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カテゴリー: 若者に教えたいこと

あいつはどうだ?と聞ける人

2017 NOV 10 0:00:40 am by 東 賢太郎

「・・・そうかお前も元気だな」「そりゃそうじゃなきゃこんなポストつとまるかい」「あっちはもう心配するな、なしだ、いいな」。無言。「あいつはどうだ?」「使えない、へたするとおじゃんになるぞ」。無言。「じゃあな、わかった」。

これはスパイ映画のシーンではない。最近ある会社の経営者と電話でかわした会話だ。こういうことで会議が招集されたり人事が出たりする。二人以外は誰も知らない。自分が彼の立場だった時も、こんなものだった。

密室政治はけしからんとか世間の実相を知らない人はいうが、知らない人は知らないだけだ。良かろうが悪かろうがやるのは人間だ。どの国の元首だってマフィアのボスだって、自分の権限で孤独に決めなくてはいけない重たいことは、最後の最後はこんなもんだと思う。

相手が腹心かというと、そうとは限らない。僕は彼の部下でもコンサルでもない、長く信頼関係にあるだけだ。腹心を作るとむしろ危険である。イエスマンは100%害だ。会議も、自分は議長でない方が良い。頼れるのは正しい情報と研ぎ澄ましたセンサーだけだ。仕切るより耳を澄ませだ。

センサーは自分で磨くしかない。人と会うこと、取引すること、それ以外にない。顔色を読むのでなく(不要だ)、反応を類型化することである。同じ人種もその中に細かく人種がある。それを分類するのである。これなしに営業やらマーケティングやら、まして経営などがわかる道はない。

最後の最後は自分でほんとうにわからなくなることがある。第三者の目がほしい。能力はわかってる、でも「どういう人?」ということについてだ。だいぶ前に僕はある男を飲みにつれて行って、それが目的だったのだが、女将に理由を言わずそうきいてみたことがある。

ばかなと思われようが、社内でそんなことは口が裂けてもきけない。それに女性のセンサーはちがう。利害、感情でモノを言わない人なので聞きたかった。想像だが寺田屋で龍馬を逃がしたおりょうはそうだったんだろうし、横浜富貴楼の女将お倉はあの伊藤、大久保、板垣らが話をききたがった。

こういうことは料亭文化とでもいうか、日本特有かもしれない。女将が組織のグルならどこでもあるだろうが、彼女らはスパイでも愛人でもハニートラップでもない。今なら大統領、首相、閣僚級の男たちが与太話でなく密談したい。女にも大物、小物というものがあるのである。

個人的に酒席で与太話は好きでない。接待はするもされるも好まない。酒は飲まれないように嗜みたい。

 

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ダシール・ハメット「マルタの鷹」

2017 NOV 9 2:02:38 am by 東 賢太郎

ハメットの「マルタの鷹」はだいぶ前に読んで、謎解き小説好きとしては面白いと思わなかった記憶がある。ただ主人公の私立探偵サム・スペードの非情なところ、好きな女を警察に突き出すなんて俺にはできないなあというところはこたえた。それが本性なのか功利なのか、読めないところがいい。

スペードは女に弱いが、女に見下されるのを嫌う。これが本性なのは「君(女)にコケにされるのはごめんだ」というセリフでわかる。事実の静的描写に終始するハードボイルド小説に珍しく情緒が浮かび上がるから響く。女が相棒を殺した。「相棒は屑野郎だったが、男ってのは相棒が殺されたら放っておけないものなんだ」。これも響くが、「君は俺にウソを言った」ことがそうさせたかなと思う。

スペードみたいな男が格好いいと思った時期があって、今も多少は残ったかもしれない。小学校で女の子にばかにされ、あれ以来女に見下されるのを嫌うようになったからどことなく共感があったのだ。それに、やっぱりウソをつく人は蛇蝎の如く嫌いだ。ウソには弱さなどからくる生きるための許容範囲のウソと、そうでない強い者が悪意によってつくウソがある。前者は場面場面では仕方ないだろうし善意のウソだってある。しかし後者は人間性、本性、品性の問題であり、ひとつあれば万事にわたってそういう人だと判断せざるを得ない性質のものだ。その人が何かの価値基準によって悪い人かどうかということよりも、そういう人はおつき合いを金輪際忌避したいということだ。

金融のホールセール部門という欧米のインテリヤクザのグローバルな騙しあいみたいな業界で40年近くやっていると、物事も他人様もサム・スペードのように無感情、叙実的に見るようになっている。冷たいとは思わない、あくまで騙されないための自己防御としての業務用の視点だ。決闘するのに相手の身重の女房や病気の子供の顔など浮かんだらこっちが殺られる。冷徹なビジネスに情状のアピールを持ち出すのは弱くて力のないことの表明であって、そういうのは単なる「たかり屋」であることが極めて多く、相手として勝ってもたいした戦果はないし相棒(パートナー)として組む意味はもっとない。

無感情、叙実的に見ても人間は顔だけではわからない。何年もつきあって、いろんな局面で是非を見て、力量と信用度を量る以外にはない。相手だって力量のある人ほどそうしてこちらを量っている。そうやって初めて信頼関係というものがそこはかとなくできてくるものだ。相思相愛ではなく、相思相信頼だ。そういうふるいにかかって残るのは、僕の場合は少数であった。友達、知人という程度のものではないもっと特別な存在であるから、こっちが死ぬまで大事にする、いや、すべき人たちである。

ウソがないか、逃げないか、裏切らないか、言行一致か、口が堅いか。これが絶対基準だ。大丈夫と踏んだのに、あとになってひとつでもそうじゃないということが発覚することがある。これはつらい。信頼をゼロにすることになる。ということは、もうつきあわないことになるからだ。男女は関係ない。ただ、矛盾するようだが、そうなって屑野郎と思っても僕はいったんパートナーになった人は必ず守る。来るもの拒まずの親譲りの性格ゆえ、来て受け入れた人を守らなければ親の否定、自分の人格否定になるからだ。

若いころ、素っ裸の状態で知り合って酸いも甘いも良いも悪いもお互い知り尽くしている人たち。掛けがえなく貴重だ。そういう人たちがいるという唯一の理由で、いま僕は自立して仕事ができている。これからめぐり逢いもするかもしれないが、もう素っ裸になれないしあんまり許された時間はない。いま20代、30代のひとたちに告ぐ。そういう友達をいまのうちに何人つくれるかが、人生黄昏に至っても信頼関係の絆で助け合える人を何人持てるかになる。言っておくが、ただの仲良しからはパートナーはでてこない。必死に何かを共にやった人、仮にその時は敵であっても、そこにいるのだ。それを求めてもいけない。ただ日々粛々と必死に何かに打ち込むことだ、そういう人には神様が人生のパートナーを授けてくれる。

夏目漱石の日本語

 

 

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「未来」と呼ばれているものの正体

2017 SEP 24 23:23:58 pm by 東 賢太郎

アインシュタインは現在、過去、未来はない、それは人間の考えた幻想に過ぎないと言ったそうだ。人間の脳には記憶のファイルが巨大な本棚のように収納されていて、たとえて言うなら、何かを思い出したり考えたりすると本棚のその部分にピカッと光が当たるようなものだそうだ。

では「いま」とは何か?ピカッによって我々が目、耳、鼻、口、肌などの五感のセンサーで感知している世界のことだ。その「いま」は時々刻々と「むかし」になりつつある。ではどれだけ時間がたてば「むかし」なのかは誰もわからないし、尋ねられれば1秒後とか0.1秒後とか瞬時とか、答えは人によって違うだろう。

ピカッで感知できないもの(例えば紫外線や可聴域外の音)は「いま」に含まれないけれど、あるかないかと問われれば、ある。100光年先の「いま」は100年しないと見えないが、こうして議論している瞬間もその場所はある。だから「ある」か「ない」かということと、「いま」は別個の話である。

我々は自分が感知した「いま」がしばらくすると変わっていることに気づく。さっきそこにいた猫がいない、というふうに。そこで、「さっきの今」を「むかし」と呼ぶことにして、そこに至るまでの間に「時間」というものが流れたのだと思うことにしたわけである。とするならば、その時間がさらに流れれば、その先には「これからの今」があるじゃないか。

むかし(過去)、いま(現在)、これから(未来)はこうしてできたらしい

わかったようでわからないが、動物ならどうだろう。ネコにきいたわけではないが、明日の夕食をどうしようなどと考えそうもない。すると「未来」というものはないだろう。「過去」はというと、さっき何を食べたかぐらいは覚えているかもしれないが、記憶があるから過去があるというわけではない。記憶を現在より前のこととして現在から仕分けして眺めている「自我」がないと過去というのは存在できない。

「時間というものが流れたのだ」と思うことにしたのは「自我」である(思うに、それがデカルトの言う「われ思う、ゆえにわれあり」の「われ」だ)。おそらくは自我のないネコに「時間」というものを創作して1時間前と今を比べてみようという意識はないだろう。ということは、時間の経過でしか定義のしようがない過去も未来もネコにはないということになる。

では自我のある(はずの)我々はどうだろう?

