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カテゴリー: 若者に教えたいこと

先見思考なき大学も企業も潰れる時代になる

2022 APR 28 9:09:08 am by 東 賢太郎

(1)日本からは出てこない男

Elon Reeve Musk

イーロン・マスク氏がツイッター社の買収で世界の話題をさらっている。彼の資産は3,020億ドル(約38兆円)と世界一でトヨタの株式時価総額より多い。テスラ社の時価総額がではない、彼の個人の保有資産がだ。一代で作った資産額がその者の価値を示すという考え方の是非を言っても宗教論争になるだけなので、ここでは「それを否定はしないのが自由主義だ」という原則論に立つ。日本国もそうだと習ったように思うので、その見地から本稿を書く。

マスク氏の目下の関心はEV(電気自動車)ではない。宇宙旅行を実現するベンチャー企業立ち上げでもない。聞くところによると「火星に都市を造ること」である。こういうことを公言すると日本では真面目に精神状態を危惧されるが、僕は大真面目だろうと思っている。彼がペンシルべニア大学で物理と経済の学位を取った1995年はというと、さすがのアメリカであってもEVや宇宙旅行の事業化はホラ話という時代だったと思う。そう思わない男がいたからテスラ、スペースXがある。

トーマス・エジソンのライバルだった天才発明家ニコラ・テスラを社名にしたのは敬意からという。テスラ氏はオーストリアから、マスク氏は南アから渡米した。アメリカという国家にはそうして世界の英知を集めてあらゆる新機軸の培養器になる魅惑的な空気があり、僕はそれを留学して初めて嗅いだ。エジソン、テスラが今もいて不思議でなく、マスクがテスラになりたいとホラ話風情を吹いても奇異でも何でもない。真面目に取り合って琴線に響けば出資して夢の実現に手を貸してくれる大富豪のエンジェル投資家がいくらもいる。では彼が日本人だったらどうか?1995年当時、EV、宇宙旅行はドラえもんのネタにあったね程度の扱い、エンジェルを見つけるなど東京で野生の象を探すようなものだったろう。

 

(2)forward-thinker(先見思考型人間)とはなにか

僕が1997年のダヴォス会議に出席したことは書いた。まだ社内でメールを使い始めて1、2年、携帯電話はレンガの大きさの時代である。ここでまだ若かったマイクロソフトのビル・ゲイツ、インテルのアンドリュー・グローヴらの講演を聞き、彼らの生のforward-thinking(先見思考)に触れて電気のように感じるものがあった。それを忘れる前に書いておかなくてはと思いたったのがこのブログである。

重かったビル・ゲイツの言葉

いま本稿のために読み返してみて、おしまいにマスク氏を登場させていたことを忘れていたことに気がついた。彼はまだ大卒2年目でその時のダヴォス会議の出席者でもなく、2018年になって単にforward-thinker(先見思考型人間)の系譜の先に現れた新しい人物として思いついただけで、そういえば偶然にテスラという車に興味があって買ってみて、その先見性に大いに感心したことが契機だった。

僕は発明家ではないが、日本人としてはどうしても群れから浮いてしまう「その手の人間」である。世にない新奇なものが大好きだ。新しくて面白ければホラ話だって真面目に聞く。しかし、みんなが飛びついて「大流行」なんて手垢がつくともう興味ない。4年前にそれを書いたということはやっぱりねであり、ハタチそこそこの分際で投資の世界に飛び込む決断をしたのも先見思考だったのだと自己肯定する、そういう性格なのだ。そうでないと先の事なんて自信が持てないから新奇なことはできない。とすると自分自身が手垢のついた人間に堕落してしまう。それだけは死んでも許し難いのである。

 

(3)来年のことを言うと鬼が笑う国

アメリカで教育を受けてから日本の教育をふりかえってみて実感したのは、両者の最大の違いは日本が著しく非先見思考型(現状追認型)だということだ。来年のことを言うと鬼が笑う。アメリカは10年先のことを言わないと鬼が笑うのである。元来が未知へのアドベンチャーという性質を持つ科学という領域がそれを象徴する。アメリカが主導したSETI(電波望遠鏡による地球外生命体探査計画)は第2ステージに入り、直径500mの世界最大の電波望遠鏡「天眼(FAST)」を有する中国が参加している。いるかどうかもわからない宇宙人がいつ返事をくれるかなど誰がわかろう。百年、千年先かもしれない。そんなものを真面目に論じたら鬼に食い殺されそうなのが日本という国だ。まして国がカネをかけるなど発想の出ようもない。現にスパコン予算ぐらいのことで騒動がおき、戦争のさなかのいま、国民の命を守る防衛予算GDP比2%すら物議をかもす国だ。もしも志ある科学者が「宇宙人を探します」とSETI参加予算案を国会で通そうとするなら、まずそのためにSETIなみの巨大プロジェクトを組む必要があるだろう。

そんな根深い足かせがどうしてできてしまったのだろう?注目すべきは、そんなものは中国にはないことだ。漢字や律令制や仏教や論語のように大陸から伝来したものではなくとってもニッポン的なものだということは特筆に余りある。ということは大陸の影響が半端でなかった奈良時代までそれはなく、名実ともに独立国となった平安時代以降にできたということになる。なにしろ「先見思考」を鬼まで持ちだして諺の同調圧力で否定してしまおうというのだから凄まじいではないか。理屈よりも情緒を重んじる日本人だ。屁理屈で「来年」なんか考える暇があれば田植えに行けと戒めるのはわかる。しかし21世紀にそれをしていると国は滅びるのだ。ではどうしたら変われるんだろう?本気で変えようと思うなら、きちっとした方法論に則る必要がある。まず、ニッポン的なものの生成過程を分析する。そして、その良さを損なわぬよう注意を払いつつ21世紀にフィットするよう修正することだ。それをリバースエンジニアリング(逆行工学)というが、第二次大戦で英米が不倒の難敵と恐れたゼロ戦を捕獲し分解してそれを行ったように科学的に有用な方法とされる。

それをやってみよう。この根深い足かせは千年もかけて培養されたのだから分析の端緒は歴史の解明にある。次に、それは思考バイアスだから生まれた国の文化の影響を受け、その伝播は言語と教育を通じてであることを知る必要がある。日本語という言語についてはすでに論じた(添付)のでそちらをご参照いただくとして、本稿では教育を論じることになる。日本語は変えられないが教育なら可能だから重要だ。ちなみに、「カネもうけはけしからん」、「人生の目標でない」という主張は、かくいう僕も大学卒業まではどちらかというとそちら派であり、そこまで変えるとニッポン的な徳育や美徳まで浸食するデメリットがあると思う。そこをチューニングしつつ新たな21世紀型教育を成型することは可能だ。それは最後に述べる。

なぜそうすべきか?これからの日本はそうしないと滅びると真剣に考えるからだ。鎖国して自給自足していた島国が開国を迫られ、加工貿易で国富を増やして資源を輸入し外患から国を守る。国民にはそれに適した教育を施す。これが「明治モデル」だ。4つの大きな戦争があったが、4つ目で国土が灰燼と帰しながら奇跡の回復を遂げたのはそのモデルが優れていたからだ。しかし、1990年から世界環境は急変する。円高定着と中国台頭で、今度は「加工貿易で国富を増やす」モデルが灰燼と帰したからである。しかもこれは非可逆的であり、奇跡の回復は絶対にない。したがって新たに「国民にはそれに適した教育を施す」必要があったのだ。ところが我が国の政治も企業経営も教育も、あたかも第二次大戦中に国民が神風の再来を持ち望んだ如く、30年も無作為のまま「奇跡の回復」を信じたかのように見える。それが平成の暗黒期だが、「平成」に意味はなく、以上のことが偶然に昭和天皇の崩御の直後から起きたというだけだ。

円高定着と中国台頭。これは誰の目にもvisible(可視的)だが、日本にとって不幸なことに、もうひとつの世界環境の急変がinvisible(不可視的)かつ劇的な衝撃力をもってひっそりと進行していた。通信のデジタル化である。情報伝達、処理、保存が天文学的に厖大化、高速化、複合化し、人間社会のあらゆる側面を根底から変革した。表向きはインターネット、携帯電話、SNSの普及など大衆社会の利便性改革の体裁をとっていたが、それはテレビに色がついたり扇風機がエアコンになるのとは訳が違う。大元が軍事技術の転用であり、国家的インテリジェンスに関り、暗号資産として通貨を代用するまでに至るのだから文字や蒸気機関の発明に匹敵する世界史上の大技術革命であったのだ。日本にとって不幸だったのはそれが英語世界で起こり、加速度的に進行してしまったことだ。「閉じた日本語世界」で実質的にいまだ鎖国している日本では「ネット社会化」というポップ現象と見え、インテリも企業もそうしたものと捉え、俺はパソコンはできんがねと威張っているうちに気がつけばガラパゴス化という名誉の孤立に至ってしまった。モノづくりの国ニッポンの威信をかけてシャープ株式会社がその名も「ガラパゴス」とつっぱったタブレット端末で失敗した2010年あたりで白旗が明白になり、そのシャープはついに台湾企業に買われてその子会社になってしまったのは皆さんの記憶に新しいだろう。

その時点で昭和天皇崩御から20年だ。その頃から急速に普及するスマートフォンの世界OSシェアはアンドロイド(グーグル)、 iOS(アップル)、機種シェアはアップル、サムスン電子が握り、日本勢などまったくもって「お呼びでない」。「鬼が笑う」などと笑っているとこんな惨状が待ちうけているのである。マーケットシェアは必ずしも利益シェアではない、頑張れば回復だってできるよという論者もおられよう。そうかもしれないが、しかし、そうした数値や可能性を含んで決まる株式時価総額はそうはいかない。イーロン・マスク氏がテスラ社を起業したのは昭和天皇崩御から約10年の2003年だ。その株式時価総額はいま120兆円でトヨタの3.3倍だ。まだハタチにもなってない同業の新興企業に世界のトヨタが一足飛びで追い越されたという事実は、株式市場というバクチ場で相場師があおってつけた値段の産物ではない。どんな角度から誰が「科学」しようとも、つまるところは経営者の思考回路の差が為せる業とする以外に解釈のすべがないものである。トヨタは最後の砦、日本の本丸であった。それが陥落したということは、「他は推して知るべし」なのである。

そこで日本企業は平成時代から没落を始め、「その原因が**だ」ともっともらしく論じて本を売ることが陳腐な流行にすらなっている。しかし、前述のように、この現象を偶然にリンクしただけの平成時代として切り取って論じてもあまり意味はない。そういう一時のエンターテインメントを提供するのではなく、子孫の生存を真面目に懸念する科学的視点を持った人ならば、そうなった歴史的原因があるのではないか、そして、そうであるならばリバースエンジニアリングなくして真相は解明できないのではないかと考えるのがこれから論じる先見思考なるものの姿ではないかと考える。僕はビジネスマンで歴史家ではなく史書を遍くあたる時間もないが、むしろそうでない故に時代を超えて全体を俯瞰できる視座はある。そこから観た景色として、日本国の非先見思考というのは平成どころか「平安時代」からあると考えている。非先見思考が科学、ロジックを忌避して感情、情緒を優先することに起因していることと、平安時代に世界に類のない和歌、小説、日記、説話の文学が出現したことは、どちらも平安貴族文化、思考形態にルーツを持つ共通の現象であり、現代日本人の精神構造に深く影響しているというのが僕の観察だ。10世紀の西洋にだって先見思考が普及していた証拠はないが、彼らにはそれがあったギリシャ・ローマという父祖があり、それがルネッサンスを経て現代西洋人の精神構造になったというのとパラレルの現象だと考えている。

