プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26
2017 AUG 1 1:01:39 am by 東 賢太郎

このコンチェルトのレコードを初めて買ったのは1974年だから浪人中、思えばもう43年も前の話だ。ワイセンベルク、小澤にパリ管という当時としてフレッシュな組合せだった。まだモーツァルトもベートーベンもよく知らず、僕のクラシックはストラヴィンスキー、バルトークで始まっていたから、この曲もその流れで気に入っていた。今は2番の方が好きだが。
第1楽章冒頭、クラリネットの寂しげなメロディー(右)がひっそりと鳴りだすと、なぜか僕の脳裏には人気(ひとけ)のないお寺のお堂が浮かんできて、弦がしっとりとかぶると朝焼けの霧がさ~っと広がる。
そこにいきなりハ長調で弦が走り出し、ピアノが見栄を切るように闖入し、妖術のようにぱっと変ホ短調に姿を変える。まったく俗なことだが、上海で観た雑技団で、男が女の姿を布で隠しさっとそれをのけると瞬時に着ている服がかわっている、あれがいつも頭をよぎる。合いの手でぴぴーっと耳をつんざくフルートの高音は龍笛を連想させる。
第2楽章の冒頭(変奏主題、右)の鄙びた風情も、妙に半音が絡んで西洋風を装おうが、僕は東洋を感じる。
これが5回変奏される様はまさに歌舞伎の七変化だが、第4変奏(右)の不気味さなど先日観た能の土蜘蛛の妖怪さながらだ。
第3楽章の冒頭、ファゴットによる第1主題(上)は誠に日本的であり、作曲家が滞在中に聞いた「越後獅子」であろうとする著名な説があるが、西洋で無視されているから俗説とされるのが通例である。
そんなことはない。彼は1918年にロシア革命を逃れて米国亡命したが、モスクワからシベリア鉄道を経由して5月30日に敦賀に上陸し8月2日に離日するまで2か月も日本に滞在した。奈良では奈良ホテルに泊まり横浜、軽井沢、箱根も楽しみ、京都には1週間もいてお茶屋遊びもした。大正7年のこと、珍しい西洋人の若者だ、さぞ芸妓さん舞妓さんにもてただろうと考えるのが大人の常識というものである。現代の日本人だって初めて連れて行けばびっくりする。多感な27才が何の感化も受けなかったとする方が不思議であって、彼の脳内で起きた可能性のあることをどうしてそうすげなく否定できよう。西洋人の学者は可哀そうにお茶屋も知らんのだなあと同情するばかりだ。
第3楽章、西洋的でラフマニノフのような第2主題に差しはさまれるこのピアノのシンプルな主題も半音階で西洋風にデフォルメされてはいるが、僕は日本庭園の石庭のような枯淡を底流に感じる。
以上思いつく例を挙げてみたが、私見ではこの協奏曲は書きかけだった「白鍵四重奏曲」が下敷きとなった日本狂詩曲という色彩があるのであり、それが顕わに露呈するのをプロコフィエフの趣味と知性が忌避してショパン、ラフマニノフの浪漫性と自己が語法としつつあったモダニズムを塗してソナタ形式の西洋を装ったものだ。バルトークがハンガリー民謡をクラシックに仕立てたのと近似するが、彼は日本の謡曲に愛情があったとは思えずメモリー、素材に過ぎないという違いはある。
むしろ近代の日本人作曲家がどうしてこういう曲を書けなかったのか?こんな見事なサンプルがあるのに。西洋で無視されているから俗説だという日本人の誇りのかけらもない姿勢と同じで、クラシック音楽界は救いがたい西洋コンプレックスが支配していると感じる。民謡を使った人はいるが、するとシャープのガラパゴス・ケータイのツッパリみたいに過度に開き直って土俗に浸ってしまう。それがモーツァルトやブラームスと同じ演奏会にのる期待はまずないだろう。
スコアで面白いところはたくさんあるが書いたらきりがない。第1楽章の第2主題の裏にカスタネットが入る。第75小節は5連符が書いてあるが、これを失敗しているケースが意外に多い。アルゲリッチ・アバド盤のベルリン・フィル(6発)、ユジャ・ワンのアムステルダム・コンセルトヘボウ管(6発)、ポリーニのトリノ放送響(4発)とよりどりみどりだ。これは5発でこそキマルという感覚は見事に演奏しているクライバーン・ヘンドル盤をお聴きいただき味わってほしい。どうでもいいと思われるかもしれないが僕はこういうことが非常に気になるたちで、アバドはスタジオ録音なのにプロとして実にいい加減と思う。これは古来より名盤とされ、文句をつけた評論家もいないと思う。
