エッフェル塔の花嫁花婿(フランス五人組)
2023 SEP 10 9:09:16 am by 東 賢太郎
自分でもおかしいと思うが、僕は知らない土地でなんとなく「気」に呼ばれてると感じたことがある。二日酔いだったのではない。心のどこかに潜む深層心理に訴えがあったように思えるがそれは姿でも音でもなく、声や言葉でもない。あくまでふわっとした「感じ」だからこうして文字にするなり雪の結晶みたいに消え、ホントだったかどうか自信がなくなる。
理性でそいつを追っかけると出てくるのはフロイトで、ありきたりの夢の話で片づけられそうになる。妙な夢を見る。起きてすぐ机に向かって日記に書きなぐっているが、それでも数日で忘れてる。深層心理はあってなきものに思える。それをありのままに詩やら文学やら絵やらにするアートが超現実主義(シュルレアリスム)ということになったのが両大戦間あたりだ。でも僕が安土、佐賀、横浜そしてパリ、ローマで白昼に感じたのは夢ではない。
神秘体験と書くと大袈裟だが、そう思ってるのは僕の理性だからそこを無色にしようと提唱者のアンドレ・ブルトンは自動記述式(オートマティスム)を言いだしたかもしれない。彼は音楽をシュルレアリスムのディメンションにはないと排斥したが、そんなことをしなくても音楽には現実という次元がないから「超」えるものがない。あえて認めるなら「複」だろう。
スウェーデン・バレエ団からパリ公演の新しい催し物を依頼された作家のジャン・コクトーがフランス6人組に協力を求めて1921年に作曲が開始されたのがエッフェル塔の花嫁花婿(Les Mariés de la Tour Eiffel)である。デュレが不在のため下記5人の合作となりシャンゼリゼ劇場で初演された。
ジョルジュ・オーリック
ダリウス・ミヨー
フランシス・プーランク
アルテュール・オネゲル
ジェルメーヌ・タイユフェール
台本は誠に荒唐無稽。劇は舞台の両脇にいる狂言回し(ひとりがコクトー)のセリフと音楽で進む。エッフェル塔の一階のテラスの結婚式。将軍が尊大にゼスチャーだけのスピーチを始める。写真屋が「皆さん、カメラから小鳥が出ますよ」と言うたびに次々とダチョウ、自転車乗り、水着の女性、子供、旅客、ライオン、電信オペレーター(エッフェル塔の恰好の女性)が登場する。ライオンが机の下に隠れた将軍を襲って食べてしまい舞台はドタバタになり、参列者は町の雑踏の中に消えていく。wikipediaを訳してはみたがよくわからない。コクトーのコメントによると古典悲劇に現代のダンス・歌・時事風刺を交えた軽喜劇のようなものを意図したようだ。僕が思い出すのはビートルズの「マジカル・ミステリーツアー」なのだが。
想像だが、コクトーはシュールな劇の筋書き(悲劇に荒唐無稽のドタバタを重ねる)に曲を付帯させることで、アンドレ・ブルトンが否定したシュルレアリスムへの音楽の浸食を画策したのではないだろうか。これがその音楽である。
1.Ouverture (Georges Auric) 00:00
2.Marche Nuptiale (Darius Milhaud) 02:28
3.Discours du Général (Francis Poulenc) 04:25
4.La Baigneuse de Trouville (Francis Poulenc)05:11
5.Fugue du Massacre (Darius Milhaud) 07:14
6.Valse des Dépêches (Germaine Tailleferre) 09:00
7.Marche Funèbre (Arthur Honegger) 11:34
8.Quadrille (Germaine Tailleferre) 15:20
9.Ritournelles (Georges Auric) 18:24
10.Sortie de la Noce (Darius Milhaud) 20:26
第2,5曲でミヨーが示す複調は相いれない調性が並行して進行するが、これが古典悲劇と現代軽喜劇が並行する物語を象徴する統合されたコンセプトと見ていいだろう。ミヨーの複調はこの曲のためばかりではなく彼のトレードマークではあるが、オーリックの第1,9曲タイユフェールの第6,8曲にも現れ、プーランクとオネゲルは他の3人ほど明確ではないが複調とも取れる部分があるからである。
