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カテゴリー: 若者に教えたいこと

ソナーは自分が買わない株はすすめません

2018 DEC 1 15:15:37 pm by 東 賢太郎

「自分が買わない株はすすめません」というとたいがい嘘だろうという顔をされる。無理もない、そんな会社は僕の知る限りない。しかし、どんなに世の常識に反していようとそれは本当だ。ソナーは自分の資金でお客様と一緒に買って持っているし、そうでなくてはプロでないし、そういう株を探し出してくる自信があるし、実際できているから会社が8期目に入っている。宝を探す「ソナー探知機」になぞらえて「ソナー」を名のらせてもらっているのはそのためだ。

証券マンとしての僕の原点はこのブログにある。HPのブログ第1号だ。

ソナー・ファイル No1 (10倍になる株を探す楽しみ)

僕は金利が1%だ2%だ何ベーシスポイントだというボンド(債券)の世界には何の関心もない。そんな誤差みたいなものに感応するセンサーはついていない。株も1割2割上昇ではなく、10倍になるかなというのに出会うと初めてセンサーが作動し、全神経が集中する。これは理屈でない、本能的な反応である。自分はネコ科なのでハンティング感覚なのかなと思う。追っかけても疲れるだけだからだろう、ライオンはモグラやネズミは見向きもしない。そんなのを追っかけるのはハイエナでライオンではない。僕はハイエナは好きでない。

「10倍探し」は学校で習った技能ではない。生まれつき好きな嗜好のようなものであって野球やクラシック音楽と同じだ。しかしそこでは僕は素人だがこっちはちがう、というのは「好き」の度合いがちがうからで24時間寝ても覚めてもそれを考えてるわけだが苦痛と思ったことは一度もない。野球や音楽でそれは無理である。やり直せるなら大学は不要で高卒で野村に入りたい。東大やウォートンで習ったことは趣味だ、10倍探しには全く不要であった。野村と他は比べものにもならない、野村でないとだめだ。

ソナーのHPをご覧になって立派な経営理念ですねなどと言って下さる方があるが、あんまりそう思っていない。ハンターとして獲物を捕らえる自信あります、それに便乗(共同投資)しませんか?という経営だから理念というほど立派でもなく泥臭い。血の匂いすら意識すると書けば、まず99%の方は理解できないだろう。それが「ソナーは自分が買わない株はすすめません」の意味であり、経営のコミットメントなのだから嘘でない。並の会社のHPにある芳香剤の匂いのする美辞麗句とはちょっとわけが違う。

なぜ便乗者が必要か。まだ投資資金が少ないから獲物のサイズが限られてしまう。そうなるとハイエナになるしかないがモグラやネズミは10倍にならない。だから「仲間」が必要なのだ。ただし僕は買収する気はない。経営リスクを負う気はないからだ。「買収者に近い発想と分析」で対象を選別し、モノが言える程度には株を持って経営はあまり口出ししない。100%取得した社のCEOを呼んで「君の定年退職は100歳だ」と告げるウォーレン・バフェットに近いと思う。当然ながら彼同様に、日々売った買ったのトレーダーではまったくない。もしこれからうまくいけば、いずれソナーは共同投資者は不要になるだろう。

こういう考えに至った経緯は簡単だ。証券会社勤務で一番いやだったのはモグラやネズミを「大物」のように売ることだったからだ。そのくせライオンのようにふるまっている。なぜそれが嫌いかは、僕の書き貯めた1915本(12月1日現在)のブログをお読みになればどなたもわかっていただけると思う。性格は変えられないし、自分の本性に逆らったことを毎日するほど苦痛な人生はない。何でも好きにできる自分の会社でいやなことをする理由などなく、それを理解されてない方を共同投資者にお招きする気も必要もないし、顔の見えない不特定多数の人の資金を運用する投資信託をやる気もない。

お金をタダでくれる人はいない。だから株を買ってお金が増えるとすると、その知恵をタダで教えてくれる人などいるはずがない。それっぽい本を書いている人は、それができないから印税で食いたいのだ。その知恵というものは、自身のリスクをかけた、体を張った勝負の見返りである。投資信託を買っている方は、運用しているサラリーマンのファンドマネージャーに「自身のリスクをかけた、体を張った勝負」をたったの1~2%の手数料でお願いして「わかりました」とやってくれるかどうかよく考えてみればいい。

「いや、彼はがんばってくれている」と思っている人もいる。それが本当だとしよう。すると可能性は二つある。一つ目、彼は1~2%の手数料で本気でがんばれる人なのだ。そういう人は根っからサラリーマンに向いていて、ハンティングには適性がないから職業を変えたほうがいい。二つ目、運用会社が羊頭狗肉(モグラやネズミを「大物」のように売ること)をポリシーとしている。日本の老舗の大手金融機関は例外なく後者の商法をやっている。

彼らにきっと悪気はないだろう、なぜなら、経営陣にハンター気質の人は一人もいないからジャングルでどうハンティングが行われているかなど誰も知らない。巨人軍のフロントが誰も野球を知らないのとまったく同じ図式だ。それでも十分利益は出るし、お客に売っているのは結果ではなくて「ブランド品を買っている」という安心感だけである。それでも買ってしまう国民がごまんといる。だからそれが自分たちの「守りの経営」だと信じ、「守りの運用」などと恥ずかしいキャッチコピーが堂々とTVで流されるわけだ。

とんでもない。運用は野球やアメフトではない。「守りながら攻めましょう」ということはリスクを取らずにリターンを得ましょうという意味で、そんなことは全宇宙空間において理論的にあり得ない。もしそんな神業ができるなら、そのファンドマネージャーは自分のお金を運用してあっという間に大富豪になれる。その道を捨てて1~2%の手数料でその能力を生かして銀行や保険会社に就職しようという人を探し出すことは、30億円くれる巨人に移籍するかどうか迷っていた広島カープの丸選手をクラブチームに来ませんかと勧誘するよりも難しいことだろう。

日本人はブランド好きで老舗や大手の羊頭狗肉に騙される傾向が強い国民だ。たしかに獲物はジャングルにいるし、そこは生き馬の目を抜く危険な場所なのだ。しかし、ハンターはいわれなくてもそもそもライオンに食われたりしない。そんな人はハンターになれないし、資質もないし、なろうとも思わないのだ。ところがそのことは生まれつきハンターではない性質の99%の人には理解できないし、この洞察は僕だって証券会社で育って途中で銀行系に移籍したからわかったことだ。