第1楽章の展開部に、左手が白鍵、右手が黒鍵で三和音を半音階で急速に駆け登っていく印象的なパッセージが3度現れるが、これはショパンの第1協奏曲のやはり第1楽章展開部、練習番号13の天才的な書法を想起させる。プロコフィエフはピアノの名手でもあり、前述した日本滞在中に日比谷公会堂でリサイタルを開いており、自作だけでは聴衆が理解できないだろうということでショパンのバラード第3番を弾いている。
プロコフィエフがパリ時代に交友を持ったプーランクの有名な「ピアノと管楽器のための六重奏曲」は、第1楽章の終わりの方、練習番号15のあたりの雰囲気がプロコのPC3番の第2楽章第4変奏にそっくりである。影響を与えた作曲家はあまり思い浮かばないが、プーランクは筆頭格といってよいだろう。その唯一の弟子のピアニスト、ガブリエル・タッキーノはプロコフィエフも得意とし、PCは全曲の録音を残している。
ニコライ・ペトロフ / ネーメ・ヤルヴィ / チェコ・スロバキア放送交響楽団
youtubeで発見、1975年5月22日 スメタナホールとあるがピアノに関する限りすばらしい名演で非常に印象に残った。LP時代にプロコのPソナタはペトロフのメロディア盤がベストとされ僕もそう思う。剛腕のイメージで確かにそれが売りだが、強い打鍵は発音の良さと表裏一体と化して格段に上等であり、タッチの種類が意外に豊富である。オケも木管の音程が良く、ソロの彫の深さに同調して華を添えている。第2楽章のソロで深い呼吸から出るフレージングと立体感は他のピアニストから一度も聴いたことがない。スポーティに弾く者が多く、それでも聞きごたえがしてしまう曲ではあるが、ペトロフの深い表現にはホンモノを見てしまう。
ウイリアム・カぺル / アンタール・ドラティ / ダラス交響楽団
オケは下手で上記のカスタネットなど勘弁してほしいが、これは31才で飛行機事故で亡くなった天才ウイリアム・カぺルを聴く録音。天馬空を行くが如し。
ユジャ・ワン / ダニエル・ガッティ / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
上記の6発の演奏だが、どうせ誰もわからんと客をなめたものかもしれない。ユジャ・ワンのビデオはもうひとつ、アバド/ルツェルン祝祭管があってそっちも6発であり、アバドは確信犯かもしれない。こういう恣意的なスコア改悪は強く反対したいが、そっちの客はひどいもんで拍手の気のなさは熱演したワンが可哀そうになる。有名音楽祭に着飾って来るような客はほぼ音楽なんてわかってない、なめられて仕方ないというものだ。日比谷のプロコフィエフみたいにショパンでも弾いたほうがルツェルンはお似合いだったかな。
こっち(コンセルトヘボウ)の客はましだ。ワンちゃん、そういうお客相手でプロコフィエフだしこれじゃいかんと思ったのだろうかスカートが短い。ここまで短くすることもないと思うが、ともあれ見事な演奏だ。この人は近現代ものにもいい感性があってミーハー相手のポップスばっかりやる手合いと違う。
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ネーメ・ヤルヴィ指揮N響のプロコフィエフ6番を聴く
2016 MAY 27 1:01:56 am by 東 賢太郎

シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」
プロコフィエフ/交響曲 第6番 変ホ短調 作品111
指揮 : ネーメ・ヤルヴィ(サントリーホール)
ヤルヴィはシベリウス2番以来( ネーメ・ヤルヴィのシベリウス2番を聴く)。そこに書いたことがほぼ当てはまる。息子が主席指揮者を務めるオーケストラに現れる親父の気持ちはどうなんだろうと余計なことを考える。
まったく甘さのないプログラム。甘味料抜きの演奏。この指揮者の譜読みは常にストレートで、造形とリズムが締まった、本質追求型のものである。
未完成のテンポは速めで交響曲のソナタ形式の第1楽章だというスタイル。第2主題のチェロの音量を抑えて緊張感を高めるのはユニークだ。第2楽章も緩徐楽章という風情で、この曲がトルソである印象を残す。現にトルソなんだからそれ以外になんの表現があろうかと思う。あたかもそうではない風に第2楽章を化粧してだらだらやるのはウソの演出である。
