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カテゴリー: 若者に教えたいこと

脳みそが「創造する快感」に支配されている人

2018 AUG 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

今日は神山先生ご夫妻と夕食でした。もう14年になるね、僕は先生の漢方を一番長く飲んでる日本人だね、効いてる?わかんないね、まあ、毒じゃないってことだけは確かだね、なんて龍門派気功第十九代伝人にジョークをかませる仲です。14年は長い。野村を辞めて以来ということであり、お互いがいばらの道で辛いときに悲喜こもごも助け助けられで、ほんとうに色々ありました。家族ぐるみで切っても切れない仲で、僕は彼の上海の仲間に「日本の兄弟」と紹介されています。

2004年に風邪をこじらせて熱がさがらず、騙されたと思って行けと紹介されて池袋の診療所を訪ねました。とても苦い煎じ薬を飲まされ、一日ですきっと治った。この時の台風一過の如き清涼感は忘れません。漢方の知識は皆無でしたし、今だってほぼゼロですが、それ以来彼の調合する薬草を信じて朝晩欠かさず煎じて飲んで、まさに医者いらず薬いらずの体になってしまいました。後で知りますがこれが彼のファミリー6代に伝わる、免疫力を高める「未病」の秘法で、ちなみにお父上は鄧小平を診た国医です。

上海交通大学の気功の教授だったところ、事情あって来日し山梨大学で教えることになってから28年、このたび母国の医師免許が授与される見込みという嬉しいニュースが入りました。中国の医師は西洋医学をする西医と中国伝統医学(日本人が呼ぶ漢方)をする中医に分かれていますが、習近平は中国医学発展計画により中医学の標準化と輸出、中医師免許の拡大政策などを推進し「一帯一路」プロジェクトにも中国医学グローバル化が含まれました。この追い風の中で、国外頭脳流出していた龍門派気功第十九代伝人・神山道元先生(中国名・屠文毅)に国のスポットライトが当たったようです。

先生の奥様は西医で英語も堪能、上海の病院の麻酔科教授で心理学博士でもある超インテリの彼女がセクレタリーというのは強力で、国家予算がつくようだからそう遠くない先に先生は父君のように本国で中医を代表する存在に返り咲くでしょう。そうすると僕は先生の国外流出期に14年と最長の投薬・施療実験台(笑)だった人になるらしく「中国政府に提出するレジュメに東さんの名前を書いていいですか」ときかれました。政府のインタビューに同席もしてくださいと。「もちろんオッケーだよ。当然でしょ。人生最高の医師だというよ」と答えると奥様があなたは**だという。中国語でわからないので手帳に漢字を書いてもらったら「劉備」でした。

こうなったのも、僕の新しいもの好き+経験主義(ホントに一発で治った)+良いものは良い、いらんものはいらんの割り切り主義からでしょう。薬は治ればいい、誰が作ったか何が入ってるかなんて効けばどうでもいい、いくら権威ある大教授の御託が立派でも効かない薬なんて捨ててしまえ。そういう処で先生と性格が合うのです。一度心から信じたらとことん信じるのもいっしょ。完璧な一致と言っていいですね、こういう人はこれまで会った人にはほとんどいませんし、日本に染まっているとどうもチマチマセコセコになってしまう。

彼はドツボの時も明るい未来しか考えない。半端ないポジティブ・シンカー。構想が大陸的であってでかい。弱音を吐かない。へこたれない。やめない。何かをゼロから生むのが飯より好き。これは僕とまったく同じ種族の人間ということで、脳みそが「創造する快感」に支配されているのです。人生クリエイトしてなんぼ。この事実の前にして彼が中国人であるということはそれこそ僕にはかけらの関係もなし、国籍、宗教、性別、歴史、血縁なんてものは脳みその型で分類した人間の種族にはずっと劣後します。地球上のどこにも、自分と種族が同じ人と違う人という2つの人種がいます。

事業というのは、大企業のパーツならともかく自分で起業というのは自分が車のエンジンにならなくては絶対に無理です。そして「エンジンになる」とは「創造する快感に支配されている状態」のことなのです。創造とは非常識な処から生まれる、まだ世に存在しない発想のことであって、そこにつまらない常識的な人が出てきて「そんなの無理でしょ」なんて言ったら車は1メートルも進みません。そうなると会社はつぶれるし、世の中の99%は常識人だから、僕はそういう人と接しない時期が年に何回かは必要です。1%に属する先生は話していて無限に面白い、何時間でもいっしょにいたい貴重な兄弟なのです。

 

 

 

 

 

 

楽しかった「かむゐ」の20周年記念公演

2018 AUG 20 0:00:40 am by 東 賢太郎

先だって島口哲朗さんにディナーにの席でお招きにあずかったかむゐの20周年記念公演に行ってきました。

サムライとアニメは日本の宝である

そもそも20年続くものは何であれ本物でしょう。まがいものは時の波に飲まれて消えます。本公演に梅沢富美男さん、中村玉緒さんが届けていた熱い祝賀メッセージもお義理でなく本物でした。日本を愛する人は、一度ご覧になれば好きになると思います。ちなみに、かむゐが外国でどれだけ注目されているかはこちらのHPをご覧になればわかります。

http://www.k-kamui.jp/jp/homepage.php

多くのみなさん和牛は日本のブランド牛肉と思っておられるでしょう。しかしWAGYUと横文字で綴られるとそうとも限らないのです。「オーストラリアWAGYU協会」が1990年にでき、今は米国WAGYU協会(本部アイダホ州)まであるのをご存知ですか?WAGYUの高級ブランドイメージだけは日本が作ってあげて、それのナンチャッテ版である米国産、オーストラリア産が世界を席巻してしまうかもしれません。

