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カテゴリー: ______科学書

「バカの壁」の壁

2018 JUL 16 17:17:33 pm by 東 賢太郎

だいぶ前に「バカの壁」という養老孟司さんの本が評判になって、その題が流行語大賞か何かになった。そういえばあのあたりから「バカ」か「東大」をタイトルにつけた本が頻出し始めたように思うが、昨今大流行の「ネコ」本のはしりみたいなものだったのだろう。

人には無意識に考えるのをやめている境界線があって、会話してもそこで思考停止してしまう、それがバカの壁だという趣旨だった。「人は脳が受け入れることしか理解できない」というくだりで「当たり前だろ」と思ってしまい集中力が切れたが、「そうだろ?だからお前はバカなんだ」と諭されている気分になった。

それを言われるならごもっともで、僕などバカの壁の四面楚歌状態、大バカ者の標本である。興味のないことは考えないどころか、知ろうとも思わないからだ。反対に、自分の関心事がうまく伝わらない相手にはこっちの壁のせいで理解が及ばないので、そういう「合わない人」と話すと完全にすれちがってお互いに不幸な5分が終る。

しかしそれがいけないかというと、そうも思わない。養老さんの言う通り「人は脳が受け入れることしか理解できない」のであって、脳は可変的なのかもしれないが「宇宙の果ては137億光年先です」ときいても学者以外の人は「でっ?」と思考停止するだけだろう。すると世界人口70億人のほとんどをバカと呼ぶことになるが、呼ぶ方がバカだよねという話にもなる。医学部(理Ⅲ)の養老さんをバカ呼ばわりする蛮勇を僕は持ち合わせないが、あの本は医学書ではなく人生訓のようなもので、そうであるならば壁を撤回する労力と時間があったらそういう人とは付き合わない方が効率的ではないだろうか?

しかしあの本は大衆に読まれた。中味なんか理解しなくても題名に使い道があったのだ。議論の場で相手をいじめるキーワードとして「これぞバカの壁ですね」とやると、そこに居る者が全員バカである限りにおいては、東大の解剖学者のお墨付きを得てトドメを刺せるからだ(先に言った方が勝ちだというあまりにおバカな戦いであるが)。そういうものが流行語大賞になるのである。ちなみに何年か前にピケティというフランスの左系の学者をそれに仕立てようという稚拙な試みがあって、こっちはブログで思い切りバカにしたがアッという間に消えてしまった。ネコ本だったのだ。

東大生が優秀という思い込みも「壁」であって、試験で点を取るための諸々以外に全員が優秀という事柄は現役東大生もおそらく思い浮かばないだろう。読んでいる東大生諸君に告げるが、そこを卒業しただけで人生の勝ち組になれる保証はない。「東大生が選んだすごい本」の1位というので何かと思ったら漱石の「こころ」だ。どこの大学生が選んでもおかしくないし、もし10位だったら漱石の価値が下がるんだろうか?昔よく聞いた「全米で大ヒット」と同類のセールストークであり、そんなものはなかったし、おおむね言ってる人が米国人でも米国に住んだことがあるわけでもないのである。

仕事上いろんな人とお付き合いしているが、「バカの壁」だらけの脳の持ち主である僕が着想した仕事の構想というものは東大卒みたいなタイプには分かりにくいらしいことは前々から気がついていることだ。ちょっとややこしく表現すれば僕は常に帰納法的であり、彼らは常に演繹法的なのだ。ビジネスはデータが出そろって確信が得られてから始めても遅いから、その確信はほぼ確実に裏目に出て失敗する。帰納法だって失敗はするが、こっちは成功することもあって、そのリスクを補完するために資本というものがあるのだ。何かを創造して会社を前進させるのに僕は常に内側の壁に直面している。

誰もチャンスの本質とリスク・リターンを分かってくれないとなると構想を自作自演する羽目になるが、それには健康な体と精神と強い心のエネルギーがいる。まあ要するに、とても疲れるのだ。困ったことに僕は実務家にはあまり向いておらず、実行部隊としての有能なプラクティショナー(practitioner)がどうしても必要である。今回は年齢的に最後のトライアルであり、失敗はしたくない。だからプラクティショナーをいつも探しているが、それで有能な人に僕の構想が腑に落ちるかどうかという点が最大の関門なのだ。

最近、デジタル脳一点張りでない人のほうが適役かもしれず、となると東大にはあまりいない女性の方がいいかもしれないと思うようになった。今までは女性というと回路以前にケミストリー(chemistory、相性)の問題があって、そういう物事について僕と合う女性となるととってもナローパス(narrow path)であって、話して楽しいと思った記憶もほぼないのだからかなり革命的なことだ。この仕事は男、というバカの壁を突破したのかもしれない。

 

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あなた変な人ですね

2018 FEB 10 1:01:06 am by 東 賢太郎

クラシック音楽ファンが働く業界ランキングは知らないが、証券業は最下位に近い方であることは間違いないだろう。企業オーケストラはメーカーに多いが商社にもあり、金融だと銀行にもある。しかし証券会社のはきいたことがない。僕のいた会社を思い浮かべても、100年たって富士山が噴火して消えていようと人工知能の総理大臣が誕生していようと、あそこに交響楽団が設立されているとだけは思えない。楽器演奏はおろか、本格的にクラシック好きという証券マンに出会った経験もない。40年近く業界にいるのだから恐るべきことだ。

忙しくて無理というのもあるだろうが、もともと静かに交響曲を聴いたり幼少から楽器を習って学生オケに入ったりという家庭環境の人は証券界のような粗暴な世界には縁遠いのだ。日本だけかと思ったが、米国でもモルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスにオーケストラがあるとは聞かないから国際的にそうかもしれない。たしかに、世界の証券マンを見わたしても、バックオフィスはともかくフロント部門には強欲、野獣系が多く、高学歴ではあってもインテリヤクザの観がある。