こういう未完成で前半を終え15分のインターミッションというのはなかなか良い。気分がぽっかりと未完成であって、後半に充足を求める。そこにプロコフィエフの6番ということだ。5番の初演が1945年1月だが6番はそれ以前から着想され、忌まわしい原爆投下のころ書かれていた音楽だ。
初演者ムラヴィンスキーの超名演があって、あれはものすごい演奏で何人もまず凌駕しがたかろう。どうしても比較になるが、ヤルヴィがスコットランド国立管を振ったCDも持っておりああなるほどそうだったなという音作りであった。彼はムラヴィンスキーの弟子だ。
そのCDは、もう30年も前の話になるが、僕がまだロンドンの時代にグラモフォン誌の大賞をとったので買った思い出の品だ。まさしく本質追求型で求心力が強い、辛口吟醸酒みたいにきりっとした筋肉質の名演。その音が今も少しも変わっていないのを確認し、指揮者の何たるかを知る。振るたびにテンポや表情が違うというのは、確かに面白いが、それは「芸」だ。芸で勝負している人は芸人であり、芸人は死ねば忘れられる。本質というものは永遠に不変である。いつどこでどのオーケストラを振っても同じことをさせることができたから、彼は450もの録音を残すことになったということだ。
彼はオーケストラをたたえ、聴衆に「拍手が少ないね」と耳を澄ますポーズをし、もらった花束は指揮台においてスコアのほうを大事そうにかかえて去っていった。むかし、日本で一緒にコンサートを聴いた英国人のお客さんが「花束は女性に渡すものだけどね」と言った。某指揮者はもらうやすぐにヴァイオリンの女性にあげてしまったこともある。お・も・て・な・しの精神なのか花屋の戦略なのかどうも違和感があって仕方ない、古い人間なのだろうが僕は英国で文化を教わったトラディショナリストだ。まあ男女はともかく、彼は花束を掲げに日本へ来たわけでない、ホンモノの音楽家ということだ。日本の聴衆にもN響にも、本質を教え、残しに来たんだろう。
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読響定期 エマニュエル・パユとカラビッツを聴く
2016 MAY 25 1:01:22 am by 東 賢太郎

指揮=キリル・カラビッツ
フルート=エマニュエル・パユ
プロコフィエフ:交響的絵画「夢」作品6
ハチャトゥリアン:フルート協奏曲
プロコフィエフ:交響曲第5番 変ロ長調 作品100
(サントリーホール)
ウクライナの新鋭指揮者カラビッツは今年40才、ボーンマス響の首席である。父はイワン・カラビッツ(作曲家)。「ショスタコーヴィチの交響曲第11番のおかげで私はオーケストラを愛するようになりました」と述べ「この交響曲こそが私を指揮者にしてくれた」とも言っている。「11,2才のころ第2楽章のフガートの部分を何千回も聴いていた」(しかも僕がイチオシのコンドラシンのLPで)とも。
そういう人がいたのか!とてもうれしい。11番が好きなことでは人後に落ちない僕として非常に興味ある人だ。 ショスタコーヴィチ 交響曲第11番ト短調「1905年」作品103
プロコフィエフを得意としているらしく、作品6は初めて聴いたが面白い。ハチャトゥリアン、これはヴァイオリンとは別な曲だ(オケパートは一緒だが)。パユの技量には圧倒された。音の大きさ、中音の滑らかさ、高音の空気を切り裂く鋭さ、リズム感、キレ、どれをとっても。しかし彼はフルーティストである前に音楽家だ。楽器がそれというだけ。アンコールの武満もよかった。
5番。文句なし。すばらしい。ソヒエフ(N響)もほめたが、あれはバランス型、類まれな運動神経型の好演だった。今日は音楽に奔流のうねりが見え、オケのドライブが見事。プロコフィエフの音楽は重い部分でも「湿度」が上がらずあっさり流れてしまう演奏が多いが、カラビッツのffは起伏があって重量感があり、速い部分は軽くなる。湿度がある。これはできそうでできない、才能だ。ショスタコ11番とCDのプロコフィエフ交響曲全集はぜひ聴きたい。
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プロコフィエフ 交響曲第2番ニ短調作品40
2016 MAY 4 18:18:05 pm by 東 賢太郎

