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カテゴリー: ______演奏会の感想

読響 第647回定期演奏会

2025 APR 24 9:09:07 am by 東 賢太郎

2025 4.21 サントリーホール

指揮=オクサーナ・リーニフ
ヴァイオリン=ヤメン・サーディ

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77
ボーダナ・フロリャク:光あれ
バルトーク:組曲「中国の不思議な役人」

女性指揮者の登場が増えている。性別云々の時代ではないが、ことその職業においてまったくハンディがないこともなかろう。つまりそこで勝ち抜いてポストを得たなら並の男より上等な確率は高いわけで、現に失望したケースはまだない。もうひとつ、リーニフはウクライナ、サーディはイスラエルと時の国の人たちだ。偶然かもしれないが音楽を平和の象徴とするメッセージがあるなら僕はあんまり好きでない。音楽家が軍人や政治家でないことだけは誰が決めたわけでもないのに見事に世の常であって、ポーランドの首相になったパデレフスキー、モーツァルトの三台のピアノ協奏曲の第三を弾いて録音までした英国首相エドワード・ヒースは人類史上稀な人たちである。

予備知識なく会場に来るのでプログラムも奏者も知らない。まずはショスタコーヴィチの作品のうちでも最も好きなひとつヴァイオリン協奏曲第1番ではないか。彼は政治というよりそれへの嫌悪、プロテストが音楽に滲み出た特異な作曲家で、そうした趣味だったわけではなく時代の犠牲者だった。Mov3パッサカリア、冒頭のTimをユニゾンで伴う恥ずかしくも鈍重な主題の恐るべきダサさ。あえてぶちこむ運命リズムはカリカチュアそのものだ。僕は粗野丸出しのこういうのがどうにも耐えられないが作曲者もそうであり、ダフニスとクロエのドルコン、火の鳥のカッチェィにあたろう。大衆の面前で大真面目に物々しく権勢を誇示する権力者ほど下劣でみっともないものはないという感性の共有だ。この主題はやっと死んでくれたスターリンを極限までおちょくった怨念の調べであると僕は解釈している。それに延々と続く気高いVnソロにもおぞましいTrb、Tubaが付きまとう。ああこの時代にこんな国に生まれないでよかったと心から安堵するが、それだけショスタコーヴィチがかわいそうだったという思いが募る。Vnソロの激高にはそれが滲む。この選曲にもしご両人の戦争へのプロテストの思いがあったとするなら、それは作曲者との共振で大いに是とする。

1番には初演者オイストラフとムラヴィンスキーの圧巻の演奏があるが僕はサレルノ・ゾンネンバーグ盤が気に入っている(マキシム・ショスタコーヴィチの伴奏。このCDが廃盤というのだから昨今のクラシック・アルヒーフは絶望的だ)。ソリストはまったく知らない人だが驚いた。いささかの破綻もないフレージング、弦が切れるかと思うほどの魂のこもった ff が汚くならない、 Mov3のカデンツァの意味深い pp が豊穣!客席の奥の奥まで痩せずに訴えかける。体いっぱいで弾いているがなんら苦労しているようには見えない。この余裕たるや、大家然というより全身が才能の塊である。いったいVnソリストというもの昔ながらの伝承でもあるのか、激してくるとこの程度の音程のズレは熱量の証でしょのようなモードに入り、聴衆もそういう事が起きると音楽が高揚していると解釈するのがしきたりのようだが、僕は何であれズレはズレで気になるのでどんどん聴く熱量が下がってしまうという二律背反がおきる。それが少ないソリストは、ちゃんと方程式どおりに熱量がなく、平板で面白くないときている。ところがこの人は驚くべきことにほんの1音符たりともそれがないうえに熱量は2倍もあった。こんなソリストは初めてで、掛け値なしにかつて聴いたヴァイオリニストのNo1だ。休憩でプログラムを見るとこのヤメン・サーディ氏はウィーン・フィルのコンマスではないか。やれやれ、僕は昔のレコードで事足りて時流に乗れてないようだ。楽器が書いてあった。クライスラーが9年弾いた1734年製作のストラディヴァリウス「ロード・アマースト・オブ・ハックニー」とのこと。名器を弾く人は多いが博物館のデモにならず生き返らせてる人はあまりいない。ウィーン・フィルのブランドに埋没しないことだけ祈る。

伴奏のオクサーナ・リーニフ。女性の服にはいたって疎いが、あれはウクライナ風のものだろうか。コンチェルトのオケはTr, Trbを欠きTuba、バスCl、コントラFgありと暗く重めになりがちだがカラフルな音彩にきこえた。この曲はSym10のコンテンポラリーだがSym5のMov3のエコーもあり、僕はその楽章の熱烈な支持者。それを髣髴させるMov1ノクターンは非常に楽しめた。フロリャク。和声の虹彩が美しい。知らない作品に虚心坦懐に浸る喜びを満喫した。トリのバルトークは怪奇趣味に陥らず透明感があって品が良い。春の祭典風のオーケストレーションがあるが1918年の着想であり5年前に初演騒動のおきた作品を意識したとして不思議でない。両作は第1次大戦を挟んで書かれており時代の空気がうかがえるという意味でも傑作だ。リーニフの指揮はダンスのように流動的でビートはメリハリがあって明確。コンチェルトもこの曲も終盤の追い込み、加熱は品格を保ったまま大変エキサイティングだ。この人はバイロイト音楽祭初の女性指揮者としてオランダ人を振ったらしいが大変な才能。読響はコンマスが長原氏から林氏に交代したが洗練されて素晴らしい音を聴かせてくれ、一級品の演奏会であった。

 

なぜ《音楽》は女性名詞なのか?

