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ラヴェル「弦楽四重奏曲」第1楽章の解題

2020 JUN 27 19:19:12 pm by 東 賢太郎

写真の室内楽のピアノ楽譜集にラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章があります。リダクション譜というのは原譜に忠実すぎると技術的に素人には難しすぎ、かといって間引きが過ぎると面白くありません。この「室内楽名曲集2」(オクト出版社)は初見でなんとかなるレベルまで落としており、このラヴェルに関する限り原曲の味は損なわないぎりぎりのところでうまくやっていておすすめです。大好物の曲ですからはまってしまい、何度も弾いているうちに第1楽章に封じ込めた若きラヴェルの「負けじ魂」が透かし彫りのように見えてきて、6年前にこのブログを書いてからだいぶ景色が変わってきました(ラヴェル 弦楽四重奏曲ヘ長調)。

弦楽四重奏曲ヘ長調は1902~3年、ラヴェル27才の作品です。ローマ賞を3回も落選という憂き目にあい浪人中でした。初挑戦が1900年(予備審査で落選)、1901年(第3位)、1902年(本選に進むも選外)、1903年(本選に進むも選外)、受験年齢制限の30才を迎えるため最後の挑戦は1905年(予備審査で落選)。この結果に対し音楽に造詣の深い作家ロマン・ロランが「落選の真意を問う公開質問状」を新聞発表し社会問題となったのが “ラヴェル事件” です。「門下の生徒のえこひいきだろう」「政治的意図がある」など騒ぎとなりパリ音楽院の院長デュボワは辞任に追い込まれます。

というのは、1905年時点ですでにラヴェルは古風なメヌエット(1895)、亡き王女のためのパヴァーヌ(1899)、水の戯れ(1901)、シェラザード(1903)、弦楽四重奏曲(1903)、ソナチネ(1905)、鏡(1905)と音楽史に残る作品を書いて聴衆に知られており、デュボア、サン・サーンスら音楽院中枢の保守的な審査員たちが「ラヴェル氏を審査する勇気があった作曲家たちを称賛する」とロランに思いっきりコケにされていることでも明らかです。ローマ賞は栄誉ではありましたが、受賞者で名前が音楽の教科書に載ったのはベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネ、ドビッシーだけでした。

つまり現代の我々はラヴェルにそんなものは必要なかったということを知っているのですが、当時の彼に未来は予見できません。そこまで執着したのは3万フランの賞金が欲しかったと見る人もいますが、「男のプライド」というのはそんなカネで買えるほど軽いものではない。受験戦争と同じで、あいつが受かってなんで俺がというものがある。戦いというのはどんなに些細に見えても当事者にしかわからない許し難い葛藤があり、それが何にも増して強大な原動力になったりすることを浪人した僕はよくわかります。最たる嫉妬の対象はドビッシーですが、落ちた年に受賞した連中など彼にはゴミにしか見えてなかったはずで、それに負けた不快感も絶大だったでしょう。

ですから、あと2度しか挑戦できないのに1904年は受験しなかったのを長年不思議に思っておりました。ところが弦楽四重奏曲が「1903年にできた」という事実から意味が見えてきました。彼は03年の本選の課題曲である「アリッサ」のプロットに辟易しているからです。くだらない台本に霊感の湧かない曲を書くなど馬鹿らしいというのが完全主義者の気質です。またこの曲は10年前に書かれたドビッシーの弦楽四重奏曲を明確にモデルにしていますが、04年3月の初演を聴いたドビッシーは「一音符たりとも変更しないよう」と誉めた。ところが後にラヴェルは全編を改訂してしまいます。亜流とされるのを嫌ったと思います。

彼の全作品は、彼がアイロニカルでシニカルで一筋縄でいかない、むしろ一筋縄でいくと思われたくない性格の持ち主であることを示唆しています。こういう人間のプライドというのは常人の量り知れるものではなく、ドビッシーの路線とはかけ離れたダフニスとクロエ(1912)の高みに至るそれこそ常人離れしたモチベーションは25~30才で味わった屈辱と反骨心にマグマの源泉があったのではないか。前年に3位を得て満を持して臨んで失敗した1902年の末に書き始めた「古典中の古典のソナタ形式」をとる弦楽四重奏曲ヘ長調は保守派の試験官の好みに迎合する戦略で書かれて03年4月に完成し、7月に受験してまた不合格(「アリッサ」に辟易した年)。04年3月に四重奏曲を初演してドビッシーの賛辞を得て7月の受験は無視するに至ったのではと思うのです。

ラヴェルの音楽が古典の規範に反し無用に急進的だとするパリ音楽院はアカデミズムの牙城であり、院長のデュボアを筆頭とする「白い巨塔」でした。そんなことをしていたからデュボア、サン・サーンスのスクールからは音楽史に残る継承者も作品も出ませんでした。ラヴェルは力はあるが権威に靡かない異端児と烙印を押されており、その教官はパリ音楽院卒でないため政治力を欠くフォーレでもあり、伝統を継承することを旨とする保守本流のエリートとは遠かったのです。また、これは私見ですが、ラヴェルが生粋のフランス人ではなくバスク人のハーフであったことも深層心理的に行動に影響があったかもしれません。合格のための迎合は戦略であって、真意は「よし、それなら古典中の古典の形式で新しいものを書き古狸どもをぎゃふんといわせてやろう」という反骨であった可能性があるのではないかと思うのです。くだらない台本にはかけらの関心もわかないが、自らが書いた「審査員どもを篭絡し征服する台本」には絶大なるエネルギーをもって集中力を発揮する、ラヴェルとはそういう人だったと考えるのです。

今回、ピアノではありますが自分で演奏してみて、そういう視点からソナタ形式の第1楽章を眺めてみると、ラヴェルの戦略として気づくことがありました。それをここに記してみます。

 

この楽章は提示部に意匠が凝らされています。ヘ長調の第1主題で開始しますが、たった4小節で(第1の矢印)で変イ長調に転調して変奏されます(第1の転調)。それが4小節でト短調(Gm)に疑似終止(第2の矢印)すると、突然に違う旋律がG7の和声を伴って天から降ってきて(第2の転調)変ロ長調に移行するのです。

第1主題がたった20秒の間に2度も転調するのです。こんな例は僕は後にも先にも知りません。メロディが嫋やかで哀調を帯びた非常に印象的なものですから先を期待するのですが、つかまえようとするとすっと逃げられてしまう。しかも2度目から “エスプレッシヴォ” で感情をこめて朗々と歌われてしまう「取り残され感」は半端ないのです。

全くの私的イメージでありますが、結婚式に呼ばれて美しい花嫁が登場したと思ったら10秒で「お色直し」があり、もう10秒でまたあり、唖然として顔をよく見ると別な女性だったというほどの衝撃を僕は聴くたびに感じます。あれっ、俺はどこに来てるんだっけと迷い、これがソナタ形式の第1主題だということを忘れ迷路に迷い込んだ自分を発見するのです。

すると、七変化はそれに留まらず、さらに副主題(4小節目から)が現れて、

しばし楽想は展開部であるかの如く変転します。これはミステリー小説でいう「ミスリード」であって、第2主題の如く現れて真犯人を隠すダミーの役目をしています。ここに至って、まだ第1主題が続いているのだと初聴で見抜く人は誰もいないでしょう。

であるから、第2主題(ARCOから)が現れ、また驚くのです。

これが第1主題にもまして触れれば折れてしまうほど繊細かつ妖艶で、すぐれて女性的です。この3連符を含む主題も第1主題と同様に提示部で変奏されたうえで展開部に進みます。第1、2主題は気分的には大きなコントラストはなく同質的で、展開部での交差は両者のアラベスクによってその共通の哀調を更に変奏していく風です。

つまりこの楽章は第1主題に封じ込められた気分をコーダまで様々な角度から光をあて聴き手に味わわせるというソナタ形式としては異質の構造であり、副主題を含めた3つの主題は独立(対立)した個性を主張し論理性を持って昇華する構成因子というよりも、相伴って気分の変遷をガイドする万華鏡のパーツとでも形容される性格です。すなわち、外形的にはアホの「白い巨塔」の審査員様向けの文句なしのソナタ形式をとっているが、聴感的にはすぐれてラヴェル的でやりたい放題である。「どうだ、なんか文句あるか?ざまあみろ」という嘲笑を含んだ彼の顔が見える。第1主題の第1部は第3、4楽章で循環形式の素材としても扱われ、彼が「古い皮袋をまとって奴らの目くらましにすること」に強い意志を見せていることが伺われます。