同じように、は今のところ日本人だということで世界にブームが広がりつつありますが、SAMURAIと横文字になるとだんだん国籍不明になるのは和牛と同じではないかと危惧するのです。ただ刀を振り回せば格好いいという若者が欧米に増えてます。それが独り歩きすると、そのうち中国や韓国がルーツだぐらいの法螺吹きが平気で始まるだろうし、そのスピリットである武士道とかけ離れたものになるかもしれません。

百歩譲って食べ物は構わないのです。しかし侍は武士道と関わり、武士道は決して殺戮のための教えではなく、武士階級の倫理・道徳規範であって支配階級である武士に文武両道の鍛錬と徹底責任を取るべきことを求めたもの、いわばノブレス・オブリージュに相当するものです。昨今のわが国の政治家、官僚、経営者、指導者においていかにそれが希薄化してしまったかは皆さんお感じになっているでしょう。

経済大国になることで一流国の地位を得たわが国が、金満国家としての下衆な扱いではなく一定の敬意も得ていたことを僕は16年の海外生活でどんなにありがたいと思ったことか。それはなぜか?日本人が心の底流に持っている和の精神への敬意があったからです。

住んだ5か国どこでも外国人の部下たちが仕事の中で「日本人はわからない」「どうしてそうするのか」といろいろなことで言ってきました。良い方にも悪い方にも言われましたが、僕はいつもこう答えたのです。「それは英語になりません。日本にしかないものは日本語で覚えてください」。そうして「WA」と「BUSHIDO」を教えました。

僕は日本人の奥ゆかしい精神の底流にある武士道だけはナンチャッテは勘弁してほしいと思っています。だからかむゐに出会った時も、実はやや疑いの目で見ていたのです。しかし彼らはそうではなかった。僕が消えないで欲しいと願っている、まさにその精神を殺陣という見栄えのするパフォーマンスで万人に分かり易く体感させるものだと知り、応援しようと決めました。KAMUIとしてあえて横文字で、チャンバラ劇ではなく武士道というスピリットとセットで日本文化を体感していただく場として世界に広まればいいなと思います。

10月31日にイタリアのフィレンツェでかむゐリーダーの島口哲朗氏の日本人初の「文化芸術賞」授賞式があります。式場は現存する世界最古の薬局であるサンタ・マリア・ノヴェッラ本店です。これは欧州文化に深く根差す「クラシックなもの」とサムライ・アートの融和の起点となるでしょう。個人的なことを言えば、伊賀の影丸で字を覚え、三匹の侍やクロサワ映画で育った僕としても自然な感じをいだいております。

本日の公演でも第1部は邦楽(尺八、横笛、太鼓・鐘、胡弓)が背景の音作りをして、素晴らしい幽玄で静寂な空間を演出。音楽的にも見事でした。これは完全にクラシック音楽と言ってよく、殺陣は命のやり取りをイメージしたものですからシリアスな題材でありそれがよく似合います。第2部の背景は小林未郁さんのオリジナル曲のピアノ弾き語り、和太鼓、津軽三味線と、これがまた大変な水準の演奏であり、音だけでも十分に僕を満足させるものでした。

殺陣は演劇やダンスの要素もありますが、音楽が必ず背景にある演出はKAMUIの強みですね。オペラにもミュージカルにもなる。これが西洋人にアピールするのは僕の経験から思うに必然です。そうなるとナンチャッテ・サムライの跋扈が心配でなりません。ぜひ日本人の皆様が一度ご覧になって、灯台下暗しにだけはなりませんよう願っております。

一軍と二軍の差はどこにあるのか?

2018 AUG 16 18:18:55 pm by 東 賢太郎

イースタンリーグの巨人・楽天戦を東京ドームで観ました。約2万人と一軍なみの入りで、ネット裏3千円のチケットが完売なのだからこれはこれで興業にはなるイメージですね。

二軍とはいえここにいるのはいま熱戦たけなわの甲子園を沸かせたり、大学、ノンプロで図抜けてドラフトにかかったツワモノばかり。先発は安楽と鍬原。安楽は甲子園歴代最速の155キロを記録した投手ですね。打者もなんでここにいるのというゲレーロが2本、ペゲーロが1本ホームランを叩き込み、クローザーのカミネロの157キロのど迫力の豪速球がうなるなど、この辺は一軍そのままの野球でした。

