Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______演奏会の感想

N響定期ネーメ・ヤルヴィのフランク、サン・サーンス

2019 MAY 22 22:22:20 pm by 東 賢太郎

イベール/モーツァルトへのオマージュ

フランク/交響曲 ニ短調

サン・サーンス/交響曲 第3番 ハ短調 作品78

 

イベールは初耳。軽妙。フランクはかつて知るうちで最速である。パレーより速い。いまこのテンポで振る度胸のある指揮者がいるだろうか。甚だ疑問だ。有無を言わせぬ奔流であり、転調の明滅に目が眩む風にフランクは書いているのであり、遅いとムード音楽に堕落する。指揮はミクロで振っている。チェロは指揮台の下(!)に棒が行く。大家然で細部はおまかせ、ではまったくない。棒の動きは大きくはなくキューが速く明確。キューがいらぬ部分は体で指揮。見ているだけで出てくる音の質がわかる。この大御所にして眼力によるマイクロマネージメントができる。日本の大企業経営者は見習った方がいい。

サン=サーンス。こういうものを聴くと曲を見直すしかない。餓鬼の酒と馬鹿にしていたら、きゅっと冷えた辛口大吟醸ではないか。いや、参りました。こっちも大きなうねりだがスローな部分でオルガン(鈴木優人)をいい具合に混ぜる。重低音がホールの空気を揺るがし、オーケストラを従者とし、楽器の王として君臨する。コーダは世界を制覇したナポレオンの如し。このオッさん凄いな、押しても引いても微動だにせんなと感じ入ったのは、シベリウス2番の時もおんなじものが残ったからだ。ムラヴィンスキー直伝。ヨーロッパの伝統筋金入りだ。つくづく思う、我が国は伝統を大切にしなきゃ。

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ヴァイグレ/読響のヘンツェ、ブルックナー9番

2019 MAY 16 23:23:24 pm by 東 賢太郎

《第10代常任指揮者就任披露演奏会》
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ

ヘンツェ:7つのボレロ
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 WAB.109

 

ヘンツェが良かった。自作自演の交響曲1-6番のCDは大事にしているし8番はブログにした。

ヘンツェ 交響曲第8番(1992/1993)

7つのボレロ」も atonal ではあるが、リズム(ボレロ)はもとより旋律も調性も構造もある「無調的調性音楽」に僕には聞こえる。どれもそうだが彼の曲は不思議と肉感のある機能和声ではない万華鏡の如き和声が魅力で、これを現代音楽としてとらえるなら悲しいことだ。同じく好きなメシアンには色彩と神性を感じるが、ヘンツェは肉体と森の昇華をイメージするからドイツ音楽の系譜にあると思うし、ボレロはドイツの立場から描いたラテン的ものが加わる。読響も一個の音響体として舞台に美しくソリッドな実在感を据えて演奏し、文句なしの悦楽だった。これを常任指揮者としてオープニングに持ってきたヴァイグレの趣味に賛同。

後半のブルックナー9番。この曲は02年にスクロヴァチェフスキがN響を振ったものが良かった。トルソである故にプロポーションのバランスがなかなか納得性が得にくく、それは演奏時間というよりも感情の起伏のバランスだ。ヴァイグレはそれを調和させて整える方向でなく、あるがままの、ある意味で当時前衛的でもあった音の軋みまで臆さず前面に出してsachlichに提示したと思料。非常に恐ろしいものを含んだスコアであることがわかった。トルソがトルソに聞こえる意味でもこのリアル感ある演奏は面白く、あえて後期ロマン派に寄せた緩い演奏よりはずっと良い。

 

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読響定期(エルツとフラング、最高!)

