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カテゴリー: 若者に教えたいこと

男にとって権力は蜜の味

2019 AUG 19 0:00:06 am by 東 賢太郎

5か国で企業のマネジメントをした人は知る限りいない。いないのだからわかってもらえることもなく、実は一番面白い体験が多いこの話題で飲んで盛りあがれないのは寂しいものだ。試みたことはあるがほぼポカンとされるだけで、時に空気を読める人からお義理の「あるある」が返ってくるが、それって旅行者の話だよねって100%勘違いのリターンだ。でも、それだってうれしい。日本は今に至るまで鎖国中なんだから仕方ない。

ということは、僕のキャリアは評価できる人もいないから買ってもらえないし、日本企業の現地の管理はローカル化というのが昨今の流れだからもはや用なしであろう。昭和どころか戦時中の軍隊の話に聞こえるかもしれない。でもいいのだ。個人的には日本男児として気持ちの良い仕事をさせてもらったからだ。日の出の勢いだった当時の野村の海外拠点長はその国に赴任するとマッカーサー元帥みたいに迎えられた。ドイツは内部昇格だったのでそれはなかったが、トップとして着任したスイス、香港はそんな感じだった。

男にとって権力は蜜の味といわれる。比較的そういう人間ではなかったが、経験すれば何人(なんぴと)も否定できないだろう。後にさっぱり権力がなくなってから読んだ本、たとえば劉邦、曹操、始皇帝、則天武后(女だが)、アウグストゥス、アレキサンダー大王、スレイマン1世、ヒトラー、スターリン、チャーチル、羽柴秀吉、伊藤博文などの伝記は、英雄譚ではなく蜜に群がった蜂たちの悲劇である。そんな人たちと比べるのもなんだが、自分のしてきた行状は卑下でもなんでもなく凡人の喜劇であったように見える。

権力は人を吸い寄せる。本当だ。ずいぶん盛大に寄ってきたが、なくなると見事にパタッと来なくなる。ネコはエサをくれる人になつき、鳴き声まで高い。人もおんなじなのだ。何年か前から多少業績がいいと、また寄ってくる。金は権力の化体であることを知るが、そういう事なら僕が受ける必要もない。受けたいのは権力にも金にも健全なアンビションがある人、すなわち育ててみたい若者だ。野村やみずほを辞めてIFA(インディペンデント・フィナンシャルアドバイザー)として独立してる後輩たちが来てくれる。ビジネスを通じていろいろを経験させ、老体に代わって権力も持ってもらいたい。

権力があるとは、企業目的にかなってさえいれば自分のやりたいことを妨げるものは何もないという状況のことだ。本当はそうでもないが、そう思っていいという心理にある自由が与えられる状況となら言って間違いはない。その自由は信じられないほど心地よかった。そこでこうしようああしようと考える。自由とは自己責任と裏腹だから必死に悩む。それがどれだけ優れた思考訓練になったか。マッカーサーが日本で悩んだかどうかは知らないが、たぶんそうだろう、そういう空想ならできる。彼も大変だったが僕もそれなりに大変で、悩んだ割にはあまりうまくもいかなかった。しかしそれでも余りある、今ではもう信じられないマグニチュードの経験と記憶をたくさんもらった。

時々夢に見る。なぜか再び野村で働いていて、海外の拠点長として赴任するのだ。オフィスに入って行く。デスクがあって部屋があって秘書がいて、窓の外の景色も見覚えがあって、それがどこなのかどうしても思い浮かばないが、どこか知った所のような気もする。小さい店だ。いまさらこんな所かと訝しく思うと、なんだこれは夢かと思う自分が出てくる。するとそれを制止するように、いや、この店は経験したじゃないか、覚えてるぞ、ヨーロッパだ、そうかもう一度やるんだ、これは現実だよ、という喜びが湧いてくる。たいがいそこで目がさめる。

これが蜜の味の幻影だ。トップのデスクに座って何が特にいいということもない。仕事づくめの日々は若いころと変わらなかったのに、しかし、無意識の中で甘美な思い出に変質しているのに我ながら驚く。蓋し人生はそういうものをなるべくたくさん得ようと追い求める地味な作業工程のようなものであり、頑張ってもほとんどがうまくいかないがいったときの喜びは格別なのだ。求めるのが権力である必要は毛頭ないが、それはアンビションある者にとって頂点でありアイコンである。それを目標にするなら政治をやればいいし、ビジネスでもCEOとして持つことが可能である。

僕はソナーの商品を権力も金もある人に役立てることだけをしてきた。それはビジネスだから仕方ないが、強者が強いだけでは世は回らないと常に考えていた。内閣総理大臣の登録を受けたIFA(金融商品仲介業者)が法的整備を伴って出現したことは望ましい潮流だ。ひとつの金融機関に所属すると商品選択の自由度が限定される。だから独立・中立的な立場から顧客の立場で資産運用のアドバイスをしようと就職した証券会社や銀行を去る判断をした人たちであり、独立する自信があるぐらいだから非常に優秀だ。彼らと一緒にもう少しマクロレベルで思考してみたいと考えるようになった。我こそはと思うIFAの方は大歓迎するので連絡してご参集いただきたい。

いじめにあってる子たちに

2019 AUG 15 21:21:18 pm by 東 賢太郎

唐川の球があっけらかんと打たれる。それがプロだ、日ハムの打撃力だといってしまえばそれまでだが、僕にはショックである。自分があんな感じになりたいと思っていた憧れのタイプの、しかもずっと格上の投手ですら打たれるのだから、結局自分が天狗だった能力なんて世の中では虫けらみたいなもんだという結論になってしまう。ということは、それが男として唯一の自慢だった僕には実はたいした能力はないという冷たい結論になるのである。

こういうショックは大事だと思ってる。そうやって、信じたくないことを客観的に思い知らされて学ぶからだ。それは野球の経験があるからできるのだが、「経験がないことからでも学べる」ということを経験して知ってさえいれば、実は学べるのである。つまり、何でもいいから自分の経験から「学んだぞ」という実感を得る。次に、その実感をもとに、経験はないけどあったらあのケースではこう感じるのではと類推する(自分で考える)。答えは、経験している人をたくさん探して質問してみる。何度もやっていると、だんだん正答率が上がってくる。類推がうまくなるのだ。こうなればしめたものだ。