複調(bitonal)と多調(polytonal)は紛らわしいが、前者はbiが2つで後者はpolyが複数(2以上)というだけだ(ミヨーはどちらもある)。不協和音を発生させるので聞きなれないと苦しいが、各々の調で和声または旋法の力学が働く音楽であり、縦に不協和だが横には12音技法の各音の平等性はない。ミヨーの室内交響曲第2番をお聴きいただきたい。
この音楽を僕が美しいと思うのはペトルーシュカのハ長調と嬰ハ長調の複調から耳をじっくり作ってきたからだ。「クラシックは誰でもわかりますよ」といえば簡単に優しい人にはなれるが害もある。そう思わなければ「誰でも」の一員でないですよと、実は酷なことを言ってもいるからだ。関東人が鮒ずしを、関西人が納豆をおいしいと感じるには一応の経験がいる、それに似ている。僕は子供のころトロとカボチャがだめで、それはなんとか克服したがいまだにハモとゴーヤは苦手だ。そういうものは、それこそ誰にもある。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
フォーレ ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115
2019 NOV 5 1:01:29 am by 東 賢太郎
今年は少々落ち着いた気持ちで秋を迎えられるのは、自然体でのスタンスで仕事が板についてきたからだ。これまでは日本シリーズが終わってしまうと「野球ロス」で空しかったがそれもない。
5年前の10月にこういう物を書いた。
いまはこう思う。秋にふさわしいって、まさにフォーレじゃないか。
ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はその真価が最も高位にある少数の作曲家に属し、かつ、そのことが最も知られていないひとりに属し、母国を除くなら、彼があるべき評価を得ている国はイギリスのみである。僕はロンドン滞在時代に頻繁に演奏会に同行した、顧客であり友人でもあった紳士にそう教わった。
プライド高い英国人の身贔屓を割り引いても、今でもそうかもしれないと思う。ドイツ系の演奏家がベルリオーズ、サン・サーンス、フランク、ドビッシー、ラヴェルを手掛けることはあってもフォーレは少ない。それは彼に交響曲や大規模な管弦楽作品がなく、劇場向きの音楽よりも歌曲、室内楽、ピアノ曲に多作であることと関係があり、ともするとサロン音楽家のイメージに矮小化される愚に陥ってしまう。さらにオルガニストとして出発した彼の作曲法は、ショパン、モーツァルト、ワーグナー、シューマンの影響を経て初期にはシシリエンヌやパヴァーヌなどロマンティックで滋味あふれる旋律を持つ小品を生み出しているものの、中期以降はモノクロの音調で多様な転調を見せる内省的な作品が増える。
我々はドビッシー、ラヴェルによってフランス近代音楽の幕が開いたという認識を持っており、それに「印象派」という本質とずれのある絵画史の概念を “誤って” 援用し、「印象派以前、以後」というステレオタイプな区分けをしているのである。それゆえに、”ドビッシー以前” と認識されているフォーレは19世紀フランスの古典的なロマン派の残滓を残した時代遅れの保守派というあいまいで確固としない場所に置かれることとなり、”誤りの 印象派に eclipse される” 結果となっていることが過小評価の原因の一つだ。
印象派絵画が光と色彩の芸術であるとするなら、フォーレの後期の作品は印象派と呼ばれて不思議でない。ただし、ここで特記すべきことは、フォーレは楽器の音色による効果を音楽の重要な要素と考えていなかったことだ。ケクランらに自作のオーケストレーションを任せたことでわかる。楽器法は単なる自己満足か、作品に創造性のないことを隠すためのものと考えていたフォーレは、パリ音楽院の生徒にグロッケンシュピール、チェレスタ、木琴、鐘、電子楽器の使用を控えるよう指導していた。我々が印象派とイメージするドビッシー、ラヴェルの色彩(colour) を感じさせる管弦楽とは遠い感性の人であり、これが“誤りの 印象派に eclipse される” 原因となっている。
ではフォーレは「光と色彩の芸術」を何によって表現したのだろうか?それは和声だ。彼は師であったグスタフ・ルフェーブルの著書「和声法」(1889)に則って、従来は不協和音とされていた和音や解決しない非和声音による光と影の彩色法を使うことで、誰とも異なる音楽語法を開拓したのである。初期の曲は主調が明確だが後期に至ると頻出する転調によって複数の主調があるかのようになる。ただそれは多くがエンハーモニック(同名異音)を基点としたような内声部からの転調で、延々と続くメロディの起承転結をぼかしてしまう意外さはあるが他の作曲家が用いるように劇的ではなく、屋外での陽光の移ろいのような朧なものだ。それをフォーレは音色より重視した。