2025 APR 18 2:02:48 am by 東 賢太郎

楽譜の英訳は sheet music です。妙だと思ったことはありませんか。なぜそうなるかというと、日本語では演奏されたものが「音楽」であって、それを音符で紙に書いたら「楽譜」です。しかし英語はどっちも music なのです。だから「楽譜を読む」は read music です。ということで、楽譜は「紙に書いた音楽」と区別して呼ぶわけです。たいしたことでないように思われるかもしれませんが、言語は民族の精神構造の現れです。「music とは何か」をつきつめれば music は常に music であって、それを紙に書くか書かないかで別物になることはない。西洋人はそう認識しているわけです。いっぽう西洋音楽を初めて聞いた明治新政府は文明開化と軍楽隊による国民の教化と鼓舞を目論み、その音響がどう創造され、記録され、再現できるかを研究しました。種子島に伝来した鉄砲を複製したのと同じやり方です。まず音を sheet music におとす。それを設計図として再現してみる。同じ音響が鳴る。成功だ。それが音楽である。music はもともとは日本になかったのだから「music は常に music」という発想はありません。つまり music は楽譜である。そのように受容されたのです。

では西洋では music とは何であったか?これは空気振動がなぜ人を感動させるかという深遠な問いなのですが、ここでは哲学や美学に踏みこまず、その字義からさぐってみましょう。英語以外の西洋語を学んだ方は名詞に男性、女性が(独語には中性まで)あってひと苦労された経験をお持ちでしょう。僕はモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク(Eine kleine Nachtmusik)が、「ひとつの」はアイン、「小さい」はクラインなのにどうしてアイ、クライなのかがひっかかっていました。「ムジークが女性名詞だからアイン、クラインに e がつく」と知って疑問は氷解したのですが、では「なぜ音楽は女性なのか?」という根本的な理由は不明です。物質と雌雄の関係性でないことは太陽と月が独語と仏語で男女が逆なので確かです。調べると6~9千年前のインド・ヨーロッパ祖語に男性、女性、中性があったのが起源らしく、理屈はなさそうです。

では角度を変えて、なぜ音楽は music と呼ばれるようになったのか?という方から考えてみます。南イタリアのナポリ、ポンペイに近いカプリ島へ行った時のことです。小舟に揺られて「青の洞窟」へ入ると船頭さんのオ~ソ~~レミ~オ~が朗々としたテノールで始まりました。別の船でもやってる。ここでは誰もが歌える感じで素人にしてはうまい。一説では大歌手パバロッティも簡単な楽譜しか読めなかったようですが、日本の音大生は難しいソルフェージュ(読譜、視唱)の試験に通っています。船頭さんの美声の前にはそれが何だろうと思ったわけです。ポール・マッカートニーは音大は出ていませんが、自宅で一人、ギター片手に思いついたメロディーを歌っていたらイエスタディができたとビデオで語っています。

つまりmusic は常に誰かの頭にあるメタフィジックな(形のない)存在で、紙に書いた楽譜はパート譜、備忘録、贈答品、商品、著作権の対象など「物体」にするためにできたものです。モーツァルトは貴族の館や演奏会やオペラの幕間にクラヴィーアで即興演奏を披露して人気を博していましたが、彼にとって即興と作品の区別はなく、「物体」にすべき理由があって書き取ったものが「作品」として死後に残り、ケッヘルが勘定したら626曲あった。それが我々が「モーツァルトをきく」と言った時の「モーツァルト」になったのです。ピアノソナタヘ長調K.332は、理由は不明ですが第2楽章に2バージョンの楽譜があり、本来は消えていただろう彼の即興が聴けます(モーツァルト ピアノソナタ ヘ長調 K. 332)。

つまり music には楽譜がある必要はないのです。この考えの延長線上にジョン・ケージの “4分33秒” が出てくると考えないと、なぜ無音=音楽か?という謎は解けません(ジョン・ケージ小論《 Fifty-Eightと4′33″》)。逆算して考えるなら、 sheet music は無限に可変的な music のいち態様をフリーズ(凍結)し、再現性を永遠に担保するものです。書き取る前の music は量子論における量子のふるまいのように確率でしか表せないという思想が背景にあるからです。偶然性の音楽はケージが創始者ではなく、実はずっと以前から、古代のギリシャから、暗に音楽はそういうものであったというにすぎません。

musicの語源は「熟考する」「思索する」という意味の動詞 muse(ミューズ)です。その名詞形 Muse がギリシャ神話の9人の女神ムーサ(Moũsa)の英語名です。古代ギリシャでは政治、法律、宗教、道徳、科学、地理、数学、哲学の伝達のいち手段がソクラテスの辻説法のような公開の場での朗読でした。そうした知識を国家や民主主義の運営のために大衆に伝える神官のような役目を司った女性たちが存在し、インスピレーションを与えるようなプレゼンをした。その「技芸」が円形劇場での芸術、演劇の原型となって ムーシケー(mousikḗ)と呼ばれ、 やがてmusic になったのです。もうお分かりと思います。だから音楽は女性名詞なのだと思います

新約聖書の時代にギリシャはローマ帝国の支配下にありましたが聖書はギリシャ語で書かれていた。ローマ帝国はあらゆる意味で後の欧州の基盤ですから欧州の精神世界のルーツは紀元前5~8世紀ごろのギリシャにあります。だからルネサンス期のフィレンツェで復興されたのは古代のギリシャ悲劇であり、それに付す音楽はマイナーキー(短調)でした。すなわち音階はラから始まり、ドではなくラがABCのAなのです。それを「opera musicale」(音楽的作品)と呼んだのが後に我々がオペラとよぶものになっていった。そしてオペラの序曲が器楽のシンフォニア(sinfonia)であり、それが独立してソナタ形式をもったドイツの Symphonie (交響曲)になっていったことは言うまでもありません。

ムーサの人数は諸説ありますが、この絵のように9人が有力です。

パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち

古代ギリシャの女性に政治参加の場はありませんが、神官としてはありました。その象徴がムーサだったと考えられます。今流にいうなら女性グループ、女性ユニットですが、muse(熟考、思索)するのだからエンタメの芸人というより知的な人たちだったのでしょう。名前はカリオペ、クリオ、ポリュヒムニア、エウテルペ、テルプシコレ、エラトー、メルポメネ、タリア、ウラニアで、次世代にオルフェウス、ハルモニアがいます。太字はおなじみのレーベル名になっています。レコードというクラシック演奏のアルヒーフを作る事業家たちにギリシャを希求する美学が共有されていたことはとても興味深いです。

『火を運ぶプロメテウス』

作曲家も例外ではありません。モーツァルトの「魔笛」には王子タミーノをザラストロの神殿に導く「3人の侍女」が出てきます。ワーグナーのニーベルングの指輪もヴォータンの9人の娘「ワルキューレ」が出てきますが、これはゼウスの9人の娘ムーサにぴったり相当します。ベートーベンはギリシャ神話に共感し「プロメテウスの創造物」を書きました。第2幕のパルナッソス山の場面にエウテルペ(楽器)、テルプシコレ(舞踏)、メルポメネ(悲劇)、タリア(喜劇)というムーサの女神たちが登場します。このバレエ音楽は無知で感情や理性も欠けている人間(男女2体の粘土)を教化するストーリーを持ち、思想的背景にはイデアは「永遠不変の理想的な範型」であり、不完全な人間はそれを模倣した宇宙に住んでいるとするプラトンのイデア論があります。