人は負け、失敗、屈辱から学ぶものだと思う。だから何かしてだめだったらラッキー!と思わなくてはいけない。失敗は自分の弱点を教えてくれる先生だ。それを受け入れることに明るく前向きでいることだ。もし唐川が抑えていれば僕の天狗は64才の今も変わらなかったろう。それは事実でなかったことを眼前でなまなましく目撃してしまい、またひとつ根拠のない空元気が消えた。唐川本人がショックを受けたかどうかはともかく、僕は彼の失敗を通して「地球上で自分が座標軸のどこにいるか」を知る手掛かりをもらった。誰しも自分の良さも欠点もわかっていないものだ。そして、それを正確に知れば知るほど良いことがある。失敗が減るのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずなのである。

己を知らずに百戦を挑み続ければ、誰でもやがて確実に負ける。無敵の人はひとりもいない。世の中に自分より強い者、元気な者、賢い者、強運な者はいくらもいるのである。僕は真剣に頑張った野球と受験で思いっきり負けてしまい、自分を癒して逃がしてあげる道すら失い、若くしてけっこう正確に自分の「たいしたことない実像」を知った。人生で何が幸運だったといえば、それが最高のラッキーだ。だから大人になってから初めてそれを思い知って挫折してしまうという致命傷を負うことがなかった。まことに格好悪い現実なのだが、そこからは負けるケンカはしないという知恵がつき「敗戦率が低い」から生き延びただけだ。勝つ必要はない。勝とうと思うとリスクもあるしそれでも確率は高くない。長いこと負けない方が簡単であり「たまには」いいことがある。その「たま」は意外にも結構あるものであり、それが落ちてきたときつかむ難しい技はいらない。たまたま「そこにいる」だけでいいのである。

若い時はいくら逆境に落ちようと負けようと、めげさえしなければまったく致命傷ではない。僕は小学生のころ、早生まれで体も小さくて女の子に腕相撲を挑まれて負け、読むのも書くのも遅く、何をしてもぐずでのろまでお昼休み中に弁当を平らげることすらできず、勉強はできない方だった。当然ケンカは弱くていじめられたし、性格は変わっていて孤立したし、いま美点凝視で思い出そうとしても何もいいことがない。中学は公立で環境は変わったが美点のなさは似たようなものだった。野球が救いにはなったがまだ草野球であり、勉強だけは精一杯に頑張ったが高校は志望校を落ちた。

ところが、どういうわけか、親がそういう風に教育でもしていたのだろうか、今に見ておれそのうちわかるさという揺るぎない自信が不思議と心の底にあり、何があろうとあわてることがなかった。つまり、今になってみると、鈍感だったのである。僕は身体も暑い寒いに鈍感で衣服に頓着がない。頭痛と胃痛は経験がない。時間も方向も鈍感。人心や空気に鈍感。こういうものは、色がわからないのと一緒こたにして脳があきらめて捨ててしまったと思う。よく「鈍感力」とポジティブにも解釈されるがそんな立派なもんじゃない、ただニブい、ピンボケている、自分ではそんな感じである。

もしもいじめや失敗で悩んでいる人がいたら、生んでくれた親の愛、仮にもしもそれがなくたって、世におぎゃあと生まれて今そうして生きていることの幸せだけを見つめなさい。そして、家庭や学校や周りがどうあろうと、誰がなんといおうと、思いっきり鈍感でいなさい。学校は嫌なら行かなければいい。行くことが義務だと思う社会自体がいじめやパワハラかもしれない。何度も書いたが、僕は学校は行ったが教室では飲み込みが悪くて習わず、家で自分で考えて自分から習った。それでもハンディになんかならないし東大にも入れるのである。いやな奴など気する必要すらない、完全無視で何も感じなくなってしまえば怖いものはない。そして、「いまに見てろよ、そのうちわかるさ」と思ってさえおけば、そんなくだらないものや連中はあなたの人生には、確実に、何の関係もないと経験から断言できる。

僕のブログは今現在でPVが395万5338で、グーグル・アナリティックスによると「すべてのユーザー」の32%が年齢18~34才である。自分の3人の子供もこの年齢層であり、こんなに多くの若者たちが読者の3分の1というのは何年も前から変わっておらず、まさに誇りであり本望だ。僕の文章やコンテンツは分かり易くないし、分かり易くしようという気持ちもない。ただ、若者がこれから自力で運命を切り開いて、強く生きていくためには大事と信じることを書いている。未来の日本を背負って立つ人たちに自分の経験や失敗からの教訓を書いて残しておくのは僕らの世代の最後の仕事と思っている。ひとりでも何かを感じ、学びとってくれ良い人生を歩めたとなれば、この時代に産んでもらって果たすべき義務を果たしたことになるかもしれない。

 

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見栄え以上の成果を出す方法

2019 AUG 3 13:13:38 pm by 東 賢太郎

創業してから休んだことがないので一週間休もうと思ったができなかった。国際情勢もビジネス環境も変転している。新しい話が次々持ち込まれ新しい人に会い、結構なことだが、逆にひとつのことに集中できない。そういう時にうまくいったためしがない。

広島の試合をドームで観ていたら巨人に劣勢だ。初戦を落とし2つ目は粘って勝った。3つ目は打てる気配なくずっと押され気味だったが、気がついたらスコアも安打数も見栄え以上の圧勝だ。誰が活躍してということもなく、隙がなく、打つ手も当たって盤石の四つ相撲だった。

その「見栄え以上」というのが素晴らしかった。なぜか知らないけども負けるという相手が強い。どうしたら自社をそうできるか。わからない。気がついたらそうなったというものかもしれない。日々重いものが頭にあって何をしていても抜けることがないが、その雲が晴れたら境地が変わるかもしれない。

思い通りにならないから世の中は面白い。誰かがたしかそう言った。そうかもしれないが、ならないと疲れるのでこう思うことにした。世のなかに負けを決めたルールはない。決めるのは自分。負けと思わなければ勝ち。目論見や見栄えはどうでもいい。