お前もそうだといわれそうだがそうではない。もともとピアノを弾いたり交響曲をじっと聴いたり系の人間であって、ただ尋常でなく株が好きだ。これは星が好きなのと同系統の趣味で、お買い得の株を探すのが飯より好きである(だからソナー探知機の社名にした)。そこにお金が落ちているのにどうして拾わないんですか?あなた変な人ですねと他人を説得することに情熱が入ってしまう。別にそんなことが生き甲斐でも得意技でもないが、本能、本性なのだからそれで飯が食えるんなら楽でいいというのが僕のようなクラシック好きが証券界に棲息している唯一の理由だ。

一方、証券界に野球好きは多い。きのうは弁護士先生がやはりそうとわかり、都大会ベスト8で京華に負けましてなどときくと神々しく見えてくる。こっちはたいした戦績もないが、わかってくれるかなと話すとわかってくれる。これはキャッチボールしてちゃんと胸元にバシッと速球が返ってくるあの清冽な折り目正しさを伴った感触であって、こう書いてもわかる人しか全然わからないだろうが、わからない人や女子供に話しても「でも負けたんでしょ」で終わるあの馬鹿らしい淋しさの対極なのだ。無理に「へ~すごいですね」と確実に何もわかってないのに言われるとすきま風は倍加するのであって、先生との会話はまさしく一服の清涼剤であった。

硬式野球経験者でクラシック好きとなるとどうかというとやっぱり珍種であることは確実と思われる。野球好きからもクラシック好きからも証券インテリヤクザからも、いったん仲間かなと期待されるだけにそれがかえってあだとなり、えっそんなのも好きなの?あなた変な人ですねと引かれてしまうのだ。だから友達はそのどれでもない人しかいないと言って過言でない。彼らは元から別世界の人としてつきあってくれるし、こちらも無用にそのとんがった所を見せずに平穏につきあえるからだ。

要は「3種混合」であって自分でもそのどれがホンモノかよくわからないというコンプレックスな人間ということになる。既製品の鋳型にはまりようがないから日本で生きにくかったのはそれもあるかもしれない。あえて、どの同種と話すと楽しいかというと、それはもう圧倒的に野球ということがこのところの一連の経験で自覚した。僕は音楽家でも証券マンでもなく、野球人間オズマだったのだ。しかし、ないものねだりだが、色覚さえ普通なら絶対に宇宙物理をしたかった。

ディールの追い込みで3連休など存在しないが、気持ち的には小休止してマサチューセッツ工科大学物理学教授、マックス・テグマーク氏の著書「数学的な宇宙」(究極の実在の姿を求めて)にとりかかることにした。氏は51歳と若いが数学的宇宙仮説の提唱者として知られ、200以上の論文・著作を持ち、その内の、9つは500回以上引用されている傑物である。宇宙のことは誰もわからない。物理学といって哲学に思えるものもある。であれば、おそらく人間の知るワールドで万物の説明言語として最も解明力のあると思われる数学に頼ってみるのが筋じゃないかと素人なりに思うのだ。

中村先生の紫色LEDとレーザーをわかるのに高校の物理の教科書を読んでいるレベルだ、この本が平明に書かれているとはいえわかるとは思えないが、本能的に引きつけられるものがあるから仕方ない。毎日こういうことをする人生も楽しかったろうと思うし、こうして空の彼方を考えているとヘンツェの交響曲が聞こえてきて、やがて星の彼方に父はいるというシラーの詩から第九交響曲が聞こえてきたりする。そうして音楽愛好家の自分がたちあらわれてきて、ますます人間とは何かがわからなくなるのだ。

 

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座右の書と宇宙の関係

2017 DEC 10 21:21:06 pm by 東 賢太郎

学習塾の広告で「今まで算数を学んできた中で、実生活の中で算数の考え方が 活かされて感動したり、面白いと感じた出来事について簡潔に説明しなさい」(駒場東邦中 2017年 算数)とあって、人生その連続だった僕としてすばらしい問題だと思った。ところが「簡潔に説明しなさい」となると例が出てこない。

似た例が「心に残った本」「座右の書」だ。きかれてもない。同じ本を2度読むのはブログにする時ぐらいだし小説は読まないし、3時間~3日で読んで3,4割もわかったら終わりで、わからん本=いらない本が僕の読書だ。本屋で手に取っても目次だけでほぼ趣旨が見えて終わるのが半分。無理と思ったら買う。

強いていえば先日のフランス学序説などが近いのだろうが、心というより記憶に残った本で座右ということはない。頭の回路形成に影響はあったが算数がそうだったのと似ているのであって、僕は算数の教科書を座右に置いて生きているわけではない。何か肝に銘じたりすると変化に対応できないからむしろしない。

最近、知りたいし、ちゃんとわかりたいというのは宇宙物理で、時間ができたら勉強したい。これは読書と別ものだ。ダークマターという謎の物質が宇宙には満ちていて、信じ難いことだが計算量より多く存在し、銀河の周囲にはダークマターハローとよばれる、銀河の10倍ほども広がる巨大な構造がある。

ハローは小さいものから形成され、合体を繰り返して大きく成長し、その内部で銀河や銀河団が作られていく。スーパーコンピュータ「京」や国立天文台の「アテルイ」の強力な計算パワーを活かして、宇宙初期から現在にいたる約5500億個ものダークマター粒子の重力進化を計算したものがこれだ。

下が131億年かけてできた銀河が密集して分布する壁のような構造(グレートウォール)だ(小さな光の点が銀河系のサイズ)。

皆さん、こんなものを連想しないだろうか?

