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カテゴリー: ______シェーンベルク

ジョン・ケージ小論《 Fifty-Eightと4′33″》

2023 OCT 26 11:11:41 am by 東 賢太郎

(1)直島できいた心臓音の衝撃

4年前に瀬戸内海の直島に泊まった時に「心臓音のアーカイブ」を訪れた。『 心臓音の数だけ人の命があり、人生があり、一つとして同じものはありません。ハートルームで無数の心臓音に包まれていると、命の尊さ、儚さ、かけがえのなさに、自然と思いを巡らせていく・・』 というコンセプトでフランスの彫刻家クリスチャン・ボルタンスキーが2008年以降、世界中で集めた人々の心臓音を恒久的に保存し、聴くことができる小さな美術館である。もちろん、望めは誰でも自分の心臓音を登録できる。

心臓音のアーカイブ

幾人かのものを聴かせていただいたが、たしかに個人差はある。しかし僕を驚かせたのはそれではない、マイクロフォンで拡大された心臓音というもののたくましい雄々しさ、猛々しさであって、響きという静的な語感のふさわしいものではなく、嵐に大海がうねる波動を思わせたことだ。自分の中でこんな荒々しい作業が一刻の休みもなくおこなわれているだけでも俄かには信じ難いことであり、そのおかげで脳に血が回って意識の明かりが灯されているのだから生きているということはそれだけでも大変なことなのだ、しっかり生きなくてはと殊勝な気分すらしてきたものだ。

人体は音を出している。英語にはinner voiceという言葉があるが、良心と訳すのだから宗教的なコンテクストだろう。ハート(心臓)は即物的な器官であり、そんな善性のものでも、ロマンティックなものでもない。人間ドックで自分の胃や大腸の画像を見たとき、それは自分の一部分どころか得体のしれぬ赤い肉塊であって、他人のであっても見わけもつかない。それをあたかも僕の所有物であるかのごとく医者は語るのであり、それでいて、所有権者のはずの僕よりも医者はそれを知り尽くしているようにも語るのだ。その奇妙な感じ、経験者もおられよう。親にもらったものではあるが、親とて意図して製造したわけではなく、僕はせいぜいその管理者か保護者にすぎないというものでほんとうの所有者はわからない。親でも医者でもないなら、人智の及ばぬ天の彼方におられる全能の方であろうかという結論に漂着しても仕方ない感じがする。

ボルタンスキーの美術館は心臓音を展示するアートギャラリーであり、音というものに関心のある僕に衝撃を与えたカテゴリーキラーである。ちなみに直島はクオリティを世界に誇る総合造形芸術アイランドとして海外に著名である。島ごとが一個のオープンエア美術館といった風情であり、ボルタンスキーのような斯界の著名アーティストを自由に腕を振るわせる条件で参集してもらい、存分にその才能が発揮された展示物がそこかしこに点在するという夢のような場だ。ベネッセハウス様にお世話になったこのときの体験は、僕の造形アート理解の次元を飛躍的に変えてくれた(「野村ロンドン会」直島旅行)。

本稿をそれで書き起こすのは、まったくの偶然でyoutubeで発見したジョン・ケージの音楽をきいて、直島に遊んだゆったりした時間を思い出したからだ。そう、それはケージに似ているのだ。直島体験なかりせば僕はケージの音楽には無縁で終わっていたかもしれない。あそこでは、島の広大な敷地を生かして展示ホール内の残響まで周到に設計されていると感じた。それが周囲と一体になって生まれる空気感(アンビエンス)は残響にとりわけこだわりがある僕には忘れがたいものだった。そうした空気感というものはその場に立って五感で味わうしかなく、実は絵画や彫刻であっても、その「入れ物」である天井の高い美術館の空間と切っても切れないことはルーブルやメットに行った人はご存じだろう。

(2)無響室で聴こえるもの

残響とアンビエンスを正面から論じる音楽評論家は見たことがない。オーディオ評論家はいそうなものだがやっぱり見たことがない。木造家屋に住む日本人にとってそれは録音会場まかせのディファクトであって、レコードやCDの「録音評」の仕事であり、どんなオーディオ装置でそれをうまく鳴らすかという商売に持ちこまれてしまう。僕のようにリスニングルームを石造りにして自家で発生させようなどという人はまずいないし、業界としては困った変人扱いだろう。とんでもない。チェリビダッケはある曲のテンポ設定の質問にフルトヴェングラーが「それは音がどう響くかによる」と答えたのをきき、メトロノームの数字だけを元に決められたテンポ設定は無意味だと悟っている。残響とアンビエンスを重視しない人の演奏も音楽評論もダメなのだ。

僕はある会社の無響室に入れてもらって、残響ゼロの世界に絶句したことでそれを悟った。ジョン・ケージはハーバード大学で初めて無響室に入ったときの経験をこう語っている。「無音を聴こうとしたがそれは叶わず、二つの音を聴いた。一つは高く、一つは低かった。エンジニアにそのことを話すと、高いほうは神経系が働いている音で、低いほうは血液が流れている音だという答えだった。体内からの音を聴き、沈黙をつくろうとしてもできないこと、自分が死ぬまで音は鳴り、死後も鳴りつづけるだろうから音楽の未来は大丈夫と考えた」。ケージは体内の音を聞いたことで宇宙に無音はないとポジ・ネガ転換した発想を持った。僕は自分が発した声の変調に驚き、シーという耳鳴りを聞いたのを除けば、ここに閉じ込められたらという恐怖だけだった。真空の宇宙空間は無音だが、それは鼓膜が察知する波動がないというだけであり、体内に発する波動も脳は「音」と認識することをケージは発見した。脳が創り出しているものが「音」の正体ならば、宇宙の果てまで行こうが音はある。その命題は人体という小宇宙を起点とした宇宙観の転換にすぎないわけだが、それを考察する我々の脳も宇宙の一部だから正しいといえなくもない。

(3)遠い記憶

幼時に「ぷかぷかと宇宙に浮遊した」ときのことは前稿に書いたが、浮遊というとルネ・マグリットのこの著名な絵がある。しかし、こうではなかった。

もっと暗くて、心象はこんな質量感を伴う現実で、だから怖かったのであり、

こんな無重力感があった。あれは母の胎内にいたときのぷかぷかだよと言われればさもありなんという感じのものだ。でも、もしそうならば、あの重いものを移動させろ(Carry That Weight か?)という強烈な義務感は何だったのだろう?

その時の気分を思い出すものがないかと長らく探していた。あった。この音響が与えるイメージ、うなされていた時の「感じ」に似ている気がする。

これを聞きながら瞑想する。あの光景がゆっくりと心に満ちる。神が杖(つえ)をかざすと持続音の暗い霧に新たな音が一条の光のように差し込んで調和し、徐々に徐々に思いもしない色彩を帯びた和声が産声をあげてくるさまは天地創造の荘厳な神秘のようだ。

天が肉体に共鳴しているとしか表現のしようがなく、その理由はどこがどうという形では見当たらない。喩えるなら、気が合って一緒にいても飽きない人。何がそうさせているのかはわからない、単に、トータルに「合う」という言葉でしか伝えられない。それでもこれを僕は良い音楽と思う。

(4)カテゴリー・ブレーカー

作品は結果がすべてだ。偉い人の作品だ、少々退屈でも忖度しましょうなんてことはない。ということは、この曲がどのようなプロセスを経てこうなったか、どんな技法か、指揮者がコンクールで何位か、オーケストラがどこかのようなことはまったくどうでもよいことになる。そういうことを詮索したくなるのがクラシック音楽だが、それは作曲家名がクレジットされた楽譜があるからなのだ。楽譜はあって結構だが、モーツァルトは楽譜にした何倍もの音符を聴衆の前で放っていたのであり、それは聴けなかった我々の知らない評価の源泉があった。

彼の楽譜は自分にとっては備忘録であり、他人にとっては弾かせるための総譜でありパート譜であり、なによりプライドを持って生きるための名刺であり商品だった。死後に妻が生計のため換金する動産となったところから楽譜のセカンダリー市場が登場し、付加価値が発生する。それは作品の真実とは無縁である奏者や評論家のエゴを満たし食い扶持になる価値で作曲家とは何の関係もなく、モーツァルトが何者か知らないし知る知性も関心もない一般大衆に一時の見栄であるプレミア感を売るための膨大な手垢である。モーツァルトは知らないクラシック音楽という概念は、そうした泥にまみれた醜怪な雪だるまであって、そんなものが僕を感動させることはない。

小節線がなくて、ぽんと音符がひとつだけあって、あとは長さも強さも君たちが適当にやってくれなんて作曲家はそうしたクラシック界においては尊敬されないし、そんないい加減な曲を聞きたい聴衆もいないだろう。しかし、それでも良い曲だったねとなればいい。それが音楽の本質でなくて何だろう。モーツァルトの曲はそうやって生まれたし、ジャズのセッションみたいに、演奏家がやる気になって一期一会の音楽が生まれる場は今も生き生きと存在するのだ。充分に魅力があるし、いわゆるクラシック的な音楽の場においても、作曲家は演奏家に曲のコンセプトと霊感とインセンティブだけ与え、コーディネートする役になることが可能である。ジョン・ケージがしたことはそれだ。

その意味で彼はクラシックのカテゴリー・ブレーカーであった。ただ、10匹の犬を集めてオーケストラだと主張すれば通ってしまいかねない魔法が使えたという類の評価がされがちであり、それは彼の作品をこんなものは音楽でないと騒ぎ立てた連中の末裔が評価を否定できなくなって、辺境地の奇観に見立て、苦し紛れに与えた奇矯な間違いである。ブレークもなにも音楽の本質はいつも楽しみであり、弾き手や聴衆が良いと思うかどうかだけであり、意味もない権威にまみれたクラシックのカテゴリーなどはずっと後天的なものなのだ。ケージは絵空事でない真の音楽哲学を持った作曲家だが、理系的資質ゆえ空気を読まず、それに加えてアバウトな文系気質もあったという天与のバランスがあったからこそブレーカーに見える存在となれた。ケージの評価にはアバウトに過ぎようが、そうであったと仮定しなくてはできない革命を彼がなし遂げたという評価を僕がしていることは宣言しておきたい。

それでもアバウトに過ぎるならこう書こう。誰かさんが音楽をn個書いたらg個が良い曲だったとする。作曲家の評価はg/n(ヒット率)と良さの度合いq(品質)で決まるからq×g/nという確率であり、q×g/n=f(良さ)である。良さは物理的に不定形(定義困難)だが人の集合の属性の発現確率でのみ表せる。よって、作曲原理(三和音、無調、セリー、偶然etc)は変遷するが、作曲家の評価は確率で決まるという原理は不変である。このことは未来にもジョン・ケージが現れることを予言する。

(3)数学と音楽

この音楽のタイトルがFifty-Eightであるのは、なんたらというメインタイトルがあって副題が「58人の木管奏者のための」というスタイルをやめて、58をメインに持ってくるとルール化したからだ。同じ楽器数の2つ目の作品はその右肩に小数字でべき乗のように2とつける。この流儀のをナンバー・ピースと呼ぶ。彼は数学好きなキャラだろうが、いっぽうでキノコ研究に人生をかける人だ。作曲家なのに合理的でないと思うのはちがう。数学者にならないすべての人には数学の勉強は無駄だが、人生に膨大にある無駄に空費する時間を勉強時間以上に減らしてくれるから合理的な人は数学を勉強するのである。そうでない人がこんな音楽を書けるだろうか?