「高級な」という日本語はあいまいだが、英語ならhigh-grade、sophisticatedとなる形容詞を音楽につけるとすると、僕にとってフォーレの後期の曲はそれだ。高級であるにはいくつか要件があって、美しいのは当然として、犯し難い気品、そして何より、難攻不落な謎が背後に感じられなくてはいけない。すぐお里が知れるのはチープなビューティーであってすぐ飽きる。高級な宝石は組成の理由も知れぬ不可解な色と光彩の美を発散するし、高級な料理や菓子はレシピや製法がネットで知れ回るようではいけない。そこに理屈は存在しないが、人はそういうものにgrade、sophisticationを感じるようにできている。そして、そのことは僕においては音楽の謎がスコアを見て解決してしまう程度ではいけないということになる。
そう考えると、楽器法が謎かけをする体(てい)の音楽を下に見て、音楽の本質に深く関わる和声で色と光彩を思考していたフォーレのスタンスはもっともである。アーロン・コープランドがフォーレをフランスのブラームスと評したのは、その高級感のあり方が和声に根ざす点では同意だが、フォーレはより比重が大きい。ピアノ五重奏曲第2番ハ短調作品115の第3楽章(以下、Mov3)の、秋の夕暮れの陽光が森の木々の陰影を織りなしながら時々刻々と移ろってゆくような玄妙な和声の揺らぎは他の音楽から聴いたことのない驚くべきものだ。楽器5つのスコアはいたってシンプルに見えるが、すぐ現れる転調、というか、調性が変わったという事なのかそれが本来のメロディーであったのかわからないような揺らぎという物に幻惑され、夢の中のような蠱惑的な謎の迷路をたどり、長いコラール風主題による宗教的な安息に到達する。
Mov2は目にもとまらぬアレグロ・ヴィヴォで、主調は変ホ長調であるがのっけからラが♮に変位して調性がわからないまま謎の疾走となる。ショパンのソナタ2番の終楽章を想起するが、2番目の楽章に不意にこれが襲って来る謎のインパクトは計り知れない。Mov3に比肩する和声の迷宮がMov1である。この楽章の素晴らしさは和声だけではなく、構造面にもある。3つある素晴らしい主題のどれが第2主題かという詮索は些末でソナタ形式の3主題構造はモーツァルトにもいくつも例があるのでどうでもよく、ポイントは各主題が順次現れ展開する様で、フーガ風になり、音型が伸縮して小節線を越えて組み合わさり、再現してコーダに至る前に再度複雑に展開する重層構造を持っていることだ。その効果は圧倒的である。Mov4はピアノが前面に出て全曲をまとめる。この楽章だけは先行する3つの楽章の高級感にやや達しない観があるが、それでも立派なピアノ五重奏曲の締めくくりとして完璧な充足感をもたらしてはくれるものだ。
もうひとつ特徴を付け加えると、Mov3が四分の四拍子である以外は四分の三拍子で書かれている。拍節感は概して希薄で譜面を見ずにそう気がつくことは困難だが、フォーレはそれを変拍子で記譜することはない。この保守性と革新性の混在は、調性音楽の外観を保持しながらストラヴィンスキーやミヨーが試みたような複調ではない方法のまま既存の調性概念を超えたこととパラレルに感じられる。この驚くべき音楽はドビッシーが没した翌1919年に着手され21年に完成しており、マーラーの交響曲第10番(1910-11)の10年後に現れた。「月に憑かれたピエロ」(1912)、「春の祭典」(1913)、「中国の不思議な役人」(1919)、「ヴォツェック」(1921)と同期する空気の中で書かれ、和声音楽がトリスタンと異なる路程で行きつくことのできる別の惑星が存在することをドビッシー以外の人間が示したという意味で真に革新的なものだ。ショパンが作曲していた頃に生を受けた人間が書いた音楽として、それが20世紀の音楽への連続性を覗かせることを示す最後の作品であり、彼をドビッシーにeclipse される存在とする思い込みは誤りであることがわかる。これ自体が信じ難い音楽だが、難聴で、しかも高い音がより高く低い音がより低く聞こえるという病の中でこれを書いたフォーレの量り難い天才に最高の敬意を表して稿を閉じたい。
ギャビー・カサドシュ(pf)/ ギレ弦楽四重奏団
