僕が聴いた名演奏家たち(アルトゥーロ・ミケランジェリ)
2021 NOV 14 23:23:13 pm by 東 賢太郎

音楽を聴くという作業の本質は、人間がどういうわけか保有している極度に緻密で繊細に造られた感覚、無神経な者が傍にいるだけで壊れてしまうぐらい神秘的なその感覚を探し求める永遠の旅である。少なくとも僕にとってはそうである。
だから、旅先のほのぼのした夕餉の席や温泉のように他人と一緒にそれを楽しむのは経験的に無理と判っている。究極は自分で弾き、それを聴くしかない。著名な演奏家であっても探索には足りないことがほとんどで、だから僕はシンセサイザーによる理想の演奏の製作に没頭したのだ。そうしないと、音楽というものはアラジンの魔人のようにランプから立ち現れてはくれない。
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)にとってシンセサイザーは不要だった。ピアノがうまく弾けたからだ。彼は初見が遅いが何でも弾け、他人に聴かせるのはほんの一部だけだった。どう見られるかについて極度に敏感でクールな完全主義者だった点で、僕は俳優の故田村正和に近いイメージを懐いている。完璧を求める人は一種のナルシストでもあり、自分にも厳しい。田村は私生活を一切明かさず、箸を持つ手までこだわり他人の前では決して食事をせず、自らF1観戦に赴くカーマニアで、台本は完全に記憶しNGを出すのを嫌い、NGを出す役者も嫌い、「田村チェア」と呼ばれる自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参する人だったようだ。
ミケランジェリもNG(ミスタッチ)をせぬまで弾き込んだ曲だけを披露し、演奏会場には自分のピアノを2台持ちこむ。レパートリーが少ないのは完全主義者ゆえに、完全な自分だけを外に見せるためのミニマリズムだ。カーマニアで自身がレーサーでもあり、医師、パイロットでもあったが私生活は限られたことしか明かさず、ちょっとしたプライベートについて口外されただけで気の合っていたチェリビダッケと絶交した。基本的に両人とも自己愛が強く、自己が愛するもの以外は受け入れず、浮世離れしたオーラがある人だったように思える。こうした性質はやはり完全主義者である僕も幾分かは理解できるものである。
ドイツ人は緻密、綿密というイメージがあるが、フランクフルトの新人面接で試験するとまったくそんなことはない。イタリアにも中国にもそういう人はいる事を自分の眼で確認し人種は無関係と悟った。チェリビダッケは明らかにそういう人だったが、彼ほどの人ですら、開演30分前に気温変化でピアノの調子が狂うとキャンセルしてしまうミケランジェリの緻密、綿密な感覚は誰にもわからないと述べている(BBCインタビュー)。調律は勿論メカにも及び、ある時は2台のピアノを4人の技術者で調整したがOKしなかったという。それはとりもなおさず、彼の音楽を求める基準が恐ろしく緻密、綿密だから楽器がその要求を超えていなくてはならないということだ。そうでなければ彼の完全主義が演奏を許さない。入念に準備したものを披露しないのも完全主義者には辛いが、基準に満たない演奏を聴かれることの方がもっと不完全なのだ。キャンセル魔は気まぐれのせいではないのである。
ショパン・コンクールのビデオをぼちぼちチェックしながら、さてミケランジェリはどうだったっけとOp.22を聴いてみる。ピアノというものはこういうものだと逆定義を強いられるような涼やかな音色で開始され、ポロネーズのリズムになっての速い重音パッセージは全部の音が完璧に均等かつ滑らかなレガートで弾かたと思うやスタッカートで羽毛に乗ったようにフレーズと共に歌う(!)。聞いたことのない異国の言葉で何かをダンディに訴えかけられ、アイボリー色の左手に金粉を散らす右手高音の信じ難い高速パッセージ。この「音符の多さ」が無駄な装飾に聴こえたらショパンではない。それが饒舌にならずパックの如く踊る様は、何が眼前で起きているのか思考を乱されで茫然とするしか術がない。
弾いている人間の存在はなく、書いたショパンもなく、天空から降ってきた何者かが美しく舞い、なにか切なるメッセージを残して消える。人為という人間の苦労の痕跡を感じないのだ。これを舞台でやってのけた男は、だからこの音楽とともに生まれ、練習などという人間臭い行為と無縁である。そう見える。そういう男をミケランジェリは演じて生き、ひょっとしてショパンもそうだったのではないかという残像を聴衆に残して天才と一体化するのである。非常に役者的なものを感じる。田村正和でないならマーロン・ブランド、高倉健といってもよい。
これがショパンというものか。仮にこんな男が今の世に現れたらどうか。社会でどうなるか想像すら及ばないが、ひとつ約束されそうなことは世界の知的なセレブ女性が放っておかない事だろう。そして19世紀のサロンでもまさにそういうことがおきた。ただの馬鹿なイケメンにジョルジュ・サンドのような貴族の血をひく正統なインテリ女が惹かれるとは思えない。
ショパンはポーランドの没落貴族の母を持つが父はフランスの車大工の息子である。6歳年上のサンドは恋人兼保護者であり彼がサロンでどうピアノを弾いたのかは興味深いが、ミケランジェリのようなマッチョな男ぶりではなかったろう。パリのサロンの雰囲気は知り様がないが、こんなものかと時代をワープしたような数奇な経験を一度だけしたことがある。ロンドンのウィグモアホールで、ヴラド・ペルルミュテール(1904 – 2002)のリサイタルを聴いた時だ。ミケランジェリのショパンにあの味はなく、香水と軽妙なお喋りにはいま一つそぐわない。しかし、矛盾するのだが、彼のように弾いてこそショパンは甘ったるさのない紫水晶の如き輝きを放って人を魅了すると思う。このショパンの二面性ゆえに僕はいまだ彼をつかみかねている。ポロネーズのリズムだってポーランドの田舎踊りの拍子なのだが、それがパリのサロンに出て洗練され、別格の音楽になる。そこに燦然と輝いて君臨する場を得たのがミケランジェリなのである。
彼もペルルミュテールも貴族の血筋でないが、紡ぎだした音楽は aristocratic であった。aristo- は古代ギリシャ語の best だ。しかし最高権力の座にある者(貴族)がベストの趣味を持つとは限らず、始祖は概ね武勇のみの野人だ。それが時と共に持つようになるワイン、イタリア美術等の造詣を経て緻密、繊細を愛でる精神(エスプリ)を具有するに至る。5~10代はかかる。例えば徳川家だ。家康は思慮深い野人だったが、慶喜に至って趣味も思想も貴族になった。つまり、出自は関係ない。あくまで、その人の精神が緻密、繊細を愛でるかどうか、その為には日々の生活を気にしなくて済む程度の経済の余裕や教養は必要だろうが、精神の気高さの方が余程重要である。若くしてそれがあったショパンはパリのエスプリというテロワールに磨かれ、鄙びた素材から頂点に通ずる高貴な音楽を書いたのだ。
時はロンドン赴任して1年たった1985年5月26日の日曜日。悪名高い当日のキャンセルを誰しもが心配したが大丈夫だった。ロンドンに6年、その後もドイツ、スイスに5年半いたが、結局、伝説のピアニストを聴く機会はこの一回だけだった。カラヤンの「ばらの騎士」、カルロス・クライバーのブラームス4番に並ぶ僥倖だった。バービカン・センターはシティに近く、バーンスタイン、アバド、ハイティンク、アシュケナージ、メータ、C・デービス、若杉など多数の演奏家を聴いた。座席は舞台の左袖に近い前の方、通路の後方2列目でピアニストの背中を見る位置だ。席に座るとやがて左手からミケランジェリが現れ、目の前をゆっくり歩いて行った。これが当日のプログラムだ。
僕の前の席にやや座高の高い男性が座っていたが、前半のショパンプログラムが終了して休憩になると立ち上がって中央の階段を後方のロビーへゆっくりと登っていき、もう戻ってこなかった。アルフレート・ブレンデルだった。
ここで聴いたピアノ演奏は、レコード録音を含めても僕の知る最も緻密、繊細なものだ。今に至るまで、これを凌ぐ経験はなない。それは鳴っている音がそうだというだけでなく、ゼロから音楽を作っていくピアニストの精神のあり様がそうであり、凡庸なスピリットを何年かけて何重に研鑽して積み重ねようと到達しそうにない高みの音楽が鳴ったからである。これに近い経験は、やはりロンドンでめぐり合ったスヴャトスラフ・リヒテルのプロコフィエフのソナタだけだ(この日も偶然すぐ後ろの席に内田光子さんがいた)。全盛期のポリーニ、アルゲリッチ、アシュケナージ、バレンボイム、ワイセンベルク、ルプー、ペライアらを、そして勿論ブレンデルも内田も聴いたが、ショパンに関する限りミケランジェリは別格だ。プログラムの4曲とも自家薬籠中のもので、既述の如き天界の完成度というよりもバラード1、スケルツォ2はライブなりの熱があったと記憶する。以下に当日の演奏順に同年のブレゲンツでのライブ録音を並べてみた(Op.22のみ1987年ヴァチカン)。バービカンにいる気持ちでお楽しみいただきたい。
後半のドビッシーは次回に、著名なグラモフォンの録音を中心に述べる。
(つづく)
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ショパン バラード第2番ヘ長調 作品38
2021 JUL 6 1:01:03 am by 東 賢太郎

僕は寝付くのに苦労したことがない。電車だろうがオフィスだろうがバタンキュー、猫より早い。自分で分からないがたぶん3分あればOKだ。周囲は気にならないし、そういえば頭痛、胃痛を知らない。部屋の寒暖もだいたい人に言われて気がつくという塩梅であって、すなわち、かなり鈍感なのだろう。
睡眠は不思議なもので、8時間寝てもすっきりしない日があれば3時間で充分という日もある。学生時代にこたつでラジカセをループにしたまま寝付いてしまったことが何度かある。最近は音楽でなくyoutube番組でそれがある。ずっと音楽や言葉が聞こえているわけで、2~3時間で夜中に目が覚めてしまったりするのだが、どういうわけか普通に7時間眠った時よりもすっきり感があるのだ。
ネットに「前半3時間の間にノンレム睡眠(深い眠り)に達することが出来れば、脳も身体も休めることができ、ぐっすり眠れた満足感を得ることが出来ます」とある。これだったかなとは思うが、音楽や言葉を脳がどう処理していたんだろう?いちいち理解していたら眠れないので左脳はオフになり、虫の声や電車のレール音のように右脳が雑音と同様に扱っていたかもしれない。
面白い体験が先日あった。うちの猫が横たわって寝ている夢を見たのだが、気がつくと体が冷たくなっていて動かない。のいが死んでしまった!僕は大慌てになって、抱きかかえて毛布でくるむと、幸いに電気毛布である。スイッチを入れて懸命に温めると、むっくりと起き上がってくれた。そこで目が覚める。ああ夢か、よかったなあ。少し肌寒かったようだ。そのあたりで、ふと頭の中で流れているピアノに気がついた。つけっ放しのyoutubeなどではない、例の脳内自動演奏である。そういえば、そう、これは夢の間ずっと聞こえていたぞ・・・。
その曲は、全く不可解なことだが、ショパンのバラード2番だった。
なぜ不可解かというと、僕はショパンは苦手でほとんど聞かない。バラード2番はきれいだなと思ってゆっくりの所だけ弾いてみたことはあるが、それは大昔のことで、昨日今日はおろか、それ以来まともに聞いた記憶もない。どうして倉庫の奥の奥から無意識がそんなのを拾い出してきたんだろう??