米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に「Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.(自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る。)」とあるそうだ。以前ここにバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のセルゲイ・ディアギレフについて書いた( ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」)が、実業家としては彼は天賦の才ある成功者だったが、当初志した音楽家としてはカーネギーの言葉があてはまるのではないか。
ところが、自身も音楽家(指揮者)として名を残しながら自分より賢き者を近づける術を知った者がいた。こちらもロシア人のセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951、左)である。音楽家の息子でコントラバスの名手であり、ボリショイ劇場で弾いていた。彼がラッキーだったのは2番目の奥さんが富豪(茶の貿易商)の娘だったことだ。彼女は結婚記念として「カレにオーケストラを買ってあげて」と父にせがんだ。
「逆タマ」の財力で彼は巨匠指揮者アルトゥール・二キシュの博打の負けを払ってやって指揮を教わり、なんとベルリン・フィルを雇って(!)演奏会を指揮し(ラフマニノフの第2協奏曲のソリストは作曲者だった)、祖国へ帰って出版社を創ってオーナーとなりラフマニノフ、スクリャービン、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーの版権を得て楽譜を売った。
ロシア革命後は新政府を嫌って1920年に亡命し、パリで自身が主催する演奏会「コンセール・クーセヴィツキー」を立ち上げる。これは1929年まで続いたが、その間に初演されたれた曲がストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」(1921)、ムソルグスキー「展覧会の絵」のラヴェル編曲版(1922)、オネゲル「パシフィック231」(1924)、プロコフィエフ交響曲第2番(1925)、コープランド「ピアノ協奏曲」(1927)であった。
クーセヴィツキーは1924年にボストン交響楽団(BSO)常任指揮者となる(パリには夏だけ行った)。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」、ブリテン「ピーター・グライムズ」、コープランド交響曲第3番、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」はクーセヴィツキー財団が委嘱して書かせ、BSOの50周年記念として委嘱したのはストラヴィンスキー詩編交響曲、オネゲル交響曲第1番、プロコフィエフ交響曲第4番、ルーセル交響曲第3番、ハンソン交響曲第2番だ。クーセヴィツキーはこれだけの名曲の「父親」である。
自分より賢き者を近づける術はカネだったのか?そうかもしれない。BSOの前任者ピエール・モントゥーも弟子のレナード・バーンスタインも、名曲の世界初演をしたり自分で名曲を書いたりはしたが他人に書かせることはなかったからだ。しかし、彼が財力にあかせて「管弦楽のための協奏曲」や「トゥーランガリラ交響曲」を書かせたといって批判する人はいない。
もう一つ、僕として聴けなければ困っていた曲が表題だ。パリにでてきたプロコフィエフ(左)だが、当時は6人組が新しいモードを創って人気であり、彼の作品は理解されなかった。よ~しそれなら見ておれよ、奴らより前衛的な「鉄と鋼でできた」交響曲を書いてやろうとリベンジ精神で書いたのが交響曲第2番だ。パリジャンを驚嘆させた「春の祭典」騒動はその10年ほど前だ、もちろん念頭にあっただろう。
芸術はパトロンが必要だが、モチベーションも命だ。天から音符が降ってきて・・・などという神話はうそだ。それで曲を書いたと吐露した作曲家などいない。バッハもヘンデルもハイドンもモーツァルトもベートーベンも、みな現世的で人間くさい「何か」のために曲を書いたのだ。お勤め、命令、売名、就職活動、生活費、女などだ、そしてそこに何らかの形而上学的、精神的付加価値があったとするなら、ことさらにお追従の必要性が高い場合においては曲がさらに輝きを増したというぐらいのことはいえそうだ。
