Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 若者に教えたいこと

ソナー・アドバイザーズ(株)創立10周年

2020 OCT 19 23:23:34 pm by 東 賢太郎

お蔭さまをもちまして10年となり、青山で記念の昼食会を行いました。スピーチをしながら来し方を思い浮かべましたが、10年は長いようであっという間でありました。さしたる理由も覚悟もなく証券界に飛び込んだのが41年前。その一番最近の舞台がソナーだったという事になりますが、してきた仕事は同じですから自分の中ではずっと一貫した大河のようなものです。

まず御礼したいのは、海のものとも山のものともつかぬ時に出資して下さった株主の皆様です。起業を思い立ってすぐに自信満々で香港、インドネシアまで行きましたが、何人と会っても資本が1円も集まらず、人生途方にくれました。退職して名刺のない自分の無力を思い知りました。そこから立ち直らせていただいた株主の皆様のご恩は忘れません。

そうして2010年10月20日に事業をスタートし、素晴らしいお客様との数々の出会いがございました。証券界で41年やって来られたのもその喜びあってこそです。とても大事なことは、起業以前から存じ上げていた方はおられず、出会いひとつひとつがソナーの歴史になったということです。我々はお客様の為に働くことで歴史を作っている、そういう意識を堅持して参ります。

そして今日この日、ソナーの10年目という特別な場を共有していただいた役員、社員の皆さまには感ずるものがございます。41年にわたり多くの先輩、同期、後輩の方々と苦楽を共にしましたが、ご縁には「時」というものがあります。何人も左右できず偶然に見えますが、僕はそれに意味があるという経験を幾度かしてきました。また、ここにはおられませんが、今あるのはこれまでソナーにご縁があった方々全員のお力添えの成果でもあり、心より感謝申し上げます。

いまソナーは9人、社員ではないですが近しく仕事をして下さっている方々をいれると20人ほどが事業を支えてくれています。そのうち、10年以上前から知っていた人は3人だけです。お客様もそうですから、僕自身がソナーといっしょにブランドニューの人生を築いてきたという誇りがございです。過去の小さな成功体験にこだわると大きな成功は来ないと信じ、これからもそうあるつもりです。

コロナは世の中がどう変わるか誰もわからないことを教えてくれました。だから、どう変わっても生きられるようにしておくことが大きく稼ぐことよりも大事です。それには会社を無用に大きくしないことです。小さい組織なら、社員一人当たりのリターンを増やすことでモチベーションは高くなり、同時に、変わり身の遅さが理由で倒産するリスクは低くなります。どう考えてもコロナ後は得なのです。これからそういう時代になると思います。

 

 

 

安田、ひるんだら負けやぞ

2020 OCT 5 18:18:50 pm by 東 賢太郎

今年は野球観戦はもっぱらテレビですが、1度だけ東京ドームに行きました。阪神戦です。巨人は田口で、遠投を見ていて今日はいいなと予感しました。案の定、138キロぐらいの直球でぐいぐい差し込んで楽勝の完封かなという展開に。7回1失点で替わりましたが、唯一の先頭打者ヒットを打たれていた近本を見逃し三振に取った外角低め、これも138なんですが、観衆5千人のドームに響き渡ったミットの音は雷鳴の如き凄まじさで、プロの球はあんな音がするのかと絶句したのです。遠投はリアルに実感できますが、あの音は人生このかた聞いたことがない。グラウンドにいたら怯(ひる)んで凍ったでしょう。田口を速球投手という人はいません。138は素人でも出るし、後ろを守ってる野手の方がひょっとして速いでしょう。でも彼らが投げれば打たれます。ピッチャーしか投げられないストレートというものがあるのです。

ロッテに移籍した澤村がいい投球をしています。以前に東京ドームで何度か観た彼は150は軽く出ていましたが、一生忘れない田口の138に比べたら全然印象がありません。それが今は様変わりで鬼気迫るものがある。157出る上に、フォークかスプリットか、とにかく変化球が150(!)。あんなものを打てる人間がこの世にいるかと思っていたら、先日テレビで日ハムの渡邊との対戦があって、これが凄かった。全球150超え、全球ファール。フォークも当てる。渡邊は澤村に微塵も怯んでない。ファールが5、6球続いて、明らかに、澤村が追い込まれてる。そういうのはピッチャーの端くれだからわかります。結局、渾身の157を完璧な当たりで三遊間を割られました。ハブにマングース。記憶に残る稀代の名勝負でした。日ハムファンが「直球破壊王子」と書いた紙を振ってるではないか。なるほど、そうなのか。東海大甲府か。一皮むけたらどうしようもない打者になるなあ。でもあそこで120のカーブで三振だったな。澤村はないんだなあ。

ロッテは福田の復帰が大きいように思います。彼は182㎝ですが細身だからか打席でデカく見えます。インコースは引きつけて真芯に乗せて軽く右翼中段まで運ぶ懐が深いスイングで、ホークスにいた時に嫌だなあと思ってました。先日の10月2日、3-2で負けた日ハム戦のことです。21才の若さで4番を任されている安田が、二死満塁で宮西の真ん中低め直球を見逃し三振してゲームセットになった。「この馬鹿、振れよ」と怒鳴って僕もテレビを消したあれ、全ロッテファンがっかりのシーンだったのです。それが祟(たた)ったか翌日も西武のニールに抑え込まれ0-0で延長になだれ込み、10回に澤村がメヒアに一発打たれてロッテは1-0の完封負け。最悪のムードになりました。これはいかん、ホークスはしぶとく負けないしずるずる後退かと思ったのです。

しかし、この試合、一縷の望みがあって、わずか2安打だったロッテの9回、安田がクローザーの増田からセンターフェンス直撃、あわやサヨナラ本塁打という2ベースを打った。彼はこの試合、4の1で三振もありましたが、ぜんぶ振ってました。そしてその翌日の西武第2戦、劇的なことがおきます。安田は3回の二死満塁でまた凡退します。そのまま3-0の嫌なムードで負けていた6回、まず、福田がスリーランで同点。そして、7回。二死一二塁と再度の好機にまた安田。すると福田が近づいてきて二言三言。あとで報道で「怯(ひる)んだら負けやぞ」と檄を飛ばしたと知りました。そして、その安田がスリーランで逆転。漫画でも出来すぎのストーリーで逆転勝ちをおさめるのです。第3戦でも2ベースを打ってお立ち台の安田は、あの日ハム戦の見逃し三振でビビッて考えこんでたら打てなかったろうと思います。失敗はめげずに吹っ切ってやれば、若者は必ず成長できます。

先週たまたま野村の副社長だった大先輩が来社され、ひょんなことからあんまり思い出したくない若気の至りの昔話になりました。海外のディールで僕は本社の課長として国内の営業体に300億円の株の販売予約をさせました。これは営業への僕の信用でやったことです。ところが、あらんことか急にその株の引受がロンドンでキャンセルになってしまい、なんだこれはと大問題になったのです。夜も眠れず、完全にクビを覚悟しました。翌日がっくりしていると、常務が席に来られ「東、一緒に来い」と肩をたたかれます。向かったのは社長室でした。「社長、この件は東の責任ではありません。引受の判断として一切間違ってもおりません。おかしいと言われるなら、私は引受担当常務を辞めます」とおっしゃった。びっくりしました。僕が無罪放免だったのは言うまでもありません。「ひるんだら負けやぞ」は、僕はこうやって叩きこまれました。

 

安い女

2020 SEP 20 14:14:17 pm by 東 賢太郎

「ワタシ、そんな安い女に見える?」。どういう成り行きだったか、言われてぎょっとしたことがある。いつどこだったのかさっぱり覚えがないからひょっとして夢だったかと思うが、たぶんそうじゃない。女が酔っ払っていたのを覚えてるからだ。いくら若いころでも見知らぬ酔客を口説くなんてことは僕はない。しかし、それなら、じゃあなんだったのか、まったくわからないのである。

安い男ってのはない。男の価値はカネで測れない暗黙の了解があって、口にしたら血を見るかもしれない。もちろん女だってそうなのだが、それを自らぶち破る言葉が飛び出したものだからぎょっとしたのだ。およそ品はないが今になってなかなかハードボイルドである、アイリッシュの幻の女はきっとそんなだったろうという気がしないでもない。

なぜって、「安い」というところに有無をいわせぬインパクトがあるではないか。「兄ちゃん、わて、そんな安もんとちゃいまんねん」こう来たら笑って返すのだ。「おおこわ、高うつきそうでんな」。大阪は都構想が無くても一個の国である。商都文化の蘊蓄でできた大人の練れまくった会話が街でも漫才でも並立する。東京の人間関係は浅薄なもんだ、この会話が成り立たないのだ。

「罪と罰」で高利貸しの老婆を殺したインテリ頭のラスコーリニコフに罪を告白させ自首させるのは、他の誰でもない、売春婦のソーニャである。ロシア正教を盲目的に信じる無知な女だが、地球が太陽を回ってることを知らなくても女は男を動かせる。もしも僕が演出家でこの劇をやったら、インテリ頭は東京弁に、ソーニャは迷うことなく大阪弁にする。

東京ドームで阪神戦を観ると、あなたは7回の表と裏に2度、古関裕而の名曲を聞くことになるだろう。「六甲おろし」と「闘魂こめて」である。福島生まれの作曲家が音で描いた大阪と東京にどちらのファンも何ら違和感なく浸っているが、そんなのはかわいいもんだ、彼は国家も描ける。「東京オリンピックマーチ」である。まさにTPOを心得たモーツァルトの職人技だ、感嘆するしかない。

甲子園に鳴り響く勝利チームの校歌はあまりにつまらなくていつも早く終わらんかなと思ってる。2,3分で限られたコード進行でやれというのも無理があろうが、大方が作曲が素人くさい。安いのである。かたや、こういうのを我々は知っている。本邦音楽史上、最高傑作の一つである涅槃交響曲の作曲家、黛敏郎のNTVスポーツ行進曲だ。