そのことは再現部において第1主題の3部分がほぼ同じくり返しを見せるところに巧妙に仕組まれています。当たり前と思われるでしょうが、3つがセットで第1主題という外形を聴き手はいったん見失ってますからこの再現はけっこうショックなのです。つまり、驚かせながら「この主題は木に竹を気ままに接いだものではなく強固な鋳型なのだ」と主張し、ソナタ形式の規範に見事に則って見せて古狸どもに泡を吹かせてやろう、温故知新の精神があることを評価させようという気概をこめたオリジナルな構造であり、さらに技巧を凝らして和声は微妙に提示部と変え時制による「変化」を盛り込んでいるという革命をも成し遂げた精巧な作品に仕上がっている。

コーダの最後の部分です。

両主題が重なりヘ長調から長2度下の変ホ長調へというラベルお好みの交差が2度繰り返され、そこに不意にト長調が現れてヘ長調で終わる。この印象的なト長調の闖入はシューマンのトロイメライの最後のようであり、深い安寧へと誘ってくれます。これを弾ききった時の満足感は格別で、音楽でお腹がいっぱいになる感じがいたします。提示部で両主題が変奏し展開され、その生々流転が展開部にも継続して全曲のあらゆる局面で時々刻々光と影を変遷させる。この作品が完成した年からドビッシーが書き始めた、やはりソナタ形式である交響詩「海」はラヴェルがここで試行した時間関数による変奏の概念をより高い次元で達成しているのです。

前回ご紹介していない「マールボロ音楽祭の演奏者たち」の演奏はなかなか結構なものです。

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(ご参考)

クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

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ルフェビュールと大坂のおばちゃん

2020 FEB 3 21:21:17 pm by 東 賢太郎

大坂のおばちゃんみたいと言ったら失礼だろうか?僕にとって大阪は仕事の故郷であり、おばちゃんにたくさん助けてもらって、親しみの気持ちでもあるんだけど・・・。

フランスのイヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898 – 1986)さんのことである。大好きなピアニストだ。

まずはこのベートーベンの31番のレッスンをご覧いただきたい。

凄すぎだ。最後のアリオーソの前のところである。アルゲリッチの鬼神が乗り移った様を思い出すが、ちょっと違う。怒った猫が鍵盤をパンチでひっかいてるようで、それでいて弾きながら眼鏡を直せる。やっていることを言葉にも出せる。完全に右脳型に見えるが左脳もぴったりシンクロしているということで、実はとてもコントロールされている。

ビデオでstage fight(舞台でのケンカ)の話がある。そりゃあこれは指揮者ともめるだろう。メンゲルベルグを激怒させたらしいが、これだけの腕前のピアニストなのに、メジャーレーベル録音というとフルトヴェングラーのK466だけというのはそこに理由があるのだろうか。クレンペラーとやりあったツワモノのヘビー・スモーカー、アニー・フィッシャー女史も有名だが。

さて次はラヴェルだ。彼女はフォーレにも会ったらしいが、まだ幼少で、演奏を聴いてもらったのはラヴェルだと言っている。3分10秒からト長調協奏曲の終楽章があるが、実に面白いので実況中継してみよう。

まず4分8秒で、鞭(ムチ)が鳴らない。打楽器奏者2人はボーっと立ちすくんでおり、事故というより完全な不勉強である。これで凍ったのだろうか直後のホルンとトランペットの掛け合いはもっさりしたテンポになってしまい、彼女は4分23秒からのパッセージをお構いなしに速めに戻す。しかしまだ遅いのだ、それはオーボエがガチョウみたいな間抜けな伴奏をつける4分58秒で、次のパッセージの開始を待たずテンポアップしてしまうことで明らかになる。そこからいきなりピアノは疾走し、やばい、このテンポだとバスーンが崩壊かと手に汗握る。ぎりぎり誤魔化してほっとするが、続くトランペットが速さのせいかへたくそだ。そして、その次の変ホ調クラリネットがついにトチってしまう。その瞬間、彼女は電光石火の早業で指揮者にキッと目をやるが(5分49秒)、怒っているというより「あんた大丈夫?」という感じだ。そしていよいよクライマックスに至る直前、「さあ行くわよ!」と指揮者を鼓舞するが、6分15秒あたりからオーケストラはピアノにおいていかれ(というよりピアノが先走って)しばしアンサンブルはぐしゃぐしゃになる。振り回された指揮者(JMコシュロー)がお気の毒。おばちゃん、寄り切り勝ちだ。

東洋人(日本人?)の弟子が弾くアルボラダのエンディングのコードに一瞬の間を置けとか、ビデオはないがCDのシューマンの子供の情景で、トロイメライの最後のGm-D-Gmの和音になる2度目のレミファラをほんの少しゆっくり弾くとか(コルトーもそうしている)、そんなことは楽譜にない、自家薬籠中の味付けである。ここ、シューマンの天才的な和声感覚でF(ヘ長調)の主調にG7が現れ、この音はけっこうびっくりなので「のばしなさい」とペダル記号とフェルマータがついてる。

それが終わって1回目のレミファラでC7(+9)でぼかしながら、2度目のレミファラに付されたGm-D-Gm(ト短調)が、これ、僕には脳天の中枢におよぶほど衝撃的で、1回目のびっくり(Gのセブンス)が2回目はGのマイナーになっているだけなのだけれど、こういう音を書いた人は他に一人もいない。ここを音符どおりに素通りするなんて考えられない。シューマンはリタルダンドと書いて「だんだんゆっくりね」とは言ってるが、子供が夢の中で何かにはっとしているのがGm-D-Gmだとするなら、それを母のような愛情で慈しむなら、音価よりゆっくり弾きたいと思う。

僕はシューマンが、自然に、音楽の心としてそうなるだろうと記譜していないのだと思う。音価を変えていないのも、決めつけるのではなく、弾き手の心で敏感に感じてやってくれと。最後でまたC7(+9)で夢うつつのようにぼかしながら、オクターヴ下がってラシドのたった3つの音で主調に回帰して深い安息感をもって曲は終わるのだ、ト短調のびっくりから1小節もたたないうちに・・・。

ルフェビュールはそういう風に弾いてくれている。そういう味わい深いもの、心のひだに触れる精神の産物は楽譜に書けない。書いてあったとしても、物理的な速度の増減という無機的なものではない。妙なたとえだが、学生の頃よく行った頑固なおばちゃんがやってた渋谷のんべい横町の焼き鳥屋のタレだ。継ぎ足しで年月をかけて舌の肥えた人が熟成させてきたものが料理本のレシピで一朝一夕にできることはない。

ルフェビュールおばさんはラヴェルの水の戯れを上手に弾いた男性に「とってもいいわ。でもあなたの音はリストなの。ラヴェルが見つけた新しい音は違うの、ヴェルサイユみたいにやってよ」とコーチしている。宮殿の庭の噴水は何度か見たが僕にはわからない、この意味はパリジャンがヴェルサイユと形容した時に感じるものを含んでいる。永く住まないとという性質のもので、ラヴェルの生の音を聴いた人の証言でもある。そして、彼女が奏でる水の戯れの冒頭のパッセージは、言葉もないほどにエレガントだ。

最後に、ドビッシーの版画から雨の庭。腕を高くあげての猫パンチのひっかきが威力を発揮、そこから出る単音のメロディーが蓮の花のようにくっきり浮かび上がるのはマジックさながらだ。圧倒的な説得力。まいりました。