これを考えるには相対的存在というものを知る必要がある。例えば「きみ」という人間だ。本名は山田太郎だが「きみ」であるのは「ぼく」がいるからだ。「ぼく」の自我が自分ではないと仕分けしたからそう呼ぶのであって、実存はしていても「きみ」は「ぼく」とペアで僕の頭の中にしか存在しない。僕が死ねばそうか山田君のことだったのかとは判別できなくなってしまう「きみ」は、だから存在しない。

同じように、昨日カレーを食べた事実は実存しても、あるのは「ぼく」の脳内の記憶であって、それを「過去」と呼んでいるのは現在の僕でしかない。僕が死ねばそれはない。100光年先の星は僕が死んでも実存するから「ある」のだが、昨日のカレーは「ぼく」とペアの相対的存在であり、「ぼく」が「現在」と仕分けして「過去」と呼んでいるものは全部がそのカレーと同じである。

つまり、「過去」とは「ぼく」とペアの「きみ」や「カレー」とおんなじで、存在しないものなのだ。これをアインシュタインは「幻想に過ぎない」としたのだと僕は理解している。

我々は過去、現在、未来という時間の流れがあると信じている。しかし物理学に時間の概念はなく、時間と思っているのは3次元と4次元(時空)の差異だ。時間概念がないというのは、つまり認識できるのは常に「いま」だということだ。ピカッと光が当たっている本が「いま」であり、いま知覚した本は瞬時に過去になっているが、それを「考えている」限り光は当たっておりそれは「いま」のままだ。

いま目で見ているものであれ昨日見た映画であれ、知覚の光が当たっているからそれは「いま」なのであり、光が当たっていないものは存在しないに等しい。100光年先の星は存在していても、光は届かないからそこの「いま」は我々の「いま」ではない。存在がいまではなく、意識の光がピカッと当たるか否かが「いま」であり、それはネコの「いま」と変わらない。

なんだ、我々はネコなみか?そう思うと寂しいが、人生はずいぶん気楽なものにはなる。過去はもうこの世にないのだから失敗など悩む必要はどこにもない。明日どうなるか、何をしたらいいかなんてわかる理由がない、ないものを考えたって答えなど出ようがないからだ。

さて、やっと本題の「未来」の話だ。時間という概念を使おうが使うまいが、人生はいましかあろうがなかろうが、自分が生きていようがいまいが、「あした」は来る。それはまだ記憶にもなっていないからピカッと光りようもない、まさしく空想の産物であるものの、地球がぐるっとひと回転すれば確実に来るからきっと「あした」は存在するのだ、ネコにも我々にも平等に。

しかし我々の自我は欲深い。「あした」ではない「未来」というものを生み出した。幻想なのだからどうにでも主観が入り得る。それは「予測できる」というものだ。物理の法則で、天体の運行のような単純な運動は、万有引力という人間の感覚では不可知ながら数学的に想定すると未来を予測できることを我々は経験的に知っている。そうやって月にロケットがちゃんと命中している。しかし一方で、引力を及ぼす天体が3つ以上になった場合の運行法則は見つかっていない。

このことはアインシュタインが「経験とは独立した思考の産物である数学が物理的実在である対象とこれほどうまく合致しうるのはなぜなのか?」という疑問を持っていたことを想起させる。数学は人間が発明した道具なのか、それとも何かの抽象的世界に実在していて人間はその真理を単に発見しているのか?この議論にいまなお答えはないそうだ。某大学医学部の麻酔科教授が驚くべきことを教えてくれた。「実は麻酔がなぜ効くかというメカニズムはまだわかっていないんです。経験的に正しいと、何時間したら目が覚めるはずだと信じて使っているだけなんです」。怖い話だがそれに近いのかもしれない。

月に命中するか?患者が目が覚めるか?予知できる未来はかように極めて限定的であるのに、我々は不遜にも予知は可能であるという前提で科学というものを発展させてきた。科学者は限界を知っていようが一般人は科学は万能と思い込んでいるのであり、それこそが「未来」と呼ばれているものの正体に他ならない。明日も生きているかどうかすらわからない人間が作り出したはかない空想の産物でないと誰が言えるだろう?しかし「明るい未来」とはいい言葉だ。それがあると思うから人は懸命に働くし善行も積もうと思うのだ。

そう思い至った僕にして、実は「いま」しかないのだよと人生の座標軸を変えるのは一大プロジェクトに他ならない。いま、僕はそれをしている。重大な意識改革だ。できるのはいまを良くする努力しかない、未来とはその結末にすぎない。では、いまを良くする努力に近道やスタントプレーがあるだろうか?そうならそれは魔法というものの立派な定義になるだろう。そんなものはない。できるのは、ちょっとだけ本棚にあてるピカッとした光を強めて、本の背表紙をじっくり見るぐらいのことだ。

それは勉強や仕事をしている時だけでなく、駅へ歩く道すがらだったり友達と他愛ないおしゃべりをする間だってできることだ。逆に言うなら、そこでできないことを勉強や仕事だからといって突然できるようになるわけではない。これを間違ってはいけない。光を当ててじっくり見るということを我々は「注意力」と呼び、光の強さを増すことを「集中力」と呼んでいる。つまり注意力散漫で集中もできない人が、いざという時だけそれができることはあまり期待ができないのである。

このことを若い人は肝に銘じておいてほしい。過去は変えられないから考える意味がない。皆さんは失敗はきれいさっぱり忘れて「なかったことに」で構わないのだ。しかし現在の過ごし方の質を上げれば未来は変わるかもしれない。方程式はないけれど、未来は明るいものになるかもしれない。それをいま何の努力もせずに望むのはナンセンスだ。しかし現在の過ごし方の質という最小限の努力はできるものに置き換えれば未来はあなたのものかもしれない。

では、どうすれば注意力がつき、集中力が発揮できるのか?それさえできれば、こういうことに必ずなる。

現在 < 未来

さらに、

現在の勉強・仕事・しあわせ < 未来の勉強・仕事・しあわせ

になる。僕はそうやって受験や仕事を一応は成功裏に乗り切ったし、それを様々な形でブログに書いてきた。それを読んで共鳴していただいた方々はきっとご自身でできているから共鳴されたのだと思う。そんなに難しいことではない、ちょっとした努力をすれば誰でもできる。

ソナーという会社は意欲ある若者を育てること、才能を見つけることに社会的存在意義を見つけようとしている。意欲と勇気のある方ならだれでも遠慮なくご連絡いただければお会いするし、伸びる方法をお教えもできるだろうと考えている。もちろんすべては無料である

 

・・・・

 

以上は本年3月22日にソナー・アドバイザーズ(株)HPに書いたブログだ。当SMCにはこれが1513本目のブログということになる。それをトータルに眺めると、適当に思いつきを書いていて中味は五月雨だが、すべてが僕の頭から出たもので受け売りやコピペは一切なく、一義的にはまず自分の備忘録で、本稿にある「本棚でピカッと光が当たった本」を開いて「書き写して」いる。そうしておかないと、10年後は生きてるかどうか、生きていてもその本は本棚から消えている、つまり記憶が飛んで忘れてしまっているかもしれないという恐怖が常にあるからだ。

