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カテゴリー: ______ドビッシー

僕が聴いた名演奏家たち(ジェームズ・レヴァイン①)

2021 APR 25 22:22:44 pm by 東 賢太郎

詳細は承知していないが、レヴァインがセクハラ告発で表舞台から消されてしまったのは事件だった。日本でも今週、東フィルの指揮者が文春に「不倫四重奏」を暴かれていたが、同オケは「それとこれは別で指揮台復帰は可能」という趣旨の発表をしていて大人の対応のようだ。セクハラとは事の性質が違うのだろうが、法的には僕はどちらもきちんと理解できていない。レヴァインに大人の対応が通じなかったのは何かがあったのだろうと想像を逞しくするしかない。周知のことだが彼は ”クラシック音楽の最大のパワーブローカー” であったCAMI(コロンビア・アーティスト・マネジメント)のCEO、ロナルド・ウィルフォード氏のお気に入りだったからだ。

CAMIはわかりやすく言えばクラシック界のジャニーズ事務所というところである。グローバルな影響力(人事差配力)は破格で、アーティストの側は逆らえば世界のメジャーオケの音楽監督やソリストのポストにありつけず、オケの側はメジャーなアーティストを回してもらえなかった。カラヤンの1回のギャラはオケ団員ひとりの年収以上だったが、かような「企業社会の傾斜配分構造」を音楽界に持ちこんだのはウィルフォードだ。集客力あるスターあってこそのビジネスと割り切ればジャニーズが「嵐」を作るのとかわらず、巨万の富を得るチャンスが才能(タレント)を呼びこんでスターが再生産されるという純粋に資本主義的なシステムを保守的なクラシック音楽界に導入したと整理できよう。

音楽はカネ目あてではないと否定的な人もいる。僕はその一人ではないが、クラシック音楽の需給バランス(作り手と聴き手)を資本主義で維持しようとすると品質を毀損すると考えるからCAMIシステムに限界を見る者だ。クラシックといえば誰もがカラヤン、クレンペラー、バーンスタイン、アバド、ムーティ―、小澤、ゲルギエフ、シュワルツコップ、ホロヴィッツ、ポリーニ、ミケランジェリ、ハイフェッツ、ロストロポーヴィチらの名前を知っている。もちろん彼らが有能だったからだが、CAMI芸能プロの所属タレントだったからでもある。彼らが埋もれて世に出なかった20世紀のクラシック界をご想像いただけば、カネ目あてであろうと何であろうと、音楽の品質保持と我々消費者、受益者の人生の幸福にCAMIシステムは貢献があったと考えるしかないのではないか。

ウィルフォードCEOは2015年に亡くなり、2年後に秘蔵っ子だったレヴァインもああいうことになった。邪推だろうか。さらに追い打ちのようにコロナでCAMI自身も昨年8月に廃業してしまった。聴衆の高齢化で衰退を懸念されていた業界は、カラヤンやホロヴィッツを生み出す仕掛けも失った。現代にだって、スタジオで入念に録音され、後世に残すべき演奏家は多くいるに相違ない。それをライブに足を運べる地の利の人しか享受できないなら19世紀に逆戻りだし、そのライブの道すら疫病で途絶える現況は危機的だ。

当日のプログラム

レヴァインがロンドン響でマーラー巨人をRCAに録音したのは1974年だ。それがレコ芸で大木正興氏に舌鋒鋭く「青二才のマーラー」と切り捨てられたのをはっきり覚えている。録音当時レヴァインは31才だが、イシュトヴァン・ケルテスがウィーン・フィルで新世界を録音して絶賛されたのが32才なのだから年齢だけの話ではなかろう。19才だった僕は大木氏の指摘した事の軽重は計れなかったが、その10年後にメトロポリタン歌劇場(以下、メット)でレヴァインのタンホイザーに出会うまでは「青二才」のイメージしかなかったのだから氏の文章の影響は計り知れなかった。酷評を書くことに賛否はあろうが、既にメットの首席指揮者に就任していた人間をこきおろすには勇気もいったはずだ。批評というものは自分の評判を心配したら書けない。大木氏には音楽に留まらず大いに学ぶものがあったと思う。

タンホイザーはプログラムの写真のとおり1984年2月10日(金)のことだった。なぜニューヨークにいたかはよく覚えてない。ウォートンの最後の期末試験が終わってまだMBAが取れたかは不分明で落ち着かない時期であり、気晴らしに夫婦で遊びに来いとコロンビア大のMBAにいた先輩のF夫妻に招かれてアムトラックで週末にかけて出かけたのだろう。フィラデルフィアも全米第5位、人口150万の大都市であるが、それにしてもニューヨークはすべてが巨大で破格だ。そこのオペラハウスのシェフであるレヴァインがただの青二才であるはずがないことは、オペラをきく前から都市の威容が語りかけていた。

それは僕にとって人生初オペラだった。タンホイザーは筋と序曲だけよく知っていたが、ああいうものの前にそんな予備知識はあってもなくても些末なことである。舞台も歌もオーケストラも、とにかく観るもの聴くもの全てに唖然、茫然、只々ショックだった。オットー・シェンクのトラディショナルで絵画のように美しい舞台は一生忘れられるものではなく、影絵だけの蠢くヴェーヌスの妖艶さ、ヴァルトブルク城の歌合戦を告げる痛快な大行進曲、合唱がだんだん近づいてクレッシェンドする荘厳な巡礼シーンなど、今でもくっきりと瞼に思い浮かべることができる。あれが同時にワーグナー入門でもあったわけだが、そのためだろう、彼だけは他の作曲家とはまったく違った聴き方を今もってしていることに気づく。

Hotel Baur au Lacで
ワルキューレを歌うワーグナー

例えばこういうことだ。彼はローエングリン以降の作品をオペラでなく楽劇(Musikdrama)と呼んだが、初演前に劇(drama)を朗読で試演しており、それに音楽がついていく。例えばチューリヒの “Hotel Baur Au Lac” でワーグナーはワルキューレ第1幕をリストのピアノ伴奏で自身がジークムントとフンディングを歌って試演している(右の絵)。チューリヒ滞在時代、そのスポットは僕にとってメッカのように神聖な場所だったが、思えば不遜なことにプレゼンや起債調印式で使わせてもらって “そこ” で僕もしょっちゅうスピーチをしていた。オペラの試演をするほど大きな場所ではない。楽劇はドラマのサイズで生まれ、大管弦楽伴奏にアレンジしてバイロイトの舞台に乗ったのだと実感した。それが海を渡って巨大なメットの舞台に掛かるとこういうものになる。

楽劇は一般に思われているよりずっと、その名の示す通り劇でもあるということだ。レチタティーヴォとアリアの区別がないという点でシェーンベルクのシュプレッヒシュティンメを先取りするが、劇と音楽の比重という点でいうなら楽劇における方が劇の重みが大きいと思う。ということは舞台装置はもちろん歌手(役者)の演技、ビジュアルも重い。ヴォータン、ジークムントはもちろん女性でもブリュンヒルデには、声もさることながら相応の体躯の人をどうしても求めてしまう。等身大キャストのリングがあっていいという人もいるようだが僕の趣味ではない。物理的にオケの ff を圧する声が出ないだろうし、そもそも神々の物語に世間様を持ちこむのはマイスタージンガーの舞台が美術学校で名歌手たちが先生だという笑止な置き換えに等しい。このメット公演の強烈な第一印象が三つ子の魂となって、それが僕のワーグナーの基本的パーセプションになって今に至る。

だからというわけでは必ずしもないが、レヴァインのリングは数多ある中でも好みの方だ。フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、ショルティ、ベーム、カラヤン、カイルベルト、ケンぺ、バレンボイム、ブーレーズ、ヤノフスキあたりが定番だろうが、僕の場合レヴァインが最近もっともよく取り出すCDである。最大の理由はヒルデガルト・ベーレンスのブリュンヒルデだが(サヴァリッシュ盤にも出ているがこっちの方が良い)録音が素晴らしく良いことも特筆したい(ニューヨーク、マンハッタン・センター)。METオーケストラは他のどれと比べても抜群にうまく、その点で同格のカラヤン盤より声と管弦楽のバランスが自然で、大音量にするとオペラハウスさながらの快感だ。歌手もそういう人をそろえており、「人間離れした声質+ピッチ不明の大音声=ワーグナーらしさ」という既成概念を覆す純音楽的なリングといえる。聞こえるべき楽器が適度に聞こえ、音楽の意味と構造が自然に見えてくる。こういう音はバイロイトではしなかったし、物語の情念やどろどろが物足りないという意見の人も多いだろうが、そこはリングに何を求めるかだ。

レヴァインは交響管弦楽の指揮も室内楽も歌の伴奏もするマルチタレントだが、まず、第一義的に、膨大なレパートリーを誇るオペラ指揮者である。ルドルフ・ゼルキンにピアノ、ジョージ・セルに指揮を師事した能力がベースにあって、その上にオペラで大曲をバランスよくまとめ、メリハリを与え、聞かせどころを過不足なく料理する劇場的感覚が付加されたと思われる。とはいえピアノの腕はミトロプーロス、セル、サヴァリッシュ、バーンスタイン、プレヴィンもそうだったように本職はだしで多くの室内楽録音で際立っているが、ドーン・アップショウとの「ドビッシー歌曲集」は特に愛聴している。フランス音楽への適性では師のセルを上回っており、1983年のメットでのペレアスを聴きたかったと悔やむクオリティだ。

(続く)

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「上を向いて歩こう」とは何だったのか?