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N響定期、アシュケナージのドビッシーを聴く

2018 JUN 10 0:00:50 am by 東 賢太郎

指揮:ウラディーミル・アシュケナージ
ピアノ:ジャン・エフラム・バヴゼ

イベール/祝典序曲
ドビッシー/ピアノと管弦楽のための幻想曲
ドビッシー/牧神の午後への前奏曲
ドビッシー/交響詩「海」

イベールは西村さんがブログに書かれた昭和15年に委嘱された曲。一聴して面白い曲でもないが聴けたのはありがたい。ジャン・エフラム・バヴゼのピアノは高音域のきらめきがとてもきれいで、めったに実演を聴けない幻想曲は楽しめた。アンコールの「花火」はすばらしい、見事なタッチと音彩の使い手でありこれなら前奏曲第2巻全曲を所望したい。後半はいつでも何処でも聴きたい曲目。特に「海」は最も好きなクラシックのひとつで、スコアにあるすべての音が絶対の価値を持って聞こえる。

最近疲れで居眠りすることが多いが、牧神と海だけはアドレナリンが出て開始前から興奮している。どちらもオーケストレーションが!!!何度観ても唖然とする独創。僕は僕なりの色を見ている。海の第1楽章の最後、チェロのソロとイングリッシュホルンのユニゾン!ここはW・ピストン著「管弦楽法」に取り上げられている箇所だがまるで一つの別な楽器のように完璧に調和するのは驚くばかり。シンセで第1楽章を録音したが、この部分からコーダの陽光に煌めく波しぶきまで、作りながら恍惚状態だった。第2楽章は色彩の嵐、第3楽章は再度その恍惚の和声で締めくくられる。一音符たりとも無駄がなく、今日はコルネットを復活した版だったがどちらであれ終結の充足感はゆるぎない。

海のオケを観ながら、これがなければペトルーシュカも春の祭典もなかったなと、弦楽器の書法、シンバル・銅鑼の用法、ティンパニとバスドラの使い分け(打楽器の音色美まで追求!)に感じ入る。とにかくオーケストレーションが図抜けていて凄すぎる。演奏?とてもよかった。アシュケナージは楽器をバランスよく鳴らし、ブレンドさせるのが大変に上手だ。眠くなるどころか、アドレナリンがさらに脳内をめぐっていつになく覚醒して終了。すばらしい「海」をありがとう!

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エルネスト・アンセルメと気品について

2018 FEB 23 2:02:30 am by 東 賢太郎

エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883年 – 1969年)はスイス人の数学者兼指揮者だが、高校時代の僕にとってフランス音楽の神だった。今だってその地位は譲っていない。まずは彼の姓でフランス語の t の省略というシロモノに初めて出会ったわけで、以来、これ(サイレント)とか独語のウムラウトとか、妙ちくりんな発音がない平明な英語名はフランス、ドイツ音楽の演奏家として安物という困った先入観にとりつかれてしまった。

その先入観に手を貸したのは、当時熟読していたレコード芸術誌だ。志鳥 栄八郎氏という評論家が管弦楽曲の担当で、この人が徹底した本場物主義者だった。フランス物はフランス人、ドイツ物はドイツ人、チェコ物はチェコ人でないとダメなのだが、そうなると英米人はやるものがなくなってしまうではないか。当時のクラシック音楽評論家のドイツ原理主義は顕著という以上に激烈でソナタ形式でない曲は色モノだという勢いすら感じたが、あれは同胞心だったのか形を変えた英米への復讐だったのか。志鳥氏は大木正興氏ほど筋金入りのドイツ原理主義者でも学究派でもなく、NHKの「名曲アルバム」の言語版という万国博愛的でエピキュリアンで親しみやすいイメージだったが、当時は三越、高島屋が憧れの欧米への窓口だった時代であり、クラシックはその音楽版だったから影響は大きかった。

氏は大正15年生まれで親父の一つ下だ。18才を敗色濃厚な戦争末期に迎え、東京大空襲で10万も亡くなって疎開、大学は行かれず戦後に旺文社に入社され著名な音楽評論家になられたがその後の人生では学歴で一番ハンディを負った世代かもしれない。陸軍に招集されたが士官学校ではない新兵はもちろん二等兵だ。死ななかったのは幸いだが酷い体験だったと拝察する。この世代のインテリが英米嫌いであったり日本(軍隊)嫌いで左傾化したのは自然だし、そこにマッカーサーのウォーギルトプログラムが乗っかった。それが生んだ日本嫌いの左翼と、軍隊嫌いで新生日本嫌いの左傾を混同してはまかりならない。南洋諸島(対米)やインパール(対英)で数万人の死者を出し、しかも6割が餓死であったという惨状を知れば、日本人の精神に戦争の傷跡が残らなかったはずがない。

銀行員になった親父も似たもので陸軍の二等兵で入隊して終戦となり、軍隊では殴られた記憶しかなく高射砲狙撃中に敵機の投じた爆撃で吹っ飛ばされて左耳が聞こえなくなった。ところがおのれ米英とは一切ならずクラシックばかりかアメリカンポップスのレコードまで聴き、あんな国と戦争する方がバカだと一貫して醒めており、英語をやれ、アメリカで勉強しろと息子を教育した。戦ってみて手強かったんだろう、それならそこから学べというのは薩長と同じでいま思えば実践的だったが東大は入っておけともいわれ、すぐにアメリカに飛んで行くようなことにならなかったのはより実践的だった。南洋、インパールで作戦ミスはあったがそれは起こしてしまった大きな過ちの結末であって、あんな国と戦争する方がバカだという大罪の罪深さを後に自分で肌で知ることとなる。

僕は左傾化しなかったが、それは政府の方がサンフランシスコ講和条約から一気に英米追従と戦時の極右の座標軸の視点から見れば相対的に思いっきり左傾化したからだ。その反動で安保闘争に走ったりはしないノンポリだったが、一方で音楽評論の影響で英米文化的差別主義者になった。志鳥氏がそうだったかは詳らかでないが、読んだ方は精神的に従軍したかのようにそう解釈した。だから親父に言われた「アメリカで勉強しろ」という立派な米国と、自分の中で見下してる米国はアンビバレントな存在として宙ぶらりんになった。後に本当にそこで勉強することになったが、当初はそれが残っていて解消に時間を要した。僕的な音楽の座標軸では独墺露仏が上座にあり英米伊は下座になっていた。イタリアの下座はいちぬけたの腑抜け野郎と見ていたからだ。中でもフランスは連合国ではあったがドイツに全土を占領され直接の敵国という印象はなく、好ましい国の最右翼だった。

若い方はクラシック音楽の受容の話と政治の話が混線して戸惑うだろうか。僕の生まれた1955年、昭和30年は終戦後たった10年目、上記サンフランシスコ講和条約に吉田茂首相が調印して連合国占領が解かれ国家として主権が回復してたった3年目だったのだ。安保反対と学生運動で世間は騒然としており、大学生協のガラス越しにゲバ棒で殴り合って学生が死ぬのを見た。生まれるすぐ前まで、7年間も、日本列島に国家がなかったのだということを僕は自分の精神史を通して改めて知る。そして、自分が決めてとったと信じていた行動が実は親父の言葉の影響だったこともだ。僕の世代は戦争を知らない。しかし、実際に戦場で銃弾を撃ってきた父親がそこにいた。そのことがいかに大きかったか。僕らがその後モーレツ社員になって高度成長期を支えたのも時代の空気と無縁でないし、それを若い皆さんにお伝えするのも父の世代からの橋渡しとしての役目と思う。

音楽に戻ろう。フランス音楽の大家といえばクリュイタンス、モントゥー、ミュンシュもいたのにどうしてアンセルメだったのかというと、彼がスイス・ロマンド管弦楽団(スイスのフランス語圏、ジュネーヴを本拠とする見事にフレンチな音色のオーケストラ)と作るDeccaレーベルの音もあった。当時聴いていた自宅の廉価なオーディオ装置でもけっこういい音がして、LPを買って満足感があったという単純な理由もあるだろう。くっきりと即物的でひんやりと冷たいのだが、その割にローカルで不可思議な色香が潜んでいて気品があって、都会の女なのか田舎娘なのかという妖しさが良かった。それに完全にあてられてしまったわけだ。

