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唐の都、長安を旅して考えたこと

2023 JUL 29 7:07:53 am by 東 賢太郎

唐の都、長安。いい響きだ。いまは陝西省西安市になっているが、中国の京都、奈良であろう。司馬遼太郎の『空海の風景』は貪るように読んだが、いよいよ旅が長安までくると、街のこまごまを描写する司馬の筆のリアリティが少し鈍ってもどかしかった。何事も百聞は一見に如かずだ。やはりそこに立ってみて自分の五感で感じ取るしかない。あれは1998年のこと、香港からの出張で初めて西安に降り立った。三蔵法師ゆかりの大慈恩寺で大雁塔の前に立つと、遣唐使として派遣された阿倍仲麻呂や空海もここに立ってこの眩しい姿を仰ぎ見たに相違ないと思えてくる。自分にとってはペンシルベニア大学の校舎群がまばゆく、よし思いっきり勉強するぞと奮い立った若き日の青雲の志に重なる。しかしながらその一方で、なにやら見慣れぬ曲線を描く大雁塔の外縁の輪郭には異国を強く感じており、いとも不思議な感覚に迷いこんだことを覚えている。

西安の北東にある始皇帝の兵馬俑は圧巻である。写真の総勢は約6000人(桶狭間の信長軍勢の倍ぐらいだ)。2200年前の兵士ひとりひとりの顔が写実されているリアリズムには驚嘆しかない。そこまでさせた権力にも、しようと執着した執念にもだ。漢の時代に土中に埋もれて発見されたのは1974年。空海はこれを知らないが、彼が入唐した時点で1000年前の遺跡であった。東を向いているのは秦が当時の中国の最西端で敵は東だからとされる。不老不死の薬を求めて徐福を日本へ派遣し、子孫は秦氏になったという説は虚構とする否定派が多いが、来てないという証拠もない。証明されてないからなかったことに、という説は非科学的でしかない。

私見を述べる。現在シルクロードと呼ばれるユーラシア大陸の交易路網は西洋人のセンスで脚色されたコンセプトにすぎない側面もある。交流、交易は紀元前2世紀、つまり秦王朝の時代からあったのであり、人間も文物も混じり合っており、はるばるローマやペルシャから中国まで来る体力、気力、資産、技術、理由のあった異人と接していた秦国の人間が朝鮮半島、九州に足を延ばすことを躊躇したとも思えない。兵馬俑の人面も物語る。こんな微細な箇所まで強烈な執念で覆いつくす皇帝に薬を探してこいと命じられた徐福に逃げ道はなく、見つからなければ殺されるから戻ってこなかったのは納得でしかない。といって日本各地の徐福伝説を支持できるわけではない(そのどれかが正しかった可能性はある)、一行は来日してそのまま日本に土着し混血していったと思料する。

西安で食事を済ませて隣町の宝鶏市に向かった(下の地図)。当時は国道しかなく車を飛ばして2時間はかかったと思う(今は高速がある)。道はあっけらかんと一直線である。大学時代に、あまりに一直線で居眠りしかけて危なかったアリゾナ砂漠の道路を思い出していた。行けども行けども、道の両側は地平線の果てまでトウモロコシ畑である。うたた寝して目が覚めたらまだトウモロコシだ。「中国人はこんなに食うの?中華料理で見たことないけど」と運ちゃんに聞くと「豚のエサです」(笑)。宝鶏に着くと仕事だ。味の素みたいなグルタミン酸の調味料を作っている会社に増資を勧める。社長に工場を案内してもらった。ベルトコンベアが続々と白いものを流している。目を凝らすと首を絞めた鶏だった。

宝鶏は日本ではあんまり有名でないが、周王朝、秦王朝の発祥の地である。「岐山」がある(信長はここから「岐阜」の名をつけた)。古くは青銅器の発祥地であり、諸葛孔明が陣中に没した「五丈原の戦い」の舞台でもあり、太公望が釣りをしていた釣魚台もこのへんだ。三国志の頃に漢方薬(本草学)のバイブル『神農本草経』が書かれた地でもあった。戦国武将は中国史を学んでいたが、信長は安土城の天守の装飾絵を中国の故事にならったほどで、始皇帝を理想にしたかどうかはともかく両者は似たものを感じる。西安にあったはずの安房宮は完成せず、安土城は完成したが主は死んだ。歴史好きの方は西安とセットで訪問する価値のある処だ。

