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カテゴリー: ______演奏家について

アルゲリッチのラフマニノフ3番

2019 JUN 4 2:02:06 am by 東 賢太郎

5月末の稿にアルゲリッチのチャイコフスキーを書いたが、実はそれには続きがある。ただ、本稿は「思いこみ」というものが怖いもので、ときに理性を曲げてしまうことについて書いている。

アルゲリッチのラフマニノフ3番についてだが、彼女は2番はひかず3番も知る限りこれしか録音がない。だからコンチェルトとしては唯一のものになるが、たぶんそうだという理由から、それをきくために買ったのが左のCDだ。今回のブログのためにチャイコフスキーのついでにラフマニノフもきいたのだが、これが大変にききもので驚いた。

自分の書いたもの(http://ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ニ短調作品30)にこの演奏への言及はない。聴きおぼえていてそれというのはちょっと考えづらい。買ったのは2004年6月で、野村をやめてみずほに移籍してすぐ(1か月後)だから音楽どころではなかったのだろうが、もうひとつ思い浮かぶことがあって、チャイコフスキーMov3のミスタッチのことなのだ。そのショックでアルゲリッチが何となく苦手になって来ていて、このCDもそのバイアスで聴いていた可能性が高い。

以前書いたが完全主義というのは困ったものである。もともとショパン1番、ラヴェル、プロコフィエフ3番のレコードでアルゲリッチにハマっていたのが、一つのミスで吹っ飛んだ。ミスをしたからではなく、それを気にせず発売にOKしたことに我慢がならなかったわけで、「この人はそういう人だ」という烙印が押されてしまった。そうなると以後は烙印が判断することになってしまい、それでこのラフマニノフ3番は不合格になったのだと思う。3番にも少々のミスタッチはある。それでも彼女はOKした。それがどうした。ここが重要なのだが、これ以上の演奏はもう自分にはできないと3番を弾くのをやめてしまったそうだ。なんということだ!「この人はそういう人だった」のである。

不覚を恥じなくてはいけない。1982年のこの演奏にはビデオも残っていて、41才のアルゲリッチの手指と表情が見てとれる。この2年後にニューヨークのカーネギーホールで彼女のプロコフィエフ3番を聴いたが、不世出のピアニストの全盛期に出会えたのはひとつの「事件」だった。あれはもう35年も前のことなのか。

何故だろう、最近ラフマニノフ3番がますます好きになってきていて、Mov2の出だしのオケをピアノで弾くのは無上の喜びだ。この演奏、29才のリッカルド・シャイーがこちらも乗っていたころで、その部分、遅めのテンポで良く感じていて歌がききものだ。オーケストラもピアノの熱気に巻き込まれて一期一会の快演を成し遂げている。目のまえでこんなピアノを弾かれたら抵抗なんかしようがないだろう。

このピアノ、ただうまいというのではない、3番をうまくやる人は多く出てきたが、アルゲリッチのはただ事ではない。速くて錯綜したパッセージを何事もなく粒がそろったレガートで解きほぐす目にもとまらぬ運指、それも丸い指だったり立てて鍵盤を引っ掻いたりタッチは百変化、重い和音ごと旋律を弾くラフマニノフ特有の書法での信じられないほどの深く強靭な打鍵とそれなのに流麗にきこえる歌、静かな部分での秋空の様に清澄でクリアなフレージング、体が揺れるほどエモーショナルな緩急と音量の波、どれをとっても凄まじいのひとことでそこいらへんのテクニシャンとは完全にモノが違う。こう書いては元も子もないが、野球をしていてどうしようもないと思った球速と飛距離、ああいうものは猛練習でどうこうなるものではないが、これもまぎれもなく天性のものだろう。

それに加えてビデオだと実に面白いものが見られる。Mov3のクライマックスにピアノとオケが歌い上げるところ、楔を打ち込むような和音の強打でオーケストラを鞭打ち、いっしょに和音を重ねて登っていって「絶頂」に至って歌は揺れながら斜面を転がり落ちるが、その直前にアルゲリッチがシャイーをきっと睨みつけ、「いいわね」という感じでテンポを少しだけアップする。しばし手元を見つめるが、また要所要所で鋭い視線でシャイーが歌おうとテンポを落とす誘惑を断ち切る。やや怖い顔だが、最後に一瞬だけ微笑んだように見える。いやはや、ものすごいテンションであり、個人的にはこういう女性は恐ろしくて近寄れない。

天性のものとは性格にまでと感じてしまう。しかし彼女を月並みに天才だどうだと言っても仕方ない、奔放な男遍歴と同様こういうことは男にはできない、やれば指揮者と喧嘩になるだけだという正直な印象を書かせていただいた方がよほどしっくりくるという見解をお許し頂くしかない。コーダに至ると目線はずっとシャイーであって、指揮者を指揮してしまっているのだからピアノも男も変わらぬしもべの猛女だ。それでなんら彼女を貶めることにはならないと思う、だってそうでもなければ、普通の草食系の女性では、こんな演奏は逆立ちしてもできません、天才とはそういうことも包含してともあれやって結果を出してしまった者への贈り名にすぎない。

最高の快感が得られるこの演奏をもう何度聴いただろう。ラフマニノフ3番の演奏史に冠たるものとして、この流儀ではまず凌駕されることのない奇跡的な記録だ。本人がこの録音を一期一会の生涯ベストと考えたのもわかる。

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アルゲリッチのチャイコフスキー1番

2019 MAY 28 23:23:18 pm by 東 賢太郎

週末のこと、東京ドームの帰りに久しぶりにレコード屋をのぞいたら店内にチャイコフスキーの1番のコンチェルトが流れてました。しばらくCD棚に目を凝らしつつ、ふだんはそんなことないのですがところどころでBGMのその演奏に耳が行ってしまうことに気づきました。

「なんだ、すごいなこれ、誰のだ?」

マルタ・アルゲリッチでした。

アルゲリッチ盤LP

1980年のライブ録音で、なんのことない、家にあります。帰宅してレコード棚から引っぱりだすと、ごらんのとおりマジックで5.99(ポンド)とでっかく書いてあり85年頃ロンドンで買ったものです。LPがCDに切り替わる時期でした。在庫処分のショップがトッテナムコートにあり毎週末に入り浸ってたのが懐かしい。当時の為替で1500円だから安くないですがレギュラー盤は倍しましたからレコード収集は結構カネのかかる道楽でした。

この演奏は今やアルゲリッチが売りになってますが、写真でごらんのように、オランダPhilipsはキリル・コンドラシンの追悼盤として売り出したのです。同社はコンドラシンの最晩年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管との演奏をリリースしてますが、そのほうが売れる時代だったのですね。ラフマニノフ2番を覚えたアシュケナージ盤の指揮がコンドラシンで見事なものだったから僕もそれに惹かれた部分はありました。