にもかかわらず、電光掲示板に選手の成績が出ません。「ペゲーロ選手、第4号のホームランです」とアナウンスされると、えっ、そんなに二軍にいたのか!となるからそりゃその方がいいかもしれませんが、何のためこの試合でがんばってるの?といえば首脳陣に認めてもらうためです。放っておいてもエースで4番で認められまくって人生を送って来た人たちだ、辛いし悔しいし、たぶんそれが原動力でやっている、でもここでの数字は報酬にカウントはほとんどない。報われなければ永久トライアウトのようなもので、過酷、残酷な場でもあります。

年俸4億円のゲレーロがここにいて530万円のマルチネスが一軍でレギュラーというのは劇的な下剋上でしょう。一時的にせよ、時間差はあるにせよ、フロントと現場首脳陣の意見が割れているということになります。サラリーマンなら人事発令で異動してきた部下を現場が干せば人事部にケンカを売るようなものです。当然社長への忖度前提だからきっと根回し済みで部下が悪かったで終わるでしょうが、この日の会心の2ホーマーは場外乱闘を面白くしますね。

一軍と二軍の差は何か?

この試合を見る限りですが、明らかに「ミスの差」でした。あまりに月並みですが投球、打撃、守備、走塁のですね、巨人より楽天の方がミスがずっと多かった。だから7-2で巨人が勝った、そういうことでした。おそらく、一軍に上がれる人はここにいるすべての人よりもミスが少ないのです。いくら頑張ってもミスする人は一流半で終わるし、ミスを減らすには基本を地道に練習するしかないのでしょう。基本の練習は誰でもできますから「やればできた」というのはなく、単に「やってない」のです。

僕の人生経験に照らした結論

つまり、ファインプレーをした方が勝つのではなくミスをした方が負けるのです。場外ホームランを打てる人は打てばいいですが、それができなくても負けなければ勝ちます。楽天のミスといってもエラーばかりではなく送球のタイミングとか野手のカバリングの位置とか、それもイージーなものから詳しい人がよく見てないと気がつかないようなものまでありました。実は、おそらく、どんなジャンルでも、最高水準の人達の戦いはそういう鼻の差の細部で勝敗が決まっているのだろうということを思い知りました。ということは、練習の段階でその細部まで神経が通っているかどうかが決定的な差をもたらすということではないでしょうか。コーチングも大事ですが、やっぱり最後は細部への注意深い気づきと、それに対する自分の意識の問題ですね。

仕事の教訓にいたしましょう。

 

小林未郁「進撃の巨人」と「Mika Type ろ」

2018 AUG 11 13:13:21 pm by 東 賢太郎

女の人と一対一で話すのが生来苦手であり、これは相手が好みのタイプかとかそういうこととはあまり関係なく、おそらく高校までは3分と続いたケースはなかったように思う。硬派とか奥手だったとかでもなく、まあひとことでいえば、つまらないからすぐ終わってしまうのだ。

いまや変わったといえば変わったろうが、それは年を取って丸くなったのではなく、仕事なりなんなりの処世でそれも必要だということであって、実はあまり変わってないように思う。こんなことをここで公言してしまうとただでさえ女性に理解されないのがさらに危くなるが、ウソの自分で生きるのはやめたのだ。

ところが先日、シンガーソングライターの小林未郁さんとお食事で、僕はユーミンさんのファンなんで、まあ荒井さんの頃だけど、そう、中央フリーウェイってね、Fで始まって5小節でFmになっちゃうでしょ、あれ考えられんね、お会いしてどうしてってきいてみたいね、なんて話になったらなんだかんだで、ウチのスタジオ?音いいよ、ピアノ3台あるよ、録音?できますよ、たぶん、みたいなことになった。こういうこともたまにはある。

いただいたCDをさっき聴いた。僕がここでどうほめてもお世辞でしょとなるが、事実として記しておくと、2枚組ぜんぶ聴いた。ベルリンフィルでもピッチが悪いと1分で捨てるのでクレジットのつもり、一般的な言い方なら歌がすごくうまいねって、つまんないことになってしまうが。ちょっとダークでアトモスフェリック、女の子の歌なんだろうけどいまやJ-popでは貴重な大人の歌ですね、オンリーワンの世界が確立している。「EGO」「献血」が好みだ。和音よりメロディーが先に来るタイプとおっしゃったがこれだけきれいなメロディーが出てくればうらやましい。和音もオシャレ。ピアノ弾き語りっていいね、その昔はシューベルトがやってた。自分がやるなら?なんたってロング・アンド・ワインディング・ロードさ。

小林さんといえばこれが有名な「進撃の巨人」。

音楽というのはメディアの進化につれてあり方が変わってくる。20世紀初頭に映画ができると、最初はサイレント・ムービーだったが、やがて音が入る。すると「映画音楽」というものが出てくる。それが現代ではアニメのテーマや挿入曲、ゲームのBGMに進化してきているわけだ。音大の作曲科を出てゲームミュージックを書く時代なのだ。

この世界的にはやったアニメについて、彼女はこう語っている。

お食事しても自分の人生を訥々と語られる姿はこういう感じで、ああこの人はアーティストである以前から自分のやりたいものを探してたんだなと思った。

彼女の生き方は「やめないこと」。まったく同感である。僕も63年の人生で、野球、受験、仕事で3回も大きな挫折をしたが「挑戦をやめない」だけでなんとか生きてきた。

自分は空洞の状態で生まれて何もなかったが、それを忘れずに来て、見いだされて今がある。自分にはないもない、何ができるのか?どうしよう?迷っている人は、そう語る彼女に力をもらえるのではないか。

