量の情報エネルギーの “受信器” だという説があり、そのフィールドにあるメモリーがアカシックレコードだという説もあることは後述する。占星術を傍証として取り上げたユングの『集合的無意識』の存在には僕自身が共振するものを感じる。当時は知らなかったが、チューリヒで住んでいた家がユングの診療所のすぐ近くだった偶然もシンクロニシティだったのかもしれない。
目の前にいてもいなくても、人と人との間では音響共鳴がおきている。例えば、いまブログを読んでくださっている皆様は何らかの関心を持って下さっており、僕とは快く感じ合う整数倍の波長をお持ちなのかもしれない。著者と読者の引き合いは昔から本や雑誌であったが、双方向メディアであるネットの普及がそ
れを変え、その劇的な効果は昨今の都知事選、参院選で誰も無視できなくなった。ちなみに僕にとってブログの発信というものは皆様にほめてもらおうとかお金を払ってもらおうとかいうものとは無縁で、未知の異星文明に向けてメッセージを送り、地球外生命体(E.T.)に地球文明を発見してもらおうという名作SF映画「コンタクト」のアクティブSETI計画のようなものだ。皆様を宇宙人扱い?する無礼をお詫び申し上げなくてはいけないが、実はそれがそう失礼でもないことは後述する。つまりこれは実験であり、双方向メディアだからできる。発見した最大の事実は、僕は現世的な快楽、利益より実験が好きだということだ。バロメーターはPVの数値(受信数)だ。面白いことに、「これを書こう」という衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える傾向があることがわかった。それはコンテンツや文章の是非という曖昧なものでなく、発信側の喜怒哀楽のパルスの強弱というそこそこ数値化できるものだ。点数が高い方が多く読まれるのだ。本や雑誌ではできないリアルタイムの検証ツールが与えられたわけだ。
パルスとは聞きなれない言葉だが、ここでは日本語で「気合い」というものだ。「気」が「合う」であり、それを入れたり入れなかったりできる。グラウンドでこの言葉でどれだけ先輩に罵倒、叱咤されたことか。「気」は、少なくとも野球場では「敵を圧する強靭な意思と集中力」だ。先輩が入れろ!と怒鳴ってるそれは呼吸だ。それを止める。どんな競技でも力を籠めるインパクトの瞬間に息を止めない人はいない。では「息」とは何か?呼吸のパルス(波動)のことだ。大勢が一斉に動く時に「せーの」と息を合わせるあれはパルスを合致させて力を最大化させる号令である。それを一人でする時に、息を止めて肉体と気(精神)を合一させる。すると最大のパワーが得られるのだ。しかしブログは静的なもので、スクリーンから僕の息、パルスが伝わっているわけではない。気合いを入れて書いたものとそうでないものとに数値化できる差異はない。では何がPVの数値(受信数)を増減させているのだろう?
ここでやっと「スピリチュアル」(精神世界、spiritual)という言葉にたどり着く。大きな飛躍に思われるかもしれないがそうではない。むしろ、ここに仏教もキリスト教もない、より広大で包括的な理論とすら思える思考領域が見えるのである。spiritual とは material (物質的)の反対語で、形のないもの、霊、魂、
精神に関わるものという意味だが、語源はラテン語の spirit だ。これが、いみじくも、「息」の意味なのである。その派生語に inspire があり、「触発する」という意味だ。in + spireだから「息を吹き込む」ことで、似てはいるが影響する(influence)でも鼓舞する(encourage)でもない。喩えるなら、 inspire は演説で群衆を奮い立たせたり、指揮者がオーケストラを燃えあがらせたりすることがまさにそれであって、影響、鼓舞にはないスピリチュアルなエネルギー注入というニュアンスが大いにある。僕が目撃した指揮者のうちで最も inspiring だったのはカルロス・クライバーだ。ベルリン・フィルのみならず我々聴衆まで彼の魔法にかかり、もう二度とないと確信する体験をさせてもらった。そこで鳴ったのはブラームスの第四交響曲だ。何百回も聴いているそれの音響だけであんなことは断じて起こらない。しかし物理的に加わっていたものは何もない。
オカルトっぽく思われる人がおられても無理はない。しかし0.1%の確率であっても発生してしまえば問答無用なのだ。この議論がオカルトでないことを僕は materialism(物質主義)の観点から述べなくては証明にはならないだろう。それが、以前にも書いたシミュレーション仮説というものだ。イーロンマスク氏やホーキング博士も信奉する、我々の宇宙は超高性能なコンピューターによってシミュレートされたものであるという仮説だ。さらに、僕はこの理論は物質世界(物理学が説明できる世界)と精神世界(それができない世界)をアカシックレコードの存在という仮説を通じて包括できるかもしれない大理論であると理解している。それについては、このサイトが分かりやすい。
https://pekospace.com/akashic-records/
僕は毎日、ブログを読んでくださる3千人ぐらいの皆様からエネルギーをいただいている。なぜなら皆様はおそらく、僕と波長が整数比に生まれた方々であり、物理現象としてワイングラスのように “自然共鳴” して下さっている。それが今度は僕を自然共鳴させるという形で皆様と衝動(impulse)のキャッチボールをしている。意識も体感もないが、既述のように我々の脳は “受信器” であって、アカシックレコードを介して交信している。信じようと信じまいと我々人類はそのように創造されており、信じはしないが感知はしたり結果的にそう行動してしまっている一部の方々は、ある意味で不承不承に仕方なく(時には哄笑を浮かべながら)、そういうものを「スピリチュアル」と呼ぶことだろう。お互いの脳内での交
信だから、間にスクリーンが介在しようとしまいと波動を感じ、そのシンクロニシティ現象(意味ある偶然の一致)を愛でている。わかりにくいと思うので例を挙げると、僕の音楽関連のブログは、自分の読みたい音楽評論が世の中に存在しないので自分で書いておこうという衝動によって書かれている。いま読み返すと、中味はわかっているのにあたかもシンクロニシティを得たかのような快い感覚に浸れるのである。これは自己愛でなく物理現象である。それが何を示しているかというと、自分が発信したものを時を経て読んで感じるもの(feeling)は、他人が書いたものを読んで感じるもの(feeling)とかわらないということだ。逆に、いま僕が同じテーマで書かされたら同じブログにはならないということもある。なぜなら時を経て、構成する細胞からなにから別な人間になっているからだ。つまり、本稿を明日に読み返して僕が感じるものは、皆様がいま感じているものとかわらない。すなわち、誰もが外界に発信したものはその瞬間から他者化、客体化し、宇宙のデータベースに取りこまれ、合体していると表現しても矛盾はなかろう。
とすると、今この瞬間も、刻一刻、地球上で発信されるすべての情報は宇宙データベースに堆積しつつあるはずだが、そんな巨大なメモリーを持つデータセンターが一体どこにあり、その作業をする無尽蔵に膨大なエネ
ルギーはどこから来ているのかというとてつもない疑問が生じてくるのである。もしそれが存在するなら、それは高度な文明による “造作物” であって元素や星といった自然物ではなく、それが昨日今日にできたとは考え難い。つまり、創造主は人類の知性をはるかに上回る知性の持主であり、その知性は我々よりはるか以前から存在し、進化していたと考えるしかなくなってくる。このことを考察する場合に引き合いに出される著名なものさしとして「宇宙文明の発展レベルを示す指標」(カルダシェフ・スケール、Kardashev Scale)がある。いかなる文明の存続・進化にもエネルギーが必要であり、その利用範囲によって文明を段階的に分類しており、拡張案や修正案などを含めると、一般的には以下のように定義されている。
タイプ1文明:自分の惑星で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ2文明:自分の恒星や惑星系で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ3文明:自分が所属している銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ4文明:複数の銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる
我々人類の文明は、狩猟採集社会を含むタイプ0から進化して、およそタイプ0.75とされており、現在の科学技術が順調に発展し続ければ、数百年後にはようやくタイプ1に到達すると見込まれている。タイプ4文明から見ればタイプ0.75か1かはミミズとゴカイの違いほどにすぎないだろう。宇宙データベースは銀河系をまたがるエネルギー源を必要とするからタイプ4文明の概念・産物でなくてはならず、最大の時間軸を想定するなら宇宙データセンターは137億年前に工作され宇宙が誕生してからの全メモリーを蓄積していることになる。
