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カテゴリー: ______ワーグナー

クラシック徒然草-ワーグナー大好き(2)-

2013 JAN 11 15:15:55 pm by 東 賢太郎

歌劇「タンホイザー」より第2幕の大行進曲  「歌の殿堂をたたえよう」 です。あらゆるオペラのなかでも最も有名な合唱曲の一つですね。卒業式や運動会などで聴いたことがある方も多いのではないでしょうか。最高に元気が出ます。演奏はいろいろありますが、ワーグナーとJSバッハだけはちゃんと演奏されていれば一応納得してしまいます。音楽パワーが強いのかな?不思議ですね。

 

 

 

http://youtu.be/-YOwqjmuXVg

クラシック徒然草ーワーグナー大好き(1)-

2013 JAN 10 17:17:15 pm by 東 賢太郎

僕にとって「毒」になっているものをご紹介します。

「神々の黄昏(たそがれ)第一幕への間奏曲」の一部、「夜明けとジークフリートのラインへの旅立ち」です.

夜が明けていきます。ジークフリートは「指環」をブリュンヒルデに愛の証として預け、ブリュンヒルデに贈られた愛馬グラーネにまたがり新たな勲を求めてライン川に向けて旅立っていく場面の音楽です。ピアノスコアですが下の楽譜をご覧ください。1段目のTagesgrauen とあるところからが「夜明け」です。

青い部分、ヘ長調でクラリネットが、緑の部分、変ロ長調で弦が神のように素晴らしい動機の誕生をひっそりと告げます。もう全身が金縛りになるしかないポエティック、マジカルな瞬間です。ここからこの動機が発展していく神々しいさまは僕などの下郎はひれ伏して拝むしかございません!ワーグナー様のしもべにでも何にでもしてください!!こうして毒が回ってワグネリアンになっていくのですね。

この音楽は、恐れを知らない若者の、とてつもなく大きい希望と夢に充ちた旅立ちの気分です。それ以外の何物でもありません。苦しみから立ち直って運命に勝利したり、愛や自然を賛美したりという感動をくれる音楽はクラシックのいわばメインストリートですが、こんな音楽はほかに知りません。

突然ですが、吉永小百合と橋幸雄のデュエット「いつでも夢を」という曲が僕は大好きです。小学生のころ、よく母と買い物した幸花堂という和泉多摩川のパン屋さんで流れていたこの曲。今でも聴くと明るい陽だまりとパンを焼くいい香りまで思い出します。小さかった僕に明るい夢をくれたこれは僕の「多摩川への旅立ち」でした(スケール小さいっすね・・・・)。

初めてリングを4日間かけてチクルス(全曲通して)で聴いたのはドイツ滞在中のこと、ヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場(右)です。まさにジークフリートが旅立って行ったライン川のほとりの街でのことでした。会社で初めて拠点長をまかされ、まさに意気揚々だった39歳のあの頃。今もときどきこれを聴いては気持ちだけ若返り、その勢いでジョギングしては筋肉痛で後悔しております。

 

クラシック徒然草-ワーグナー入門(The first step to make yourself a Wagnerian)-

2013 JAN 6 16:16:23 pm by 東 賢太郎

ワグネリアン(Wagnerian)という言葉があります。「ワーグナー好き」という域を超えて、ちょっと狂信的な、いわば「ワーグナーの音楽にずっぽりとはまっている人」という感じでしょうか。モーツァルト好きを「モーツァルティアン」とは言いますが、ワグネリアンはもっとあくが強く、教祖と仰ぐ感じです。こんな作曲家は後にも先にもいません。

滞独中の1994年8月にバイロイト音楽祭に行きましたが、雰囲気はまさに「聖地」でした。愛知県豊田市がトヨタ市であるようにここもワーグナー市で、そうでもなければ何でもない田舎のオペラハウ スである「バイロイト祝祭歌劇場」(下)に世界中の権力者、富豪、貴族、紳士淑女が集結するさまは壮観でもあり、一種異様な感じでもありました。