たった1分。それでこのインパクトである。校歌ではないが条件は一緒だ。その昔、プロ野球は巨人、巨人は日テレだった時代、この曲を聴くと胸が高鳴った。サビの部分があって普通そこまで行かないが、このビデオのメインテーマの1分で心拍数が2,3割増え、しかも、何度聴いても飽きないのである。そういう音楽をクラシックと呼ぶのだ。要するに、高い音楽である。

この「題名のない音楽界」は今もやっているが素晴らしい番組だ。大衆は安い音楽しか知らない。高い音楽の一端をわかりやすく教えてくれ僕もとても勉強になったが、収録当時の会場にいる聴衆もこうして見るとそこそこレベルが高そうだ。紅白歌合戦とは違う。黛さんは「スポーツなんかいらない」とのたまわっている。僕はそうは思わないが、音楽家にはきっといらないだろう。というより、サッカーもやりますロックも好きです実はオモロイ人ですよなんてのは、本当にそうなら結構だが、大衆に寄せようという醜い欺瞞以外の何物でもない。

「ワタシ、そんな安い音楽家に見える?」

モーツァルトはいつもそう言いながら欲求は満たされず死んだが、その音楽は高かった。ゴッホの絵は生前は数枚しか売れなかったが、けっして安い画家でなかったことが後日わかる。

大衆に寄せようという欺瞞を盛大に執り行っているうちに、存在そのものが欺瞞な人の集団になってしまったのが今の日本国の政治だ。したがって、後日になればなるほどその安さが見えてくるだろう。

「ワタシ、そんな安い政治家に見える?」

吹けば飛ぶような安い、騒音でしかない常套文句を選挙カーから垂れ流して実は組織票だけ狙ってるアナタ。とっても安いですね。

ヘタすると、あと2,30年もすれば、日本が安い国になってしまわないだろうか?スポーツ行進曲に拍手していた年輩の聴衆の大半はもう世におられないだろう。文化が世代と共に廃退するなら危険だ。強く主張するが、政治は若い世代にまかせるべきである。爺いは退場だ。当たり前だろう、我が世を謳歌した世代が使いまくった膨大な債務を背負うのは彼らだからだ。そして、我が世代は、文化を継承するのである。コロナに負けて灯を消してはいけない。

 

魅力ある株を探しだすことは最大の趣味

2020 SEP 13 1:01:11 am by 東 賢太郎

ソナーという社名はソナー探知機からとった。それは僕の最大の趣味が、魅力ある株を探しだすことだからだ。野村時代にドイツでSAP、香港で超大現代農業という株を見出し、どっちも株価は10倍になった。飲み屋で中国人のお姉さんに儲かりましたと感謝されたが、一介の証券マンが世間様のお役にたつなどその程度のものだ。中国人もアメリカ人も不労所得はいかんなどと辛気臭いことを言わないのは実にすがすがしい。労働は尊いものだという価値観が日本にはあるが、キリスト教国では労働は悪であって、だから早く帰宅するし休暇も1か月も取る。ドイツ人などその最たるものだ。別に日本の文化にケチをつける気はないが、だからといってお金に働いてもらうのがおかしいということはない。この妙な考え方がコロナ経済下で二極化批判のダシに使われるなら人生百年時代の日本国民の資産形成には絶望的な話だろう。

僕は勤勉実直でお堅い銀行員の息子である。「アリとキリギリス」や「小原庄助さん」の訓話で育ち、二宮尊徳は偉いと教わり、「学生の仕事は勉強だ」といわれて官僚養成所の学校に進んだ。労働が尊いと思うようにはならなかったが、食うために働いて自助努力するのは当然という価値観はできた。そこまでは親父の計画通りであったが、無計画にアメリカへ2度行って放浪し、本能に従って進路を勝手に決めた。計画からは180度ずれ、親不孝になってしまった。なぜあんなに熱病みたいにアメリカへ行きたかったのかは長らく謎だった。どういうわけか、ほんとうに忘れてしまったのである。ずっとベンチャーズの影響だろうと納得していたが、ちょっと動機としては弱いと思っていた。ところが先日、CS放送で刑事コロンボをやっていて、「これ、夢中になって見てたよなあ、こうやって犯行がバレるんだよなあ」となつかしく思い、いつごろだったかなとwikipediaでシリーズの初回放映日を調べてみたら、まさにあのころだ。そうか、これだ。

思い出した。成功者でセレブである犯人たちの大豪邸だ、それが頭に焼きついたのだ。やっと合点がいってくる。なるほど、だから最初に行ったのが西海岸だったのか。あれに憧れて渡米し、ハリウッドやビーチの豪邸を眺め、ああいう生活ができる富がほしいと思って帰ってきたのだった。劇的なカルチャーショックだったのは、アメリカのセレブに官僚やサラリーマン出身はいないことだ。会社を興した事業家であり、歌手やスターであり、スポーツ選手であり映画監督であり、弁護士や医者であり、何であれ才能で輝いて自営業で自由に生きてる連中だ。そうでなければMBAをとってウォールストリートでサラリーマンとして高給を取って元手と人脈を作って勝負するわけだが、これは才能がないほうの連中の道だ。

そういうことをカリフォルニアで現実に見知って、ウチに資産はないから自分で稼がなくてはいけないと思った。なんのため?ああいう家に住むためだ。男の人生最終の通信簿はどんな家に住めるかだと思うようになった。あんまり子孫の名誉にもならない話だが、僕はそんな動機でなんとなく進路が決まってしまったことは否定できない。菅さんが上京して段ボール工場で働きながら天下国家を動かす道を志したと聞くと恥ずかしくなる。しかもサラリーマンという一番なる気のないものになったわけで、その理由はといえば何の才能もなかったからだ。才能というのは先にあるのではない、やってから、あったねとなる。だから何もしなければないし、やってみないとあるかどうかは誰にもわからないのである、などと今になって慰めてもいるが。

最大の趣味が魅力ある株を探しだすことだと知ったのは野村證券に入ってからだが、日本のウォールストリートで富を作りたいのだから当然だろう。10倍になる投資というと株しかない。1、2割もうかるなどという話にはさっぱり興味がなく、30年も証券マンをやってきてお客さんに債券を売ったことは一度もない。こういう人間にとって、個人営業で大坂を駆け回った平社員時代は楽しかった。君は面白いやつだと、小僧が絶対に会う事もできない大物のお客さんたちにかわいがってもらったからだ。そこで株式投資を通して生活やお金への考え方や処世術をじっくり学ばせてもらい、実は素顔は名刺からは想像できない普通の人だという事もわかった。

役員や拠点長になりたくて頑張ったからサラリーマンはやっていたわけだが、その動機は出世すれば大いに給料が上がるからである。しかし、なってみるとそれでは足りない。トップになっても大したことはないだろう。すると、職務規定で株を買えないという本末転倒は人生のゴールに向かうにはナンセンスだったし、自己都合の退職はいずれ来るべきものだったと思う。起業が絶対だったわけではない。デイトレーダーでもよかったが、出資してくれる方が現れそれはなくなった。人様の資金を増やすとなるとひとりでは弱いからだ。そこでSくんに出会ったことは幸運だった。渋谷の中華料理屋で初めて会って、彼と会社をやろうと即決した。同じ趣味の持ち主だったからだ。

生命保険会社で運用キャリアをスタートしたSくんは儲かる株を探す求道者でありマイスターである。何時間語り合っても疲れない、そこが同じなのだ。こういう仕事はいい意味でオタクでないとできない。Sくんがやって資金は3倍になったがこれは偶然でも不労所得でもない、あらゆる経験と知恵を使って労働して出た利益である。だから報酬は相応に頂くしお客さんにご満足いただける。知恵の勝負で労働が見えにくい金融業は成功して顧客満足があってナンボだ。成功報酬なるものを成功率5割の人がもらう資格はない。一発屋がビギナーズ・ラックでもらえるものでもない。満足な結果を5年以上継続して出すのは統計的に至難とされる。彼は20年も出している。説明はいらない、それがすべてだ。

僕に彼の才能はない。ただ彼が異能の人だと見抜くことはできて、組む利があると判断した。彼のほうはデイトレーダーでも問題なく食えるが、なぜ僕と組んだかというとそのほうが利があるからだろう。彼の利と僕の利は中身は同じではないだろうが、会ったときに1+1が2以上になるとお互いが思ったということだ。パートナーシップ、成功するwin-win関係とはこういうもので、こと人に関しては直観、第一印象を大事にしている。見かけや服装ではない。話してみないとわからない。どんなに家柄や履歴書が立派でいいと思っても、僕は理屈ではなく決める。どうして自分がそうしたか自分にも説明はできないが、それに逆らわないことにしてきて失敗してないからそれでいい。

だいぶ後になって執行役員のKくん、Dくんが加わった。基幹の業務ラインが2つになって大臣がもう一人必要となり、経営全般に官房長官が必要になったからだ。僕はプロ野球のスカウティング以上に学歴を見ないが、結果的に慶応4人、東大2人になった。非常に満足なのは9人に重複がなく特技がクリアに違うことだ。僕自身もプレーヤーのひとりであり、名刺には社長兼CEOとあるが対外的にそういう “配役” を演じているということにすぎない。では対内的に指揮者かというと、9人が同じ曲をやることはまずないからそうでもなく、僕が指揮台に立っていると客席が埋まるという意味でだけ指揮者だ。

この「ゆるい」組織は気に入っている。全員がプロのプライドと時間を持てるし、貢献度に応じて利益配分を受けられる。なぜそうしたかというと単純で、若いころ自分がそういう会社に入りたかったからだ。こうすれば専門性の高い人のモチベーションとパフォーマンスは上がるし、求人においても他力本願のサラリーマンは来なくなり、自信のあるプロが寄ってくるのである。そして、ラッキーなことに、この組織はリモートワークになってもダメージがないことがだんだんわかってきた。むしろコストをセーブできるかもしれず、要は、コロナはあんまり関係ないという事だ。