音楽をプラトンにあてはめるなら music は心で響くイデアであって、紙に書き取った楽譜やそれを音化した演奏はその模倣だという哲学をベートーベンは理解していたはずであり、スケッチ帳に書き取った膨大なイデアの断片を試行錯誤して再構築することが彼にとっての作曲でした。イデアが完成品として降ってきた様が自筆譜から伺えるモーツァルトとは違い、不完全な人間界での格闘の跡が残るベートーベンの音楽はその意味でも聴く者に勇気を与えるように思います。その代表作である交響曲エロイカに「プロメテウスの創造物」のフィナーレの動機が、やはり交響曲を締めくくる楽章に現れます。彼は10番目の交響曲を完成することなくゼウスの娘たちの数、9曲を残したのは暗示的です。

クラシック音楽を耳にするうち、同じ楽譜の演奏でなぜ心に響くものとそうでないものがあるかという問いが芽生えたのは高校の頃に買った悲愴交響曲のレコードでした。ケンペンとカラヤンとムラヴィンスキーがあまりに異なるのはなぜかという素朴な疑問からそれは始まったのです。楽譜はひとつなのになぜテンポも表情も違うのか、なぜそれでもいいという風に平然と受容されているのか。それがわからなかったのです。例えばビートルズのコピーバンドはオリジナルといかに似せられるかを競うわけですが、なぜクラシックはそうしないのだろうということですね。

チャイコフスキーの演奏記録がないこともありますが、作曲家の演奏したレコードがありながら違う解釈の演奏も認知されているケースがあります(クラシック徒然草―レイボヴィッツの春の祭典―)。作曲家の頭にあるイデアを記号で模倣した楽譜はもとより完全ではなく、作曲家もそのようなものとして採譜しています。例えばメトロノームで速度を数値化はできても、テンポ・ルバートやアゴーギクを正確に示すには微分方程式が必要で、そこまで書いた作曲家は知る限り存在しません。つまり演奏者におまかせの余地が必ずあるという事です。彼らは悲愴交響曲に三者三様のイデアをもっており、それは人間性、人生観、音楽的教養の賜物なのだから異なるのが自然と考えるようになりました。同じ楽譜でも心に響くものとそうでないものがあるのは、自分がその演奏家に共振できるかどうかという事です。自分は進化しますから良いと思うものも変わります。

自分にも人間性、人生観、音楽的教養というものが育ってきますから悲愴交響曲のイデアができあがりました。誰のとも異なるので僕にはどの演奏もぴったりこず、仕方なくシンセサイザーで自分のバージョンを全曲録音しました。だから演奏会で誰かの悲愴を聴くという行為はその差を許容する儀式となりました。困ったことにそれが耐えられない数曲の “特別な” 音楽もできてしまい、もうそれをCDや演奏会で聴くことはないと思います。イデアを心の中で演奏して愛でていれば事足りるし、それが最も感動できるからです。

Vlado Perlemuter
(1904 – 2002)

たとえるならずっと昔に好きだった彼女の姿のようなものです。自分の中だけに存在し、その方はきっと生きておられるでしょうがあの姿はもはや幻でこの世にはないのです。音楽演奏の一回性とはそういうものです。ロンドンのヴラド・ペルルミュテールのリサイタル。聴いたというよりウィグモアホールで参加させていただいたという雰囲気で、まるでパリでショパンやフォーレのサロンの片隅に座っているかのような、当時そうしたプログラムに造詣などなかったのですが、どこか茫洋としたセピア色の記憶が蘇ってきます。おそらくロンドンでもパリでも、そうした雰囲気の場は消えつつあるのでしょう、ペルルミュテールのような19世紀のイデアをもった演奏家は多くが亡くなっていますからね。

では録音でそうした音楽家を聴くことに意味があるのでしょうか。あると思います。そこに住んでいたころ、ああヨーロッパだなあと肌で感じたのは毎日きこえる教会の鐘の音でした。どこの都市でもカランコロン、ガーンガーンと聞こえます。ザルツブルグで、夕刻に遠くから近くから立体的に響きわたるその音を浴びて、ああモーツァルトもこれを聞いて育ったんだと思ったし、ミラノではプッチーニ、バイロイトではワーグナーのことを思いました。聴く方も演じる方もそういう空気の中にいる、そこの劇場で響くドン・ジョヴァンニやタンホイザーが金剛峯寺の大法会のような正調の重みを携えて聴こえる。例えばスカラ座に向かって右側の筋を入って少し行った左側の2階にヴェルディ、プッチーニ行きつけだったタヴェルナがあります。そこで食事やワインやひとときのおしゃべりに興じ、その日を楽しみにして集まっている聴衆に囲まれていよいよオペラが始まる。音楽というものは即物的な音響だけでなく、そうした漠たる “アトモスフィア” が産み出すものなのです。僕は蝶々夫人の熱心な聴き手ではないのですが、スカラ座ならまた聞きたいなと堪能しました。音楽は、宗教がそうであるように、そうした文化が染みついた都市の土壌と人々とが一体となったときに真価をのぞかせるという事があります。

クノッソス宮殿の王座の間

さらにいえば、それは吸い込む空気というものにもあって、地中海に浮かぶクレタ島のイラクリオンにあるクノッソス宮殿に足を踏み入れた時の乾いた空気は、これがミノス王や怪物ミノタウロスが吸ったものかと五感を研ぎ澄まされる感覚がありました。ミノスはいわば天照大神のような存在であって史実としてはほぼ無意味なのですが、鼻腔で感じる空気というものはその都市の土壌と同様にアトモスフィアを醸成していて、そうして様々な場所で味わった記憶が蓄積していって交叉し、僕の中でムーサとジョン・ケージがぴんと張った一本の線でつながるのです。するとギリシャ悲劇もイタリアオペラも、ベートーベンもチャイコフスキーもショパンもフォーレも、うまく説明できないのですが、みなその線上に連珠した点のようになるのです。「music は常に music」という境地はこうすることで訪れてきます。

