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カテゴリー: ______自分とは

安藤百福さんと特許

2018 OCT 13 12:12:31 pm by 東 賢太郎

インスタントラーメンを発明した安藤百福さんがドラマになったらしい。テレビは見ないからそっちは知らないが、こういうのが縁なのだろう、たまたまやっていた番組が彼の特集をしていて、食い入るように見いってしまった。

野村で大阪に赴任してすぐ、大営業マンとして著名な先輩の武勇伝を聞かされた。日清食品の社長室に押し入って?初対面の安藤さんに株を買ってもらった話だ。愉快、痛快。先輩もさることながら安藤さんは大物だと思った。

それが頭にあったのだろう、同じことをやってみたら名門企業のU社長がやっぱり株を買ってくれた。今になってみるとこんなことを二十歳そこそこの小僧にさせてしまう野村證券も凄いが社長も後に関西経団連のトップになった大物であられた。野村も社長も、これが大阪でなくて何だろう。やっぱり僕を育てて筋金を入れてくれたのはオモロい大阪なのだ。

日本統治時代の台湾出身で大阪人であった安藤百福さんは日清食品(株)創業者だが、傑出した発明家でもあった。失敗と困窮と苦難の末に製法を考案したインスタントラーメンが大当たりしたは良かったが、劣悪な模倣品がどっと市場に出てしまう。どこでもある話だ。そこで発明家は創業者利益を侵害されぬよう、特許という盾によって侵略者と戦うのである。

画期的な発明ほど魅力的であって、模倣品との戦いが熾烈になるのは道理だ。ナンチャッテだけで生きる人たちの総攻撃にあう。せっかく美味しいと認められつつあったチキンラーメンが劣悪品の風評被害で大ピンチになってしまった。番組がそこまで来たとき、僕は青色LEDの中村修二先生の発明特許が900もあるのを思い出していた。そういうものなのである。

ではそこで安藤社長は何をしたか?

「特許を開放してしまえ」と命令したのだ。これには驚いた。日本ラーメン工業協会を設立して製法特許権を譲ってしまう。経営の常識として全役員が反対したのは当然だがそれを押し切った。叩くのでなくやらせてしまえ、我が事になれば皆が品質や安全にも気を配るようになる、「野中の一本杉になってそびえるより、豊かな森にした方が実りが多い」。

これは凄い。涙が出てきて声にならず、いっしょにいた家内は驚いたろうがこの衝撃は文字にならない。このトシでよもや経営話ごときでガツンと後ろから殴られたようなショックを受けるなんて、自分に何が起きたんだろう?むしろそっちに驚いた。まだよくわかっていないが、想像で書いてみるしかない。

まず彼が規格外の人物ということだ。創業者、発明家は相応の苦労をしている。だからタダ乗りを締め出して利益を独占したくなってもそれは当然のご褒美であって、寛大でない、セコいとは言われない。これは世界の常識である。苦労なく幸福をばらまくことのできるのは神だけであり、人間は神でないことを知っているからだ。それを放棄することは、理由は何であれ、幾分かの他利の精神がなくてはできないことで、そうそう常人の及ぶものではない。

特許で囲えるという法律があるなら、囲わなければ模倣は合法だから許されるという妙な理屈が出てくる。だからこそ囲わざるを得ない。日清食品がいくら特許侵害訴訟を起こした事例があろうが必然以外の何物でもない。創業、発明はゼロから有を生む。止まっている物を動かすには静止摩擦を上回る巨大な力が必要なのが物理法則であって、それが創意とリスクテークの度量という一種の才能、才覚である。凡人にもできる物まねの「ゾロ品」を生む権利などで潰しては国益にまでかかわる大事なのである。

しかし、それだけだったら偉い人だねとは思っても涙までは出ない。そこで次に思うのはスイスにいたころの麻薬常習者の話だ。安藤さんのジャッジはそれに似ているのではないかと直感的に思ったのだ。事はこういうことだ。1995年ごろ、チューリヒ駅近くの公園で若者による注射の射ち回しが議会を巻き込んだ大問題となったが、そこで市は希望者に注射針を無料で配るというやはり想定外の手に出たのである。

背景には麻薬常習者の増加に加えてさらに喫緊の問題があった。注射針を介して当時流行っていたエイズが拡散することを恐れたのだ。取り締まれば奴らは地下に潜るだろう。するとエイズも地下に潜る。見えぬ病原体相手にはそのほうが市民生活には危険が及ぶと思ったのである。これは寛大でも他利でもない、国家は市民である君らに介入はしない、楽しみを奪ったりもしない、だから、俺たちを巻き込まずに好きに死んでくれという冷徹な政策だ。

商人でもあった安藤さんがどちらだったかはわからない。しかしどっちにしても涙は出そうにない。どうやらもっとずっと僕の個人的なことで、きっといま頭を占めているいろんなことで、チキンラーメン特許開放!は響いたに違いない。

証券屋というのは30年もやればいろんな経営者を見てくる。皆さんいろんな経営手法でいろんな英断をされている。しかし証券屋はそこで「社長、流石ですね」と持ち上げて商売をもらうのだ。何がどう流石かなどはぜんぜん二の次で。特許開放!いよっ、流石は大社長、ご英断ですなあ。

こういう馬鹿丸出しの太鼓持ちが反吐が出るほど嫌いで、長年の仕事柄そんなことをやる風に染まってしまっていた自分まで軽蔑していた。安藤氏の英断はまず僕を素朴に驚かせ、僕はそれに驚いた自分にはっと驚き、そうか、ついにあの馬鹿らしい世界から脱却できていたんだと気がついた。それだったんじゃないか?

