Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______ボロディン

ポゴレリッチのラフマニノフ2番を聴く

2016 DEC 13 23:23:12 pm by 東 賢太郎

デュトワのカルメンと前後してしまうが、今日の読響について。指揮台に立ったオレグ・カエタニはフランクフルト駐在時代によく聴いていて、ヴィースバーデンでのリング全曲は彼の指揮だった。なにせあのマルケヴィッチの息子だ、もっと硬派なプログラムだったらよかった。

いつも感じることだがボロディン2番はライブだとオーケストレーションに空隙を感じ粗野な原色ばかり目立ってしまう。かと思えば終楽章のあの素敵な第二主題の伴奏になにもトロンボーンを重ねなくてもいいのにというベタ塗りがあったりもする。シンセでたくさん演奏するとスコアを見てヤバいなあというものを感じるようになって、これはやってないがきっとトロンボーンは超弱音か無しにするだろう。

カエタニはまったくその辺を気にしてない風情であった。チューバまで入った金管群であるわけだしこれがロシアの感性と言われれば仕方ないが、そうであるなら男同士がキスする感性など日本人の僕にはわかりようもないというものだ。フランス系のアンセルメやマルティノンは薄口でうまくやっているし、人工的であってもミキシングでうまく化粧した録音で聴く方が僕はずっと楽しめる。カエタニは低音を鳴らすので特にそう思ってしまった。

交響曲が先でトリが協奏曲というのも珍しいが、ポゴレリッチあってのことだろう。

ラフマニノフの2番だったがこれはproblematiqueだ。強めに始まる鐘の音は途中で弱まり、再度強くなる。こんなのは初めてだ。テンポは不可解に遅いと思えば第2楽章の主題は無機的に速く、つづく右手の単音の旋律はなんとフォルテに近かったりする。遅い部分はルバートがかかりまくり、終楽章のピアノの入りのアルペジオは真ん中の数音符だけ突然フォルテで弾いたり、まったくわけがわからない。

それでいてフォルテは強いだけでちっとも美しくなく、細かいパッセージは弾けていないしミスタッチもある。アンコールの第二楽章がほぼ同じだったから即興でもなさそうであって、つまり考えぬかれた解釈のようなのだがではどうしてそうなるのか理解に苦しむばかりだ。演奏家の感性や哲学は尊重するしありきたりの美演より僕はそっちを採る主義なのだがこの曲にそんな深い哲学があるとも思えない。

グールドのモーツァルトはなにくれかのirritationを聴衆に与える意図が隠されていて、彼はそういう屈折した心理を持つ天才だったと思っているが、ポゴレリッチもそうなのか推察するほど僕は彼をよく知らない。記憶にあるのはあの流麗で瑞々しく神のgiftを強く感じさせるスカルラッティやガスパールなのだが、彼のその後の人生には何があったのだろう?拍手をする気分ではないままそういう疑問ばかりが心を占めてしまいサントリーホールをあとにした。

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

2014 DEC 13 2:02:11 am by 東 賢太郎

アレクサンドル・ボロディンの交響曲第2番ロ短調は、演奏会があるならばきいておこうかなといつでも思う曲です。そのぐらい好きです。

この曲が交響曲としてベートーベンやブラームスのものと伍す存在かといえば否です。ロシアのローカル色豊かな楽想を持ち味としたボロディンが、交響曲というドイツ保守本流の枠組みで書いた一大抒情詩のようなものであり、僕はいつも初心者のかたには「ドヴォルザークの新世界のロシア版みたいな曲ですよ」と紹介しています。知らずにいてはもったいない佳曲です。

完成は1876年だからブラームスの1番と同じですね。ブラームスは完成に21年かけましたがボロディンも7年かけました。ただ彼は専業作曲家ではなく本業は化学者、医学者、大学教授です。しかも歌劇「イーゴリ公」といっしょに書いていたのですから7年こればかりに費やしたわけではありません。作曲で飯を食っていたブラームスが21年悩みぬいた作品と完成度において比べても酷でしょう。

彼の実父はグルジア皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリです。母は皇太子の私生児を3人産んでいてその一人が彼であり、戸籍上子とされた農奴の姓がボロディンだったのです。彼は化学者、医師として有能であると同時に女性の教育の機会均等に力を注ぎ、ペテルブルグ女子医学校を設立、それを生涯最大の誇りとしていました。

キャリアを見ると実に凄い。17歳でペテルブルグ医大に入学、22歳で首席卒業、25歳で博士号取得(有機化学)、29歳で出身校の助教授、31歳で教授と絵にかいたようなエリートです。音楽の専門教育は受けておらず、彼自身、はっきりと自分の職業であるサイエンスと教育に限りない愛情があると述べています。では作曲はというと、

For me it is a relaxation, a pastime which distracts me from my principal business, my professorship. (本業の教授職から気を紛らわせてくれる息抜き、娯楽である)

と明言しています。「他の作曲家はそれが本業であり人生の目標なのだから自分のような者が音楽活動を語るのはためらいがあるし、自分はむしろ無名でいい」とも言っています。しかし一方で、

Respectable people do not write music or make love as a career.(立派な人は曲を書いたり情交したりすることを職業にはしない)

とも語っています。これをどう解釈するかは微妙ですが、職業であるサイエンスへの強烈な自意識とプライドがあったことは事実でしょう。そういうことを俯瞰すると、ボロディンはアマチュア作曲家であったといって間違いではないのだろうと思います。ノーベル平和賞の医学者アルベルト・シュヴァイツァー博士はバッハ研究で有名なオルガニストでもあり、相対性理論のアインシュタインはどこへ行くにもヴァイオリンを持っていったというのに近いのかもしれません。

180px-Borodinただ、ボロディンのアマチュアリズムはプロの顔色なからしめる水準のものでした。彼は1877年にドイツへ行ったおりにワイマールでフランツ・リストとこの2番のピアノ版を連弾し、リストはこの曲の独創性を大いに誉め、「誰が何をいおうが無視しろ、絶対に周囲のアドヴァイスで曲を変更をするな」と戒めたそうです。リストと連弾するピアノの腕前にも驚きますが、リストの進言どおりに周囲の助言を無視したのも正解でした。結局後世になって、アドヴァイスした作曲家でボロディンより有名になった人はいなかったのだから。

