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カテゴリー: 若者に教えたいこと

来年は新しいディールをやる

2019 NOV 30 23:23:59 pm by 東 賢太郎

毎年この時期になると来年の事業構想を練っている。弊社が12月決算というのもあるが、やはり師走になると今年も速かったなという想いに駆られて来年のことを考えてしまう。しかし考えたとおりに行くこともそうはない。

去年の今ごろは横尾さんを会長にお迎えしたい一心だった。それが今年5月に実現したし、そうしたらなんと10月に日本国の2兆円国家戦略ファンドである産業革新投資機構(JIC)の社長にご就任が日経新聞一面で報道されてしまい、しかも弊社の会長はそのまま兼任という存外に有り難いご配慮をいただいたのだから国にもJICにも横尾さんにも感謝申し上げるしかない。

もうひとつある。これまで9年間、僕はあまり野村證券の人とは接点を持たなかった。べつに避けたわけではなく、ただ、やろうとしている事業があまり野村的でないなと勝手に思っていただけだ。それが今年の中ごろから急転直下、変わった。野村出身の方々と動く時間がすごく増えた。事業内容を変えたわけではないのにである。なぜか。

それは社員やパートナーの皆さんが、一般社会的には滅茶苦茶である僕のビジネス・ディシプリンに慣れて下さったからだ。税理士のN先生はグァムでゴルフのニギリで負けて食事で口をきいてくれなかったが、そこから僕という人間がわかったそうで以来仕事が楽だ。僕がテンパると何が飛んできても不思議でないが心構えができてるから片付けてくれる。弁護士のA先生、W先生もそう。

社員もだ。先日出張でネクタイを忘れたが到着する空港の土産店に話をつけて閉店しないよう段取りつけてくれたりまあいろいろと迷惑をかけているが片付けてくれる。おかげで非常に良い仕事ができて帰ってきた。秘書たちも家族も、つまらないことでストレスをためないようにしてくれてるのはよくわかってるし感謝の気持ちしかない。

つまり、野村的に行かない部分がうまく動いてくれるようになり、自分が不得手な部分に心配がなくなってきたのだ。なんとも大きなことだ。9年かけてやっとそうなった。不得手な部分でつっかかると僕は非常にストレスがたまる性質の人間だ。すると大事な部分のパフォーマンスが落ちてしまう。会社として何の意味もない。だからそれを勝手に解消しておいてくれる人は僕にとってきわめて貴重で、そうでなければ全く不要だ。

野村の人とは世代を超えてすぐツーカーになれる。言いたいことが言わなくてもわかるし、僕の指示がサクッと通じる。それは野村出身でなくてもできる人はいるが、いずれにせよ通じないと多大なストレスであり、テンパっている、つまり戦場にいるときにいちいち説明するなど論外である。ということで、いままでの僕はあたかも借りてきた猫だったが、野村的ビジネス・ディシプリンの中では4番でエースであり、破壊力はデカい自信がある。

この状態で来年に突入するのだから業績は期待できるだろう。社員は現状11名だが増える。国家の生命線に関わる業態の会社のプライベート・エクイティ・オファリングに関わらせていただける(まだ書けないが)のは大変な栄誉であり、弊社として金額も意義もかつて最大のディールとなるかもしれない。同社は日本企業だが上場は米国であり、そんじょそこらの証券会社では対応はできない。ソナーの強みを見抜いてご評価くださった社長には敬意と感謝の意を表したく、期待にお応えしてファイナンスを絶対に成功させたい。

 

 

奥出雲風土記(2度目訪問の背景)

2019 NOV 24 12:12:15 pm by 東 賢太郎

わけあって島根県の奥出雲町に3泊した。僕にとって人生をかけることになるであろう某プロジェクトの下見のためである。

それは、このブログに書いたことと関係がある。いや、このことがなければ実現することもなかったという現実をまず書くべきだろう。

T社長、ありがとうございました

ここから2年の年月がたち、僕も顧問を退任しているからもうお名前を明かしてもご迷惑はかけないしお許しもいただけるだろう。T社長とは(メガネの)パリミキこと株式会社三城ホールディングス創業者、多根裕詞さんのことである。生前からご本人には多根さんと呼ばせていただいており、本稿でも親しみをこめてそう書かせていただく。お断りしておくが、僕がさせていただいていたのは親会社の顧問であり、上場企業である三城ホールディングスの経営や情報には当時も現在も関与、アクセスをしていない。同社とは多根さんという個人を通じての関係であったことをご了解いただきたい。

多根さんに教えていただいたことは質量とも甚大だった。よく口にされた「人との出会いの大切さ」は誰もが頷くことだが、多根さんの行いを拝見すると「言うは易し」であり、軽々に口にはできなくなる。「3億分の1の確率で生まれてきた不思議」の先に「出会いの不思議」があり、人間はひとりひとりが違うから「感謝、思いやり、おせっかい」が大事と説く。しかし、そのいちいちに共感はするものの、それだけなら僭越ながら僕はこれほどおつきあいしていただけるには至らなかったのではないかと感じている。

あくまで僕の側からの一方的な話ではあるが、そうなったのは、ひとつ深い所で共鳴できるものがあったからだ。多根さんが森羅万象の万事において究極の「本質追求型」の人であられたことである。「僕は本質追求型だから」とことあるごとに皆の前で繰り返されたが、一見してやさしいお人柄の多根さんがどういう意味でそうなのかは簡単に気づけるものではなかった。それがどういうことか、僕流に解釈するなら、宇宙の神羅万象すべてに因果関係があると信じ、その因果こそが物事の本質であってそれに関係のないものは見ないということだ。原理主義に近いが、原理の宗教や学問による解明が大事というよりも、原理に照らして意味のないものを見抜いて捨てるというすぐれて実学的姿勢である。