新人時代にタバコ屋のおばちゃんに日立の株をすすめたら「で、にいちゃんは何株買うの?」と返された。立派な質問であった。世界に出てみるとまともな運用者はみなおばちゃんと同じ質問を想定して、自分で自分のファンドに投資している。その質問がいかに的を得ているかを示している。日本ではその質問を僕にしたのは40年間であの大阪のおばちゃんだけであったというのは危惧すべきことだ。丸選手はお金でなく男気で広島カープに残ってくれるだろう、信じてるよ、マルちゃん!という気質のまま、そういうほっこりしたゆるキャラみたいな情緒でもって、水と油である運用の世界に足を踏み入れてしまう人が国民のほとんどだということを示しているからだ。

高邁な理論なんか使わなくても真理は誰でもわかるシンプルなものだし、それにシンプルな解答を用意できるのが真のプロだと信じる。そもそも僕は部下が「がんばります」というと「がんばらなくていいよ、結果だけだしてね」という人間だ。プロ野球選手は去年の実績やら毎日素振り千回してますとかはぜんぜんどうでもいい。「わかったから、結果だけだしてね」だ。あたりまえだ、僕らは学者や評論家やセラピストじゃない。プロの評価は、結果だけなのである。結果は数字だ。あたりまえだ、結果とは利益であり、利益は数字だ。自らに利益が出たのにお客さんが損しているという企業はいずれ必ず滅びる。お客さんと利益を一致させるのが「自分が買わない株はすすめません」という経営だ。

 

 

 

 

交響曲を書きたいと思ったこと(2)

2018 NOV 25 0:00:03 am by 東 賢太郎

ビジネスは弁証法的に進化する。それが利潤動機であり、資本の論理であると性悪説(かどうかは議論があろうが自分の立場からは)に立脚するのは人権に基づくプロレタリアート概念を創出したいマルクス経済学のイデオロギーに過ぎない。ロジックとしての弁証法に性善も性悪もないのである。マルクスは弁証法による唯物史観をとった。私見では宇宙はその原理で生成発展しており、宇宙の一部である人間社会がその原理で解明されてなんら違和感はない。

しかしそこには大きな論点の欠落がある。ビジネスは大阪弁の「オモロい」でも進化し、資本はそれでも成長することを大阪人でないマルクスは完全に見落としている。平等なユートピアはオモロい人を殺してしまうことは論じていない。そもそもオモロいことをしている人は「搾取されました」なんて争議はしないのである。オペラを受注したモーツァルトが残業代の計算をしただろうか。過労で倒れて労災申請をした大作曲家がいただろうか。

僕は365日休みはないし三六協定もないし土日も仕事している。事業主、資本家だからではない、オモロいからだ。だからオモロくなくなったらやめる。労働は悪だというのはキリスト教思想であって仏教徒の僕には毛頭関係ないが、もとよりこれは宗教、思想の話ではないという所が核心なのである。むしろ人間の生来の属性、ケミストリーであり、性格、生き様、信条、モチベーションの話であって、そういう類型化できないことを学者は採用しないが、その姿勢は実務家である僕にはまったくのナンセンスでしかない。

しかし、宗教であれ教育であれ人間の生来の属性を造り変えることは尊厳にかかわることだから無理だと思う。したがって、ここに必然的に、仕事が「オモロい」「オモロくない」で地球上の全人類は二分されるのだ。資本論は後者の人類の福音書であり、明示的には消えたが精神だけは世界の左派に残っている。特筆したいのはこの二分法こそマル経が予期せず生んだ『階級によらない人間分別法』であるということだ。マルクスは狩猟採集の原始社会が本来の平等社会(無階級社会)であって階級社会を克服した上で実現する無階級社会は極めて生産力が高く、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」としたが 「能力に応じて」「必要に応じて」の部分にこの二分法の用意がある。これを論理の穴と上げ足をとるか、さすがマルさん逃げ道あって頭いいねととるかは勝手だがどっちでもいい。

強固な持論として僕は「オモロくない」派は時給いくらで残業代をしっかりもらうべきだし、「オモロい」派は成果連動報酬で青天井スキームでやればいいと思う。日産のゴーン元CEOは明白に後者の契約だったわけで、それを前者と比べてけしからんというのは二分法からしておかしい。株主がOKといえばいいわけで、その株主を欺いたから拘留されているのだ(当面の理由としてだが)。野球でいえば球団職員がエースの給料が高すぎだと言ってるようなものでマスコミのマル経的たきつけに徹している観がどうも解せない。「高級マンション」がどうのというのも、高級かどうかが論点ではなく取締役会で決議したかどうかだ。しないと会社の金の振り込みなんかできるはずがない。なぜその時点でOKだったのが今は横領まがいなのか(本件は今後注視したい)。

ソナー・アドバイザーズは、基本的には、「オモロい」派だけの会社だ。「オモロくない」派は外注で足りる。なぜそうするかというと、ビジネスはマルクスの見落とした大阪弁の「オモロい」でこそ進化こそするという強い信念があるからだ。だから秘書にも費用は会社持ちで資格試験を受けてもらいバリューアップしていただいているし、会社の業績の進化に影響ない人は採用しない。これはラーニング・オーガニゼーション(学習する組織)という経営哲学で、僕はダボス会議でGE(ゼネラル・エレクトリック)のCEOだったジャック・ウェルチから習った(既述、「伊賀の影丸経営」の原型だ)。

僕が法律と何の関係もない対位法や和声法の勉強をしていたのは大学在学中だ。「人の税金を使って学校へ行った」(麻生財務大臣)からけしからんことだったのは謝るが、それをしながら作曲家にはなれないと思い知ったのは効用だった。できると思ったのは写譜屋ぐらいで、それなら1枚いくら、1小節いくらで請求するだろうし時間外の追加料金も計算するだろうと思った。さらに意外だったのはオーケストラに労働組合があることだった。これが意味することは、つまり団員は堂々たるプロレタリアートだという厳然たる事実なのである。基本はオモロくない派の人々なのだ。