ということで、帰宅してワクワクしてターンテーブルに乗せたのを覚えてます。タンノイのスピーカーでした。ところが悲しい結末が待っていて、3楽章あたまのミスタッチでびっくりしてしまった。ライブですからこんなのでガタガタ言われたら演奏家はかなわないという程度なのですが、こういうのをまあいいかとはいかない性格で、以来このレコードは我が家ではお蔵入りになりました。あれから34年たったんですね、家でかけてみたら、これがいいではないですか。初めてじっくりと聴きました。アルゲリッチもコンドラシンも素晴らしい。こういうのを英国の評論家ならelectrifyingと形容するかなと思いますね。電気が流れてしびれるようなですね。

そしてやっぱり、曲に行ってしまうのです。第1楽章。誰しもご存知の序奏の華麗なテーマはもうどこにも出てこないのですが、終楽章をしめくくるテーマはそれと親近感があって故郷に帰った気分になる。同じことを彼は悲愴交響曲でやっています。それに続いてテーマが3つ出てきますが、下のアルゲリッチ盤のビデオで1つ目は4分8秒からです。2つ目(5分44秒)と3つ目(6分28秒)が、もうどうしてなんだというほどいいのですね、3つ目が弦でひっそりと出てくるところなんか最高です。その3つがくんずほぐれつでprogressiveにdevelopする展開部(9分12秒~)はチャイコフスキーの天才と狂気を最も感じるところです。ティンパニのロールの強打(11分18秒)から、なんと新しい4つ目の小テーマが出ますが、これがピアノとオケの掛け合いで高揚していく部分の少し精神が「飛んだ」あぶない感じ!第4交響曲の第1楽章にもそういう部分があるんです。どちらもあぶない結婚をして自殺未遂とぐらいついた前後の作品なのです。

お蔵入り解除です。ミスタッチはもう心構えができてるからOKとなったのか、それとも清濁併せ飲める人間に進化したのか、自分でもどっちかわかりませんがこれだけの演奏を捨て置いて生きてきたのは実にもったいない。

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リヒテル/マゼールのブラームス2番について

2019 MAY 11 18:18:47 pm by 東 賢太郎

先日にご著書「物語として読む全訳論語」を送っていただいた弘前大学の山田教授から、

このところリヒテルのBOXを順に聴いてゐるのですが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番に至り、「さういへば東氏がお好きだと仰つてたな」とおもひだしてブログを拝見すると、リヒテル/マゼール盤には言及してをられません。「いまひとつ印象にのこらなかつたのかな」とおもつた次第です。

とお言葉をいただきました。ありがとうございます。以下に、推薦盤として言及していない理由につき、改めて言及させていただきます。

そのカセットテープ

リヒテル/マゼールは実はなつかしい演奏です。82年に留学でアメリカに行ったのですが大量のLPは持っていけないのでカセットで我慢してたのです。フィラデルフィアのサム・グッディというレコード屋に2番のカセットはそれしかストックがなく、だからこの演奏に一時期ずいぶんお世話になりました。それなのになぜ漏れてるかというと、先生がお好きであれば申しわけないのですが、好きになれずにほかに乗り換えたということです。だから後にLPもCDも買ってないというレアものになってます。

理由ですが、パリ管に尽きます。この管の音は僕のブラームスのイメージとかけ離れてまして、冒頭のホルンからしてどうにも耐えられません。マゼールがMov2で煽っているヒステリックな弦の音も、Mov3のすかすかの弦楽合奏も論外です。巧拙やモチベーションの問題(以下に述べます)以前の問題として、ウィーンPO、ベルリンPOの演奏を前にしてこの当時のフランスのオーケストラによるブラームス、シューマン、ブルックナーというのは何か特別な理由でもあれば聞いてみようかという類です。EMIさん、何でよりによってこのソリストなのにフランスのオケなのという失望にはデジャヴがあって、60年録音のオイストラフ/クレンペラーのVn協もそう(フランス国立放送管)です(オイストラフは後にジョージ・セルとクリーブランド管で録音しなおしてます)。

それには政治的背景が関係していて、すこしご説明します。EMIは英Deccaがライバルでした(ビートルズはDeccaが落としてFMIが獲得)が、フランスではパテ・マルコニを傘下に持ってパリ音楽院管、パリ管、フランス国立放送管を占有しているEMIが優位にありました。クリュイタンス、ミュンシュというフランス語を母国語とする独仏レパートリーの両刀使いを擁し、前者にはベルリン・フィルで57-60年にドイツ本丸のベートーベン交響曲全集を録音させた。これはフランス知識人にとって快哉ものの気持ち良いイヴェントだったに違いありません。前述のオイストラフ/クレンペラーのVn協もその同類項でした。

アンドレ・マルロー

フランスはまだナチのパリ占領への忌まわしい記憶と怒りと屈辱が消えていませんでした。文化相のアンドレ・マルローはフランス国民のトラウマを払拭しプライドの象徴とするべく67年に国家の威信をかけてパリ管弦楽団を創設し、アルザス出身のドイツ系、シャルル・ミュンシュを初代音楽監督に据えます。そこに覚え愛でたいEMIが接近し、そのコンビでドイツ音楽代表としてブラームス交響曲第1番、フランス音楽代表としてベルリオーズの幻想交響曲を録音し(68年)、両者ともあっぱれの高評価を得ます。フランス政府のアドバルーンは理想の高さに達し、EMIも商業的に成功し、上々のプロジェクト・スタートアップでした。ミュンシュは70年の訪日まで決まっていたそうなので、69年のリヒテルとのブラームス2番も当然彼が指揮するはずでした。

ところが最悪の事態が発生します。ミュンシュが68年11月にパリ管との米国楽旅中にリッチモンドで心臓発作をおこし客死してしまったのです。文化省が計画修正で大わらわになったことは想像に難くなく、そこでどういう経緯でナチ党員だったヘルベルト・フォン・カラヤンを呼んだかは不明ですが、パリ管は彼の指揮でラヴェル、ドビッシー、フランクの録音(EMI)を残しており、リヒテル/マゼール盤が録音された69年10‐11月もカラヤンが音楽顧問として在任中でありました。ということは物事の筋からしてもレパートリーからしても、それはリヒテル/カラヤン盤だったはずなのです。

以下は僕の想像になりますが、そうならなかったのは、その前月の69年9月15-17日にベルリンでBPOを使ってEMIが録音したベートーベン三重協奏曲でのカラヤンとリヒテルの軋轢によることは衆目の一致するところでしょう。リヒテルは、