このときにドイツへ行ったのは自分の教え子をイェーナ大学に入れるためで、そのついでにワイマールへ寄った。その「ついで」のほうがこうして歴史に残っているのだからすごいものです。「ボロディン反応」で科学史に名を残している偉大な化学者が交響曲を三つとオペラを一つ書いた。たとえそれが凡作であれ並の人間にできることではないですが、それがまた名作であって歴史に名を残してしまった。今はやりの「二刀流」にたとえれば、メジャーリーグでバッターで二千本安打、ピッチャーで二百勝を両方やってしまったようなものです。どんなジャンルであれこんな二種目制覇の離れ業をやった人間はレオナルド・ダ・ヴィンチ以外にはちょっと思い当りません。

さて、音楽についてです。

交響曲第2番は複雑なことが一切ない曲です。こんなに単純明快でわかりやすい交響曲も珍しいでしょう。大まかにいえば、覚えやすいメロディーに和音がついているだけ。横に旋律が絡み合う対位法の部分は少なく、和音も難渋なものは出てきません。

というと幼稚な音楽のようですが、ところがどっこい、この2番はトスカニーニ、ミトロプーロス、ドラティ、アンセルメ、マルコ、コンドラシン、クレツキ、クーベリック、マルティノン、ゲルギエフ、スヴェトラーノフ、イェルヴィ、ラットル、そしてあのカルロス・クライバーといった指揮界の大物が録音している人気ナンバーなのです。この曲の魅力が半端でないことはこの顔ぶれが証明してくれます。

もっと大変な事実があります。1900年頃にパリの音楽家、詩人などが結成した芸術グループであるアパッシュがありましたが、彼らはこのボロディンの2番の冒頭テーマを口笛で吹いて秘密の合図にしていました。アパッシュは1902年に初演されたドビッシーの「ペレアスとメリザンド」などの新芸術を支持し、メンバーにはラヴェル、ファリャもいました。ボロディンに憑りつかれた作曲家、指揮者、ピアニストは数えきれませんが、特にラヴェルは「ボロディン風に」なるピアノ曲を書いており、ダフニスの全員の踊りを書いている頃にピアノの譜面台には「ダッタン人」のスコアがあったそうです。

歌劇「イーゴリ公」と並行して作曲されたため両者は似た雰囲気を持っていますから「ダッタン人の踊り」が好きな人は気に入ることうけあいです。たとえばボロディンの友人でチャイコフスキーとも親しかったニコライ・カシキンによると、アッパッシュが合図にした冒頭テーマはダッタン人の合唱になる予定だったのを転用したそうです(英文Wikipediaによる)。

粗野で生気あふれるリズム、旋律のエキゾチックな人なつっこさ、万華鏡のように変転する和声。一気に聴くものをとらえ、心に入り込み、やがて虜(とりこ)にしてしまう恐るべき魔力を秘めた音楽であります。聴いたことのない方は、ぜひここでご自分のレパートリーに入れて下さい。

詳しい方は譜面をどうぞ。僕には非常にインパクトのある転調!たとえば第2楽章のトリオ、このアレグレットです。

 

borosym2

このチャーミングなメロディーが10小節目でいきなり半音下がる!!こんな転調は聴いたこともなく、一本背負いを食らったほどすごい衝撃です。普通の音楽で経験しようのない大事件です。

調性の設計も変わっていて、第1楽章はロ短調で第2主題がニ長調、これはいい。ところが展開部で遠い変ホ長調へ行き、ハ長調をとおってロ短調に戻る。そして第2楽章はヘ長調、第3楽章は変ニ長調です。

ボロディンの旋律発明の才、そしてそれを構造的に理詰めで展開、変奏、複合するのではなく天才的な和声のひらめきをもって色づけていく。コンポジションとしてはポップスに近いレベルなのでしょうが、それがあまりに独創的です。終楽章の第2主題が僕は大好きですがその裏で鳴るチェロなどいつもぞくぞくします。

少々マニアックなことを書きましたが、小難しいことは一切ご無用。とにかく聴いて楽しむのみです。私事ですがボロディンがすごく好きだという人を一人だけ知っていて、さっきこのページをピアノで弾きながら思い出していました。どうされてるのか。

 

ニコライ・マルコ / フィルハーモニア管弦楽団

Malko_GC_CH僕の一番の愛聴盤でおすすめです。マルコはウクライナ出身の名指揮者で、1歳年上のストラヴィンスキーと同じくペテルブルグ大学卒でR・コルサコフの弟子です。グラズノフ、リヤードフにも師事しており、ショスタコーヴィチ交響曲第1番の初演者でもある。ロシア直伝の解釈を聴かせてくれますがそれが野暮ったいローカル色になるのでなく非常にプロフェッショナルな指揮をしているのがいいのです。第1楽章の第2主題はテンポを落して歌い、展開部への入りの望郷を思わせる味、第2楽章のトリオのなつかしさなど抒情の味つけが濃いのに全体の交響曲としてのロジカルな組み立てへの配慮も見事です。散漫になりがちな第3楽章も意味深く、終楽章もから騒ぎになりません。オケは腰が重めで金管の鳴りも充分、木管ソロはチャーミングであり、僕がこの曲に求めるものをこれほどうまく聴かせてくれる演奏はいまのところありません。youtubeにアップロードしましたのでお聴きください。

 

ジャン・マルティノン / ロンドン交響楽団

200x200_P2_G1402645W

僕はマルティノンのロシア物は肌が合います。プロコフィエフの交響曲もよくききます。ラテン的な透明感、きびきびしたリズム、明瞭な発音はロシア風の重量感には欠けますがこれは好みの問題です。この2番はロシアのオケがやるとブラスが重すぎて好きでありません。全般にテンポは快速でもたれない反面、第2楽章のトリオなど抒情的な部分も速すぎて酔わせてくれないなど一長一短はあるのですが、総じて満足度の高い演奏と思います。

 