これはラットの脳内のニューロンネットワークだ。脳が電気信号を伝える神経の超微細な構造と、銀河が密集して分布する超巨大な構造。偶然似たかもしれないが、世界が仮想現実だとする「シミュレーション仮説」を想起しないでもない(シミュレーション仮説 – Wikipedia)。

この仮説はオックスフォード大学の理論物理学者が論破したとされるが数学で解かれなくてはいけないので正確に理解できそうにない。しかし物理法則を何者かがプログラムしていようがいまいが、脳内ミクロ構造が分子レベルの何らかの法則で何億年もかけて組成されたた結果とすると、宇宙の大規模構造はそれを部分とした全体であって自己相似関係にあるというフラクタル幾何現象(フラクタル – Wikipedia)か。証明できないだろうが、もしそうなら超大規模構造である。

数学や座右の書はおそらく固有のニューロンネットワークを形成するだろうと考えていて、とするとそれは脳の大規模構造の一部だ。構造を例に例えなさいと言われても困るのであって、僕は駒場東邦中学に不合格になるだろう。「座右の書」がないのも「簡潔に説明しなさい」となると出てこないのもそのことの婉曲な証明ではないかと考えている。

(ご参考)

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香りの効能

2017 SEP 23 1:01:07 am by 東 賢太郎

蝉(セミ)がなきやんで久しい。蝉は地上に数日しか生きられなくて寂しい一生だが、動物というのはすべからく食うことと生殖することだけのために生きている。もっとつきつめれば食うのも生殖のためであって、我々は遺伝子をのこすための乗り物(ヴィークル)にすぎないという説もある(「利己的な遺伝子 」リチャード・ドーキンス著、紀伊國屋書店)

テレビのバラエティーや昼メロがグルメと温泉とセックスばかりなのも、芸能界はもとより政界までシモネタ・スキャンダルまみれというのも、皆さんドーキンス先生の発見した「原理」にのっとって日々お勤めに励まれている結果だ。では子孫を残した人は余生で何のやることがあるんだろう。食って、寝て、死ぬだけなのだろうか。

そう思うと、音楽というのはセックスにも食うことにも貢献がなく、だから動物は聴かないし生物学的には無益なシロモノだ。ロックは女性にもてるかもしれないがクラシックをきくなんぞは色恋と無縁であって、それに50年以上もかまけてしまった僕は動物としては失格なのだろうか。

しかしこうは考えられないか。音楽鑑賞は生存の役には立たないが、落ち込んだり、道を誤ったり、自殺してしまうというようなことへのガードレールの役割を果たしていると。それならドーキンスの原理からは逸脱しない。死んでしまえば遺伝子の目的は成就しないからだ。

例えばベートーベンだ。彼は子孫を残さなかったが、自殺を考えながらも音楽を書くことで元気になって戻ってきた。その複雑な精神の行路を明快に音でなぞってシミュレーションできる曲がある。交響曲第3番「エロイカ」だ。そうすると聴く者も元気に戻れる。僕自身が苦しかった時にそれで復活した経験者だ。

先日のこと、統合医療において僕の主治医である森嶋先生にバイオレゾナンス診療で1年ぶりに全身を診ていただいた。「内臓も頭も問題なし、ストレスもないですね」で安心したがちょっとひっかかる。「先生、いま仕事でストレスの真っ只中ですが」「いえ、数値は出てません、きっと音楽が効いてますね(笑)」。

たしかに、疲れると甘味を欲するように、ストレスがかかると音楽が欲しくなるから精神的な「薬効」があるのかもしれない。米国医学界は制癌剤治療に疑問を呈し論文も出なくなっているそうで、癌患者への対処法が向かっているのは東洋医学やヒーリングなど理論より治験が先行した分野も抱合する統合医療とのことだ。その一環で音楽を取り入れる療法は真剣に研究されている。

ストレスとは体を一定の状態に保つ恒常性(ホメオスタシス)が崩れた状態から回復する際の様々な反応で、なくてもいけないが過剰だと生体機能が狂う。だから過剰と感じた時に精神の緊張を緩和してくれるなら音楽は薬効があることになるし、音楽がもたらす心理作用は認知症などに効能があるとする論文も出てきている。その観点から「エロイカ」の薬効を原子論的に調べたら何か結論が得られるかもしれないと思うと関心が高まる。

先生によるとストレスはもうひとつ戦う方法があるという。香りだ。そこでこういうものを紹介していただいた。「パ ホーザ」(Pau Rosa)というアマゾンの香木エキスだ。

 

この香りにはひとめぼれで、す~っとリラックスできる。ローズウッドの一種だから日本だと紫檀(しだん)だろうか、その中でも特別に品質の高い樹木から採取したオイルであり、入手が難しいらしい。

 


アロマオイルは詳しくないが、お香を焚くのに一時こったことがあり香りの効果は感じている。これは過去嗅いだことのないもので、安眠など効果があるのではないかと思い、いただいて帰った。

 

音や景色は「美しい」と表現できるが、香りや味はそうはいわない。この辺が五感の微妙なところだ。我々が食うことと生殖することだけのために生きているならば、食うことである味は栄養価や毒素を見分ける即物的なものだ。かたや音や景色は生命や生殖にかかわるものでなく、美しいとは形而上学的な表現だろう。動物には無縁の感覚である。

