Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______イタリア音楽

ポンキエルリ 歌劇「ラ・ジョコンダ」

2021 JUN 8 1:01:12 am by 東 賢太郎

Grand Hotel Et De Milan “Suite Verdi”

どうしても行きたかった地中海クルーズがコロナでおあずけになった。出発地はイラリアでヴェニスかジェノヴァになる。イタリアに住んだことはないが、汲めども尽きぬ魅力の宝庫である。英国、ドイツ、スイス、日本から何回行ったかパスポートを見ないと定かでないが、家族を連れて5,6回、出張を入れると20回近いだろう、歴史探訪、スキー、ゴルフ、サッカー、オペラ、グルメと思い出は尽きない。ミラノで定宿にしたのはGrand Hotel et de Milanである。スカラ座に近いし、マンゾーニ通りにあるのでご婦人方のショッピングにも便利で音楽ファンにはお薦めだ。プッチーニ、マリア・カラスの定宿でもあり、ヴェルディは晩年にここに住んで「オテロ」「ファルスタッフ」を書いた。その部屋は “ヴェルディ・スイート” になっている(写真)。

ヴェルディに興味ないのになんで?といわれるが、僕は史跡好きでそっちの虫が騒ぐのだ(ちなみにウィーンの定宿はブルックナーが住んだHotel de Franceである)。プッチーニは嫌いでないしカラスはとても聴きたかった。カラス二世と話題だったルチア・アルベルティのリサイタルはベルリンで聴いて満足したが彼女のアクはなく、やはり録音から想像するしかない。真のディーヴァの恐るべきオーラというものはライブで経験しないと想像がつきにくく、ビデオやレコードからでも一応の推察ぐらいはできるが、実際の印象はそれを何倍も上回るだろう。トラヴィアータやトスカでそれなしとなると、大昔のCM「クリープのないコーヒーなんて・・」になってしまう。若い人は分からないかな、白鳥が欠席した「白鳥の湖」というところだ。

Amilcare Ponchielli

アミルカレ・ポンキエルリ(1834 – 1886)はプッチーニの先生である。今日のレパートリーに残ったヒット作は「ラ・ジョコンダ」(La Gioconda,1876)しかないが決して二級作曲家とは思わない。いや、本作は音楽もリブレット(ヴィクトル・ユーゴーの戯曲が原作)も手が込んでおりとても魅力的だ。めったに上演されないが機会あればぜひという、イタオペ門外漢の僕としては例外的なオペラである。というのも、1992年にローマで偶然聴くことができ、タイトルロールのゲーナ・ディミトローヴァにカウンターパンチを食らうほどの衝撃を受けたからだ(この人については別稿にする)。同曲は歌姫であるジョコンダの、ジョコンダによる、ジョコンダのためのオペラである。筋の骨組みだけ書くとこんなものだ

当日のキャスト

ジョコンダの恋人エンツォは元カノでベネチア総督の妻になっているラウラが忘れられない。総督の密偵バルナバはジョコンダを狙っている。バルナバはエンツォとラウラの密会をアレンジしてやり、裏で総督に密告する。それを知ったジョコンダは短刀でラウラを刺そうとするが、母を救ったことを知り許す。総督邸での舞踏会の日、妻の浮気に激怒した総督は「これで自らの命を絶つのだ」とラウラに毒薬の瓶を渡して退室する。ジョコンダはラウラに毒薬の代わりに仮死状態になる薬を手渡す。踊りが始まる(これが有名な「時の踊り」)。エンツォは「愛する人を奪った」と総督に切りかかり逮捕されてしまう。ジョコンダはバルナバに「彼を助けてくれるのなら、あんたになびくわよ。」と耳打ちする。ジョコンダの仲間が、墓から掘り出したラウラの仮死体を運んでくる。一人になったジョコンダは、ラウラの毒薬を飲んで死のうとするが、エンツォが忘れられず思いとどまる。バルナバが救い出したエンツォが入ってきて、ラウラが死んだのならその墓のそばで死ぬと言う。ジョコンダが墓には死体はないと言うと、エンツォは激怒してジョコンダを殺そうとする。そのとき、生き返ったラウラの声がして思いがけない喜びでエンツォと抱き合う。きちんと約束を守ってもらおうと期待に胸を膨らませたバルナバがやってくるとジョコンダはそれらしいそぶりを見せるが、突然短刀で自害する。バルナバはジョコンダの母を殺したことを告白するが、もうジョコンダには聞こえない。

おわかりのように、殺人未遂4回、仮死1回、殺人1回、自殺未遂2回、自殺1回と、なんとも壮絶の限り。いっとき世間を恐怖に陥れたイスラム国やオウム真理教の内部でもかくやの世界であるが、悪びれたムードは何らなく、そんなことは日常茶飯事さという世界観の登場人物による群像ドラマである。母を殺され恋人に殺されかけ、絶望して自死するジョコンダは徹底して可哀想な役なのだが、その彼女も一度は総督夫人を刺し殺そうとした殺人未遂犯だ。よよと泣き崩れるような弱者ではない女(それはアリアをきけば納得)が最後に自殺するのはふられた恋人への強烈な当てつけなのだが、ああかわいそうにと涙して帰る心情には僕はなりにくい。日本人でありすぎるのだろうか?

その点、弟子のプッチーニは弱い気の毒な女、ミミや蝶々さんを描いて成功した。日本人にも感情移入しやすいから人気だ。日本でも色恋沙汰の殺人はあるが、それを痴情死とも呼ぶわけだ。理性を失った愚か者という負のニュアンスが付加されるが、女性を見たら口説かないと失礼であるイタリア人にそんな概念はたぶんなく、恋は真面目も真面目、堂々命懸けの沙汰であるのが常識と思われる(現実はよく知らないが)。そうしたどろどろの結末としてヴィオレッタ、ジルダ、レオノーラ、ミミ、トスカ、蝶々さんら訳アリ女性の「非業の死」でエンディングを迎える筋書きがカタルシスを解消して客に満足を与え、イタオペのお家芸となる。

これは日本なら「勧善懲悪の捕り物帖」や「忠臣蔵など仇討ちもの」というところだ。かようなものを社会心理学でステレオタイプという。民族みんなが決まってそう感じてくれるからハズレはないが、しかし、僕にはあまりに紋切り型で退屈だ。またかよという感じになってしまう。予定調和的なのに大仰な感情表現の音楽が盛り上がると滑稽ですらある。ちなみにオペラの女で僕が好きなのはステレオタイプの対極である「不思議ちゃん」の “メリザンド” と、制御不能で空疎で卑猥で危ないが男がみなハマって死ぬ “ルル” なのだ。日本の作曲家はヴォツェック、ルルの系譜で阿部定事件をなぜオペラにしないのかと思う。まあお上品な我が国クラシック界にアルバン・ベルクが現れることはないだろうが。

しかしである、そういう目で見ると、ジョコンダという女はイタオペの系譜の中ではハードボイルドな部類じゃないか。少なくとも阿保らしくてあくびが出る類いではない。さらにはいくつか興味深い点もある。まず総督が不貞をはたらいた妻を殺そうとする。これはモーツァルトとデキてしまった妻を剃刀で切り殺そうとしたフランツ・ホーフデーメルの実話を思い出し、ああやっぱり西洋にそういうことはあるのかと合点がいく。仮死状態になる薬のくだりはまるでロメオとジュリエットであり、女を得んと奸計を弄する悪党バルナバのくだりはトスカのスカルピアを想起させる。