ということは実は勝ちということもない。頑張って勝ちました、疲れました、次はそれで負けました。何の意味もない。つまりこういうことだ。

負け=勝ち < 生存

勝とうと思うと負けもある。等価なのだと思えばいい。そのどっちに帰属するかで命を削るのは生存という生物の遺伝子本来の目的に反している。命は削らない、むしろ楽しみだと思ってきたが、実はそう教育されただけで、やっぱり削っていたかもしれないと思う今日この頃だ。

若い人は勘違いしてはいけない。勝たないと「能力の貯金」ができない。やがてそれを資本にレバレッジをかける。元の大小で大差がつく。全力投球でなくスナップの効いた球を投げること。すると疲れないし、むしろ、速くはないが伸びのいい球になって打たれない。これが「見栄え以上」の成果が出る状態だ。

カープは3つ目の試合でバスター・エンドランを仕掛けて成功し、巨人には決定的なダメージになった。打者が3-0でバント失敗して次も絶対バントと思い込ませた場面でまんまと決めたプロの技。痺れた。一般には奇襲の部類だが、カープはまったく頑張らないでできてしまう。そこだ。強いなあと思った。

勝たなくていい企業経営なんて聞いたことがないが、プロの技は目だたない。仕掛けようと狙っていたわけではない、TPOで自然に出て勝ってしまう。肩に力が入るとむしろ出ない。強い横綱もそう見える。そうなりたいが、これも、そう頑張るとできなくなるのだ。休むしかない。

 

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僕の第六感強化法

2019 JUL 31 23:23:57 pm by 東 賢太郎

不動産業の友人に勘の強い人がいて「事件があった建物には “気” がこもっているので中に入れません」という。何とも言えない嫌な感じに襲われて、建物に負けてしまうらしい。妖気漂うとはそのことなんだろうか。思えば母もそうだった。若いころに尋常ではないものを何度も見てしまって、それはいわゆるひとつの “おばけ” らしいのだが、あまりにリアルな話でびびってしまった。

気や魂のような物理的実体のないものを見たり感じたりするのを第六感と呼ぶらしい。そういえばシックスセンスというアメリカ映画も死んだ人が見えてしまう子供の話だった。僕はそれには縁がないが、ただ、どこから湧いたかわからない “強い気持” に引っ張られて、重大なことを “そう” 決めてしまったという経験が幾度かある。

会社を辞めた時がそうだ。いかにも熟考して自分の意志で決めたように記憶しているが、実は何物か “強い気持”  に揺り動かされて「辞めます」と言ってしまったかもしれない。仕事では直観的に「やるな」と予感がして某案件を落としたが、やってたら大失敗になったというのがある。9-11の事件当日にニューヨーク出張の予定だったが、直前に1週間前に変更した。ぜんぜん大した理由ではなかったが “強い気持” があった。あれは何だったんだろう?

そういうことがあったので、万事、少しでも「嫌な感じ」があれば僕はやらない。どんなに目先で儲かっておいしそうに見えてもだ。「嫌な」というのは直観だ。僕は友人のように建物でそれを感じたことはないが、仕事の案件なら多々ある。そういう時は「においが悪いね」と部下に言うのが口癖だ。どこから見てもピカピカなんだけどと妙な顔をされる。そうしてパスしてライバル会社がやって、結果は成功というのもあるがそれがいくつあってもポリシーは変えない。

僕は欧米人と比べても即断即決派の部類だが、それは直観で決めるからだ。それが「プラス」なら即決、「マイナス」なら却下。マイナスの理由は言わないから外面的には慎重居士でもある。対人関係も、ちょっとでも釈然としない部分があれば同じである。だから疲れているときに判断するのは避けている。損得勘定ではないから理性は使わないが心が澄んでいないとだめだ。そういう状態に身を置くことが「第六感」を鍛える事と考えている。座禅を組むのがいいかもしれないがまだ経験がない。

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ベンチャーズ残照(その2)

2019 JUL 25 13:13:58 pm by 東 賢太郎


ベンチャーズのアルバム、The Ventures in Spaceは別稿にした(ベンチャーズ 「アウト・オブ・リミッツ」)。2曲目のOUT OF LIMITSはそこからのピックアップである。

このEP盤も1965年発売。覚えてないが当然すぐ買ったはずだ。当時、米ソは核開発の先に宇宙開発競争を展開し、1961年に大統領JFケネディは60年代中に人類を月面に到着させるとだ驚くべき宣言を世界に向けて発した。1969年7月20日にアポロ11号がそれを初めて果たし、中3の宇宙少年だった僕はテレビ画面の前で震撼した。翌年の大阪万博では持ち帰られた月の石を見ようとアメリカ館に長蛇の列ができる。我が家も4時間並んでそれに加わったが、このアルバムには当時のアメリカの宇宙への熱い息吹がこもっていると同時に、時代を熱く呼吸していた自分の息吹も感じる。

ビートルズに比べるとベンチャーズは下に見られる。音楽的には同感だが、いやそうではないと頑張る僕のような人間もいる。「女に好いた惚れた」「反戦」に徹したビートルズが The Ventures in Space みたいな硬派なアルバムを作ったろうか?ありえない。ビートルズはナンパのリベラルのアイドルなのだ。そこにはかつて七つの海を支配した栄光が残照と化し「オスの原理」を喪失しかけていた英国、かたや先端科学を武器に世界の覇者になって宇宙にまで打って出るぞという「ギラついたオス」であった米国の姿が透けて見える。いま思うとマッシュルームカットは「メス化」のシンボルだ。ビートルズは好きになったが、あれだけはやる気はかけらもなく、ナンパな奴らは骨の髄まで馬鹿にしていた。野球をやったからではなく、僕は本質的にウルトラがつくぐらいの硬派なのだ。

