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カテゴリー: ______マーラー

クラシック徒然草-音楽の好き嫌い-

2015 MAR 20 9:09:35 am by 東 賢太郎

人間何ごとも好みというものがございます。食べ物、酒、色、車、服装、異性、ペットなどなど。愛猫家の僕ですが、どんなひどい猫でも犬より上という事はあっても猫なら何でもいいということでもなくて、やっぱり順番はあります。

はっきり「嫌い」というのがあるので音楽は僕の中では好悪がはっきりしているジャンルに入りますが、不思議なものでクラシックファンで「私はモーツァルトが大好きです」という人はいても「**が大嫌いです」という人は会ったことがありません。

嫌いと無関心は違います。全然別物です。好きがプラスなら嫌いはマイナス、無関心はゼロです。ゼロは何倍してもゼロですから、クラシックは何を聞いても何も感じないという人はどの曲も好きにならないかわりに嫌いになる心配もご無用ということであり、逆にどの曲も嫌いにならない人はある曲だけ好きになることもないのが道理だろうと思うのですが。

食べ物の場合は「何でもOKです」ということだってあるし、親がそうなるように教育もします。食べないと死んでしまうのだから全部が無関心ということはまずあり得ません。しかし聞かないと死ぬわけでもないクラシックは、幼時から聞いて育つわけでもない場合が多い日本人にとっては無関心か食わず嫌いがスタートというのは当然です。

それがある日突然に全部好きですなんてことは異様であって、一度フランス料理を食べたらフォワグラから羊の脳みそまで一気に好きになっちゃったなんて、そんな頑張る必要はぜんぜんないのです。「ほとんど全部眠いですが第9の第4楽章だけは感動します」、そういうのがきわめて真っ当、普通です。

僕の場合は縷々書いてきた曲は「もの凄く好き」ということなのでプラスが大きい、だから正反対のことでマイナスが大きい曲だってちゃんとありますし、それが自然体鑑賞法の自然な帰結なんじゃないでしょうか。クラシックと名がつけば全部名曲であって何でも好きですというのはホンマかいなと思ってしまうのです。

さらにいえば、あの退屈極まりない(僕にとってはほぼ拷問であった)音楽の授業で無理やり楽聖の名曲だと押しつけられる。だから日本人にとってクラシックを聴くということは教科書にあった曲は全部うやうやしく好きにならないといけない、そういう強迫観念で縛られているのかなと思ってしまいます。だとすると三島 由紀夫の指摘したとおり、日本のクラシック好きはマゾっぽいですね。

僕のように音楽の通信簿が2だった子がある日めざめて好きになる、すると当たり前ながらちゃんと嫌いな曲もたくさんあることが自分でわかってくる。それで君はクラシックが分かってないねなんて通の評価が下ってもSo what?(だからどうしたの?)ってことじゃないでしょうか。

僕は京料理が好きですがハモが苦手です。夏場はそれが売りだからどうしたって出てくるんですが僕はカウンターで抜いてくれという。変な顔をする店がありますがいい店の主人はかえって歓迎してくれますね。それでも京料理屋に来てるんだから見栄や酔狂でなく本当に好きなんだとわかってくれる、それで鮒ずしなんか頼むと完璧にわかってくれる。そういうもんだと思うのです。

音楽のハモにあたるものはこういうものです。

マーラーの6番というのは全クラシックの中でも最も嫌いな曲の一つで、あのティンパニのあほらしい滑稽大仰なリズム、おしまいの方で板とか酒樽みたいなのを鏡割りみたいにぶったたくハンマーは作曲家は大まじめに書いたり消したりしたらしいがまあどうでもいいわなとしか思えず、全曲にわたって音楽的エキスはなし、あんなのを1時間半も真面目な顔して聴く忍耐力はとてもございません。

チャールズ・アイヴズという米国の作曲家の和声に吐き気を催した(本当に)ことがあって、それ以来トラウマになって一度も聞いておりません。あれは一種のパニック障害の誘因になるのじゃないかと思い譜面を見るのも恐ろしく、それがどういう理由だったかは謎のままです。

メシアンのトゥーランガ・リラ交響曲に出てくるオンド・マルトノという電子楽器、あのお化けが出そうなグリッサンドは身の毛がよだつほど苦手です。結局あの曲を覚えるには勇気を奮ってライブを聴き、視覚的にそれが出てくる箇所をまず覚えて(見えると怖さが減る)、来るぞ来るぞ(いや、お化けが出るぞ出るぞだ)と心の準備をしながら10年以上の歳月を要しました。