1513冊で僕の頭の本棚の何割を写したのか知らないが、興味ないことや詳しくないことは残しても無意味だし、お読みいただく方に時間を費消していただく資格がないから書かない。ジャンルは右のカテゴリー欄にある項目を「縦軸」とすると、各ブログの末尾にリンクを入れてジャンルまたぎの「横軸」になるようにもしている(いま作業中)。

横軸を気長に辿って行っていただけると予想外のジャンルに飛んだりするが、それは僕の話の個性でもオンリーワンの特徴でもあって、リンクさせている意味はちゃんとある。左脳と右脳をつなぐ脳梁と思っていただければ幸いである。ある意味で、別なワールドをお楽しみいただけるのではないかと思う。

単語やフレーズによる検索はブログ右上の「サイト内検索」で行える。ただしワードプレスの検索機能はやや狭くて、文字列とフォントがきっちり合わないと出てこない。ラヴェルはラベルでヒットせず、交響曲の前にスペースを入れるかどうか、3番か3番かで出なかったりする。ここは プラットフォームの問題であり仕方ない、いろいろお試しいただくしかない。

音楽ブログについては文章と楽譜だけでなく、youtubeから音のサンプルを貼ってできる限りご理解いただけるようにしたい(耳で聞くのが圧倒的に理解が速い)。まず、youtubeに「東」のマークのチャネルを作り(このビデオ等)、僕の保有する音源をブログの補完としてアップロードしていく方針。フォローしていただければクラシックについては深められると思料する。

忘れた過去は「なかったこと」に

男の更年期障害

 

 

 

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僕の人生哲学(イギリス経験論)の起源

2017 AUG 5 17:17:37 pm by 東 賢太郎

「リヴァイアサン」を書いたトマス・ホッブズ(1588 -1679)の政治哲学は気に入っており、去年だったかこういうブログを書いた。

いや~、そうはいっても、オカマもいますからね

東大は文Ⅰに入ると駒場の教養学部でまず法学概論という必修科目があって、定年退官する教授が後進に法とは何ぞやを説くことになっている。僕らの先生は国際法の高野雄一(1916 -2004) で、だからだろうか国際法の起源となる自然法の法理のようなものから習った。法学にはさっぱり興味がわかなかったのは僕の罪で先生には申し訳なかったが、読んでみた書物ではホッブズの人間(ミクロ)の悪しき習性を人工的な国家(マクロ)で統御する原子論的、理系的な考え方だけは大いに気に入り、影響を受けることになった。

リヴァイアサンは国家とは何ぞやを論じる。簡単に書けば、人間の自己保存欲は本能と認めよう(自然権)。すると生存に必要な物の奪いあいで喧嘩(暴力、戦争)がおきる。そこでみんなで自然権を我慢して(自然法)、一人に主権を委ねることを契約して国家を作ろうよというものだ。近代国家理論のルーツだ。自然法はオランダ人のグロチウス(1583 -1645)が基礎を作ったがこれは現代の国際法のルーツである。ローマ法に起源のある欧州の法理が神学と政治を断ち切ったのはほぼ江戸時代初期にあたる。

この自然権、国家(社会)契約説、ミクロの人間の平等主義が啓蒙思想の底流を成し、絶対君主制を突き崩してフランス革命、アメリカ独立など市民革命、英国の責任内閣制という政治制度に至るのは言うまでもない。革命というのは市民による権力者の大量虐殺の美名だが、それだけ血を流しても是とされた(消去法的ではあるが)のが近代以降の西洋の政治システムなのである。日本国はそれを採用しているのだから、妙なことがおきたら粛々と血で血を洗った基本原理に立ち帰ってモノを考えればいい。

政治家は我々国民が契約して主権を委ねているだけだ。馬鹿なことをしたら契約を解除する、要は即刻クビにすべきである。その仕組み(法律)と馬鹿かどうかの監視、情報開示機能こそが国民の平和で自由な生活ために必要なのである。日本の政治システム(法制)の最大の問題はそれがないことであるというのが僕の強い主張であり、法律を作る唯一の機関である国会にそれのできる議員をどう送り込むか、つまりそれをやるという人を当選させないとモリカケ事件は繰り返し、国家による隠ぺいや筋違いの国民監視社会化はだれが首相になろうが永遠に避けらないだろう。

1697年(65才)のジョン・ロック

トマス・ホッブズの路線にいたのがフランシス・ベーコン(1561- 1626)とジョン・ロック(1632-1704)だ。ロックのイギリス経験論(人間は生まれたときは白紙である)は僕の人生哲学のルーツといえる。人間は経験してないことはわからない(わかるはずがない)。よって軽々に語ったり判断してはいけないが、それでは社会で生きられないから、経験のない物事に対しては「類推」をするのだ。類推力は科学的思考力で補うのが合理的だが、そうする知力(インテリジェンス)を持てばよい。ロックはそこまで言ってないが、より良く人生を生きたいならばそうすべしがだんだんに僕の独断流となっていった。

だから大学や学部なんかなんでもいい。要諦は何かを本気で深く、徹底的にやるかどうかである。学問であれスポーツであれアートであれ何であれ、人並みでない深さ、例えば地面に100メートルの地下まで「穴」を掘ってみることを想像してみていただきたい。すると、その深さに到達しないと知り得ない温度、気圧、匂い、地層、音響、閉塞感、恐怖感などの未知なる発見があるだろう。あらゆる苦労と創意工夫をしてでも掘るという行為自体にも忍耐力にも替え難い経験があるし、大事を成し遂げた達成感が壮大なことはイメージできるだろう。それは10メートルしか掘ってない人には絶対にわからない。10メートルの穴を10個掘ってもわからない(イギリス経験論)。ジャンルは問わず、そこまで何かをやった人たちだけの特別なセレブ・ソサエティ「100メートル会」があると思ったらいい。学生時代はその会員になることを目指せばいい。

社会に出ると深い穴を掘る日々になる(それを世間は仕事と呼ぶ)。100メートルの経験がある人は、別な場所に穴を掘らされても、つまりその仕事に経験がなくても10メートルの人よりは「類推力」があるから20,30,40メートルではどうか、その先ではこうなるだろうとヨミが働く。だから失敗にも競争にも強いのだ。そこに、事例の個性を削ぎ取って一般化して論考する(そういう頭脳回路を作ってくれる)数学という「類推の最強の武器」があればさらにいい、若い人は徹底的に勉強することをお薦めする。

私事でいえば僕は野球と数学だけは自分の限界を見るまでやった。2つを比べれば野球であり、猛練習を死ぬかと思う寸前までやったのは僕の持って生まれた素材としては100メートル経験だった。その経験による類推によって、今度は証券業で100メートル掘った。そして今は、そこからの類推でアドバイザーをやっている。「仕事と野球と何の関係があるんだ?」という声が10メートル会から聞こえてくるのは自然なことだ。だから「100メートル会」の入会をお薦めするのである。

ちなみに音楽は好きだが経験がない。だから楽譜を読みピアノを下手でも弾いてみることで作曲家、演奏家について類推の小さな手がかりを作ってみる。聴くだけというのはどんなに高尚を気取ろうが印象という感覚的で皮相な理解しか導かないので、それを書物や評論やブログで文字にしたところで料理屋の食べ歩き記程度のものだ。英国人の本格的な音楽評論に比べると、日本のそれは哲学不在のサブカルチャーの域を出ない。

万事そうやって徹底してイギリス経験論的に生きているから、僕の思い込みだけのことかもしれないが、自分の思想はうわべのものではない体に染みついたものだと自信をもって言えることは言える。「それが政治的な大人の意見というものさ」とはロンドン時代に僕に「穴掘り」の話を教えてくれた二回り年上のファンドマネージャー氏の言葉だ。オックスフォード卒。ちなみにベーコンはケンブリッジ、ホッブズとロックはオックスフォードに学んだが、彼によると英国のエリートにその思想は当たり前ということだった。