いやそんなことはない、音楽は私の人生だ、だから音大を出て生涯の仕事にしているではないか、という声はあるはずだ。それを否定する権利は誰にもないが、それは日産の工場で現場を支える方々がクルマが好きだから汗を流しているという主張とおんなじだ。トヨタは食堂にまで意見箱を設置して工員の声でカイゼンしているが、だからといって労働組合が消えたわけではない。このことはプロスポーツと労働組合との親和性の議論と照合すれば理解が容易だ。サッカー選手がPK戦になったといって残業代を請求するかということだ。NPBに選手会が存在しストライキをしたことはあるが賃金交渉には無力である。オモロくない派ならやめればいいではないか、やって成功すれば収入は青天井だよという世界なのだ。

理系頭脳のオモロい派である作曲家は労働組合を形成する労働者とは別の惑星の人たちなのであって、両者の間には「音楽への愛」で結ばれることができるはずだなどという宗教がかった博愛ユートピア思想では越えようもない二分法による深いキャズムが存在することを僕は大学時代に学んだ(東大が教えてくれたわけでないが)。だから、そこまで異星人ではないものの「オモロい」派には属する指揮者が作曲家の宣教師としてインスパイアして引っ張らないと良い演奏など出ない確固たる道理があるのだ。音楽をマルクス経済学的側面から理解したし、それを通じて現在の経営観に至ってそこそこ税金を払っているのだから遊んだわけではなかったと思う。

この視点に立つと、指揮者と経営者の役目は同一であるというドラッカーの経営学も肌感覚の裏打ちが持てる。会社を進化させる経営を僕は「オモロい」に求めるわけだが、それは業界に40年生きてきて培った信用と人脈を素材として交響曲をcomposeする作業であることは前回述べた。これを僕はcompositionの本来の思考形態である数学的センスでずっとやって来たしこれからもそうする。数学が計算だと思ってる文系の人に説明するのは時間の無駄だから一部にしか言わないが、そういうことだ。

(こちらをどうぞ)

オモロい人たち

安藤百福さんと特許

「伊賀の影丸」型組織論

 

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交響曲を書きたいと思ったこと(1)

2018 NOV 24 16:16:28 pm by 東 賢太郎

時々とてつもない願望がわくことがあって、大学のころ不意に交響曲を書いてみたいと思ったことがある。さっそく対位法、和声法、管弦楽法の書物を買い込んで受験勉強みたいに読んだ。大変まじめにやったと自負する。クラシックがクラシックに聞こえる秘密は対位法にあることを知ったし、機能和声の原理もそうなのだがとても数学に近いということは発見だった。というより、交響曲であろうとなかろうと、数学に必要な能力なしにまともな音楽を書こうというのはあり得ないことであろう。

一般のイメージでクラシックの作曲家というと、ひらめいた美しいメロディを書き留めた文人、詩人みたいなものだろうが僕はジェームズ・ワットやトーマス・エジソンやフランク・ロイド・ライトに近いと思っている。少なくとも理系である。文学や絵画や、音楽でもポップスは文系でも書けるが、クラシックの作曲(composition)は非常に理系的作業であって、モーツァルトもショパンも、文学青年のイメージとは遠く数学、音響工学に長けたエンジニアの基盤があって、そこにあの音楽が「降って来た」からナイスキャッチできたのである。

シンプルに書けばクラシックの作曲は「数の秩序」の支配する王国を作り出すことだ。数の秩序と人間の美醜の感覚は関連があり(これは神の領域で人は作れない)それが感動(聞き手の心の動き)の源泉である。楽音が周波数(ヘルツ)であり和声がその比率値であり、音の強さはデシベルであり長さは時間であるから、音楽の要素はすべてが数である。それに秩序を与える追唱、模倣、反転、シンメトリー等々のミクロ構成原理がマクロとしての形式論を形成するのはフラクタル構造を思わせる。

ダビデ像(ミケランジェロ作)

音楽はそれだけで美しいのであって作曲はだから絵画より彫刻、建築に近似するはずだ。フィレンツェのアカデミア美術館で見上げたダビデ像にはJSバッハのフーガの技法の均整を感じて圧倒されたが、あの感動に彩色は無用でありむしろ肌色に塗れば卑猥なものに貶めかねない。管弦楽法はヘルツを変えずに色を持ち込む技法であって、従って音楽の本質ではない。それはJSバッハの多くの曲に楽器指定がないことでわかる。フーガの技法をどの楽器で演奏しようがよいのはダビデ像があえて白色のままにおかれているのと同じだ(僕は或る調性に色のイメージが出てしまうが、そのこととドビッシーをきいてモネの絵を思い浮かべるような人がいることは別な話である)。という結論に至ったので僕はそれ以来交響曲をピアノで弾いてみる習慣がついた。僕のピアノは乙女の祈りやショパンを弾くためでなくブルックナーの9番などを探索するために存在する。ピアノリダクションを弾かないでスコアの構造を理解するということはよほどの天才でない限り難しいように思う。ショスタコーヴィチは管弦楽曲を聴くそばから頭でピアノに置き換えていたというが、それは作曲家なら誰でも普通のことだろう。

さてそこまで来て、作曲とはそういうものではないのだという至極根本的なことにも気がついた。僕の願望は、仮免でF1レースで勝てるだろうというほどのかけ離れた妄想でしかなかった。しかし逆説的ながら「書ける」と思ったことも事実だ。というのは「交響曲を書くノウハウなんてない」ということだけは分かったからだ。何であれ「交響曲」と表紙をつければその日から交響曲である。誰でも書く権利はあるし著作権だって取得できる。問題はそれが演奏されて世間が良い交響曲だと思ってくれるかどうか、それだけなのだ。

作曲する(compose)という動詞はcom-(いっしょに)+pose(置く)というラテン語が起源だ。「一緒に置く」である。音楽の能力がないならそれをビジネスでやればいい。演奏されて世間が良い交響曲だと思ってくれるかどうか?それはオンリーワンであるかどうかにかかっている。そう切り替えたらどうだろう。というより、幸か不幸か、頭の構造が元からそうなっているようで「これとあれを組み合わせると面白い」ということを寝ても覚めても考えているしそれが飯より好きでもある。

ビジネスでこれを第1主題に、あれを第2にという作業は字義通りcomposeすることに他ならない。この人とあの人でもよい。両方にコネクションがあるのはこの世で僕しかいない、ということはそれをすれば勝手にオンリーワンになるのである。それを発表したら世間は驚くだろうと思うとぞくぞくする。それを構想段階で他人に話して報われた経験はない。この人大丈夫かという顔をされるだけだから説明する意味もない。しかしそういうものほど価値があるのだ。僕は他人のすることをもう少し小賢しくやろうなどということには微塵の関心もない。