クーセヴィツキーはカネがあったが、その使い方がうまかった。BSOの50周年なる口実で名誉という18,19世紀にはなかったエサも撒くなど、作曲家のモチベーターとして天賦の営業センスがあったといえる。そういう天才は99%のケースではカネを作ることに浪費されるが、冒頭のカーネギーは寄付をしたりカーネギー・ホールを造るなど使うことにも意を尽くした1%側の人だった。そしてクーセヴィツキーは嫁と一緒にカネも得て、それを使うだけに天才を使った稀有の人になった。
しかしその彼にとっても、刺激してやるモチベーションが「リベンジ精神」というのは稀有のケースだったのではあるまいか。プロコフィエフは速筆でピアノの達人でもあり、ピアノなしでも頭の中で交響曲が書けたという点でモーツァルトを思わせる。どちらも後世に明確な後継者が残らない、技法に依存度の高くないような個性で音楽をさらさらと書いた。しかしこの第2交響曲は力瘤が入っている。異国の地で勝負に燃えた33才。モーツァルトがフィガロにこめた力瘤のようなオーラを僕は感じる。
攻撃的な響きに満ちた2番の初演はパリの聴衆の冷たい反応しか引き起こさなかった。暴動すらなく、専門家の評判も悪く、ほめたのはプーランクだけだった。ここがディアギレフとクーセヴィツキーのモノの差だったかもしれないが、曲がそこまで不出来ということはない。力瘤の仮面の下で非常に独創的な和声、リズム、対位法が予想外の展開をくり広げる。これが当たらなかったから、あの第3交響曲という2番の美質をさらに研ぎ澄ました名曲が生まれた。しかしその萌芽のほうだって、春の木々の新芽のように強い生命力があり、不可思議な響きの宝庫だ。ゲルギエフがうまい。
プロコフィエフはロシア革命のときに27才だった。アメリカに逃げようと思った。モスクワからシベリア鉄道で大陸を横断し、海を渡って敦賀港に上陸した。日本に来た最初の大作曲家はプロコフィエフだ。サンフランシスコへ渡航する船を待つ約2か月の間、日本各地を見物して着想した楽想が交響曲の2,3番、ピアノ協奏曲の3番に使われたとされる。2番は第2楽章の静かな主題がそれだ。クラリネットと弦のゆったりした波にのってオーボエが切々と歌う。シベリウスの6番の寂寞とした世界を思い浮かべるが、これが6回変奏されて不協和音を叩きつけ、最後に回帰するのが実に美しい。
僕は3番の次に2番をよく聴く。秀才がワルになろうと暴走族のまねごとをしたみたいな部分がかえっていい答案だなあ秀才だなあと感嘆させてしまうあたりが面白い。第1楽章は全編がほぼそれだが、これでも喰らえとわざとぶつけた感じのする2度、9度の陰でぞくぞくするコード進行が耳をとらえて離さない。こんな音楽は他にない。これがたまらないのだ。それはゲルギエフのほうはあまりわからない、こちらの小澤/ベルリンPOだと見事に浮き彫りになっている。何という格好よさ!!
これを何度聴いたことか、これはラテン的音楽ではないがこの小澤さんの演奏のクリアネスは凄い純度である。そのたびに僕は本質的にロマン派のテンペラメントではない、恋に恋するみたいな人間とは180°かけ離れていて、100km先まで透視できるヴィジョンを愛するラテン気質に親和性があるのかなと思う。小澤さんはロマン派もとてもうまいが、この2番の合い方は半端でなくラテン親和性をお持ちでないかと察する。
小澤征爾 / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
この全集は小澤さんがBPOを振って打ち立てた金字塔である。上述に加えて第2楽章の透明感と細部のしなやかな生命力も素晴らしく、2番の挑戦的な暴力性がここまで整理され純化されていいのかというのが唯一ありえる批判と思う。それは若かりし頃にシカゴSOを振った春の祭典に同じことが言えるが、僕はあれが好きであり、したがってこれも好きだ。BPOの機能性あってのことだが、このピッチの良さ、見通しの良さ、バランス感は指揮者の耳と才能なくしてあり得ない。日本人で他の誰がこんなことができるだろう。
ジャン・マルティノン / フランス国立管弦楽団
これぞラテン感覚の2番である。マルティノンはラヴェルもドビッシーもロシア音楽も明晰だ。不協和音も濁らない。印象派というと、春はあけぼの、やうやう白くなり行く・・・の世界と思いがちだがぜんぜん違うということがこの2番のアプローチでわかる。第2楽章テーマはその感性だからこその蠱惑的なポエジーがたまらない。管楽器は機能的に磨かれフランス色はあまり強くないが、弦も含めて音程と軽やかなフレージングが見事で、きわめてハイレベルな演奏が良い音で聴ける。