ドビッシーの素晴らしい「牧神の午後への前奏曲」、これを聴けばアンセルメの醸し出す色香と気品がわかっていただけるかもしれない。

お聴きの通りアンサンブルの精度、木管のユニゾンのピッチがけっこうアバウトだ。ベルリン・フィルならこんな演奏は絶対にしない。しかしドビッシーの牧神はそういう次元で書かれていない。英語で書くならatmosphericであり、霞んだ大気の向こうのようにほわっとしている風情のものがフランスの美学の根幹にあるクラルテとは背反するのだが、この曲をブーレーズのように楷書的に正確に演奏するとアトモスが消えてしまう。アンセルメのアバウトは意図ではないのだろうが、崩れそうで良い塩梅にまとまる妙がある、いわば橋口五葉の浮世絵にある浴衣のいい女というところだ。

フランス料理とその作法はロシアに影響したが、音楽ではロシアがフランスに影響した。こってり系のロシア物をフレンチにお洒落に味付けした演奏は僕の好みだ。マルティノン / パリ音楽院管のプロコフィエフなど好例だ。しかし、アンセルメがスイス・ロマンドと録音したリムスキー・コルサコフの「シェラザード」ほど素晴らしいものはない。余計な言葉は不要だ、このビデオの10分46秒から始まる第2楽章の主題をぜひ聴いていただきたい。

まずバスーン、そして続く絶妙のオーボエ!これがフランス式の管の音色だ。後者の着流しでいなせな兄いのような洒落っ気はどうだ、このフレーズをこんな風にさらさらころころと、然し変幻自在の節回しのアレグロで小粋に吹かせた人は(過去の録音でも同じ)アンセルメしかいない。僕はこれが耳に焼きついていていつも求めているが、レコードでも実演でも、他で聴いたことは皆無である。楽譜をいくら眺めても、こういうフレーズの伸縮や微妙なタンギングのアクセントは書いてない(書けない)。指揮者のインスピレーションの産物であることまぎれもなく、普通の人がやるとあざとく聞こえるものがアンセルメだとR・コルサコフがこう意図したかと納得させられてしまう。いまや僕にとってこの曲をアンセルメ以外で聴く時間も意欲もなく、ほかのCD、レコードは全部捨ててしまってもいいと思っている。

指揮者によって音楽が変わるというがそれは当然であって、皆さんカラオケで原曲とまったく同じに歌えるはずはない。いくら物まね名人でもわかってしまう。それと同じことで、第2楽章の主題をアンセルメとまったく同じに吹かせるのは無理なのだ。指揮者はそこに個性を刻印できるが、奏者にお任せも多いし、いじりすぎて変なのも困る。この第2楽章は何度聴いても唸るしかないウルトラ級の至芸で、何がそうかといえば、つまりはアンセルメの指示する各所の歌いまわしが至極自然でごもっとも、そうだからこそ、そこからにじみ出る気品なのだ。かと思えば、第1楽章では7分51秒から弦と金管がズレまくる考えられないアバウトさで、ここは高校の頃から気になって仕方なかった。最後の和声もオーボエのミが低い。

このオケのオーボエは上手いのか下手なのか良くわからないが、アンセルメのこだわりの節回しをお洒落に吹くことに関しては間違いなくセンス満点であって、それ以上あんた何が欲しいのといわれれば退散するしかないだろう。このオーボエあってこそのスイス・ロマンドであり、まことにチャーミングでハイグレードであり、同じほど高貴な色香を放つフルート、クラリネット、バスーンにホルンがある。アンサンブルのアバウトなどどこ吹く風、このシェラザードは音楽録音の至宝であって、聴いたことのない方はぜひ全曲を覚え込むまで何度もきかれるがいい。一生の宝物となることだろう。

最後に、そのオーボエの大活躍するラヴェルの「クープランの墓」をどうぞ。やはりアンサンブルはゆるいが、それがどうした。この演奏に満ちあふれるフランスの高貴、ツンとすました気品。やっぱり申しわけないがアメリカじゃダメなんです。いや世界広しといえどもこれに真っ向から太刀打ちできるのは京都ぐらいだろう。若いお嬢様がた、気品というのは内面から出るのだよ、いくら化粧なんかしてもだめだ。こういう音楽をたしなみなさい、きっと身につくから。

 

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クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

2016 SEP 20 0:00:47 am by 東 賢太郎

前回、微分音を使った武満徹の「雨の呪文」をきいた。微分音とはなにやらおそろしげだが、ちっとも難しいものではない。

これをお聴きいただきたい。「平調 陪臚」という我が国古来の音楽、雅楽である。

冒頭の笛の音からして西洋音楽のドレミファとは合っていない。笙(しょう)は長2度の和声らしきものを奏でるがユニゾンの旋律になるとグリッサンドが入り高音のピッチは不安定である。もちろん、それはそういうものなのであり、「音が外れている」というには当たらない。

次はこちら。インドネシアのガムラン音楽である。

雅楽よりもドレミファに近いが、笛もゴングのような金属打楽器もいわば「調子はずれ」だ。しかしこれも、そういうものなのだ。僕自身、香港時代に初めてジャカルタへ行ってこういうガムラン・オーケストラを聴いた。強烈な音楽を全身で受け止めた。

これに魅せられる西洋人は多いようで、パーカッショングループがやるとこうなる。かなり洗練されてきて、同音型の悠久を思わせる繰り返しはどこかライヒのミニマル・ミュージックを思い起こさせないだろうか。しかし微分音ということでいうと正面左の鉄琴のピッチは明らかに四分音ほど低いのだ。

トルコ、ペルシャの伝統音楽もこうした調子はずれの音が出てくる。つまり教会の残響で三和音のハーモニーから発し、倍音として現れる音でオクターヴを12分割した西洋音楽のスケールというものが世界を席巻しているが、それだけが音楽であると言うには世界はあまりに広いことがご理解いただけるだろうか。

これは言葉の世界で、母国語としている人が5%しかいない英語が世界を席巻してビジネス公用語になっているのに似る。それは確かに便利ではあるが、では「わび・さび」を英語で説明しろと言われればはたと困ってしまう。メートル法に慣れた我々が「体重は何ポンドですか?」と聞かれてもだ。雅楽やガムランを五線譜に書くのは、それと同じく困ってしまうことなのだ。

僕は雅楽もガムランも好きで、どちらもCDを所有している。それは音楽として伝わってくる何かがあるからであって、それ固有のものだ。それをバッハと比べてどうこう言うには値しない。ベトナム料理とフランス料理を比べることは可能だが、どちらもおいしいのであって、料理というものはそれで充分なのだ。

微分音とは、体重50キロの人が「110.231131ポンド」になってしまう、その小数点の部分、0.231131みたいなものだ。相手は110、111,112・・・と整数で考えてる。それがドレミファ・・・というものである。でも、ドレミファを基準に調子はずれとされても困る。雅楽もガムランも、西洋音楽より前から「そういうもの」として存在してきたのだから。

幸い、西洋の教養ある人達はそれを理解している。これは2012年のエジンバラ国際音楽祭で宮内庁式部職楽部が演奏会をやったドキュメントだ。チケットは早々に完売したようであり、「マーラーの9番を思い出しました」というご婦人も出てくる。千年前の音楽がほぼそのまま保存されているのは日本をおいてない。我々はこれをもっと知り、もっと誇りを持つべきだろう。

パリの万国博覧会でガムランを聴いて感銘を受け、そのインスピレーションから音楽を書いたのはドビッシーだ。彼は北斎の浮世絵から交響詩「海」を書いたように、ガムランからこの曲を書いたとされる。1903年の作品、「版画」から第1曲「塔(パゴダ)」である。

これをパーシー・グレンジャーが管弦楽に編曲している。これを聴くとガムランの感じがよくわかるから面白い。

しかしここに微分音は出てこない。あくまでポンド法である平均律に焼き直したもの、デフォルメされた「イメージ」にすぎないと言っていいだろう。僕は微分音でしか表現できない音楽を平均律に「押し込める」ことには少々抵抗がある。

第一に、ビートルズをピアノで弾いてもあの純正調のハーモニーは出ないように、すべての同名異音を同じと読んでしまうエンハーモニックは本当の美を表さない。第二に、雅楽もガムランも、もっといえば演歌の「こぶし」も、ビートルズ以上に西洋楽器にはなじまないものだからだ。