返す返すも社長室に押しかけて安藤百福さんにお会いしなかったことが残念だ。

 

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オモロい人たち

2018 OCT 11 6:06:10 am by 東 賢太郎

大阪で仕事したころ、「あんたオモロいやっちゃ」といわれてそうかなあとけっこう戸惑った。これが「面白い人」ではないと知るにはしばらくかかる。それは関西弁でしか表せないニュアンスだからで、東京にはそういう表現がない。

面白いはfunnyである東京人はそういわれるのは面白くないが関西でオモロいはinterestingであって悪い意味とは限らない。東京ではしかしそれを訳すと「あなたは興味深い人ですね」みたいになって、これはこれで上から目線の感じで余計なお世話だとなるからややこしい。英国でWhat you said is interesting.なら言えるがYou are interesting.は失礼感があるように思え、言ったことも言われたこともない(アメリカは知らない、トランプは言いそうだ)。

つまり、You are interesting.を好意、親愛の表現で言ってしまう関西は特別な場所かもしれない。土足で踏み込む感はあるが人のぬくもりもある。いや、それをぬくもりと思うのが関西だと東京人の僕は思った。

しかし最近、東京にだって昔からオモロい人はたくさんいるのだけれども、その人たちをオモロい人と思う人があんまりいないだけなのではないかと思うようになった。つまり「オモロい」という概念は受容する側の問題だと。

僕はこの「オモロい」こそが人間の人間たるゆえんであって、ちょっと大げさに言えば人類を進化させる原動力ぐらいに思っている。オモロい人がいくら周囲にいても、彼らを受容するカルチャーがなければ宝の持ち腐れになってしまう。

中学に丸山鉄男というオモロい奴がいた。こいつのオモロさを凌駕する人間はいまだに現れていない。図抜けて天才の域にあり授業中に隣りで悪ふざけして笑いをこらえるのに死ぬほど苦労した。早稲田高等学院に入ったが馬鹿なことに大学でサーフィンであの世に行った。でもあれ僕の中で生きているからいい。

オモロい」は東京にいると、どうも錆びついて見えなくなってくる気がする。大阪やアメリカや香港にいたときは僕の「オモロいセンサー」はもっと感度が良かった。そう思いだしたので最近はつとめて知らない世界の人と会って話している、というか、話し込んでいる。思ったらすぐに何か手を打たないと鈍る一方で僕にはあらゆる意味でよくないからだ。

ネクサスの動画に出演してくれた90人の若者たちは宝庫だ。彼らはみんな熱中型人間で飯食うのも忘れて何かに没頭するタイプだ。それでその世界で凄いと言われハングリー精神に満ち満ちている。こういう人は強い「気」を発してる。動画でそのシャワーを日々浴びていると僕は元気をもらえる。

だがもらうだけじゃあいけない、発見がしたい。例えばそのひとりのサムライの島口氏は海外でひっぱりだこである。欧州ツアーで飛び回って帰国したから報告したいとほんの少しの時間なのにわざわざ来てくれる。そこまでウケるには、まだ僕の気づいてない才能がこの人にはある。あるはずだ。そう思ってそれを知りたくて興味津々だ。

会社を2つ作って50億円もってる38才にもきのうお会いした。初対面でありオモロそうだと聞きつけて来てくださったようだが、こっちは商売より彼のオモロさがどこにあるのかが大事だ。それがなければそんなカネが作れるはずがないからだ。

深く井戸を掘りました。頭悪いんであれこれできなかったんで」

「いや50億作った人が頭いいのが資本主義だよ」

そんなことを2時間話し込んで、ビジネスについてはよくわからなかったがオモロい人だった。株の話はほとんどせず、ゴルフのベスグロ75で同じだね、でもジョン・レノンの最高傑作はアイアム・ザ・ウォルラスじゃねえかなというところで意見が合致して終わった。

元ロッテのサブローこと大村三郎氏にはときどき最近のプロ野球界のもろもろを教えてもらう。彼は巨人もいたしオモロい。なーるほど、人間だからどこも一緒だよな。そういうの勉強したいって、じゃあ司馬遷の史記だねオモロいよ。彼は即決のスナイパーだ、すぐ読了するだろう。

たしかPWCのレポートに、2030年にAI革命が進んでいて、世界で最も危ない国は日本であり、62%の人が職を失うとあった。ブルーワーカーだけではない、銀行員や公認会計士もだ。でも人を感動させる職業は残るとある。要は「オモロいやっちゃ」になればいい、そういうことなんじゃないか?