別にベンチャーズに思想があったわけではない。チャラくて軽いウェストコーストのノリの域を全く出てはいない、売れれば勝ちのアメリカンな単細胞ぶりは微笑ましいばかりだが、国を誇れないビートルズが麻薬、サイケデリックの世界に逃げて行ったのに対しそういう爛れた「黒っぽさ」がない。ストレートに「強い俺が勝ち」。馬鹿だが「オスの原理」とはそういうものなのだ。トランプ大統領の半端でない支持者層を見れば半世紀たった今だって米国はそれだということもわかるだろう。正確には、そうでなければともがいていると言うべきであって、半導体の次は高速処理の5Gなのだ。それがAI世界戦争のキモであり、ビッグデータを支配し、高精度迎撃ミサイルの命中確率をも左右する。だからファーウェイをぶっ潰しに行くのである。仮想敵国は完全に中国である。

MARINER NO.4

MARINER No.4(マリナー4号)はちょうどこのころ、1965年に初の火星フライバイと火星表面の画像送信に成功した探査機であり、送られてきた火星表面の接近画像はクレーターだらけの死の世界で人類に衝撃を与えた。オーソン・ウェルズのラジオドラマ『宇宙戦争』が全米で聴衆にパニックを引き起こしたが、「タコのような火星人」なんて実はいないのだと人類の夢を粉々に打ち砕いた探査機に「夢のマリナー号」というのもジョークならなかなかのセンスだったが単なる科学音痴であろう。

TELSTAR 1

上記のジャケット写真。テルスター(TELSTAR)のスペルも間違ってるのはご愛敬だ。テルスターとはNASAが1962年に打ち上げた通信放送衛星の名前で人類初の欧米をまたぐテレビ中継はこれを使って成功したのである。英語の問題以前に常識的にTEL+STARとわかりそうなもんだが、理系の会社である東芝もそういう理系的な興味のない人が東芝音楽工業ではジャケットを作ったり製品管理をしていたんだろう。まあどうでもいいが、アメリカは税金で堂々とそういう超高額の物体を飛ばしてでも常に世界のNo.1でいようという国だという話はしておきたい。トランプが言うまでもなく、アメリカ1番、アメリカ・ファーストの国なのである。時代の空気とはいえロックバンドさえもがこういう人工衛星名のメカな音楽をやって大衆が受け入れてしまう国なのだ。あずさ2号というナンパな歌はあったが、皆さんサザンオールスターズが小惑星探査成功をたたえて「はやぶさ2号」なんて曲をやって日本国でうけると思うだろうか。アメリカ国民がみんな科学好きなのではなく、みんな強いアメリカが大好きなのだ。「どうして2番じゃダメなんですか」なんて野党の変なおばさんが言ったりしないのである。アタシって女ね、なんでもハンタ~イなのよ、だからイチバンというのに反対しただけなのよ、なんて軟弱な屁理屈で許してしまえる話じゃない。

アメリカは第2次大戦でナチスドイツを叩き潰したが、ナチの優秀な科学者たちは殺さずに迎え入れて核兵器、ロケット製造の最先端技術を手に入れた。是々非々なのだ。「オスの原理」の前に「ナチはいかがなものか」なんて馬鹿はいないのである。その高度な結実であるアポロ計画など宇宙開発が軍事技術開発と表裏一体であることは論を待たない。かたや我が国はどうだ。日米半導体協定は1980年代に最強レベルに至ったわが国半導体業界をナチス並みの敵意で米国が叩き潰しに来たわけだが、そこで大戦争があったし国威をかけた業界の呻吟も知ってるわけだが、結果論としてはあっさりと韓国に座を奪われて目論見通りに弱体化されてしまう。「雌雄を決する」とは冷徹なものであって、どんなに努力や苦労があろうと負けたらおしまい。そういうものなのだ。技術者がカネにつられて流出して韓国に教えてしまったわけだが韓国も「オスの原理」で是々非々な国なのだ。それを許してしまった国も経営者も「科学技術=国防力」であるのは古今東西の世の真理であって真理の前にはアメリカも北朝鮮もナチスドイツもないことをどう思っていたんだろう。アメリカさんの核の傘=国防力は不要、とソンタクでもしたんだろうか。

そういう「国」という根幹の本質的な思想において、僕はビートルズが出てきたころの斜陽の英国以上に、はっきり書くが、いまの日本国に木の幹が腐食し始めたような嫌なものを感じる。例えばだ、科学技術力にはクラフトマンシップの要素もあるから数学力だけではないかもしれないことは留保したうえで、データをお見せしたい。国際数学オリンピックで日本は一度も優勝したことがない。2009年の 2位が最高で、今年は13位である。1位はアメリカと中国。そして3位が韓国、4位はあの北朝鮮である。1989年以降で優勝はアメリカは4回だが、中国はなんと20回でぶっちぎりである。韓国も12年、18年と2回優勝している。09年以降で北朝鮮は5位以内に4回入ったが日本は2回だ。国際物理オリンピックも今年の優勝は中国・韓国、3位ロシア、4位ベトナムで、日本はこっちも同じく13位である。

要は数学も物理も国として中国、韓国にぼろ負けなのである。政治的要素も絡むノーベル賞では先行しているが、理系の肝心かなめである数学・物理でこれでは時間の問題だろう。この戦績が来年の東京オリンピックだったら国を挙げた大騒ぎになるのに数学だとどうしてならないんだろう?大学入試に数学がないから男の半分は数学ができない。ものづくり、技術立国をうたいながら、支配層は国際的にトップクラスの理系感度が鈍い国なのだ。日本人はこの事実を直視しなくてはいけない。それなのに、奇怪なことに、なぜか日本のマスコミはこれを報じない。むしろ「全員がメダルを獲得」と持ち上げている。馬鹿が馬鹿を騙す天下有数のくだらない番組、「東大王」のノリだ。「でも頑張ったんだからいいじゃない、メダルは取ったんだしさ、だって全員ってところがなんかいいよね、和の力だよね、ほめてあげたいじゃないの、ほめないあんた、なんかおかしいよ日本人として」。おかしくても結構、おかしいのはそっちだ。要は13位なんである。この風潮が「どうして2番じゃダメなんですか?」を産むのである。この感じ、どこか「みんなで仲良くゴール」の似非リベラル風じゃないか。文科省が国民に知られたくないのか?気づかせぬまま日本に2番になってほしい忍びの者がいるのか?