魅力ある株を探しだすことは推理ゲームである。株がその他(債券、FX、仮想通貨、ゴールド、原油など)と違うのは対象が日本だけで3500銘柄あり、その個々に “ファンダメンタルズ” と呼ばれる企業業績のデータがあるからで、株価をモデル化するならば複雑な多変数回帰分析が必要だ。その他のほうは対象も変数も圧倒的に少ないから解析のインテリジェンスで優位性を持つことができず、結果的に長か半かのバクチに近くなってしまう。しかし、もっと重要な差異はというと、株価は企業価値そのものでありすべての経営者はそれを増加させようと人生を賭けて努力していることだ。円レートや金価格を高くしようと頑張っている人など世界のどこにも存在しないが、すべての企業には手金で勝負をかけたCEOがいる。つまり株価には常に上昇バイアスがかかっているといえる。参加する価値のあるゲームではないだろうか。

しかもゲームに勝てば運用益というお駄賃がもらえる。払ってくれるのは市場であり、相手は匿名性のあるリスクマネーだから恨まれることもない。短い人生で普通の人が資産を10倍にし得るのは株しかないし、いくら儲けても世間様にご迷惑にならないのも良さだろう。日経平均が上がっても株を持ってるのは富裕層だから庶民には関係ないなどという政治家がいるが、こういう人は浅知恵から株をバクチと思ってるのであり、払えるはずのない年金で国民をごまかしているのである。コロナが長引いて世界の政府は財政出動と異次元金融緩和を継続せざるを得ず、それは図らずも国家が株高政策を採ることを意味する。それを税金で行うのであれば庶民に小口でも株を持たせ、国家と利害の一致したポジションを取らせてあげるよう適切な投資教育を行うことが善政なのではないだろうか。

僕は自分の感性という探知機で見つけた企業の株とコールオプションをソナーという蔵にがっつり貯め込んできた。あと2年ぐらいでそれがIPOして何倍になるかは時の運だが、不発でも2倍だろうし10倍も夢でない。だから来年までワクワクドキドキして過ごせるわけで、これぞソナーを作ったご利益と天に感謝する。たぶんあと2、3発の「弾込め」をすれば後進に道を譲って後顧の憂いなき人生になろう。娘が健康を心配してくれて、お父さん仕事しすぎだよ、もういいから人生楽しんでと言ってくれる。ありがたいことだ。でも僕にとってこの仕事は労働ではなく最大の趣味なのだ。他は全部捨ててもこれだけは残るものであり、尊いとも思わないが嫌と思うこともなく、すでに理想郷であるショーペンハウエル的幸福に近づいているのだ。オーストラリアか屋久島の好きなホテルからリモート参加なんて形なら80になっても後進のお役ぐらいには立てるだろう。

ところで、証券ビジネスへと背中を押してくれたコロンボの豪邸だが、もう家はあるしあんなでかいのをいずれ家内と二人でとなると猫を増やさなくてはいけないだろう。そのためというわけではないが、先日に、野良だった4匹目のフクが来た。こいつは気が良いしオスの黒猫であることに大きな意義がある。福を呼んでくれそうだしクロが2匹で黒字経営と縁起もいい。そして何より、我が家は猫を入れると男女比が2:6と劣勢であったが盛り返すこともできるのである。

 

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ジャイアンであるためにジャイアンな政府

2020 AUG 17 19:19:29 pm by 東 賢太郎

(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている

国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学的でもある。

世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりするが(それが「見る前」)、ではどれが正しかったのか(「見た後」)に「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーだ。それに対しては諸説あるが、僕は門外漢だから立ち入る資格はなく、本稿では国家の目的に対する概ねの結論は「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」だと理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従っていろいろ考えてみたい。

まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域で「俺はジャイアン」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという均衡が生まれた。近世になって、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則でやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。そこで「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンである」という妙なことになっているのが21世紀の政治の現況である。世界国家に至る途上にあるのか、永遠に現状が続くのかは誰も知らない。

 

(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?

国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って自由を勝ち取った欧米諸国の人は絶対に譲ることができない。アメリカ人がマスクをしないのは国に命令されるより感染する方がましだからという説があるが、あながち冗談とは思えない。ドイツ国はナチ党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったが、国家定義どおりの手続きを踏んだからドイツ国民に責任があるといって反論するドイツ人はいない。これをドイツ赴任時代にフランクフルトの金融界の人たちに述べたところ、知恵者に「ではきくが、真珠湾攻撃は誰が決めたのか」と問い返され窮地に立ったことがある。

「東京裁判で首相(東条英機)とされたが直前まで攻撃を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。真偽はともかく首相に権限がなく軍を制止できなかったとされる。スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり、国家総動員法が全権委任法のようにワークしたのを誰も止められなかったのが実態だったろうが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会では意味不明であり、宣戦布告問題以前の国家の根源に触れる問題なのだと知った。ちなみに戦後唯一の武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦後70年をしのいでいる。事の重みをかみしめるしかない。

 

(3)需要喚起は国家の仕事ではない

国家の目的が経済活動への関与を含むかという点にも問題がある。論点は、関与を①すべきかどうか②する意味があるかどうかの2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代は米国との自動車、半導体の交渉を通産省(当時)が担ったことは大いに国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化競争の時代になり、国家が需要サイドに有意に関与する余地は減った。安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったがいつのまにか誰も口にしなくなったのは、需要なき処に成長はなく、需要は国が作れないから異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)でという策の延長に成長戦略はないからだ。

②については内在的な限界がある。有意なる関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態的にも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできないからだ。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。それで川まで行く馬は、元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。

「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのだろう。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子供を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら子供を産んでもらうのは矛盾という統計もある。子供を成人させるには相応のお金がかかるわけで、30代の男性の所得が少ないという根本的な問題を解決せず子育て支援しますと言われても、その心配は「結婚できてからでいい」のはニーサとまったく同じである。「お金が不安です」「はい、ご自分で頑張って稼いでください」「相手がいません」「ご自分で見つけてください、自己責任で」。そりゃそうだ。うるさい、ほっといてくれ、だろう。国家がどうしてそこまでやるのの一言だ。

ここまでお読みいただいた読者には「代金は税金で補填しますから旅行に行きませんか?」「コロナは大丈夫なの?」「はい、それは自分で気をつけてください、自己責任で」の、今を時めくGoToキャンペーンも実質はまったく同じであることはもう説明の必要もないことだろう。票になるから予算がついているが、コロナ下での旅行需要喚起の根本的解決にはならない点も同じである。できもしないことに税金を使うべきでないし、それとケインジアン政策を混同してはいけない。需要喚起は国家の仕事ではない。

 

(4)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟

冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも売春宿の経営でも民間人大量殺戮用施設の設営でも。それも「仕事である」と主張する政府を人道的に間違っていると批判はできるが否定する理屈はないという困ったことが冒頭にややこしいことをあえて述べた意図だ。阻止するならその政治家を選挙で落とすしかない。日本国は現実に電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業の一部を独占的に “経営” していたが、雇用は創出できていても英国と同様の理由で事業経営という観点では失敗して財政赤字を増やし、すべてを株式上場し「民営化」してしまったという歴史がある。それでうまくいったと書くには程遠く、やらないよりはましだったという程度の評価ではあるが、その流れを国際的に引き起こした背景は知っておくに値すると思う。僕の経験からご説明しておきたい。

民営化の判断は日本国が考えついたのではなく、英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)が世界にその時流を生み出したムーヴメントに追従しただけだ。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれ、犯罪、IRAのテロ等でロンドンにもすさんだ空気が流れていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視、主要産業国営化の政策が財政逼迫を招き、相次ぐ労働組合のストライキを引き起こして国民生活の活力を削いで、いわゆる「英国病」を蔓延させていた。

84年にロンドンに着任してまず感じたのは、学校で習った英国の姿とはかけ離れた根の深い退廃ムードだ。失業率は12%ぐらいでしかもインフレだった(フィリップス曲線が崩壊)。シティのエリートバンカーすら国の未来は暗いと語った。逆に日本にとっては “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業らの大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間だった。その結末にはバブル崩壊がきたが、世界の金融市場の要衝だったロンドンのシティで日本国のプレゼンスがうなぎ登りになる最後の数年の高揚感は強烈で忘れ難い。あの時をもって日本人は世界の一等国民の仲間に入ったのだと断言できる。

サッチャーの民営化構想の背景が「英国病」だったことは確実だが、それだけではない、よりリアリスティックな要因として日本経済の大躍進があったことは確実だ。 おりしも80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、父島で日本軍に撃墜された父ブッシュが10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきたが、サッチャーはそれをせず86年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資を積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。

相手を叩き潰す米国と真逆の政策はテニスになぞらえて「ウィンブルドン現象」(英国主催だが選手は外人ばかりという意味。命名者は当時ノムラ・ロンドン社長だった外村である)と揶揄もされたが、ロンドンの税収の半分をシティがあげるに至る。その外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、日本の話題が日々注目され、野村の現地での求人がオックスフォード、ケンブリッジ卒なのは当たり前という時代になった。80年代前半に数件しかなかったロンドンの日本食レストランが激増したのはその頃だ。最大の証券会社だった野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” とする栄誉を得た。サッチャー首相が来賓でオープニング・スピーチの予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日にサッチャー辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。ロンドン赴任を終えて帰国したばかりの僕は、野村本社でこの様子を社内テレビで全店放映するキャスターを務めさせてもらった。

サッチャーの強い決意を象徴するものとして、1991年に英国電力株式の日本での公募に関わらせていただいた際に出席した英国民営化省での会議で聞いたギネス大臣の言葉が忘れ難い。これだ。

「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」

当時のサッチャー首相

自身が公務員であった大臣が我々に、はっきりとそういう趣旨のことを言った。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するコミットメントの表明だった。サッチャー政権にはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があった。民間企業に伍するモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには新自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の国民の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。

証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本でのマンデートは我々が取った。メキシコの国営テレコム会社、テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長だった僕は即座にメキシコシティーに飛んだが、マンデートは既にゴールドマンの戦利品だった。エキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も自由主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。

 

(5)金融市場から目撃した首相の重み

サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは新鮮だった。中流階級、女性という政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。

フォークランド諸島

規制緩和、民営化への伏線が、前述した82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も出兵した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突であるが、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず大衆においても急上昇したのである。

サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に政権は終焉した。そして香港返還の年に僕は香港に着任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としてのすべての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをまのあたりにした。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女である。

 