タイトルロールはドラマティコ中のドラマティコが起用されないとこの曲はだれてしまう。歌っている人は多くてどれもそれなりに聞かせるが、ディミトローヴァを真近に聴いてしまったので録音があるものというと対抗馬はカラスしか浮かばない。留飲を下げてくれるのは1952年9月のチェトラ盤で、カラス初めてのスタジオ録音であり、初のオペラ全曲録音でもある。7年後にも同じ指揮者(アントニーノ・ヴォットー)と再録音(EMI)しているが29才だった前者の魅力は何物にも代えがたく、モノラルだが録音も良質だ。カラヤンやチェリビダッケの録音でおなじみのトリノ放送交響楽団は決して交響的作品で上手いという印象はない。ところがここではヴォットーの指揮が雄弁で曲の核心をつかみきっていることもあり、水を得た魚のごとしだ。「ご当地」「お国柄」「十八番」を言いだすと米国や日本の楽団は立場がないが、「イタリア語を喋るオケ」というものは存在するのだ。

「時の踊り」を含む第3幕をお聴きいただきたい。

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ボローニャ歌劇場オペラ・ガラを聴く

2015 SEP 23 16:16:32 pm by 東 賢太郎

昨日はオペラ・ガラ・コンサート(ボローニャ歌劇場)にお招きにあずかり、イタリアの旬の歌手たちの美声を堪能してまいりました。

指揮の吉田裕史さんは東京音大卒、ウィーンで学ばれイタリア各地の歌劇場で修行を積んだ本格派で今年同歌劇場の首席客演指揮者に就任されたとのこと。イタリア人にとってオペラは我が国でいえば歌舞伎のようなもので、その地で長と名のつくポストを務めるのは半端なことではないでしょう。日本公演を積極的に率い、それも二条城、姫路城など歴史のある舞台を選ばれているのは、ご自身がローマのカラカラ野外劇場でデビューされた経験が生きているのでしょうか素晴らしいアイデアと思います。

曲目は前半がレオンカヴァッロの歌劇「道化師」ハイライト、後半がイタリア・オペラ名曲集でした。

ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」から「私は街の何でも屋」がよかったですね、弾きこんでいるんでしょうオケが精彩にあふれており、ぜひ全曲聴いてみたい。「ボエーム」の「馬車だって・・ああミミ、君はもう帰ってこない」、男は別れた女が忘れられない、女はそうでもない、ところがその大法則に反してミミは病んで帰ってくる。ボエームが悲しいのはそこだよなあ、なんて妙に納得しながら楽しみました。「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」。これを歌われたら実は誰も寝れない(笑)。ニコラ・シモーネ・ムニャイーニのテノール、やっぱりこれはイタリア男が歌わないと。

僕はガラ・コンサートはあまり行った経験がなく、女優の渡辺早織さんが演目を紹介していくスタイルでしたが、プログラムが終わって歌手4人の晴れやかなカーテンコールになって舞台と客席が「イタリア歌劇場モード」にひたったところで彼女が拍手をさえぎり歌手4人にインタビューを始めたのはびっくりしました。

彼女は実際にボローニャまで行ってこの歌劇場で「世界ふしぎ発見」の収録までしたそうで、吉田さんも「そうですね、あれは蝶々夫人のリハーサルの時でしたね、この会場にもテレビを見てくださった方がいらっしゃるのかな・・・(拍手)」と軽く応じるなど、「題名のない音楽会」モードに。これはシェフが日本人だからできることで、歌手もオーケストラ団員もここは日本なんだと一気に我に返って相好を崩して喜んでインタビューに答えていたいたのがとてもさわやかでした。

これだけ舞台と客席が近くなるのは、お高くとまりがちな本場モノのクラシック演奏会では稀と思います。「日本に本物のオペラ文化を」という趣旨にかなったやりかたであり、両国の文化交流という意味合いも感じられますね。これからも楽しみにしたいと思います。

 
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ロッシーニ 歌劇「ウィリアム・テル」序曲

2014 DEC 24 21:21:39 pm by 東 賢太郎

だいぶ前にアンタッチャブルのテーマを書きましたが、我が世代の方はこれもご存じでしょう。ローン・レンジャーです。日本では1958~62年に放映されていたようですが、さすがに7歳なので内容はハイヨー、シルバー!しか覚えてません。

しかし、その音楽は強烈に印象に残っていて、えらい格好いいなあと思ってました。

先日ネルロ・サンティさんの「どろぼうかささぎ」を聴いて、やっぱりロッシーニは凄いと思ったのです。あの単純さ、わかりやすさ、それでいてぐいぐいと心に入ってくる愉悦感、万人を有無をいわせず楽しくしてしまうパワーは無二のものです。

ローン・レンジャーがそのロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」だと知ったのはずっと後です。同名のオペラ序曲なのですが、序曲といっても4部構成で演奏時間は12、3分、「夜明け」、「嵐」、「牧歌」ときて最後がこの「スイス軍の行進」となりますから小さな交響曲のようなものです。

このギャロップを聴いて心ときめかない人はおられないのでは。ストレスも憂さも吹っ飛びますね。7歳の僕でも心がワシづかみでしたから、胎教にもいいだろうし小さいお子さんをお持ちのかたはこれを聞かせてあげるといいでしょう。このVTRは「牧歌」からで、スイス軍は2分30秒から。若きクラウディオ・アバドの快演です。聴衆はロックのノリですね。

もうひとつ、こっちは古典的録音として神格化の域にあるアルトゥーロ・トスカニーニです。行進は2分47秒から。

これを含むロッシーニ序曲集としてお薦めできるものを挙げます。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

41V6XP9DMHL音はモノーラルですがこの録音の価値は永遠です。「一家に一枚」もののクラシックのエヴァー・グリーンといえましょう。速いテンポ、ピンと張った緊張感、エッジの立った弦、小股の切れ上がったリズム、ツボを得た緩急とクレッシェンド、驚異的水準のアンサンブル、絶対の自信と権威のこもった棒。触れればはじき飛ばされるような勢いとパッションに満ち、僕にとってロッシーニといえばまずこういうものであり、ディファクト・スタンダードのようなものとなっています。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

karajanカラヤンはウィリアム・テルを5回録音してますが、2度目の1971年盤が圧倒的に素晴らしく僕は最も好きです。このスピード感、質量感、強弱のメリハリ、固めのバチのティンパニによるアクセントはそれだけで音楽の快感であり、トスカニーニの路線をより徹底したもので軍の行進というイメージがぴったりの名演奏です。NBC SOに対抗できるのはこのベルリンフィルしかないでしょう。録音まで考えればこれをベストとすることもやぶさかではありません。

 

ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団

MI0001075849序曲が全部そろった3枚組です。音楽の品格という意味でこの演奏は大変にレベルが高いもので、トスカニーニのラテン的な明晰さ、カラヤンのゲルマン的な質量感とは全く違う、軽妙さをたたえた流動感は実に快いものです。ウィリアム・テルの快速テンポ、涼やかな表情、きびきびした弦、みずみずしい管楽器、どれも最高級の愉悦感を保証してくれます。できれば上記2枚とそろえて、3種類をもっていたいものです。youtubeよりマリナーのウィリアム・テル序曲を全曲です。

 

 

 

 

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ネルロ・サンティ指揮N響をきく(11月22日Cプロ)

2014 NOV 22 22:22:15 pm by 東 賢太郎

以前ブログに、曲が良ければ演奏者は誰でもよいと書いた。今日はそのメッセージを撤回しなくてはいけないかなと思っている。最近仕事でつかれ気味で今日も居眠りしなければいいなと心配したが、1時間の昼寝が効いてコンディションはOK、冴えた頭でじっくりときかせていただいた。