フィレンツェのドゥオモに昇ってインスパイアされて書いたという「迷宮入り」という曲は面白い。

こんど、ウチでこれを弾き語りしてもらおう。

 

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プレゼンの極意とモーツァルト

2018 JUL 25 23:23:14 pm by 東 賢太郎

僕がスピーチのとき原稿を書かないというと誰も信じない。しかし野村證券でもみずほコーポレート銀行でも、僕は部店長会議の演壇でスピーチをさせて頂いたが原稿はなかった。そういう場でも書かないのだから、他ではまして書かない。

理由は二つある。一、読むスピーチは例外なくつまらない。二、時間にぴったり収まらない。つまり、つまんねえ話だな早く終われよなんてのが途中で「時間オーバーです」なんて、NHKのど自慢のカ~ン!状態なのである。そんなみっともない姿で記憶されるなんて耐えがたい。

プレゼンも似たところがある。部下に同伴した営業現場で、百ページの資料を生真面目な担当者が一言一句読みあげているうち、耐えきれなくなったお客さんが舟を漕ぎ始めた。資料とにらめっこしたままの彼は気づかず百ページの朗読を見事にやりとげたが、商売は迅速に逃げた。

僕はビジネスというのは、もしコネで決まらないのならばプレゼン能力で決まると思っている。職人技や企画力というのはモノが売れてから追認される能力である。お金が入ればどこからも文句は出ない。置いておけば勝手に売れるものを例外として、売る能力はその他すべてを「結果オーライ」に導くだろう。

そして僕の定義では、プレゼン能力は「読まないスピーチ」力である。少なくとも棒読みよりは面白いし、時間ぴったりに終るから後味が良いのだ。後味の印象がプレゼン全体の印象を決める度合いは意外に大きくて、人間は去り際が大事であり、クラシック音楽がエンディングの是非で拍手の量が決まるのと似る。

「読まないスピーチ」の極意をお教えする。二つのことが必要だ。一、聴衆のノリを見る。二、複数の引き出しを用意する。ノリによって適当に引き出しからネタを出す。そこでまたノリを見る。また、出す。それを繰り返して、そろそろ時間だなというところでとっておきの大ネタを出して終わる。それで成功する。

僕のイメージだが、モーツァルトはそうやって曲を設計していたと思う。まずは即興があり、彼の天性の時間に対するバランス感覚で主題の出し入れや展開やコーダの出番が決まる。彼の時代、強弱、緩急の味付けは限定的だから、感動はプロポーションの設計によるところが大きいのである。

彼は何でも書けたが、形式に縛られる音楽よりはオペラに力を発揮したし、本人も意欲を持っていた。時間制限のない音楽だからだ。彼は複数の引き出しがあり、聴衆のノリを見て即興演奏で絶賛を浴びたが、ノリなど無視して、記譜した音楽で感動させられる絶対の自信があった。

それには制限時間のない音楽が望ましかった。だから、コロレド大司教が出した「ミサ全体で45分を超えるな」というお触れに大反発したのだと僕は思う。ハイドンセット作曲には珍しい苦労の痕跡があるが、ソナタ形式の曲はおのずと45分は越えず、プロポーションの設計の妙はそこで開発された。

そう考えると、スポーツにも制限時間の有無があることに気づくだろう。サッカー、ラグビー、ボクシングなどは有り組、テニス、卓球、野球などは無し組だ。テニスのラリーが1時間続くことはないだろうが、野球は27アウト献上するまで何日打っていてもいいし、元祖のクリケットは4日も続いたりする。

僕もプレゼンは無制限派だ。オペラのように時間をかければ部下の腑に落ちて心から共感してもらえる自信がある。しかしそんな場はないし、会議室でやればみんな寝るだろう。そこで「飲みニュケーション」になってしまうのだ。おネエさんがいるのに仕事話になるのだから、部下にも店にも迷惑だったろうが。

 

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正しい人脈の作り方(その3)

2018 JUL 21 14:14:09 pm by 東 賢太郎

「ヒキ」だ「コネ」だなんていらん、頼りたくないという人はいるだろう。そういう人は海外へ行けばいいし、それで成功した人も多くいる。しかし国内でだめだから外でというほどその道は甘くないし、それに頼らないということは実力一本勝負ということで、スポーツ選手と同じなのだ。野球やサッカーでどれだけの人が海外で通用しているか見れば、その現実はわかるだろう。

とすると必然的に、他人の人脈のレバレッジなしに国内でやることになる。サラリーマンをするならそれもまことに結構だ。しかしどこの会社にも「ヒキ・コネ族」は必ずいる。閨閥、学閥がそうだし、仮にそれがなくても「愛(う)い奴」だけ目をかける上司はどこでもいる。ウチは実力主義です、なんてのはウソなのだ。その連中に実力だけで勝つのは至難だし、そんな実力があるならあなたも「ヒキ」「コネ」を作ればいいのである。