ヴェルディはコヴェントガーデンやスカラ座でたくさん観たのですが、椿姫の前奏曲のあのズンチャッチャ、あれが始まるとああ勘弁してくれここは俺の居場所じゃないと家に帰りたくなってしまう。運命の力序曲のお涙頂戴メロディーなど退屈を通り越して苦痛であり早く終わってくれと願うしかありません。閉所恐怖症なので床屋も苦手で、ああいうつまらない曲でホールの座席にしばられると床屋状態になるのです。

パガニーニのコンチェルト、カプリース、およびリストの超絶技巧。ヴェルディのズンチャッチャよりは多少ましですが、この手の曲が不幸にして定期公演で舞台にかかってしまったりすると行くかどうか迷います。ましというのは、一応ソリストの技巧を見るという楽しみはあるからで、演奏家の方には非礼をお詫びしますが僕にとってその関心はボリショイ・サーカスや中国の雑技団を見るのとあまり変わらないです。

一歩進めてこれが演奏のほうに行くと、大嫌いなものは無数にあります。好ましいと思っている演奏家であっても曲によってはダメというのがあって、例えばカルロス・クライバーのブラームスは4番の方は実演であれほど感動したのに2番は到底受け入れ難い。リズムが前のめりで全然タメがない快楽追求型で、妙なブレーキがかかったり弦を急にあおったり、あんなのはブラームスと思わない。カイルベルト、ザンデルリンク、コンドラシンなどと比べると大人と子供です。

ティーレマンはサントリーホールで聴いたベートーベンは割と良かったのですが、ブラームス2番はだめですねえ。youtubeにあるドレスデン・シュターツカペレとのですが、オケはせっかくいい音を出していて第3楽章までは悪くない(クライバーよりいい)ですが、終楽章のコーダに至って100円ショップ並みに安っぽいアッチェレランドがかかってしまう。そこまでの感動がどっちらけですね。お子様向けです。

モーツァルトというとグレン・グールドのソナタとの相性の悪さについては既述ですが、同じほどひどいのにカラヤンの魔笛というのもあります。ベルリンPOのDG盤は多少はましですが古い方のウィーンPO盤。どうもカラヤン先生カン勘違いしてるなと思いつつ我慢して聴いていると、タミーノとパパゲーノが笛と鈴をもらう所で3人の童子が出てきますが、これがなんとヴィヴラートの乗った色気年増みたいな女声で実に薄気味悪く、もう耐えられず降参です。

演奏について書きだすときりがないのでこの辺にします。以上、嫌いなものオンパレードで皆さんがお好きなものが含まれていたら申しわけありませんが、もっとたくさんある好きなものの裏返しということで、これでハモの価値が下がるわけでもないということでご容赦いただきたく存じます。

(補遺、2月1日)

今日、ピエール・ブーレーズ追悼番組の録画を見ました。ノタシオン、レポンの映像は貴重です。03年東京公演のベルク、ウェーベルン(マーラーユーゲントO)の精緻な演奏は感涙ものです。しかし後半が蛇蝎のように嫌いなマーラー6番というのが残念。これが好きな方にご不快は承知の上で、よりによってこれはないだろう。神であるブーレーズが振れば大丈夫かと恐る恐る聴きましたが第1楽章でもう降参。消しました。

 

マーラー交響曲第6番イ短調(ついに聴く・読響定期)

 

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僕が聴いた名演奏家たち(クラウス・テンシュテット)

2015 FEB 9 1:01:53 am by 東 賢太郎

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クラウス・テンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926年6月6日 – 1998年1月11日)は東ドイツに生まれ1971年に西ドイツに亡命し、カラヤンが自ら後継の本命と目したとされる名指揮者である。79年にH・S・イッセルシュミットが作った北ドイツ放送交響楽団の第3代首席指揮者に就任したが楽団との関係が悪化し、1981年の演奏旅行中に辞任してしまう(ギュンター・ヴァントはその次のシェフだ)。83年9月にロンドン・フィルハーモニーの音楽監督に就任したが、85年に咽頭癌が発覚し87年に惜しまれて辞任した。