フランシス・ベーコン

ホッブズはフランシス・ベーコンの助手だったことがある。ベーコンは「知は力なり」の言葉で有名だが、彼がシェークスピアだったというそれなりに有力な説がある。シェークスピア氏は実在したが名前を貸しただけで、真の作者は何らかの理由で名乗れなかったと考える「シェイクスピア別人説」で、ベーコンのほかにクリストファー・マーロー(劇作家)、オックスフォード伯爵が候補とされる。知識人が寄ってたかって血眼に論争しているのは九州か畿内かの邪馬台国論議を思わせるが、こっちは4通りの仮説があるということだ。

このベーコンこそがイギリス経験論の開祖だ。経験論とは演繹法(一般論)の否定である。法則と信じられるものにはウソがあるかもしれない。だから観察と実験で確かめなさい、ひとつでもそうでない例が見つかれば法則なんかじゃない、単なるウソだ、捨てなさいということだ(帰納法)。それで正しかったら、それを法則と見る。それが論拠のある「類推」だ。ところが日本人は演繹に弱い、低学歴の人は世界的に弱いがそれを勘案しても先進国では世界最弱クラスだというのは、長いものに巻かれる社会性に加え、科学的(数学的)思考を重視しない(むしろ積極的に嫌う)国民性によると思う。

「常識」「井の中の蛙(かわず)」「昔からそうだ」「テレビでやってた」「みんな言ってる」「偉い先生の意見だ」でコロッと思考停止に陥る。科学的論拠より偉い先生を信用する(学歴詐称かもしれないのに)。テレビが解説に専門家やエセ科学者を呼んでくるのはそれにつけこもうとする計略だ。だいぶ前のこのブログに僕がイギリス経験論者である証拠がある(NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」の感想)。株の世界に40年いるので僕は人の言うことはまずは全部ウソかもしれないと思っている。帰納法で自分の中で観察と実験によって証明して初めて信じる。嫌な奴だが人生哲学は好かれるために持つのではない。

ベーコンは細密にロジカルで慎重な人で、信じるための観察と実験にだって誤解、先入観、偏見がつきまとうことも否定できないことを指摘した。それを「イドラ(idola)」と呼ぶ。英語だとアイドル(idol)だ。人間の認識の誤謬の元でそれににまどわされると思い込みや偏見ができてしまい、帰納法によっても真理や法則にたどり着くことは難しい。しかしそれを排することができれば科学は自然を支配することができるとしたのである

イドラは4つある。①種族のイドラ(人類一般に共通してある誤り。地平線にある太陽や月は「大きい」など)②洞窟のイドラ(個人の性癖、教育、狭い経験からくる見方の歪み)③市場のイドラ(社会の中で伝聞によりできる偏見、噂)④劇場のイドラ(権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見)である。これらがあれば帰納法もワークしない。詐欺師は全部を計略に使い、つけこむプロだ。政治家とテレビCMは②③④、いや最近の政治家は③(印象操作)か。マスコミは④文春砲は③を有効に使っている。ベーコンの類型化はイドラに騙されないための賢人の知恵だ。自分の判断に①-④が忍び込んでいないか考えるためのレファレンスであり、ちなみにこれがないという自信の持てない人は少なくとも株には手を出さないことをお薦めする。

ウィリアム・シェークスピア

「シェイクスピア別人説」の候補者3人の提唱者による議論(論拠)はwikipediaに詳しくあるのでご興味があれば読まれるといいが、さすがインテリ連中の議論で証拠らしきものもそれぞれあって説得力がある。しかし、確実なことは、そのうち2人、あるいは3人全員が偽物で論拠は大嘘なのだ。どれにイドラがあるか不明ということだから、結局はベーコンのイドラ論も実用性は疑問になってしまう。僕はシェークスピア=ベーコン説に惹かれるが、そうなると「彼ほどの頭脳の持ち主だ、何か暗号を残しているに違いない」と思ってしまう。これと一緒だ(エルガー「エニグマ変奏曲」の謎)。僕も②(洞窟のイドラ)の餌食になっているのかもしれない。

 

(こちらへどうぞ)

なんでもいいから井戸は深く掘れ(僕の教育法・その2)

脳は寝ない

脳内アルゴリズムを盗め

 

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「独りぼっち」が独り勝ちの時代

2017 JUL 29 17:17:47 pm by 東 賢太郎

会社は一人でやるのが理想。ノーベル賞学者のN先生と話していて意外な所で意見が合致した。先生の話は面白い。研究も経営も、結局は万事自分でやらないとうまくいかない。大企業で上へ行くとどんどんやらなくなって、最後は知らず知らず能力が衰えて何もできない人間になって終わる。僕も危なかったが、起業してすべてが無くなってしまって、トイレの掃除も自分でして危機を逃れた。

もちろん部下がしてたことも全部やる。やれば意外に俺も捨てたもんじゃないと思うぐらいできるし、そうしないとない発見がある。細部まで肌でわかってるから良いアイデアもわく。先生はそういう積み重ねでノーベル賞を取られた。企業に賞はないが得た利益、実績は全取りだ。自分でできない部分は社員に利益を分与して助けてもらう。でも、それでも、一人でも少ない方がいいのである。

もはやサービス業は大企業が優位な時代ではない。規模や社員数を誇るなど人海戦術か能力のなさを宣伝するようなものでジョークである。この10年、ネット社会化によって一気にパラダイム変換が起きた。それに経営者が気づいておらず、既存社員が大量の余剰人員と化した企業は軒並みアウトになっているが、あまりに当たり前の現象だ。一人で全部やりたい研究者タイプの人の就業先は、昔は製造業と相場が決まっていたが、いまやサービス業ができてしまう。彼らは従来のサービス業タイプにはあり得ないことができる。そうやって社会構造の大変革が起こりつつあるのだ。

話しは変わるが、TVで日ハム対ソフトバンクをつけたら解説が野村克也さんだ。彼は毒舌ということになってるが、真実をストレートに述べてるだけで、真実は普通の人には奇抜、毒舌に聞こえるのだ。1分2600回転するスライダーを「キャッチャーまではたかが2、3回転ですよ」というので嘘だろと計算してみたら大谷級の球速で2.6回転だった。聞きかじりだろうが、それを覚えてるということはその数字に何か意味を見出して思考したということだ。でなければへ~で忘れる。彼の言葉はなぜか僕には群をぬいて腑に落ちるが、そういうことかと納得。彼は理系の人だ。

それは観察、思考、推理、そして数字、計量感覚が尋常でないということ。そこにN先生とどこか似たものを感じる。こういうのは学校で習うことではない。天性の能力だ。僕がこれを感じた傑物はかつて5人しかいない。お二人(物理学者、プロ野球選手)のほかは、某経営者、某指揮者、某政治家、それだけだ(野村さんと政治家はTV等の印象。会ってない)。この経営者と他の人、この指揮者と他の人というのは、野球界なら野村克也と並みの選手、物理学界ならノーベル賞学者と普通の大学教員ぐらいちがうということである。

ごらんの通りで業界は関係ない。しかし経営も指揮も物理学もキャッチャーも総理大臣もきっと「独りぼっち」は共通だろう。私事になるがいま僕はたぶん人生最大かつ最高の案件を手掛け、証券業界の経験がないとできないが、しかし野村やゴールドマンはできないことをやっている。電子からどう光子が生じるか物理を勉強しなおしてる。大勢の力をお借りしているが、頭の中は独りぼっちで。人生いろいろ楽しい経験はしたが、やっぱり本業で大事を成して相応の評価をいただくのに勝る喜びは絶対にない。なぜならそれが僕のできる、世の中で最も高水準のことだからだ。

「投資学」のすすめ

 

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理系の増員なくして日本は滅ぶ

2017 MAY 23 18:18:33 pm by 東 賢太郎

大航海時代まで世界の覇権はスペインにありました。海を支配し、新大陸を含む植民地、銀の産出という当時として絶対の利権を握り神聖ローマ帝国のハプスブルク家と姻戚を結んだというのは宗教的にも世俗的にも並ぶ者のない権力を持った、陸海を制しまさに日が沈むことがなかったということで、今の米国よりずっと優位だったのです。