キリル・コンドラシン / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

667

これがスタンダードな名演でしょう。コンドラシン最晩年のライブですが気合十分、オケのドライブ力は最高で、この名門をここまで意のままに引っぱって鳴らしきるのはよほどの大物でないと無理と思います。このシリーズは音良しオケ良しの名演揃いでプロコフィエフの交響曲3番も最高級のもの。手に入りにくくなっていますがこのボロディン2番も是非持っていたいものです。

 

全曲です。

 

(補遺、3月11日)

エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団

esdigital_4988005276049はっきりいってオケは下手である。しかし、それでこの演奏を語るのは黒澤の映画が白黒だから画質が云々で評価するのと同じだ。これの良さは下手ながらも指揮者のカリスマについていこうというアマのような一途さと思う。アンセルメはボロディンの音楽を知っている。そこに磁力が生まれ、ラテン的感性の奏者たちがフレンチ風の音で健闘している。第2楽章第2主題のフルート、オーボエなどいじらしい。これはアンセルメのR・コルサコフ「シェラザード」を名演に仕立てた要素だ。スコアの深奥を知っているマエストロがもういない僕らの時代、指揮者と楽員は平等になった。こういう演奏はもう二度と生れないのだろうか。

カルロス・クライバー / シュトゥットガルト放送交響楽団 

951クライバーは父子で2番が好きだったようだ。カラヤンやベームが振ると思えないこれを。興味本位で聞いてみたが、まず第1楽章、アレグロになると一気に音楽が走るのにびっくり。こういう電撃的、てんかん質なオケのドライブは独墺系の曲ではやらないがここではやりたい放題で全開だ。木管は終楽章で原色丸出しでまことに気品がなく、こんなのは聞いたことがない。第2主題は速すぎで情緒のかけらもなくまったくいただけない。オケは振り回された結果か、毛頭一級とはいえない音である。ファンには申しわけないが、僕にはお呼びでない録音だった。

 

(こちらへどうぞ)

ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」

クラシックは「する」ものである(3)ーボロディン弦楽四重奏曲第2番ー

ストラヴィンスキー バレエ音楽 「火の鳥」

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

クラシックは「する」ものである(3)ーボロディン弦楽四重奏曲第2番ー

2014 AUG 3 12:12:14 pm by 東 賢太郎

 

サン・サーンスの白鳥と言えば思い出があります。

94年ごろでしょうか、フランクフルトにいた頃、SMCメンバーである二木君が野村ドイツの同僚で、拙宅にお招きして食事をしました。さんざんワインが回ったところで彼がピアノが弾けるとわかり、それはいいすぐやろうと地下に引っぱっていっていきなり伴奏頼むとその「白鳥」の譜面を渡しました。二木は覚えてないかもしれないが、あんまり知らないんですが・・・といいながらも初見でそれなりに弾いて(すごいね)、僕はというともちろんチェロを気持ちよく弾かせてもらいました。

でも歌うんでもいいんですよ。声よりチェロの方がちょっといい音が出るんで楽器を持つだけでなんですから。もちろん速いパッセージは歌は限界があります。だけど歌うことのできるチェロの名旋律はたくさんあるんです。たとえば、これも歌えますよ。裏声になるがこれが美しく歌えたら最高の気分になれます。ボロディンの弦楽四重奏曲第2番第3楽章「ノクターン」です(これも有名曲ですね)。

伴奏に回るところの低音部もしっかり楽譜を見て歌ってください。要はこのカルテットのチェリストになりきることです。

譜面が読めない?大丈夫です。音が取れなくても一番下のチェロパートを目で追えますよね。この曲はゆっくりだしそれがものすごくわかりやすいんです。チェロを聴き分けてそのメロディーを耳で覚えちゃってください。チェロだけ聴くんです。

目が不自由な音楽家の方は普通は点字の譜面で覚えるそうですがピアニストの辻井 伸行さんは右手と左手を別々に耳で聴いて覚えてしまう。楽譜は使わないそうです。そんな記憶力は普通の人にはないですが、この曲ぐらいなら誰でもできますね。

ちなみに、そうやってパートを聴き分ける練習をすれば必ず耳が良くなります。同時に鳴っている音の仕分け能力がつくんです。それに強くなれば交響曲のような複雑な曲を聴いても楽器の聴き分けができるようになります。

そうすると曲からの情報量がぐっと増えるから、いいことがあります。その曲がもっと楽しめる?そうですね、それもありますがそれだけではありません。増えた情報がマーカーとなって曲を早く覚えられるようになります。これが実はクラシックのレパートリーをどんどん増やしてくれる、つまり通になる近道なのです。

ワインだって日本酒の利き酒だって、飲んだものを覚えてないと次のと比べられませんね。覚えるには特徴をなるべくたくさん見つけておくのがいいですね。それと同じことです。カルテットのような、音の少ない曲から練習して、だんだんと編成を増やしていかれるとコツをつかむのに効果があるでしょう。

楽譜にアレルギーのある方もきっとおられると思います。でも所詮は記号だからパソコンの文字とキーボードの関係と同じです。恐れることはありません。楽譜を見ながら聴くと、情報量はますます増えますから、ますます早くますますたくさんの曲を覚えられるのです。そんなにご利益があるんです。チャレンジし甲斐があるではないですか。

次回は天下の大名曲、モーツァルトのクラリネット五重奏曲を使って、和声についてもう少しご説明をしましょう。

 

クラシックは「する」ものである(4) -モーツァルト「クラリネット五重奏曲」-

 

お知らせ

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
をクリックして下さい。

クラシック徒然草-3枚のLP音盤-

2013 JUN 3 20:20:33 pm by 東 賢太郎

中古レコードを買いました。1枚目はチェコのスプラフォン盤でモーツァルト(ピアノ協奏曲第9番とハ短調ソナタ)、オケはカレル・アンチェル指揮チェコフィルハーモニー、1960年ごろの最初期のLPレコードです。