この写真がそれだ

「カラヤンが”これでよし”と終わろうとするから、私がやり直しを頼むと”一番大事な仕事がある!”・・・・写真撮影さ。我々はバカみたいにヘラヘラ笑ってる。おぞましい写真だ。見るに耐えない。」(ドキュメンタリーフィルム「リヒテル<謎>」)

と憤っており、さもなければこの翌月にその流れのまま両巨匠がパリでブラームスP協2番録音となったのが、リヒテルが拒絶し、指揮は急遽マゼールに切り替える条件で承諾したのだと思われます。フランス国家と英国EMIの「連合国軍」がパリ管を目玉に敵国ドイツ物レパートリーを席巻しつつ、ベルリン・フィルを凌駕して目にもの見せようぞというノルマンディー大作戦はこうして空中分解し、マルローも69年に文化相を辞任して事実上終焉しました。パリ管のその後の音楽監督を見れば、反ナチスのドイツ人(ドホナーニ、エッシェンバッハ)、ユダヤ人(ショルティ、バレンボイム、ビシュコフ)、北欧・英国人(ヤルヴィ、ハーディング)と、カラヤンがいたなど夢か幻かという180度の大方針転換を経て今に至っています。

69年録音のリヒテル/マゼール盤にマルロー大臣はもう関心はなかったでしょう。EMIは大物との契約金を回収しようとマネジメントは気合が入っていたでしょうが、おそらく、現場(オーケストラ、録音スタッフ)は指揮者がミュンシュ、カラヤン、マゼールとたらい回しになって白けていたのではないでしょうか。パリ管というのはフランス史上初のフルタイム有給制(要はサラリーマン)の管弦楽団です。マゼールがミュンシュの後任首席指揮者か、カラヤンの後任音楽顧問になるなら服従したでしょうが、それもない(後任はショルティ)ワンポイントリリーフですから忠誠心もなく、そういう先入観が入ることを割り引いても、このオーケストラ演奏はお仕事っぽく、慣れもない割に懸命さも感じません。リヒテルもMov4で完全主義の彼の正規録音としては考えられない和音つかみそこねがあり、スタッフも録り直しをさせずそのまま放置。使命感、責任感も愛情もなしです。

リヒテルの2番はこんなはずはないだろうとラインスドルフ盤もコンドラシン盤もCDで買ってみましたが、我がコレクション・リストをチェックしてみるとどちらも「無印」としてました(要は買って損したという意味です)。リヒテルはロンドンで聴いたシューベルト、プロコフィエフは見事でしたが、ことブラームス2番に関する限り性が合わないのかなと思いました。もちろんプロだからそれなりに聞き映えのする立派な演奏ではあるのですが、ゼルキン/セルやアラウ/ハイティンクやR・ハーザー/カラヤンと比べてどうかということで落選とさせていただきました。

ブラームス ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 作品83

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クレンペラーのブルックナー8番について

2019 MAY 9 21:21:43 pm by 東 賢太郎

クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管を振った最晩年のブルックナー8番というと、第4楽章の2か所のカットのせいで甚だ評判がよくない。ロンドン時代にお世話になった英国人ファンドマネージャーPさんはクレンペラーを高く評価していたが、あの録音にだけはやや辛口だった。1980年代のことだ。Pさんは僕より年齢は一回り上で、お客様というよりメンターであり、プライベートでは友人だった。エルガーのヴァイオリン協奏曲やら知らなかった曲はカセットにレコードを録音して教えてくれたりご自身の批評もくださった。第一次大戦前のドイツでキャリアの基盤を築いたユダヤ人であるクレンペラーを英国人がどう思っていたかということは思い返してみると興味深い。

数々の文春砲もののセックス・スキャンダルが知れ渡っているばかりでなく、クレンペラーは性格も相当変わった人だったらしい。敵も多かったそうだ。しかし、アイザック・ニュートン以来のケンブリッジ大学ダブルトップ(2学部首席)であったPさんのような英国人が支持していたのだ。「敵がいない者の取り柄は敵を作らないことだけだ」と言って。「同じユダヤ人でやはり敵が多かったマーラーがまず彼を認めたが恩人の交響曲を全部は認めなかったし、若きドイツ時代の十八番はカソリックのブルックナー8番だったんだよ」。この言葉を聞いて事の深さを知った。

問題のカットはショッキングなものだ。特に最初の方は、僕はそこが好きだから困ってしまうのだが、クレンペラーにとっては再現部への流れをシンプルにすることが大命題で、音楽的に素晴らしいだけにインパクトがありすぎる「無用の寄り道」だったと思う。2つ目もコーダにはいる脈絡において同じ判断をしたと考える。どのみちLPレコードで2枚組になるのだから録音上の制限時間の問題でないのは明白で、これはクレンペラー版として世に残すものだった。レコード(record、記録)とはそういうもので、エンタメの供給などではない。思索のステートメントを後世に残すものだ。「それが嫌なら他の指揮者を探せ」と録音は強行されたものの、商業的価値は低いと EMI 幹部は結論した。発売は断念され、このLPが世に出たのは彼の没後だった(売れなかったらしい)。天下の名門 EMI 相手に小物がそんな我が儘を通せるはずもない。日本の評論家はボロカスで何様だの扱いでありそうやって彼は敵を作ってきたのだろうが、そもそもブルックナー様やメンデルスゾーン様の楽譜を変えてしまう男の前に評論家もへったくれもない。僕はあのカットを支持することはできないが、クレンペラーという人間は支持する。

彼は曲を「それらしく」鳴らすプロではない。ブルックナーらしくといって、何がブルックナーなのか。NPOの録音に基本的にはノヴァーク版を採用したが、思い入れの殊更強かった8番のこれはシンバルを一発叩くかどうかというレベルの議論ではない。ノヴァークがクレジットできるならなぜ自分ができないかということだったと思う。例えば漱石を読んでいて、自分が「坊ちゃん」を朗読するならまず漱石はどうやっただろうと考える、解釈とはそういうことだ。聞けない以上は想像になるしかないが、それが「(楽譜を)読む」という行為である。「らしく」というのは読んでいる範疇にはない。万人にそう聞こえるだろうという表面づらをなでる欺瞞でしかなく、Pさんが看破したように八方美人は美人でもなんでもないのである。

クレンペラーが単に我が儘でそうしたのでないことは他のナンバーを聴けばわかる。4,5,6,7,9番において非常に意味深い、思考し尽くされた音楽が聴こえる。彼のモーツァルトのオペラの稿に書いたことだが、その演奏にリズム、ピッチ、アーティキュレーションを雰囲気で流したところは微塵もない。そのことと「モーツァルトらしく聞こえる」ことと、どっちが大事だときかれて後者と思う人は「他の指揮者を探せ」と本人の代わりにいいたい。そういう流儀でブルックナーをやるとこうなるのである。