素晴らしい演奏。何がといって、5人の奏者が和声を完璧に “理解” して見事な音程で弾いていることがだ。フォーレが書きこんだMov1,3の音符の凄さをストレートに知覚させてくれる意味で他の演奏を圧倒しており、僕のような聞き手は耳に入ってくる音のいちいちに興奮をそそられる。プロだから当然?いえいえ、それがいかに困難かはyoutubeでご確認できる。Mov2におけるロベール・カサドシュ夫人のピアノも目覚ましく、もっと録音を残してほしかったとつくづく思う。録音が古くさく楽器音がヴィヴィッドに前面に出てくるのは好き好きだが、僕は表面的な美しさよりも音楽の本質的な美を味わいたい。
ジャン・フィリップ・コラール(pf)/ パレナン四重奏団
僕はこれで覚えた。決して悪くないが弦楽四重奏がやや後退したように聞こえるアコースティックで、非常に精妙に書かれたMov1、3の和声の味がギレ盤ほど聞こえない。ピアノ五重奏のバランスの難しさで実演はこっちに近いが、あまりこだわらずに平面的に楽器を並べたギレ盤が2Vn、Vaのうまさで引き立っているのは皮肉だ。コラールのピアノは上品、パレナンQはロマンティック寄りであり今となるとホールトーンの中で融け合うように綺麗に丸めた和声はMov3は少々ムード音楽に近い感じがしてしまい、フォーレが求めたのはこれではないだろうという気もする。全曲のまとまりは良い。
ローマ・フォーレ四重奏団
元イ・ムジチのコンサート・ミストレスだったピーナ・カルミレッリ率いる五重奏団。フランス系の演奏だと往々にしてわかりにくいメロディーラインが遅めのテンポでポルタメントがかかるほど切々と歌われるのが愛情の吐露だろうかとてもいい。いっぽうで和声の知的な理解も深く、近接した音程の内声の活かし方はそうでないとこうはならない。技術的に弱い部分もあるが、なぜかまた聴こうという気になる謎を含んだ演奏だ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
「Close to you」と「中央フリーウェイ」
2018 AUG 12 22:22:13 pm by 東 賢太郎
サラリーマンを辞めて8年たつとあの会社生活31年が人生の景色の中で、少し向こうにそびえる山のように遠目に見えてくる。登山しているその渦中では必死だったが、こうやって冷静に俯瞰してみると、僕は生涯を登山にささげようという仕事師でも職人でも奉公人でもなかった。それにしてはいい人生を送らせてもらったのだから、山はきっと本来よりも美しく見えているだろう。
小さいころ、自営業の叔父がフランス車に颯爽と乗ってバイオリンを弾いたりグルメしたりの、カッコいいシムカのおじちゃんだった。母の兄だが憧れていてそもそも就職したくなかったし東大に入ったのも上があると不愉快だからで目標があったわけではない。その延長で就職してしまったのだから、そういう人間が証券マンも兼業していたというのが正しい。
音楽は中学ごろから面白いものは何でも聞いたが70年代のリアルタイムのアメリカンポップスではカーペンターズが別格だった。ギター主流のポップスでカーペンターズほどピアノで忠実に再現できる音楽はない。ピアノはすべからく西洋音楽は弾ける万能楽器だが、エレキギターの新奇な音に依存度が高かったベンチャーズは弾いても面白くない。ビートルズが革命だったのは、不良のロックだったのが後期になって突然変異のごとくピアノで弾ける曲が出てきたからだと僕は思っている。
ちなみに僕の人生最初の楽器はウクレレだ。小学校の頃ベンチャーズを弾きたかったが、親父にとってはギターもウクレレもおんなじでそれしか買ってもらえなかった。ベンチャーズはどだい無理ですぐ飽きた。中学でついにギターを手に入れベンチャーズとビートルズは何でも弾けるようになったが、あとあとの音楽人生に絶大なインパクトがあったのは、それで耳コピ能力がついたことだ。
関心は好きな曲の「再現」にあった。人に聞かせようとか女にもてるネタにしようとかはなくて実験工房的に。だから耳コピが命で、それは要するに音を正確に記憶するということだ。世界は面白い音に満ちている。覚える。すると必然的に、ギターで弾けないものがあることに気がついてくる。それがクラシック音楽であり、物の道理としてギターはウクレレと同じ運命になり、次はピアノが常に身近にある楽器になった。
僕はジョンやポールもそうやってピアノにさわるようになったと想像している。そして、ジョージ・マーティンの影響で「ピアノで弾ける曲」がビートルズ作品に現れ、ステージで再現できない、つまりギターで弾けないアルバムに進化し解散後に後期と呼ばれるようになっていくのだ。彼ら自身、脳裏の音楽をリアル世界に再現するにはどうしてもピアノによるディメンションの広がりが必要だったと思う。