楽譜(sheet music)の話に戻りましょう。音というものは三次元の存在です。なぜならポンと鳴らしたピアノの音(音響)は縦・横・高さのある空間の空気振動だからであり、我々の脳は音高、強弱、音色とともに空間を認識しています。そして二つ目の音が鳴ると、一つ目の音(の記憶)からの経過時間も認識の一部に加わります。つまり、音が音楽になると、次元が一つ進んで四次元の存在になるのです。楽譜には空間の響きを記しようがないので縦・横だけの紙の上、すなわち二次元の存在です。ということは楽譜を単に正確に音にしましたという演奏は次元が二つ足らない不完全な存在でしかありません。もちろん演奏会場という四次元空間の中で響いてはいるのですが、演奏家の頭にある二次元のイデアがそれで救われるわけではなく、つまらない演奏はムジークフェラインやコンセルトヘボウできいてもつまらないのです。

旧ブルク劇場の内部 (クリムト作)

僕は「music は常に music」という場でたくさんの音楽を聴かせてもらい、四次元のイデアが頭にあります。何度もブログに書いたように「演奏会はホールが大事」というのはそれが次元の三つ目のクオリティを決定する不可欠の要素であり、四つ目を決めるテンポと同様なほどに重要なものだからです。ベートーベンの交響曲第4番の終楽章はひっそり始まり、いきなりフォルテが全奏でパンパンパンと短く鳴りますが、鳴った音と同じほど空間にふわっと散っていく響きが耳に残り、ホールの3次元(容積)、4次元(残響時間)が意識されます。公開初演したホールがヨーロッパ最大級の1200人を収容できた旧ブルグ劇場であり、その空間と残響を意識したベートーベンならではの構想だろうと思っております。

そのことはフルトヴェングラーが「テンポはホールで決まる」と語り、彼を師と仰いだチェリビダッケがそれを敷衍して「そのホールで聴衆の認識がついてこられるテンポで、つまり脳内で音が認識されてから次の音が鳴るテンポでやる」という意味の発言をしたことからもうかがえます。それを家の装置で再生して「常識外れの遅いブルックナー」と批判しても、ヘラクレスザールにいないからそう聞こえるわけで批判の一般性がないのです。 music は楽譜であると受容、教育され、大多数の演奏家も聴衆もそのカルチャーの中で「クラシック音楽」なるものを学習し、鑑賞している日本において「ウィーン・フィルを音の貧しいホールで聴いても時間と金の無駄ですよ」と唱えても正しくは響かないでしょう。

ペルルミュテールのリサイタルの感動は演奏の出来不出来というレベルの話ではなく、ウィグモア・ホールの音響と聴衆のクオリティを包括したところでだけ味わうことのできる体験だったということです。それを味わうには行くしかありません。いまインバウンドで多くの欧米人が大挙してやってきて寿司屋でホンモノに舌鼓を打ってる。ニューヨークのすし店で10万円も出してる客がびっくりする。時代は変わったものだと思いますが文化というのはそういうもの、そう簡単には変わらないのです。思えば高一のときに東名を6、7時間かけて家族で出かけた大阪万博で、4時間も並んで観たアメリカ館の月の石。行列は押せ押せで流されていき、ガラスケースをあっさり通り過ぎてなにやら黒っぽい物体でしたねで終わりました。それでも「見たぞ」という高揚した気分にはなったのが昭和でしたね。仮にペルルミュテールが来ていてもカラヤンやホロヴィッツほどの騒ぎにはならなかったろうし、19世紀のパリのサロンはそもそもそういう場ではなかったでしょう。好きだった彼女は思えばいたって地味な子で、クラスで目立つ存在でもなかったように思いますが片想いでほとんど口もきいたことがなかった。なぜ良かったかはわかりませんが無条件に良かったのです。なにか僕の中にメタフィジックに好きなものがあってそれにぴたっと来たんでしょう。音楽もまさにそういうもの。だから女性名詞なんでしょうか。

 

ツァグロセクのブルックナー5番を聴く

2025 FEB 8 9:09:13 am by 東 賢太郎

ローター・ツァグロセクは昭和のリスナーである我々に残されたドイツ最後の至宝である。昨日サントリーホールに響いた奇跡のようなブルックナーは、半ば茫茫となりかけた40年近く遡るアムステルダムの記憶を呼び覚まし、終演後しばし黙想に耽ることになった。老オイゲン・ヨッフム最後の5番だった。

これがツァグロセクを聴いた2度目のようだ。ようだというのは、この人の只事でない音楽を録音で、例えば、昨今最も好みであるラインの黄金はシュトゥットガルト国立歌劇場とのものであり、ブログで激賞した皇女の誕生日そしてyoutubeにあるエレクトラ、クシェネック2番などを再三味聴しており、肝心の、この至宝をどう発見したのかを忘れてしまっていたのだ。「東さん、それ7番ですよ。ブログにされてる」。夫妻で同行したF氏に指摘され、CDになってますともきき愕然としたものだが演奏会の感想は普通の記事とちがい美食記と同じく読み返さないから結構忘れていてしばしばこうやって恥をかく。8番のために去年の定期を買ったが叶わぬ無念が心を占めていたから昨日の5番は1年ごしの待望のものだった。これに描写していた、 “まったくもって一言一句その通り” の音楽が昨日もサントリーホールに満ちていたことに驚くばかりだ。F氏は最後に神を見たと述べ隣の紳士は泣いていたようだ。

ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く

ツァグロセクは音楽に魔法をかける世界只一人の指揮者である。読響から引き出した馥郁たる弦のppはふるいつきたくなるようで、木管とホルンの絶妙にバランスした完璧な和声、飛び出ずオルガンのように調和する金管といった高度に音楽的な素材が、どうしたらああなるのか、これ以上はないだろうというほど見事な音程(ピッチ)で和合し、それゆえにオーケストラのフォルテに微塵の混濁もなく透明であるという尋常でないことが達成されている。棒だけで出来ることでなく、深く共感して産み出した読響の技術と音楽性はいくら絶賛しても足りない。