 

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イリアーヌ・イリアス- Made in Brasil

2018 OCT 24 0:00:48 am by 東 賢太郎

どんな職業につくか、どこの会社に入るか。自分で決めたようで実はそうでもなかったように思うのです。運命といいますか。入ってしまって想定外のこと続きでしまったと思ったし、まじめに辞めようと考えたことは書きました。よかったのかどうなのかということですが、ほかの人生はやってないのでわかりません。

あれが良かった悪かったと昔をふりかえっても終わったことにそう意味があるとも思えません。単に、絶対に確かなことは、そういう昔があったから今があることです。だから、今がよろしければ結果オーライでそこまでのことは全部正解じゃないの?というのが僕の人生観です。

「あの時にああして失敗でした」という人がいたので「じゃあいま不幸せなの?」ときくと「いえ」という。「なら成功だったんでしょ?」となるのですね、誰でも。だから、いま、毎日を楽しく過ごしてああ幸せだと思ってしまえば人生は無敵なのです。オセロみたいに全部ひっくり返って「成功」になります。

ブラジルに行ったのはたった1度、たしか1991年の2月、真夏のリオのカーニバルの少し前でした。36才です。リオ、サン・パウロ、ブラジリアでしたが、正直のところ、これは凄いところに来てしまったと思った。人生観が北極と南極ぐらいひっくり返ります。

なにせ空気も大気も違うわけで、ビーチは見わたすかぎり美女美女。なんだここは??竜宮城の浦島太郎でした。そこで思ったのです。ああいい会社に入ったなあ。なんのことない、俺はなんで辞めようなんて思ったんだ、馬鹿じゃないか?人生こんなもんなんですね、だから少々苦しくてもめげてはいけません。

そこからも、もっともっとつらいことがあって、いや、やっぱり辞めといた方が良かったじゃないかと思ったことがあるからさらに馬鹿なもんです。でも辞めなかった。49になって遂に辞めて、今度は遅すぎたと後悔しました。でも、結果的にはそれがドンピシャのタイミングだったから、もう笑うしかありません。つまり、自分の浅知恵で「熟慮」なんかしても、結局今はなかったのです。

そういう愚かな自分をほんとうに愚かだなと笑いとばすことは今の僕にとってけっこういいストレス解消なんですね。今だって迷うことはいくらもありますが、そんなの明日の天気といっしょ、考えて晴れてくれるわけじゃないしとなってきます。健康なのはあんまり迷わないからでしょう。思えば、僕はブラジルで北極と南極ぐらいひっくり返ってこういう人間になったのです。

ブラジルで大蔵省と中央銀行へ行ってひっくり返った。それは書きました。今回は連れていかれたリオのクラブみたいなところで初めて聴いた音楽についてです。セクシーな褐色の肌をしたカリオカのお姉さんがピアノとバンドをバックに歌っていたあれはいったい何だったんだろう?

ボサ・ノヴァが素敵なのはクラシックには出てこないハーモニーなのです。ジャズかというと近いようでもあり、まあ僕はジャズの定義をよくわかってないからさし控えますが、完全な和声音楽なのに不思議な浮遊感があってとてつもなくオシャレ。そして、ここが大事なんですが、ポルトガル語がぜんぜんわからない。これがまたいいんです、意識もぶっとんで浮遊してしまう。つまり、あの竜宮城に戻るのです。

最高のリラックセーションになるアルバムがこれです。イリアーヌ・イリアスの ”Made in Brasil” であります。この人、ブラジル出身のジャズ・ピアニスト、ヴォーカリストでニューヨークで活躍。なんといってもジュリアード音楽院卒で音楽能力は筋金入りであり、バックにTake 6とロンドン・フィルハーモニーのストリングスを従えて洗練の極致。和声の最高の高級感。ジョビン、自作などが入ったこのアルバムのレベルの高さは凄いものです。みなさま、ぜひ竜宮城に遊んでください。

 

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テスラ(Model X)試乗記

2018 OCT 16 9:09:27 am by 東 賢太郎

 

台車部分のスケルトン(フリーモントのショップにて)

クルマの自動運転(オートパイロット)はかつてはドラえもんの世界でした。それが実現しているのだから、これは試してみるしかありません。昨年にシリコンバレーへ行ったおり、テスラがそこかしこに走っているのを見てこれだと思い、仕事の合間にフリーモントのショールームをのぞいてみたのです(写真)。

人類の英知の最先端に触れてみるのはいつも大事です。知識ではだめ。肌で知ることで感覚が「上書き」され、そこに乗せた知識が初めて考える土台となるのです。だから僕は古いもの(クラシックなもの)も好きですが、新しいものも目がありません。最先端のその先には神の領域があるからでいつも1ミリでもそれに近づきたいと思っています。高所恐怖症なので月に行きたいとは思いませんが。

シリコンバレーはアメリカのIT最先端基地ですが、住人はアメリカ人といってもエスニックにはインド人、中国人、イスラエル人などのごった煮で、テスラ創業者のイーロン・マスクは南アフリカ人です。内向きの日本人は影もないが別に寂しいこともない。curiosity(好奇心)なき者は進化が止まる、それだけです。それで日本国がどうなろうと僕にはどうもできないし。

オートパイロットはいずれ地球上の交通を席巻するでしょう。安全性に未解決の問題があるといわれ、それはおおむね事実ですが、では現状の人間による手動運転がそんなに安全かどうかを自問すればいい。「昔は人が運転してたんだ、80才こえたおじいちゃんでもできたんだよ」と子供に親が語る時代が来るに違いない。より安全な方法があるならそこに留まるべき理由はないのです。道路や交通規則の方をオートパイロットでも安全なように根本的に変えればいい。あとはAIの加速度的なラーニング能力が解決します。

オートパイロットという究極の移動手段においてCO2を出す動力に依存するという発想はまったくのmediocre(凡庸の愚鈍)です。せっかくの無限大にゼロをかけてゼロにするようなもの。EV(電気自動車)がベストの解決かどうかはともかくガソリン車より地球環境にやさしいのは自明です。そうなると困る業界人たちが時間稼ぎのためにあらゆる反論を垂れ流していますが、何をあがこうが10年ぐらいで世界は自動運転によるEVの世の中になるはずです。