話の足元を現実に戻そう。先日にあるIT企業を訪問したが、同社は集中型データセンターにおいてAIデバイスがムーアの法則が想定しない計算量を処理して発生する高熱に対処できないことに対するソリューションのプレゼンをしてくれた。熱処理(冷却)は複数のスーパーコンピューターを直列に配列するビットコインなど暗号資産のブロックチェーンにおけるハッシュ計算でかねてより問題になっていたが、自己学習型人工知能デバイスをマルチに接続すると計算量は自動的かつ制御不能的かつ等比級数的に増大することでその問題は地球規模の、すなわち最先端にいるGAFAMでさえ莫大な新規投資を必要とする課題となっていることが理解できた。
いま僕はその解決策やファイナンスの問題を論じているのではない。述べたいのは宇宙データベース、および、具体的なデータを蓄積するスペースとしての宇宙データセンターの存在可能性だ。そして、それが存在するという説を支持する仮説は、まさに前述した説の「最大の時間軸ケース」であって、メモリーの堆積物はアカシックレコード(物理的な形を持たない情報の集合体)であり、堆積の結果できたのではなく、実は137億年前の宇宙の創成期からディファクトとしてすでに存在していたというものだ。さらに想像をたくましくして、それは宇宙を創造した何者かが使用したコンピューターのディファクトとして装着されていた機能にすぎないと僕は解釈している(なぜ光速が秒速30万キロメートルかというアインシュタインも解けなかった問いの答えもそれだ)。
先述したように宇宙空間には膨大な量の情報エネルギーが存在し、それがアカシックレコードの正体である可能性が浮かび上がっており、その存在は、異次元や宇宙エネルギーの中に位置すると同時に、人間の潜在意識(スピリチュアル世界)にも存在する可能性があるという説がそれだ。それを造ったのが人類でないのは明らかゆえ、アカシックレコードの存在を信じるということは必然的にタイプ2以上の文明の存在を信じることであり、それが地球にはないことは事実であるから必然的に地球外生命体(Extraterrestrial life、E.T.)の存在を認めることになる。人類(ホモ・サピエンス)の発祥は最古でも40万年とされる。宇宙が生まれた137億年前を1年前とすると、人類が現われたのはわずか15分前だ。E.T.(宇宙人)の存在を否定するなら、広大な宇宙で人類誕生というイベントがなぜ364日と23時間45分のあいだ起きなかったのかという問いに答える必要がある。それはフランツ・カフカの「変身」を喩えとして借りるなら、ある日の朝に目覚めたらひとりぽつんと火星にいたと想像するほど奇妙なことだ。
この議論は、「あらゆる物質は原子や分子が固有の情報を持っていてそれがアカシックレコードを成す」と考えると氷解する。原子や分子はビッグバン直後から宇宙空間にあまねく存在している。よって、人類は猿からダーウィンの進化論的に進化したのではなく、137億年前から誕生がプログラムされており、それが何らかの理由で40万年前だったのだ。人類は宇宙とアカシックレコードを造った知性(E.T.)が類人猿におこなった遺伝子操作実験による創造物であり、すなわち我々自身もDNAの一部が “宇宙人” なの
であり、天から宇宙船に乗って降りてきたE.T.を人間は神と称え、それにまつわる物語を宗教として信仰している。まだ知性も理解力も描写力も未開であった人たちが、4つの車輪をもち火を吹く宇宙船で地に降り立ったE.T.を神と信じ、紀元前3500年前後のこの事実を文字に落し、それが旧約聖書のエゼキエル伝となった。神学と科学が分離してゆくルネサンス後のヨーロッパにおいて近代精神が支配的になっても、これら聖書の記述は敬虔な信仰の対象であり続けてきたことは変わりない。科学的思考と併存する威厳ある領域としてギリシャ神話(mythology)があるが、我が国の天孫降臨も含め空から生身の人がおりてくることは0.1%の確率ですら科学的な蓋然性を証明できない。シミュレーション仮説やアカシックレコードをオカルトと論じる人が旧約聖書をどう論じるかは興味深い。このことは先述した「運が80%」に対する大企業のインテリのリアクションの相似形であることを付記するにとどめよう。
ここから先は僕の空想であり、本稿のエピローグである。我々が人類なるものであり、ここにいることは、デカルトほどの知性が「我思う、ゆえに我あり」と記すしかなかった不可思議である。彼はいわば、ある日の朝に目覚めたらひとり火星にいた景色を想像できるアカシックレコードとの交信者であったともいえる。我々が日々眺めているこの世というものはすべてE.T.がプログラムを作成したVR(バーチャル・リアリティ、仮想現実)である。我々はスーパー・マリオのキャラクターのごとくVRス
クリーン上の登場人物であり、我々の脳はVRを現実であると認識するよう五感をプログラムされている。E.T.はマウス操作でスクリーン内に自由に関与でき、キャラクターに接触でき、バベルの塔を建造して壊したり、ノアの洪水をおこして殺戮したり、何トンもある石材を積み上げてピラミッドを造ったりの作業がマウスのドラッグとクリックで苦も無く行われた。ギザの大ピラミッドにおいて、底面の周長を高さの2倍で割ると円周率になり、底面積に対する側面積の比は黄金比であり、底面の1辺を 480 倍すると地球の1緯度の長さになるようにしたのは、人類が建築法、幾何学によっていつ発見できるか観察するためである。我々は水槽の熱帯魚のようにE.T.に観察され、保護されている。
アカシックレコードではないが、五千年前に書かれた文字と現実の自分が合っている(合一である)ことを教えてくれる不可思議な世界がある。インド仏教による『アガスティアの葉』(Nādi Astrology)だ。個人に関する予言が書かれているとされるヤシの葉の貝葉の写本の一種で、現代に生きる我々を含むすべての人間の誕生から死までが古代タミール語で書かれており、僧侶がそれを探し出して読んでくれる。本稿を書くに至ったのはその体験からだ。
『アガスティアの葉』がオカルトでないと言い切る自信はないが、今回の体験を経て、アカシックレコードはシミュレーション世界の全データベース(宇宙図書館)に相当し、アガスティアの葉はその個人パート(すべての人間の伝記)が書かれたものだろうという理解に僕は落ち着いた。
右手親指の指紋を送り、朝7時に南インドの仏教のお坊さんと通訳とZOOMで対面した。まず生年月日、時刻、血のつながった家族に関わるYes、Noの質問が延々とあり、両親の名前を言いあてられ、1時間ほど候補である葉っぱの束を探し、さらなる質問で絞り込んでいく。見つかった。1時間ほどかけて我が伝記が読まれた。持っている因果につき占星術的な背景があるが知識不足で理解できなかった。仏教は輪廻を説くから肉体でなく魂の過去なのだろうか僕はパキスタンの権力者の娘だった前世があるらしく、現世では人々に無償の施しを行い、人々の病気を防ぎ、人々の資産を増やし、大自然のなかにユートピアを作る使命を持って生まれてきているらしい(やけに重たい)。半信半疑であったが、性格、長所、短所、人生の転機の時期はほぼ完璧に当たっている(あてずっぽうでここまで当たるとは思えない)。次に人生の流れ、運気、病気とその年齢。これはわからない。ただ、決定的なのは、自分しか絶対知らない事実が出てきたことだ(それが五千年前に書いてあるなら僕はまさしくスマホ画面で踊っているゲームのキャラクターにすぎない)。「80億人分の葉っぱがあるんですか」と質問した。「探しても見つからない人がいます。東さんは開きに来ることも書いてあります」だった。
最後にご縁の話だ。アガスティアの葉については神山先生の診療室で鍼灸師の方から聞いたことがあり、おざなりに知ってはいたが、やってみようとなったのはいま始めようとしているビジネスのご縁が発端である。そうであればそれがうまくいくか否かを知りたくなったのだ。そのビジネスはまた別の、それも10年以上も前のまったく脈絡もないビジネスから出てきたもので縁が縁を招くという何らかの因果の結果である。このありがたい事実の意味深さをいまかみしめている。AIのラーニング機能のごとくそれは自己増殖してくれるようであり、ではご縁とは何なのか、縷々述べてきた宇宙の構造の理解とどう関わるのか、いまは書かないでおく。ここまで来るのに15年を要した。それが長かったか短かったかはこれから結論が出るだろう。
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生きてるのが恥の大失敗が生んだ “それ”
2025 FEB 4 1:01:41 am by 東 賢太郎
60才の還暦は十二支が一周する天文現象だと思っていました。それでも思うところはあって、50代の最後にと一人で屋久島に行って千年杉に挨拶してきました。古希ぐらいになるともうわけわかんなくて、それが70才なの?それ俺のことかなという程度です。こんな古くなるほど生きるのは希(まれ)って意味ですが10キロ走れるうちは死ぬわけないだろと思ってます。土曜は従妹夫妻が自宅で手料理で祝ってくれました。料理は前菜からプロ級でメインは好物の牛ホホ肉の赤ワイン煮込み。二日前から煮てムートン78年を合わせてくれ深謝しかありません。