(3)分岐点だった「易の音楽」

John Cage (1912-1992)

ケージが量子力学を知っていたかは不明だ。1992年没だからたぶん我々ほどは知らない。量子力学が正しいことは高速演算速度を可能にする量子コンピューターが実現したことで大方のインテリの共有知になり、文科系の人でも宇宙は量子もつれ(quantum entanglement)が支配し、偶然が自然(ネイチャー)の属性なのだ程度は悟ったろう。ということは、科学には縁遠いことが許される音楽家の間でも変化が起きてしかるべきだ。それは偶然音楽(chance music)に後半生こだわり、数々の傑作を残したジョン・ケージの再発見だと予想する。彼の楽曲は誰も音楽を支配せぬアナキズムであり、演奏してみないと予想はつかず、同じ演奏は二度とない。この現象は「サイコロを振った」といえるが、それがありのままの宇宙のなりわいだということは誰も否定できなくなった。多くの僧侶や宗教家が「仏教と量子論は似ている」といっているが、原子論絶対の西洋科学では説明できないことを量子力学はよく説明し、仏教ともども非原子論的だという共通項があることは誰しも認めるだろう。

偶然音楽に移行する前、ケージは打楽器、プリペアド・ピアノによる複雑なリズム構造を持つ無調の音楽を書き、Living Room Musicのように演劇やダンスと組み合わせたり東洋思想と融合するなどフロントを拡大した。彼の楽器はピアノであり、全部がソロか室内楽でオーケストラという発想はなかった。偶然音楽の契機はあなたが運命をキャストできるとする中国の「易経」を知ったことだった。二進法、六十四卦等の規則性、および占術の偶然性の合体を見つけ、ピアノ独奏の「易の音楽」(Music of Changes、1951)を書く。六十四卦といういわば原理の如きものにピッチ、テンポ、強弱、長さを割り当て、投げたコインの結果にもとづいて作曲をする思想は作曲家の権威を破壊している。

(4)シェーンベルクとブーレーズ

「易の音楽」はセリー主義だったブーレーズのピアノ・ソナタ第2番 (1948)、第3番(1955-63)の間の作品だ。3年ほど先行した第2番をケージが意識しなかったとは考えにくい。一時は同志であったブーレーズは神の真理を自作に織りこむという行為の有用性を確信した人という意味で、十二音技法にそれを見ていたシェーンベルクと通じる。それはいわば信仰への確信であって、表面的な理解しかなかった日本で彼がブルックナーを演奏するなどと誰が想像したろう。しかし、彼がカソリック信仰に真理をみたというなら、ブーレーズにはプロテスタントのドイツ人指揮者よりずっと手掛ける根拠がある。

ケージは南カリフォルニア大学で2年師事したシェーンベルクに和声感覚の欠如を指摘され、「彼は作曲家ではありませんが、発明家であり、天才です」というレトリックで作曲は無理だと言われた。作曲家がサイコロを振って不確定である「易の音楽」は師の判断を無視するユーモラスな解答だったのではないか。ブーレーズは能力不足を東洋思想で埋めると批判した。鋭い指摘だ。ケージはコロンビア大学で鈴木大拙に学んだ禅思想に影響を受け、原子論に依拠するシェーンベルク、ブーレーズと袂を分かつ。東洋に接近した先駆者マーラー、ドビッシーの関心は音階で、旧来の美学の平面上にあり、宗教という精神的支柱まで寄ったのではない。ジョージ・ハリソンのシタールと変わらず、ドビッシーがきわだって成功したのは彼の図抜けた音響センスがガムランという異物を消化可能なまでに化学変化を加えたからである。

ユダヤ人のシェーンベルクとカソリックのブーレーズは信仰という行為を客体化した地平では理解しあえたが、ケージは演奏における古典的な偶然であった即興や通奏低音が人間の趣味性に関わると否定し、アーティストのエゴを廃し、それを認めるぐらいなら偶然という物事の混沌を受け入れることにした。つまりシェーンベルク、ブーレーズは神の摂理の全面的代弁者としての司祭であり、その権威は絶対に手放さなかったが、ケージはそれを「偶然の採用」までに留めることになる。父譲りの発明家気質、無響室での体験、ビジュアルアーティストとしての嗜好、20世紀の振付の巨匠マース・カニンガムの影響など、各々が脈絡があったとは思えない必然が混然一体となって彼の人生のchanceとなった。

数学者ブーレーズより数学的人間であるケージは易経の構造原理だけが関心事だった。構造は数学でありその採用は構造そのものに真理性なくしては人を説得しない。そこに自信がなかったのではないか。易経と原理でつながる禅思想への帰依はその答えだろう。「いくら観察してもさらにわからなくなる」と言ったキノコは、恐らく、彼にとって鈴木大拙師にも勝る宇宙の真理を説いてくれる存在であり、数学化できないから音楽化もできなかったが、わからないキノコを不確定の受容という形で音楽に取り入れたというのが私見である。因習的、常套的、世俗的を忌避し、誰がどう見ようが本質以外には目もくれぬケージの哲学者的な一本気には大いに共感を懐くものである。

(4)猫が演奏する「4分33秒」

晩年に近づくと、chanceは大規模編成の中に仕組まれるようになる。Fifty-Eightはリズム指定がなく「浸る」しかない。音の全身浴である。天空の波動も心臓音も耳鳴りもすべてそれである。これがアトモスフェール(atmosphère)だ。人またはものを囲んでいる独特で無形の性質のことで、そこにいて浸っているという感覚が音楽を聞くこと、生きていることである。ケージにはそれが音楽で、楽音はその一部にすぎず、楽音と非楽音には違いがなく、よって、楽音がなくとも音楽は成りたつという命題が論理的に導き出される。その実現が4′33″(「4分33秒」)という楽曲である。聴衆が感知するのは、音を出さないピアニストというオブジェ、4分33秒の時間内に鼓膜が察知する会場のすべての非楽音、および、自分の体内で察知したすべての波動(心臓音、血流音、耳鳴り等)というアトモスフェール。これは実に「直島的」だ。

4′33″はいうまでもなく猫でも演奏できる。怒った聴衆が「馬鹿にするな」と舞台に駆け登り、猫は逃げ、彼はショパンを弾き始め、場内が騒然となり、パトカーのサイレンが鳴って警官隊が闖入し、パーンという乾いた音を発して男を撃ち殺したとしよう。それが仕組まれた寸劇であっても現実であっても4′33″という作品は成り立っており、4分33秒が経過した瞬間に演奏は終了する。このコンセプトを音楽と呼ぶことに100%賛同したい。僕にとって「音楽」とは我が身と宇宙の波動の共振に他ならず、そうした寸劇も、それが喚起するだろう観客の驚きや悲鳴もすべてが波動である。この思想は直島でオブジェに瞑想して感じたもので、興味ある方はご訪問をお勧めしたい。

(5)神はサイコロを振る

スピリチュアルではあるが霊界の話ではなく我々の住む世界の現実であることを説明するには、少々物理の話題に触れねばならない。波動は質量のある原子が伝えるものと、それのない光子が伝えるものがあることは一般に知られるが、いずれであれ、我々が知覚して認識しないと心は共振はしない。アトモスフェールを厳密に分離するなら、それは無形のもので物質ではないから原子でも光子でもそれらの揺れでもなく、つまり音でも光でもなくて質量もない。いわば(霊的な)「感じ」や「第六感」、(良かったり悪かったりする)「雰囲気」、あるいは(心で読んだり読めなかったりするコンテクストでの)「空気」とでもいうものだ。それが人から人へなぜ伝わるのかは物理的に解明されていないし、個人的には猫との間でも通じるのを体感しているので人間由来のものでもない。これは(質量がないのだから)重力(空間のゆがみ)に服しない。

前稿に書いたが、「五次元の仮想的な時空上の重力の理論は重力を含まない四次元の場の量子論と等価」であって、我々は三次元世界を時間という仮想概念をもって観察して生きているが、それと量子力学が証明する極小の偶然性(量子ゆらぎ)がある世界(五次元世界)は同じものであり、したがって、我々は現実とパラレルの世界に行くことができ、それがどれになるかは意志でなく偶然が支配しているのである。これがアインシュタインが相対性理論でたどり着かなかった結論であり、神はサイコロを振るのだ。ならば作曲家が振って何が悪かろう。世界を4分33秒だけ切り取ったものが4′33″になっており、結果論として、面白かったねとなればそれは良い音楽だ。