 

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僕の運命を変えた広島カープ

2018 SEP 27 23:23:51 pm by 東 賢太郎

カープファンになったのは1962年(昭和37年)のことです。56年間もカープ戦に一喜一憂してきたことになりますからもう人生の重要な一部です。海外にいた16年間は、まだまだ日本の出来事は翌朝の新聞で知るというまだるっこしい時代でありました。朝一番に経済欄ではなくスポーツ欄から読むのでこっぴどく叱られましたが、気になったままでは仕事になりませんと臆せず正論を吐き日課にしました。緒方、前田、金本あたりはそのころ活躍してましたが、だから姿はあまり見てないのです。新聞を見てよく打っとるなあ、いいのが出てきたなあと球場のシーンを想像してわくわくしてました。

大学2年の夏に九州旅行をした帰路のことです。博多からひとり新幹線に乗ると、網棚に読みさしのスポーツ新聞がありました。それがなければまさか広島であてもなく途中下車するなど考えつきもしなかったでしょう。ところが紙面に小さく「広島・ヤクルト(市民球場、18時)」とあった。これが運命を変えました。矢も盾もたまらず降りてしまい、試合後はユースホステルに頼みこんで泊めてもらったのですが、翌朝、たまたまそこの食堂で目の前に座った女性がのちに妻になったというのは偶然にしても話ができすぎでしょうか。

家内も僕も広島になんの地縁もないのだからこれはカープ大明神のお力だったに違いなく、そもそも昭和37年のご時世に東京生まれの小学生がクラスでいじめられるの覚悟でカープファン宣言の狼煙をあげたこと自体が今日を予見した大明神様のお計らいだったと考えられるのです。だから子孫たちは我が身あるのもお陰様と僕の仏壇にカープの球団旗ぐらい祭ってくれてもバチは当たらない。もちろんひとりぐらいは入団してもらわないと困るしウチは爺ちゃんも野球だし血筋はある、ぜひお願いしたいところです。

その日の試合はどうだったか?勝ったんです、前年初優勝してその年は3位でしたが、山本浩二、衣笠、ホプキンス、シェーンがいて強かった。これを3塁側内野席、ベンチあたりのいちばん上の方で見せてもらい感激でした。得点は忘れましたが9回裏にキャッチャーの水沼が左中間2塁打を放ってサヨナラ勝ちでしたね。初めてのカープ戦、初めての市民球場、初めて踏んだ広島の地、それにしてもあの日はなんだったんだろう。

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ビートルズ「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)

2018 JUL 8 13:13:28 pm by 東 賢太郎

平成が終わる来年になると、僕ら昭和生まれはそれが人生で3つ目の元号となる。つまり、来年に生まれる人から見るならば、僕らがおじいちゃん、おばあちゃんと思っていた「明治生まれ」と同じ位置づけになるわけだが、昭和は明治より20年も長い。いま20代の人もそうなるのであって、昭和30年生まれは明治30年生まれよりずっとおじいちゃんなのである。

来年というともうひとつショックな事があって、ついに、ビートルズの「When I’m Sixty-Four」(僕が64才になっても)のトシになってしまう。これが入っている『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は1967年のアルバムだから僕はまだ中学生の小僧であって歌詞がさっぱり不案内だった。Will you still need me? (まだ僕を必要としてくれるかい?)はまだしも、Will you still feed me?  がね、これはガキにはわからない。

この切ない feed me がわかるのがきっと64才ぐらいだってことで、これを書いた10代のポールもそう想像したんだ。だからDo youじゃなくってWill you、意思の確認なのだ。そんなジジイをキミはまだ必要としてくれるかい?いや必要でも料理を作ってくれるとは限らないね、そこはどうなの?とくる。僕はヒューズを直せるしセーターを編めるし草むしりもするよって。なんと図星な。

そもそも feed とはエサをやるという意味だ。ネコは芸も愛想もないがそこだけは妥協しており、エサが出る人を適確に見極めていて(もちろん、昔は母でいまは家内だ)腹が減ると台所でニャオ~ンと僕には絶対にないソプラノで鳴く。あれだけ遊んでやってるのに悔しいが、feed する人は絶対権力者なのである。ということはヒューズもセーターも草むしりもニャオ~ンも無い僕は飯も出なくなるんかということをこの歌は意味している。

ではジジイの価値はカネなんだろうか。とするならば紀州のドン・ファンの道しかないじゃないか。あのかたはいいか悪いかともかく、男として実に明快でわかりやすいという美点はあって、一度哲学を伺いにお会いしたいものだった。女は手当たり次第に口説いていたと思われるモーツァルトだが、ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファンのイタリア語だ)はしかし地獄に落としている。この道は難が多そうだ。

アルバム「サージェント・ペパーズ」の冒頭、ト長調のところはバンドの紹介の前口上だ。さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃいみたいなもんだが、これが僕的には格好いいのである。昨年、ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会に先立って舞台でしゃべらせていただいたが、当日はあの前口上の気分でさせていただいていた。アルバムには「She’s Leaving Home」もある、娘は手紙を置いて出ていっちまう、車のセールスマンとね。ビートルズは僕にとって論語より人生を説いているのだ。

先週、ブログにしたマフィアの末裔マリオ・ルチアーノ氏のレストランにぶらっと行ってみた。そうしたらゴッドファザーに出てきそうなオーラの50がらみの男が立っている。「マリオさんでしょ」と声をかけ、本にあったエピソードを2,3かましたらサイン目当てのおっさんじゃないことはわかってくれたんだろう、「財務大臣の麻生さんもふらっと来られました」「そう、でも俺はやくざじゃないよ、株屋だ」と自己紹介した。僕の頭髪を眺めながら「肌が63に見えませんね」とイタリア人らしいほめ方をする。想像どおりの、修羅場をくぐった好漢であった。