ドレミファにならない音楽を排除してしまうのは間違いだ。良い音楽に対して心が開かれている人にとっては、音をもってスピリチュアルに何かを伝えるものはすべからく音楽である。伝えるものが大きければすべて立派な音楽なのであり、そこに優劣のような価値基準が入り込む余地はない。どこの国の料理も、おいしいものが良い料理なのである。

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クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

 

武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

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クラシック徒然草ーフランス好きにおすすめー

2016 SEP 3 2:02:01 am by 東 賢太郎

ジャズやポップスはアルバムが唯一無二の「作品」ですが、クラシックはそうではなくて、作品が富士山ならアルバムはその写真集のような関係です。

しかし、中にはちがうのがあって、ほんのたまにですが、これは「作品」だという盤石の風格を感じる録音があります。風格というより唯一無二性と書くか、音の刻まれ方から録音のフォーカスの具合まで、総合的なイメージとしてそのアルバムが一個の個性を普遍性まで高めた感じのするものがございます。

演奏家と録音のプロデューサー、ミキサーといった技師のコラボが作品となっている印象でブーレーズのCBS盤がそれなのですが、DG盤もレベルは高いがその感じに欠けるのは不思議です。何が要因かは僕もわかりません。

名演奏、名録音では足らず、演奏家のオーラと技師のポリシー・録音機材の具合がお互い求め合ったかのような天与のマッチングを見せるときにのみ、そういう作品ができるのでしょうか。例えばブーレーズCBSのドビッシーの「遊戯」は両者のエッセンスの絶妙な配合が感じられる例です。

いかがでしょう?

冒頭は高弦(シ)にハープとホルンのド、ド#が順次乗っかりますが、ハープの倍音を強めに録ってホルンは隠し味として(聞こえるかどうかぐらい弱く)ブレンドして不協和音のうねりまで絶妙のバランスで聴かせます。聴いた瞬間に耳が吸いよせられてしまいます。

ここから数分は楽想もストラヴィンスキーの火の鳥そっくりでその録音でも同様の効果を上げていますが、いくらブーレーズでもコンサートホールでこれをするのは難しいと思われます。エンジニアの感性と技法が楽想、指揮者の狙いに完璧にマッチしている例です。

録音の品位、品格というものは厳然とあって、ただ原音に忠実(Hi-Fi)であればいいというものではありません。忠実であるべきは物理特性に対してではなく「音楽」に対してです。こういうCDはパソコンではなくちゃんとしたオーディオ装置で再生されるべき音が詰まっています。

僕がハイファイマニアでないことは書きましたが、そういう名録音がもしあれば細心の注意を払って一個の芸術作品として耳を傾けたいという気持ちは大いにあります。それをクラウドではなくCDというモノとして所有していたいという気持ちもです。

ライブ録音に「作品」を感じるものはあまり思い当たりません。演奏の偶然性、感情表現の偶発性などライブの良さは認めつつも、演奏会場の空気感や熱気までを録音するのは困難です。C・クライバ―、カラヤンなど会場で聴いたものがCDになっていますが、仮にそれだけ聞いてそれを選ぶかと言われればNOです。

「音の響き」「そのとらえ方」はその日のお客の入りや温度、湿度によって変わるでしょう。CDとして「作品」までなるにはエンジニアの意志、個性、こだわりの完璧な発揮が重要な要素と思われますが、彼らは条件が定常的であるスタジオでこそ本来の力が発揮されるという事情があると思います。

fluteこのことを僕に感じさせたのはしかしブーレーズではありません。右のCDです。これはSaphirというフランスのレーベルのオムニバスですが、同国の誇る名人フルーティストのオンパレードで演奏はどれもふるいつきたくなるほどの一級品。以下、曲ごとに印象を書きます。

ルーセルの「ロンサールの2つの詩」のミシェル・モラゲス(フルート)とサンドリーヌ・ピオ(ソプラノ)の完璧なピッチ、ホールトーン、倍音までバランスの取れた調和の美しさは絶品!これで一個の芸術品である。

ラヴェルの「 序奏とアレグロ」はフランスの香気に満ち、ハープ、フルート、クラリネット、弦4部がクラリティの高い透明な響きでまるでオーケストラの如き音彩を放つさまは夢を見るよう。パリ弦楽四重奏団のチェロが素晴らしい。この演奏は数多ある同曲盤でベストクラス。

ミシェル・モラゲス(フルート)、エミール・ナウモフ(ピアノ)によるプーランクのフルート・ソナタはフルートの千変万化の音色、10才でブーランジェの弟子だったナウモフのプーランク解釈に出会えるが、色彩感と活力、素晴らしいとしか書きようがなく、しかも音が「フランスしてる」のは驚くばかり。エンジニアの卓越したセンスを聴く。同曲ベストレベルにある。

マテュー・デュフール(フルート)、ジュリー・パロック(ハープ)、ジョアシン弦楽三重奏団によるルーセルの「 セレナード 」、これまた「おフランス」に浸りきれる逸品。この音楽、ドイツ人やウィーン人に書けと言ってもどう考えても無理だ。録音エンジニアもフランス、ラテンの透明な感性、最高に良い味を出しておりフルートの涼やかな音色に耳を奪われる。最高!

ドビュッシーの「 フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ」は(同曲の本編に書きませんでしたが)、これまた演奏、録音ともベスト級のクオリティ。序奏とアレグロでもルーセルでもここでもフルートとハープの相性は抜群で、その創案者モーツァルトの音色センスがうかがえるが、そこにヴィオラが絡む渋い味はどこか繊細な京料理の感性を思いおこさせる。

以上、残念ながらyoutubeに見当たらず音はお聴きいただけません。選曲は中上級者向きですがフランス音楽がお好きな方はi-tunesでお買いになって後悔することはないでしょう(musique francaise pour fluteと入力すると上のジャケットが出てきます)。CDは探しましたがなく、僕も仕方なくi-tunesで買いました。間違ってもこんな一級品のディスクを廃盤に追いこんでほしくないものですね。

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クラシック徒然草ードビッシーの盗作、ラヴェルの仕返し?ー

2016 AUG 14 21:21:29 pm by 東 賢太郎

ドビッシーとラヴェルといえばこの事件が有名である。『版画』の第2曲「グラナダの夕暮れ」が自身が1895年に作曲した「耳で聞く風景」(Les sites auriculaires)の第1曲「ハバネラ」に似ているとしてラヴェルがクレームし、両者は疎遠となったらしい。

これがラヴェルのハバネラである(後に管弦楽化して「スペイン狂詩曲」第3曲とした)。

こちらがドビッシーの「グラナダの夕暮れ」である。

そんなに怒るほど似ているだろうか? リズム音型は同じだがハバネラ固有のものであってラヴェルの専売特許というわけではないだろう。僕には第2曲「 鐘が鳴るなかで 」(Entre cloches)のほうがむしろドビッシーっぽく聞こえるのだが・・・。

ラヴェルの母親はスペイン系(バスク人)である。バスクというのはカスティーリャ王国領でポルトガルにほど近く、「カステラ」はその国名に由来するときく。フランシスコ・ザビエルもバスク人だったし、コロンブスを雇ってアメリカ大陸を発見、領有した強国であった。

曲名にあるグラナダというとアルハンブラ宮殿で有名なイスラム王朝ナスル朝の首都だが、カスティーリャはアラゴンが同君連合となって1482年にグラナダ戦争を開始、1492年にグラナダを陥落しレコンキスタは終結した。バスクの人々には万感の思いがある地であろうことは想像に難くない。

「スペイン狂詩曲」(1908年)に結集したように、ラヴェルの母方の血への思いは強かったと思われる。かたや「グラナダの夕暮れ」作曲当時のドビッシーはスペイン体験が一度しかなかった。気に障ったのは盗作ということではなく父祖の地へ行ったこともない者が訳知り顔して書くなという反感だったのかもしれない。

非常に興味深いことに、「夜のガスパール」の第1曲である「オンディーヌ」はこういう和音で始まる。

gasare

嬰ハ長調トニック(cis・eis・gis)とa の速い交替だ。ところがさきほど、敬愛してやまないドビッシーの「海」をピアノでさらっていたらびっくりした。

mer言うまでもない、これは曲の最後の最後、ティンパニの一撃で終わる(何と天才的な!)その直前の和音。変ニ長調トニックとhesesの速い交替だ。これは平均律のピアノでは「オンディーヌ」の和音と同じものなのである。オーケストラでは気がつかなかったが、弾いてみればどなたもが納得されよう。

交響詩「海」は1905年の作品である。水を素材にした作品だ。クライマックスの爆発で天空に吹き上げた水しぶきが、水の精であるオンディーヌの不思議の世界にいざなってくれる。彼女の化身がメリザンドでなくてなんだろう。

偶然でなければうまい仕返しをしたものだ。

スペイン狂詩曲を完成したのが1908年、「夜のガスパール」も1908年。偶然なのだろうか?