見抜いて捨てるという行為を導くのだから、それはインテリジェンス以外の何物でもない。それで時価総額1000億円になった企業を築き上げたのだからその値打ちは誰も否定できるものではなく、例えばその彼が「人との出会いの大切さ」を説くのは政治家の空虚で上っ面の辻説法などとはわけが違う、彼の原理の根幹を成すずっしりと重みあるメッセージだろう。しかも、凄い所は、ゼロから立ち上げた成功者なのにそうしたものを「経営哲学」のように事大主義的に祭り上げなかったことだ。本質追求は立派な哲学と思うが、根源を宇宙にまで求めた本質という絶対的な存在を前にしては、ご本人はおそらくどこまで行っても自分は不完全で学ぶべきと考えておられたと思う。

それは経営者が強欲イメージを回避せんと往々にして見せたがる偽りの謙虚さではなかった。成功者であることが正当性の唯一の根拠である程度の「哲学」によって自分をアイコン化しようとする行為は、言うまでもなく “とても本質的でない行為” の見本のようなものである。やりたくても出来ないはずなのだ。多根さんがそれをされずに逝かれたという事実を前にして、僕は彼が一切のまがい物を含まぬ正真正銘の本質追求型であったと信じるに至ったのだから、時すでに遅かった。人が人を知るということは、そのようにたくさんの事例を演繹的に積み重ねることでしか成しえないが、知り合って6年というのは顧問という仕事をいただいたとはいえ、長いようで短くもあった。

僕がperipheral(周辺事象、皮相)を毛虫のように嫌悪しているのは美学でもあるが実学でもあって、物心ついて以来それで生きてきているがなぜそうなったかという心の起源について心当たりがない。宗教家や哲学者や経営者の本や講演でそうなったのでないことは確かだから、蜘蛛を嫌悪するのと同じで遺伝子によってそう生まれついているとしか考えようがない。嫌悪に近づかないという行為を導くのだからそれは本能でもあるがインテリジェンスでもあって、僕がperipheralと感じるものを見抜いてばっさり捨てるタイプの人間であるということは多根さんの言われる「本質追求型」に近かったかもしれない。peripheralのみを振り回して生きている人々は人間としてもperipheralということなのだから僕は興味の持ちようがないが、多根さんがそこまでだったかどうかは知るすべがなかった。

多根さんと知り合ったのは偶然にミクロネシア視察トリップでご一緒することになっただけで、プレゼンに行ったわけでもビジネスをしたかったわけでもない。2014年3月に故郷の奥出雲に2泊で誘って下さり、帰ってきてブログを書いた。僕は旅好きだが、その土地にあんまり興味がわかないとどんな名所であれひどい時はその地名に至るまで忘れてしまう。いっぽうで逆の場合は万事を写真みたいに覚えていて、その時がそれだった。記憶のとおりに書いたところ(奥出雲訪問記)多根さんが見つけておられ、プリントして下線を引いて克明に読まれていたことを知った。そこで、そういう読み方をして、そういう所に関心をお持ちと知った時に、このかたは間違いなく「本質追求型」だと悟った。

前回も今回も「奥出雲多根自然博物館」に泊めていただいたが、ここについてはこれをご覧いただきたい。

宿泊できるミュージアム 奥出雲多根自然博物館

誰もがびっくりするのは里山の美しい田園風景の中にこういうものが忽然とあり、しかも中へ足を踏み入れると実物大の恐竜骨格がどんと現れ、2~3階の博物館をめぐるや所狭しと並ぶ古生代からの地球史をたどった圧倒されるほど見事な化石の陳列だろう。僕もそれには大いに驚いたのだが、中でも群を抜いていたのが子供向けに貼ってあるこの説明だ。

46億年前に地球が生まれ、37億年前に生命が誕生し・・・その果てしない末に我々がいる、という多根さんの生命観こそが当博物館の本質追求型であるゆえんなのだというメッセージが、この目立たない展示にさりげなく込められている。恐竜や化石で表層的にびっくりさせようというだけでないホンモノ指向に感動した。

それに限らず、ノートをとらずに覚えていたということは奥出雲という地に関心を懐いたということに相違ない。つまり土地との相性が良いのだ。多根さんは神話の解き明かす通り奥出雲こそ日本国の起源、発祥地であり、その文化、自然、人、文物の良さというものは従って歴史の「本質」なのだから日本はもちろん世界の人々に自然に受け入れられると「本質追求型」的に確信しておられた。僕は奥出雲をよく知らないが、本質はひとつしかない。自分が「本質追求型」であることは確信できる。ということは、世界が奥出雲を好きになるという確信を多根さんと共有してしかるべきなのだ。そして、その事がより強い確信となって帰ってきたのが今回の2度目の訪問であった。

某プロジェクトとは僕が発案したもので、読者のどなたもが想像もされないし、今回同行した関係者とお会いした奥出雲の方々しかまだ知らないが、わくわくするほどエキサイティングな計画だと信じる。まだ内奥を開示するわけにはいかないが、近々そうするだろう。もちろん関わってくださる方々にとっては大事な事業なのだが、こと僕個人に関してはというと、多根さんがどういう理由で奥出雲に連れて行ってくれたのかという謎のままになったご恩、ご縁に対する僕なりの体を張った結論である。このプロジェクトをやることがたぶん御意に添い、喜んでいただけると思うのは、宇田川多根自然博物館長のお力添えでお会いすることができた島根県庁、町長、役場の方々、桜井家・絲原家のご当主様、日刀保たたらの刀匠、県立横田高校の教員・生徒の皆様、養鶏場、畜産農家の皆様、そろばん製造会社、寿司店、豆腐店、ハンバーガーのピコピコのすべての皆様が今回の提案を歓迎してくださったからだ。

では、この新しい出会いがどこから来たかというと、多根さんとミクロネシアへ一緒に行った、たったそれだけのことからだ。「人との出会いの大切さ」とは種を大事に育てるという事だと教えていただいた気がする。

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ラグビー日本代表、スコットランドを撃破

2019 OCT 14 14:14:46 pm by 東 賢太郎

昨日、巨人の優勝を観てどっと疲れて帰ってきたら今度はラグビーのスコットランド戦が始まっていた。国と国のプライドをかけたすさまじい戦いを見た。最後の数分はもうだめかと思うほど相手は強かったのを知ったし、あってはならない殴り合いをしかけられる寸前の場面もあり、あそこまでスコットランド選手を追い詰めた力は本物なのだろうと思った。ベスト8への歴史的勝利を讃えたい。