2021 APR 13 17:17:30 pm by 東 賢太郎

1964年の少年サンデー

少年マガジン、少年サンデー、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオンを五大週刊少年誌という。僕はサンデーを本屋でとってもらっていた。それが6才から11才なのは「伊賀の影丸」の連載期間でわかる。僕にとって漫画=影丸で、同誌の他の漫画も他誌も興味なく、連載終了(影丸旅日記の巻)をもって自然に少年雑誌、漫画とお別れした。同工異曲の横山光輝作品である「仮面の忍者赤影」すら無視だった。かくして自分の潔癖主義、厳正主義、ピューリタニズムは小学校時代にできあがっていたことを知るが、コンプライアンスがcomplyするものに対して相対的であると同様に潔癖、厳正、ピューリタンであるべき対象はその後の経験に伴って変化してきた。

漫画はいまや日本を代表する文化財である。パリのジャパン・エクスポには20万人もフランス人のマニアが押し寄せるのは有名だ。世界を席巻した『鬼滅の刃』は少年ジャンプ(集英社)、『進撃の巨人』は少年マガジン(講談社)の連載と、僕が影丸に夢中になっていたあのトキワ荘時代からの延長線上にあるのだから感無量で、漫画・アニメ・ゲーム文化は他国が一朝一夕で凌駕できるものではないだろう。それに比べると、映画、音楽という本流のエンタメが弱いという指摘がある。ハリウッドで無名の映画監督がアカデミー賞を取った韓国の後塵を拝しているのは事実かもしれない。

しかし、実はエンタメの世界一には先駆者がある。

「上を向いて歩こう」である。中村八大作曲、坂本九の歌唱によるこの歌は東京五輪の前年1963年に「全米ビルボード1位」に昇りつめている。これの価値は以後58年間、韓国のBTS「Dynamite」が昨年選ばれるまで東洋人の1位が出ていないことでわかる。東洋人の1位というとゴルフの松山英樹がつい先日にマスターズで初の歴史的快挙を達成したが、米国に今の東洋人のプレゼンスがない半世紀も前だから事の大きさでひけをとるものではない。しかし当時は実感がなかったのか、「スキヤキ」のタイトルが不快だったのか、このニュースは日本で大きくは報道されなかった。

あるきっかけで僕はyoutubeでこの曲をきいた。半世紀ぶりにきき返した。そして、ヘッドホンで子細にきき直した。そして悟った。アメリカ人はこれが天下の名曲、名唱であることを正しく評価したから1位になったのだと。

なぜこの曲をyoutubeできく気になったかというと、仕事の気晴らしにドビッシーの「亜麻色の髪の乙女」を弾いていたら、黒鍵だけの冒頭が「ひとーりぼぉっちの」にきこえたからだ。どっちもソ・ミ・ド・ラだ。「上を向いて・・」を半音下げて「亜麻色・・」と同じ変ト長調で弾いてみた。すると、ソ・ミ・ド・ラには共通する特別の効果があって、両者にユニークな性格を与えていることを発見した(以下、これを「亜麻色音列」と呼ぶことにする。音名は移動ドで記す)。その効果は一種の化学反応であり、「上を向いて」が音だけで全米を虜にした秘密と考える。それを本稿で記しておこうと思う。

(1)亜麻色音列は何色か?

玉虫

答えは「玉虫色」だ。見る角度によって異なる色合いに見える昆虫の羽の色である。政治家の「玉虫色の答弁」は評判が悪いが、玉虫厨子は飛鳥時代から日本人の美意識に合致したことを示してもおり、評価自体が玉虫色というトートロジーを包含する謎の色だ。音列も個々の構成音が喚起する色合いがあり、集合的に括れると和声として伴奏できる(コード)。

ではドビッシーは「亜麻色・・」の冒頭のソ・ミ・ド・ラの和声をどうしたか?答えはこうだ。

なし。空白。

ソミドまではⅠの和音だがラは非和声音でⅥに親和性がある。よって、コードがCにもAmにも見える玉虫色である。ドビッシーはここの伴奏を調性がわからぬよう白地とし、27小節目の再現でそのどちらでもない意外な Ⅳ(F)の和声で伴奏してもう一色増やす。旋律はオクターブあげて倍音を濁らせない工夫も見える。彼が骨の髄まで音響マニアでmeticulousであることはそういう細部に見て取れる。その男が野原にたたずむ美しい少女を描いたポエムに想像をたくましくし、その心の移ろいを曖昧にぼかしたのがこの曲だと僕は考えており、亜麻色音列はスコットランドの5音音階(蛍の光が例)で、騙し絵のような人工の曖昧を造り出すのに都合がよかったと思われる。「玉虫色の髪の乙女」なのだ。

(2)「ラ」はサブドミナントの使者である

一方の「うえをむーいて」はドドレミドラソだ。ドミナントの「ソ」に落ち着くからⅤ(G)が伴奏すべきだが作曲家・中村八大はミドラソ全部をⅢ(Am)にしたからソの部分は Am7 だ(C と Am のハイブリッド)。この曖昧はミドラソが亜麻色音列のソを最後に持ってきた転回形であることに起因している。亜麻色音列はトニック(T)のソミドを受け止めるのがドミナント(D)のソではなく非和声音の「ラ」だから落ち着かないのである。「うえをむぅいて あーるこぉぉぉ」のバスもド・ラ・ド・ラであり和声も自然に聞こえるが落ち着かない。

ところが、「ラ」には効用がある。サブドミナント(S)であるFの構成音であり、C⇒Fという和声連結には「希望効果」という心理的イフェクトがあるのだ。なにか人間の心を明るくし、わくわく感を醸し出すもの。証明はできないが、それは長調が明るく短調が悲しいのと同様の心の薬理作用としか言えない。ここに書いたのでご興味あればお読みいただきたい。

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

最初の3音がハ長調である亜麻色音列に闖入した最後の「ラ」。これが F にブリッジをかけて「希望効果」を持ちこんでいる。「亜麻色・・」の第27小節、そして「上を・・」のサビ部分のコードは明々白々の F になるが、実はどちらの曲も冒頭のメロディの「ラ」がそれをひっそりと暗示していた。これは料理における「隠し味」を連想させる。けっしてその味はしないが、いれると料理全体がおいしくなるというあれである。

私見ではこれが「上を向いて歩こう」を天下の名曲たらしめ、理解できない日本語歌唱のまま(だからタイトルはやむなくSukiyakiになった)「全米ビルボード1位」に押し上げた秘密だ。日本に置き換えて考えてみていただきたい。原語のままのアジアや中東の歌が日本レコード大賞に輝く可能性があるだろうか?それほど曲と歌が良かったということでなくて何だろう?それが「ラ」が隠し味としてワークしたサブドミナントの希望効果であり、田園交響曲を名曲たらしめた同じ原理が働いているなら全米を虜にするぐらいなんでもないことだ。

(3)楽節ごとの解題

曲はくり返しを含むABAの三部形式で、4小節が1単位(「節」と呼ぶ)である。第1~4節がAであり、第5,6節がBとなっている。

第1節「うえをむぅいて あーるこぉぉぉ」

軽快な前奏は打楽器による16ビートの弱起。リズムはあたかも軽快だが歌の入りは1拍目が欠けて(弱起)ためらいがあり、伴奏でバスがド・ラ・ド・ラ、チェロがソ・ラ・ソ・ラを弾く。「ラ」の存在が低音にも響く。旋律はドーレミドラソと一応は「ソ」(ドミナント)に落ち着き、繰り返しの瞬間にソ→ドの西洋音楽定式(D→T)の安定が聴こえる。そこに僕は失恋した青年のけなげな再起への意志をきくのだが、歌詞のわからないアメリカ人は「あーるこぉぉぉ」で「こ」が16ビート前打で前奏の入りのビートに乗っかって「ぉぉぉ」でスイングする部分でハートをわしづかみにされたのではないか。

第2節「なーみーだがーこぼれーなぉぉに」

この歌の最高音である「ラ」(青字)が早くも現れるが、前節のバスが暗示していたものだ。しかし音高にもかかわらず哀調はまだピークではない。坂本九は第1節を抑えめに歌っており、それだけにハスキーな高音部「ラ」は晴れた秋空のように透明であり、こぶしのように裏声がまじる「よぉぉに」が耳をとらえる。坂本は芝居、日舞、三味線、邦楽の素養もありヨーデルのファルセットボイスもできた。こんな歌声は日本人もアメリカ人も聞いたことがなかった。