63に見えるかどうかは知らないが自覚がない。体は老いたけれど、自分とはあくまで体ではなくハートのことなのだ。二十歳の頃のハートがどうだったか覚えてないが、あんまり進化も退化もしてなさそうだし、僕は元来そういうことに鈍感で甲子園の選手は今も年上に見えている。「僕が64才になっても」は、キミ、それってちょっと変でねえかい?なんてトシなりのおじいちゃんに諭されている感じの曲になってしまった。

 

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自分とは

2018 MAY 10 1:01:14 am by 東 賢太郎

多摩川を久々にジョギングして、今年でここも引っ越してきて10年目だなと思った。山あり谷ありでなんとか生きてきたが、もう細かいことはけっこう忘れてきていて、思い出そうとも思わないし関心もない。僕にとって、良いことも悪いことも、終わったことはもうどうでもいいのだ。能力ぎりぎりの所を走ってきているので、今をきり抜けるのに必死だから。

自分が能力があると思ったことは一度もない。それがどういう風の吹き回しかいつのまにか険しい山道を縦走しているのであって、ちょっと気を抜けば滑落だから後ろを振り返る余裕がない。道の先がどうかと考えたり地図を見たりの余裕もない。それでどうやってここで10年生きてこれたか、わかるものならだれか教えてほしい。

ブログにあれこれ過去を書きつけてきたのは、忘れるからだ。いずれ自分もお袋と同じ認知症になって、なんにもわからなくだろう。それでなくなってしまうのは寂しいと、たんなる独りよがりの自己満足であって、こんなものは誰かのためになるなんてことはない。なればいいなと思って始めた部分もあったが、もう正直のところ、まったく自分のためのみのエゴである。

今の自分はというと、自分でいるのはcomfortableであって、ああなりたいという他人はいない。ドーキンスが正しいなら、いずれ東賢太郎という「乗り物」は下車するわけで、いろんな過去をぎっしり持っているからこれ以上がつがつ求める必要はない。乗り物はそろそろ劣化してきていて、今日は神山先生にしばらく米食はやめなさいと言われてしまった。末は知れていよう。

もともとゲバ棒を振ったり、世を変えたいとか安保を阻止したいとかはない。世間とはめんどうな関わり合いを持ちたくないし他人を支配したいとも思わない。名誉や勲章はいらない。出家、隠遁がいいわけでもない。となるとやりたいことはなくて、それで険しい山道を縦走しているはなぜなんだと自問するが、これがよくわからないのだ。

こういう莫迦な人間もいるということ、そう思っているのが今だと、そして明日になればそれは過去になっていてもうまったくどうでもいいものに変質しているという事も記録しておこう。

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「謙虚」と書いた貼り紙(O先輩への感謝)

2018 APR 21 1:01:31 am by 東 賢太郎

新入社員のころ、メンターだったO先輩に口ごたえして「お前は生意気だ、自信過剰だ、ばかか、学生じゃないんだ、社会はそれじゃ生きられないぞ」と叱られ、寮の部屋の壁にマジックで「謙虚」とでっかく書いた紙をバーンと貼られてしまった。社会に出て面と向かってばかといわれたのは2度しかない。

4年上だから人事制度上はインストラクターではない。当時の支店は大変なところで、入社してすぐの離職が多く、あいつはすぐ音を上げるかもしれんという含みで唯一の同窓同学部だったOさんがそんな役をされていたかとも思うが、仕事もできる人で尊敬してなついていたし、人生相談にも乗ってもらっていた。後にも先にもそんな人はOさんしかいない。

あることで悩み、「そうか、そういうのはな、瘡蓋(かさぶた)になってはがれるのを待つしかないな」と、暗にあきらめろというアドバイスだったが、彼はそうは言わない。瘡蓋、はがれる、待つ、あまりの言葉の見事さが心に焼きついて、それがかえってなぐさめになった。その時だ、この人は天才だと思ったのは。僕が海外赴任中に若くして他界され、貼り紙は今になればなんと有難いことだったかと万感の思いだが、それで謙虚になったかというとだめだった。

これはどうしても自分と野球の関係に逃げざるを得ない。プロに行くようなスポーツ万能の図抜けた人やO先輩のように抜群の知力のある人はそうではないだろうが、ほかに本当に何のとりえもなかった小心者にとっては、野球の微小な成功体験をプライドのよすがにすごすしかなかった。社会人になってもその余勢でつっぱっていたのだということがあの貼り紙事件でわかるが、自分の中では恥ずかしい記憶として消されかかっていることに気づいてはっとする。

おまけに物心ついたら家にネコがいたという事実が重なる。何の関係があるんだと思われるだろうが、就職するまでに多くのネコと兄弟のように育ったというのも人格形成に影響があったとまじめに考えている。ネコはハンターであり攻撃型動物だ。野球でいうと打撃や守備は来た球を迎え打ったり捕球したりの受け身だが、唯一投手だけは一方的に打者に球を投げつけ攻撃一点張りなのだ。ネコに野手は似合わない。その2つが少年期に根深く重なるとこういうことになる、という人間になったとしか考えようがない。

