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カテゴリー: ______科学書

スポーツを科学の目で見る (野球編)

2014 FEB 3 17:17:53 pm by 東 賢太郎

科学もスポーツも好きである。オリンピックにはないが僕が実感できるスポーツは野球だけだ。そこで、しばらく野球と科学というテーマに焼きなおして考えているが、どうもなかなか結びつかない。

野球でいうと、足の速さ、投球の球速と回転の良さ、コントロール、ミートのうまさ、打球の飛距離、走塁の判断、フライ捕球の憶測、守備範囲あたりは天性のもので練習以前に結果は決まっているという感じがする。身体能力といえばそれまでだがサッカーやバレーとは必要なものがやや違うようだ。

捕手の配球や監督のゲームプランに科学があるかどうかは知らない。捕手の人はきっとあるのだろう。経験がなく考えたことがないが、プロのように同じ相手と何度もやるなら確率という考え方は意味があるだろう。だが行き当たりばったりの高校野球だから恥ずかしながら動物的かつアバウトな感性だけで投げていた。それは「指先」だけの感性だった。直球とカーブだけでそれではうまくなるはずなかった。

打たれると頭に血がのぼって思考停止した。相手が格下で自分の投げる球がまさっていれば配球は気を使わなくてもよかった。そういうのは打者の構えた雰囲気でなんとなくわかる。いい時はもうどこへ投げても打たれない感じで頭はからっぽだった。だからいずれにしても科学のかけらもない。

逆に塁に出るとベーラン(ベースランニングのこと)にも走塁判断にも自信がないものだからあれこれ考えてよく失敗した。なぜか相手の内野手がみんなデカく見えた。要は自信のないことは万事うまくいかないようだ。

「脳には妙なクセがある」 (池谷裕二、扶桑社新書)に面白いことが書いてあって勝負事で赤い服を着ると勝つ確率が統計的に上がるらしい。これは科学かもしれない。オリンピックのレスリングなんか今度は真っ赤なコスチュームに怖いライオンの顔なんかいいんじゃないか。しかし赤ヘルのカープが優勝しないことにはにわかに信じがたいが。

 

オリンピックへの道 (1964年にできたもの)

2013 NOV 7 23:23:58 pm by 東 賢太郎

1964年の東京オリンピックに向けてできたもの

国立競技場、日本武道館、東海道新幹線、東京モノレール、羽田空港のターミナルビル増築・滑走路拡張、首都高速道路、名神高速道路、ホテルニューオータニ、東京プリンスホテル

だそうだ。いや、それだけじゃないだろう。僕ら子供に初めて生の世界を感じさせてくれたことだ。TVで見る選手だけではない、東京には外人がおおぜい来た。大げさかもしれないが僕の中に「世界という感覚」の種みたいなものができたのはまさにあの時だ。

生まれて初めて会った外国人は、成城学園初等科の、おそらくかなり低学年の時に来た韓国の劇団だ。それはプロではなく、たぶん中学生ぐらいのお姉ちゃんたちだった。なにか歌ったり踊ったりしたのを物珍しげに鑑賞した記憶がおぼろげにある。あれは何だったのだろう?韓国人と思っているのは彼女たちが着ていた衣装がたぶんチョゴリだったろうと今になって思うからだ。その程度の記憶なのだが、ひとつだけ強烈に覚えていることがある。日本語が通じなかったことだ。

その記憶と1964年はきっとそんなに遠くはない。アメリカ、ソ連、イギリス、オランダ、エチオピア云々と聞くにつけ、そうか日本語が通じない人たちがそんなにいるのかと妙な感心をしたものだ。中でもベラ・チャスラフスカは子供ながらにきれいだと思っており、チェコスロバキアという国名とともに発音しにくい名前が頭に焼きついた。はるか後、共産時代末期のプラハに初めて行ったが、空港で頭をよぎった単語はドボルザークでもスメタナでもなく、チャスラフスカだった。

オリンピックが過ぎ去って僕が夢中になったのは今度はベンチャーズであり、そこから関心は西洋音楽へ行ってしまうのだから、ずいぶん和の心のないガキであった。それが長じて、会社へ入って16年海外で仕事するようになったのは偶然なのだろうが、そうではないのかもしれないとも思う。あらかじめ人生がそうなるようにセットされていたのではないか?という感じもするのである。

というのは、たまたまいま読んでいるジェイムズ・ヒルマンの「魂のコード」(こころのとびらをひらく)という本があって、これにそういうことが書いてあるからだ。ヒルマンは元型的心理学の祖といわれるアメリカの心理学者だ。「あなたの人生は心理学者が言うように遺伝子とトラウマが作るのではなく、あなたの守護霊が生前に選んだものだ」と主張する。際物にきこえるが、学術書ではないもののれっきとした知的な書物だ。これはプラトンに発した考えで東洋の運命論に近く、西洋人でこう考える人がいるという意味でもとても興味深く、ご一読をお薦めしたい(河出書房新社)。それを一言で表すと、