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団
ごりごりした低弦と派手な金管、打楽器が鳴り響くロシア軍の行軍みたいな第1楽章はまことに威圧的で、2番の趣旨にはかなっている。そういうのは好みでないが、救いはロジェストヴェンスキーの縦線重視の譜読みだ。和音を叩きつけまるでストラヴィンスキーだがこの強靭なタッチはフランス系では絶対に出ない味である。第2楽章のデリカシーはいまひとつだが変奏の激烈さがあってこそテーマの回帰の静けさは心にしみる。
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デュトワ・N響Cプロ 最高のバルトークを聴く
2015 DEC 17 23:23:38 pm by 東 賢太郎

N響Cプロ(サントリーホール)でした。
コダーイ ガランタ組曲
バルトーク 組曲「中国の不思議な役人」
サン・サーンス 交響曲第3番ハ短調
80年代にデュトワがモントリオール響で録音したフランスものの色香が評判で、あれは録音のマジックではないかと訝しがる声もありました。僕も半分疑っていたのですが、84年にカーネギーホールで耳にした幻想交響曲はあの音だったのです。今日の素晴らしいバルトークは、あれをデュトワの感性が造っていたということを確認できるできばえでした。
最初のガランタ組曲は実演を初めてききました。貴重でした。ガランタは今はスロヴァキア領ですがコダーイはここで少年時代を過ごしたそうです。彼の思い出を映し出した曲なのでしょう、ハーリ・ヤーノシュほど面白いと思いませんがN響は熱演でした。
さて「中国の不思議な役人」ですが、ドイツ語題名はDer wunderbare Mandarinでありマンダリンと通称してます。バルトークの管弦楽ジャンルの代表作の一つといっていいでしょう、怪異な独創性と音色美を持つ天才的なスコアです。春の祭典の影響を明確にうけて作曲されたのはプロコフィエフのスキタイ組曲(アラとロリー)とこれでしょう。祭典が低音木管群を増強したのに対し、バルトークはそちらには出てこないシロフォン、チェレスタ、ハープ、ピアノ、オルガンを入れた点、両者の音色趣味が伺えます。
なかなか実演で聴けない曲であり、しかも大層な名演であり、大変に興奮いたしました。ブーレーズのCBS盤以外でここまでの演奏は初めてです。デュトワが振ると木管群の光彩が香りたち、金管が浮き上がらず、打楽器の音色まで耳をとらえます(バスドラの皮の張り具合がとても良かった)。フランス風という言葉を安易に使いたくないが、強烈なバーバリズムと調和したこのあでやかさは他に形容が見つかりません。N響から最も高貴なものを引き出し、今年のライブ最高のひとつになりました。デュトワとN響、心から称賛いたします。
ここで帰ろうかなと思い、結局デュトワに敬意があるので聞いたのですが、後半はストラヴィンスキーでもやって欲しかった。サンサーンスの3番については、お好きな方にはあらかじめお詫びしますが、一応僕の趣味を明らかにするために書きますと、トシと供にだんだん嫌いになってきて、いまや壮大な人工甘味料というイメージしかありません。
カラヤンやバレンボイムはオケとオルガンを別々に録音して重ねてますが、この曲はそんなことが許されてしまう。ベートーベンの第九で合唱だけ後で吹きこみましたなんてありえるでしょうか。これは交響曲の衣装をまとったショウピースなのです。フランツ・リストに献呈されていますが彼の管弦楽曲の浅薄さまでコピーしているようであり、サンサーンスという作曲家の技巧には敬服するものの本質は軽いと思ってしまう。
ということで録音では出し得ない皮膚で感じるオルガンの重低音に耳(体?)を澄まし、シンバルが何回ジャーンとやるか勘定するぐらいしか関心がわきません。ピアノとオルガンのための協奏曲とでもしておいてくれれば良かった。熱中していたこともある曲でピアノスコアまで持っているのですが、これを交響曲と称してベートーベンやシベリウスと並べられても・・・。
サン・サーンスは僕のチェロ愛奏曲である白鳥を書いてくれただけで感謝しているのですが。