ツァグロセクの魔法はSpotifyにある「ラインの黄金」をお聴きになればいい。ワーグナーのオーケストレーションが重みもインパクトも失わずこれほど清澄に響き、歌唱がこれだけ明瞭に音程がききとれるものは少なくこれぞ僕の求めるもの、これがライブであると拍手で知ってまた驚きがひとしおになるというものだ。非常にありていの形容になってしまうがこれは “指揮者の耳の良さ” としか差別化のしようがない。例えばブーレーズの音程が悪いなどということはありえないのであって、そういう部分に心の比重を置いているかどうかが音楽家のひとつの個性だといえないことはないが、そうでない所に置く価値観が特に声楽にあることを理解はしているつもりだが、それを僕が好きなることはないというか、どう譲歩してもそういう演奏を1時間も鑑賞することは難しい。彼が生む音楽はそれほどに印象が強烈で、それはごく内的なものだから心を開いて耳を澄まして初めて感知するものかもしれないが、妙な話だが、個性的でもない彼の指揮姿は忘れても音はずっと覚えているような性質の体験だ。染まるとあらゆる音楽をその魔法で聴きたくなる。知ったものより未踏の作品を開く扉になるほうが喜びが大きく、僕はシュレーカーの「烙印を押された人々」の真価を彼の録音で知った。皇女の誕生日はここにある。

シュレーカー 舞踏音楽「皇女の誕生日」

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ポゴレリッチと上岡敏之を絶賛(読響定期)

2025 JAN 22 8:08:19 am by 東 賢太郎

読響 第644回定期演奏会

2025 1.21〈火〉 19:00  サントリーホール

指揮=上岡敏之
ピアノ=イーヴォ・ポゴレリッチ

ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」

 

8年前、同じサントリーホール(読響)のラフマニノフ2番で唖然とし、ここにボロカスに書いたポゴレリッチのショパン2番を聴くことになった。経験をふまえて眠気に負けると予想し、カフェイン剤のエスタロンモカを1錠。

ポゴレリッチのラフマニノフ2番を聴く

ショパン2番。まず上岡指揮の弦の入りがいい。ppにきこえるが味が濃い(この日、ショスタコーヴィチまで一貫してそうだった)。主題でバスラインを補強するトロンボーンが1本だけ重なる、第3楽章のコーダ、そういうところがダサく2番という作品は1番より敬遠していたが、年齢と共に20歳の純情が恋しくなって時々かける今日このごろだ。

ポゴレリッチが入る。テンポは遅めだが遅いという感じはせず、感情の振幅で揺れはあるが奇矯なことはおきない。それどころか慈しむように紡ぎ出される音がいちいち心に何かを届けにくる様は眠気を寄せつけない。ピアニストはいきなり世界に入りきっている(これは開演前に私服で帽子をかぶって舞台のピアノにむかい、和音を延々とつまびいていてメンタルな準備ができていたのか)。そのオーラで客席も金縛りになる異空間があっという間にホールを包み込んでしまう。オケは極限のデリカシーで寄り添い、粗暴な音は皆無。白眉は第2楽章だ。これは白昼夢でなくてなんだろう。右手が紡ぎ出す息の長い装飾楽節で、粒が揃って速くてビロードのように滑らかな ppがころがる。  ほとんどのピアニストではそれが空疎、無意味に思えて耐えられず、長らくショパン嫌いでいたのだが、ピアノという楽器からこんな音が出るのを耳にしたためしはなかったということだったのだ。ポーランドの民族舞踊とは程遠い抽象化された洗練だが、この人は思いこんだら一抹の妥協もない。そういうラフマニノフを酷評したわけだが、波長が合うととんでもないことになる。アンコールの第2楽章。大事に包んで家に持って帰りたい誘惑にかられた。

後半の11番がこれまたとんでもなかった。冒頭、ハープの低い g に、これ以上は聞こえない最弱音の弦が乗る。眼前にさーっと広がったのは雪化粧した夜明け前の、荒涼とした薄暗い皇居前広場だ。銃を装備した連隊が見える。どうやら二・二六事件の朝である。11番は何度も聴いているしなぜそんな幻影が浮かんだのか見当もつかないが、この pppp ぐらいにきこえる何やら臨場感満載のイントロは一触即発の禍々しい殺戮の予兆を孕んでいる。演奏は凍りつく緊張感が延々と持続し些かの弛緩もなし。映画音楽になりそうな迫真の戦場サウンドがホールを圧し、決して一級品の交響曲とは思わないが、美しい楽音がひとつとしてないのにこれだけ重いものを胸に宿す音楽は他にないだろう。おりしもウクライナとガザでこういうことになっているのだと心が痛むばかりだ。pp を単なる静寂とせず濃い味を与え、そこから音響を積み上げる観のある上岡の指揮は強く訴求するものがある。壮演をなしとげた読響も素晴らしい、ワールドクラスの演奏会だった。

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人生で5指にはいる!第643回読響定期演奏会

2024 DEC 4 19:19:06 pm by 東 賢太郎

指揮=鈴木優人
ソプラノ=ジョアン・ラン
メゾ・ソプラノ=オリヴィア・フェアミューレン
テノール=ニック・プリッチャード
バス=ドミニク・ヴェルナー
合唱=ベルリンRIAS室内合唱団

ベリオ:シンフォニア
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K. 626(鈴木優人補筆校訂版)

 

最高の演奏会であった。アンコールのアヴェ・ヴェルム・コルプスがはじまると同行のビジネスパートナーD氏とともに涙がこらえきれず。べリオは心の底から堪能(Mov3はマーラー3、ラ・ヴァルス、田園、海など響く)。8人の男女声楽ソリストの声、語り、騒音?をマイクで拡声、シェーンベルク「ピエロ」のシュプレヒシュティンメの発展形か(オケとの混合が非常に印象的)。通常オケの音場だがシアターピース的。めちゃくちゃ面白い!指揮、オケにも脱帽。

K.626は自分にとって特別な曲。ジュスマイヤー部分に落差はあるがモーツァルト模倣としてはまあ合格点と思えばいい(彼自身のレクイエムを聴けば良くやったと健闘を讃えたい)。うまいと思ったらベルリンRIAS室内合唱団!(プログラム見てない)。これが聴きたくて本シリーズを選んだ甲斐あった。ソプラノのジョアン・ランが格別に良し!オケともどもの古楽風のピュアな声は生命線であるピッチがお見事(この人のバロックオペラ、リサイタル関心あり)。べリオのソリストはK.626では合唱に加わり、アンコールではそのソリストも合唱に。ああやるなと思ったらニ短調からニ長調の世界が広がって暖かく包み込む。アヴェ・ヴェルム・コルプス(オケパート弾くのが大好きだ)。終演後、このプログラムにして異例のブラヴォーが止まず我々も感動のあまり最後まで残って絶賛の拍手。いかに演奏レベルが高かったか。D氏が「これ見て下さい」とスマホを開くとご自身のサイトのバックはアヴェ・ヴェルムのスコアである!「ちょっと飲みましょう」とパブに入り、K.626にまつわる数奇で神秘的な我が体感を語った。なんという日だろう。