日本で「鬼が笑う」と先見思考を止めてしまう動力すら働いていた背景には、何らかの宗教的戒めや日々の勤労の奨励という現実的なものもあるかもしれないが、同時にそうしたことは「をかし」の文学である枕草子の精神からすれば「をかしくあらず」(優美、理知的でない)であるとする美的感覚が潜み、その欠如を話者も笑うニュアンスがあるように感じられてならない。悪いと言っているのでなく、来年のことなどわかるはずがない、そんなことを真顔で言うあなたは優美でも理知的でもないねとマウントを取っている感じがするのである。ところが、そう書いてここで僕は立ち止まる。だってそう感じること自体が「平安時代的」なのであり、こうして、僕のようなそれを忌避したいタイプの日本人でさえその影響から逃れられていない証拠を提示してしまっているからだ。その根深さが伺われるのではないだろうか。

なにせ「来年のことなどわかるはずがない」とは「科学の否定」に他ならず、僕の人生観と真っ向から対立する。にも関わらず、僕は枕草子の愛読者で感性は平安時代と親和的だというアンビバレントな自画像の居心地悪さは、きっと多くの日本人が無意識に感じておられると想像している。ひいては、「理屈、理論、原理なんで面倒くさくて冷たくて堅苦しいったらないわね。そんなこと口にする男は大っ嫌いよ、フフフ」なんて清少納言女史の美意識そのままの現代女性から僕のような男はからっきしもてず、それでは困るので「だよね、人生、理屈じゃないさ」なんて飲み屋でカッコつけたりして滑稽に生きているのである。かように、実にこのバイアスを取り払うのは大変なことなのだ。しかし、そうしなければ我々の末代の子孫が、どう転ぶかわからない新たな地政学の中で先見思考に頼りながら道を切り開いていくすべが見えてこないのではないかと危惧してもいる。国ごとシャープの運命をたどるのではないかと。その産物が本稿なのだ。

そこでここから話はいったん歴史にそれて長文が更に長くなるが、リバースエンジニアリングであるのでご辛抱いただきたい。

 

(2)非先見思考の歴史

a.「第1の断絶」まで

奈良時代までは大陸(中国、朝鮮半島)がくしゃみをすれば風邪をひく強い緊張関係が我が国を支配していたことを知るのがすべての第一歩だ。思考のメディアである言語ひとつをとっても、史書は全て漢文(中国語)であり、話し言葉を書き取った「万葉仮名」も中国語の借用であり、日本列島に先住していた何者かがそれを「話して」いたことは確かだろうが、彼らは文字がなかったのでそうしたのだからそれを史書に書いた人達と同じ人達ではなく、先住者が留学(遣隋使)して持ち帰ったとされるが第2回遣隋使(607年)で中国人官吏(裴世清)が小野妹子とともに来日したように両者が混合してバイリンガル文化が創生されたと考えるべき時代が前・奈良時代(飛鳥時代)だ。遣隋使は隨が帝国であることを知っており、何よりそこへ行って中国語で会話しているのだから、ここで先住者と書いている者たちが大陸から完全隔離された人達であったはずがない(その理屈で国粋主義を辿っていけば人類の発祥地は日本になってしまう)。先住者はいて独自の文字なし言語を話してはいたが、大陸と混血し、中国語ができる人達が支配者として史書を書き、中国の都長安を模した都を平城京としてそこからを後世は「奈良時代」と呼ぶ。

とすると、

仏教伝来、蘇我氏の治世、聖徳太子の摂政、法隆寺建立、遣隋使の派遣開始、大化の改新(乙巳の変)、白村江の戦い、壬申の乱、 天智朝、天武・持統朝、大宝律令の撰定、藤原京遷都、和同開珎の発行、万葉集の作歌(初期)、古事記の原本編纂

はみな前・奈良時代、すなわち「大陸との混血のさなか」の出来事であったといういささかショッキングな結論になるが、もしそう思われるなら明治政府が国体の正統化のために強調した「皇統の万世一系論」にバイアスのかかった明治モデル日本史を信じておられると思う。宗教としてそれを信奉するのは自由だが、事実ありきの科学的姿勢でリバースエンジニアリングに臨む者としては排除せざるを得ない。

これに続く奈良時代は女帝である元明天皇によって始まるが、何かガバナンスに断絶があったかというとそうではなく、単に平城京(奈良)に遷都し、後世の歴史との整合性から首都の都市名を冠しただけで実体は変わらない。日本を「中華」とする帝国構造や東大寺の大仏建造が中国の最先端インテリジェンスとテクノロジーなくしてはできないことからも、大陸からの人の流入、混血は加速したはずだと考えるしかない。藤原氏の台頭、弓削道鏡事件など、我々はこの時代には王家の権力が浮遊し混濁し、混沌とした印象を懐くしかないのだが、それは流入加速の理由が白村江の戦いの敗戦にあるからで、1945年の米国の例を引くまでもなく敗戦国を戦勝国が支配するのは世界の常識だ。すなわち、663年から日本は唐の占領下にあったのである。GHQもしかりだが、占領軍は撤退するまでの歴史を編纂などしない。天災、天然痘、反乱に怯えて出家してしまった聖武天皇が唐のエリートや高僧・鑑真を率いて東大寺盧舎那仏建立を成し遂げたとは俄かに信じ難く、それは唐人GHQが植民地の唐化のために行ったものをそういうことにしただけだ。我々が習っているのは彼らではなく浮遊、混沌に追い込まれたサイドラインの王家が書いた歴史なのだ。それが後に正史となるのは混血で唐人の視点が合金の如く同一化して日本人なるものが形成されていったために、それがもはや合金には見えなくなってしまったからだ。

奈良時代の10年目に編纂された日本書紀には日本(倭)の古記録の他、百済の系譜に連なる諸記録や中国の史書の記述が混入するが、実はそれは混入ではなく合金化で、背後には政治的目的から日本国を既存のものと塗固すると同時に、王族が混血したことで父祖の民族の神話や歴史が自然に合体、融合したためでもあった。歴史学者・久米邦武(1839~1931)が『上宮(じょうぐう)太子実録』(1905年刊)のなかで、「飛鳥・奈良時代に中国に渡った僧侶が、当時、西域(さいいき)をへて中国にまで伝わっていたキリスト教のことを知り、聖書のイエス伝を太子伝に付会したと考えるのは決して荒唐無稽なことではない」と述べているように、聖徳太子の誕生を未知の王族の子が馬屋で誕生した逸話になぞらえた蓋然性が高いとするなら、大陸の王族との混血の事情なしにそれを国史に記す動機を探すのは困難だろう。現に、上皇陛下は2001年に韓国について「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている」と発言されて混血が事実であることを認めておられるが、むしろ当時の列島と半島には別々な国家という概念がなかったからのご発言であり、「混血」と記すのは後世のバイアスだとお断りするのが真相に忠実なスタンスであろう。

ちなみに歴代8人いた女性天皇のうち6人がこの「流入、混血期」に現れているのは興味深い。これもご参考だが、8年前に訪れた天皇家の菩提寺である泉涌寺の奥の間に掲げられた系図で、びっくりするものを拝見した。それはここに書いてある。

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

以上のことから、「奈良時代までの我が国が独立国家だったか」というと甚だ心もとないと考えざるを得ない。もとより国家なる概念など当時はないからその問いは発する意味がないとすることもできる。その前提に立ちつつ、あえて国家という鋳型を用いてみるなら、権力(ヘゲモニー)を握った者がその地に従来からあった「国家のようなもの」を自らが新たに統治する正統性を確立したことを、それを脅かす者に向けて「独立国家だ」と主張しているに過ぎない。これはたまさかいま起きているウクライナとロシアの関係を想起させる。コサックである前者は厳密にはロシア人ではないが、長期にわたって混血しており、ソ連という同じ屋根の下だった時代もあり、いまはユダヤ系大統領を頂いて民族とはやや乖離したガバナンスを守るべく戦っている(ちなみに「早く降伏しろ」などと言った馬鹿な政治家がいるが、ガバナンスを譲れば敗戦国は人民に至るまで殲滅されても内政干渉できない。無知蒙昧にもほどがある)。

桓武天皇が京都に都をおいてから外憂が緩和され平安の時代となり、史上初めて現代の我々が日本国と意識している国体のようなもの(そんなものは当時はなかったが)ができた。これは名実ともに我が国が独立国家になった日本史上最重要の事件であるが教科書にはそう書かれていない。その原動力は国内ではなく唐の滅亡という外的要因にあったからだが、天皇の万世一系による国体という史観からそうは書けず、仮定の話だが、もしいまロシアが倒れてウクライナが無事であったらゼレンスキーは史書にそうは書かないだろうということだ。しかし「平安時代」が現代日本の始祖だった特殊性は名称にひっそり刻印されている。日本の時代は権力の所在地によって飛鳥、奈良、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と呼ばれるのに平安と明治は京都時代、東京時代とは呼ばないのは、その2か所でヘゲモニーの断絶があったからだ。「国家のようなもの」が「国家」になったのが「第1の断絶」であり、平安の時代という陰の認識は大陸からの独立を象徴している。このことが日本人(当時の列島に住んでいた人々)に与えた安堵感、希望は1945年の終戦を迎えた我々の両親世代のそれになぞらえてもそれほど的外れではないだろう。

つまり、その事大性をよく理解しなくては桓武天皇が詔によって新都を「平安京」と命名した意味がわからない。外国の軍勢に攻め滅ぼされたり大化の改新のようにクーデターを起こされたりがない天智天皇系の世になったということだ。つまり、中国でも朝鮮でも日本という国が意識され、日本語が確定し、女性用の仮名文字までできた。それらのことは支配者の空間である朝廷でおき、天皇を中心とした貴族が心の平安を享受し、恋愛を楽しみ、遊ぶ余裕が生まれていた。明日の命の心配がない。朝廷内にいても敵、刺客からの防御を考える時代が終わった安寧。そうでなければ女官がそれらを題材にした小説を書こうなどという文化が生まれるはずがない。つまり、源氏物語が書かれるのと軌を一にして、朝廷では先憂のための先見思考の必要性は薄れていったのである。その貴族の精神風土が日記、説話、紀行文に記述され、後世に伝わる。我々が「平安時代」と認識する原典はそれだけだ。後世が日本文化の成立とそれらを結びつけ、慈しみ、心地良いと思う感性はその過程において非先見思考をもって心の平安、やさしさ、おだやかさとし、そうである人を良しとする日本的精神風土としてじっくりと醸成されてきたのである。このニュアンスは今でも「京ことば」の柔らかな響きとして感じることができる。

b.「第2の断絶」まで

その新たな政権のヘゲモニーは源平の台頭から征夷大将軍(武士)が握るという変質を経ながらも徳川幕府が滅ぶまで続いた。そこで東京時代とは呼べない「第2の断絶」がやってきたのであり、陰の認識はそれを隠しきれずに明治維新、明治時代と呼ぶことにしたのである。司馬遼太郎は鋭敏な嗅覚でその刷新の思考の先進性が断絶前のヘゲモニーと異質なことを嗅ぎ取り、それが推進力となって成し遂げた白人の国への戦勝に至る昂揚を「坂の上の雲」に記した。僕はこの小説が好きだが、司馬がその昂揚はもはや過日のものと昭和後期に回顧した淡い寂寥を何倍にもしてこの部分を書かなくてはいけないのは本旨ではなく、さらに論考を進めるためである。