(6)サッチャリズムとハイエク

サッチャリズムは代償に失業率を上げ万事がうまくいったわけではないが、国の急場を救った象徴的ケースとして評価されるべきだ。彼女はまず国家財政の事情から身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。フォークランド戦争がなければ短命政権だったといわれるほどだ。そこで踏み切った開戦は事後の巨大かつ不測の歳出を伴い、真逆に舵を切るわけだ。それを予見したわけではないが、もし彼女がケインジアン政策の手を打ってしまっていたら財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになっただろう。

Friedrich August von Hayek

サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、政府の役割は規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、それを監督することだから「大きな政府」は無駄である。労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が財政破綻を招いていたから高福祉国家のカードは捨てざるを得なかったのであり、むしろ治癒には不可避の政策だった。その効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが後になくなったことでも体感された。

たまたま僕はハイエクの

「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである

という思想に深く賛同しており、以前に書いたように、

人間は現存の秩序をすべて破壊しまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす

というイギリス経験論者である。サッチャリズムにそれは投影されている。ハイエクは日本でも人気だが、それを現実の政治にリアライズした希少なケース・スタディとして、マーガレット・サッチャーの業績を若者にぜひ学んでほしいと切に思う。

我が国に目を向けよう。

安倍政権に限らず自民党政治は代々程度の差こそあれ財政で景気を浮揚するケインジアンである。国会議員、公務員の人口比は低く、選良の「公」が「民」を統治する明治以来の考えが根強いため、国家が徴税して全国にバラまく政治にこそ親和性が高い。ハイエクもエリートの方が賢明と考えてはいたが、エリートの理性に頼る経済政策はうまくいかないと考えた。なぜなら「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益で判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と結論したからだ。

彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。どちらも理性より市場の方が賢いとは認めない。しかし、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場におり、国家の研究所にはいない。国が総力で経営してもGAFAやテスラのような企業が生まれるわけでもない。このことこそが経験論者の学ぶべき「市場の経験」であり「自然発生的秩序」なのだと説くハイエクのしなやかな発想は実に魅力的だ。

「エリートはいつも正しい」と大本営が突っ走って戦争に負け、長老の役員が何十人もいる大企業が次々と不祥事を起こしてもまだ旧習を変えない。この頑迷ともいえる可塑性のなさこそがコロナと米中対立で不確実性が何倍にもなる今後において最大の政治リスクになる。そしてその帰趨のツケと膨大な国の借金は次世代に回る。そうであれば、長老世代は早くその世代に道を譲り、それを負うことが自己責任だと納得、理解してもらえるまで徹底した権限移譲を進めるのが彼らのため国のためである。還暦を超えた老人は全員一線から退き、過去の栄光にしがみつかず次世代のサポート役に回ることがポストコロナで日本を蘇らせる最良の政策である。

 

(7)大きな政府という誤謬

くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員が審議中にスマホをいじったり小説を読んでいても「国家の仕事は回っている」といわれれば、そもそも会社であれば「定款」がないのだから人事評価に是も非もなく、そうですかと引きさがるしかない。回っていると主張するなら彼らは自動的に不要であることを認めるべきだが、業務の定義がないのをよいことに国家、官僚組織というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作ってしまうことで批判をかわして生き延びようとする。それが贅肉として堆積することで大きい政府が完成するのである。できもしない需要サイドへの関与は高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に往々にして利用される。

これぞハイエクが指摘した自由主義に巣食う保守主義である。進歩的思想は歓迎せず、聞いても思考停止し、「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンである」という確固たる政治信条に基づいてアホな政策が次々と具現化する。仕事を作るのが仕事だから大きい政府はますます肥大化し、気がつけば中国共産党がうらやむ疑似共産主義国家ができあがるのである。自由主義に巣食う共産主義は異様だ。国民は気味の悪さにうすうす気づいている。国会議員の人口比がどうあれスラックが不要であることに変わりはなく、しかもそれが族議員という特定業界に金を回す似非ケインジアンなら百害あって一利ない。ここでもまたまたハイエクは良い事を言っていて、イギリスの保守党が信奉する「伝統」を「既得権の別名」とし「部族社会の道徳」だと批判している。このハイエクを信奉した保守党の党首サッチャーが部族の長でなかったことを特筆したい。

僕はアベノマスクのニュースを聞いた時、エイプリルフールとは思わなかったが共産主義国の政策だとは思った。結果は不評で失敗だったことになっているがそれは政権の足を引っ張りたいだけの者の言い草で、僕はそういう観点で批判的なのではない。むしろあれが供給サイドに関与するという意味で古典的な国家による経済介入政策であることは菅長官が需要抑制効果を強調していることにもうかがえる。その点に関する限り整合的で批判を受けにくい政策であり、だからこそ実は国家のスラック組織に仕事を回すという隠された目的があって、どんなに批判されようがそれは大いに達成したのではないか、政府は満足しているのではないかと考えている。僕が批判的なのはそちらである。

最後に、マックス・ウェーバーに戻ろう。彼は国家しかできない専管事項はないといっているが、近代国家において国防と外交はそれに当たるのではないか。国にあって自治体にないのは防衛省と外務省しかない。原初的国家がジャイアンを必要としたのは他国の野獣から守ってもらうためであり、最も古典的な国家の機能と思う。安倍首相のトランプ就任時の果敢な外交努力は成功であり、7年間日米関係が安定したことを僕は金融市場対策と並んで高く評価する。ここから安倍政権が求めるべきものは五輪の花道ではなく米中の狭間に立って国防と外交の道を誤らないことだと考える。

 

「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)

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観光業は瀕死だから旅行しましょうの愚

2020 AUG 11 16:16:58 pm by 東 賢太郎

(1)意図と逆効果のGoToキャンペーン

観光業は瀕死だからとGoToを最悪のタイミングで強行して、やっぱり地方の感染者が増えだしてしまった。友人が「地方でかかっちまうと大変なことになるんだよ」と教えてくれた。「たちまち噂が広まって親戚中に叩かれちまう。へたすると引っ越しを迫られる」。まさかと思ったら、きのう青森だったかお盆帰省者の家にシニアの筆跡と思える字で「早く帰れ」と張り紙がされた。まるで横溝正史の世界だ。まだそうだったのか・・・。友人はお盆の帰省は断念した。GoToは地方にお金はあまりばらまかず、恐怖心をばらまくことになってしまったようだ。あれをやらなければお盆は帰れたと嘆く同僚が多いと後輩から聞いた。

「利用者はまだ多くないし地方の数字はGoToのせいではない」とTVで擁護する人もいるが、GoToが成功しようと失敗しようと関係ない。罪深いのは、あれを強行したことで都市部の若者の気がゆるんだことだ。“旅行は行っても大丈夫” と国がお墨付きを与えたのだから、だったら飲み会やカラオケやバーベキュー程度ならOKだろう、ばんばんやろうよとなった。そして3密となり、ウィルスは効率的にばらまかれ、無症状の彼らが出歩いて東京も大阪も名古屋も福岡も感染経路不明の数字が激増した。しかも沖縄のように明らかにGoToの客が感染元という事例が発生して「都会の人は来ないでくれ」になった。

ニュージーランドは新規感染者ゼロが100日目になっており、市民はマスクをせず普通に生活している。人口は大差があるが、ロックダウンしたのは3月26日だから4月7日の日本とそう違わない。日本も5月は数字がひと桁まで落ちた。違ったのはそこからだった。政府がバックギアに入れた論拠は不明だ。「夏は沈静化」「日本人は抗体がある」など俗説を信じたか、ウィルスを甘く見たか、「こんなに我慢したんだからそろそろ」だったのか、とにかく経済を回したい一心で「神風」が吹くと信じたのだろう。

太平洋戦争も「神国」で戦って「科学技術」に負けた。それでも科学や教養を軽視する反知性主義のセンセイがたが跋扈するのが日本の政治風土だ。彼らは興味も理解力もないから、そういう難しいことはセンモンカにふる。いまは分科会という。しかし、何度も書くが、データ集積のないコロナの専門家は世界にもいない。一寸先は闇だから誰もリスクを取らず、日々起きていることを見ながら用心深く発言する。業界から早く何とかしろと突き上げられる族議員のセンセイがたにそれが煮え切らなく見え、「ならばやってしまおう」とGoGoになる。そんなところだろう。バックギアで大迷惑なのはまじめに我慢してきた国民なのだ。

 

(2)贔屓(ひいき)の引き倒し

こうなってしまうと、そういう場所に都会から行くのは心のハードルになる。とくに高齢者は単価もリピート率も高く観光業にとって大事な客だが、時間も金もあるので行きたい時に行きたい場所へ行く人達だ。歓迎されない所でも安いから行こうというインセンティブはあまりない。むしろ若者が押しかけると怖いから避ける。カラオケやバーベキューをばんばんやろうよという人達は申込書類を見てもわからない。もとからあんまり “ソーシャル” でない人にソーシャル・ディスタンスを期待するのはインテリの勝手な思い込みだ。

初めて米国のグランドキャニオン国立公園へ行ったとき、高さ1kmの直角に切り立った崖下を流れるコロラド川を見おろして目まいがした。柵(さく)があるから安全なのだがこわい。考えてみよう。もし政府が公園の安全性を “監督” しているなら(つまり両者が対立関係にあるなら)僕は柵を信用する。しかし、もし公園が大赤字の経営危機で、政府が経営を援助すると宣言して「GoToグランドキャニオン・キャンペーン」をやっていたらどうだろう?

「柵は安全ですか?」

「はい、転落防止対策の実施状況について十分な調査を行い、実施が不十分な項目については、現場等を確認した上で、助言を行うとともに相談に応じています」

なんてことだったらどうだろう?