日本代表のインターナショナルな顔ぶれはこれからの日本国、日本国民の在り方を示唆していると思う。日本文化を深く理解し『武士道』や『覚悟』といった言葉を好み、「『君が代』の意味まで知ることが日本代表だと思います」と覚悟を述べるリーチ・マイケルは誇るべき日本人であり、彼らのような才能に対してスポーツに限らず各界は大いに開かれていくべきだ。日本国籍だから日本人なのだという人がいても多様性としては受容しなくてはならないが、日本の文化と歴史を深く理解しリスペクトしない人はリーダーにはなれないし、日本国のサステナビリティを築き上げることはできない。なぜならそこに、あらゆる意味で日本を永続させる、世界における日本の絶対の強みが凝集しているからであり、したがってそれを失えば国は滅びて子孫は不幸になるからだ。

戦況を見ていて思ったのは、あそこまで両軍選手全員が一極参加してぶつかって体中の筋肉の力と知恵を振りしぼるスポーツはないだろうということだ。野球も「総力戦」とは言うが、ベンチにいる者が全員ゲームに出るというだけのことであって、戦場は基本的にバッテリー間だけ、全員一極参加になるのは乱闘のときぐらいだ。スクラム、モールのような一見乱闘に見えるバトルをルールに則って整然と進めるラグビーは格好いいと思う。だから終わればノーサイドなのであり、実に紳士的である。英国でアッパー(上流階級)の競技たるゆえんだ。アッパーは支配者層であり、支配する以上は戦争で一般市民より前線に出て戦うことを求められる。それがいわゆるノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)であり、喧嘩が強くて賢いことを求められ、それが「ラグビー憲章」の5か条である「情熱」「品位」「規律」「結束」「リスペクト」となって結実している。

英国に6年お世話になっていた僕としてはラグビーというブリティッシュ・エンパイアの看板スポーツで日本が世界ランキングで過去最高の7位というのも誠に誇らしい。韓国は31位、中国は80位である。当然のことであるが、ノーベル賞の授賞者数と同じくアッパーのスポーツで国の差が見えている。数々のノーベル賞は日本人科学者が明治時代から基礎研究を営々と積み重ねた努力の成果であるが、ラグビーも田中平八の長男、田中銀之助(1873-1935)がケンブリッジ大学から持ち帰って慶応のラグビー部を作り「日本ラグビーの父」と呼ばれる。こっちも明治時代から営々とやっているのである。ラグビー憲章の5か条である「情熱」「品位」「規律」「結束」そして「リスペクト」。カネやミサイルでは手に入らないものがあることを認めるのが文明国というものだ。

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高度成長期モデルは経営の墓場である

2019 OCT 5 14:14:40 pm by 東 賢太郎

来てくれる若い方々と話すたびに「リスクをとれ」「やりきれ」「学べ」と言っている。この3つは成長の三種の神器だ。そこに「なぜ」「なにを」「どこで」「どう」はない。「いつ」だって?当たり前だの「いまでしょ」だ。

みなさんソナーに関心がある。あるから来ている。起業したい、だから「どう」がいちばん知りたいのだ。それは教えたくとも教えようがない。だから三種の神器をやれと言っている。やった結果から自分の頭で考えるしかない。

「リスクをとれ」といわれて野放図に突進するのはただの猪武者である。いくかいかないかの判断で勝敗の大勢は決まるが、個々の挑戦のリスク・リターンは初めは誰もがわからない。だから最初は小さなリスクテークから入り、若いころはたくさん失敗したらいい。

すると失敗の痛みからだんだん物が見えてきて成功率が上がるだろう。そこで少し大きめのリスクがとれるようになってくる。失敗して学ぶべきは、次のリスクをとるかどうかの場面で「ミスジャッジする確率を減らす知恵」である。この知恵の集積こそが成長の源泉なのだ。

たとえば受験の模擬試験で点が良くて喜ぶのは二流の秀才である。悪かった時に「それが本番に出ていたら即死だった、ラッキー」とリスクが減ったのを喜ぶのがあるべきリアクションだ。ここで重要なのは、同じ過ちは2度としないことだ。それを神器の3つ目、「学べ」といっているのだ。

ただしここまでは松下幸之助の「やってみなはれ」だ。そこに2番目の「やりきれ」が加わる。ここが核心だ。試験なら「完答しろ」だ。10点満点の問題で3点だろうが8点だろうが0点に等しい。10点狙いのマインドセットで立ち向かわなくてはいけない。これがスナイパー能力を涵養し、人生で大差を生む。

舞台をビジネスに転じるならそのトレーニングを経て目指すのは「成功」ではない。成功は誰もがしたいが、思ってできるものでもないし僕自身まだしていない。成功の定義が何であれ、ビジネスで目指すべきは「長く生き残ること(持続性、sustainability)」なのである。成功に方法論はないが、短期で終わればそれはなく、致命的な失敗をせず生き残るには多少の知恵があれば足りるからだ。

例えば我々のような金融コンサル業をするならまずシビアな競争の中を「生き残る」ことが第一歩である以上の重要性を持つ。自分が生き残れない者にどこの誰がお金を払って指南を仰ぐだろうかということだ。コンサルが生き残っているということはサービスを「多くの」お客さんが「長期にわたって」値踏みしてくれ、支払う人件費や家賃を上回る対価をいただけているという証明であり、だからsustainabilityが大事なのだ。ぽっと出の店じゃないよ、老舗だよと飲食店が看板にする “since ~” がそれを象徴している。弊社はsince 2010、まだ9年だ。

生き残れたら次の課題が成長だ。企業を成長させるのは社員だから成長という側面を見るなら個々人の成長と同じである。物量(人海戦術)で成長する昭和の高度成長期モデルは人口減の時代にはワークしない。企業が伸びるには構成員である社員個々人が成長し、その総和として成長する時代になりつつあるし、これからさらに加速度的にそうなっていくだろう。ROE経営をうたいながらROEが低い日本企業の癌は人海戦術で採った社員一人当たりの生産性が成長しないことである。ではどうしてそうなるのだろう。