唐が滅び平安の世になって外憂は去り、源平が出現すると列島内部でのヘゲモニーの奪い合いが700年近く続く。明治に至るまでの武士政権がそれである。安土桃山時代だけを戦国時代とするのはミスリーディングであり、ずっとそうだったのである。なぜならそれは平安京で創造され連綿と継承されてきた非先見思考的な平面のレジーム上のせめぎ合い、同じ盤上のゲームの「武家バージョン」であり、源氏、足利、徳川と政権は変わっても鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府という朝廷を頂点とした「征夷大将軍の名によるガバナンス」で、なんら質的な断絶はないからだ(初代将軍の坂上 田村麻呂が桓武天皇の忠臣であったことがそれを雄弁に物語っていよう)。その唯一の例外が、征夷大将軍にならなかった織田信長である。彼は中国の古典を好んで範とし、新奇なものを好み、宣教師から西欧の知識を学んでリアリスティックな世界観を形成して現状追認の延長線上に敷衍できる天皇、朝廷の枠組みを超越した「天下布武」のヘゲモニー構築をモチベーションとした。すなわち、日本史上類まれなる先見思考型リーダーだったのである。彼の戦法は奇襲とされるが、小よく大を制すための合理性が非先見思考をする大方の日本人にそう見えるだけだ。源氏、足利、徳川にそれはなく、朝廷の官位である関白になった秀吉も、型破りには見えるが彼らと同じ盤上のゲーマーにすぎない。

つまり、信長の不慮の死をもって平安から江戸までの間は同じ非先見思考的な平面のレジームが続いてしまったのであり、地球的規模で考えればそのニッポン的閉鎖空間はなにも徳川280年の鎖国のせいばかりではない。平安時代の始めから明治維新まで1000年ものあいだ日本は精神的に鎖国していたのである。それを破壊して明治維新にもちこんだのは薩長土肥の下級士族だった。彼らは下級であるゆえに既存のレジームは自分の出世には確実に結びつかない無用のアンシャンレジームと見ており、阿片戦争を見て「このままじゃ日本国もやばい」と踏んだことになって美化されているが(もちろんそれもあったが)、むしろフランス革命におけるブルジョアジーに近い位置にあったと僕は考えている。つまり国家の窮状を奇貨としてゲームチェンジャーになる好機ともとらえた。だから阿片戦争での恐れるべき敵、元凶であるはずの阿片売人(英国)を取り込んでバックファイナンス、武器供与を引き出し幕府を倒したのである。先見思考力があったからにほかならない。

c.「第3の断絶」まで

言いたいことは我が国には平安時代から先見思考がなかったことだ。そうであったのに、いま、にわかにそれの欠落が問題と指摘せざるを得ないことになっている。それは地球上の経済、社会活動に革命的な変革が起きたからであり、それは我が国ではたまたま平成時代に当たっていたことは既述した。では具体的に何があったのか。世界のあらゆる物事がデジタル化、IT化し、AIが人間社会を侵食しはじめ、人類の思考回路までデジタルの影響下で変質したのである。さらに追い打ちをかけるように、人間同士の接触を避けたコロナ環境下でリモートの有用性、利便性が認識され、大都会への一極集中はナンセンスという思考が生まれつつある。経済活動も金融も医療も企業の本社機能も分散化(decentralize)され、地理的に政治権力と乖離して成り立つと社会が認識するようになり、そう遠くない先に、目には見えない機能的、非物質的な形で東京時代は終焉を迎えるだろう。

どういうことかというと、リモートワークが常態化して出張もリアル会議もリアル営業も不要になった会社が温暖化を避けて東京本社を札幌に移し、幹部も社員も家賃の安い故郷の地方都市に個人で分散し、サーバーは宇宙に置き、給与は自社コインで銀行を経ずに支払い、社員の健康診断や医療はリモートでロボットが行い、人事・財務・経理・総務・法務・コンプラはAIででき、よって中間管理職の仕事は消える。経費は劇的に減り社員の自由時間は増え、地方都市で東京の給与がもらえるから誰も文句はない。このグローバル版もできる。高い地価や家賃を払って東京に機能を集中すると株主総会で叩かれることが外的推進力になる。役所はなじまないなどと言ってると人が来なくなるから取り入れざるを得なくなり、東京の役目はdecentralizeされ居住人口は半減する。これが「第3の断絶」で私見では2050年ごろにそうなる。どこに分散移住し機能をどう効率的にストラクチャーするかが企業価値に重大な影響を及ぼし株価も左右する。先見思考できない経営者はまったくアウトであり、政治家もしかりである。

そんなさなかにデジタル庁を設立しますと、30年前に先見思考できなかったどころか30年たって10周遅れぐらいになっても気がついていないことを世界に発信する我が国とはいったいなんなのだろう?デジタル庁の助けが必要なのは国民より政府だろう。日本語でスマホを使ってラインやSNSをやる程度がIT化だと思っている政治家、役所、マスコミのITリテラシーの「貧度」は英語力のそれと高い相関係数があるという観察には僕は自信がある。官僚は東大卒だから世間からは英語ができると思われていようが、それは読み書きだけの話であって、聞く話すはとてもだめでそれこそ話にならない。その英語と同じぐらいITにおいてアメリカはおろか中国、台湾、韓国、ひょっとすると北朝鮮にも置き去りにされているはずである。

テスラがトヨタを抜いた理由は何も自動車業界のディファクト争いの勝ち負けにあったばかりではない、国民的にデジタル思考がなく、30年の暗黒時代を無為無策で過ごした上に20年前から勃発したデジタル革命にも完全に乗り遅れた象徴でもある。それをほとんどの日本人が気づいていない。なぜか?そう報じるべきマスコミこそ英語もITも劇的に音痴な業界で、自分ができないことを報道しろと期待する方がのっけから無理なのである。なぜそんなことになっているかというと、政治、役所、マスコミは三つ巴であって、その思考回路は「明治モデル」のままだからだ。明治時代は英語の「聞く話す」は通訳の仕事で、だからそれを養成する外語大がある。キャリア官僚は自分が英語を使わなくてもいい。同様にアートは芸大だがいまだに国立西洋美術館がある。「西洋」を冠しているうちは「明治モデル」(=鹿鳴館)の思考回路ですべてが回っている証拠である。ここまで書けば結論は予測できるだろう。英語とITは彼らの意識の中では自分がやるものではない。「通訳にやらせろ」の明治モデルだから、ITの必要性だって同じ思考回路で処理されており、政治、役所、マスコミのリテラシーが高いはずないのである。

ではなぜ明治モデルから脱却できないのか?答えは簡単である。そう教育されないからだ。なぜされないかというと、教育者が明治モデルによって再生産されるからである。このことに関しては前述のように、「カネもうけはけしからん」、「人生の目標でない」と、かくいう僕も大学卒業まではどちらかというとそちら派であったという事実を噛みしめるしかない。「そちら派」が明治モデルの優等生であり、僕は劣等生だから「どちらかというと」程度で済んでいて、「通訳が」でなく自分で英語を操り、「そちら派」と対極の世界に身を投じた。そのおかげで頭の中で宗教革命が起こり、先見思考型人間に生まれ変わることができた。そして実に幸運なタイミングでやってきたデジタル化という世界史上の大技術革命が金融で第二次革命を起こす「暗号資産(コイン)」なるものに思い切り投資しているという現在がある。指摘しておくが、暗号資産は世界の決済、貯蓄の仕組みに大革命を起こす。これは最早どの国家も止められないから米中は通貨主権、KYCなど表向きは懸念を表明しながら実は取り込みにかかっている。こういうことは大学の先生に聞いても知らないわけで、それと一体である政府はなおさらそうで、日本は金融という生命線で起きている仮想通貨競争でも先進国の中ですでに断トツのビリである。しかし、僕だってそうなってしまう空気は想像することぐらいはできる、なぜなら明治モデルど真ん中の大学にいたからであり、留学もせず学校の先生になっていたら疑問もなく明治モデルで学生を教え、いまごろ「世の中カネじゃない」というブログを書いていたろう。

 

(3)非先見思考は付加価値(おカネ)を生まない時代になる

ここでやっと教育の話になる。先日の日経新聞に「私大、4分の1が慢性赤字」という記事が出たが、文科省はこれに対しどんな策を講じるのだろう。その答えも読者はもうご賢察だろう。そう、明治モデルの優等生として教育された文科省の役人も非先見思考型であり、慢性赤字の原因がそこにあるのだからそれはどう贔屓目に考えても解決せず、人口の減少と軌を一にして大学は数が減るという結末になるだろう。器だけ足したり引いたりしても中身は変わらないからだ。もともと学生が先見思考できるアメリカでは大学は彼らを惹きつけるためにビジネス界と表裏一体で人が行き来しており、学生はもちろん教授がベンチャーを起業しているなど日常茶飯事だ(ノーベル物理学賞の中村修二先生もそう)。それができない干からびた学問を武士は食わねど高楊枝みたいな先生が教える大学に高い学費を払って学生が集まるとすれば、それは学問ではなく宗教と呼ぶべきであろう。大学の権威で学生が来ると思っているのが明治モデルの特徴だが、日本でも優秀な学生はもうそれでは自己実現どころか食えないことを見ぬいており、権威の権化であるキャリア官僚ですら志願者が減っている。どこからこのままで大学が生き残れるという結論が導かれるのだろう。

非先見思考型(現状追認型)教育は何が悪い?と言う明治モデル優等生の人にはシンプルな質問をしよう。

明るくない現状を学んでどうしてカネが稼げるのだろう?