これを島国の英国がひっくり返した。一気の戦争によるKO勝ちではないが、市民革命の時代までには判定ポイントで優勢となり産業革命に至って恒久的勝利が確定した。野球なら5回までに10点取られてノーヒットだったチームが勝ってしまった感じでしょう。世界史で空前の大逆転といえば僕はこれを挙げます。

スペインの敗因は複数ありますが、膨大な利権に甘んじてフロンティア、辺境で競り負けアメリカを取られたのが逆転満塁ホームランになったという見立ては衆目の一致する所。当時のフロンティア開拓はイコール海軍力であり、もともと海賊の英国は生命線としてその得意技に徹したのに対し、スペインは陸地の経営でも楽に食えてしまった。これがまずかったと思うのです。

つまり持てる者である大株主、地主となった。配当、家賃というキャッシュフローは安泰だから「攻め」の必要なし。防御型の人生観が支配的になります。かたや持たざる者はフロンティアで攻撃型にならなくては生きられません。そのどちらが強いか。自然界でいうなら無限に生える草(=キャッシュフロー)を消化できる草食獣は多産で個体数が確保できる限り牙も爪も必要なく、攻撃力は進化してません。三百年ほどで徐々に防御型となり草食化したスペインを、航海で牙と爪を研いだ攻撃型肉食獣の英国が食った、僕にはそういう光景と映ります。

現代において国力のフロンティアと目されているのはIT、AIの技術力です。軍事、情報、金融、生活関連産業すべての興隆がこれからそれに大きく依存するからです。70余年前、我が国は石油供給を止められて開戦に至りましたが、今や石油がないどころか国民が餓死していてもIT技術を磨いて核ミサイルを持てば攻撃はされない時代になったことがその証拠です。

IT技術のフロンティアで我が国がどこにいるか。これが不安です。日本は欧米が基礎研究した技術を民生用に汎用化するアプリケーションテクノロジーで筆頭の勝ち組でした。高度経済成長による国力興隆の背景はそれであり、その仕上げがいよいよIT技術に及んでIBM-日立事件が起きた80年代はそのピークだった。

80年代はバブル時代だとネガテイブに語る人もいるが、自虐史観の洗脳ここに至れりであって、日本人が我が世の春を謳歌し欧米を震え上がらせて何が悪いのだろうか。あれは敗戦で焦土と化し地にまみれた屈辱からフロンティアを攻めまくって勝ち取った大戦果なのです。

ところが今やそのIBMすら影は薄く、投資の神であるウォーレン・バフェットが「唯一の失敗はIBMを買ってアマゾンを買わなかったことだ」と認めるほどITの時代も急転回しています。我が世の春だった日本がITのアプリケーションにおいて "スペインの轍" をふみ、フロンティアを中国、台湾、韓国に猛攻撃されて主要な要塞はすでに陥落してしまったと感じるのは僕だけではないでしょう。

日経の記事によると米国シリコンバレーには三百万の住民がいますがうち40%が外国人で、インド、中国、韓国に比べ4万4千人の邦人は存在感が低い。世界のIT基本ソフト、ブラウザー、クラウドで二大巨頭であるマイクロソフトとグーグルのCEOはどちらも40才台のインド人であり、ペンタゴンが恐れるハッカー集団は中国人です。

フランスのマクロン新大統領は「経済成長と起業は不可分」とし、創業期の負担を減らす政策を強調しています。16年までの20年間、米国の成長が年平均2%に対しフランスは1%であるのは、起業家の成人人口に対する割合(TEA)が米国の12%に対しフランスは5%であることが原因であると危惧している、それは皆さんもう忘れたでしょうが、あのピケティという学者の講義を思い起こせば納得のいくことです。そして、これもご想像に難くないでしょうが、わが日本国も同じく5%であり、中国、韓国の半分以下であるのです。

(出所:野村総合研究所、平成28年3月)

日本人の特性として元来そうかどうかは議論がありますが、少なくとも徳川時代以降は「農耕民的防御型」で「キャッシュフロー安泰志向型」が国民の多数を占め、「フロンティア攻撃型」は少数派といえるでしょう。防御型=地主型=草食系がフロンティア攻撃型=肉食系に食われるのはすでに見た通り歴史に実例は枚挙がなく、かつて高度成長の牽引車であったエレクトロニクス産業が韓国、台湾に食い荒らされれている真因はここにある、すなわち防御型優勢でなくフロンティ攻撃型の起業家を増やさなくては国力に関わると考えるのはマクロン大統領だけではありません。

城の本丸が落ちようとしている危機に頼るよすがは優秀な頭脳と教育であり、大学こそが防御型に生まれついた人材を導いて世界のフロンティア攻撃型人材との戦い方を教えねばなりません。その人個人のためでもあるが、優秀な一握りの個人は国の助けなどいらず日本の大学を捨てて米国へ出ていく(頭脳流出)道がある。米国どころかヘタすると数年でシンガポール大学、香港大学、北京大学のほうが東大より起業に有利という時代になるのは、そこに関わる金融、証券の実務をしていると肌で感じることです。

だからこれは何より日本国の経済成長と雇用の継続のための問題であります。我が国の学校における起業家教育は世界最低レベルという事実があるからです。日本という「農耕民的防御型」で「キャッシュフロー安泰志向型」の土壌にはそういう教育概念すら存在せず、教えられる教師は実業界にしかいないという事情が背景にあります。

(同上)

はっきり言うが、日本の大学の経済学部は草食獣の学生に100年前の教科書を教えることが唯一の仕事である草食獣の先生の職場である。ここからは100年たってもノーベル経済学賞受賞者は出ないことは賭けてもいいでしょう。そんなものはもうフロンティアではなく、学問であれ実業であれそこでの戦争には無用だからです。もしそれを学んで卒業した学生が世の中で成功したとしたら、それはその人がもともと優秀だったというまぎれもない証左としては高い価値があるだろう。

本丸が落ちたS社とT社において、研究員、技術者、職工が無能であったと考える日本人は少ないはずです。だからこそ台湾のH社はSを買ったし、Tの半導体事業に海外からビッドが入るわけです。失敗の本質は100年前の教科書しか知らない先生に学び、高度成長期の国家的浮力に助けられた成功体験のみで育った、肉食獣の本能と生態系を良く知らない草食系経営陣(その多くは経済学部など文系)のまいた種によるのは衆目の合致するところです。

そしてそれを見た新聞の社説に「外資の傘下に入るのは決して悪いことではない」などと、これまた100年前の教科書の草食獣である論説委員が書く。ばかとしか思えない。マイクロソフトとグーグルのCEOはインド人でもガバナンスは米国にある。本社が日本にあって日本人が雇用されれば経営者は台湾人でもいいというのは奴隷国家の考え方だ。経済学部の先生は彼らにガバナンスと株式支配の意味を教えていないのだろう。

安倍内閣は大学まで授業料無償化というが、まったくの無駄です。高等教育は国家戦略であり、幼稚園の「みんな仲良く」の世界など存在しないのです。自身がそれが何の役に立っているか自覚できない(早い話がどうでもいい)文系学科卒である政治家の発想だろう。100%の子が大卒になれるならそんな教育はそもそも大学教育ではないから中学までで履修できるはずなのです。言ってることが自己矛盾だ。そんな金を使うなら東大、京大、国立理系大学(東工大、電通大)等の収容人員と実験等教育予算を倍増したほうがよほどいい。優秀な才能に国家の計で教育をする。留学生の頭脳も集める。シリコンバレーもすべてのIT産業も牽引車は最先端理系教育を受けた技術者なのであり、100年前の経済理論や帳簿の管理術やお金集めやセールスマンなど国家が教育しなくても商人道だから誰でもできるし、そこを台湾に譲っても日本は失うものはなしです。

