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僕が聴いた名演奏家たち(小澤征爾)(3)

2024 FEB 14 2:02:47 am by 東 賢太郎

小澤は1973年にボストン交響楽団の音楽監督に就任した。これは当時でいうと38歳の日本人がIBMかGMの社長になったようなもので世界を驚かせた。シカゴ、トロント、サンフランシスコ、ロンドン、パリの楽団での活躍は(普通の日本人ならそれだけで勲章ものであるが)結果的に修行時代だったことになる。

言うまでもないがアメリカは徹底した競争社会で、だめなら1年でクビというドライな国である。交響楽団は都市の顔であり文化財でもあり、そのマネジメントはビジネスでもある。音楽監督になったのはなれる実力があったから、それ以外の何でもない当たり前のことだ。僕が偉業と体感するのはそのポストを29年保持したことのほうだ。

アメリカで学位を取った方はご承知のとおり、学生として卒業するだけでも尋常ならぬ勉強量だが、指揮者はいわば教壇に立つ側だ。生徒にあたるのが海千山千のボストン響楽員や我儘な著名ソリストであり、英語もままならぬ東洋人というと偏見どころか堂々と差別された時代である。綺麗ごとなどで済むはずがなく、測り知れないご苦労があったと拝察する。

ただボストン響はモントゥー、ミュンシュなど非アメリカ人がポストを占めてきた楽団で、小澤の次のレヴァインが初のアメリカ人だ。欧州コンプレックスがあってジョンやボブよりセイジの方がいいと言ってる人もいた。1962年にロス・フィルがインド人のズビン・メータを起用したのが時代の先鞭だったかもしれない。とはいえ、力がなければあっさりお払い箱の国である。

小澤のボストン時代のひとつのメルクマールが「グレの歌」であることに異論は多くないだろう。1979年4月、Deccaによるライブ録音で、オペラが弱点とされた評価は覆った。この作品を27歳で書いたシェーンベルクの才能を知ったのもこの録音だったが、初演を振ったシュレーカーを思わせる煌めくような管弦楽法の魅力は小澤/BSOの面目躍如。この曲はブーレーズよりも小澤が好みだ。トーヴェ役の故ジェシー・ノーマンはこの数年後にフィラデルフィアで聴いた。旬であった暗めの声はまさに圧倒的であり、これを聴くにつけ、ドイツ音楽への進出を企図してBSOのヴァイオリンの弓使いを変更させまでした小澤の視線の向こうにはカラヤンが、そしてバイロイトがあったかもしれないと思えてくる。

この演奏会のビデオがyoutubeにある。

ソロ歌手6人、8部の混成合唱団、オーケストラ160人、スコアは53段ある。これをこの場で暗譜で振るのはなかなかだ。猛勉強プラス度胸。これが並の人でない。指揮者の譜面台にスコアでなくシェーンベルクの顔写真が置かれている。守り神かもしれない。この演奏会への小澤の意を決したコミットメントを見る。

27歳。シェーンベルクがこの曲を書いた同じ年齢で小澤は「N響事件」に遭遇している。https://kadobun.jp/trial/7yvc7ck28ls8.html

N響楽団員を待つ小澤

大変な試練だったろうが、これがあっての「世界のオザワ」だったのだから万事塞翁が馬だ。おこがましいが、僕も欧米発の証券業を5カ国で16年やった。帰国して軋轢がなかったといえば嘘になる。音楽界のCAMIのようなマネジメント会社はないが売り込んでくれるヘッドハンターのおかげでポストをもらった。どこの業界も同じだ。問題はそこで何ができるか。小澤さんの人生には凄みを感じる。

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Categories:______シェーンベルク, ______僕が聴いた名演奏家たち

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