聴いたのは「タンホイザー」です。この劇場の内部(下)ですが、ごらんのとおり横に並ぶ座席の列を縦につっきる通路がありません。中央部に座ったらトイレにもたてません。しかも空調はなくて蒸し暑い。4-5時間もじっとそこで音楽を聴くこと自体、けっこう宗教がかっている気がしなくもありませんね。

しかし聴衆は伊達や酔狂で高い金を払って来ているわけではもちろんありません。ワーグナーの音楽には世界のセレブや音楽好きを引きつける一種独特の強い磁力、もっと適格な言葉と思いますが、「毒」があるのです。蜜のように甘いが毒。これを飲んだらもう離れられない「惚れ薬」「媚薬」みたいなものです。

ほんの一例ですが僕の場合、異例にネアカの「ニュルンベルグの名歌手(マイスタージンガー)」が好きで、第1幕への前奏曲などは  ”死ぬほど好き”  になってしまっています。(ピアノで弾くのはとても無理なので)もちろん例によってシンセサイザーで自分指揮バージョンをMIDI録音しています。出だしの堂々とした男性的、全音階的テーマが高潮して一旦静かになり、女性的、半音階的に動く弦が醸し出す玄妙な和声を聴くと、いつも思考がとろーっとして停止し、陶酔状態に陥ります。これが「毒」でなくて何でしょう。

音楽と政治は本来水と油のようなものですが、不幸にもあのヒットラーがワグネリアンであったことからワーグナーの音楽はナチスドイツとイメージが強く結びついてしまいました。にもかかわらずブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ゲオルグ・ショルティ、レナード・バーンスタイン、ジョージ・セルといったユダヤ系の大指揮者がワーグナーを取り上げて名演を残しています。このことが欧州史の脈絡の中でいかに大変なことかは、イスラエル・フィルハーモニーがアンコールに初めてワーグナーを取り上げたら一部の団員が演奏を拒否して客席で殴り合いがおきたという事件が戦後も戦後、1981年に起きたことだということでお分かりいただけるでしょうか。

「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグの名歌手」「ニーベルンゲンの指輪」(ラインの黄金、ジークフリート、ワルキューレ、神々の黄昏)、「パルジファル」

以上がワーグナーの主要作品(作曲順)です。最初の3つは「歌劇(オペラ)」、トリスタン以降は「楽劇(Musikdrama)」と呼ばれますが、最初は細かいことは気にせず全部オペラと思っていただいて結構です。全部聴くと50時間近く。このエベレストのような巨山をどう制覇したらいいのでしょうか?手っ取り早いのは序曲・前奏曲集から入ることです。CD2-3枚分ですから大したことはありません。幸いワーグナーの序曲・前奏曲はどれも大変覚えやすいので、とにかく耳におなじみにしてしまうこと。それが絶対の近道です。ただし「指輪」だけはそれができないのでハイライト盤でいい所をつまみ食いして覚えるのがベストなのですがこれについては後述します(ちなみに指輪は通の間では「リング」と呼ばれます。以下、リングでいきます)。

ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

まず、この2枚を探して購入することを強くお薦めします。クナ氏(1888-1965)はバイロイト10回登場、真打のなかの真打といえるワーグナー指揮者で、このステレオ録音は音も悪くなく、彼の曲を知り尽くした滋味とコクにあふれる名演を堪能することができます。名歌手第1幕前奏曲はこれがベストで、こんなにたっぷりとしたテンポなのに一瞬もダレることがなく、大河のように滔々と巨大な音楽が流れる様は壮観の一言。これが書かれたヴィープリヒのライン川の流れを思い出します。トリスタンも実にすばらしい。ローエングリン第1幕への前奏曲の神秘感と高揚感もベストの一つでしょう。この2枚で上記の「リング以外」は揃います。僕はこの音源のLPレコードを持っていて弦の音はCDより格段にいいのです。録音がやや古いのでCDの場合は再生装置を選ぶかもしれず、もし肝心の弦がやせて聴こえるようなら「だるい」演奏に聴こえてしまうかもしれません。以下のもっと新しい録音でもいいと思います。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このEMI録音のタンホイザー序曲(パリ版)を初めて聴いたときは衝撃を受けました。スタジオの中のカラヤンが、いつもの綺麗ごとのイメージをかなぐり捨ててこんなになりふり構わず攻め込むのはあまり記憶がありません。カラヤンという人は録音を残すための録音が多いというイメージがあり、録音メディアが進化すると同じ作品を再録音したりしています。しかしことワーグナーに関しては商売優先ではなくガチンコ相撲を取っている観があります。意外なことにバイロイトはヴィーラント・ワーグナーと演出上の意見が合わずに2回のみの登場で、むしろ生地のザルツブルグ音楽祭に力を入れていましたが、彼の音楽性は明らかにモーツァルトよりもワーグナーに向いています。ベルリン・フィルの高性能と底知れぬパワーもワーグナーには非常に適性があります。この2枚で耳をしっかり慣らすのはお薦めです。この2枚はi-tuneでKarajan conducts Wagnerと入力すると安価で購入でき、「リング以外」は全部揃います。

 

クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

これも同じオケですがこんなに音も表現も違うといういいお手本です。テンシュテットはロンドン時代にロイヤル・フェスティバル・ホールでずいぶん聴きました。特に印象に残っているのが僕の嫌いなマーラーとリヒャルト・シュトラウスなのです。それほど名演だったということで、この人のライブの燃焼度はすばらしかった。それを髣髴とさせるのがこれで、1枚目が「リングの有名曲ハイライト」です。

 

カール・ベーム/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団  ゲオルグ・ショルティ/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

でもやっぱりウイーンフィルが恋しい・・・。そのぐらいこのオケはワーグナーに相性がいいのです。どちらをとるかはもう趣味の問題です。僕はDG(ドイッチェ・グラモフォン)のベームの音が好きですがDeccaのショルティ、これも確かにまぎれもないウイーンフィルの音なので困ってしまいます。もうひとつ、ホルスト・シュタイン指揮の「ワーグナー・ウェーバー管弦楽曲集」(Decca)というのがあって、これはこのオケの最もいい録音の一つなので捨てるに忍びない。ワーグナーの毒にウイーンフィルの媚薬!これを前にしてあれこれ言うことなどもうナンセンスですね。クラシックとはこうやってはまっていくものだという好例をお見せしてしまいました。できれば全部聴いて下さい。

 

さて皆様をワグネリアンの道に引き入れようという試みは以上でなんとか富士山の2~3合目というところです。特にリングという最高峰は用意周到に登らないと遭難の恐れもあり、今回まずはリング以外の6つの霊峰から序曲・前奏曲でお好みのものを選び、その曲の登頂をひとつづつ目指されるのがシェルパとしてのおすすめです。頂上の景色も圧巻ですが、そこに至るまでのあれこれはもっと楽しかったですよ。

 

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ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 作品95 (その2)

2012 NOV 26 20:20:44 pm by 東 賢太郎

この曲、ドヴォルザークの書いたもっとも有名な曲であることは間違いない。しかし最も優れた曲かというとちょっと疑問がある。

これが天下の名曲とされるのもやや不可解である。いい曲だし、一時「はしか」のように取りつかれた経験のあるクラシック好きは僕を含めて少なくないだろう。

 

これは僕が中学時代に初めてスコアを買った曲だ。分解好きの少年にはいろいろ調べてみたくなる刺激的な音が満載だった。だからこれが教科書になった。しかし今になってみて、いい教科書であったかというと、そうでもない。かなり異形の曲だ。

 

ワルター、クレンペラー、ベーム、カイルベルト、カラヤンなどドイツの保守本流指揮者が振っている。トスカニーニも名演がある。しかしフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュはない。「売れる曲」だから音楽産業の影響があったかもしれない。

これがドイツ人に好んで演奏され、日本で名曲と崇め奉られるまでに至ったのは文化史的な背景があると思っている。今回はそれを俯瞰するため、「交響曲」なるものの存在につき理解を深めるべくこの曲を題材にしてみたい。