(6)ケージとチェリビダッケ

誰もが人生を自分の意思で決めて生きていると思っているが、実は by chance(たまたま)で生きているのであり、そんなふらふらしたものが人生であり、ケージも自分の意思で「偶然の採用」をしただろうが、実は量子力学なる神の決めごとに従った決断だった。4分33秒間の沈黙を聞かせて世界的名声を得たが、この音楽についてたくさん語っているが彼の書いた音符を一度も聞いたことがない支持者もたくさん持った。Fifty-Eightはスコアが58段と音はたくさんある音楽であり、陰陽の対を成すような作品だ。猫が鍵盤を歩いた音とこれと何が違うかという議論を封じることはできないが、何を音楽として真剣に向き合うかという問いを喚起したことでのケージの業績は誰よりも大きい。

やはり東洋思想に開眼し、晩年には仏教に改宗して日本でも多く参禅を行なったセルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)の発言はそのコンテクストで見るなら興味深く、ふたりは同じ音楽観だったわけではないが共通したものがある。チェリビダッケは「音楽は無であって理解ではなく体験されるものだ」とし、「音楽が美しいものと思うのは勘違いだ。音楽では真実が問題であり、美は擬似餌にすぎない」と言い切り、「音楽を聴くということは人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ることである」と語っている。傾聴に値する。あくまで彼は再現者であり創造者ケージと同じ次元では語れないものの、両人は音楽家である前に哲学者だ。僕はこういう人達の音楽を楽しみたい。

(7)ケージと自分

ケージに会ったことはないが、写真を見るに、きっとお茶目で優しくていい人だろうなという感じがする。感じというのは根拠がないアトモスフェールにすぎないが、ヒッピーみたいな写真もあるし、いちばん真面目に写っている左も大家然とした威圧感がまるでない。好奇心、ユーモア、気まぐれ、爆発的発想、権威破壊、官僚的なものへの嫌悪、アナキスト、理数系オタク、アイデア、創造力、実験、余裕、オシャレ無縁、浮かぶのはそんなイメージだ。猫好きがみなそうとまではいわないが猫と話せる人に悪い人はいない(僕の偏見)。そもそもアマチュアのキノコ研究家でニューヨーク菌類学会を設立し著作まである作曲家などどこにいよう。こうして書き連ねるに、自分とそこはかとない相似性を感じ、それとは何の関係もないがFifty-Eightが気に入ってしまったことで彼への関心が決定的になった。

プリペアド・ピアノの発明は単なる楽器の改変だけではない、既存楽器の音をどうマニアックに磨くかというおざなりの美学をぶちこわしたのであって、爆発的発想、権威破壊、官僚的なものへの嫌悪を僕は背後に見る。彼は大学の図書館で100人の学生が同じ本を読んでるのをみてショックを受け、書庫に行き、名前がZで始まる著者によって書かれた最初の本を読んでクラスで1番になったが、そういう大学は見限って退学した。僕は大学に入ってしまってから不幸にも法学に些かの興味もない自分を発見し、2度アメリカに長期漫遊し、安田講堂の卒業式にボロのジーパンで出席した恐らく今もって唯一の法学部生ではないかと思う。特に権威や官僚が嫌いなわけではない、もっと嫌いなものはいくらもあるが、何を着ようかとそういうつまらない準備に時間を空費するのが何より嫌いなのだ。

ケージは父親に「誰かが『できない』と言ったら、それはお前が何をすべきかを示している」といわれた。のちに作曲は「目的のない遊び」と語ったのはその教えに従って誰もできない実験をしていたからで、彼にはそれが「遊び」であり「人生に目覚める方法」だったと思われる。僕は父につまらない質問をすると「お前の頭はなんのためについてるんだ」と突き放され、やむなく人にきかず考えて実験する癖がつき、やがてそれが遊び感覚になってその延長で生きてきた。仕事も遊びだから嫌でなく、おかげで音楽の勉強ができた。

ケージは辞書でキノコ(mushroom)がmusicの前であることで興味を持ち、研究にのめりこんでそちらでも著名人になった。「Zで始まる著者」の本を読んだエピソードと重なる。無機的だが秩序ある動機だけで行動できる「メカニズムへの打算なき偏愛」と、「一期一会の偶然は特別なご縁」への理由なき厚い信仰心という矛盾する二面が縫合した人格は個性的であるが、まったく同じ二面を僕も持っており、科学絶対主義者でありながらスピリチュアリズムの信奉者でもあるが、真理は一つであるなら躊躇なく後者を採る。ケージがエリック・サティの音楽をキノコにたとえた関係性と同じ筋道でキノコは彼の音楽に何らかの投影を与えていると思われるが、作曲が遊びであるなら、作為や意図が介在しない最も美しい出来事であるキノコとの出会いを彼が上位に置いていて不思議ではない。

 

Fifty-Eightの実演(サンタンデールアルゼンチン財団)

シェーンベルク 「浄められた夜」作品4

2020 AUG 5 2:02:08 am by 東 賢太郎

クリムト ユディトⅠ(1901)

これはシェーンベルクが書いた最も “わかりやすい” 曲である。月下の男女の語らいを描いたリヒャルト・デーメルのセクシャルな詩をベースに作曲された弦楽六重奏曲だ(詩の内容はwikipediaをご検索いただきたい)。初演は1902年3月18日にウィーン、ムジークフェライン小ホールでロゼ四重奏団(Rosé-Quartett)らによって行われ、第2チェロは作曲家のフランツ・シュミットだった。グスタフ・クリムトがユディットⅠ(右、Judith with the Head of Holofernes)を書いた頃のウィーンと書けばイメージをつかんでいただけるだろうか。

1890年にブラームスの弦楽五重奏曲第2番を初演したのもこの四重奏団であった。組織したアルノルト・ヨーゼフ・ロゼはルーマニア出身のユダヤ人である。マーラーの妹婿であり彼が指揮していた当時の1881年から57年の永きにわたりウィーン宮廷歌劇場のコンサートマスターをつとめ、ちなみにワルターVPOのマーラー交響曲9番の奏者はロゼだ。

マーラー、シェーンベルク、ロゼ、ワルター。ナチス台頭前のウィーンの音楽界を牽引したこの4人の巨人はそれぞれボヘミア、ハンガリー、ルーマニア、ベルリン出身のユダヤ人である。ウィーンが東欧の中心であり人種、宗教、文化の坩堝(るつぼ)であったことがわかる。ヨハン・シュトラウスの父祖もハンガリーのユダヤ系だったし(シュトラウスファンだったヒトラーが隠した)、ヴィヴラート奏法をウィーンにもたらしたフリッツ・クライスラーはウィーン生まれのユダヤ人だ。

我々日本人は「ドイツ音楽」という概念でハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーの音楽を大雑把に括り、彼らがドイツ語を母国語として生活したウィーンをその中心地と考えるが、そもそも彼らを包括できるドイツなどという国は1871年までない。したがって我々のドイツ音楽という概念は欧米には存在しない。ドイツ語圏でできた音楽という意味で “Deutsche musik”、”german music” と言えないことはないが、アメリカ南西部の音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶようなもので、アカデミズムとは程遠い響きである。

余談になるが、それでも僕がドイツ音楽という言葉を使っているのは、日本の音楽ファンにはその方が通じるからだ。Beethovenは “ビートホーフェン” だが日本では通じないからベートーベンだ。ベートーヴェンと気取る人もいるが、間違っていること五十歩百歩だ。”ハヴェール” もラベル、ラヴェル、どうでもいい。ハイドン~マーラーは広義のドイツ文化圏の人々で、服に喩えれば布地はプロイセン、バイエルン、東欧と様々だが彩色は多民族国家であるオーストリア・ハンガリー帝国風である。だから彼らの音楽の演奏団体がベルリン・フィル、ウィーン・フィルどちらであろうとドイツ保守本流と見做され得るが、その二つの楽団はまったく別の国、別の文化圏の似て非なるものなのである。

19世紀までウィーンは欧州最大の開かれた国際都市であり、イメージとして僕は我が国が遣唐使を送ったころの唐の長安を思い浮かべる。だからモーツァルトもベートーベンもブラームスも遠路はるばるやって来たし、ユダヤ人も来たのである。その都市に「ドイツ」をかぶせたのはアドルフ・ヒトラーであった。1938年のオーストリア併合である。ここで「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ少佐はオーストリアからスイスへ亡命したが、シェーンベルク、ロゼ、ワルターはそれぞれロサンゼルス、ロンドン、ビバリーヒルズへ逃げ、みな当地で亡くなった。ロゼの娘のアルマは収容所に送られ、女性オーケストラを組織するなど楽才を発揮したがアウシュヴィッツで病死した。

「浄められた夜」はそんな悲劇がおこる40年ほど前のウィーンの音楽である。弦楽合奏版もあり、初めて聴いたのがどっちだったか誰の演奏だったかは記憶にないが、覚えてもいないほど一聴して僕にとっては堕落した作品であった。クリムトの絵も好きでないし、マーラー嫌悪はそれ以上であったのは、恐らくその時代の生ぬるく退廃的なウィーンの空気が肌にあわないのだとウィーンの美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)を歩きながら思ったりもした。シェーンベルクというと室内交響曲第1番で入り、次いで衝撃を受けた「月に憑かれたピエロ」(1912)しか眼中になかった。「浄夜」は回顧的(retrospective)で「ピエロ」は急進的(radical)だ。ストラヴィンスキーはradicalでキャリアをスタートしたのになぜシェーンベルクはできなかったんだろう。

その時はまだ音楽史を知らなかった。僕は間違っていた。25才のシェーンベルクは、ウィーンの音楽家だったのだ。だからまず、浄夜を書く頃の彼が範としたのはブラームスであった(表層的な例だが、第1交響曲第4楽章のパッセージがそのまま出てくる)。それは、クロマティックに動く内声部が主導する和声の後期ロマン派的な変転や、拍節感を希薄にするリズム構造の旋律、ポリリズムの交差する複雑な対位法、以上を駆使した凝りに凝った変奏といったマニアックな作曲技法においてである。ブラームスはそれら諸点においてベートーベンの末裔であるから、シェーンベルクはドイツ音楽(ウィーン音楽の意味だ)の保守本流の発展形としてドデカフォニー(12音技法)に踏み込む自負があったと見ていいように思う。