第3節「おもいだーすー はーるのひー」

和声はC、DmときてDm7を経て悲しみのE majorに行き着く。バスが文字どおりド、レと上へ向かっていくが、Dm7のバスのファは脆弱な3度転回形で「希望のファ」として維持できず、力なく半音下がってミになる(意図ではないのだろうがジュピター音型を形成している)。上を向かないと涙がこぼれるほど悲しい「何か」がこの和音Eで痛切に語られ、哀調はピークに達する。

第4節「ひとーりぼぉっちのよるー」

「亜麻色の・・」にきこえた問題の部分だ。音はドドーラソミドラドドーだが、「ーラ」で凄いことがおきる。バスにファが入って(今度は根音)明確にFの和音がきこえる。つまり、Fの希望効果が炸裂するのである、歌詞は「ひとりぼっち」なのに彼は悲しみの中に希望を見ている。バスはラが飛んでファミレドと今度は下って安心安定のトニックに落ち着く。第3節の悲しみの極点がほどけて一時の癒しに向かう非常に重要なパッセージでその過程に亜麻色音列が配されているわけだが、その落ち着きはドミナント→トニックではないから脆弱である。「よるー」の1回目の伴奏和声は「ひとりぼっち」部分のそれのリフレーンでまさにここが当曲の目玉であることを示しつつ印象的な木琴の後打ちが重なり、トロンボーンの和声を従えてバスのファミレド降下が再現してさらに悲しみを沈静させる。僕はここが大好きで、強烈に古き良き昭和を感じる。

第5節しあーわーせーはーくものーうーえーにー」

そこでいよいよやってくるサビだ。ファファファソラーだが、「亜麻色」の変ト長調で弾くとここまですべて黒鍵だったのがファは初めての白鍵になって劇的に景色がバラ色に変わる。前半は思いっきりサブドミナント(F)= 希望、希望、希望!である。そうだ、もう涙はいらない、悲しくないんだ。

第6節「しあーわーせーはーそらのーうーえーにー」

ところがあっという間に幸せはしぼんで短調(Fm)になって希望が曇ってしまう。そして、また上を向いて歩かなくてはいけないのだ、涙がこぼれないように・・・。原曲は長調のままだったが、坂本が音を外して短調になったという説がある(wiki)。確かに第5,6節の歌詞の違いは「くも」と「そら」、「ほし」と「つき」だけで暗転を示唆するものはない。しかし歌をきく限り坂本は長短が曖昧になるような音感の持ち主ではない。とすると、坂本の意見でそうなったと考えることもできるだろう。現に彼は陽と陰の振れ動く感情をたっぷりのせて全曲を歌いきっており、短調部分は真骨頂を示している。

(4)卓越した坂本九の歌唱

この曲がブレークした秘密は音の原理だけでなく坂本九のユニークな歌唱にもある。前述のハスキー、こぶし、裏声、母音にハ行の子音が混ざる、「なきながら」のリズムを言葉なりにくずすなどだ。こういうことは人の声のなせる業であって、ハートにストレートに訴えてくる。何より彼は明るい。太陽のように。そして、邪悪の影もない良い人だ。好感度抜群の若者なのである。しかし、なぜか悲しんでいる。楽しかった春や夏を思い出し、いまは失意の底にある。涙を見せないようにやせ我慢で上を向いて歩いて、空の向こうにやがてくる幸せを願っている。歌詞がなくても、日本語がわからなくても、不思議と彼の歌だけでそういうことが伝わってくる気がしないだろうか。

クラシックの歌もずいぶんきいたが、うまい歌とはいったい何なのだろう?それを我々聴衆が味わうとはどういうことなのだろう?素人耳にも技術の冴えが見事な人はたくさんいるが、心を打つかどうかというと別だ。音程やリズム感を求めるなら楽器でもいい。そうではないことができるから、歌というものは格別なのだ。坂本はこの歌でそれを教えてくれている。音大の先生が優をくれる性質のものではないだろうが、僕は何度きいても素晴らしいと思うし、またききたくなってしまう。そういう人が何百万人も、しかもアメリカにまでいたから賞をもらった、これは誰が何と言おうと揺るぎのない事実だ。

太平洋戦争で日本が完膚なきまでに叩きのめされてから20年もたっていないころ、男が涙を隠しながら泣いてるこの歌。悲しみの背後にもう戦後ではない自由の息吹と新時代への憧憬がほんのりと漂ってもいる希望の歌。音楽がドとラで落ち着かないと書いたがそれは時代がまだそういうものだったのであり、そこに青年のアンビバレントな心理をかぶらせて描いた名曲というのが古典としての評価になっていくのだろう。ドビッシーがパリの新風だった曖昧模糊を楽想としてスコットランドの少女に、シューベルトが自らの暗い境遇と時代を冬の旅に反映させたのと変わらないように思う。

不遇の事故で故人となった坂本九を静かに偲びながらもう一度きく。昭和39年、東京オリンピックがやってきて我が家にカラーTVなるものが現れ、マイカーで伊豆に避暑に出かけ、希望、希望、希望と明るい先を希求する心情で国民みながこの歌を口ずさんでいた。その空気を吸って育った僕らは当たり前のように高度成長期を駆け抜け、自由を謳歌した。そして高齢者の端くれとなったいま、戦争で塗炭の苦しみを味わいながら日本を残してくれた親の世代、そして低成長が当たり前となってしまって成人した子の世代のことを思う。では何をすればよいのだろう、やり残したことは何だろうという疑問だけが解けていない。

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サンソン・フランソワの弾くドビッシーは

2021 MAR 9 0:00:33 am by 東 賢太郎

スイスのDE BAER(ディ・ベア)社による アナログターンテーブル「Topas(トパーズ)」の試聴機が来た。60kgと重量級。カートリッジはEMTがいまいちでオルトフォンのMC Anna Diamondをつけてもらったら多少良くなった。あと何時間レコードを聴けるかという年齢だ、意に添わない音で時間を費やすことはしたくない。

ハイエンドは一聴してこっちとはならず、楽しいが比較はけっこう疲れる。LPを取り出して片っ端からきく。ざっと30枚ぐらいか。ジャズ系は最高だ。熱が伝わる。マッコイ・タイナー絶頂期の数枚、 オスカー・ピーターソン・トリオの名盤We Get Requests、ラリー・カールトンStrikes Twiceなどをきく。

このへんでクラシックに移る。ピアノだけはCDの方が良いと思ってるが一応きいてみよう。ミケランジェリのドビッシー前奏曲、コンタルスキー兄弟のハンガリー舞曲、アンドラーシュ・シフのモーツァルト・ソナタ集、ゼルキン・セルのブラームス2番、グルダのワルトシュタインなど。

 

 

ここで遭遇したのがサンソン・フランソワの弾く「子供の領分」だった。

 

 

フランソワでいいと思ったのはラヴェルの2つのコンチェルトだけだ。どうも色モノのイメージしかないのが正直のところだ。ドイツ物は軽くていまいち、プロコフィエフは面白いが風変りで、ショパンはこっちが聴かない。まあそれは良しとしよう、いけなかったのは肝心かなめのラヴェル、ドビッシーである。

まずラヴェルのソロ名曲集、クープランの墓のフォルレーヌに音符の改変(記憶違い?)がある。EMIの録音レベルが低く音もさえない印象でがっかりである。ドビッシーもベルガマスク組曲の第1曲、10小節目の和音が変だ。第2曲にもあって幻滅である。こういう所でテキトーな人というイメージができ、以後ぜんぶお蔵入りになっていた。

大きな間違いだった。気づかせてくれたDE BAERに感謝する。ドビッシー集のCDも取り出してみる。幻滅して以来だからブルメスターのプリで一度もきいてないが、良い装置だとラヴェル集よりずっと音が良いことを知った(僕のは1987年のフランス盤だ)。しかもだ、前奏曲集 第2巻!いったい何をきいてたんだろう、もう言葉がない、これはかつてきいた最高の演奏である。テンポもリズムもフレージングもフランソワ流で文句をつける人もあろうが、ここまで完全に咀嚼されるとひとつも不自然でない。はっとさせる驚きに満ち、むしろドビッシー自身が弾いたらこうなるのだろうとさえ思えてしまう。エチュードは7,8,10-12番しかない。無機的に響く演奏が多いがこんなにエロティックに響くのは初めてだ、驚くべきイマジネーションである。

このドビッシーは最晩年の録音で、たしかコンサートで倒れてその頃は命も危なかったはずだ(だから全集が完成しなかったと記憶している)。それでも酒びたりと煙草はやめず、まぎれもなく不健康でデカダンな男だった。youtubeを探ったら亡くなる3年前にパリのジャズ・クラブで弾いているビデオを見つけた。こういう場所でドビッシーが響く、粋だねえ、なんてパリなんだろう。そんなことはドイツやアメリカでは絶対におきないね、日本じゃ100年たっても無理だ。半世紀前にサティ、ドビッシー、ピカソ、コクトーらがたむろしていたカフェ・コンセールのジャズ版がこれじゃないか。手前で聴いてるのはピアニストのアート・シモンズだ。