高度成長期モデルで毎年何百人も新卒を採用すると、成長しない人員が含まれることは避けられない。人事部が権限を持つという欧米にはない中央集権的採用システムで入社した数百人の全員が現場の長を喜ばせる適材適所になる可能性は低く、不可避的に毎年一定数の余剰人員(スラック)予備軍を採用していることになる。それはシステムの構造的な問題ではあるが、それ以前のより原始的な話として、毎年の新卒からどう選別しようとその業種、業務のAランクの適材が数百人も存在するはずがないということの方が大きいだろう。

すなわち、Sランクの数%の金の卵を引き当てる確率は上がるメリットはあるけれども、そのコストとしてスラック人員層が分厚く堆積していくデメリットを避ける方法はない。昭和の時代まではメリットが上回ったが、令和の時代からはそれが逆転するだろう。なぜなら米中のヘゲモニーをかけた不可逆的な対立(トゥキディデスの罠)で世界の競争環境が一寸先は闇という時代は永続する。その中で、変わり身の速さ(flexibility)が削がれることは、大企業になればなるほど規模の不利益になる。白亜紀の全地球的な寒冷化で恐竜が絶滅し、小型の哺乳類が生き残ったのと同じことである。

このことをイメージ的に語る表現として「社員の質的階層は2:6:2」といわれる。”上の2” が収益の大半を稼ぎ、”真ん中の6” は中立的、”下の2” がスラックである。”上の2” が “下の2” を食わせた残余が概ね企業の利益と思えばいい。理論的根拠はないが、経験上、日本、英国、ドイツ、スイス、香港での多国籍の体感からも違和感はない。高度成長期モデルの末期(まつご)として、スラック階層が市民権さえも持ってしまったいわゆる大企業病の企業では徐々に “真ん中の6” にまでスラック化が侵食することとなり、能力に秀でアンテナが高い “上の2” の階層のモチベーションは顕著に下がり経営は危機を迎えるだろう。

ドラッカーが示唆しているように、企業経営はオーケストラの指揮が範だ。それを敷衍するなら、良いオーケストラに2:6:2はない。弦楽器がやる気のない管弦楽団にベルリン・フィルの管楽器奏者が入っても意味がないのだ。第一フルートが辞めたら第二が昇格ではなく、第二奏者も含めて公開オーディションをするレベルの競争原理が全奏者のポストにないと聴衆に高い値踏みをいただくことは不可能である。ろくに試験もせずリクルーターの引きで新卒大量採用するという本邦のユニークな文化は、AKBがなぜ48人かは誰もよくわからないがとにかく可愛い子を48人もそろえていますというのと変わりない、終戦直後の農家の次男三男の集団就職に端を発して高度成長期に定着した特殊なモデルだ。それを70年たった今もしていること自体が異常なのである。

異常が永続することはない。だからこれからの時代、個人は徹底的に生存競争し、三種の神器で自らを鍛え、成長しなくてはならない。良い暮らしと良い人生を求めるならば。しかし、こう書くと矛盾に見えようが、僕は会社経営においては不断の成長がmust(不可欠)という考えには組しない。成長という暗黙の要求は株主が配当を求める「決算」という仕組みの呪縛でもあり、毎四半期ごとに何らかの成長の “痕跡” を生み出そうという企業会計上の努力は本来の経営目標とかけ離れた「経営者の心のスラック」を生む危険性があるからだ。そのスラックが在任期間中に成長でなくリストラで会計上の利益をあげて、収益連動型報酬でこっそりとひと儲けして逃げようという品性の曲がった泥棒経営者を次々と生んでいるのは周知の社会現象だ。

企業はあくまでsustainability(長く生き残ること)こそがmustであり、社会と調和して顧客と社員を幸福にするベストな方法であり、それに見合うように社員一人一人が成長した分の総和として企業は自然に成長すればいい。このことは投資という側面から見ても、社会的責任投資(SRI:Socially responsible investment)として確立した、「企業がどれだけ社会的責任を果たしながら活動しているかということを考慮しながら行う投資活動がsustainable(持続的)な世の中になりつつあるという現実」と矛盾しない。社会との調和と貢献、コンプライアンスを尊重し、株主以外のステークホルダーの利益も考慮しつつ、成長に関わる部分の賢明なマネジメントをしていれば結果的に投資をしていただける。それはとりもなおさず、利益も成長すると信じていだけるからだ。

マーラーの千人の交響曲の喚起する感動がバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの千倍あるわけではない。オーケストラに「大きいことはいい事だ」のスローガンはないのである。高度成長期モデルというものは今となってみればヘタな奏者を100人集めてウチもマーラー、ブルックナーができますと競いあうようなものだ。昔は聴衆はそれでも集まったから優秀な奏者でもそこに引退まで在籍する意味はあったが、いまどき学生オケでもできる曲を高い品質保証なしで評価されるのは非常に困難であり、そういう楽団は存続が困難になるだろう。

つまり、2:6:2は組織のsustainabilityを喪失させ、したがって、”上の2” の人材も必然的に失っていくのである。冒頭の「起業したい若者たち」がまさにそれであり、6:2 の階層はしがみついてでも会社に残ろうと必死になる。彼らにはリスクと負荷ばかりがのしかかる “上の2” になる関心は薄く、では社内で何の競争が熾烈になっているかというと、出世ではなく長く生き残ること(sustainability)なのだ(笑)。落語のオチなら面白いが、高度成長期モデルは経営の墓場への道ということだ。金融界にはシビアな現実が蔓延しつつある。

 

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成長の三種の神器

2019 OCT 5 0:00:17 am by 東 賢太郎

今日は横尾さんの日経一面の記事で朝からメールが殺到して一日終わってしまった。そっち(ソナー)はどうするんだという当然のご質問もあったが、こっちは変わらないよう各所ご調整くださったのには頭が下がる。もちろんこれからの運用には細心の注意を払うという前提になるけれど。