僕は(誰も主張していないが)ブラームスは同様の精神の刻印として第4交響曲の冒頭主題をハンマークラヴィール・ソナタ(29番)の緩徐楽章から引っ張ったと考えており(コラール主題がJ.Sバッハ由来なのは有名だが)、シェーンベルクはそのブラームスからドイツ古典の血脈を受け継いだ。ところがその一方で、その系譜から分派して(日本史で喩えるなら南朝・北朝の如く)ブラームスと対立したワーグナーの響きとトリスタンの書法をも取り入れているという、音楽史上唯一にして驚くべき知性の産物が「浄められた夜」という作品であったのだ。

シェーンベルクの「発明」は12音技法とシュプレヒシュティンメである。後者を代表する「月に憑かれたピエロ」の新奇さのインパクトに比べればこの曲は後期ロマン派の残滓に過ぎず、後継はなく出発点を示したに過ぎない。いみじくも「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」と語ったグスタフ・マーラーはシェーンベルクを評価はしたが「浄められた夜」の地点で立ち止まった作曲家だった。

いまは原曲である弦楽六重奏版(弦楽四重奏にVa、VCを追加)の透明感を好むが、この曲の真髄を味わわせてくれたのは、ロンドンで聞いた弦楽合奏版によるカラヤン / ベルリン・フィルの壮絶なライブ演奏だ(カラヤン最後のブラームス1番を聴く)。録音にはあの圧倒的な低音が入りきっていないが、それでも尋常でない音楽のうねりは感じていただけるだろう。この曲がそういう音楽かどうかは置くとして、オーケストラの創造できるあらゆる意味において極限に位置する巨大な演奏だった。クライバー / BPOの唯一のブラームス4番、ヨッフム / ACOの最後のブルックナー5番と同様に世界のクラシックファンの共有財産としてyoutubeにアップし、その場に居合わせた者の記憶を世界のクラシックファンの為に英文で書き残しておいた。

Herbert von Karajan conducting Berliner Philharmoniker

5 October 1988, Royal Festival Hall , London

We arrived at the Royal Festival Hall fairly early, almost one and half hour before the concert due to begin at 8 pm. The Lobby was already packed with audience chatted away over, I guessed, this Karajan’s probable last appearance in London according to his age and health conditions. My wife and friends urged me to find some cozy place to settle down for quick dinner. The only available place was a buffet at basement. It was unprecedently crowded. We had to queue up for thirty minutes to be seated and, when we had all dishes served, it was 7:30 pm. I managed to swallow a giant burger but had to give up coffee. We rushed out of the buffet and running up the stairs when noticed an announcement saying that the concert would delay and expected to begin at 9 pm. The reason of delay was unbeknown to audience for a while. There were spreading suspicions around that the concert would have to be canceled. It was truly a long time before we heard update announcement saying “The conductor and orchestra were present, however, the instruments were being transported by road from Paris and had been delayed for strike in France. With help of police escort, they arrived at 8 pm. The concert will begin at 9 pm.

The first piece was this Verklärte Nacht.

カラヤン流が鼻につくという方はおられるであろうし、これで覚えてしまうのは危険かもしれない。オリジナルとこれはローストビーフか1ポンドステーキかという差があり、別物と考えたほうが良い。室内楽のポリフォニックな線の絡みと和声の透明感を味わうのが先決で、このブーレーズ盤はピッチの良さもさることながら熱さと高揚感も過不足なく、初めての方にもお薦めである。

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メシアン「8つの前奏曲」と「おお、聖なる饗宴よ」

2017 FEB 2 11:11:07 am by 東 賢太郎

僕がメシアンに興味を持ったのは音と色彩の共感覚への関心からです。以前にブラームスのクラリネット・クインテットの稿で書いたものですが、

「僕の色覚が他の人と共有されていないのであくまで自分が知っている色としての話になるが、レ(D)の音(これをブラームスのヴァイオリン協奏曲の出だしの音と覚えている)はオレンジ色、 ミ♭(E♭)の音(これをシューマンのラインの始めの音と覚えている)は青緑色のような気がする。こういうのを共感覚と呼ぶらしいが、12音のうちこの2音しかないからそういうものではないだろう。ただニ長調、変ホ長調にはその色がついて見える。 ニ長調の並行調であるロ短調を主調とするこの五重奏曲はクラリネットの質感(クオリア、これも赤色系の暖色だ)によってオレンジ色が増幅されて感じる。それがこの曲特有の粘着質のコード・プログレッションのクオリアを増幅して、こちらの気分と体調によっては誠に強い効果を及ぼしてくる。第2楽章はところどころで鳥肌が立っては消え、平静な鑑賞ということがかなわないことがある」

ということがあって、僕はこの五重奏を名曲と思いながらどこか敬遠してしまっているのです。「コード・プログレッションのクオリア」というのは非常に強い心理作用があって、正月に整理していた書庫から大昔に自分で作曲した楽譜が出てきて、書いたことも完全に忘れていたのを弾いてみると「強い作用」がある。そういう、ある意味客観的に、まったく恥ずかしい話なのですが和声の化学変化の発見メモとして自画自賛の心理になっています。

メシアンが子供のころクリスマスにもらったドビッシーの「ペレアスとメリザンド」のスコアをボロボロになるまで読み込んだのは有名ですが、このスコアは僕も尋常ならざる何ものかを感じており、このビデオでメシアンはオペラ冒頭主題を二カ所弾いて最初を「灰色がかった紫」、二つ目は「青みがかったオレンジ」といっています。貴重な証言です。

青緑色の変ホ長調の曲を僕は異常に好きであり、モーツァルトが39番をニ長調で書いていたらどうだったろうと思いますが、恐らくそういう理由で半音低い古楽器のオレンジの39番は忌避しているわけで、同じ評価はしなかったかなと思います。ブリュッヘンは同曲の尊敬できる解釈者でしたが、それが理由で実演をあんまり集中して聞けなかったのが残念でした。

「トゥーランガリラ」、「彼方の閃光」になぜ妖しい魅力を感じるかというと色彩の嵐を感じるからです。前者の生々しいライブをロンドンで聴いて「脳に電極をさしこまれて色を見る感じ」とつぶやき、先輩が「おい、こわいな」と漏らしたのを覚えています。そうとしか表現できない感覚があって、そういう音楽はメシアン以外にいまだに出会っていないのです。

彼の発想の根源にドビッシーがあるのが興味深い。プレリュードⅠ・Ⅱ巻は万華鏡のような色彩の嵐ですが、その脈絡でメシアンを聴く、つまり三和音の耳を断ち切って空虚な頭で色だけを追うとだんだん違う世界が見えてきます。少々の慣れはいるのですが、とにかく聴き込めばいい。ここへ至ると豊穣な果実が得られるのは驚くばかりです。

ブーレーズはメシアンの弟子でその色彩を受け継ぎますがルネ・レイボヴィッツが指揮したシェーンベルクの木管五重奏曲作品26を聴いて衝撃をうけセリーに入っていきます。両者が合体してル・マルトー・サン・メートルができた。アフリカ、ガムラン、日本のスパイスが混入するのもドビッシー、メシアンの末裔ゆえですが高等数学をやった感性で独自の異界の色彩へと進みます。

末裔が出たのは彼らの色彩を技法化するメソドロジーに普遍性があったからです。それをお示しするのが以下の若書きの2作品であります。

メシアンがプレリュードのスコアからくみ取った色彩、彼が受け取った「強い作用」の痕跡はまずこの20才の作である「ピアノのための8つの前奏曲」に残っています。第1曲にはペレアスが聞こえるのが興味深い。

もうひとつ、ドビッシー夜想曲に「楽器」として女声が使用されるように声のクオリアは両者の和声表現に好適に思えますが、代表作にそれほどは使われなかったのも面白い点です。ドビッシーの歌曲とペレアスは音韻(フランス語)と一体化した独自のものですが彼自身それ以上は踏み込まずシェーンベルグがピエロで画期的な新領域を開きました。

メシアンがペレアスの詩的コンテクスト、音韻にどこまで反応したかはフランス語がわからない僕には不明ですが、オルガンを楽器とした点で違う道を行った彼には声はピアノ、打楽器と同様に単色の楽器であり、神性の領域ではむしろ不要だったと推察しております。

29才の作である「おお、聖なる饗宴よ」(1937)はドビッシー「シャルル・ドルレアンの3つの歌」の豊饒な和声の世界がエコーしてきこえます。メシアンの和声感覚の個性が声だときわだって感知できるのは非常に興味深く思います。

この2作はパリで進化した「色彩の系譜」の原点に当たるものとして注目しております。ここからセリー、偶然性等の技法の進化に囚われず色彩を極める作法が出なかったのは不思議なことです。それだけメシアンの天才が抜きんでていたということでしょうが、キリスト教の神の法則の支配に必ずしも服さない日本人、たとえば武満がそれに近かったでしょうが、その系譜が栄える可能性を十分感じます。まだ美しい音楽がそれで書けそうな気がするからです。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

ストラヴィンスキー バレエ・カンタータ 「結婚」

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シェーンベルク 室内交響曲第1番ホ長調 作品9

2016 MAY 22 10:10:26 am by 東 賢太郎

子供のころ、目をつぶってまぶたの上から目の玉を指でぎゅっと押していると赤や青や黄色の点がたくさん立体的に見えてくる、あれが星雲の散らばった宇宙みたいと思っていた。

それが宇宙であるはずはないが、しかし我々の体は宇宙にばらまかれた星の残骸でできているのであって、何かが何十億年の残像として脳内で感知されているのかもしれないと今になっても思ってしまう。

音楽というのは目の玉でなく耳から入る音が作って見せる脳内宇宙だ。いや、ここでは色ではないが、いままで耳に蓄積したいろんな音が今きこえてくる一音一音に共鳴してやっぱり赤や青や黄色の点の立体みたいなイメージの星雲を作る。

220px-Arnold_Schoenberg_la_1948初めて聞いた時に、そういう色の点々が散り散りに空間に放たれて、すばらしいバランスでプラネタリウムの天井にはりついて光ってるみたいな感じを抱いた曲がある。シェーンベルクの表題曲だ。