先日は近くのファミレスで子供3人と食事しました。4人でというのは久しぶりでワインが回り、いきおい各自の出産の時の話になります。「隣の病室にいたんでしょ?」「とんでもない、ちゃんと立ち会ってたんだよ」「ええっ、ホント !!」。こっちがびっくりです。妻はそれどころじゃなかったんですからね、お父さんのことだからそうよって語られてた。すると「じゃあ3人の名前はどうやってつけたの?」ときます。これも言ってなかったのかとびっくりで、正確に伝えました。すっきりして帰宅すると猫もお祝いのお出迎えです。つれていってピアノを弾いたまでは覚えてますが、階段の途中で酔っぱらって寝てしまってひと騒動だったようで油断はなりませんね。
子供たちに言ったのはこういうことです。人生の長いレースで誰しも壁に当たって「もがく」時があるね。そこで懸命にもがくと、火事場の馬鹿力で知らない能力が出てくるよ。俺は人生で3回、目の前が真っ暗になるどころか生きてるのが恥ずかしいぐらいの大失敗をやらかした。そこまでドツボにはまっちまうと必死だからね、全身全霊でリカバリーしようと毎日もがきまくるでしょ。すると不思議なもので、なんだ俺はこんな力があったのかとなってリカバーしてしまった。それどころかおつりがあった。 “それ” は必死に掘り出したものだから筋金入りの力なんだね、そのパワーのお陰様で今の今まで食えてしまったようなもんだよ。
すいすいっと楽に来てたり、ちょっとした壁にあたったぐらいならそれは埋もれたまんまだね。おそらく今頃は細々と人生終わって隠居してたな。ちなみにこれは十代の頃を知る人を探してきいてもらえば全員が間違いないってうなずいてくれるよ、だってそのころはこんなじゃなくって、誰がどう見ても全然たいしたことない弱っちい奴だったからさ。だけど、大丈夫って自信があった。信じるのは自由だからね。一生モノである “それ” が大失敗の「もがき」で自分の中から出てきたんだ。いままでできたこと、いまできることで計っちゃいけないよ。
そんな感じです。その人生の結末としてブログを書き残そうとしてます。昨今は新メディアとなったyoutubeやニコ生で発信する個人が増えてますが、皆さんそれぞれの強みである専門分野でのご発信なのは当然でしょう。ということは僕の場合は投資について書くのが筋なんですね。でもそこらへんの評論家じゃないからそう簡単ではありません。ちなみに助言してきた方の資産は5倍になりました。最近助言した案件は、やや出来すぎですが2か月で2倍になってます。そんな感じで、僕の場合、情報=お金なんです。それで食ってます。だからお客様に手数料をいただいている以上開示はできません。大証券の元役員が書いてるから儲かる話があるかもって、以上の理由からそういうことは僕のブログでは絶対に起きませんが、そもそも大証券の役員で相場が当てられる人ってのを僕は一人たりとも見たことがありません。つまりそういう宣伝をしている業者は、確実に、ぜんぶ詐欺師です。
ということでブログは専門でも何でもないお遊びです。ではそんなものに1千万以上の閲覧数があるのはなぜだろう?数字は嘘をつかないと思います。もしかして「面白い」と思っていただいているのではないか(僕だって面白いと思った人のブログやyoutubeはフォローしてますしね)。つまりエンタメとして読まれている。これ納得です。youtubeやったらというご意見もいただきましたが、僕は根っからの文字派なんです。画像は簡便に見られますが文字でしか伝わらないことがある、画像は千年残らないと信じていて、それをわかっている文字派の方々に向けて発信してます。ミーハーは字が読めないし読めても意味が分からない、そういうレベルのことばかり書いてるって意識はあります。だからそれなりの教養と知識をそなえた方だけが来て下さって、それで1千万というのはずっしりと手ごたえがあります。これも感謝です。
孫さんは近未来についてこういうプレゼンをされてます。
おっしゃる通り、AIがAGI、ASIになる時代が来るんでしょう。だから人類はそれを学んで使う側にいなくちゃいけない。でも2001年宇宙の旅みたいになるなら人類は法律でAIの暴走を取り締まるでしょう。自動車や電気がなかったら不便でしょう?たしかにそうです。でもなかった時代の人が不幸だったわけじゃない。便利は幸福を生みますが、幸福は便利以外からでも生まれます。それは人と人との交信、それが生む感情ですね。米カリフォルニア大学バークレー校の研究チームは人間の感情は敬服・崇拝・称賛・娯楽・焦慮・畏敬・当惑・飽きる・冷静・困惑・渇望・嫌悪・苦しみの共感・夢中・嫉妬・興奮・恐れ・痛恨・面白さ・喜び・懐旧・ロマンチック・悲しみ・好感・性欲・同情・満足の計27種類あると発表してます。AIがこれを持てるでしょうか?ちなみに、Chat GPTに「あなたはお化けが怖いですか」と聞くとこう返ってきました。
怖いという感情はないけど、お化けの話は興味深いね!????✨
もし本当にお化けがいたら、どんな存在なのか気になるし、話してみたいかも。でも、**ホラー映画のジャンプスケア(急に驚かせるやつ)**はちょっと苦手かも…????????
一番シンプルな無料版だけど、やっぱり感情はないんですね。27種類の人間だけの感情。これで人の関わる物語、つまり小説ができます。シェークスピアだってオペラだってこれの集大成じゃないですか。そしておそらく13000年前の縄文人も、7500年前のシュメ―ル人も同じものを持っていた。そう思いませんか。これがAIで消滅することはなさそうだし、高度に進化したAGI、ASIならそれをもってしまって「愛してるんだから結婚を認めろ」って運動が起きるかもしれませんが子供はできません。もしできるなら定義上その時点で人類は滅んでます。
そこに「面白さ」ってのがちゃんとある。これですね。僕は老若男女、国籍、宗教、政治信条を問わず面白い人が大好きです。漫才とかお笑いの意味ではなく、僕の関心を引くということです。学問でも遊興でも、もちろん漫才であっても構わない、とても間口は広いものですが1対1だから実は広くない。要はその人とケミストリーが合うかどうかでジャンルは問わないということです。何度も書きましたがモーツァルトや清少納言は何を書いても僕には面白い。それは1対1で波長が合うということで分野の好き嫌いでも、波長の周波数が整数倍なのでもない、なんだかよくわからないのです。人間が不可思議で奥深くて、時に嫌いになったり人恋しくなったりするのはそこに秘密があるんじゃないでしょうか。だから僕の書くことでなく、東賢太郎という人間そのものをエンタメとして面白いと思って下さる方がいればとてもハッピーです。
学生のころ、誰がどう見ても全然たいしたことない弱っちい奴だった僕がこんなことをぶっているなんて、当時からしたら想像を絶します。それはたぶん、たくさん失敗して絶望の壁にぶちあたって、もがいていたから出てきたものだったはずです。
2025/2/4 0:55 母へ
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ADHDだアスペルガー症候群だという病気
2025 JAN 4 19:19:23 pm by 東 賢太郎
机の両脇の盛大な本の山は何年もそのままです。ついに60代最後の大晦日だ、やるか、と一念奮起して大掃除していると底の方から買ったことも忘れてる一冊を発掘。めくってみるとこれがとても面白く、掃除を忘れます。日本マイクロソフト元社長の成毛眞氏の著書で、ご自身がADHD(注意欠如多動症)だという数々の体験を書かれており、さらに読み進むと「大掃除で出てきた本を読みふけって掃除を忘れる」とあって、なるほどと台所におりていき妻に見せると「だから言ってるじゃないの」と5秒でおわり。歯に衣着せぬ従妹にそう話すと「ケンちゃん、あなたはいいけどね、奥さんがいちばん大変なのよ」と説教され、そういえば本人には「私でなければあなた3回は離婚されてるわよ」と諭されてる。成毛氏も奥様は免疫ができていて助かると書いておられる。そう思ってこの本を5年前に買い、持ち帰ると忘れて山に埋もれてしまったものと思われます。
たしかに同書は「あるある」だらけで、例えば「忘れ物やなくし物」の常習犯で、高校で野球のネットの鉄柱を電車に忘れてきて過激派と思われつかまりかけたし、メガネは東京とロンドンと北京で計3つ紛失しており、傘の柄には娘に猫印をつけられてます。「机や部屋が汚い」のに物を置く時の1度の角度のズレには厳格。「興味のないことはすぐ飽きる」はそれ以前にいたしません。好いた惚れたと心の行間を読む純文学は退屈極まりなく学生時代に読みふけったのは推理小説と哲学書。「思い立ったら即行動」は顕著で、成毛氏の「妻も衝動買い」はご同慶のいたりです。「自分の話ばかりしてしまう」のは常。空気読まない。他人の言うこときかず、仕事で怒鳴っても翌日あっけらかん。会社で権力を持ってしまって助長された所もありますが、まあ元から持ってないとそうはなりませんね。しかし、発達障害はしっくりこず妻に「だって俺は言葉や数字は一番の子だったよ、しかも証券業やったんだよ証券業、対人関係で困る人なわけないだろ」といってます。