 

tenn82-84年にフィラデルフィアに留学していた僕は、フィラデルフィア管弦団に客演に来た彼のドレス・リハーサルを妻と聴いた。どうやって入れてもらったのかは忘れたが本番のチケットが買えず、どうしても聴きたいのでなんとかしたのだった。大変に幸運ななことだった。83年3月10日、LPOシェフ就任の半年前のことである。場所はアカデミー・オブ・ミュージック、曲目はシュロモ・ミンツをソリストに迎えてプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番、そしてブラームス交響曲第4番だった。その時点では80年に買ったマーラーの1番のLP(写真)で知っているだけの人、ずいぶんひょろっと背の高い人だなというのが舞台に出てきた第一印象だった。

ミンツとの合わせは第1楽章展開部と終楽章コーダの大太鼓が入ってからの部分のバランスだけは入念に数回くりかえし、その他細かい部分はあまり覚えていないが比較的すいすいと進んだ。問題はブラームスだった。僕が2年間定期会員としてフィラデルフィア管弦団をきいたアカデミー・オブ・ミュージックの音のデッドさは既にブログにしたが、彼がブラームスをどう響かせるかに気を配ったのは当然だろう。

オケを流しながら管と弦のバランスチェックで何度もストップする。少なくとも細部のことでは一切なく、流れかバランスが悪いと止めたと思われる。指示は第1ヴァイオリンのフレージングと表情の起伏が多く、全奏でそれがどう響くか何度もくり返す。英語はドイツ語なまり。態度はけっして高飛車ではなくブラームスに敬意を払いつつオケを納得させて乗せていく。指揮姿に派手さや大仰なポーズはまったくなく、あおったり微細に振ったりする棒ではない。

曲の総体に確固としたコンセプトを持っていて、一切妥協がない頑固な人という印象だった。それに強いこだわりと熱意があって、オケに体当たりでぶつける。それに奏者が共感すると彼らの持っている音楽性が素直に出てきて自然にいい音楽ができてしまう。そういう感じのリハーサルだった。チェリビダッケともバーンスタインとも全く違う、融通無碍のスタイルだ。細かいことは省くが、僕自身思いの深い曲だっただけにこのことは強く記憶に焼きついた。

この本番は聴けず地元FMがステレオ放送してくれたのでそれをカセットに録音したが、それがこれだ。

翌週の18日にR・シュトラウスのドン・キホーテ、ワーグナーのタンホイザー序曲(パリ版)、ニュルンベルグの名歌手前奏曲というプログラムは聴いた。フィラデルフィア管では82年の11月にマーラー交響曲第3番(5日)、グリーグのピアノ協奏曲とチャイコフスキーの悲愴(12日)を聴いたことがプログラムからわかるが残念ながら記憶の彼方だ。最初の年であり死ぬ思いで勉強していた頃でそれどころではなかった。

卒業後、そこから僕はロンドンに赴任し、彼がLPOを振った演奏会を4回聴いた。まず84年9月29日にマウリツィオ・ポリーニとのブラームスのピアノ協奏曲第2番、そしてベートーベンの交響曲第3番。86年9月28日にはベートーベンを2曲、ピーター・ドノホーとのピアノ協奏曲第2番交響曲第3番。そして同年10月1日のベートーベンピアノ協奏曲1番(pf・マヤ・ヴェルトマン)とR・シュトラウス「英雄の生涯」、そして、10月5日のマーラー交響曲第3番(Ms・ヴァルトラウト・マイヤー)である。ピアノのヴェルトマンはたしか10才ぐらいのメガネの女の子だった。その後どうなったんだろう。「英雄の生涯」は録音を含めても僕がきいた最高の演奏の地位を今も譲っていない。フィラデルフィアで抱いた印象のとおり、LPOが彼に深く共感し食らいついていて、指揮者への敬意をもつとああいうことになるんだというものだ。

Mahler_sy3_ICAC5033しかし、僕が人生で聴いたベスト10に入るのは、何といってもあのマーラー3番だった。彼の3番は2度目ということになる。これはBBCがCDにしていて(右)、熱烈なマーラーファンの間では有名になっているとある人にうかがった。ご案内のとおり僕はマーラーには疎いし今も共感が持てない。そんな人間があのひょっとして彼が振った最後で最高の3番を聴いたというのは世のマーラーファンのお叱りを受けそうだが、CDを聴きかえしてみて、あることをはっきりと思い出した。恥ずかしながら、あの日涙を流しながらロイヤル・フェスティバルホールを後にして夜陰のなか運転がしばしできなかったことを告白して贖罪としたい。