そう考えると香りは曖昧な所に位置するように思う。フェロモンは生殖に関わるし、一方で栄養価や毒素を見分けるためにも活躍する。犬は視覚より嗅覚が頼りだ。我々が魚だったことは胎内の羊水の中でそこからの進化を猛速度で経過することからわかるが、以下は私見になるが、海中に溶け込んだ化学物質の分子を感知するのが味覚と嗅覚で、光や水分子の振動(波動)を感知するのが視覚と聴覚に進化したようにも思う。

つまり物質的な「味、におい」(グループ①)と波動的な「音、視覚」(グループ②)に大別されるのであって、やはり物質的な触覚を前者に加えると、我々の五感は「食うことと生殖すること」に直接関わる①、それを助けたり身を守ったりするセンサーである②によって成立する。宗教は壮大な教会や寺院、輝く祭壇、仏像やステンドグラス等の視覚にミサ曲、讃美歌、お経などの聴覚を交え②に訴えるが、センサーだけでは訴求力が弱かったのだろう、より本能的な領域である①にもちゃんとお香を焚いたりお神酒を飲ませたりで触れてくる。エロイカを聴くこととパ ホーザを嗅ぐこととはそれと同様に①②の別系統に属するわけで、ストレスを解毒する効能はそれで倍加するのかもしれないと感じた。

自殺はもとよりストレスフルな時間が長引けばホメオスタシスが変調をきたし病気になりやすく、ひいては健康寿命にも影響してくる。音や香りは小さなことのように思われるだろうが、我々が世界や宇宙を知覚したり理解したりできるのは五感の情報収集のおかげであって、宇宙と我々との接点はその五つの感覚しかない。それが日々の喜怒哀楽を生みだしているのであって、その積み重ねが人生というものとなり、死ぬときに良い一生だったかどうかを振り返ることになる。そう思えば、その5分の2である音と香りを自在に支配すれば人生の幸福度を増すことができるだろうし、ガードレールにもなるのではないだろうか。

ここまで書いてきて、逆に、我々人間の認識している人生など随分と一面的なものだということもわかってくる。蝉は寂しい一生を送っているのではないかもしれないということだ。香りひとつがいろいろなことを教えてくれる。

 

エロイカこそ僕の宝である

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ビル・ゲイツの思い出

2015 APR 1 12:12:57 pm by 東 賢太郎

 

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くじら座タウ星という恒星がある。太陽から11.9光年の距離にあり、太陽と似た星である。右の星図の中央下から二番目がそれだ。この恒星にタウ星eという惑星があり、生命の存在する可能性があるとされる。エリダヌス座のイプシロン星という恒星にも同様にその可能性があるとされる。

 

この2つの比較的太陽系に近い星を対象として、1960年に天文学者フランク・ドレイクがアメリカ国立電波天文台の口径26mの電波望遠鏡で始めた地球外知的生命体探査の試みがオズマ計画(Project Ozma)である。これを契機としてSETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence)なる「宇宙人探しプロジェクト」が始まった。電波を受信して発信源を探すだけでなく、アクティブSETIといって地球から電波を発信して未知の生命体との交信を試みることも行われている。

これは政府予算が組まれたが現在は大半を民間の寄付でまかなっていると説明されている。さらに面白いのは、誰でも電波望遠鏡の観測データを自分のPCにダウンロードして分析する無料のプログラムを実行させることでSETI@homeというボランティア・コンピューティングプロジェクトに参加できる試みも行われいることだ。全世界で520万人以上が参加しており、これまでで最大の参加者数の分散コンピューティング・プロジェクトだが、この手法はマイニングといってビット・コインの第三者による保有証明にも応用されておりとても興味深い。

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米国人は地球外知性とのコミュニケーションのために人工言語を作ったり、地球上の自然音、言語、音楽、大統領メッセージを録音した金のレコード(左)をボイジャー探査機に積んだり、2008年2月4日にはNASA50周年記念として北極星へ向けてビートルズの「アクロス・ザ・ユニバース」を発信したりしている。

 

アインシュタインの一般相対性理論を発展させ、ブラックホールの特異点定理を発表した英国の理論物理学者スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士は銀河系に知的文明を持った惑星が200万個は存在するだろうと明言している。1961年にアメリカの天文学者のフランク・ドレイクがドレイクの方程式を示し、地球外文明の数の存在する可能性・確率を具体的に数値で論ずることを可能にし自然科学者らに大きな衝撃を与えた。それを解くと、我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数は10個である。

それに対し、wikipediaによると、我が国において独自のSETIのようなプロジェクトはないようで、ちなみに上述のくじら座タウ星を検索してみると、その星が「ミニスカ宇宙海賊」(笹本祐一のライトノベル)、「ズッコケ宇宙大旅行」(那須 正幹の児童文学)に出てくるぐらいのものだということがわかった。JAXA(宇宙航空研究開発機構)が北極星に向けて何か発信するなら坂本九の「上を向いて歩こう」かなと思うが、それは安倍さんついに気がふれたと格好の週刊誌、政局ネタになるだけだろう。

SETIプロジェクトは大方の日本人にとっては絵空事、夢物語、SF小説もどきというイメージではないか。皆さんが「宇宙人はいま~す」と真顔で言ってご覧になれば、99%の人の失笑を買うかこのヒト大丈夫かいなという眼で見られることに気づかれるだろう。それが日本だ。「宇宙人」はやめて「地球外知的生命体」(同じことだが)と言い直すと99%が70%ぐらいには減るだろうが、それは同感してくれたわけではなくもっともらしい言葉に思考停止しただけだ。

 

そう思っていたので、この記事を読んでさすがに欧米人は違うとうならされた。

地球外知的生命体探査計画に専門家らが警鐘 – AFPBB News

そんな馬鹿なことカネがもったいないからやめとけ、なんてみみっちい話ではない。危ないからやめろといっているのである。相手は獰猛なライオンかもしれないぞ、シマウマが自分で居場所を教えて食われたらどうするんだということだ。送っている電波の先に「誰か」がいることが前提になっている。