いっぽう、カーペンターズがピアノで弾ける、というか原曲の味わいを損なわずに鍵盤上で再現できるのは、それらが100%ピアノで作った音楽だからだ。リチャードはラプソディー・イン・ブルーが弾けるほどピアノがうまく、逆にロック的にはじけていないところが人気の限界でもあったわけだが。えっと思ったのはカレンがドラムだったこと。しかもそれがセンスに満ちている。Close to youのハイハット!こういう天性はヘタといわれたリンゴ・スターにもあったなあ。
しかしこの曲名、Walk, Don’t Run の「急がば回れ」もそうだが、何でも訳そうと努力していたのが昭和だった。そういえば上海のカラオケで選曲していたら「加州大飯店」という歌があって、中華料理店のテーマソングかなにかと思ったらイーグルスのホテル・カリフォルニアだった(笑)。いずれにせよあんまりカッコよくねえなあ。
Close to youはバカラックのカヴァーだが、お聞きの通り彼がこれでもかと偏愛した7th、9thコードというものはパリに留学してクラシックのダリウス・ミヨーに習った「フランスじこみ」なのだ。さかのぼること半世紀前のモーリス・ラヴェル氏の18番だ。パリではあまりにあたりまえの音であったが、田舎のアメリカでは新鮮だった。
Close to youの出だしのミ・ソ・レーのレーがその9度だ。リチャードはそれをうまく自作にパクッてカーペンターズは7th、9thてんこもりになった。都会文化はこうして田舎で飯のタネになる。ところが地球はさらに先があって、ド田舎のウエストコーストを大都会だと信じてた70年代の辺境国で荒井由実が「中央フリーウェイ」をミ・ソ・レ・ド・ソーとはじめた。
ミ・ソ・レがClose to youから来たかどうかは知らないが、この曲は冒頭のイフェクトもカーペンターズにあるし「翳り行く部屋」の最後のコーラスはGoodbye to Loveのそれにそっくりだし、影響はあったのかもしれない。
やっぱりラヴェルの18番が西へ西へと流れて次々と田舎で飯のタネになってたのではないかと考えてしまう。思えば大学時代にクラシックとして聴いていたカーペンターズ、荒井由実は今でも大ファンだし、どちらもピアノで弾くのが無上の喜びだ。ご両者の和声の父祖はラヴェルだとなると、そこも大好きなのだからもうファミリーを形成している。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
クラシック徒然草-僕は和声フェチである-
2015 DEC 7 2:02:58 am by 東 賢太郎
僕が最初に覚えた西洋音楽はアンタッチャブルのテーマでした( アンタッチャブルのテーマ(1959)The Untouchables Theme 1959)。この妖しい和音に完璧にはまってしまい、各声部までしっかり歌え、もしこの頃にピアノをやってたら妖しい曲専門の作曲家にでもなってたかもしれません。
だから近現代のシェーンベルグやクセナキスなんかも全然平気であり、覚えられるし歌えるしモーツァルトのように楽しめます。逆に苦手なのは和声的に何の事件も起きない、コンビニに並んでる115円ぐらいのカップ麺みたいにどれもこれもおんなじような音楽で、学生時代、インフルエンザみたいに大流行だったフォークなど大嫌いでした。
フォークというのはCとGとFと、たまにAmとDmぐらいはあって、ときにEmやセブンスなんか出るとおっやるねなんて感じで、あまりのあほらしさにこちとら気絶しそうであり、キャンプファイヤーなんかで当然でしょ風に長髪のギターの兄ちゃんと僕の大嫌いなタイプのヴォーカルの女が出てきてあれが始まる。法事の念仏の方がよほど面白い。
普段我々が耳にするほとんどの和声変化の「原典」はクラシックにあります。それが微分積分とするとフォークは足し算引き算というところです。だいたいギターは定型化した指の形で最大6音しか出ないので10音(以上)出せてポリフォニーが弾けるピアノから見ればウクレレと大差ない。複雑な音楽は無理です。
しかし和声が面白い音楽にジャンルの壁などありません。ここが楽しいところ。ビートルズやユーミンやカーペンターズは面白いし歌謡曲にもいいのがあるし、クラシックにも退屈なのがたくさんあります。「和声フェチ」の僕としては面白いかどうかだけが大事でして、芸術的とか高尚とかいうわけのわからない基準などくそくらえです。
あえていうならhigh qualityでしょうか。ゴッホと三文画家を並べたら、子供でもわかってしまう差があります。それは言葉にならなくても厳然としてこの世に存在するのであって、神様は不公平だしかわいそうだけどどうしようもない。ビートルズやユーミンやカーペンターズの和声はクオリティが高いのであって、だから誰もまねできていないのです。