シンフォニアというのはイタリアオペラの序曲に端を発する。しかし、それを「交響曲」(シンフォニー)という異なるものに発展させたのは「交響曲の父」といわれるハイドン(右)などドイツ語圏の人たちである。ヘーゲルの弁証法(正反合)を思わせる「ソナタ」という形式論理を基本にできている非常に理屈っぽい音楽である。以下、19-20世紀に西欧各国で交響曲がどう作曲されてきたかを見る。

まず、音楽の老舗かつ先進国であったイタリアでは、田舎者のドイツ人が考えたソナタや交響曲などは一貫してほぼ無視だ。「そなたは美しい」のほうばかりに気がいったのかどうかは知らないが、音楽史を通じて常に主流は歌、オペラであった。ドイツ語圏の歌というと讃美歌、民謡、軍歌、ヨロレイヒー、ホイサッサみたいなイメージでおよそ女性が口説けそうな風情のものは浮かんでこない。

美しい歌(メロディー)は音楽の基本だ。それで負けるなら「形から入る」で対抗するしかない。だからドイツは徹底的にそれをやった。ヘーゲルの弁証法の確立とほぼ期を一にして。カソリック(坊主なんでもありで腐敗)、プロテスタント(原典に返れで禁欲的)という世界史で習った図式を思い起こしてほしい。この精神もバックボーンになったに違いない。そしてドイツは、音楽における宗教改革にも成功したのである。

交響曲、ソナタというものはその精華にほかならない。

あのフランスでさえも、オペラ作りは実に後進国であり、一方の交響曲でもめぼしいものは少ない。フランス=文化の中心という世界観は、作曲においてはまったく当てはまらないのである。そしてイギリスはオペラか交響曲かなど論外で、そもそも作曲家が数えるほどしかいない(ビートルズは例外としよう)。アメリカは作曲という仕事のハビタブルゾーンぎりぎりにある未開の辺境地であった。

おもしろいことに、クラシック音楽の消費地としては今の順番がほぼ逆になる。まず音楽後進国が産業革命をおこした。音楽にうつつをぬかしていてはカネ儲けはできないのである。そして成金は文化にあこがれる。極東の日本でも「文明開化」などといって、文明人の証(あかし)としての音楽が輸入された。今でも「エビ・オペラ現象」といって、国民所得が増えた国では海老の輸入と海外オペラ引越し公演数が増えるという統計もあるようだ。

余談だが日本人は洋食のときにご飯をフォークの背にのせて食べる。僕もそれが西洋のエチケットと親に習った。しかし西洋に住んでみるとそんな習慣はない。そもそもああいうご飯など出てこないから習慣が発生する理由もないのだ。あれは明治時代に誰かが何となく思い込んだか刷り込まれたのが定着したのだろう。「カステラ」や「メリケン粉」という発音みたいに。

音楽はドイツ系の人が明治人に教えこんだに違いない。だから「交響曲の父」とか「楽聖」とか、クラシックはドイツ人が作ったかのように音楽の教科書に書かれている。「フォークの背」現象だ。オペラ、特にイタオペはなんとなく宝塚っぽい「色物」、セクシーで低次元の音楽という誤ったイメージがある。僕も頭では理解していても完全に脱し切れていない根深い偏見である。実はワーグナーのほうがよほどスケベで色物なところがあるのだが、そんなことをまじめに言おうものなら数多いる「ワグネリアン」にたたきのめされてしまうだろう。

「フランス料理、そんなものはない。あれはイタリアの田舎料理じゃ。ドイツ料理、そんなものはない。あれは家畜のえさじゃ。」 とあるイタリア人は得意げに笑った。しかし音楽の状況を見るとあながちジョークでもない気がする。イタリア人のロッシーニ(右)は40曲近いオペラの作曲でひと財産つくると37歳でさっさとリタイアして余生は趣味の料理に専念してしまった。音楽と料理はなにか人間の深いところでつながっているかもしれない。

 