ロッシーニ歌劇「どろぼうかささぎ」序曲                             ベルリオーズ序曲「ローマの謝肉祭」作品9                            チャイコフスキー「イタリア奇想曲」作品45                            レスピーギ交響詩「ローマの松」

というプログラム。サンティは国内外で何回も感銘を受け、2009年にN響とやったラ・ボエームはあまりにすばらしく2日とも聴いてしまった。そして1996年チューリヒ歌劇場でのラ・ボエームでのことは忘れられない。 プッチーニ 「ラ・ボエーム」 第1幕の絶不調のテノールを指揮台のすぐ後ろの席で(けっこう大声で)罵倒したら振り返ったサンティさんにおっかない顔で睨みつけられてしまった。

しかしそのあとのオーケストラ・パートの素晴らしさといったら!もうヘボのロドルフォのことなどすっかり忘れてピットの中を夢見心地で覗き込んでいた。

そして、今日のN響の第1ヴァイオリンの音の良さはいったい何なんだろう?コンマスはサンティが連れてきたのだろう、チューリヒ歌劇場コンマスの岡崎慶輔であり、いつもとは全然違う、圧倒的にグレードの高い格別の音が鳴った。ヨーロッパの一流オケに遜色ない見事な音だ。普段とのあまりの差に呆然とするばかり。

岡崎は1曲ずつ、計4回のチューニングを、まず管、そして弦と入念に行った。ピッチの完璧な良い音を届けようというプロの良心があれば当たり前のことだと思うのだが、どれだけのオケがそれを励行しているか。ヴァイオリンのピッチのずれというのは、非常に微細なものであっても音色に大きく影響していると僕は思う。

そしてヴァイオリンがきたない、特に高音のトゥッティが微細に歪むオケなど僕は聴くに値もしないと断言したい。それは指揮者の耳の良し悪しでもあるがコンマスの良心でもあろう。そしてそれにヴィヴィッドに反応して評価する聴衆の問題でもある。味がわからない客ばかりであれば本気で腕を磨こう、振るおうという料理人も出てこない。

とにかく今日は1曲目のロッシーニから岡崎の率いる弦が全セクションのクオリティを規定してしまい、耳をそばだてて聴くしかない空気が客席を覆い尽くした。こんなことは過去何回もない。いつも聴いているヴァイオリン群、あのひどい音は何なんだ。彼をコンマスにして大幅入れ替えをやったらワールドクラスになるのに。

そして指揮だ。あわてず騒がず盛り上げの疾走もしないロッシーニがずっしりと腹に応えるごちそうになる。「ローマの謝肉祭」の管の色彩感がラテンを感じさせる。「イタリア奇想曲」のいささか安っぽい旋律も浮かない(この曲をこんなに真面目に聴いたのは人生初めてだ)。

ローマの松も極彩色のタペストリーではない。じっくりと曲想を掘り下げ、スコアから音楽のエッセンスを紡ぎだす趣の演奏であった。この曲に僕が何を求めるかはこちらをご覧いただきたいが、( レスピーギ 交響詩「ローマの松」)納得感の高いアプローチであり満足した。

ジャニコロの松のクラリネットの弱音はたいへん美しかった。印象派風のパッセージと和声変化をあまりあざとく印象派風に響かせない趣味の良さも大賛成。明晰なイタリアンと評するより霞の向こうのR・シュトラウスという風情。不満は鳥のピヨピヨがやや大きかったかなというぐらい。

だが辛口の言になるが、オケの方はオーボエソロの入りのテンポや、ブラスがワールドクラスにはきき劣りするなどいろいろ微細なところでの技術や集中力が気になってしまう。この曲はあらゆる管弦楽曲の中で最も大きな音のする曲のひとつだが、全力の全奏にそういう事が出てしまう。フィラデルフィア管弦楽団でこれを聴いてしまうともうどうしようもない。日本対ブラジルのサッカーぐらいの差である。

サンティさんのような耳の良い方がこのオケを「世界の一流オーケストラの一つ」(プログラム)と言ったというのは本心かなと思う。それならコンマスを連れてこないのではないか。お世辞に浮かれるのでなく、真の世界水準の楽団が必要だと切に思う。そして今日のレベルの演奏を青少年に聴かせれば、クラシックの未来は充分明るいものになるであろう。演奏家の良し悪しは、やっぱり大きな要素なのだと得心した次第。

 

(こちらをどうぞ)

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

 

 

 

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クラシック徒然草-秋に聴きたいクラシック-

2014 OCT 5 12:12:43 pm by 東 賢太郎

以前、春はラヴェル、秋にはブラームスと書きました。音楽のイメージというのは人により様々ですから一概には言えませんが、清少納言の「春はあけぼの」流独断で行くなら僕の場合やっぱり 「秋はブラームス」 となるのです。

ブラームスが本格的に好きになったのは6年住んだロンドン時代です。留学以前、日本にいた頃、本当にわかっていたのは交響曲の1番とピアノ協奏曲の2番ぐらいで、あとはそこまでつかめていませんでした。ところが英国に行って、一日一日どんどん暗くなってくるあの秋を知ると、とにかくぴたっと合うんですね、ブラームスが・・・。それからもう一気でした。

いちばん聴いていたのが交響曲の4番で毎日のようにかけており、2歳の長女が覚えてしまって第1楽章をピアノで弾くときゃっきゃいって喜んでくれました。当時は休日の午後は「4番+ボルドーの赤+ブルースティルトン」というのが定番でありました。加えてパイプ、葉巻もありました。男の至福の時が約束されます、この組み合わせ。今はちなみに新潟県立大学の青木先生に送っていただいた「呼友」大吟醸になっていますが、これも合いますね、最高です。ブラームスは室内楽が名曲ぞろいで、どれも秋の夜長にぴったりです。これからぼちぼちご紹介して参ります。

クラシック徒然草-ブラームスを聴こう-

英国の大作曲家エドワード・エルガーを忘れるわけにはいきません。「威風堂々」や「愛の挨拶」しかご存じない方はチェロ協奏曲ホ短調作品85をぜひ聴いてみて下さい。ブラームスが書いてくれなかった溜飲を下げる名曲中の名曲です。エニグマ変奏曲、2曲の交響曲、ヴァイオリン協奏曲、ちょっと渋いですがこれも大人の男の音楽ですね。秋の昼下がり、こっちはハイランドのスコッチが合うんです。英国音楽はマイナーですが、それはそれで実に奥の深い広がりがあります。気候の近い北欧、それもシベリウスの世界に接近した辛口のものもあり、スコッチならブローラを思わせます。ブラームスに近いエルガーが最も渋くない方です。

シューマンにもチェロ協奏曲イ短調作品129があります。最晩年で精神を病んだ1850年の作曲であり生前に演奏されなかったと思われるため不完全な作品の印象を持たれますが、第3番のライン交響曲だって同じ50年の作なのです。僕はこれが大好きで、やっぱり10-11月になるとどうしても取り出す曲ですね。これはラインヘッセンのトロッケン・ベーレンアウスレーゼがぴったりです。

リヒャルト・ワーグナーにはジークフリート牧歌があります。これは妻コジマへのクリスマスプレゼントとして作曲され、ルツェルンのトリープシェンの自宅の階段で演奏されました。滋味あふれる名曲であります。スイス駐在時代にルツェルンは仕事や休暇で何回も訪れ、ワーグナーの家も行きましたし教会で後輩の結婚式の仲人をしたりもしました。秋の頃は湖に映える紅葉が絶景でこの曲を聴くとそれが目に浮かびます。これはスイスの名ワインであるデザレーでいきたいですね。