聞こえていたのはそのきれいな所だ。ゆっくりと、ぽつりぽつりと。
フランソワのを引っ張り出して、なかなかいいなあと思う。といって、がちゃがちゃ鳴る部分じゃない、両端のきれいな所だけだ。コルトーのも聞いたが、がちゃがちゃで崩壊してるし、フランソワだってけっこう危ない(きっと難しいんだ)。ショパンがだめなのは、あんないいメロディーにこれはないだろうと思ってしまうのがある。いやそれがポエムなんだ、彼はピアノの詩人なんだよとショパン好きに諭されたことがあるが、確かに、これから交響曲は書けそうにない。
しかし「ポエム」というのはどうも違う気がする。このメロディーは何か意味を含んだりほのめかしたりする詩ではない。なんというか、絵にも文字にもならない気品、例えば「高貴」というものを煮詰めて結晶にしてみたらチンチロリンとああいう音がするだろうという感じのものに思える。メロディーだけでそうなってしまうのだからソナタ形式みたいな面倒なものは不要だし、長調が短調で終わってもちっとも構わない。そういう理屈っぽさからフリーな音楽という意味でポエムであるというなら賛同はできるが、それは「人生は旅だ」の如きメタファーに過ぎないから語ってもあんまり意味はない。
ショパンが自作に標題を付けなかったのは、詩人じゃないからだ。文学の視点で「音楽新報」に評論を書いて讃えてくれたシューマンを無視した。狂乱の響きを孕んだ「クライスレリアーナ」を献呈されて、お返しに送ったのがバラード2番だったが、シューマンはこれをあまり評価しなかった。彼こそ詩人なのだ。ショパンはおそらくワーグナーやリストも自分と同類の音楽家とは見なかっただろう。彼らはあんないいメロディーを書きたくても書けなかったから文学や小理屈や、実にくだらない標題に走ったのだと僕は思う。ショパンをなぞらえるなら、宗教臭くないJ.S.バッハしかいない。雨だれやら子犬やら、そんな曲をバッハが書くか?ショパンがそんな風に弾かれることを意図していようか?どうも違う。だから僕はそう弾かれるショパンも、ショパン好きの人も苦手なのだ。
しかし、あの夢は何だったんだ?
のいだ。もう来て5年になるか。あとから3匹も増えて、どれとも気が合わない。いろいろ事情があって、元の居場所を取られてしまった。この猫は僕を正しく認知している。賢い。人間の1日は猫には1週間だ。遊んでやらなくちゃ。何となく、バラード2番のメロディが似合う。そういうのがひょこっと出てくるんだ、夢は。フロイトには詳しくないが、やっぱり睡眠は不思議なものだと思う。
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ショパン好きはクラシックの巨人ファンである
2017 OCT 30 12:12:34 pm by 東 賢太郎

マーラーが嫌いだショパンが嫌いだヴェルディが嫌いだと、これだけお好きな方を逆なでする我儘を書いてきたのに毎日2千を超えるブログ閲覧を頂いているのは不思議だ。同感の方がそんなにおられるのかクラシックは度外視なのか、それとも趣味は趣味と併せ飲んでくださる本物の大人の方が多いのか。ともあれ本稿はまずそこから述べておく必要がある。
若いころ散々聴いたショパンから遠ざかることになったのは飽きたからでも敬意が失せたからでもない。当世のショパン演奏、鑑賞を取り巻く空気が苦手なせいだ。僕はちなみに野球でいうとアンチ巨人ではないし選手の実力は評価しているがジャイアンツは好きでなく、東京ドームは行かない。なぜかというと、「巨人ファン」が苦手なのだ。近年は困ったことに、カープ女子にまでそのきらいがあるが。
ファンの方には申し訳ないが、とにかく理屈はなくてオロナミンCのCMと同じぐらい苦手である。そして、重ね重ね大変申し訳ないが、世間一般の意味におけるショパン好きというのは、どうもそれと似たにおいを感じるのだ。その一員になるのが無理でコンサート、リサイタルは腰が引けてしまい、結果として曲まで敬遠することになったのだからマーラー、ヴェルディのケースとは異なっているように思う。
ハンガリーのピアニスト、ユリアン・フォン・カーロイ(1914-93)のショパンをyoutubeで楽しんだ。upするのはやってみるとけっこう面倒くさい、された方に深謝だ。カーロイはバルトークの薫陶を受けドホナーニに師事、パリではコルトーに師事した人でショパン、リストが有名だ。ショパン嫌いに戻ると、カーロイのピアノでこの第2ピアノ協奏曲を聴くなりそれは間違いだと、わかっていることなのだが、改悛を強いられるほど思い知ってしまった。
このベルリン・フィルとの録音は1956年だから61年前、指揮者のヴィルヘルム・シュヒター(1911-74)は1959~62年のN響の常任指揮者として有名だが筋肉質に引き締まったオケの緊張感がただごとでない空気を漂わす。そしてそれに包まれたカーロイ、何という純度の高い高貴なピアノだろう。そして、その前に、何という良い曲なのだろう。
僕が巨人の菅野は日本球界一の投手と信じ、カープが完封されたってその投球に賛辞を贈るのは、どこのチームのファンかという以前に野球ファンだからだが、それと同じ思いをクラシック音楽ファンとしてまったく自然にこのカーロイの2番には重ねることができる。ショパンの音楽は、あたりまえだが、天才による一級の芸術品なのだ。
少し話題を変える。音楽の感動というものはけっして音の側からやってくるのではなく、聞き手の心の作用から生まれるものだ。高音質のSACDはおろか実演の生の音でさえも感動がそれだけで保証されたり増幅されたりなどということは些かもないのであって、こういう古い録音が音質ゆえに忘れられるとしたらおかしな話だ。
クラシック音楽というのは作品が価値ある文化財だというニュアンスの用語だが、エジソンの蓄音機発明より百余年をかけて蓄積された演奏録音も文化財として価値があるという認識はyoutubeの登場で後退しているように思う。作品と違って録音は商品だ。その宿命は20世紀までは新しい演奏家が音質の進化によって先輩演奏家を凌駕する幇助になってきたが、今や1世紀分も蓄積した大家の録音ストックがネットで無料でばらまかれ、現代の演奏家はそれを広く知っている聴衆を感動させるという難題に立ち向かわざるを得なくなっている。
演奏家の良心がそれで曲がるとは思わないが録音の供給者である音楽産業は資本の論理で動き、ミーハーなビジュアルや解釈の派手なデフォルメを施す演奏家が売れるならそれでいい。しかし聴衆の心が真に良いものに開かれず、その方向に行ってしまうと音楽文化は徐々に衰退するだろう。僕が赴任した1992年のドイツ(フランクフルト)のイタリアンレストランは実に不味かったが、だんだん進化して今は遜色がない。ドイツの金融界が国際化して各国の舌の肥えた金融マンが流入してきたせいだが、客は料理屋を退化も進化もさせる。音楽界も同じで、聴衆が退化すれば供給側である演奏の質もそれに忠実に落ちていくだろう。