ドビッシーはこれを聴いており、音楽家の耳は同じ和音に気がついただろうが、盗作だなんてクレームはできない。リズムも和音も専売特許ではないし、そういうことをしそうな男でもなかったようなイメージがある。

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クラシック徒然草-ドビッシーの母-

 

 

 

 

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クラシック徒然草-ドビッシーの母-

2016 AUG 14 2:02:02 am by 東 賢太郎

「こんな汚辱の子を育てるより、蝮を生んだ方がましだった」

(ヴィクトリーヌ・マヌリ・ドビュッシー)

 

パリ音楽院の学内コンクールに2回連続で失敗し、ピアニスト志望を断念してしまった息子に失望した母はこう言い放ったらしい。こわっ、すごい教育ママだ。

我が国も子供を東大に入れたといって本まで書く人がいて、それが売れてしまったりするのだから教育ママはたくさんいるのだろう。オリンピック選手を育てたらずっと偉いと思うが、しかし、メダルをのがして母親にここまで言われたら息子は立つ瀬ない。

debussy5それで女性観が曲がってしまったかどうかは知らないが、のちにドビッシーはいくらゲージュツの世界と割り引いたとしても女性関係において破茶滅茶となり、女が2人も自殺未遂をしている。この道の「オレ流」では大御所、大魔神級であるワーグナー様と双璧をなすであろう。

彼の伝記、手紙を読むに隆々たる男原理が貫いており、学業においてもセザール・フランクのクラスを嫌って逃げ出すなどわがまま放題。ラヴェルが5年浪人して予選落ちだったローマ賞に2浪で見事合格したが、イタリアが嫌で滞在期間の満了前にパリに戻ってしまう。

ドラッカー曰く「他人の楽譜の翻訳家」である演奏家(ピアニスト)を落第し、わがままに自説を開陳できる作曲家になったことは、彼の母親には不幸だったが我々には僥倖だった。それは親や教師や伝統の不可抗力の支配からのがれることであり、本能が是とする道をまっしぐらに駆け抜けることを許容したからだ。

彼の音楽は僕の眼にはまことにますらお的、男性的であり、ラヴェルは中性的、ときに女性的だ。これは大方の皆様のご意見とはおそらく異なるにちがいない。ドビッシーの「月の光」や「亜麻色の髪の乙女」は女性的じゃないか、女性の愛奏曲だし、ドビッシー好きの女性はたくさんいるよという声がしそうだ。

そういうことではない。男が男原理で作ったものを女性が嫌うという道理などなく、むしろ自然の摂理で女性の方が寄ってくるだろうし、うまく解釈するかもしれない。ここで僕が観ているのは作曲するという創造行為の最中にあるフロイト的な心の深層みたいなものだ。

僕は好きな音楽とは作曲家のそれに自分の心の波長が同期するものだと感じている。心地よいのは音ではなく心の共振なのだ。それがなければ音楽は他人事、絵空事にすぎず、うわべの快楽をもたらす美麗な音の慰み物か物理的な音の集積か雑音にすぎない。良い演奏とは、曲と演奏家が共振したものをいうのであって、それが存在しないのに聴衆が曲と共振するのは無理な相談だ。

ラヴェルとドビッシーの根源的な差であるのは、ラヴェルには自分の書いた音が聞き手にどう「作用」するかという視点が常に、看過できないぐらい盛大にあることだ。得たい作用を具現する技巧にマニアックにこだわる「オタク」ぶりは大変に男性的なのだが、どう見られるかという他視点への執着という特性は基本的に、化粧品の消費量と同様に女性によりア・プリオリに所属するものなのだ。

一方でドビッシーの我道、我流ぶりは「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」において際立った立ち位置を確立し、そこに移住してしまった彼は音楽院の教師ども、パリのサロンや同僚やモーツァルトの愛好家たちがどのような視線を送るだろうかということを一顧だにしていないように見える。

その態度は、後に彼が否定側にまわることになる「トリスタンとイゾルデ」をワーグナーが発表した態度そのものであるのは皮肉なことだが、ペレアスがトリスタンと同等のマグニチュードで音楽史の分岐点を形成したのは偶然ではない。全く新しい美のイデアを感知した脳細胞が、他視点を気にしないわがまま男原理で生きている人間たちの頭にのっかっていたという共通点の産物だからだ。

そして、「海」における、微分方程式を解いて和声の色の導関数を求めるような特異な作曲法というものは、音楽にジェンダーはないと今時を装ったほうが当ブログも人気が出るのだろうが、残念ながら真実の心の声としてこういうものが一般論的に女性の頭と感性から生み出されるとは考え難い性質のものであることを僕はどうしても否定することができない。

「亜麻色の髪の乙女」は夢見る乙女みたいに甘く弾いても「美麗な音の慰み物」には充分なる。それはBGMやサティのいう「家具の音楽」としてなら高級品だが、ドビッシーを導いた男原理から見ればバッタものだ。困ったことにその手の「うわべの快楽」にはいっぱしの市場がある。そうやって前奏曲集第1巻を弾きとおすことだって可能だし、そういう演奏が多くCDになって出てもいる。

しかしそれをヴェデルニコフやミケランジェリのCDと同じテーブルに並べて比べることは音楽の神の冒涜に類する行為である。裁縫師だったドビッシーの母は 1915年まで生きたそうだが、ペレアスや海を聴いてどう思ったのだろう。

(補遺、15 June17)

バッタ物でないドビッシーの例がこれだ。作曲家をパリに訪ね、ピアノを聞かせて評価され4か月も私淑を許された米国人ジョージ・コープランドの「沈める寺」をお聴きいただきたい。僕はこの曲がどう弾かれるべきか、この非常に強いインパクトを持つ録音で初めて知った。現代のピアニストはドビッシーの pp の意味を分かっていないか、少なくとも実現できていない。そこから立ちのぼる ff は騒音に過ぎないのである。

 

「東大脳」という不可思議

 

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ドビッシー フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (1915)

2016 MAY 3 12:12:27 pm by 東 賢太郎

春の雨の日に聴きたい曲がこれである。ドビッシーが書いたソナタとして僕はこれが最高傑作と思うし、耳にするたびにフランスで見たいろんな情景やら、それを前にしたときの気分のようなものが次々と、どこかぼんやりした輪郭をもって浮かんでは消える。

フルート、ヴイオラ、ハープ。なんという独創的な組み合わせだろう。ヴァイオリンでなく、ピアノでもなく!たった3つの楽器の中音域の絡みからオーケストラのような多様な音色の綾とグラデーションが生まれるのであって、どうしてそれまで誰もやらなかったのかというぐらいあまりに自然な混合だ。

ドビッシーは最晩年に「様々な楽器のための6つのソナタ」 (six sonates pour divers instruments)を計画した。この6つ(half dozen)という数はネオ・クラシカルの合奏協奏曲を思わせる。たとえばJ.S.バッハの死後に「ブランデンブルグ協奏曲」という通名で記憶されることになった曲集も数が6曲であり、しかもバッハがつけたオリジナルの曲名は「様々な楽器のための協奏曲集」(Concerts avec plusieurs instruments)だった。 

ドビッシーがバッハを意識したかどうかは不明だが作品には前奏曲集第1巻、2巻、練習曲の各12、忘れられたアリエッタ、子供の領分、古代墓碑銘の6など構成する曲数に6の倍数が多い。表題曲を書いた1915年に同じく完成した12の練習曲には「ショパンの追憶に À la mémoire de Chopin 」と書かれているのであり、こちらはバッハが念頭にあってもおかしくはない。