謙虚?なんだって?「いや~僕の投げる球なんてへろへろですよ、ハエがとまりますよ」みたいなこと言えってのか?そんなのは卑屈ってことじゃないか?先輩の張り紙はそう見えていたので、1週間ぐらいではがしてどこかに消えた。

31年の長いサラリーマン生活は、O先輩の警告があって、瘡蓋、はがれる、待つ、の言葉のずっしりとした重みとともに深層心理に焼きついていて、なんとか無事に切り抜けられたのだったと思う。僕は謙虚で優しいのに強い男を何人か知っている。それはある意味で男の完成形だ。攻撃し続けるなんてのは吠えるスピッツであって実は弱い。弱い者の謙虚は卑屈ととられかねないからそうする勇気もない。強い者の謙虚は木鶏のようであり、静かであっても強い。そうなのかもしれないと思いだしたのは、ドイツに不承不承の落胆の中で、心に矛盾を抱えて赴任をした37才のことだ。だからそこで生まれた息子の名には「賢」ではなく「謙」の字をつけた。

 

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洋モノ美しいもの好き

2017 OCT 26 23:23:04 pm by 東 賢太郎

いつだったか、この本を買ってきていたく感動して一気に読んだ記憶がある。そうしたら昨夜たまたま寝れなくて見ていたTV番組に本の主人公のモデル、サンモトヤマ創業者・茂登山長市郎氏が登場していた。氏は終戦後の銀座に闇屋を構える。初めは進駐軍のつてで米国品を輸入したが、出会った写真家・名取洋之助から「美しいものが好きならヨーロッパに行け」「まず美術館と教会を観ろ。一流ホテルに泊まれ」と言われる。単身パリ、フィレンツェに出かけ、グッチ、エルメスなどの日本独占販売権を獲得する。ひたすら美しいものを追い求め日本に欧米ブランド文化を根付かせた男の熱い一代記だ。

感動したのは魅せられたグッチに毎朝毎朝10時の開店と同時に通いつめ、とうとう会えたオーナーに「日本を俺にまかせてくれ」と裸一貫でぶつかったことだ。その情熱が通じて、ちょとした運も助けてくれて、その場で「やってみろ」と認められていく手に汗握るくだりは野村證券に入社してすぐ、かけだしだった2年半の忘れられない大阪梅田支店でのあれこれと重なってしまい感情移入なしにはいられない。こんな人がいたのかと心にずしんと響く音を聞いてしまったのだ。

本で強く印象にあった茂登山氏は、想像通りの魅力的な人だった。着ているシャツの色。「だってウチはサン、太陽でしょ、だから赤と黄色が好きなんです」なんて、何の理屈もないが、うんなるほどと腑に落とされてしまう。こういう人は学友にはいない、そういえば証券会社のお客様にいたなあと思った。僕はこの商売を始めるまでは営業マンなど程遠いかなりの人見知りで、初めての人と気軽に友達になったり長く会話することさえない性格であり、証券の仕事で出会った人間力あふれる先輩やお客様にそれを直してもらったようなところがある。

ただ例外があって、何であれ、どんなジャンルであれ、語ることに情熱と自信があってリスペクトできる人は昔からその限りでなかった。氏素性でも勲章でもなく人としてのヴァリュー、生き筋の良さとでもいうべきもので、氏はまさしくそれをお持ちの人であって、好きなことをぜったいの自信をもってやってるから言葉が重たくて歯切れがいいのだ。ああいう人はどこにもいるようなもんじゃない。頭脳明晰、理路整然の言葉を吐ける人はいくらもいるが、大体において男としてつまんないヤツばかりだ。

やっぱり洋モノが好きな僕は、氏と同じ時代に生まてたら闇屋をやったかもしれないと見ていて思った。外人相手の仕入れの交渉なんてさぞエキサイティングだろうとわくわくするのは商人の血が流れてるからか。そして何より、美しいものが好き。氏の人生を動かしたそれが、譲れないほど僕にもある。そうするとどうしたってヨーロッパ、洋モノになってしまうのだ、パリやロンドンやウィーンやローマの記憶に今だってどんなに魅せられていることか。

先日娘の誕生日に「お父さんの人生はね、お前たちが生まれたヨーロッパ時代までが上昇、そこからずっと下降だよな」と話した。そのまま終わるのは嫌だとまだやってるが、でもあした死んじまってもけっこう満足だぞ。そのぐらいね、サラリーマンではないぐらいいろいろすごい経験させてもらって、ここ(心)にはいい思い出がごまんと詰まってるんでね、とも言った。まさしく本音だ。これは野村という代え難いほどいい会社に入れてもらって、自分から希望したわけでないがきっと阿吽の呼吸で好きが伝わって12年も欧州赴任した。こんなラッキーな人生はまたとあろうか申し訳ないとまで思うが、それがまた上掲書の氏のことに重なってしまうのだ。