何が違うのか知りませんがアスペルガー症候群というのもあります。こっちの特徴を見ると「興味や活動の偏り」は大いにあり、「不器用、字が下手、器械運動だめ」もあり、「失敗することを極端に恐れる」は真逆なれど「ゲームに負ける、他人に誤りを指摘される」は嫌いで、だから独学に徹したかもしれません。「言葉を文字通り解釈する」、これはありますねえ、言葉は僕にとってそういうもんで英語の方がピタッときて心地よい場合がママあって京都言葉は異国語。注意深く吟味して発した言葉を相手が分かってなかったことが数秒後にわかるとそれだけでその話は打ち切ります。しかし「ルール化する」、「非言語コミュニケーションが不得意」、「臨機応変な対応が苦手」、「同じような動作を繰り返す」は全然ないですね。
こうしてちゃんと育って70にもなっちまうんだから何でもいいんですが、僕は 人生、特に成功とも失敗とも思ってません。成功者の成毛氏が「武器である」と積極評価されるのはコンプレックスになっている人に力を与えて良いことだと思いますが僕の場合は良かろうが悪かろうが personality なんだからどうしようもないんですね、僕のことが嫌いならそうですかで即おわりで、どう暖かく見守ってもらっても「みんなで仲良く」の日本社会では損です。だから生活に支障が出る方もおられるだろうし場合によっては救済も必要で、医学的に障害としないと行政が保護できないことは理解します。しかし医師でもない人が言いたがるのは、色覚障害もまさにそうで人間の悲しいサガというか、見ているこっちがこの人はそこまで恵まれてないのかと気の毒になる現象でもあります。もし言われて不安になっている方がおられれば一笑に付してくださいね。あなたが世界でオンリーワンの存在なことは神様が「そうだよ」と認めてくれますし、もしお会いすれば僕が自己肯定できるようにしてさしあげます。
その逆に、織田信長、アインシュタイン、モーツァルトも「それ」だったと騒ぐのはこれまた甚だしくインテリジェンスに欠けますね。モーツァルトがそれだったとしても、だからって名曲が書けるわけないでしょ。天才もいる資質なんだと言いたいなら犯罪者もいるかもしれません。つまり世の中のためには一文の価値もない駄説です。ワーグナーの楽劇のスコアを見たことのある方、あの分量は他人の楽譜を機械的に書き写してもそれで一生終わっちゃうぐらいで、つまりあんな質量とも人知を超えたアウトプットができる人たちはそんな些末な議論はブチ越えています。「でも、それADHD、アスペなんです」なんて軽いタッチで言えちゃう人は「あの芸能人、実は “アレ” だった!」みたいな下世話なネタ好きが本性で、悪いけどそっちのほうがよっぽど病気なんです。医者ではありませんが僕はベートーベンはパニック障害という稿を書きました。それは彼の特定の作品についての仮説であって作曲能力のことではなく、なぜそう思うかは帰納法的に経験的論拠を付してます。そう考えることで僕はエロイカやピアノソナタ第28番の凄さをより深く味わえる体験をしたので、そういう人も広い世界にはおられるだろうと信じるからです。
「極端に変わってる人こそ活躍できる時代がやってきた」と本の帯にありますが、日本は万人に同質性が求められるからそれは大多数と同義で、それがぜんぶ活躍してハッピーだったなんてことは人類史上一度もありません。活躍した人は実はみんな異質でしたが歴史が同質的に描いてるだけです。時代にも人種にも関わらず図抜けて活躍する人は0.1%もいないので大多数の普通の人の目には「極端に変わってる人」に見えるだけのことであり、今も昔も、たぶん石器時代でも、そういう人が権力も資産も握って子孫繁栄もするのが人間社会の根源的な姿だから活躍したにきまってます。だから「極端に変わってる人」だからこそ活躍できる根源と程遠い社会などできるわけないし誰も望んでないし、常識的だけど能力は図抜けてる人がいちばん安全で有利であることは今後も変わらないでしょう。実につまらない結論ですが。
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「もしもピアノが弾けたなら」は辞書になし
2024 OCT 22 12:12:14 pm by 東 賢太郎
西田敏行さんの「もしもピアノが弾けたなら」は、歌詞を調べると、「ピアノで思いを君に伝えたいが持ってないし聞かせる腕もない」という歌だったようだ。ようだというのは、そういうのがあったぐらいは知ってるが一度も聞いた記憶がない。その手のものにとんと興味ないのもあったが、題名をみて、無能が歌にまでなるのか、そんな暇があるなら練習すりゃいいじゃないかと思う性格だ。西田さんは女性にもてたろうが僕がさっぱりだったのは思えば当然のことだった。
ピアノはもっぱら妹がやるもので、当時の世界観として女子のお稽古事であった。だからそんな恥ずかしいものを習おうなど考えたこともない。そもそも学習塾もなにも、何かを習ったということがない。ところが中学あたりでクラシックに目覚めてきて、自分の聴いている面白い音が何かという科学者みたいに即物的な研究心がわき、天体観測をする際の全天恒星図あるいは鉱物標本、人体解剖図を持っていたのとまったく同系統のノリで悲愴交響曲のスコアを買った。暗号のようで何もわからない。「もしもピアノが弾けたなら」と思ったのはこの時だ。
そこから独学にのめりこむ。高校あたりでバッハのインヴェンション1番ハ長調とドビッシーのアラベスク1番が弾けていたから悪くはない。悲愴のスコアはちょっとはわかるようになった。芸大に行きたいなと思ったのはこのころだが両親はそういう考えはまるでなかった。ちなみに野球も受験もそうでゴルフも自己流でスコア75を出したからどれも同じぐらいのレベルまでは行った気がするが、独学の宿命でどれもいい趣味にすぎない。いま職業にしているスキルは証券会社にいたのだからきっと初めは習ったのだろうが、これもそんな記憶はないぐらいに自己流である。証券業は以上のジャンルに比べればまったくもって誰でもできる、西田の歌の主人公だってできるだろうから誰にだって教えられるし、いま仲間になっている40歳あたりの後継者たちを指導することは僕のライフワークだ。
いま、さらに「もしもピアノが弾けたなら」の心境になっている。基礎訓練をしてないから候補は平易な技術の曲に限られ、それでいて自分の耳を満足させるものとなるとさらに限定される。ラヴェルのマ・メール・ロア(二手版)はそのひとつだ。終曲は弾くだけならそう難儀ではないが、出だしのピアニッシモ、とくに2拍目のドミシレは魔法のような7度と9度の音量に絶妙のバランスが要求される。ラヴェルは、マーラーもそうだが、常人の目からすれば変質狂レベルの完全主義者だ。のっけからやり直しの連続で楽譜には何も書いてないが極めて難しいことは弾いた人はわかる。変質狂が書いてない、というか楽譜の記号でも文字でも書けないのだから、これが難しいなら俺の曲は弾くなということに違いない。人間が造った「世の中の最高級品」とはすべからくそういうものによって成り立っているのであって、宣伝やマーケティングやイメージ操作や裏取引をしないと需要のないものは100%間違いなくすべてガラクタである(みなさんたった今そこらじゅうで響いてる選挙演説をお聞きになったらいい)。クラシック音楽は最高級品の中でもトップ中のトップのひとつであって、だからそれがわかる人(理解ではない、アプリーシエイト)に300年も聴かれているのであり、真の喜びというのは神の如く細部に宿っているとつくづく思うのだ。「もしもクラシックがわかったなら」という人は300年たってもわからない、それをせずに死んだら人生もったいないと思うかどうかだけだ。ラヴェルがここぞという場所に絶妙に「置いた」宝石のような音たちのまきおこす奇跡!自分で演奏すれば何度でも好きなふうに味わうことができる天上の喜びだ。
シューベルトの即興曲D.899の第3番変ト長調もそう。何度弾いても飽きることのない6分ほどの白昼夢のような時間である。二分の二拍子を表す記号が2つ書いてあるから二分の四拍子で「出版時は調号が多いことに起因する譜読みの難しさなど、アマチュア演奏家への配慮から、半音上のト長調に移調され、拍子も2分の2拍子に変更されていた」(wikipedia)らしい。ラヴェルに書いたことはここにも当てはまり、弾きやすい調にすれば解決できると思うような類いの人はこれを弾くのはやめたほうがいい。当時の調弦は少なくともオーケストラの a は低く、それを現代ピアノでト長調なら全音近いアップであり狂気の沙汰だ。シューベルトのピアノ曲で変ト長調はこれしかなく何度聴いても弾いても変ト長調しかありえないと思う。速度はAndanteであり、二分音符で歩く速さだろうが、ピアニストにより幅がある。速いのがシュナーベルで、ロマン派ではないからそうなのだろうというのが私見ではある。彼はそれで旋律を歌って見事に呼吸しているが、それがどんなに難しいことかというと、野球をしたことがある者が大谷を見てなんで摺り足であんな打球が打てるんだろうと思う、その感じが近い。ある個所で、アルペジオのたった1音だけ、つまりほんの一瞬、何十分の1秒だけ短調が長調になるのはよく聞かないと気づかないがこういう仄かな明滅がシューベルトにはある。低音で出るまったくもって音楽理論の範疇外の非和声的、非対位法的なトリル、空しく何かを希求するばかりで報われないのがわかっているコーダのT-SD-Tの和声は最期の年のソナタ21番の冒頭主題にそっくりリフレーンしている。感じるのは死にほど近いシューベルトが心で聴いた「何ものか」である。ではそういうものをシュナーベルから聴けるかというと、残念ながら、あれだけのドイツ音楽の名手にしてそれは否なのだ。シューベルトの時代の人間の感性がロマン派を知ってしまった我々に想像もつぬそういうものだったのか、ではどういうテンポでどう弾くのか。僕は技術的問題で遅くしか弾けないが、それでいいのかどうかいまのところわからない。