フランスではガブリエル・フォーレピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115でしょう。晩秋の午後の陽だまりの空気を思わせる第1楽章、枯葉が舞い散るような第2楽章、夢のなかで人生の秋を想うようなアンダンテ、北風が夢をさまし覚醒がおとずれる終楽章、何とも素晴らしい音楽です。これは辛口のバーガンディの白しかないですね。ドビッシーフルートとビオラとハープのためのソナタ、この幻想的な音楽にも僕は晩秋の夕暮れやおぼろ月夜を想います。これはきりっと冷えたシェリーなんか実によろしいですねえ。

どうしてなかなかヴィヴァルディの四季が出てこないの?忘れているわけではありませんが、あの「秋」は穀物を収穫する喜びの秋なんですね、だから春夏秋冬のなかでも音楽が飛び切り明るくてリズミックで元気が良い。僕の秋のイメージとは違うんです。いやいや、日本でも目黒のサンマや松茸狩りのニュースは元気でますし寿司ネタも充実しますしね、おかしくはないんですが、音楽が食べ物中心になってしまうというのがバラエティ番組みたいで・・・。

そう、こういうのが秋には望ましいというのが僕の感覚なんですね。ロシア人チャイコフスキーの「四季」から「10月」です。

しかし同じロシア人でもこういう人もいます。アレクサンダー・グラズノフの「四季」から「秋」です。これはヴィヴァルディ派ですね。この部分は有名なので聴いたことのある方も多いのでは。

けっきょく、人間にはいろいろあって、「いよいよ秋」と思うか「もう秋」と思うかですね。グラズノフをのぞけばやっぱり北緯の高い方の作曲家は「もう秋」派が多いように思うのです。

シューマンのライン、地中海音楽めぐりなどの稿にて音楽は気候風土を反映していると書きましたがここでもそれを感じます。ですから演奏する方もそれを感じながらやらなくてはいけない、これは絶対ですね。夏のノリでばりばり弾いたブラームスの弦楽五重奏曲なんて、どんなにうまかろうが聴く気にもなりません。

ドビッシーがフランス人しか弾けないかというと、そんなことはありません。国籍や育ちが問題なのではなく、演奏家の人となりがその曲のもっている「気質」(テンペラメント)に合うかどうかということ、それに尽きます。人間同士の相性が4大元素の配合具合によっているというあの感覚がまさにそれです。

フランス音楽が持っている気質に合うドイツ人演奏家が多いことは独仏文化圏を別個にイメージしている日本人にはわかりにくいのですが、気候風土のそう変わらないお隣の国ですから不思議でないというのはそこに住めばわかります。しかし白夜圏まで北上して英国や北欧の音楽となるとちょっと勝手が違う。シベリウスの音楽はまず英国ですんなりと評価されましたがドイツやイタリアでは時間がかかりました。

日本では札幌のオケがシベリウスを好んでやっている、あれは自然なことです。北欧と北海道は気候が共通するものがあるでしょうから理にかなってます。言語を介しない音楽では西洋人、東洋人のちがいよりその方が大きいですから、僕はシベリウスならナポリのサンタ・チェチーリア国立管弦楽団よりは札幌交響楽団で聴きたいですね。

九州のオケに出来ないということではありません。南の人でも北のテンペラメントの人はいます。合うか合わないかという「理」はあっても、どこの誰がそうかという理屈はありません。たとえば中井正子さんのラヴェルを聴いてみましたが、そんじょそこらのフランス人よりいいですね。クラシック音楽を聴く楽しみというのは実に奥が深いものです。

 

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レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

2013 NOV 28 0:00:23 am by 東 賢太郎

ローマ法を勉強して驚いたのは、日本国刑法で他人の飼い犬を殺すと「器物損壊罪」になることのルーツがローマにあったことだ。どうしてかわいいペットが「器物」になってしまうのだろう?

これはキリスト教が「人は神との契約を結んだ存在」としてその他すべて(万物という)と人とを区分したことが根本原理となる。法の主体は人である。動物は人ではないから万物である。従って、法の主体でない動物(飼われていない動物=野良犬)を殺しても法は関知しない(=罪ではない)が、人の所有する動物は他人(=法の主体である)の所有権を侵害したから罪になる。他人の所有物を壊す罪は器物損壊罪である。従って、他人の飼い犬を殺すと器物損壊罪である、というロジックだ。

2000年も前のローマ法が欧州刑法を経由して極東の日本国刑法にまでこうして形を伝えている。

刑法261条

他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

ローマは世界の現代社会の背骨を作っている。ローマ史にはそうした人間の英知と同時に、人間の残虐さも刻まれている。ローマ皇帝は帝政ローマ期の全歴代152人いたが65%が自然死以外(暗殺、戦死、不審死)で死んでいるという。皇帝は終身職なのでクビにできず殺すしかなかった事情があるが、同時に、皇帝でこれなのだから一般民はと思うと恐ろしい。

ローマの大火は西暦64年7月19日未明に、写真の「チルコ・マッシモ」(競技場、下の写真)の一階売店から上がった火の手が延焼して全ローマに広がった。放縦をきわめた皇帝ネロが自ら火を放ったという噂が広がり、焦ったネロは出火原因の濡れ衣を当時は異教徒だったキリスト教信者に負わせた。

 

チルコマッシモ

民衆を「パンと見世物」で統治したのがローマだ。ネロは多くのキリスト教徒を逮捕すると、即決裁判で全員に死刑判決を下した。史実かどうか知らないが、囚人を飢えたライオンに食わせるのが「見世物」となったようで、血に飢えた民衆は女子供まで見て喝采したという。草食系の日本人とは程遠い感性だ。その舞台がこの写真の競技場だったとレスピーギは述べている。反対側が皇帝の住居であるパラティーノの丘。カエサルはここで競技を見た。アントニウスが皇帝の冠を差し出し、カエサルはそれを拒否したが、王制を嫌悪するローマ市民はそれを見て騒然としたという。カエサルはその1か月後に暗殺された。

<ローマの祭り(Feste Romane)>

第1曲「チルチェンセス」

「チルコ・マッシモ(競技場)の上に威嚇するように空がかかっている。しかし今日は民衆の休日、「アヴェ・ネローネ(ネロ皇帝万歳)」だ。鉄の扉が開かれ、聖歌の歌唱と野獣の咆哮が大気に漂う。群集は激昂している。乱れずに、殉教者たちの歌が広がり、制し、そして騒ぎの中に消えてゆく。」

(注・ファンファーレがネロ万歳、トロンボーン・チューバのスタッカートで鉄門からライオンが入場、聖歌が襲われるキリスト教徒の神への祈り、グリッサンドの暴虐な金管が襲い掛かるライオン、そして残酷な結末を迎える)

第2曲「五十年祭」

「巡礼者達が祈りながら、街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から渇望する目と切望する魂にとって永遠の都、「ローマ、ローマ」が現れる。歓喜の讃歌が突然起こり、教会はそれに答えて鐘を鳴り響かせる。」

(注:イントロは食い殺されたキリスト教徒の魂が昇天するかのようである。歓喜の頂点で鐘が鳴るのが実に印象的。鐘を効果的に使った例としてはベルリオーズの「幻想交響曲」と双璧といえる。ハ長調に対して鐘をシ♭にした効果は絶大で、作曲者の才能を僕はここで最も感じる。)

第3曲「十月祭 L’Ottobrata」

ローマの城で行われるルネサンス時代の祭がモチーフ。ローマの城がぶどうでおおわれ、狩りの響き、鐘の音、愛の歌に包まれる。やがて夕暮れ時になり、甘美なセレナーデが流れる。