こういうことがホーキングのような大物理学者を交えて喧々諤々と議論されてしまうというニュースは、これまた宇宙人ネタとおんなじぐらいなんの波風も立てずに日本人の頭を通り過ぎるだろうが、実にショッキングなことだ。僕はそういうコミュニティの人々と日々世間話をしたいし、それが日本にないなら仕方ないからアメリカに移住したほうが老後は楽しいのかなとまじめに考える。

なぜくじら座タウ星が大事かというと、太陽はあと40-50億年で確実に死を迎えるからだ。地球は膨張した太陽に飲みこまれて跡形もなく消える。これは確実に起こる。だから「ノアの方舟」で人類は他の星に移住しなくては死滅するのである。日本人と欧米人の違いは「科学的かどうか」ではなく、そんな先のことは私は知らない関係ないと思うかどうかだろう。サイエンスというよりも宗教観のように思う。

星々の彼方に彼の御方がおられるはずだ

これは新興宗教の祈祷の文句ではない。ベートーベンの第9交響曲の歌詞の一節だ。これをドイツ人は Über Sternen muß er wohnen.  と歌い、日本人は イューベる シュテるネン ムス エる ヴォーネン と歌っている。このmuß(英語のmust)、「はずだ」というのがいい。日本と西洋の精神構造の決定的な違いを見事に教えてくれている一語だ。

50億年後の子孫の存亡をまじめに考え議論できるから、50億年前の太陽系の起源も137億年前の宇宙の創成も真面目に考えられるのだろうし、その逆も真なりだと思う。それは思考の基盤のようなものだ。物をきちんと考えるためには「基盤」がしっかりしてないと難しい。基盤はテニスコートと一緒で、どっちにも傾いていない、真っ平なものが望ましい。そうでなくては自由な発想、自在な着想、自然な論理の展開は妨げられるからだ。

その記事を読んで、ふと、1997年のダボス会議でビル・ゲイツが「21世紀の人間はどこの国に生まれ、どの大学で学んだかではなく、何を学んだかで生涯年収が決まるだろう」と言ったのを思い出した。もちろん、学ぶべきはITだという結論だ。「生きがい」とか「人生」とかアバウトな言葉を使わずにズバリ「生涯年収」というところがいいなと別なところに感心したこともふくめ、彼の淡々とした口調と物静かな物腰と合わせて、強い印象として残っている。

当時僕はそれをマイクロソフト社CEOの我田引水の議論と思って聞いていたように思う。企業経営者はそういうものだと偏見があったからだ。それこそ、僕が本稿で「頭の中のテニスコートが平らでなかった」という表現に置き換えていることだ。しかし、素直に客観的に、ビル・ゲイツがあのときに打ってきたボールをながめると、彼は18年前に今日の社会を正確に予見していたということだったと気づく。

彼の方は平らなテニスコートを頭の中に持っていたのだろう。それを使って彼の立場で見聞きする事物というボールの軌跡をじっと観察し、ああいう発言をした。そういうマインドの人でなければ、つまり単なる金儲けと欲得に目がくらんでいる人だったならば、あれだけの会社は創れていなかっただろう。

おそらく、僕を含めてほとんどのダボス会議参加者はゲイツの真意を見抜けなかったか、見抜いても心から信用はしていなかったように思う。そんな馬鹿なと思われるだろうが、1997年というと携帯電話がまだ珍しく、同じダボス会議の場でインテルの初代CEOアンドリュー・グローブが演壇でそれを取り出してストックホルムの支店長を不意打ちで呼び出して話をして見せ、満場からオーという感嘆の声が上がった時代だ。同年に初めて携帯電話と称したものがNTTから発売されたが、その重量は900gだった。グローブがかけたのも小型の箱のような不細工ででっかい物だった。

未来を予見し、社員にそれを語って納得させるのは経営者の最大の仕事だ。しかし、来年の話をしても鬼が笑うと教育されてしまう日本人は5年以上先の話はまじめに取り合わないし、10年以上になると宇宙人を信じます程度の話にしか聞かない。これは個人にも社会にも大きな損失であるし、政府の大本営発表にだまされやすい国民性をつくる。宇宙人がいるかいないかぐらいはきっと誰もが興味を持てる話だろう。ホーキングの本を読み、それを真に受けるのではなく批判精神を持って自分で考えてみるのはけっこう楽しい。

「宇宙への秘密の鍵」(ルーシー&スティーヴン・ホーキング)が小学生向けで誰でもわかる。

(こちらへどうぞ)

クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-

天文学は清涼剤

ハワイ島 標高4200mの天文台にて

 

 

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「信用資本主義」を宣言する!

2014 MAY 6 0:00:30 am by 東 賢太郎

今日、プラネットダイナソーなる恐竜の番組を見ていて思いました。恐竜がなぜ滅んだか?です。

大きいことがいいことだ、ではない。これは生物進化の常識です。捕食者として大きく強く進化するより環境適応した方が生きのびる確率は高い。だから哺乳類が強くなった。これは知っていました。しかし番組によると恐竜は、恐竜という種の中でちゃんとそれをやっています。歯の形を変えたり、肉食を草食に変えたり、小型種になって木に登ったり空を飛んだり。ちゃんと適応種が出ています。それなのに絶滅したわけです。