2019 APR 18 10:10:14 am by 東 賢太郎

今日は行ってよかった!まずなんて見事なプログラム。そしてストラヴィンスキーのコンチェルトを弾いたヴィルデ・フラングの最高級の純度と暖かい木質感を兼ね備えた美音(アンコールのハイドン!)。この曲はプルチネルラや小管弦楽のための組曲の感じをヴァイオリン主役のディヴェルティメントに仕立てた風情の新古典主義時代の作品で大変に面白くフラングの名技と品格あるセンスに脱帽。トゥールの「幻影」は日本初演で作曲者臨席。コリオランとの関連は聴き取れなかったが何やら暗く重い影がよぎる曲だ。武満の「スター・アイル」は音楽の作りがさすが。メシアンのごとく荘重に開始するが、不協和な和声が何とも不思議に美しい。それにしても、どうしてだろうか、今日の読響の音は格別に良い。最後のシベリウス5番、これは特筆ものだ、かつて聴いたうちでベスト3に入る。オラリー・エルツというエストニアの指揮者、初めて聞く名だが只者でない。非常に活舌(アーティキュレーション)が明確で弦のごわごわまではっきり聞こえる。Mov1の主題の再現前のそれは pppp (!)まで音量を落としておいてコーダ前で fff まで行くが、このダイナミックレンジの最大量の変化にテンポの加速が絶妙に呼応。ここはなかなか良い演奏がない難所であり、かつての最高。完全にノックアウトを食らった。Mov2は透明でロマン派に傾斜しないのも好ましい。耳鳴りみたいに響く増4のファ#があまり鬱陶しくないのもユニーク。Mov3のハ長調に転調した部分、Cbの十六分音符のバチバチという弓音が通常以上に響きわたって驚くがこれも活舌の内なのだろう。Vnの pp からコーダに向けて徐々に木管が入るが、このあたりの楽器群のパースペクティヴ(遠近感)は舞台の奥行きの空間感覚まで表現の一部とした全く耳慣れぬものであり、唖然として印象に残った。読響・エルツでシベリウスを全部聴きたいなあ。今期は仕事と体型改善(ジム)でコンサートは時間がなく、迷ったが読響定期だけsubscribeする結果になった。

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「グレの歌」(読響定期)- カンブルランへの感謝

2019 MAR 15 22:22:32 pm by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン

読売日本交響楽団
ソプラノ=レイチェル・ニコルズ
メゾ・ソプラノ=クラウディア・マーンケ
テノール=ロバート・ディーン・スミス、ユルゲン・ザッヒャー
バリトン・語り=ディートリヒ・ヘンシェル
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=三澤 洋史)

これがカンブルランをきく最後になってしまいました。

メシアン「彼方の閃光」、「アッシジの聖フランチェスコ」(全曲日本初演)、 J.M.シュタウト ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)、デュティユー交響曲第2番「ル・ドゥーブル」、ヴィトマン クラリネット協奏曲「エコー=フラグメンテ」(日本初演)、アイヴズ、「ニューイングランドの3つの場所」

などはもう聴けないかもしれないし、

バルトーク「青ひげ公の城」、コルンゴルト ヴァイオリン協奏曲、ブリテン歌劇「ピーター・グライムズ」から”4つの海の間奏曲”、ブルックナー交響曲 第6番 イ長調 作品106、マーラー交響曲 第9番 ニ長調

も大変印象に残りました。陳腐な演奏は皆無でしたし、やはり何より「アッシジの聖フランチェスコ」は僕の50余年のクラシック歴のなかでも最上位の体験でした。

http://読響定期・メシアン 歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」を聴く

そして昨日のグレの歌。ブーレーズの録音で聴いていますが実演が初めてであり、心から堪能しました。トリスタンの影響がありありとあるのは和声がきれいに解決せず延々と旋律が伸びていくところです。解決は機能和声の宿命ですが、宿命から自由なこれを書きながらシェーンベルクは機能和声までも抜け出したくなって十二音に行きついたのかと思ってしまいます。