監督者でなく庇護者である政府は「柵の安全も大事だが、公園の売上げも大事だ」(コロナ対策に全力をあげながら経済を回す)といっている。国民はすでにそれは無理とわかっているし、身内の審査や監督は甘くなるのが世の中ということも知っている。まして、様々な “お友達優遇政策” を疑われた政府が「安全です」を言ってもなんのこっちゃで、ホテルや旅館はGoTo登録の手続きすらわけがわからない。かくして旅行先での柵(=旅館・ホテルによるコロナ対策)の安心感など吹っ飛んでしまい、感染者増のニュースで「やっぱりね」「アベノマスクが今ごろ届くんだものね」となり、「旅行は危ないからやめとこう」になり、なんのこっちゃで観光業界にツケが回るのである。こういうのを、贔屓(ひいき)の引き倒しと呼ぶ。

 

(3)国家が「需要創造」に加担するのは間違い

つまり、観光業の票田と献金が目当てなのではなく本当に経営を守りたいなら、国は監督者の立場に徹して「旅行先の安全性」のアピールだけしたほうがいい、というより、本質的な観光業救済策はそれしかない。観光需要は政府が余計なことをしなくても誰もが今すぐにでも旅行やお墓参りに行きたいように、ある。爆発的に、厳然とある。だからコロナ”不安”が収まれば勝手に戻る。不安はしばらくは消えないが、国民は学びつつある。どうやったら危なくなく外出できるかを。国民が学ばない限り、科学無視の政府が何度「大丈夫です」を繰り返してもかえって不安を煽り、せっかくの巡回転を逆行させるだけだ。あまりに馬鹿でみっともないを通り越して迷惑だからやめた方がいい。

厚労省、国交省は、見事にお役所仕事の域ではあるが、GoToに関わる感染防止対策はやっているように見える。問題は、そこに首相官邸が乗っかって「GoTo!」と “営業活動” をしてしまっていることだ。これは生牛肉料理「ユッケ」は禁止しますと政府が「食の安全」をうたいながら「焼肉キャンペーン」をぶちあげるようなものだ。いつぞや話題になり、族議員の利権と批判されて消えた「お肉券」「お魚券」というものがあったが、GoToは限りなくそれと同族の利権のにおいがする。そもそも国家がいち業界を応援し、セールスマンまでしてくれるなんてことが正常なんだろうか?非常事態だから?それは全ての業界にとってそうだ。

 

(4)国の仕事とは何か

国家の目的(仕事)は何かというと政治学の話になりマックス・ウェーバーなんかが出てきてややこしくなってしまうが、結論だけにするなら「国民に強制力のある規則の制定と維持」というところである。要するに、法律を作って、それを作った種々の目的が達成、維持されるべく行動する機関、過程の総称が政府(Government=統治すること)であって、国家は政府が運転するマシーンのようなものである(ああ、十分ややこしくなってしまった・・)。いいたいのは、「規則(法律)を作って」という部分である。規則とは基本的に「ああせい、こうせい」「ああするな、こうするな」と “行為” を強制、指示するものである。

もし国家が経済に関与したいなら対象は供給サイド、需要サイドの2つある。供給者は限られており指示して計画も調整もできる。一方、需要は国民・法人の数だけ意思がありそれは難しい。つまり法律の制定・維持が仕事である国家は、法律になじむ供給サイドに関与はできても、なじまない需要サイドは技術的に困難なのである。例えば、「郵便の業務は日本郵便株式会社が行う」(郵便法第二条)と事業者を限定して供給をコントロールすることはできるが、需要者(国民全員)に「お正月は年賀状を10枚出しなさい」という法律を作ることは私権(財産権)侵害であり法の目的になじまない。

さらには、物理的暴力行使ができる権限を持つ国家が需要を創造しようとする行為は本質的に危険をはらんでおり、一見そうは見えなくとも、市場にひずみや誤作動を起こしてしまう問題がある。例えば大阪の吉村知事のうがい薬発言である。それが意図ではなかったにせよ、買い占めという誤作動が起き、安易な使用による副作用のリスク、本当に必要な患者に不足するなど混乱を与え、わずか41人の事例で本気かよと知事の科学リテラシーへの疑念まで持たれてしまった。製造会社からのリベート(利権)を疑われてもおかしくない。かように、国家(政治家)の需要サイドへの関与は結果が読めず、政治家個人のレピュテーションリスクも高い。再度書くが、やめたほうがいい。

GoToは吉村発言と比較にならない規模の、政府による堂々たる需要創造行為である。(1)(2)のバックファイアーで観光業のためにもならないのみならず、現在の政治がかかえている問題を露呈して見せた。これは次稿とする。

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それでも若者は旅に出ろ

2020 AUG 1 23:23:01 pm by 東 賢太郎

放課後に遠くまで出歩いて家に帰ってこない子供だった。何度も「お前は鉄砲玉だ」と父に罵倒されたが癖は治らず、ある日のこと、つい暗くなるまで遊んでしまって親父が帰宅してたらやばいと全力で走って帰ったら、警察に届ける寸前で近所が大騒ぎになっていた。高校まではおとなしくしていたが、大学に入るとアメリカに2度、西と東に飛び出し、どっちも1か月の雲隠れで家には電話もいれず鉄砲玉に戻った。海外に出る縁のある家系で、祖父はアメリカに野球をしに行って勤務は上海だったし、祖母の叔父は陸軍でドイツ駐在し台湾軍司令官を1年やっており、自分の鉄砲玉人生には見えない引力が働いていたと感じる。

当然、ステイホームは辞書にない。ZOOMで仕事が回ることがわかったが、執務する書斎が寝室でもあるからともするとステイルームになってしまい、それはもっと辞書にない。自宅がオフィス化してしまって寝ても覚めても仕事になり、気がつくと休息する場所がなくなっているのは困ったもので、僕は発想が命だから気分転換が必要である。そこで、危うくなったと感じるとジョギングに出る。多摩川は右へ行っても左へ行っても決まった道で飽きたので、近ごろは近隣の住宅街コースのほうが気に入っている。二子玉川方面に気の向くままに走るとだいたい5~10キロにはなり、ちょっとしたお出かけ気分にもなれる。

等々力不動尊

たとえば走って10分の等々力渓谷に日本庭園があり書院で休む。なかなかの風情だ。渓谷の底を流れる矢沢川沿いはこんもり茂った木々の谷間で昼でも薄暗く、気温も心なしか低い。およそ東京と思えぬ森林浴の遊歩道である。滝の横にある石段を登ると等々力不動尊だ。ここの境内に漂う密教的な雰囲気は高野山金剛峯寺で感じたものを想起させる。境内の椅子で心を無にする。落ち着くが、その理由を見つけるのは難しい。

もうちょっと走って第3京浜の先に広大な森のある小佐野邸、上野毛をもうすこし行って美術館のある五島邸がある。その先の瀬田のセント・メリーズ・インターナショナル・スクール界隈は外国人も多く教会もあって、そういえばチューリヒで娘をインターに入れたが、そこでは逆に我々が外国人でやっぱりこんな感じの高台だったのを思い出す。瀬田の国分寺崖線(ガケ)の上側沿いは、豪壮な家並みの佇まいが鉄砲玉のころ徘徊した成城と似た風情である。多摩川に向かって坂を下るとニコタマだ。僕が高校にあがった年に高島屋ができて洒落た感じになったが、昔は玉電の操車場と二子玉川園がある川辺の駅だった。

ここから川の下流にかけて、崖線の上側の見晴らしのよい丘には4,5世紀の古墳がたくさんある。遺跡好きなのでこれがまた魅力だ。世田谷区内に80基の古墳があるがいずれも多摩川沿いの高台か崖線の斜面上に位置する。野毛大塚古墳はこの中でも最大で多摩、川崎あたり全域の支配者の墓らしく大ぶりだ。もう少し下流の尾山台に来ると狐塚古墳があり、5世紀第4四半期造営とわかっている。さらに進むと皇后雅子さまの田園調布雙葉学園(でんふた)がある。白い校舎が美しいこの学校は急斜面の広大な崖一面を占めており、古墳に祭られる豪族の首長やカトリック教会の設計者と共通するジオポリティックな発想を感じる。学校は30mほどの高低差があり、近場で済ましたいときはこれを2、3周するだけで手軽にへとへとになれる。さらに行くと大田区になり、V9時代の巨人軍が使った多摩川グラウンドがある。

多摩川台公園からの眺め(川の右手が巨人軍グラウンド)

多摩川台公園は広々した敷地にやはり古墳がたち並び、古代豪族が選んだ土地だったことをうかがわせる。遊歩道のベンチから臨む富士山を背景にする多摩川上流の遠望は素敵で大好きだ。先祖を祭ったのだから1500年前の人もこの景色が美しいと思ったに違いなく、人間の美感は何年たっても変わらないものだと実感する。カンヌ、ニースを初めて旅した時もこれに似た景色に打ち震える感動があって、それから地中海のマニアになった。そうしたちょっとしたことに心を揺さぶられるのは旅の醍醐味である。

ここあたりが国分寺崖線の終点になる。登って田園調布駅へ向かうとここはここで著名人の邸宅が立ち並び、走りながら目の保養になる。以上書いてきた行程をお弁当を持ってきて散歩するだけで一日充分に楽しめるからマイクロ・ツーリズムのバジェット版といえるかもしれない。宿泊も食事もしないから経済貢献はなく、奨励しても政府にはありがたくないだろうがステイホームで鬱病になってしまうよりましである。ちょっとした感動は探せばどこにもあることを知るのは、人生をリッチにする最高の知恵になる。

コロナで旅行というものが難しくなり、ワクチンができてもウィルスが消えるわけではないから我々年配者にとっては恒久的にそうなるかもしれない。「リスクは減ったけどゼロではありません、それでも行きますか?」という時代になるのだろうか。とすると外国に行く前に当地のコロナ病床数の空き具合をいちいちチェックするのだろうか。「一度は行ってみたい」が旅の動機の大半とすると、僕は欧米もアジアも観光地はみな行ってしまったのがむしろハンディだ。ポートダグラス(豪)のシェラトンミラージュのあの部屋みたいなリピート型以外はもう積極的にリスクを取る気にはなれなくなってしまう気がする。

ただ、本稿の最後のメッセージとして若者に贈りたいことばがある。僕は大坂の2年半、海外の16年を足した18年半を「旅先」で過ごした。モーツァルトが人生の3割を旅していたのは有名だが、僕も人生の3割は旅だった。だから何が良かったということではない、なんとも面白い、エキサイティングで濃い人生を送らせてもらってありがとうということだ。旅先で知り合った家内がそれをすべて支えてくれ、子供もみな旅先で生まれた。仕事も、記憶に残るエポックメーキングなディールはみな旅先でやった。もし東京にずっといる仕事を選んでいたら、楽だったろうがこんな人生は100%あり得なかった。両親にとっては最後まで「鉄砲玉」だったが、感謝あるのみだ。若者は知恵を絞ってコロナを攻略しろ、そして、恐れずに、それでも旅に出ろ。