写真

チェコ人にとってモーツァルトは特別のようです。交響曲第38番は「プラハ」だし、オペラもドン・ジョバンニや皇帝ティトの慈悲もプラハ初演。フィガロの結婚が最も愛されたのもプラハです。このジャケット、モルダウ川の冬ですが、実にいいですね。これを買ったのはピアニスト、ヒューゴ・シュトイレルとパヴェル・シュテパンが聴きたかったからです。最高でした。この頃のチェコの演奏、チェコフィルもスメタナ弦楽四重奏団もそうですが、音に暖かみがあり、きりりとひき締まったもぎたてのレモンのような切れ味があるのですが、この二人のピアノもまさにその路線です。こんなモーツァルトを今どき誰が弾いてくれるだろう。スプラフォンという当時国営のレーベルの録音もそれを活かす独特の色合いがあります。LPの時代はソ連のメロディア、ハンガリーのフンガロトンなど共産圏レーベルごとにお国ものの味があり面白かったのです。

 

2枚目です。これはにぎやかですね。ドイツ・グラモフォンのフランス盤で、これも1960年前後のものでしょう。「ロシアのこだま」とでもいったアルバム名でしょうか。A面はドレスデン・シュターツカペッレをクルト・ザンデルリンクが指揮したボロディン交響曲第2番。B面はルイ・フレモー指揮モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団によるグリンカの「カマリンスカヤ」、イーゴル・マルケヴィ写真ッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団のボロディン「中央アジアの草原にて」、グリンカ「ルスランとルドミュラ序曲」、リヤードフ「交響詩ヨハネの黙示録より」です。フランス人のジャポニズム(日本好き)は昔から有名で、浮世絵にはじまって今はパリの日本アニメ博覧会に200万人も押しかけるというから半端ではありません。また彼らは大のロシア好きでもあって、だからこそバレエ・ルッス(ロシアバレエ団)がパリで人気があり、あのストラヴィンスキーの3大バレエが生まれたのです(この原色的なジャケットを見ているとペトルーシュカを書く彼の心象風景のようなものが浮かんできます)。フランス人はエキゾチックなもの好きなんですね。しかしエキゾチック過ぎたのでしょうか、よく見るとスペルが間違っていて「カマリンスカヤ」が「カラミンスカヤ」になっています。細かいことは気にしないラテン気質、微笑ましいです。

 

そして3枚目。ノルウエーの作曲家、ヨハン・スヴェンセンの交響曲第1番ニ長調です。オランダのフィリップス盤で、1960年代のLPと思われます。2枚目のジャケットと比べる写真 (1)と何と地味なことか。フランスと北欧の違い、ラテンとゲルマンの気質の違いがわかりますね。オド・グリューナー・ヘッゲ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団のお国もの演奏です。グリーグが初演を聴いて激賞したというこのシンフォニーは25歳の若書きとは思えない立派な作品で、オスロ・フィルがまるでブラームスをやるウィーン・フィルのような思い入れで全身全霊をこめて演奏しているのがわかります。音響の面でも、この頃のフリップス録音のオケの音が僕は大好きで、ことにLPで聴く弦の温かみとぬくもりは滋味あふれるものがあります。これぞヨーロッパの手作りの名品の味わいであり、たぶんあまり売れなかったろうと思いますが極めて素晴らしいレコードです。中古レコード屋はこういう掘り出し物との出会いがあるのでたまりません。以上、心から堪能しましたが、お値段は3枚で1,500円でした。

 

ボロディンと冨田勲

2013 APR 1 0:00:23 am by 東 賢太郎

ボロディンの「中央アジアの草原にて」、聴いていただけましたでしょうか?

この曲のテーマ、とくに2番目に出てくる「東洋風テーマ」(下のピアノ譜をご覧ください。3小節目からです。オケではイングリッシュ・ホルンが鄙びた音で吹いてます。)の肌にしみいるなつかしさ、人なつっこさ(少なくとも僕にとってはですが・・・)は何なのか、不思議でなりません。イメージ (32)

 

同じような風情のテーマは歌劇「イーゴリ公」の「ダッタン人の踊り」や交響曲第2番にも出てきて、ボロディンのトレードマークといっていいかもしれません。こういうメロディーを書く才というのは、他の作曲家には感じたことがないなあと思っていたら、一人だけ思い当たる方がおられました。

我が国の誇る民族派巨匠、冨田勲です。ドビッシーやホルストをシンセサイザーでアレンジしたアルバムは海外でも評価され、もはや「世界のトミタ」ですね。僕が彼を知ったのは昭和47年のNHK大河ドラマ「新平家物語」のテーマ音楽が好きになったからです。これです。http://youtu.be/2YnWsUXgViU

 

それから、NHK「きょうの料理」のテーマも彼の作品です。日本人でこれを知らない人はほとんどいないでしょう。

 

しかし彼の最高傑作はNHK番組「新日本紀行」のテーマではないでしょうか。君が代を思わせるメロディーと素朴なコードが日本人のこころをぐっととらえる不思議な力を持っているように思います。このメロディーを好きになってくれるなら、どこの国の人でも仲良くなれそう・・・みたいな親和力を秘めている気がいたします。「中央アジア・・・」のメロディーとは似ていないのですが、この「ぐっとくる」感じが、僕にはとても似ているように思えるのです。冨田勲さんを偉大なるアマチュアとは申しませんが、音大作曲科卒ではなく慶応大学文学部卒であるところはボロディンとどこか共通するように思います。

 

(こちらへどうぞ)

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

 

ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」

2013 MAR 30 23:23:23 pm by 東 賢太郎

 

アレクサンドル・ボロディンこそ、理系作曲家のチャンピオンであります。

 

                                                      この反応は、有機化学における化学反応の一種で、カルボン酸の銀塩(RCO2Ag)に臭素 (Br2) を作用させ、有機臭素化物 (RBr) を得る反応である。216-6ロシアのアレクサンドル・ボロディン現在では作曲家として著名だが、本職は化学者であった)にちなみ、ボロディン反応  (Borodin reaction) とも呼ばれる (Wiki)。

 

216-7シュバイツァーのオルガン、アインシュタインのバイオリンは有名ですが、サイエンスと音楽の両方で歴史に名を刻んだのはこのボロディンしかいません。サンクト・ペテルブルグ大学医学部首席卒業(!)の医者でもありましたが、それが霞んでしまうほどのスーパーマンです。ちなみに彼はグルジア皇室の皇太子の私生児でした。作曲を習ったのは30歳からで生計は化学者としてたてていたので自らを「日曜日の作曲家」と呼んでいたそうです。偉大なるアマチュアといっていいのかもしれませんが、音楽史では「ロシア五人組」といって次のような人たちと一緒にロシアの民族主義的なグループの一員とされています。