ワーグナーもどきであったとしても初期にこれだけの作品を独学の人が書いたという驚異を皆さんはどう思われるのでしょう。第3部は1911年とシェーンベルクが無調の領域に踏み出してから完成されましたが、第2部までとは和声の扱い方に不気味さが増していながら無調にはせず、なんとか木に竹を接ぐとならないように腐心した跡が感じられます。最高の音楽、最高の演奏でした。

僕がドイツに住んだのは1992-95年ですが、カンブルランは1993- 97年にフランクフルト歌劇場の音楽監督でしたから重なってます。当時は無名で、マイスタージンガーなどを聴いていますがピットの中だから姿さえ覚えてません。ご縁があったということですが、こんなお世話になろうとは夢にも思いませんでした。

彼でなければ絶対に聴けなかった曲を体験することはぞくぞくする知の冒険でありました。カンブルランの図抜けた指揮能力、読譜力、解析力、記憶力、運動神経、音楽へのdevotion(献身)は何時も驚異であり、自分が逆立ちしても及ばないことができる人を目の当たりにするのは無上の喜びでした。僕は人生において万事独学主義なのですが、極めて少数の例外がございます。教育界ではお二人だけ、駿台予備校の根岸先生(数学)と伊藤先生(英語)にそれぞれの領域で最高の敬意と感謝をささげており、クラシック界ではピエール・ブーレーズが唯一の先生でした。ここでもう一人、シルヴァン・カンブルランが先生に加わりました。9年間お疲れさまでした、そして、本当にありがとうございます。

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ツァグロゼクのブルックナー7番(読響定期)を聴く

2019 FEB 23 1:01:30 am by 東 賢太郎

指揮=ローター・ツァグロゼク

リーム:Ins Offene…(第2稿/日本初演)
ブルックナー:交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107

リーム作品は正直のところ僕にはよくわからなかった。リズム感覚が希薄であり音色勝負の曲なのだろうとは思ったのだが、アンティーク・シンバル(客席を含む各所の楽器群に配置され弓で弾かれていたらしい)の高いピーピーいう音自体が生理的に苦手なうえにピッチのずれもあってどうも心地よくない。ツァグロゼクは名前も知らなかったが、この手の音楽に熱心なんだと感心。

ブルックナーもあまり期待しなかったが、冒頭の弦の音に耳が吸い寄せられる。Vaの前あたり5列目で良い席ではなかったが、そこで良く聞こえるVa、Vcのユニゾンが素晴らしくいいではないか。1stVnの高音もいつにない音だ。ホルンとのブレンドも最高。サントリーホールで聴いた弦の音でこれがベストじゃないか?良い時のドレスデン・シュターツカペッレ、バンベルグSOを彷彿。去年のチェコ・フィルやクリーヴランド管の弦なんかよりぜんぜんいいぞ。指揮者とコンマス!Vaセクションは特に見事。

ツァグロゼクは暗譜で振っていたが全部の音の摂理を知り尽くしていること歴然の指揮。知らなかった、こんな指揮者がまだいてくれたのか!アンサンブルは整然だが第2楽章など音楽のパッションとともに内側から熱くなる。こんな演奏はここ10年以上ついぞ耳にしたことがない。Va、Vcの内声が常にモノを言っていて、型を崩さずに内燃するという欧州のドイツ音楽正統派オケの必須の姿である。こういう本格派オーケストラ演奏を聴けたのは幸運としか言いようもない、欧州時代を思い起こしてもカルロ・マリア・ジュリーニ以来のことである。ツァグロゼクは何才なんだろうか、僕がロンドンでジュリーニを聴いていたのは彼の70代後半だった。指揮者は何ら奇天烈なことをせずとも、やるべき大事なことがあるということだ。

かつてライヴで聴いた7番でベスト。本当に素晴らしい。読響も最高の演奏で指揮に応えたことを特筆したい。録音していたならぜひCDにしてほしい。ツァグロゼクに読響を年4、5回振ってもらうことはできないだろうか、ブルックナーを全曲やってもらうことはないものねだりだろうか。