さて音楽にいこう。

3曲目のテルスター。大好きで何十回もきいて頭に焼きついてるが、久しぶりにサビの部分の和声をきいているとA-F#m-D-Eの進行なのだ。このバスはハ長調だとドーラーファーソーであり、なんとブログで何度も指摘してきた「アマデウス・コード」(僕が命名したものだが)ということに気がついた。ここに分かりやすく書いたので是非お読みください。

モーツァルト「魔笛」断章(アマデウスお気に入りコード進行の解題)

高校に上がるとストラヴィンスキーに行ってずぶずぶになってしまったが、やがてちゃんとモーツァルトに行きついたのはこんな意外な伏線があった。テルスターが大好き=モーツァルトが大好きになる運命だった。やっぱり僕の音の嗜好はベンチャーズから来ていると確信する。ロックっぽい部分、たとえばチョーキングみたいなギターテクではない、音楽の「味」みたいなところ。コード進行やリズムやサウンドというところで「ささっているもの」があって、やがてそれと同じものをクラシックの森の中で探すようになって、そうするとあるわあるわ、続々と宝物が発掘されていったという感じが近い。ということはベンチャーズはビートルズに劣るもんでもない、音楽のちゃんとしたエッセンスは踏まえている立派なものだ。耳も鍛えられ、サウンドの快感につられて同じものを耳タコまで聴けば音高まで記憶してしまうから絶対音感に近いものができた。ボブ・ボーグルのベースをいつも集中してたどっていたからバスから和声進行をつかむ無意識のレッスンとなっており、ポップスなら何でも一度で耳コピでピアノで弾けるようになった。しかもベンチャーズはピッチがとても良い。「ブルー・スター」などロックにあるまじき美しさである。演奏側の耳が良い。良い音楽を若い頃に脳に刻むのはとても大事だと思う。

 

(ご参考)

理系の増員なくして日本は滅ぶ

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いかがなものか野郎

2019 JUL 6 15:15:23 pm by 東 賢太郎

チューリヒでは会社でソフトボールのチームをつくった。野球場はないからソフトということだが、アメリカと違って現地の人がやらないし選手もいないだろう。気乗りしない。しかも僕はゴルフに忙しいのだ。ところがどういうわけか社員の方が日本企業のリーグ戦やりましょうと盛り上がってしまっていて、僕のニューヨークでの話は聞いていたろうしいま思えば社長へのソンタクの一環だったのかもしれない。知らないうちに立派なユニフォームができて、しかたなく監督をひきうけた。

野村スイスは当時日本の証券会社の海外ビジネスとしてそこそこ収益源だったスイスフラン建て債の引受拠点だから組織は大きく、年間起債額は1兆円もあって野村は総勢約150名と日本の銀行・証券の最大勢力を誇った。チューリヒが本店で、ジュネーヴ、ルガノと販売のための支店が2つあって支店長も置いていた。「ソフトをやるぞ、チューリヒに出てこい!」と週末に日本人は全員集合の号令がかかるわけだが、思えば大変なパワハラ監督であった。日本人だけで30人以上だからチームは2つ、3つできてしまう。練習になって皆の実力を見ないとレギュラーが決められない。ここでノックをかましてみる。ひとり5本で1軍が決まり、もう10本でポジションが決まり、打撃練習でひとり10発打って走って打順が決まる。そんな感じで即決で代表オーダーが決まった。

素人のソフトはタマが遅い。右が思いっきり引っ張るのでショート、サード、レフトが華でみんなやりたい。思い出したが大学の体育でソフトがあり僕は不動の4番ショートであった。この時も血が騒いでしまい、40才でショートはちょっとキツイから「俺がレフトな」となって誰もだめなんて言えるはずなく、3番を打った。野村というのは体育会出身が多く金融界において運動の偏差値はかなり高かった。スイス・トーナメントは銀行、証券、保険チーム相手に連戦怒涛の圧勝でV9の巨人なみだった。ただニューヨークのあの時とおなじで体育の先生が中軸でおられる日本人学校は強豪であり練習も積んでいる。そちらも勝ち進んでついに決勝戦で当たってしまった。

僕はチューリヒ日本人学校運営委員長という公職の身でもあり「委員チョ~、生徒も見てるのよぉ~負けないとあとでお仕置きよぉ~」なんて校長先生からおそろしいヤジもいただいたが、選手たちどこ吹く風で元気溌剌。結局この大会唯一の僅差であったが優勝してしまった。胴上げされたのは人生で一度だけこの時で、上下左右の感覚が飛んでしまい天が雲がぐぐっと近づいてきて不思議な景色だった。その後、ソフトボール運営委員会で野村さんは強すぎる、チームAとBにするべきだと分割案も出たらしい。

この年、東京の部店長会議でスピーチをしろといわれ、壇上で仕事のほうはそこそこにこのソフトボールの話をアドリブでしたら、熱が入ってたのだろう大喝采となってしまった。1996年のことだったが平成という時代も野村證券もまだいい時代だったのだ。常務が「東、今日の原稿俺にくれないか」と来たが、「事前にスピーチ原稿を提出しなかったのは開闢以来お前だけだ」と企画室に怒られていたぐらいでそんなのはなかった。そうやって丸裸で勝負するスタイルを受け入れてくれる先輩がたくさんいたから僕は野村を選んだし、生きてもこれた。そうでなくなってきたのは世紀が変わったあたりからだろうか。

しかしそれは野村一社の話でなく世の中すべての流れだったのだ。その悠久の移り変わりのなれの果てなんだろうか、いまや野球の応援歌に「お前」はいかんらしい。部下はぜんぶお前だった僕は女性の部下を初めて持った時についに勇気をもって**さんを導入したわけだが、++くんは絶対になかった。女性の上司は経験ないが東くんより呼び捨てかお前がいい。僕にそれという感覚は女性には持ちにくいはずだ。「くん」は年齢が上とか、人事発令上の権限者であるとか、仕方なく上にいる者の権威をまとった上から目線を感じてしまう。そういうものが大嫌いで、逆になんでこんな奴に命令されるんだ、倒してやろうと思ってしまう性格なんで、僕の上に立つとしたら女性を捨てた実力者しかありえない。幸いいなかったが。