僕はコンクールにも懐疑的で、権威者がお墨をつけなくとも聴衆が良い耳と教養を持っていれば演奏家は自然と淘汰されていくはずだ。権威を信じるということは自分の心を閉ざすことで、心が開かれなければ感動もないから聴衆は遠ざかるし退化もする。それを防ぐためにyoutubeは役立つし、市場にない古い録音が聴けるのは有難いことなのだ。古いということは曲が生まれた時代に近いということであって、それによって伝統的解釈を知ることができるのはむしろメリットである。多くの聴衆がコンクール審査員に頼らずとも自分の耳で良品を聴き分けられる素地ができつつあるからだ。
カーロイのショパンに戻ろう。24の前奏曲(下)の3番ト長調、ここから立ちのぼる春の大地のエーテルのような香気、それを呼吸し生きている喜びはまさにショパンが封じ込めたものが解き放たれたようにすら感じる。明るい曲でこんなにこちらの精神がうきうきと沸き立つ演奏は他に知らない。そういうものは作曲家といえど楽譜という記号に書きとれるものではないし、限られたピアニストが読み取って真にすぐれた演奏技術をもって再現してくれないとそこに在ることすら知らないで終わってしまう。
カーロイの手にかかると技術的な難度は聞き手の視界に入ってもこず、ちょっとしたルバートや強弱がすべて自然に流れ、ショパンが描きとろうとした音だけではなく詩心がすっと心に入ってくる。これはピアノが上手い、超絶技巧である云々の即物的なこととして語られるべきではない。天衣が無縫であるがごとく、我々は美しい天女の衣しか目に入らない至福の時を約束されるのだから。
若いピアニストがこういう至芸を耳にせずショパンを弾いているならショパンの音楽にもショパン好きにも不幸なことだ。僕はこれを知ってしまっており、このブログで初めて聴かれた方も知ってしまっている。これを前にして当たり前の24の前奏曲を聴かされて、ナイヤガラ瀑布を見てきた者がその辺の田舎の滝を見た以上の何のことがあろう。クラシックを知る喜びはその差が自分の心で見分けられるようになって、音楽というもののすばらしさに心が開いた状態になることなのだ。審査員や識者の意見に頼ってではなく自分の経験として。
簡単なことだ。百余年をかけて蓄積された演奏録音も文化財として価値があるという認識に立って、カーロイのような「ナイアガラ瀑布」を自分の耳で探すことである。僕らの世代は食費を削って小遣いをため、2千円のレコードを買ってそれをしていた。貧乏学生にとって千円札は今なら優に1万円札以上の重みだ。youtubeでタダで楽しみながらそれができてしまうなんて羨ましい限りで、いい時代になったものだが、高価な物だから奉るように大事にして何度も真剣に耳を澄ませ、音楽に心が開いていったのも事実だ。タダでそれがおきるかどうかは保証の限りではないが。
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ショパン 練習曲集 (作品10、25)
2017 AUG 11 2:02:25 am by 東 賢太郎

自分の音楽史を回顧するわけではないが、最近、若いころ聴いた録音を聴きかえす機会が増えている。そこにはおふくろの味のような、遠い記憶にそっとよりそってくる暖かいものがあり、どこか生き返った心持ちを覚えるのだ。
いまの僕がショパンの熱心な聞き手でないことは何度か書いたが、クラシック入門したてのころはもちろんショパンの門をくぐっている。ソナタ3番やスケルツォ2番に熱中もしたし、ほとんどの曲は耳では覚えているかもしれない。
初めて惹きこまれた、というより衝撃を受けたのはDGから出たマウリツィオ・ポリーニのエチュード集(Op.10&25)(72年盤)だ。大学時代か。この演奏を何と形容しよう?フィレンツェのアカデミア美術館でミケランジェロの最も完璧な彫刻と思う「ダヴィデ像」を見て、ポリーニ盤の印象とかぶってしまい、それ以来これ(右)が浮かんできてしまう。彗星のように現れた若手によるピアノ演奏として、これとグールドのゴールドベルク変奏曲55年盤は東西の横綱、人類史に残る文化遺産だろう。
一時期、これとホロヴィッツのスカルラッティ、リヒテルのプロコフィエフなどが僕の「うまいピアノ」のスタンダードを形成していた。といって僕がピアノを弾けるわけではないのだからそれは単なる印象だ。印象というものは時により変化するものであって、決して何かを判断する基準にはなり得ないと思う。だからメカニックな技術に耳を凝らしてみることもずいぶんやった。
今回、ポリーニのエチュードを聴きかえして、やはり「うまい」と思った。作品10の第1番ハ長調でいきなり脳天にシャワーを浴びる。第5番変ト長調(黒鍵)や8番ヘ長調の指回りは唖然とするしかないし、第7番ハ長調のクリアな声部の弾き分け、作品25の第6番嬰ト短調のトリル、第10番の両手オクターブなど、ピアノ演奏の技術を体感できるわけではない者にだって何か尋常でないものを悟らせる。しかし、ポリーニはもっと若いころの録音(1960年盤)があって、それと聴き比べると思う所があるが皆さんいかがだろうか?
彼は12年前からうまかったのだ。但し「革命」の左手など彼にしてはどうして?というレベルでもあり、72年盤に至ってすべての部分でテクニックはさらに凄味を増してくるのだ。しかし彼の進化のベクトルの方向性はそちらにあり、例えば「別れの曲」や第6番変ホ短調の抒情、哀愁、歌心において特に深みが増したようには思えない。
ちょっとちがう。純水のように磨かれているが無機的、無色透明であって、いまの僕は水に澱(おり)が欲しいなと思う。音楽の養分、有機物とでもいうか、そんなものだ。作品10,25を練習曲という側面から突き詰めるとここに行きつくだろうという意味でそれは長所でこそあれ何ら欠点ではないわけでミケランジェロに浪漫を求めても仕方ない、単にこちらが年齢を重ねてしまったということなのかもしれない。
もう一つ、僕がアメリカにいたころ聴いておなじみになった演奏がある。1976年録音のアビー・サイモン(左、1922-)の演奏だ(VOX)。試しにこれをかけると、やっぱりこれだ。技術のキレ味はポリーニと異なって誰の耳にも容易にアピールする鋭利な感触はまったくなく(しかし同じほどの妙技が秘められている)、さらには心にじんわりと迫る歌と抒情があって、こういうショパンならもっと聞こうかなとなる。アビー・サイモンが日本で知名度がないのは驚くべきことで、批評家は何を聞いていたんだろう。思うに彼が米国人でありVOXも廉価レーベルであり、スターダムに縁がなかったため安物の先入観に染まってしまったのだろうか。ホロヴィッツをあれほど神と崇め讃えた連中が、技術で劣ることなくひょっとしてもっと音楽的に神ってるサイモンを完全無視できた理由を僕はまったく考えつかない。
変ホ短調のグレーな世界を聴いてほしい。彼の演奏には特に遅めの曲に不思議な色調の変化を感じる。別れの曲の絶妙なテンポの揺らぎと心の深層にまで触れてくるタッチや強弱の変化(こんな素晴らしい曲だったのか)、黒鍵や7番ハ長調や10番変イ長調のペダルを控えたタッチの羽毛のような軽さ(こんなにペダルを使わず多彩なコクのある表現ができるなんて奇跡的)、11番の歌の指によるレガート、8番の指回りと高音の粒立ちの両立、革命の左手!