 

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これから日本で起きかねない最も怖いこと

2020 JUL 26 16:16:43 pm by 東 賢太郎

米国がヒューストンの中国総領事館の閉鎖。これは決定打だ。トランプ政権はすでに留学生締め出し、中国企業のナスダック上場規制などスーパーマンを演じる標的をコロナではなく中国に定めた。コロナはエイリアンである。スーパーマンをも食い殺す。この事実に反逆しても無駄だ。立ち向かってウソの強がりをばらまいても勝てないから、その怪物をはびこらせた責めを中国に負わせて叩くしかないと舵を切った。この作戦なら国民受けのいいスーパーマンを演じ続けられるし、中国融和策をとってきた民主党が同じ主張をしても勝てる。もう大統領選まで時間はないのだ。

いくら中国を叩いても怪物は消えない。そこで共和党は1兆ドルの追加対策をまとめた。超金融緩和はゼロ金利にとどまらず、やがてコロナで潰れる運命にある会社の債券まで大判振る舞いで買ってあげる。だから投資家は安心して株価は下がらず、それを見た有権者は経済は大丈夫だとだまされ、トランプはぎりぎりセーフでまだスーパーマンに見えている。それで選挙がどうなるかはわからないが、どっちが勝っても、歳入は減り、追加救済の財政支出たれ流しは続き、FRBにはクズ債券の巨大な山が残る。

それでなぜドルは暴落しないのか?簡単だ。世界中の政府も中央銀行も同じことをしているからである。みんな下がれば、お互いの交換レートは変わらない。だから通貨でないゴールド(金)は上がっている。いや上がっているのではない、全通貨が下がっているのである。トランプは反知性主義者だ。演説会場が3分の1しか埋まらなかったと選挙対策委員長を切ったノリでウィルスの世界的権威ファウチ教授を切り、経済驀進のアクセルをふかしたらエイリアンの大逆襲を食って支持率が暴落してしまった。そればかりでなくドルの本当の価値も下げているのだ。

それでもなぜドルはもつのか?簡単だ。基軸通貨だからである。多くの巨額の物品やサービスがドル払いでないと買えませんよとなればまずドルを買うしかない。浮力がつくのだ。基軸通貨論については思い出がある。野村インターナショナル香港の社長の時、98年ごろだが、前大蔵省財務官で「ミスター円」こと榊原英資氏が来社され議論をした。氏は円が世界の基軸通貨にはなり得ないがアジア域内なら可能ではないか、中国のオフショアの位置づけで香港で円、人民元を含む複数のアジア通貨をバスケットにして資本市場ができないかと尋ねられた。

僕は香港はドルリンクのHKドル市場でオフショア発行市場としては機能していない、国外の円での資本取引は全てユーロ円でアジアでもできる、「ドルぬき」の国際金融は本邦企業のスイスフラン起債市場ぐらいで極めて限定的であると申し上げた。氏は中国浮上を予見しておられ(ご明察だった)、財務長官サマーズに潰された円の国際化を東京ではなく香港で元とパッケージで行う策を講じていたと思料する。あれから20余年たってGDP世界2位となった中国が元を国際化(多国間決済通貨化)する試みを米国は悉く根絶やしにしている事実を見れば、強行しても100%失敗した。断念されてよかった。

習近平は自由取引市場としての香港を自ら潰してしまったが、金融取引の観点からはロスが多大だ。機能は深圳、マカオ、海南島に分散すると言ってるが金融に関してはまったく無理である。米ドル本位制で市中銀行が発券するHKドルの信認すら危うい。米国に香港を潰す利点はないが対中制裁で必要ならばでき、中国の国際取引は打撃を受けるだろう。究極の自由経済主義と低税率で海外から誘引した資本と人材は逃げるが、香港の頭脳も逃げる。コロナの人・人感染を12月に政府が知って隠蔽したという証言をして身の危険を感じ、4月に米国に亡命した女性科学者がyoutubeでそれを堂々と語っている。秘密も漏れるのだ。

中国は元を基軸通貨にできなければ米国に勝てないだろう。通貨は貿易決済、資本取引で国家の命運を握る。トランプが再選しなくても米国はその主権だけは絶対に手放さない。何故なら、コロナが2,3年も続けばどの国も国家財政が破綻する。米国も未曽有のドル大増刷を続けいずれ破綻するだろうが、基軸通貨国であればそれは最後になる。先に破綻して通貨が暴落した他国の富を搾取すれば米国民だけはノアの箱舟に乗れるのだ。

日本はどうだろう?経済を回すのは結構だ。日本株は米国の余勢をかって同じまやかしの手口で高止まりしている。明らかにフェイクの株価だが裏の原理を知っている政治家はいないから御用学者を養成して国民を欺いてバラまき目的のゴーゴー・キャンペーンをやろうとしている。トランプはそれでよかった。なぜなら、マスクはせず、自らが先頭に立って体を張って怪物に立ち向かうスーパーマンだからだ。安倍首相は列の一番後ろで小さめのアベノマスクをしっかりして「体は最後に張ります」というイメージしかない。感染したらご愁傷さまでしたぐらいは言ってくれる(笑)。トラベルであれイートであれ、その人にゴーゴーを言われてもねということにしかならない。

唯一の救いの道は外交、国防だ。これは中共寄りの野党が何を言っても国民は信じない。しかし、では、安倍首相がトランプのポチとして中国叩きに加勢できるか?無理だろう。東京オリンピックを自身の花道と選挙の目玉として死守したいという制約で王手飛車取りとなっている。習近平とこじれて不参加を表明されれば開催が危うい。親中派の二階氏とこじれれば四選も岸田後任も危うい。とすると、習サマにソンタク姿勢となって外交、国防カードは消える。対症療法のバラまきでは消費は戻らず、倒産・失業が看過できぬ水準になり、さらなるバラマキで原資が尽きる。御用学者は逃げ、感染阻止失敗の責任を問われる。

つまり、将棋は詰みである。首相が誰でもべつに構わないから、国民にとってどうでもいい政治家の就職活動で国家の運命を過たないようにしてほしい。望むのはそれだけだ。怖いのは、日銀のバランスシートは世界一のぶよぶよの「メタボ」状態であることだ。それでも円が大丈夫なのは長年の日本国への信用の賜物だが、信用は築くのは大変だが失うのは一瞬だ。ここで官邸が暴走老人みたいに無謀に経済アクセルをふかしてしまうと臨界点を超えてしまい、やがて円が暴落し、米中資本の格好の餌食になって取り返しのつかないことになる。だから僕は資産の半分は米ドルにしている。

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きざみニンニク殺人事件

2020 JUL 24 0:00:03 am by 東 賢太郎

「もういいかい?」「まあだだよ」

“かくれんぼ” をしていると、見つかりにくそうな場所は取り合いになる。すばしこい子にさっと入られてしまったり、大きい子にはじかれたりする。僕は体が小さくて体力勝負で負けた。つまんない所に隠れて、真っ先に見つかって鬼なのだ。しかし、ある日の事、いい作戦を思いついた。いま自分が見つかって失敗した場所は、次のラウンドではみんな危ないと思って隠れない。僕もドジを踏んだ場所を最初に探す気がしない。そうか、鬼になった子がつかまった場所に隠れればいいかもしれない?やってみると図星だった。この計略には長所、短所があることもわかった。長所は、何も考えなくていいということ。短所は、何も考えてない鬼には効き目がないということだった。

子供でも因果関係はわかる、当然だ。道具を使える猿もわかっているし、カラスは胡桃(くるみ)の実を道路において車のタイヤに轢かせて割る。「因」を観察して「果」を予測している。これがインテリジェンスで、動物にもそれはある。「情報」を「因」という形で処理できるからだが、情報は見たり聞いたり嗅いだりして集めるわけだ。その能力は動物によって千差万別で、犬の嗅覚は人の100万倍~1億倍だから、匂いにおいて犬は想像を絶する世界に生きている。雪の下にいるネズミを何メートも先から嗅ぎ分け、走って行って真上から飛び込んでつかまえるキツネは、そのインテリジェンスで狩りをして生きている。人間がキツネと同じ狩りができるロボットを作れるかどうか?できたとしても巨額の投資が必要だろう。

人間は動物よりも知性はあることになっていて、因果関係をさらに「法則性」という予見可能性の高低で分類している。「因」⇒「果」が100%起こるなら「方程式」と呼んでいる。方程式を発見すれば、それに何か「因」を代入すれば100発100中で同じ「果」が出る。だからロケットは月に命中するし、安心して人を乗せられるのだ。カラスのくるみ割りは、道が舗装してなかったり車が軽自動車だったりすれば失敗もあり得るが、かなりいい線を行っていると思う。「舗装道路」「軽自動車」はそのインテリジェンスを働かせる重要な情報であり、方程式を適用できる「因」かどうかを正確に見極めないと、胡桃は割れず食べられない。

ゴルフの上達はそれにかかっていると断言できる。まず第一にすべきことは、自分のスイングを「方程式化」することだ。つまり、同じ条件で打てば常に同じ打球が飛ぶように自分をロボットにする。現に、僕が読んだ「練習しないでシングルになれる」という本に堂々とそう書いてあり、その通りやったらなれたから、それは正しいと結論するしかない。ロボットは何も考えない。距離、高低、ライ、風・・・これらの「情報」を処理して、因果の「因」を得る。それがクラブ選択という決断だ。これで準備完了だ。あとは打つだけ。ロボットにおまかせ。もしも計略通りの結果が出る確率が8割なら、失敗した2割は情報の読み違え(「因」の判断ミス)に他ならない。あとはその精度を上げるだけだ。