その田舎者が作った交響曲を懸命に真似して作ったのがもっと田舎だったロシア、東欧、北欧だ。チャイコフスキー(右)は感性が欧風趣味で晩年には素敵なバレエも作ったが、ロシア民謡を主題にした若いころの交響曲第2番や3番などはローカル色丸出しのフレーズや恥ずかしいドラの一打ちなんかが出てきて、聴いてるこっちが赤面する場面もある。交響曲は6つ書いた。

 

繊細で内向的なシベリウス(右)はさすがにドラは打たない。しかし愛国心が嵩じると、交響曲第2番のおしまいの部分のように延々と森進一ばりの苦悩の表情をたたえた「演歌」のノリになってしまう。あれはロシアのいじめに耐えぬいたフィンランドの魂の声なのだが、そういうものが弁証法である交響曲から聴こえてくるというのはとても異質なことだ。交響曲は7つ書いた。

 

そしてドヴォルザーク(右)のメロディーはそのものがボヘミアの演歌だ。「新世界」はそれに黒人霊歌風の泥臭さが加味され、一部のメロディーは田舎を超えてしばしば「土俗的」と表現される。第3楽章の中間部、ミソソーラソレド―レミソソー・・・などベートーベンやブラームスには絶対に出てこない性質の土臭いフシである。

彼は交響曲を9つ書いた。その最後、ニューヨークの国民音楽学校の校長時代に異郷アメリカで書いたのが「新世界より」だ。ロンドンに呼ばれたハイドンには英国が新世界だったろうが、ちょうど100年たってアメリカがそれになったのだ。ハイドンも英国の聴衆の好みを反映して曲を書いたが、ドヴォルザークはどうだったのだろう。「ボヘミアに宛てた絵葉書」みたいな側面もあるが、米国人むけの側面があるとすれば彼としては結構ド派手な管弦楽法ではないかと思う。

交響曲は楽章が4つ、第1・4楽章がソナタ形式であり、ソナタ形式とは序奏(あってもなくてもいいが)、提示部(主題が二つ現われる、第一主題は男性的、第二は女性的)、展開部(二つの主題がくんずほぐれつする、意味深だ)、再現部(もう一度提示部)、結尾(コーダ、大団円)というのが定番である。古典派ではほぼこのルール通りだがベートーベンの3番(エロイカ)あたりから異形が始まり、6番(田園)は5楽章になり、9番(いわゆる第九)で第4楽章が完全なルール違反になる。

だからロマン派も後期に作曲された「新世界」で何が起きてもまったく不思議ではないのだが、彼はベートーベンのような型破りの性格ではない。むしろ、やはり後期ロマン派なのに古典派を模範としてソナタ形式にこだわったブラームスを敬愛したほどの保守派だった。つまりフレームワークを守って9曲も交響曲を書いてしまうという生真面目な姿勢があっただけに、妙なことが気になるのだ。

まず第1楽章は提示部に主題が3つ出てくる。ホルンが吹く1つ目はいいとして次の2つは何なのだろう?展開部で1つ目と絡み合うのは3つ目なのでたぶんそれが第2主題だ。じゃあ2つ目はなんだ?ト短調で悲しげ。女性が2人だがこっちはくんずほぐれつには一切参加しない。謎である。

この楽章、アダージョの序奏が提示部アレグロ・モルトに入ると最後まで一度も速度記号が現れない(ギアチェンジなし)。3つ目は(たぶん第2主題なのでだろう)ほとんどの指揮者が減速する。でもそうは書いてない。でも減速したほうが、明らかにいい。だから作曲家は「当然自然体でそうなるよね」ということだったんだろう。ここの阿吽の呼吸など、テンポの取り方はこの楽章の演奏で大変に重要なポイントである。

このフルート吹きにはおいしい主題は何故か第2フルートが吹く(普通は第1だ)。謎である。第1に借金でもふみたおされたのだろうか。まあ音域的に低いので機械的にそうしたと考えてもいいかもしれない。しかしドードラソードーミソッソッソー、実に田舎臭い。アメリカというあだ名の、新世界同様にアメリカで書いた弦楽四重奏曲があるが、あのドラエモンの「おーれーはジャイアーン」に聴こえる主題と甲乙つけがたいダサさである。