彼の技巧はニューヨークタイムズで辛口で有名な批評家ハロルド・ショーンバーグに「スーパー・ヴィルチュオーゾ」と評され、そういう外面にばかりフォーカスしがちな「外タレ好き」の米国聴衆の眼がロシア系で19歳上のホロヴィッツに向いたのはいたしかたない。カーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンの弟子だったサイモンの美質はしかし超絶技巧ではない。詩的情感、音色、想像力にそれはあるのであってテクニックはそれに奉仕するものと感じられる。ちなみにホフマンはショパンの知己でチャイコフスキーの友人、同胞だったアントン・ルービンシュタイン(1829-94、チャイコフスキーの協奏曲初演を拒否したニコライは弟)の弟子だ。
この人が鍵盤上でしていることはおそらくピアニストにとって看過できないことでマルタ・アルゲリッチが師事したし、ニューヨークでリサイタルを開くと同業者がたくさん席を埋めたのは伝説である。僕がそれを目撃した例でいうとロンドンでリヒテルの会場に内田光子がいたしミケランジェリのにはブレンデルがいた。サイモンは優にそのクラスのピアニストなのである。しかしそうしたプロ目線を離れても、技術とコクが高次元で一体化した、いわば心技体のそろったピアニストとしていくら高く評価してもし足りない気持ちが残る。
テンポや間の取り方、バスの打ち込み方には個性があり人によって好き嫌いはあると思うが、ルービンシュタイン、ホフマンから伝わるショパン直伝のピアノであり、19世紀のロシアン・スクールの息吹がクリアな音で細部まで聴けるVOXの彼の録音は宝だ。耳の肥えたピアノファンはぜひ彼の録音に耳を傾けてみていただきたいが、彼の精妙なタッチはオーディオ装置を通してでないとわからない。CD(廉価盤だ)に投資することをおすすめしたい。
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ショパン「24の前奏曲」作品28
2016 DEC 24 2:02:37 am by 東 賢太郎

ショパンの演奏会から遠ざかって久しいが、僕は彼の音楽を等閑視しているのでも忌避しているわけでもない。満足させてくれる演奏家に出会わないからだと思っている。いや、いなかったわけではなくて、85年5月にロンドンのバービカンで聴いたミケランジェリ、同じく88年ウィグモア・ホールのペルルミュテールによるバラード全曲はショパンの何たるかを聴いた。しかし彼らは遥か旅立ってしまい、それ以来これぞというのがないのが現実だったということだ。
94年3月のフランクフルトでのポゴレリッチのスケルツォ全曲。存在感はあったが何か違う。かたや現代はというと今回のショパンコンクール本選はくまなくチェックしたがどうにも小物感、小手先の作り物感が否めない。選ばれた人たちにしてそうなのであって、ということは世界中で弾かれているはずのショパンはもれなくそういうものなのだということになってしまおうが、この程度の浅い音楽にわざわざ金と時間を費やして聴きに出かけるまでもない、CDに残っている往年の巨匠の名演奏を家で楽しめば十分であるというのが僕の結論だ。
そのことは何もショパンに限った話ではない。昨今は当初に演奏困難とされた現代曲でもポップス並みに軽々と手慣れた演奏がなされていて、一応の完成度と引き換えにモジュール化した平板な規格品を得た印象がある。レンガ造りのはずの家が小綺麗なプレハブ住宅になったようなもので、こんな立派な外見の家がこの値段で建ちますよ、ウチの工務店も捨てたもんじゃないでしょうというデモの場になってしまった観すらある。聴衆のほうも手軽なスポーティでポップな快感をそこに求める。申しわけないが、そんなものにつきあうほど僕は暇人ではない。
ショパンの音楽はおそらくもう百年以上も前からそれが連綿着々と進んでしまっていて、素人でも弾けてしまう気安さも手伝ってサロンの余興に近い扱いも大いにされたろうと思われる。ペルルミュテールの演奏会はまさに19世紀のパリのサロンの陰影を感じて非常に驚いたものだが、何千何万と開かれたアーティストのたまり場、サロンに招かれて最上級の腕前によるバラードを聴いたという印象だった。良くも悪くも、ショパン自身がサンドとの出会いではからずもそういう場、ソサイエティの住人となりその音楽が凡庸の手垢に染まる素地はあったということも実感する。
そうやって現代にいたると、そうした場での素人芸までふくむ雑多で多くの先人によって成型されたプレハブのモジュールピースが細部に至るまで見事にできあがっており、ショパンを弾くことはそこからどう少々のズレを盛り込むか腐心するという音楽の本質とはまことに関係の希薄な競争に参加することだと見えなくもないのである。しかし一方で彼の音楽は非常にロマンティックであり、彼の時代にそんな音楽を書いた人は誰もいないという点において真のパイオニアなのであって、彼の美質の本質はそこにあることを見逃してはならない。
それは感情にまかせてどうにも弾けてしまう要素があるということだ。細部の解釈論云々よりも全体をどう把え、感じ、それをどんな感情の色あいで伝えるかがものをいう比重が大きいのだ。バッハなら演奏者がその日どんな気持ちでいるか、悲しいことがあったか天に昇るほどうれしいかは演奏にまず出ようがないが、ショパンの音楽はそれが出てしまうのではないかと思う要素を多分にふくんだ史上最初の音楽だと言ってもいい。そうやって演奏者の人となりや人生がうっすらと透けて出る。そこに僕は醍醐味を覚えるのであって、だからショパン演奏というのは巷のなよなよしたフェミニンな綺麗事というイメージとはかけ離れた実相を持つもの、演奏者が全人格をかけるべき格闘技に近いものであると僕は確信している。
そういう観点から「前奏曲作品28」に話を進める。
ショパンはピアノの詩人といわれるが、これを作曲したマヨルカ島に持っていった印刷譜はバッハの平均律クラヴィーア曲集のみであったらしい。各12音に長短調で24の小品を書くという構想はそこに源泉があるのだろう。自由なファンタジーと形式や規律という縛りという二律背反が生んだ名品として作品28と第3ソナタは双璧と思う。前者はロシア人のラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチの前奏曲集につながったと思われるが、僕はドビッシーの24曲からなる前奏曲集への霊感を呼び覚ますものとなった可能性に関心がある。
ショパンは平行短調をはさみ五度上昇というシステマティックな曲順で24曲を一本の縦糸で結んでいるが、では全体が曲集として何かを表現しているかというとありそうで漠としている。しかし24番目のニ短調、この嵐のような音楽が世にも恐ろしい最低域の二音の3連打で幕を閉じる、この衝撃的な作品が単独で演奏されることをショパンが想定したとはどうにも思えないのだ。
それに耐える行程が23のどっしりした物語の手ごたえでなくして何だろう。僕はロアルド・ダールの「あなたに似た人」という短編集の読後感をいつも思い出す。内容云々についてではない。この本はご存じのかたも多いと思うが、15の短編から成るのだがその題がついたものはひとつもない。各編に何の脈絡もない別個独立の作品集なのだが、全部を読み通してみて初めてちょっとブラックな特異な味がずしりと舌に残るという代物である。
前奏曲作品28はそんな風に例えられるような全体観の明確な意図と調性設計をもって、そう聴かれるべく書かれた作品集だと考えている。その題がついたものはない、つまり前奏曲である必要もない24の短編集なのではないかということだ。そうでなければ、24曲を聴き終えて得られる交響曲を聴いたようなどっしりした充足感は説明できるものではない。
彼は標題音楽を一切書かなかったという理解は非常に重要と思う。この24曲は絶対音楽として起草したが、その各曲がそれぞれ聴く者に様々なイマジネーションを与え、その末に、フランスにおいて、標題はあるが純然たる標題音楽ではないというドビッシーの前奏曲という新しい形態がやってきた。その二つの曲集は後世のフランス現代音楽だけでなくストラヴィンスキーにまで遺伝しているが、その彼の音楽もロシア以前にまずフランスで有名になったのである。
この化学変化がドイツ語圏ではなくフランスでおきたということが面白い。彼がパリに住んでそこで亡くなったというだけではない、ウィーンにも住んだのだから、ラテン世界に何らかの親和性があったのだろう。血という言葉は軽々しく使いたくないが、ここではやはり彼の父親がフランス人であったことを想起せざるを得ない。そして母親はポーランドの貴族の娘だ。ドビッシーに共鳴するラテン的な感性とスラヴの貴族の血。僕の直感だが、ショパンを紐解く二つのキーワードはそれだと思う。詩人というのはもっともらしいが、大きく違う。
僕が前奏曲作品28に親しんだのは大学時代にFM放送を録音した79年のエフゲニー・モギレフスキーの東京ライブだ。下宿で夜中に何度も聴いて何と素晴らしい曲かと感涙に浸った。演奏も聞きごたえ十分でこのテープは今や希少品だ。エリザベートコンクール優勝者なのに以来さっぱり名前を見なくなった彼はどうしたんだろう?