文系はいらんという御仁もいますし僕も結果的にはそれに近くなります。近年の中国共産党中央政治局常務委員の指導者の学歴を調べると習近平(清華大学化学工程学部)、胡錦濤(清華大学水利エンジニア学部)、温家宝(中国地質大学)、朱鎔基(清華大学電機製造学科)、江沢民(上海交通大学電気機械学部)、賈慶林(河北工学院電力学部)、李長春(ハルビン工業大学電機学部)、曽慶紅(北京工業学院自動制御系)、羅幹(北京鉄鋼工業学院圧力加工学部)、周永康(北京石油学院)、賀国強(北京化学工業学院無機化学工業学部)、呉邦国(清華大学無線電子学科真空トランジスタ学部)と驚くべき理系王国であり、文系は北京大学法学部卒の李克強ぐらいです。

問題はこの中国共産党がどういう思考回路を持っているかということです。我が国の政治家の平均的プロフィールとは良くも悪くもかけ離れていることは間違いなく、どちらがいいということではないものの、文系頭では想像もつかない戦略を練ってくる不気味さを感じるのです。彼らはもちろん孫氏の兵法、三国志に通暁しており自己の生存のためには恩人も殺す曹操のようなことを平気でやるだろう。そのトップにある連中がサイエンス、エンジニアリングを自分で理解して国家戦略を練ってくる。数学・物理音痴の文系が理系を従える日本の行政と産業の支配構造は、楽譜も読めない指揮者が振っているオーケストラみたいなものです。中国共産党幹部は若い才能の発掘と教育に国運をかけるだろう。フロンティアでの攻撃型競争が才能を開花させることを当然の如く知っているだろう。

我が国が明治時代なみの理系文系なる無意味な区分のまま大学教育を改革せず、だから学生の知能指数で30位ということはまずない東大が大学世界ランキングで35位にしかなれない現実に目をつぶり、実社会で何の役にも立たないから留学生が来ない100年前の学問を先生の権威のために温存していけば、50年後には科学技術はもちろんITの関わるすべての産業でアメリカと対等のパートナーとなる中国に確実にぼこぼこにされるだろう。それしか優位性のない我が国は、したがって実質的に滅びるのです。新聞の論説委員おすすめの奴隷国家になるのです。そんなはずはない、モノづくり、匠の技は凌駕などできない。そう思う方はスペインと英国の覇権の歴史をもう一度勉強されるといいと思います。

そうならないための絶対の妙案はありませんし、もう遅いかもしれないと半分は思っていますが、私案として、全大学の学部を是々非々で要不要を検討し、予算総額は限りがあるので国家の百年の大計に添ったお金と教師と生徒数の再配分を決めるというのが最も合理的でしょう。この趣旨を説けば、高額所得者増税には反対の超富裕層は名誉と引き換えに大学に多額の寄付をしてくれるだろう。文科省天下りがいかんというのも一概にそうはせず、大学教員は派閥や各界余剰経営者の受け皿というサプライサイドの考えをまず一掃し、国に必要な学生を育てる能力があれば天下りでも外人でも何でもよしというディマンドサイドのポリシーから合目的的に改革をすればいいと思料いたします。

 

(ご参考)

脳内アルゴリズムを盗め

小保方氏に見るリケジョとAO入試

クラシック徒然草《フルトヴェングラーと数学美》

 

 

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努力は成功の母ではない

2017 APR 21 21:21:01 pm by 東 賢太郎

野球というのは持って生まれた資質がほとんどで、でっかい奴が勝ちというイメージでした。アメリカのスポーツだし、トランプ流の力の支配、俺様主義が似合う。高1のとき僕は身長170センチでしたが、夏の甲子園大会予選の開会式で神宮球場で整列したとき強豪校の奴らと並んでみてうわっでっかいなと思った。それしか覚えてないぐらいビビりました。

広島カープでいまや全国区どころかワールドクラスとなった菊池涼介二塁手が、だから高校入学時に160センチだったと知って大変驚いてます。今時の子の体格だから周囲はもっと大きかったでしょう。それで僕のように圧倒されずにあそこまで行った、あっぱれですね。アメリカ人は彼を忍者と言ったが違う。忍者はたくさんいるんで彼はオンリーワンですからね、牛若丸ですね。

西武の森智哉も公称170センチですが(たぶん70ない)それで大阪桐蔭の4番とは・・。ヤクルトの石川雅規は投手で167センチ、それでプロで150勝というのもすごすぎる。僕などひがみ根性があって、2メートルもある奴が170キロ出そうが場外ホームランかっ飛ばそうがそんなの当たり前と思ってしまうんですが、実力ではねかえした彼らは実に気持ちがいいですね。

かたや38歳で東大に入って待望のマウンドに登った話題の伊藤医師。171センチ。フレッシュリーグで慶応戦に登板。高校で野球経験ない人がやろうと思った志が立派だし100キロ台を出したのも敬服です。遅いと思われるでしょうが女の子だとシニアリーグで鈴木誠也と対戦経験のある173センチの稲村亜美ちゃんで103キロです。アスリートの男性でも部活せずに110はまず出ません。ナックル磨けばいけるぞ、応援したいですね。

持って生まれた資質はどうしようもありません。擬似共産主義の日本の学校教育はそれを否定して「みんな仲よく」だ。そんなの初めから嘘なんだから小・中・高と来てどうも変だとだんだん気がつくんです。そこでやる気をなくしていじめられたり道をそれたり不登校になったり自殺したりする子がどれだけいることか。幼稚園児から「みんな違うのよ」と真実を教えるべきなのです。違うというのは優劣じゃないよという風に。

我が国ではトーマス・エジソンが「天才とは1%のひらめきと 99%の努力である」と言ったことになってますが、原文は

Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.

であって違う。汗をかかないとひらめきは得られない(それができた者が天才だ)です。これを「ひらめき < 努力」という風に訳して、努力をすれば報われる⇒根性論となるのが日本です。

そうじゃない。「ひらめきを生むかもしれない所で汗をかきなさい」という暗黙の前提があって、「そこでの努力がひらめきによって実を結ぶ確率は1%だけどね、それができたら君も天才だよね」と、二つのことを言っているのです。

「失敗は成功の母」に近いのがおわかりでしょうか。これを「努力は成功の母」と読み替えてしまう教育は「みんな仲よく、努力も仲よく、だから結果は平等に」ということになり、共産主義教育と親和性のある教義に使われてしまうのです。エジソンも苦笑してるだろう。つまり努力と根性で成功できるわけじゃない。そういう嘘にだまされれば使われるだけの人で終わります。

そこからひらめきを得られるかどうか、つまり、それに自分が向いているか、もっといえば好きかどうかということが先だということです。「暗黙の前提」がまず満たされているか?それは自分にも親にも分らないけれど「好きなもんを思いっきりやってみい!」とオトナは言ってやるしかない、それをサポートしてあげるしかないですね。好きでもない所にひらめきが生まれることは少なくともあんまり期待できないだろう。

菊池も森も石川も伊藤医師も、まず野球が好きだった。本人に聞いたわけじゃないが間違いないでしょう。

学校で自分だけ好きなことを見つけて突っ走るのは大変です。下手すりゃいじめにあいます。だから何となく平穏に「みんな仲よく、努力も仲よく、だから結果は平等に」を信じて小・中・高ときてしまう。行先には必ず先生と同級生がいて、教室も机も椅子も万事が整っていてという、世界に冠たる日本の安定したシステムを信じてです。ところがその先にある会社に入ると先生なんかいない、周りは敵だらけ。大企業でさえも潰れて机、椅子どころか給料だって危ない。安定などかけらもない、国際競争に晒されたジャングルのような場所。これからますますそういう環境になるでしょう。

共産主義教育に洗脳されてトコロテン人生で来た子は社会に出て初めて「えっ、そうだったの」となる。そういう子を労働力として集める企業はブラックと呼ばれる。高学歴であっても洗脳されている思想は変わらないから「えっ、一流企業でこんな酷いことやってるの」とびっくりして半沢直樹シリーズが売れたりする。残酷なことですが、企業だって株主がありジャングルで生きのびようと必死なのであって、それを責めるなら国ごと中国か北朝鮮みたいに独裁者を選ぶか共産化するしかありません。それが嫌な方は、それを子供に知らしめていない親であり教育現場の責任なのだということを認めるしかないと考えるのです。