しかしこっちはト長調(G)のあとドーミソッソッソーにEm→Bmという実にいい和音(それがコントラバスの絶妙なピッチカートで瞬時に認識される)がついていて悲しげになるためダサく聴こえない。前回書いた第2楽章と同様、和声感覚が非常に洗練されているので土俗性が中和され、むしろちょうどいい親しみやすさに変身するのだ。

第1楽章をお聴きいただきたい。郡山市立郡山第二中学校のオーケストラ。これはお見事というしかない。グスターヴォ・ドゥダメルを生んだベネズエラの児童オーケストラが有名だが、これは日本が誇れる。せっかくの腕前なんだからスコア通りやったらもっと感動できたが。

 

(続きはこちら)

ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」 作品95 (その3)

 

 

 

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クラシック徒然草-タンホイザー(東版)-

2012 SEP 27 14:14:59 pm by 東 賢太郎

作曲:リヒャルト・ワーグナー (パリ版)
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク
演奏:メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
出演:タンホイザー…リチャード・キャシリー(テノール)
エリーザベト…エヴァ・マルトン(ソプラノ)
ヴェーヌス…タティアーナ・トロヤノス(メゾ・ソプラノ)
ヴォルフラム…ベルント・ヴァイクル(バリトン)
ヘルマン…ジョン・マカーディ(バス)
収録場所:メトロポリタン歌劇場《1982年収録》 収録時間:約3時間9分(2枚組)

写真はディアゴスティーニから出ているDVDオペラ・コレクションで、1990円と非常に安価です。まだ市販されているかどうか知りませんが、見つけたら迷わずご購入をお奨めします。

このDVDになっている公演が僕の人生初オペラです。留学中の1983年、妻とこのメトロポリタン歌劇場でした。当時オペラなどというものに縁がなく、ニューヨークの先輩の家に遊びに行ったおりに何気なく買ったチケットでした。度肝を抜かれました。これをごらんになればわかっていただけると思います。

ワーグナーの歌劇ではナイフで刺されたりもしないのに人が平気で死んでしまいます。歌合戦(今ならカラオケの得点?)で娘の婿を選ぶ親というのも常軌を逸している。サラリーマンのくせに愛欲の日々を過ごしていたタンホイザーがクビにもならずにその歌合戦に堂々と出場してしまうところなど、まじめに取り合うと発狂しかねないストーリー満載です。

にもかかわらずこれをお奨めするのは、いい音楽、いい演出だからです。初めから終わりまで文句なしの大名曲。第2幕の大行進曲の合唱など一度覚えたら一生病みつきになることうけ合い。第3幕の巡礼の場面は今でも覚えているぐらいの衝撃シーンでした。第1幕、シルエットだけのビーナスのエロチックな踊りも見たら忘れませんよ。

ワーグナーのオペラ(彼は楽劇と呼べと言ってますが)で誰が聞いてもわかりやすく、覚えやすいのはタンホイザーで決まりです。これを聴いてどこかひとつでも「いいね」と思った方は、全部で16時間かかるニーベルンゲンの指輪という魔界の森にいずれお入りになることでしょう。

 

ベンチャーズとクラシック

2012 SEP 16 4:04:18 am by 東 賢太郎

クラシックというと堅い、退屈、長い、近寄りがたいという人が多く、ポジティブなイメージは癒し、知的、高尚だそうです。日本では音楽市場の10%ぐらいあるそうですが交響曲、オペラのような長い曲を家で真剣に聴くような愛好家は総人口の1パーセントという説もあります。いずれにしても、相当マイナーな存在であることは間違いありません。もったいないことです。