男であっても僕が「東、お前」でついていった少数の人とそうでない大多数の人がいる。お前がクンになる人もいるがその方の品格の問題だから構わない。人事権で上に乗ってるだけのについていったことは開闢以来一度もない。長にある人が「東、お前」でくる、つまり自分も裸でぶつかってきて、それを見て、元から裸であるこっちが何らかの敬意を持つかどうかなのだ。それを僕はソフトボールで監督というものを初めてやって、なるほどと思った。野球というものを、その勝ち方を僕は知ってるわけで、それはやればみんなわかるわけで、だからついてきてくれて集団の士気が上がってひとつにまとまる。忖度でもヨイショでもなく男の子の勝利の雄たけびで自然に胴上げしてくれる。スイス3拠点が団結したという手ごたえを僕は職場よりグラウンドで感じたからそれを部店長会議で話したし、それを「神聖な場で遊びの話などいかがなものか!」なんて輩はまだいなかった。

いまなら「休日出勤ですよ、組合員の時間外勤務手当はどう処理するんですか、出張費、交際費は無理ですよ」なんてアナザーいかがなものかが出てくるだろう。うるせえ、みんなこの勢いであした100倍稼ぐんだ、お前はだまってろ、で当時の僕は終わってただろう。喝采してくれた部店長もそうだったろう。それが昨今の会社の内情を聴くとそういうものはもうかけらもないし、ある意味ふつうの上下関係のいい会社である。僕が新卒で入社試験を受けても絶対に落ちただろう。いかがなものか野郎がウンカのようにはびこったのはその後だ。僕は完全な体育会系武闘派であり、秀吉の号令一下で文禄・慶長の役で奮戦し、朝鮮へ行きもせず秀吉に「いかがなものか」の讒言を吹きこんだ石田三成を関ケ原以前にぶち殺そうと企てた七本槍みたいなものだった。僕は彼らよりも執念深い。実際こいつは絶対に許さないというのがいて、ずっと後々にある機を得てきれいに成敗した。

「いかがなものか野郎」は太平の世になった徳川時代から跋扈を始める大嫌いな人種だ。秀吉の世まではそんなのはいても武士でないのだから表舞台に出ようもなく、我が藩の存続のためにお考え下されなんて老中に諭されて考えてる殿なんてあっという間に滅ぼされてたのだ。それは殿が戦さ経験がないからであって、訳が分からないからいつも側にはべって比較的に利発なそいつの言う事をつい聞いてしまう。戦地で日々体を張って戦ってる武将はそんなことをする暇もチャンスもないから讒言にいいようにやられてしまう。徳川家康の偉かったのは、自身が誰の側近でもなかったからそういうダニに等しい讒言野郎がいることを良く知っており、戦場に「伍」の幟(のぼり)を立てた騎馬隊をそこかしこに走らせレフェリー(審判)にしたことだ。女に化粧させて虚偽もありえる首実検だけではなく、「伍部隊」の目撃情報も参照してフェアな論功行賞(人事評価)を行った。関ケ原の戦いで、「伍」の幟は撃ってはならぬという敵味方なしの戦場ルールもあった。それが政治をうまく運ぶにいかに大事かは封建時代の武将たるもの皆が了解していたのであり、それを知って合戦の見方が大きく変わった。

「いかがなものか野郎」は戦争なき江戸時代になって戦場ルールの衰退とともに出現したソンタク、ヨイショだけの宦官野郎の元祖である。主君の汚名をそそぎ、仇敵の首を取って仇討ちを果たし、自ら割腹してお家に忠義を尽くした四十七士の忠臣蔵は江戸の太平の世になってから1世紀を経て起きた事件だが、それがなぜ歌舞伎にまでなってこれほど江戸人の心を揺さぶったか?戦争がないのだから武士は公務員化しており抜刀して切りあうようなことはもうなくなっていたからである。武士はこうあるべきだよね、いまじゃもういないけどさ。つまり忠臣蔵は江戸時代の「走れメロス」なのだ。そんな人はいまやいないから道徳の教科書に載るのであり、君らは違うんだけどできればこういう人になろうね!という教えが学校教育としてレゾンデトールを認められるのである。事実、忠臣蔵を崇め尊ぶ江戸のサラリーマン侍を武闘派のままの薩摩侍は笑って馬鹿にしていたらしい。文化部系のもやしみたいな秀才が運動会で頑張ってるね程度に見ていたのだろう。

僕はふりかえればサラリーマン街道においては石田三成になっていればよかったし楽だった。でも秀吉にあたる方がいなくなってしまったし、逆にその時から逆風になってしまった。それでもいいヨットのスキッパーならジグザグにうまくレースを生き延びただろうがそういうのは下手だし良しともしなかった。物産の上海支店長だった祖父が何かは知らないがケンカして辞めて王子製紙の役員になった。その血は間違いなく引いてそっくりなことになってるし、長崎の祖母は陸軍大将を出した家だし武闘派も仕方ない。やっぱりサラリーマン上司を長いこと我慢するのは無理だった。「いかがなものか野郎」は木を枯らす害虫であって世の中にいらない。政治家も野党の演説は見事にそれだらけだ。でも、僕は誰からであれ、自分にネガティブな意見は聴く。実力のある人は、かつて僕の命を狙った敵であっても評価するし三顧の礼で引き抜くかもしれない。それは性格云々ではない、なぜなら、戦国武将はそうしないと生き延びられないからだ。

 

野村證券・外村副社長からの電話

 

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トランプは負けのヘッジに入る

2019 JUL 1 20:20:20 pm by 東 賢太郎

「いや僕はそういう能力がないんで・・・」

というと、たいがい、

「そんなことないでしょう」

という返事が返ってくる。単なるお追従なのだが本当にないからないと言ってるのであってその目的は達していない。

返事した本人は自分にはもっと能力があると信じている。それも誤りなのだが僕はそういうことはそういう類の輩としか話さないし、冒頭の言葉はそういう返事が返ってくるだろうというシチュエーションでしか発しないのだから「いい天気ですね」「さようで」ぐらいのことだ。ただ、ひとつだけある。このバッターはここに投げれば打つだろうなという所に投げて、ああやっぱりねということだ。