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これがその日の録音である。残っているのが本当に有り難い。

思えばテンシュテットは50才でメジャー・オーケストラにデビューした超遅咲きの大物指揮者だ。同じ東独出身のクルト・マズアは共産党員になった世渡り上手であり、ゲヴァントハウスO.のポストを得て出世街道を登った。それに比べ、妥協知らずの彼はそれが下手で不遇の40代だった。想像だが彼の頑固さと短気さはドイツでは軋轢を生んだのではないか。いわばドイツを追い出されて、米国と英国で花咲いた人だ。

当時、ナチと無縁でドイツものを振れるドイツ人は英米で需要があった。フルトヴェングラーもだめカラヤンもだめだ。しかもマーラーに深く共感しているのだから米英の音楽メディア、マネジメントを牛耳るユダヤ人が歓迎した。彼はロンドンで最高の敬意を集めたクレンペラーの化身として登場したのだ。50になって急に運が開けたが、そうなったのも音楽家として絶対に手を抜かない彼の一途な性格を英米の音楽家、聴衆がしっかりと評価する眼力があったからでもある。

この2回の演奏会は咽頭癌が発覚した翌年であり、そういうえば我々聴衆はみな半分キャンセルを覚悟してチケットを買っていたのだ。この演奏会の後に8番を振り、その次のブルックナーはとうとう病魔の為に本当にキャンセルされた。そして翌年に闘病の為リタイアを余儀なくされてしまったのだ。この3番の終楽章を弾いていたLPOの弦の人たちの、彼をいつくしむように、動作を一つも見逃さぬように見つめる視線が忘れられない。とにかく彼は英国で愛されていた。

陽のあたる道での実働は10年余り、LPOとの蜜月はたったの4年で終わったが、一生忘れない宝もののような思い出をいただいた。思えば彼の人生行路には自分を重ねてしまう部分があって共感があるし、あのマーラー3番の演奏会の時、彼は60才の還暦だったのも何か感ずるものがある。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

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アルパッド・ヨーのマーラー「巨人」

2014 SEP 29 1:01:06 am by 東 賢太郎

このレコードは1983年7月、アムステルダム・コンセルトヘボウで録音されている。後で知ったことだが、このブログにある指揮台に登った写真を撮ったのがまさに83年7月だったからちょうどこれを録音した月だ。僕にとって記念写真的な価値のあるLPということにもなってしまった。

ブルックナーとオランダとの不思議な縁

これは前回のブラームスと同じくSefelというレーベルで、ハンガリーからカナダに移民して石油会社を興したJoseph Sefel氏が立ち上げたもの。調べると、高品質のLPを生産し、母国ハンガリーの音楽家を世に送り出そうという目的だったとある。検索しても出てこないのでもう消滅したと思われる。

80年ごろは、クラシック音楽産業ではデジタル録音によるコンパクト・ディスクへの移行期にあたる。50年ごろにモノーラルからステレオへ録音方式が移行するという革命があったが、今度はアナログからデジタルへ、そしてフォーマットそのものもLPからCDへと二重の進化があったという意味で大革命期であったといえるだろう。

joo4ここで注目したいのは80年代の初頭、ほんの一時期だが、デジタル録音によるLPというものが各社から出たことだ。結局数年でCDに淘汰されてしまうがこれは非常に音が良く、今となると希少な財産で、ちょうどそのころロンドン駐在でLPを買いまくったものだから僕のLP棚にはそれがたくさんある。このSefelもその方向にチャレンジした新鋭企業だったと思われる。石油会社のオーナーにとってLPが石油精製による塩化ビニールを材料とすることがアドバンテージだったのかもしれない。

しかしそういうリスクテークした新興企業がギャラの高い指揮者やオケを使うわけにはいかない。このマーラーは録音場所こそコンセルトヘボウだが、使ったオケはアムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団なる国際的には無名の楽団だ。そして、指揮のアルパッド・ヨーこそSefel氏が売りだそうとしたハンガリーの有能な若手指揮者だった。

僕がこのLPをロンドンの在庫処分セールで2.99ポンド(当時で750円)で買ったのは86年ごろだ。その頃にはフォーマット競争はCDの勝ちLPの負けということで、勝負は完全についていた。だからバーゲンになっていた。しかし、この録音のクオリティは実に高い。独TeldecのDMMというテクノロジーによるコンセルトヘボウの音響は見事で、初期のデジタル録音の欠点がLPというアナログ再現方式によって中和されていることが最大のメリットだ。