ということは、生物進化の常識があてはまらない事件がおこってそうなったのではないか?それは一応科学的に証明されたと言われていて、メキシコのユカタン半島に巨大な隕石が落ち、気候が急変したことがその「事件」となっています。それを見た者はないわけだから証拠を得て証明しなくてはなりません。犯罪捜査に似ていますね。殺人事件現場をしらみつぶしに調べて、煙草の吸殻や髪の毛から犯人を指摘するシャーロック・ホームズみたいな努力が必要です。

あいつがくさいぞ、あいつが犯人にちがいないという予見で捜査しておいて、理屈に合わない証拠が出てくるとストーリーに合うように加工ねつ造してしまうというのは、犯罪捜査においてはそれも犯罪、科学調査においては科学者資格はく奪に値する神の冒涜行為と僕は思います。ホームズのような推理小説の世界においては、証拠がそこまで科学的意味で自明に犯人を指し示すのは「オランダ靴の謎」など少数しかありません。だから犯人の自白や自殺で帳尻を合わせるなどがっかりのケースが多いのですが、事実を証明する現場が小説より奇ではいけませんね。

恐竜を殺した犯人は自白はしてくれません。だから証拠が自明に、ロジックの完璧さをもって語らないといけません。隕石説はそうでないとエセ科学にも聞こえてしまう。いろいろ調べていたら松井 孝典博士のサイトにあたりました。これを見て下さい。

http://youtu.be/8N17Rms7pZk

http://youtu.be/ZpcUsI-6IgI

http://youtu.be/wsYqNWUAKVw

「6550年前に直径10-20kmの隕石が秒速20-30kmでユカタン半島に衝突して瞬時に直径100km、深さ30kmのクレーターを作り、高さ300mの津波がおこり硫黄酸化物が作る雲が太陽光を遮った」という隕石という犯人と犯行方法が指摘されていますね。地球生成時にあったイリジウムという重い元素はあるメカニズムによって全部地殻に沈んでいるのにこの6550万年前の地層にだけ見つかる、その総量から隕石の大きさが逆算できて衝突インパクトが計算できるなど、犯人指摘のプロセスはエラリー・クイーンのミステリーなみにわくわくします。

ところでいま、世界経済は物質的経済成長の持続が期待できなくなる時代、何度も書きますが「200年続いた産業革命期の終焉」にさしかかっています。氷河期が襲って成長という地球上の食物が少なくなるようなものです。その環境変化の大きさは恐竜を絶滅させた気候変化に匹敵します。だから大きい動物が生態系の頂点にある時代は終わります。大型草食獣の代表だった中国がだんだん食えなくなって肉食化し、肉食獣の王者だった米国はだんだん衰弱しています。そして両国ともいずれ大きさという壁に当たります。恐竜の後に恐竜はもう出なかったのです。小型獣ながら適応力抜群である日本は、6550万年前の哺乳類の位置にいます。地球を制覇したのは、小さかった我々哺乳類だったのです。

その日本。東北大震災では若者たちが避難警報を無視して命がけで流されたお年寄りを救う画像が流れました。それを見た韓国では信じられないという書き込みがあふれました。韓国船の船長をあげつらう気も擁護する気もありません。むしろああいう若者がそこかしこにいる日本のほうが世界では希少なのです。落した大金が手つかずで戻ってくる世界唯一の国です。あるおばあちゃんが日立の株を買ってくれたことがあります。「来年はあんまり業績は良くないですよ」と申し上げると、「いいえ、下がってもいいんですよ。孫が日立にはいったもんですからね。」 胸にじーんときました。こういう投資家がいることを経済学の教科書は想定していません。

韓国人や米国人が驚くような日本文化。それは風呂敷に象徴されるように江戸時代までもっと適応力がありました。ところが薩長の明治政府が天皇の権威を支配して富国強兵という大目標をたて、それにむけて突っ走ることで環境適応力を自らどんどん失いました。風呂敷文化がカバン文化になってしまったのです。敵の戦力の値踏みすらできなくなったその挙句が第2次大戦敗戦です。そして敗戦国の屈辱のなか、廃仏毀釈どころか自虐にすら走るという信じ難い国ができあがりました。こういう国も、世界史の教科書にはのっていません。

国家の仕事、国家しかやりえないことは外交と防衛です。これを安倍政権が懸命にするのは本来の仕事として当然のことでしょう。それ以外の仕事を国は減らして地方政府に任せればいい。財政収支を自活させるには江戸時代まであった「藩札」を復活させればいいのです。ギリシャが財政破たんしたのは、国力が落ちれば為替レートがちゃんと下がって観光客が増え、税収を増やしてくれるドラクマという自国通貨を放棄してユーロに参加するという安易な道を選んだからです。日本の県も円という統一通貨で財政を行うから同じことになっているという見方をしてみたらどうでしょう。

国民の側も、なんでもかんでも国にやってもらおうというのはまちがい。地方は地方でやり方次第でいくらでも国際化の道は開けます。日本ほど観光、歴史、温泉、グルメなど外人が興味を持つ資源を地方がどこでも潤沢に持っている国はそうはありません。東京にそれを宣伝してもらうのでなく、東京よりもグローバルな方法を自分であみだせばいい。僕はいくらでもそういうプランを描けます。というのは、第3の矢の経済成長は本来国家にはできないことなのです。たとえば少子化担当大臣というのがいます。この人はいったい何をするんでしょう?お見合いや合コンや強精ドリンクの手配でもするんだろうか。問題意識を持っているのはいいことだが、そんなことを国が目標に掲げて成果が出ると本気で思っているんでしょうか。