(注:この部分はリムスキー・コルサコフの兄弟弟子にあたるイーゴル・ストラヴィンスキーの影響を感じる。そしてこの響きがコープランドの「アパラチアの春」に遺伝している)

第4曲「主顕祭 La Befana」

ナヴォナ広場で行われる主顕祭の前夜祭がモチーフ。踊り狂う人々、手回しオルガン、物売りの声、酔っ払った人(グリッサンドを含むトロンボーン・ソロ)などが続く。強烈なサルタレロのリズムが圧倒的に高まり、狂喜乱舞のうちに全曲を終わる。

( 冒頭は完全にストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」の格下のコピーである。)

この曲はローマ三部作の中で芸術性においては最も劣る。「噴水」にあった高雅な印象派の香りは「松」でやや失せ、ここに至ってはほとんど失せ、一つ間違えば安手の映画音楽に 淫する。ただ、管弦楽の華やかさではレスピーギの技法の頂点ともいえ、それを充分に発揮させた場合の演奏効果は非常に高い。アレクサンドル・ラザレフが読響を振ったライブは圧倒された。

 

リッカルド・ムーティ / フィラデルフィア管弦楽団

ムーティ レスピーギこの曲の文句なしに最高の名演である。同じオケながら、これも悪くないオーマンディー盤が偏差値65なら、それをはるかに凌駕するこれは70を超える。このオケをムーティ指揮で毎週2年間聴いた僕として、この演奏こそ彼らのベストフォームのひとつと断言してもいい。イタリア移民の街フィラデルフィアでイタリア人ムーティのプライドを賭けた渾身の演奏である。金管ばかり目立つ曲だが、主顕祭の弦のうまさをよく聴いてい欲しい。あらゆるオケ演奏の究極の姿であり、この曲がどんなにチープであろうと聴く者を震撼させる恐るべき音楽を聴くことができる。

 

ジュゼッペ・シノーポリ/ ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

シノ―ポリこの曲を初演したのはこのオケとトスカニーニである。ユダヤ系イタリア人シノ―ポリはパドヴァ大卒の心理学者であり脳外科医でもあり、マルチェルロ音楽院卒の作曲家でもあった。2001年に彼が55歳の若さでアイーダの指揮中に亡くなった衝撃はよく覚えている。92年にウイーンフィルと来日した際にNHKホールで聴いたR・シュトラウス「ドン・ファン」のテンポの遅さは参ったが、ユニークな表現をする人だった。「噴水」「松」だけでなくこの曲をやったのは意外だが、ここではスコアを作曲家の眼で読み解いていて違う曲に聴こえる。

 

最後に、「祭り」だけでなく三部作としての真打ちの登場である。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

4547366068405三部作をまとめたCDとして永遠の価値を有するスタンダードであり、人類の誇る名盤中の名盤である。確信のこもった弦のフレージングに血が通い、常に表現に曖昧さは一切なくメリハリが利き、叙情的な場面では神秘的な透明感があり、すべてにわたって地中海の空気に満ち満ちている。木管、金管のうまさはもはや驚異的な領域であり、オーケストラ・プレイの完成度でこれに対抗できるのは上記ムーティ盤のみだろう。三部作を好きな方は当然お持ちだろうし、これから聴いてみようという方は迷う必要は一切ない。これを何度も聴いて、異演盤を聴くのが王道である。全曲を通してどうぞ。

 こちらは珍しいピアノ連弾版です。

ガリア戦記はカエサルのブログである

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

2013 NOV 26 12:12:06 pm by 東 賢太郎

イタリアの高校の歴史教科書にこうあるらしい。

「指導者に求められる資質は、次の5つである。知性・説得力・肉体上の耐久力・自己制御の能力・持続する意思。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」

bk-4061591274それは「ガリア戦記」を読めば納得する。周知のとおりこの書は彼が「朕は」ではなく「カエサルは」と三人称にて自らの戦略、機略、戦果を克明に活写した軍記である。全七巻を書いた期間については諸説あるが、そのいずれであれ戦場で書いたに違いなく、多忙なビジネスマンが出張先のホテルでブログを書くぐらい(以上?)の速度での執筆でないと到底不可能な分量だ。それにして簡潔、緻密、克明であり、武将というよりも博学な科学者、技術者の文章というイメージを覚える。選挙用のプロパガンダ目的があったようだが、同行の何万という兵士たちも読者、有権者であり虚偽は書けない。彼は弁論術、文才においてもキケロに対抗できる唯一のローマ人といわれた。すさまじいアウトプット能力でありそれは彼の精力にも通ずる。知略には優れたが虚弱で男子がなかったアウグストゥスでなく、この男が共和制を壊して君臨していたら・・・ほとんどのローマ史好きの夢想ではないだろうか。

クレオ                              彼が元老院で暗殺された日にクレオパトラはローマにいた。彼女との逢瀬が暗殺の直因ではないにせよ、つかまっていたらクレオパトラも殺されたかもしれない。そうであったならプトレマイオス朝はそこで終焉を迎えたし、彼女はアントニウスを色香で籠絡もできなかったから、アントニウスはオクタヴィアヌスに攻め殺されることもなかった。鼻の高さがどうあれ、魅力的な話術と小鳥のような美しい声でカエサル、アントニウスを手玉に取った、ローマ史を根底から変えた偉大な女だ。オクタヴィアヌスがアウグストゥスを名乗ると、ローマ帝国の共和政は終わり崩壊への端緒が開かれる。8月は計30日になってアウグスト(August)に呼称を変えたから、世界も変えた。カエサル暗殺現場はフォロ・ロマーノではないが、遺体を焼いた場所はそこにある。遺灰は雨に流され、何も残らなかったそうだ。

「クレオパトラとカエサル」(ジャン・レオン・ジェローム画)

 

アッピアカエサルが20代の頃、第3次奴隷戦争(スパルタクスの乱)が起きた。初めてイタリア本土で起きた内乱でありローマは騒然となった。クラッスス、ポンペイウスに平定され、捕えられた奴隷はアッピア街道(右)添いに100km先のカプアに至るまで累々と十字架に磔(はりつけ)にされた。スパルタクスの遺体はなかったというのが信長みたいでなかなか格好いい。ローマ史では逆族あつかいの男だがマルクス、レーニンが正しい戦争と称賛したことは有名だ。アカは使えるものは何でも使う。そして、ルビコン川を渡ったカエサルに追われたポンペイウスはそのアッピア街道を南下して逃げた。

 

第4曲「アッピア街道の松」にレスピーギが寄せた思いは何だったろう。松これが「ローマの松」全曲を締めくくる音というものは、あらゆる管弦楽曲のなかでオーケストラが出す最大級の音響だ。もう轟音に近い。それとは対照的に繊細な音が終始する「噴水」で時刻とともに移り変わる光彩を描いたレスピーギは、作曲の20年前に描かれたクロード・モネの「ルーアン大聖堂」を知っていたのだろうか。「噴水」がフランス印象派の装いを示すなら、この「アッピア街道」でのローマ重装歩兵の行軍は音のドラマである。

前回にご紹介した「ローマの噴水」という曲は数奇な運命があって、1908年にメトロポリタン歌劇場で米国デビューしたトスカニーニが浮気がばれてメットを去り、15年にイタリアに帰国していた。そこで「自国の管弦楽曲」を探していたトスカニーニはボローニャの歌劇場でヴィオラを弾いていて才能を評価していたレスピーギに声を掛けた。レスピーギは17年のローマでの初演で評論家の失笑を買って机の引き出しにしまいこんでいた「噴水」のスコアを渡した。そこでトスカニーニがミラノで行なった18年の再演が大当たりとなり、一気に有名曲の仲間入りを果たしたのだ。浮気が引き金だ。音楽でも歴史は女が動かしている。