しかし、なにより大事なことは演奏の良さである。ヨーの指揮は若さにまかせて奇をてらうことが皆無であり、この曲のスコアの解釈として間然とする所のない風格あるもの。APOの演奏技術も世界的にトップレベルの楽団に何の遜色もなく、気迫のこもった正攻法の演奏はACOであるかと錯覚するほどである。ファーストチョイスにどうかときかれて躊躇する理由も見当たらないほど。今日はこれを大音量でかけ、まるでコンセルトヘボウの特等席にいたようで、感動のあまり涙が出るほどだった。

事業として失敗には終わったが、一企業家の果敢なチャレンジでこんな宝物のようなディスクがある。それを二束三文で買った人間として申しわけない。亡くなったヨーの音楽性あふれる素晴らしい功績として、そしてSefel氏の称賛すべき企業家精神の遺産として、一人でも多くの方がCDででもこの演奏を耳にされることを願ってやまない。

 

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勝手流ウィーン・フィル考(4)

2013 MAY 6 0:00:52 am by 東 賢太郎

 

とりあえず思いつく僕のウィーン・フィルCDのベスト3です。

 

第1位 マーラー「大地の歌」 ブルーノ・ワルター指揮、キャスリーン・フェリアー(アルト) (52年)

097マーラー嫌いの僕ですが、この曲は時々聴いてます。しかしフェリアーの細かいヴィヴラートは実はあまり好みではなく、その分同じワルターの9番に気があったのですが花崎さんが挙げられたのでこれにしましょう。ウィーン・フィルの音というとこれが原点に近いからです。モノラルながら彫の深い良い音でオケの立体感もあります。それにしてもマーラーの愛弟子で当曲の初演者でもあるワルターの指揮は見事で「告別」(第6楽章)の最後は何度聴いても心を打たれます。47年にフェリアーがワルターと初めてこれを演じた時、そこに来て感動のあまり泣いてしまい、最後の”ewig”をついに歌えませんでした。謝罪されたワルターは「大丈夫ですよ。でも、もしあなたぐらいすばらしい芸術家ばっかりだったらみんな大泣きで大変だった」と慰めたそうです。

第2位 チャイコフスキー交響曲第5番 リッカルド・シャイー指揮

yamano_41080703321980年、イタリアの俊英で弱冠27歳(!)の若造(失礼)だったシャイーのこれがデビュー盤でした。これを初めて聴いたときの電気が走ったような感動はまだ覚えています。テンポは伸縮自在、強弱は外連(けれん)を尽くし、主題はくっきり。ちまちました交通整理などどこ吹く風。欲しい音はエンジン全開で引き出す。歌う。若さの勝利です。おじさんには恥ずかしくてできません。それに興味を示したのか、最初は素っ気ないネコのウィーン・フィルがだんだん面白がって本気になって・・・そういう感じなのです。白眉は第4楽章でしょう。音を割るホルン、むき出しのトランペット、綺麗ごとでなく吠えるトロンボーン、ガツンとくるティンパニ、木管が原色の音丸出しでノッているのが分かり、弦セクションは体をゆすっている(はず)。ネコが完全に本気になって疾走するコーダのものすごさ。これをチャイコ5番ベスト3に入れるのに躊躇は全くございません。こんなウィーン・フィルをライブで聴けたらなあ!

第3位 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲) ジェームズ・レヴァイン指揮

51NxLnYtHPL__SL500_AA300_アメリカ人のウィーン・フィルによるフランス音楽。85年録音で、この頃から非ドイツ系レパートリーが増えていましたね。ベームのもっさりした火の鳥なんかのイメージがあり期待せずに買ったCDですが、何故か(?)とても上手い。こんなヴィルトゥオーゾ・オーケストラだったっけと驚きました。ただ、モントゥー、クリュイタンス、マルティノン、デュトワ、ブーレーズなどの色香や洗練とは味わいが異なり、ラヴェルのイディオムを弾き(吹き)慣れていないオボコい感じがあるのが好きでたまに聴いています。遠近感、合唱の扱い、メリハリは舞台を感じさせ、オペラ指揮者と歌劇場管弦楽団の相性を感じます。それでも弦の暖かい音色や木管の色彩はまぎれもなくウィーン・フィル。ぞくぞくするほど美しい。デリケートな部分ではフランスのオケにはない官能性を感じますが、どこか貴族的でもあります。たまに違った遊びをやるとネコは喜ぶのです。