宝鶏から西は僕は未踏だが、甘粛省蘭州まで行くとイスラム系の回族が多い。始皇帝は目が青かったともいわれるが、これを知るとそうかなと思わないでもない。何をいまさらではあるが、西安(長安)はシルクロードの終点であり、中央アジア、ペルシャ、トルコを経てローマにつながっている。トウモロコシ畑の宝鶏~西安はマラソンならラストスパートの200キロだったのだ。中国の主要都市はだいたい訪問しているが、西安はもとより行きたかった場所であり強く心に残っている。たぶん春節の前だったのだろう、縁起物であるのと感動をとどめたいのとで、この丸っこいのを2個買った。

灯籠だ。でっかい。直径30センチはあってみな「本気ですか」と驚いたが本気に決まってる。家ではもっと驚かれたが、玄関に飾ってもらって満足だった。

西安、宝鶏を旅してみて、自分はなぜこんなにローマ好きで地中海好きでもあり、誰に教わったわけでもないのに狂信的西洋音楽マニアなんだろうと考えるようになっている。未踏のトルコ、中央アジアは文化も食べ物も興味津々で女性も綺麗に見え、料理はというといま熱烈にガチ中華にハマってる。幼時に鉄の匂いが好きだった趣味はレアだろう(線路と車輪に魅かれて小田急の線路に侵入していたが、鉄オタの息子によると僕は鉄オタとは呼べないらしい)。鉄といえばシルクでなくアイアンロードというのもあった。ヒッタイト発スキタイ(タタール)経由であり、技術を持った異人集団が出雲に来ると「たたら製鉄」と呼ばれた(タタラ場として「もののけ姫」にも登場)。出雲は何度か旅して惚れこんでしまい、コロナで頓挫したが映画の舞台にしようとタタラ場だった絲原家にお邪魔もした。なぜか磁石みたいに鉄に惹かれるのだ。地球上に存在する金やウランなど鉄より重い元素は中性子星合体によってつくられたものである可能性が高い(理化学研究所と京都大学)。鉄を通して僕の関心は宇宙へと広がっている。

結論として思う。こういうものはまぎれもなく本能だ。生まれてから後付けで覚えたわけでは全くない。DNAに書いてないと絶対にこうはならないと自信をもって言えるレベルに僕はある。両親はそんなことないから隔世遺伝ということになる。アズマはアズミでもあり海洋族安曇氏の説がある。神話時代から人種の坩堝(るつぼ)だった北九州から海流で出雲に土着し、さらに海流で能登にぶつかり安曇野、諏訪にも下った。父方は輪島だから可能性はある。性格は農耕型でも定着型でもなく、海洋族であって何の違和感もない。

いまはささやかに北池袋の「ガチ中華街」でもめぐっておれとDNAが命じている。そこで火焔山蘭州拉麺に行った。前述したイスラム系の回族が多い蘭州のラーメンだ。一番上の地図を見ると甘南蔵族(チベット)自治州、臨夏回族自治州(回族、チベット族、バオアン族、ドンシャン族、サラール族他の少数民族が居住)が蘭州の近郊で、そこだけでも人種の坩堝。父系遺伝子ハプログループDが相当な頻度で存在するのは日本とチベットおよびアンダマン諸島のみという興味深いデータがある。

 

西安では何種類か麺を食べた。名前は忘れたがゴムみたいに伸びるビャンビャン麺やら刀削麺だった。火焔山のラーメンも味の坩堝だ。イスラムは豚は食べないので牛肉麺であまり辛くはなく、パクチや香草(漢方と書いてあったと思う)が効いていてエキゾチックなスープだ。たかがラーメン1杯だが歴史と地理を知れば何倍も味わい深い。東京~西安の3倍ほど行けばシルクロードは走破できそうだがまあ池袋でやっとこう。

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