 

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アンドレ・プレヴィンの訃報

2019 MAR 26 0:00:05 am by 東 賢太郎

プレヴィン指揮ロンドン響、RCA盤

ラフマニノフの交響曲第2番は、「古今東西の最もロマンティックな音楽」のコンテストがあればぶっちぎりで優勝でしょう。何度聴いても本当に素晴らしい音楽であり、僕は高校時代にぞっこん惚れてしまいました。お断りしますと音楽の授業は全然関係ありません。1年の時クラスの K君が学園祭でかけたチャイコフスキーP協1番の出だしがやたらゴージャスで気になって仕方なくすぐレコードを買いましたが、本命のそれよりもB面のラフマニノフP協2番がぐっと来てしまい、何だこの聞いたことない作曲家は、掘り出し物だ!となって買ったのが写真のプレヴィン盤だったという笑える出会いです。当時はこの曲は無名で東京で手に入るレコードはRCAのプレヴィン盤しかなかったのです。プレヴィンは2番を3回録音しますが、後にこの曲のオーソリティとなる彼のこれが初回という時代でした。冗長と思われる部分をカットする短縮版が幅をきかせていると知って、まがい物を覚えるのは嫌だなと思いましたが、このレコードはジャケットの解説(左)に「しかしプレヴィンによるこのLPは、オリジナルどおりの演奏です」と W氏という当時著名だった音楽評論家が書いているので安心して買い、覚えこんでしまいました。ところがそれはとんでもない大ウソで、後に全曲版を聴いて第1楽章コーダの直前と第3楽章でのけぞってしまい、このLPが短縮版だったことを知るのです。評論家というのは曲を記憶もしてないのに偉そうなことを書いてるのかと唖然とし、世の中こんな程度かと大人の世界をナメるきっかけになったという点では有意義な事でした。

しかし評論家にも本当に偉い人がいて、レコード芸術に交響曲の月評を執筆されていた大木正興氏は骨がありました。critic(評論家)とはcriticizeする(批判、酷評する)人ですから本来、いい加減な太鼓持ちや観光ガイドじゃないわけです。若かったバーンスタイン、レヴァイン、プレヴィン、ムーティ、アバド、メータを赤子扱いして一刀両断だった彼は評論家そのもので、ドイツ人以外はだめというのはないだろうとは思いましたが、主観を貫き通して西洋人をあそこまでめった切りできる日本人はどこの世界でもなかなかいない。欧米人のポチみたいな似非知識人ばかりの中で凄いなと思ってました。音楽だけでない教養あってこそと思い知って勉強しようとインセンティブになったし、その影響をもって後に欧米に行って仕事で位負けするということがなかったから彼の評論は一流の教材でありました。

その大木氏の文章というと僕はプレヴィンを思い出すのです。彼のみならず当時の日本のクラシック論壇はジャズあがりのお兄ちゃんがロンドン響(LSO)のシェフなんてジョークも休み休み言えとばかりにぼろかすであり、特に大木氏の舌鋒は鋭かった。前任が押しも押されぬ大家モントゥー様であったことも災いし、ベートーベンの5番だったか7番だったか、こんなものを買って聴く奴は馬鹿であるという強烈な刷り込みが僕の中に今でも残ってます。ちなみにそれは日本だけでもなく、wikipediaによるとロンドンでもプレヴィンはLSO就任当初は “a first-rate conductor of second-rate music.”(二流曲の一流指揮者)と評されていたようで、そんな空気のおかげで僕も彼のモーツァルトやブラームスを聴こうなどというモードにはおよそなく、せいぜい三流のロシア、アメリカ専門の色モノ指揮者という認識であったのです。

しかし、ジャズの兄ちゃんであれ何であれ、このラフマニノフいいじゃない!というのが僕の単純なリアクションでありました。大木氏にそこまでズブズブに洗脳されながらも是々非々であったというのはちょっぴり誇りでもあります。ストラヴィンスキーやバルトークと、とんがった音楽ばかりだったあのころ、それも硬式野球部で毎日泥まみれになってたあのころ、2番なんてウルトラ・ロマンティックな曲にハマってしまったのも自分のハートの一面であり、いまもこのレコードを聴くと自分はこんなにやさしい人だったのか?という気分になれるのです。レコードに何月何日にかけたとメモった紙切れを入れる習慣があるのでわかるのですが受験に落ちたその日にこのLPに慰められていたことを知って、たかがレコード、されどレコード、音楽の記録だが我が人生の記録でもあって、一生の宝です。

プレヴィンなくしてこれはなし。彼に感謝です。後に海外で接することになった彼の演奏についてはまた書くことにします。

 

ラフマニノフ交響曲第2番ホ短調 作品27

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「グレの歌」(読響定期)- カンブルランへの感謝

2019 MAR 15 22:22:32 pm by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン

読売日本交響楽団
ソプラノ=レイチェル・ニコルズ
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)

これがカンブルランをきく最後になってしまいました。

メシアン「彼方の閃光」、「アッシジの聖フランチェスコ」(全曲日本初演)、 J.M.シュタウト ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)、デュティユー交響曲第2番「ル・ドゥーブル」、ヴィトマン クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」(日本初演)、アイヴズ、「ニューイングランドの3つの場所」

などはもう聴けないかもしれないし、

バルトーク「青ひげ公の城」、コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲、ブリテン歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”、ブルックナー交響曲 第6番 イ長調 作品106、マーラー交響曲 第9番 ニ長調

も大変印象に残りました。陳腐な演奏は皆無でしたし、やはり何より「アッシジの聖フランチェスコ」は僕の50余年のクラシック歴のなかでも最上位の体験でした。

http://読響定期・メシアン 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」を聴く

そして昨日のグレの歌。ブーレーズの録音で聴いていますが実演が初めてであり、心から堪能しました。トリスタンの影響がありありとあるのは和声がきれいに解決せず延々と旋律が伸びていくところです。解決は機能和声の宿命ですが、宿命から自由なこれを書きながらシェーンベルクは機能和声までも抜け出したくなって十二音に行きついたのかと思ってしまいます。

ワーグナーもどきであったとしても初期にこれだけの作品を独学の人が書いたという驚異を皆さんはどう思われるのでしょう。第3部は1911年とシェーンベルクが無調の領域に踏み出してから完成されましたが、第2部までとは和声の扱い方に不気味さが増していながら無調にはせず、なんとか木に竹を接ぐとならないように腐心した跡が感じられます。最高の音楽、最高の演奏でした。