だが僕が音からストレートに感知し、憶測する彼の意図はそうした形式や数へのこだわりよりも自由な楽器の組合せが生む新しい色彩だ。

彼は6曲を完成せずに世を去りこの曲と各々ヴァイオリン、チェロとピアノのソナタの3曲だけが生み落とされたが、生まれなかった子供がまことに興味深い。「オーボエ、ホルン、クラヴサンのソナタ」、「トランペット、クラリネット、バスーンとピアノのソナタ」、「コントラバスと各種楽器のためのコンセール形式のソナタ」の3つだ。

バッハの弦楽伴奏を鍵盤楽器にかえ、それも独奏パートとして音色の一要素にしている(ホルン、トランペットの選択が合奏協奏曲を想起させる、この2曲は聴いてみたかった!)とも考えられるが、オーケストラを凝縮した音色の小宇宙の創造を意図したようにも思う。「海」の情景変化をリズム細胞の変容が暗示する時間で微分したドビッシーがここでは音色の移ろいでそれを試みたと僕は考えている。

彼は「映像」を書くときに和声の発明を「化学」と比喩したが、リズムと和声と演奏技巧という要素の終結点を12の練習曲に集大成し、最後に残った音色合成という新たな化学の実験に入ろうとしていたのだ。その精神の深奥には興味が尽きない。畢竟、作曲家という人種はリアリストであり、音を素材とするサイエンティストである。例外はない。

この表題曲の創造の精神は、バッハよりもむしろモーツァルトが「ピアノ、クラリネットとヴィオラのための三重奏曲」変ホ長調K.498を書いたのに近いかもしれない。ベルリオーズやR・コルサコフやラヴェルが「管弦楽法の大家」と讃えられるが、僕はそんな表面的なものよりも、クラリネットを入れたかったモーツァルトがヴァイオリンでなくヴィオラを選び取ったそのセンスの方に管弦楽という合成音色へのホンモノの洞察力を感じる。

そしてその洞察力はドビッシーにおいて「牧神」「ペレアス」「海」、そして本稿表題作という傑作群において証明されるのだ。生まれなかった3つの子どもに思いを巡らしつつ、我々は幸運にもこの音楽という至宝を手にしたのだから、作曲者へのいっそうの感謝をこめて味わうこととしたい。

fuvahpハープの幽玄不可思議な和声(左)で始まるパストラーレと名づけられた第1楽章、ここに続く提示部の、とても機能和声的に響くが調性がつかみづらい模糊とした音楽。混合された音色が時々刻々と移ろうのは交響詩「海」の第2楽章さながらに蠱惑的である。ドビッシーの音色の化学実験の末には、メシアン、ブーレーズ、そして武満徹までつらなる系譜の芽が見える。

この音楽はアナリティカルに聴こうという耳の試みを断念させ、しまいには麻痺させてしまう。色とりどりの花が咲きほこる春雨のモネの庭。ほんわり霞がたちこめて、太鼓橋がうっすらとかすむ。心地よい湿った春風がはこぶ若草の匂い・・・。

若いころ、そんな日にパリ郊外のバルビゾンを歩いてすっかり虜になった。今どこに住んでもいいよとなったら、あそこに小さなメゾンでも買ってなどということを考えてしまいそうだ。居間に流す音楽は、迷うことなくこのソナタになる。

僕の愛聴盤は世評の高いランパル、ラスキーヌ盤ではなくこれだ。

フィリップ・ベルナール(fl)/ブルーノ・パスキエ(va)/フレデリック・カンブルラン(hp)

11512f9f-efc2-469f-b265-cd42fffaff15これをかけるとフランスの香りがたちこめる。なんという素敵な音楽だろう。僕はフランスに住んだことはないので語る資格はないが、イギリスやドイツからドーバーやラインを超えてこの国に入ると必ず感じた「光」というものが在る。それは物理的な光線ということではなく、どこかふんわりと明るくエーテルのように麦畑を豊穣に見せ、生命が育まれている肥沃な地に来たという安寧の気持ちを喚起する。英独軍がここを攻めたくなったのはこのせいかとすら思ってしまった。これを聴きながらあの光がみえてくる。このADDAというレーベルはもう見当たらず、i-tunesに別な装いで出ているようだ。ヴァイオリン、チェロと最晩年の3つのソナタが入っており演奏の水準は高く録音も非常に音楽性が感じられるというのだから申し分がない。スタジオで丹念に作られた録音はそれ自身にアートとしての価値があると前回書いたがそれを地で行くようなディスクであり、異国の人間でもフランスの息吹を愛でられるこういうものが廃盤になってしまうという寂しい事態はフランス文化省も恥と銘ずべきだろう。

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クラシック徒然草 ―ドビッシーとインドネシア―

 

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ドビッシー 前奏曲集第1巻 (Préludes Livre 1 )

2016 APR 3 14:14:26 pm by 東 賢太郎

今度投資する事業の下見でソウルに出かけました。200の大学のアート系学部の優秀作品展示会に出かけましたが、そこの音楽部門の部屋に入ると壁に大きく文字があって、案内してくれたW君が笑いながら

「あれは ”音楽は唯一の合法的な麻薬である” という意味です」

と教えてくれました。うまいことを言うと唸ったもので、そして、「そうね、それなら僕にはドビッシーしかないけどね」と、口では言わなかったがそうも思ったのです。

ドビッシーの音楽は誰のとも似ず、和声に強く反応する性質の僕には秘密の効能があるのであって、僕は僕なりの色と温度を、曲によっては香りまでをはっきり感じます。それら五感を(ひょっとして6thセンスまで動員して)聴いている自分の脳を自分で意識する唯一の作曲家です。それがいかに特別のことか、うまく言葉になりませんが、イメージ喚起力と言ってしまうと、イメージ(image)はあくまで既知のもので、既視感をベースにしたものだからちがうのです。

彼は「イマージュ」(仏、Images)なる音楽を書いていて日本語で「映像」と訳されていますがこれは大変にミスリーディングで、子供のころこの題名を僕は「風景や人物の映像的な描写であって、それを鮮明でなく印象派風に輪郭の曖昧(あいまい)にしたものなのだろう」と解釈してました。ピンボケ画像やポルノの曇りガラスじゃあるまいし。全然ちがうのですね。Imagesは「心象」です、そう訳したほうがずっと良い。既知でも未知でも、心に喚起される何ものか、です。だから前奏曲集でもドビッシーは各曲のタイトルを譜面の終わりに付記しているだけです。僕は未知の空間、月面に立った心象みたいなものを浮かべて聴いてますが、それでもドビッシーは否定しなかったろうと信じてます。

そもそも印象派=曖昧ということ自体が誤解であり、そうきこえる曲もあるがそうでなくてはならないことはまったくありません。さらにいえば、音楽において日本語の曖昧という言葉自体が曖昧であります。だから僕が「そうきこえる曲」とした、例えば「牧神の午後」のような曲ですが、それは日本語の「曖昧」に近い心象を意図的に、極めて明晰な知性と技術でもって聴く者の心に発生させるべく設計した、ちっとも曖昧でない産物なのであって、霞の彼方に朧に浮かぶ風景を愛でる日本人が好む美感の産物ではありません。これはモネの絵にも当てはまることです。

そしてメシアン、ブーレーズまで行くと調性はなくなります。それでも「キリストの昇天」(L’Ascension )や「プリ・スロン・プリ」(Pli selon pli)などに僕は明確な色と温度を感じるのですが、それは彼らもドビッシーと同じく明晰な知性と感性でもって心象を聴き手の中に産み出すべくあらゆる技法を探究した結果ということです。そこに、僕という聴き手に限りかもしれませんが、色と温度が出てきてしまうことに、僕は彼ら二人が明確な証拠をもってドビッシーの末裔であるということを発見するのです。