6月ごろから当社と関わり合いを持ってくれた一群の人たちがいて、みんな新聞を見てびっくりである。いい時にソナーに来たもんだ。しかしそういうのは人の運であり、それをつかんだ人だけがジャンプできるのが人の世だ。結果は誠に不公平だが、「リスクをとれ」「やりきれ」「学べ」と成長の三種の神器を教え、全員に公平にチャンスはあげたつもりだ。

必死に食らいついてきた一部の人は、不満があれば容赦なく叱る。怒るわけではない、叱る。伸びると思った人への僕の教育法である。人間はそうやってショックを受けないと大事なことに気がつかないし大きく伸びない。ほめて伸ばすなんておためごかしはあり得ない。ずばり、「どうして君は**なんだ?」「++を全くわかってないね」と欠点を指摘してあげる。それをこの野郎と思って直せば、気がつけばあっという間にその人はいち段階上にいるのだ。こんな効率的な方法はない。いやなことを言えば嫌われるが、嫌われても言ってあげるのが愛情というものである。そうやって格段に伸びた部下は何人もいるし、言われてつぶれそうな人には言わない。それはその人の限界になるが、メンタルにタフなことは成長の必要条件である。

「成長の三種の神器」は絶対法則である。僕もそうやって育てていただいた。どんなに他に能がなくてもこの3つだけ愚直にくりかえせば必ず人は伸びる。やがてソナーの周囲には、めちゃくちゃ優秀な人の軍団ができると確信している。

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いままで書いたブログで二番目に好きなのは?

2019 SEP 22 13:13:06 pm by 東 賢太郎

エクイティ・ストーリーとは起業家が「自分の事業はこんなに成長するから投資して株主になって欲しい」と訴える夢物語のことだ。成長すればもちろん株価は上がって儲かるわけだ。

しかし事業というのはやってナンボである。やる前から成果などわかるはずもない。そう言っては金(資本)が集まらないから米系集金代行業者(証券会社)が作った、インテリ受けしそうなもっともらしい美辞麗句がエクイティ・ストーリーである。証券業務を知らない銀行員が好んで使う用語だが、我々はストレートにセールストークという。

僕はそれを作って40年飯を食ったプロである。ソナーの起業では既に出資者がいたから不要だったし、そうして始めたソナーの仕事はというと売る方でなく他人の株を安く買う方だからやはりトークはいらない。ひと言でいえば、売り込みに来る他人のセールストークの「ウソ」を見抜いて値段をたたくのが仕事である。株は安く買うことが鉄則なのだ。

政治家と起業家はセールストークで食っているという点で近似した業種である。起業家、事業家の金集め(美辞麗句は「ファイナンス」)を代行する証券業者もおんなじだ。ベンチャー企業とはよく言ったもので、Ventureとは危険な冒険の意味だ。しかし、国家という事業も私企業も、経営は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(No venture, no gain.)であり、セールストークで票や資本を集めて初めて事業は成功し、トークに乗った有権者や投資家も一緒に栄えるのである。

デフレでびびってNo ventureが良い経営だとなった日本企業が時価総額で世界の負け組になったのが平成時代だった。そんな会社にコストカットで自分の在任期間の収益だけあげて役員報酬を収益連動型にして食い逃げしようという似非経営者が跋扈した時代としても平成は後世に記憶されよう。それは泥棒が家主になって金庫番をするに等しい。まして泥棒が国家の家主になったら国民は悲惨な末路になるだろう。

僕は第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプに会ったことはないが、彼とオーバルルームで会った外国の事業家と親しく会っている。そこで、選挙に勝った直後の2016年11月12日に直観で書いたこれ(トランプは何をするか)がそう外れてはいないことを知った。トランプは2度も倒産危機に遭いながら1兆円も儲けた正真正銘の、筋金入りのビジネスマンである。したがって、エクイティ・ストーリー作りのプロ中のプロである。したがって、その読解は自称インテリの方々には、まったく困難だろう。

僕は朝鮮労働党委員長・金正恩に会ったこともないが、そしてやはり直感ではあるが、彼は有能なビジネスマンになる資質を感じる(まだなってはいないが)。僕は徹底して是々非々の人間であり、その観察は彼や北朝鮮という国への感情や僕の政治信条とは何のかかわりもない。そしてその前提に立つと、こういうことになる。

トランプはキムとの今後何回かの会談で核設備の段階的廃棄に合意するか、またはその結論は曖昧のまま国連による経済制裁緩和と朝鮮戦争終戦協定まで譲歩してしまうはずです。完全核放棄?そんなものがあるはずがないでしょう?米国はあり得ずのシナリオである。トランプは、では自分にとって最適化となる落とし所はどこかを探る会談になります。どうやって負けに見えないようにやるかということです。おためごかしの理屈は『朝鮮半島の平和』しかない。平和は魔法の合言葉、反対する人も国もない。ということはこうなる。「終戦協定しろ、それを全面的に俺の手柄にしてくれ。米軍は半島から引き揚げる、段階的にな。平和はトランプ様のお陰だと全世界と国連に伝えろ。いいか、見返りはでかいぞ。お前の命と権力は公認してやる。経済制裁解除どころか援助してやるぜ、ベトナムを見ろよ、お前らもこうなるんだ。」

日本は彼の本音において特に重要ではないでしょう。彼の支持層はミサイルが飛んで来なければOKのレベルの白人が多く、朝鮮半島よりメキシコの壁の方が大事です。ノーベル平和賞は、おためごかし解決を正当化するダメ押しホームランとなるのです。キムにとってその解決は勝利である。核の段階的放棄と言われても大変なんだ、困る、どのくらいのペースを米国議会は求めてるのかと聞き出そうとするだろう。トランプが吐いてしまえばディールはダンだ。了解だ、それでいこう、マスコミに撮らせていい、ところでトランプさん、こっちもでっかいお土産がある、平壌にディズニーランドを作ろうぐらいキムにそそのかされてるだろう。中国、ロシアもそれで手打ち済だ。その前提で土地や企業に投資させてくれるなら北朝鮮は世界一魅力的なマーケットであり、米中露はキャピタルゲインでボロ儲けし、北朝鮮には多額の外貨が入るのです。悪知恵はいくらでも出る。合法性?平和のために合法になる法律を作るんです。