ベルガマスク組曲のパスピエ。気にいってたんだろう、そう、これはめちゃくちゃいい曲なんだ。彼はバド・パウエルが好きだった。わかる。このころ、定住する家はなくホテルを転々としてたらしい。歌わせてよと舞台に上がる女性シンガー、ナンシー・オロウェイとは仲が良かったとどこかに書いてあった。

60年代にはパリに多くのジャズメンがきてにぎわったようで、彼がクラブに入りびたっていたのは想像に難くない。酒、煙草、女、ジャズにクスリもあったのかどうか46の短命だった。たぶん男にしかわからないだろうが、野郎にはこんな生き方があっていい。僕は残念ながらそのどれもやらないが、精神構造とライフスタイルにおいて同じ種族であることに誇りすら覚える。ガリ勉のエリートは嫌いだ、あれはそれしかできないからそうなのであって、その人種が弾くドビッシーは死ぬほどつまらない。

今回いろいろ聴いてみたが、フランソワはなんでもすぐ耳コピ暗譜で弾けたんじゃないか。スクリャービンの3番(素晴らしい)やショパンのスケルツォなど譜面を追ってる風情が微塵もない天衣無縫である。バド・パウエルがさかりのついた猫みたいにアオアオいって弾いてる、あそこに楽譜なんて概念はありようもないのであって弾く音符はその刹那に頭で生まれてる、ひょっとしてフランソワもそうで、そうなれる曲しか弾かなかったんじゃないか。

ベルガマスクの和音?そう、違ってたかい?ちったあ構わねえだろ、俺は感じたまんまを弾いてんだぜ、インプロヴィゼーションというやつさ。

そんな声が聞こえる。そうだったのかもしれない。書いたドビッシーもいいんじゃないのってもんかもしれない。モーツァルトもベートーベンもインプロヴィゼーションの名人だったから変奏曲がすいすい作れたわけで、紙に印刷した音符ってのはクラシック音楽という名のジャンルに位置づけたいなんて作曲家が意図した代物であるわけがない。勝手に盗まれ演奏されてはカネが入らんからかなわんということで、ブツにして買ってもらってコピーライトをはっきりさせようってもんだったわけだ。

こういうビデオを見ると、クラシック音楽という世界で出来上がったというか、固まってしまった流儀がとても虚構に満ちたものに思えてくる。志村けんが「お笑い界の巨匠」なんて祭りあがって草葉の陰で笑ってるみたいなもんで、祭り上げて食ってる連中がいるってことである。音楽を書いた連中はたいがいデカダンでマニアックな変人の男であって、フツーの良家の子女や学校秀才がすましてやれるようなもんじゃない。ロック・アーティストがそうだ、連中の風体、生態を見てると多くの人はそう思えるだろうが、それが音楽ってもんの正体だ。燕尾服なぞでおめかしするクラシックというジャンルだけはそうじゃないことになってるのは実に不可思議である。

フランソワを色モノと断じていた僕も忌まわしいクラシック世界の呪術にかかっていたということだ。ずいぶん精神の自由を損していた。

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ラヴェル「弦楽四重奏曲」第1楽章の解題

2020 JUN 27 19:19:12 pm by 東 賢太郎

写真の室内楽のピアノ楽譜集にラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章があります。リダクション譜というのは原譜に忠実すぎると技術的に素人には難しすぎ、かといって間引きが過ぎると面白くありません。この「室内楽名曲集2」(オクト出版社)は初見でなんとかなるレベルまで落としており、このラヴェルに関する限り原曲の味は損なわないぎりぎりのところでうまくやっていておすすめです。大好物の曲ですからはまってしまい、何度も弾いているうちに第1楽章に封じ込めた若きラヴェルの「負けじ魂」が透かし彫りのように見えてきて、6年前にこのブログを書いてからだいぶ景色が変わってきました(ラヴェル 弦楽四重奏曲ヘ長調)。

弦楽四重奏曲ヘ長調は1902~3年、ラヴェル27才の作品です。ローマ賞を3回も落選という憂き目にあい浪人中でした。初挑戦が1900年(予備審査で落選)、1901年(第3位)、1902年(本選に進むも選外)、1903年(本選に進むも選外)、受験年齢制限の30才を迎えるため最後の挑戦は1905年(予備審査で落選)。この結果に対し音楽に造詣の深い作家ロマン・ロランが「落選の真意を問う公開質問状」を新聞発表し社会問題となったのが “ラヴェル事件” です。「門下の生徒のえこひいきだろう」「政治的意図がある」など騒ぎとなりパリ音楽院の院長デュボワは辞任に追い込まれます。

というのは、1905年時点ですでにラヴェルは古風なメヌエット(1895)、亡き王女のためのパヴァーヌ(1899)、水の戯れ(1901)、シェラザード(1903)、弦楽四重奏曲(1903)、ソナチネ(1905)、鏡(1905)と音楽史に残る作品を書いて聴衆に知られており、デュボア、サン・サーンスら音楽院中枢の保守的な審査員たちが「ラヴェル氏を審査する勇気があった作曲家たちを称賛する」とロランに思いっきりコケにされていることでも明らかです。ローマ賞は栄誉ではありましたが、受賞者で名前が音楽の教科書に載ったのはベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネ、ドビッシーだけでした。

つまり現代の我々はラヴェルにそんなものは必要なかったということを知っているのですが、当時の彼に未来は予見できません。そこまで執着したのは3万フランの賞金が欲しかったと見る人もいますが、「男のプライド」というのはそんなカネで買えるほど軽いものではない。受験戦争と同じで、あいつが受かってなんで俺がというものがある。戦いというのはどんなに些細に見えても当事者にしかわからない許し難い葛藤があり、それが何にも増して強大な原動力になったりすることを浪人した僕はよくわかります。最たる嫉妬の対象はドビッシーですが、落ちた年に受賞した連中など彼にはゴミにしか見えてなかったはずで、それに負けた不快感も絶大だったでしょう。

ですから、あと2度しか挑戦できないのに1904年は受験しなかったのを長年不思議に思っておりました。ところが弦楽四重奏曲が「1903年にできた」という事実から意味が見えてきました。彼は03年の本選の課題曲である「アリッサ」のプロットに辟易しているからです。くだらない台本に霊感の湧かない曲を書くなど馬鹿らしいというのが完全主義者の気質です。またこの曲は10年前に書かれたドビッシーの弦楽四重奏曲を明確にモデルにしていますが、04年3月の初演を聴いたドビッシーは「一音符たりとも変更しないよう」と誉めた。ところが後にラヴェルは全編を改訂してしまいます。亜流とされるのを嫌ったと思います。

彼の全作品は、彼がアイロニカルでシニカルで一筋縄でいかない、むしろ一筋縄でいくと思われたくない性格の持ち主であることを示唆しています。こういう人間のプライドというのは常人の量り知れるものではなく、ドビッシーの路線とはかけ離れたダフニスとクロエ(1912)の高みに至るそれこそ常人離れしたモチベーションは25~30才で味わった屈辱と反骨心にマグマの源泉があったのではないか。前年に3位を得て満を持して臨んで失敗した1902年の末に書き始めた「古典中の古典のソナタ形式」をとる弦楽四重奏曲ヘ長調は保守派の試験官の好みに迎合する戦略で書かれて03年4月に完成し、7月に受験してまた不合格(「アリッサ」に辟易した年)。04年3月に四重奏曲を初演してドビッシーの賛辞を得て7月の受験は無視するに至ったのではと思うのです。

ラヴェルの音楽が古典の規範に反し無用に急進的だとするパリ音楽院はアカデミズムの牙城であり、院長のデュボアを筆頭とする「白い巨塔」でした。そんなことをしていたからデュボア、サン・サーンスのスクールからは音楽史に残る継承者も作品も出ませんでした。ラヴェルは力はあるが権威に靡かない異端児と烙印を押されており、その教官はパリ音楽院卒でないため政治力を欠くフォーレでもあり、伝統を継承することを旨とする保守本流のエリートとは遠かったのです。また、これは私見ですが、ラヴェルが生粋のフランス人ではなくバスク人のハーフであったことも深層心理的に行動に影響があったかもしれません。合格のための迎合は戦略であって、真意は「よし、それなら古典中の古典の形式で新しいものを書き古狸どもをぎゃふんといわせてやろう」という反骨であった可能性があるのではないかと思うのです。くだらない台本にはかけらの関心もわかないが、自らが書いた「審査員どもを篭絡し征服する台本」には絶大なるエネルギーをもって集中力を発揮する、ラヴェルとはそういう人だったと考えるのです。

今回、ピアノではありますが自分で演奏してみて、そういう視点からソナタ形式の第1楽章を眺めてみると、ラヴェルの戦略として気づくことがありました。それをここに記してみます。