以上の考え方は物事の上達のプロセスをきれいに因数分解しているのでわかりやすい。自分がなぜうまくならないのかを独習できる有用な方法だ。受験生は勉強ができるようになると思うし、ゴルフ以外のスポーツでも応用できるのではないか。僕は野球しかわからないが、特にピッチングにはほとんどそのまま適用可能である。さて、いいことばかり書いたが、実は、この方程式化のメソッドは大きな危険をはらんでいることもお示ししなくてはならない。極めて恐ろしい結末になることもあるということを。

きょう、腹がへったので台所を探検したら「揖保乃糸素麺(そうめん)」を見つけた。棚を探すと「永坂更科」のそばつゆがある(僕はそれ専門だ)。冷蔵庫に長ねぎもあるではないか。完璧だ。ゆであがりは3分ぐらい。すぐできて旨いのがいい。ねぎを蕎麦屋風に切って、素麺はザルで水を切って大椀に盛り、冷水を入れて氷をのせる。すばらしい。薬味はワサビもいいが、今日は生姜の気分である。冷蔵庫にちゃんとあった。「桃屋のきざみしょうが」である。椀にそばつゆを注ぎ、ねぎを少々、そして、きざみしょうがをたっぷり目に入れた。

食ってみて、一瞬、何がおきたか了解できなかった。なんじゃこりゃ?臭いでやっとわかった。生姜じゃない、ニンニクだったのだ。

調理に時間をかけたくない。腹はへっているし。そこで、冷蔵庫の棚の手前にニンニクがあったのが不幸だった。見かけはそっくりだ。

しかし、真の原因はそれではなかった。僕は鍋ものの時に味噌だれを自製する。なぜかというと、大阪梅田駅のカッパ横町に今もある「しゃぶ亭」さんのタレが絶品で40年前の梅田支店時代から毎週の如く通っていて、あれを自分で作りたいと毎度チャレンジしているからだ。その薬味がニンニクであり、もちろん、自分で生ニンニクを擦りおろす。

それが頭にあるから、まさか、家の冷蔵庫に「きざみ ニンニク」などという品が鎮座しているなど想像もしなかったのだ。きざみしょうががあることは知っていたから、完全にそれだと思い込み、何の疑問もなく取り出して、椀に盛大にぶちまけてしまったわけだ。

情報の見極めを間違うと、こうやって「因」が間違ってしまう。すると、「果」はまったく当たり前のように確実にやってきて、大変なことになる。仕事でやってらぞっとする。きざみしょうがと思い込んで僕はロボット化しており、何も考えず、ふたを開けても気がつかず、ちょっとゴロゴロしてるなとすら思わず、なんと臭いも感じなかった。我ながら信じ難い。

素麺はとてもまずかった。捨てようかなと思ったが、「お百姓さんが一所懸命に・・」という親の声がきこえ、ぜんぶ食べた。ちょうど刑事コロンボをやっていて、笑ってしまった。「ここがどうしても引っかかってたんです。どうして素麺のつゆにニンニクを入れたんだろうってね。おかしいでしょう?ウチのカミさんにきいたら、そんなことする人は絶対にいないって、ねっ、それでわかったんですよ、犯人はあなただって」。あるある。

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東京トラブル・キャンペーンに思う

2020 JUL 18 11:11:25 am by 東 賢太郎

株式投資で我々は未来を予見しようとする。できるわけではないが、「いま起きていること」で投資をすると失敗する手痛い経験を積んでのことだ。「良いニュースだ、でも不確実なところがある。それを調べよう」。慎重で手堅くていいことだ。そして、調査が終わったときは、株価は大体がピークである。

では、良いニュースに闇雲に飛びつけばいいか?もっと危険だ。なぜか?ニュースはマスコミが選ぶ。捏造もする。そんなものは意思決定の材料にしてはいけない。ニュースは知るべきだが、価値はnew(新しさ)にあるのではない。価値があるかどうかの判断は、自分の頭がするのだ。

そこに40年もいると、目線はいつも「2~3か月さき」だ。来年のことはわからないけれども、2~3か月さきのことは考えてみるに値するものだ。当たるかどうかは勘と経験だ。必ず当たることはないが、「当てたい」と思って生きていれば、そこそこの確率で当たるようにはなる可能性がある。

確率と書いたのは、野球のバッターが練習でうまくなるのと似ているからだ。打率はヒットを打つ確率である。練習なしに3割は打てない。「打ちたい」と思わなければ練習もしないだろう。僕は投資というビジネスに携わって、当てることを職業にしたからいつも「当てたい」と思い、そうして40年生きているうちにそれで飯が食えるぐらいには当たるようになった感じがする。現にそれで会社を作って食っている。

何度も書いたが、それは学校で習ったわけではない。東大で教えることは百年たってもなさそうだし、ウォートンスクールで企業の財務や株価の分析はがっちり習ったが、それらは当てるための万能の方法ではないことをむしろ学んだ。「当てたい」という欲望からしか育たないものがあって、ひと言で書けば「直感」という陳腐な言葉になってしまう。小学校からミステリー好きだったことの方がMBAの勉強よりずっと役に立った気がする。

サラリーマンの時はそうはいかなかったが、いまは当たれば自社の収益になる。つまり趣味の犯人当てで報酬がもらえる。ますます「当てたい」と思うようになる。これが僕の毎日だ。ステイホームだろうが猫と遊んでいようが、頭の中の活動だから何の関係もない。特別な情報はいらない。情報は今やネットで何でも手に入る。誰だって。でも、その使い方を知らないと、当たらない。

未来を「予見」するというのはおこがましい。因果関係のない未来は当たらない。だから、当たるとすれば、因果関係の範囲内だけである。これが投資のリスクというものだ。因果は読み解くことが必要だが、40年もやれば自転車に乗るぐらい意識せずにできてしまう。ただ、因果の「因」の方が大事だ。それを冷静に見ないと、「果」の予見は、高い確率ではずれてしまうからだ。

日本国の政治を見ていると「今はまだその時ではない」「慎重に検討して対応したい」など「エビデンスが揃ってから決断」のパターンばかりだ。これは役所や学者はそうでないと仕事にならないからであり、政治家はそれに乗っていることの象徴だ。株式市場で役所型の人が成功を収めたという話はきいたことがない。申し訳ないがカモになる人間の代表的な思考方法だからだ。

政治家に株なんて関係ないと思われるだろうが株の話をしているのではない。エビデンスが出る前に因果関係から予見できる程度のことは先に手を打つ。これは役所や学者にはできないからこそ政治家に必須のことなのだ。いつ?有事だ。平時は役所のルーティーンで充分。それが機能しない災害や疫病の有事にどう立ち回るか。政治家はその時のためにいると言って過言ではない。

つまり、福島原発の時を思い出していただきたいが、有事であたふたして珍妙なパフォーマンスをくり返し、役所の言うことをきいて後手後手になり(それは役人の責任ではない)、株が上がりきってから満を持して高値づかみして大損してしまうが如しの結末を迎えることになった。僕は、職業人の本能として、そういう「カモ」になる愚にもつかないみっともない行動をとる人が、よりによって自分たちのリーダーの地位にあること、その事実を許し難い。

では現況のコロナではどうか?役所の評判が悪くなったので専門家会議が出てきたが、役所に乗ってパフォーマンスを繰り返してるだけなのは福島での民主党と変わらない。緊急事態宣言がなかなか出なかった。あれがそう。有事の宣言を平時のスタンスでやった。おそらく理由は2つあり、①ぴったり1か月でGW連休が明ける4月7日まで待つ②同日に第1次補正予算を発出する、である。見事に役所的だ。発出時に「感染拡大の状況等から措置を実施する必要がなくなったと認められる時は、すみやかに、緊急事態を解除する」としているが解除は5月25日だった。

18日遅れたのはエビデンスで感染者が減っているのを確認したのだろう。見事に役所的だ。満を持しての解除後に追加の経済対策を盛り込む第2次補正予算案が6月12日に成立した。ここで、政府に「攻めのモード」が盛り上がり、夏休みの旅行を当て込んで4月7日の補正に入れてあったGoToキャンペーンが「目玉事業」として期待されたと思われる。これがそのペーパーである。国交省の事業と思われているが、

下のペーパーにあるように「国内に向けた観光需要喚起策」として4月に経済産業省に計上された国費1兆6,794億円を国交省において執行するものである。

役所の序列もあるが、経産官僚が仕切る首相官邸の息がかかった事業であることが伺える。国交省の赤羽一嘉大臣は公明党であり、全国旅行業協会(ANTA)会長は自民党の二階俊博幹事長である。

この計画と予算自体には別に異を唱えるものではないが、GW連休明けから5月25日までのエビデンス確認で、役人的感覚で「自信を持って」もうだいじょうぶだと踏み切ってしまったのがまずかった。これを以下『モード変換』と呼ぶことにする。株式相場もコロナウィルスも「未来が読めない不確実性の塊」であることに何ら変わりはない。そういうものを相手にした時、エビデンスは役に立たない。エビデンスが常に正しければいいが、不確実性がある(危機対応事態である)とは過去のエビデンスが明日も有効である保証はない事態の事を言うのである。役に立たないものを信じて、モード変換して自信を持って邁進してしまうほど危険なことはない。

何故そんなことが起きたのだろう?ポイントは、このペーパーは第1次補正(4月7日)のものであり、GoToは「コロナ収束後」を前提としていたことだ。国交省の「令和2年度国土交通省関係補正予算の概要」を読むと「全国的に落ち込む観光需要の回復に向けた反転攻勢」「地域の観光資源・観光イベントの磨き上げ」「海外に向けた大規模プロモーション」と、昭和50年代のイケイケだった証券会社の営業キャンペーンの文句かと目を疑う勇壮かつ泥臭いスローガン(進軍ラッパ)が並んでいる。明らかに「収束後」の目線なのだ。

緊急事態宣言解除が18日遅れたのは、解除が収束を意味するものではないからだ。宣言解除 ⇒ 第2次補正(=経済対策)⇒ 第1次予算執行となる政治シナリオができていた。収束したかのようなイメージを国民に与えないとGoサインは出せない。感染ゼロになるはずはない。官僚としては少なくとも減ったというエビデンスが集積しなければ無理だということだったのではないか。専門家会議が国民を欺くような決定に進むことに危機感を覚えたのは科学者なら当然で、反論が出たことは想像に難くない。