愛い奴ばかり使う上司は自分より優秀な部下は切る。つまり能力などあると危険であり、無能だが忠実な者だけ出世させるわけであり、自分が優秀でなく部下もバカなのだからやがて馬脚が現れて消える。それが何かの拍子で社長になると会社が消える。いずれにせよ、それに可愛がられたあなたも消える。だから深入りせず適当にいなして「鉱脈の深い年長者」の「ヒキ」「コネ」を得ることであり、もしも会社ごと危なければさっさと辞めることだ。

サラリーマンが嫌なら起業するしかないが、この場合は「ヒキ」「コネ」なしだとさらに大変だ。個人商店レベルでいいならともかく、億円単位の商売をするとなるとホールセール(企業相手)になる。ところが、どこの馬の骨かわからん者の商品やサービスをクオリティだけ見て買ってくれる企業は、実は日本には極めて少ない。それを知るには以下のことを認識することだ。日本人はまじめで器用でよく働くが、日本企業の生産性は国際的に理不尽に見えるほど低い。なぜか?社内に膨大な非効率を抱えているからだ。それは何か?余剰人員だ。

大方の大企業は終身雇用制で年齢構成ピラミッドは40才台が中ぶくれした「釣鐘型」だ。出世競争は40才でほぼカタがつくので、釣り鐘の上半分は高給を食みながらもインセンティブはなくした正社員である。中小企業への貴重な人材リソースではあるが、就職ではなく就社しているから移籍は起こらず大量の余剰人員となるのである。労働生産性はここにトラップされているのだ。

彼らは会社の成長と人生の幸福が必ずしもリンクしない。あなたの作った企業が安価で良いものをいくら売りこんでも、彼らにとっては無名企業との新規取引だ。あなたの商品を購入して収益貢献を図っても、ルーティーンをあえて変更する説明責任やリスクだけあって評価はされない。そうであれば既存の取引先と人間関係を作ってそっちを温存し、定年まで無難な人生を送ることにインセンティブを持つことになる。こういうことが各所でおき、ウルトラ保守的、硬直的な組織になるのが大企業病だ。それはそれで非難されるべきでもない、そういう立場の従業員にとっては合理的な行動なのだ。

安倍内閣が失業率を下げるのに成功したというが、生産性は上がっていない。ということは余剰人員を抱える年齢構成ピラミッドを切り崩そうという試みはさらに後退したことを意味するだろう。若年層の働き方改革よりそちらの方が日本経済の競争力拡大にはずっと核心的な問題にもかかわらず、政府にはそこにメスを入れる気などさらさらなく、むしろ年金、健保の負担を減らすため年寄りをもっと企業が面倒みてくれということなのである。ちなみに、だから日本株のPERは上がらないのだ。

サラリーマンが嫌な若者が起業して「ヒキ」「コネ」なしで食っていくには日本は非常にアンフレンドリーな国であることはおわかりだろう。しかもベンチャー企業への投資インフラは先進国とは思えぬほど脆弱であり、銀行は担保がないとカネを貸さない。誠に憂慮すべきことであり、それを何とか変えてみたいと思い立ったこともあったが、それはMBAを取って海外赴任したころ「いずれ日本企業はみなグローバルカンパニーになる」と信じた、そのことと同じほどありえないことであった。残念ながら日本は変わらないし、その方が未来の日本人の幸せにはよろしいのだと得心した。

だからみなさん、「ヒキ」「コネ」はあったほうがいいし、それを得る方法が前回までに書いたことだ。

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正しい人脈の作り方(その2)

2018 JUL 20 19:19:42 pm by 東 賢太郎

人脈というのは「開かれた人」を取り込むことで威力が倍加することは前回説明した。しかしまだ人を見る目がない若い人にはなかなか難しいことで、やみくもに知りあいを増やすことになりがちだ。僕だって大そうじをすると、もう名前さえ忘れてる人の名刺や年賀状がわんさかあって苦笑する。

秘策を教えよう。80人の「開かれた人」を友達に持っていそうなオトナを友達にすればいいのだ。その人に可愛がられればその人脈とあなたは濃厚な接点ができるのである。これを別名「ヒキ」とか「コネ」という。80人の年賀状だけの交友は楽しめばいいが、年に一度しか思い出さない人が人脈の有力な一部になることは隕石に当たるぐらい稀だ。オトナをどう落とすかに集中することだ。

皆さんにとって相手は我々前後のオヤジというところだ。この世代の生態は知った方がいい。長髪でエレキを弾いたりゲバ棒を振ったりジュリアナでナンパしたりで目いっぱいバブって遊んでおり、会社では24時間戦ったと思い込んでるがその実は社畜に徹して滅私奉公ぶりを競って交際費を正当化していた。公務員にそれはないが、だからこそノーパンしゃぶしゃぶが歴史に名を刻んだのだ。そんな世代なので、高度成長は俺たちが成し遂げたという、それほどいわれのないプライドがバカの壁となって立ちはだかっている。

その世代も当時のオトナに取り入った奴がうまくやっている。相手は戦中派であって、硬派でごりごりの右翼か共産原理主義の左翼かマッカーサー洗脳プログラムの申し子のえせ左翼か風見鶏の無責任野郎かパンパンの男版の軽薄なアメリカかぶれだった。僕は大阪で個人営業を2年半やって1日100 枚の名刺集めをしながら、オトナには色んな人種があると知った。