そのレースで最先端の車を作って売っているのがテスラ社です。新奇なものに毀誉褒貶があるのは世の常で、イーロン・マスクの行状やら生産体制やら業績やらがあれこれ言われており、だから買わないという人もいる。しかし創業者がどうあろうが世界のトップノッチの技術者が集まって世界一のEVを作ろうとこだわりぬいた逸品であることに変わりはありません。クルマの良し悪しは評論家が何といおうが、自分で乗ってみないとわからないのです。

Model Xをプレゼン中のイーロン・マスク

そこで米国で2年前にローンチされたModel X(ファルコンウイングドアの多機能SUV)に青山のショップで試乗してきました。これはファミリーカーなのにスーパーカーである世界で唯一の車、世界一の安全性能、重さ130トンのジェット機を牽引してギネスブックに載った世界一のパワーと、世界一ずくめの車であり、どうしてもさわってみたかったわけであります。

加速は0-100km/hを2.7秒!ランボルギーニ、マクラーレンより速く、体感はジャンボ機の離陸時のGで、同乗者(7人乗り)は悲鳴をあげるでしょう。最も興味があるオートパイロットですが、これはまだ未完成ではあります。しかしこの車は走るコンピューターであって、プログラムはテスラ社によって時々刻々バージョンアップされオンラインで自動装備されていくのです。車が勝手に進化する!このコンセプトは素晴らしい。

未完成とはいえ、おそるおそるハンドルを手放してアクセルもブレーキも踏まずに「馬なり」にして走行してもすべてを完全装備のセンサーが感知して、見事に道なりに曲がり、周囲の車の流れに合わせての加速減速、停止、発進をしてくれます。車庫入れ、縦列駐車は完璧。不思議な感覚ですね。いずれバージョンアップされて道路状況を学習させれば、空港まで乗って行って自動運転で無人で帰宅させる、運転手なしで会社まで車内で寝たり仕事したりして往復できるなんていう最高の相棒になるのでしょう。

僕は43年間完全無事故ドライバーで技術は自信がありますが運転はあんまり好きでもなく(ゴルフとおんなじ)、いままで乗ったのがドイツでメルセデス・ベンツS500、スイスで同S600で、後者はアウトバーンで250キロ出しても微動だにせずガソリン自動車としてはほぼ最高峰の車でした(6000cc、2.5トン)。帰国後はジャガーXJ(2004年)レーシンググリーン一本で、こっちは英国首相官邸御用達車で、乗った感じは車高の低いこれが好きでした。自分で運転したいと思ったのはこの3つだけで、つまんないクルマは1分たりともやる気なし。日本車は万人受けする非の打ちどころないユーティリティ車ですが、どうも機械として、個性に欠け面白くない。これはハイエンド・オーディオの世界と通じるものがあるのです。その点テスラは全面的にユニークであって、自分の意識改革の触媒にはいいかなと思ってます。

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安藤百福さんと特許

2018 OCT 13 12:12:31 pm by 東 賢太郎

インスタントラーメンを発明した安藤百福さんがドラマになったらしい。テレビは見ないからそっちは知らないが、こういうのが縁なのだろう、たまたまやっていた番組が彼の特集をしていて、食い入るように見いってしまった。

野村で大阪に赴任してすぐ、大営業マンとして著名な先輩の武勇伝を聞かされた。日清食品の社長室に押し入って?初対面の安藤さんに株を買ってもらった話だ。愉快、痛快。先輩もさることながら安藤さんは大物だと思った。

それが頭にあったのだろう、同じことをやってみたら名門企業のU社長がやっぱり株を買ってくれた。今になってみるとこんなことを二十歳そこそこの小僧にさせてしまう野村證券も凄いが社長も後に関西経団連のトップになった大物であられた。野村も社長も、これが大阪でなくて何だろう。やっぱり僕を育てて筋金を入れてくれたのはオモロい大阪なのだ。

日本統治時代の台湾出身で大阪人であった安藤百福さんは日清食品(株)創業者だが、傑出した発明家でもあった。失敗と困窮と苦難の末に製法を考案したインスタントラーメンが大当たりしたは良かったが、劣悪な模倣品がどっと市場に出てしまう。どこでもある話だ。そこで発明家は創業者利益を侵害されぬよう、特許という盾によって侵略者と戦うのである。

画期的な発明ほど魅力的であって、模倣品との戦いが熾烈になるのは道理だ。ナンチャッテだけで生きる人たちの総攻撃にあう。せっかく美味しいと認められつつあったチキンラーメンが劣悪品の風評被害で大ピンチになってしまった。番組がそこまで来たとき、僕は青色LEDの中村修二先生の発明特許が900もあるのを思い出していた。そういうものなのである。

ではそこで安藤社長は何をしたか?

「特許を開放してしまえ」と命令したのだ。これには驚いた。日本ラーメン工業協会を設立して製法特許権を譲ってしまう。経営の常識として全役員が反対したのは当然だがそれを押し切った。叩くのでなくやらせてしまえ、我が事になれば皆が品質や安全にも気を配るようになる、「野中の一本杉になってそびえるより、豊かな森にした方が実りが多い」。

これは凄い。涙が出てきて声にならず、いっしょにいた家内は驚いたろうがこの衝撃は文字にならない。このトシでよもや経営話ごときでガツンと後ろから殴られたようなショックを受けるなんて、自分に何が起きたんだろう?むしろそっちに驚いた。まだよくわかっていないが、想像で書いてみるしかない。

まず彼が規格外の人物ということだ。創業者、発明家は相応の苦労をしている。だからタダ乗りを締め出して利益を独占したくなってもそれは当然のご褒美であって、寛大でない、セコいとは言われない。これは世界の常識である。苦労なく幸福をばらまくことのできるのは神だけであり、人間は神でないことを知っているからだ。それを放棄することは、理由は何であれ、幾分かの他利の精神がなくてはできないことで、そうそう常人の及ぶものではない。

特許で囲えるという法律があるなら、囲わなければ模倣は合法だから許されるという妙な理屈が出てくる。だからこそ囲わざるを得ない。日清食品がいくら特許侵害訴訟を起こした事例があろうが必然以外の何物でもない。創業、発明はゼロから有を生む。止まっている物を動かすには静止摩擦を上回る巨大な力が必要なのが物理法則であって、それが創意とリスクテークの度量という一種の才能、才覚である。凡人にもできる物まねの「ゾロ品」を生む権利などで潰しては国益にまでかかわる大事なのである。