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N響B定期・春の祭典を聴く

2019 FEB 21 0:00:31 am by 東 賢太郎

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ。最初のファゴットのハ音の異様な長さからいやな予感がしたが、徹頭徹尾そうであった。指揮者は何か他人と違ったことをやりたかったのだろうが大きく勘違いの方向でそれをした。ドンシャリの体育会色満載でデリカシーも神秘性のかけらもなし。ブーレーズを聴いて育った身として、こんなものが同じ作品とすら言い難く怒りすら覚える。

バスクラ、チューバはどうでもいい部分まで野放図なフォルテに聞こえ、ということはつまり、この演奏は全曲にわたって p (ピアノ)というものがなく、全管楽器が百家争鳴、コンクールで張り切ったブラバンみたいに鳴っているということである。ひとこと、うるさい。50年この曲を聴いてきたが第2部の序奏のバスドラがドロドロの部分でトランペットをあんなに強く吹くのを耳にしたのは寡聞にして初体験である(スコアの pp は何だ?)。練習番号87の神秘的なフラジオレットや第2ヴァイオリンなど驚くべきことにまるっきり聞こえない。こんなひどい演奏は知らない。スコアは「弱音器付」とある。要するに現実として、付けたら聞こえるはずのない音量で木管が鳴っていたということであって、従って、理屈からしておかしいのだ。生贄の踊りの2+3拍子はお口当たり良く丸まってスタイリッシュにポップ化している。はるかにましなカラヤンのですらダメ出ししたストラヴィンスキーは絶対に許さないだろう。指揮者は体操競技の「G難度」「H難度」をクリアしてどうだと拍手喝采を狙ったに違いない。そう思っていたら何でもない練習番号155でピッコロトランペットが落っこちてしまう。誰もが唖然だったろうが、ここまでくると馬鹿らしくて見てもいられない。暴風雨が轟音とともに通り過ぎ、終わった後には見事に何も残らない。同じN響でも2016年のヴェデルニコフのは良かった。読響を振ったロジェストヴェンスキーはもっと良かった。指揮者のモノが違う。日本の聴衆をなめるのもいい加減にしてほしいが爆演の割に拍手は少なめで、良識を感じた。

 

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N響定期B(トゥガン・ソフィエフをきく)

2019 JAN 17 23:23:18 pm by 東 賢太郎

フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」作品80

ブリテン/シンプル・シンフォニー 作品4

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35

サントリーホール

このところ音楽はさっぱりで悲愴など感情が共振する音楽しか食指が伸びていない。心の石灰化現象だ。仕事漬けになると左脳優位になるんだろう、オーケストラがバラバラに聞こえやたらと粗探しに耳が行ってしまう。音楽家は毎日楽譜を見ていてこういうことがないのだろうか、もしあったら大変だろうな。

ソフィエフはプロコ5番が良かったがその後は印象がない。前半はあまり集中せず、ブリテンのこの曲は性に合わずいいと思ったことは一度もない。シェラザードも特に聞きたい曲でもない。来てしまったものは仕方ないがこういう時は座席に拘束されるのが苦痛でもあり、出し物が何であれもう演奏会なるオケージョンにけっこう飽きてしまった。

シェラザードはアンセルメのレコードが、明らかなミスである第1楽章のアンサンブルのズレまで完璧に刷り込まれていて、まずいことにその通りでないと物足りない。あれ以外まったく受け付けなくなってしまったからライブを聞いてどうこう言う立場にない。

終楽章のテンポだけはチェリビダッケの秘技も例外的に刷り込まれていてソフィエフに注目したが、フルートがギリギリ危ないほどの速さで脱兎のごとく駆けだしたはいいが顚末は平凡だ。最後のソロのピッチはいつもライブでハラハラするが、まろ様はプロフェッショナルに乗り切って見事だった。最近ピアノもさっぱりなので第1楽章をやったら案の定けっこう指が忘れている。