カネ?それは学問の目ざすべきものではないだろう。すべての学問は意味があるから存在しているし、少数ではあっても学ぶ人がいて欲しいとも思う。しかし、人間は霞を食って生きられるわけではない。無欲の人だけが公職につくわけでもない。ここで言うカネは生命維持をあがなう最低限のライフラインではなく、努力して勉強して良い教育を求めるのは良い暮らし、良い人生、プライドのためだろうという文脈において、それらを満足できるレベルであがなうための資金調達という意味で僕は「カネを稼ぐ」という表現を使っている。それを得たいと思うのは、多くの人にとって、自然なことだろう。そして、強い国は少数の学者でなく、多くの人が作って支えるのだ。もう一度だけくりかえす。「加工貿易で国富を増やす」モデルは灰燼と帰し、これは非可逆的であり、奇跡の回復は絶対にない。したがって加工貿易時代の現状追認型ビジネスモデルが利益成長を生むことはもうない。ということはそれに適した明治モデルの教育で全優を取ってもそれに費やす時間と努力に値する報酬はもはや得られず、優秀な学生ほど先見思考型教育を求める時代にすでに突入していることを意味する。

では、その報酬を得るためにはどこで何を学べばいいのか?この問いに、ビル・ゲイツは四半世紀も前のダヴォス会議で明確に答えている(ご興味あれば上掲ブログに書いてある)。1997年は平成9年だからまだ世界史上の大技術革命が起こる前であり、先見思考型のゲイツはそれを的確に予測していたということであり、それができるから事業に成功して大金持ちになったのであり、その時点で日本が国を挙げてそれに耳を貸していればまだ光明を失わない余地はあった。若者が夢のない国とこぼすようなことはなかった。ビル・ゲイツがそこまで先見性ある人物であることを当時は誰も知らなかっただろう。僕もそうだった。ただ、同じ1955年生まれの彼の言葉にいささか刺激を受け、同行されたK常務と「そうなるかも、ならないと日本はやばいかも」と未来ビジョンを延々と語り合ったのは覚えている。

そういうこととは無縁である明治モデル教育を受けて社会に出た平成時代卒業生がもう50代になって企業の中枢にいる。そんな企業が世界で勝てないのは自明の理なのをご賢察いただけようか。ベンチャーもお寒い。数はあるにはあるがNASDAQでユニコーン(時価総額10億ドル)になれそうなのは見たことがない。アイデアに光るものはあってもグローバルに経営する視点がない。要は英語力もないし無国籍ビジネスという思考ベースもない。そんなことでユニコーンになれるほど世界のコンペは甘くないのである。そもそも自分でベンチャーを起業して大企業に数百億円で売却できる中村先生のような教授がひとりもいないのに学生はそれができるようになる秘法でも日本の大学にはあるのだろうか?そんなものがあるはずないことは世界のビジネス界の常識だ。そしてそれを知らないのが日本の大学の特色なのである。だからソナーは海外の会社ばかりに投資してるのだ。国賊なのではない、ないものは買いようがないのである。

というわけで、学生は将来なにで飯を食おうか考える。おおいに迷う。男子は食えなければ結婚すらできない時代だから一種のライフラインのレベルの話でもあって、迷って当然だと書いてもそう反論はなかろう。私大の志願者が減っているのは少子化のせいとするのは陳腐な言い訳だ。そんなのは始まって久しいからだ。そうではない喫緊の理由があるはずであり、それはその大学を卒業しても将来飯が食えないと受験生が判断しているということに他ならないのである。それでも受験してくれる現状追認型の学生は労働力(フォロワー)としては必要だが、そもそもビジネスにならないことに詳しくてリーダーになれる国は世界のどこにもない。教養が大事などと言ってる余裕はない企業もそういう採用をするようになるだろう。

 

(4)forward-thinker(先見思考型人間)になる方法

ではキーとなるforward-thinking(先見思考)とはなにか、それを説明しよう。シンプルに言えば「明日世界がどうなっているか考える」ことだ。そんなこと誰が分かる?そう思うのが典型的日本人だ。分からない。だから考えない。何か起きてしまうかもしれない。その場合は起きてからじっくり調査しよう。その結果を見てみんなで考えればいい。そして待つんだ、台風一過を!

皆さん、この10年に起きた事を思い出されればいい、福島原発事故、各所で起きた豪雨・土砂災害、そして何より政府のコロナ対策。みんなそれだ。行き当たりばったりで、起きてから右往左往する。国民向けには「専門家」なるあまり専門知識があるとも思えない面々がテレビでああでもないこうでもないと井戸端会議をやる。いずれにせよ、それで何も解決しないのだからその知識や蘊蓄を知っても何にもならない。

先見思考の人にとってテレビ番組で役に立つものはない。なぜなら報道は「過去~現状」を伝えるだけで、明日の話は天気予報だけだ。リーダーになったりカネを稼がせてくれるのは明日を洞察するインテリジェンスであるが、それはかけらもない。非先見思考型教育はそれに非常に近いものなのだ。どうしてそうなっているかというと、ここにも根深い理由がある。明日の洞察は「ドタ勘」でするわけではない。論理的根拠に基づいた「仮説」を立ててするのである。格好をつけてそれを「モデル化」などと呼ぶことがあるが名前はどうでもいい、大事なのは、論理的根拠を探すにはある程度の数学が必要ということだ。線形代数だベクトルだ微積だ確率論だ、はたまたそのどれが必須だというのではない、そういうものをじっくりやった人だけが持っていて、話すとお互いに「やった人だね」とわかる数学的思考力が必須なのだ。

 

(5)平安時代の教育はやめろ

そう思って若い人のために、2017年にこのブログを書いた。

理系の増員なくして日本は滅ぶ

ズバリ言うが数学なき文系という超日本的なジャンル分けは学生のためにならないからやめろという趣旨である。”文系” とはいかにも平安時代的な、清少納言の「理屈、理論、原理なんで面倒くさくて冷たくて堅苦しいこと口にする男は大っ嫌いよ」的な精神風土に親和性のあるコンセプトだ。文系科目が不要というわけではない。理屈、理論、原理を理解し、それを根拠に推論するベーシックな回路を頭に構築しないと「明日世界がどうなっているか考える」ことなどできるはずがないと当たり前のことを言っているだけだ。どういう経緯かは知らないが、早稲田の政経学部が2021年の入試から数学を必修科目にしたと聞く。受験者は減るだろうから英断と思うが、この時代に「教育の品質」を守るためには必然の策だろう。マル経、近経を教えることは今どきは非先見思考型ですらなく、「何時代の学問か?」というのが世界史の設問になるだろう。北京大学の子に聞いたらマル経はありますが哲学科ですねと笑われた。僕がいかに学問する価値、教養の涵養が重要と説いてきたかは以前からの読者の皆さんはご存じだが、しかし、何経済学であろうと結構だが、目下の激しい円安をモデル化によって先見できるエコノミクスとできないエコノミクスを並べられれば、学生はどちらを履修したいと望むだろうか?ということではないか。

そういう観点から断言するが、高校数学もできない学生がそもそもエコノミクスをやるなんてアメリカのトップスクールではジョークだ。数学は計算問題を解くのがうまいへたを決する科目ではなく(僕はヘタだ。そういうのはパソコンやソロバン名人にまかせたい)、論理的思考に強い弱いを決定的にする、つまり人生航路の有利不利に大きく関わる学科である。なぜなら、くりかえすが、未来予測はモデル化という数学的思考が必須だからである。これからの時代はそれが価値を生み出す。それが当たるか外れるが問題なのではない、そういうアタマがないとそもそも社内会議にすらついていけない世の中になるのである。現状追認科目を丸暗記だけしてロジックに弱い人は、AIに真っ先に淘汰されるか、下請け作業をするだけの人材になる。そこからテスラは生まれないだろうし、そうした教育であれば高校までで十分可能であり、大学でやる必要さえないと思う。

 

(6)GAFA創業者たちの教訓

もう少し若い人に分かりやすく書こう。今流に言うなら、求められるのはどんなタイプの人か?インフルエンサー、キュレーター、クリエーターの3種類だ。それがforward-thinkerに近いと考えていい。いくらでも情報があるネットで他人と同じようなことを言っても面白くも何ともなく、フォロワーの数は増えない。同様に事業だって、人と同じようなことをやっても成功しないからだ。すなわち現状追認型はすべからくダメなのである。イーロン・マスクはまさに3種類どれもに当てはまる資質の人物であり、仮にyoutuberになれば世界中の若者が熱狂するだろう。そうなった場合の膨大な数のフォロワーがテスラの顧客であり株主だという感じで把握すればいいから別に難しいことではない。ただ、単なるyoutuberとGAFAの創業者たちが違うのは、彼らは異口同音にこれからの経営者が学ぶべき学問は数学と哲学だと数年前のダヴォス会議で述べていることだ。その両方がforward-thinking(先見思考)にとって必須科目であり、その十分な修得こそがリーダー(経営者)の条件だと言い換えればおおまかな想像がつくのではないだろうか。そして、会社において、どんなにクイズや雑学に強かろうと、計算が速かろうと、おべっかがうまかろうと、これからそれができない人がなれるのはフォロワー(一般社員)だけである。

GAFA創業者はみな米国の大学で学んでいる。元々forward-thinkerだった彼らが学びたいという教育を施せる教授がそこにはいたからだろうし、ゲイツのハーバード、マスクのスタンフォード退学はそうではなかったからだろう。そうなれば大学の評判まで落ちるから米国の大学教授はPublish or Perish(論文を書け、さもなくば辞めろ)という熾烈な環境で競争させられ、学期が終わると(僕もしたが)、学校は学生に「この先生はいかがでしたか?」と人気投票させる。サボる先生に容赦はない。しかし日本の大学教授にそんな試練はない。そのぬるま湯ゆえに「先見思考のカルチャーがない、教育者がいない、人材が育たない」を放置し続け、世界のビジネス環境が激変しているにもかかわらず現状追認型から一向に変化の兆しがないまま30年たってしまったというのが日本沈没の、表に出ないバックヤードだったのである。ビジネスとして赤字の私大が続出する時代にこれから突入していくのは物の道理だろう。

forward-thinkerが新たな需要・産業・商品を生み、ベンチャーを起業しまたは既存企業を経営しなければ経済は成長しない。主役は企業以外にない。これは日本を除く世界の常識で、あえて書くのも馬鹿らしい。明治時代ではあるまいし政府や役所が成長政策のペーパーを何百枚書いても、自分のカネでリスクを取ってそれをしてくれる人がいなければ何も起きない。だからこれからの大学は優秀な役人ばかりではなく先見思考型の企業家の育成に寄与する教育を求められる。ということはそこで教える教授陣が論理思考に強いforward-thinkerでなくてはそもそも話にも何にもならないのである。これからは大学を志望するのでなく、あの先生に習いたいからそこを受験するという時代に確実になるだろう。

 

(ご参考)

ドルが急騰!(日銀が指し値オペ予告)

株式道場-未来を原理思考しない日本人-

日本は「反知性主義」によって戦争に負けた

 

 

 

昨日パレスホテルで「しなかった」スピーチ

2022 APR 9 14:14:49 pm by 東 賢太郎

きのうは会長をさせていただいている某社のパーティがパレスホテルでありました。オープニング・スピーチを仰せつかっていたのでお話ししようと思っていたテーマがあり、壇上に立ってマイクの前でさあ始めようと思ったその時です。照明の具合もあったのかもしれませんが、その場にいる皆さんの顔がぱっと輝いて見え、「ここにいる人たちは運があるな」と思ったのです。そこで急遽そのテーマはとりやめ、感じた通りのことをお話ししました。