しかし、それだけだったら偉い人だねとは思っても涙までは出ない。そこで次に思うのはスイスにいたころの麻薬常習者の話だ。安藤さんのジャッジはそれに似ているのではないかと直感的に思ったのだ。事はこういうことだ。1995年ごろ、チューリヒ駅近くの公園で若者による注射の射ち回しが議会を巻き込んだ大問題となったが、そこで市は希望者に注射針を無料で配るというやはり想定外の手に出たのである。

背景には麻薬常習者の増加に加えてさらに喫緊の問題があった。注射針を介して当時流行っていたエイズが拡散することを恐れたのだ。取り締まれば奴らは地下に潜るだろう。するとエイズも地下に潜る。見えぬ病原体相手にはそのほうが市民生活には危険が及ぶと思ったのである。これは寛大でも他利でもない、国家は市民である君らに介入はしない、楽しみを奪ったりもしない、だから、俺たちを巻き込まずに好きに死んでくれという冷徹な政策だ。

商人でもあった安藤さんがどちらだったかはわからない。しかしどっちにしても涙は出そうにない。どうやらもっとずっと僕の個人的なことで、きっといま頭を占めているいろんなことで、チキンラーメン特許開放!は響いたに違いない。

証券屋というのは30年もやればいろんな経営者を見てくる。皆さんいろんな経営手法でいろんな英断をされている。しかし証券屋はそこで「社長、流石ですね」と持ち上げて商売をもらうのだ。何がどう流石かなどはぜんぜん二の次で。特許開放!いよっ、流石は大社長、ご英断ですなあ。

こういう馬鹿丸出しの太鼓持ちが反吐が出るほど嫌いで、長年の仕事柄そんなことをやる風に染まってしまっていた自分まで軽蔑していた。安藤氏の英断はまず僕を素朴に驚かせ、僕はそれに驚いた自分にはっと驚き、そうか、ついにあの馬鹿らしい世界から脱却できていたんだと気がついた。それだったんじゃないか?

返す返すも社長室に押しかけて安藤百福さんにお会いしなかったことが残念だ。

 

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オモロい人たち

2018 OCT 11 6:06:10 am by 東 賢太郎

大阪で仕事したころ、「あんたオモロいやっちゃ」といわれてそうかなあとけっこう戸惑った。これが「面白い人」ではないと知るにはしばらくかかる。それは関西弁でしか表せないニュアンスだからで、東京にはそういう表現がない。

面白いはfunnyである東京人はそういわれるのは面白くないが関西でオモロいはinterestingであって悪い意味とは限らない。東京ではしかしそれを訳すと「あなたは興味深い人ですね」みたいになって、これはこれで上から目線の感じで余計なお世話だとなるからややこしい。英国でWhat you said is interesting.なら言えるがYou are interesting.は失礼感があるように思え、言ったことも言われたこともない(アメリカは知らない、トランプは言いそうだ)。

つまり、You are interesting.を好意、親愛の表現で言ってしまう関西は特別な場所かもしれない。土足で踏み込む感はあるが人のぬくもりもある。いや、それをぬくもりと思うのが関西だと東京人の僕は思った。

しかし最近、東京にだって昔からオモロい人はたくさんいるのだけれども、その人たちをオモロい人と思う人があんまりいないだけなのではないかと思うようになった。つまり「オモロい」という概念は受容する側の問題だと。

僕はこの「オモロい」こそが人間の人間たるゆえんであって、ちょっと大げさに言えば人類を進化させる原動力ぐらいに思っている。オモロい人がいくら周囲にいても、彼らを受容するカルチャーがなければ宝の持ち腐れになってしまう。

中学に丸山鉄男というオモロい奴がいた。こいつのオモロさを凌駕する人間はいまだに現れていない。図抜けて天才の域にあり授業中に隣りで悪ふざけして笑いをこらえるのに死ぬほど苦労した。早稲田高等学院に入ったが馬鹿なことに大学でサーフィンであの世に行った。でもあれ僕の中で生きているからいい。

オモロい」は東京にいると、どうも錆びついて見えなくなってくる気がする。大阪やアメリカや香港にいたときは僕の「オモロいセンサー」はもっと感度が良かった。そう思いだしたので最近はつとめて知らない世界の人と会って話している、というか、話し込んでいる。思ったらすぐに何か手を打たないと鈍る一方で僕にはあらゆる意味でよくないからだ。

ネクサスの動画に出演してくれた90人の若者たちは宝庫だ。彼らはみんな熱中型人間で飯食うのも忘れて何かに没頭するタイプだ。それでその世界で凄いと言われハングリー精神に満ち満ちている。こういう人は強い「気」を発してる。動画でそのシャワーを日々浴びていると僕は元気をもらえる。

だがもらうだけじゃあいけない、発見がしたい。例えばそのひとりのサムライの島口氏は海外でひっぱりだこである。欧州ツアーで飛び回って帰国したから報告したいとほんの少しの時間なのにわざわざ来てくれる。そこまでウケるには、まだ僕の気づいてない才能がこの人にはある。あるはずだ。そう思ってそれを知りたくて興味津々だ。

会社を2つ作って50億円もってる38才にもきのうお会いした。初対面でありオモロそうだと聞きつけて来てくださったようだが、こっちは商売より彼のオモロさがどこにあるのかが大事だ。それがなければそんなカネが作れるはずがないからだ。

深く井戸を掘りました。頭悪いんであれこれできなかったんで」

「いや50億作った人が頭いいのが資本主義だよ」

そんなことを2時間話し込んで、ビジネスについてはよくわからなかったがオモロい人だった。株の話はほとんどせず、ゴルフのベスグロ75で同じだね、でもジョン・レノンの最高傑作はアイアム・ザ・ウォルラスじゃねえかなというところで意見が合致して終わった。

元ロッテのサブローこと大村三郎氏にはときどき最近のプロ野球界のもろもろを教えてもらう。彼は巨人もいたしオモロい。なーるほど、人間だからどこも一緒だよな。そういうの勉強したいって、じゃあ司馬遷の史記だねオモロいよ。彼は即決のスナイパーだ、すぐ読了するだろう。

たしかPWCのレポートに、2030年にAI革命が進んでいて、世界で最も危ない国は日本であり、62%の人が職を失うとあった。ブルーワーカーだけではない、銀行員や公認会計士もだ。でも人を感動させる職業は残るとある。要は「オモロいやっちゃ」になればいい、そういうことなんじゃないか?