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読響 第641回定期演奏会

2024 SEP 12 7:07:27 am by 東 賢太郎

9月5日にこういうものを聴いた。

指揮=マクシム・エメリャニチェフ
チェンバロ=マハン・エスファハニ

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」作品26
スルンカ:チェンバロ協奏曲「スタンドスティル」(日本初演)
シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D944「グレイト」

二人の若い演奏家の嬉々とした音楽を楽しんだ。生年を見るとフルトヴェングラーやバックハウスのちょうど100才ほど下だ。1世紀たって演奏スタイルや聴衆の好みは変わるがメンデルスゾーンやシューベルトの音楽の本質は微動だにしていない。これから1世紀たってもしていないだろう。2、30年もすれば彼らは先人と同様の大家の列に加わっているだろうが、その若き日の一端をここに記しておくことは何がしかの意味があるかもしれない。

エスファハニが弾いた楽器は何だろうか実に心地よい音で、これならゴールドベルクで眠れるなと悟った。バッハは楽器指定がないから現代ピアノでも許されようが、この音を聴くとやっぱり別の流儀のものだ。スルンカはチェンバロの構造上の音価の制約に着目しているが、その楽器と音価をペダルでコントロールできる楽器では別物の音楽というべきだろう。同曲はチェンバロの機能の極限まで、弦をはじかないカタカタという極北の音響までをコンチェルトという古典的器に盛り込んだ意欲作だ。頭脳で作った即物感はあるものの、12音というデジタル情報で出来た音楽が甘い旋律となって人を酔わせるいかにもアナログ的な効果というものは、ゲノムにあるAGTC4種のデジタル記号から人間というどう見てもアナログ的な存在ができる現象に似ていると思っているのだからメンデルスゾーンのあのコンチェルトが彼の頭脳の産物であって違和感を持ついわれはない。エスファハニがアンコールで弾いた古典も見事でいつまでも聴いていたい嫋やかさだったが、スルンカで開陳した技術、技法の極北的理解は凄みすらあった。

エメリャニチェフはベルリンフィルに登場もして欧州楽壇の寵児らしい。オケは厳密に古楽器奏法かは知らないがアプローチはそれに近い。それでグレートを聴くのは初めてであった。12型でコントラバス4本だと聞きなれたピラミッド型のバランスより弦合奏に透明感が増し、2管編成ではあるが交響曲ではベートーベンが5番で初めて使用したトロンボーンを3本も使っており薄めの弦に対しとても目立つ。使用法も和声ばかりでなくバスラインをなぞったりする場面は極端にいうならトロンボーン協奏曲のようで、同様の印象をショパンの第2協奏曲で1本だけ投入されているバス・トロンボーンで懐いたことがある。両曲はほぼ作曲年代は同じである。

グレートが「グムンデン・ガスタイン交響曲」という説が有力になっているが、スイス時代に母と家族でそのグムンデンに一泊したことがある。ザルツ・カンマーグートの湖畔の愛らしい陶器の街であり、この曲にはその想い出とウィーン楽友協会アルヒーフでシューベルトが提出したそのスコアを眼前で見せてもらった想い出が交錯する。

グムンデン

エメリャニチェフの演奏がシューベルトの意図した音に近いなら新しい経験であったが、Mov1提示部の入りにかけてアッチェレランドがかかるなどロマン派由来と思われる解釈も混入し、博物館の指揮者というわけではない。溌溂とした生命感をえぐり出してみせ、同曲ではかつて覚えのない興奮、高潮で会場を沸かせたのは個性と評価する。この曲は死の兆しが見え隠れする内面世界が希薄で、それに満ちたゆえか放棄してしまった未完成交響曲とは対照的な陽性が支配する。形式的な対比としての短調主題はあるが病魔のおぞましさの陰はないのだからそれでよい。もちろん死の3年前の作曲だからなかったはずはなく、ベートーベンを意識し「大きなシンフォニーへの道を切拓かなくては」と芽生えた大義へのこだわりと気概がそれに蓋をして封じ込め、束の間の躁状態を生んだと思われる。彼はモーツァルト、ベートーベンの全国区的スター性はなくアマチュアと認識されていたから大規模管弦楽作品である大交響曲を権威の殿堂である楽友協会に提出し、受理されアルヒーフに保管されたいという願望があった。寿命が尽きることを悟っていた彼にとって謝礼は少額で演奏もされなかったことは大きな問題ではあるまい。ただ、僕が見た自筆スコアがそれなのだろうが、シューマンが発見しメンデルスゾーンに送って彼の指揮でゲヴァントハウスで初演がなされたそれは兄が管理する「シューベルト宅の机の上」にあったのだ。大規模への拡大の象徴が3本のトロンボーンであるが、この楽器は教会音楽においては死の象徴だ。

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読響 第640回定期演奏会

2024 JUL 11 7:07:12 am by 東 賢太郎

日本語はどうもしっくりこないので原語で記す。

Subscription Concerts No. 640

Tuesday, 9 July 2024, 19:00 Suntory Hall

Conductor= KATHARINA WINCOR
Cello= JULIAN STECKEL

CONNESSON: ‘Celephaïs’ from “The Cities of Lovecraft”
YASHIRO: Cello Concerto
BRAHMS: Symphony No. 2 in D major, op. 73

 

フランスの作曲家ギヨーム・コネソン(Guillaume Connesson,1970年5月5日~)「ラヴクラフトの都市」から”セレファイス”(日本初演)を聴けたのは僥倖だった。調性音楽だが陳腐でなく新しく聞こえる。非常にカラフルでポップな音楽だが、そういう性格の作品の99%に漂う二級品の俗性がなく、いずれ「クラシック」になるだろう一種のオーラをそなえて生まれている。こういうものは人間と同じで、あるものにはある、ないものにはない、要はどうしようもない。いい物に出会えた。タイムマシンで20世紀初に旅し、当時の人の耳で「火の鳥」初演に立ち会っているようなわくわくした気分で聴いた。