 

この楽章は提示部に意匠が凝らされています。ヘ長調の第1主題で開始しますが、たった4小節で(第1の矢印)で変イ長調に転調して変奏されます(第1の転調)。それが4小節でト短調(Gm)に疑似終止(第2の矢印)すると、突然に違う旋律がG7の和声を伴って天から降ってきて(第2の転調)変ロ長調に移行するのです。

第1主題がたった20秒の間に2度も転調するのです。こんな例は僕は後にも先にも知りません。メロディが嫋やかで哀調を帯びた非常に印象的なものですから先を期待するのですが、つかまえようとするとすっと逃げられてしまう。しかも2度目から “エスプレッシヴォ” で感情をこめて朗々と歌われてしまう「取り残され感」は半端ないのです。

全くの私的イメージでありますが、結婚式に呼ばれて美しい花嫁が登場したと思ったら10秒で「お色直し」があり、もう10秒でまたあり、唖然として顔をよく見ると別な女性だったというほどの衝撃を僕は聴くたびに感じます。あれっ、俺はどこに来てるんだっけと迷い、これがソナタ形式の第1主題だということを忘れ迷路に迷い込んだ自分を発見するのです。

すると、七変化はそれに留まらず、さらに副主題(4小節目から)が現れて、

しばし楽想は展開部であるかの如く変転します。これはミステリー小説でいう「ミスリード」であって、第2主題の如く現れて真犯人を隠すダミーの役目をしています。ここに至って、まだ第1主題が続いているのだと初聴で見抜く人は誰もいないでしょう。

であるから、第2主題(ARCOから)が現れ、また驚くのです。

これが第1主題にもまして触れれば折れてしまうほど繊細かつ妖艶で、すぐれて女性的です。この3連符を含む主題も第1主題と同様に提示部で変奏されたうえで展開部に進みます。第1、2主題は気分的には大きなコントラストはなく同質的で、展開部での交差は両者のアラベスクによってその共通の哀調を更に変奏していく風です。

つまりこの楽章は第1主題に封じ込められた気分をコーダまで様々な角度から光をあて聴き手に味わわせるというソナタ形式としては異質の構造であり、副主題を含めた3つの主題は独立(対立)した個性を主張し論理性を持って昇華する構成因子というよりも、相伴って気分の変遷をガイドする万華鏡のパーツとでも形容される性格です。すなわち、外形的にはアホの「白い巨塔」の審査員様向けの文句なしのソナタ形式をとっているが、聴感的にはすぐれてラヴェル的でやりたい放題である。「どうだ、なんか文句あるか?ざまあみろ」という嘲笑を含んだ彼の顔が見える。第1主題の第1部は第3、4楽章で循環形式の素材としても扱われ、彼が「古い皮袋をまとって奴らの目くらましにすること」に強い意志を見せていることが伺われます。

そのことは再現部において第1主題の3部分がほぼ同じくり返しを見せるところに巧妙に仕組まれています。当たり前と思われるでしょうが、3つがセットで第1主題という外形を聴き手はいったん見失ってますからこの再現はけっこうショックなのです。つまり、驚かせながら「この主題は木に竹を気ままに接いだものではなく強固な鋳型なのだ」と主張し、ソナタ形式の規範に見事に則って見せて古狸どもに泡を吹かせてやろう、温故知新の精神があることを評価させようという気概をこめたオリジナルな構造であり、さらに技巧を凝らして和声は微妙に提示部と変え時制による「変化」を盛り込んでいるという革命をも成し遂げた精巧な作品に仕上がっている。

コーダの最後の部分です。

両主題が重なりヘ長調から長2度下の変ホ長調へというラベルお好みの交差が2度繰り返され、そこに不意にト長調が現れてヘ長調で終わる。この印象的なト長調の闖入はシューマンのトロイメライの最後のようであり、深い安寧へと誘ってくれます。これを弾ききった時の満足感は格別で、音楽でお腹がいっぱいになる感じがいたします。提示部で両主題が変奏し展開され、その生々流転が展開部にも継続して全曲のあらゆる局面で時々刻々光と影を変遷させる。この作品が完成した年からドビッシーが書き始めた、やはりソナタ形式である交響詩「海」はラヴェルがここで試行した時間関数による変奏の概念をより高い次元で達成しているのです。

前回ご紹介していない「マールボロ音楽祭の演奏者たち」の演奏はなかなか結構なものです。

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(ご参考)

クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

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ルフェビュールと大坂のおばちゃん

2020 FEB 3 21:21:17 pm by 東 賢太郎

大坂のおばちゃんみたいと言ったら失礼だろうか?僕にとって大阪は仕事の故郷であり、おばちゃんにたくさん助けてもらって、親しみの気持ちでもあるんだけど・・・。

フランスのイヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898 – 1986)さんのことである。大好きなピアニストだ。

まずはこのベートーベンの31番のレッスンをご覧いただきたい。

凄すぎだ。最後のアリオーソの前のところである。アルゲリッチの鬼神が乗り移った様を思い出すが、ちょっと違う。怒った猫が鍵盤をパンチでひっかいてるようで、それでいて弾きながら眼鏡を直せる。やっていることを言葉にも出せる。完全に右脳型に見えるが左脳もぴったりシンクロしているということで、実はとてもコントロールされている。

ビデオでstage fight(舞台でのケンカ)の話がある。そりゃあこれは指揮者ともめるだろう。メンゲルベルグを激怒させたらしいが、これだけの腕前のピアニストなのに、メジャーレーベル録音というとフルトヴェングラーのK466だけというのはそこに理由があるのだろうか。クレンペラーとやりあったツワモノのヘビー・スモーカー、アニー・フィッシャー女史も有名だが。

さて次はラヴェルだ。彼女はフォーレにも会ったらしいが、まだ幼少で、演奏を聴いてもらったのはラヴェルだと言っている。3分10秒からト長調協奏曲の終楽章があるが、実に面白いので実況中継してみよう。

まず4分8秒で、鞭(ムチ)が鳴らない。打楽器奏者2人はボーっと立ちすくんでおり、事故というより完全な不勉強である。これで凍ったのだろうか直後のホルンとトランペットの掛け合いはもっさりしたテンポになってしまい、彼女は4分23秒からのパッセージをお構いなしに速めに戻す。しかしまだ遅いのだ、それはオーボエがガチョウみたいな間抜けな伴奏をつける4分58秒で、次のパッセージの開始を待たずテンポアップしてしまうことで明らかになる。そこからいきなりピアノは疾走し、やばい、このテンポだとバスーンが崩壊かと手に汗握る。ぎりぎり誤魔化してほっとするが、続くトランペットが速さのせいかへたくそだ。そして、その次の変ホ調クラリネットがついにトチってしまう。その瞬間、彼女は電光石火の早業で指揮者にキッと目をやるが(5分49秒)、怒っているというより「あんた大丈夫?」という感じだ。そしていよいよクライマックスに至る直前、「さあ行くわよ!」と指揮者を鼓舞するが、6分15秒あたりからオーケストラはピアノにおいていかれ(というよりピアノが先走って)しばしアンサンブルはぐしゃぐしゃになる。振り回された指揮者(JMコシュロー)がお気の毒。おばちゃん、寄り切り勝ちだ。

東洋人(日本人?)の弟子が弾くアルボラダのエンディングのコードに一瞬の間を置けとか、ビデオはないがCDのシューマンの子供の情景で、トロイメライの最後のGm-D-Gmの和音になる2度目のレミファラをほんの少しゆっくり弾くとか(コルトーもそうしている)、そんなことは楽譜にない、自家薬籠中の味付けである。ここ、シューマンの天才的な和声感覚でF(ヘ長調)の主調にG7が現れ、この音はけっこうびっくりなので「のばしなさい」とペダル記号とフェルマータがついてる。

それが終わって1回目のレミファラでC7(+9)でぼかしながら、2度目のレミファラに付されたGm-D-Gm(ト短調)が、これ、僕には脳天の中枢におよぶほど衝撃的で、1回目のびっくり(Gのセブンス)が2回目はGのマイナーになっているだけなのだけれど、こういう音を書いた人は他に一人もいない。ここを音符どおりに素通りするなんて考えられない。シューマンはリタルダンドと書いて「だんだんゆっくりね」とは言ってるが、子供が夢の中で何かにはっとしているのがGm-D-Gmだとするなら、それを母のような愛情で慈しむなら、音価よりゆっくり弾きたいと思う。

僕はシューマンが、自然に、音楽の心としてそうなるだろうと記譜していないのだと思う。音価を変えていないのも、決めつけるのではなく、弾き手の心で敏感に感じてやってくれと。最後でまたC7(+9)で夢うつつのようにぼかしながら、オクターヴ下がってラシドのたった3つの音で主調に回帰して深い安息感をもって曲は終わるのだ、ト短調のびっくりから1小節もたたないうちに・・・。