思えば僕にとってクラシック音楽も洋モノ好きの一部分だった。いまだってそうだ。レコードなどまだまだ戦後の闇屋、バッタ屋っぽかった秋葉原で電器屋が売ってたのであって、髙島屋なんてお品のある所じゃない。1枚2千円で欧州をのぞけるウィンドウだったのだが、のぞいた景色は大変上等だ。そんなものを闇屋風情で自分の眼で選んで買うミスマッチも味があった。本当は絵の方が好きかもしれないが色覚のせいでひけめもあって、でも子供の時、楽器や歌でほめられたことは一度もないが絵はおおいにそれがあって、こっちのほうがもっと適性があったかもしれない。だからこそ、ビジュアルな美を求める茂登山氏の世界には他人事でない感じがあるのか。

番組でもうひとつ、六本木のイタリアンレストラン、キャンティのオーナー夫人・川添梶子も面白かった。旦那の川添氏は後藤象二郎のお孫さんだ。客は著名人、といってもアート、芸能系で、まあパリでいうサロンみたいなもんだろう。梶子は昭和3年生まれでお袋と同じ。やっぱり洋モノ美しいもの好きで、やりたいことやって早くに亡くなったが見事な人生とお見受けした。お袋が僕を成城学園初等科に入れたのは自分がこういう世界が大好きだったからだが、見ていてよくわかった。そういうのは縁遠かったが、出てくるキャンティの客人はみんな人間的魅力があって、なんかほわっとしたこういうのもいいなと思った。

先日、T社長ご逝去の知らせで某弁護士から「我々にも、残された人生の時間はそんなに長くないことを肝に銘じて、仕事や遊びに励みたいと思います」と彼らしいメールがあった。そうだ、そういうトシなんだねと思わざるを得ない。そういうこともあって番組見ながら「ところで今まで俺って何やってたんだろう」という自問の気持ちも出てきたりして、「ここまでおかたい金融屋の父親路線できているけどゆるいお袋の方もいいんじゃないかな」と横恋慕しそうになってくる。お袋は喜ぶんだろうなそれを。なにせ美しいもの好きばかりはそっちの遺伝だ、どうしようもない。

 

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62才でふぬけになる(プライドの捨て方)

2017 FEB 4 3:03:26 am by 東 賢太郎

おかげさまで本日をもって62才を迎えることができました。とりあえず元気で健康であり、こうしてSMCにブログを書かせていただいて4年と3か月ほどたちました。

何才まで生きるかはともかく80才までこの調子でいけるとして、人生を「箱根駅伝」とするならいまどの辺を走ってるのだろう?

さっき計算してみました。

8区をあと5キロで終える所

なんです。遊行寺をすぎて戸塚中継所に向かうあたりですね。テレビ放送だともう1月3日のお昼あたりです。おいおい、あと9区、10区しかないじゃないか。

つまり客観的にはもう押しも押されぬジジイなんですね、ところがどういうわけか、たまにしかやらないジョギングをしてると「なんだ高校時代とかわらんぞ」という気持ちにどんどんなってきて10キロ走ってしまい、まだマウンドに登って100キロぐらいの球は投げられそうな気もしてしまいます。強がりでなく願望でもなく、普通にまじめにそう信じられてしまう俺って何なんだろうと思うわけです。

これはやっぱり性格だろう、楽天的にポジティブ思考に生んでくれた親のおかげだなという結論に至るのみであります。

せっかくいただいた性格だから命じられるままに生きてますが、ときどき邪魔してブレーキを踏むのが「プライド」ということがわかってきました。そんなのいまさら、とか、柄にもないとか、ですね。

迷わずにやったのが起業でありSMCでもあったのですが、もっとできることがあった。でもしょうもないプライドや自意識が邪魔したんです、アイツに言われたことはやりたくないとかですね。

『世界の村で発見!こんなところに日本人』という番組があって、いつ男が出てくるかと見てるとぜんぶ女性ですね。あれは男はむずかしい。男は自分の居場所を作るのにプライドをかけて戦ってしまうから、わざわざアフリカの奥地で現地の男とそれをやろうなんて思わないわけです。

では日本にいれば?60才にもなれば一応の居場所があって、そこに安住すればプライドは保てます。これをどう思うかです。

僕はプライドをかけて守るほどの居場所はもってません。いまの世の中、みなさん可愛いのは自分だけです。他人の実績や勲章なんか誰も関心ありません。そんなのを巌窟王みたいに守って死んで何になるのか、自分の心さえ許せば過去は全部捨ててしまっても実は何も失うものはないということに気がついてきました。

野村證券を辞める時でした、部員の前でそれを断腸の思いとかなんとかカッコつけて苦しいスピーチをし終わって、ああこれで俺は人生捨てちまったのかなという気がした、そしたら女性が小さい声で「すてきですね」と言ったんです。あれ何のことかわからなかった。いま何となくわかってきたんですね。

ところが、男は捨てられない、守らないとプライドが傷つく気がする。それを守って死ぬのも立派な人生と思いますが、楽観的に生まれついてる僕はそんなのはキレイに捨てて、違う人生をやってみたいと本気で考えるようになってます。

仕事を変えるということではなく、生き方、人間を変えるということです。デビッド・ボウイの回顧番組があって、彼は6,7回も意識してミュージシャンとして過去を捨てて「別人」になってきている。あれすごいな、かっこいいなと思ったわけです。

僕は一生いまの仕事をします、それは変わらないが、デビッド・ボウイのスタイルで進化したいなあと思います。あと9区、10区しかない。止まったら駅伝はおわり。プライドはゼロのふぬけになってみよう。