交渉力とは観察力のことだ。机上の戦略などそのとおりいく方が珍しい。剣士や棋士ならこう打てばこうくるというのがあるだろうが、僕は剣道、将棋は知らないからバッターでシミュレーションしている。いずれにせよ、不測の反応が出たときに即応できるかどうかが命なことは変わりないと思う。その答えは、おそらく相手を観察することからしか出てこないのである。

G20のような場は首脳同士の出来の程の計りあいであり、諮りあいでもあるだろう。トランプ大統領は実に面白い。5月に畏友がホワイトハウスで彼に謁見した。オーバル・ルームだ。雑談の中で「NYでホテルを買った、トランプ・ホテルの近くだ」と言ったら「知ってる。いつだ?」と聞かれ、答えると返事は「いいところを買った。値上がりしてるぞ」だったそうだ。これを知ればテレビの井戸端会議であるワイドショーは「やっぱり不動産屋だったんですね」でもりあがるだろう。

金正恩との握手。両者ともトランプが落選した場合を視野に入れてる。したくない、させたくない、いつやるの・いまでしょ。あたりまえのことである。いまはトランプを支援するが落ちたらどうでもよく、アメリカ合衆国としてそうではない立場に立ったことにしておかないとその先は生きていけない連中との関係次第でトランプは落ちる可能性があるというトートロジーの事態にある。形勢を見て勝ち組につく関ケ原の小早川秀秋みたいなものだ。だからトランプは究極の勝負手を打ってくる。弱いイランも日韓も脅しまくる。強いロシアと中国は弱みを突いてからエサを撒く。彼のアメリカ・ファーストの底の浅さはあの民主党の看板政策として一世を風靡した泣く子も笑う子供手当のでっかい版にすぎない、米国株が上がればめぐりめぐってそうなるのである。小早川組が誰か、何を見てるか?おわかりだろう、彼の本気度だ。

皆さん相場がどうなると思われるだろうか。日本株などというものはもはや米国株のデリバティブだ。下がらないし、勝手に下げようもない。日銀のバランスシート担保でもあるから安倍首相謹製の官製相場である。円ドル感応度は高いが為替もドル次第。あらゆる経済理論がワークしないという意味でブラックホールの内部状態であり、すべてトランプ大王様の御意にかかってるという宇宙規模で馬鹿馬鹿しい空前の事態なのだ。利に聡い大王はこれが絶後でもあることを自分だけが知り得るという事実を知っている。不動産ディールで百戦錬磨の彼がその回路を完全オフにして政治ができると考える人は、神のごとき音楽を書いたモーツァルトやベートーベンの作曲が金銭動機だったなどという不浄な説には徹底交戦し、実はそうでしたという証拠が出ようものなら砂漠に顔をうずめて敵を見なかったことにするダチョウか日本国某財務大臣みたいなものだ。下がらないなら安心ではないかと思う方は株には近寄らない方がいい。近来稀に見るつまらない相場だからボラがない。そういう人がビギナーズラックで儲かることもなく、どこかで反転して大損するリスクだけある。素人に毛が生えた程度の投資信託もおんなじだ。大王にあやかって僕はいま不動産の方に注目している。

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人生あと20年だったら何をしますか?

2019 JUL 1 1:01:46 am by 東 賢太郎

高島屋へ家族で食事にいくと「二子玉川50年の歩み」とポスターがある。そうか、あれからもう半世紀になるのか。1969年だから中学3年だった。オープンの時に来てギターを買ってもらったっけ。いまや高級住宅街とされてるらしいが、僕の脳裏にあるニコタマなんてこんなもんだったのだ。

ただ、写真の奥の上野毛の丘陵はお袋が皮手芸教室を始めたときにビラまきを手伝ったが、古くから居並ぶ豪邸に圧倒された。富士山を望む多摩川沿いの丘陵の南西向き斜面は「国分寺崖線」と呼ばれる。成城学園からここを通って田園調布まで続いているが、その記憶があるものだから東京広しといえど国分寺崖線以外に自宅を構えようという気はからっきし出てこなかった。そのために働いたみたいなものだったかもしれない。

いまやこの先あと何年あるかと思うようになってきていて、もう50年前のように夢を持つほどはないのは確実だから、それなら自然に生きるしかないと思っている。仮にあと20年あるとして17万5千2百時間だが、あるかもしれないしないかもしれないものを長いの短いのと考えてもしかたない。要はその17万時間、何をして過ごすか、何で埋めるかが重要なのである。

先日、蔵前国技館で相撲を観ていたら高須クリニックの懸賞がたくさん出ていた。高須院長が砂かぶり最前列におられてお元気そうで、報道によると彼は癌だがこういっておられる。「ムダな健康の知識なんて必要ないよ。だって身体ってコンピュータみたいなもんで、不調だったら原因は身体がわかってる。それで『眠い』とか『これ食べたい』という信号を送ってくるんだから、それに従うのが一番いいの」。そういうことだ。自然に生きようというのは、頭で決めるのではなく体がこうしたいと欲するままにするということだ。

僕の場合べつに長生きしたいということではなくて、17万時間の効用価値を最大化したい。そうすれば、最後になって「いい人生でした、ありがとう」となるだろう。しかし、おしりが見えないのだから「いま」の効用を最大にしながら、いざ終わってみたらトータルで幸せでしたとするしかない。だから結論はこうなる。常に目の前にある「いま」の選択として、

①やりたいことだけやる

②それ以外はぜんぶ捨てる

の2つを同時にする。いつ何時もそう考えて行動する。そうすると義理、人情、忖度みたいなもので惰性でやってきたものはぜんぶ不要という結論になるのではないだろうか。自分で体を張ってビジネスをすると誰にも忖度などいらなくなるのだ。モノは捨てればいいし、つきあいたい人だけとつきあえばいい。

でも身体に従うと言っても、自分が本当はどいう人なのかは誰もわかるようでわからないだろう。社会生活にまみれて手垢がついてしまい、鏡を見ても仮面をかぶった自分しか写っていないからだ。例えば僕は何か日常のありふれた出来事を見て、たぶん何万人に一人もそうは思わないだろうという風に思うことがある。そう生まれているのであって遺伝子の仕業だからどうしようもない。