 

以上ベスト3ですが、あれを忘れてた、こっちもいいぞというのがまだまだあります。花崎さん、ぜひ続編もやりましょう。

 

勝手流ウィーン・フィル考(1)

ラヴェル「ダフニスとクロエ」の聴き比べ

 

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マーラー交響曲第1番ニ長調 「巨人」

2013 JAN 23 23:23:37 pm by 東 賢太郎

堂々と宣言します。僕はマーラー嫌いです。理由は簡単で、彼の「私小説風音楽」にどうしても共感できないからです。

これだけ世の中に好きな人がいるのですから、こっちが変なのです。それはわかっています。そう思って全曲を何度も聴きました。どこかのオケの定期会員になれば嫌でも聴かされもします。それでもだめなのですから、もう相性なのでしょう。

僕は日本食では煮物類がだめです。食べられはしますが、自分で注文はしません。それを言うとキミは日本人じゃないねというような目で見られることがあります。もしマーラーよりチャイコフスキーの方がいいなどとクラシック好きの前で言おうものならきっとそういう目で見られるでしょうね。

しかし、東京生まれ東京育ちなのに小学校2年でアンチ巨人、カープファンになった僕ですからその程度は朝飯前です。さらに、偉人伝は好きでも私小説、自伝的小説には皆目興味が湧かない性格ときますと、マーラーの音楽美に感銘は受けても、CDを毎日取り出して聴くのははるか遠い世界というのはおわかりいただけるでしょうか。

そんな僕が唯一全曲そらで暗記している曲が、交響曲第1番ニ長調です。これだけは巨人ファンなのです。

この曲には忘れられない思い出があります。大学時代に友人とレンタカーで米国西海岸を旅行した時のこと。サンフランシスコで友人2人はSFジャイアンツの試合、僕はコンサートと別行動になりました。郊外の野外音楽堂で僕を降ろし、車は彼らが乗っていきました。コンサートが終わると音楽堂は人っ子一人いなくなり、電気も消えて、僕は丘の上の野原にぽつんと一人残されました。周囲は民家もない寂しい場所で、おまけにSFは夏でも肌寒く、新聞紙を背中に入れて耐え忍ぶほどでした。1時間は経過したと思います。ふと見ると、5~6匹の大型の野犬の群れがやってきます。暗闇のなかで犬の目が何かに反射して不気味に光って見えました。この時だけはもう命がないと覚悟しました。脇にあった土管のようなものにじっと身をひそめ、いなくなってくれることだけを祈りました。群れの吐く息と足音がすぐ近くを通り、どういうわけだったのか、犬たちは僕には目もくれずやがて闇の中に消えていきました。

こういう思いをして聴いたのがマーラーの1番でした。巨匠ウイリアム・スタインバーグ(右)がサンフランシスコ交響楽団を指揮したその演奏は衝撃的なもので、野球でいうと左翼ポールぎわ打楽器の後ろの「外野席」だったのですが、米国一流オケのものすごさを目近で初体験したという意味でも強烈なインパクトを受けました。僕がわがままでこっちに来たのですから友人にはかえって心配させてしましましたが、メジャーの野球を蹴ったぐらいですから、当時からこの曲が好きだったのだと思います。

これを覚えたのは名盤の誉れ高かったブルーノ・ワルター/ コロンビア交響楽団のLPでした。バーンスタイン、アバド、テンシュテットの録音もいいし、実演で言えばフィラで聴いたムーティー、ロンドンで聴いたハイティンク(LSO)、フランクフルトでのシャイ―(ACO)もすごい演奏でしたが、シノーポリ、メータ、マゼールは今一つでした。今となると家で聴くならワルター1枚で充分です。これ以上に曲を自然に、必要十分に味わわせ、素晴らしい手ごたえの感動を約束してくれるのはこの曲以外まで見渡してもあまり思い浮かばないという稀有の出来ばえです。あまりにオーソドックスな選択になってしまいましたが、マーラー嫌いのアンチ巨人ということで、今回はご容赦ください。

(補遺)

これは米国留学中にフィラデルフィアのFMから録音したショルティ/シカゴ響のライブ(1984年4月)です。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

(こちらもどうぞ)

米国放浪記(7)

クラシック徒然草-音楽の好き嫌い-

アルパッド・ヨーのマーラー「巨人」

 

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