大なり小なり、第3の矢はこれと同じく滑稽のにおいがするのです。それは若者の結婚や子づくりと同じことで、企業がビジネスとして自分でその気にならないのならいくら日銀が金利を下げても誰も借りないのと一緒です。役所が机の上で考えたビジネスプランに命の次に大事なお金を出資しようなどという企業家はあまりいないでしょう。一番効果があるのは、法人税率を下げ、政府が民間に道を開いて規制緩和をすることなのです。そうして企業が収益を自力であげる機会を増やし、そこで働く夫婦がもうひとり子供がいてもいいと思うようにしてあげれば一石二鳥なのです。それが政府にとっても良い結果になる。なぜなら、日本が持ち前の環境適応力を最大に発揮し、新しい世界環境で生き残る道が開けることにもなるからです。

そこで企業が採る道として僕は「信用資本主義」ということばを提唱します。これが東北大震災という試練をのりこえ、人の「絆」というものの大切さを世界の誰よりも知った日本の財産です。犠牲になられた多くの尊い命のまえで、それを国のため、次の世代のために大事に生かしていくことを誓うことこそ我々のすべきことです。「信用」とは人と人が信頼でつながることで、もっと良いものを生み出す力を何よりも秘めています。信用ができないから契約するのです。契約したから義務としてするのではなく、信用され、信用したから真心をもってする。絆とは心と心のつながりです。だから契約より強いのです。これは古来日本人の持つ社会観、道徳観であり、これを自然にできるのは世界で日本人だけです。オンリーワンの国が負けるはずがありません。信用を根っこにして積み上げていく資本主義を僕は自分のビジネスとして、言うだけではなく有言実行したいと思います。

 

頑張らない人が報われる社会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポーツを科学の目で見る (野球編)

2014 FEB 3 17:17:53 pm by 東 賢太郎

科学もスポーツも好きである。オリンピックにはないが僕が実感できるスポーツは野球だけだ。そこで、しばらく野球と科学というテーマに焼きなおして考えているが、どうもなかなか結びつかない。

野球でいうと、足の速さ、投球の球速と回転の良さ、コントロール、ミートのうまさ、打球の飛距離、走塁の判断、フライ捕球の憶測、守備範囲あたりは天性のもので練習以前に結果は決まっているという感じがする。身体能力といえばそれまでだがサッカーやバレーとは必要なものがやや違うようだ。

捕手の配球や監督のゲームプランに科学があるかどうかは知らない。捕手の人はきっとあるのだろう。経験がなく考えたことがないが、プロのように同じ相手と何度もやるなら確率という考え方は意味があるだろう。だが行き当たりばったりの高校野球だから恥ずかしながら動物的かつアバウトな感性だけで投げていた。それは「指先」だけの感性だった。直球とカーブだけでそれではうまくなるはずなかった。

打たれると頭に血がのぼって思考停止した。相手が格下で自分の投げる球がまさっていれば配球は気を使わなくてもよかった。そういうのは打者の構えた雰囲気でなんとなくわかる。いい時はもうどこへ投げても打たれない感じで頭はからっぽだった。だからいずれにしても科学のかけらもない。

逆に塁に出るとベーラン(ベースランニングのこと)にも走塁判断にも自信がないものだからあれこれ考えてよく失敗した。なぜか相手の内野手がみんなデカく見えた。要は自信のないことは万事うまくいかないようだ。

「脳には妙なクセがある」 (池谷裕二、扶桑社新書)に面白いことが書いてあって勝負事で赤い服を着ると勝つ確率が統計的に上がるらしい。これは科学かもしれない。オリンピックのレスリングなんか今度は真っ赤なコスチュームに怖いライオンの顔なんかいいんじゃないか。しかし赤ヘルのカープが優勝しないことにはにわかに信じがたいが。

 

オリンピックへの道 (1964年にできたもの)

2013 NOV 7 23:23:58 pm by 東 賢太郎

1964年の東京オリンピックに向けてできたもの

国立競技場、日本武道館、東海道新幹線、東京モノレール、羽田空港のターミナルビル増築・滑走路拡張、首都高速道路、名神高速道路、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル

だそうだ。いや、それだけじゃないだろう。僕ら子供に初めて生の世界を感じさせてくれたことだ。TVで見る選手だけではない、東京には外人がおおぜい来た。大げさかもしれないが僕の中に「世界という感覚」の種みたいなものができたのはまさにあの時だ。

生まれて初めて会った外国人は、成城学園初等科の、おそらくかなり低学年の時に来た韓国の劇団だ。それはプロではなく、たぶん中学生ぐらいのお姉ちゃんたちだった。なにか歌ったり踊ったりしたのを物珍しげに鑑賞した記憶がおぼろげにある。あれは何だったのだろう?韓国人と思っているのは彼女たちが着ていた衣装がたぶんチョゴリだったろうと今になって思うからだ。その程度の記憶なのだが、ひとつだけ強烈に覚えていることがある。日本語が通じなかったことだ。

その記憶と1964年はきっとそんなに遠くはない。アメリカ、ソ連、イギリス、オランダ、エチオピア云々と聞くにつけ、そうか日本語が通じない人たちがそんなにいるのかと妙な感心をしたものだ。中でもベラ・チャスラフスカは子供ながらにきれいだと思っており、チェコスロバキアという国名とともに発音しにくい名前が頭に焼きついた。はるか後、共産時代末期のプラハに初めて行ったが、空港で頭をよぎった単語はドボルザークでもスメタナでもなく、チャスラフスカだった。

オリンピックが過ぎ去って僕が夢中になったのは今度はベンチャーズであり、そこから関心は西洋音楽へ行ってしまうのだから、ずいぶん和の心のないガキであった。それが長じて、会社へ入って16年海外で仕事するようになったのは偶然なのだろうが、そうではないのかもしれないとも思う。あらかじめ人生がそうなるようにセットされていたのではないか?という感じもするのである。

