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クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

2016 SEP 10 0:00:57 am by 東 賢太郎

うろ覚えだが、メジャーに行きたての頃のダルビッシュ有がこんなことを愚痴ってた気がする。

「みんなでっかいんすよ。筋トレでバーベルふーふーいってあげてると、なんにも考えてない奴が隣に来てひょいっと持ち上げて帰っちゃう。このやろーと思いましたね(笑)。」

ロッシーニのセヴィリアの理髪師をきいて「キミはブッフアに専念したほうがいいよ」とほめたベートーベンは、実はダルビッシュの心境だったのではないか。

「あんな何も考えてないお気楽な奴がどうしてこの俺より客が入るんだ、このやろー」。「ブッファで食ってくれよな、それだけは俺は書かねえからさ」。

rossini_01ロッシーニは自作をお気軽に使いまわしたり同じメロディーをコピペしたり。理系的細部執着型のベートーベンからすると信じ難いおおらかな文系ぶりだったに違いなく、敬意を表しつつもどこか、ダルビッシュいわゆる「何も考えてないでかい奴」に見えたんじゃないか。でも、くやしいがメジャーリーガーだ。くだらない曲だが湯水のように流れ出る凄い才能だ。なにせ当時のウイーンではベートーベンが嫉妬するほどの売れっ子ぶりだつたのだから。

彼のオペラは39もある。そのスコアを筆写するだけで何十年もかかりそうだ。ヒット作を連発し、それで一生食えるほど大金持ちになった。37才で最後の「ウィリアム・テル」を書いてキャリアの絶頂となったらさっさと作曲家を廃業し、パリで会員制レストラン「グルメのための天国」を作ってオーナー経営者となってしまったのだ。

実に痛快な話だ。それが彼の念願、天職であったということのように見える。そういう表面的な理解のなかでこのエピソードは、彼の音楽を詳しく知らない人、むしろグルメ系の人々のうんちく話としてつとに有名になっている。

しかし音楽をよく知っている人はそれを本気で信じていない。というよりも、彼の音楽を知れば知るほど、どうしても信じられなくなってくるのである。

彼はハイドンの「天地創造」、モーツァルトの「フィガロ」「魔笛」のスコアを借りてきて全部写譜したが、当時は楽譜が簡単には手に入らなかったからそれは珍しくはない。興味深いのは、彼は最初は歌のパートだけ写し、それにまず自分でオケの伴奏を書き、「正解」と見比べてからそれを書き込むというまるで受験勉強のような学習をしていることだ。

その果実が彼の異例のアウトプット速度になったが、実はモーツァルトの学習プロセスもそれと似たものだと思われる。そこまで過程が明示されていないのは親父という有能な家庭教師が常に隣にいたからだが、成人してからのバッハ、ヘンデルのスコアの学習はそれに近かったと考えられる。

受験勉強もおんなじだが、学習は誰もがする。差がつくのは試験会場での正確なアウトプット速度と言って過言ではない。ドン・ジョバンニの序曲を一晩で書いたといわれるモーツァルトの作曲の速度は異例であったが、ロッシーニも負けていないことはとても重要である。

モーツァルトの音楽は、性格的にまったく異質の人間であるベートーベンをもひれ伏させるものを持っていたが、おそらく性格はずっと近かったロッシーニが魅了されたのはまったく不思議ではない。

僕が彼を評価するのは、ベートーベンの同時代人であった彼が、作曲家のプロの眼で、ベートーベンを含む誰よりもモーツァルトを畏敬し、音楽の真実を見事に聴き取り、「フィガロ」の前編(セヴィリアの理髪師)まで書こうとしたことだ。モーツァルト・ファンの大先輩であることだ。

イタリア人の彼がまだ音楽では田舎だったドイツの声楽曲を筆写までして学ぶのは僕には奇異だ。イタリア人のサリエリが殺人犯に仕立て上げられてしまったのも、ウィーンではドイツ人は出世できずモーツァルトは差別されていたという見立てがあるからだ。

その作品をサリエリと同じイタリア人が参考書にして懸命に学んだというのはどうだろうか?そこに学ぶべき真実を見て取ったということと僕は解釈している。ドイツの音楽に憧れたわけではないだろう。もしそうならモーツァルトの後継者でまだ存命中だったベートーベンを筆写したか、うまくいけば弟子入りでもできただろう。

しかし彼はそうしなかった。会ってみて心が乱れたのはベートーベンの方だった。ノーベル物理学賞の学者が最年少で数学オリンピック金メダルの子に恐怖を感じ、キミは数学で行った方がいいよと言ったかのようなちょっと寂しい感じがしないだろうか。ロッシーニにそんな気はさらさらなく心配ご無用だったのだが、彼の才能はそのぐらい図抜けた水準だったということだ。