本件はそういう目線で見なくてはいけない。トランプもキムも習もプーチンも「悪賢いヤンキー」であって、必要とあらば肉親だろうと秘密諜報部員だろうと消しちまうワルであり、それをお互いに糾弾もしない無法地帯のワルどもであるのです。そこに銅像狙いのムンが加わって米軍は終戦セレモニーとともに大方撤退し、孤立した日本はそれを理由に防衛予算を何倍にもさせられて高額の兵器を言い値で米国から買い続ける優良なお客さんになる。永遠にゆすってしゃぶれるからそのまま蚊帳の外が有難い。これも商人トランプには響く。シンゾーがノーベル平和賞に推薦とバラしたのは、このシナリオを承認済だよとお金をふんだくる日本国民へのせめてものお知らせということです。こんなヤンキー学園に囲まれて、ウチは喧嘩は弱いが東大合格率はなんて学校はやがて路地裏でカツアゲされて終わるでしょう。

(以上、拙稿「我が国はサンフランシスコ講和条約に戻れ」から引用)。

このブログは本年2月28日に決裂に終わった米朝首脳会談直前にアップした、いままで書いたブログで二番目に好きなものだ。

内容にひとつだけハズレがある。これだ、

トランプが吐いてしまえばディールはダンだ。

そうはならなかった。吐けなかった。米国側に国家安全保障問題担当大統領補佐官ジョン・ボルトンがいたからだ。そしてついに先日、そのボルトンをトランプは切った。当然邪魔なのは消すのである。ああ来たなと思った。つまり、来年の大統領選前にディールはホワイトハウス保守勢力を抑え込んで「ダン」に向かうのである。一言でくくるなら、来年の選挙が危ないかもしれないトランプは国民へのトークとして金正恩のエクイティ・ストーリーに乗ってしまう。首尾よく2期目があればそれでいいし、落選したところで北朝鮮への特権的投資はトランプ帝国のおいしいビジネスになるのである。日米安保などどうでもいいとは口では言わないが、そうなれば日本は最新兵器を大量に、場合によっては核までも、米国製を買わざるを得ないというのがトランプのエクイティー・ストーリーだ。

ちなみに、こちらも会ったことはないが、韓国国民には申し訳ないが、大韓民国第19代大統領・文在寅は弁護士、革命家としては頭も良くて資質があるかもしれないがビジネスマンの資質はまったく感じない。法務部長官・曺國(チョ・グク)も大秀才だがビジネスマンはどう見ても無理だろう。良い悪いではない、簡単に言えば人間の質的相違である。トランプ、金正恩は1対1で酒を飲んだらけっこういい奴だろうと感じるし僕は株を買わせる自信があるが、文、曺はものすごくつまらない気がするし、絶対買わないだろう。

とすると、トランプー金正恩が予想通りになった暁には朝鮮半島の家主が金正恩になる蓋然性は非常に高い。文在寅の反日韓流ドラマはそういう脚本であり最近我が国のマスコミもそう報じだしたが、これは理屈ではないから自称インテリの皆さんには分からないだろうが、僕が書いているのはそんなちんけなことではない。文のドラマが受けようが受けまいが、要するに、そうなるのである。

理性ある韓国国民は大韓民国の死活問題と知っているはずと一定の期待はするし、それがどうあろうと、我が国は拉致問題を含めてトランプ、金正恩と、ビジネスマンとしてディールをうまくやることがどうしても必要である。

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できる若手がなぜ辞めた

2019 SEP 18 0:00:41 am by 東 賢太郎

日経ビジネスに「できる若手がなぜ辞めた」という特集があった。この雑誌は家族が読むかと思ってとっているが、僕が野村を辞めたときノーインタビューで実名記事を書いたのであんまりいい印象がない。

ここ数か月、錚々たる大手証券、銀行、信託、保険を辞めた2~30代の方々とずいぶんとお会いした。たしかに「できる若手」ではあるうえに、その数が半端でない。なにか異変が起きているなと感じていた矢先だ。

大手金融会社は見事に昭和モデルを脱してない。「持てる者が勝つ」、「大きいことはいいことだ」の時代は去った。何も持たない方がいいのである。やるべきことは「伊賀の影丸経営」と「信用資本主義」の稿にぜんぶ書いてある。

2017~18年は麻雀でいうならペーパイが悪く、何してもあがれずもがいて頑張ると振り込んだ。いまは正反対である。負ける気がしない。こういうツキというのは伝播するから、いま寄ってきてくれた諸君もツイてくるだろう。

ダメで会社を辞めるのは昭和の話。いま時流は逆だ。やりたいことをするには会社の縛りを解いて独立する必要があり、なにより、その気概と自信があるから決断できる。顧客も家族もそれを理解して支援してくれるだけの人間性もある。

何度もブログに書いてきたが、僕はそういう若者が無条件に好きであり、育てて一流にしたい。そうだから50年も前から広島ファンなのであり、「カープ」「影丸」と血肉となっている嗜好に理屈もへったくれもない。

みなに言う。言ったことはやれ(スナイパーであれ)。金融業務の商品は信用だ。とにかく、やる(完遂する)。やらない者は誰も信用しないし進化もしない。僕はノウハウだプレゼン能力だなど全くどうでもいい。そんなものは「やる」ための基礎作業であり、本気で「やろう」と思えば勝手に学ぶのである。

こういうドクトリンは学校やMBAで教えない。僕は野村の梅田支店でやった個人営業の2年半で覚え、そこからは何も進歩してない。ロンドンでも香港でもそれで充分。これを教則本にすることは不可能だ。すべてのエッセンスは「完遂する」という強い意志とプロセスの中にあり、自分で発見するしかないのである。

「やろう」という気持ちを情熱だモチベーションだというチープな物言いはだめだ。なぜやるか?を意識すること。それは自分がなぜ生きてるのか?という問いに等しい。それを真剣に考えない人はチープな人生を生きることになり、何をやってもだめだ。簡単な物事すら完遂できないのはそういう人である。