僕が「若者に教えたいこと」のカテゴリーに書いているのは、社会の現実を若者に教えるためにほかなりません。それが「厳しい」とか「冷たい」とかそんなことじゃない。単なる現実です。それを知らしめない、というよりご自分で実社会経験のない多くの教師の方々にはしたくても教えようのない部分を補おうということです。誰の利益にも左右されない立場の人間が経験から真実と思うことをズバリと書いて、次の世代に隠さずに伝えてあげることはオトナの義務と思うのです。

僕は私立、区立、都立、国立、企業派遣といろんな形で教育を授けていただきました。そして親と企業にはお返しはしましたし、それを使ってしたサービスで対価をいただいたお客様にも成果をお返ししています。まだできてないのは区立、都立、国立の税金のところです。区民、都民、国民のお金で勉強したのだから何か返そうというのは、大作曲家に印税払ってないから彼らの名曲の宣教師になるというのと同じこと。人生のバランスシートを考えてきれいにする。それが僕なりのモチベーションであります。

エリートになれということではまったくなく、嘘だらけの社会に翻弄されず自分なりの楽しい人生を送ってねということ。そういう考えの若者が増えれば日本は変な方向に曲がらず、大国に翻弄もされず、必ず強い国になると信じます。前に何度も書いてますが、それが僕の熱い思いだからNEXTYLEでお声をかけた現状19人の若者にそれを直接託してもいます。ぜひご覧になってください、お子様に見せてあげてください。そして何か感じるものがあって我こそはと思う若者は出演してください。それが100人、200人にいずれなると何か渦巻きができる。それまでは生きていたいものです。

 

(こちらへどうぞ)

SMCと万葉集への思い

 

 
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勤め人時代にできなかった二つのこと

2017 APR 1 17:17:07 pm by 東 賢太郎

勤め人時代にできなかったこととして、①好きな仕事だけやる②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく、があります。細かくいえばいろいろありますがその二つは大きいなと思います。

リタイアして②をされるかたはこれからもっと増えるでしょう。やってみれば唖然とするほど簡単だし世の中の反応が数字でわかって面白いからです。この快感はやらないとわからないですね、独断・偏見がどれだけ世の中で関心を持たれるかというのは自分のささやかな存在証明です。

①と②がいっしょにならないのがいいのであって、本を書いたらどうですかといわれましたが断りました。本は売れないと消えるので営業目線になるだろう、すると「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなってやっぱり消えるだろうと思うのです。いつ死ぬかわからんのでいつ来てもいいようにしておく。なにか残るようにしておく。ブログの真価はこれです。

今回そういいながらお恥ずかしいことにSMCのサーバーが足りなくなって冷や汗をかきました。サーバーを借りるのはコストがかかる。そこで現れたクラウドサービスはそれを無料提供してコンテンツを囲い込み、他人のフンドシで集客して広告主から金をとるビジネスですがいずれバックアップまで含めたサーバースペースが地球上になくなるでしょう。すると宇宙ステーションにでも作るんだろうがそれはもっとコストが高い。要は有限な世界ですね。

僕は有限に興味ないので無限なものを作りたい。それは人の個性にかけるしかないのです。確実にオンリーワンだから複製不能で、永遠に価値が残ります。企業もそうでしょう。創業者というオンリーワンの色が薄れるとただの大企業になる。すると、その瞬間から「有限性に支配される」べく時計の針が回り始めてシャープ、東芝のような悲しい例も出てしまう。オンリーワンの価値はオンリーワンである限り無限です。モーツァルトやゴッホといっしょです。

しかし個性というのは認知されなければ歴史に埋もれてしまいます。だからメディアが必要です。個性を「認知」して「広める」媒体としてです。ところがいまや「広める」はyoutubeで個人が誰でもできてしまうので個性は百花繚乱の時代なのです。そこではむしろありすぎる情報を「認知」で絞り込むことがメディアの価値になってくる。テレビならクズは全部捨てて「いい番組しかない」、「だから見ても時間の無駄にならない」ということに価値が移行していきます。

デパート業界の凋落がそれを予言してます。「なんでもある」はネットにかなわないからもう売りではない。万事が「絞り込み」の時代なのです。だからそれのできる個人に需要が出てきてキュレーター(curator)と呼ばれます。図書館や博物館の館長の意味です。膨大な情報からなにかを選びぬく能力のある人ですね。単に知識のある専門家ではなく「目的にそった好適なものを選びぬく」というニュアンスがあるので「目利き」、「通」、「ドン」に近い。

これはsiriに「近くのラーメン屋」ときいて出てくるリスト(=専門家)と、そのなかで「あなた好みのラーメン屋」まで選んでくれる人(=目利き)とどっちが価値がありますかという質問に等しいことにお気づきですか。何度も書きましたがそれが情報と諜報の違いです。各業界でキュレーターがひっぱりだこなのは、世の中はインテリジェンス(諜報)を求めている、クラウドに膨大にあるインフォメーション(情報)をいくら持っても学習してもコンピューターにかなわないから価値はないですよということを教えてくれているのです。

個性が創造という領域で発揮されればAI(人工知能)も凌駕できないと僕は信じます。一方で30年後にはsiriの自動翻訳機能がAI化して日本の学校から英語という必修科目が消えているでしょう。世界史だって日本史と合体するぐらいだから十分可能で、英米人はする必要のないそんな勉強に日本人だけ大事な10代の時間を使うなど何の意味もない。インテリジェンスを生む回路を脳に作ってくれる数学を大学まで必修にしたほうが国益としてずっといいでしょう。

SMCを21世紀の万葉集にしたいというのが僕の発想でした。万葉集というのはいわば選者というキュレーターによる和歌のキュレーション・サイトなのです。僕は金融を通したビジネスと聴き手としての音楽ぐらいしか能はありませんが、今後メンバーに各方面のキュレーターが加わってくださればその発想はそう荒唐無稽でもないと思っています。

しかしSMCは文字が媒体であり、いまや動画という媒体は避けて通れません。そこで、まったくの過渡期的な措置ですが、youtubeのクラウドに間借りして僕のチャンネル「東」を作りました。これは所有者が極めて少ない音源とパブリックドメインのうち僕の趣味にあった音源、いずれは僕の弾いた音源などからなっている「東賢太郎キュレーションサイト」です。そこから動画を引いてSMCに貼れば出版物ではできない「音のサンプル」のお示しができてより分かり易い音楽ブログが書けると思うのです。

また、僕のブログに「若者に教えたいこと」というカテゴリーがありますが、若者に夢を与えること、生き抜く知恵をあげること、大ブレークのきっかけを作ってあげることは僕の夢であります。私財はそれに投じてよいと考えてます。「若者に夢のない時代」といわれますが、そんなことはないよと口だけの空手形でなく身をもってそれを示してあげようと思います。

そこで若者のキュレーターになる能力のある3人を正社員として集めました。岩佐君、村上君、岡部君といいます。彼らに才能ある若者たちの動画をたくさんとってサイトを作ってもらい、広く世の中にお見せして認知してもらおうと願っています。これは僕の視点ではSMCとまったく同じことなのですが文字媒体でなく絵、動画だから別なサイトとして運営してもらうということにしました。

そのサイト「NEXTYLE(ネクスタイル)」がこちらです。

NEXTYLE

ご覧いただくと日本の若者はすばらしい、これから日本は明るいぞとすべての世代の方々に感じていただけ、ご自身も元気をもらえることと信じます。

このネクスタイルもSMCも、永続させるために企業にはしてありますが僕にとっては仕事、金もうけではありません。それは冒頭に書きました通り、

①好きな仕事だけやる

②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく

の区別をしないと②は「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなって消えるだろうと思うからです。僕は天職であるソナー・アドバイザーズの仕事をボケるまでは続けるし、それで食べていく、そこで好きな仕事だけ選べるというという40年かけて手に入れた自由はそれはそれで人生の楽しみだからです。