 

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今年の演奏会ベスト5

2018 DEC 30 16:16:27 pm by 東 賢太郎

第1位

マリア・ジョアオ・ピリス最後の公演

第2位

マリア・ジョアオ・ピリス演奏会を聴く

第3位

アンヌ・ケフェレックを聴く

第4位

鈴木雅明/読響のメンデルスゾーンに感動

第5位

クリーヴランド管弦楽団演奏会を聴く(天皇、皇后両陛下ご臨席)

 

法学部卒ですから経済学を知らず、ウォートンで習って初めて知ったことがたくさんあります。会計学がそうで、簿記も知らなかったからそれも含めて英語でゼロからであって、いまだに会計用語は日本語の方をよく覚えてません。経済学でも「限界効用価値逓減(ていげん)の法則」なんてのでがそうで、英語で law of diminishing marginal utility というのですが、これも英語のほうがロジカルで数学的にわかりやすい。日本語は限界、効用価値、逓減の定義がよくわからんのです。一個でもわからんとロジカルにはわからない。それでアバウトにわかった気になる人は例外なくロジックに弱いです。

逓減と低減とどう違うのか?なにやらぼわっとした「文学的要素」が入る気がして、要はそんなものどっちでもいいのですが、この訳語を考案した御仁の趣味の問題であって、僕はそういうつまらない恣意の雑音が入るとロジカルな概念を理解できなくなる頭の構造なので英語のほうが断然よかったのです。逓減には低減にはない漸減という時間概念がはいるという工夫は評価するが、英語はそれをmarginal でロジカルに誤解なく示すわけで、その仕事をdiminishにはさせないのですね。それならなぜ漸減にしないの?と、まあ、この提案を含めて訳者のどうでもいい趣味としか言いようがない。僕は彼に何のリスペクトもないですから、そんなのを押し付けられることに頭が反発して学習意欲もなくなるのです。

要するに「ビールは一杯目が一番おいしい」なんですが、これは「とりあえずビール!」と居酒屋でやってる人は誰でもわかる。しかしビールが変化するのでなくの個々人の主観(満足度)が変化するので統計的に把握できませんから数学的概念として定量化(需要曲線)して微分してみようというインテリジェンスには当時感動すら覚えたものです。こういうインテリジェンスに満ちた「原書」を翻訳して手っ取り早くインフォメーションとして教えるのが日本の大学で、そのために明治政府が作ったのが我が東京大学なのでありますが、アメリカで教育を受けてみて、インフォメーションとして学習した学生が(そのこと自体は悪くはないが)どのぐらいそれをインテリジェンスに還元して日々の生活やビジネスに活用できているかというと大変に疑問に思ったものです。

それは「千人の第九」で音楽家でない多くの方々があのコーラスを大音量で力の限り唱和して、全員が一つになって感動して涙を流し、それは人間として大変に結構なことで何の違和感もないし、そういうイベントを企画した人たちや指揮者やオーケストラや裏方さんたちも讃えられてしかるべきなのですが、しかし、お客さんも含めて、そこにいたすべての方々が、終演後の拍手の何パーセントを Ludwig van Beethoven 氏のインテリジェンスに捧げていたか? 僕は疑問であり、この疑問は日本の大学教育への疑問と同根、同質であると確信するのです。

僕が  law of diminishing marginal utility のインテリジェンスを実生活で還元するとなると、ビールよりも(弱いから何杯も飲めない)、音楽でリアルに体感するわけです。なるほどこれは law であるわい、と。ブラームスの交響曲のレコードやCDを500枚も持ってる僕がどうして501枚目を買うんだろう?501杯目のビールですからね、utility (満足度)はほぼゼロですね、もう吐きそうだ。演奏会でブラームスの交響曲のチケットを買うかどうか?おんなじです。ブラームスに限らず、1万枚もレコード、CDのストックがある人間として、1万1枚目に対するモチベーションはもうあんまりないのです。だから僕は定期演奏会を2つ買って、プログラムを見ずに、「シェフのおまかせ」状態で通うしかない。見てしまうと「この曲はよく知っている。もう満腹。やめとこう」となって、行く気が失せるからです。