二度と来るなと塩をまかれた相手、名刺を破られた相手を何十回目かの訪問で落としたし、64回電話して断られた上場企業社長を65回目にお客にしたが、同期の半分以上は2~3年内に脱落して会社を辞めた。ゲーム感覚だったし野球のおかげで真夏の炎天下には強かったが、なにより野村流が大金持ちのオトナに気に入られるベストプラクティス集だったのが大きかった。

開かれたオトナは頼りにはなるが、酸いも甘いも知った手練れである。下手な小細工など弄さないことだ。礼儀正しく、誠意を持って、正々堂々と正直に当たるのが若者の王道である。ちなみに僕はそれができない子は一切相手にしない。何故なら、よほどの天才か傑物でもなければ、僕の世代の成功者には好かれないから大成しないか道を誤る。残り少ない時間である、あえてそういう人に目をかけてやろうというインセンティブは湧くはずもない。

 

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正しい人脈の作り方(その1)

2018 JUL 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

人脈がある人というのは、単に知り合いが多いだけではない。人脈の「脈」とは脳のニューロンのように人と人が次々と有機的に繋がって、ネットワークが網目のように広がっていくことをイメージしたものと理解するのがいい。

繋がるのはまさに、「まずは自分の脳の中」である。「あの人とあの人を会わせて見ようかな」「そこから何か面白いことが起きるかも」という閃き(ひらめき)がまずあって、それを実行すると現実の人脈に魂が入っていくわけだ。

魂が入ってないなら、何百人の友達リストがあろうとただの電話帳にすぎない。そこからあなたが得られる面白いことの数は、あなたが相い方になるから友達の数を超えることはない。10人なら10個までだ。魂を入れるというのは、あなたが関与しなくても面白いことが出てくるようにすることをいう。

そのためには「ひらめき」「実行」というレシピを電話帳にふりかけないといけないが、別に難しいことはない。電話帳が長いのが人脈だという根本的な誤解をまず解けばいいのである。

友達は2人いれば充分だ。その2人はお互いに初対面だが、あなたと繋がっているのだから何かひとつぐらい共通の関心事があるだろう。そこで食事に誘って、これもご縁だし、それ、いっしょにやってみない?と説得するシーンを思い浮かべてほしい。

うまくいった?それでお見合い成功だ。あなたが仲人になって、2人のペアリングが成立したのだ。3人目の友達ができた?はい、そうしたら前の2人とそれぞれ「いっしょにやってみない?」をやってください。これで面白いことは3個になった。3人いて3個じゃないかと思うだろうが4人だと6個になる。5人だと10個になる。10人だと45個だ。

こうして友達の数が増えると、その数は等比級数的に増える。これはみなさんご存知の「組合せ」の数だ。

20人だと190個、40人だと780個、80人だと3,160個である。ということは80人の人脈を持った人同士が仲良くなると12,720個の面白いことができる可能性があり、その160人の全員に80人ずつの友達がいればそれは81,913,600個になるのである。

もちろん全部がビジネスになるわけではないしその必要もない。何事も選択肢やトライできる回数が多い方が有利に決まってるからだ。「80人の友達」から出てくるオポチュニティーが80個の人と81,913,600個の人では、アイデアのネタの数で百万倍も差がある。戦う前から勝負にも何にもならないのである。どうして?「ひらめき」「実行」というレシピがあるかないか、それだけのことである。

あなたは仲人になるのだから、あの人とあの人なら絶対に合う、これに興味があって意気投合できるということを知っている必要がある。いや、知らなくても直感でそうかなとピンとくればいい。女性は概してこういう感覚に長けているが、そうではない男性諸氏にも手はある。2人の気など特に合わなくてもいい、共通の利益さえ見つけられれば実は充分である。ここまでが「ひらめき」であり、すべてはあなたの脳の中で起きることだ。

次に2人をどう説得するか?これは体で表すことだ。それには、あなた自身がそのサブジェクトに興味があって、やる気も成功する自信もあることを示すに限る。これが実行だ。簡単ではあるが、成功率を高めるには経験がいる。絶対の秘策などないから当たって砕けろしかない。「よしっ、やってみよう」と思えるかどうか、ポジティヴなメンタリティを意識して作り上げるのも実行のうちである。

非常に重要なことだが、そうしてお見合いした2人からもらえる新しいアイデアには、あなたが80人の友達とは作れなかったものである可能性があることだ。こうしてビジネスのディメンション、ポテンシャルは自分の発想や能力を超えて拡大する。いま僕が脱サラしてやっていることで、僕一人の脳みそから出たものはひとつもない。

ただし、同じ80人でもいろいろだ。知らない人と会って何か面白いことをやろうという人のほうがはるかに少数派だろう。人間には2種類あってそういう心が「開かれた人」と、そうではない「閉じた人」がいる。原則として、開かれた人は開かれた人に寄って来る。閉じた人は誰にも寄らないか、寄っても何もおきない。だから、さきほど算数が示したように、開かれた人ばかりの80人は閉じた80人の百万倍も破壊力があるのである。若い方、ビジネスで勝利したいなら覚えておいた方がいい。