僕は64にもなって、なぜ生きてるのかまだわかってない。仕事は日々それを探る作業として向き合っている。だから苦痛と思ったことがない。これを楽しむ者に如かずだから負ける気がしないし、運さえ向いて来ればOKであり体もどうしてこんな元気なんだというぐらい元気である。

「やろう」というのは、そういうことなのだ。誰かに命じられたり必要に迫られるものではない。若い頃、それを知らなかったし教わることもなかった。だから20~30代でそう生きることを学んでもらった人の将来は楽しみだ。お金やプライドの満足は後からついてくるもので、目指すものではない。

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キレイで心温かいどぶ川作りに力を入れよう(韓国法相チョ・グク)

2019 SEP 16 22:22:38 pm by 東 賢太郎

皆が龍にはなれないし、その必要もない。もっと大事なのは龍になって雲の上に昇らなくても、どぶ川で鯉、蛙、ザリガニとして生きても幸せな世の中を作ることだ。雲を見上げて過剰な競争をしないで、キレイで心温かいどぶ川作りに力を入れよう。

韓国法相に就任したチョ・グク氏のツイッター発言だ。韓国の話だから別に結構だが日本も似てきている。キレイで心温かいどぶ川作りに精を出す人がいてもいいが、「雲を見上げて過剰な競争をしないで」というところは大反対だ。

「過剰な競争」なんてものはない。魅力次第で競争の激しさは決まる、それだけだ。ザリガニはどぶ川がお似合いだからそれなりに良いどぶを作りましょう、その努力をする龍の私は良い暮らしをしますが、というのが社会主義者の正体だ。

株式投資はザリガニが龍になれる、唯一とは言わないがおそらく最も簡単な方法の一つである。起業が一番だがハードルが高い。もっと少ない資本で他人の会社の株を買って成長の分け前に預かれば才能、学問、経験、経営努力は不要だ。

何度も書いたが日本の投資教育は先進国最低水準である。株式投資はFXやビットコイン投機と同じと思ってる人が国民の大半という驚くべき国だ。その点、チョ・グク氏のめざす立派な社会主義国としてすでに高い完成度を誇っている。

社会主義国だから日本の龍たちは株式投資の何たるかを知らない。しかし社会主義者チョ・グクは資本主義原理を不正に使って国策とつるんで株式で一儲けを企んでいたと報じられている。インテリジェンスは日本の龍より上等である。

温泉でテレビを見ていたらワイドショーでその「PEファンド疑惑」をやっていた。結構だがキャスターも解説者もあまりに馬鹿で何を言ってるかわからない。この市井の人たちがチョ・グクを糾弾しても何も起きないことだけは確実だ。

20代の人たちは龍になりたければテレビなんか見ないことだ。馬鹿になるだけだ。僕は海外にいた16年間テレビを見てないが、何か困ったり損したことなど皆無である。苦労は買っても死ぬほど仕事しなさい。20代で人生決まるよ。

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北朝鮮と韓国は孫氏の兵法をしかけている

2019 SEP 12 19:19:18 pm by 東 賢太郎

「メカ派」とは機械好きのことではない。原理に関心のある性向がある人とでもいう意味だ。5W1H なら Why? が支配している人である。

原理とは因果関係を紐解くことだ。自分が幼時からそれだったというのは、教育はまだされてないから遺伝にしか因果がない。しかし遺伝子は持っていてもどれが発現するか不明であり、両親には出てないものもある。

そこで近い先祖の発現ぶりを知りたいが文献資料がない。確かなのは、物理学者、軍人、商人がいた。彼らに出たものは自分にも出る可能性がある。自分のこれはどれだろうと考える。こういうのがメカ派の習性である。

商人になった。これが発現だ。それは先祖に発現したもののリピートである。そう考えるので、しんどい時も開き直って「できないはずがない」と気丈でいられた。死なない努力だけして時を待った。

軍人は縁がなかった。軍略は勝敗の因果関係の観察で孫氏もクラウセヴィッツも絵にかいたようなメカ派人間と思う。孫氏はたったいま4回目を読んでいる。前回までは実戦のキャリア不足で理解できてなかった部分が今回はわかる。

例えば文在寅氏は金正恩氏と一体で孫氏をやってる。そう見せないパフォーマンス(詭道)を交えて。兵法に従えば、北の核(守り)を固めたから攻めるだけだ。暴挙ではない。支持率を得て成功してしまうとトランプも篭絡する流れだ。

日本人は詭道を嫌う。ウソも百回で真実、ヤバかったら逃げろだが、これができない。潔くという武士道は不本意ながら考えたほうがいいかもしれない。それで一度大敗したわけだし、勝てば官軍というのもある。死なない方が大事だ。

日清戦争前夜を見る思いである。朝鮮がそうなるのは地勢的なことで水が下に流れるに等しい。そこで死なないように生きる民族がそういうDNAを保持するのは善悪を超えて誠に自然だ。文氏や韓国人をヘイトしても何の意味もない。

国家安全保障の話は別次元の問題だ。国民の生命と未来がかかっている。孫氏で来るなら孫氏で対抗すればいいだろう。矛と盾でどっちが勝つかは不明だが、孫は「長期戦は負ける」「不戦勝がベスト」と言っている。

メカ派に坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという思考回路はない。因果関係がないからだ。個人で知る限りでも、韓国には滅茶苦茶いい奴も、すごく切れる奴も、やさしい男も女もいる。それはそれ、これはこれだ。メカ派は常に是々非々である。

 

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ソナーは「プロが利用するクラブ」である

2019 AUG 29 0:00:03 am by 東 賢太郎

インターネット、IT技術が労働を変えた。それはあらゆる分野での事務作業の効率化に始まり、ワークシェアリング、テレワークによる就業時間短縮という「地味な便利さ」の顔をして知らず知らずのうちに労働環境に浸透してきたわけだ。市民革命のように華々しくも血を流すこともないが、同じほどのマグニチュードをもたらしたという点ではまさに「革命」と呼ぶに値するし、経済統計としては目に見えにくいが確実に労働生産性を上げる寄与をしたはずだ。そしてそれがAIというインテリジェンスを備えた存在になると、いったんは便益を得た労働者はだんだん失業して被害者になるかもしれないという点で両刃の剣なのである。