ロッシーニは晩年に革命後のパリに住んだ。彼の住居はオペラ座から最初の角を左折した次のブロックの左角の、今はカフェになっている建物の4階だ(わかりにくいがプレートが張ってある)。旧体制で人気者だった彼に新政府は冷たく、年金を切られて訴訟までしている。彼は幕藩体制の功労者に明治政府がしたような仕打ちを受けていたと思われる。

ナポレオンを支持し政治犯でつかまった男の息子である彼が政治に鈍感であったはずがない。多くの音楽愛好家もグルメ道の大家も、お金や政治には比較的疎い人が多いからそういう視点で見る人は少ない。だからモーツァルトのフィガロ事件は僕があれだけ書いても反論も反応もないし、ここでロッシーニの「お隠れ事件」の真相が革命後の政治環境に起因したと書いても同様のことになろう。

私見では、彼はアンシャン・レジームのスターが生きていく環境の限界点を知ったのだと思う。市民階級の音楽趣味がやがて変わることも。その新しい世で人気取りをしながら憧れのモーツァルトを希求することは矛盾なのだ。とすると今の人気がピークになろう。やめるなら今だ、ということだったのではないか。

二人のちがいは、モーツァルトが死ぬまで本業で闘争したのに対し、ロッシーニはそこから本業にしたっていいもう一つの道を持っていたということだ。まあ第一の人生は捨てちゃってもいいや、どうせ怠け者のオレなんだし、第二の人生はグルメ道で行っちまおう。

勝ち組だった男にはなかなかできるものではない。何というカッコいい人生だろう!

先日のブログにRookさんからいただいたコメントにこうあった。

「ビジネスに邁進してきた後、自己実現をどのようにするかは難題ですね」

これは宮仕えをしてきてそろそろ定年という僕らの世代は避けて通れない、まさしく難題である。どうやってプライドを保つのか(少なくとも女房の手前ぐらいは)、そしてもっと切実には、どうやって余生を楽しむかだ。

ロッシーニは見事だ。

彼は稀代のワイン通でもあり、ロスチャイルド家からシャンペンの目利きを依頼された。創作料理はフレンチの「**ロッシーニ風」として名を残している。トリュフとフォアグラを使った牛のフィレ肉料理がその名を冠す条件である。トリュフへのこだわりは掘り当てる豚を飼育していたほどだが、彼のこの名言でもわかる。

トリュフはきのこのモーツァルトである

なんとすばらしい。合点がいく。そしてこの言葉も最高だ。

私は今までに二度泣いたことがある。最初はパガニーニを聴いた時。二度目は船遊びの折にピエモント産のトリュフが詰まった七面鳥が船から落っこちてしまった時だ

このユーモアのセンスは日本人的ではないが、僕はこういう笑いのテーストが大好きだ。ベートーベンの口から出ることはおよそ想像もできないが、モーツァルトは少なくともこれを笑える男だった気がする。

「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」をどう言おうと勝手だが、マカロニ料理の調理法について私に意見できる者はいない

すごい。圧巻である。座布団10枚級の至言としか評しようもない。その辺の料理自慢のオヤジの戯言(ざれごと)ではない。自分の考案したマカロニ調理を皇帝ナポレオン3世に食べさせるようテュイルリー宮殿の給仕長に命じた男の言葉だ、う~ん参りました。

しかし、彼のプライドと愛情の注ぎ方がマカロニ以下であった可哀想なオペラ作品たちは、なんとあのワーグナーの憧れのまとだったのだ。なんということだ。

家にやって来たワーグナーが楽劇における歌劇場のありかたについて熱弁をふるうと、ロッシーニがちょっとごめんとしばし席を立ってしまう。また熱弁。またちょっとごめん・・・「先生どちらへ行かれてるんですか?」「うん、なに、隣の部屋で鹿肉を焼いていてね、ときどきタレをかけんとうまく焼けんのだよ。ところでキミ、どこまで聞いたっけ?」

こんな奴に本業の作曲で負けたら末代の恥だ。おいキミ、わかってる?おれ、ベートーベンだよ。交響曲とかカルテットなんか間違っても書くなよ。キミには向いてないからな。ブッファだブッファ。それこそ君が輝くジャンルだぞ。

そうだ。まったくもって正しい。彼のブッファは本当に輝かしい。ジュネーヴ歌劇場で見た「アルジェのイタリア女」、21才の時に18日(!)で書き上げたオペラ・ブッファは笑いころげる面白さだった。しかしこの曲の合唱などにはコシ・ファン・トゥッテが聴こえたりするのだ。

この動画は私事ながら僕が家内と2年間通ったフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでの演奏。ここがフィラデルフィア管弦楽団の定期演奏会の本拠地だった。このピットはオペラ・カンパニーのオケで、首席チェリストのお姉さんに1年習ったっけ。お世話になりました。

 

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

 

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