レコードもアルゲリッチ、アシュケナージ、アラウと持っていて我が収集履歴でも赤貧だった初期から聴きこんでいた曲だったと思う。長年の間アルゲリッチがベストと思っていたが年とともに好みは変わるもので、今になると若さにまかせた勢いは魅力あるがフォルテ部分が荒く、熟成度やきめ細やかさに不満が残り技が耳についてしまう。アシュケナージは見事な技巧で丁寧に紡いだ文句ない美演、アラウはロマンティックな深みのある大人の表現で捨てがたいが、どちらもどうしてもというまでではない。
より僕の琴線に触れる演奏としてまずホルヘ・ボレを挙げたい。俗世間のきかせどころにこれ見よがしなものはかけらもなく、微妙な強弱を伴うテンポの揺れと間は自然な呼吸のまま楽に弾いているがにじみ出る人間性が比類ない。これぞ19世紀の伝統に根差した大人のダンディな味だ。おそらく長い年月をかけて若いままにぶつかって弾いてきたのだろう、男の格闘の末にたどり着いた完熟、ゆとりの表現に感服である。
ショパンは3種のピアノを持っていたが「気分のすぐれないときにはエラール、気分が良く体力があるときは、プレイエルを弾く」と言い、前奏曲作品28を作曲したマヨルカにはプレイエルを届けさせた。「プレイエルは高音にいくほど音量が小さく、高音域へいくに伴って、クレッシェンドが書かれてることがよくありますが、これは音を大きくするという意味ではなく、プレイエルのピアノで弾く前提で、高音域に移行しても同じボリュームを保つためにクレッシェンドで弾くという意味」(浜松市楽器博物館)だそうで楽譜を見ると確かに24番などそれが書いてあり納得だ。この譜面はプレイエルで音に変換すべく書かれている証拠であり、スタインウェイならそれを逆変換して弾かねばならないわけである。
ヴォイチェフ・シュヴィタワ(カトヴィツェ音楽院ピアノ科教授)がそのプレイエル(1848年製)を弾いている。ピッチが低く一聴すると地味だが、鍵盤が軽く繊細で柔らかく僅かなタッチに千変万化する表現力とシンギングトーン(歌声のような伸び)をもっていたことがこの演奏でわかる。音域ごとでもタッチの強さ、深さによってもまるで万華鏡のように変わっているのであって、これでこそ各曲の曲調によるメリハリがつきショパンの意図した曲順のインパクトが明確に伝わってくるではないか!前奏曲はこういう曲なのだと目から鱗が落ちる。演奏も楽興に満ち大変すばらしい。
さて「ドビッシーに共鳴するラテン的な感性とスラヴの貴族の血がショパンを紐解く二つのキーワード」と書いたが、ロシア系の強靭な音やドイツ系の重めの音で弾いた前奏曲は、少なくともショパンの意図からすればずいぶん的外れなものであることがわかる。上記シュヴィタワがフランス的なあっさり味のプレイエルで体現したのが前者だとすると次に後者、高貴さを添える演奏はないだろうかと思ってyoutubeを探すとこれに当たった。フランスのエリアン・リシュパン(ELIANE RICHEPIN 、1910-1999)である。
知らなかったが調べるとマルグリット・ロン、アルフレッド・コルトー、イヴ・ナットの弟子である。非常に興味深いことだが彼女はドビッシーにおいて世評が高かったようだ。フランスの感性と高貴さが理想的に交差しているのである。そう、彼女のこの前奏曲は高貴という以外に言葉を寄せつけない。これがショパンであるかどうかは問わない、なんて素晴らしい音楽を聴いたかという感慨しか残らない。
全く危なげのない72才と思えぬ指の回り。この美しい楽器は何だろう(プレイエル=コルトー、エラール=ロンだが)?こういうものだと納得するテンポ。どの曲を聞き終えてもじわりと体の芯に暖かいものが残る。何かに包みこまれたような深い満足感。クリスタルのような高音の痺れる美しさ。触れると壊れるほどデリケートなピアニシモ。荒々しい低音パッセージはffもレガートで粗暴でうるさくならず常に品格を保つ。すべてにわったって高貴なのだ。至福の時であり何度でも聴きたい、こんなことはない。
このLPかCDは何をもっても入手したいが、どうも難しそうだ。こうやって古くて良いものがどんどん視界から消えていく。新しい演奏家の活躍は大歓迎だしその演奏もそれなりに耳にはしているのだが、こういう本物中の本物をクラウドアウトするにあたっては容貌や胸のあいたドレスの貢献度も多大であろうとまじめに思っているから、僕はショパンの演奏会に10年も行っていないのである。
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ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィール」 作品106
2016 MAY 9 2:02:43 am by 東 賢太郎

このソナタは音楽であるか否かという範疇を突き抜けて、人間の精神が造りだしたあらゆるものでも最高峰のひとつであると思います。
そのような音楽がすぐ楽しめるものではなく、僕は10年はかかりました。現代音楽が耳慣れない音でもって「難しい」のとちがって、音としては奇異でもないのに何がいいのかわからなかったのです。94年にベルリンでポリーニのを聴いたのですが、それでもさっぱりでした。
この曲の第4楽章はベートーベンの讃美者だったワーグナーすら理解できず懐疑的だったそうで、20世紀まで真価は知られなかったという説もあります。僕にとって言葉がそうでしたが、日本語はニュースのアナウンサーが何を言ってるかが突然わかるようになり、英語は留学して3か月ほどして、やはりTVのCMが急に聞き取れるようになったのですが、ハンマークラヴィールソナタはそういう風にある日に急にやってきて、理解した音楽でした。
ひとことでいうと、とてもリッチな音楽です。独奏曲で40分もかかるものは作曲当時はなく、特に長大な第3楽章(アダージョ・ソステヌート)は異例だったでしょう。人間の最高の知性のすべてが結集した様はそれだけで畏敬の念をもよおすもので驚くべき輝きと建築美を放射するのですが、かといって決して無機的ではないのです。あらゆるアミノ酸が溶けこんだスープのようなもので、その養分が聴き手の精神の深いところまで届いて究極の満足感を与えてくれる。そんな曲は世の中にそうはありません。
いまこの曲の譜面を前にした心境は、ローマへ行ってパンテオンや水道橋の精緻な構造を知って感嘆するに似ます。仮にそれらを造った人が目が不自由だったとしてなんのことがありましょう。ハンディに打ち勝ったからそれが優れているのではなく、誰の作であれそれは地球上の工作物として一級品である。ベートーベンにとって聴覚疾患はそういうものです。彼は頭の中で音が聴けたのであり、それでこんな曲が書けた。聞こえたらもっといい曲が書けたわけではないでしょう、なぜならこのソナタ以上のものは想像もつかないし200年近くたっても誰も書いていないからです。
耳の聞こえる僕らはただきいて楽しめばよいのですが、どうしてもそれで済ますことはできない、耳だけではわからない何かがある、だから細部までストラクチャーを研究してみたいという僕の欲求をかりたてるという点でこのソナタは数少ない特別の音楽の一つなのです。だから何年も僕は暇をみてそうしてきており、それを書き残したいのですが膨大な分量になってしまいます。
どうするか考えますが、僕にとってこの曲がかけがえのないもの、オペラなら魔笛、シンフォニーでいえばエロイカに匹敵するものであるということを残せばとりあえず目的は達します。
冒頭です。第1主題は2つの部分からなっています。
強烈な動機を2回たたきつける。第5交響曲と同じであり、ダダダダーンの直前に休符があったのをご記憶と思います。ここではその休符を、新たに手にした楽器(ハンマークラヴィール)の強靭な低音bが埋めています。この動機は第2楽章スケルツォ主題、および後述する重要な3度下降を含んでいます。
続く部分は p でレガートが支配する女性的なメロディーで第九の喜びの歌を思わせ、同様に見事なバスラインがついています。これが9小節目のフェルマータで止まってしまうのは第6交響曲の冒頭を思わせます。作曲時点で彼は交響曲は8番まで書いていました。ステートメントとしての冒頭動機のぶつけ方は5番より8番に近いです。
この動機はブラームスが自分のピアノソナタ第1番ハ長調の冒頭にそっくり引用しているのは有名で、以前のブログでも紹介しました。
しかし、ブラームスが交響曲第4番の冒頭主題をハンマークラヴィールの第3楽章Adagio sostenutoから引用したのはあまり有名ではないでしょう。誰かが指摘したかもしれませんが僕は知りません。もしなければ東説ということです。
3度下降のブラームス4番主題はソナタの第4楽章にもはっきりと現れますが、既述のように、元をただせばソナタ冒頭動機にすでに3度下降の萌芽は現れています。
ブラームス4番の終楽章はJ.S.バッハのカンタータ第150番、BWV 150, “Nach Dir, Herr, Verlanget Mich” – Meine Tage In Dem Leid の引用であることも、これまた有名です。一聴瞭然であります。
ブラームスは自身の最後の交響曲となるかもしれなかった4番を、第1楽章第1主題にベートーベン、そして終楽章のシャコンヌ主題にJ.S.バッハを引用し、敬愛する先人の延長として位置付けようとしたというのが僕の仮説です。グレン・グールドの第3楽章を聴くと彼もそう考えていたのかと思うほど4番主題を際立たせている(上の楽譜で♭3つになる部分が7分26秒から。7分40秒から4番主題が鳴る。7分55秒からは誰が聴いてもおわかりになるでしょう)。
第2楽章スケルツォは冒頭動機の子供です。コーダで変ロ長調の主音bが半音上のhになり、d-f#(二長調)が闖入し、ついにhに居座ってしまうのは驚きます。B♭→Dの3度転調は第1楽章冒頭主題にも適用されますが、モーツァルト「魔笛」断章(女の奸計に気をつけよ)に書きました通り当時は珍しい転調です。