弦5部が全部ソロとした15の楽器のアンサンブルはワーグナーの「ジークフリート牧歌」の編成にイングリッシュホルン、バスクラ、コントラファゴットを加えトランペットを引いたもので、交響曲としては異例だ。きわめて精緻な対位法と斬新な響きに満ちたこの音楽が1906年の作というのは重要だろう。その年にマーラーはまだ交響曲第8番を書いていた。ストラヴィンスキーは25歳でまだ火の鳥も書いておらず、同じころに書いた交響曲第1番変ホ長調は両者の立脚点の違いを如実に示す。まずそれからお聴きいただこう。

なんだこれは、チャイコフスキーかボロディンじゃないか?というものだ。ドビッシーすら聞こえてこない純ロシア人時代がストラヴィンスキーにはあった。

そしてこちらがシェーンベルクの室内交響曲第1番ホ長調だ。

序奏に続くホルンの4度を4つ重ねる印象的な主題で幕を開ける。

schoen

これを含む主題群が有機的に展開するさまは、これがドイツの保守本流の系譜にある「交響曲」であることを物語る。マーラーが8番で管弦楽の肥大化という当時の常識だった路線の極点に達したのとは対照的に、彼はデビューにあたってブラームスが選んだ古典の枠組みへの回帰という路線を選んだ。

それが同じ年の出来事というのが象徴的だ。マーラーに至るオーケストラ編成の巨大化の祖であるワーグナーが意図的に小編成で書いたジークフリート牧歌を範とする小編成で、しかも交響曲という枠組みの曲を書き示したところに32才のシェーンベルクのステートメントを見る。

この曲がベートーベンに始まりブラームスで極点に達した主題労作による精緻な対位法の音楽であることも重要だ。それはバッハに起点のあるドイツ音楽の原点であり、ストラヴィンスキーが色濃く和声音楽的であるロシア五人組を祖としたのとは精神的基盤が全く違う。

後世の作曲家にとって、特にドイツとロシアの作曲家にとって、交響曲を書こうとした場合にこの曲が避けがたく視野に入ったことは想像に難くない。オルフは対位法やフーガではもう書けるものはないとした。ショスタコーヴィチは交響曲を書いたが、彼はマーラーの影響を受けつつも、僕はここに第5交響曲の第1楽章に引用されたかもしれないと思っている部分を聴く。

シェーンベルグは後年にこれのフルオーケストラ版を作ったが、原曲の方が圧倒的に良い。これは対位法音楽であって、15の楽器の線が対等に浮き彫りになって初めて赤や青や黄色の点の立体が体感できるからだ。これはまだ調性音楽だが、その「対等」という概念がドデカフォニー(12音技法)を生んでいく。

 

ピエール・ブーレーズ / ドメーヌ・ミュジカル・アンサンブル

schoenbこの曲を覚えたのは大学時代に買ったこのLPであることはピエロ・リュネールの稿に書いた。これに色を見ていた。今聴くと線としての各声部が細部の音型まで磨き抜かれ、あまり和声音楽的に処理していないのが面白い。これが初演時に聴衆に衝撃を与え非難の嵐だったことを彷彿とさせる演奏だ。CBS盤(アンサンブル・アンテル・コンタンポラン)は緻密でより前衛的に響く。

 

ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ 南西ドイツ交響楽団

CDX2-5529後期ロマン派の延長としてとらえた風情の演奏で、各楽器がうねるように歌い、濃厚な情緒を感じさせる。ブーレーズがそぎ落とした人肌の側面をこれほど盛り込んだ演奏はきかず、そちらとは反対に非常の和声的な音楽に聞こえるから演奏とは面白いものだ。主題を奏する楽器の色彩が原色的で、これは作曲者が楽器編成の配置図までスコアに書いた意図をよく表している。この色彩の天空への拡散を味わうのは楽しい。いま最もよく聞いている演奏はこれだ。

 

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

 

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ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

2015 JUL 5 1:01:59 am by 東 賢太郎

7月1日・サントリーホールにて

指揮=フランソワ=グザヴィエ・ロト 
ヴァイオリン=郷古 廉 

ブーレーズ:「ノタシオン」から第1、7、4、3、2番 
ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」 
ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉(管弦楽版)

野球のブログが先になってしまいましたがとても面白いプロでした。

ブーレーズ同曲のライブは初めてです。「ノタシオン」は「12のノタシオン」として1945年に書かれたピアノ曲を自らオーケストラ作品に編曲したもので、原曲のテクスチュアは簡素ですがオケ版は18型4管、ハープ3台、打楽器奏者9人の大編成になっています。

通常は(たとえばラヴェルのケースなど)見られないことですが、ブーレーズはWork in Progress(進行中の作品)という概念の持ち主で一連の限定された可能性に焦点を当てた大きな『集合』に対する際立った偏愛がある」としていますから管弦楽版は進行の末の作品と考えてよいのかもしれません。

僕はブーレーズは「プリ・スロン・プリ(Pli selon Pli)」が好きですがこれがWork in Progressの作品であります。いっときの着想を永遠にコメモレートするのが作曲ではなくいわば作曲家と共に変化する音楽という概念です。僕はこれに共感があります。アインシュタインが過去・現在・未来の区別は不可能というように人間と時間の関係とはそういうものだからです。

ノタシオンの管弦楽編曲は現在5曲。1番は特にメシアンの響きを感じますね。パウル・ベッカーが「オーケストラの音楽史」に書いてますが、フランスの管弦楽がオルガンであり「言葉から発した大気のようなハーモニーを包み込む」という質感を感じます。7番(レント)の弦と木管の含む倍音はドビッシーの「遊戯」冒頭の響きを想起します。

ベルクのヴァイオリン協奏曲、この音楽は無調ですが5度が支配しほのかに協和音が現れます。あちらの世界とのはざまの幽界を浮遊する暗示のようで、ヴァイオリンがあまりヴァイオリンらしく鳴ってしまうのは好みません。郷古 廉は無機的な響きに傾きすぎずオケとうまくバランスしていました。良かったです。

この協奏曲、調性的12音音楽といえシェーンベルクの浄夜などとともに前世紀の香りを残したもので、作曲の動機(アルマという少女の死)とともにロマンティックに鑑賞される傾向があるようですが、僕はブーレーズとズッカーマンの録音を音楽として純粋に聴いているだけで特別な関心をひくものはありません。浄夜はカラヤンのライブも聞きましたが、もっとありません。シェーンベルクもベルクも、もっと凄い音楽があるからです。

休憩後はハイドンです。これもライブは初でした。ティンパニは古楽器でしたが弦はヴィヴラートがあったようでアンサンブル(ピッチ)はほんの少しですが甘いかなという部分あり。これが委嘱されたスペインのカディス大聖堂は行きましたがハイドンの音楽とイメージが親和するような風土の場所ではなく、彼がグローバルな売れっ子だったと感服した記憶があります。できれば教会で一度聴いてみたくなりました。

指揮者のロトのプログラミングは高く評価します。前半の無調に対比してハイドンの最もストイックな部類に属する音楽をぶつけるアイデアは斬新ですね。ハイドンはシリアスに聴かれるべきと僕は思っていますから非常に共感します。

彼は20世紀の曲をオリジナル楽器で演奏し最近人気のようで、ストラヴィンスキー(火の鳥)を買ってみましたが、まあ手馴れてうまいねという程度でありました。初演の時にどう聞こえたかは興味深いですが、そういう関心と芸術としてのインパクトは全然別物です。ブーレーズ(NYPO)と比較して論じようというインセンティブがわくものではありませんでした。

 

(追記、16年1月16日、ご参考ディスク)

ピエール・ブーレーズ「プリ・スロン・プリ」

ハリーナ・ルコムシュカ(Sp)  BBC交響楽団 (1969年)

boulez_pier_boulezcon_101bピエール・ブーレーズ  ザ・コンプリート・ソニー・クラシカル・アルバム・コレクション67枚組は宝石のようですが、その16枚目がこれです。第4曲のハリーナ・ルコムシュカの歌唱、急速なパッセージのソルフェージュ能力が凄い。彼女の声質と独奏楽器群の音彩の混合は完璧でまったく独自の宇宙を構築しています。終曲の砕け散ったステンドグラスのような音群のきらめきと変化値を微分したかのような音価と音量の増減によるリズム細胞。不協和な音の組合せの美を創造して時間支配の元に集積するとこうなるという強烈な主張であり、これを美という概念で感知するかどうかは人それぞれでしょうが、それがどうあれこの時間・色彩感覚でスコアを読み解いたのがあの火の鳥であり春の祭典だったのです。ブーレーズ芸術の底流に存在する血脈の原点を浮き彫りにした名盤であり、3種ある同曲の1番目の録音であるこれがその音楽的な発想の原形を最もクリアに浮き彫りにしていると思います。

 

ピエール・ブーレーズ 「ル・マルトー・サン・メートル」

エリザベス・ローレンス(mezzo-sop)、アンサンブル・アンテルコンタンポラン

無題9曲のセットである同曲は曲順を1-9とすると{1,3,7}{2,4,6,8}{5,9}に三分類され、個々のグループに12音技法から派生した固有の作曲原理が適用されていることがレフ・コブリャコフの精密な分析で明らかになっています。総体として厳格な12音原理のもとに細部では自由、無秩序から固有の美を練り上げるというこの時点のブーレーズの美学はドビッシー、ウエーベルン、メシアンの美学と共鳴するのであり、それを断ちきったシュトックハウゼン、ベリオ、ノーノとは一線を画するとコブリャコフは著書「A World of Harmony 」で述べている。興味深いことに、例えばグループⅠの作曲原理は(3 5 2 1 10 11 9 0 8 4 7 6)の12音(セリー)を細分した(2 1 10 11) 、(9 0)の要素を定義し、それらの加数、乗数で2次的音列を複合し、

(2 1 10 11) + (9 0) = ((2+9) (1+9) (10+9) (11+9) (2+0) (1+0) (10+0) (11+0)) = (11 10 7 8 2 1 10 11)