「 展覧会の絵」のムソルグスキー、「シェラザード」のリムスキー・コルサコフら錚々たる人たちに並んでしまうアマチュア!!指揮者のワインガルトナーは、「ロシアやロシア人の国民性を知ろうと思えば、チャイコフスキーの悲愴交響曲とボロディンの第2交響曲を聴くだけで十分だ」とまで言っています。こんなアマチュアになれたらなあと憧れてしまいます。

borodinn1

さて、前回のブログで、僕がクラシックに引き込まれたのがこのボロディンが作曲した交響詩「中央アジアの草原にて」だったことを書きました。この曲は1880年に(ボロディン47歳)ロシア皇帝アレクサンドル2世即位25周年を記念した祝典のために書かれました。スコアにはこのように書き込まれています。

「見渡す限りはてしない中央アジアの野原は静まりかえり、聞こえてくるのはロシアの歌声。次第に近づく馬やラクダの群れの足音にまじって、耳なれない東洋ふうの旋律が聞こえてくる。ロシアの兵士に護衛された隊商たちがやってくる。そして、護られている安心感を足取りに見せて進み、しだいに遠ざかっていく。ロシアの歌と東洋風の旋律がとけあって、草原をわたる風になごりを止めながら…」

この「ロシアの歌」と「東洋風の旋律」と「ラクダの足音」がたびたび転調を重ね、最後は重なり合っていく。まあ構造的にはそれだけの曲です。しかしなぜか、耳に残るのです。メロディーも和声も 。なにか故郷の歌でも聴いたような、初めて聴いても懐かしさにジーンとくるものを感じます。シルクロードでつながる日本人の遺伝子の記憶みたいなものなのでしょうか。

中央アジアというのは一般には下の地図の色つきのあたりを示すようです。この曲の作曲意図が「ロシアの東方への版図拡大を祝賀すること」だったようですから、ボロディンの血筋であるグルジアからカスピ海をこえたこのあたりを描いたものなのかもしれません。グルジア自体が人種のるつぼのような多民族国家ですから、ボロディンの血と感性を通じてエキゾチックな香りがむんむんしてくる音楽になっているのかもしれません。124_1_1

難しいことはぬきにしましょう。名曲アルバム風のこの画像をお借りして、じっくりとすばらしい風景と音楽を味わってください。

 

(追記、3月15日)

ダッタン人の踊り(歌劇「イーゴリ公」より)

ボロディンでクラシックに親しまれる方のためにこの曲を書かないわけには参りません。なにせ自分がボロディンのおかげで引きこまれたんですから。ベンチャーズに「パラダイス・ア・ゴーゴー」という曲があったことはマニアでないとご存じないかもしれませんが、フリークの小学生であった僕はギターで弾いておりました。これです。この場違いなムードの写真、アメリカの昭和という感じでなんともいえんですね。

そしてもうひとつ、トニー・ベネットの「ストレンジャーズ・イン・パラダイス」でありましょう、もっと有名なのは。

それがこれ、 ダッタン人の踊りの「娘達の踊り」(最初の曲です)だったんですね、クラシックが一気に身近になってしまいました。

(テキサスの高校生の子たち、うまいですね!)

僕がこれを覚えた演奏、エルネスト・アンセルメ / スイス・ロマンド管弦楽団です。原曲はオペラですから「娘達の踊り」は本来合唱入りなんです(上は管弦楽版)。彼の最晩年のシェラザードと同じく見事な楽器のバランスを保ちながら平静なテンポで進み、ff で爆発というパターンです。フレンチでチャーミングな音響の木管があでやかな色気を発し、「全員の踊り」のすさまじいバスドラの威力は当時快感でしたが今聴いてもぞくぞくしますね。

 

(こちらへどうぞ)

ボロディンと冨田勲

再録「クラシックとベンチャーズ」

2013 MAR 30 15:15:04 pm by 東 賢太郎

 

中島さんの3月29日付のブログ「今週のクラシック音楽ベスト3」を拝見し、いたく感心いたしました。ガキだった自分の感想をオトナの演奏家である中島さんのと比べるのも失礼なのですが、とても思い当たるところがあるのでご感想にコメントさせていただくのをお許しください。

 

「ブラームスの第1、4番は、刺激が少なくて退屈でした」

僕は初めて聴いたブラームス(ワルターの1番のLP)が刺激がなくて退屈で、何の記憶もありません。ということで数年は放り出して聴いていません。

「モーツァルト第36番リンツはよくわからない」

僕はモーツァルトは全部わかりませんでした。刺激の無さはブラームス以上で、女の子が嫁入り用に練習するピアノの曲を作った人程度に思っていました。

「マーラーは、第6、7,9番全部、曲が長く80分以上で根気がついてゆきませんでした」

マーラーは名前も知らず、冒険心で買った3番のLPは1枚目の1~2面で挫折し、最後まで聴いたことはありませんでした。

「ムソルグスキー展覧会の絵も、ミュージカル的印象でした」

僕もこの手のカラフルな曲にはわりと違和感なく親しみました。

「シューベルトの未完成は、第2楽章で終わっている理由を、東さんのブログでみるとあまり劇的でないので残念ですが、弦のいい音が耳に残っています」

僕は未完成が苦手で2楽章ももたずに寝てました。なぜ聴くことになったかというと、不幸にも当時のLPは「運命・未完成」の組み合わせが定番だったからで、僕にはどうもポップスのEP盤のイメージから「B面の曲」という先入観もあったかも知れません。この曲が完成してるかどうかストーリーを知る以前に、こっちの耳が未完成でした。

「バッハの平均律クラヴィーア曲集をジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが弾いたのを聴きましたが、まじめな演奏で退屈でした」

僕はバッハはお葬式の音楽家ぐらいに思っていました。「平均律」はピアノの旧約聖書だときき勇んでチャレンジしましたが3~4曲目であえなく座礁。LPを最後までガマンして聴いたのは数年後でしたが、ほぼ苦行に近く、レコードはそこからまた数年はほこりをかぶることになりました。