 

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脳みそが「創造する快感」に支配されている人

2018 AUG 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

今日は神山先生ご夫妻と夕食でした。もう14年になるね、僕は先生の漢方を一番長く飲んでる日本人だね、効いてる?わかんないね、まあ、毒じゃないってことだけは確かだね、なんて龍門派気功第十九代伝人にジョークをかませる仲です。14年は長い。野村を辞めて以来ということであり、お互いがいばらの道で辛いときに悲喜こもごも助け助けられで、ほんとうに色々ありました。家族ぐるみで切っても切れない仲で、僕は彼の上海の仲間に「日本の兄弟」と紹介されています。

2004年に風邪をこじらせて熱がさがらず、騙されたと思って行けと紹介されて池袋の診療所を訪ねました。とても苦い煎じ薬を飲まされ、一日ですきっと治った。この時の台風一過の如き清涼感は忘れません。漢方の知識は皆無でしたし、今だってほぼゼロですが、それ以来彼の調合する薬草を信じて朝晩欠かさず煎じて飲んで、まさに医者いらず薬いらずの体になってしまいました。後で知りますがこれが彼のファミリー6代に伝わる、免疫力を高める「未病」の秘法で、ちなみにお父上は鄧小平を診た国医です。

上海交通大学の気功の教授だったところ、事情あって来日し山梨大学で教えることになってから28年、このたび母国の医師免許が授与される見込みという嬉しいニュースが入りました。中国の医師は西洋医学をする西医と中国伝統医学(日本人が呼ぶ漢方)をする中医に分かれていますが、習近平は中国医学発展計画により中医学の標準化と輸出、中医師免許の拡大政策などを推進し「一帯一路」プロジェクトにも中国医学グローバル化が含まれました。この追い風の中で、国外頭脳流出していた龍門派気功第十九代伝人・神山道元先生(中国名・屠文毅)に国のスポットライトが当たったようです。

先生の奥様は西医で英語も堪能、上海の病院の麻酔科教授で心理学博士でもある超インテリの彼女がセクレタリーというのは強力で、国家予算がつくようだからそう遠くない先に先生は父君のように本国で中医を代表する存在に返り咲くでしょう。そうすると僕は先生の国外流出期に14年と最長の投薬・施療実験台(笑)だった人になるらしく「中国政府に提出するレジュメに東さんの名前を書いていいですか」ときかれました。政府のインタビューに同席もしてくださいと。「もちろんオッケーだよ。当然でしょ。人生最高の医師だというよ」と答えると奥様があなたは**だという。中国語でわからないので手帳に漢字を書いてもらったら「劉備」でした。

こうなったのも、僕の新しいもの好き+経験主義(ホントに一発で治った)+良いものは良い、いらんものはいらんの割り切り主義からでしょう。薬は治ればいい、誰が作ったか何が入ってるかなんて効けばどうでもいい、いくら権威ある大教授の御託が立派でも効かない薬なんて捨ててしまえ。そういう処で先生と性格が合うのです。一度心から信じたらとことん信じるのもいっしょ。完璧な一致と言っていいですね、こういう人はこれまで会った人にはほとんどいませんし、日本に染まっているとどうもチマチマセコセコになってしまう。

彼はドツボの時も明るい未来しか考えない。半端ないポジティブ・シンカー。構想が大陸的であってでかい。弱音を吐かない。へこたれない。やめない。何かをゼロから生むのが飯より好き。これは僕とまったく同じ種族の人間ということで、脳みそが「創造する快感」に支配されているのです。人生クリエイトしてなんぼ。この事実の前にして彼が中国人であるということはそれこそ僕にはかけらの関係もなし、国籍、宗教、性別、歴史、血縁なんてものは脳みその型で分類した人間の種族にはずっと劣後します。地球上のどこにも、自分と種族が同じ人と違う人という2つの人種がいます。

事業というのは、大企業のパーツならともかく自分で起業というのは自分が車のエンジンにならなくては絶対に無理です。そして「エンジンになる」とは「創造する快感に支配されている状態」のことなのです。創造とは非常識な処から生まれる、まだ世に存在しない発想のことであって、そこにつまらない常識的な人が出てきて「そんなの無理でしょ」なんて言ったら車は1メートルも進みません。そうなると会社はつぶれるし、世の中の99%は常識人だから、僕はそういう人と接しない時期が年に何回かは必要です。1%に属する先生は話していて無限に面白い、何時間でもいっしょにいたい貴重な兄弟なのです。

 

(ご参考です)

勤め人時代にできなかった二つのこと

 

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楽しかった「かむゐ」の20周年記念公演

2018 AUG 20 0:00:40 am by 東 賢太郎

先だって島口哲朗さんにディナーにの席でお招きにあずかったかむゐの20周年記念公演に行ってきました。

サムライとアニメは日本の宝である

そもそも20年続くものは何であれ本物でしょう。まがいものは時の波に飲まれて消えます。本公演に梅沢富美男さん、中村玉緒さんが届けていた熱い祝賀メッセージもお義理でなく本物でした。日本を愛する人は、一度ご覧になれば好きになると思います。ちなみに、かむゐが外国でどれだけ注目されているかはこちらのHPをご覧になればわかります。

http://www.k-kamui.jp/jp/homepage.php

多くのみなさん和牛は日本のブランド牛肉と思っておられるでしょう。しかしWAGYUと横文字で綴られるとそうとも限らないのです。「オーストラリアWAGYU協会」が1990年にでき、今は米国WAGYU協会(本部アイダホ州)まであるのをご存知ですか?WAGYUの高級ブランドイメージだけは日本が作ってあげて、それのナンチャッテ版である米国産、オーストラリア産が世界を席巻してしまうかもしれません。

同じように、は今のところ日本人だということで世界にブームが広がりつつありますが、SAMURAIと横文字になるとだんだん国籍不明になるのは和牛と同じではないかと危惧するのです。ただ刀を振り回せば格好いいという若者が欧米に増えてます。それが独り歩きすると、そのうち中国や韓国がルーツだぐらいの法螺吹きが平気で始まるだろうし、そのスピリットである武士道とかけ離れたものになるかもしれません。