「オペラでなく管弦楽曲を」というのは、ニューヨーク赴任を経て、ラジオ、映画という米国の巨大な音楽市場の未来を見こしたトスカニーニの卓越したマーケティングセンスの賜物ではないかと想像する。芸術に資本主義は似合わないが、ベートーベンだって貴族からの注文だけでなくパリやロンドンの市場動向に敏感だったのだ。特に米国の管弦楽曲へのニーズという市場動向と米国音楽史は無縁ではない。グローフェの「グランドキャニオン組曲」は20年に着想された(31年完成)。ガーシュインは「ラプソディー・イン・ブルー」(24年)、「パリのアメリカ人」(28年)を書いた。

作曲年をよく見てほしい。「ローマの松」(24年)、「ローマの祭り」(28年)と完全にコンテンポラリーだ。「噴水」はフランス印象派の血脈を引いた音楽、「松」と「祭り」はトスカニーニの影響下でアメリカを意識した音楽であり、両者には断層がある。こう理解することで、なぜトスカニーニが芸風とかけ離れた「ラプソディー・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」や「星条旗よ永遠なれ」までをNBC交響楽団と録音し、なぜローマ三部作に名盤を残したのかよくわかる。三部作は彼の子どもなのだ。そしてこの大河の下流にべラ・バルトークの「管弦楽のための協奏曲」(43年)、アーロン・コープランドの「アパラチアの春」(44年)という名曲が現れるのではないだろうか。

<ローマの松(I pini di Roma)>

以下、①-④は切れ目なく続けて演奏される。青字はすべてレスピーギ自身による解説である。天下の名曲、ぜひ全曲をお聴きいただきたい。

『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている。 

①ボルゲーゼ荘の松

「ボルゲーゼ荘の松の木立の間で子供たちが遊んでいる。彼らは輪になって踊り、兵隊遊びをして行進したり戦争している。夕暮れの燕のように自分たちの叫び声に昂闘し、群をなして行ったり来たりしている。突然、情景は変わり、第二部に曲は入る。」

②カタコンバ付近の松

「カタコンバの入り口に立っている松の木かげで、その深い奥底から悲嘆の聖歌がひびいてくる。そして、それは、荘厳な賛歌のように大気にただよい、しだいに神秘的に消えてゆく。」

③ジャニコロの松

「そよ風が大気をゆする。ジャニコロの松が満月のあかるい光に遠くくっきりと立っている。夜鶯が啼いている。」

④アッピア街道の松

「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

①はいきなりまばゆい音のシャワーを浴びせかける。フルート、クラリネット、鉄琴、チェレスタ、ピアノの細かい音符の上下動にトライアングルとトランペットの信号音。オーボエに弦はヴァイオリンとヴィオラだけでトレモロ。低音は一切なし。高音楽器のみのアンサンブルはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の冒頭を思わせる。③には作曲当時最新だったグラモフォンによるナイチンゲール(夜鶯)の鳴き声の録音が流れる。このあたりの濃厚な後期ロマン派的和声は本当にすばらしい。

 

CDは以下のものを推す。

アルトゥーロ・トスカニーニ / NBC交響楽団

1953年(カーネギーホール)のこの録音はトスカニーニの名刺代わりであるばかりでなく、作品のイデアを刻み込んだ人類の遺産だ。作曲家の意図を同時代人がこれほど完璧にリアライゼーションをしてしまえば後世は為すすべがない。20世紀に至って作曲家の自演は多く存在はするが、演奏としてこのレベルに達したものは極めて稀であり、しかもそれは現代の高水準の演奏レベルでも再現し難い専制君主型指揮の比類ない合奏力と緊張間の中で行われるという絶対的価値持つのである。地球が滅びるまで永遠に聴き継がれるであろう無二の演奏記録だ。

 

ユージン・オーマンディー/ フィラデルフィア管弦楽団

レスピーギフィラデルフィアはイタリア系移民の人口比が多い。サンドイッチの「ホーギー」やアイスクリームなど、食文化にもそれが色濃く残っていたのを思い出す。レスピーギがこのオーケストラに招かれたのもそういう背景があろう。上記青字の作曲者解説は彼が1926年1月15日に自作自演した演奏会のプログラムノートである。直伝のパート譜があるに違いなく免許皆伝の演奏とはこのことであり、しかもそれが史上最高級の演奏技術と音響によって再現されている。こういう美麗な音を聴かずに死んでは人生がもったいない。58年の旧録音、68年の新録音が入っているが録音の鮮度を含めて甲乙つけがたい。

 

レオポルド・ストコフスキー / シンフォニー・オブ・ジ・エア

このオーケストラはトスカニーニのために組成されたNBC響が彼の死後にNBCから契約を打ち切られ、名前を変えて存続した団体である。1941年にNBCと不和になってトスカニーニが辞任した折に常任に呼ばれたのが40年にフィラデルフィア管ともめて退任していたストコフスキーだった。この録音は59年(トスカニーニの没後2年)、このオケがこの旧知の彼を招いて前任の十八番を振らせたものだ。前半はトスカニーニの刻印を色濃く残すが最後のアッピア街道はテンポが遅く、あの推進力を顕著に欠く。エンディングのティンパニは改変されているが、ストコフスキーの抵抗だろうか。上述の「後世は為すすべがない」ことを彼ほどの有力な指揮者ですら示していると思われる非常に興味深い記録だ。

 

2台ピアノ版です。ビデオも楽しめます。

レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

 

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レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」

2013 NOV 24 12:12:30 pm by 東 賢太郎

地中海音楽めぐりイタリア編、その2はイタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギの名作「ローマの噴水、ローマの松、ローマの祭り」を3回に分けて。

僕は古代ローマ好きで本は片っぱしから読んでおり、大学ではローマ法まで勉強しました。だから人生なにをおいてもフォロ・ロマーノに行ってみたくてたまりませんでした。現在の東京でいえば永田町、霞が関、丸の内、大手町を一緒にしたようなところ、つまり大ローマ帝国の政治と権力と富の中枢が集結した場所です。

1983年、留学中のウォートンスクールの夏休みにさぼって欧州旅行した折、友人家族と一緒にベルギーから遠路はるばる車でここまで来てしまいました。

真夏の快晴の日でした。その、忘れもしない、憧れのフォロ・ロマーノの遺跡に初めて足をふみ入れた時のことです。なにか体じゅうに電気が流れるような、地面からエネルギーが放射されるような感じがいたしました。悪い感じではなく、むしろ元気が出るようなものだったのですが、足が妙に震えたので気になりました。興奮していただろうし、霊感とか霊気とか、僕はそういう手の話にはとんと縁のないほうです。体が心配になり他の人にききましたが何もなく、あれは何だったのか、今もよくわかりません。

大体のツーリストは1時間ぐらいでぐるりと一周して、それでも相当歩かされますが、ガイドの説明を聞いて終わります。しかし僕は、あらゆる廃墟の壁のあらゆる背面まで仔細に見て回り、道のない木立の裏側まで探索し、土や石に触り、あちこちに何分間も立ち止まっては「ここにカエサルの遺体が・・・、ここでトラヤヌスのダキア征服が・・・」など(たぶん)ぶつぶつ講釈をたれた。友人は、「暑いな、東、そろそろ行こか」となる。アウグストゥスの家があった「パラティーノの丘」が目に焼きつき、家は必ずこういう感じの高台に建てるぞと意を決したのはその時でした。