そこで他の何万人は「**ですよね」と当然のように同意を求めるだろう。こっちはちっともそう思わない。そういうことが嵐のようにあるのである。それでよく証券会社なんかでやってきた。我慢してきたのだ。しかし行動するにあたってはそんなのは無視して100%自分の流儀でしてきた。それでいまがある。つまり我慢など実は一文の値打ちもないということを証明しながら生きてきたのだ。お客様だって一文の値打ちもないことに熱心な人間のサービスを受けたいとは思わないだろう。

ただし、矛盾するようだが、よほどの実力がある人を除いて若い人たちはそれではいけないとも思う。そんな実力なんかおよそ無縁な僕は忍耐、我慢の何十年を生き抜いてきたのだ。世間は大人が動かしている。大人に受け入れられるには多大な我慢がいるし、そうならなければやりたいことはできないのである。やってみればわかる。自分流を通すのは非効率と裏腹であって、時間を空費するし、それで嫌われて挫折した人を僕はたくさん知っている。だから、我慢はしながら、いつか自由を手に入れるぞと爪を研いでその日を虎視眈々と狙えばいい。

もう狙うもののない人生は退屈だが、やりたいことをすれば退屈ではないのだ。そうやって17万時間(?)をアロケートしていく。物事を見て僕と同じ風に反応してくれる人はいないことが分かったが、仮にいたとしてもそれでこっちが面白いかどうかは未体験ゾーンなのでわからない。まったくもって面倒くさい人間だ。いま周囲にいてくださる多くの方々は少なくとも嫌でないということは確実なのだが、なにを面白いと思っているかは言わないで死ぬだろう。どうしてって、それが人生面白いからだ。

 

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「うじうじ人間」の金持ちはいない

2019 JUN 16 12:12:19 pm by 東 賢太郎

先週はいろんな人と会って面白かった。来る人は会うし去る人は追わない。会っても何も期待しない。Let it be.  なるようになるさ。

ソナーという名は探知機から来た。何を探知するか?「よいもの」である。なんであれ。そういう会社をがんばって作ろうということではなく、すでにそう生まれついている。僕はそれだけで64年生きている。

僕のソナー ➡ よい > わるい

だからよいと思ったらすぐ手に入れる。家を建てようと土地を探した。家内と半年も探した。なかった。10年まえ、いまの場所が出た。来た。見た。買った。所要時間5秒。いまも満足、ここで死にたい。

いまの若者は手に入れることをしない。借りる。共有する。クラウド。それは大賛成だ。なぜなら即決できる。失敗のコストが安い。うじうじ考えてチャンスを逃すよりよっぽどいい。いい練習だ。でも持たないと資産はできない。

僕はアメリカや香港に住んだ。米中には「うじうじ人間」が少ない。金持ちほど決断が速い。こういうことは何年住んでも、カネが商品の僕らしか知らない。なぜ速いか。「うじうじ人間」の金持ちはいないことを知ってるからだ。

 

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「銀行で投信を買うと46%が損(金融庁)」のインサイド

2019 JUN 13 7:07:05 am by 東 賢太郎

先日、野村証券で現役の後輩と新幹線でいろいろ話したら、会社はもう様変わりになっていて驚いた。時代というものはあるが、それにしてもあの会社がそこまでなるかというほど「普通の会社」になっているではないか。僕がいた最後のころ、こう感じた。「いま入社試験を受けたら落ちるだろうな」。そのころ僕は金融経済研究所の部長であり、100人ぐらいのアナリスト、ストラテジスト全員にこう言っていた。「君たちの調査レポートはまったく面白くないね」。

僕は調査部門の経験はない。レポートを書いたこともない。そんな上司にそんな事を言われたらむかつくだろうが彼らはプロなのだ。僕はそのレポートで商売してきたプロなのだ。プロとプロの対決であり、それは相手が何百人だろうと僕が勝つに決まってるのである。上司だからではない。ユーザーである僕が面白くないものは売れないからだ。面白いというのは儲かりそうだということである。損するかもしれないがひとつ話に乗ってみようとお客様が思うかどうかだ。それがかけらもない、干からびた学術論文みたいなもの、情報端末よりすこし早耳情報ですよみたいなものは単なるクズなのである。

彼らはすべて超高学歴で頭脳明晰だ。しかしエリートはつまらないのだ。こと株に関する限り話していても面白くも何ともない。いや、向こうもそう思ってただろうから「面白い」がバロメーターというより「自分で儲ける能力があるのかどうか」と言った方がフェアだ。彼らが独立して自分で株で財を成せるか?賭けてもいいが全然無理だろう。そういう旗揚げをしてみようというタイプは皆無だしできたという話も聞いたことがない。従って、それでは何のプロなのか未だに不明だがそういう人に株のアドヴァイスをしてもらおうというお客さんがいるはずないのは宇宙の原理といっていい。きっと、こういうことの行く末にプロがどんどん普通の人になっていって、会社ごと普通という姿が待っていたんだろう。

ジョージ・セルがクリーブランド管弦楽団に着任して団員を7割クビにしたが、自由にしていいなら僕もした。あるいは3割を連れて調査会社をたちあげた。当時、野村の調査は一流ということになっていたが世界レベルでは7割はアマチュアだった。能力とはいわない。彼らは官僚か銀行員ならおそらく僕より優秀だ。でも株式ではアマチュアなのだ。それは日本の運用業界の縮図であって、そこで7割の運用者が求めるサービスもそうなのだ。だから同類の「普通の人」が求められ、食っていけてる。これが野村から情報をもらって運用している「プロ」側のインサイドに他ならない。だから「銀行で投信を買うと46%が損(金融庁)」という事態になっている。どなたもすっきりとご納得いただけるのではないか。しかし、そういう程度の投信を買ってしまう大半の日本の投資家も無知すぎる。百年安心年金などというのがおお嘘なのは明々白々たる事実なのだから投信を資産に組み入れること自体は正当な資産防衛だが、大事なのは真実を語って顧客側に立ってくれる営業マンから買うこと。それに尽きるし、その吟味こそが正しい資産防衛だ。

 

(本件のようなことに至ってしまう「事の本質」はこのブログに書いてあることである)

情報と諜報の区別を知らない日本人

 

 

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