「私は発達などしない。私は私である。」(パブロ・ピカソ)

ということだ。

1964年から、自分はれっきとした自分だったように思う。そしてオリンピックがそれを現す触媒になった。2020年、おもてなしのオリンピックは今度は誰のどんな触媒になるのか、とても興味がある。

 

あなたは完全に愛されている

 

 

 

 

脳内アルゴリズムを盗め

2013 OCT 17 13:13:55 pm by 東 賢太郎

ビッグデータについて書いた。データは個々には数値だ。何も意味しない。集合になって意味を持つ(かもしれない)。「経験」と我々が名づけているものは、個々の体験ではない。そこから拾い出した知恵のことをいう。体験のビッグデータから脳のアルゴリズムが抽出した法則が経験である。抽出は意志の力がするとは限らないし、僕の場合はそうでないことの方が圧倒的に多い。むしろ脳内現象に近い。だからアルゴリズムとあえていう。

僕は暇なとき任意のテーマでWikiサーフィンをする。あえて興味のないテーマを選ぶ。書かれていることが真実とすればだが、少し賢くなった気はする。しかしそこには書いていないことがある。経験だ。ゴッホの絵について画像でもうんちくでもいくらでも知識を得ることはできるが、本物を見た感動という経験はそこからは絶対に得られない。経験は個性ある判断の源である。Wikiを何百万も諳(そら)んじればクイズ王にはなれるだろうが、クイズ王が大発明家や大作曲家になるわけではない。

モーツァルトは異常な記憶力があった。クイズがあれば王者だったに違いない。彼の脳には聴いた音符がすべて集積したと信じるしか説明のつかない逸話がいくつもある。印刷術が未成熟で著作権もない時代、注文に応じてその断片を即時に書きとって売ることだってできた。しかし彼の書いた626の音楽はどれもそれではなく彼の音楽だ。10歳のものから36歳のものまで、そうであることが一貫している。しかもそのクオリティも、おおよそだが、一貫している。

その事実から導かれる結論はこうだ。彼の脳の音楽メモリー容量は人類史上図抜けていたが、ビルトインされたビッグデータ解析アルゴリズムは10歳のころからもっと図抜けていたということだ。後世が「天才」と呼ぶのは後者のほうだ。それをコンピューターがする時代がやがてやってくるのが次世代産業革命だと前回書いた。それが革命でないなら、革命という言葉は牛丼屋の値下げにしか使われない死語と化すだろう。将棋やチェスはプレーヤーの知恵比べではなく、プレーするコンピューターのプログラマーの知恵比べになる予兆はもう既にある。「2001年宇宙の旅」が描いた恐怖の到来が少なくとも12年は遅れたことをエンジニアの卵たちは幸いと思っているだろうか。

僕はWikiサーフィンより本屋にいるのが好きだ。行くと2-3時間は平気でいる。4-5冊は買うがその10倍は立ち読み速読もする。これが脳内のデータ集積物を一気にアップデートする簡易な方法である。図書館ではない。売れない本も置いてあるからだ。何が売れているかもデータだ。どういう装丁かもそうだ。商品製作者の思考が入っているからだ。本屋になりたいわけではない。個々には役に立たないかもしれないが、僕の脳内アルゴリズムが明日それらをどう活かすかは僕自身にもわからないからだ。

本を読むということは思考停止するに等しいとショーペンハウエルは看破した。他人に感じてもらったり考えてもらうということだから、読書はWikiと一緒で我々を賢くも経験豊かにもしない。子どもの頃、本を読まないと馬鹿になるぞと脅かされたが、たくさん読んだだけで利口になるとも限らない。読書の最大の美点は、そうではなくて、他人のすぐれたアルゴリズムを盗むことができることにあると僕は思っている。

たとえば専門家でない者にとって数学とは数学者の脳内アルゴリズムを複製するトレーニングだと思う。たかだか受験数学の話だし、文系の分際で理系の方には僭越をお許しいただきたいが、微分積分にはあれ以来二度と出会っていないのに微積で問題を解いた回路だけは頭に残っている。水が枯れた水路だ。その水路のおかげで、数学とは無縁な問題の水もそこにきれいに流れて解決できたことが僕には何度もある。読書はそれと同じで著者の思考回路のコピーを自分の脳内に複製するという意味においては非常に強力な効能がある。賢くなるとしたらそういう意味においてだ。

本を読むということが思考停止なら、ノウハウ本をショーペンハウエルは何と呼んだだろうと考えると微笑ましい。「これ1冊で・・・」「ネコでもわかる・・・」のたぐいだ。あなたの知能はネコなみですがとまず著者に指摘されて、それに金を払おうという気になる人は日本にしかいないだろう。そもそもネコでもわかるノウハウを知って何の役に立つんだろう。それが売れるならネコだって「ヒトでもできるネズミの捕り方」でも売るだろう。ネコでもだまされない本というのが彼の答えかもしれない。

(こちらへどうぞ)

ショーペンハウエルの人生論

男の脳と女の脳

 

 

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