僕は小学校時代にザ・ベンチャーズの強烈な洗礼を受けました。いわゆるテケテケテケです。寝ても覚めてもベンチャーズ。歩きながらもベンチャーズ。ノーキー・エドワーズのマネをしてギターを弾き、本を並べてバチでたたいてメル・テーラーの気持ちになっていました。キャラバンという曲があります。メルのドラムスとドン・ウイルソンのサイドギターの刻みが絶妙にシンクロ。それに乗ってドライブするめちゃくちゃカッコいいノーキーのリードギター。難しいリズムのドラムソロ。レコードがだめになるまで聴きました。

そこに立ち現われたのがビートルズです。ジョンとポールのハモリとノリ。何を言ってるかわからないがなにやらカッコいい英語。女の子の失神。ベンチャーズにない刺激的なコード進行。ポールのものすごいベース。いやーこれはすごい。完全にハマりかけました。そのまま行けば僕はたぶんロックバンド路線に進んでいたと思います。音楽の時間にあの曲を聞かなければ・・・・。

千代田区立一ツ橋中学校。われわれ悪ガキがポール・モーリヤとあだ名していた音楽教師、まじめな森谷(もりや)先生が「今日は鑑賞です」と言ってレコードをかけました。それはモソモソとはじまる退屈きわまりない曲でした。クラシックは聴いてる奴らの感じが大嫌いで、無縁と思っていた僕でした。まあ昼寝にいいか。実は小学校時代に同じシチュエーションで教室の窓から脱走し、母が担任に呼び出しを食らった前科のある僕は、ふとそれを思いだしました。

すると、ちょっとキレイでグッとくるメロディーが出てくるではありませんか。へー、割といいな。仕方ねえ、ちょっとだけ聴いてやるか。まさにその時です。そのメロディーが突然違うコードにぶっ飛んだのは。脳天に衝撃が走りました。ベンチャーズにもビートルズにもない新体験。これは何なんだ?

その曲はボロディンの「中央アジアの草原にて」です。その個所は105小節目、ハ長調のメロディー(注)が3度あがって変ホ長調に転調するところです(こういうのを転調と言います。これからこのように何長調とか何短調とか書くことがありますが、わからなければ無視してください。耳で楽しむためにはどうでもいいです。ただ興味のある方は知りたいと思うので書くことにします)。

(注)このメロディーに似たのがストビンスキーの火の鳥の終曲にも出てきます。ロシア民謡です。なんとも懐かしく平和な感じがします。どっちもホルンが吹きますね。牧歌的なホルンが似合うのです。ベートーベンの田園交響曲。嵐が去って終楽章に入るとまずクラリネット、そしてやっぱりホルンが牧歌的な雰囲気を醸しだします。ボロディンのそこもクラリネット、ホルンの順番です。

この経験が僕をクラシックに引きずりこみました。この曲が入ったレコードとして父が名曲集のLPを買ってくれ、そこに一緒に入っていたワーグナー、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウスも気に入ってしまったからです。

ただ、今でも僕はビートルズ信者です。カーペンターズ、ユーミン、山下達郎などもコード進行が大好きで、ときどき聴いています。往年の歌謡曲やJ-ポップにも名曲と思うものがいくつもあります(コード進行がいいものというのが僕の基準ですが、これは単に僕の好みです)。

さて、ベンチャーズです。京都の雨なんていうしょうもないものをやりだした頃から一気に堕落しました。芸者ワルツなんてやりだすんじゃないか、冷や冷やしたほどの様変わり。ライブのCDもどっかの素人コピーバンドじゃないかという微笑ましい出来。まあそこにいたファンは楽しいんでしょうが・・・。

それでも初期のあのダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人(テケテケテケの音色が全部違う!)、ウォーク・ドント・ラン、ブルドッグ、アパッチ、テルスター、夢のマリナー号、クルエル・シー、パーフィディアなどなど永遠に色あせることはありません。カッコいい。美しい。

しかし、それにもまして、あのキャラバンなんです、僕には。冒頭のシンバルの一撃で金縛りです。腹にズンと響く中音と低音のタム。土俗的なリズム。究極のアレグロ・コン・ブリオ。完璧に4つの楽器がバランスされた録音。もう芸術としか呼びようがありません。このクオリティの高さはいったい何だったんでしょうか?

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