僕がドイツに住んだのは1992-95年ですが、カンブルランは1993- 97年にフランクフルト歌劇場の音楽監督でしたから重なってます。当時は無名で、マイスタージンガーなどを聴いていますがピットの中だから姿さえ覚えてません。ご縁があったということですが、こんなお世話になろうとは夢にも思いませんでした。

彼でなければ絶対に聴けなかった曲を体験することはぞくぞくする知の冒険でありました。カンブルランの図抜けた指揮能力、読譜力、解析力、記憶力、運動神経、音楽へのdevotion(献身)は何時も驚異であり、自分が逆立ちしても及ばないことができる人を目の当たりにするのは無上の喜びでした。僕は人生において万事独学主義なのですが、極めて少数の例外がございます。教育界ではお二人だけ、駿台予備校の根岸先生(数学)と伊藤先生(英語)にそれぞれの領域で最高の敬意と感謝をささげており、クラシック界ではピエール・ブーレーズが唯一の先生でした。ここでもう一人、シルヴァン・カンブルランが先生に加わりました。9年間お疲れさまでした、そして、本当にありがとうございます。

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独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その5)

2018 JUN 18 0:00:34 am by 東 賢太郎

イヴァン・モラヴェッツ/ ヴァーツラフ・ノイマン / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

冒頭のオケ主題が異様に弱い。ピアノは徹底したロマン派耽美主義路線でテンポが振れて遅い所はぐっと遅くなり、そのせいかテュッティになってもCPOにしてはアンサンブルに締まりがない。第2楽章はそのポリシーが生きているがどうしてもこれがいいというほどでもない。終楽章のオケは雑然としたまま。スタジオ録音の完成度に欠ける(評点・1)。

 

マリア・グリンベルク / カール・エリアスベルク / ソビエト国立交響楽団

グリンベルク(1908-78)は好きなピアニストで彼女のベートーベンは評価している。ショスタコーヴィチの2歳下だがユダヤ人排斥でスターリン政権に徹底的にいじめられた悲運のピアニストである。このシューマンのライブ、剛毅さは男勝りでまるで怒りをぶつけるベートーベンだ。音の美しさもミスタッチも顧みず、第2楽章すら感興に応じて炎のように燃え上がる様は何か熱いものを感じ取っていたのだろうか。終楽章はさすがにミスが多すぎ。演奏がどうのよりひとりのアーティストの時代の記録だ(評点・対象外)。

 

クララ・ハスキル / エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

ハスキル(1895-1960)の愛奏曲でありどのフレーズも手の内に入っているのがびしびし伝わってくる。56年ジュネーヴでのライブで音は良くないが例の楽譜部分のデリカシーに満ちたレガートの見事なこと!アンセルメも意外に良く、第1楽章再現部へのつなぎ箇所がこれほど空疎にならないのはなかなかだ。ハスキルはタッチが一切重くならず!速めのテンポですいすい行くが栄養価は高く、モーツァルトが生きていてこれを弾いたらこんなかとさえ想像してしまう(評点・4.5)。

 

クララ・ハスキル / ウィレム・ヴァン・オッテルロー / ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団

音はモノラルだが悪くなくピアノはこちらがクリア。51年正規録音でコンセルトヘボウの音響がプラスしている。オッテルローは上掲アンセルメよりメリハリがあり、ハスキルもそれに呼応してタッチに起伏をつけ細部まで克明に弾くが、正装のこれかアンセルメの着流し風かは好みだ。しかし例の楽譜部分の軽みある喜びはここでも誠に素晴らしく、ハスキルを腕達者とは誰も言わないが実はそういうことなのだと納得するしかない。一家に一枚ならこっちだろうが僕はアンセルメ盤の気品が捨てがたい(評点・5)。

 

マルコム・フレイジャー / ヤッシャ・ホーレンシュタイン / ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

大変な名演である。フレージャーのピアノ、冒頭のデリカシーから凄い。オケも感じ切ったぎりぎりの音で答える。この木管の音程の良さ、ホーレンシュタインの耳だ、ほかがかすんで聞こえるほどである。例の部分のピアノ、文句なしだ。これは何事がおきてるのかと思って調べると、フレイジャーはカール・フリードベルクを聴いて彼が亡くなるまで弟子入りした人だ。ということはクララ・シューマンの孫弟子ということになる。素晴らしい録音が残っているものだ。これは数多ある録音のベスト3に入る。画像が現れないので以下を開いてぜひ耳にしていただきたい(評点・5+)。

https://youtu.be/GDv29JqxyrA

 

 

独断流品評会 「シューマン ピアノ協奏曲」(その6)

 

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ブラームス博士は語る(交響曲第2番終楽章のテンポ)

2018 APR 1 20:20:33 pm by 東 賢太郎

クラシックは語られる音楽だ。後世が積み上げた言語の集積で規定される音楽であり、だからクラシックと呼ばれる。古いだけの民謡との差はそこにある。ブラームスにとってJSバッハは古典だったが当時広くは認知されておらず、さしたる集積はなかったから現代の語感でのクラシックではなかったろう。

言語が集合知となって、19世紀の作曲家の自作演奏の様式は不完全だが知ることができる場合がある。ブラームスにおいてはそれに加えて彼の同時代人の演奏が聴けるが、それが本人の意に添ったものかは不明でやはり文献の補遺は必要だ。現代の指揮者の演奏を僕は常にそういう背景と照らして聴いている。

作曲家が書いた楽譜は演奏されることで作曲家の手を離れるが、だからといって編曲に近いほど我流に陥ったものを楽しめるかどうかは聴き手の趣味の問題だ。能や歌舞伎同様、古典芸能に時流で新風を吹き込むことは不可ではないが、新風と我流の間には確たる一線があると僕は思う。

なぜならば、繰り返すが、クラシックは語られる音楽だからだ。本来語られるものは音楽であって演奏ではない。古典派までの演奏会は自作自演の発表の場でもあり、聴衆の主たる関心の対象は新曲だった。演奏会でモーツァルトは即興を弾いたが、楽譜に残されなかったその新曲は作品とはならずに虚空に消えた。彼が楽譜に書き残した新曲だけが作品として、はるか後にケッヘル氏が整理番号をふったモーツァルトの音楽として、21世紀の我々に残された。

彼の死後ほどなくして、19世紀の多くの演奏家たちもそれを弾いた。20番目のピアノ協奏曲ニ短調はベートーベン、ブラームス、クララ・シューマンも愛奏したと文献は語る。もちろんモーツァルトらしさを損なわないような流儀においてだったろうことはベートーベンの書き残したカデンツァによって推測される。当時の聴衆はブラームスのそれをクララのそれと比べる機会は少なく、仮にそれがあったとしても両者の演奏解釈の違いを論じる場はほとんど形成されていなかったと思われる。