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

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元宝塚の真丘奈央さんのコンサート

2016 SEP 11 23:23:39 pm by 東 賢太郎

先週は駆け足で海外に行ったり気疲れが多く、安らがない日々が続いている。スケジュールもくるくる変わったりで、今年からSMCの新メンバーにお迎えしたミクロネシアはポンペイ島ご在住のトム市原さんが来日されるものの、お会いできるかも危うい状況になった。

それが金曜の夜ならなんとかというのに落ち着いて、それならこれをぜひ一緒にというので行ったのが、元宝塚の真丘奈央さんのコンサートだった。

masaoka

 

 

なにしろ「保護犬・猫のためのチャリティーコンサート」というのがいい。僕は殺処分ゼロを断固支持する者である。人間の勝手で犬猫を飼っておいていらなくなったら捨てる、店で売れないから処分する、かように玩具や商品在庫のように動物の命を扱うのは人として悲しい。

 

 

僕は犬を飼ったことがないが、覚えていることがある。和泉多摩川の団地住まいのころ、七五三だったのだろうから3才のことになる。両親に連れられて羽織袴で橋を渡って登戸の神社へ行った。するとそこにいた茶色の犬が僕になついてきて、何が気に入ったのか、帰り道、いたずらで橋桁の上を歩いたりしながら戻って来たのに家の前までずっとついてきてしまったのだ。「飼いたい」と泣いてせがんだが、親父が頑としてだめであった。翌日、ひょっとしてと周りをあちこち探した。どこにもいなくなっていて、ひどくせつなかった。

あの犬はどうしてしまったんだろう・・・。3才の記憶なんてそうあるものじゃないのにこれは信じられないぐらい、昨日のことのようにはっきりとプレイバックできてしまう。なぜかと言うと、僕はその犬と気が合っていた。あっ、こいつがいたら毎日が楽しいな、いい友達になれそうだとひらめいていた。人だって動物だって、そんなことってそうあるもんじゃない。あれを親父が飼ってくれたら今頃は犬派だったかもしれないなあ。主催のNPO法人の方のスピーチを聞きながらそんなことを思い出していた。

真丘さんが宝塚スターだったということも、そもそも宝塚が何なのかということも門外漢の僕は知らない。しかし、結論として事実として、僕は2時間わくわくして楽しんだのだ。前から2列目で表情が良く見えたのも幸いしてか、自分は女の人が歌を歌っているその笑顔を見るのが好きなのだということがわかった。

オペラやミュージカルというのはずいぶんたくさん見たが、登場人物がずっと笑顔なんてことはもちろんない。怒ったり泣いたりしているのは無条件にいやだし、癒されたいときは宝塚のほうがいいのかもしれないなどと思ってしまった。そういえばお袋がこんなの大好きだ。遺伝かな。

というわけで音楽も楽しかったがこちらも心からの笑顔になって帰していただいた。心の漢方薬だ。ロビーで大勢のファンに囲まれる真丘さんに御礼のひとことぐらいと思ったが、女性ばっかりの熱気に圧倒され失礼してしまった。

そこから市原さんらと三鷹の駅前で食事。ご友人は「算数オリンピック委員会」のかたで、日中両国で毎年3、4千人の小学生が競うそうだ。関心ありますということでお別れした。

 
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いや~、そうはいっても、オカマもいますからね

2016 JUN 3 2:02:42 am by 東 賢太郎

 

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思考とは計算である (トマス・ホッブズ)

 

 

 

 

まったくその通りと思う。思考とは喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いとはちがう。ものを考えるということである。

学校の授業で、

「1足す1は?」 という問題に 「3かもしれない」と答える人はいない

「AまたはB、どっちが正しい?」 という問題に 「Cだ」と答える人もいない

ところが、現実社会には、こういう人が驚くべきほどたくさんいるのだということを僕は経験的に知っている

もちろん彼らはそういう意識は自分ではもっていない。持てるぐらいならたぶんそうはならない。

いや学校ではそうでしたけど、世の中は人が動かしてますから・・・

というのが、他人にそれを指摘されたときの反論であり共通の免罪符みたいになっているように思うが、それで幸福に生きている方々をとやかく言う気はさらさらない。

本稿は、あんまり幸福でも満足というわけでもないが何がいけないかよくわからない、もしわかるなら変えてみたい、という人々に書いている。

「1足す1は2」「AまたはBしかない」というのは決まり、決め事、いわば「原理」だ。「原理は絶対に変えてはいけない」ということにしないとそこから何か役に立つ結果を導いたり推論したりは絶対にできない、ということをまず頭にたたきこんでほしい。

どうして?「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」なんか私の人生に関係ないでしょ、と疑問をもった人はここでやめた方がいい。時間の無駄だ。

 

 

サッカーは手を使っちゃいけない、将棋の歩は前に一つしか進めない、野球は打ったら一塁に走る、こういうのはみんな決め事だ。どうしてもこうしてもないのであって、「そう全員が了解」してはじめてゲームが成立し、楽しめる。

つまり「1足す1は2」「AまたはBしかない」という決め事に「いや~、そうはいっても」とか「でも世の中ってさあ」とか「でもこう言ってる人もいるし」とか「ワタシはそう感じるし~」などと逃げる人、あるいは無意識に自分を逃がしてしまう癖のある人は「思考」というゲームに参加する資格はない。