百歩譲って食べ物は構わないのです。しかし侍は武士道と関わり、武士道は決して殺戮のための教えではなく、武士階級の倫理・道徳規範であって支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことを求めたもの、いわばノブレス・オブリージュに相当するものです。昨今のわが国の政治家、官僚、経営者、指導者においていかにそれが希薄化してしまったかは皆さんお感じになっているでしょう。

経済大国になることで一流国の地位を得たわが国が、金満国家としての下衆な扱いではなく一定の敬意も得ていたことを僕は16年の海外生活でどんなにありがたいと思ったことか。それはなぜか?日本人が心の底流に持っている和の精神への敬意があったからです。

住んだ5か国どこでも外国人の部下たちが仕事の中で「日本人はわからない」「どうしてそうするのか」といろいろなことで言ってきました。良い方にも悪い方にも言われましたが、僕はいつもこう答えたのです。「それは英語になりません。日本にしかないものは日本語で覚えてください」。そうして「WA」と「BUSHIDO」を教えました。

僕は日本人の奥ゆかしい精神の底流にある武士道だけはナンチャッテは勘弁してほしいと思っています。だからかむゐに出会った時も、実はやや疑いの目で見ていたのです。しかし彼らはそうではなかった。僕が消えないで欲しいと願っている、まさにその精神を殺陣という見栄えのするパフォーマンスで万人に分かり易く体感させるものだと知り、応援しようと決めました。KAMUIとしてあえて横文字で、チャンバラ劇ではなく武士道というスピリットとセットで日本文化を体感していただく場として世界に広まればいいなと思います。

10月31日にイタリアのフィレンツェでかむゐリーダーの島口哲朗氏の日本人初の「文化芸術賞」授賞式があります。式場は現存する世界最古の薬局であるサンタ・マリア・ノヴェッラ本店です。これは欧州文化に深く根差す「クラシックなもの」とサムライ・アートの融和の起点となるでしょう。個人的なことを言えば、伊賀の影丸で字を覚え、三匹の侍やクロサワ映画で育った僕としても自然な感じをいだいております。

本日の公演でも第1部は邦楽(尺八、横笛、太鼓・鐘、胡弓)が背景の音作りをして、素晴らしい幽玄で静寂な空間を演出。音楽的にも見事でした。これは完全にクラシック音楽と言ってよく、殺陣は命のやり取りをイメージしたものですからシリアスな題材でありそれがよく似合います。第2部の背景は小林未郁さんのオリジナル曲のピアノ弾き語り、和太鼓、津軽三味線と、これがまた大変な水準の演奏であり、音だけでも十分に僕を満足させるものでした。

殺陣は演劇やダンスの要素もありますが、音楽が必ず背景にある演出はKAMUIの強みですね。オペラにもミュージカルにもなる。これが西洋人にアピールするのは僕の経験から思うに必然です。そうなるとナンチャッテ・サムライの跋扈が心配でなりません。ぜひ日本人の皆様が一度ご覧になって、灯台下暗しにだけはなりませんよう願っております。

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一軍と二軍の差はどこにあるのか?

2018 AUG 16 18:18:55 pm by 東 賢太郎

イースタンリーグの巨人・楽天戦を東京ドームで観ました。約2万人と一軍なみの入りで、ネット裏3千円のチケットが完売なのだからこれはこれで興業にはなるイメージですね。

二軍とはいえここにいるのはいま熱戦たけなわの甲子園を沸かせたり、大学、ノンプロで図抜けてドラフトにかかったツワモノばかり。先発は安楽と鍬原。安楽は甲子園歴代最速の155キロを記録した投手ですね。打者もなんでここにいるのというゲレーロが2本、ペゲーロが1本ホームランを叩き込み、クローザーのカミネロの157キロのど迫力の豪速球がうなるなど、この辺は一軍そのままの野球でした。

にもかかわらず、電光掲示板に選手の成績が出ません。「ペゲーロ選手、第4号のホームランです」とアナウンスされると、えっ、そんなに二軍にいたのか!となるからそりゃその方がいいかもしれませんが、何のためこの試合でがんばってるの?といえば首脳陣に認めてもらうためです。放っておいてもエースで4番で認められまくって人生を送って来た人たちだ、辛いし悔しいし、たぶんそれが原動力でやっている、でもここでの数字は報酬にカウントはほとんどない。報われなければ永久トライアウトのようなもので、過酷、残酷な場でもあります。

年俸4億円のゲレーロがここにいて530万円のマルチネスが一軍でレギュラーというのは劇的な下剋上でしょう。一時的にせよ、時間差はあるにせよ、フロントと現場首脳陣の意見が割れているということになります。サラリーマンなら人事発令で異動してきた部下を現場が干せば人事部にケンカを売るようなものです。当然社長への忖度前提だからきっと根回し済みで部下が悪かったで終わるでしょうが、この日の会心の2ホーマーは場外乱闘を面白くしますね。

一軍と二軍の差は何か?

この試合を見る限りですが、明らかに「ミスの差」でした。あまりに月並みですが投球、打撃、守備、走塁のですね、巨人より楽天の方がミスがずっと多かった。だから7-2で巨人が勝った、そういうことでした。おそらく、一軍に上がれる人はここにいるすべての人よりもミスが少ないのです。いくら頑張ってもミスする人は一流半で終わるし、ミスを減らすには基本を地道に練習するしかないのでしょう。基本の練習は誰でもできますから「やればできた」というのはなく、単に「やってない」のです。

僕の人生経験に照らした結論

つまり、ファインプレーをした方が勝つのではなくミスをした方が負けるのです。場外ホームランを打てる人は打てばいいですが、それができなくても負けなければ勝ちます。楽天のミスといってもエラーばかりではなく送球のタイミングとか野手のカバリングの位置とか、それもイージーなものから詳しい人がよく見てないと気がつかないようなものまでありました。実は、おそらく、どんなジャンルでも、最高水準の人達の戦いはそういう鼻の差の細部で勝敗が決まっているのだろうということを思い知りました。ということは、練習の段階でその細部まで神経が通っているかどうかが決定的な差をもたらすということではないでしょうか。コーチングも大事ですが、やっぱり最後は細部への注意深い気づきと、それに対する自分の意識の問題ですね。

仕事の教訓にいたしましょう。

 

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