ロベルト・シューマンは同時代の他人の作品をあまねく論じたという意味において最初期の音楽評論家でもあったが、対象となる作曲家、作品が集合知として共有されていたのは楽譜が印刷術の発展とともに流布し、それを自分で演奏したり読んで吟味したりできる限定的なコミュニティにおいてであった。JSバッハやモーツァルトの音楽が一般学校教育によって「大衆の共有知」になるのはそこから100年後だ。シューマンもブラームスも自分の作品が後世に残ることは知っていたし、そうでなくては困るとしてベートーベンの作品と比べて見劣りのないものの創作につとめたことは文献が記す。

しかし彼らは自分の作品がJSバッハ、モーツァルトのそれと同列に並び称される目的は達成したものの、それらを万民の教育の対象にしようという価値観が東洋の果ての国にまで現れることは想定していなかったろう。その価値観は、エジソンによるシリンダー録音という技術の発明が、あたかも19世紀にグーテンベルグの印刷術が楽譜の流布に果たしたと同様の役割をその何倍もの速度とマグニチュードにおいて果たしたことによって新たに生成されたものだ。そうして彼らの作品は楽譜を読んだり弾いたりできない大衆までを包含した共有知となり、その価値観が「別格なもの」として祭り上げる神棚(class)に鎮座する作品はその形容詞で classical である、となった。ここにいよいよクラシック音楽が誕生する。

ブラームスはシリンダーに声とピアノ演奏を録音した人類最初の作曲家となったが、自分の作品がクラシック音楽と呼ばれるようになることは知らなかった。クラシック音楽という概念の発生とエジソン蓄音機の発明・進化・普及は無縁でない。蓄音機の記録音板が音楽の缶詰のように大量に商業的に売りさばかれるようになり、極東の我々にとってそれはレコードと呼ばれる黒い音盤を意味するところとなった。だが英語の record は無機的な記録の意味である。

1889年のブラームスの声とピアノがここに聞ける。

1877年にエジソンが発明した蓄音機が電話機、無線機、白熱電球、映写機とともに人類の生活を変える。その進化・商業化が自国に市場を持つ米国発であったことと電話(telephone)、映画(movie)が英語であることは無縁ではない。クラシック音楽(classical music)しかりである。ハードウエアの進化が市場を作り、文化を作る。この波は19世紀末から20世紀初頭の米国で起こり、英国発の産業革命の大きな波と融合し、英語の国際化とともに世界に伝播した。

1889年にエジソンがエポックメーキングな「音源」として、すでにレジェンドであったブラームスを「録音(record)」しようと目論んだ着想は、その記録された音を比較対照して論じる文化の萌芽である。「レコード」の誕生である。音楽演奏を比較し、同曲異演を味わうことを楽しみとする文化は、それゆえに、英米起源である。このことは英国に良いワインはできないが、有力なワインマーチャントが英国人でWine tastingが英語であることと近似した現象である。

レコードなる媒体が無尽蔵に「コピペ」され、商品として売りこまれることで、記録されたコンテンツはブラームス博士の肉声とはどんどん遊離していくことになる。我々が聞き知るブラームスの作品は、上掲ビデオに記録されたハンガリー舞曲第1番を唯一の例外として、他人が演奏したものだ。交響曲第2番を初見でスコアから読み起こすことはできない地球上ほぼ全員の聴衆にとってこの現象は福音であったが、2番とはブラームスの作品としてではなく、代理人としてカラヤンやベームなど後世の指揮者が演奏したものに変換されていく。

このことはプラトンのイデア論に行き着く。ブラームスの同時代人ではない指揮者の2番が作曲家の賛同を得られたものかどうかは誰も判断できないが、だからといって、自作を録音した、したがって100%オーセンティックであるストラヴィンスキーやラフマニノフの演奏をしのぐことのできる他人はいないということを意味はしていない。作曲家と異なる解釈で我々を納得させた演奏はスコアに秘められた別種の価値を具現化したのだから、書かれたスコアは作曲家の手を離れて成長するという概念を生み出すだろう。

僕はイデアのみを崇めそれを否定する者ではない。理由は以下のとおりだ。作曲家が用いた旋法やコードは何らかの物理的、生理的現象を人間の心に生起させる「画材」だ。画家は画材である絵の具を発明したのではなくある色を「選別」しただけで、絵の具そのものが美しい色と光を放つ現象に依存していないと言い張ることはできない。カンヴァスに描かれたそれ自体が美しい絵の具のその選別の是非を鑑賞者は愛でているのだ。

まったく同じことで、作曲家は「音材」を選別する。しかし絵の具が美しいように、教会旋法もド・ミ・ソの三和音も美しいのだ。音楽の演奏はスコアという暗闇の状態では目に見えない絵画に光を当てる行為だ。光線の具合によって、例えば昼か夜かで印象が変わることはその作品の価値をそこねるものではない。旋法や三和音の奏し方を変化させて音材の本来持つ美しさがスコアの意図以上に光輝を放つ可能性だってあるだろう。この絵は北緯何度の何月何日何時何分に快晴の太陽光のもとで見ろと指示した画家はいないように、唯一無二のテンポやフレージングやダイナミクスを数学的に厳密に指示した作曲家もいない。

演奏家が光を当てて掘り起こす秘められた価値はたしかに存在するが、その作業は作曲以来の解釈の歴史の文脈の中で聴き手の過去の記憶と比較する関心をトリガーする形で形成されるだろう。真の聴き手は文脈を学んで知っている。演奏家の個人的趣味による読みのユニークさや大向こうを張る大団円の壮大な盛り上げは演奏会場での当座のブラヴォーや喝采を獲得するかもしれないが、新しい文脈の一部になることはない。今日のテンポが速かったのは指揮者が出かける前に夫婦喧嘩したか、それとも早く空腹を満たしたかったからかどうかを語りたい方がいても結構だが、それが集合知の一角をなすことはないだろう。

少し前に新幹線でブラームスの第2交響曲のスコアを見ていたら、第4楽章のテンポはクナッパーツブッシュの解釈が正しいんじゃないかと思えてきた。

現代の演奏を聴き慣れた耳にはずいぶん遅く感じるのだが、Allegro con spiritoは四分音符4つに振るとせいぜいその速さじゃないかと。お聴きいただきたい。

ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)とフリッツ・ブッシュ(1890-1951)は、ブラームス(1833-97)と親交が深かったフリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の弟子なのだが、ブッシュの第4楽章は2つ振りで2分音符をアレグロにしている(およそクナの2倍の速度)。お聴きいただきたい。