このことは若い皆さんが21世紀にどう社会に貢献し、労働し、認められ、大切な人生をどう実現し、一生の生計をたてていくかという諸問題の根本に深く関わっている。そして皆さんと同様に、まだ若い会社であるソナーがこれからどうなっていくかを予測するという難しいクエスチョンに僕も真剣に向き合っているのだ。それを解くためには、IT革命がもたらした果実とリスクがタスクフォースに参加する社内外のメンバーにどうプラスかマイナスかを考え、彼らが良い仕事を見つけて実績をあげ、喜びを感じ、さらに能力を高められるようなプラットホームを作ってあげることにヒントがあるだろう。

ソナーの仕事はプロだけのタスクフォースでこなすのが最も生産性が高いと僕は確信している。メンバーはぎりぎり最小の人数であるべきだ。そのほうが一人当たりのリターンが大きく、メンバーのモチベーションがさらに向上するからだ。個々人が何のプロかは案件によるから今の案件メンバー10人と次の10人が一人も重ならないことがあり得る。弁護士、会計士、税理士など専門職に加えて、他の会社の社員が混じっても構わない。守秘性はNDAに一任するのではなく、それ以前の僕の基本思想として、どんなに優秀でも人間として信用する人しか入れないことでより担保される。その招集、組成がうまくできれば、仕事は半分終わったに等しい。ということは、経営者に絶対不可欠なのはプラットフォームの形成ではなくて、案件獲得、執行に過不足ないタスクフォースをつくる能力であると断言してもいいことになる。

しかるに、経営会議、取締役会などという “賢人会議” のような固定メンバーが常に意思決定に加わって、内実を経験的に知得してもいない案件の是非の判断をするなど究極のナンセンセンスである。そのお歴々がいかなる案件においてもタスクフォース・メンバーになり得るレベルのインテリジェンスを有することは皆既日食と皆既月食が同じ年におきるより稀だろう。経営はみんなで橋を渡れば安全というものでも免責というものでもなく、まして会社は民主主義で経営せよなどという法律もない。だから意思決定と結果に責任を負う社長(CEO)がいるのであり、ソナーにおける僕の仕事はそれであり、コンプライアンスについてだけプロのチェッカーが内外のどこかにいれば必要十分である。

ITの恩恵によって「会社」というものは、リアルであれバーチャルであれ、「複数のプロが一緒になって何かを生み出す場」を意味するようになっている。対面であることが必要なら集まってもいいが、テレワークで構わない。10人の国籍の違うプロが10か国にひとりずついて、お天道様の出ている場所で24時間営業する会社に残業という概念はない。クリエイティブなプロの仕事に時間管理や勤務態度や服装という概念も無用だ。コミュニケーションはマルチ言語翻訳機が85か国語も対応してくれる。やることさえやればワイキキのビーチで寝っ転がって業務してもらってもOKだ。ソナー本社は東京の紀尾井町で何をするか?ドキュメンテーション、コンプライアンス、そしてメンバー10人のフェアな貢献度評価と報酬の銀行振込、そんなものだ。本社も5人ほどでまかなえてしまう。つまり、うまくいけば100億円の案件をたった15人でやってしまうことが可能だから世界最高レベルの人材が集まるだろう。これがやがて時流になる。

逆に、巨大なビルに何万人もの一般社員をかかえる企業は、とうの昔に終っているスタイルの仕事をなかなか脱却できないだろう。なぜなら、それを時流に合わせるなら膨大な人員とスペースの余剰が「発生」したことになってしまい、そういう認識になってしまうと余剰な部分がさらにパフォーマンスが下がるからだ。みずほフィナンシャルグループが「今後10年間で国内外の従業員約1万9000人分の業務削減を検討する」と発表したが、要するに社長が6万人の従業員の3分の1はいらないと宣言しているわけだ。しかし、それをするには希望退職を募るなど「とうの昔に終っている方法」しか打つ手はないだろう。つまり昔からできたのにやれなかったことをなぜ今できるのかという問題に回帰するはずだ。

非効率という十字架を背負う大企業を自主的に退社する人が増えている。それが残留した3分の2の社員の下の方かというと違う。その勇気があるのはプロとして独立しても生きていける「上澄み」の人なのだ。むしろ大組織のしがらみから機をみて抜け出したかった人たちであり、フリーになった方が実は活躍できるチャンスのある人たちでもあり、彼らには自由とフレキシビリティがエネルギーの原動力に必ずなる。現に僕自身がそれをして起業した先輩なのだから気持ちまで手に取るようにわかる。僕はこの層の人たちと、リアルであれバーチャルであれ繋がりたいと考えている。社員になってもらう必要は必ずしもない。ソナーがタスクフォースを組成するときにファースト・コールする社外メンバーになってもらえばいい。それがソナーの価値を高めるからさらに良質の案件ソーシングができるし、それによってメンバーになった人もwin-winの恩恵を受ける。

僕の考える会社像がだんだん明確になったと思う。会社は仕事をさせられる場でもなければ、9時から5時までいればお金をくれる場でもない。社内外の何かのプロである皆さんが「自分のために利用するクラブ」に他ならない。大企業を離れたみなさんの部活や同好会の感覚、雑談や情報交換の場であってもけっこう。出会いは確実にあるし、競争し研鑽しあって腕を磨くことができ、能力に相応の報酬を得られるかもしれず、起業希望者の研修所にもなり、ひいては人生の目標を達成する、社会に貢献する場でもあるというのがソナーの理想の姿だ。ひとつだけアドバイスするなら、本稿を読んで関心を持った人はどんどんソナーの門をたたいてほしいということである。自信があろうがなかろうが、世の中は行動したもの勝ちだし、僕も新人時代は大阪で一日100枚の名刺を飛び込み外交で半年間集めていたのだ。虎の穴に入って伸びる人が圧倒的に成長が速い。

 

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