(こちらへどうぞ)
N響 フェドセーエフ指揮アンナ・ヴィニツカヤの名演!
2015 APR 19 3:03:49 am by 東 賢太郎

仕事が立て込んで寝不足気味であり、あんまり気が乗らずに3時にNHKホールへ向かった。先日、券を買ってあった読響は忘れてて行かなかったりと、このところ忙しさも尋常じゃないが記憶もおかしい。
定期演奏会はプログラムを見ないことにしている。というのは行く気のなくなる出し物の場合、昔から僕の得意技で頭からメモリーが消去されてまさに行くのを忘れてしまったりするからだ。はて、今回はその最たるものだったことがプログラムを開いて判明したではないか。
ラフマニノフ・ヴォカリース、ピアノ協奏曲2番、R・コルサコフのシェラザード?なんと、TVでは2時から黒田先発の広島・中日戦があったんだよ!ああ、ちっくしょう、知ってたら絶対来なかったなあ。お子様ランチじゃねえか、もうなん百回聴いたかわからんよ、そんなの。
というわけでヴォカリースは耳が開いておらず石のまま終わった。弦の音も固い。申しわけない、拍手する気なし。さて、ロシアのお嬢さんが出てきて2番だ。誰だこれ、きいたことねーな、悪いがこちとらロシアめしの気分じゃない、ぜんぜん。はよやって終わってくれんかい・・・・。
こういう心が荒んだ状態だったオヤジに帰り道CD買わせたアンナ・ヴィニツカヤさん、あんたタダモンでありませんな。ホンマ、この2番、トップクラスの名演でござんした。こう見えて、オヤジこの曲うるさいんですよ、サワリ弾いちゃうほどハンパなく。何がいいって?音ですね、オト。キンキンキラキラもケバケバもなし、グレーの地味目な音ですよ。アンコールのバッハ(ジロティ)前奏曲ロ短調のくすんだビロードのような音。そんなので2番を弾こうという人はあんまりいないんです。フツーはド派手、ドケバのオンパレで。前回のベレゾフスキーくん、天下無双の体育会系剛腕ですごいもんで、ヨイショ、ズドンの巨人軍澤村投手と双璧でしたな。途中で退席を考えたけどね、迷惑なんでやめときましたが。フェドセーエフ氏の伴奏、これまた一流でござんした。第2楽章、3プルトのヴィオラの活かし方ききほれましたわ。終楽章、再現部の第2主題でぐぐっとテンポ落して歌っておいてコーダに入ると毅然と速めのテンポでね。うまいねえ!しかしアンナさん、それにあんたのタッチは千変万化してついていくのね、それってものすごいことですよ。ダルビッシュみたい10種の変化球だね。それとテンポがいい!もうこれしかないってやつですな。これ、意外にノーミスで弾ききるの少ないんだよ、1か所だけ、すごくマイナーなのしかなかった。ウデも凄くたちますね。でも、それがオモテに出ないことですよ、あなたの美質は。いやいや、一気に好きになりました。この録音、あればもう一回聴きたいよ、オヤジは。大拍手!!
最後はシェラザード!もうこんなの何年もきいてないね。実演はこれが人生5回目か、券かってまで来ようっていう曲じゃない、はっきりいって。下手なオケだとおしまいの方はチンドン屋みたいになっちゃう。だから今や僕にはどっちかっていうとピアノ曲だ。弾くのは好きでこれの第1楽章を大音量でグランドピアノでやると気持ちいいんだ。第3楽章もいい、すごくいい和音がついてて。
ということでこっちも期待なしだったがこれまた裏切られて、今日は何だったんだってことに。第1楽章は遅いテンポもフレージングもねっとりしてて濃厚ポタージュスープみたいだ。ティンパニのトントンがわずかに速くてねっとり感が倍加する、意図的だろうか?とにかくオケが巨魁な生命体みたいに粘着性を持っている、こんなのはきいたことがない。休みなく第2楽章のVnソロに入る。絶対音楽的で物語性が希薄なアンセルメしかきいてないのでストーリーに想いが行く。
第3楽章はエレガントだ。それにしても今日の第1クラリネットの方はうまかった。木質で音楽性も抜群であり絶美のピアニッシモ、とろけるようなレガート、指揮者のコンセプトにぴったりで最高でございました。オケ全体も、特にヴァイオリン群がシェラザードに至っては別なオケみたいに粘着性と湿度を含んだ音に変わっており驚いた。終楽章は僕はチェリビダッケが一番と思っているが、それに匹敵するすばらしさで言葉なし。フェドセーエフ節満載の音画は音楽性も満点で、第1楽章主題が回帰する寂しさ、独奏Vnのハーモニクス、すべてうまくいったぜ。ブラヴォー!!