しかし上掲のスコア冒頭を冷静に眺めると、2つ振りならああいう風には書かないのではと思うのだ。あれを現代の多くの指揮者のテンポになるように表示を書くとすると Presto だが、ブラームスの交響曲にあんまり似つかわしい速度表示ではないように感じる。とすれば、やはりクナッパーツブッシュになるだろう。

これはどういうことか?そこで、ブラームスの2番の自演をほぼ確実にライプツィヒで聴き、彼の前で指揮をして(それが2番かどうかは不明だが)作曲者により批判はされなかった

(Brahms) does not appear to have complained of Fiedler’s interpretations (Jan Swaffordによる)

とされるマックス・フィードラー(1859 – 1939)の第4楽章を聴いてみよう。

ブッシュに近い。これが理由でどうしても僕はクナをあまり高く買うことはできていなかったのだ。しかし、テンポ変化が全く書き込まれていないスコアを改めて見ていて、本当にそうだろうかと疑いを持ったのだ。

それは第2主題の頭にあるlargamenteだ。largoの派生語だが、メロディを弾く第1VnとVaにだけ書かれていて、速度ではなく 幅広く、豊かにという表情の指示ではないだろうか(英語ならlarge、寛大にだ)。仮に速度であるとすると、フィードラー、ブッシュの第1主題のテンポで来るならば数小節前にリタルダンドが必要で、第2主題冒頭から急に遅くするのは明らかに曲想に合わない。クナの4つ振りテンポだとそのまま減速せずに(つまり楽譜通りに)つながる。幅広く、豊かな表情でたっぷり弾かせるためほんの少し減速はしているが、これがブラームスの意図したlargamenteかもしれないと思えてきたのだ。

クナッパーツブッシュは練習嫌いであったとされ、ぶっつけ本番の即興性の高い、アバウトだが霊感に富んだ指揮者のように言われるのが常だが、そうではなく周到にスコアを読む人だ。この2番やシューベルトの9番はユニークな表現に聞こえるが、アバウトに振って早く帰りたい人はそんな妙な事をする必要がない。まして思い付きで面白いことをやって、素人の聴衆はともかく、オラが作曲家と思っているプライドの高いウィーン・フィルやミュンヘン・フィルが心服してついてくるほど甘い世界ではないだろう。

楽員は彼の解釈に敬意を持ち充分な忖度があったから「この曲は私も諸君も良く知っている」という状況にあり、アンサンブルの縦ぞろえが重要なレパートリーは彼はあまり振らなかったせいもあったかもしれないが、むしろ楽団との関係をうまくマネージするために練習を切り上げて早く帰したのではないかと思う。

 

クナはコーダでこのページの真ん中の3つの2分音符に強めのアクセントを置き速度を大きく落とす。ここに至るまでの全奏部分でやや加速するのは2分音符のブレーキ効果を際立たせるためだが、これだけは僕は不要と思う。そこからはトランペットとティンパニをffで強奏しVnのボウイングも際立たせながら実に彫の深いコクのある表現で終結に向かう。安っぽいアッチェレランドでいかさまの興奮をそそるような稚拙な真似はしない。

 

 

何が正しいかは不明だが、フィードラーの解釈については、

his performances, because of their constant shifts of tempo and mannered phrasing—for instance the frequent introduction of unwritten luftpausen—reflected an interpretative model that owed far more to von Bülow than to Brahms.(Christopher Dymen)

と、「ブラームスよりもハンス・フォン・ビューロをモデルにしている」とする文献もある。2つ振りはビューロー(1830-94)起源だった可能性もあるのではないか。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

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バーデンバーデンのブラームスという悦楽

2018 MAR 20 0:00:03 am by 東 賢太郎

バーデン・バーデン(Baden-Baden)はドイツ南西部、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の北部に位置するヨーロッパ有数の保養地だ。都市で言うとポルシェの本社があるシュトゥットガルトに近い。クララ・シューマンの居所でブラームスゆかりの地でありウィルヘルム・フルトヴェングラー、ピエール・ブーレーズが亡くなった地でもある。Bad(バート)とはドイツ語で温泉を意味し、その名のとおり数多くの音楽家が保養に湯治にそして演奏に訪れている美しい田舎の温泉町だ。田舎という日本語をあてはめるしかないロケーションなのだが語弊があって、ドイツは森に囲まれた田舎の方がリッチで洗練されていて美しい。だから富裕層が住むのである。ツアーで都会の観光コースとまずい食事だけであれがドイツと思ってはいけない。

ちなみに我が家が最初にフランクフルト赴任で借りた家はケー二ヒシュタインという高台にある田舎で、翌年に拠点長になったのでフランクフルト市内にあるアパートに社命で移ったが、どっちがいいかといえばダントツにケーニヒである。ここと隣町のクローンベルクはバーデンバーデンより小ぶりだが似た雰囲気を持つ温泉保養地であり、あそこに住んだ1年間は63年の人生で最高に幸せだった。そして、もしもう一度ドイツに住めるなら、今度はバーデンバーデンを選ぶだろう。どうしてかといって、それはクララ、ブラームス、フルトヴェングラーにブーレーズといった人々が住みたいと思ったものすべてが理由であって、なんとも言葉にはしにくい。

ロンドンにいた後半からブラームスの音楽に完全にはまりきっていて、寝ても覚めてもブラームスだった。2年日本に戻ってからのドイツ赴任の人事発令は業務的には本流を外された思いがあって歓迎ではなかったが、しかし来てみるとこの辞令はクラシック命だった僕にとって運命的なものであり、きっとがんばって仕事してきたことへの神様のご褒美であって、これぞ桃源郷ではないかという気分になってきた。周囲にドイツ語しか聞こえないホールや教会で何度も何度もじっくりとブラームスを聴く。この日本では体感しようのない経験というものは音楽の受容のしかたという意味で僕の耳に決定的な変化をもたらし、それ以来の音楽鑑賞の楽しみを格段に深化させてくれた

バーデンバーデンは家族を連れて2度滞在している。そこで買ったイタリアのベタリーニの船とロシアのヴォロディンの馬の2幅の油絵は家宝になった。1865年から1874年までの夏の数ヶ月をブラームスが過ごしたリヒテンタール8番地にあるブラームスハウスで入った青い部屋(左)は感動ものであった。ここで「交響曲第2番ニ長調」が完成されたからだ。当地で2番をやるとプログラムには「リヒテンタール交響曲」(Lichtentaler Sinfonie)と記される。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は1877年9月にこの地でブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番をサラサーテが演奏するのを聴いたことが作曲動機であるとされている。真偽は不明だがブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番ト短調がモデルになったという説もあるのは、ブルッフは同曲をクララ・シューマンを通してヨゼフ・ヨアヒムに紹介されたことを契機として書いたことからも可能性は否定できないだろう。