この訪問が物足りなかったのでそれ以来2回ここへ行くためにローマへ行きました。リピーターなんです。ここでぼーっとしていると、やはり電気で痺れた感じになり、朝から晩まで時が過ぎます。写真を見るだけでなにかざわざわと血が騒ぎ、心臓がどきどきしてきます。自分もだという方がもしおられたら是非ご連絡ください。一生の友達になれるでしょう。だいぶ話が遠回りになってしまいましたが、このフォロ・ロマーノに行ったり写真を見たりすると、まるでBGMのように頭の中で自動的にプレイバックするのがこの噴水、松、祭りという、いわゆる「ローマ三部作」なのです。

それはライン川でシューマンの3番が勝手に鳴るのと全く同じ現象であり、噴水や松や祭りを媒体として古代ローマへの幻想をかきたてるといった風情の音楽としてワークしています。少なくとも僕においては。もちろんローマ史を勉強しなくてもローマへ行かなくても面白い音楽であるわけですが、皮相的な聴き手から皮肉なことに皮相的な音楽と位置づけられてしまうのはレスピーギが気の毒です。作曲家存命中もアメリカでの評価の方が高かったそうで、歌の国イタリアという事情はあるにせよもっとシリアスなリスナーに評価されるべき名曲であると声を大にしたいところです。

3曲とも音の絵画の性格があり、「祭り」にライオンの吠え声の描写、「松」には録音した本物のナイチンゲールの声が現れます。こういうところが「えせシリアス」なリスナーに馬鹿にされてしまう。しかしレスピーギは「噴水」のスコアに4つの噴水が喚起する「感情と幻想」を表現しようとしたと書いており、ライオンもナイチンゲールもベートーベンの田園交響曲の鳥の声と同じ役割という趣旨で使われたと思われます。ただレスピーギが用いた語法はマイクロスコーピックな主題労作と変奏ではなく和声と管弦楽法に多くを依存したものである点でベートーベンとは異なります。(参考)ベートーベン交響曲第6番の名演

レスピーギはリムスキー・コルサコフに管弦楽法を習いましたが、和声が醸し出す情感とそれを描く楽器法の幸福な結婚とでも形容するしかない瞠目すべき成果は師匠の交響組曲「シェラザード」と双璧です。シェラザードはピアノで弾いても面白いのですが、この三部作も(僕は弾けませんが)まったく同じでしょう。音楽の骨格ができている上でのオーケストレーションの妙であって、決して不美人が化粧でごまかしたような軽薄な音楽ではありません。化粧があまりにうまいので逆に損している美人なのです。

<ローマの噴水(Fontane di Roma )>

前述のようにスコアには「ローマの四つの噴水で、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して受けた感情と幻想に表現を与えようとした。」とあります。

①ジュリアの谷の噴水(夜明け)

Cattleオーボエが鳴り出すともうそこは朝靄のかかる薄明のローマの夜明けです。鳥が鳴きものうげな旋律が木管で奏でられ、Rシュトラウス「ばらの騎士」の銀のばらの献呈の場面に似た和音がでてきて、牛の群れがゆっくりと過ぎていく。あなたは幻想的な雰囲気の中、そのゆったりとした光景を眺めます。この噴水はどこか場所が特定できておらず、「ローマの松」にも登場するボルゲーゼ荘の中にある盆地のような場所のようです。

②トリトンの噴水(朝)

トリトンホルンが朝を知らせます。朝日に水しぶきがきらめく。トリトンは半人半魚の神で嵐で難破しそうな船を見つけると、ホラ貝で嵐を鎮めてくれる。このトリトンの噴水はローマの中心部バルベリーニ広場にあります。バロック期の著名な彫刻家ベルニーニの作品で、1643年に完成した。4頭のイルカに支えられた大きな貝の上にトリトンが乗り、空に向かって高々とホラ貝を吹いている。金管の勇壮な響きとチェレスタ、ピアノの繊細なきらめきが印象的です。

③トレヴィの泉(真昼)

トレビこの噴水はローマで最も有名なものでしょう。古代ローマ時代に敷設された水道のひとつであるアクア・ウェルギネの水を流し込んだ、18世紀につくられた巨大なバロック様式の人工噴水です。正午の太陽がのぼり、弦が喜びに沸き立つような3拍子の勇壮な主題を出します。海馬に引かせた馬車に乗り、トリトンや女神たちを従えたポセイドンの凱旋です。それが金管に受け継がれ、全曲の頂点となる。雲が起こり、海はまばゆいばかりに輝く。目がくらむような黄金の光の中、勝ち誇ったポセイドンの行列が目の前を通り過ぎて行く。そして遠くから響くトランペットの音とともに彼方へ消えていくのです。

④メディチ荘の噴水(黄昏)

メジチメディチ家の別荘であるヴィラ・メディチはローマを一望する高台にあります。この噴水からは夕陽とともに移ろっていくローマ市街が見渡せます。ローマ賞受賞者、ベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネ、ドビュッシーらが滞在したのはこの館です。一日も、そろそろ終わりを迎えようとしています。夕暮れの郷愁の時、大気は小鳥のさえずり、木々のざわめきなどで満ち溢れている。夕暮れの郷愁の時をむかえ、ゆっくりと空は暗さを増し、教会の鐘の音が響いてきます。やがて、すべてが静まり、音楽は夜のしじまの中に消えていきます。

月並みなローマ観光ガイドみたいになってしまいますが、レスピーギが描こうとしたのはどの噴水の風景でもなく、ローマ史です。この、そう大きくはない都市で古代からおこった数々の人間ドラマ。それを文字にすれば何千ページの書物になる。それを彼は文字ではなく音で表したということです。アラビアンナイトの物語に想を得てできた傑作シェラザードと同じく。「噴水」は物語を象徴する具象にすぎず、この曲の4つに加えて彼は4つの「松」、4つの「祭り」という、計1ダースの具象を選び取りました。しかしその底流にある彼のテーマ、それはローマ史への憧憬であるに違いありません。海外旅行好きの方はもちろんですが、むしろローマ史ファンの方にこそ聴いていただきたい名曲であります。

ローマ三部作といっても3曲が一気に書かれたわけではなく、噴水が1916年、松が1924年、祭りが1928年です。演奏頻度では松が高いですが、3曲まとめてというコンサートもありますね。噴水の1917年の初演時の評価は、本人がスコアをしまい込んでしまうぐらい惨憺たるものでした。それを再デビューさせ有名にしたのはアルトゥーロ・トスカニーニです。噴水に限らず、三部作は彼の演奏が決定版とされていて、たしかにそれに僕も異存はありません。そこでそのトスカニーニ盤のコメントは最後に回し、まずは各曲ごとに僕が好きなものをご紹介しましょう。

マイケル・ティルソン・トーマス /  ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

祭りこの指揮者が若いころ(1972年)ボストンSOを振った春の祭典は歴史的な名演です。複雑なテクスチュアを解析する抜群のセンス、漂う詩情、オケの透明感、若鮎のようなはじけるリズム感は余人のできる域を超えているのです。そして1978年、まだ彼は若かった。だから祭典と同じ水準の演奏、こんなに新鮮で水しぶきが光にはじけ飛ぶような表現ができたのでしょう。ロス・フィルのトップ奏者たちがこちらも繊細な感性で棒にこたえています。この曲だけは若い人のみずみずしい感性でやってもらいたい。世評はさほど高くないのですが第1に推したい名演であります。

 