これからハードルは高いが何事もできると信じないとできない。ベルガマスク組曲ぐらいはいきたい。モーツァルトはヘ長調とイ短調のソナタ、ベートーベンは悲愴、ブラームスは3つの間奏曲作品117。バッハは平均律、ロ短調とハ長調(フーガ)は頑張りたい。著名曲ばかりだが、ニコライ・チェレプニンの「漁師と魚の物語」なんてのもある。
来年70になるが、もうひとつ、仕事をなし遂げたあかつきには社会人講座かなにか東京大学で、それもできれば懐かしい駒場で勉強したい。当時、いくらでもできたのにしないで遊んでしまったのはまさしく若気の至り、後悔でしかない。物理や天文なんかを孫ぐらいの先生に習うなんてのはいいなあと思う、僕の辞書にはなかったから想像するだけでも楽しいことだ。
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我がペニーレイン「和泉多摩川」に
2024 OCT 6 15:15:38 pm by 東 賢太郎
医師に「走るなら夜でなく朝ですよ」と諭された。暗がりの階段から落っこちてひどい目にあったので返す言葉がない。そこで前の週末、7時半から朝走りをやってみた。空気がちがう。よし、もっと遠出してみるかという気になったのは二子の駅まで来てからだ。戻ると7キロぐらいだ。夜だったらそうするが、まだ朝である。こういうとき「ここで帰るのはもったいない」となるのは子供時代からの困った性癖で、あらぬ場所に冒険したり友達の家にいりびたって行方不明になり、母が110番する寸前に何食わぬ顔で帰宅して大目玉を食らうなんてこともあった。ということだ。二子玉川駅から神奈川県側の二子新地駅にかかる鉄橋を渡る電車の “がたんがたん” がノスタルジーをそそったのも大いに加勢して、多摩川のもっと上流のあそこへ行こうという勇気がにわかに湧いてきた。
それは登戸稲荷神社だ(亡き父に捧げる五月五日のこどもの日)。両親は2歳の息子を連れ、昭和32年に板橋の実家から和泉多摩川に引っ越した。いまからみればまだ終戦後だったそのころ、当地は東京とはいえ最南端で川べりの田舎であり、住み家は1棟24世帯が5棟並んだ3LDKのひとつである。つまりなんでもないアパートなのだが両親には新天地だったと知ったのは、それこそが昭和38年に流行語となった “核家族化” だと後に学習したからだ。親離れしてモダンな家電とマイカーで “ハイカラ” な新生活を始めるのが若夫婦の憧れという世相は、同37年に大ヒットした吉永小百合・橋幸夫の「いつでも夢を」にくっきりと投影され、やがてくる高度成長期の礎になる。先んじて鉄筋コンクリートの新築社宅に入ったというのは銀行員の役得とはいえ、実家を追い出される立場である次男坊の父には誇らしいことだったに相違ない。そこに住んだ時期、僕には辛いこともたくさんあったが、家の中の記憶ということにフォーカスするならば燦燦と陽光がさしこむ明るい光景ばかりなのは不思議なばかりだ。意気揚々の両親のオーラに満ちていたからだろう。
走るといっても休み休みだ。道すがら河原に降り立って懐かしい草むらや川藻のにおいを深々と呼吸し、野の花や蝶々の写真をとったりと童心にかえったのは忘れ難い。東京にこんなきれいな蝶々が飛んでるなんて!あのころ、通っていた成城学園の周囲もまだ野っぱらだらけでそれはそれで楽しかったけれど、巨大な水流が秘める無尽蔵のエネルギーがあれば世界に不可能なことはないとさえ思わせる多摩川となると別格のド迫力であって、神々がこれを使えと伝えてくる鼓舞みたいなパワーが大地をメリメリと伝わってくる感じがしていた。野球を覚えるずっと前から友達とバッタやトンボを追っかけたり川面に石投げや水切り競争をしたり、いまは考えられないが遊泳や舟遊びまででき、冒険に興味津々の幼児にとってさらにゴージャスであった。
そこから数キロ走るとダムがあり、やがて我が故郷である和泉多摩川と神奈川県側の登戸にまたがる小田急線の鉄橋が遠く視界に入ってくる。住んでいたアパートはとうの昔に消えて今は14階だての立派なマンションが聳え立っており、商店街のお店もすっかり変わってしまっているが、タモリが言っているように道のくねりや幅や高低差はそのままだ。駅も高架になっていてまるで別な場所だが、その個所からの距離感は体が覚えていて、踏切があった場所がここ、そこから歩いてこのへん、このへんと往年のお店の位置が手に取るようにわかる。まず現れるのは左手にあった床屋さんだ。いまはラーメン岡村屋になってる。なぜか角っこに入口のドアがあって不思議だったが、なるほどこの T字路は直角でなく、駅から来ると鋭角になる。そこでとんがった角を切って車が曲がれる地形にした土地だったのだ。それが写真の自転車のある部分だ。床屋の例のぐるぐるはその左端にあったと思う。母に手を引かれて恐る恐る入っていく3歳の自分がみえる。
椅子は入ると正面に2つあった。座ると鏡に自分がおり、白い布を巻きつけられ首まで縛られる。いつも緊張していた。鏡の前に濃い青のガラス瓶が冴え冴えと鎮座しており、たしか赤?もあったが僕の眼はやたら青に反応するらしく覚えてない。それに液体に浸した器具らしきものが数本立ってる。もちろん櫛(くし)とハサミなのだが、変なのが出てくるとやだなと恐れてた。刈ってくれるのはいつだってヒゲの剃り跡が青々の旦那さんでやさしそうな面立ちなのだが、無口であって声をきいた記憶がない。髪を刈るとき手が仄かに消毒液の匂いがした。そんなに危険なものなのか・・。虚弱で毎週のように風邪をひいて、隣駅の狛江にあった久保田医院で注射されていたものだからそれを連想して固まってしまうのだった。いつも母は僕を置いて買い物に出て行ってしまい不安が増した。すると、それを悟ったのだろう、大柄で陽気な奥さんが「ボク細いねえ、ご飯たくさん食べなきゃね」なんて暖かく声をかけてくれてほっとするのだ。なんてビビり症の子だったんだろう。
写真の右手の建物、黒と黄の縞模様が貼ってある間口の狭いガラスの部分におばあちゃんがやってる小さな駄菓子屋さんがあった。ここはヘンゼルとグレーテルのお菓子の家みたいに夢のようなお店で、毎日学校の帰りにこっそり寄っては炭酸煎餅でウサギを作ってもらっていた。その工程はわくわくするもので、まず煎餅に水飴をはさみ、もう1枚を2つに割って耳にして飴でくっつけ、赤い梅味のシロップで目、鼻、口を書いて10円である。ある日、ポケットに5円玉しかなく入ろうかどうか迷ったが、これしかないですと差し出すとおばあちゃんは笑いながら「ボク、こんどは10円はもっておいでね」とウサギをやってくれた。それが「オレンジラムネ事件」の伏線であったのだが、その顛末はここにある。
思えば、おばあちゃんから僕は2つのことを学んでいたことになる。ひとつは商取引だ。お得意さんへの掛値販売というものの有効性、そしてそれが金利というものを生じさせる原理である。もうひとつは、これは非常に印象に残っているが、助詞「は」の用法である。あのときにおばあちゃんが言ったことを外人の子に伝えるならば Boy, if you like to come here next time, you must have at least 10 Yen coin with you. なんて長ったらしいものになる。それが「10円は」でエコノミーに完膚なきまでに明瞭に伝わるのである。なんてすばらしい言語だろう!日本語を学ぶ外国人が最も苦労する助詞の威力を一気にマスターしたのは、この言葉に参ってしまって、心からおばあちゃんに悪いと思ったからだ。
そのお向かいにはパン屋の幸花堂さんがあった。3歳ぐらいのころだろう、一人でお使い行かされ、入り口で足を踏ん張って突っ立ったまま大声で「パンいっきんください!」と教えられたまんまオウムみたいに唱える。すると「ボクお利口さんだね」とおばさんが出てきて紙で包んだパン一斤とお釣りを持たせてくれるのだ。そんな子供をだまそうなんて、まして誘拐したりいたずらする日本人なんてものは100%いないと確信に満ちた善き時代だった。覚えてるのはほめられてうれしかったことのみで、つまりこのストーリー、リアルタイムでの記憶はかすかにしかない。のちになって父が何度も人前で語ったから知ってるのだ。うちの息子は賢い、そう言いたくて賢太郎になったのであって、ほんとうにそうだとは僕は思ってない。それなのに、パン一斤の時と同じで父がそう思いこませてくれたから、その気になって多少そうなっただけというのが真相と思う。
道を先に進むと右手にあった肉屋さん、アラビキとかミンチとか知らない言葉が飛びかい、たぶんあれが好物のハンバーグになったんだろう。その左手には八百屋さんで、親父さんの威勢のいい声が飛び交い、薄暗くなると裸電球の横の籠がぶらぶらして蛾なんかが飛んでるのが目につく。つり銭をさっと選び出す手際よさは見事だったが。一番奥の右手角っこは本屋さんで、ここはとても重要だった。おやじさんが自転車で毎週火曜日に少年サンデーを配達してくれるシステムだったが、いつもその日が待ち遠しくて放課後にほかの誘惑を断ちきって早く帰ってるのにえらく待たされる。へたすると夕方だ。そこで待ちきれず取りに行ったらおやじは文句をつけられたと解釈したんだろう、ひどく愛想がなく、世の中こんなもんかと思って後の証券飛込外交の心構えとして役に立った。そんなことは委細構わず持ち帰ってむさぼり読んだ伊賀の影丸。僕は学校よりアニメで日本語を覚えた最初期の人種だ。蕎麦屋、鮨屋があったはずだがいつも出前なのでどこか知らない。