バーデンバーデンのクアハウス

バーデンバーデンに滞在中、ずっと頭で鳴っていたのはもちろんブラームス、とりわけヴァイオリン協奏曲とここ(クララの家)で試演されたドッペルであった。もう骨の髄までしみついたヴァイオリン協奏曲をあの美しいクアハウスのヴァインブレナーザールで聴くことはかなわなかったが、この曲はあの音響で聴くのが望ましい。あれこそブラームスが心に描いていたアコースティックに違いないという思いは確信に変わっていた。

ずっと後に見つけたこのCDはそうした満たされぬ渇望を癒す天の恵みだった。Weinbrennersaal, Kurhaus Baden-Badenで2002年11月1日にライブ録音されたブラームスのヴァイオリン協奏曲である。当地カール・フレッシュ・アカデミー主催のコンクール優勝者記念コンサートで、Brigitte Lang のヴァイオリン、Simone Jandl 指揮バーデンバーデン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。Lang女史は現在NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団(NDR Elbphilharmonie Orchester、もとNDR交響楽団)の副コンサートマスターのポストにある。

まったくマイナーリーグの観を免れない演奏家たちだが、僕はこの曲を聴きたいときにこの録音をCD棚から取り出すかどうか必ず迷う。オイストラフやスターンやシェリングの名演があるのにだ。こういう演奏が田舎町でさくっと聴けてしまうのがドイツであって、わが国で言えば大相撲や歌舞伎のように、ブラームスは空気のごとく当たり前のようにユビキタスな存在であって世界的な大家による名人芸など別に必要としていない。そこでドイツ人と3年ブラームスを日常的に聴いていた僕もまったく必要としない。そういうことだ。

このCDが評論家の絶賛を浴びたりベストセラーになったりすることは絶対にないだろう。音楽産業はギャラの高いメジャーリーガー演奏家をグローバルに売らなくてはいけないし、そういう意図で書かれた評論やキャッチコピーに騙された消費者は「名手」「大家」でないと耳を貸さないように洗脳されてしまっているからだ。多くの方はそれに気づいていない(というより、日本にいれば気づくチャンスもない)。そういう方々のために僕はこのCDをアップしたし、曲をまだ知らない方々にブラームスのヴァイオリン協奏曲がいかに素晴らしいか知っていただく意味でこの演奏は過不足ない。ぜひ、こういう地元の本物の演奏をじっくり何度もお聴きいただきたい。

ラング女史のソロは無用に力瘤を入れて弾くところが皆無で緩徐楽章は祈りのようだ、これほど誠実にブラームスの音符を純真、純潔路線でリアライズできるものかと心が洗われる。技術はなんら劣るものではないが、ソリスティックでない。こういうのは往々にして「堅実」とあたかも褒めたかのように切り捨てられる。マイナーリーガーという刻印だ。とんでもない。それを前面に押し出して自己顕示のすべとするのでははなく、ひたすら音楽へ奉仕するという、僕のように楽曲の混じりけのない醍醐味だけを繰り返し味わいたいリスナーにとっては最高級の音楽家だ。こういうものは大衆に広く売れることはもともとあり得ないという資本家には困った性質のものであって、だから、こういうのが良い演奏というコンセプトが広まっては困るのである。皆さんは純粋に良い音楽を楽しまれればよく、資本家の利益に貢献する必要はない。

オーケストラもなんら尖ったところはなくWeinbrennersaalの最高にふくよかなアコースティックに自然に寄り添って、これぞブラームスという芳醇な響きでソロを包み込む。これぞブラームスの音。終わった時に、いつも同じものなのに、いつもありがとうという言葉しか出てこない、まさに稀有のありがたい演奏である。そして僕にとってはバーデンバーデンの代えがたいお土産の意味もあるが。

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トスカニーニの戦力外通告

2018 JAN 20 3:03:53 am by 東 賢太郎

人間だれしも年齢には勝てません。メジャーリーグのイチロー、上原、NPBの元巨人の村田など見ているとまだまだできると思うし本人たちには強く思う所があるでしょう。実業界では経験値などと言ってトシをプラス評価してくれますが、スポーツは興行の意味合いもあって若いスターを求める傾向もあるから仕方ないことなのでしょうか。

経験値が最も意味を持つ職業のひとつが指揮者でしょう。90歳でもかくしゃくと棒を振ったストコフスキーや朝比奈隆が会社のCEOも務まったかというとまず無理と思います。僕は80まではやりたいと願うものの、どこかで衰えて戦力外通告の時期が来ます。必ず。しかし大株主でもあるから僕を首にできる人はおらず、会社のために自分で戦力外通告をしなくてはなりません。これはなかなか難しそうです。

指揮者はぎりぎりまで現役で、ある日突然キャンセルになってというパターンが多いようですが、振ってる最中に自分で戦力外通告を出した人がいます。アルトゥーロ・トスカニーニです。1954年4月4日、カーネギーホール。曲目はタンホイザー序曲でした。これがその実況の記録です。

バッカナールの終盤でトスカニーニは記憶を失って指揮棒が止まり、音楽はカオスになってしまい、ラジオ放送は中断してアナウンスとともにブラームスの第1交響曲が流れたそうです。この衝撃的な録音は生々しくその「事故」を伝えています。これにショックを受け彼は引退を決意したと言われ二度と舞台には登りませんでした。

このコンサートのリハーサルはこうでした。おっかなかった。この人の棒が錯綜してきて止まってしまったらオケは誰を見ていいかわからないでしょう。それでも音楽は止まらなかったのは大変なことですね。

タンホイザーの後のプログラム、マイスタージンガーはお聴きの通り見事な演奏なのです。まだできる。これが男の引き際なのでしょう。

トスカニーニが自分のオーケストラNBC交響楽団を振らせて後継者の期待を寄せたグィード・カンテッリはこの演奏の2年半後に飛行機事故で亡くなります。死の床にあったトスカニーニにはカンテッリの訃報が知らされず、その2か月後にトスカニーニも後を追いました。


僕にとってトスカニーニは音楽の師であり、特にベートーベンの交響曲の真価は彼によって教わったという思いが強くありました。あれだけ強靭で男性的な音楽は他に絶対にないと感じました。それだけに問題のタンホイザー録音はちょっとしたトラウマになり、滅びゆく者の美すら感じたのです。息子と二人でイタリア旅行した時に、ミラノでガイドさんにまずお願いして連れて行ってもらったのがトスカニーニのお墓だった(左)のはそういう深いわけがありました。

 

 

いやあ辛気くさくなっていけません。同じコンサートの「ジークフリートのラインの旅」です。素晴らしい!なんて輝かしい未来を感じさせてくれる音楽なんだろう!一気に若者だ!

 

 

ベートーベン交響曲第1番の名演

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