コネソン初の管弦楽作品だ。彼のyoutubeインタビューによると、10代で読んだ米国の幻想小説家の作品に感銘を受け交響詩にしたが20余年も放置してきたオリジナルがあった。委嘱を受けそれに手を入れ、2017年に完成した作品だ。バロック風の極彩色のフレスコを意図したそうだがまさにそうなった。7年前にこんな曲が産まれたなんて、まだまだ世の中捨てたもんじゃない。

KATHARINA WINCOR(1995~)

矢代秋雄のチェロ協奏曲は水墨画の世界で、一転して色が淡い。音楽会はそれそのものが展示会としてのアートであって、プログラムのコントラストも指揮者の主張である。それを見事に演出した指揮者カタリーナ・ヴィンツォーの日本デビューは鮮烈だったとここに記しておきたい。いちいち「女性~」と形容するのを僕は好まないが、ことクラシックにおいては、力仕事でもないのに男社会だという理不尽が長らくあった。欧州で聴いていたころはウィーン、ベルリン、チェコのオーケストラの団員に女性を見かけるだけでおっと思ったものだが、ここ数年、楽員どころかシェフというのだからヒエラルキーの様相ががらりと変わっている。ガラスの天井を破ってのし上がってきたのだからむしろ女性であることは能力の証であろう。チェロのユリアン・シュテッケルも良かった。腕前もさることながら楽器の良さ(何だろう?)もインパクトがあった。管弦楽はフランス風だがチェロは京都の石庭にいるような、広々と沈静した音空間を生み出した。アンコールのバッハ無伴奏も同じ音色なのだが、矢代の世界でもぴたりとはまるのは奏者の芸の深さだ。

上記2曲に入念なリハーサルを積んだろう、29才の指揮者のブラームスでヴィンツォーをどうこう評することはない。曲尾のテンポは気になるので僕はライブは敬遠気味だが、微妙にアップして持っていき、十分な熱量をもってアッチェレランドなく堂々と結んだ。いい音楽、指揮者に満足。同行の柏崎氏がブラ2をしっかり聴きこんでこられたのは敬服だ。

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読響定期 ダン・タイ・ソンを聴く

2024 JUN 16 0:00:53 am by 東 賢太郎

指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=ダン・タイ・ソン

ウェーベルン:夏風の中で
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414
シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 作品5

 

音楽に割ける時間が少なくなっているのが悩ましい。ヴァイグレは先代のシルヴァン・カンブルラン同様にフランクフルト歌劇場で活躍した人だが、同劇場は思い出深い場所であり縁を感じる。フランス人カンブルランのメシアンは衝撃的だったが、東独で学びシュターツカペレ・ベルリンの首席ホルン奏者だったヴァイグレの新ウィーン学派はこれまた楽しみで、このシリーズには3月にヴォツェックがあってウェーベルン、シェーンベルク、ベルクが揃う。

この日はヴァイオリニストの前田秀氏とご一緒したが、予習されたとのことでペレアスのスコアを持参された。12音前、ポストマーラーの入り口に立つ作品である。メリザンドは男の本能を手玉に取る。僕も抗しがたいがフォーレ、ドビッシー、シェーンベルク、シベリウスもそうであり、シェーンベルクの回答がこの作品5だ。作品4「浄められた夜」同様に調性音楽で室内交響曲第1番作品9に向けて調性が希薄になる。その時期を横断して書かれたのが「グレの歌」でこれは作品番号なしだ。過去2度ライブを聴いたが春の祭典ができそうな大管弦楽で精密な音楽を構築している。独学の作曲家、おそるべし。ヴァイグレの指揮は主題の描き分けが明快で音は濁らず立体的に鳴り心から満足した。

キャリア官僚を勤められた前田氏はいまは客席よりステージにいる方が多いとのこと。米国の学者との交流、シベリウス5番を平均律で弾けという指揮者の指示など興味深い話を伺った。思えば氏とは2017年に豊洲シビックセンターで行った「さよならモーツァルト君」の演奏会で、ライブイマジン管弦楽団のコンマスをやっていただいたのがきっかけだ。ハイドンが98番にジュピターを引用してモーツァルトを追悼したというテーマだったが、そういえば、ピアノ協奏曲第12番はモーツァルトがヨハン・クリスティアン・バッハの訃報を知り、彼のオペラ「心の磁石」序曲の中間部を引用して追悼した曲だ。偶然だが何かのご縁だったのだろうか。

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読響定期 ヴァルチュハのマーラー3番を聴く

2024 MAY 22 2:02:00 am by 東 賢太郎

指揮=ユライ・ヴァルチュハ
メゾ・ソプラノ=エリザベス・デション
女声合唱=国立音楽大学
児童合唱=東京少年少女合唱隊

マーラー:交響曲第3番 ニ短調

(サントリーホール)

 

自分からマーラーを買うことはない。定期のコースメニューだから好き嫌い言えないのはメリットと考えよう。3番はライブで多分2回しか聴いてないが、82年にフィラデルフィア管、86年にロンドン・フィル、どちらも故クラウス・テンシュテットの指揮だった。

ロンドンが凄い演奏でここに書いた。2015年、9年前のブログだ。

僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

人生で聴いたベスト10に入ると書いているのだから3番という曲にも思い入れが出ていそうなものだが、そこから38年聴いてない。我ながら不思議なことで、マーラーとの相性を象徴する。

今日はチェコの新鋭ユライ・ヴァルチュハである。48歳。テンシュテットと比べてもいけないが、ああこういう曲だったのだなと思った次第だ。音のロジックとして構造的(structural)な楽曲でないから次々にあれこれと繰り出される場面と考え得る全ての意匠を尽くした音彩に圧倒され、読響はそれを見事にゴージャスに展開して見せた。第1楽章、各々が舞台空間において距離をおいて定位するVn群、Trb群、木管、打楽器群の音響が移り行くさまは20世紀音楽を予言する。オーケストレーションにベルリオーズやR・コルサコフとは異なる趣向の感性でマニアックだったマーラーは舞台、合唱隊、舞台裏の3次元パースペクティブを3番で実験している。そこにメゾ・ソプラノが現れると、これまた異界の音響となるのだ。