主音が半音上がるクロージングの例はあまり記憶にありませんが、シューベルトの弦楽五重奏曲 ハ長調D.956の最後の最後でドキッとさせられるc#の闖入ですね、僕はあれを思い起こします。シューベルトがこのソナタを知っていたかどうか、ウィーンの住人でベートーベンの信奉者だった彼が1819年にアリタリアから出版されたこの曲の楽譜を見なかったという想定は困難ではないでしょうか。
第4楽章のコーダでg、a、b、c、dに長3度が乗っかって順次あがっていくなどのベートーベンのプログレッシブな部分はやはりブラームスの第4交響曲終楽章コーダの入りの部分で、またこれは空想になりますが同楽章冒頭ラルゴでのf の4オクターヴの上昇はショパンが第3ソナタの終楽章の冒頭で採用したかもしれません。ショパンはベートーベンの友人フンメルと知己であり、1830年から1年ウィーンに住んでいたのです。
第4楽章の序奏部の最後のあたりで、これについてはどこがどうということはないのですが、僕はいつもブラームスのピアノ協奏曲第1番の響きを思いだしています。彼がこのソナタ冒頭を引用するほど親しんでいたのは事実であり、しかも、クララは事実これを弾いていたのです。PC1番はクララへの愛の曲であり、交響曲第4番は締めくくりの曲だった。ピアノソナタ第1番ほど確信犯的にではなく、ほのかに、しかしクララが聴けば分かるに違いない程度にハンマークラヴィール・ソナタを縫い込んだという想像は、そう的はずれでもないような気がするのですが・・・。
20世紀まで誰も理解できなかったかもしれないこの巨魁なソナタ。しかし数名だけは真価をわかって自作に引用までしたかもしれない。何か不可思議な磁力があるということ、僕如きが主張するより彼らが雄弁に語ってくれていると思います。
では最後に、ハンマークラヴィール・ソナタ全曲を。スビャトスラフ・リヒテルの75年のプラハでのライブです。
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ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48
2015 NOV 13 1:01:21 am by 東 賢太郎

日本人は古来より月を見ています。暦は月齢だったしお月見をしたし。不思議なのは、江戸時代にいたるまで日本人は月を「何」だと思っていたかです。
かぐや姫は月に帰るから作者は人が住める空の彼方の遠い場所という感覚はあったかもしれませんが、一般には月は毎日登ってくるもの、美しいもの、愛でるもの、詩的なもの(ポエム)として信仰や物語の対象ではあっても「物体」であると見たり考えたりした人はいなかったと思われます。
早くから月を物体と見た西洋とは受容のしかたが根本的に違います。
美しいもの⇒ポエム、という日本的な思考法(ステレオタイプな還元法)が西洋人に全くないわけではありませんが、彼らが五感で感知したものを認識し受容するプロセスというのは、
月はものである⇒もの⇒即物的な物体
という回路がまずあって、地球と同じ球体と見立てて距離、大きさ、質量、軌道を計算し、なぜ落下してこないのかという謎を解きます。見かけの美醜はその回路とは別な経路で処理されて、ポエムになる場合もあるというものでしょう。僕が長年西洋に住み、西洋人とつきあったり著作物を読んだりして得た印象はそういうものです。
このことは音楽においても同様です。特にクラシック音楽を演奏、鑑賞する際に。それを僕はショパン演奏にいつも感じるのです。日本人ピアニストはショパン⇒ポエム、という回路で処理してないかという非常に深層心理的で根源的な問題です。
「雨だれ」「革命」「子犬」「別れ」「木枯らし」など、別に日本人が考えたわけではないがショパンがつけたわけでもない標題。月を見て「うさぎ」が頭に浮かんでくる思考回路にこうした標題が乗りやすいのは自明と思います。あの速いワルツを子犬を思い浮かべて弾くピアニストはいないでしょうが、潜在的に日本人の思考回路に潜む受容のくせというのは見えない所で演奏の骨格を決めてくるのではと僕は思っています。
あれは月を見て物体だとまず感じる西洋人が作った音楽なのです。ショパンに限らず作曲家がまず聴くのはピアノの即物的な音であって、それが物体としての月にあたります。それが聴き手にどう聞こえるか、美しいポエムとして受容されるかどうかということは彼にもはどうにもならない事後的、副次的なことで、まず物体として絶対の完成度があるかどうかこそ彼の関心事のはずです。
ちょっとややこしいですが、こういうのをsubstance(あるがままの物の実体、本質)と contingency(そこからの偶発的な派生事象)の関係と表現します。例えばニワトリは日本では「コケコッコー」と鳴きますが、アメリカでは「クック ア ドゥール ドゥ」、ドイツでは「キッキレキ」、フランスでは「コックェリコ」、インドでは「クックーローロー」です。近隣でも中国は「コーコーケー」など、韓国は「コッキョ クウクウ コーコ」だそうです。同じニワトリの声(substance)をきいてるのにcontingencyはこんなに違ってくるのです。
ショパンというニワトリがいざ鳴くぞという時にそれがコックェリコかキッキレキかは彼にとってはあずかり知らぬことで、ニワトリは*+@#%~~~としか鳴かないのです。
かように、21世紀の人がポエムを見出してくれたというのはショパンにとってはまったくの偶発事象でした。同時代人のシューマンが当時のドイツ人特有のロマン的、文学的コンテクストで自分を評価しているのを知って(それは非常に高評価でショパンにとって好意的なものであったにもかかわらず)、ショパンはそれを笑止であると唾棄していることからもそれが理解できます。彼に確固として「在った」のは、彼が鍵盤から選び取った音の組み合わせが即物的に彼を満足させたこと、それだけです。
僕がショパンを作曲家としては一目置くにしても演奏を聴くのが好きでない最大の理由は、contingencyを追っかけて(それしか見えてなくて、それがsubstanceだと思いこんでいて)、substanceが何だかわけのわからない演奏が横行しているからです。日本人のショパンの特徴はその一言に尽きます。
これをお聴き下さい。ダリウス・ミヨーの「男とその欲望」(L’homme et son désir, Op.48 )という作品で、知名度は大変に低いのですが大傑作であり僕は高く評価しているものです。ショパン⇒ポエムの方々はこの意味深なタイトルの音楽が何であり何を描こうとしているのか?と悩むことでしょう。 僕は初めてこれを聴いて音に衝撃を受けてしまい、題名など吹っ飛んでしまいました。
全ての演奏家の方に問いたいのですが、これがなぜ男とその欲望なのか?どうしてそれがこういう音になっているのか?一種の踏み絵のようなものかもしれません。
ストラヴィンスキーの「結婚」を想起させますが複調、ポリフォニーの重視など語法はまったく別物です。ミヨーはブラジル滞在経験があってそこでの印象を綴ったものとされますが、これが単なる風景画や絵日記でないことは明らかです。彼が綴ったものは即物的な音であり、トレードマークの複調の文法であり、断じてポエムではありません。音、語法が紡ぎ出すダイレクトな心象こそがこの曲のsubstanceであります。
そしてここからは僕の個人的領域に入ります。自分自身がリオデジャネイロで感じた心象風景にそのsubstanceが作用してある化学反応を起こし、僕だけの感興を生み出します。これがcontingencyです。いうまでもなくなんら普遍性のないプライベートなものであります。僕が演奏家としてそれを音にしたとしても、それはあまり人の心を打つものにはならないでしょう。赤の他人の記念写真やセックスを見たってそんなに面白いものでもないのです。
つまり、contingencyとは聴衆の占有物であって演奏家が依拠すべきよすがではありません。僕がショパンのバラードやマズルカを聴くのは、弾き手のパリやワルシャワで得た経験や知見や記念写真に関心を抱いたり真のショパン解釈をきかせてほしいからではありません。ショパンが書こうとピアノに向ったsubstanceを知りたいからです。そこに僕を感動させる根源があるのであり、それこそが普遍性、説得力のあるバラード、マズルカであることを、体験から知っているからです。そういう聴き手はそういう演奏を探しだし、吟味し、支持するのです。
演奏家がショパンにポエムを感じて何ら批判されるゆえんはないのですが、そのポエムがたまたまショパンも感じたものであって、したがって普遍性のある説得力を持つのだという蓋然性は、残念ながら甚だ低いものだろうというのが僕の持論です。外国人がどんなに感動と心を込めて弾いてみても、それはコケコッコーかもしれずクックリク~と聞こえているらしいポーランドの聴衆の心に響くかどうかは別な話なのです。韓国人、中国人がどうこの問題をクリアしてショパン・コンクールを制覇したのか、なぜ日本人にはできないのかはとても興味深いテーマであります。
最後に余談ですが、この「男とその欲望」を書いたフランスの作曲家ダリウス・ミヨー(1892-1974)がバート・バカラックの先生なのです。非常に多様な様式を試みた多作家ですが、彼の和声感覚は独特で、複数の調性を並行させる複調による語法に真骨頂を見ます。交響曲第2番などこれに並ぶ傑作で彼の和声がオンリーワンである証明となっていますが、これも有名ではないのが不思議であります。
「雨にぬれても」のころ、まだ生きていたミヨーはそれを聴いてどう言ったんだろう?
「口笛で吹けるメロディを書いたからと言って、恥じる必要はまったくない」
「記憶に残るメロディをつくれる人間はめったにいない。そしてそれは本質的な才能なのだ」
若き生徒だったバカラックの演奏を聴いてそう言ったミヨーはその思いを新たにしたのではないでしょうか?