フリッツ・ライナー /  シカゴ交響楽団

ライナーオーケストラの図抜けたうまさが光るCDです。①の朝もやにそこはかとなく浮かびくる叙情 。こういう音楽にこそ奏者ひとりひとりの実力が出ます。②のホルンの咆哮の深々とした響き!とラプソディックに現れては消える独奏楽器の陰影。うまいです。③のトゥッティの豪壮な鳴りっぷり。名人ぞろいのシカゴ響の威力全開であり、それをたばねるライナーの求心力、緊張感がスピーカーを通してひしひしと伝わってきます。だから④の弱音も痩せることなく、①と同じく詩情に満ち満ちた夕暮れの慕情が美しさの限りです。僕はこの演奏(LP)でこの曲を覚えました。だから今久々に聴きかえすと昔の教科書を開いたような郷愁にかられます。この名演で記憶できた幸運に感謝したいと思います。

 

2台ピアノ版です。これは面白い、ビデオも楽しめます。

レスピーギ 交響詩「ローマの松」

クラシック徒然草-フィラデルフィア管弦楽団の思い出-

2012 DEC 24 0:00:42 am by 東 賢太郎

フィラデルフィア管弦楽団は82-84年の2年間にわたって定期公演(金曜日のマチネ)を聴いた。当時は、ブロード・ストリートとローカスト・ストリートの交差点にある「アカデミー・オブ・ミュージック」(右の写真)が本拠地だった。このホールはアメリカの威信にかけて1857年に建設されたアメリカ最古のオペラハウスである。まだロッシーニは生きていたしプッチーニが生まれる前の年だ。ドヴォルザークの新世界やガーシュインのパリのアメリカ人が初演されたニューヨークのカーネギー・ホールが1891年建造だからその古さがわかる。チャイコフスキー、マーラー、リヒャルト・シュトラウス、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなどがここで演奏したという歴史的建造物だ。

中はこうなっている。しかし、問題がある。スカラ座を手本としたにもかかわらず、おそろしく残響がない。1~1.2秒ぐらいだろう。「イタリアのオペラハウスみたいにドライな音だ」(フリッツ・ライナー)、「音がすぐ消えてしまう。もっと気持ちよく伸びないと」(ピエール・モントゥー)、「音が小さいからクライマックスでパワーが得られない」(ヘルベルト・フォン・カラヤン)、「ここで録音はしたくない」(ユージン・オーマンディー)という具合だ。

1912年に音楽監督となったレオポルド・ストコフスキー(写真)、1938年になったユージン・オーマンディが連綿と作ってきた華麗なオーケストラの響きは「フィラデルフィア・サウンド」として有名だが、それはこのホールが本拠地だったことと妥協しながら作られたと言われている。

ちなみに、僕とワイフの座席はチェロのすぐ前だった。トータルなオケの音響としてのバランスは最悪だったが、そのかわりにオケの内部で鳴っている裸の音が手に取るようにわかるので僕には最高に面白かった。

 

まず弦楽器からコメントしよう。このオケの弦は並み居る欧米強豪オケの中でもチャンピオンクラスのパワーと瞬発力がある。管楽器のカラフルな響きが特色のように思われているが違う。弦こそあのサウンドの土台だ。例えばウイリアム・ストッキング率いるチェロセクションは12人がおのおのコンチェルトのソリストみたいに身体をゆすり、松脂を飛ばしてガンガン弾く。僕も当地で1年チェロを習ったからよくわかる。プレストやアレグロでも音圧が強く、発音(アーティキュレーション)はくっきりし、楽器が胴体まで鳴りきっていて、それでも出てくる音はまるで一人で弾いているように聴こえる。このような神業が平然と行われていて、そのシンクロぶりたるやもうスポーツ的快感だ。コンマスのノーマン・キャロル率いるバイオリンセクションも基本的にこのチェロと同系の弾き方と音色だと思う。

対して、金管セクションはフォルテの音量、エネルギー感、音圧が日本のオケとは比較にならないほど巨大で音は派手め、明るめ。金管全体がフォルテで鳴ったときにドイツやイギリスと違ってピラミッド型ではなく高音部のトランペットが目立つトップへビーなバランスになる。というより、そう鳴らさないと音の減衰率の高いアカデミー・オブ・ミュージックでは、カラヤンの言うようにクライマックスが盛り上がらないのだ。トゥッティで指揮者はものすごく強大な音を要求する傍ら、エコーがない分、入りのズレがはっきり聴衆に聴こえるので、弦と金管の客席との距離の差から生じる時間差を考慮したキューイングにも気を使うだろう。この強力な弦(特に低弦)とパワフルな高音部を持つ金管のバランスが明らかにフィラデルフィア・サウンドのベースである。

そこで木管だが、ここにちょっと問題があるように思う。弦と金管に混ざってあのホールでうまくバランスして聴こえるには音量と音のエッジがどうしても必要だ。だからだろうか、音色のあでやかさがやや足りないように思う。趣味の問題に過ぎないが、ドイツやフランスのオケにある色香を感じない。技術はすごいのだが、音響の制約からそういうもので勝負はできなかったのではないか。オーマンディー時代のフィラデルフィアのオーボエといえばジョン・デ・ランシーだ。24歳のころ、もう大御所だったリヒャルト・シュトラウス(右)を口説いてあのオーボエ協奏曲を書かせたツワモノであり、カーチス音楽院長時代にアメリカ嫌いのチェリビダッケを口説いて呼んできたのも彼だ。逆に、あの日、飛び込みで「入れてくれ」と口説きに来た、どこの馬の骨ともわからない僕にリハーサルの入場許可をくれたのも彼だ(僕のブログ  クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-ご参照ください)。

そんなランシー先生に恩をあだで返すようなコメントはしたくないが・・・。名人揃いだけにオーマンディーもソロ部分はある程度奏者におまかせだったように感じる。例えばシベリウスの2番、僕が曲を覚えた思い出の旧盤(CBS)の第2楽章だが、オーボエとクラリネットの低音ユニゾンのピッチがおかしい。こういうこともある。先生、不調だったのだろうか。しかし、録りなおせばいいのだからこれは指揮者の責任だ。作曲家がほめたといわれるオーマンディーの演奏だが、シベリウスは自作を熱心に演奏してくれる人は皆ほめる傾向があったらしい。僕が聴いたムーティ時代の2年間は先生の次の人だったが、一度もいいと思ったことがない。悲しいが、自分に嘘はつけない・・・。

アカデミー・オブ・ミュージックでのフィラデルフィア・サウンドとはどういうものか。好例として、最近買ってこれこれと思ったCDがある。この「レスピーギ・アルバム」の1枚目にある「ローマの祭り」だ。エコーは電気的に入れたのではと思うが(絶対にこんなにない)、この弦や木管の音がまさにそれだ。なつかしい。松と噴水は2種類入っている。すごい!うまい!このローマ3部作、最高の演奏は文句なくトスカニーニだが、このオーマンディーはステレオの対抗馬だ。さらにイタリア人のムーティーも後年に同オケでこれを録れていて、それまた素晴らしいので困ってしまう。いかにこのオケのオハコかわかる。組曲「鳥」の木管の音程は完璧で名誉挽回。このアルバム、最高級の音楽が入っている。ぜひお聴きいただきたい。

(追記)

オーマンディーのレコードの録音場所はアカデミー・オブ・ミュージックではありません。AOMがどんな音かはこれをお聴きいただけばわかります。この田園交響曲は留学時に聴いたもののFM放送をカセット録音したものです。こういう曲のほうが弦の驚異的うまさがよくわかります。

ジャン・フランセ「花時計 l’horloge de flore (1959) 」

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

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チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調 作品64 

 

 

 

 

 

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