というのは、たまたまいま読んでいるジェイムズ・ヒルマンの「魂のコード」(こころのとびらをひらく)という本があって、これにそういうことが書いてあるからだ。ヒルマンは元型的心理学の祖といわれるアメリカの心理学者だ。「あなたの人生は心理学者が言うように遺伝子とトラウマが作るのではなく、あなたの守護霊が生前に選んだものだ」と主張する。際物にきこえるが、学術書ではないもののれっきとした知的な書物だ。これはプラトンに発した考えで東洋の運命論に近く、西洋人でこう考える人がいるという意味でもとても興味深く、ご一読をお薦めしたい(河出書房新社)。それを一言で表すと、

「私は発達などしない。私は私である。」(パブロ・ピカソ)

ということだ。

1964年から、自分はれっきとした自分だったように思う。そしてオリンピックがそれを現す触媒になった。2020年、おもてなしのオリンピックは今度は誰のどんな触媒になるのか、とても興味がある。

 

あなたは完全に愛されている

 

 

 

 

脳内アルゴリズムを盗め

2013 OCT 17 13:13:55 pm by 東 賢太郎

ビッグデータについて書いた。データは個々には数値だ。何も意味しない。集合になって意味を持つ(かもしれない)。「経験」と我々が名づけているものは、個々の体験ではない。そこから拾い出した知恵のことをいう。体験のビッグデータから脳のアルゴリズムが抽出した法則が経験である。抽出は意志の力がするとは限らないし、僕の場合はそうでないことの方が圧倒的に多い。むしろ脳内現象に近い。だからアルゴリズムとあえていう。

僕は暇なとき任意のテーマでWikiサーフィンをする。あえて興味のないテーマを選ぶ。書かれていることが真実とすればだが、少し賢くなった気はする。しかしそこには書いていないことがある。経験だ。ゴッホの絵について画像でもうんちくでもいくらでも知識を得ることはできるが、本物を見た感動という経験はそこからは絶対に得られない。経験は個性ある判断の源である。Wikiを何百万も諳(そら)んじればクイズ王にはなれるだろうが、クイズ王が大発明家や大作曲家になるわけではない。

モーツァルトは異常な記憶力があった。クイズがあれば王者だったに違いない。彼の脳には聴いた音符がすべて集積したと信じるしか説明のつかない逸話がいくつもある。印刷術が未成熟で著作権もない時代、注文に応じてその断片を即時に書きとって売ることだってできた。しかし彼の書いた626の音楽はどれもそれではなく彼の音楽だ。10歳のものから36歳のものまで、そうであることが一貫している。しかもそのクオリティも、おおよそだが、一貫している。

その事実から導かれる結論はこうだ。彼の脳の音楽メモリー容量は人類史上図抜けていたが、ビルトインされたビッグデータ解析アルゴリズムは10歳のころからもっと図抜けていたということだ。後世が「天才」と呼ぶのは後者のほうだ。それをコンピューターがする時代がやがてやってくるのが次世代産業革命だと前回書いた。それが革命でないなら、革命という言葉は牛丼屋の値下げにしか使われない死語と化すだろう。将棋やチェスはプレーヤーの知恵比べではなく、プレーするコンピューターのプログラマーの知恵比べになる予兆はもう既にある。「2001年宇宙の旅」が描いた恐怖の到来が少なくとも12年は遅れたことをエンジニアの卵たちは幸いと思っているだろうか。

僕はWikiサーフィンより本屋にいるのが好きだ。行くと2-3時間は平気でいる。4-5冊は買うがその10倍は立ち読み速読もする。これが脳内のデータ集積物を一気にアップデートする簡易な方法である。図書館ではない。売れない本も置いてあるからだ。何が売れているかもデータだ。どういう装丁かもそうだ。商品製作者の思考が入っているからだ。本屋になりたいわけではない。個々には役に立たないかもしれないが、僕の脳内アルゴリズムが明日それらをどう活かすかは僕自身にもわからないからだ。

本を読むということは思考停止するに等しいとショーペンハウエルは看破した。他人に感じてもらったり考えてもらうということだから、読書はWikiと一緒で我々を賢くも経験豊かにもしない。子どもの頃、本を読まないと馬鹿になるぞと脅かされたが、たくさん読んだだけで利口になるとも限らない。読書の最大の美点は、そうではなくて、他人のすぐれたアルゴリズムを盗むことができることにあると僕は思っている。

たとえば専門家でない者にとって数学とは数学者の脳内アルゴリズムを複製するトレーニングだと思う。たかだか受験数学の話だし、文系の分際で理系の方には僭越をお許しいただきたいが、微分積分にはあれ以来二度と出会っていないのに微積で問題を解いた回路だけは頭に残っている。水が枯れた水路だ。その水路のおかげで、数学とは無縁な問題の水もそこにきれいに流れて解決できたことが僕には何度もある。読書はそれと同じで著者の思考回路のコピーを自分の脳内に複製するという意味においては非常に強力な効能がある。賢くなるとしたらそういう意味においてだ。

本を読むということが思考停止なら、ノウハウ本をショーペンハウエルは何と呼んだだろうと考えると微笑ましい。「これ1冊で・・・」「ネコでもわかる・・・」のたぐいだ。あなたの知能はネコなみですがとまず著者に指摘されて、それに金を払おうという気になる人は日本にしかいないだろう。そもそもネコでもわかるノウハウを知って何の役に立つんだろう。それが売れるならネコだって「ヒトでもできるネズミの捕り方」でも売るだろう。ネコでもだまされない本というのが彼の答えかもしれない。

(こちらへどうぞ)

ショーペンハウエルの人生論

男の脳と女の脳

 

 

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