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ショパン・コンクール勝手流評価
2015 NOV 2 2:02:01 am by 東 賢太郎

ウィーン国立音大で教えている生徒は10人ほど。 残念ですが、学生たちはスコアをなかなか見ないんですよ。曲の全体像をつかもうとしない。自分のパート譜は一生懸命勉強してもね。もちろん値段も高いし、経済的に厳しい。だからこそ、私の持っているスコアを見てほしい。スコアはとても大事です。
ライナー・キュッヒル(ウィーン・フィルのコンサートマスター)
5年ごとに開催されるショパン・コンクールですが、今年(第17回)は韓国のチョ・ソンジンさんが優勝でした。これでアジア人優勝者はベトナム、中国、韓国が輩出、残念ながらまだ出ていない日本は後塵を拝する結果となっています。
1位 チョ・ソンジン(Seong-Jin Cho)(韓国)
2位 シャルル・リシャール・アムラン(Charles Richard-Hamelin)(カナダ)
3位 ケイト・リュウ(Kate Liu)(アメリカ)
4位 エリック・ルー(Eric Lu)(アメリカ)
5位 イック・トニー・ヤン(Yike (Tony) Yang)(カナダ)
6位 ドミトリー・シシキン(Dmitry Shishkin)(ロシア)
まず、チョ・ソンジンの本選(ファイナル)のピアノ協奏曲第1番です。
出だしの序奏、おい、なんだこの遅いしょぼくれたオーケストラはとびっくりします。どこの田舎オケかと思ったがワルシャワ・フィルだ。いちおう。一瞬、アジア人への嫌がらせを疑いましたが他のファイナリストにも大なり小なりこうなので指揮者の趣味だったんでしょう。チョ・ソンジンは進むにつれだんだん自分のテンポにオケを引っぱって行きます(集中力お見事)。ところが、コーダに来るとまた指揮者が戻す。
なんといっても20才のショパンが彼女を想って書いた曲ですからね、21才の青年チョ・ソンジンが弾くピアノが実にふさわしい曲です。おっさんのもっさりしたテンポは勘弁してくれよとこっちが思ってしまう(彼もそう思ってたのでは)。全体として何度も聴きたいほどいい演奏かというと、このオケは不遇でアーティスティック・インプレッションは優勝というにはいまいちです。でもソロパートの完成度は高い、ドラフト1位でいきなり新人王といううまさですね、技術的にこのぐらいは弾けないとさすがにショパンコンクール優勝という肩書はあり得ないでしょう。
第3楽章の出だし、うまいですねえ。これは最高だ。ピアノの細かいテクニックがここで成功しているかどうかは僕には判断がつきませんが、この小股の切れ上がったリズム、緩急、呼吸、オケへの受け渡しを聴くと、この人、西洋音楽のエッセンスを完全に体得しているなと納得します。これはケチが付けられない。日本人が勝てないのはここですよ。ハヤシライスをやってたら永遠に勝てない。
これは第3位のシンガポール系アメリカ人、ケイト・リュウさんの第1協奏曲です。オケは相変わらず重いがトップバッターだったチョの時よりは多少はましに。ところが彼女はこのおじさんもっさりテンポに適性があったんでしょう、こういう演奏になってます。
個人的にはこれが1位ですね、大変すばらしい。この人の集中力と没入パワーは半端じゃない。他人が聴いている見ているなどまるで眼中にないですね、音が降って来てる。このコンチェルトは男、しかもハタチ前後で強烈にある女が好きになったヤツじゃないとわかんねえだろとやや偏見気味の僕です。だから女性の弾いたのはちょっと斜に構え気味なんですが、このリュウさんは規格外良品だ。
とにかく、妙にプロっぽくないのがいいのです。2位のカナダ人アムランさんは、うまいです。どうして彼だけ2番を弾いたのか、1番だったら優勝したかもしれない腕の良さと思いました。しかし僕の趣味ですが、隙のない完成度なら大家の録音がたくさん聴けるのであって、どうしてもというのは感じません。21才のリュウはまだフィラデルフィアのカーチス音楽院の学生で、これが彼女のベストパフォーマンスとは思えないのですが、素材の良さですね、末恐ろしい!という感じが残るのです。ブラームスの2番を弾かせてみたいなあという、ショパンにとどまらない才能を感じます。
第3楽章の主題はチョの若鮎が飛び跳ねるような疾走感はなく、軽めのタッチでカプリッチオな感じ。大きなルバートがかかるんですが戻しが実に自然で、フレージングの強弱も工夫がありますが音楽に「おいしい」味つけになって恣意的に聞こえない。戻した速いテンポでオケにさっと投げ返して、オケが気持ちよく受け取る。この呼吸の良さ!指揮者も団員も聴衆も、西洋音楽の伝統のなかですっと納得してしまう。こういう流れが「形」であって歌舞伎の「見得」のようなもんです。お見事です。
第4位のエリック・ルーさんです。
若干17才とは驚きです。日本なら高校2年生。彼もカーチス音楽院の学生です。うまい!4才の年齢差を考えると素材はルーが一番かもしれない。あまりしなを作らず、すっきりと、もぎたてのレモンのように若々しいショパン。彼のこれもベストパフォーマンスではないだろうがきらりと光るものがあります。指の回りが空転ではなくいい味を出している所、こういうのは天性でしょう。第2楽章の沈静もいい。大器ですね。今回のなかで最もモーツァルトを聴いてみたいのはルーです。
最後に我が国の12人のうちただ一人ファイナルに進んだ小林 愛実さん20才です。
残念ながら入賞できませんでした。第1楽章、ほんの微妙にですがメカニックなもので上位の連中の余裕がない部分があります。ミスタッチではないのですが一生懸命感が出て、ああここは弾くの難しいんだなあと素人が納得してしまう。チョ・ソンジンはそう気がつかないのです、うまいからファインプレーに見えないというやつですね。こういうもので少しでも限界が見えてしまうとコンクールでは不利でしょう。しかし彼女は情感がこもるところはとてもいいのですよ、すごく才能があると感じます。これは伸ばしてあげたいですね。第2主題は僕は彼女のが一番好きです。
第3楽章は出だしが苦しいですがケイト・リュウも回ってないんです。違うのは音楽の流れですね。一例をあげると小林さんはオケに渡す寸前でルバートがかかってオケがつんのめる感じがどうしてもします。気持ちよくなれない。ピアニストの中に住む「指揮者」の部分です。こういうことは技術ではなく感覚の問題なんですが、非常に大事だと思います。彼女の流儀からかけたい気持ちはわかるんですが、西洋音楽の流儀をまずは「形」として優先した方がいいのではないでしょうか。
愛実さん、たくさん聴くに限ります。西洋音楽の流儀はピアノ音楽だけじゃなく、オペラやシンフォニーや室内楽にぎっしりと詰まっていますから、聴きまくることです。教わってもだめです。自分で体感して体得しないと、音楽の「味」として出てこない。まだ若いし、これだけの素質があるのだから無限の可能性があります。日本にピアノを習っている子が何人いるか、その頂点にいる人だからね、ぜひ世界の頂点に立って下さい。
ところでピアノ界の最上位を決めるコンテストで入賞者6人のうち国籍はともかく4人が東洋人というのは時代を感じます。移民じゃあるまいしアジア人の嫌がらせは杞憂でしたね。むしろいないと成り立たないぐらいでしょう。スポーツのコンペティションだと分が悪いですが、音楽ではこのマーケットシェア!神様のギフトが西洋だけに与えられたわけじゃない、高度に知的な作業においてユダヤ人と拮抗できるのはアジア人であるということがだんだんはっきりしてきました。
(追記)
ショパン・コンクール第1回(1927年)は音楽史に重要な役割を果たしました。ピアニストとして身をたてる志を秘めた21才の若者の運命を変えたからです。ショパンの協奏曲を得意とした彼はソビエト代表として出場し優勝を狙いますが名誉賞に終わります。落胆した彼はピアニストのキャリアを捨て作曲に専念するようになりました。ドミトリー・ショスタコーヴィチであります。シベリウスのウィーン・フィル入試とならび、後世の我々にとってはなんとも有難かった不合格事件でございました。
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クラシック徒然草-ショパンコンクールと日本人-
2015 SEP 28 23:23:24 pm by 東 賢太郎

ショパンコンクールの一次予選を日本人が12人通過したそうです。ポーランド15人、中国15人に次いで多いようですが全員女性だそうです。だからどうということもないのですが、男はどうしたんだろう。
コンクールってなんだっけという素朴な疑問があります。ピアノの上手い人ばかり集めてスポーツのように点がつけられるとは思わないからつけるなら好き嫌いだろうし、本来聴衆は好き嫌いで聞くのだからそれならコンクールはいらないと思います。音楽産業が売れそうな人を探すコンテスト、だいぶ昔に「スター誕生」というテレビ番組がありましたが、そんなものだというなら合点がいきますが。
歌舞伎と同じく古典芸能だから「型」というものはあるでしょう。好き嫌いをこえた伝統的な価値ですね。ショパンをムード音楽にしちゃ困るみたいな。しかし審査員もショパンの演奏を聞いたわけではないのです。弟子たちはもちろんショパンを聞いたわけですが、では弟子ならそのまま伝わるかというとそうでもない。たとえばラヴェルに教わったり初演を依頼されたりした人は複数いて、ロン、ルヴィエ、ペルルミュテール、コルトーなどですね、しかし録音での彼らのラヴェルの弾き方はみなちがいます。
だからラヴェルより百年も前のショパンのケースで作曲家直伝の解釈が唯一無二として残っていて、それを審査員の先生方だけが知っているなど想像もできないことです。いや、百歩譲って仮に残っていたとしても、ストラヴィンスキーの自作自演とブーレーズのCDを並べられどっちか一つといわれたら後者を選ぶ人は僕だけではないでしょう。
70年代にポリーニがショパンのエチュードの録音をしてそれが度肝を抜く完成度でしたが、ショパン自身はあんなに完璧に弾けたんでしょうか?それがどうあれ、あれを聞いてしまった僕らはポリーニより下手な人がエチュードを弾いてコンクールで優勝しましたといわれても耳がもう納得しないでしょう。伝統は否が応でも、そうやって日々ぬりかえられるのです。