だいたい僕の直感は当たるのです。だったらそれを喋った方が皆さんにとっていいわけですね。これを読まれている社員もおられるでしょう、「喋らなかった方」もここに書いておくので昨日の話といっしょに覚えておいてください。「通貨と暗号資産の価値」のことです。暗号資産はこれまで仮想通貨と呼ばれてきたように「仮想」のものでフェイクで実体価値がないと指摘されますね。それは債券や株式と比べればたしかに事実かもしれませんが、それを言うなら法定通貨だってただの紙なんですね。戦争や財政破綻でデフォルトしかねない国家の保証よりも、ブロックチェーンで数学的に価値を証明されたものの方が実は安全かもしれず、そう考える人が増えれば増えるほど、安全性も増していくんです。今回のウクライナ危機でルーブルが乱高下したことで世界が痛感したことです。

世界の資産家の間ではそういうことはすでに常識になっています。ですから暗号資産はこれから世界の金融資産の一部を構成するようになっていきます。誰かが頑張ってそうなるのではなく自然な流れとしてです。残念ながら、日本はそうした金融知識の面では「超低開発国」なのですね、だからそう説明されても理解して実行できる人は日本ではものすごく少数派なんです。それは誰が悪いわけでもなく、ものの考え方という文化ですから仕方ありません。40年もその業界にいてそれでは日本人の幸福にはならない、変えなくちゃいけないと痛感しながら何もできていません。しかも日本人の貯蓄はほぼ「円建て」なんですね、日銀にはあからさまなテーパリングはやりにくい事情がありますから円が弱くなっていく傾向は当面は続くでしょう。良い円安、悪い円安などとよく言われますが、日本人の購買力も投資余力も衰えますから良い円安なんてものはありません。

でも安くなってるのは円だけじゃない、これがポイントです。「ビットコインが上がっている」というのは「暗号資産に対してドルが下がっている」という意味です。「暗号資産が世界の金融資産の一部になって行く」と書きましたが、それはイーロン・マスク氏のようにドルを売ってコインを買う人が現実にたくさんいるからそうなるわけです。貯蓄だけではありません、物を買ったときの支払い(決済)目的でもそれはこれから大きな規模で起こります。銀行を飛ばして決済できるので一面でマネロン手段になるデメリットはありますが、それさえきっちり管理されれば手間、時間、コストどれをとっても多大なユーザーメリットになります。ビットコインの価値を保証する国家は世界のどこにもありませんが、それは弱点ではないのですね、必要ないのです。なぜなら、ハッシュ関数を世界の有志が競って高速コンピューターをつないで解いた存在証明は「数学」ですからごまかしようがなく、それがあれば万人がビットコインの価値を信用するでしょう。スイスのツーク州のようにコインで納税を認めるケースも現れました。あとは時間の問題です。信用される資産は世界のどこでも通用し、流通します。

だから、インチキな「草コイン」に騙されてはいけませんが、グローバルなインフラがしっかりした発行体によるコイン、それもステーブル・コインといって通貨やゴールドに兌換性のあるものは購入して資産の一部に組み入れたほうが資産は “トータルに安全” になります。その価格が上昇した時の機会損失を防げるからです。つまり、コインを投機として「上がるから買う」のではなく「安全にするために買う」のです。世界の富裕層の関心事は資産防衛ですから勝手に潮流がそうなっていきます。すると、現象面だけ眺めている一般の人の目には「そのコインの値段が上がってる」というふうに映るわけで、多くのマスコミもそう騒ぎますが、投機でそうなったわけではなく「マクロの経済現象」ですからついて行った方がいいのですね。代表格のビットコイン、イーサリアムも結構ですし、これから3番手に育っていくようなコインもその目的には効果的でしょう。

僕は会長としてかようなことを世の中に広めていく立場にあると考えています。国民が老後を年金だけに頼らず幸せに暮らしていくために知っておくべき金融知識と信じるからです。もちろんブログにも書きますしタレントさんにもお手伝いを願いたいと思っていますが、40年金融ビジネスに携わってきた自分の言葉でなるべく分かりやすくお伝えしたい、そう考えてます。金融屋は自分の金儲け第一というのが世間の相場でありましょう。僕も例外ではなかったわけですが、おカネを商品とするプロの金融マンはそこでケンカに強くないと生きていけないからという理由もあります。他人様の心配までしてケンカには勝てませんので。ちなみに、テレビや著書で為替や株式を論じる人は実は投資ではなく出演料や印税で食っているアマチュアで、僕のように資産を99%ドルにするようなプレーヤーはいません。そういう人は自説を他人に教えたりしないから当然ですね。

もうそういうことは卒業のつもりですから大事なのは他利(do for others)と考えてます。そういうスタンスに徹すれば、社内外で頼ってくださる方がいるかなとも感じております。普通は第一線から身を引くトシですからね、頼られるのはとてもありがたいし、やりがいを感じることです。でも、自分で言うのもおこがましいですが、僕は自分で正しいと信じたことを国内外でやって実証してきましたからひとりでお墓に持っていくのはもったいないとも思うのです。ブログにしたものもありますが、やっぱりリアルで生で話した方が伝わりますね。役職員の皆さんはそういう機会が出てきますし、いずれ公開されますから外部の方でもセミナー等でそういうことができるかと思います。

 

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-04-15/RAB88RT0AFB501

 

 

 

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自分は何のために生まれてきたか

2022 APR 2 13:13:49 pm by 東 賢太郎

とても寂しいことだが、もしもいま僕が百億円持っていたとして何に使うかと考えると、答えがない。千円お小遣いをもらったら迷わず半蔵門の町中華でレバニラ炒め定食か五目チャーハンを注文したいが、そのクラスの大枚だと使い道が浮かばない。たぶん、また投資に回して増やそうとするんだろう。で、うまくいって二百億になったとして、どうするかというと、やっぱり案はないのである。

いたって庶民の出だから、ポルシェとランボルギーニを並べるとか千坪の豪邸に住む愚考は出ない。一番欲しいのは読書と音楽に充てる時間だが、それにお金はあまりかからないのだから、なんということか、実は人生の目的でもないことを目指して日々時間を空費しているにほかならない。すなわち、僕にとって仕事はもはや趣味(hobby)かヒマつぶし(pastime)という結論になるわけだ。

他のことは何の能もないが、それについては長年の熟練というものがあり、人様に喜んでいただけるから悪くない趣味ではあると思う。でもヒマをつぶして生きる人生など寂しいものというしかない。思いおこせば若い頃は、貧乏だったが楽しかった。それは能力の限界まで出し切ろうと努力し、そうやって日々成長する自分を感じる喜びがもたらしたのだった。

昨日できなかったことが今日はできる。これに勝る快感はない。それがどうだ、昨日できたことが今日はできない。努力しても維持がせいぜいで、それで時間を空費し、疲れまでする。維持のために生きることは実にナンセンスなのだ。だから僕は昔は忘れることにした。あれはぜんぶ映画だったんだ。いろいろあったが、実は誰か別な人の出来事で、それを観終わったいまの僕がすべてなのだと。

だってそうでしょう、映画の僕は野球で勝利したり東大に合格したりする。でもそれが今の僕である必要性や必然性など微塵もない。そんなことより昨日スマホを会社に忘れてきた馬鹿な僕が今日何ができるかの方がよっぽど重大事なのである。それを日々懸命にやっているうちにできることは呼吸だけになり、ほどなくして映画は完全に幕を閉じる。鑑賞する者はもういないからだ。

そう考えながら、太古の昔に宗教はこうやってできたのかもしれないと思った。何度も叙述してきたシミュレーション仮説、人生ディズニーランド説、ジャイアント・インパクト説、量子力学がコンバインされ、だんだんとその渦が「統一原理」に見えてきている。他人様に広める気はないが、僕はこの原理で宇宙、世の中のすべてをまじめに説明する気でいる。

量子力学が物理学を一変したようにいわれるが、量子力学の結果は対象物体の質量を大きくした極限ではニュートン力学の運動方程式の解と一致するのでニュートン、アインシュタインを全否定したわけではない。創造主の意思を認めるという意味では宗教でもある僕流の理解において、原理は唯一無二であるはずだ。プログラム言語が複数ある無駄を全知全能の主があえて造る可能性はゼロと思う。

それは僕の考えではない。キリスト教徒はそう教わるから十字軍が遠征したしレコンキスタで異教徒を追い出したしインカ帝国を殲滅した。黒船が開港を迫ったのもまったく同じ原理で、ユダヤ教徒迫害も原爆投下もしかりである。習近平、金正恩がそれと戦っている側面はアジア人として知るべきだ。そしてこの原理を知ることなくしてプーチンがしていることへの客観的理解が及ぶはずがない。

原理とは科学ではない。数式で書けるのは一部で、メタフィジカルなものの比重のほうがずっと大きい。人の心(動物もある)はそれだし女心と秋の空は数字にならない。「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」と書く清少納言の四季折々の感動が文法や修辞学で伝わるのでないことは、「牧神の午後への前奏曲」のポエムを楽曲分析で解き明かせないのと同じだ。

昨今のロシアへの報復で音楽まで否定されているが、僕においてはラフマニノフの協奏曲を聴いて「人間は大丈夫だ」といまも確信できることに変わりはない。感動があるからだ。「感動」こそが人を人たらしめ愛や心の成長を生む芽である。その結実であるアートは人が人である限り滅びないし、戦争責任を問おうとアートまで否定すれば、人は人でなくなってさらに戦火は燃えさかるだろう。

若い人には「感動できる人になりなさい」と言いたい。叔母は会うたびに「賢ちゃん、まあ、大きくなって」と喜んでくれた。大人になってもそれは続いた。愛情と感動は紙一重で、相手の心に強く作用する。叔母の純真な感動は僕に伝播して「よし、大きな男になろう」に変異した。ここまで人はプログラムされてるかもしれないが、それを愛情という言葉で括ることに僕は違和感はない。

僕は男の心しかわからないが、当たり前の本能的な感動を覚えるのはきれいな女性を見た時だ。そうでない男はいない。そして幾人の男がそれで生死をかけて戦い、かたや偉大な芸術作品を生み出したことか。すべての宗教は愛情や感動を奨励はしないがあるべき前提としているように思う。啓蒙された民は本能を制御し、頭が固く杓子定規で、出生率は減る。感動は自ずと遠のいてゆく。

感動のない人ほど飲んでつまらない人種はない。感動できる物事や人物を評して一般に「面白い」と表現するわけだから、interesting!を忘れた彼ら自身がつまらないのはロジカルな結末なのだ。そういう人はきまって好奇心に乏しく保守的、安定志向で、面白いもの好きの異性には縁がないだろう。僕は面白い女性に惹かれる。もちろん、ジョークを言ったり漫才が好きな人という意味ではない。

interesting!と口走るとき、大概の人が笑顔なのは万国共通だ。つまり笑いの根源は好奇心なのである。好奇心というと、猫だってあるのとないのがいて、総じてある猫は学習能力が高い。カラスもそう、人間もそうだ。それと丸暗記が得意な受験秀才とは違う。東大生の8割はつまらない人だったことがそれを物語る。学校的な成績にかかわらず面白い人はいくらもいて、僕はすぐ友達になれる。