Take6 という米国の黒人6人のグループが有名なクリスマスキャロル(Hark The Herald Angels Sing)を歌っています。これが凄い。これを譜面に書きとれといわれても難しいですね。
こっちはビング・クロスビーのスタンダード(I’ll Be Home For Christmas)。この精緻で複雑な和声、脳天を直撃です。
この人たち、ジュリアードやカーチスを出てるわけではないようです。ジャズやゴスペルに感じるのですが、黒人の感性はまったくもって独特であって、白人の西洋式の(すなわちクラシック音楽仕込みの)教育とはかけ離れた所で、圧倒的にhigh qualityの音楽を生んでいます。ラヴェルやミヨーが影響を受けたのは伊達でなく、ゴッホが葛飾北斎に影響を受けたのと同じでしょう。北斎の浮世絵に僕は圧倒的なhigh qualityを感じますが、それと同質なものが黒人音楽にはあるということでしょう。
クラシックの有名曲はもう全部きいていそうなので、来年は黒人音楽を聴いてみたいですね。きっと面白い和声があるだろう。和声は化学です。未知の化学式を持った物質があるかもしれないし、未知の価値がある合金ができるかもしれない。それを探すために音楽を聴いてきたのかもしれない、アンタッチャブルのオルガンのオジサンもそう思ってるかもしれないなと今なんとなく思いました。
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48
2015 NOV 13 1:01:21 am by 東 賢太郎
日本人は古来より月を見ています。暦は月齢だったしお月見をしたし。不思議なのは、江戸時代にいたるまで日本人は月を「何」だと思っていたかです。
かぐや姫は月に帰るから作者は人が住める空の彼方の遠い場所という感覚はあったかもしれませんが、一般には月は毎日登ってくるもの、美しいもの、愛でるもの、詩的なもの(ポエム)として信仰や物語の対象ではあっても「物体」であると見たり考えたりした人はいなかったと思われます。
早くから月を物体と見た西洋とは受容のしかたが根本的に違います。
美しいもの⇒ポエム、という日本的な思考法(ステレオタイプな還元法)が西洋人に全くないわけではありませんが、彼らが五感で感知したものを認識し受容するプロセスというのは、
月はものである⇒もの⇒即物的な物体
という回路がまずあって、地球と同じ球体と見立てて距離、大きさ、質量、軌道を計算し、なぜ落下してこないのかという謎を解きます。見かけの美醜はその回路とは別な経路で処理されて、ポエムになる場合もあるというものでしょう。僕が長年西洋に住み、西洋人とつきあったり著作物を読んだりして得た印象はそういうものです。
このことは音楽においても同様です。特にクラシック音楽を演奏、鑑賞する際に。それを僕はショパン演奏にいつも感じるのです。日本人ピアニストはショパン⇒ポエム、という回路で処理してないかという非常に深層心理的で根源的な問題です。
「雨だれ」「革命」「子犬」「別れ」「木枯らし」など、別に日本人が考えたわけではないがショパンがつけたわけでもない標題。月を見て「うさぎ」が頭に浮かんでくる思考回路にこうした標題が乗りやすいのは自明と思います。あの速いワルツを子犬を思い浮かべて弾くピアニストはいないでしょうが、潜在的に日本人の思考回路に潜む受容のくせというのは見えない所で演奏の骨格を決めてくるのではと僕は思っています。
あれは月を見て物体だとまず感じる西洋人が作った音楽なのです。ショパンに限らず作曲家がまず聴くのはピアノの即物的な音であって、それが物体としての月にあたります。それが聴き手にどう聞こえるか、美しいポエムとして受容されるかどうかということは彼にもはどうにもならない事後的、副次的なことで、まず物体として絶対の完成度があるかどうかこそ彼の関心事のはずです。
ちょっとややこしいですが、こういうのをsubstance(あるがままの物の実体、本質)と contingency(そこからの偶発的な派生事象)の関係と表現します。例えばニワトリは日本では「コケコッコー」と鳴きますが、アメリカでは「クック ア ドゥール ドゥ」、ドイツでは「キッキレキ」、フランスでは「コックェリコ」、インドでは「クックーローロー」です。近隣でも中国は「コーコーケー」など、韓国は「コッキョ クウクウ コーコ」だそうです。同じニワトリの声(substance)をきいてるのにcontingencyはこんなに違ってくるのです。