そういう人を集めたいなら、当然の帰結として、あなた自身が開かれていることだ。それが一番の近道である。

 

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「ゴッドファーザーの血」を読んで

2018 JUL 2 22:22:17 pm by 東 賢太郎

僕のやくざ映画好きは周知だ。観ているとけっこう入りきっている自分があって、それのルーツは横山光輝の伊賀の影丸にあるのだが、役者でいうと高倉健にあこがれていたし、ゴッドファーザーのドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)など、まさにああいう男になりたいと思って生きてきた感すらある。老いるのは嫌だが、だんだんそういう歳になってきたじゃないかと慰めることにしている。

若いころ仕事のチョンボでやくざから大金をとりたてる羽目になった顛末を書いた。

どうして証券会社に入ったの?(その8)

命が危なかったがあの親分は会社の上司よりはずっと大物だったわけで、おかげで僕は人間の欲得の業(ごう)の深さ、臆せず筋を通すことの大事さを目の前で本物のやくざに学ばせてもらった。以来、綺麗ごとのオモテの世界でうまく世渡りしようなんて連中の恥ずかしい小物ぶりは無視しながら生きている。

イタリア・マフィアにはファミリーというものがあるが神山先生によると中国人はやくざでなくても一般の人がみなそうらしく、国や会社よりファミリーの安全や利益が優先するという。つまり国益なんて概念はなく、共産党幹部にしたってそうであり、彼らが何千億円蓄財しても騒がれないのは独裁権力の圧力もあるがファミリー優先の原理ではそれは必然の結末であって、できれば自分の一族からも金のなる木が出て欲しいぐらいのところが誰にもあるのだそうだ。韓国も似るが、元大統領、財閥に富を吐き出させるショーでガス抜きしながら、しかしそれを連綿と続けているのだから本性は日本よりずっと中国寄りということだろう。

先生曰く僕はファミリーの一員である。龍門気功第九代伝人の一家であるのは光栄だが、そのことはファミリーが必ずしも血族ではないということを意味してもいる。血族に発してはいるが、そうではないその配偶者が入り、中で育った同志が入って広がる。それが運命、損益共同体であることはゴッドファーザーを見ればわかる。末端の民まで自分の利益より国を思うというのは国民国家の鏡のようだがそれは明治政府の作ったフィクションであり、形だけとはいえ世界的には稀だから金王朝は範としたいだろう。トランプの血族の扱い方を見れば、星条旗にあれほど忠誠を誓う米国人だって我々よりはそれにずっと寛容なことがわかる。

ボスの仕事はファミリーの生命と生活を守り、カネになる仕事を見つけることなのだ、それも5倍にも10倍にもなる。その仕事が合法か違法かの差と、表向きの綺麗事の看板さえ度外視すれば、証券業でボスになるというのはそれと変わらない。ちなみに僕のファミリーは家族、社員および昔からの切っても切れない仲間たちである。それを和風に服部半蔵の伊賀忍群に例えたが、アウトローか公儀隠密かという点はポイントではなく、ボスとの結びつき方にその個性はある。そういう前提を理解していただけるならば僕はコルレオーネに近いし、普通の日本人よりは神山先生の描いた中国人像に近いと言って差し支えない。

親父はまじめな銀行員だし母も普通の女性で、あんなやさしい両親のもとでどうして自分だけそんな風になったかは長年の謎だった。証券会社に入ったせいだろうとぐらいに思っていたし、それなくしてこうはならなかったのは事実だが、この本を読んでいてあることを思い出した。たまたま本屋で目にはいった「ゴッドファーザーの血」だ。著者マリオ・ルチアーノ氏はドン・ヴィトー・コルレオーネのモデルになったラッキー・ルチアーノの末裔だ。茅場町のイタリア料理店主になるまでのあれこれはどんな小説より奇なりであって、人に歴史ありだがやはり血というものもあるのかと感じた。彼は17才でお母さんからそれを聞いたようだが、僕も野村に就職するよと母に伝えたら「やっぱり血なのかしらねえ」と23才で初めてルーツの話をしてくれた。見ようによっては自身が相当の悪党でもあった伊藤博文が石碑を建ててくれたぐらいだ、子孫がヤクザ映画好きになるなりのことはあったかもしれない。

マフィアに裏切りはつきものだがマリオ氏はそれで血族までばらばらになった。裏切りは極道だけの話でなく人間は本来そういうものなのであり、シンプルでストレートなマフィアの世界に浮き彫りになって見えているに過ぎない。僕も何度か裏切りにあったが、一度はコルレオーネ流に言うならそいつをぶち殺しに行った(もちろん「社会的」にだが)。なぜそうなったか彼は絶対に知らない。半沢直樹シリーズが流行ったように銀行も壮絶というのは4年半お世話になって知ったが、人事抗争という強弱が表に見えるものという印象であった。