ないんである、そんなものは

という厳然たるマインドが絶対必要なのである。「1足す1は2以外にない」ぐらいはそう思う人も多いだろうが「AまたはBしかない」は難しい。「CもDもあるでしょ」というのは実生活において自然な感覚だからだ。しかし、二者択一(二択)という、実生活ではあまりない状況にあえて落とし込んでみて、変数を減らして思考してみるというのは、意思決定においてはパワフルな方法なのだ。

その「あえて落とし込んでみて」というのが重要だ。これは人為的な作業だから、聞いた人は不自然だと感じるのだ。だからその有用性(変数を減らす)をわかってない人は、そこで本能的に拒絶してしまう傾向を見る。本能に理性が勝つようにすることこそ学校の数学の授業で訓練されていたことなのだが。

世の中は右か左かで決まるもんじゃない、柔軟な思考こそ大事なんだよなんてわかったようなことを言う人は、実はほとんどが何も決められない人である。だから自分で決めず他人に聞いたり従ったり支配されたり、それがいやで支配したい人は50人もいる御前会議を開いて赤信号みんなで渡ろうよになる。そこで出た結論は「思考」の結果ではなく、責任のなすりあいの結果に過ぎない。

ホッブズの言葉の通り、思考とは計算である。ゼロかイチかの二択(二進法)でコンピューター言語がなぜ書かれているか?単に計算に便利だからだ。それは二択が計算に「パワフル」なことを証明しているし、なぜそれが思考の結果としての意思決定にもパワフルだと信じるかというと、僕はホッブズの言葉が正しい、つまり「思考とは計算である」という前提に立っているからだ。

デカルトは「理性は計算できない」と言ったじゃないかと反論もありそうだが、ゼロかイチかの二択で書いた人工知能が将棋もチェスも世界チャンピオンを倒し大学受験もパスしそうだという現実は、彼は間違っているということを証明しつつあるのではないか。「そういうものは理性でない」というなら、では理性と理性でないものを二択で示していただく必要があるだろう。

喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いは感情であり「本能の領域の精神作用」である。それらが「計算できない」というのは本能的には正しいような気もするが、大学に受かったコンピューターくんが恋愛したり五月病になったりもするようにプログラム化ができないと考える人は科学者にはいないだろう。

2045年に1000ドルのコンピューターの演算能力がおよそ10ペタFLOPSの人間の脳の100億倍に達し、技術的特異点(シンギュラリティ)に至る知能の土台が十分に生まれているだろうとのレイ・カーツワイルの予測は有名だが、そこでは我々が神秘的な「本能」と称しているものもゼロかイチかの二択で書けてしまう可能性はある。

二択を原理として適用して思考する。この程度のことはできないと本能だけの人間になり、やがて誰かに支配されるだろう。誰かは人間、コンピューターのいずれかだが。「支配されている私を幸せにする義務があなたにはある」なんて支配者にほざいたところで、あなたが救済される保証を用意するほど資本主義も法律も社会保障制度もお人よしには作られようがないだろう。

二択思考のわかりやすい例を示す。

「地球には男と女しかいない、二択だ」と言うと「本能だけの人」から「じゃあオカマはどうなんだ」とくるだろう。そういう人はそこで思考がフリーズするのであり、「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」という行程には入りようがない。そこで、それを言うなら、肉体は男だが精神は女の人をどう定義するかを決めましょうという行程が入ることになる。これが「あえて二択に落とし込んでみて」という人為的な作業だ。

すると、「日本において出生時点では女より男が5%ほど多い」のはなぜだろうという問いに対して思考を加えることができるようになる。男>女は世界でもそうだが日本の女性出生1人に対する男性出生数は1.056人で、世界ランキング第60位なのはなぜだろう?という次の問いと思考が生まれるだろう。そして、このグラフ(日本人の女100人に対する男の数、総務省統計局)をどう説明するのかというさらなる思考へ発展するだろう。

danjyohi

「いや~、そうはいっても、オカマもいますからね」という人がこの思考に参加することはない。

ものを考えるとはそういうことだ。何か決めようとするときに「AまたはB」という命題に落とし込む(そういう努力をしてみる)。そして「Aではない」ことを発見したとする。ということは解は「Bしかない」ことになる。どんなに直感的にも常識的にもそうじゃなさそうに見えようと!これが信じられる人は数学的思考力がある人だ。学歴は関係ない。超高学歴で「オカマ組」の人を僕は数限りなく観察してきているし、その逆もしかりだ。

きっとそれを信じられるマインドというのは宗教に近いんだろう。特に八百万の神の日本人にとっては一神教みたいなもんだ。でも、この「しかない」という部分に値千金の価値があるのだ。「べつにCでもいいじゃん」という人にその価値は永遠に見えない。これが長い人生で大差になるのである。僕はもういいトシでもあり気も短い、そういう人はまっぴらごめんで話にもならないから二択するしかない。

こういうのは筋金入りの原理主義者ということになるんだろう。家の地下室で成り立つ自然法則は137億光年かなたでも成り立つと微塵の疑念もなく確信しているし、ホッブズが国家を人間の本性という要素から原理主義的に解き明かしたリヴァイアサンは好き/嫌いでいえば、好きである。

 

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