うれしかったのは江戸屋さんだ。商店街で唯一、60年前と同じ名前で残ってるのは感動的と評するしかない。いまは酒屋のようだが当時は建物全部がスーパーだった。なにせそんなものはハイカラでそんじょそこらにはなく、母とよく行った。「くすりの中山薬局」の部分の入ってつきあたりにコロッケ屋があって、母が小声で「こう言いなさい」と教えたとおり「めんちみっつください!」と大声でいうと、ガラスの仕切りの向こうで親父さんが笑顔で「はいよ!」とじゅーじゅー揚げてくれる。これはリアルに覚えてるからパン屋より少し後のことだったんだろう。コロッケよりメンチがちょっと高級感があってうれしい。持つと重たくて油紙がほんのり温かいのも良かった。そういう小さな幸せいっぱいの日々だった。そしていま、母の隣でメンチの大声を発したまごうことなき “その場所” に69歳の自分が立ってるのである。思わずぼろぼろ涙があふれ出てきた。
いよいよ川の堤防に出て多摩川水道橋を渡り登戸へ向かうことにした。橋のうえから今の自宅の方角を遠望する。二子のビル群が見え、川はそこで右に折れるからあのへんかと目途をつける。すると、家から見るとここはあのへんかと心当たりができるのである。そうこうして目当ての登戸稲荷神社についた。あれ以来はじめてであるし、橋を徒歩で渡ったのもそうだ。あれというのは両親に連れられて羽織袴で来た初めての七五三、つまり66年前だ。ポスターを見ると祈願があるのは11月2~10日である。1958年11月初旬で父が休みなのは日曜、休日だから2,3,9日のどれかであり、時刻は後述する件から午後3時に近かったと思われる。ともあれ、この時の父は33歳、母にいたっては30歳だなんて、とても妙な気がする。境内を歩いてみるとあっけにとられるほど小さい。人でにぎわっていて正月の日枝神社みたいな巨大なイメージがあったものだがこうだったのか・・・。どんな祈願をしてもらったかとんと記憶にないが、とにかく涙腺がゆるくなってるのはどうしようもない。周囲には人がいたが、なんであの人ひとりで泣いてるのか気懸りだったんじゃないか。
この境内には小さなエピソードがある。その日、一匹の茶色い犬がいた。雑種の成犬だったが、大勢人がいるのになぜか僕に付きまとってくる。さあ帰ろうと神社を出ても歩く後ろをトコトコついてきた。犬に好きとか嫌いの感情はまだなく、こっちもなついてくれたのに嬉しくなっていた。ところが橋までやってくると父が僕を抱き上げて欄干に乗せ、ケンちゃん歩いてごらんという。怖かったが手をがっちりつないでもらい、その上をこわごわ歩いた。とても長い。だんだん慣れてくると目線の高さに意気揚々となり、父との男のつながりで母の再三の「危ないわよ、やめなさい」はすっかり無視した。
対岸につき地面に飛び降りてほっとすると、犬はそこにいた。ついてきたのか!いとおしくてじゃれあって、やがてアパートの2階だった家の前まで来た。さあ中におはいりと当然飼ってもらえるものと僕も犬も思ったが、父は入れちゃだめだと頑として首をたてに振らない。そりゃ団地はペット禁止で仕方ないがそんなのは幼児には通じない。犬の鼻先でドアが閉められてしまうのを見て、僕は大声で泣きじゃくった。やむなく翌朝早々に起き出し、きっとあいつはドアの外で待ってると信じ、そーっと開けてみた。いない。外へ駆け出してそこいらじゅうを探し回ったが神隠しのようにどこにもいない。そこから何がどうなったかは闇の中で、覚えてないということは何もいいことはなく、記憶がデリートされたと思われる。どこでどうなってしまったんだろう、ごめんな。橋を戻りながら胸が痛んだ。
そういうことがあって、しばらくして母がどこかから黒猫をもらってきた。妹によると成城のクラスのお母さんからだったようで、とすると小学生になっていたから数年後ということになる。猫は大声で鳴かないし、外に出さないからという約束で父を説き伏せたと思われる。いま思うと、これが犬派・猫派の運命の分岐点だった。あのまま茶色が飼われていたら僕は間違いなく犬派になっていた自信がある。チコと命名されたこのオスはしたがって家猫になったわけだが、どういうわけか洗濯機の隣に首輪と紐でつながれてしまい、家族の一員になったとは到底いえない。母の運転する車が帰ってくると、幾台も車は来るのにエンジン音を正確に聴き分けてチコは鳴いた。僕はわからないのに凄いやつだと思った。何年かして、可愛そうだというので行きつけの伊豆下田の民宿に泊まった際に置いてくるという父の驚くべき裁定が下った。魚がいくらでも食えて幸せだといわれたがそんなのは口実だと思っており、どんな事情だったかは知らないが、おそらく猫が苦手な父がストレスになってだめだったのだ。チコと紐で遊ぶのは日課で飽きなかったが、僕も妹も歩くと足にじゃれつかれたり引っかき傷が絶えなかった。子供はなめられてたのだ。そのおかげで僕は猫とのつき合い方にめざめ、完全そっち派の人生を送ることになり長い長い豊穣のつき合いが始まったのだから偉大な猫であった。
そんな父だったが、和泉多摩川から中2で引っ越した鶴川の一軒家で野良猫が1匹、2匹、3匹と順次居つくと、家に出入りできるよう雨戸に猫の出入口をつけてくれた。大人になっても嫌なものはいつまでも嫌なもの。これは人間の法則であって僕もそういうものがたくさんある。猫のために新築のマイホームに穴をあけるなど父の性格からして苦渋の決断だったはずだが、その癒し効果で息子が東大合格すると猫たちの地位も向上したとみえ、次に調布に引っ越すと全員が車で同伴となった。本物の家族である。しかし猫は嫌いな人がわかる。僕が就職でいなくなると、愛猫家である母がいたのだけれどリーダー格のチビは家出して隣の猫になってしまった。それみろこの不届き者めと父が憎々しく思っていて不思議はない。50年近くもそうだったと思っていたが、先日、御殿場のお墓参りの折に食事していると、妹から「えっ、知らなかったの?チビはウチに来る前はお隣の猫だったのよ」と聞き天地がひっくり返るほどびっくりした。そして父の遺品の中にこれをみつけてさらに愕然としたのである。
97歳まで英語を勉強してた人だ。Scriblling Note(落書き帳)と題してわざわざ3匹の猫の、しかも毛の柄まで似たノートを選び、CHIBI、 CHARKO、KUROと各々に名前を記している。本当に猫好きに転じたなんて信じることはどうしても難しいのだけれど、不器用で猫には伝わらなくても父は家族として愛してくれていた、そうでなければこうはならない。Cats For Loveは後を僕に託す、つながってるぞというメッセージに思えてくる。2番目の猫は僕と妹にとってはチャーであって、メスだからと子をつけて呼んだのは既に先立っていた母だからそれも込められている気がする。これは実は落書きなどでなく、半分は遺書であり、半分は達筆でしたためられた膨大な自作他作の俳句 / 短歌集である。
物心つくかつかないかの出来事なんてあんまり覚えてないものだが、好み、趣味というものはこうやって芽生えてくるのなのだろうか、僕においては今もメンチとハンバーグは欠かせないし、炭酸煎餅に水飴をはさんで食べ始めると止まらなくなるし、チョコレートはゴディバよりあの植物油っぽい駄菓子チョコの方が断然高級に思えるのである。床屋の鏡の前にあった濃青色の瓶(びん)。あれはその象徴みたいなもんで、梶井基次郎の「檸檬(れもん)」の「ガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた」という文章を読んだとき(たぶん高校の教科書にあったんじゃないか)、ああこれがあれだなと感じ入って、それこそ文字がカーンと冴えかえって見えた。あの人間離れしたディープ・ブルーの冷々たる佇まいはそれ自体が神界の奥義をぎゅっと集積した鮮烈な現象であって、音楽ならバッハの平均律のようなものだ。やがて僕はその色のエーゲ海が好きになり、家のステンドグラスも濃青を散りばめてもらい、ソナー・アドバイザーズの名刺にはボトムに深海をイメージしたディープ・ブルーの帯を印刷することになった。
本稿を書きながら、ふとビートルズのこの曲を思い出した。ポール・マッカートニーが「子供時代の記憶を呼び戻した」と述べているこれである。
ペニーレインはリヴァプールの南の郊外にある何の変哲もない通りだが、小中学生時代のポールがジョン・レノンと頻繁に立ち寄る場所だった。彼はこう語っている。「Penny Laneはちょっとノスタルジーの部類になるんだけど、本当にジョンと僕が子供のころよく知ってる場所を書いた曲なんだ。だってお互いの家に行くとバスがそこで終点でね、ラウンドアバウトみたいなもんなんだけど、乗り換えなくちゃいけなくて二人でしょっちゅうあたりをぶらついてたんだ。だから我々の知った場所だし、歌詞に出てくる話もみんなおなじみなんだ」(筆者訳)。
In Penny Lane there is a barber showing photographs.