のように新たな音列を組成する。その原理がピッチだけに適用されるのではなく音価、音量、音色という次元にまで適用が拡張されて異なるディメンションに至るというのがこの曲の個性でありますがメカニックな方法であることに変わりはなく、その結果として立ち現れる音楽において、それまでの12音音楽にないaesthetic(美学)を確立したことこそがこの曲の真価だったわけです。聴き手が感知する無秩序はあたかもフィボナッチ数がシンプルな秩序で一見無秩序の数列を生むがごとしであります。これの審美性は数学を美しいと感知することに似ます。ブーレーズは自ら自作の作曲原理を明かすことはせず、むしろ聴き手がそれを知ることを拒絶したかったかのようです。しかし原理の解明はともかく聴き手の感性がそこに至らないこと、この美の構築原理がより高次の原理を生む(到達する)ことがなかったことから12音技法(ドデカフォニー)は壁に当たり、創始者シェーンベルグの弟子だったジョン・ケージがぶち壊してしまう。僕自身、12音は絶対音感(に近いもの)がないと美の感知は困難と思うし全人類がそうなることはあり得ないので和声音楽を凌駕することは宇宙人の侵略でもない限りないと思うのです。しかし、そうではあっても、ル・マルトー・サン・メートルは美しい音楽と思うし、その方法論でブーレーズが読み解き音像化した春の祭典があれだけの美を発散するのです。ある数学的原理(数学は神の言語であるという意味において)がaestheticを醸成して人を感動させる、それは必ずモーツァルトの魔笛にもベートーベンのエロイカにもある宇宙の真理であり、それは人間の知能には解明されていないだけで「在る(sein)」。僕はそれを真理と固く信じる者です。これが1955年僕の生年の作であり、僕が大好きでドイツ駐在時代に二度家族と滞在しブーレーズが亡くなったバーデン・バーデン初演であったことは親近感を覚えます。

上記盤がyoutubeに見つからないのでこれで。

 

ピエール・ブーレーズ ストリュクチュール(構造)第2巻 (1961)

これも特に好きな曲の一つです。ピアノ・ソナタ第2番(1948)、ストリュクチュール(構造)第1巻(52)のをさらに純化させたような書法であり、プリ・スロン・プリ(62)の裸の音響組成を2台ピアノで具現化した観があります。コンタルスキー兄弟盤が大変すばらしい。

(こちらへどうぞ)

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

 

 

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(アンドール・フォルデス)

2015 MAR 7 2:02:23 am by 東 賢太郎

1973年ですから18才の浪人中、この演奏会を聴きました。どうしてこのチケットを買ったかというと、当時バルトークに熱中しており、その弟子であったピアノのアンドール・フォルデス(1913-92)を聴いてみたかったのです。だから座席は最前列でピアニストのほぼ真下、いわゆる「かぶりつき」をあえて買ったのでした。

 

9/21(金)
18:30
東京文化会館

第56回 定期演奏会

[出演]
指揮/渡邉暁雄
オーボエ/バート・ギャスマン
ピアノ/アンドール・フォルデス
[曲目]
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 《プラハ》
チマローザ(ベンジャミン編曲):オーボエ協奏曲 ハ長調
バルトーク:ピアノと管弦楽のためのラプソディ Sz.27
ラヴェル:バレエ音楽《ダフニスとクロエ》-第2組曲

 

思えば僕らは大作曲家たちのまな弟子親交のあった音楽家を生で聴けたぎりぎり最後の世代かもしれません。実際にきいた演奏家でいえば、バルトークのフォルデス、ラヴェルのペルルミュテール、ショスタコーヴィチのロストロポーヴィチ・バルシャイ、シェーンベルクのR・ゼルキン、コダーイのドラティ・ショルティ、プロコフィエフのリヒテル、シベリウス・ラフマニノフのオーマンディー、メシアンのブーレーズなどです。

クラシック音楽の楽しみ方は大きく分けて二通りのスタイルがあると思います。聴き手の価値観によるわけですが、作曲家の時代のオリジナルな表現に重きをおくか、それとも現代の演奏家のフレッシュな感覚による解釈を楽しむかです。僕はどちらも受け入れますが、作曲家の自作自演がベストのパフォーマンスではないケースも知っていますし、僕たち聴衆のほうも様々な音楽体験を経て趣味が変化するからです。

例えばマーラーやブルックナーの長大な交響曲が世界的に人気を得たのは高音質による長時間録音が可能になったLPというメディアが広く進化、普及した70年代からです。聴衆がなじめば演奏側への要求も高まり、それに応えた精度の高いリアライゼーションが複雑な作品の魅力をさらに認知させてますます人気が出るというサイクルに入ったのです。「耳の娯楽」という音楽の側面です。

しかし同時に、人気が高まれば高まるほどクラシック音楽は古典芸能であるという側面にも光が当たり、ではマーラーという人はどんな時代に生き、どんな音楽を聴き、どういう経緯でああいう曲を書いたのだろうという関心も喚起されます。これは知的な側面というかむしろ「考古学的関心」でしょう。古代遺跡を見て、それが美しいかどうかではなく歴史のロマンに酔う楽しみ方です。

僕個人は歴史遺産を見て回る趣味があるので後者が大好きです。音が悪いヴィンテージ録音でも、それは作曲家に近い時代の演奏だという絶対の価値があり、耳の娯楽を犠牲にしても考古学的関心がより満たされるからです。欧米に長く住んで意外だったのは、欧米ではそれは好事家のニッチな関心であって歴史的録音は音が悪いなりにしか評価されていないことでした。「耳の娯楽」の側面が強いと感じました。

ただ、ここが難しいところですが、彼らにとって音楽は自国の文化です。我々が双葉山を知らなくても相撲が楽しめるように、考古学は文化という大枠の中で空気のように存在しており、白鵬の相撲を自然に歴史の脈絡の中で楽しめるようにマーラーを聴いているということです。その文化がない異国の我々はまず教科書で歴史を学んでというプロセスを経てはじめて耳の娯楽にたどり着く様な、あたかも英文法から英語を学ぶような錯覚をしがちです。

僕が「クラシックの虚構をぶち壊そう」を書いた趣旨は、日本特有の教科書的(それも変な)教養主義が「耳の娯楽」という音楽の本来の側面をゆがめ、遠ざけていると感じるからです。僕は仕事で外人を蔵前国技館に案内しましたが、最低限教えるべきは勝ち負けのルールであって、それさえ知っていれば彼らは例外なく充分に相撲を楽しんだのです。クラシック音楽も、その程度の入門知識があれば誰でも簡単に楽しめます。

ただ、文化という根っこの共有がない僕らがクラシック音楽をより楽しむには、考古学的関心が助けになる、少なくとも僕の場合はそれはかなり大きなドライバーになりました。古いもの好き、遺跡好きでなければここまでのめりこむこともなかったように思います。英国人のお客さんで、日本語は話せないのに相撲の四十八手を全部いえる人がいましたがそれに近いのでしょう。彼はもちろん双葉山について僕よりずっと知識がありましたが、英国人は僕と西洋音楽の話をして同じような印象を持ったに違いありません。

だから、18才だった僕が日本では特段有名でも大スターでもない、しかしバルトークのまな弟子ではあったこのフォルデスのチケットを見つけて買った、そのことは自分の考古学趣味をまざまざと見るようであり、学校で教わったわけでも誰かに指導されたわけでもない、自分の根っこの確認という意味でとても思い出深いものです。

3877この曲は作品1であり、1905年に作曲され1909年にバルトーク自身のピアノ、オーマンディーの先生であるイエネー・フバイの指揮で初演されました。まだリストの影響が残るロマンティックな響きに満ちた和声音楽ですが、この時は食い入るように聴いていたもののさっぱりわかりませんでした。覚えているのはフォルデスのもの凄い気合いと強烈な打鍵です。細部は何も覚えてませんが、右手が高音にかけのぼってきて、つまり僕の座っている方にきてすぐそこで叩いたキーの音は今でも耳に残っています。ピアノってこんなに激しく弾くもんなんだと妙なことに感心しているうち、曲は終わってしまいました。

これがまさにフォルデスの弾く「ピアノと管弦楽のためのラプソディ Sz.27」 で、こんな感じだったです。初心者にはもったいないぐらいの特上のバルトーク原体験でした。聴きに行った演奏会は全部記録してますからこうしてプログラムまでわかるのですが、モーツァルトとチマローザはすっかり忘れていて、ラヴェルは覚えてます。渡邉暁雄の指揮を聴いたのはこれ1回でしたがこのダフニスは初めての実演で感動しました。

去年きいたのでももう忘れてるのがありますが、こうして42年前なのに覚えてるのもあります。これは人との出会いでも同じことです。全部覚えきれるわけではありません。だから、どちらも覚えていればそれだけで人生の宝物と思うことにしています。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

(こちらもどうぞ)

デュトワ・N響Cプロ 最高のバルトークを聴く

 

 

 

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シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

2015 FEB 7 12:12:17 pm by 東 賢太郎

pierrotこの曲は「ピエロ・リュネール」とも呼ばれる。初めて聴いたのは大学2年の秋に買った、やっぱりブーレーズのレコード(右)だった(ドメーヌ・ミュジカル・アンサンブルによるコロンビア盤)。20世紀音楽を仕込まれた先生はブーレーズをおいてほかにない。実はこのLPで僕が夢中になったのは「室内交響曲第1番作品9」だ。冒頭、4度の積み重ねのホルンの和音で開始し15人の奏者によるぞくぞくする凝縮されたアンサンブルがつやつやした響きで展開する。ブラームスやショスタコーヴィチが聞こえるようになったのはずっと後だが、未熟な耳ながらストラヴィンスキー三大バレエは完璧に聞き覚えていた当時の僕にこの曲は刺激的だった。

さてピエロ・リュネールだ。こっちはよくわからなかった。これの劇的、詩的な側面はさっぱり興味がなく(wikipedia等をお読みいただきたい、なんともおどろおどろしい詩だ)僕の文学面の弱さが出てしまった。ただ春の祭典でも第2部序奏(ここはシェーンベルグ的だ)に痺れていた当時の嗜好からして音に違和感というものはなかったように思う。