「3分間音楽愛好家の私にとっては、最初の10秒はその曲の評価を決めるポイントです」

いや、よくわかります。僕は「コード進行」と「曲の終わりかた」でした。しかしこういうのは誰も公言しませんが普通の入り方だと思います。いきなりベートーベンに感動したなどというのはどうも、少なくとも僕はあまり信じられません。中には初めてなにかクラシックを聴いて「感動で涙が止まらなかった」という人もいっらしゃるでしょう。最後まで聴かれただけでも尊敬しますが、例えばキリスト教徒のかたがバッハのマタイ受難曲に接すればそういうことは充分にあると思います。しかし宗教でもストーリーでもなく音響から入る非文学的な僕のような輩がいきなり「未完成」で涙を流すのは今日からキリスト教に改宗するぐらい至難の業です。ストーリーに音楽がついているオペラでさえ「こんな太ったミミがどうして死ぬんだろう?」などと現実に帰ってしまい、結局は音しか聴いていないことが多いぐらいですから僕は基本的にオペラも苦手ということなのでしょう。

中島さん、僕も3分間音楽愛好家だったのです。

その証拠に昨年の9月16日、SMC開始早々に書いた僕の「クラシックとベンチャーズ」というブログを再録いたします(すこし手を加えています)。

 

・・・・

 

クラシックというと堅い、退屈、長い、近寄りがたいという人が多く、ポジティブなイメージは癒し、知的、高尚だそうです。日本では音楽市場の10%ぐらいあるそうですが交響曲、オペラのような長い曲を家で真剣に聴くような愛好家は総人口の1パーセントという説もあります。いずれにしても、相当マイナーな存在であることは間違いありません。もったいないことです。

V_ep02_thumb_1V_ep06_thumb_1                僕は小学校時代にザ・ベンチャーズの強烈な洗礼を受けました。いわゆるテケテケテケです。寝ても覚めてもベンチャーズ。歩きながらもベンチャーズ。ノーキー・エドワーズのマネをしてギターを弾き、本を並べてバチでたたいてメル・テーラーの気持ちになっていました。キャラヴァンという曲があります。メルのドラムスとドン・ウイルソンのサイドギターの刻みが絶妙にシンクロ。それに乗ってドライブするめちゃくちゃカッコいいノーキーのリードギター。難しいリズムのドラムソロ。レコードがだめになるまで聴きました。

51NJBE0YVJL__SL500_AA300_                      そこに立ち現われたのがこの人たちです。ジョンとポールのハモリとノリ。何を言ってるかわからないがなにやらカッコいい英語。女の子の失神。ベンチャーズにない刺激的なコード進行。ポールのものすごいベース。いやーこれはすごい。完全にハマりかけました。そのまま行けば僕はたぶんロックバンド路線に進んでいたと思います。音楽の時間にあの曲を聞かなければ・・・・。

 

千代田区立一ツ橋中学校。われわれ悪ガキがポール・モーリヤとあだ名していた音楽教師、森谷(もりや)先生が「今日は鑑賞です」と言ってレコードをかけてくれました。それはモソモソとはじまる退屈きわまりない曲でした。そもそもクラシックは聴いてる奴らのナンパで気取った感じが大嫌いな野球少年の僕でした。まあ昼寝にいいか。実は小学校時代に同じシチュエーションで教室の窓から脱走し、母が担任に呼び出しを食らった前科のある僕は、それを思いだしました。

61tD8K3CxeL__SL500_AA280_すると、ちょっとキレイでグッとくるメロディーが出てくるではありませんか。へー、割といいな。仕方ねえ、ちょっとだけ聴いてやるか。まさにその時です。そのメロディーが突然違うコードにぶっ飛んだのは。脳天に衝撃が走りました。ベンチャーズにもビートルズにもない新体験。これは何なんだ?

その曲はボロディンの「中央アジアの草原にて」です。その個所は105小節目、ハ長調のメロディー(注)が3度あがって変ホ長調に転調するところです。演奏は「ジャン・フルネ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団」とノートにしっかり書き込みました。よほどの衝撃だったのだと思います(想像ですが、この写真のレコードだったのかなあ・・・)。

この経験が僕をクラシックに引きずりこみました。この曲が欲しいと言うと、父はこれが入った名曲集のLPを買ってくれ、そこに一緒に入っていたワーグナー、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、グノーも気に入ってしまったからです。

ただ、今でも僕はビートルズ信者です。カーペンターズ、ユーミン、山下達郎などもコード進行が好きで、今もときどき聴いています。コード進行がいいものというのがおおまかな僕の基準ですが、中でも荒井由美だったころのユーミンはとても好きでした。

さて、ベンチャーズです。京都の雨なんていうしょうもないものをやりだした頃から一気に堕落しました。それでも初期のあのダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人(テケテケテケの音色が全部違う!)、ウォーク・ドント・ラン、ブルドッグ、アパッチ、テルスター、夢のマリナー号、クルエル・シー、パーフィディアなどなど永遠に色あせることはありません。カッコいい。美しい。

V_ep03_thumb_1

 

しかし、それにもまして、あのキャラヴァン(左)なんです、僕には。冒頭のシンバルの一撃で金縛りです。腹にズンと響く中音と低音のタム。土俗的なリズム。究極のアレグロ・コン・ブリオ。完璧に4つの楽器がバランスされた録音。もう芸術としか呼びようがありません。このクオリティの高さはいったい何だったんでしょうか?