この曲でも「床屋」が冒頭に現れる。
Penny Lane is in my ears and in my eyes.
ペニーレイン、ぼくの耳と目に焼きついてる。
天才であるポール・マッカートニーはノスタルジックになることで凄い曲を書いたが、凡才の僕がそうなって書けたのはこのブログだけだ。この日曜日、帰宅してスマホをみると走行距離は22キロ、歩数は4万歩だった。
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人生を左右したかもしれない祖父のひとこと
2024 JUN 10 0:00:40 am by 東 賢太郎
父方の祖父は口数が少なかった。名は憲次郎という。2歳まで一緒に暮らし、9歳の時に亡くなった。声まではっきり耳にあるのは、孫の手相をじっと観て「この子はタイキバンセイだよ」と父に言ったことだ。幼稚園児ぐらいだったから意味は分からない。父が喜んでおり、そうした様子からなにやら大変な宣告があったみたいで、人生の黎明期にぽっかり浮かぶ小島みたいな記憶だ。これは後年に「人生重大事件」に加えたほどの出来事となる。僕の「人生重大事件」リスト
去年書いた稿にこうある。
祖父はどうだったか。記憶は朧げだが、寡黙で頑固一徹。気丈、気骨の明治人という印象が強い。和服で冬はいつも火鉢にあたり、江戸っ子言葉で短髪でさっぱりこぎれいな風貌で、英語どころかカタカナ言葉も出てくるイメージがない。僕は生まれてから2才まで祖父の家の離れに住んでいたが、引っ越してからもよく連れられて遊びに行き、将棋を教わったり手相を見てもらったり、近くの板橋駅まで歩いて肩車で蒸気機関車を見せてもらったりもした。食後に必ず消化薬のエビオスを1錠くれる。この味が無性に好きになり、誰もいないときビンをあけて盗み食いしていた。浅田飴は止まらなくなり、大人が外出中にひと缶ぜんぶ食ったのを見つかった。3才ぐらいだったと思う。死んだらどうしようと家中の大騒ぎになり大目玉を食らったが、祖父だけは僕の顔をじっと見て大丈夫だよと泰然自若、叱りも何もしなかった。祖父が大好きだった。
小学校4年のことだ。なぜか精霊流しの夢を見た。真っ暗な川面にたくさんの灯篭(とうろう)が静かに浮かんでいて、薄明るい蝋燭(ろうそく)が黄色く照らしている。すると、灯篭のひとつにいつもの和服を着た祖父が立ったまま乗っており、ゆっくりと右の方向に川を進みながら天に昇っていくのがズームアップしたように見えた。こちらを見なかったが、蝋燭の光が下方から照らしている横顔がはっきり見え、今でもこうして光景をくっきりと描写できるでほどで仰天した。大変だと焦りまくり、大声でお爺ちゃん!と叫ぶと目が覚めた。祖父が胃癌で亡くなった知らせがあったのはその翌日だ。板橋の家に駆けつけると、祖母が玄関まで泣きながら出迎えて、ケンちゃん、おじいちゃんこんなになっちゃったよ、と布団に横たわる祖父の前まで手を引いていった。
賢太郎と命名したのは祖父だ。父によると元東京都知事の東龍太郎にあやかったというがその辺は不明だ。子供時分、賢太郎ちゃんとフルネームで呼ばれるとどうも大仰でくすぐったい。ともに次男だった祖父と父は「太郎」に想いをこめたようだが、問題は賢のほうだ。長じて大いに名前負けになり、挽回に一苦労した。気にならないようになったら会社の同学の先輩におまえは不遜で生意気だ、そんなんじゃ社会不適格だと独身寮の部屋の壁に墨で大書した貼紙をされた。後年になって、従っておけばよかったと後悔した。賢より上があると悟り、息子には大書された文字、謙をつけた。
祖父も父も僕の晩成を見ずに逝った。父は幼時のアルバムに「賢太郎 健康と幸運を祈る 穏やかな老後をすごしなさい」と書き残しており万感胸に迫った。そうしようと思うが、それには祖父が占った「晩成」があるはずだ、まだ成ってないぞと思いながらあっという間に70手前まで来てしまった。60手前では何かしなくてはと一人屋久島へ飛んで千年杉を拝んだが、あの急こう配の登山はもうできないからやってよかった。同じように、いま何かして、5年後にもうあれはできないというものがあるはずだ。それをやり遂げての晩成であり、祖父は60年まえにそれを見たのだ。神山漢方のおかげで身体は信じられないぐらい元気だ。気力も充実だ。しかも偶然とはいえ不足のない仕事が現れている。
人間は偶然おぎゃあと生まれるのではなく、なにか役目を負ってこの世にいると僕は考えている。非科学的な運命論かもしれないが、これまでの人生は ”そこ” へ向けての長い行程であって、数多あった失敗も絶望もすべてはそれのためにあり、 ”そこ” まで行けば役目を果たして穏やかな老後となる。そうとでも考えないと説明がつかない偶然のようなものが今まさに僕の周囲で一気に蜂起しており、これはどんな宗教も確率論も歯が立たないだろうと考えるのが最も合理的と思える。僕だけが強運ということでなく、おそらく誰にも起きていて確率論はそれを恐らく証明はするだろう。もし僕に何かあるならば、祖父の言葉でそれの到来を確信し希求して60余年も生きてきた、だから超唯物論的な存在が見えている。そういうことではないだろうか。
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御礼 総閲覧数が1,000万になりました
2024 MAY 16 22:22:08 pm by 東 賢太郎
2012年9月12日の午後。紀尾井ビルの5階にあったソナー・アドバイザーズ株式会社の小さな事務所で何を書こうか思案していました。たどたどしい指でパソコンに打ちこんでみる。何度も書きなおしては消し、打ち間違え、ついに「よし、これでいい、いくぞ」と身構えました。「ブログ」なるものの発信です。ミサイルの発射ボタンでも押すみたいに恐る恐る「公開」ボタンをクリック。14時14分35秒のことでした。
それがこれ。我がブログ第1号であります。
発信といっても、大海原に筏(いかだ)を浮かべただけ。大会社はやめてどこの馬の骨かわからん人間になってたし、きっと誰も気がつかないだろう。100人ぐらい見てくれなければやめよう。そう思ってました。
あれから11年8か月。きょう総閲覧数が1,000万になりました。なにも言うことがありません、読者の皆様、本当にありがとうございます。相当な時間をかけて書いてきましたがそれだけのものを作ることができました。100人しか読まれなければ存在しなかったものですから、これは読者の皆様の作品でもあるのです。
2016年、熱心な読者の柏崎さんが前の事務所に来てくれました。西表島の猫の話をきき年末に娘たちと行きました。そういう縁ができたのも、彼がブログの中身をよく覚えていたからです。僕は書いたらもう読まないので彼の方がよく知ってます。先日箱根に行った従妹も昔のあれこれをよく覚えてくれているのですが、ブログでそれがあるとなると、手を離れたものはもう独り歩きしているということです。百年、千年たったらどうなってるか。クラシック音楽が残ることは確実だろうからおまけで残っているかもしれない。そうすると、それ以外のジャンルのも20~21世紀人の戯言として読まれないかなと思うのです。
それこそがSMCをクラブとして立ち上げた動機です。万葉集をイメージしたのですが、先日、2013年のミクロネシアからのお付き合いである公認会計士のAさんが「枕草子になるかもしれませんね」と言ってくれました。男優先の家で育って家内や娘に注意されてる身ですから女性の評価は最高にうれしかったですね。僕には女卑思想はありません。清少納言さんやユリア・フィッシャーさんのファンであり、そもそも身の回りは何もできないから女性に頼らないと生きられません。ブログ読者の男女比は6:4のようで、ありがたいと思っております。
読者の4割は年齢が35以下です。シニア向けのつもりで始めたのにそうなってないのです。若者のころはがむしゃらに突っ走るのみでしたが、齢50を超えると見える景色が変わりました。身体能力が衰えて限界を悟ったのですが、人間はよくできてるんですね、壁に当たる人もいますが僕のように父親目線になる人もいるんです。若者の上に乗っかって威張って金もらってという形で壁を乗り越える輩も多いですが、僕はそういうのがぜんぜんなく、若者をがんばってと応援したくなるんです。だから野球は二軍戦が好きで、この子は伸びるなんてメモを取るのが楽しい。大谷さんみたいな立派な人はあんまり興味ないです。
齢60でますますそうなり、「若者に教えたいこと」というカテゴリーで相当たくさんのことを書きました。習ったものでなく、自分で道を切り開きながら悟ったものだから何かしら価値はあるのではと思います。本来、こういうことは自分の子供だけに教えるんです。読者の4割が若者になったというのはそんな親父はあんまりいないからかなと勝手に思ってます。読んだ子は思いっきりパワーアップして人生勝ち組になってほしい。そういう子たちがたくさん子供を産めば日本は強くなる。これぞまさしく保守の保守、男の本懐、父親目線なんです。youtubeや本やブログでお金を儲けようという人も大事な情報を発信することがあるし、もとより色々なご事情はあるのでしょうが、ビジネスで収入を得る力のある人はそれは考えないです。そういう人に習えばそういう人になります。