以下、あくまで一人の聴き手の心象ということにすぎませんが、僕が本稿で何を主張したいかをお示しするために、それを日本語に描写してみます。

第1曲「デルフィの舞姫」(Danseuses de Delphesは紫色で春の気候です。それが第11小節で不意に冷たい風と共に銀色に変わります。第2曲「ヴェール(帆)」(Voiles)は黄緑で肌寒く、沈丁花の香りがあります。そしてだんだん黄色が増していきます。第3曲「野を渡る風」(Le vent dans la plaine)、これは白っぽい。第4曲「夕べの大気に漂う音と香り」(Les sons et les parfums tournent dans l’air du soir)は薄赤くてややひんやりした気候です。

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第5曲「アナカプリの丘」( Les collines d’Anacapriはこう始まりますが、これは心象が強く、オレンジ色で、乾いた暖かい空気に桃の花がほのかに香ってきます。

お釈迦様の蓮の花の風景かもしれない。こういう東洋的な痺れるような幻想をもたらすというと僕は他にオリヴィエ・メシアンの音楽しか知りません( メシアン トゥーランガリラ交響曲)。そして曲の最後の高音のファソラソファはまっ黄色に見えます。

これは旋法や和声の織りなす効果なのでしょうが、しばらく曲が進むとそういう原理を分析したい気持ちがどこかで麻痺して(たぶん左脳が止まって)、浮遊をはじめます。絵画のような景色としてアナカプリの丘が見えてくるわけでもなく、感じるのはただ色と香りと温度が醸し出す茫洋とした「雰囲気」だけです。

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第6曲「雪の上の足跡 (Des pas sur la neige)は寒い無風の灰色の世界です。香りは皆無。雪というよりもひとり月面に立ったらこんなかなという重力の希薄感です。第4小節の終わりのDmまで、音が3つ重なるのに何調かわからない。やっとGに安定したと思いきや右手が9度のa、次がFに増4度のh・・・と、いわば調子はずれのメロディーを乗せていって、もう降参です。和声音楽のように見せておいてそうでもなく、譜面だって僕でも初見でなんとかなる程度なのにじっと見ていると頭の中が訳がわからなくなって船酔いみたになる。まさに麻薬的音楽であり、希薄な和声感を最後の一音で覆す衝撃のDmは魂に響いて精神が凍りつきます。

第8曲「亜麻色の髪の乙女 」(La fille aux cheveux de lin第10曲「沈める寺」( La cathédrale engloutie)は明確かつ平明な和声音楽であって、僕は色も香りも温度も重力も感じません。この2曲で曲集が有名なっているとしたら妙なことです。第7曲「西風の見たもの(Ce qu’a vu le vent d’ouest)がいかに驚異的な音楽かは別稿にしました( ドビッシー 西風の見たもの)。これと「ヴェール」は本曲集の白眉でしょう。

第9曲「とだえたセレナード」( La sérénade interrompue)は「ペトルーシュカ」「春の祭典」へのDNAを感じる曲で、色は黒っぽい。後者のピアノ譜と書法の類似があります。ストラヴィンスキーが三大バレエを書いた時に上演予定のパリの楽壇を意識しなかったとは思えず、そこで大家であったドビッシーの直近の完成作品はこの曲集でした。その引力圏にあったことは想像され、雪の上の足跡」の和声は「火の鳥」に遺伝しているように思います。また第11曲「パックの踊り」(La danse de Puck)は金色で、自作の交響詩「海」の書法を引き継いだ驚くべき作品です。第12曲「ミンストレル」(Minstrels)は炎のような赤で暑い。

以上、主観に終始しましたが、ドビッシーの鑑賞はそれしか表現の術がありません。

名曲ゆえ名演はたくさんあります。最も好きなユーリ・エゴロフ盤は ドビッシー 西風の見たものをご覧ください。

 

アナトリー・ヴェデルニコフ(pf)

31C7M6T70QLロシアの伝説的ピアニスト(1920-93)の89年の録音(音良し)。やや暖色で深みのあるタッチで光と影の陰影まで見事に描いた最高級の名演。「沈める寺」の最初の和音ひとつとっても何とよいバランスで出ることか(そして地響きするような低音の威力!)。ミンストレルのタッチなど最高度の技術なき人から聴くことはまずないという質のもので、彼のドビッシー「12の練習曲」のレコードはあのリヒテルが愛聴していたそうです。ぜひお聴き下さい。

ディノ・チアーニ(pf)

zb2118078デリカシーの極み。コルトーの弟子で32才で交通事故のため夭折したチアーニ(1941-74)の最高の名演。デルフィの舞姫をこんなに詩的に奏でた人はいないでしょう。亜麻色の乙女の気品たるやふるいつきたくなる魅力があり、両曲ともこういうテンポ、流儀で弾くとお子様向けの砂糖菓子になりがちですが、なぜかそうならないのが品格というもの。持って生まれたものは争えないということです。西風の見たものの研ぎ澄まされた切り込みなど、全てにおいて超ド級のレベルを保ち、彼が生きていたらポリーニは危なかったと言われたらしいですがそれはポリーニに失礼でしょう。違う人たちであって、ただ、人気が食われたという意味ならそうかもしれません。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(pf)

81oVpH4IzsL__SL1500_1985年にミケランジェリ(1920-95) の実演をロンドン(バービカン)で聴いて、それも前の方で彼を背中から見る位置で、まさに夢のような時間を過ごしました(前の席にブレンデルがいた)。魔術師の錬金術でも観る雰囲気で、ドビッシー前奏曲第2巻はご馳走でした。ここでもそれは全開で、ヴェール(帆)は黄泉の国の蓮の池で見たことのない鳥が舞いアナカプリの丘の音彩(右手のタッチのパレット)の豊富さは驚異的で、僕はこれはヘッドホンで楽しみます。沈める寺の聖歌のように交唱するeとd#の短2度の余韻!その「うなり」の回数まで計算され尽くしているかと思われるほどの凄みで、au Mouvtの左手の低音域の弱音(pppp!)などピアノでこんな音が出るのかという領域です。最高の知性、感性による最高のコントロール。ホンモノの音楽はそのどれが欠けてもできないという厳然たる事実を世につきつけた録音でありました。ロンドンでも僕はピアノの横に立って、弦を覗きこみながら聴きたい願望にかられたのを覚えてます。

サンソン・フランソワ(pf)

012イマージュの喚起力の潤沢な演奏というとこれになりそうです。「ヴェール」は実は書法が緻密ですが、それがそう聞こえずに詩になってしまう。こういうところがフランソワの魔力なのです。夕べの大気に漂う音と香りの出だしのルバートは妖気をはらみ、アナカプリの丘の楽譜部分は神話を思わせ香気に満ちています。Retenuの部分、和音がBからAになる、ここの麻薬的効果は凄いものですが、フランソワのここの表情こそ天国の花園でしょう。雪の上の足跡を印象派風(間違った意味での)に弾いた灰色の世界も魅力的で、西風の見たものは幻想交響曲みたいに妖怪を思わせます。録音はあまりよくありませんが最も色と温度を感じる一枚です。

アルド・チッコリーニ(pf)

414Y2BASJEL1991年の録音。チッコリーニは東京で一度だけ聴きました。ファッツィオーリの音が煌めきました。ドイツ、スイス時代にこのドビッシーは車に常備していて、毎日のように聴いた時期がある、僕にとって家具のようなものでした。西風の見たものが凄いです。彼のタッチはエラールを弾くようなフランス風の軽いものでなく、低音は重いのです。和音を崩す傾向があって、自由な解釈ですが恣意的という印象がなく、一家言ある演奏です。

 

 

スタニイ・デーヴィッド・ラスリー(pf)

71jLMpJiRmL._SL1080_このCDの売りは楽器がドビッシー時代のエラール(1874年製)なこと。ベートーベンがワルトシュタイン、熱情を書いたのもエラールです。音は減衰がやや速く、音色はくすんでいます。速いパッセージは少しぽこぽこした感触で、それはそれで古雅なイメージがあって魅力があり、高音は充分な煌めきがあります。リストが好んで弾いたピアノで僕はパリでリストに縁が深いエラール本社(跡)も訪問しました。ラスリーの演奏は特にどうと言う特徴はありませんがエラールの美音を味わえるものです。

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ドビッシー 西風の見たもの

 

 

 

 

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