ピエロは印象主義に対抗する表現主義といわれるが、1910年に火の鳥、11年にペトルーシュカ、青ひげ公の城、12年にこれ(ピエロ)とアルテンベルク歌曲集とダフニスとクロエ、13年に春の祭典と遊戯(ドビッシー)と西洋近代音楽はこの3年間に大爆発を遂げているのであり、それらの傑作は同時代の息吹を内包している(下記ベルクのヴォツェックは1914年に着手された)。

アーノルド・シェーンベルグはハンガリー人の靴屋の父、チェコ人の母(どちらもユダヤ人)のもとにウィーンで生まれた。8才でヴァイオリンを習ったがチェロは独学。15才で父を亡くして地元の銀行に勤めた。今なら貧しくて中卒で地銀に入った少年が夜に独学で音楽を勉強してこうなってしまったということで、人は環境より遺伝子なのだとつくづく思う。

第一次世界大戦中オーストリア軍に入隊したが、「本当に君が、あの耳障りな音楽を書いたシェーンベルクなのか?」と尋ねた上官に「はい、ほかにシェーンベルクのなり手がないもんで、僕が自分で引き受けることにしたんです」と答えた。彼は晩年にバッハ、J・シュトラウス、ブラームスの編曲をするなど調性への憧憬を見せていると解釈する人もいる。僕も賛成でありピエロの最後にそれを感じることができる。

ピエロについてはこういう指摘がある。興味深い。

Arnold Schoenberg「シェーンベルクは、数秘術に凝っていたので、7音から成る動機を作品全体に適用し、一方で演奏者数は指揮者を含めて7名としている。作品21に含まれる曲数が21であり、1912年に作曲を始めた日付が5月の12日であった。ほかに本作の鍵となる数字が3と13である。各詩は13行から成るのに対して、各詩の第1行は3回登場し、あたかも第7行や第13行であるかのように繰り返される(wikipedia)」。彼は作品番号を作曲年の西暦の下二けたと揃える意識があったという指摘もレナード・バーンスタインがしている(完全には合っていないが)。これが数秘術なのか「数フェチ」なのかは不明だが、数字に強いこだわりがあったことは疑いがないだろう。弟子のアルバン・ベルクは23という数字にこだわったが、23は僕の野村でのセールスコードであり僕のこだわりの数字でもある。子供が23日に生まれ、自宅は23番地だったので、迷わず買った。

またアントン・ブルックナーは「数フェチ」であり、物の数を数える癖があった。僕もそれであり、物心ついて以来登りながら階段を必ず数えている。もちろん今でもそうで、13になりそうになると2段跳びして12にする。会議はまず人数を数えることから始まる。コンサートでは必ず舞台の人数を数え、会場の客数を推定する。口癖のある人と話すとそれが何回出るか数える。コンクリート道路の線から線まで絶対に4歩にならないように歩いている。朝は目覚ましが鳴ってから7数えて起き、顔を洗うのも7回、etc。何十年もやっていて、完全に無意識下のことだ。

作曲家は音程、音符数、小節数にこだわったりの名前を音名化してアナグラムにしたりする人が結構いる。バッハ、シューマン、ショスタコーヴィチ、バルトークなどだ。それが主題労作、変奏の原主題に特別の個性を持たせたものと考えるならベートーベン、ブラームスもそうで、論理的、建築学的に音を構築(compose)する作曲法だからそういうことが意味を持つのであって、その先にシェーンベルクが位置するのは自然だ。

前回、ショパンが嫌だと書いたが、composeする哲学が違う。論理でなく感覚によっている。もっといえば指先感覚かもしれない。昔気質のドイツ音楽ファンは得てしてショパンは女の音楽と下に見ていたが、僕はそういうことでも偏見でもなく非論理的なものが肌に合わない。「数字」を感じない。彼はバッハを尊敬していたそうで音を物理的客体として把握する思考領域がないとそうはならないだろうから、それがあったということだろう。それでいてああいう音楽になるというのは摩訶不思議だ。

無調音楽というのは主題を構成する個々の音の隠されたトーナリティ(調性)を倍音から聴き取れる(推定できる)ようになると面白い。バーンスタインはシェーンベルクに別な惑星の空気を感じるとしながら12音技法にも隠された調性があるとしているが、音の組み合わせとしての調性がなくとも個々の独立した音素材には倍音を発する楽音として調性が含有されているのではないだろうか。だからこそ各音を「平等」に「民主的に」扱おうという12音に行きついたのだと僕は思っている。

それに気づくと、今度はそこに「非楽音の声」が入っても総体として音楽と認識される事実を発見する。耳のパラドックスだ。声は左脳が聴いているはずだが、無調を受容する過程で既に左右のバランスがチューニングされているのかもしれない。その声(歌ではない)がシュプレッヒシュティンメ(Sprechstimme)といわれるもので「音程がない歌のような話し声」(あるいは、話し声のような歌)であり、ドビッシーの「ペレアスとメリザンド」にその萌芽がある。

それが「月に憑かれたピエロ」(第1-3部)で初めて明確に確立し、ストラヴィンスキー「3つの日本の抒情詩」、ラヴェル「マラルメの三つの詩」、ブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」に影響を与えた。この曲は1912年10月16日に初演されたのだが「月に酔う」の伴奏は同じく12年作曲のアルバン・ベルク「アルテンベルク歌曲集」の第1曲「 魂よ、お前はいかに美しいことか」の管弦楽を思い出さずにはいられない。先生と弟子の作曲の前後関係の詳細は分からないが非常に興味のある所である。まずはアルテンベルク歌曲集第1曲からお聴きいただきたい。

ちなみにアバドはこの曲を十八番にしていてロンドン交響楽団とやった名録音(DG)は僕の愛聴盤であり、このビデオもいいがDG盤のマーガレット・プライスの歌はさらに素晴らしい。

さて次に本題の「月に憑かれたピエロ」である。これはシェーンベルクが12音を始める前の作品である。

その第1部、

  1. 月に酔う Mondestrunken
  2. コロンビーナ Colombine
  3. 伊達男 Der Dandy
  4. 蒼ざめた洗濯女 Eine blasse Wäscherin
  5. ショパンのワルツ Valse de Chopin
  6. 聖女 Madonna
  7. 病める月 Der kranke Mond

 

をグレン・グールドが指揮しながら伴奏している録音がある(ビデオは1-5)。第1部だけなのが残念だがこのピアノが大変にききもので彼がどれほどこの曲を愛しているかが如実にわかる。先ほどのアルテンベルクと聴き比べていただきたい。

全曲はこちら。あんまりとんがってない解釈だがシノーポリとドレスデン・シュターツカペレの演奏が美しい。僕はこれが好きで、ピエロ・リュネールのこういう要素とペレアスが融合してプーランクの「人間の声」という大傑作につながったと思っている。

 

516XPV6PK9L__SY450_グールドのシェーンベルグは大変に見事である。これだけ作品23を美しく弾いている例を僕は他には思い当たらない。各音の倍音が発するトーナリティを認識して和音を鳴らしている気配があるのは上述の僕の考えを裏書きしているように思うが。この「倍音認識」はピエール・ブーレーズにも感じられ、それが例の春の祭典CBS盤の第1部序奏の木管にあるのだ。あの演奏が特異な音彩を発する原因はまぎれもなくそこにある。そういう音響を生み出しているこのふたりの耳の鋭敏さは驚異的で、等しく20世紀音楽の演奏史に大きな足跡を残したことは疑いがない。グールドのバッハが特異であるのは、このシェーンベルクで明らかになる彼のトーナリティへの独特の感性に一因があると思う。彼の弾く平均律とシェーンベルクの作品23は同質の美感を共有している。この音感でモーツァルトをやっても音楽の方が受容できないのであって、それに飽きたらず曲をいじってしまっているのではないか。彼がショパンを嫌って弾かなかったのはまったくもって当然なことだ。何故か第3ソナタだけ録音があるが、どこかバッハのようでもある。

 

(補遺です、16年1月17日~)

アルバン・ベルク 歌劇「ヴォツェック」

ピエール・ブーレーズ / パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団

CL-120921009僕の真のベルク初体験は94年、アムステルダムで聴いたオランダ国立オペラによる歌劇「ヴォツェック」だった。陰惨な内容の物語と音楽のインパクトは強烈で記憶に焼きついた。そして右のブーレーズ盤だ。クレンペラーの魔笛でパパゲーノを演じた美声のワルター・ベリーのタイトルロールがブーレーズらしい。歌手の音程のコントロール、冷徹なオケ演奏で血の匂いはうすく彼の青ひげ公やペレアスと似た印象を残すが、リングを振っても変わらぬ一流の個性と思う。パリ・オペラ座管弦楽団&合唱団を振ったブーレーズの音が聴けるのは実に貴重で魅力が尽きない。そんなに上手いオケという記憶がないが彼の手にかかるとこんなに精妙な音が出てしまう!指揮者の耳の良さがいかに実効があるものかわかる。66年パリでこれとメシアンの「われ死者の復活を待ち望む」「天の都市の色彩」がCBS録音のスタートで第3弾がドビッシー「海」だった。僕にとっては記念碑的録音だ。

 

アルバン・ベルク 「ルル組曲」/ 歌曲集「ワイン」

ジュディス・ブレーゲン(Sp:ルル)、ジェシー・ノーマン(Sp:ワイン)ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

115885935これはブーレーズがNYPOを振った一連のディスクのうちでも火の鳥、ペトルーシュカ、ダフニス、マンダリン、ラヴェル集に並ぶ名盤である。それらと同様、新盤(VPO)より良い。濡れたように光彩を放つオケ、完璧なピッチ、鋭利なダイナミズム、精密微細にクリアに音響をとらえた録音!細身のプレーゲンの声も見事なピッチの楽器として計算されており(それだけに悲鳴が衝撃的だ)素晴らしいとしか言いようがない。一転、ワインでのノーマンの全てを包み込む馥郁たる声はどうだ。音色に対するブーレーズの作曲コンセプトすらうかがわせる恐るべき先鋭なセンスであり、極限までマイクロスコーピックな時間支配にこちらの精神も金縛りになる。

 