イタリア人のマウリツィオ・ポリーニはショパンコンクール優勝者です。ああいう人を発掘するというならコンクールの存在意義はあるでしょう。しかし、我が国最高のピアニストである内田光子は日本人最高位である2位入賞者ですが、彼女はその後もショパン演奏家であり続けたわけではなく、それで現在の世界的な名声を築いたわけでもありません。
いまやポリーニや内田のような誰が聞いても天才という水準にある人はyoutubeで個人デビューすることができます。コンクール審査員のプロの耳と何億の一般大衆の耳とで評価に違いが出ても、どっちが絶対ということはなく伝統はそうやって日々ぬりかえられるのです。僕は「重複」は「ちょうふく」で「じゅうふく」は間違いと習いました。ところが大勢の人が「じゅうふく」と読みだして、僕はいまだにそれが気持ち悪いのですが、もうそれが辞典にも載ってしまって新しい日本語になってます。大衆が伝統を覆してしまう、そういうことがクラシック音楽の解釈でも起きているでしょう。
youtubeでデビューしてブレークし、EMIにベートーベン全集を録音させてしまったH.J.リムという韓国女性がいます。現在はラフマニノフの3番とブラームスの2番をアップしていて、女性にとって技術のハードルの高い二大協奏曲をあえて選んでおり、それなりに征服して弾けてしまっています。クラシック音楽というのは演奏技術がトップレベルであることはフィギュアスケートの規定競技といっしょで大前提ですが、そこはクリアしてるわよという世界のうるさ型聴衆向けのプレゼンになっているわけです。
ネットで演奏を無料公開してまず名前を売ってから、コンサートやグッズで収入を得るのがいまやポップスでは潮流です。i-tunesは世界に12、3社いるアップル社が契約したアグレゲーターという目利きが選んだアーチストが商品としてアップされます。彼らが選んだものは売れるというということで、クラシック界でのコンクール審査員に近い役割でしょう。しかしポップスに伝統もヘチマもありません。売れるかどうか、その名の通りポップかどうかが基準なのです。
クラシックは楽曲の新規供給が実質的にはなくなってしまい、ポップスではなく伝統芸能になりました。そうではあってもお高くとまっては衰退します。芸能である以上聴衆がいなくてはいけませんが、そこには伝統と大衆人気のバランスという問題が横たわっています。それこそ日本の歌舞伎界が懸命の努力をしているところで、両立すれば理想ですが、伝統は日々ぬりかわるものなら大衆人気はその原動力ですから無視できず、さらにはどういうプロセスで大衆人気が形成されるかも時代の流れで変わることに注目すべきです。
ショパンコンクール優勝は何より名誉だし、売れちゃえば勝ちという人気商売でもあるから成功へのパスポートになることは確実です。しかし、ここが重要ですが、「スター誕生」であるなら欧米のマネジメントがあえて日本人を選ぶだろうか?今年はぜひ選ばれてほしいが、ショパン弾きとして伝統にかない、欧米のコンサートホールで満場をわかせる何かが飛びぬけていなければ、うまいだけでは商業的には弱いですね。歌舞伎役者に外人が挑戦するようなものでとても狭き門だと思います。
またショパンコンクール優勝者は発足以来ロシアと東欧(もちろんポーランド)が常連でアメリカ、イタリアはあってドイツ、フランスは未だなし。東洋人は80年のダン・タイ・ソン(ベトナム)が初めてですが彼はモスクワ音楽院のロシアスクール、ちなみに70年2位の内田光子はウィーン音楽院で学び日本の音大は出ていません。2000年優勝者、中国人のユンディ・リが欧米の音楽院以外(中国)で学んだ初めてのケースと思われますが、五輪の開催地決定と似てどこか政治的なにおいを感じないでもありません。
僕はH.J.リムというお嬢さんはパイオニアであって、彼女の方法論は画期的と思うのです。簡単でありコストはゼロです。コンクールで箔をつけてプレミア感でチケットを高く売ろうという戦略は、もう古いとはいわないし王道ではあるのですが、紙媒体メディアと電子媒体メディアの戦いは時間の問題で後者が必ず勝つことを知るべきです。そうやって大衆に接する媒体の方が変化すれば大衆人気を勝ち取る方法も変化するのです。渋谷、池袋、青山で大手書店が消えているのを見れば誰でもわかる。別にショパンコンクールに出なくても、優勝者を負かす方法がでてきたのです。ユジャ・ワンやカティア・ブニアティシヴィリはメジャーなコンクールは出てないでしょう?
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ショパン バラード1番ト短調作品23
2015 FEB 6 13:13:36 pm by 東 賢太郎

僕はどうやらショパンに「甘み」を感じます。本当に砂糖の味がしてショパンづくしのリサイタルなんか聞くとケーキ10品のフルコースを食べたようで満腹になり、もう今年は結構になってしまう。右手のぱらぱら続く長ったらしい装飾音など何ら栄養分を感じず、子供の時食べた金平糖が浮かんできて一体それがどうしたんだとなってきます。1時間耐えるのは苦行です。
よく軍隊ポロネーズを弾いた時期があって気持ち良かったのですが、単にピアノという楽器のソノリティが快感だっただけで、コーンフレークが食べたくてやたらに食ったという感じです。お菓子ですから自分の中で音楽が熟成(develop)することがなくてこう弾いてほしいという基準もなく、ソナタ2番の終楽章など音楽に聞こえず未だに覚えられません。音楽自体になじめないものがあるのは事実です。ショパンは僕にとっては高級なサロンミュージックです。
それだけならまだいい。さらに悪いことに、音楽以上にサロンにいる聴衆に決定的な違和感を覚えるのです。例えれば巨人ファンです。僕は野球選手としての阿部や坂本を評価しますし、敬意を表するのにやぶさかでありません。しかし、どうしてと説明はできませんが巨人ファンが嫌で、僕はあの巨人の選手がいっぱい出てくる昔のオロナミンCのCMなんかは虫酸が走るほど嫌いなんです。巨人愛なんて言葉にはゾッとしてジンマシンが出そうです。
これまた申しわけないのですが、ショパンをならべたリサイタル(ほとんど行ったことはない)でホールに充満するあのショパン愛のオーラにあたるともう吐き気がしてきます。香水のにおいがするロビーではジュン子センセイの囲む会のお花がどうしただの、どう好意的に解釈しても僕には1000%どうでもいいオロナミンCモノの会話がそこかしこで飛び交って、同じクラシック音楽好きとはいえ北極と南極ほど程遠い世界が展開しているのです。
これと人種は変わってきますが外来オペラの幕間のロビーというのも似たようなもので、けだしこの両者は鹿鳴館の現代版でしょう。欧州への憧れを満たすハレの場です。僕はそこに10何年も住んでそこの民族とビジネスで競争してましたから憧れなんてかけらもなくて、日本人が大相撲を観るような感覚で聴きたいのですが、これはもう異国の異空間であって鐘や太鼓でうるさい日本の野球場とおんなじです。余談ですが中味を仔細に吟味もせずピケティ先生をメジャー・リーガーとカン違いして賛美してしまうのもそれと同じノリでしょう。
ショパンの曲で例外的に好きになれたのがバラード1番です。この楽譜の部分、暗闇に青白い光がさすような感じはやっぱり女の子向けのお菓子の延長ではあるんですが、ここまで感覚が研ぎすまされると凄味があって、どうしても耳を澄まします。
ここをテンポを落してデリケートにうまく弾いているのはこのアシュケナージです。彼がうまいのは当たり前すぎて面白くないのかあんまりほめられてませんが、これだけ「弾ける」人がどれだけいるか。全編どこから見ても非常にプロフェッショナル、ほしいものが全部ある名演と思います。
ところが一方で、ひょっとしてショパン本人がこう弾いていて、だからこういう譜面を書いたんじゃないかと思うのがあります。楽譜部分が弱音(p)にならないのはピアノロールだからかもしれませんが、ああこういうものかという感じがします。
テレサ・カレーニョが弾いたものです。好きかといわれると考えますが、全編にわたって聴いたことのないテンポ、ルバート、ダイナミクス、フレージング続出で、主題再現の前は和音まで違っていてびっくりしますが、何回か聴くとこのうまさは並みはずれていて信じ難いレベルということがわかってきます。ホロヴィッツより上ですねこれは。
これほど技巧に苦労がないと天衣無縫、自由自在です。こんな曲を書き残したショパン本人はもちろんそうだったでしょう。その域の者でないと通じ合えない何かがあるんじゃないか、つまり、例えばあの装飾音をどんな速さでどんなルバートで弾くかということをです。テレサ・カレーニョ(1853-1917)はマーラーの7才年上、プッチーニの5才年上、何と言ってもフランツ・リストの前で演奏し「自分の曲はこんなにいい曲だったのか」といわしめた逸話が残っている人です。「ピアノの女帝」「ピアノのヴァルキューレ」とあだ名されていたそうです。
もっとすごい事実は、テレサが生まれたのはショパンの死後わずか4年のことで、彼女はショパンの弟子だったジョルジュ・マティアス、アントン・ルービンシュタインに師事したのでショパンの孫弟子ということになります。このバラード1番が直伝のものかどうか証拠はありませんが、譜面づらからは出てこない表情やルバート、例えば第1主題のタタタタータターと第4音を軽く伸ばすような弾き方はショパンがそうしていたと思いたくなってしまいます。
オルガ・ルシナ(Olga Rusina)
この人はyoutubeでサーフィンしていて、ラヴェルの「夜のガスパール」にぶち当たって痺れてしまった。まったく知らない人だがi-tunesにあったので即購入。そうしたらショパンもあることを知る。これがまた良いのです。このバラード1番、今流のテクニックでばりばりではなく、頂点へ向かって感じながらピアニストの中で「何か」がだんだん盛りあがっていく。テンポも音量も自由に動くが、そういうすべてが一体になって。
こちらはアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22です。僕はこの作品を知りませんでしたね。こういうもんだったんだと、この演奏でいま知った。このルバートとアクセントはポーランド語なんでしょう。記号化された楽譜をさらっても絶対に出てこないもんです、これは。うまい、すばらしいなんて評価は無用です、こういうもんなんでしょう、ショパンというのは。オルガ・ルシナ、この名前は耳に焼きつきます。
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