そういう中で、今年の演奏会ベスト5は上記になりました。1,2,5位は「定期」でなく自ら買ったもの、3位はいただきものでした。ちなみに5位は、演奏はぜんぜんで、偶然すぐお近くの座席におられた天皇、皇后両陛下に謁見できたことへの感謝ですね。平成の終わりの年にありがたき幸せでした。終演後の拍手は2019年4月30日で退位される天皇陛下に向けて、敬意をこめ、懸命にさせていただきました。

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N響B定期・ノセダのラフマニノフが最高

2018 NOV 15 1:01:26 am by 東 賢太郎

指揮:ジャナンドレア・ノセダ
チェロ:ナレク・アフナジャリャン

【曲目】 レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア 第1組曲
ハイドン/チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 Hob.VIIb/1
ラフマニノフ/交響的舞曲 作品45

レスピーギは軽めのアプローチで弦がきれいだ。ハイドンを弾いたアルメニア生まれのアフナジャリャンは楽しめた。聴きながらハイドンの1番をロンドンでロストロポーヴィチで聴いたのを思い出した(あまりに軽々と巧みすぎてヴァイオリンのように聞こえた)が、バイオを見るとロストロの弟子だった。アンコールは奏者の声(歌)と交差する曲で面白かった。

前半も良かったが休憩後のラフマニノフが圧巻だった。この曲はオーマンディ/フィラデルフィア管に献呈され初演しており、僕は83年に当地(アカデミー・オブ・ミュージック)でアシュケナージの指揮で聴いた。もともと2台のピアノ用に書かれ作曲者とホロヴィッツで試演しており、そのバージョンもアルゲリッチとラビノヴィッチで聴いた。しかしノセダとN響はそのどれより良かった。

これだけN響から厚みあるリッチでフルボディの音を聞いたことがなく、ラフマニノフのオーケストレーションが格段に優れているとも思えず、どういうマジックだったのか、ソリッドに鳴る各パートの艶もカラーも見事だった。これはワールドクラスの演奏だと特筆大書したい。同曲はあまり関心をそそることもなく、はっきりいうと駄作の判を押してきたが、魅力の一端を初めて知った。イタリア人のノセダは初めて聴いたが、この演奏は大変にmemorableである。

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鈴木雅明/読響のメンデルスゾーンに感動

2018 OCT 28 10:10:46 am by 東 賢太郎

指揮=鈴木 雅明
ソプラノ=リディア・トイシャー
テノール=櫻田 亮
合唱=RIAS室内合唱団

J.M.クラウス:教会のためのシンフォニア ニ長調 VB146
モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
メンデルスゾーン:オラトリオ「キリスト」 作品97
メンデルスゾーン:詩篇第42番「鹿が谷の水を慕うように」 作品42

 

仕事の準備等で忙しくあまり眠れていない。だから読響は行くかどうか迷った(居眠りでは申し訳ないし)。結局行くには行ったが前半はだめ。意識が飛んでしまう。39番はモダンオケでピッチの恐怖はなかったもののアンティーク解釈は好きでない。ブリュッヘンのライブを聴いたが、読響もほぼ同サイズの編成でティンパニの位置まで同じだった。僕が39番の真価を初めて知ったのはフリッチャイ盤だ。あれがおふくろの味なんだから、ほんとうはこうなのよと言われてもどうしようもない。

睡魔に参ってしまい、15分の休憩でセイジョーイシイに駆けこんで高濃度カテキンのお茶を買って一気飲みした。カフェインぬきだったらなんのこっちゃと思ったがどうやら入ってたんだろう、目はパッチリしてきてひと安心。ぎりぎりで席に戻る。すると今度はトイレが心配になってくるという塩梅で、コンサートひとつにこんなに苦労するようになった。もうバイロイトなんてありえねえやと思いつつ指揮者の登場を待つ。