ほんとに今日は来てもうけものだった。黒田はまた極貧打で負けちゃったし・・・。
アンナさんのCD、買ったのはこれだ。プロコフィエフ、有名な3番ではなく僕が5曲のうち一番いいと思ってる2番を弾いてるなんてますますタダモノじゃない。さっそく聴いてみる。そうそうこの音だ。ピアノの部分は水墨画のグレーを思わせるんだがフォルテになると内部から光を放射するんだ。第1楽章はオケともども暗めで神秘的な雰囲気が支配、この曲はこうでなくちゃ。スケルツォはすばらしい指の回りと黒光りするタッチがプロコフィエフにぴったりだが、メカニックが鼻につかず知的な抑制すら感じる。ちょっとぶっ飛んだ感じと野蛮さには欠けるが非常にスタイリッシュに洗練された2番。オケは、はっきいってうまい。ティボール・ヴァルガの息子ギルバート・ヴァルガの指揮は素晴らしい運動神経を感じさせリズムのエッジが立つが、それに一糸乱れずかけ合うアンナのそれも凄い。そしてラヴェルのト長調。これもケバさのない中間色。アダージョは実にお品がよろしい。まさにベルリン・ドイツ交響楽団だね、彼女の合せになるのは、パリ管じゃない。
(こちらにどうぞ)
______演奏会の感想 (46)
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プロコフィエフ 交響曲第3番ハ短調 作品44
2014 APR 27 12:12:29 pm by 東 賢太郎

プロコフィエフのシンフォニーで1,5番でなくこれが好きという方はいらっしゃるだろうか?もしそうなら音楽的嗜好が近く、すぐお友達になれるだろう。僕は3番が大好きであり大学時代にアバド盤の第4楽章をカセットに入れて本郷の下宿で毎日聴いていたのが懐かしいが、斉藤さんが来られた時お聞かせしたかどうかは記憶にない。
この曲は元々交響曲ではなくオペラ「炎の天使」として作曲されたが、全曲の初演見通しが立たないためその素材を使って交響曲にしたという変わり種であり、実は本来はこの名曲である「炎の天使」の方を聞いていただきたいのだ。
http://youtu.be/_lHsNmU92eY http://youtu.be/vqmD2cveJJE
プロコフィエフという人はセレナーデを交響曲にしてしまった(第35番)モーツァルトに似て何でも作れる職人中の職人だったが、そういう出自はともかくこの第3番は傑作であり、僕は彼の全作品中ベスト3に入れる。これのスコアは「春の祭典」に匹敵する面白さで、暇ができたらシンセでMIDI録音したい魅惑とワクワク感に満ちている。例えばこの第3楽章だ。13パートで分奏する弦がハーモニクスのグリッサンドでヒューヒュー不気味な音を立てて疾走する様は「火の鳥」、「惑星」(水星)、「弦チェレ」、リズムは「春の祭典」を、最後は「惑星」(火星)を想起させるが、そのどれよりもマジカルで創意に満ちている。ちなみにライバルだったストラヴィンスキーがこの曲は誉めた。
第1楽章の終わりの数ページ、第2楽章の中間部、そうして第3楽章の中間部のこのページから!何という不思議な和音に導かれた氷のように冷たい世界だろう。それがシベリウスのように人間離れしたものではなく、湖に現れた妖女の誘いのように感じる。
名曲ゆえ名演がいくつかある。僕はアバド/ ロンドン交響楽団で覚えたが第1楽章のどっしりしたテンポは好きだが妖しさにやや不足するのでファースト・チョイスにはおすすめできない。しかしアバドが振ったプロコが1番と3番というのは彼の趣味が伺えとても共感を覚える。
ジャン・マルティノン / フランス国立放送管弦楽団
最高に素晴らしい名盤である。このオケはムラがあるがマルティノンが振るとこんなに良いピッチと音色で鳴る。録音は適度な潤いがありフランスの管と曲のマッチングが良く、複雑なスコアが明快に解きほぐされる。価値がよくわかっていないレコード会社がこういう名盤をどんどん安物コンテンツの仲間入りさせて廉価盤に落としてくれる。実に馬鹿な話だが消費者としては有難い。マルティノンは全曲揃えてよい。
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー / モスクワ放送交響楽団
この指揮者の読譜力、解析力とオケへのその伝達力はプロとしても群を抜いている。読響を振った火の鳥、春の祭典でそれを確信した。こちらで全曲お聴きいただきたい。http://youtu.be/MlvStcZvqrs 第3楽章のオケのうまさは鳥肌物だが第4楽章は弦がやや粗い。韓国のイエダンというレーベル(YCC-0044)から1961年1月6日録音で同じ指揮者がソヴィエト国立SOを振ったライブが出ており、そっちの方がさらに凄い圧倒的名演である。それをYoutubeにアップロードしたのでどうぞ。
キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
コンドラシン最晩年のACOライブ録音で、僕はロンドン滞在中に、たしか85,6年にHMVで買って以来ずっと大事にして愛聴しているLPである。5.99ポンドだった。CDはショスタコ9番と組んで出たが音はLPの方が格段に良い。これは廃盤のようでこれまた業者の見る目のなさを嘆くしかない。演奏の素晴らしさは言葉がなく、当曲の真の愛好家は探し出して所有するべきである。
ヴァレリー・ゲルギエフ / ロンドン交響楽団
曲をつかみきった名演。この指揮者は音楽を大づかみにとらえメリハリをつけて表現するタイプであり、それがツボにはまった時は実にいい演奏になる。2003年に東京で聴いたベルリオーズのレクイエムは退屈だったが、95年にチューリヒで聴いたキロフ管弦楽団との「火の鳥」がそうで感銘を受けた。この全集はロンドンSOの重心の低い音を使ってライブのような活力のある音楽となっており、3番は非常に素晴らしい。
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