ルフェビュールはそういう風に弾いてくれている。そういう味わい深いもの、心のひだに触れる精神の産物は楽譜に書けない。書いてあったとしても、物理的な速度の増減という無機的なものではない。妙なたとえだが、学生の頃よく行った頑固なおばちゃんがやってた渋谷のんべい横町の焼き鳥屋のタレだ。継ぎ足しで年月をかけて舌の肥えた人が熟成させてきたものが料理本のレシピで一朝一夕にできることはない。

ルフェビュールおばさんはラヴェルの水の戯れを上手に弾いた男性に「とってもいいわ。でもあなたの音はリストなの。ラヴェルが見つけた新しい音は違うの、ヴェルサイユみたいにやってよ」とコーチしている。宮殿の庭の噴水は何度か見たが僕にはわからない、この意味はパリジャンがヴェルサイユと形容した時に感じるものを含んでいる。永く住まないとという性質のもので、ラヴェルの生の音を聴いた人の証言でもある。そして、彼女が奏でる水の戯れの冒頭のパッセージは、言葉もないほどにエレガントだ。

最後に、ドビッシーの版画から雨の庭。腕を高くあげての猫パンチのひっかきが威力を発揮、そこから出る単音のメロディーが蓮の花のようにくっきり浮かび上がるのはマジックさながらだ。圧倒的な説得力。まいりました。

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N響定期、アシュケナージのドビッシーを聴く

2018 JUN 10 0:00:50 am by 東 賢太郎

指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ジャン・エフラム・バヴゼ

イベール/祝典序曲
ドビッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
ドビッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビッシー/交響詩「海」

イベールは西村さんがブログに書かれた昭和15年に委嘱された曲。一聴して面白い曲でもないが聴けたのはありがたい。ジャン・エフラム・バヴゼのピアノは高音域のきらめきがとてもきれいで、めったに実演を聴けない幻想曲は楽しめた。アンコールの「花火」はすばらしい、見事なタッチと音彩の使い手でありこれなら前奏曲第2巻全曲を所望したい。後半はいつでも何処でも聴きたい曲目。特に「海」は最も好きなクラシックのひとつで、スコアにあるすべての音が絶対の価値を持って聞こえる。

最近疲れで居眠りすることが多いが、牧神と海だけはアドレナリンが出て開始前から興奮している。どちらもオーケストレーションが!!!何度観ても唖然とする独創。僕は僕なりの色を見ている。海の第1楽章の最後、チェロのソロとイングリッシュホルンのユニゾン!ここはW・ピストン著「管弦楽法」に取り上げられている箇所だがまるで一つの別な楽器のように完璧に調和するのは驚くばかり。シンセで第1楽章を録音したが、この部分からコーダの陽光に煌めく波しぶきまで、作りながら恍惚状態だった。第2楽章は色彩の嵐、第3楽章は再度その恍惚の和声で締めくくられる。一音符たりとも無駄がなく、今日はコルネットを復活した版だったがどちらであれ終結の充足感はゆるぎない。

海のオケを観ながら、これがなければペトルーシュカも春の祭典もなかったなと、弦楽器の書法、シンバル・銅鑼の用法、ティンパニとバスドラの使い分け(打楽器の音色美まで追求!)に感じ入る。とにかくオーケストレーションが図抜けていて凄すぎる。演奏?とてもよかった。アシュケナージは楽器をバランスよく鳴らし、ブレンドさせるのが大変に上手だ。眠くなるどころか、アドレナリンがさらに脳内をめぐっていつになく覚醒して終了。すばらしい「海」をありがとう!

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エルネスト・アンセルメと気品について

2018 FEB 23 2:02:30 am by 東 賢太郎

エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883年 – 1969年)はスイス人の数学者兼指揮者だが、高校時代の僕にとってフランス音楽の神だった。今だってその地位は譲っていない。まずは彼の姓でフランス語の t の省略というシロモノに初めて出会ったわけで、以来、これ(サイレント)とか独語のウムラウトとか、妙ちくりんな発音がない平明な英語名はフランス、ドイツ音楽の演奏家として安物という困った先入観にとりつかれてしまった。

その先入観に手を貸したのは、当時熟読していたレコード芸術誌だ。志鳥 栄八郎氏という評論家が管弦楽曲の担当で、この人が徹底した本場物主義者だった。フランス物はフランス人、ドイツ物はドイツ人、チェコ物はチェコ人でないとダメなのだが、そうなると英米人はやるものがなくなってしまうではないか。当時のクラシック音楽評論家のドイツ原理主義は顕著という以上に激烈でソナタ形式でない曲は色モノだという勢いすら感じたが、あれは同胞心だったのか形を変えた英米への復讐だったのか。志鳥氏は大木正興氏ほど筋金入りのドイツ原理主義者でも学究派でもなく、NHKの「名曲アルバム」の言語版という万国博愛的でエピキュリアンで親しみやすいイメージだったが、当時は三越、高島屋が憧れの欧米への窓口だった時代であり、クラシックはその音楽版だったから影響は大きかった。

氏は大正15年生まれで親父の一つ下だ。18才を敗色濃厚な戦争末期に迎え、東京大空襲で10万も亡くなって疎開、大学は行かれず戦後に旺文社に入社され著名な音楽評論家になられたがその後の人生では学歴で一番ハンディを負った世代かもしれない。陸軍に招集されたが士官学校ではない新兵はもちろん二等兵だ。死ななかったのは幸いだが酷い体験だったと拝察する。この世代のインテリが英米嫌いであったり日本(軍隊)嫌いで左傾化したのは自然だし、そこにマッカーサーのウォーギルトプログラムが乗っかった。それが生んだ日本嫌いの左翼と、軍隊嫌いで新生日本嫌いの左傾を混同してはまかりならない。南洋諸島(対米)やインパール(対英)で数万人の死者を出し、しかも6割が餓死であったという惨状を知れば、日本人の精神に戦争の傷跡が残らなかったはずがない。

銀行員になった親父も似たもので陸軍の二等兵で入隊して終戦となり、軍隊では殴られた記憶しかなく高射砲狙撃中に敵機の投じた爆撃で吹っ飛ばされて左耳が聞こえなくなった。ところがおのれ米英とは一切ならずクラシックばかりかアメリカンポップスのレコードまで聴き、あんな国と戦争する方がバカだと一貫して醒めており、英語をやれ、アメリカで勉強しろと息子を教育した。戦ってみて手強かったんだろう、それならそこから学べというのは薩長と同じでいま思えば実践的だったが東大は入っておけともいわれ、すぐにアメリカに飛んで行くようなことにならなかったのはより実践的だった。南洋、インパールで作戦ミスはあったがそれは起こしてしまった大きな過ちの結末であって、あんな国と戦争する方がバカだという大罪の罪深さを後に自分で肌で知ることとなる。

僕は左傾化しなかったが、それは政府の方がサンフランシスコ講和条約から一気に英米追従と戦時の極右の座標軸の視点から見れば相対的に思いっきり左傾化したからだ。その反動で安保闘争に走ったりはしないノンポリだったが、一方で音楽評論の影響で英米文化的差別主義者になった。志鳥氏がそうだったかは詳らかでないが、読んだ方は精神的に従軍したかのようにそう解釈した。だから親父に言われた「アメリカで勉強しろ」という立派な米国と、自分の中で見下してる米国はアンビバレントな存在として宙ぶらりんになった。後に本当にそこで勉強することになったが、当初はそれが残っていて解消に時間を要した。僕的な音楽の座標軸では独墺露仏が上座にあり英米伊は下座になっていた。イタリアの下座はいちぬけたの腑抜け野郎と見ていたからだ。中でもフランスは連合国ではあったがドイツに全土を占領され直接の敵国という印象はなく、好ましい国の最右翼だった。

若い方はクラシック音楽の受容の話と政治の話が混線して戸惑うだろうか。僕の生まれた1955年、昭和30年は終戦後たった10年目、上記サンフランシスコ講和条約に吉田茂首相が調印して連合国占領が解かれ国家として主権が回復してたった3年目だったのだ。安保反対と学生運動で世間は騒然としており、大学生協のガラス越しにゲバ棒で殴り合って学生が死ぬのを見た。生まれるすぐ前まで、7年間も、日本列島に国家がなかったのだということを僕は自分の精神史を通して改めて知る。そして、自分が決めてとったと信じていた行動が実は親父の言葉の影響だったこともだ。僕の世代は戦争を知らない。しかし、実際に戦場で銃弾を撃ってきた父親がそこにいた。そのことがいかに大きかったか。僕らがその後モーレツ社員になって高度成長期を支えたのも時代の空気と無縁でないし、それを若い皆さんにお伝えするのも父の世代からの橋渡しとしての役目と思う。