メンデルスゾーンの宗教曲というとエリヤが忘れ難い。フランクフルトの部下にドイツ人 H 氏がいて、博士だったのでDr.(ドクトル )Hと呼んでいたが、年上だった彼はクラシックが博学、博識だった。僕はほぼ無知に等しかった宗教音楽を彼に習った。エリヤを聞けといわれアルテ・オーパーに一緒に行ったのがきっかけだ。神々しい音楽だった。ドクトルぬきにキリスト教徒でない僕がバッハ、ヘンデルを含めて宗教音楽をいっぱしにわかるなんてどう考えても無理だった。

後半は楽しみだった。そして報われた。鈴木 雅明さんはバッハを何枚か持っていてみんな良かったが実演は初めてだ。なんとドイツ人が敬服してついて行っているぞ。僕にはわかる。そんな簡単な人たちじゃないのだ。ソプラノのリディア・トイシャーは美声だ(美人だしフィガロのスザンナを歌うビデオがyoutubeにあるが全曲聴きたくなる)。櫻田 亮のテノールも見事だ。眠気などすでにおさらばだった。そしてなによりRIAS室内合唱団!うまい、最高!

鈴木さんの指揮は人柄まで見て取れる気がする。音楽に奉仕する魂が音楽家の共感を呼んでいると感じた。聴く方だってそうだった。マリア・ジョアオ・ピリスのリサイタルを聴いて自分が何に感動して涙まで流しているのかわからない。音楽を聴いてそういうことは、長い記憶をたどってもあまりないと書いたが、鈴木さんのメンデルスゾーンに同じことを記すことになろうとは、行くかやめるかなどと迷っていたぐらいなのだから想像だにしなかった。

心の底から突き上げてくる感動。わけもなく涙が止まらなくなった。歌われた言葉ではない(なにせ読んでもいない)、音楽の力、歌の力としか考えられない。ドクトルHはメンデルスゾーンがナチスのせいでいまだに正当な評価を得られていない理由を説いた。ドイツでユダヤ人問題を正面から論じるのは現代でも重たいことなのだが、彼も僕も金融証券界という、あえてアーリア人的視界に立つならばユダヤ的業界の住人であった。だからだろう、彼とはミュンヘンのオクトーバーフェストでビアホールで乾杯しながらそんなことを話しても平気だった。

金貸しは非道、金利を徴収するのは肉を切り取ることという世で富裕な銀行家の息子だったメンデルスゾーンはキリスト教に改宗した。しかし彼が生きるためにアイデンティティまで売ったとは思えない。彼は深いバッハ信仰がありルター派になったが心のルーツはユダヤ教徒であり、旧約・新約両方の聖書に出てくる聖人エリヤを描いたのは深いわけがある。ドクトルHは熱かった。ナチスは同盟軍と教わっていた僕は、アンネ・フランクがフランクフルトから逃げて隠遁したアムステルダムの家を見て深く同情はしたが、彼のメンデルスゾーン講話でいよいよ憎むようになった。

そのような知識も信仰もなくとも、メンデルスゾーンの音楽は訴求力があると思う。彼の音楽は、今流に中国語でいうなら全球的であって、大方の聖書も読んでいない日本人がバッハのマタイ受難曲をあるべき姿として理解するのは至難であったとしても、エリヤは自然に耳から共感できる。今回の曲目、未完に終わったが完成していればエリヤ、聖パウロと並んで三大オラトリオを形成したはずであるオラトリオ「キリスト」作品97もそうだった。そうだ、キリストはユダヤ人なのだ。信仰はないのに涙があふれ出てくる。ドイツの保守本流の音楽でしかこういうことは起きないことを僕は知っている。どうしてかは知らないけれど。

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