ブーレーズがブルックナーをやってもカソリックだから理解しなかったことはないが、マーラーを全部やったのは非常に驚いた。残念ながら彼の指揮でも面白いとは思わないが、こうした音響的側面への関心で耳を澄ますと別なものが見える。彼がバイロイトに出たのもそれだったのだ。そのようなことは言うまでもなくオペラに活きるだろう。一曲だけで即断はできないがヴァルチュハはそちらの才があるのではないかと感じた。プログラムによるとフェニーチェ劇場でピーター・グライムスを振ったらしいが、とても聴いてみたいと思わせるものがあった。

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チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

2024 JAN 28 14:14:50 pm by 東 賢太郎

チャイコフスキーの5作目のオペラ「エウゲニ・オネーギン」はジェームズ・レヴァイン指揮、フレーニ、オッターの女声陣とドレスデンSKという魅力的な録音がある。ただロシア語でライブでとなるとそうは機会がないうえに、あっても都合がつかなかったりで実演は新国立劇場で先日聴いたのが初めてだった。オペラ鑑賞は迷ってはいけない、少しでも関心があれば思い立ったが吉日というものだ。戦禍でロシア物は長らくご無沙汰気味だったからこの公演は貴重だった。プロダクションはほぼオール・ロシアといってよく、指揮、演出、美術、衣装、照明、振付、タチヤーナ、レンスキー、オリガをロシア人で固めている。しかしタイトルロールのオネーギン、および唯一のバス役であるグレーミン公爵はウクライナ人というなかなか考えさせられるキャスティングである。

チャイコフスキーの父方の先祖はコサックの軍人だ。彼は何分の一かはウクライナ人であると言えないこともない。2才下の妹はウクライナのカミヤンカ(キーウの近郊)にあるダビドフ家に嫁ぎ、交響曲第2番はそこで作曲したし、エウゲニ・オネーギンもオーケストレーションの一部をその家で行った。それだけではない、小説エウゲニ・オネーギンの作者アレクサンドル・プーシキンもダビドフ家を訪問しており、その建物は現在はプーシキン・チャイコフスキー博物館になっているとなると、この公演の背景には一本の糸が張られていると思えないでもない。空想に過ぎないが、戦争の終結をシンボライズしているかもしれない。

プーシキン・チャイコフスキー博物館

歌については、まずグレーミンのアレクサンドル・ツィムバリュクが格別に素晴らしかった。これだけのバスはそう聴けるものではなく、すべての役を彼で聞いてみたいほどだ。もう一人挙げるならレンスキーのヴィクトル・アンティペンコだ。ドン・ホセ向きの軽めで明るいテノールにも聞こえるがキャリアを見るとパルジファルのタイトルロール、ワルキューレのジークムントと重い役も演じており伸びしろがありそうな人だ。ともあれ主役級5人のレベルは高く、これが日本で聴けるとは嬉しい限り。至福の時を過ごせた。

このオペラだが、チャイコフスキーはバイロイトで鑑賞したニーベルングの指輪を「殺人的に退屈」と評した人だ。あえて「抒情的情景」と呼んだこれがワーグナーの楽劇と対極の音楽になっているのは必然であり、それが彼の持ち味と考えていいだろう。しかし、書いたのは交響曲第4番と同じころ、すなわち、熱烈な手紙を書いて迫った女性アントニーナ・イワノブナ・ミリュコワと衝動的に結婚したもののほどなく決裂し、相手も自分も精神が破局に陥って自殺まで図ったまさにその頃なのだ。一目ぼれしたタチヤーナに熱烈に迫られるという第1幕のオネーギンの設定が自分の体験とダブルフォーカスしなかったとは考え難く、同曲の平穏、平静は何だろうと思う。ホモセクシャルの気持ちを推量することは僕にはできないが、4番第1楽章が物凄い音楽になってしまっているという現実は誰も否定できないのである。

彼は「このオペラを舞台上で大衆が鑑賞することは難しいだろう」と言ったようだが、僕はその大衆のひとりかもしれないというのが実演をきいた感想だ。オネーギン君の気持ちはわからないでもない。その昔ラブレターをもらい、彼のように説教はしなかったもののその女性は遠ざけるようになってしまうという僕は妙にひねくれた男であった。もし人妻になった彼女にプロポーズしてはねつけられたらオネ君のようになったかと思わないでもないが、レンスキーが怒り心頭に発して決闘に至るくだりの音楽は少々説得力に欠けないだろうかとも思う。決闘は当時のロシアでは文化であり、恋人と踊ってじゃれあったぐらいでそうなるのもあり得たのかもしれないが、レンスキーの死をドラマの極点にしないとこの物語はもたない。しかし、そこで激してしまってもオペラの終結が相対的にドラマティックに感じないという矛盾をリブレットが内包しているため、チャイコフスキーの内省的な常識が勝ってしまったように思う。

おそらく原作を読めば腑に落ちるのだろうし文学の才がない人間がプーシキンにケチをつける愚は避けよう。音楽だって、随所に現れるチャイコフスキーらしいメランコリーは魅力的であり、宴会、舞踏会シーンの賑わいは見事にオペラティックである。つまり良いオペラの条件は揃えており、だからこそマーラーやラフマニノフ(!)がこれを指揮しているのだが、その路線であるなら多くの聴衆はヴェルディと比べてしまうのではないかとも思う。彼の3大バレエにそれはなく、おとぎの国の音楽には資質が100%発揮される、そういう資質の持ち主であった。僕の場合、どうしても比較してしまうのはムソルグスキーだ。彼は満足にオーケストレーションもできない作曲家だったが、「ボリス・ゴドゥノフ」の暗い生命力と権力の理不尽をえぐり出すむき出しの土俗と摩訶不思議な混沌は今なお衝撃であり、ストラヴィンスキーのいくつかの作品と同様に何年たっても前衛的と評されるしかないという性質の前衛性を纏っているという意味で僕は同作こそロシア・オペラの最高峰と考える。そういうものは西欧派であったチャイコフスキーには求めてもない。ちなみにヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者は、彼がレコード会社のマーケティングによって世俗的に纏わされたイメージからするとオネーギンこそ振っていそうなもので(振ったかもしれないが)、唯一録音したロシア・オペラはボリス・ゴドゥノフなのである(大変な名演だ)。

誤解なきよう記すが僕はチャイコフスキーのアンチではない。4番のブログは父が亡くなった一昨年に内側からのどうしようもない力で書いたもので、もう書けそうもなくて自分で好いているもののひとつだが、僕がチャイコフスキーを畏敬する者であることをお分かりいただけると思う。

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36

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