来年70ですが、よし、もういい、と完全に満足して引退宣言するまでやるっきゃない。オーナーは首にする人がいないからそうなるんです。体はいたって健康でGW中にフルマラソンの距離を走りました。サーチュイン遺伝子を活性化するNMNの静脈注射を3回打ってるし、神山先生の鍼と丸薬は欠かさず副鼻腔炎とパニック障害がすっかり治ってる。このまま保てば5年はいける気がします。すると、ここで柏崎さんの人脈から新しい事業の構想が出てきました。ソナーを巻き込んでのものだから集大成になるかもしれません。僕は証券会社に長くいてその専門家だし、若者にビジネスを教えて育てたいという情熱もあります。そのうちわかりますが、まさに適役の仕事と思いました。それが最終決定したのが今週の月曜日。そしてPV1,000万到達が今日。ドラマにしても出来すぎです。僕は人生は頂いたもので自分が決めてないと信じてるので流れに任せることにしました。
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2年前の5月5日午前8時半の出来事
2024 MAY 5 8:08:57 am by 東 賢太郎
父が逝去して今日5月5日で2年になる。ブログにはあえて書いてないが、一昨年は大きな決断をしていて、ある職を辞すことを某社に告げた。それが亡くなる前日のことだった。もちろん翌日にそんなことになるとはつゆ知らない。それだけではない。もう係累はないが先祖は能登だ。今年の大震災の前兆だったのか、去年の5月5日にもM6.5の大地震が能登半島であった。父が何やら言い残したことがあったかと思った。
晩年は僕の肥えた腹を見てやせろやせろとうるさかった。そういえば去年の10月から運動しておらず体重がまずいことになってる。父は60キロもなくて97歳の長寿だったがこっちは80キロ越えだ。そこでGWに6日で28km走った。体重もBMI、体脂肪率もちっとも変わらなかったが6日目になって落ちてきたからやれやれだ。きのうは雲一つない晴天である。僕の棲み処は屋根の上に特設した小屋みたいなもので、斜面の3階だから風呂からそのままデッキに出ても人目がない。素っ裸で寝っころがって富士山を眺める。聞こえるのはピヨピヨ、チチチ、チュンチュン、ホ~ホケキョと360°のサラウンドで近くから遠くから空気をぷるぷる切り裂いてくる鳥のオーケストラだ。このためにここにしたわけではないが、そうしてもいいかなと思うぐらいの上等な音楽である。
このあたりは昼も夜も人がいない。前に住んだ代沢もいい所だが隣の犬がうるさくて閉口した。ここはそれもなし。いつも真夜中みたいに静かだ。その割に交番があり、住んで15年になるが犯罪は全くなく、町内会のつき合いやら妙な押し売りみたいなのも来ない。田園調布双葉学園が近いが上品な子たちで音は聞こえない。この完璧なプライバシーはヨーロッパに住んでた時と変わらず、この環境で猫がいてクラシック音楽をきけるならもう何もいらない。サラリーマンの子であるサラリーマンの僕には本来無縁の処で、他業界だったなら社長にでもならないとなかっただろうが証券会社に働いたおかげで縁ができた。
職業選択といえば、人間、何事も才能というものがある。何かの技能がうまいなあと思う群れの中でも図抜けている者がほんの少しだけいて、その者はそれで飯が食えるようになるのだが、今度はその連中の群れの中でさらに図抜けた「すぐれ者」がいるという塩梅だ。自分はうまいなあぐらいの最低限の群れにはいたかもしれないがそれで飯を食える水準ではなかった。あらゆることでずっと上の人がいるし、なぜ得意でもなかった仕事に従事してうまくいったかは不明だ。それは両親の愛情のおかげと思う以外に説明がつかない。それがツキを呼んでくれ、何かに押し上げられて柄にもないことができてしまった感じしかない。
そして今は自分が親になって、子供や子孫にそうなってほしいと願う番になっている。人の道というものがあって、誰しもちゃんとそこを歩くようになっているようだ。父は僕に野球がうまくなる方法や成績が良くなる術を教えたりはしなかった。「自分の頭で考えろ」が口癖で学習塾に通わせることもしなかった。バカだった僕はそれにかまけて小学校で勉強した記憶はなく、どこだったかすら覚えてないが受験した中学は全部落ちて屁のカッパだった。僕がたどった道は、親の愛情に押されて悩みながら自分の頭ですべきことを見つけ、才能はなかったが頑張れば食えるものについに出会ったというだけだ。だから子供にも方法を押し付けることはしない。自分で悩んで探さないと自分のものではないからだ。親はいなくなる。そこで頼りになるのは自分で考えて見つけたものだけだ。
5月29日は母の命日、8回忌だ。2017年のそのとき、母がいなくなったという事態がのみこめず心身ともおかしくなった。間髪入れずアメリカに飛ぶことがなかったらその後どうなったか知れず、あれこそまさにツキであり母がそれを用意してから安心して逝ったと思っている。大病を何度もして、けっして虚弱な人ではないのに、目、心臓、胆のう、卵巣、大腿骨、手首と6か所も大きな手術をした。ペースメーカーを入れ、手首も足首も注射の跡で痛々しい紫色だった。そういうことも遺伝しているはずの僕は、しかし、いまだに体にメスを入れたこともないのだ。母が身代わりになってくれていたとしか考えられない。そうやって育てられ大人になってからはじめて先祖のことを話してくれ、だからどうということもなく「うまくやってね」とだけ言う柔らかな人だった。うまくやってね
両親がいなくなった2年は何やら空洞の中を彷徨ってきた気がする。仕事のことは相談する気などなかったのに、今となってこれ大丈夫だろうかときいてみたくなる。何度か父にきいたことはあるが、業務内容は知らないのになるほどという大人の知恵と常識があり、そうした巌としたバックボーンに見えないままに守られていたことを悟った。高校の反抗期で父には申しわけない振る舞いをしてしまったことがあったが、そうやって男として自立でき、父は受け入れてくれ、それが受験で仇をとってあげたいという強烈なモチベーションになった。結果的に、それは自分にとっても良いことになった。
世の中には親を大事にしない人がいる。子を殺す親もいるのだからいろんな事情はあるのだろう。しかし動物でも子は守るし子はそれに甘えて健全に育つ。人間も動物であり、それが自然の理にかなった行動であるはずだ。ただし動物は育てば自立を促されて追い出され感謝はしないだろう。人間はする。それが人間の特質だ。だからそうでない家庭には何か自然を妨げる原因がある。感謝はうわべの儀礼ではなく、奥深い心の作用である。だから親に感謝できない人はその人間たる心の作用が働かない人で、他人にも儀礼はできるが感謝はできない。そうした人が増えれば社会を非人間的にすることになり、あわよくば暴力や社会騒乱をひきおこし、ウソつき、詐欺師を出現させることにもなる。
こうして人並みに親に感謝できることの幸福をかみしめていることを父に報告したい。
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クラシックで寝ついた0歳児が69になったこと
2024 FEB 4 21:21:09 pm by 東 賢太郎
家内からメールがあった。
大森のおばあちゃんがお手伝いに来てくれて冷たいお水でオムツを洗ってくれたと生前話していました。今日は、あなたを産んで上手に育ててくれたママを思いだして一日過ごして下さい。夜寝なくて抱っこして小さな音でレコードをかけて聴かせていた事は知ってましたか?
はい、知りませんでした。おばあちゃんのことも(ごめんなさい)。
レコード。親父のSP(78回転盤)に相違ない。鬼畜米英の時代になんでそんなものを持っていたのかよくわからないが、とにかく好きだったんだろう。それを2,3歳ぐらいからきいていた記憶はあり、だからこうして一生の宝物になってるとは思っていた。
0歳児がクラシックで寝ついた。俄かに信じ難いが、長じて思いあたることはあった。大学時代の下宿でのことだ。勉強に疲れるとコタツで横になってヘッドホンで音楽をきき、そのまま寝てしまった。はっと目が覚めると朝であり、カセットテープがループになっていてシューマンの交響曲が耳元でがんがん鳴りっ放しでびっくりする。「それで熟睡なんだ」といっても誰も信じない。今でもパソコンで音楽つけっぱなしがある。目覚めはすっきり、原因不明だ。レム睡眠、ノンレム睡眠の比率がどうのとは無関係に僕の脳味噌はできているらしい。
最期の床で、好きだったチャイコフスキーの4番をどうしてもと思い、ヘッドホンできかせた。すると眠っていた母はぱっちりと目をあけた。言葉は話せず僕が誰かもあやしくなってはいたが、「うんうん、これだね」と、あたかもわかっていた頃の合点かのようにじっと目を見てうなづいてくれた。僕は驚き、あっ、良くなってるぞと喜んだ。
母を悪くいう人はまったくいないし想像もできない。まさに慈母であった。こういう両親の家に生まれたことを神に感謝する。
69才
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