お前の音楽の文章はマニアックすぎてわからんと旧友はいう。マニアは偏執で「偏」は比較級だが、好奇心は比べるものでなく有無しか意味がない。僕は「有」に分類されるべき人種で、音楽は対象物の一例であり、実は僕は人も物も宇宙もすべてを音楽ブログの方式で「観て」いる。その感知は量子により、脳内処理も量子による。かくして「統一原理」は辻褄が合うのである。

そのような現象をモーゼ、仏陀、キリスト、モハメッド、空海らは語った。彼らは創造主でなく媒体であり、モーゼに「わたしのほかに神があってはならない」(十戒の一)と伝えた者が創造主である。それが地球外生命体(extraterrestrial life)であってどこに矛盾があろう。宗教を冒涜する意図はないが媒体の数だけ神がいる無駄を全知全能の主があえて造る可能性はこれまたゼロと考える。

その意味で宗教は現象である。地球という閉鎖空間の特異性をもった。したがってその宗教から発した科学が普遍でなくて不思議でない。量子力学は一歩普遍に寄っただけの一里塚で、我々に見える物質(元素)はぜんぶ足しても宇宙の4%しかない。その不思議に立ち向かおうという精神が好奇心だ。それを与えられた人は神のセットアップのフォロワーではなく、インフルエンサーであるべきだ。

僕が百億円持っていたとして何に使うかと考えると答えがないという現象は、僕はそういう目的で造られていないという意味だろう。

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ドルが急騰!(日銀が指し値オペ予告)

2022 MAR 28 23:23:24 pm by 東 賢太郎

今朝のことだ。僕はディーリングルームの真ん中に座って業務の指揮をしている。国債の入札に異変がありディーラーたちがてんやわんやの大騒ぎなのだ。あちこちで怒号が飛び交い、僕も怒鳴っている。

「みんな落ち着け!」「指値を下げていいですか?」「構わん、下げろ」「どこまで行きますか?」「わからん。マルク債はだめだ、売っとけ」「了解です」「板を見せろ」・・・(そんなに厚くない、まずいな、へたすると暴落だな)

窓の外はビル街でどんよりと曇った空がうっとおしい。ここはドイツなんだ。しかしなぜ?なぜDM売りなんだ・・・?

ここで目が覚めた。額にうっすら冷や汗が浮かんでる。そりゃあ円買いしかないだろう、日銀が金利上げ容認?そんな馬鹿な、株が暴落だぞ・・・

飛びおきて円・ドルレートをチェックする。7時半過ぎだ、レートは122円20銭である。なんだ、何も起きてないじゃないか・・・

その時はそうだった・・・

ところが2時間半たって10時10分すぎ、日銀が指し値オペの実施を予告したと知る。当然、円・ドルレートに異変が起きるはずだ。そこからドルは17時ごろアスクで125円10銭まで急騰。現在も123円80銭あたりである。

円・ドルレート(2022年3月28日)15分足チャート

なんということか、僕がうなされていたちょうどその頃、日銀では異次元緩和の継続を意味するこの重大決定の発表に向け「てんやわんや」だったにちがいない。

お断りするが僕はこの発表は寝耳に水であり、なんらの関連情報すら知り得る立場にはない。マルクはもうないし、昔日、指揮官だった日々の夢はちょくちょく見ているからたまたまそれが出てきたんだろう。

それにしても、あまりのタイミングだ。

ドイツのころ、ブンデスバンクのアナリストに「日銀は公定歩合1%以下にすべきだ」と言われ、妙に耳に残った。まさかゼロになろうとは夢にも思わなかったが、それが今も頭にあって夢の舞台がドイツだったかも知れない。

お袋は霊感が強くて何度もお化けを見ている。お化けは見たことないが、僕は相場については何度かこういうことがある。去年、ドルが108円のころにほぼ全部の資産を「ドル建て」にしてしまう大博打を打ったわけだが、たまたま商品があっただけで理屈はない。あったのは、ドルは上がるはずという “不思議な確信” だけだ。

今年の2月2日に下のブログを書いた頃、まだロシアのウクライナ侵攻はおきてない。ただ、誰でもわかるようにやさしく書いたつもりだが、データを分析することで、そこそこのきれいな理屈はすでに立っていた。その通りのことが2か月後におきた、それだけのことだ。信じてくれた “ミセス・ワタナベ” は大儲けしたはずだ。いまディーリングルームの指揮官なら、「どこまで行きますか?」「わからん。円はだめだ、売っとけ」と答えるんだろう。

「有事の円」は終わった

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BIGBOSSはビジネススクールのケースになる

2022 MAR 27 12:12:58 pm by 東 賢太郎

プロ野球が始まると無性にワクワクします。もちろん僕はいつでも広島カープ中心なんですが、どのカードを見ても最高に楽しい。そこに今年は西室オーナーの日本ハムファイターズが球界の話題をかっさらってる、これ大歓迎です。パリーグの応援はロッテになるけど、個人的におおいにワクワクがあるのです。それを書きます。

西川、中田、太田、秋吉の大駒4枚流出を2軍で補うなんてのは飛車角落ちの将棋みたいなもんです。オーナーには悪いが、楽天球団ができた年にボロ負けしたあそこまでの戦力差とはいわないけれど、まあ甲子園でいえば大阪桐蔭と21世紀枠の高校ぐらいにはなっちゃったね。そこでド派手なパフォーマーで客寄せにはなる新庄監督をもってこよう、新球場のカネもかかるしってのはわかる。でもどうせパンダだろうとバカにしてたわけですね、僕も世間も。

ところが色々ニュースが出るにつけ、BIGBOSS、見かけ倒しでもないぞ、策も情熱もあって結構いいんじゃないの?となってきた。個人的には、野球に限らずですよ、今の沈滞した日本にはこういう型破りな男が必要じゃないかと思ってたところです。それも左翼の壊し屋じゃなくてね、伝統と礼儀はしっかり心得た上でですね、爺さんに気兼ねしなくていい立場で若者のリーダーになってという場を設定したのはとてもえらい。しかも、そのBIGBOSS、よく見るとしっかり合理的な野球をやってる。

えっ、合理的、ハチャメチャだろ?といわれてますが、そこは僕は野球経験者として感じるところがあるのです。彼はたぶん2年やる気でしょう。今年は自分が「うつけ者」を演じて風よけになって若手に思い切りやらせ、来年優勝と思ってるんじゃないか。オープン戦とはいえ、選手に監督やれなんてのはあり得ないですよ。それで勝てばお前いらんになるしね、実は勝つはずないと思ってる。だから打順もガラポンなんておどける。でも野村監督の下にいて彼自身が俺が監督ならってのはあったんだろう、そうやって選手たちにも当事者意識もたせようってことではないでしょうか。

ドラ8新人の開幕投手。これ、凄いことです。2年計画ならスター即製栽培しかないでしょう。期待に応えて2回ゼロに抑えた北山投手の度胸にも感服しましたが、彼は彼でチャンスをくれたビッグボスを一生尊敬するでしょう。そしてその気持、若手投手に伝染しますね、すると、それが成長促進剤になる。私事で恐縮ですがそう感じるんです、というのは僕の初先発は高1の秋季大会で相手はいま甲子園でベスト8の国学院久我山でした。9-0で負けたけど3回までゼロで抑え、これ、野球に限らず人生でどれほど自信になったかわからんです。起用してくださった監督はいまでも神です。

日ハムの現有戦力でどう勝つか?これ、毎日考えてる僕のビジネス戦略にそっくりなんです。そのまんまビジネススクールのケーススタディにしたいぐらいにいいテーマですねえ、将来に起業したい若者はそういう目線で日ハムのゲームを目を凝らして観たらいいね。義経のひよどり越え、信長の桶狭間、これは終わったことだけど、こっちでそれぐらいのことがあるんじゃないかと思えばワクワクするでしょ、そういうココロと想像力がないとね、勉強や知識だけじゃ起業なんかできませんよ。

新庄さんはもし優勝したらぜひ国会議員になって、次は日本国をガラポンで強くしてほしいですね。特権、利権にしがみつくだけの爺いや婆あには到底無理、もはや百害あって一利なしです。僕は人生かけて世界の金融の一線で戦ってきた戦士です。断言しますが、もう確実に世界はそういう時代になってます。時の流れに逆らっていれば国ごとだめになって不幸になるのは今の若者の皆さんです。

なぜ「平成は大没落の暗黒期」になったのか

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人間の相性は量子力学によって決まっている

2022 MAR 15 9:09:46 am by 東 賢太郎

人の相性というと一般にその人と「気が合う、合わない」ということである。合うというのは、2つの脳の相互作用に何らかの「同期」が測定されるということだと僕は経験的に考えている。その測定を僕らは言葉(音)、表情・行動(光)、匂い(分子)等の五感で行うが、判定するのは脳であり、脳内に形成されているシナプスの結合(回路)がプロセス(計算)した結果と思われる。

では僕の場合は実際にどうだったかというと、本当に(”かなり”)「気が合う」と思った人は67年生きてこの世に一人しかいない。これは、ある意味、非常に驚くべき計測結果である。彼は親族ではない。「彼も合うと思ったであろう」という予測に対して僕は高い確率を付与することができるが、確率でしかないのはもう会わなくなってしまったからで、ここで定義する「気が合う」が社会的に「仲良し」を必ずしも意味しないことを示していよう。

回路の形成は先天的、後天的の両方あるが、ある現象(”問題”)を入力した場合にどんな波長を発したかで僕は即物的に合う、合わないを判定しているだけで、遺伝(ア・プリオリなもの)は少なくとも関係はあっても決定的ではないと結論するしかない。もちろん性別、人種、年齢等それ以外のものは一切関係ない。

では合う、合わないを判定する回路はどう作動しているのだろう。観測はできないが、自分の脳は以下のように感じている。入力に対して起こると予測される自分の脳の反応と同じ反応が相手の脳にも起きる確率(同期率)が有意に高いだろうという予測が成り立つと、「合う」と判定されるのだ。反応の予測が立つということは、それを引き出すための説明がお互いに相当程度省けるということで、ツーと言えばカーという関係になり複雑な情報が正確にすぐ伝わる大きな利点があった。

ということは、たったひとりを除いて、67年間に知った全員が予測を有意な確率で裏切ったということを意味している。複雑な情報伝達の正確性は犠牲にならざるを得ない。お断りするが、そのことと社会的結びつき、おつきあいにおける選択とは関係がない(別次元)。両親もそうだし、妻もその意味でぜんぜん別な人だが結婚相手に選ばせていただいている。

以上、それが「非常に驚くべき計測結果」であるのは、計測方法(ロジック)が誤っているか、回路の同期率は一般に67年にひとり程度なのか、僕の回路固有の同期率の低さなのかであるが、以上のように「言葉」で表記できるということはそれは「実験で証明できる」ということではないだろうか。