ショパンというニワトリがいざ鳴くぞという時にそれがコックェリコかキッキレキかは彼にとってはあずかり知らぬことで、ニワトリは*+@#%~~~としか鳴かないのです。
かように、21世紀の人がポエムを見出してくれたというのはショパンにとってはまったくの偶発事象でした。同時代人のシューマンが当時のドイツ人特有のロマン的、文学的コンテクストで自分を評価しているのを知って(それは非常に高評価でショパンにとって好意的なものであったにもかかわらず)、ショパンはそれを笑止であると唾棄していることからもそれが理解できます。彼に確固として「在った」のは、彼が鍵盤から選び取った音の組み合わせが即物的に彼を満足させたこと、それだけです。
僕がショパンを作曲家としては一目置くにしても演奏を聴くのが好きでない最大の理由は、contingencyを追っかけて(それしか見えてなくて、それがsubstanceだと思いこんでいて)、substanceが何だかわけのわからない演奏が横行しているからです。日本人のショパンの特徴はその一言に尽きます。
これをお聴き下さい。ダリウス・ミヨーの「男とその欲望」(L’homme et son désir, Op.48 )という作品で、知名度は大変に低いのですが大傑作であり僕は高く評価しているものです。ショパン⇒ポエムの方々はこの意味深なタイトルの音楽が何であり何を描こうとしているのか?と悩むことでしょう。 僕は初めてこれを聴いて音に衝撃を受けてしまい、題名など吹っ飛んでしまいました。
全ての演奏家の方に問いたいのですが、これがなぜ男とその欲望なのか?どうしてそれがこういう音になっているのか?一種の踏み絵のようなものかもしれません。
ストラヴィンスキーの「結婚」を想起させますが複調、ポリフォニーの重視など語法はまったく別物です。ミヨーはブラジル滞在経験があってそこでの印象を綴ったものとされますが、これが単なる風景画や絵日記でないことは明らかです。彼が綴ったものは即物的な音であり、トレードマークの複調の文法であり、断じてポエムではありません。音、語法が紡ぎ出すダイレクトな心象こそがこの曲のsubstanceであります。
そしてここからは僕の個人的領域に入ります。自分自身がリオデジャネイロで感じた心象風景にそのsubstanceが作用してある化学反応を起こし、僕だけの感興を生み出します。これがcontingencyです。いうまでもなくなんら普遍性のないプライベートなものであります。僕が演奏家としてそれを音にしたとしても、それはあまり人の心を打つものにはならないでしょう。赤の他人の記念写真やセックスを見たってそんなに面白いものでもないのです。
つまり、contingencyとは聴衆の占有物であって演奏家が依拠すべきよすがではありません。僕がショパンのバラードやマズルカを聴くのは、弾き手のパリやワルシャワで得た経験や知見や記念写真に関心を抱いたり真のショパン解釈をきかせてほしいからではありません。ショパンが書こうとピアノに向ったsubstanceを知りたいからです。そこに僕を感動させる根源があるのであり、それこそが普遍性、説得力のあるバラード、マズルカであることを、体験から知っているからです。そういう聴き手はそういう演奏を探しだし、吟味し、支持するのです。
演奏家がショパンにポエムを感じて何ら批判されるゆえんはないのですが、そのポエムがたまたまショパンも感じたものであって、したがって普遍性のある説得力を持つのだという蓋然性は、残念ながら甚だ低いものだろうというのが僕の持論です。外国人がどんなに感動と心を込めて弾いてみても、それはコケコッコーかもしれずクックリク~と聞こえているらしいポーランドの聴衆の心に響くかどうかは別な話なのです。韓国人、中国人がどうこの問題をクリアしてショパン・コンクールを制覇したのか、なぜ日本人にはできないのかはとても興味深いテーマであります。
最後に余談ですが、この「男とその欲望」を書いたフランスの作曲家ダリウス・ミヨー(1892-1974)がバート・バカラックの先生なのです。非常に多様な様式を試みた多作家ですが、彼の和声感覚は独特で、複数の調性を並行させる複調による語法に真骨頂を見ます。交響曲第2番などこれに並ぶ傑作で彼の和声がオンリーワンである証明となっていますが、これも有名ではないのが不思議であります。
「雨にぬれても」のころ、まだ生きていたミヨーはそれを聴いてどう言ったんだろう?