アントン・ウェーベルン 作品番号付き作品全集(Op1~31)

ピエール・ブーレーズ / ロンドン交響楽団他

12770_1これも僕の愛聴盤だ。ブーレーズはそのシェーンベルク論のなかで「演奏は様式の理解が足りないのではなく、技術不足によって破壊される」と述べているがそれはウェーベルンにおいてさらに言えるだろう。作品18、ハリーナ・ルコムシュカ(ソプラノ)のギター、クラリネットとの「合奏」は驚異的であり、完璧なピッチが音楽の基本であることが無調音楽でも根本原理であることを明確に示す。作品15のフルート、クラリネット、トランペット、ハープ、ヴィオラとソプラノの音の綾は究極の美しさだ。これはJ.S.バッハやベートーベンの美といささかも変わらず、そう聞こえない演奏は技術不足によって破壊されているのである。

 

僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

 

 

 

 

 

 

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ガーシュイン 「パリのアメリカ人」

2014 MAY 11 20:20:08 pm by 東 賢太郎

250px-George_Gershwin_1937アメリカへやってきたヨーロッパ人のドヴォルザークがボヘミアを想って書いたのが新世界交響曲、弦楽四重奏曲アメリカ、チェロ協奏曲なら、ヨーロッパへやってきたアメリカ人ジョージ・ガーシュイン(右)が書いたのがこれ。そしてアメリカへ行った日本人であった1982年の僕が最もアメリカを感じていた音楽がこの「パリのアメリカ人」でした。ユダヤ系ロシア移民でニューヨークはブルックリン生まれのガーシュインは38歳9ヶ月半で亡くなったのでモーツァルトとそう変わらない短い人生だったことになります。自作のピアノロール録音が残っていますが、彼のピアノのうまさは半端ではないですね。「パリのアメリカ人」も「ラプソディー・イン・ブルー」も、一聴すると簡単に聞こえるのですがそこが名曲の名曲たるゆえんで、楽譜を見ると分かりますが、あのぐらい自由自在にピアノを操れる人間でなければ作曲することは到底不可能な複雑な音楽です。しかし、それを知ったうえでも彼がジャズミュージシャンだったのかクラシックの作曲家だったのか?これは微妙なところですね。

これは彼の曲、有名な「サマー・タイム」です。彼のオペラ「ポギーとベス」の第1幕第1場で歌われる曲ですが、ジャズ編曲されてそれも有名になり、ジャズだと思っている人も多いようです。エラ・フイッツジェラルドとルイ・アームストロングの演奏です。

彼にはこういうとことんジャジーな曲を書く才能がありました。それでも彼はクラシックに憧れたんでしょう、1920年代にパリにわたって音楽修行を志し、ストラヴィンスキーやラヴェルに弟子入りを志願しています。しかし、彼が当時は大枚であった5万ドルも稼ぐことを知ったケチのストラヴィンスキーには「どうやったらそんなに稼げるのかこっちが教えてほしいぐらいだ」といわれ 、ラヴェルには「一流のガーシュインが二流のラヴェルになる必要はないだろう」といわれて断られています。それなのに二人ともその後ジャズのイディオムを取り入れた作曲をしています。どうも、どっちが上なのかよくわからなくなってきます。少なくともジャズをクラシックに融合することに関してはガーシュインの方が上手だったようですね。彼はアメリカへ戻ってからはなんと12音技法や複調に関心を持ち、シェーンベルクとはテニスをやるほど親交があったというから驚きです。

彼はそのパリ時代に「お登りさん」と感じ、大都会の喧騒(タクシーのクラクションなどで象徴)、故郷へのノスタルジーをこめて急-緩-急の三部からる20分ぐらいの交響詩を作りました。それがこの「パリのアメリカ人」です。

出だしの跳躍する奇妙な旋律、不安定な和声。これぞ彼の描いた「お登りさん」のイメージですが、こんなメロディーは他の誰にも書けません。ここからしてもう天才ですね。クラクションを交えてラプソディックに展開する自由奔放なコード進行。そして音楽は静まって、いよいよこの楽譜の部分が現れます。パリのアメリカ人無題ちょっと印象派風、ドビッシー風の和声になるこの部分。僕はここが大好きなんです。バッファローやニューヨークやフィラデルフィアの郊外、少しひんやりした草原の夜のしじまの乾いた空気を思い出すこの部分。青春時代の後半を妻と過ごしたアメリカ東海岸での経験がいかに僕の脳髄に深く深く擦りこまれているか、そういうことをこの部分、この曲全体がいわずと教えてくれます。やっぱり僕はアメリカが好きだということをです。

CDですが、以下の4つが真打級の演奏と言っていいでしょう。最近は欧州のオーケストラもこれをうまくやりますが、やはり管楽器のジャジーなヴィヴラートの味や弦楽器のちょっとしたフレージングの合わせ方でアメリカの楽団が勝ります。

① レナード・バーンスタイン /  ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団         ② ユージン・オーマンディー /  フィラデルフィア管弦楽団                  ③ アーサー・フィードラ- /  ボストン交響楽団                        ④ ズビン・メータ  /  ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

常識的には①②が一般的な代表盤であり文句のつけようがない名演ですが、僕は③が最も好きです。演奏ももちろんですがなんといってもボストン・シンフォニーホールのヨーロッパ調の響きがいいんですね。ぜひお聴きになってみて下さい。

(こちらへどうぞ)

グローフェ グランド・キャニオン組曲

 

 

 

 

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カラヤン最後のブラームス1番を聴く

2014 APR 22 13:13:53 pm by 東 賢太郎

1988年の10月6日、愛車ボルボでテムズ川の真ん中あたりにかかるウォータールー・ブリッジをいつも通りに渡る。ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー主演の名画「哀愁」の舞台となったあの橋だ。橋げたの少し先を右折してパーキングに車を駐めると、辺りはもう真っ暗である。湿気を含んだ空気はもう冷んやりしている。ロンドンの冬は早くて長いのだ。

ロイヤル・フェスティバル・ホールの1階ロビーは夕刻8時の開演を待つ人の熱気と煙草のにおいでむんむんしていました。まだ1時間半もある。妻とK夫妻で地下のビュッフェの軽食をとることになりました。いつもの3ポンドぐらいのパスタ、ハンバーガーは、これが毎度毎度おそろしくまずいのですが、空腹だと音楽に入れないから仕方ない。30分も並びサーブを待たされ、あわてて食事をかきこんでコーヒーは熱くて飲めないので残し、息せきこんでホールへの階段を駆け上がる。「開演は1時間遅れます」のアナウンスでずっこけたのはそのあたりでした。カラヤンと団員は到着したが、別送していた楽器がパリでストライキにあって着いていない?そこから情報の進展はなく、延々と待たされるうちに疑心暗鬼になってきて、まさかキャンセルはないよねと真顔で心配するほど周囲はざわざわし始めました。

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大拍手に迎えられてオケが正装で入場し開演はアナウンス通り9時でした。しーんと静まり返った緊張のなか、腰を少し曲げてゆっくりゆっくりと帝王カラヤンが登場。拍手は最高潮になります。彼も疲れているだろうに大丈夫だろうか、心配の方が先にたってしまうほどカラヤンは老い、そして僕らは待ちくたびれていたのです。

しかし指揮台に立って堂々と喝采に答礼する姿はそれは杞憂だということを物語っていました。最初のシェーンベルグ「浄夜」。僕らの席は1階正面やや向かって右手で、コントラバスが正面にずらっと並んでいます。その音たるや楽器が普通より大きんじゃないかと錯覚するほどごうごうと強くて太く、その低音ががっちり支える弦楽器群のピラミッド状の音響たるや、もうロンドンのオケとも日本のオケとも別個の存在とでもいうべきものでした。

この日のプログラム

休憩をはさんでいよいよメインのブラームス交響曲第1番です。リハーサルなしだったせいか、出だしの強烈なティンパニの2発目が棒より一瞬速すぎて心臓が凍りましたがすぐ修正。しかし、これだけ気合いの入った怒涛の出だしというのも記憶になく、ハ音の重低音が物凄い音圧で腹に響きます。カルロス・クライバーのブラームスでもそう感じましたが、本気になったベルリン・フィルの音はとにかく音波の振幅がとてつもなく大きいのが特徴です。

ブラームス1番は僕の音楽人生にとって特別に重い意味のある曲ですが、カラヤンが指揮した生涯最後の1番がこれということになったという意味でも格別の思い出を残してくれることになりました。カラヤンの指揮姿は老人のものではなく、一切の振り違いや危なげすらもなく、翌年7月16日の彼の訃報をきいても実感がわかなかったほどです。

この日のブラームスはごつごつせず流麗に音楽の内包する摂理にのって流れる、磨き抜かれた美音とffの強烈な威力で形どられた生々流転のドラマでした。彼の音楽は日本では形だけの空虚な美のように評価されていましたが決してそうではなく重い実質を伴った音楽です。同じオケを振った先輩フルトヴェングラーの1番とは似ず、しかし先輩はカラヤンを強く嫉妬したのはその実質を生む実力を音楽家の嗅覚で見抜いたからと思います。

どこがどうということはなく、一流の演奏だけが持つ輝きとオーラを放って見事に全体の均整がとれた1番だったのです。ウィーン・フィルを振ってDeccaに録音した1番とコンセプトが違うということがなく、指揮台の彼は最後まで老いるということが許されなかった、ヘルベルト・フォン・カラヤンでなくてはいけなかったのだと思います。老成、大家然を拒むところに彼の芸術は存立していました。だから1番こそが彼にふさわしいものだったし、それがロンドンでの最後の姿を飾ったのは天の配剤だったのでしょう。鳴りやまないブラヴォーと拍手にはお疲れさまという気持ちがこもっていた気がします。

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この演奏がCDになって出ましたが、まさかと思ってジャケットを見てみると、やはりそのまさかが起きていました。このジャケット写真をよーくご覧ください。カラヤンの左手の高さ、彼の背中側後方の客席に日本人風の女性が映っています。左がK夫人、右が家内、そしてその右が僕であります。記念写真まで残ってしまいました。BBCに深謝です。

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)

 

 

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