というのは、例えば、「数学の問題を解く」という行為はその問題を等位に変換することで作題者が求める結論(”解答”と呼ぶ)に至るプロセスを言葉を補完して一切の論理矛盾なく表現することに他ならない。以上の6パラグラフで僕はそれをしたとするならば、それは「解ける」のではないかという問題提起だ。

いま僕は量子力学に興味がある。それを理解するレベルの数学の回路を脳に作っていないため、誰かが「言葉」で近似的に等位変換してくれたものを楽しんでいるに過ぎないが、例えばこれだ。

この「量子もつれ」を計測することにより、ブラックホール内部の現象(三次元)がその表面に(二次元で)記述されていることを示すホーキング博士の計算結果は、まさしく衝撃的だ。その式はこのビデオで示されている。

僕らが見ている(と思っている)三次元宇宙は実は二次元で書かれたもののスクリーンショットにすぎない。そんな馬鹿なとアインシュタインは言ったがそれが正しい(アインシュタインが間違っている)ことが数学的に証明されている、と説明されている。

ひとつわからないのは、二重スリット実験が光子で行われる必然性だ。光子でその現象が存在することは確実なのだろうが、光(映像)は観測者である人間の目がその知覚をもって「観測」としているからで、人間だって冒頭に書いたように五感すべてで知覚しているし、さらには、人間の五感のどれとも別な器官で観測する別な惑星の生物だったら「観測前は別な状態」という現象はどういう意味を成すのか。三次元トリック(?)にその生物はひっかからないのではないか。もしそうであれば、それは人間(あるいは光で観測する他生物)を想定して設計されたのではないか。とすると、その意志を持った何者か(造物主)の存在を想定する必要がどうしてもあり、その者は人間を少なくとも包含はしている生物を対象に造物したのではないかという疑問が僕の回路からは出てくるのだ。

ビデオで語られる、量子コンピューターが理論からでき能力が進化しつつある(マシーンが理論を追っている)という現実。大栗博士の研究の部分でビデオは「我々の時空で起きているすべての現象がそれを包む空間の表面に量子もつれで書かれている」「それに量子コンピューターの理論と共通する部分がある」「宇宙は数学的に閉じている可能性がある」と語っており、そして何よりも「物理学の最先端の研究をするためには新しい数学を作っていかなきゃいけない」という博士の言葉は数学が科学において何たるものかを如実に理解させてくれる。言葉なくして科学はなく、数学は言葉の一部なのだ。

「気が合う、合わない」を量子で読み解くことはできるだろうか?2020年のノーベル物理学賞受賞者ロジャー・ペンローズ博士の研究が参考になる。次のビデオでシナプス(回路)が説明されているが、ニューロンを作るマイクロチューブルの伸縮が観測前後で量子もつれ状態にあるというのが博士の仮説だ。

ご覧の通り、その脳を持つ人の行動は投資判断に至るまでシナプス(回路)次第という実験結果が示されており、それを継続的に観測することで我々はその人と「合う、合わない」という結論に至るのだが、そのプロセスには量子力学が関与している。つまり、主観的、感情的、本能的と考えられていた「人間の相性」というものは即物的に決まっているという命題が提示されており、そのことの「科学的正しさ」は暗号通貨の真偽がハッシュ関数という数学で証明されたブロックチェーンで担保されるのと同等と僕は理解した。

ということは、後天的にしか獲得できない「学習による回路の有無」は大きな要素になることが証明されたと結論して良い。だから、遺伝的に「合う」はずの両親や親戚一同がそのリストに入ってこないのだ。僕は数学が好きなのでその回路が一般人の平均よりはdevelopしているはずだが、同時に現実世界でのその使い方(アプリケーション)は個性があることを自覚しており、唯一気が合った彼も文系だが数学が非常に強くてその回路の運用方法に共通点があった。それをベースにした世界観が一致したということだったようだ。逆を解くと、そうでない人の脳とは合わないし、合わそうとしても壊滅的にどうしようもないというまったくシンプルなことだったのだ。しかし世の中はよくできたもので、夫婦も会社も、自分とは違う人と組んだ方がトータルではうまくいくのだ。量子力学もそこまでは及ばないのか、それも量子力学が決めたことなのかはよく知らないが。

見えている現実はすべてウソかもしれない

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プーさんとシューちゃんの密談

2022 FEB 24 23:23:53 pm by 東 賢太郎

S「プーさん、おめでとう、うまくやったな」

P「おう、シューちゃん、ありがとよ」

S「オリンピック中は待ってくれて恩にきるぜ」

P「いやいや、オミクロン出たぞばかやろーの芝居で1日で帰れて助かったよ」

S「わかってるさ、キモいときだったもんな」

P「おう、そんで、見たか、売田のじじいのザマ」

S「うん、ほんとに辞めたんだな、世界の警察官」

P「そうよ、ありゃ尾浜のアホが決めたんだ、売田はただの引継ぎよ」

S「だよな、亜府岸からケツまくって逃げたしな」

P「だろ。隣人のルカちゃんは俺の子分さ。あそこに核ならべさせてじじいの家にぶちこんでもいいんだぜ」

S「やるねえ。でも納豆軍はだいじょうぶか?」

P「平気だ。LNGで脅してるからよ。駄犬が吼えるだけで何もしてこねえさ」

S「でもアジアや中東で調達できねえか」

P「ふん、やってみ。油が暴騰して大インフレだ。返り血は半端じゃねえ」

S「そうか、株が大暴落だ。でも経済制裁はどうだ?」

P「構わねえ。俺は軍と右翼握っとるさ、腹くくってんだぜ」

S「でも須井布戸ヤバいだろ、送金できねえから海外資産パーじゃね?」

P「シューちゃん、コトバ気いつけろや、俺は東スラブ王国つくるんだぜ」

S「これは失敬」

P「俺のパシリで儲けてるチョーチン持ち野郎なんか大損させたるわ」

S「プーさん、かくいう俺も大中華帝国の皇帝だぜ」

P「わかっとるさ、ハイテク止められるから回してくれよな、半導体とか」

S「おやすい御用だ。こっちで事おこして売田引きつけてやっからさ」

P「ありがてえ。納豆とリャンメンはできねえからな」

S「知ってるか、虎さんがプーちゃんよくやったって拍手してんの」

P「そうかい。おっさん汚ねえ手で選挙やられたからな」

S「売田はあと半年だ。虎は狙ってるよ。プーさんに感謝だね」

P「そうさね。国際社会の協調?笑っちゃうよな」

S「プーさん、ドラえもんって知ってるかい?」

P「おう。孫が大好きさ」

S「あいつら、地球にはのび太としずかちゃんしかいないと思ってんの」

P「ハハハ、だよな、俺達ジャイアンがいるのにな、馬鹿じゃねえの」

S「のび太もスネ夫もよ、俺たちに逆らえば一発なぐっておしまいさ」

P「いいこと言うな、シューちゃん。そこで馬鹿がパワハラって騒ぐんさ」

S「サイバー攻撃の停電でしずかちゃんビビッて泣きついてくるな」

P「だな。ドラえもんはミサイルでぶち壊したし、飛行機も飛べねえし」

S「でもうまかったね、世界だますの」

P「ありがとよ、撤退のフリしたのなんか名演技だろ」

S「ロシア株買いだなんて騒いでた阿保がいたぜ、あんとき」

P「ハハハ笑うわな、今日一日で4割の大暴落よ。首くくってるぜそいつら」

S「ところでキッシーはどうしたんだ」

P「駐日大使に『絶対いたしません』って嘘こかしたら信じてたみたいだぜ」

S「ウワッハハハ、『いかがなものか!』って難しい顔するだけだろ、あいつ」

P「お花畑の国なんかど~でもいいわ」

S「俺は『我が国は今回の行動に理解を示す』って世界に報道しておいたぜ」

P「そりゃうまいな、同じ手で襲えるもんな」

S「ふっふっふ、まあ楽しみにしといてくれ」

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ドーピングは問答無用で退場のイカサマ

2022 FEB 18 9:09:03 am by 東 賢太郎

ロシア国家の組織的なドーピングの制裁で、同国の選手たちは「ロシア」でなく「ROC」所属として出場している。そのROCでまたドーピングがあったとすると、次の五輪は何という団体名になるんだろう?そこでまた出たら次はなに?五輪の醍醐味がひとつ増えそうだ。開けても開けても同じ顔が出てくるあれ。いわゆるひとつの文化というべきなのか、お家芸であるか、はたまた病気か、いったいどれなんだろう。

今回のスケートのあの子は15才ぐらいだろうか、動揺があったのだろうフリーの演技は気の毒で、いかにも後味の悪い結果になってしまった(坂本さんがメダルを取れたのは良かったが)。16歳未満が「要保護者」なのは賛成だが、保護が必要な子供が自分でクスリを飲むだろうか?お爺ちゃんのコップを使ったぐらいでサンプル汚染と判明した他の選手の200倍も汚染されるだろうか?周囲の大人が下駄をはかせて勝とうと、ズル工作しなければこれはないだろう。その大人が人間のクズですねで済む話ではない。以下に書くが、そのことを裁く側の対応がこれまた問題で、世の中がそんなことで動くなら未来は誠に暗い。この事件には何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。

厳正な競争はフェアなルールがあってのみ成立する。したがって、特例を認めてそれを曲げるのは競争の管理者としてあるまじき自損行為であって、管理者の地位から放逐すべきだ。そして、ドーピングの実行者は試験のカンニングと同様、ひっかかった時点で問答無用で退場である。CAS(スポーツ仲裁裁判所)の「要保護者」の子供が傷つくから演技させましょうなどという甘ったれたお為ごかしはルールにはなり得ない。故意があろうとなかろうと即座に退場がルールで、子供であれば少年法の考えでそれ以上の罰は与えず、そんな事態に追い込んでしまった指導者や周囲の大人を所定の手続きで断罪すべきなのだ。さもなくばフィギュアは競技ではなく単なる娯楽のスケート・ショーになり下がる。すると血のにじむ努力を重ねた他の選手たち全員をも傷つけてしまう。つまりあるひとりのお行儀が良い悪いの問題ではなく、競技そのものを堕落させ、信用を失墜させる社会的重罪なのである。

東京大会の時点で書いたがIOCという組織はいったい何なのだろう?2036年の夏季五輪開催に手を挙げてくれるロシアは上客のようだ。フィギュアのあの子は素人目にもレベルが高く世界的な人気者であり、それを演技させないとテレビの視聴率が下がって大事なスポンサー様は逃げるし、ROCに格下げされたプーチンの機嫌をさらに損ねるという事情はあったのだろう。しかしながら、そこで「特例」をもうけて演技はさせる。厳正を装うための逃げ口上で「順位は暫定とします」ってのは完全なミスジャッジだ。ロシア様の「大きな力」の前では「イカサマ」オッケー。その犠牲になって、正々堂々と戦って勝った他の国の子が表彰台に登れなかったらなんてことは無視している。IOCは田舎紳士にすぎない移動サーカスの座長のレベルであり、世界の超一流である選手たちのほうは単なる客寄せパンダって、誰がどう考えても変じゃないのという怒りを覚える。