 

・・・・

borodinn1(後記)

右の写真はボロディンの「中央アジアの草原にて」のピアノ編曲版の表紙です。絵をよく見ると、この曲も「キャラヴァン」だったんですね。キャラヴァンつながりで僕はベンチャーズからクラシックへ旅したわけで、不思議な気分がいたします。

 

 

 

 

 

 

ベンチャーズとクラシック

2012 SEP 16 4:04:18 am by 東 賢太郎

クラシックというと堅い、退屈、長い、近寄りがたいという人が多く、ポジティブなイメージは癒し、知的、高尚だそうです。日本では音楽市場の10%ぐらいあるそうですが交響曲、オペラのような長い曲を家で真剣に聴くような愛好家は総人口の1パーセントという説もあります。いずれにしても、相当マイナーな存在であることは間違いありません。もったいないことです。

僕は小学校時代にザ・ベンチャーズの強烈な洗礼を受けました。いわゆるテケテケテケです。寝ても覚めてもベンチャーズ。歩きながらもベンチャーズ。ノーキー・エドワーズのマネをしてギターを弾き、本を並べてバチでたたいてメル・テーラーの気持ちになっていました。キャラバンという曲があります。メルのドラムスとドン・ウイルソンのサイドギターの刻みが絶妙にシンクロ。それに乗ってドライブするめちゃくちゃカッコいいノーキーのリードギター。難しいリズムのドラムソロ。レコードがだめになるまで聴きました。

そこに立ち現われたのがビートルズです。ジョンとポールのハモリとノリ。何を言ってるかわからないがなにやらカッコいい英語。女の子の失神。ベンチャーズにない刺激的なコード進行。ポールのものすごいベース。いやーこれはすごい。完全にハマりかけました。そのまま行けば僕はたぶんロックバンド路線に進んでいたと思います。音楽の時間にあの曲を聞かなければ・・・・。

千代田区立一ツ橋中学校。われわれ悪ガキがポール・モーリヤとあだ名していた音楽教師、まじめな森谷(もりや)先生が「今日は鑑賞です」と言ってレコードをかけました。それはモソモソとはじまる退屈きわまりない曲でした。クラシックは聴いてる奴らの感じが大嫌いで、無縁と思っていた僕でした。まあ昼寝にいいか。実は小学校時代に同じシチュエーションで教室の窓から脱走し、母が担任に呼び出しを食らった前科のある僕は、ふとそれを思いだしました。

すると、ちょっとキレイでグッとくるメロディーが出てくるではありませんか。へー、割といいな。仕方ねえ、ちょっとだけ聴いてやるか。まさにその時です。そのメロディーが突然違うコードにぶっ飛んだのは。脳天に衝撃が走りました。ベンチャーズにもビートルズにもない新体験。これは何なんだ?

その曲はボロディンの「中央アジアの草原にて」です。その個所は105小節目、ハ長調のメロディー(注)が3度あがって変ホ長調に転調するところです(こういうのを転調と言います。これからこのように何長調とか何短調とか書くことがありますが、わからなければ無視してください。耳で楽しむためにはどうでもいいです。ただ興味のある方は知りたいと思うので書くことにします)。

(注)このメロディーに似たのがストビンスキーの火の鳥の終曲にも出てきます。ロシア民謡です。なんとも懐かしく平和な感じがします。どっちもホルンが吹きますね。牧歌的なホルンが似合うのです。ベートーベンの田園交響曲。嵐が去って終楽章に入るとまずクラリネット、そしてやっぱりホルンが牧歌的な雰囲気を醸しだします。ボロディンのそこもクラリネット、ホルンの順番です。

この経験が僕をクラシックに引きずりこみました。この曲が入ったレコードとして父が名曲集のLPを買ってくれ、そこに一緒に入っていたワーグナー、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウスも気に入ってしまったからです。

ただ、今でも僕はビートルズ信者です。カーペンターズ、ユーミン、山下達郎などもコード進行が大好きで、ときどき聴いています。往年の歌謡曲やJ-ポップにも名曲と思うものがいくつもあります(コード進行がいいものというのが僕の基準ですが、これは単に僕の好みです)。

さて、ベンチャーズです。京都の雨なんていうしょうもないものをやりだした頃から一気に堕落しました。芸者ワルツなんてやりだすんじゃないか、冷や冷やしたほどの様変わり。ライブのCDもどっかの素人コピーバンドじゃないかという微笑ましい出来。まあそこにいたファンは楽しいんでしょうが・・・。

それでも初期のあのダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人(テケテケテケの音色が全部違う!)、ウォーク・ドント・ラン、ブルドッグ、アパッチ、テルスター、夢のマリナー号、クルエル・シー、パーフィディアなどなど永遠に色あせることはありません。カッコいい。美しい。

しかし、それにもまして、あのキャラバンなんです、僕には。冒頭のシンバルの一撃で金縛りです。腹にズンと響く中音と低音のタム。土俗的なリズム。究極のアレグロ・コン・ブリオ。完璧に4つの楽器がバランスされた録音。もう芸術としか呼びようがありません。このクオリティの高さはいったい何だったんでしょうか?

クラシック徒然草-僕の音楽史-

2012 SEP 14 14:14:33 pm by 東 賢太郎

僕の一番古い記憶は、親父のSPレコードを庭石に落として割ってしまったことです。2歳だったようです。中から新聞紙 ? が出てきたのを覚えています。ぐるぐる回るレコードが大好きでした。溝の中に小さな人がはいっていて音を出していると思っていました。

これが昂じたのか、僕はクラシック音楽にハマった人生を歩むこととなりました。作曲や演奏の才がないことは後で悟りましたから聴くだけです。就職した証券会社では、大阪の社員寮に送ったはずの1000枚以上のLPレコードが誤って支店に配送されてしまい、入社早々大騒ぎになったこともありました。

転勤族だったので国内外で24回も引っ越しをしました。そのたびにLP、テープと5000枚以上あるCD、オーディオ、ピアノ、チェロ、楽譜がいつも我が家の荷物の半分以上でした。この分量はクラシックが僕の57年の人生に占めてきた重みの分量も示しているようです。

僕がお世話になった証券業界では僕は変り種でしょう。この業界は オペラのスポンサーはしても社員オーケストラをもつような風土とはもっとも遠い世界の一つです。それでも僕が楽しくやってこれたのはひとえに海外族だったからです。アメリカ、イギリス、ドイツ、スイスに駐在した13年半に、僕はもう2度と考えられないほどの濃くて深い音楽体験をさせてもらいました。

そういうとやれ「カラヤンを聴いた」「バイロイトへ行った」という手の話に思われそうですが、そうではありません。僕はそういうことにあまり関心がなく、書かれた音符のほうに関心がある人間です。たとえば、同じ夜空の月を見て「美しい」とめでるタイプの人と「あれは物体だ」と見るタイプの人がいます。僕は完全に後者のほうです。文学でなく数学のほうが好き。文系なのに古文漢文チンプンカンプンというタイプでした。