音楽に戻ろう。フランス音楽の大家といえばクリュイタンス、モントゥー、ミュンシュもいたのにどうしてアンセルメだったのかというと、彼がスイス・ロマンド管弦楽団(スイスのフランス語圏、ジュネーヴを本拠とする見事にフレンチな音色のオーケストラ)と作るDeccaレーベルの音もあった。当時聴いていた自宅の廉価なオーディオ装置でもけっこういい音がして、LPを買って満足感があったという単純な理由もあるだろう。くっきりと即物的でひんやりと冷たいのだが、その割にローカルで不可思議な色香が潜んでいて気品があって、都会の女なのか田舎娘なのかという妖しさが良かった。それに完全にあてられてしまったわけだ。

ドビッシーの素晴らしい「牧神の午後への前奏曲」、これを聴けばアンセルメの醸し出す色香と気品がわかっていただけるかもしれない。

お聴きの通りアンサンブルの精度、木管のユニゾンのピッチがけっこうアバウトだ。ベルリン・フィルならこんな演奏は絶対にしない。しかしドビッシーの牧神はそういう次元で書かれていない。英語で書くならatmosphericであり、霞んだ大気の向こうのようにほわっとしている風情のものがフランスの美学の根幹にあるクラルテとは背反するのだが、この曲をブーレーズのように楷書的に正確に演奏するとアトモスが消えてしまう。アンセルメのアバウトは意図ではないのだろうが、崩れそうで良い塩梅にまとまる妙がある、いわば橋口五葉の浮世絵にある浴衣のいい女というところだ。

フランス料理とその作法はロシアに影響したが、音楽ではロシアがフランスに影響した。こってり系のロシア物をフレンチにお洒落に味付けした演奏は僕の好みだ。マルティノン / パリ音楽院管のプロコフィエフなど好例だ。しかし、アンセルメがスイス・ロマンドと録音したリムスキー・コルサコフの「シェラザード」ほど素晴らしいものはない。余計な言葉は不要だ、このビデオの10分46秒から始まる第2楽章の主題をぜひ聴いていただきたい。

まずバスーン、そして続く絶妙のオーボエ!これがフランス式の管の音色だ。後者の着流しでいなせな兄いのような洒落っ気はどうだ、このフレーズをこんな風にさらさらころころと、然し変幻自在の節回しのアレグロで小粋に吹かせた人は(過去の録音でも同じ)アンセルメしかいない。僕はこれが耳に焼きついていていつも求めているが、レコードでも実演でも、他で聴いたことは皆無である。楽譜をいくら眺めても、こういうフレーズの伸縮や微妙なタンギングのアクセントは書いてない(書けない)。指揮者のインスピレーションの産物であることまぎれもなく、普通の人がやるとあざとく聞こえるものがアンセルメだとR・コルサコフがこう意図したかと納得させられてしまう。いまや僕にとってこの曲をアンセルメ以外で聴く時間も意欲もなく、ほかのCD、レコードは全部捨ててしまってもいいと思っている。

指揮者によって音楽が変わるというがそれは当然であって、皆さんカラオケで原曲とまったく同じに歌えるはずはない。いくら物まね名人でもわかってしまう。それと同じことで、第2楽章の主題をアンセルメとまったく同じに吹かせるのは無理なのだ。指揮者はそこに個性を刻印できるが、奏者にお任せも多いし、いじりすぎて変なのも困る。この第2楽章は何度聴いても唸るしかないウルトラ級の至芸で、何がそうかといえば、つまりはアンセルメの指示する各所の歌いまわしが至極自然でごもっとも、そうだからこそ、そこからにじみ出る気品なのだ。かと思えば、第1楽章では7分51秒から弦と金管がズレまくる考えられないアバウトさで、ここは高校の頃から気になって仕方なかった。最後の和声もオーボエのミが低い。

このオケのオーボエは上手いのか下手なのか良くわからないが、アンセルメのこだわりの節回しをお洒落に吹くことに関しては間違いなくセンス満点であって、それ以上あんた何が欲しいのといわれれば退散するしかないだろう。このオーボエあってこそのスイス・ロマンドであり、まことにチャーミングでハイグレードであり、同じほど高貴な色香を放つフルート、クラリネット、バスーンにホルンがある。アンサンブルのアバウトなどどこ吹く風、このシェラザードは音楽録音の至宝であって、聴いたことのない方はぜひ全曲を覚え込むまで何度もきかれるがいい。一生の宝物となることだろう。

最後に、そのオーボエの大活躍するラヴェルの「クープランの墓」をどうぞ。やはりアンサンブルはゆるいが、それがどうした。この演奏に満ちあふれるフランスの高貴、ツンとすました気品。やっぱり申しわけないがアメリカじゃダメなんです。いや世界広しといえどもこれに真っ向から太刀打ちできるのは京都ぐらいだろう。若いお嬢様がた、気品というのは内面から出るのだよ、いくら化粧なんかしてもだめだ。こういう音楽をたしなみなさい、きっと身につくから。

 

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クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

2016 SEP 20 0:00:47 am by 東 賢太郎

前回、微分音を使った武満徹の「雨の呪文」をきいた。微分音とはなにやらおそろしげだが、ちっとも難しいものではない。

これをお聴きいただきたい。「平調 陪臚」という我が国古来の音楽、雅楽である。

冒頭の笛の音からして西洋音楽のドレミファとは合っていない。笙(しょう)は長2度の和声らしきものを奏でるがユニゾンの旋律になるとグリッサンドが入り高音のピッチは不安定である。もちろん、それはそういうものなのであり、「音が外れている」というには当たらない。

次はこちら。インドネシアのガムラン音楽である。

雅楽よりもドレミファに近いが、笛もゴングのような金属打楽器もいわば「調子はずれ」だ。しかしこれも、そういうものなのだ。僕自身、香港時代に初めてジャカルタへ行ってこういうガムラン・オーケストラを聴いた。強烈な音楽を全身で受け止めた。

これに魅せられる西洋人は多いようで、パーカッショングループがやるとこうなる。かなり洗練されてきて、同音型の悠久を思わせる繰り返しはどこかライヒのミニマル・ミュージックを思い起こさせないだろうか。しかし微分音ということでいうと正面左の鉄琴のピッチは明らかに四分音ほど低いのだ。

トルコ、ペルシャの伝統音楽もこうした調子はずれの音が出てくる。つまり教会の残響で三和音のハーモニーから発し、倍音として現れる音でオクターヴを12分割した西洋音楽のスケールというものが世界を席巻しているが、それだけが音楽であると言うには世界はあまりに広いことがご理解いただけるだろうか。

これは言葉の世界で、母国語としている人が5%しかいない英語が世界を席巻してビジネス公用語になっているのに似る。それは確かに便利ではあるが、では「わび・さび」を英語で説明しろと言われればはたと困ってしまう。メートル法に慣れた我々が「体重は何ポンドですか?」と聞かれてもだ。雅楽やガムランを五線譜に書くのは、それと同じく困ってしまうことなのだ。

僕は雅楽もガムランも好きで、どちらもCDを所有している。それは音楽として伝わってくる何かがあるからであって、それ固有のものだ。それをバッハと比べてどうこう言うには値しない。ベトナム料理とフランス料理を比べることは可能だが、どちらもおいしいのであって、料理というものはそれで充分なのだ。

微分音とは、体重50キロの人が「110.231131ポンド」になってしまう、その小数点の部分、0.231131みたいなものだ。相手は110、111,112・・・と整数で考えてる。それがドレミファ・・・というものである。でも、ドレミファを基準に調子はずれとされても困る。雅楽もガムランも、西洋音楽より前から「そういうもの」として存在してきたのだから。

幸い、西洋の教養ある人達はそれを理解している。これは2012年のエジンバラ国際音楽祭で宮内庁式部職楽部が演奏会をやったドキュメントだ。チケットは早々に完売したようであり、「マーラーの9番を思い出しました」というご婦人も出てくる。千年前の音楽がほぼそのまま保存されているのは日本をおいてない。我々はこれをもっと知り、もっと誇りを持つべきだろう。

パリの万国博覧会でガムランを聴いて感銘を受け、そのインスピレーションから音楽を書いたのはドビッシーだ。彼は北斎の浮世絵から交響詩「海」を書いたように、ガムランからこの曲を書いたとされる。1903年の作品、「版画」から第1曲「塔(パゴダ)」である。

これをパーシー・グレンジャーが管弦楽に編曲している。これを聴くとガムランの感じがよくわかるから面白い。

しかしここに微分音は出てこない。あくまでポンド法である平均律に焼き直したもの、デフォルメされた「イメージ」にすぎないと言っていいだろう。僕は微分音でしか表現できない音楽を平均律に「押し込める」ことには少々抵抗がある。

第一に、ビートルズをピアノで弾いてもあの純正調のハーモニーは出ないように、すべての同名異音を同じと読んでしまうエンハーモニックは本当の美を表さない。第二に、雅楽もガムランも、もっといえば演歌の「こぶし」も、ビートルズ以上に西洋楽器にはなじまないものだからだ。

ドレミファにならない音楽を排除してしまうのは間違いだ。良い音楽に対して心が開かれている人にとっては、音をもってスピリチュアルに何かを伝えるものはすべからく音楽である。伝えるものが大きければすべて立派な音楽なのであり、そこに優劣のような価値基準が入り込む余地はない。どこの国の料理も、おいしいものが良い料理なのである。