こういうことは孫氏や三国志や君主論を読んで学ぶというより、自分で危ない目にあって骨身に染みるという性質のものである。喧嘩をしたことのない男に技だけ仕込んで修羅場で使い物になるわけではない。証券営業マンでしたというと恥ずかしいとでも思っているのかその経歴を言いたがらない元証券マンもいるが、あの職業で僕は人間の業を知ったしそれで今がある。だから僕が見るのはひとえに、人ということになってくる。技能は努力で多少はカバーできるが、人物ばかりはどうしようもないからだ。

ちなみに男と書いたが性別は関係ない。マリオ氏によれば「女は蛇」で、それを彼ほどに語る資格もないが、イタリア人ほど気軽に女を口説き口説かれる人種とそこは違うように思う。へなちょこの男などより頼りになる女性を何人か知っているし、証券の仕事は男しかできないというものでもない。だから、そこで人物の基準として「スナイパー」というユニセックスな言葉が僕の場合は出てくる。狙撃手というとマフィアっぽいがそういう含意はなく、裏切らない、口が固いという組織人としての信用の有無がすべてという含みで、要は忠誠心と実行力ということである

もちろん僕はアウトローを礼賛する者ではない。人間は陋規(ろうき)で動くと信じているだけで、大半の人は清規(せいき、法律や道徳)に従って社会生活を営むけれど、心は陋規によって別の喜怒哀楽を生むことがあるからだ。アウトローのロー(law)が清規なのだから、文字通りそれなしに陋規の世界で生きてきたマリオ氏の経験談には生身の人間を垣間見ることができ、無機質な白黒画像のごとき清規だけの現代社会に本来の彩色がされたように感じるのだ。少なくとも、トランプや金正恩のやることはその眼の方がわかる気がする。

 

僕はスナイパーしか使わない

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今年は野球の年になる予感

2018 JUN 28 22:22:32 pm by 東 賢太郎

先だってのブログに「僕のこだわり御三家は野球、クラシック音楽、猫である」と書いた。そういえば去年は愛媛の青島で猫三昧したし、音楽はずいぶん演奏会を聴いた。だから順番というわけでもないが、今年は東京ドームを年間予約したこともあって野球の年になっているのかもしれない。

ロッテのサブローさんにお会いして気がついたことがある。いままでアマの経験者には感じていたことだが、野球をやって育った人は話してみると独特のにおいがある。ほかのスポーツと違う。しかし彼はプロの一流選手だし、まさかと思っていたが、やはりそうだというのは力をいただいた。

もちろん別世界のスターだから我々ごときと一緒にしては失礼だが、彼がノンプロチームの指導や強豪高校の練習試合のメールをくれるとわけもなく血が騒いでしまう自分がいる。来年はロッテの石垣島キャンプも行ってみようかという気になってくる。この心のざわめきのルーツは僭越ながらけっこう似た部分があるのではないか。

子供のころ空き地で野球をやっていて、陽が傾きだすとぽつぽつと帰る子がでてくる。この時間がつらかった。最後にはいつも僕と亮ちゃんだけが残り、あと10分はできるのになんでみんな帰るんだろうねとピッチをあげてキャッチボールして、本当に球が見えなくなるとあきらめた。家では仰向けになって天井にむけてボールを投げ、カーブをつける練習に没頭した。

向こうのほうに電信柱があって、電線を越すとホームランという決まりだった。僕は空き地のホームラン王で、そのころ全盛だった巨人の王貞治選手と30本ぐらいでデッドヒートしていた。亮ちゃんとは小学校が別で、だいたい僕が先に帰って彼の家に呼びに行くが、呼び鈴を鳴らして返答がない時のがっくりした気持ちは今でも覚えている。王選手が打つと負けてしまうからだ。

彼のように日没で帰らない子こそ心の友であり、高校でそういう奴ばっかりの硬式野球部に入って、人生初めて安住の地を得たような気がした。高校に進学する直前の3月ごろわくわくしたのは、テレビの中の出来事だったあの高校野球をいよいよ自分もできる嬉しさだった。入ってみるとさすがに硬式の練習はきつかったが、最後のベーラン(走塁練習)で暗闇の中、ベースに石灰を塗ったスライディング練習をして吐きそうになりながら、それでも日没後にいっしょに野球をしてくれる仲間がいるのは幸せだった。

朝練の水曜日以外、放課後はまず皇居一周の7km走で始まり、柔軟とトスバッティングをして外野ノックを受ける。そこからが捕手と二人で投手メニュー、つまり投げこみであり、最後の10球が連続ストライクでないとまた10球だから200球いく日もあった。それが地獄みたいに苦しかったので、それのない練習試合の日はうれしかった。野手の人や先輩までが往路だけは荷物を持ってくれるし、エースはいいものだと思った。後攻だとまっさらなマウンドに登る。あのぞくぞくする快感をしのぐ経験はない。

そういうご褒美があったから炎天下の拷問みたいな練習に耐えられた。あれに比べれば受験や証券営業はましだったと思う。もちろん僕らにPL学園クラスの猛練習は知るよしもないが、あれを何倍かにしたものだろうという想像ぐらいは許していただけるのではないか。同じ修羅場をくぐった者同士の言わなくてもわかる共有体験みたいなものがあのにおいの正体なのだと僕は思っている。

負けの記憶ばかりの高校野球

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