「口笛で吹けるメロディを書いたからと言って、恥じる必要はまったくない」
「記憶に残るメロディをつくれる人間はめったにいない。そしてそれは本質的な才能なのだ」
若き生徒だったバカラックの演奏を聴いてそう言ったミヨーはその思いを新たにしたのではないでしょうか?
(こちらへどうぞ)
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
バート・バカラック「雨にぬれても」の魔力
2015 NOV 12 0:00:01 am by 東 賢太郎
これをきくと中学時代の面々の顔が浮かんでくるのなぜだろう?一気にあの頃に心がワープしてくらくらめまいがする。なにか甘酸っぱいような、ほろ苦いような・・・。
これは「明日に向って撃て!」の挿入歌ですが映画は見てません。wikiには「ビルボード誌では、1970年1月3日に週間ランキング第1位を獲得した。4週1位を獲得し、同誌年間ランキングでは第4位となった。」とあるから深夜放送で毎日のように流れたのは70年の初頭という所でしょうか。
ということは一橋中学も卒業間近です。仲間だった悪ガキ連中とお別れだぜ・・・、気になっている女の子がいたが高校でもかけらもなにもなく終わってしまったっけ。マメでなく追っかけることもなく、ぜんぜんモテませんでしたね。
バート・バカラックの名はこの曲で焼きつきました。歌手のB・J・トーマスは本命にふられてピンチヒッターだったらしく、しかも喉が痛くてドクターストップだった。5回目のテイクでやっとOKが出たのがこれだそうです。たしかに風邪声ですね。
Raindrops are falling on my head
And just like the guy whose feet
Are too big for his bed
Nothing seems to fit
Those raindrops
Are falling on my head
They keep falling.
So I just did me some
Talking to the sun
And I said I didn’t like the way
He got things done
Sleeping on the job
Those raindrops
Are falling on my head
They keep fallin’
But there’s one thing I know
The blues they send to meet me
Won’t defeat me, it won’t be long
Till happiness
Steps up to greet me
Raindrops keep falling on my head
But that doesn’t mean my eyes
Will soon be turning red
Crying’s not for me ‘cause,
I’m never gonna stop the rain
By complaining,
Because I’m free
Nothing’s worrying me
いい詩ですねえ、今の俺みたいかなんて気もする。青字の「bed」と「fit」は普通の歌ではありえない短7度(f→e)のジャンプでトーマスが苦労してますが、そのポップないい加減さが何ともいい味だしてます。Because I’m free Nothing’s worrying me・・・。だって俺は自由さ、なんにも気にしねえぜ・・・。
自由、自由、無限の時間と自由のあったあのころ・・・、この歌も僕を強烈にアメリカに誘(いざな)ってくれました。
バカラックは同じユダヤ系でフランス6人組のダリウス・ミヨーに師事したことになってます。私見(自伝を読んだ印象)ではどこまでミヨーが真面目に弟子と見たかはあやしい感じもしますがいいじゃないですか、一般にはミヨーより有名になったんだし。和声やリズムの自由な感覚は誰にも似てない、オンリーワンの魔力です。
こっちは別テイクでしょう、風邪もなおって余裕も出てる感じです。たしかあの深夜放送はこっちでしたね。
(こちらへどうぞ)
ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48
Yahoo、Googleからお入りの皆様
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。