こうしたバッハ主義は、しかし、バッハ氏の責任だけとは言いづらい。世界にまん延している風潮である「なんでもカネでオッケー主義」を映す一個の鏡にすぎないという見方もできるからだ。カネで買えないものを換金することを「マネタイズ」という。いまや大統領選挙の票でも受賞論文でも奨学金でも愛でも買える世の中になってしまったのだから、IOCが五輪をマネタイズする団体であって何の罪があろう。「その精神でがっぽり儲けさせてもらいますよ、でもそのおかげで皆さんも4年に1度の五輪を楽しめるでしょ?」「だよね」「だよね」になってしまうと何が起きるだろう?フェアネス(公平性)というものは本来はマネタイズという腐敗から競技を守ってくれる防壁なのだが、「それをいじるといい商品になるよ💛」という悪魔のささやきが聞こえてくるのだ。ゲーテのファウストのようにその誘惑に乗って禁断の木の実を食べた瞬間、あらゆる競争はショーに堕落する。それを決められるトップは自分の在任中ぐらいはまだバレないだろう、やらなければ後任者がやるだけだ、やらねば損となる。これは投資銀行の収益部門ヘッドの椅子に座った大概の人が陥る餓鬼道と似たところがある(リーマンショックはそれで起きた人災だ)。バッハ氏をいくら批判しても仕方ない所にIOCは居場所を作っているように僕には思える。

僕は東大がAO入試を始めた時点で同じことを感じた。東大教授でも東大卒でない人もいる。いつか悪魔のささやきに乗らない保証はない。ポリシーが堕落すればAO=アホでもオッケーの風穴があき、蟻の一穴から全部の公平性が瓦解すると危惧するのは僕だけではないだろう。子供のほうも、それで合格しても学内外でそういう冷ややかな目で見られるだけだ。すると、それでは気の毒だ、人生の大切な時期に人格形成でひずみが出るのでむしろ現行の入試は廃止すべきだろう、そして全員をAOで選別すればフェアではないかという一応は理にかなったあらぬ結論が見えてくるのだ。ケン玉が天才的だったり物まねの達人だったりという生徒も一芸に秀でてその道では日本一なのだから東大生でいいじゃないか。何も勉強だけが人生ではないだろう。学問の府も多様化の時代だ。時代に即して変わるべきなのだ。他校もそうすれば、大学のレベルは全国的に平準化して、学問の自由、学ぶ機会の公平という国民の基本的人権の観点から平等な素晴らしい社会が実現するだろう。岸田政権の標榜する新社会主義にもフィットした教育政策ではないだろうか。そうやって日本は国ごとゆっくりと偏差値50に収れんし、気がつくとアメリカに捨てられ、中国の最東端に位置する省になっているだろう。いいじゃないかタダで守ってもらえるなら。だよね。

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フリーランスという素敵な生き方

2022 FEB 13 11:11:41 am by 東 賢太郎

「ワタシ失敗しないので」の外科医・大門未知子のように組織から飛び出して独立して仕事するのがフリーランスだ。作曲家のはしりはモーツァルトとされるが、彼は就職したかったができずにそうなってしまったから、自分の意志でそれになったという意味で大門未知子に近いのはハイドンだ。彼は33年間も宮仕えをし、雇用主が死んだのでしがらみを切ってフリーランスになった。58才のことだ。

そういえば大門を演じた米倉涼子も27年間所属したオスカープロモーションを辞めて独立し、本当にフリーランスになった。45才の立派な挑戦だ(女性の年齢を書くのは失礼だが公表されてるので)。そして不肖わたくしも25年はサラリーマン、49才でフリーランスになって今に至る。お二人より給金生活が短いというのもちょっと意外だがそうなのだ。ハイドンは宮仕えの総額の10倍以上をフリーランスになってから稼いだが、僕はもっとはるかにそうだ。

米倉さんも事務所に中抜きされないぶんそうなるだろう。プロ野球選手も球団に支配権があるから自由の身ではなく、FAかポスティングが認められるとフリーランスになる。我が広島カープでいうと丸選手はそれまでの10倍以上を巨人からもらってあっぱれだが、大谷翔平は100倍できかないことになりそうだ。以上のみなさんに共通するのは高い技術で何百万人の人を喜ばせる超一流のエンターテイナーだということである。

僕はというと、エンターテインどころかそもそもサービス業に向いてない。猫がお手をしないぐらい何もできない。投資機会を見つけてきて買いたい人はこの指とまれというだけだ。信用してくれる人が10人ぐらいいることがすべてで宣伝もしないし業務拡大もしない。「信用」。これは何かというと「東ならなんとかしてくれるだろう」ということに他ならない。いってみれば「期待」だ。僕は頂いた期待に背くことが本能的に嫌いである(プライド)。だから保証はしない代わりにそれを裏切らないことが仕事であって何ら苦痛でない。そんなに難しいことではない。例えば、現金1万円を預かって適当な食材を買って何かおいしい料理を作ってさしあげて期待を裏切らないことなら多くの人ができるだろう。同じことだ。問題はそれをしていくらもらえるかである。10人にそのサービスをして僕の収入を得るなら、その10人はどんな人だろうかということだ。富裕層ビジネスの本質はそれである。僕がフリーランスで稼げているということは、そういう需要が存在し、そうそうたる看板の大手金融機関がそれを満たせていないという証拠なのだ。そんな会社で何十年の歳月を送っても僕のしていることはできるようにならない。

お客様は15人が限度だ。それ以上は手が回らないからサービスが落ちる。すると肝心の信用も落ちるのでお断りする。従業員を増やすのも難しい(できる人はほぼいない。だから大手がダメなのだ)。知識も英語も必要だが東大を出ればいいというものではぜんぜんない。現状は慶応が多数派だがべつに学歴を見ているわけではない。結果論だ。それほど人がいないということは、参入も難しいのだ。なぜだろうか?簡単だ。この仕事で僕をひっくり返せる人はまずいない。これを断言でも公言でもできるからだ。そうやって生きてきた実績と古傷があるからそれを信用されている。論理的でしょ?ビジネスの修羅場の経験もないMBA、PhDを集めてきれいごと並べて自己リスクは取らないコンサル会社は何年たってもできないね。つまりオンリーワンなので収入も高い。これアンドロメダ星雲でも成り立つ宇宙の鉄則だよ。昨今の東大生の就職人気先はコンサルとファンドらしいが、ひょっとすると僕のスタイルでやる人が出るだろうか。出たら面白いから応援するよ。まあやるならフリーランスが絶対のおすすめだね。資本家に中抜きされて馬鹿らしいし、万事が自由である。コロナに強いのも利点かな。やりたい仕事だけやればいいなんて人生最高の贅沢じゃないか。僕はそれで退屈を満たしている。

もう8年も前のようだがこう宣言したのを覚えている。

「信用資本主義」を宣言する!

自画自賛だが2013-14年あたりのブログが一番質が高いように思える。本当だった。まったくもってその通りに生きてきただけだ。

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メタバースとウサギ狩り(猫と人の場合)

2022 FEB 9 18:18:54 pm by 東 賢太郎

2年も家にいたもので、身体じゅうがばきばきだ。凝ってるなんてもんじゃない、固まってる。毎週マッサージに通うことにした。かかりつけのHさん(女性)が「思うんですけど、東さんお肌きれいですよね」ともちあげてくれた。「そう?オレ67だよ」「えー?」なんてお決まりの会話があってふと考える。これって「50」だったんだよなぁ。

帰りに腹がへった。13時半だ。ふらっとラーメン屋に入ると、いつも混んでるのに客がひとりもいない。カウンターに座ってそうかと思い、一番高いのを注文した。親父はいつもながら愛想がない。もう今日はあきらめて閉めるんだろう、無言で暖簾をおろしに外に出て、戻りがてら「どうぞ」と水をくれた。スープの塩梅がいい職人だ。「ごちそうさま」を言って出た。

家でこれを読む。面白い。國分功一郎氏はここで「退屈」を哲学している。「ウサギ狩りに出かける人を不幸にさせる方法がある。ウサギをあげることだ」。彼はウサギが欲しいのではない、狩りに夢中になって退屈から逃れたいのだ。ショーペンハウエルいわく退屈は人間の敵で、その恐怖から人は社交にいそしむ。社交はもともとしない僕は、だから、退屈してないか、しても怖くないかだと思っていた。ところがこの本によると持って生まれた能力を使わずにいくら衣食住が足りても退屈は退治できない。とすると、もう能力全開で生きてない僕は退屈男であって、ゆでガエル状態で慣れちまってるだけかもしれない。おかげで、じゃあ何かやってみるかという気になってきた。身体は落ちてるから運動はやめとこう。でも頭は大丈夫だ。落ちてないからでない、十分に落ちてるのでたぶんそれに気がつかないからだ。

いっときパニック障害になった。大変だった。それを考えないようにしないとまたなってしまう。恐ろしいから意識をそらそうと闇雲に走ってみたり、鏡を見たり、どうでもいい電話をしたりする。でも、一番いいのは仕事をすることだったのだ。それも一番、めんどうくさくて嫌なやつを。そっちに意識をやって懸命に何事もないように時間をやりすごす。なんだ、俺は人生の時計を早回しする為に生きてるのかなんてことになった。

猫はどうなんだろう。テレビ番組で「猫って鼻がいいんですね」なんて驚いてる。人の1万倍らしい。その嗅覚で獲物をみつけて追っかける。逃げ方を予測して最適な方向に最適な速さで加速する。カーンと打球音でぱっと足が出る外野手みたいだが人間は何千回も練習しないとできない。猫はすぐできる。こんなことができるAIはまだないらしい。そんな猫なのに、つかまえても食えないと知っている玩具にじゃれる。親からもらった能力を全開にする喜びに浸りたいからだろう。家猫はエサが出て楽だなんて言ってはいけない。ウサギ狩りの猫にウサギが出ているだけ。退屈なのだ。

こいつは食えるかメタバースか?

いまメタバース空間について考えている。もちろん事業としてだ。事業は哲学だとつくづく思う。考える葦しか成功しないからだ。GAFAのオーナーもイーロン・マスクも成功要因は創造だ。そのことがいかに重大かって、マスク氏の個人資産はトヨタの時価総額より大きい。創造はオンリーワンである。だから成功する。それを聴覚なしでしたベートーベンは記憶から音を選んだ。選んだのは心の耳だ。耳は変わらないから記憶が多い年寄りの方がいい種目もあるだろう。そう考えることにした。2年は大きい。コロナは体は固くしたが頭の中の時空は柔らかくした。仮想三次元空間。インターネットの収束先は間違いなくそこだ。これは割と性に合う世界だがまだ頭に回路がない。ちんけな創造に終わるなら時間の無駄だ。でもそれが僕の全速力なら退屈はしのげるご利益はある。無駄なのに。なんだ、ウサギ狩りに出るんだ。

 

ベートーベン 交響曲第2番ニ短調 作品36(その1)

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