 
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変わってきた仕事のスタイル

2017 MAR 10 1:01:46 am by 東 賢太郎

年末より私事いろいろあって、仕事はこちらからアプローチする余裕がありません。商売は自分から営業して取りに行くという世界で生きてきましたが、おかげさまで7年目ともなると少し様子もかわってきて、「持ち込み案件」が増えてます。今日も新案件のご相談が二つありどちらも面白い、そして明日は昨年から調査中のものの最終検討会議に入ります。

医師、弁護士のようにお客様から相談を受けてソリューションを探すスタイルは長年僕の理想としてきたもの。コモディティ・ビジネスは一切興味ないのでシャーロック・ホームズじゃないがアームチェアでチームで頭脳勝負というのが一番インセンティブがわき、優秀なアナリスト、スタッフがいてくれるからこそのことと感謝するばかりです。

我々の業務は、顧問に就任する、提携先を紹介する、包括コンサル契約を結ぶ、売上げ連動フィー契約や自己資金による共同出資・投資も選択肢にありますから「アドバイザー+プチ・インベストメントバンク」であり、顧客、投資先、提携先は海外もありとなると、まず競合はありません。

執行は僕の人脈で好適なパートナーと組みますから社員はあまりいらない。利益はシェアリングになりますが人件費を考えるとそのほうが経営効率はいいのです。案件の多様性からベストな社員構成というものは不明で、その都度最適の人と組める柔軟性をキープすることにコストをかけたほうが強いというのが当面の結論です。

ところで僕のSMCのブログも1425本が公開済みとなり70万ほどのご訪問をいただきましたが、そちら経由のコンタクトもいただいております。先日もこういうメールをいただきました;

今、東さんのブログの「若者に教えたいこと」を何度も読み返していました!ここしばらくずっと自分なりに考えていたことがあって昨日あたりにほぼ見えてきて、今ようやく繋がりました。 そこで是非1度話をさせていただきたく思います。 お忙しいとは思いますが近々お時間あるときにお話させていただければ幸いです。

さっそくお会いしてきいてみると、僕が構想しているものとそう遠くない。彼の構想を尊重しながらも一緒にできるんじゃ?考えてごらん、という話になりました。「若者に教えたいこと」のカテゴリはいろんな思いを込めて書いてますが、経験の集大成として一番力を籠めているものです。こうして何度も読み返している若者がいることを知ると本当にうれしくなります。

 
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将軍様はカネの臭いがわかる男である

2017 MAR 3 12:12:36 pm by 東 賢太郎

きのう12才下の後輩が来て、新しいことに手を出しちゃだめだという話になった。証券出身はつぶしが効いて全33業種を相応に知っている。しかしそれは耳学問で丁稚(でっち)からしてはいない。30代で小売業で起業して十余年、ちゃんと成功している彼にしてそういう言葉が出る。

彼も高校球児でホームランを何本か打ってる。でも最近始めた草野球でストライクが入らないとか2塁牽制はどっち回りでしたっけとかきいてくるのは内野手だったからだ。同じ野球でも丁稚からやっていないポジションだとそんなものなのだ。

運動なら丁稚はせいぜい15才までだろう。ハタチは遅い。わりと似ているといってゴルフも無理だ。「だったらまた野球やれよ、こっち7で本業3ぐらいで人にやらせてさ」という結論に至った。野球とは証券ビジネスのことだ。「なるほどですね」。体でわかってる人に説明はいらない。

かたや政治となると33業種ですらなく、何もわからない。友人が出馬したので09年に民主党を応援してしまった。衆議院議員さまとなったので教わって元大臣と食事までしたがやはりよくわからない。野党の田舎のプロレスは愉快な出し物だが、国会自体がプロレスの側面もあるだろう。お仕事の実況中継は与野党全員の晴れ舞台だ。特権階級共同体で役を演じている。

英国の議員さまのプレイはもう少し品よく、ドルリー・レーン劇場のお芝居であって、観客に階級があるから役柄がより見えやすい。かたや米国はそれがない建前だがロビイングがおおっぴらで族議員だらけ。見え見えの嘘の羅列で真意はとても見えないが国民性は単純だから落としどころはけっこう見えたりする。

そういうものだから政治家の言葉というのはエスペラント語みたいに意味不明なのだ。そしてその意味不明にうまいこと隠れて食ってる人間がたくさんいる図式は万国共通である。そこに運悪く出現してしまったのがトランプ大将軍さまだ。ツイッター直撃ミサイルの炸裂で、そういう連中のスポークスマンであるマスコミの嘘っぱちがばれてしまった。

大将軍は誰でもわかる言葉を吐く人類初の政治家である。あれを馬鹿だわからないと平気で言ってしまう日本のマスコミほど米国のマスコミは馬鹿ではない。徹底毀誉褒貶戦略で陥落できないとなると逆にすり寄るだろう。そうなったとき他国の将軍さまの品格がどうのとか、ヒマつぶし未満に完璧にどうでもいい発言で尻馬に乗っている連中は実は自分が失業の危機なのだ。

丁稚からやってる政治家が政治を語るなら嘘半分でもまだ聞くが、選手と焼き肉を食っただけのスポーツ新聞の記者がプロ野球の解説者という恥ずかしい図式はいい加減にご勘弁願いたい。まして英語もできないのがメジャーリーグの解説だ。それじゃ嘘がばれるので「専門家」なる者を連れてくるとソフトボールの選手だったりする。

歯に衣着せる必要のないネット民はましだが彼らの情報は国内に限った話で米国のことなど誰もわからない。僕もわからない。ニューヨークの友人に電話できいたって、じゃあ彼が僕に安倍政権の今後をきいて日本がわかるかってことだ。意味ない。つまり、その彼が米国通だろうと専門家だろうと個人の意見などウチの隣のボブがこう言ってました程度の話にすぎない。そんなものを信じてはいけないのである。

我ながら言ってる意味が不明になるが、しかしながら僕はトランプ将軍の言ってることだけは痛快なほどよくわかる。オバマやヒラリーの裏ありげで空虚なエスペラント語や嘘っぱちのマスコミの10倍ぐらい。彼が我々証券マンと同じほどカネの流れを基軸にものを考えてるなら説明がつく。自身の丁稚時代からの経験値がそうさせるのかゴールドマンが入れ知恵してるか。「ビジネスマンだから」と人はいうがビジネスマンは資金移動表など見ないことを彼らは知らない。

こういうことは投資判断に関わるのでソナー・アドバイザーズのブログにしか書かないが(トランプの噂も七十五日 )、自分の頭がその時点のベストな情報でどう反応したか復習するのは自分のリスク管理に大事で、さかのぼって自分の書いたものを時々読んでみるが、去年の6月、大統領選の5か月前に書いたこれが気になるソナー・ファイル No38(これから世界で起きること)

ここにいみじくもこう書いている。

根本的に世界をおかしくするのはヒト、モノ、カネの velocity の低下だ。私見ではこれが最大のリスクである。それを忌避するなら EU に参加料を払う意味がないし、脱退が続くし、EU の存在意義も消える。それはグローバリズムの配当がないということであり、世界は保護主義により狭隘化する。関税で貿易量が減り企業収益は低下して金融収益は減りマネーの需要は低下し、ひいては税収も減る。velocity の低下は国家も殺す。このことは米国でトランプの出現で示唆、予言されていたが、Brexit で確認されてしまった。

将軍さまはこの世界経済の危機を救ったスーパーマンであることを米国の民もマスコミも気づいてはいないだろう。とりあえずだけのことになる危険はまだあるが。将軍さまは知っている。経済のうえにのみ政治は成り立っている。彼なしで米国もEUももたないし、中国もロシアも破滅することだって。

突如として1兆ドルのインフラ投資なんかがでてくる。議会もマスコミも面食らってわけがわからない。日本のセンセイがたなどもうお手上げでダンマリである。それがなぜ唐突に出てきたか?僕がどう読んでいるかは上記の抜粋部分からおわかりだろうか。将軍は America First! を吠えながら世界の資金移動表を見ている。彼が「カネの臭いをかぎ分ける能力のある男」であることはほぼ確実である。なぜなら丁稚からやっていないポジションのことは野球部にいてもわからないからだ。

 
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