高校時代はストラビンスキーの春の祭典、バルトークの弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽(通称、弦チェレ)みたいなものにはまっていました。特に春の祭典は高2のころ1万円の大枚をはたいてスコア(オーケストラ総譜)を買い、穴のあくほど眺めました。この曲は実に不思議な呪術的な音響に満ちていて、それがどういう和音なのか楽器の重ね方なのかリズムなのか、全部を自分で解析しないと気がすまなかったのです。

弦チェレの方は、第3楽章です。ちょっとお化けでも出そうなムードですね。フリッツ・ライナーの指揮するレコードで、チェレスタが入ってくる部分。この世のものとは思えない玄妙かつ宇宙的な音響。なぜかこの演奏だけなんですが。敬愛するピエール・ブーレーズも含めてほかのは全部だめです。これもスコアの解析対象となります。

時が流れて、僕はフランクフルトに住みました。その家はメンデルスゾーンのお姉さん(ファニー)の家の隣り村にありました。そう知っていたわけではなく、たまたま住んだらそうだったのですが。彼はそこでホ短調のバイオリン協奏曲を書きました。あの丘陵地の空気、特に彼がそれを書いた夏の空気をすって生きていると、どうしてああいう第2楽章ができたのかわかる感じがします。あそこを避暑地に選んだ彼と、その場所が何となく気に入った僕の魂が深いところで交感して体にジーンと沁みてくるような感覚。うまく言えませんが、かつてそんなことを味わったことはなかったのです。

こういう感覚は、大好きで毎週末行っていたヴイ―スバーデンという町でもありました。ブラームスの交響曲第3番です。もういいおっさんだった彼はここに住んでいた若い女性歌手に恋してしまい、ここでこの曲を書きました。彼としては異例に甘めの第3楽章はその賜物でしょうが、むしろそれ以外の部分でもこの町の雰囲気と曲調が不思議と同じ霊感を感じさせるのです。この交響曲はこのヴイ―スバーデンとマインツの間を流れるライン川にも深く関係しています。

シューマンの交響曲第3番とワーグナーのニュルンベルグの名歌手第1幕への前奏曲。この2曲はそのライン川そのものです。すみません。どういう意味かというのは行って見て感じてもらうしかありません。このシューマンの名作は後世にライン交響曲と呼ばれるようになりました。シンフォニーのあだ名ピッタリ賞コンテストがあったらダントツ1位がこれです。

名歌手は全部ライン川で書かれたわけではありません。でもあのハ長調の輝かしい前奏曲はヴイ―スバーデン・ビープリヒというライン川べりで書かれたのです。ワーグナーの家は水面にちかく、滔々と悠々と流れるラインが自分の庭になったような錯覚すらあります。太陽がまぶしい秋の朝、目覚めて窓を開けると眼前に滔々と流れるライン川、そこにバスの効いたあの曲が流れる。僕の理想の光景です。

こういう経験をして、僕はだんだんとお月様を見て「美しい」と思う感性も身についてきました。物体だ、という感性が消えたわけではなく、少しはバランスのとれた大人のリスナーに成長できたということでしょうか。基本的にはロマンチストなので、ボエームやカルメンを涙なしに聴き終えたことはないし、ラフマニノフの第2交響曲を甘ったるい駄作だなどとは全く思いません。

しかしメンデルスゾーンのジーンとした感じは、涙が出るとか甘いとかそういう次元の話ではありません。泣くというのは作曲家が仕掛けた作戦にまんまとはまっているということです。そうではなく、作曲家がそういう作戦を練る前の舞台裏で、一緒に昼飯を食ったというイメージなのです。どうも話が霊媒師みたいになってきました。

ところで今、心を奪われているのがラヴェルです。音楽を書く手管、仕掛けのうまさという意味でこの人は最右翼です。もちろん、どの作曲家も聴き手を感動させようと苦労し、手練手管を尽くしています。そうでないように思われているモーツァルトの手管はパリ交響曲について書いた彼の手紙に残っています。しかしラヴェルはその中でも別格。うまいというより、彼は手管だけでできたみたいなボレロという曲も書いています。もうマジシャンですね。ドビッシーと比べて、そういう側面を低く見る人もいます。

僕も、そうかもしれないと思いながら、聴くたびに手管にはまっているわけです。ダフニスとクロエ。このバレエ音楽の一番有名な「夜明け」を聴いて下さい。僕は2度ほどギリシャを旅行してます。あのコバルトブルーの海に日が昇るような情景をこれほど見事に喚起する例はありません。音楽による情景描写というのはよくあります。しかしこれを聴いてしまうと他の作品は風呂屋のペンキ絵みたいに思えてしまいます。そのぐらいすごい。手管だろうがペテンだろうが、この域に達すると文句のつけようもないのです。

僕のラヴェル好きは高校時代にはじまります。春の祭典と同じ感覚で。両手の方のコンチェルトの第2楽章、ピアノのモノローグを弾くのは今でも人生の最大の喜びの一つです。もう和音が最高。ダフニスと同じコード連結が出てくる夜のガスパール第1曲も(これは弾けません)。バルビゾンの小路に似合う弦楽四重奏の第1楽章。僕にとって、ヨーロッパの最高度の洗練とはラヴェルの音楽なのです。

あれもいいこれもいい。 50年も聴いてくるとこうなってしまうのです。しかし50年たっても良さがわからない有名曲もたくさんあります。最後は好みです。もう今さらですから、ご縁がなかったとあきらめることにします。好きな曲は何曲あるか知りませんが100はないと思います。50-60ぐらいでしょうか。

これから、時間はかかりますが、1曲1曲、愛情をこめて、なぜ好きか、どこが好きかを書いていきます。これは僕という人間のIDであり、作曲家たちへの心からの尊敬と感謝のしるしです。読んで聴いて、その曲を好きになる方が1人でもいれば、僕は宣教師の役目を果たしたことになります。聴かずして死んだらもったいないよという曲ばかりです。必ずみなさんの人生豊かにしてみせます。ぜひお読みください!

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

木ノ内輝
松上一平
福井利佐