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クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

 

武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

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クラシック徒然草ーフランス好きにおすすめー

2016 SEP 3 2:02:01 am by 東 賢太郎

ジャズやポップスはアルバムが唯一無二の「作品」ですが、クラシックはそうではなくて、作品が富士山ならアルバムはその写真集のような関係です。

しかし、中にはちがうのがあって、ほんのたまにですが、これは「作品」だという盤石の風格を感じる録音があります。風格というより唯一無二性と書くか、音の刻まれ方から録音のフォーカスの具合まで、総合的なイメージとしてそのアルバムが一個の個性を普遍性まで高めた感じのするものがございます。

演奏家と録音のプロデューサー、ミキサーといった技師のコラボが作品となっている印象でブーレーズのCBS盤がそれなのですが、DG盤もレベルは高いがその感じに欠けるのは不思議です。何が要因かは僕もわかりません。

名演奏、名録音では足らず、演奏家のオーラと技師のポリシー・録音機材の具合がお互い求め合ったかのような天与のマッチングを見せるときにのみ、そういう作品ができるのでしょうか。例えばブーレーズCBSのドビッシーの「遊戯」は両者のエッセンスの絶妙な配合が感じられる例です。

いかがでしょう?

冒頭は高弦(シ)にハープとホルンのド、ド#が順次乗っかりますが、ハープの倍音を強めに録ってホルンは隠し味として(聞こえるかどうかぐらい弱く)ブレンドして不協和音のうねりまで絶妙のバランスで聴かせます。聴いた瞬間に耳が吸いよせられてしまいます。

ここから数分は楽想もストラヴィンスキーの火の鳥そっくりでその録音でも同様の効果を上げていますが、いくらブーレーズでもコンサートホールでこれをするのは難しいと思われます。エンジニアの感性と技法が楽想、指揮者の狙いに完璧にマッチしている例です。

録音の品位、品格というものは厳然とあって、ただ原音に忠実(Hi-Fi)であればいいというものではありません。忠実であるべきは物理特性に対してではなく「音楽」に対してです。こういうCDはパソコンではなくちゃんとしたオーディオ装置で再生されるべき音が詰まっています。

僕がハイファイマニアでないことは書きましたが、そういう名録音がもしあれば細心の注意を払って一個の芸術作品として耳を傾けたいという気持ちは大いにあります。それをクラウドではなくCDというモノとして所有していたいという気持ちもです。

ライブ録音に「作品」を感じるものはあまり思い当たりません。演奏の偶然性、感情表現の偶発性などライブの良さは認めつつも、演奏会場の空気感や熱気までを録音するのは困難です。C・クライバ―、カラヤンなど会場で聴いたものがCDになっていますが、仮にそれだけ聞いてそれを選ぶかと言われればNOです。

「音の響き」「そのとらえ方」はその日のお客の入りや温度、湿度によって変わるでしょう。CDとして「作品」までなるにはエンジニアの意志、個性、こだわりの完璧な発揮が重要な要素と思われますが、彼らは条件が定常的であるスタジオでこそ本来の力が発揮されるという事情があると思います。

fluteこのことを僕に感じさせたのはしかしブーレーズではありません。右のCDです。これはSaphirというフランスのレーベルのオムニバスですが、同国の誇る名人フルーティストのオンパレードで演奏はどれもふるいつきたくなるほどの一級品。以下、曲ごとに印象を書きます。

ルーセルの「ロンサールの2つの詩」のミシェル・モラゲス(フルート)とサンドリーヌ・ピオ(ソプラノ)の完璧なピッチ、ホールトーン、倍音までバランスの取れた調和の美しさは絶品!これで一個の芸術品である。

ラヴェルの「 序奏とアレグロ」はフランスの香気に満ち、ハープ、フルート、クラリネット、弦4部がクラリティの高い透明な響きでまるでオーケストラの如き音彩を放つさまは夢を見るよう。パリ弦楽四重奏団のチェロが素晴らしい。この演奏は数多ある同曲盤でベストクラス。

ミシェル・モラゲス(フルート)、エミール・ナウモフ(ピアノ)によるプーランクのフルート・ソナタはフルートの千変万化の音色、10才でブーランジェの弟子だったナウモフのプーランク解釈に出会えるが、色彩感と活力、素晴らしいとしか書きようがなく、しかも音が「フランスしてる」のは驚くばかり。エンジニアの卓越したセンスを聴く。同曲ベストレベルにある。

マテュー・デュフール(フルート)、ジュリー・パロック(ハープ)、ジョアシン弦楽三重奏団によるルーセルの「 セレナード 」、これまた「おフランス」に浸りきれる逸品。この音楽、ドイツ人やウィーン人に書けと言ってもどう考えても無理だ。録音エンジニアもフランス、ラテンの透明な感性、最高に良い味を出しておりフルートの涼やかな音色に耳を奪われる。最高!

ドビュッシーの「 フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」は(同曲の本編に書きませんでしたが)、これまた演奏、録音ともベスト級のクオリティ。序奏とアレグロでもルーセルでもここでもフルートとハープの相性は抜群で、その創案者モーツァルトの音色センスがうかがえるが、そこにヴィオラが絡む渋い味はどこか繊細な京料理の感性を思いおこさせる。

以上、残念ながらyoutubeに見当たらず音はお聴きいただけません。選曲は中上級者向きですがフランス音楽がお好きな方はi-tunesでお買いになって後悔することはないでしょう(musique francaise pour fluteと入力すると上のジャケットが出てきます)。CDは探しましたがなく、僕も仕方なくi-tunesで買いました。間違ってもこんな一級品のディスクを廃盤に追いこんでほしくないものですね。

 
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クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

2016 AUG 14 21:21:29 pm by 東 賢太郎

ドビッシーとラヴェルといえばこの事件が有名である。『版画』の第2曲「グラナダの夕暮れ」が自身が1895年に作曲した「耳で聞く風景」(Les sites auriculaires)の第1曲「ハバネラ」に似ているとしてラヴェルがクレームし、両者は疎遠となったらしい。

これがラヴェルのハバネラである(後に管弦楽化して「スペイン狂詩曲」第3曲とした)。

こちらがドビッシーの「グラナダの夕暮れ」である。

そんなに怒るほど似ているだろうか? リズム音型は同じだがハバネラ固有のものであってラヴェルの専売特許というわけではないだろう。僕には第2曲「 鐘が鳴るなかで 」(Entre cloches)のほうがむしろドビッシーっぽく聞こえるのだが・・・。

ラヴェルの母親はスペイン系(バスク人)である。バスクというのはカスティーリャ王国領でポルトガルにほど近く、「カステラ」はその国名に由来するときく。フランシスコ・ザビエルもバスク人だったし、コロンブスを雇ってアメリカ大陸を発見、領有した強国であった。

曲名にあるグラナダというとアルハンブラ宮殿で有名なイスラム王朝ナスル朝の首都だが、カスティーリャはアラゴンが同君連合となって1482年にグラナダ戦争を開始、1492年にグラナダを陥落しレコンキスタは終結した。バスクの人々には万感の思いがある地であろうことは想像に難くない。

「スペイン狂詩曲」(1908年)に結集したように、ラヴェルの母方の血への思いは強かったと思われる。かたや「グラナダの夕暮れ」作曲当時のドビッシーはスペイン体験が一度しかなかった。気に障ったのは盗作ということではなく父祖の地へ行ったこともない者が訳知り顔して書くなという反感だったのかもしれない。

非常に興味深いことに、「夜のガスパール」の第1曲である「オンディーヌ」はこういう和音で始まる。

gasare

嬰ハ長調トニック(cis・eis・gis)とa の速い交替だ。ところがさきほど、敬愛してやまないドビッシーの「海」をピアノでさらっていたらびっくりした。

mer言うまでもない、これは曲の最後の最後、ティンパニの一撃で終わる(何と天才的な!)その直前の和音。変ニ長調トニックとhesesの速い交替だ。これは平均律のピアノでは「オンディーヌ」の和音と同じものなのである。オーケストラでは気がつかなかったが、弾いてみればどなたもが納得されよう。

交響詩「海」は1905年の作品である。水を素材にした作品だ。クライマックスの爆発で天空に吹き上げた水しぶきが、水の精であるオンディーヌの不思議の世界にいざなってくれる。彼女の化身がメリザンドでなくてなんだろう。

偶然でなければうまい仕返しをしたものだ。

スペイン狂詩曲を完成したのが1908年、「夜のガスパール」も1908年。偶然なのだろうか?

ドビッシーはこれを聴いており、音楽家の耳は同じ和音に気がついただろうが、盗作だなんてクレームはできない。リズムも和音も専売特許ではないし、そういうことをしそうな男でもなかったようなイメージがある。

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クラシック徒然草-ドビッシーの母-

 

 

 

 

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