なぜ「想像」かというと議事録が作成されていないからだ。作成しないのはおかしいじゃないかという声が専門家から出ていたことは、尾身茂副座長が5月29日の記者会見で、同日の専門家会議でメンバーから「(発言者を明らかにした議事録の作成を)国の方としてもちゃんと検討してください」と求める声があったことを紹介した(朝日新聞)から間違いない。

専門家会議が御用会議なら議事録は平然と公表されたろう。そうではなかったから内容、発言者名を隠した。官邸は「専門家がOKと言った」と政策の正当化に使いたいのに事態は逆だった。ここから両者に溝ができはじめたと思われる。

http://新型コロナ対策専門家会議 政府側の求めで文言の削除や修

 

政府は5月25日から水面下で一丸となって、早く経済を回さねば!の方向に『モード変換』を行っていた。専門家会議の正論は隠して国民に「もう大丈夫」のイメージを植え付けるためだ。それは政治判断だと言えないことはないが、非常に問題であるのは「ウソをついていた」ということだ。官邸は専門家会議が決めたように「偽装」しようとしたが失敗し、首相と加藤厚労相は傷つかない所に逃げ、西村氏を人身御供に立ててモード変換を仕切らせた。西村氏は自身に忖度せずリスクを取らない専門家会議を法令に即した分科会に鞍替えし、万一の時は役所的稟議制で失敗した時の責任を曖昧にできる体制にした。これが専門家会議廃止の真相ではないか。これが何を意味するかは、賢明な国民はみな見抜いている。科学的知見の無視であり、因果関係の「因」を政治ニーズに求めてしまったわけだ。出てくる「果」は予定調和的に科学的に危険なことになる。あまりに当たり前で説明の必要もない。それが現況の感染者数急増であり、それに吹っ飛ばされかけているGoToキャンペーンなのである。

同じことを国民の側から見てみるなら、多くの人に「がんばってステイホームに耐えた」という実感があるだろう。これぞ、政府は何も成功してないのに結果はオーライという日本のコロナ対策の謎を生んだ一因だ。気温も心も寒い日々だった。著名人が亡くなった。オリ・パラは延期になりも甲子園はなくなった。でもいよいよ春が来た。緊急事態宣言が解除された。感染者も死者も減っている。プロ野球もいよいよ開幕だ。それで心も春になるのは不思議でない。僕も嬉しくてブログを書いた。しかし、同時に、どうも間違った空気が世の中に流れ出てきたなと直感で思った。野球場でファンが「やっとここまで来ました」といったのがそれだ。

コロナを抑え込んだのは医療関係者の頑張りのお陰でもあるが、それ以前に、国民の頑張りがあった。恐れたのは、それが政府のキャンペーンモードで一気に解けてしまい、「三密」が多発してしまうことだ。だからこういうものを書いた(半年で知った「三密こそ安全のキーワード」)。僕は個人的に4月時点で無症状感染者はすでに東京に数十万人はいたと思っている。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は百万人いてもおかしくないとTVで述べていた。限られた人だけに絞って行ったPCR検査で陽性だった人は、何十万人のほんの一部だった可能性がある。

とすると、そんなに感染リスクがあったのになぜ4月にピークアウトしたんだろう?緊急事態宣言も心理的に効いただろうし、西浦先生の「42万人死ぬ」もそうかもしれない。いずれにせよ国民の「コロナ・リテラシー」(正しく恐れる)を高める効果があったからだろう。政府はその過程で専門家会議による無症状感染者の存在や短期に収束する可能性の低さの指摘を公表せず、「国民に不安を与えるな」という動きを取った。国民を無知に止めおこうという涙ぐましい努力だが、正しく恐れれば不安はむしろ減るのだ。問題は、リテラシーの低いのは政治家の方だったことだ。西浦氏は「42万人の発表は政治家にわからせるためだった」と真相を語っている。

政策は未来に向けて打つから「策」なのであって、行く末を予見する努力をしなくてはいけないのは当たり前のことである。繰り返しになるが、そこで因果関係の「因」を見間違うと「果」も予定調和的に間違うのである。だから、首相官邸から世の中を騒然とさせたトンチンカンな政策が目白押しに出てきたのだ。取り巻きはペーパー作りはうまいが予見が不得手な役人であり、役所の論理で連休明けまで1か月とか、エビデンスが出そろったとか、因果の「因」を何の科学的裏付けもないものに求めている。失敗失敗なのは必然の理だ。一番ヘタクソな相場観で決めてるのだから。

嫌な予感はまず夜の街で当たってしまった。そういう場所がいかんとは思わない。若い頃は後輩と歌舞伎町のゴールデン街で泥酔するまで大酒を飲んで、気がついたら金が足りず、「いいわよ」とオカマのママの家に泊めてもらったこともある。だからあそこで生活してるいい人がいることも、生きていく大変さも知っている。禁じればセックス関連産業は地下に潜るだけで、種々の社会的危険はコントロール不能になるから返って危険なのだ。しかも三密やめろは無理だ、それが売り物なんだから。であれば初めから補助してあげて休業要請するしかないではないか。

そういえば大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件という著名な不祥事があった。僕は野村で担当部署ではなかったから関わらなかったが、関与した連中は大変な目にあった。大蔵省イコール東大法学部だが、僕みたいなのは皆無である。彼らは遊びなしのド真面目勉強人生で来てるからああいう世界はある意味コンプレックスであり憧れでもあって、そこに付け込んで接待して「おぬしもワルよのう」をやる。まあ歌舞伎町というのは、高級官僚までをも巻き込んでしまう所だった。いまやホストクラブが200件もあるらしい。客が女性なんてすごい、時は流れたんだなと感無量である。

この業界の人たちもお客も、経済活性化のゴーサインを持ち焦がれていたはずだ。つまり、結果的にではあるが、『モード変換』を積極的に行うことでそこに薪をくべて火をつけた犯人は官邸であり政府なのである。国民を無用に怖がらせるなと情報を隠し、感染しても構わないからお金を地方にばら撒いてもらおうという政策を強行した。東京都知事は宣言解除後の6月2日~11日に「東京アラート」を実施しているのであり、明らかに『モード変換』に加担していない。それを棚に上げて「東京問題だ」とはよく言ったもんだ。東京都はそこで検査を一日4千やり、ほぼ平均的な6%程度の感染者が洗い出されてきている。もし4月に4千やってれば、何十万はいた無症状者が同じほどひっかっかっていただろうと推察する。大爆発しなかったのは、国民がリテラシーを持ってよく耐えて頑張ったからだ。

そうこうして今に至って、GoToはいよいよ東京外しである。可哀そうなのは東京の旅行業者と、すでに申し込んでしまっていたお客だ。新婚旅行をGoToで予約してキャンセル料を3万円取られた20代がTVで嘆いていた。彼はその上に他県の人の補助金のために税金まで巻き上げられているわけだ。人生の記念すべき日に泥棒に追い銭となったのであり、気の毒を通り越して怒りを覚える。

官邸は東京人を敵に回したいのだろうか。小池百合子が嫌いなのは結構だが、まがりなりにも彼女を選んだのは都民だ。東京問題だから知らんというなら都政に干渉するなだ。万一このままコロナが非常事態になれば、小池は堂々と東京をロックダウンしたらいい。ただ、賭けてもいいが、政治としてのコロナ戦争にアクセルのふかし勝ちはまずない。ふかさせるsnookerがいい。都知事は、どうころんでも有利だ。アラブで苦労してもまれたタフな彼女にとって、この戦況はお手の物だろう。

国が有事は取り仕切ります。結構。しかし、ヘタな指揮者が棒を振ればオーケストラはぐしゃぐしゃになる。実に見苦しい。早くもGoToは東京トラブル・キャンペーンに変容してしまった。国は「全国一律」のしばりがある。それが有事には邪魔になることがある。カラオケで皆さん経験あると思う。「加山雄三しばり」「松田聖子しばり」(古いか)。1曲でも知らないと歌えない。いま官邸は「全国コロナしばり」は俺しか歌えないと威を示しつつ「”東京音頭” の部分だけ歌いたくない」になっている。だったら別な歌にするしかないだろう。

これは行政府としての国と地公体の棲み分け問題につながる。国だけができるのは外交と防衛だ。地公体に外交官と軍隊はない。それ以外は、国の裁量で、臨機応変に首長に権限を渡すことがあってもいい。権力争いでなく、どちらが国民の為になるかで。そんな度量を総理たる者は持ってほしいし、それで結果がオーライなら総理が評価されるべきだ。権限を渡せば首長が評価されてしまうと恐れるなら、実はすでにアンダードッグ(負け犬)である。じゃあ強い首長の方を総理にしたら?国民は自然にそう思うだけだ。別にどっちでも構わないのだから。

GoToを業界のためにやりたいならやればいいし、それが経済活性化になるなら結構と思う。それなら各首長に、東京も入れて旅人を受け入れるかどうか判断を一任し、受け入れて感染者が出たら地公体の責任で対応し、一方で、行く旅人の方も、検査して陽性者は禁止し、感染させない作法を守り感染したら強制隔離に従うことを署名させて補助金を出す。自己責任の後ろ盾として、受け入れを拒んだ県を含めて、国は地方交付税を一律に47都道府県に交付する。あとは首長に全権と全責任を委譲する。それで東京トラブルにはならなかったのではないか。

それをやるということは、「指揮者は不要」だったということだ。オーケストラの指揮台に立って「この曲に私は不要です」と宣言する。良い音楽を作ることでなく指揮者になりたいだけの人には百年たってもできないだろう。平時の世の中は役所で回る。有事こそ政治家の出番である。ということは、有事に指揮もできない政治家は辞めてくれという結論に自動的になる。まして、なんで713人も国会議員がいて、コロナの有事に一人も役にたたず逮捕者だけは出しておいて、どういう理屈で満額で300万円もボーナスがもらえるんだろう?野党の選挙対策は、無為無策で結託しても確実に外交と防衛で負ける。「国会議員を半分にします」「参議院は廃止します」ぐらい公約したら凄く支持されると思う。

 

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